うんと冷え込んできましたね。みなさん「ゆ」には浸かってますか?

「家ではシャワーですませるし、あんまり銭湯も行ったことないんだよね……」そんな方に、ぜひおすすめしたい銭湯があります。

 

 

それは京都にある「サウナの梅湯」。28歳の湊三次郎(みなと・さんじろう)さんが営む銭湯です。

「あれ?この赤い法被」なんて見覚えのある人もいるかもしれませんね。

 

梅湯を引き継いだ2015年当時、湊さんはなんと25歳。若き銭湯経営者として注目され、テレビのドキュメンタリーから新聞、カルチャー系の雑誌まで、さまざまなメディアに引っ張りだこになりました。

 

開業の翌年、このジモコロでも「銭湯って儲かるの?」なんてサブタイトル付きで根掘り葉掘り話を聞きました。「一人で銭湯を継ぐなんて、大丈夫……?」という勝手な心配とともに。

 

 

ジモコロで湊さんを取材した記事は好評で、昨年発行したジモコロフリーペーパーにも掲載しました

 

以前の取材から4年が経ち、再び梅湯を訪れたのにはわけがあります。なんと2019年現在、湊さんは関西に4軒の銭湯を経営しているというのです。

 

廃業の続く銭湯業界にとって、この数字はすごいことです。なにせ1996年には日本全体で9000軒以上あった銭湯も、現在では半分以下になっているそう。

そんな状況のなか、すごい勢いで運営する銭湯を増やしていった湊さん。

 

怒涛の4年間で、いったい何があったのか? 何が湊さんを突き動かしているのか?

 

銭湯を立ち上げるための戦略も、その経営の難しさも、その身に染み込んでいるはず。30歳を目前にした湊さんに、今のリアルな思いを聞きました。

 

銭湯経営は、本当にリスクが大きい

サウナの梅湯を尋ねると、風呂の薪を焚きながら湊さんが出迎えてくれました。

1年間で3軒も新たに銭湯を継いだ怒涛の日々のせいか、どことなく貫禄が増したように見えます。

 

「今日はよろしくお願いします。しかし湊さんの銭湯、ずいぶん増えましたね」

「そうですね。年表にするとこんな感じです」

 

「2018〜2019年が怒涛すぎる。実質1年しないうちに3軒もできてるじゃないですか」

「去年は都湯のオープン準備と、梅湯の改装や煙突の改修が同時期に重なっていたんですよね」

「ぶっちゃけ、お金の面でもかなりキツかったのでは……?」

「かなり使いましたね。煙突だけで400万円はかかってます

 

「400万…?」

 

「中古のベンツくらいするじゃないです。煙突ってそんなに高いんですか?」

「今ある煙突を解体して、作り直したからですね。それと煙突の職人さんが少ないからなのもあって。煙突を新しくしたから集客が増えるってわけでもないので、正直痛い出費です。でも、すぐに元は取れたかなと」

「『元は取れた』とは?」

「煙突を新しくした直後に、2018年の大阪府北部地震があったんです。大阪の方では、地震で煙突が折れてしまった銭湯もあって」

「煙突が……」

「幸い、怪我人はいなかったと報じられていました。もし梅湯でも古い煙突のままだったら、同じように折れていたかもしれない。賠償や周りへの被害を想像したら、400万円の元は取れたなと」

「もし周りの民家の上に折れた煙突が落ちてしまったら……考えるとゾッとします。設備修理にもそれだけのお金がかかるとなると、銭湯経営はかなり大きなリスクを背負ってるんですね」

 

改修して新しくなった、梅湯の煙突

 

「煙突は改修してしまえばその先20年くらい問題なく使えるので、月々で見れば安いものです。それでもガツンと大きなお金が消えるのは、大きな負担ですね」

「煙突のほかに、細かな修繕とかもあるんですか?」

「はい。最近、容輝湯の『ろ過装置』に漏れが見つかって。ざっくり新品の見積もりをすると230万円でした。でも直さないと営業できないし、腹を括るしかないです

 

取材は10月上旬。梅湯の黒板には、増税にともなう「新料金」の文字が書かれていた

 

さらに、10月1日の増税も銭湯経営のリスクに拍車をかけます。備品などの仕入れ価格が上がるうえに、従業員の生活を考えると人件費もあげるべき……ランニングコストは高くなる一方です。

 

しかし、銭湯の入浴料はもともと、各都道府県の「浴場組合」によって上限の価格が決められています。勝手に入浴料を上げるわけにもいきません。

梅湯と源湯のある京都市では、浴場組合が行政と交渉し、430円だった料金が450円まで引き上げられました。しかし、他の2軒がある滋賀県では、料金はそのまま。都湯ではドリンクなどの料金を少しだけ値上げして、なんとか対応しています。

 

「増税には、もともといち市民として反対なんです。増税をきっかけに多くの人の消費が冷え込むと思いますし、直接ではなくても、客足に関わるかもしれない。修繕費にかかる税金も上がるので、痛手ですね」と、湊さんは語ります。

 

「自分たちだけでは限界がある」

設備投資の大きさ、そして追い打ちをかけるような増税。銭湯経営のハードさに打ちのめされていると、ふとした疑問が浮かびました。

湊さんの話とは裏腹に、「銭湯ブーム」「新たに銭湯がオープン」のような言葉をメディアでよく見かけます。

これほど大変な銭湯経営を「やりたい」という人がいる。それは一体なぜなのでしょう?

