2024年1月1日に発生した能登半島地震。ずっと気にかけていたのですが、東日本大震災と違ってメディアの取り上げ方はもちろん、普及しすぎたSNSの悪影響、能登半島の立地によって心理的距離を感じていました。

しかし、GW明けの5月6日に珠洲市のボランティアに訪れる機会がやってきたんです。そりゃ、行くしかない。過去、熊本地震発生の3ヶ月後に情報発信でサポートすべく、100人集めて現地に行ってきたジモコロですから。現状を受け止めないと次の一手が思いつきません。

 

民間ボランティアとして受け入れてくれたのは、珠洲市の銭湯『あみだ湯』を運営する新谷健太さん(通称:しんけんさん)。聞けば移住者として珠洲市の地域おこし協力隊のキャリアがあって、土地に根付いた活動を重ねるうちに銭湯運営責任者になったそうです。

しかも、引き継いだのは震災直前の2023年12月末。

発生から5ヶ月経っても、倒壊した家屋がそのまま残り、なかなか復興が進んでいるようには見えない現状……。一部の廃棄木材を受け入れて、薪ボイラーでガンガン燃やし、お湯を沸かし続けるしんけんさんは一体何者なのか? みんなでボランティア活動の一環で銭湯掃除をした後に話を聞いてみました。

 

話を聞いた人:新谷健太(しんや・けんた)
1991年生まれ、北海道北見市出身。 2015年金沢美術工芸大学油画専攻卒業後、アーティストランスペース「芸宿」を運営。フリーターをしながら制作活動を行い、2017年珠洲市に移住。地域おこし協力隊として勤務。2018年「ゲストハウス仮( )-karikakko-」開業。「海浜あみだ湯」の運営責任者。

 

手の届く範囲を「守る」人

「こんな感じですねー、掃除は」

「いや〜いい汗かいた……貢献できました??」

「もちろん。手が追いつかなかったタイル洗浄もできましたし、高圧洗浄で高いところも掃除できて助かりました!」

「このサイズの銭湯だと普段の掃除もなかなか大変そうですね」

「珠洲市内には3つ銭湯があるんですが、ここが一番キャパがでかいんです。だからなかなか手が回らないことも多くて。普段は3〜4人の仲間たちと回してるので」

 

1988年(昭和63年)創業の「海浜あみだ湯」。海岸近くの立地で、空気の澄んでいる日は水平線の向こうに立山連峰が見られる

「結構肉体労働なんですね、銭湯の運営って」

「フィジカルが大事です。街の銭湯として、火を灯し続けるためのタフなフィジカルが」

「強調しますね」

「はい。僕はこれをデカフィジカルと言ってます」

「好きなパワーワードだ。元旦に地震があって、1月19日から無料で銭湯を開放したんですよね。断水しても、地下水だから復旧できた。お客さんはどのくらい来たんですか?」

一日600人来られた日もありましたね。普段のお客さんは100人前後だったんですが」

「普段の6倍! それはすごい」

「ほぼ、珠洲市民が全員来たんじゃないですかね。被災者はもちろんですけど、支援者の方々もみなさんお風呂に入れなくて困ってましたから」

「超忙しかったでしょう。確かにデカフィジカルが必要だ!」

「地域の公衆浴場ですから、その役目を少しでも果たせたらいいなという思いでした」

 

倒壊した建築廃材や被災家具を引き受ける活動「kari(sou)」もあみだ湯で行っている

地下水と薪ボイラーの銭湯は災害時のインフラとして最強ですね。町の水道インフラが復活しても、建物に引き込むパイプが死んだら意味がなくて。あみだ湯も水道は使えない。昨晩、お風呂に入らせてもらって、銭湯が公共施設として与える機能を生身で感じました」

「地下水のパイプが生きていたのが幸運でしたね」

「入口に廃材が積み上げられていますが、能登の廃材を受け入れることで薪ボイラーの燃料は相当量確保できるわけですよね?」

「そうですね。廃材の処理もデカフィジカル対応なんですけど、廃材を燃やしてると町を弔っているような感覚になるんですよね」

「町の廃材でお湯を沸かして、町の人に還元する。大事な循環の弔いだ」

 

