こんにちは、ライターのいぬいです。

突然ですが、僕にはいま気になっていることがあります。それは、こんな疑問。

 

というのも、僕の働いている会社の東京支社は、美大出身が4人中2人もいます。

 

ヒゲの日向さんは多摩美術大学グラフィックデザイン学科、その左のヤマグチさんは武蔵野美術大学 芸術文化学科の卒業生です。

 

編集者4人のチームの中に、美大出身者が2人。割合で言えば半分です。これってだいぶ多くないですか?

 

昔ながらのイメージだと、やっぱり美大生って

 

『デザイン事務所勤務』

『フリーの写真家』

『イラストレーター』

 

とか、そんな感じで働いていると思ってたんですが、違うんでしょうか。気になったので、2人に聞いてみましょう。

 

「2人の周りでも、イメージと違う場所で働いている美大の同級生っていますか?」

「おれの友達だと、飲食店でシェフをしてたり、農家になったり。あとは印刷会社で営業をしてる友達もいるかな」

「たしかに、営業職で働いている同級生は意外といるかも。あと、私みたいに編集の仕事をしている友人も何人もいますね」

「どれも、美大出身者のイメージからすると意外かも……!」

「キャリアもだいぶ多様になってると思いますよ。せっかくなので、聞きに行きませんか?」

 

ということで、僕たちは取材に行くことにしました。

 

そう、母校へ。

 

同僚のヤマグチさんの出身校・武蔵野美術大学(通称:ムサビ)にやってきました。

 

お話を聞いたのは、武蔵野美術大学で広報を務める千羽(ちば)さんとキャリア担当の西さん。

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話を聞いた人:千羽一郎さん

大学企画グループ 広報チーム チームリーダー 武蔵野美術大学彫刻学科卒。同大学の広報を長年担当し、美術大学の情報を発信するメディア『PARTNER』などで執筆するなど、広く美大のことを伝えている。

西 崇弘さん

キャリアセンター チームリーダー補佐 広報や産学協同プロジェクトを担当してきた。キャリアセンターでの仕事を通して、学生との関わりも深い。

 

学生たちの学びとキャリアをサポートし、長年見守ってきた2人。「美術大学で学ぶことの意味」を語ってもらうと、意外な事実が次々と明らかに……。

 

・「美大は就職率が低い」は実は勘違い?

・意外な"ゼネラリスト"への道が開かれている

・美大生の「デザイン思考」はビジネスでも生きる

 

世間で比較されることの多い「ムサビとタマビの校風の違い」についても、記事後半で聞いています!

 

「就職しないこと=不幸せ」って本当?

「今日はよろしくお願いします! さっそくなんですが、美大生のキャリア事情について気になっていて。やっぱりデザインとか写真とかイラストとか、クリエイティブな領域で働いているのかな? って思ってたんです」

「そういう方は多いかもしれませんね」

 

「もっと好き勝手に言うと、やっぱり『就職しない』とか『自由に生きる』みたいなイメージもあるのかなって……」

「なるほど(笑)。昔は、『美大に行くと就職できない』とかよく言われましたね〜。親御さんも、就職率を気にされる方が多いけど……個人的には、『就職率』に意味はあるのか?とも思うんですよね

 

いきなりぶっ込んでくる千羽さん

 

「大学の職員さんが、そのセリフを言うのって新鮮ですね……!」

「ある年の彫刻学科の場合だと、卒業生32名のうち、就職した学生は6名でした。就職した人は全体の約18%。親御さんからすれば『そんなところにうちの子供を入れるなんて……』と言う人もいます」

「たしかに、約5人に1人しか就職しないと考えると、親御さんは不安かも」

「ただ、彫刻学科の場合だと、そもそも就職希望者が6人しかいなかった。実は、就職活動をした6人全員が就職してるんですよ。その他は、大学院に行った学生や、もともと作家になりたくて美大を目指したという学生たちなので、就職活動自体全く考えていない」

「へえ〜! そもそも、必ずしもみんなが就職を考えている訳ではないんですね。ヤマグチさんみたいに就職してる人って、意外と少ない?」

「私も今は会社に所属してるけど、『就職活動をしなきゃ!』と考えたことはないんですよね。一緒に働きたい、って思えた会社が見つかったから働いているだけで」

「就職しなくてもいいと思ってる人のそのセリフ、会社側からしたら嬉しいでしょうね……」

 

でへへ……と照れ笑いする同僚

 

「ちなみに就職しない人というのは?」

「卒業してそのまま作家になる人とか、大学院に進学する人とかですね。まあ、もちろん進路不明みたいな人もいますけど」

「私の同級生も、何してるかよくわからない人もいるなあ……」

「ぱっと見ると、この『就職者は全体の18%』の数字が強調されるけど、それは『就職できないこと』を表す数字じゃない。彫刻学科で4年間磨いた立体的な視点などがちゃんと定まっているので、就職したい人は就職できているんです」

