理想と現実。
その狭間で、僕たちはいつもバランスを取りながら生きている。
でも、バランスって、めっちゃ難しくないですか?
ジモコロ編集部の徳谷柿次郎です。
僕はこれまでいろんなローカルプレイヤーに出会ってきたのですが、輝かしく活動しているように見えても、裏では現実的な経済問題に悩んでいる人ってとても多いんです。
これを僕は勝手に「ロマンとそろばん」問題と名付けました。
ここで言う「ロマン」とは、自分の欲しい世界に向かう「理想」のこと。「そろばん」はこの貨幣経済を生き抜くための経済感覚、言うなれば「現実」です。
ロマンを求めれば、そろばんが現実を突きつける。そろばんばかりに向き合っていても、ロマンは遠ざかる。当然ながら、心も乾く。
このふたつの反比例するような概念とどう折り合いをつけていけばいいのか、どうバランスを取ればいいのか、それをみなさんと一緒に考えてみたいのです。
そこで今回、僕は同じ経営者としても場づくりの先輩としても、以前から気になっていたあるローカルプレイヤーのもとを訪ねました。
自称・廃屋ジャンキーこと、建築家の西村周治さん。
西村さんは、空き家問題が顕在化している兵庫県神戸市を拠点に、いくつものオンボロ物件をシェアハウスやギャラリーとして再生してきた人物。
一級建築士や宅建士、電気工事士や耐震診断士など多数の資格を持ち、廃屋を買い取り、直して使えるようにすることを生業にしています。
以前は「ラーメン屋のアルバイトで年収200万円だった」という西村さん。紆余曲折を経て、稼ぐ廃屋ジャンキーになった経緯は、個人的なあり方にも通じるものがあり、興味深いです。
西村さん率いる建築集団「西村組」が3年かけて完成させた風変わりな建物群「梅村(以下、バイソン)」を訪ね、彼の「ロマンとそろばん」について話を聞きました。
話を聞いた人:西村周治(にしむら・しゅうじ)
建築家。廃屋ジャンキー。オンボロの廃屋を直す有機的な施工チーム「西村組」組長。「無理をしない」「素人がつくる」「屋根が落ちてからが本番」を合言葉に日々廃屋と向き合う。
崖っぷちで感じる「生」
「バイソン、初めて来ました。何だかこのあたりだけアートの香りがするなあ。市街地も近いのに、不思議な場所ですね」
「元々は裕福な人たちが住んでた地域なんです。でも時代が変わって空き家が増えて、そのひとつの物件を買い取って改装したのがはじまりです」
「今はシェアハウス、ギャラリー、茶室などいろんな物件が並んでいますね」
狭いエリアに古民家を改装したシェアハウス、ギャラリーなどが並ぶ。場所は傾斜地の住宅街、神戸市梅元町の「どん詰まり」
バイソンの最奥地にある「共同茶室」。地域の人などを招き、茶会も行っている
「一棟手がけたのをきっかけに他の物件も引き取ってほしいと声をかけられ、結局この地域にある9棟全部を買い取って直しました」
「全部を」
「神戸は山の近くの、車が入れない地域に空き家が多いんですけど、そういうところは改装したくても費用が高い。みんなやりたくてもできないんです」
「そこに西村さんたちの仕事のニーズがあるんですね」
「どの物件も朽ち果てたゴミ屋敷だったんですが、せっかくやるならまとめて村のような場所にしようということで、アーティストや大工、旅人などいろんな人に関わってもらってつくりました」
アートな雰囲気が漂うシェアウス。国内外からアーティストを招き、滞在中の活動を支援する「アーティスト・イン・レジデンス」も行っている
バイソン入口付近の案内板。一般の人も見学できる。「誰もが共有できる場所」を目指しているそう
「車が入れない地域。改装はめちゃくちゃ大変だったんじゃないですか?」
「そうですね。でも僕らは『屋根が落ちてからが本番』をモットーとしているくらいなので、大変なことも楽しみながら少しずつやりました。無理しないっていうのも大事だと思ってて」
「西村さんって他にもたくさん廃屋を直してると思うんですけど、全部ここみたいに買うんですか?」
「買いますね」
「50軒以上はあるかな、ちゃんと数えてないけど」
「……50軒⁉︎(そんな人この世にいるんだ)」
「最近は新聞やテレビなどメディアに出させてもらってることもあって、二週間に一回くらい電話が来ます。家もらってくれないかって」
「すごい。もらうんですか?」
「半分くらいはもらいます。だからどんどん増えちゃって。マイペースにできるところから改装してるんで、渋滞してますけど」
「一軒家以外の物件もある?」
「ホテルやでっかいアパートもあります。だから、ありがたいことに再来年くらいまで予定がパンパンです」
新神戸の川の横にある、改装中の物件(何になるかは未定)
「資金はどうしてるんですか? 家が安く手に入っても、改装するには資材も人手もいりますよね」
