僕が子どもだった1990年代、巨人軍こと読売ジャイアンツは常に話題の中心にいた。
テレビのゴールデンタイムで毎日放送され、視聴率は連日20%超え。
ピッチャーは斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己の球界最強の三本柱が大活躍。打者も松井秀喜、落合博満、清原和博と、東京ドームの屋根に風穴を開けんばかりのホームランバッターたちがいた。
試合翌日のクラスは「巨人が勝った(負けた)」が話題に。筆者が生まれ育った当時の千葉県松戸市はほとんどが巨人ファンで、そのほかのファンはもはやレアキャラ扱いだった。
しかし。当時よりもっと巨人が大きい存在だった時代があったと聞く。
それは巨人が前人未踏の9年連続日本一を達成した1965~1973年とその前後の時代。子どもが好きなものの代名詞として「巨人・大鵬・卵焼き」と先頭に挙げられるほどに長嶋茂雄・王貞治をはじめとしたスーパースターたちが躍動。CMや雑誌に選手の姿が踊った。
写真左:『週刊少年サンデー 』(小学館)、写真右:『少年』(光文社)
巨人ファンだった筆者として、その時代はあまりにまぶしい。もう少し早く生まれたかった。
だが時は流れ2022年。巨人戦は地上波のテレビであまり流れなくなった。そのせいか、まわりで野球の話をあまり聞かないし、自分から話を切り出すのもためらう。いつの間にか、僕も巨人戦をめっきり見なくなった。
しかし。巨人があまりにも輝いていた時代って、いったいどんな風だったんだろう? 当時の巨人ファンたちがまだ元気なうちに聞いてみたい。
そうしてやってきたのが、北千住駅近くの「中華料理 建龍」。全国で数を減らしつつある、「巨人ファンが集まる店」の一つだ。
店内には貴重なグッズに加え、巨人の選手や監督・コーチたちとの2ショット写真が所狭しと並ぶ。そして店主を務める鶴見和正さん。今年73歳で、筋金入りの巨人ファンだ。この笑顔を見れば、それが伝わるだろう。
辰井「お店にはどんなお客さんが来ますか?」
鶴見「やっぱり巨人ファンの常連が多くて、60~70歳前後の人が多いね」
辰井「若い巨人ファンも?」
鶴見「あまり来ないね。野球離れしているのかな」
さらにもう一人。同じくジャイアンツ好きの常連客で、大学野球・高校野球までこよなく愛する酒寄功さん65歳。あの怪物・江川卓が法政大学4年生のとき、彼は1年生だった。野球の数々の記録や記憶が頭に入っている。
酒寄「子どものころからずっと親に巨人戦を見せられてきたので。鳥のヒナが最初に見たものを親だと思うみたいな感じですね」
辰井「僕をはじめ、そうやって巨人ファンになった子どもは数多いはずです……!」
この戦後・巨人野球の生き字引2人に、栄光と意外性を併せ持つ巨人伝説を聞いた。
長嶋茂雄から、プロ野球人気がはじまった?
辰井「子どものころから、やっぱり巨人は人気でしたか?」
鶴見「いや、別によく知らなかった。もともとはあまり野球に関心なかったな」
辰井「ええ?」
鶴見「せいぜい、セカンドベースのない『三角ベース』で野球ごっこをするくらい。ルールもよく知らなかった。周りでもそんなに野球をやってなかったしね」
辰井「ええ?」
鶴見「当時はプロ野球より、東京六大学野球(※1)のほうが人気あったのよ」
※1……早稲田・慶応義塾・明治・法政・立教・東京の六大学による、毎年春と秋に2回行うリーグ戦
辰井「ええ!? じゃあいったい、いつ巨人を好きになったんですか?」
鶴見「1958年、長嶋(茂雄)さんが立教大学からジャイアンツへ入ったときに大騒ぎになって。それからだね」
辰井「お、ミスタージャイアンツ!」
長嶋茂雄の立教大学時代の活躍。プロ野球欄よりスペースが大きい(朝日新聞1955年9月11日付朝刊6面)
鶴見「東京六大学野球で新記録の通算8本のホームランを打った長嶋さんの入団で、『これからはプロ野球の時代だ』となってね」
辰井「もしかして、長嶋さんからプロ野球人気が始まった?」
