こんにちは、ライターの吉野です。私は今、能登半島の最西北にある石川県輪島市に来ています。

漁師町として知られる輪島市は、元旦に発生した能登半島地震で最大震度7を観測。多くの建物が倒壊し、観光名所の「朝市通り」では大規模火災が発生しました。

 

今回どうして輪島を訪れたのかというと、友達が暮らしているからです。友達とは輪島出身の漆芸家、桐本滉平くん。私と桐本くんは、かれこれ10年来の付き合いになるんです。

 

4年前の私たち。大学時代からよくご飯を食べにいったり、旅行に行ったりしていた(右にいるのは桐本くんのパートナー・萌寧〈もね〉さん)

桐本くんがいたこともあって、これまで3回ほど輪島を訪ねたことがあります。瀬戸内の小さな島で育った自分にとって、文化も食生活もまったく違う輪島は異国そのもの。輪島に来た時は友達と一緒に桐本くんの実家に泊まらせてもらい、おいしいお酒と料理を楽しみました。

そしてコロナが落ち着き、「今年こそ輪島に遊びに行くね!」と言っていた矢先、地震が発生。桐本くんの実家は全壊し、朝市通りにあった自宅兼工房も火災による被害で仕事道具や生活用品を失ってしまいました。

 

そんな大変な最中、桐本くんは地震直後からSNSで安否確認、支援物資の配布、被災動物の保護活動など、被災状況や被災者支援のための情報を発信し続けています。

地震が起こった場合、誰でも自分のことで精一杯になるものだと思うのですが、常に自分のできることを考え、実行している様子が伝わってきました。

 
 
 
 
 
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地震発生から5ヶ月が経って、桐本くんは今、輪島でどんなことを考えているのか。友達の距離だからこそ聞けることがあると思い、ジモコロ編集長のだんごさんと一緒に輪島に行くことに。最初に、桐本くんの実家へと向かいました。

話を聞いた人:桐本滉平(きりもと・こうへい)

漆芸家。1992年石川県輪島市出身。主に漆、布、米、珪藻土を用いた乾漆技法により、「生命の尊重」をテーマに創作を行う。また、国内外のブランド、アーティストとのコラボレーションにも取り組んでいる。

 

焚き火をしながら恐怖に耐えた一夜

「まいちゃん、久しぶり! 元気だった?」

「本当に久しぶりだね。前に泊まらせてもらった桐本くんの実家が、地震でこんなことに……」

 

4年前の桐本家(写真の中央にいるのは桐本くんのお母さん)

 

地震後の桐本家

「地震で家族は全員無事だったんだけど、実家は見ての通り全壊してしまって。家財のほとんどが取り出せなくなってしまったんだよね。お正月に家族で食べる予定だったおせち料理も、まだ家の中にあって」

「たしか地震の時は、ちょうど外出中だったんだよね」

「そうそう。その日は両親と弟夫婦、僕の妻の6人で、初詣を兼ねたドライブをしに行っていて。車に乗っている時に大きな揺れが来て、バックミラーを見ると、巨大な岩が道路に転がり落ちてきて。怖かったなあ」

 

「なんと……。その日は家に帰れたの?」

「道路が通行止めで輪島市内に戻れなかったから、近くの駐車場で焚き火をしながら一晩過ごしてた。そんな時、妹からのLINEで僕の家がある輪島朝市で火災があったと知って」

「そんな……!」

「朝市には知り合いもたくさん住んでいたし、家には3匹の猫がいたから本当に気が気じゃなくて。その時は不思議なことに家族を相手に冗談を言える余裕もあったんだけど、一夜明けて火災で跡形もなくなった朝市を見たら、涙が止まらなかった」

「そうだよね。その後はいつ輪島市内に戻れたの?」

「翌日の1月2日かな。その時点で実家はかろうじて倒壊を免れている状態だったから、隙間から毛布と洋服を引っ張り出して、避難所に水をもらいに行って。地震直後は水や電気、ガスが全部止まってたから、灯油ストーブや焚き火で冬の寒さをしのいでた。ただ、寒さ対策の次は、水や食料なんかの物資が不足して」

 
 
 
 
