こんにちは、ライターの吉野です。
突然ですが、私は最近、日本の伝統工芸品の収集にハマっています。沖縄の陶器「やちむん」や、主に徳島県で生産されている染物「藍染」など。そして、石川県輪島市の名産品である「輪島塗」も気になる伝統工芸品のひとつ。
輪島市では室町時代から今の原型となる輪島塗の漆器が制作されており、1977年には全国の漆器産地で初となる国の重要無形文化財に指定されました。
また、今年4月にアメリカのバイデン大統領が来日した際、岸田首相が手土産として輪島塗を贈ったことが話題に。
提供:輪島キリモト
私も輪島塗のお箸を持っているのですが、美しい装飾とその壊れにくさから日常使いにぴったり。お値段は高めですが、いつかお椀やお皿などの食器も集められたらなと思っています。
現在、輪島市で輪島塗の事業所は100以上あり、漆器作りに携わる職人や従業員は約1000人ほど。そのほとんどが輪島で暮らしています。私の昔からの友人である漆芸家の桐本滉平(きりもと・こうへい)くんもそのうちの一人。
桐本くんは江戸時代から続く輪島塗工房「輪島キリモト」の長男として生まれ、大学生時代にはパリで漆器販売を経験。現在はフリーランスとして漆に関わる作品を自由に創作し、展示や販売を行っています。
こちらが桐本くんがこれまでに作ってきた作品の一部。オーストラリアのバックブランド「SAGAN vienna」とのコラボで、布と漆でできたバッグです。伝統工芸と現代の感性を掛け合わせて、新しいアイテムを生み出しているのがかっこいい!
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そんな中、今年の元旦で発生した能登半島地震では、ほぼすべての輪島塗職人が被災。今もまだ事業再開できていないお店もあります。
苦境の輪島塗、地震が追い打ち 客離れに職人減…「絶やしてはならない」復興模索(中日新聞)
桐本くんも例外ではなく、地震の影響で起きた大規模火災で、自宅兼工房が全焼してしまいました。
一度、途絶えてしまうと、復活が難しいと言われている伝統工芸。工房や道具を失った中で、どのように活動を行なっているのか? 改めて、輪島塗の歴史とともに地震発生から5ヶ月が経った輪島市内で桐本くんに話を伺いました。
売上高は全盛期の10分の1に。輪島塗の現状
「桐本くん、今日は大変な中ありがとう。私は輪島に来るたびに、街中にある『輪島塗』と書かれた立派な建物を見ると、『全盛期には繁盛したんだな〜』って思うんだ。たしか、輪島塗ってバブル期にすごく繁盛したんだよね?」
今回の地震で大規模な火災に見舞われた「輪島朝市」周辺。以前は輪島塗の工房や店舗が立ち並んでいた
「当時の人の話を聞く限り、1990年代には輪島全体で輪島塗の売上が200億円近くあったみたい。僕の祖父もよく『昔は忙しすぎて、寝る暇もなかったわ〜』と言っていたよ」
「すごい! 大繁盛だったんだ」
「ただ、その時代は工芸の全てが儲かった時代だから、偽物も出回ったみたいで。例えば、天然木に天然漆を塗ったものが本物とすると、器がプラスチックだったり、下地に樹脂と粉を混ぜたりした漆器が出てきてしまった。そのことで漆器の評価が落ちて、取り扱う店が減ってしまったんだ」
「ええ……」
「陶器と違って、輪島塗は上から塗り直せるから、本物の漆器かどうか見分けるのが難しいんだよね。ちなみに、バブルが終わると倒産した輪島塗工房もあって、それを機にやめた職人さんも多かったみたい」
「なるほど。今の輪島塗の売上は全体でどのくらいなの?」
「輪島塗全体で全盛期の10分の1くらいかな。ただ、今は仕事に対するプライドがある人だけが残って制作を続けているから、輪島塗のクオリティが下がってるわけではないんだよね」
「そういえば、輪島塗ってかなりの数の工程を経て作られているんだよね?」
「そうそう。輪島塗は元々、お客様からの大量の注文をさばくために製造が細かく分業化されていて。大きく『木地づくり』『漆塗り』『装飾』の3つに分かれていて、合計で124の工程を経てつくられているんだ」
「輪島キリモト」の職人さん
「124も! そんなに工程が多いなら時間もかかりそう……」
