みなさんには「忘れられない味」ってありますか? ほかに代わりの見つからない、繰り返し食べたくなる味。わたしにとってのそれは、東京・早稲田にある「Cafe GOTO(カフェ ゴトー)」のケーキです。

早稲田駅の目の前、小さなビルの2階にある「Cafe GOTO」。ここではコーヒーとともに、チーズケーキやガトーショコラ、パウンドケーキなどのホームメイドケーキが楽しめます。

ドアを開けると、真っ先に目に入るのが、おいしそうなケーキの並んだショーケース。いつも7〜8種が揃っていて、今日はどれを食べようか、と悩むのがいつものお決まり。私はここのチーズケーキが好きで、悩んだ末に結局はいつもこれを選んでしまいます。

口の中でほろりとほどけて、甘さは控えめ、チーズの塩気がしっかり効いたGOTOのチーズケーキ。おやつはもちろん、持ち帰ってお酒のお供にすることも。いろんな時間に寄り添ってくれるケーキなのです。

チーズケーキに限らず、GOTOのケーキの見た目はごくベーシック。パッと目を引く華やかさはなく、どこかお母さんが作ってくれたようなあったかい見た目。

けれどその佇まいと味は、なぜか強く記憶に残り……10年前、友人がお土産で買ってきてくれたときから、忘れられない味になりました。

 

私はライター業のかたわら、マフィンの店を開いています。研究という口実で、それなりに焼き菓子やケーキを食べてきました。

それでも私の中で、GOTOのケーキは唯一無二。鎌倉に越してからも、近くに行く機会があれば必ず立ち寄り、お取り寄せもしてしまうくらいに愛するケーキなのです。

 

ずっと人に愛される物を作るって難しい。マフィンの店を始めて以来、そう感じています。この一見ふつうのケーキが、32年、愛され続けるわけはどんなところにあるのでしょうか?

その理由を探るべく、Cafe GOTOを営む店主・後藤進さんにお話を聞きに行きました。

 

フレンチの料理人から、ケーキ1本の喫茶店を開いて。

瀬谷「今日はよろしくお願いします。ずっとファンだったので、なんだかお話が聞けるなんて夢みたいです」

後藤さん「よろしくお願いします。あんまり大したこと喋れないと思うんだけど、大丈夫かな」

瀬谷「そんなことありません。本当に私、GOTOさんのケーキが大好きで……世の中で一番おいしいケーキだと思っています」

後藤さん「またまた、上手だね(笑)」

ジモコロ編集長の友光だんご(写真中央)も取材に同行。早稲田大学出身で、雑誌サークルの仲間とよくGOTOに通っていたファンのひとり

瀬谷「GOTOさんは今年で32周年なんですね。ここを始める前も喫茶店で働かれていたんですか?」

後藤さん「いや、フレンチで料理を作っていたんだよ。だけど自分で店を持とうと思って、場所を探していた時に、早稲田にあるこの物件と出合って。学生街でやってみたいなと思っていたから、ここに決めたんだ。

でも、学生街は人が多いでしょう。きっと忙しくなるから、できることを絞ろうと思って、ケーキだけにしたというわけ」

瀬谷「学生街でやってみたかった、というのは?」

後藤さん「学生街って、面白いなと思うんだ。ここには早稲田大学があるから、そこの学生たちがメインで来てくれるわけだけど、みんな4年通ったらこの街から離れていくでしょう。

けれどまた新しい学生がやってきて、そうやって人がどんどん移り変わっていくから、いろんな人と知り合える。それに、学生の頃通っていた街って思い入れがあるから、卒業しても数年越しにまた顔を見せにきてくれたりもする。

そんな学生街ならではの関係性があって、ここで店をやるのって楽しそうだと思ったんだよ」

だんご「確かに、学生時代を過ごした街って第2の故郷みたいですよね。僕にとってもそうだなあ。久しぶりに来れて嬉しいです。

 

「ケーキのレシピ? 別に、教えてあげるよ」

瀬谷「今日も続々とケーキが焼き上がってますね。この、焼きたてのケーキがカウンターに並んでいる光景もGOTOさんならではだなあと。いつも眺めるだけで幸せな気持ちになっていました」

