こんにちは、ライターの吉野です。私は今日、北陸トップクラスの漁獲量を誇る石川県輪島市に来ています。

私はこれまでに5回ほど輪島を訪れているのですが、旅の目的のひとつは間違いなく「おいしいお魚を食べる」こと。実は輪島ってノドグロ、マグロ、カレイ、寒ブリ、アンコウが名物と言われているほどの「水産大国」なんです。

輪島の居酒屋にて。お魚天国!

また、輪島は古くから海女(あま)漁業が盛んで、全国で素潜り漁が残っている数少ない場所でもあります。海女さんが手で丁寧に採ったアワビやサザエは本当にきれいで、味もバツグン!

 

そして、私は市場で海女さんが採った海産物を見る度に、「どんな方法で海に潜っているんだろう?」と疑問に思っていたんですよね。NHKの朝ドラ『あまちゃん』でも題材になったものの、海女さんの仕事を実際に見たことある人は少ないんじゃないでしょうか?

そんな時、輪島で暮らす現役の海女さんと知人の紹介で話す機会がありました。

こちらが海女の早瀬千春(はやせ・ちはる)さんです。早瀬さんは約40年間、輪島の海に潜ってきたベテラン海女で、なんと自分の肺活量だけで水深20mを1分20秒以上潜れるそう(!)。また、海に潜る傍ら、素潜り漁に不可欠なウエットスーツづくりも行っています。

 

早瀬さんの仕事場である「輪島港」は、元日に発生した能登半島地震の影響で海底隆起などの大きな被害を受けました。そのため、今も多くの船が出漁できない状態が続いており、およそ600人の漁師や海女さんが失業状態」なんです。

輪島港の様子(※写真は8月下旬撮影)

「地震の影響で慣れ親しんだ輪島の海が一変してしまった」と話す早瀬さん。地震は海女漁にどんな影響を与えたのでしょうか? まずは海女の仕事内容について聞くため、市内にある早瀬さんのアトリエにお邪魔しました。

 

※取材は2024年8月下旬に行いました。その後、追加インタビューを加えて記事を公開しています。

 

現役海女が使っている仕事道具って?

「今日は初めて海女さんとお喋りできるのが楽しみでした。現在、輪島には何人くらいの海女さんがいるんですか?」

「現在、日本にいる海女の約2000人のうち、約130人が輪島で活動しています。ひとつの街でこれだけの数の海女がいるのは全国一ではないのかな。平均年齢は50歳前後と比較的若く、中には20代や30代の子も。ちなみに、うちの25歳の娘も海女なんですよ」

「親子揃って海女さんなんですね! 早瀬さんは普段、どんな道具で海産物を採っているのか気になります」

「私は主に浮具の『たらい』や、岩から貝を剥がす『オービガネ(アワビガネ)』を使って、サザエやアワビ、もずくを採っています。たらいは昔、嫁入り道具で親から大事に受け継がれていたんですけど、今も生涯使い続ける大切なものです」

(撮影:古谷千佳子)

「私の中では『海女さん=白装束』のイメージが強いんですけど、現代の海女さんはウェットスーツを着て潜っているんですよね?」

「はい。能登地方では1960年代からウェットスーツが普及し始めました。昔はタイヤのゴムから潜水着をつくっていたそうです。だけど、今は冷たい海水の中で長時間作業に耐えられるよう、着心地のいい厚手のウェットスーツ素材を使っています」

ウェットスーツの生地。実際に触ってみると柔らかくて気持ちがいい

「それこそ早瀬さんは海女専用のウェットスーツ職人でもあるんですよね」

「そうそう。元々、母親が海女さんのためにウェットスーツを作っていて。それで10年前に母が亡くなったのをきっかけに、私がその仕事を引き受けるようになったんです。昔は市内にウェットスーツ職人が3人いたんですけど、高齢化もあり、今は私だけですね」

「なるほど。海女専用のウェットスーツって通常のものとどう違うのでしょうか?」

「海女さんのものは、それぞれの体型や好みに合わせてつくっていて。なぜなら、輪島の海女って夏は4時間、冬も3〜5時間と長時間海に潜るんです。だから『なんか気持ち悪いな』と感じるだけでも漁に影響が出てしまうんですよ。日頃からベストな状態で潜るためにも、一人ひとりに合ったウェットスーツを着用しています」

実際の着用の様子(撮影:古谷千佳子)

「ウェットスーツは海女の大切な仕事道具のひとつなんですね。だけど、オーダーメイドだとお値段も……?」

「近年、石油の値上がりでウェットスーツの生地値が高騰しているんですけど、価格は約3〜5万円で、作業期間は早くて3日ですね。ちなみに、着用後のメンテナンスや海女の仕事相談も入っていて」

「アフターケアも! 海女さんからの相談はどんな内容が?」

「元々、海女の仕事って口伝で伝わってきたので、海に関するルールはあまり資料などで残っていないんです。それに海女は昔も今も変わらず、命の危険が伴う仕事なので、海の怖さをよく知っておくことが大切で。それで私は他の地域の海女さんでも、質問されたら何でも答えるようにしています」