受け入れた建築廃材の整理は男出が必要かつ、注意して作業しなければならない

「しんけんさんは、そもそもどういう経緯でこの銭湯の運営をすることになったんですか?」

「実は僕、移住者で2017年に地域おこし協力隊として珠洲に来たんです」

「もとは北海道の北見出身でしたっけ」

「そうですね。学生のときに金沢の美大に通ってて、卒業後も地元には帰らずフリーターをしながら制作活動していて、そのときに銭湯でバイトしていた経験もあるんですよね」

「なんと、銭湯経験者だったんですね。珠洲に来てからは何を?」

「ゲストハウスの運営を。そのときにあみだ湯にお客さんを連れていったり、自分自身も利用しているうちにオーナーのおっちゃんと仲良くなったんですよね」

「ほー、それで銭湯の仕事を手伝うように?」

「協力隊としてほかの仕事もしてたのでできる範囲で、ですけどね。おっちゃんが高齢なのに薪入れとか大変そうだったし、僕がやるよ〜みたいな感じで」

 

ボイラーに薪をくべるしんけんさん。とても熱そう

「軽やか。体力が追いつかないから銭湯廃業が増えるケースもありますもんね」

「それで気付いたら運営責任者になってて(笑)」

「流れに身を任せてますね。それなりに覚悟がいることだったんじゃないんですか? 地域に愛されてきた銭湯を移住者が引き継ぐわけですから」

「覚悟かー。うん、そうですよねー。わかるなぁ(遠い目)」

「(なんか飄々とした不思議な人だ)」

「それでいうと、あみだ湯が抱えている構造的な負債のリスクを引き受けることは、覚悟のひとつだったかもしれませんね」

「負債ですか。それは具体的にどういう?」

 

「あみだ湯って、建物はおっちゃんのものなんですけど、土地は別の地主のものなんです。だから返すときは建物自体を解体しないといけないんですけど、その費用に1500万円かかるんですよね。引き継いで解体する流れになったら、そのリスクを負わなければならない」

「あらゆる大きな建築物の難しいところですね」

「なんで、仲間たちと会社を立ち上げて土地を取得する方向で行こうと考えまして。素人ながら設備の耐用年数とか、光熱費とか、入浴客数の見込みとか、もろもろ含めて計算をしたんですよ」

「ほうほう。そしたら?」

薪でお湯を沸かし続ければ、10年後には土地が取得できることがわかりましてね」

「薪基準で10年。しんけんさんが42歳になる頃に」

「その歳までこれやるのかぁ……とはちょっと考えたんですけど、時代はカーボンニュートラルじゃないですか。重油じゃなくて、あえての薪でCO2の削減に貢献するアナログな銭湯に身を捧げるのもいいかなーと」

 

「しんけんさんが社長になるかたちで?」

「僕たちのコミュニティはゲームや遊びが大好きで。だったらいつもやっている麻雀で決めるのもアリかなって」

「それは痺れる麻雀ですね! 負けると銭湯の社長としての責任が生まれる……」

「で、昨年末にやったんですよ。そうしたら四暗刻ツモった仲間がいて。むしろ『役満ツモったら社長でしょ〜!』ってなったんですけど、今のところまだ保留状態ですね」

「保留」

よく保留するんです。まあ、話がまとまらなかったら僕が持っている一般社団法人で引き受けちゃおうかなとか」

「肩の力が抜けてていいですね。そういうプロセスもなんか楽しそう」

「とにかく遊びが好きなんですよ。なにかと偶然性を利用したいタイプで」

「偶然性かぁ」

「まあ、そんなこんなで仲間もいるし、来年はがんばるぞー!ってなってたところなんですけど、元旦にあの地震がありまして」

 

いまだ倒壊したままの家屋も多く見られる珠洲市内

「出鼻がくじかれた」

「はい。自然災害なので折り合いをつけて受け入れるしかないじゃないですか。こうなったらこうなったで逆に提案できる価値があるかもしれない

「追い込まれた状態だからこそ、できることがあると」

「そうですね。いろんな人がこれまで以上に気にかけてくださいますし、事業承継の新しいかたちがつくれるかもしれないなって。地域の人たちや街と共同で運営してもいいですよね」