 

大学全体の数字を見ても、就職希望者は6割ほど。希望者だけで就職率を考えると、9割に上るそう

 

就職した人の割合って、卒業してすぐに就職することを前提に考えられている数字なんですよね。たとえば大学生の時から活動していた売れっ子作家がそのままフリーでデビューしても、『就職』ではないので数字に乗らない」

「起業した人とかも入らないわけですね。考え方を変えると、美大では"就職以外の、自分にあった道を探す人が多い"とも捉えられるような」

「そう。結局は、『就職しないことって不幸せなの?』という話だと思うんです。就職した人の割合は参考にはなるけれど、盲目的に信用はしちゃいけない数字だと思います。美大とは、生き方を学ぶ場所なのかなと思いますね」

 

以前、ジモコロでは「文系学部不要論」について取材。就職や仕事に直結しない学問だとしても、「経済効果がある=意味がある」ではないということを考える記事になりました

 

学科での学びが、進路を縛らない

「就職だけがキャリアじゃない、というお話はすごく納得しました。ただ、反対に『じゃあ就職する人には、どんなキャリアがあるんだろう?』とも思って。実際、昔と比べると今の美大生のキャリアって変化していたりするんでしょうか?」

「そのあたりはどうですか? 西さん」

 

ムサビのキャリアセンターで学生の支援をしている西さん

 

「多様になってきていると思いますね。キャリアセンターで学生たちの進路を見ていると、どの学科にも『おお、そういうところに就職するんだ』と、意外な進路がある。言い方を変えれば、『学科での学びが進路を縛らない』という特徴があると思います」

「ちなみに、意外な進路ってどんなものがあるんでしょう?」

「そうですね……あくまで過去の一例ですが、インテリア専攻の学生がゲーム会社に内定を決めたり、建築学科の学生が大手広告代理店に内定したり、というところでしょうか」

「字面だけ見ると、かなりギャップがありますね! まさに、学科で進路が縛られてない」

「専門職のような〇〇デザイナーと名のつく職業に就く選択肢もあれば、美大時代に培った幅広い知識や応用力を"ゼネラリスト"的な総合職に活かす人もいる。最近では2割~2.5割くらいが総合職で、自分の専門領域を違う形で生かしている人が増えている印象ですね」

「総合職そのものの幅とニーズも、広がってきてるんじゃないでしょうか」

「なるほど。ビジネスの現場でも活かせる『応用力』って、どのように美大で身についてるんでしょうか?」

「ひとつ面白い話があるんです。ムサビは東京工業大学と提携を結んでおり、約1週間の合同ワークショップを10年間ほど続けていて」

 

「与えられたお題を元に、学生間でコミュニケーションを取りながら、コンセプトを構築し、なんらかの造形デザインをつくり、プレゼンテーションをする。そういう盛りだくさんなワークショップなんですが……そこで、東工大生とムサビ生の間にはっきりと取り組み方の違いが出てくる」

「どんな違いなんでしょう?」

「ムサビ生は毎回、まず絵を描くんですよ。それを見た東工大生は『なんで何も考えずに絵が描けるの?』と疑問を口にするけれど、美大生は『考えるために絵を描くんだよ』と。スタート地点が全く違うんです

 

「それは面白いですね! 絵を描くこと自体が、考えることの補助輪になっている?」

「一般的には、絵を描くことは『考えたものをアウトプットする表現』だと思われていますよね。でも、美大生は『とりあえずつくっちゃえ』とプロトタイプをつくってみて、それをよく観察することで、よりよいものへとつくり直していく

「トライアンドエラーをする前提で、つくりはじめちゃうんですね」

「それって、いまのビジネス業界で注目されている『アート思考』『デザイン思考』の考え方と同じなんです。そしてそれは元々、美術教育の世界で常に存在していたやり方でもある」

 

アート思考…「アート思考」とは、既成概念や固定観念にとらわれることなく、自分の思考や感情から新たな課題を見つけていく思考法のこと。

デザイン思考…ユーザーを深く理解し、潜在的な課題にアプローチすることで問題解決を図る思考法のこと。

 

「まさに、ムサビの授業で教わったことですね!」

「異質なものとぶつかりあいながら成長していくというのは、ビジネスにおいて普通にあること。その前段階として、美大では『自分のクリエイティビティをどうビジネスや社会と結びつけていくのか』を、課題制作などを通して常に学んでいると思いますね」

社会の中での役割や位置付けを、常に考えているんですね。だからこそビジネスの現場でも応用できるというか」

「そう思います。意識せずともその考え方が育まれる環境がムサビにはある。一方で、東工大生は"設定したゴールに向かう最短経路を導き出す能力"が圧倒的に強い。それぞれの強みはあると思いますね」