「シェアハウスやギャラリーの家賃収入があるんですけど、足りないので毎月500万円くらい借金してます」
「毎月500万⁉︎ 今いくら借金が?」
「総額一億ちょっとくらいですね。そうは言っても不動産なので現物がありますし、最悪、物件を売却して現金化すればガッと返せます。大丈夫」
「ちゃんと儲かってます?」
「バイソンに関して言えば、トントン……いや、むしろちょっとマイナスくらい。ほかのところも……。でも一応、生活できてます!」
「トントンビジネス……気が狂いそう!」
「まぁそもそものスタートが狂ってるんで。というか、性格的に崖っぷちにいないと生きてる気がしないっていうのはありますね。ははは」
「(さらっとすごいこと言う……)」
「味のしない町」から、建築の道へ
「建築に興味を持ったのは?」
「中学のときに父親がいきなり廃屋を買ってきて、それをわけもわからず家族で直したところからですかね。いいからやれって感じで」
「お父さんは職人だった?」
「いや、大学で経済学を教えてました。父親が破天荒すぎて、母親は自殺するんですけど」
「……(僕と同じ、実家破綻人間⁉︎)。出身は?」
「京都です。向島ニュータウンという、京都の中でも下町のエリアで。母はその感じが嫌だったみたいで、そのあと大阪の高槻ニュータウンに移りました」
「ニュータウンからニュータウンへ」
「どちらも新興住宅地でテンプレみたいな家が並んでるところでした。そこで10代を過ごして。悪くはないけど、味がしない町でしたね」
「わかります。そういうところで育つと、こじらせるんですよね」
「孤独を煮詰めたような10代でした。友達はいないし、家庭は不穏。自分もバイク事故で生死の境をさまよったりもして」
「そこから一級建築士までよく辿り着きましたね」
「なんとかなった、なりましたよね。大学は美大で建築をやってて、卒業してから近所の設計事務所にバイトで入って資格が取れるまで働きました」
「下積み時代」
「生活は苦しかったです。建築事務所のアルバイトだけだと、月に5万円くらいしかもらえなかったので。ほんとにお金がなくて、住んでたアパートも追い出されて」
「月5万円じゃ、そうですよねぇ」
「で、先輩が紹介してくれた家賃1.5万円の倉庫を友達三人で借りて、直して住んだんです。倉庫を直したことで、いい意味で住む場所のハードルが下がりましたね」
「倉庫でも住めるんだっていう?」
「はい。最小限の環境があれば、人間って生きていけるんだなって。あとはまわりに誰か人がいれば、それでなんだかんだ成立するっていう」
「思想の原点ですね。でもそれが理想の環境だった、というわけでは」
「ないですね。当時はラーメン屋で深夜バイトしてて、世の中との接点がほとんどなかったし。このまま地に落ちて死ぬんじゃないかと思って、資格の勉強はそれなりにがんばりました」
「どこかで転機があったんですか?」
「28歳のときですね。神戸R不動産をつくった小泉寛明さんに喫茶店で出会って『うちで働かへんか』って言ってもらって」
「どん底からの蜘蛛の糸! 僕もそういう経験があるので、わかります」
「小泉さんの元で、神戸R不動産の立ち上げに関わらせてもらいました。この経験は大きかったです」
「どういう学びがありました?」
「不動産でのお金の稼ぎ方ですね。売れる商品はどういうものなのか、お金はどうやって調達してどう運用するのか。たくさん学ばせてもらったと思います」
当時住んでいた倉庫に自作したお風呂に入る西村さん。神戸R不動産時代は髭も生えていなかったそう
「貴重な経験ができた」
「はい。ただ、R不動産は業務委託の歩合制なのでそこから3年くらいは年収200万円でした。そのうち100万円がラーメン屋のバイト、みたいな(笑)」
「建築の世界って30過ぎても食えないって聞くけど、ほんとなんですね。苦労してるなあ」
コントロールするために「持つ」
「西村組を立ち上げたのは?」
「2012年です。R不動産の仕事の確定申告をしないといけなくて、個人事業の設計事務所というかたちで開業しました」
「最初の仕事は」
「2014年ですね。物件を買って直して、そこに住みたいっていう人が出てきたんで貸して、っていうのをそこから5、6軒繰り返したかな」
「お金ないのによく買えましたね」
「年収200万だったけど、奇跡的に600万借りられました。それを元手に」
「不動産売買って、人生に関わるものだから怖いっていう人もいると思うんですけど」
「そうですね。でも、賃貸って儚いじゃないですか。僕は経験があるけど、簡単に追い出される。僕はコントロールレバーを握りたい。だから、持つんです」
「よく、あなたは賃貸派?それとも購入派?みたいな議論あるじゃないですか。それでいうと、西村さんは購入派であると」
「そうなんですけど、そこにはちょっと疑問もあって」
だって、所有権って幻想じゃないですか?