「そうだね。だけど、『輪島塗は丁寧に使えば100年もつ』と言われているのは、工程が多いのと制作期間が長いからなんだ。この作り方は江戸時代前から変わっていなくて、ひとつの漆器には多くの職人さんの魂が宿っているんだよ」
中国から伝来した漆器は日本独自の文化に
「そもそも、いつ頃から輪島で漆器づくりが始まったの?」
「元々、漆器は日本独自のものではなく、一部は中国から伝わった伝統工芸品なんだ。だけど、青森県の三内丸山遺跡などの遺跡から漆器が出土していることから、国内では縄文時代から漆器づくりが行われてきたと言われているよ」
漆の木
「そんなに昔から、日本で漆器づくりが根づいていたんだ!」
「そして、経済が発展し始めた江戸時代前期になると、それまで地元の人のために作られていた輪島塗は全国的に流通するようになっていった。そんな中、輪島塗が盛んになったのは、江戸時代に輪島で『地の粉(じのこ)』が発見されたのが大きかったんだ」
「地の粉?」
「輪島市内で採れる珪藻土を焼いて、粗くふるい分けたものだね。輪島塗の下地にはこの『地の粉』が練り込まれることで、耐久性が上がり、一気に生産量が増えたんだ。『地の粉』は貴重なものだから、今も現地の職人しか使うことが許されていないんだよ」
「漆も土も、輪島は輪島塗をつくるのに適した風土だったんだね」
「そして江戸時代から大阪と北海道を結ぶ北前船の運航が始まると、県外でも輪島塗の人気が出ていった。昔、輪島塗を販売する『塗師屋』は、全国を旅していて最新の文化情報を持っていたから、各地のお客さんから『輪島様』と呼ばれていたらしい」
「へえ〜。ちなみに、中国で生まれた漆の文化はその後、中国でも継承されていっているの?」
「それが残念なことに、1960年代に起こった文化大革命で、中国の漆器技術の大半は途絶えてしまった。だけど近年、中国の若い人たちが『自分たちの祖先のマインドや技術を日本で学んで、中国に持ち帰りたい』と言って、輪島塗の専門学校に学びに来ているんだ」
「どんな人たちが輪島塗を学びに来ているの?」
「中国の美大を卒業した人や国費で来ている人、バックグラウンドは様々だね。なかには自国の漆文化を壊してしまった上の世代に対する悲しみを語ってくれた人もいたよ。専門学校の授業は全て日本語で行われるから、日本語を学んでから来るケースが多いね」
「みんな輪島塗を勉強するために日本語を学ぶんだね。すごい熱意だ……」
「ほとんどの人は学校を卒業すると自分の国に帰っているけど、交流は続いていて。同世代が上海や香港の展示会に呼んでくれたこともあるんだ。日本以外にも漆の仲間がいることはとても心強いよ」
売れるものでなく、欲しいものを売る
「桐本くんは今まで、いろんな職人さんと輪島塗のコラボ作品を作っているんだよね。最近はどんな作品を作ったの?」
「ちょうど2年前、僕がパリに住んでいた頃の友人を介してオーストリアのデザイナーから『レザーを使わずに、植物性の素材で印籠のようなバッグを作りたい』という依頼があって、布と漆でできたバッグを制作したんだ。これは海外でも受注制作をして、反響がとてもよかった」
「SAGAN VIENNA」の乾漆バック
「今まで輪島塗って日用品だけのイメージがあったけど、こうやってファッションアイテムにも落とし込めるんだ……」
「伝統工芸って、既存のものだけの状態では長続きしないと思っていて。だからこそ、『これをやったら売れるかも?』という考えじゃなく、心の底から自分が感動するものをつくるようにしてる。最近では、輪島在住の蒔絵師(まきえし)の方ともコラボしていて」
「気になる!」
「これは蒔絵師の中島和彦さんと共同で作っている『枕漆絵盃(まくらえ・さかずき)』といって、春画からインスピレーションを得た作品。江戸時代に両親が夫婦の営みの教本として、結婚前の娘の枕の引き出しに入れていた春画をアレンジしているんだ」
「枕漆絵盃」はお酒を注ぐと、平面の絵が立体的に浮き出る
「最近は春画も日本ならではのカルチャーとして注目されているけど、これはどんな経緯でつくることになったの?」
「元々、『枕漆絵盃』は中島さんのお父さんが、昭和の頃、新橋にある料亭の女将さんから『お客さんにプレゼントしたい』という依頼を受けてつくり始めたそうなんだ。枕漆絵盃はひとつ何十万円もして、江戸時代には身分の高い人のみしか持てなかったみたい」
