仕事の意味を問い直す。冬木糸一さんが選ぶ、これからの仕事を考えるためのSF

冬木糸一さん記事トップ写真

ここ数年、コロナ禍により社会や仕事のあり方は大きく変化してきました。在宅勤務やリモートワークなどの勤務形態の変化はもちろん、アフターコロナを見越した転職や働き方の転換なども活発に行われています。そんな中、これからの仕事のあり方がどのように変化していくのか、関心を持っている人も少なくないのではないでしょうか。

そこで今回は、書評家の冬木糸一さんに、これからの仕事のあり方を捉え直すためのSF作品を4冊ご紹介いただきました。SFの世界では、人間が従来のように働かなくてもよくなった世界がこれまで多数描かれてきました。家にいる時間が長くなるなか、じっくり「本」を読む機会が増えた方もいると思いますが、SFを通して未来の仕事に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
***

コロナ禍に突入し、はや3年。多くの企業でリモートワークがはじまったほか、生産年齢人口の減少など多くの社会的要因も加わって、週休3日制の導入など日本社会の働き方にも変化が起こってきた。AIの発展著しい昨今、タスクの多くが人間以外のものに置き換わっていくことを考えれば、こうした変化は今後より大きくなっていくだろう。

今回は、そうした未来に起こり得る仕事の変化を、SF(サイエンス・フィクション。科学的空想が投入されたジャンルのこと)作品を通して考えてみたい。SFの世界では、人間の事実上の不死が実現した世界も、ロボット/AIが発展して人間が仕事をせずによくなった世界も、一種のマインドアップロードが実現した世界も描かれてきた。今回は新作から古いものまで、4作品(一部ノンフィクション作品を含む)を紹介しよう。

《仕事》なき世界で仕事の意味をあらためて問う『タイタン』

『タイタン』書影
『タイタン』(野崎まど)講談社

最初に紹介したいのは、超高性能AIである《タイタン》によってほぼ全ての仕事が代替されてしまった世界で、あらためて仕事の意味を問い直す、まさに今回のテーマのために書かれたような長篇、野崎まど『タイタン』だ。

舞台は2205年。社会は《タイタン》と呼ばれる統合処理AIが管理している。彼らが、掃除も、建築も、輸送も、全てを効率的に行うので、「人が働かない方が食べていける」社会が実現している。かつて仕事であったものは今ではもはやする必要がないので「趣味」として行われ、芸術や創作も自己満足の世界だ。

だが、そんなある日、発達心理の論文を発表している趣味的な研究者の内匠成果(ないしょう・せいか)のもとに絶滅しかかっているはずの「仕事」の依頼が舞い込むことになる。実は《タイタン》は一般的な意味での人工知能ではなく、人間の脳を模して巨大化させ、その中を通る電気信号の速度を加速させたロボットと生物の中間の構造を持った存在なのだ。それ故、タイタンは人間的な性質を持っており、世界に12基あるタイタンのひとつのパフォーマンスが低下、人間でいうところの「うつ病」状態に陥ったのではないかという。内匠成果への依頼は、タイタンへの「カウンセリング」だったのだ。

人類の《仕事》を肩代わりした超高性能AIは、何らかの理由で病んだことは間違いないが、それはなぜなのか? タイタンは本来、人間的な人格を有していないが、それを擬似的に再現するシステムによって内匠は対話を開始する。例えば、仕事とは結局のところ何なのか。生きることは仕事なのか。芸術は仕事なのか。その成果が他人に影響しない作業は仕事といえるのか。

こうした数々の仕事についての問いかけを重ねていくうちに、人間とタイタンだけに適用される《仕事》の定義へ至り、それがそのまま、タイタンが仕事の最中に病んでしまった原因へと鮮やかに直結していく。人間にとって仕事とは何なのか。本作が出す答えは、仕事がなくなった世界においても変わることがないものだ。

▲目次に戻る

不死が実現した世界での幸せとは?『マジック・キングダムで落ちぶれて』

『マジック・キングダムで落ちぶれて』書影
『マジック・キングダムで落ちぶれて』(コリィ・ドクトロウ作/川副智子訳)早川書房

続けて紹介したいのは、2005年に日本で刊行された(原書:2003年)コリイ・ドクトロウ『マジック・キングダムで落ちぶれて』だ。物語の舞台は、人類が不老不死を達成し、技術の発展によって誰も働かずとも生活ができるようになった未来。