 
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地震直後の桐本くんの投稿

「もちろん地震直後はスーパーやコンビニは営業していないよね。そんな中、食料はどうやって確保したの?」

「北陸に本社のあるドラッグストア『ゲンキー』は震災翌日から営業してくれてたから、そこに買いに行って」

「地元の人のために何とか店を開けてくれてたんだ」

「市内にあるスーパーでは、どれでも10個で1000円みたいな緊急時の販売形式だったね。だけど、街のみんなが買いに来てたから、すごい混雑で。2時間並んでやっと自分の番が来た時、『停電してレジが打てないので、今日は営業終了です』と言われた時は、もう膝から崩れ落ちた(笑)。その後、別のお店でなんとか買い物はできたんだけど」

 

(左)元旦に避難した公民館で食べたお蕎麦(右)1月3日に重蔵神社でもらったおにぎり

「お風呂や洗濯はどうだった?」

「自衛隊がお風呂を作ってくれてから、お風呂は3〜4日に1回、洗濯は3週間に1回のペースだったかな。震災後はストレスや食事が十分に取れなかったからか体重が約8kg減って、1日の喫煙本数は3倍に増えちゃった」

「震災後、心と体にも変化があったんだね。ちなみに今(※取材は5月中旬)はもう輪島市内のスーパーや飲食店はいくつか営業してたね。ボランティアや行政職員の人もちらほら見たし、少しずつ街に賑わいが戻ってきた感じなのかな?」

「輪島では1月半ばに電気が、3月中に水道が復旧したのを機に、民宿や飲食店が少しずつ営業を再開してる。その一方で、火災の被害があった朝市通りや多くの住宅はまだ壊れたまま残ってるんだ。その現状も見てほしくて、朝市通りへ行ってみようか」

 

営業時間を短縮して営業していた輪島のファミリーマート。商品のラインナップは通常とほぼ変わらないように見えた

 

大規模な火災が発生した「輪島朝市」を歩いてみた

平安時代に物々交換から始まったとされる「輪島朝市」は、「日本三大朝市」のひとつ。全長360mの通りに200棟以上の露店が並び、昔から今まで地元の人たちの暮らしを支えてきました。

 

地震前の朝市

今回の火災ではおよそ5万平方メートルが焼失し、200棟以上の建物が焼けたとされています。現在は解体が少しずつ始まったものの(※)、火災で焼け落ちた建物の大半はそのまま。甚大な被害だったことを物語っています。

※取材後の6月上旬、輪島朝市の公費解体が開始。ただ工事完了時期の見通しは立っていない

朝市の姿はニュースを見てある程度覚悟していたのですが、実際に自分がその場に立ってみると、焦げた匂い、壊れたままの建物、散乱した食器類など、まるで自分が別世界の中にいるような感覚。言葉に出来ないほどの衝撃でした。

朝市の火災では亡くなった方もいたため、所々に花やお酒、千羽鶴が供えられていました。花が供えられた場所で手を合わせて黙祷していると、以前、訪れたときの朝市の光景が脳裏をよぎりました。

早朝からリヤカーを引いて出店準備をするおばあちゃんたち、観光客と出店者の活気のある掛け声、朝市で食べたあおさの味噌汁……。

 

自然の驚異の前では人間の営みはなんて脆いのだろうと思い、今もこの光景とともに暮らす輪島の人たちの気持ちを想像しただけで胸が苦しくなりました。

 

朝市通りの道端には、持ち主の方が取りに来れるようにと、自衛隊の方が焼け跡から探し出した器が置かれていた

 

「ここが僕と妻の自宅兼工房があった場所。この家に置いてあった漆器づくりの材料や道具は全て燃えてしまった。それに、地震直後にこの家で飼っていた猫3匹の行方もわからなくなって、約3週間探しても猫たちは見つからなかったんだ」

「ええ……」

「ただ自分の猫を捜索をしていると、同じように行方不明の飼い猫を捜している被災者の人から連絡が入るようになって。あまりの依頼の多さに、猫を見かけた場所をLINEで共有したり、捕獲器の設置方法を伝えたり、飼い主が見つからない場合は一時的に保護したり、気付いたら保護猫の活動をしていた」

「その頃、桐本くんは毎日のようにSNSで迷子の犬猫情報を拡散していたよね。実際に迷子になったペットは飼い主と再会できたの?」

 
 
 
 
 
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萌寧さんが作った、輪島で迷い猫を探す活動のインスタアカウント

