幼いころから、楽しくて仕方がなかったゲームセンター。メダルゲームからビデオゲーム、クレーンゲームなど、多種多様な筐体たちが僕らを夢中にさせてくれた。
しかし、それらのアーケードゲーム筐体たち、とくに「エレメカ(※)」と呼ばれる筐体が危機に瀕している。
※機械要素のあるゲーム筐体で、ビデオゲームが伸びるまではアーケードの主役だった。身体性とともに楽しめるのも魅力
『ジャンケンマン』は発売メーカーのサンワイズが1998年に倒産し、その後アズロネットに引き継がれた公式修理サポートも終了。
『ワニワニパニック』も、アフターサービスを担うバンダイナムコテクニカでは部品の在庫が残るまでの修理となっており、各地のゲーセンでは、ワニが壊れて当たり判定がされない状況で動いているものまである。
しかし、公式修理サポートが終わるなどして命が尽きようとしているアーケードゲームたちを、今なお修理している技術者がいる。
そんな貴重なゲーム資源を守る匠が、矢部貞夫さん(74歳)だ。
ビクターに6年ほど在籍した後、ゲームのレンタル・リース・修理業を立ち上げてから45年、この道に携わる。
現在は2000年に立ち上げた有限会社アームズ(東京都八王子市/旧アームズコーポレーション)で、今や修理が難しいエレメカを中心としたアーケードゲームに再び命を与えている。
そんな矢部さんに、懐かしいアーケードゲームたちの修理事情を聞いた。
「個人からの修理依頼」が激増した
「ゲームの業界に入ったのはいつの時代ですか?」
「1978年ごろで、『ブロックくずし』からインベーダーゲームに人気が移行してきたころです」
1978年発売、『スペースインベーダー』(タイトー)。世界的ブームを巻き起こしたシューティングゲーム(Photo by Tomomarusan)
「時代の生き証人ですね。どんなお店にレンタルしたんですか?」
「喫茶店や駄菓子屋、スナックが多かったです」
「今や、そうした場所でゲーム筐体を見かけることも減りましたね」
「さらにリースを始めて、その流れで修理もやるようになって。ゲームの販売の手伝いもしていましたが、かつては射幸性の高いマシンが多くて、ルーレットや麻雀ゲームなどが人気でした」
「噂には聞く、メダルゲーム全盛時代です」
「ほどなくしてゲームセンターが増えてきて。そこからずっと今の仕事をやっていますね」
「昔のアーケードゲームは、どんな故障が多いですか?」
「部品の経年劣化です。昔のゲームの表示によく使われたランプの端子がショートしたり、お金を入れるセレクターが壊れたり」
「どんなお店からよく修理依頼が来ますか?」
「ゲームセンターとか、喫茶店とか。でも、最近は個人所有のゲーム筐体の修理以来が多くて、『ピンボール』や『ジャンケンマン』とかは意外と個人の方が多いんです」
「個人の依頼のほうが多い?」
「はい、倉庫を貸し切って集めている方もいらっしゃいます」
あの人気ゲームは今?