後藤さん「どんどん作らないと売り切れていっちゃうからね。営業しながらも焼き続けてるよ。今は、ちょうどタルトタタンの準備をしているところ」

だんご「タルトタタン! 僕はこれが大好きでした。焼きたてに出会えると嬉しかったなあ」

後藤さん「いつも11時頃に焼き上がるから、その時間を狙って来てくれるお客さんも多いよ」

スタッフさんがタルトタタンを仕込み中

瀬谷「あ、スタッフさんもケーキを作るんですね! 後藤さんだけが作っているのかと思っていました」

後藤さん「もちろん! 今は12人のスタッフがいて、皆で作ってるよ。僕も足腰を痛めたりして、なかなか年齢的にも厳しくなってきたから、皆に頼ってる。ここにレシピを貼っているから、みんな見ながら作ってるよ」

瀬谷「本当だ…!ここに憧れのケーキのレシピが……なんだか見たいようで見たくないような複雑な気持ちです。こんな、誰にでも見える場所に貼っていていいんでしょうか。企業秘密じゃないんですか?」

後藤さん「お客さんにもレシピを知りたいと言われれば教えてるよ。基本のレシピを教えて、あとは自由にアレンジしてねって伝えてる」

瀬谷「……!!」

後藤さん同じレシピで作ったって、同じケーキができるわけではないでしょう? 同じ楽譜でも演奏する人によって違うのと一緒で、作る人によってみんな味が違う。だから別にこだわらないんだよ」

瀬谷「……確かに、おっしゃる通りですね。GOTOさんのケーキは、きっと同じレシピで作っても、GOTOさんの味にはならないんだろうなあ」

 

32年、一途に貫いてきた「シンプルなケーキ」

瀬谷「GOTOのおいしさの秘密はどんなところにあるんでしょうか?」

後藤さんちゃんと良質な材料を使うこと。発酵バターと、良い生クリーム。原材料高騰でなかなか価格維持が厳しくなってきたけれど、できるかぎり上げないでやってきたよ。

あとは、ちょっと大きめサイズなのもうちならではかな。うちはケーキしか置いてないから、それでも学生がお腹いっぱいになれるように、大きめサイズにしてきた」

だんご「本当に、1つで大満足ですよね。学生時代はこのボリュームが嬉しかったな」

瀬谷「でも、確かにケーキだけなのは不思議でした。この駅前の好立地で、モーニングを始めようとか、軽食を増やそうとか、思ったことはなかったんですか?」

後藤さん「それはないな。だってすぐ近くにはマクドナルドがあって朝マックをやってるし、ここは学生街だから、お昼ごはんの選択肢ならいくらでもあるでしょう?

早稲田という街の中で、それぞれの店がそれぞれの役割を持っているわけだから、うちはケーキとコーヒーの店であればいい。他の店と競合したくもなくて、みんなでひとつの街を作れたらいいと思ってるんだ」

瀬谷「早稲田という街のなかで、それぞれの役割があるんですね。ちなみにGOTOで一番人気のケーキはなんですか?」

後藤さん「やっぱりチーズケーキかな。でもガトーショコラも人気だし、タルトタタンも。みんなそれぞれにファンがいるね」

開店当初からの看板メニュー「チーズケーキ」

後藤さん「新しいケーキを増やそうと思ったこともあるんだ。でもどのケーキにも固定のファンがいて、それを目当てにきてくれるから、なくせなくて。今だって新しいケーキも作るけど、昔ながらのも変わらず残してる」

瀬谷「その気持ち、わかります。GOTOさんのケーキって、不思議と代わりがないんですよね。一見普通の見た目なのに、本当にここでしか食べられない。だからやっぱり、行きたくなるんです」

 

飾りつけは上手くできない。でも、味覚だけは自信があった

後藤さん「うちは昔から、シンプルで装飾的でないケーキを作ってきた。逆に言うと、華やかなものはあんまり作れなかったの」

瀬谷「というと?」

後藤さん「僕はフレンチで見習いをやっていた頃から手先が器用じゃなくて、パーティの料理の飾りつけなんて、全然きれいにできなくていつも怒られてた。生ハムをふわっと盛るのとか、どうしてもだめでね、ぺたってなっちゃって。『これ、誰がやったんだ!』っていつも呼び出されてたよ(笑)