「ポジティブだ」

「あとやっぱり、銭湯が好きですしね〜。消滅可能性都市でなおかつ大きな災害にあった街の銭湯を残すという取り組みが、日本社会全体に与える影響にも興味があります」

「いやーあると思いますよ。希望を与えるんじゃないですか」

 

「うーん。希望かぁ……でも、ヒーローになりたいわけじゃないんですよね。そう言ってくださるのはいいんですけど……なんか違うなぁと」

「それは僕たちメディアも自覚的である必要があると思いますね。気づいたらわかりやすく目立った人を持ち上げちゃう側面はありますし」

「僕は、ただ自分の手の届く範囲で、守れるものを守りたいだけなんですよね。ただそれだけの思いで毎日、ひたすら水を温めているだけなんですよね」

「いま与えられている役割を淡々とやっている」

「そう、アナログティファール人間なんで

「また別のワードでてきた」

デカフィジカル、アナログティファール! あみだ湯、しんけんです。よろしくお願いします」

 

個人的な感情を「保留」する

「しんけんさんって、あみだ湯を始める前からゲストハウスでコミュニティをつくっていましたよね」

「ええ」

「コミュニティのあり方として、ゲストハウスと銭湯には違いがありますか?」

「んーそれでいうと、銭湯には『人格』みたいなものがあると思ってるんですよね」

「人格、ですか」

「ゲストハウスの場合は、そこに地域ネットワークのハブとなるような人たちがいて、その人たちの人間性や社会性で回っている」

「はい、確かに」

「だけど、銭湯の場合は、その場所自体に地域社会のハブとなる力が備わっているように思うんですよね

 

家の居間のような雰囲気の休憩スペース

 

脱衣所に掲示されている詩が味わい深い

「確かに、銭湯という機能には公共性があって、ゲストハウスのそれとはまた違うものを感じますね」

「銭湯って、物語があるじゃないですか。ゲストハウスにそれがないわけじゃないけど、銭湯には銭湯ならではの独特な物語がある」

「わかる気がします」

「歴史がそれをつくるのかもしれないけど、その物語はどこか人間臭くて味わい深い。だから人格みたいなもの、と言ってるんですが」

「なるほど。だとするなら、どんなヤツなんですかね、あみだ湯って」

「そうですねぇ。でっぷりして、おっとりして、ちょっとだらしなくて、多少雑でいい加減な部分もあったりする憎めないヤツって感じですかね。塊根植物みたいな?」

「塊根植物、おもしろい例え」

「実際、薪の燃え方でお湯が熱くなったりぬるくなったりしますし。設備も古いんで、シャワーヘッドの水圧がそれぞれ違ったりもします」

 

「しんけんさんはそういうところを愛でている」

「愛でてます。まあ、僕自身もだらしないところがあるので、人ごとに思えないんじゃないですかね(笑)」

「んー、僕も今日会ったばかりですが、しんけんさんがだらしないとは思えないけどなぁ」

「そうですかぁ?」

「だってこうして地震があっても、この土地に残って、地域の銭湯を続けているわけじゃないですか。それはむしろかっこいいですよ。珠洲を離れるという選択肢だって、あったんじゃないですか?」

「もちろんありました。ただ、僕は個人的な感情をいったん『保留』にしてるんです

「保留。よくやるやつですね? しんけんは保留力が9割?」

「売れる新書? 僕はいろんな決断を『保留』して、ただこの今に、この場所で、身近にいる人たちの求めに応じて生きることにしています。だらしなくずるずると、その日その日を……」

 

「でもその保留って、実は結構大事なことなんじゃないかなって」

「そうですかね。自分ではよくわからないですけど」

「僕はメッセンジャーツールの即レス文化っていうのが好きじゃないんでよく保留するんですけど、しんけんさんもそうですか?」

「僕の場合は即レス保留ですね。『ちょっと考えて返事します』って返します。で、そのまま時間だけが流れていくという」

「いったん返すのはえらい。真似しよう。そのあとが保留なんですね」

大事なことはどうせあとで思い出しますからね。思い出したら対応する。そのくらいのスピード感でいいという考えです」

「田舎で暮らすとその感覚わかるなぁ。即レスを声高に叫ぶ経営者減ってほしい」

 