鶴見「そうだと思う。その翌年に王(貞治)さんも巨人入りしたし、皇太子殿下のご成婚もあって、14インチテレビが普及しはじめたのも大きいね」
辰井「じゃあ当時は、毎晩野球中継を見ていましたか?」
鶴見「ただ、家にあるのはまだラジオだったね。貧乏だったから、テレビは町内で2~3軒くらいしかないし。当時のテレビは新入社員の給料の1年分くらいの価格だから」
辰井「じゃあ、毎晩ラジオで……」
鶴見「いや、よくお金持ちの家で見せてもらったんだ。子どもたちみんなが集まってテレビを見ていたよ」
辰井「へぇ!? そんなのよく見せてもらえましたね……」
鶴見「当時は試合が19時スタートで、ごはんどきだから、正座して静かにしていないとダメだったね。巨人が得点したらみんなで拍手して」
辰井「礼儀正しかったんですか。みんなで歓声を上げていた『街頭テレビ』とは違うんですね」
鶴見「そこからは野球ごっこにも力が入ったね。バットも木や竹で作って、グローブだって、綿と布で作ったんだから」
辰井「もう、それだけ野球したかったんですね」
鶴見「小学校の遠足でも、みんなジャイアンツの帽子をかぶっていたよ」
辰井「違う帽子の人もいますか?」
鶴見「たまにドラゴンズの帽子とか……」
辰井「みんな巨人のなかで中日の帽子、ハートが強くないとダメですね。どこで買っていましたか?」
鶴見「イトーヨーカドーやダイエーの帽子屋はもちろん、おもちゃ屋でも売っていたよ」
プラチナチケットを「ダフ屋」が持っていた
辰井「巨人戦、僕の子ども時代でもプラチナチケットでしたが、当時は取りづらかったんじゃないですか?」
鶴見「とにかく入手困難だったね。だからダフ屋が横行して、買い取り値の10~30倍とかで売っていたよ」
辰井「昭和の転売ヤー、ダフ屋登場ですね……!」
鶴見「ダフ屋は違法なんだけど、捕まっても当時はすぐ出所できた。でも、いろいろ厳しくなって今は見かけなくなったね」
酒寄「今やチケットショップもできたからね」
鶴見「当時は近くのホテルに泊まり込んでまで、いい券のあるダフ屋を探していた人もいたよ」
酒寄「いい席は当時の金額で何万円。日本シリーズは何十万円になったんじゃないかな?」
鶴見「ダフ屋さんがすごい金持ちだったね……どうしても見たい人は高くたって買うから」
辰井「魑魅魍魎とした世界だ……!」
鶴見「家で見ていても、巨人が負けると父ちゃんが『ちゃぶ台返し』なんてのは当たり前だった。巨人の星の『星一徹』みたいなのはいっぱいいたの」
辰井「ええ! あれはファンタジーじゃなかったんですか?」
鶴見「メシも食わないとか、酒飲んで暴れるとか。当時からすると、今の巨人ファンはやわらかくなったね」
日本中、巨人ファンばかりだった?
今も歌われる巨人の3代目球団歌『闘魂こめて』ソノシートのジャケット
辰井「巨人以外のファンはどれくらいいましたか?」
鶴見「関西の方は阪神が人気だったよ。しかも阪神は、弱くても人気だからね」
酒寄「ただ、V9のときとかは強くて。しばらく1位巨人、2位阪神の時代が続きました」
辰井「今じゃあんまり見ない並びですね。ちなみに同じ東京でもヤクルトや日本ハムがありましたが?」
鶴見「もう、巨人が圧倒的に人気だったね」
辰井「ヤクルトを応援している人は周りにいましたか?」
鶴見「あまりいなかったね」
酒寄「日本ハムはよくタダ券配ってて、いつでもタダで行けました。今とは大違い」
辰井「かたや巨人戦はダフ屋でチケット数万円。格差が大きすぎて泣きそうですね」
酒寄「ちなみに東京オリオンズなんて球団もあって。本当に人気がなくて、大きな球場に、客が200人しかいないこともあったと聞くよ」
辰井「……全国的にはいかがでしょうか?」
鶴見「当時、もう日本全国、巨人ファンみたいなもんだった」
酒寄「テレビじゃ巨人戦しか放送してないもんね」
辰井「今は各地で地元のチームが人気で、いい部分もありますが……隔世の感がありますね」
酒寄「だから地方の巨人ファンは、遠征で地元に来るときが数少ない生観戦のチャンスでした。会社休んでも見に行きましたね」
長嶋人気はどれだけすごかった?