 

「うーん、厳しいことを言うようですが、わかってないんですよ。銭湯の大変さとか

「(いろいろ思い出してる顔だ……)」

銭湯は基本的に『継業』、つまり今ある銭湯を継ぐしか新規参入のチャンスがないんです。新しく建てようと思えば何億というお金がかかるし、新たな営業許可の手続きも難しい。実際、梅湯の営業許可を持っているのはオーナーさんです」

「というと、梅湯は賃貸なんですね」

「あくまで僕らが受託です。そうした様々なハードルがあるのに、何も知らずに『継がせてください!』と言う人がいたら、オーナーさんだって任せられるか不安ですよね」

「確かに、どこかで修行してからきてほしい」

「その点、僕らは梅湯で銭湯経営の経験があったので、2軒目以降の話が早かった。いろんな泥くさい経験も、失敗もしてきましたから。取材やドキュメンタリーで世に出ている僕たちの姿を、すべて現実のままだとは思わないでほしいんです」

「取材ではどうしても、キラキラした姿にスポットが当たりがちですね」

 

「メディアが銭湯に『ドラマ』を見てしまっているな、とは思います

 

「(耳が痛い……)湊さんはこれからも、新しい銭湯を受け継ぐ予定はあるんですか?」

「興味はありますよ。でも正直、自分たちの資金では限界があるなと思っていて。次は絶対に利益が出せる店しかできないですね。そうじゃない銭湯から相談されても、自分たちが継ぐのは……難しいかもしれません」

「絶対に利益が出せる店」

「実は僕、京都の銭湯のなかでこの先50年は残るだろう』ってところがすべて頭に入ってるんです

「(湊さん、銭湯オタクだな…)やっぱり立地とかですか?」

「例えば地下水が使える、薪を搬入できる経路がある、近くに大学があって人の流れがある……みたいな条件を満たすところ。あとは、その銭湯が街にとってシンボリックな存在になれるかどうかを踏まえたリストが頭の中にあります。生き残る銭湯は『地域一強の銭湯』になれるところだと思うんですよ

 

1日お湯を沸かすために、この薪の4分の1ほどを使用するという。油を使った湯沸しに比べて、1カ月で約15万円ほどの節約になるらしい

 

閉まりゆくすべての銭湯に手を差し伸べることは、難しい。湊さんの言葉は時にシビアにも響きます。しかし、そこには自分たちの手で銭湯を受け継ぎ、経営してきた経験が裏打ちされている。

これから生き残るのは「地域一強の銭湯」だと語る湊さん。そんな彼が作った銭湯には、どのような戦略があったのでしょうか? 少し時間をさかのぼり、話を聞いていきましょう。

 

理想は都湯のような『小さな銭湯』

2018年11月。湊さんが梅湯の次に復活させたのは、滋賀県大津市・膳所(ぜぜ)にある「都湯」という銭湯でした。

街で46年続いた都湯を再び盛り上げようと、「一緒に銭湯を残していく」メンバーを初めて募集したり、銭湯文化を伝えるYoutubeチャンネル「ゆとなみTV」をスタッフが開設したりと、湊さんはチャレンジを続けます。

 

 

しかし、転機は立て続けにやってくるもの。

これから「都湯」を軌道に乗せよう……と意気込むそばから、湊さんはまた2つの銭湯が閉業することを知ります。それはまだ、都湯をはじめて半年も経たない頃のことでした。

 

滋賀の『容輝湯』と京都の『源湯』、好きな銭湯が2つとも閉まると聞いて『うわ……』って気持ちが先に立って。『やるしかないか』と」

不安とかはなかったですか?」

「正直、うまくいくのかな、しかも2軒同時に?という不安はありました。でも、どちらかを捨てることはできなくて。僕一人では無理だったけど、都湯のスタッフがいたからできました」

 

都湯のイベントに集まったスタッフとお客さんたち

 

「2軒目の都湯を開く時に集まったメンバーのなかに、『将来は銭湯をやりたい!』とモチベーションの高い人たちがいたんです。だから任せることができました」

「とてもいい仲間に出会ったんですね」

「そもそも、銭湯業界には受け皿がないんですよ。将来銭湯をやりたい、と思ってる人が働いたり、修行をしたりするような場所がない

「なんだか頼み込んだらお手伝いくらいさせてくれそうですが……」

「1日2日のお手伝いができても、それは体験でしかなくて。1ヶ月とか銭湯で働く生活をしてみて、やれそうかどうかを考えないと。その点、都湯はそういう修行のための場所になれたんです」

 