現実のオーバードーズとケア

倒壊の危険度が高いと判定された建物には赤い紙が貼られている

「しかし、珠洲含めて能登半島の完全な復興にはまだ時間がかかりそうですね」

「そうですね」

「珠洲では5月に入ってもまだ2300軒以上断水していると報じられています。実際にまだ避難所生活を続けている方も多い。この現実をどう受け止めていますか?」

「僕自身は冷静に状況を見て行動するようにしています。現実のオーバードーズ状態になると生きるのがしんどくなるので」

「現実のオーバードーズ。確かにしんけんさんって落ち着いてますね。粛々とやるべきことをやっているような感じ」

「僕としては、この過剰な現実を癒す空間としての銭湯のあり方を考えながら、自分なりにできることをやっているつもりです。……あの、ちょっと思想的なこと言っていいですか?」

「いいですよ」

「僕は銭湯のことを『転換しうるメディウム』と呼んでいるんです」

「え、なに? 転換しうるメディウム??」

「簡単に言うと『メディウム=媒介物』です。日常と非日常の間にあるようなものですね。そうした媒介物である銭湯を『整える』のが今の僕の役割だと思ってて」

「ほお?」

「そのためのケアの思想と身体性のあり方については自分なりに考えることが多いです」

 

「はー。そういえばしんけんさんって、いろんな植物を育ててるし、いろんな生き物も飼ってますよね? ケアの才能ありそう」

「すっぽんは飼ってますね。珠洲に蛸島町っていうところがあるんですけど、そこの小学生が捕まえて学校で飼ってたやつを引き取ったんです」

「なんでまた??」

「面倒見きれなくなったらしいんですよ。先生から相談されまして」

「えー、地域の先生の相談相手にもなるんだ」

「次に大きな地震があったらこのすっぽんだけ持って逃げるつもりです。そしてヤバくなったら食うんです。すっぽんの生き血を吸って生き延びる

「急なワイルド」

 

「まあ、半分冗談です。単純に困りごとを引き受けて、面倒見たり世話したりするのが好きなのかもしれないですね」

「地域で信頼されてますね。しんけんさんならひとまず受け止めてくれそうってみんな思うんじゃないですか? ひとまずは」

「どうなんですかね。でも、ひとまずは受け止めます」

「預かってるだけですもんね、決断してないですよね?」

「決断はしてないです」

「さすが、保留力の人」

 

「生きる」はそもそもめんどくさい

「正直、生き物の世話とか、植物の手入れとか、めんどくさいことじゃないですか。ほっといたら死んじゃうし、手をかけ続けないといけないもの。ボイラーの火もそうかもしれないけど」

「それはそうです」

「世話をすることは超大変。だけどそれをおもしろいと思えるかどうかって、結構大事なことだなって」

「めんどくさいって言ったら、そもそも生きることがめんどくさいことじゃないですか。めんどくさいことをやるから生きてるんですよね

「わかる〜」

「なんで、めんどくさいことなしには、生きた心地がしないんです。これは銭湯だけじゃなくて、街に対しても同じ気持ちです。僕はそういうことにしか喜びを感じられなくなってます

「その感覚は、東京のような大都市の暮らしだけではなかなか得難いかもしれませんね。極端な経済合理性のなかで、それだけを信じて生きてたら、心の余裕もなくなるわけで」

「そうでしょうね」

「田舎だったら余裕ができるのかというとわからないけど、物理的な余白はある。それが時間の感覚も変えるし、めんどくさいことも引き受ける心のゆとりにつながる気がする。若干、マゾ味があるけども」

「マゾ味、ありますね〜」

 

「しんけんさんって、ちょっと達観したところがあるなって思ったんですけど、嫌いなこととかあるんですか?」

「ありますよ。ビジネスパーソン界隈のカタカナ語とか。PDCAとか、好きじゃないですね

「保留力の人には通じない言葉だ(笑)」

「だって、考えて行動してみたいなの、当たり前のことですよね。わざわざそんなかっこよく言わんでもって」

「アナログティファール、デカフィジカルとか言うのに?」

「それは僕しか言ってないから(笑)」

 

