「死んでも残る藍色」を夢みて、ゼロから再出発した藍染め職人

2020.03.18

「死んでも残る藍色」を夢みて、ゼロから再出発した藍染め職人

徳島に古くから伝わる「藍染」の技術。よくよく調べてみると、「洗うほどに色が美しくなる」「藍染は発酵が重要」など知らないことばかり。日本古来の伝統を知るべく、編集部は海外でも活躍した一人の藍染職人の元を訪ねます。「僕が死んでも、藍色は残るんです」とストイックな愛情を語る彼に、藍染の可能性と未来を語ってもらいました。

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    お気に入りの服を洗濯したら、色落ちしてガッカリした経験はありませんか? 

    でも、「洗うほどに美しくなっていく色」があるんです。それも、日本伝統の。何色かわかりますか?

     

    繰り返し着て洗うことで、アクが落ち、色が美しく馴染んでいく。

    一度考えてみてください。

     

    ……

    ……

    ……

    ……

     

    思いつきましたか?

    答えはそう、

     

    藍染の「藍色」です。

     

    名前こそよく耳にするこの色。

    僕は先日、そんな藍染の魅力にとりつかれた一人の職人を知りました。

     

    その方は、徳島で藍染の材料となる「藍」を栽培しながら、染師としても活動する渡邉健太さん。

     

    彼は2年前まで、海外でも活躍する藍染ブランド「BUAISOU」の職人として活動していました。しかし彼はブランドを離れ、徳島で一人、イチから藍染工房を立ち上げることを選びます。

     

    ブランド「Watanabe’s」のコーデュロイジャケット

     

    渡邉さんは、なぜ一度得た成功を手放してまで徳島に戻り、藍染職人となったのか?

    彼をそこまで動かす「藍」の魅力とはなんなのか?

    藍畑も一休みしている冬の徳島で、彼と藍の物語を聞いてきました。

     

    話を聞いた人:渡邉健太さん

    藍染ブランド「Watanabe’s」の代表。2012年に徳島県上板町の地域おこし協力隊に参加し、藍の栽培とすくも(=染料)作りを学ぶ。協力隊の活動期間中に、同じく参加していた楮さんとともにブランド「BUAISOU」を立ち上げる。

     

    ブランドを離れ、一人になった理由

    「そもそも、どうして海外進出まで果たしたブランドを離れて、一人徳島に戻ったんですか? 日本の藍染ブランドが海外でも評価されるなんて、喜ばしいことだと思いますが」

    「進出を果たしたというより、『BUAISOU』はむしろ海外で初めて注目されたんです。仲間と立ち上げた藍染ブランドだったんですが、ベテランの職人さんが大勢いる日本国内では活動しづらく、先に海外に渡ったんですね」

    「先に海外に? といってもどうやって」

    「徳島県の企画で、海外へ滞在しながら藍染のワークショップを開く依頼がきたんです。実際にやってみると現地での反応がすごく良くて。ニューヨークのブルックリンに期間限定の工房を設置するまでになりました

    「工房まで!」

    当時は『循環型社会』に配慮した製品や、『持続可能』なことが社会的な価値として認められはじめた頃でした。そうした流れに、天然原料の藍染がマッチしたんだと思います。その後は、国内でも仕事の依頼が来るようになりました」

    「聞いていると、かなり順風満帆のように感じますが」

    「いや、そうでもないんです。当時は、評価されるにつれて藍作りよりブランディングにかける力が大きくなっていった。でも、僕自身はもっと藍染の研究や畑づくりをやりたかったし、藍を『一般的な暮らしのもの』にしたかった

    「なるほど。渡邉さんと、ブランドの方向性が違ったと」

    「はい。だんだん『自分は何やってんだろう』と思うようになって。一度ゼロに戻ってやり直そうと決めました」

    「そこからはどのように活動を?」

    「まずは畑と工房を作れる場所を探して……そういえばまだ、うちの『藍の畑』を見てもらっていませんでしたね。見に行きますか?」

    「『藍の畑』? ぜひ見せてください!」

     

    農業としての『藍染』

    「実は僕、そもそも『藍染職人』の仕事をあまり知らなくて」

    「そうですよね。まず『藍染職人』と一言で言いますが、実はたくさんの仕事の分業で成り立っていたんですよ」

    「分業……」

    「大まかに説明すると、このようになります」

     

    <藍染の主な工程>
    原料の「蓼藍(たであい)」栽培

    染料となる「蒅(すくも)」作り

    藍染液作り

    藍染

     