「所有権は幻想」
「そもそも地球は自然の理ですべての現象が成立しているのに、人間の所有権ってあきらかに不自然な設定だと思うんです。ただ、それを持たないと変なやつに変な権利を行使されるから、僕はそれが嫌なだけです」
「タワマン建てられちゃったりとか?」
「はい。マンションだって戸建てだって、アホみたいに新築が建つでしょう。人口がどんどん減ってるのに家ばかり増える。空き家問題とか言っているけど、そんなに新しい家ばっかり建ててたら、いずれまた余るに決まってるじゃないですか。何も本質的な解決になってないと思う」
「確かになあ」
「そもそも空き家問題って、問題じゃなくて『現象』だと思うんですよ。家が古くなるにつれ腐っていくことも現象。だから安全性がどうとかいう以前に、まずは受け入れることが大事じゃないですかね。僕は家が腐っていくことは、美しいと思ってるんです」
「止まり木」のような場所で
「バイソンみたいに余白の多い場所をつくると、ヒッピー的な人も集まってくると思うんです。資本主義に縛られすぎない自由な暮らしができそう、みたいな。西村さんがそういう文化をどう思ってるか気になります」
「確かにそういう人は多いですよ。実際、お金使わない宣言してる人とかも少なくない。僕もお金がないところからスタートしてるし、お金なんてなくてもみんなが住める場所にできたらいいなあと思って、ここをつくった部分はありました」
「西村さん自身が、欲しかった場所でもあったと」
「そうですね。でも、僕がヒッピーかどうかは別として、ヒッピー的なあり方って、ある時期のある一瞬の輝きみたいなところがあるとは思っていて」
「一瞬の輝き」
「お金を使わないって言ってた人がずっとそのままあり続けるのは、それはそれで美しいと思うんです。でもほとんどの人はだんだんと社会に折り合いをつけていくものじゃないですか。僕もそうだったけど、みんな何かしらのかたちで、自分らしい道を見つけていく」
「わかります、結局経済ともぶつかるし」
「だから『止まり木』みたいなものなんだと思います、ヒッピーって。自分の居場所がどこかわからない人がここだったら、という場所に出会うイメージ。バイソンもそういうところがあるのかもしれない。だから、ここである程度楽しんだら、どこかまた楽しいところを見つけていってもらえたらって思います」
「西村さんはその中心で、旗をふり続けようとは思わない? バイソンをつくった人として」
「僕はできないです。やったとしても、すぐに賞味期限が切れると思ってる。だから、ある程度つくったら僕自身も離れていきたいんですよ、ここから」
余剰を遊ぶというロマン
「西村さんってヒッピー的な思想への理解もあるけど、経営者としてのバランス感覚もある。いい意味で、ロマンとそろばんの両輪が駆動している人だなって思いました」
「ロマンだけでやれるならそれはいいなと思いますけど、そろばん弾かないと死んじゃうっていうのが現実問題としてありますからね。西村組のスタッフとして30人近くの人を動かしてますし、どんどん仕事もつくっていかないといけない」
「そうですよね。僕も同じ経営者として思うところがあります」
「たまたま今は社会課題と自分たちのやりたいことがいい具合に合致しているから、そこに助けられている部分はあります。それが今後どうなるかはわからないけど、ありがたいことに遊ぶための財産は増え続けてる。そこをもっと生かしたいですね」
「それでいうと、僕は『脈アール不動産』ってどうかなって思ってるんですよ」
「脈アール?」
「水脈とか、地脈とか、人脈とか、そういう『脈』で物件を紹介するっていう。完全にダジャレですけど! 長野で家探しをしてみて、土地にきれいな水が流れてるとか、いい人が集まってるとか、脈ってめちゃくちゃ重要だな〜って実感したんです」
「あはは、それはいいですね。それでいったら、僕は『脈』ある物件をたくさん持ってるので、若い人にぜひ使って欲しいなって思います」
「チャレンジするプレイヤーが増えるのはいい未来ですよね!」
「僕らはこれは絶対におもしろいという物件をいくつも持ってるし、一緒に改装もできる。お金も引っ張ってこれる。そろばんは弾くから、何かやりたいという気持ちだけで僕らのところに来て欲しいですね」
「リスクは西村さんが背負ってくれます」
「近所の人に怒られるとかなら(笑)。空き家に対していろいろ思うところがある人もいるかもしれないけど、僕はこの余剰は遊ぶしかないと思っています。みんなで遊ぶ。それが今の僕のロマンの追い方なのかもしれないですね」
構成:根岸達朗
撮影:小林直博