でもその分、味覚には自信があった。賄いを持ち回りでつくるときにも、僕のを食べるとシェフが無言でフォークで皿をトントンと叩いて。それがおいしいっていう合図なんだよね。センスはなくても、味覚は確かで、それが自分の誇れるところだと思っていた」

瀬谷「だからCafe GOTOでは、このシンプルなケーキ1本で貫いてきたんですね」

後藤さん「華やかなのは作れないから。でも、早稲田にはこんな実直なケーキの方が合っていると思うんだ。いわゆる『バンカラ(※)』な町だからね

※バンカラ……明治時代、ハイカラに対するアンチテーゼとして旧制高校で生まれた風潮。ボロボロの学ランや高下駄、外套を身につけた、いわゆる「硬派」なスタイル。平成の初めごろまで、早稲田にはバンカラ学生が生息していた

だんご「わかる気がします。早稲田だからこそ、このケーキっていうことも」

後藤さん「ずっと同じケーキを作っていてよかったなと思ったことがあって、ある夫婦が子どもを連れてきて『お父さんとお母さん、ここに学生時代よく来ていたんだよ。その頃食べていたチーズケーキがまだあるんだ』って話しているのを聞いたんだ。同じものがいつもあるって、大事なことだなと思ったよ」

 

コロナ禍は、全国の卒業生がケーキを注文してくれた

瀬谷「厨房の上の壁に絵葉書が貼ってありますが、あれはなんですか?」

後藤さん「昔ここに来てくれていたお客さんが、引っ越し先から送ってくれた手紙だよ。届いたのは全部ここに飾ってるんだ」

瀬谷「こんなにたくさん。お店が愛されてることが伝わります。『GOTOさんのケーキを思い出します』だって……海外からも届いていますね」

後藤さん「離れても、こうやって思い出してくれるのは嬉しいよね。

それこそコロナ初期は、大学が休校になって、お客さんもめっきり減っちゃって店もかなり厳しい状況になったんだけど、そんな時に助けてくれたのも昔からのお客さんだった。早稲田の卒業生が、日本全国からケーキの配送注文をしてくれたんだよ」

瀬谷「すごい、いい話」

だんご「あの頃は居酒屋の『わっしょい』とか、早稲田の飲食店がクラファンを始めたりもしましたよね。僕たち卒業生の間でも話題になって、助けようと寄付をしたり、動き出した人も多かったな」

後藤さん「皆に大切に思われていることが伝わってきたから、しんどかったけど『今は我慢の時だ』と思ってやってこれた。32年の間には、営業が落ち込んだり厳しかったことだって何度もあったけど、それでも続けてこれたのは、そういう支えがあったからだと思うよ」

瀬谷「32年続けてきて、街や人の雰囲気に変化はありましたか?」

後藤さん喫茶店という場所の役割が変わってきたなと思う。昔はスマートフォンみたいな連絡手段がなかったから、喫茶店といえば『待ち合わせの場所』だった。ただ時間を過ごすだけじゃなく、人が繋がるきっかけみたいな役割もあったんだよね。

でも今は、スマホで連絡をとればどこでだって会えるから、あえて喫茶店にいかなくてもいい。待つために利用する場所、ではなくなったよね」

瀬谷「なるほど、待つための喫茶店ってなんだかロマンチックですね。その文化がなくなっちゃったのは、ちょっと寂しく感じます」

瀬谷「でも、私にとってGOTOさんはずっと一人でくる場所でした。出版社に勤めていた頃は、休日にあえて電車に乗ってここまで来て、原稿を書いていました。

ケーキとコーヒーを頼んで、ひたすら書き物をして。コーヒーが空になっても、スタッフさんがあえてカップを下げないでくれるんです。それが『そのまま居ていいよ』って肯定されているようで嬉しかった。気後れせずにいられる、温かいお店だなって思ってました」

後藤さん「みんな、色んなことをするためにここに来てるだろうからさ。学生さんだって、試験やレポートでいろいろ忙しいでしょう? だからゆっくりしていってもらえたらいいと思ってるんだ」

だんご「GOTOさんのその姿勢に救われている早稲田生はめちゃくちゃいると思います」

後藤さん「前に、『喫茶店は家と外の中間みたいな場所』だって言ってる人がいてね。周りに程よく人がいて、だけど個の世界に没入できる、その感じが心地よいって。そう思って利用してくれる人がいるんだと思うと嬉しくて、そんな場所でありつづけたいなと思うよね」