    「そうか、材料を育てる人、染料を作る人、染める人……たくさんの仕事があるんですね。ちなみに、渡邉さんはどれをメインに?」

     

    「全部ですね」

     

    「全部!」

    「はい。そしてこれが、藍を育てている畑です。夏にはここが一面の藍に変わります。実物を見る機会は少ないと思いますが、藍染の材料は藍という植物なんですよ

     

    「今は別の農家さんに、違う作物を栽培してもらっている時期ですね。だいたい4月から苗の植え付けをして、2ヶ月ほど栽培します。刈り取りの作業は6月から9月にかけて。真夏だし、本当に暑いんですよ」

     

    刈り取りの季節、青々と茂る藍の葉

    「完全に農家さんだ……勝手なイメージですが、藍染職人ってひたすら色を染めたり、柄をデザインしたりと屋内で根を詰めているものだとばかり」

     

    「むしろ、農業の合間に藍染をしています

    「合間なんだ……。しかし、栽培を他の農家さんに任せたりできないんですか?」

     

    後で見せてもらった、畑の写真。膝より低い緑の葉が、60アールほどの広さに広がる

     

    「やはり、自分たちの作る製品に関して、すべてを『見える化』していることが大事だなと。藍染って、途中でいろんな薬品を加えていても『天然藍』と言えてしまうんです。そもそもの原料が植物ですから。でも、僕はそれをやりたくない」

    「『本物の天然藍』と言うために、栽培まで?」

    「それよりも『口に入れても大丈夫な藍染』を作るためですね。原材料から染めまで全て自分で一貫してやれば、商品全部に責任を取れる

    「なるほど、品質を保証するためだったんですね」

    「あとはそもそも、藍を栽培している農家さんも、染料を作る業者である藍師もすごく少なくなってるんですよ。その昔、徳島には2000軒の藍師がいたんですが、今は県内に5軒だけ。でも藍染作家さんは増えてたりする」

    「2000軒から5軒! そんなに減っていたんですね。『徳島=藍染』って印象が強いので、てっきりもっと盛んなのかと」

    「江戸時代の初期から中期くらいが一番のピークだったようです。それこそ分業制の仕事がたくさんあった。染料づくりの途中、藍の葉に水を打つ工程があるんですが、その『水打ちの専門学校』まであったと聞いています」

    「水打ち専門学校! そんなの聞いたことないです! でも、なぜそんな一大産業が今は小さくなったんでしょうか」

    「明治初期に入って来た合成藍に押され、ほとんどの藍商たちは、藍染で儲けたあとに別の商売を始めたんです。阿波銀行や阿波製紙など、徳島の企業に藍色のコーポレートカラーが多いのも、その名残なんじゃないかと」

    「稼いだお金をビジネスの資金にしたのか……藍をルーツに、徳島も発展したんですね」

     

    手塩にかけて作る染料「すくも」

    「こうして育てた藍の葉を、染料にしたのがこちらです」

     

    「なんだか土みたいですね。」

    「はい。これは『すくも』と言って、乾燥させた葉を発酵させて作ります。寝床と呼ばれる土間の上で水を打って、かき混ぜて、いい発酵環境になるよう手入れをしながら。だいたい120日くらいで出来ますね」

    「120日もかかるんですか!」

     

    工房には、若いスタッフも。地域おこし協力隊のメンバー、藍染を学びにきた若い芸術家、海外時代からのファンの青年など、参加する理由もさまざま

     

    「毎日、温度を測りながら面倒を見る。この工程で、元々は薄かった色を濃縮させるんです」

    「めちゃくちゃ手間がかかってますね……」

     

    発酵させている葉の温度を、毎日同じ時間に測って記録。気温や湿度も測り、発酵の状態を管理する。

     

    「いやいや、まだ序の口ですよ! ここからが難しいんです」

    「まだあるんですか!?」

    「一度、工房まで戻りましょうか」

     

    続きは、ご自宅の隣に建てられた工房で聞かせてもらいます。

     

    藍色は発酵から生まれる

    「さっきの『すくも』から作った、生地を染めるための液体がこちらです」

     

    「吸い込まれるような濃い青……もうほぼ黒に近いですね」

    「これを作るにはまず『木灰汁』と呼ばれるものを作ります、木灰と熱湯を加えて、かき混ぜる。それから1日置くと、こんなヌルヌルのアルカリ溶液が取れるんですよ。そこからすくもなどを混ぜた液の仕込みをしていきます。」