「懐かしいゲームの中で、貴重になっているものはなんですか?」
「まずは、『ジャンケンマン』です」
1985年登場の『ジャンケンマン』(サンワイズ)。じゃんけんで勝つとルーレットが回る単純なゲームだからこそ、熱くなる(Photo by Doripoke)
「おお、大ベストセラー筐体でしたが……!」
「今でもよく遊ばれて、お店の売り上げもいいんです。ただし数は減ってきて、オークションでは10数万円まで上がります」
「そのほかはいかがですか?」
「新幹線ゲームは、もうほとんどないかもしれません」
1976年発売、『新幹線ゲーム』(ニシキ製作所)。レバーをはじいてボールを「当り」まで導くゲーム。見た目以上の難しさ(Photo by motoemon)
「デパートの屋上にあった印象でしたが……なぜ減っているんですか?」
「もう古いですからね。ほかのゲームに押されて店頭から消えるとき、処分されていきました」
「ちなみに、この筐体はなんでしょうか?」
1976年発売、『ピカデリーサーカス』(コナミ)は数字を選んでBETし、ルーレットで当たるとその数字の倍率分のメダルが出る
「『ピカデリーサーカス』です。ルーレットで当たる番号を予想するメダルゲームで、賭ける系のゲームが多い当時に流行りました」
「BGMがなく、効果音のみで時代を感じますね」
「ほかにもメカの馬が競馬場を走る、セガの競馬ゲーム『ロイヤルアスコット』もほとんどないと思います」
「ゲームセンターの花形で憧れだったんですが、絶滅寸前なんですね……!」
「格ゲー」の登場でエレメカは危機に
「パンチングゲームをあまり見なくなったのは、壊れるからですか?」
「もちろん壊れやすいんですが、筐体としての売り上げはいいんです。ただ、『音がうるさい』とかで入れたくないって声は聞きますね」
右から1981年発売の初代『ノックダウン』、1991年発売の2代目『ノックダウン90』(ナムコ/Photo by 物売り)
「あと、『モグラたたき』は全然見ないですね……!」
「もうほとんど『ワニワニパニック』に変わり、1975年に登場したモグラたたき『モグラ退治』(東洋娯楽機)は貴重になっています」
1988年登場、『ワニワニパニック』(ナムコ)。ハンマーでワニを倒すスリリングなゲーム性で大ベストセラーに。プラスチック部分が割れて修理になることも多い
「あと『ブロックくずし』(ブレイクアウト/アタリ)もインベーダーゲームが流行る前にすごく人気だったと聞きますが、ほとんど見ませんね」
「インベーダーゲームに変わったときにほぼ捨てられたと思います」
「やはり、入れ替わりのときに一気になくなるんですね……!」
「アーケードゲームは、流行りが変わったときによく前の機械を廃棄してしまうんです」
1980年発売の国盗り合戦(レジャック)は、矢部さんがとくに貴重と語るゲーム。「うちに修理依頼が来たことすらありません」(Photo by kanchaso)
「あと、ビデオゲームがどんどん流行ったときにエレメカが捨てられたケースも多いです」
「『ストリートファイター2』(カプコン)あたりから、90年代前半は一気に格闘ゲームが流行りましたもんね。駄菓子屋の前でも遊びましたが、そのときからエレメカは危機だったのか……!」
「あとはピンボールも貴重ですけど、やはりゲームセンターから消えたとき廃棄されて、海外へ行ったりもしているので」
「海外流出?」
「処分するよりは売れたほうがいいか、ということで海外に結構な数が売られたと思います」
ほとんどのゲームは直せる、が……
「そんな貴重なゲームたちを修理しているのが、矢部さんなわけですね。直せるゲームとそうでないゲームはどう違うんですか」
「ほとんどのゲームは修理できます。昔のゲームは一般的に扱われる汎用部品で作られていたので、まだ直せるんです」
「それでも、『パーツがない』なんてことは……?」
「特殊なパーツはネットで探して、中国やアメリカなどの海外からも取り寄せます。パーツがなくても、電気部品なら同じものを何とか作れるので、外注します」
「パーツも作れる……?」
「はい。図面さえ書ければ、昔のゲームはだいたい直せます」
「すごい!」
「ただ、現状での話ですね。これから替えの利かない部品の在庫がなくなると、修理が難しくはなってきます」
「大変だ」
「さらに、技術者は高齢化してきて、74歳の私と同世代からそれ以上の人ばかりです。図面に起こせたり、仕組みがわかったりする人がいないと修理は難しいんです」
「パーツも技術者も消える、これからが一大事ですね」
「ちなみに最近のゲーム筐体は、メーカーオリジナルのチップやマイコンがないと直せないんですよ」
「最近のゲームのほうが直しにくいんですか?」
「はい。小型化するためにパーツが豆粒みたいに小さいからか、品番の刻印もないので、何の部品かもわからなくて。しかも最近は、メーカーサポートを5年ぐらいで打ち切るケースが多いです」
「かつてのゲームのほうが、直す前提なんですね」
修理工場にはゲーム基板がどう動作するかをテストするための筐体が並ぶ
後継者は「いない」?