 

ひとりよがりじゃ、店はつづかない

だんご「久しぶりに来ましたが、ここはやっぱり変わらないですね。あの席で学生時代に先輩と話したな、とか思い出が蘇ります」

後藤さん「実は結構変わってるんだよ。昨年は店を改装して、壁を全部塗り直したしね」

後藤さん「東京都の受動喫煙防止条例が出るまでは、うちはタバコが吸える喫茶店だったんだ。だから壁や天井もタバコのヤニの色で染まって、もっと年季のある雰囲気だった。きれいになったらGOTOさんらしくないって常連さんに言われたよ(笑)」

瀬谷「言われてみれば、壁が真っ白ですね!」

後藤さん「あと、実はケーキのレシピもちょっとずつ変わってるんだよ。チーズケーキも元々はクリームチーズだけで作っていたけど、今はもう1種チーズをブレンドしてる」

瀬谷「実はちょっとずつブラッシュアップしてるんですね。だからきっと、飽きずに繰り返し食べたくなるんだろうなと思います」

後藤さん「よく『どんなにお客さんが来なくても、自分がおいしいと思うものを作ってればきっと大丈夫』みたいな話があるでしょう。でも、僕はそうじゃないと思う」

後藤さん自分が美味しいって思ってても、やっぱりお客さんの共感を得られなきゃだめ。ただのひとりよがりになっちゃう。それじゃ、店は続かないよね。

だからずっと同じケーキを作ってても『これでいいのか』は考え続けるし、アップデートもしていく。他店のケーキを研究で食べにいったりも、よくしてるよ」

瀬谷「Cafe GOTOは今年で32周年なんですよね。実は私と同い年で、自分の人生と同じだけ続いてきていると思うと本当にすごいことだなと思います」

後藤さん「なんだか、毎日同じことの繰り返しだからか、32年も経っている感じが全然しないんだよ。体感的には15年くらい」

瀬谷「毎日同じケーキを焼いて、飽きてしまったりすることはないんでしょうか?」

後藤さん「僕ね、将棋が好きで。大山棋士っていう将棋の名人がいたんだけど、その人がこう言ってたの。『毎日同じことを繰り返しているように見えても、螺旋状に1cmずつは上に上がっている』って。

喫茶店の仕事も同じなんじゃないかなと思うんだ。きっと自分が知らないうちに、1cmずつでも変わっていってるんだよ。ケーキだって、毎日同じように焼いても、同じようには焼き色がつかないものだしね」

後藤さん「前に、お客さんがうちのケーキを買って、おみやげに持っていったらしくて。渡した途端、相手が『GOTOのケーキでしょう!』って。伝えてないのに、ひと目見てわかったんだって。彼女も昔から食べてくれていたらしいんだ。

そんな風に、コアコンピタンス(他にまねできない核)になるものを、これからも作れていけたらいいなって思うよ」

瀬谷「これからも、無理せずに続けていただきたいです」

後藤さん「この間テレビで、98歳で現役の寿司職人の話を観たんだよ。だから僕もまだまだやれるなって。まず目標は、あと3年続けて35周年を迎えること。そこから先のことは、今はまだわからないけどね(笑)」

瀬谷「きっと、私のようにGOTOさんのケーキを『コアコンピタンス』だと思っている人は、たくさんいると思います。今日はありがとうございました!」

 

おわりに

ずっと憧れていた「Cafe GOTO」のケーキ。

おいしさの裏に一体どんな秘密があるのだろうと思っていましたが、そこには「秘密」なんてなく。レシピすらも隠されていない、見た目そのままのシンプルで飾らないケーキでした。

それなら、このケーキが人を惹きつける理由は何なのか。それはただただ時間の積み重ねなのだと思います。

32年、来る日も来る日も繰り返し、それでも決して惰性にならず、螺旋を描くように、よりおいしい味を目指しながら作ってきたこと。

その地道さと胆力こそ、素朴で力強いGOTOさんのケーキの理由。そしてそれは、ケーキに限らず何にでも言えることなのかもしれません。

久しぶりに食べたGOTOさんのケーキは、やっぱり他に代わるものがない味。そして、私も地道に頑張っていこうと元気をもらえる味でした。

撮影:濱津和貴