 

「食べていけますか?」を中学生が気にする社会

「話を聞いてると、美大で学ぶことが楽しそうに感じてきました。自分次第で進路の選択肢も広げられそうだし」

多様な進路があるというのは大事ですよね。学生にとって、たくさんの選択肢のなかに"企業就職"もあるし、同時に、作家で食べていきたいなら"そのために、いま何をすべきか?"を考えることもできる。それが伝わっていれば、我々としては一番なので」

「今の時代は、特に就職やキャリアが気にされているなって感じます。実は私、愛知県の子どもたちにオンラインで自分の仕事を紹介するボランティアみたいなことをしているんですけど、そこでの中学生からの質問が衝撃で……」

「なにを聞かれたんですか?」

 

「私が『イラストレーターとしても活動しています』と話したら、中学生から『そのお仕事で、ご飯は食べれますか?』って。私、びっくりしちゃって」

「中学生ですよね!? そんな時期から、収入を気にしながら仕事を考えるようになっているんですね」

「今って、昔よりさらに社会が下向きになっているから、より将来への不安が強くあるのかもしれないですよね」

「就職できるのかな、とか、お金を稼げてご飯を食べれるのかな、とか……」

「まあ大学に入ってしまえば、ちゃらんぽらんでも楽しく生きている先輩や卒業生たちがいるから、『意外と大丈夫か』ってなるんですけどね」

「本当に、いろんな学生がいるからね(笑)」

「特に今の中高生の親御さん世代は、バブル期の最中から景気が下落していくのを経験している世代ですから。余計に堅実なのかなとは思います。親御さんからキャリアセンターへの問い合わせも多いですから、時代を表しているのかなとも思いますね」

 

ムサビとタマビの違いって?

「ちょっと気になっていたんですが、あの質問をしてもいいですか?」

「おっ、『ムサビとタマビの違い』ですね。よく聞かれるんで大丈夫ですよ

 

千羽さん、聞かれ慣れすぎてる

 

『ムサビとタマビの違い』って、やっぱり学校の方々も意識されてたりするんですか? 世間一般では、セットで語られることも多いような」

「それ、めちゃくちゃいろんなところで聞かれます。僕は『アディダスとプーマ』みたいに言ってますね」

「アディダスとプーマ? それってどういう違いなんですか?」

「違いというより、関係性のはなしですね。アディダスとプーマは元々、兄弟で経営していた会社だったけれど、意見の相違から分岐して2つの会社になった。ムサビとタマビも歴史を振り返ると、戦前にあった『帝国美術学校』という1つの学校から分岐して生まれた2つの学校であるので比較されやすいんでしょう」

「へえ〜! そうだったんですね……!」

「世間一般ではデザイン系に強いタマビ、教養科目や座学も多いムサビ、みたいなイメージもあるかと思うんですが……個人的には卒業生の傾向にも違いがあると思っていて」

「傾向、ですか?」

「タマビの卒業生は、自身の名前を売り出して仕事をしていく人が多い。佐藤可士和さんとか佐野研二郎さんとか、有名なデザイナーがすぐに思いつきますよね。ムサビの卒業生はどちらかというとインハウスのデザイナーをはじめ、プロジェクトの中で活動する傾向が強い印象です」

「卒業後の活動の仕方に違いが出てくる、というのも面白いですね」

 

「そうだ、せっかくだから学生の話を聞いてほしいですね。ひとり紹介しますよ」

 

ということで、油絵学科3年生の川島さんにも少しお話を聞いてみました!

 

「川島さんは3年生なんですよね。いまの美大生活はいかがですか?」

「僕は油絵学科に所属しているんですけど、油画だけを学んでいるという訳ではなくて。3年生になったので、自分の制作をしている時間が多いですね。これが作品です」

 

「これは自転車と……石膏? よく見ると何か書かれてる」

「実はこれ、自分のドローイングを固めてつくった『お墓』なんです」

「お墓!? 自転車の……?」

「いえ、ドローイングのお墓です」

 

川島さんにとって最も自分の表現だという、"A4のコピー用紙に描くイラスト(ドローイング)"。誰に見せても作品として見られなかったその表現を形にするべく、"ドローイングを供養すること自体を作品にする"発想に至ったという

 

「面白い作品ですね……ちなみに川島さんはなぜムサビに入ろうと思ったんですか?」

「元々、ずっと絵が好きだったんです。続けるなら、美術大学に入ってしっかりやろうと思って」

「コロナ禍が起きて、思ったような学生生活は送れていますか?」

「人によっては、制作がピッタリ止まってしまったって人もいます。それからいまの1・2年生のアトリエを覗いてみると、なんだか『大きな予備校みたいだな』って思いました」