    「アルカリって、酸性/アルカリ性の?」

    「そうです。ここにさらに材料をくわえながら、一番綺麗に色が出るようアルカリの数値を調整していきます」

     

    木の灰や貝灰、石灰などの材料を加えて、数値を調整していくそう

     

    「なんだか難しくなってきた。アルカリ値が変わるとどうなるんですか?」

    「いい質問ですね。まず知っていて欲しいのが、綺麗な藍色を出してくれるのは、この液体にいる菌の働きなんです。その菌はph11.5くらいの数値で一番よく働く。だから、アルカリの数値が変わると『色が出なくなる』んですね」

    「菌!?  発酵とか菌の働きとか、なんだか味噌や日本酒みたいですね」

    「まさにそう!  僕らは菌の働きのために、環境を整えてあげてるに過ぎない。その環境が続くよう、管理してあげるんです」

    「管理というと?」

    「菌が働き続けられるように、アルカリの調整をすることと、あとは栄養となる糖を入れます。僕は『ふすま』という小麦の皮を入れるんですが、人によって色んなものを試すんです。例えば日本酒とか」

     

    加える材料や、発酵の期間を変えた藍染の記録。ノート数冊分の研究を経て、今の仕事にたどり着いている

     

    「日本酒を!」

    「僕もいろいろ試しました。小麦粉を入れたり、全粒粉を入れたり、日本酒、焼酎、バナナ、後はビールを入れたことも」

    「お酒好きなので、ビールなんてもったいないと思っちゃいました。糖ならなんでもいいんですか?」

    「はい。発酵の液体づくりって、全部ロジックで成り立っているんです。この論理に従いながら、2年間かけて実験を重ねて、納得のできる4種類のレシピができました」

     

    工房内には、液体の入った槽が4つ。それぞれ染まる色の濃さが違うのだという

     

    「説明ばかりでも難しいでしょうから、一度実際に染めてみますか?」

    「いいんですか!ぜひ!」

     

    藍染を体験!

    手ぬぐいの藍染を体験。まずは絞るように布を持ち、ゆっくりと液体に沈めていきます。

     

    槽の中で、布を絞るようにして液を揉み込んでいきます。このとき思っていた以上に液体がヌルヌルで「ウワッ……」と声が出てしまいました。

     

    十分に揉み込んだら、液体のなかで布を広げます。カメラ目線なのは気にしないでください。

     

    ゆっくりと液体から引き上げ、布を絞る………あれ?

     

    「なんだか黄色っぽくなって出てきました! 何か間違えたんでしょうか?」

    「ああ、実は液体そのものは黄色なんですよ。空気に触れることで、綺麗な藍色に変化するんです」

    「そうだったんだ……!」

     

    布をよく絞り、広げて待つうちに色が濃くなってきました。液を揉み込み、絞り、また液を揉み込むという作業を数回繰り返します。

     

    乾燥させている間に、もう少しお話を聞いていきましょう。

     

    「はじめて体験したんですが、一度浸すだけでもかなり濃い色に染まっていて驚きました」

    「そうでしょう。よくデニムなどでみられる合成藍は色素が小さく繊維の中に入っていく。でも藍染は、毛羽立った繊維1本ずつに色を着せていくようなもの。だから色も綺麗だし、何度も染めればその分繊維が太くなって、生地も丈夫になっていくんですよ」

    「繊維が太くなる! そういえば取材に来る前に、藍色は『洗えば洗うほど、色が綺麗になる』とも聞きました。これって本当なんですか?」

    本当ですよ。化学染料との一番の違いは、そこだと思いますね」

    「そんなの夢の生地じゃないですか。僕もよく好きな服が洗ったら色落ちしてガッカリしてたんですけど、藍色はなぜ洗うほど綺麗な色に?」

     

    「さっき話したように、藍染の色は繊維に強く染まり付きます。ただ、染める時に茶色のアクのようなものも一緒に付着してしまうんです。そのアクは日光に当たると、色を白く飛ばす原因になります」

    「んんん、では日に当てちゃダメなんですか?」

    「いいえ。そこで『洗う』ことが大事なんです。アクは洗えば洗うほど落ちて、強く乗った藍色だけが布に残ります。着るたびに洗うくらいの方が、藍染を一番美しく着る方法なんですよ

     