「うん。輪島の猫の飼い主約60名と一緒に合計で100匹以上の猫を保護して、うち50匹以上は飼い主と無事再会することができた。『自分たちの力で地域の猫を救えた!』と思えて、嬉しかったなあ」

「すごい!」

「地震から1ヶ月間は家も仕事も財産もすべて失ってしまって、これからの未来も全く想像できない状況だった。だから、保護猫活動が生きる原動力になったのかもしれない。活動を通して他の被災者の人ともコミニュケーションできたし、結果的に『自分のため』になっていたんだよね」

 

「他人のためが、自分のためになっていたんだね。ちなみに、輪島朝市の今後について何か動きはあるの?」

「朝市通りの若手経営者や災害復興の専門家、大学生などが集まって復興に向けての検討会が始まったところだね。再来年には朝市が再開できればと思っているけど、まだまだ道のりは遠いと思う。それじゃあ、次は僕の実家でもある『輪島キリモト』を見にいこうか」

「よろしくお願いします!」

 

震災後のワークライフバランスの難しさ

「あら、何年ぶりかしら!」

「お母さん、お久しぶりです! 工房の裏にふわふわなメレンゲのような白い建物がありますけど……」

「これは名古屋工業大学の北川啓介さんが開発したインスタントハウスなの。外側は防水加工されてて、内側は断熱材として発泡ウレタンを吹き付けてるから、冬は暖かく夏は涼しい。シートに空気を入れて膨らませるだけだから、1時間くらいで完成するんです」

「地震の後に提供していただいて。すごくありがたかったなあ」

「中も結構広いんですね! 大人が8〜10人は入れそう」

「避難所は寒かったり、プライバシーの確保が難しかったりするから、このテントを住居として使っている人もいるの。何よりもテント自体が軽いので、地震の影響がないのが安心よね」

 

テントは被災者の方に無料配布され、一度設置すれば約5年は使える

「ちなみに、このテントの隣にあるのも仮設住宅ですか?」

「建築家の坂 茂(ばん・しげる)さんが設計した仮設住宅です。今は、この中を仮の工房兼店舗スペースにさせてもらってます」

ビールケースを基礎にして、紙管で出来た柱の間に木製パネルを入れて作るんだよね。機械は必要なく、人の力だけで組み立てられるのが画期的で。元々、坂さんとは知り合いだったことがきっかけで、今回建設をお願いしました」

 

仮設工房の中では輪島キリモトの漆作品を展示中

「今まで仮設住宅は『時間がかかる』『特別な資材が必要』みたいなイメージがあったけど、ずいぶん進化してる! 今回の地震で工房はどのくらい被害を受けたんですか?」

「作業工房と漆のスタジオはなんとか中に入ることができる状態だけど、木工の工房は機械が倒れて一時的に使えなくなって。幸いなことに、漆器や材料、職人さんの道具は被害がなかったんだけど、私たち家族や職人さんの自宅はほぼ全壊

「職人さんもみんな被災されたんですね」

「『まずは命が何よりも大事』と、地震後は職人さん全員に、輪島市外へ避難してもらいました。今は5名の職人さんのうち3名が戻ってきてくれて、少しずつ作業を行っている状態。だけど、商品の受注販売の目処はまだ立っていなくて……。輪島塗は製造工程ごとに分業されているから、ひとりでも職人さんが抜けたら成り立たないの

「それだけ輪島塗は職人さんが大事なんですね」

「伝統工芸は『人』がいてこそ成り立つ産業だから、職人さんや私たちの日々の生活基盤が安定していないと、『生きた仕事』ができないと痛感していて」

 

「例えば住む家がなかったり、満足に食事がとれなかったりする状態では目の前の仕事にも集中できないよね。やっぱり十分な衣食住があってこそ、日々の仕事が成り立ってるんです。だからこそ、どうやったら今の状況でみんなのワークライフバランスが保てるのか、考えているところ」

「1日も早く元に戻ってほしいですね……」

 

「今回は自然災害だから、そういう意味では受け入れるしかないんだよね。それに、例えば急に明日恋人にフラれたり、親が亡くなったり、そういうすごく大変な出来事って、人生の中で必ず起きるものじゃない。地震もそれと同じじゃないかな、と思ってるんです」