「懐かしいアーケードゲーム機の修理に、後継者はいないんですか」
「なかなかいません。覚えるものが多いですから。ゲームは機種が変わればみんな基盤が違いますし」
「矢部さんも、続けてきたからこそやれているわけですからね。イチから覚えるのは気が遠くなります」
「うちでも結構なメーカーの配線図を持っているんですが、それがないと基板修理も難しいので」
「技術から資料まで、いろいろそろってはじめて修理できるんですね」
「はい、なのでメーカーでも修理技術者がいないケースは多いです」
喫茶店にも図のようなゲームテーブルがときどき残っているが、ほとんどが故障で動作しない
「あと、会社が倒産して公式のサポートがなくなってしまったゲーム筐体も多いようですが、なぜ倒産してしまうんですか?」
「筐体が売れなくなったんです。修理だけではなかなかやっていけませんから」
「たしかに、エレメカと聞いて思い出すゲームに懐かしいものが多いってことは、新作がそこまで広まらなかったからかも……!」
「引き継いで修理する会社も出てきますが、だんだん消えていきます」
「商売的に成り立たないんですか?」
「そうですね、技術者もどんどんいなくなるから」
「修理だけでは成り立たないのも、技術が安売りされているからかもしれませんね……!」
1999年発売、『スウィートランド4』(ナムコ)。クレーンでお菓子をすくうゲームで「取り放題モード」もある
故障箇所を探すだけで1週間。でも、儲からない?
「修理する上で、大変なことは何ですか」
「中の回路図がないことが多く、壊れたところから追いかけて直さなきゃいけないんで、修理時間はかかります」
「日数はどれだけかかるんですか」
「3、4日から1週間かかるのもあります。ただ、長引いたからといって、追加の料金をいただくのもなかなか難しいので」
「いやいや、お金を取ってください……技術がなければできないことですから」
「昔の基盤は、同じ動作をさせるにも、かなりの部品点数を使って回路を作っているんですよ。部品が多いので、どれか一つが壊れているのを探すのも大変なんです」
修理に時間がかかるピカデリーサーカスの内部
「重労働……壊れている箇所はどうチェックするんですか」
「ゲームの回路に電流を流して、オシロスコープの波形を見ながら、一つひとつ部品に当たっていきます」
「大変そうですね」
「それだけで1週間かかることもあります」
「まるで病名を突き止めるのが難しい、難病のようですね」
「時間のわりに儲からないときもありますよ。修理に3~4日もかかってそんなにもらえないとき、時給換算したらいくらになるんだって」
「矢部さんにしかできない仕事なので、どうかそれに叶うお金をもらっていただきたいです! 逆に、お仕事でうれしかったことは何ですか?」
「ゲームが直ったときが一番うれしいですね。他から廃棄処分を頼まれた『ピンボール』を見た瞬間に、『これは宝物だ』と思って、ご自分で持っていたいと修理に出してくださったときがあって。修理が終わったら、感激されていましたよ」
「アーケードゲームが好きな人なら、本当にわかる瞬間ですね……最後に、これからの目標や夢などはございますか」
「会社名のアームズっていうのは、皆さんの『腕』になりたくて付けた社名なんですよ。皆さんのお役に立つように。今後も修理で力になれればと思いますので」
取材の終わりに矢部さんが言っていた、「日本なんて資源がないから、技術を大事にしなければ」という言葉が重く響く。
奇しくも、日本のGDPがドイツに抜かれて4位になる背景に、技術力が埋没し、賃金が上がらないことが要因の一つとしてあげられる昨今。
矢部さんのゲーム文化を守る修理の仕事をはじめ、貴重な技術にお金を払う土壌が生まれてほしいと切に思った。それが、後継者の登場にだってつながるはず。
取材協力:アームズ
HP http://www.armss.jp/