「特別な人のみぞ知るものだったんだね」
「僕も初めてこの絵盃を見た時は、漆でこんな表現もできるんだと本当に衝撃を受けて。それ以来、中島さんにお願いして制作してもらっている。それに、中島さんは僕にとって輪島塗の師匠でもあるんだ」
蒔絵師(まきえし)の中島和彦さん
「そうなんだ!」
「僕は輪島塗工房の息子として生まれたけど、父親は職人ではなくデザインがメイン。だから、輪島塗の製造工程も中島さんから習っていて、もう4年半になるんだ」
「同じ場所で世代を超えて、ものづくりを語り合える人がいるのってすごく重要なことだよね」
「そうだね。僕は今、個人事業主の漆芸家として活動しているけど、ひとりで活動を続けるには限界があって。やっぱりその分野における質問や相談をする人が必要だから、中島さんの存在はすごく心強いね」
復活に向けて前を向く。全国の仲間から届いた漆の道具
「独立して仕事も順調に進んでいった矢先に、今回の能登半島地震が起きたんだよね」
「そうだね。僕だけじゃなく、輪島塗のほぼ全ての職人さんが被害を受けてしまって。震災後から半年以上経っても、輪島塗の職人全体の約1割のみしか作業を始められていないのが現状なんだ」
「工房も大きな被害を受けたと聞いたけど、今はどうやって活動をしているの?」
「輪島塗りの道具も多くが失われてしまったんだけど、幸いなことに、福井県の越前漆器の職人さんに協力してもらってSNSでそのことを投稿したら、全国の漆職人さんが道具を送ってくれて。僕と同じように道具を失った輪島の職人に、その道具を無償配布することにしたんだ。まず道具が手元にあるだけでも、職人の精神は安定するからね」
漆道具の無料配布の様子
「他にも、輪島塗の文化を守っていくために、地域で保管されていた未完成の輪島塗の漆器を引き取る活動を始めたんだ。僕個人としては、助成金をもらったり、6月からは災害用コンテナをアトリエとして借りたりして、何とか作業を続けてる」
ジモコロチームで倉庫から輪島塗漆器を回収する作業を手伝いました
「自分のできる範囲でコツコツと活動を続けているんだね」
「能登半島では2007年にも大きな地震が起きていて。僕はその時に『もし自分がいる土地で災害が起きてしまっても、作業が続けられるようにしないといけない』と思って、作業スペースや最低限の道具など車一台でも仕事ができるようにしていたのが大きくて。今回の地震で改めて、伝統工芸はどんな状況でも環境に順応する力が必要だと感じたね」
「どこに行っても作品が生み出せる環境づくりが大切ってこと?」
「輪島塗は基本的に注文が入ると制作するスタイルだから、今回の地震で発注が止まって、仕事がストップしてしまった職人さんもいて。自然災害の多い日本で、外からの受注だけに頼ったシステムで伝統工芸を回していくのには、どこか無理がある気もするんだ」
「だからこそ、桐本くんは自分で作品をつくって、外に届ける活動もしてるんだね。これからは伝統工芸の職人さんが独立してモノづくりを行えるようにサポートしていかないと、日本の伝統工芸の文化が途絶えてしまう可能性もありえるよね」
「そうだね。今回の地震を通して、作品づくりは同じようにモノづくりを行う人とのコミュニケーションツールだなと痛感した。地域の人や道具を送ってくれた全国の職人さんのためにも、地震の被害に負けないで、これからも輪島の職人達と前を向いて活動していくよ」
「今日はありがとう。これからもずっと応援しているよ!」
まとめ
現在、日本の伝統工芸は儲からないことや後継者不足などの理由で伝統の継承が危ぶまれています。そんな中で、突然発生した大地震。地震は人の命だけではなく、地域で古くから受け継がれている文化までも奪ってしまうのだと痛感しました。
工房や道具を失っても懸命に活動する桐本くんに話を聞いてみて、伝統は守るものではなく、どんな形であれ繋いでいくものだと思いました。
輪島塗は輪島で暮らしてきた人々の足跡であり、日本の歴史や文化を現代に伝えてくれる存在です。だからこそ、輪島に住んでいる人々だけでなく、全国のみんなで一緒に繋いでいきましょう。
ジモコロでは被災後の桐本くん家族にインタビューした記事が公開されています。輪島の現状を知りたい方は、そちらも合わせて読んでみてください!
撮影:橋原大典(@helloelmer)