「たしかに、私の毎日なんて想定外のトラブルだらけです」

「それは大変(笑)。みんな忘れがちだけど、日本全国どこにいても地震に巻き込まれるリスクはあるからね。次にどこかで地震が起きても、その都度お互いが支えあって、立ち直っていけばいいと思うんです」

「心強い言葉です。これからの輪島の街についてはどう思っていますか?」

「たしかに地震で輪島の街は変わってしまったけど、海や空、風も虫の声も地震前と全く同じなんです。そんな輪島の自然に触れると、私は安心して『今日も頑張ろう!』と思えるの。ただ一方で、これから輪島で生きていく息子たちの世代は大変なことが多いはず。だから、舞ちゃんも話し相手になってあげてほしいな」

「はい、もちろんです!」

 

取材後、輪島キリモトで漆のお箸を購入

 

SNSは日本を映し出す鏡

「輪島市内を回ってみてどうだった?」

「正直、輪島に来るまでは、まだコンビニやスーパーも復活してないと思ってたんだよね。でも、街中で犬の散歩をさせてるおじいちゃんや広場で遊ぶ高校生たちを見て、すごく『日常』を感じた。それで被災地の中と外では、『現地の状況』の認識にズレがあるって気付いた」

「たしかに、ニュースだけを見ているとそうなるかもね。僕の周りでも輪島に来るとき、最近になっても『水や食料を持って行こうか?』って心配してくれる人が多くて。すごくありがたいんだけど、少しずつだけど輪島は普通の生活に戻ってきてるよってことも伝えたいな」

 

「私は今回、友達がいたからこそ来れたけど、知ってる人がいなかったら輪島には来れていなかったと思う。他の土地の地震でもニュースを見て、災害ボランティアに行きたいけど『今、本当に行っていいのか?』って悩んでしまうんだよね」

「正直、ボランティアの人が足りているとはいえないし、特に地震の直後は現地に行きづらくなるようなSNSの空気もあったよね。それが続いているようにも感じるし」

「ちなみに、今回の地震で、フェイクニュースや根拠のないデマが広がって問題になったよね。被災地のことを発信していた桐本くんのSNSにも、根拠のない誹謗中傷を言う人がいて、すごく許せなかった」

「あることないこと書かれて大変だったよ。地震後にXでポストした僕のいくつかの投稿が伸びて、閲覧者数が数百万人になったんだけど、そのリプライに過激な批判や写真を送ってくる人がいて。すると、そのリプライ自体の閲覧者数も増えて、リプライ主のインプレッションが稼げるんだよね」

「じゃあ、SNS投稿のインプレッションを増やすためってこと?」

「誹謗中傷をしてたのは、ほとんどがそういう人たちじゃないかな。『インプ稼ぎ(※)』って言葉もあって、それでフォロワーを増やしてXの広告収入を得てる人もいるみたいだから」

※Xでインプレッション(投稿の表示回数)を稼ぐため、フォロワー数の多いアカウントの投稿などに対して意味のないリプライや過激な投稿を繰り返すこと

「でも、僕が実際に面と向かってひどいことを言われるようなことは一切なくて、実生活ではなんの支障もなかったんだ」

「SNSとリアルは違うってことだね」

「すごく悲しいことだけど、地震に便乗してそういうことをする人がいるのは、いろんな意味で余裕がなくなってしまっている今の日本を映している気もする

「インプ稼ぎは時代の映し鏡……! SNSで地震直後にフェイクニュースが拡散されてしまってたこともニュースで見たことがある」

「SNSは災害時に情報を得る大切なツールでもあるけど、悪い面も今回の地震で浮き彫りになった。使い方に注意しないと、次の地震でも同じようなことが起きると思う」

「日頃から正しい情報を見極める能力が必要だね」

「僕はもうこれ以上、虚構にいちいち振り回されるのは懲りたから、Xの投稿はしばらく控えようと思っていて。これから輪島に関する情報はインスタや直接人に会って発信していくつもりです」

 

街も人も、みな「隆起」する

桐本くんに輪島を案内してもらった後、桐本くんの妻である萌寧(もね)ちゃんと合流し、話を聞きました(私と萌寧ちゃんも昔からの友人です)。

 