「遠く離れている海女さんでも、しっかりと海での情報を共有しているんですね」

 

海女が身体ひとつで海に潜るワケ

「そもそも、どうして早瀬さんは海女さんになったんですか?」

「私は先祖代々から続く海女の家系で、父親は漁師として働いていました。それで小学生の頃から夏休みは毎日海に連れて行ってもらって、時々自分でサザエを採っていたんですよ。昔は海が豊かで、どこでもたくさん魚が採れたんだよね」

「私は泳ぐのが好きなんですけど、そんな人でも海女になれますか?」

「どちらかというと、海女は泳ぐより潜る技術の方が重要なんです。例えば、輪島の海女は自分の肺活量だけで水深20m以上を潜るんですけど、深いところへ潜るほど水圧が増し、水温も下がる。なので心臓が強い、息が長い、視力が良いことが海女の必須条件といわれています」

「すごい!ちなみに、酸素ボンベなどは使わないですよね?」

「もちろんです。海女が何千年も前から素潜り漁(※)なのはきちんと理由があって。長時間潜水ができるスキューバだと大量の資源を採ってしまい、資源枯渇につながる可能性があるからなんです」

※人の手によって貝や海藻などを採る漁のこと。世界的にみても日本と韓国(済州特別自治道)のみで行われている特別な漁法とされる。

素潜り中の早瀬さん(撮影:古谷千佳子)

早瀬さんが水深15〜20mで採った「マダカアワビ」。アワビの中でも最高級で、高級料亭などに卸される。右が磨く前で、左が磨いた後

「それこそ海の危険を熟知している早瀬さんは、娘さんが『海女になる!』と聞いた時、危険だからと反対しませんでしたか?」

「娘は昔から海に潜るのが好きだったので、反対はしなかったね。ただ私の若い時は同世代の海女がたくさんいて、競争心がモチベーションになっていたけど、彼女は輪島でひとりだけの20代の海女のせいか『今日はいいわ〜』って甘ったれな部分があるんです(笑)」

「急に親近感がわいてきた(笑)」

「ただ、元旦の地震で多くの漁師や海女さんが被災してしまってね。私の場合、市内にあった家は真っ二つに割れて、今は家族と共に仮設住宅で暮らしています。他にも、このアトリエにあるミシン2台のうち1台が破損して、保管していた生地の半分も使えなくなってしまって」

ウェットスーツ用の特殊なミシン

「地震の影響がウェットスーツづくりにまで……」

「幸いなことに、母の代から記録していたお客さんである海女全員の採寸データは無事でした。一人ひとりの特徴や修正箇所などが細かく書かれてたものだったから、それがないともうウェットスーツの活動は続けられなかったと思いますね」

何百人の全国の海女さんの採寸を記録したファイル

「輪島港の被害状況も知ってほしいので、これから一緒に港を見学しに行きましょうか?」

「港がどんな様子なのか気になっていました。お願いします!」

 

地震の地盤隆起で景色が一変した輪島港

「地震で輪島港も被害を受けたと聞いていたんですけど、これは想像以上ですね…..。てっきり港も市内みたいに、少しずつでも復旧が進んでいるのかと思っていました」

「港って漁業関係者の人しか近づかないこともあってか、あまり被害が知られていないんです。輪島港は地震の影響で最大2m隆起したり、岸壁が壊れたりして、およそ200隻ある船が未だ漁に出られていません(※取材は8月下旬)

海底が隆起した様子。元々、岩壁の牡蠣が生えている部分から下は海だった

隆起したことで岸壁などの位置が高くなり、船からの乗り降りも難しくなった

「漁に出れない漁師や海女さんたちは、今どうしているんですか?」

「輪島では約600人の漁業者がいるんですが、その大半は国の事業での海の調査(泥や海藻、外敵駆除など)や飲食店でバイトしたりして、なんとか食いつないでいます。だけど、このまま漁ができない状態が続くと、漁業に関わる人が輪島を去ってしまう可能性があるんです」

「震災をきっかけに漁業をやめてしまう人が出てきてしまう」

「そうなんです。また、停泊してある漁船をよく見ると、不自然に傾いていたり、傷がついたりしているでしょう? 津波の被害でいくつかの船は座礁してしまって。地震直後は大丈夫だったものの、3ヶ月辺りから沈んだ船もあります

地震直後に座礁した船(撮影:早瀬さん)

「ええ!」

「それこそ船って高いもので何千万円するものもあるので、漁師にとっては財産なんですよ。だからこそ本当にいたたまれないね。また、漁師や海女の採ってきた魚介の荷捌きする場所や生け簀(いけす)も壊滅状態で、冷蔵庫は一機しか動いてなくて。これは魚を保管する場所がない=全国に出荷できないことを意味します」

輪島港の荷捌き場

「あと、向こうの山の斜面で崖崩れが起きているのが見えますか? 地震で散々でしたけど、地面が隆起したことで海の中がかき混ぜられて、魚介類が増えるかなと期待したんです。だけど、あの大量の土砂が海に入ってしまうと海の生態系が崩れてしまう。最悪サザエも死んでしまうかもしれなくて」