「予備校?」

「誰もコミュニケーションを取らずに黙々と制作したりして……僕が1年生だった頃はコロナ前で、もっとコミュニケーションをとっていたので、変化はしているなって感じます」

「なるほど……やはり、コミュニケーションの量が変わったり、今まで通りの学生生活ではいられませんよね。ありがとうございました」

 

川島さんのリアルな学生生活のお話を聞いたあとで、千羽さんのところへ戻ってもう少しだけお話を伺います。

 

『講評』の時間が、『正解がない』価値観を育む

「どうでしたか?」

 

「実際に学ぶ美大生の方にお会いすると、やはり座学やフィールドワークだけでは得られない、特別な学びが美術大学にはあるなと実感しました」

「おそらく、美大の本質的な学びというのは、『講評会』の時間で養われているんじゃないかと思います」

「講評会?」

「課題制作の作品を教授や学生たちで批評していく時間ですね」

 

講評の様子

「講評って、教員によって評価が違うんですよ。『僕はこの作品いいと思うけどな』と評価する教授がいれば、『私は良いと思う』『私は良いとは思えない』という教授もその場にいて、そこで作品の解釈をめぐるバトルが始まったりして」

「教授同士でも意見がぶつかるんですね!」

「平気でそういうことが起こるので、学生は『いろんな視点がある、答えはひとつじゃない』ということをそこで学ぶんです。これは普通の大学ではありえないですよね。だからこそ、批評性や被批評性といったものが自然と培われていくのだと思います」

「わかります。私も講評があったから、社会に出てから仕事でのいろんなアドバイスや意見を受け止めやすくなった気がしていて」

 

「世の中的にも、そうした『正解がない上で、考える』ことの重要性は強くなっていきそうですよね」

「まさに、今まで経験してないことが起こり続けていますよね。これまでは過去のデータをもとに『こうすれば経済が発展していく』と考えて社会が動いてきた。しかし、今後はその考え方が通用しない世の中になっていく。コロナ禍が典型的な例ですよね」

「そういう社会で活躍する人材にとって、求められる能力はなんだと思いますか?」

やっぱりクリエイティブな思考を持っていることは大切だと思います。絵が描ける、画力がある、表現力があるとかいうのはこの時代では逆に『副産物』であって、本来の力はアート思考、クリエイティブ的な考え方を持てることだと思います」

「考え方が大事。無意識にでもそうした考え方が身につく美大は、貴重な環境ですね」

「文科省も、そうした思考が今後社会に必要だと考えて、2022年の春から高校で『探究』という授業を始めるんですよ。ムサビではデザイン情報学科の『課題発見』という名前で30年前からやっていた内容ですね

「あの授業、30年も前からあるんですね!?」

「時代を先取りしてる! ちなみに『課題発見』の授業はどうして生まれたんでしょう?」

「デザイナーにとって、課題解決は慣れたものだったんです。プロトタイプをつくって、観察して、改善していく『デザイン思考』を通して考えれば、さまざまな課題解決ができる。ただ、そのプロセスだけでは『課題の発見』ができない

「課題解決と『課題を見つける』ことでは、違う考え方が必要だったんですか?」

「そうなんです。それで、課題発見・課題解決どちらも考える授業をやろうと美大は考えた」

「豪華な授業ですね!」

「それが、ムサビではじまった『課題発見』の授業。『自ら解くべき課題を発見する』をテーマとするこの授業では、教授から与えられた課題に取り組むのではなく、学生がグループワークを通して社会を観察し、発見した課題への解決策を考えていきます

「まさに、社会に出たあとの動き方と同じですよね。自ら課題を発見できれば、いくらでも能動的に動ける」

「はい。美大では昔からそうした考えのもと授業に取り組んできましたが、文科省もいろんなデータや人口統計を持って考えた結果、そこに行き着いたんです」

「長い間、美大で学ばれてきた『つくりながら考える』こと、『正解がない前提で考える』ことの重要性が、社会にとっても必要になってきたんだなあ。今日はありがとうございました!」

 

まとめ

「美大生のキャリアってどうなんだろう?」という疑問からはじまった今回の取材。

 

美術大学での学びを通して得た応用力や「プロトタイプをつくりながら考えていく姿勢」、「正解がない前提で物事を考える姿勢」は、ビジネスにも対応できる力となっていました。

 

ただ、何よりも大切に感じたのは「自分の生きる道を、自ら模索する風土」が美術大学にはあるということ。

 

講評を通して批評性を培うことや、自分の作品に向き合うことを通して、「自分なりの社会との関わり方」を考え続けるのが美術大学の学生たちのあり方なんだと思うようになりました。

 

自らのキャリアを自らで切り開くことを、当たり前のようにやってのける美大生のキャリアは、何より自由な可能性を秘めているのかもしれません。

 

☆多摩美術大学に取材した記事はこちら↓