絶対うまいに決まっている3点セット。とくに麺の食感が豊かなラーメンがオススメ
辰井「ずっと巨人を見てきて、一番巨人の存在感が大きかったのはいつだと思いますか?」
鶴見「やっぱり長嶋さんの現役時代ですね」
辰井「昭和のスターはいろいろいました。力道山、美空ひばり、田中角栄、山口百恵……彼らに比べて人気はどうでしょうか?」
鶴見「ファンの色眼鏡かも知れないけど……長嶋さんのほうが人気だったと思うよ」
辰井「実は私の母親も長嶋茂雄ファンでして。やっぱり長嶋さんが巨人人気のキーマンだったんですね」
鶴見「うん。そのあと監督も15年間勤めて。在任中は巨人に注目が集まったよね」
辰井「そして、松井の人気もすごかったですよね。僕らの時代のスーパーヒーローでした」
酒寄「松井がメジャーに行ってしまったのはショックでしたね……!」
鶴見「それまでは日米野球で来る程度だったけど、野茂英雄あたりから、どんどんメジャーリーグ人気が跳ね上がったね」
辰井「野茂が行ってイチローが行って松井が行って。彼らが夢を叶えるにはよかったですけど、巨人やプロ野球が人気を奪われる決定打になりましたか?」
鶴見「うん。ダルビッシュ有に、田中将大。日本でスターが出ても、アメリカに行っちゃう流れができたよね」
巨人軍90年代のスター、松井秀喜。メジャー挑戦の会見では「自分のわがまま。本当にジャイアンツファンの皆さんには申し訳ない」と謝り通しだった。だが「決断した以上は……命をかけて……」に心が震えたファンは多い
「巨人軍」は、武器をバットに持ち替えて戦後の日本を鼓舞した
辰井「ちなみに、それほどまでに愛された長嶋さんの魅力って何でしょうか?」
鶴見「ミスターの魅力は語りきれないくらいあるよ……!(数十分、長嶋茂雄のエピソードを語る)」
辰井「いろいろな意味でこの記事では使いにくい話が多いので割愛しますが、激烈な方ですね……!」
鶴見「野球の記録的にはもっと上の人がいるけど。いいところで打ってくれたからね」
酒寄「天覧試合で、阪神の大エース・村山実からホームランを打ったし。でも、王も打っているんですよね」
辰井「知らなかった。実績では先行した王さんも、人気面ではちょっと長嶋さんの影に隠れていたわけですね……」
鶴見「そして、あれだけ栄光を背負ったミスターが、倒れて体の半分がうまく利かなくなっても、『勝つ!勝つ!』って周りを鼓舞し続けて……長嶋さんじゃなきゃできないね」
2004年に脳梗塞で倒れた、長嶋茂雄 終身名誉監督。その後も不自由な体を押して現場に活を入れる。王貞治とともに大巨人軍を作った
夕方ごろになると、建龍へ一気に人が集まる。店は満員になり、酒を引っかけての巨人談義で包まれた。亀井義行、堀内恒夫、岡本和真……そんなワードが飛び交う、野球ファンにとって心地よい空間
辰井「そんな巨人は、日本人にとってどんな支えになってきたと思いますか?」
鶴見「ジャイアンツがあったから平和だったんじゃないかな。野球は戦争を平和なゲームに変えた側面もあると思うから」
辰井「というと?」
鶴見「たとえば『バッテリー(※2)』は『砲兵中隊』が語源だとされていて。ダッグアウト(※3)は『待避壕』からの用語らしい」
※2……「投手と捕手のペア」を指す
※3……監督・コーチや選手が控える席
辰井「戦争用語が野球用語になっていて。平和裏に行われる戦争なわけですね」
鶴見「そう。つらい戦争に負けた日本に、GDPが世界第2位になっちゃうぐらいの活力を与えてくれたのが巨人軍なんだ」
辰井「そういえば、巨人軍だけ『軍』と言いますもんね」
鶴見「そうだね、阪神軍とかヤクルト軍と言わないから」
酒寄「かつては『阪神軍』と言われていたようですが、今はその言い方をしないですもんね」
鶴見「もともと、アメリカのメジャーリーグ選抜と戦うためにできたのが巨人軍だから。ホントの戦争じゃない形でアメリカと戦ってくれたんです」
辰井「武器を持たない軍だったから、心おきなくみんなが熱中できたんでしょうね」
辰井「これからの巨人に希望することは?」
鶴見「なんてったって日本一。まずはペナントレースで優勝してほしいね」
辰井「ほかにはありますか?」
鶴見「うちの近所の少年野球のチームも、2チームくらいになっちゃったから……子どもたちが憧れるような野球選手が巨人から出て、プロ野球を盛り上げてほしい。大谷翔平が巨人の選手だったらよかったけどね(笑)」
酒寄「当時みたいな人気になるのは難しいですけど……若いスター候補たちにがんばってもらうしかないですよね」
鶴見「俺たちは巨人がずっと好きだから。もう理屈じゃないね。何とかね、またV9のときみたいに、栄光の時代になればいいな」
辰井「いろいろなチームに人気が移ってよくなった面もありますけれども、巨人も元気で球界に君臨していてほしいと願っています」
鶴見「『わが巨人軍は永久に不滅です』。ジャイアンツファンはみんなそういう気持ちだからね!」
取材協力:建龍
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