    「なるほど、洗うたびに藍色が完成していくみたいなことですね。でも丈夫な上に洗っても美しいなんて、もう他の染料は目じゃないのでは?」

    「いえいえ、染料にもそれぞれの良さがあります。藍だってインディゴ色を出す染料の1つに過ぎない。デニムなどは化学染料を使いますが、その色落ちを見守るのも楽しいですから」

    「(渡邉さん、他の文化もリスペクトする良い人だ……)」

     

    藍染ブランド「Watanabe’s」の復活とこれから

    「藍染にこれだけの作業が必要だったとは……。でも、この環境をイチから整えるのは大変だったのでは?」

    「もう本当に。何くそ、でしたよ。元々使っていた徳島の畑は『BUAISOU』のものなので使えなかった。新しい農地も必要だし、設備もまた1から集めないといけないが莫大なお金がかかる。苦虫を噛み潰して、傷に塩塗ってやってきた2年間でした

    「理想を追求するためとはいえ、大変ですよね。しかし、どうやって再始動できたんですか?」

    「それは人の縁のおかげです。昔に藍作りを教わった農家さんや師匠、同じ町で暮らすみんな、前のブランドの顧客の方も助けてくれました」

     

    みんな『もう1回やってくれ』と言ってくれたんです。『必要なものは探してくるから』と。資金は地方銀行の方に融資してもらえて、農家さんが農地探しを手助けしてくれた。本当に嬉しかったです。自分が目指した方向は、間違いじゃなかったんだって」

    「みんな、渡邉さん個人を応援してくれていたんですね」

    「はい。それからは苦虫の噛み潰し方が変わった。自分の復帰より、『この人たちのために良いものを』と思えるようになりました」

     

    1人で始めた新ブランドだったが、今はスタッフも増えた

    「やっぱり、調子に乗る時期ってあるじゃないですか。評価に踊らされてしまって。その評価を手放してゼロから始めた選択も、今なら間違ってないと思えます。じゃないと見えないことがあった」

    「お話を聞いてストイックな印象を受けてたんですが、渡邉さんでも調子に乗ったりしたんですね」

    「そりゃあありました。でも今は違います。2年間しっかり準備をして、ようやく土台が固まった。藍栽培のための堆肥も農家さんの協力で完成した。藍染の研究も進んだ。あとは、より多くの人に『藍染』の魅力を広めていくステップです」

    「着実に前に進んでいますね。渡邉さんのこれからの目標を教えてもらえますか?」

     

    「今の藍は、伝統工芸や高級品の文脈で語られていると感じます。美術作品として展示されるだけのものが取り上げられたりする。僕は藍色を、もっと一般的な暮らしの色にしたいんです

    「伝統工芸としての扱いはよくないと?」

    「藍は『洗えば洗うほど美しくなる色』です。美術品になってしまうと、洗えない。ちゃんと人が着て、洗わないと藍色の美しさは残らないんです

    「なるほど、美しくあるためにも、気兼ねなく使える日用品であるべきだと」

    「あとは、ロマンもありますけどね。自分が死んで『これは誰が染めたんだ?』と言われるくらい遠い時代になっても、洗って使われ続ければ色が残る。そうなれば、自分も藍色も報われると思うんです」

    「『作者が死んでなお残る色』とは、とても長い時間軸の物語ですね。下の世代にも受け継がれていくと良いな……」

    「藍染を受け継いでいくのも、僕は技術じゃなく『思い』が受け継がれれば良いと思っています。美しい藍色を暮らしに広めるという思いが伝われば、それを目指す下の世代にも自然と技術が受け継がれていくはずなので」

     

    まとめ

    「使って洗うほど、美しい色が残る」という藍色の魅力に惹かれた渡邉さん。

    「藍を一般的な暮らしの色にする」。そんな目標のため、当時の評価を投げうってまで再スタートを切った彼でしたが、周りの手助けもあり、今は徳島でともに藍作りに励む仲間も増えました。

     

    伝統工芸ではなく、生活の道具として藍染を残す。その姿勢には、僕たちが「本当に美しいと思うもの」を残していくための、ヒントが隠されているように感じました。

     

    周りの評価に流されず、必要な準備をして、後世に残る価値を作る。藍染だけに留まらない、現代に生きる職人としての心構えが、渡邉さんの心にはしっかりと染み付いていました。

     

    撮影:佐伯慎亮

    イーアイデム

    この記事を書いた人

    乾隼人
    乾隼人

    1993年生まれ。兵庫県宝塚市出身。関西の出版社で、酒場とかイベント会場をかけずり回ってました→上京しました。飲食店のメニューばかり取り上げるInstagramをやっています。

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