能登人に見る「死なない力」


「しんけんさんって、いろんなことを『保留』してあえてこの能登半島に残り続けているわけですけど、それはやっぱりこの土地の人たちに魅力があるからですか?」

「そうですね。それでいうと、僕はよく『死なない力』って言うんですよ」

「死なない力」

「災害の発生後、能登の人たちは電気や水道がなくても、薪で火を起こして、近くの山から水を汲んできて、食料を分け合って、みんなで助け合って生き延びたんです。ある避難所では収穫したブリの解体ショーから始まるところもあって」

「サバイバル力みたいなことですかね。それは生きる力、とは違うものなんですか?」

「『生きる力』は能動的な表現ではあると思うんですけど、緊急時においては生き延びることが先決で、『死なない力』の方が僕自身はしっくりきます」

「なるほど、そういうことか」

「哲学的な表現だけど、『よく生きる』ってあるじゃないですか。僕は人類、これについて勘違いし過ぎてるんじゃないかと思ってて」

「ほー」

「だってそれが、いいものを食べて、いいものを着て、いいお家建ててみたいなことだとするなら、そんな観念、緊急時には何の意味もなさないですから」

 

「むしろ大切なのは『死なない力』であると」

「はい。雨風がしのげる小屋を自分で建てられるとか、木を切り出して薪をつくれるとか、釣り竿一本で魚が釣れるとか、保存食の知識を持ってるとか、そういう何らかの『死なない力』を駆動させて、全力で生き抜くしかないんですよ

「現実的な言葉で、ぐっときますね。それは生きることのボトムにあってしかるべき、大事な力のように思います。快適な都市生活だけではなかなか鍛えにくいところかもしれないですね」

「これは田舎だから都市だからという話ではないのかもしれないんですが、僕は少なくとも、今回の災害で能登の人たちの『死なない力』を実感しました。それは本当に尊敬に値しますね」

「考え方に共感しすぎて鳥肌立ってきた」

「やった」

 

社会の流れに、ただ「応答」する

「しんけんさんは、発災後、二次避難コーディネートの活動もしていたんですよね」

「そうですね。俗に『みなし仮設』っていうんですけど、被災した方々が期間限定で住める一般賃貸の物件が金沢市内にあって、被災者の要望を聞かせてもらった上で、そういうところにお繋ぎするという活動をしていました」

「やってみて、どんな声が聞かれました?」

「そうですねぇ、都市部に移り住むことを『怖い』『不安』だとおっしゃる方は少なくなかったですね。二次避難をされた方々も、大多数が戻ってきたいとおっしゃっています」

「あれだけの地震があっても、戻りたいんだ」

「みなさんそれが自然の営みだってことを十分に理解されている印象です。その上で戻りたいとおっしゃられます」

「やはり住み慣れた土地がいいということなのかなぁ」

「自分の人生と共にある土地に戻りたいと思うのは、自然なことのように思いますね」

 

「しんけんさんの今も『自然』であるという意識ですか?」

「それについては、僕は『応答』という言葉を使っています。流れのなかで応答していく。これは社会学者のティム・インゴルドが『Correspondences』という本に書いていることから影響を受けていますが」

「社会や地域で起きたことに身を任せて、応答し続けるってことですかね」

「はい。社会のなかで、自分なりの役割を自覚して、行動するということですね。そういうスタンスでいると、あらゆるものごとは自然に決まっていく。決めるというよりは、決まっていくんですね」

「またいいこと言う〜。じゃあ今後のことも、自然と決まっていくという考え?」

「なるようになっていくと思います」

 

「最後に質問いいですか。しんけんさんって何者なんです?」

「水を温めているだけの人間です」

「アナログティファール」

「はい(笑)。何か特別なことができる人間でもないし、ヒーローでもないです。僕にできるのは、このあみだ湯という場所で、ただ水を温めること」

「いいですね」

「現実のオーバードーズで苦しくなった人たちが、あみだ湯の温かいお風呂に入って、ちょっとでも癒されて、また明日からがんばろうって思ってくれるなら、僕は今、それが一番うれしいですね」

 

☆しんけんさんにダブルインタビューした記事が「greenz.jp」でも掲載中。ぜひ合わせてご覧ください!

https://greenz.jp/2024/05/23/suzu_volunteer/

 

構成:根岸達朗