「今日は来てくれてありがとう。実は明日から、私だけ広島の実家に帰省することになっていて。しばらくは滉平くんと別々で暮らすことを決めたんだ

「え、そうなの!?」

「私は2年前の結婚を機に輪島で暮らし始めて、震災後もこの街に留まっていたけど、震災から5カ月も変わらない街の姿を見るのが辛くて。それに私たち二人とも自営業なんだけど、仕事をもう数か月ストップしていたから、貯金もそろそろ無くなっちゃう。だから、外に出て働かないといけないんだ」

 

「今まではどうやって生活費をやりくりしていたの?」

「できるだけ無駄な出費は抑えつつ、貯金を切り崩しながらと、知人からのお見舞い金や芸術活動の助成金でなんとかまかなってた」

「その状態を続けるのも限界があるよね」

「災害直後は『命が助かってよかった!』って思いで一杯だったけど、その後の被災生活のなかで、生活費とか新しい家を立てる費用とか『この先どうなるのかな……』って不安が襲ってきて。私はこの街が大好きだけど、好きだけでは生活できないのが現実だから、一旦離れることに決めたんだ」

 

「被災地支援もモノよりお金が必要な場合もあると聞いたことがあって。被災した後の生活を支えるためには、『お金』も大切なんだね。改めて今、ふたりが震災を通して感じていることがあれば教えてほしいな」

これだけ大きな地震でも、世の中の人が関心を持って考え続けられるのは1ヶ月くらいだな、と正直感じた。新聞やテレビも直後にはほぼ毎日取材に来てたけど、今は相当減ってしまったし、能登はすでに過去の出来事になっているのかもな、と思う」

「特にこんなに世界情勢が混乱していると、何に注目すればいいのか分からなくなってしまうよね。私も輪島に来るまで、こんなに被害が大きかったなんて知らなかったし」

「だから僕が日々、SNSや知り合いに輪島のことを伝え続けてるのは、ひたすら温泉を掘ってるみたいな感覚だね。一人でも輪島に興味を持ってくれた人がいたら、『ここに湧き出た! よかった〜』みたいな(笑)」

「まず、いかに関心を持ってもらうかが大切だね」

「それでその人が輪島に関心を持ってくれている間に、僕から伝えられることは全部伝えようと思ってるよ。だけど、今回改めて深く感じたのが、輪島の人たちって昔から地震と共に生きてきたんじゃないかな? ってこと」

「地震と共に?」

「そもそも能登半島付近では、数千万年前から繰り返し起きた地震で地盤が隆起して、半島が形成されたという説があるんだ。つまり、地震によって生まれた土地なんだよね。実際に今回の地震でも、輪島では2m近く地盤が隆起しているし

「今回みたいな大地震が、過去に何度も繰り返されてきた土地なんだ。そして、その繰り返しで半島ができている……すごい話だね」

 

「萌寧ちゃんは輪島についてどう感じてる?」

「私は震災後に輪島の人たちが積極的にお互いに助け合う様子を見て、その温かさと結束力に驚いたの。それに能登地方には古くから『能登はやさしや 土までも』という言い伝えがあって

「いい言葉」

「この『土』は『人間の根っこ』って意味もあると思っているんだ。もちろん今回の地震で家が燃えたり、ペットを失ったりと悲しいことばかりだったけど、改めて輪島の人の魅力に気付けて良かったと思う」

「色んなことを言う人もいるけど、輪島の人たちは前に進んでいるし、農業や工芸、漁業は人がいる限り復活していくと信じてる。人も街もみな『隆起』することで、また文化を作り上げていくはず。能登は不屈だから、また輪島に遊びに来てね」

「うん、今日はふたりの話を聞けてとてもすっきりした。ふたりとも引き続き健康に気をつけて過ごしてね〜!」

 

まとめ

地震後、SNSで桐本くんたちが被災地で活動する様子を見て「今、自分は何をすべきか、あるいはすべきでないか」をずっと考えていていました。だけど、その悩みは桐本くんの顔を見て、一瞬で吹き飛びました。

人の数だけ、被災地との向き合い方があると思います。私みたいに友達に話を聞きに行ったり、工芸品を買って産地と職人を支えたりなど、被災地との向き合い方に「正解」なんてないはず。だからこそ自分たちの手の届く範囲で、これからも能登の人々を支えていきましょう。

ジモコロでは同じ能登半島地震で被害を受けた珠洲市の銭湯も取材しています。そちらもぜひ読んでみてくださいね!

撮影:橋原大典(@helloelmer