「では今はだいぶ人材的に充実してきたのでは?」

「そうですね。おかげさまで今年の9月には、梅湯で過去最高の1日535人という最高集客数が実現できました」

「メディアに出まくっていた時期にならまだしも、取材も落ち着いた5年目にして過去最高の集客が」

「銭湯って、ガツンと集客が上がることはないんです。東京にある人気の銭湯に話を聞いても、じわじわと数が上がっていくものみたいで。梅湯の場合もそうでした」

「そうなんですね。そもそも、どのくらいのお客さんが来たら銭湯はやっていけるんですか?」

「1日に75人くらい来たら、なんとかやっていけますね。前は料金が450円だったので、それで売り上げが3万円と少しくらい。もちろん、場所や条件でも変わってきますが」

 

滋賀県大津市にある「膳所(ぜぜ)」という街にオープンした「都湯」

 

「75人という数字は都湯の例です。都湯は、これからの銭湯経営にとってモデル的な場所だと思っていて。規模が小さいのでランニングコストが少なくてすむから、1日の客数もそのくらいで大丈夫なんです」

「なるほど、『小さな銭湯』というか」

「そうそう。負担を少なく『銭湯を残す』ことを考えたら、都湯のような『小さな銭湯』が理想的なんです。小さい銭湯がどうやって集客できるのかって部分も含めて、僕自身注目していますね」

 

京都の観光地にもほど近い「梅湯」の場合、常連さんに加えて、月に1〜2回だけふらっと遊びに来るお客さんも多いそう。

一方の「都湯」は、地域の銭湯。近くに住む人たちに知ってもらうため、エリア情報誌に広告を出したり、プラカードを持ったスタッフがのれんの前に立ったりと、努力を重ねてきました。

自分は、銭湯を残せればいいだけ

はじめたばかりの頃は、一人で掃除して、湯を沸かし、番台に立ってお客さんを迎えていた湊さん。

インタビュー中にボソッと呟いた「ワンオペはね、本当に無理ですよ」という言葉には、自身が汗をかいてきたからこその説得力がありました。

 

「すごく現実的な『銭湯の残し方』を研究されてるな、と感じます。次はどんなことをされるんですか?」

これからは人をそそのかす方向に行けたら、と思うんです。4軒継いでみてわかったことや、現場のノウハウを共有して、誰かにやってもらう」

「湊さんのノウハウはめちゃくちゃ貴重ですよね。でも意地悪な見方をすると、本来は自分たちで悩んだり、工夫したりするべき過程を飛ばして、楽させちゃうことにはならないですか?」

「それはあると思います。でも、何度も言いますけど銭湯経営って大変ですから、潰れないようにサポートしてあげられたらと。自分は銭湯が残せればいいだけなので。コンサル料とかも別に取りませんし」

 

「銭湯を残せればいいだけ」と語る湊さん。スタッフの増えたいまでも、梅湯の番台に立っている

「おおお。逆に、めっちゃ稼いでるITベンチャーの社長とかから、資金をがっつりもらってやるのもアリじゃないですか?『コミュニティや場が欲しい』と考えてる人は多いと思いますよ」

「それは…正直考えてます。ただ言いたいのは、『コミュニティを作りたい』だけのモチベーションじゃ銭湯経営は無理です。自分の好みのコミュニティになるかなんてわからないし、他人は流動するので。梅湯だって、この4年で転勤や卒業があって、常連さんの顔ぶれも変わりましたから」

 

廃業する銭湯を受け継ぎ、経営のためのノウハウを蓄えてきた湊さんたち。

より多くの銭湯を残すための「継ぎたい人をサポートする」という新しい目論見を持ちながら、「自分たちで受け継ぐ」スタンスも変わりません。

 

「次は東京に必ず銭湯を開きたいと思っています。それも継業で」

「それは、京都と滋賀で集まってくれたスタッフと一緒に?」

いえ、そこは東京で銭湯をやりたい人たちと。『こっちで出すときは声かけてください!』って人もいるので、すぐに人は集められると思います。何より、あっちには心強い味方である弟がいる。来年の夏までには開きたいです。あとはいい出会いがあれば」

※弟の湊研雄さんは、埼玉県川口市にある『喜楽湯』で働いている

 

まとめ

継業のハードルは高く、設備投資には莫大なお金がかかる。そんなリスクと隣り合わせで、銭湯経営を続けてきた湊さん。続けていくためのやり方も、そのしんどさも、その身に染み付いています。

 

一方で、どれだけ経験を積み重ねても、世の中も同時に変化していくもの。消費税増税や、水道事業の民営化といった流れをふまえて、「自分たちだけでは限界がある」ということもわかった上で、現実的に手が届く銭湯を残していこうとしています。

 

「銭湯を継ぐなんて、本当に大丈夫……?」なんて声を、湊さんにかける人はもういません。

銭湯の行く末を心配していた、かつての「25歳の若き銭湯経営者」は、4年経ってもなお、銭湯を残すことに夢中なようでした。

 

写真:小林直博