「そうしたら今後、輪島のお魚が食べられなくなる可能性も……。ちなみに地震後、海に潜る機会はあったのでしょうか?」

「これまでワカメや岩モズクの調査のために3回ほど試験的に潜りました。その後も国の事業で月に7〜10日ほど海の中の泥や海藻の調査も行っています。

海女って頭の中に『この方向に行けばアワビが出てくる』みたいな海の地図があるんです。だけど、地盤の隆起で海の位置関係が大きく変わっていて、 海藻や海の生き物も乏しく、もうココどこ?という状態でしたね」

 
 
 
 
 
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早瀬さんが行った海の調査の様子

「地震の影響で海の中も大きく変わってしまったんですね」

 

温暖化で日本の海が激変! 海女漁をどう未来に残していくのか

「実は私は、地震発生前から海の異変を感じていて。近年、地球温暖化のせいか昔は南方の海でしか生息していない海ぶどうや海藻を食べるアイゴという魚を見かけるようになり、能登半島沖が南国化してきていると思っていました」

「え、日本海側の海が南国化⁉︎」

「ただ、海の異変は能登に限ったことではなくて。紀伊半島沖も3年前から黒潮大蛇行(※)の影響で、貝の餌となる海藻がほとんど姿を消して、生態系が痩せ細ってるんです。それで海に潜っても獲物がないこともあり、伊勢志摩の海女の多くが仕事を辞めてしまったそうで」

※日本の太平洋岸を流れる暖流・黒潮の流路が南に大きく迂回(うかい)すること。一度始まると1年以上にわたって続き、漁業に大きな影響を与える。

「海女さんの中には体力的な問題だけではなく、環境変化による海産資源の減少でやめてしまう人も増えているんですね」

「そうなんです。だけど、ウェットスーツのお客さんには伊勢志摩の海女さんもいて、自分たちも大変なのに義援金を送ってくれたり、漁具を寄付してくれたりと『海女たるもの、海に入れないものが一番辛い』と言って支えてくれるんです。本当にありがたいよ」

アトリエには2011年の地震で影響を受け北限の海女(岩手県)からの応援メッセージが飾られている

「今後、私たちが全国の海女さんを支えるために何かできることはあるのでしょうか?」

「もう少し自然に対する問題意識を持ってもらうことかな。それこそ土砂崩れがあると海がダメになるように、山と海はつながっているんです。どちらかの生態系のバランスが崩れるとお魚が採れなくなったり、伝染病を媒介する生物が増加したりして、私たち人間にも悪影響を及ぼすんですよ」

「それこそ海女さんの素潜り漁って、水産資源を守ろう!と世界で言われる前から『採りすぎない漁』を行ってきたんですもんね」

「そうそう。海女って自然環境と共存しないと成り立たない仕事なので、きちんとみんなで管理してきました。こんなに魚食文化が発展した日本だからこそ、もっと海の問題に関心を向けてもらえたら嬉しいですね」

「ちなみに現在、港から漁船の出入りができない輪島港ですが、今後はどんな動きがあるのでしょうか?」

「輪島港ではやっと7月から隆起した海底を掘り下げる浚渫(しゅんせつ)工事が始まったんですけど、浚渫完了には何ヶ月もかかるといわれています。それに荷捌き場も工事中で、まだ海女のアワビやサザエ漁の再開の目処は立っていません」

浚渫工事中の様子

「漁再開にはまだまだ時間がかかるということですね…..」

「そうですね。ただ11月からは底引き網と刺し網は試験操業を開始します。それに地震直後は魚や鳥などの生き物が一気にいなくなったんですけど、一ヶ月後経つと自然に戻ってきて。

そんな風に時間がかかってもいいので、生態系が前のかたちに戻ればいいですね。それに私を含めた海女はやっぱり海に潜るのが好きだから、早く漁に出れないかとウズウズしているよ」

「私も東京に戻ったら、輪島港の現状を多くの人に知ってもらうために発信を続けようと思います。またぜひ取材させてください!」

 

おわりに

この取材をした約1ヶ月後、記録的な大雨が輪島を襲いました。10月上旬に早瀬さんと連絡がとれ、早瀬さんのご家族やアトリエは無事だったこと、ほっと胸をなで下ろしました。

ただ、復興が見えてきた矢先の豪雨。「また全部がダメになった……」と災害に焦燥する人も多いそうです。そんな中でも、早瀬さんは全国の海女さんのために今も輪島で精力的にウェットスーツをつくり続けています。

 

私たちが日常的においしいお魚を食べられているのは、第一線で活躍してくれる漁師や海女さんのお陰。それなのに、漁師や海女さんが直面している地震の被害や環境問題を知らず、海の幸をただ享受するだけではいけないので、消費者のひとりとして海の問題についてもっと関心を持っていこうと思いました。

撮影:橋原大典(@helloelmer