この世界での不老不死の実現方法は、定期的に自分の記憶・意識のバックアップをとり、本体が亡くなったとき(あるいは若返りたい時)に新しい身体を培養して移し替える方式。語り手であるジュールズは一世紀以上生きている。

無限のエネルギー源である〈フリーエネルギー〉を獲得した人類は、金を稼ぐ必要も仕事をする必要もない。そのため、彼は交響曲を3曲完成させ、数本の博士論文を書くなどして過ごしてきたが、あるとき幼少から憧れていたディズニー・ワールドへの永住を実行に移す。不老不死が実現した社会だが、ほとんどの物語がこのディズニー・ワールドを舞台に進行するのが本作の特徴的な点だ。

この世界では、貨幣をもちいるかわりに、人々は〈ウッフィー〉と呼ばれる他者の評価によって変動する仮想通貨によって値踏みされる。評判=自分の価値なので、みな自分の評価を高めるために、人のためになることをする。ディズニー・ワールドの一部の運営権なども〈ウッフィー〉で譲渡されるようになっているため、ジュールズは運営を続けるためにも〈ウッフィー〉の獲得に奔走する。〈ウッフィー〉欲しさに、組織の機密情報をウェブ上にアップロードしようとする、現代でいうところのバカッター案件のような事例がすでに描かれているのもおもしろいポイントだ。

物語は最終的に、アトラクションの一つであるホーンテッド・マンションの運営権をめぐり、〈ウッフィー〉の奪い合いともいえる醜い暗殺事件に発展していくが、その過程で、無限の時間があるとき、人は何をして過ごすべきなのかという問いも放たれていく。ジュールズやその恋人はディズニーワールドの運営を続けることに満足そうだが、友人の中には、終わりなき生に飽き、自分自身で最後の日を決める、と覚悟を決めた人物もいる。人生には無限に生きてまでやるべきことなどあるのだろうか。ディズニーで暮らし続ければ、それでハッピーか。

本書を読めば、そうした数々の疑問について考えずにはいられない。現在は残念ながら絶版になっているが、図書館などには蔵書されていることも多いため、是非探してみてほしい。

▲目次に戻る

労働ロボットを共有するようになった世界『創られた心 AIロボットSF傑作選』

『創られた心 AIロボットSF傑作選』書影
『創られた心 AIロボットSF傑作選』(ジョナサン・ストラーン編/佐田千織ほか訳)東京創元社

次に紹介したいのは、近刊であるジョナサン・ストラーン編『創られた心 AIロボットSF傑作選』だ。AI・ロボットをテーマとしたSFの傑作アンソロジーであり、当然ながらその中には未来の労働を描いた短篇も存在する。例えば、スザンヌ・パーマーによる「赤字の明暗法」はそんな一篇だ。

この世界では、労働のほとんどは完全に自動化されている。では、人はどのように日々の糧を得ているのか? といえば、必要最低限の分はベーシック・インカムによって賄われている。では、それ以上の生活がしたかったら? といえば、産業用のロボットの株主になることによって、その配当が分け与えられることになっている。

一般的にはそうした労働ロボットは複数人で共同所有し、コスト(リスク)と利益を分配するのだが、主人公のスチュワートの場合は、そうした理屈を分かっていない両親がオンボロロボットを購入し、二十歳の誕生日に彼にプレゼントしてくれる。ロボットは日がたつにつれて生産効率が落ち、今のままでは元の費用を回収することさえ困難だ。そのため彼はたった一人のオーナーとして自分の手でロボットの修理を試み、その過程で、みなが下にみて対等に付き合うことがないロボットとの交友を深めていくことになる。

この世界ではベーシック・インカムで最低限の生活が保証されているとはいえ、金持ちはこの仕組みと旧来通りの資産運用で儲けるので、結局のところ階層は固定されたままだ。スチュワートは美術館で働きたくとも、今ではその全てがロボットガイドに取って代わられているため仕事に就くことができないなど、現代の社会ですでに起こっているともいえる描写も物語の中に詰め込まれている。

将来的に労働ロボットの共同所有はそのままの形では実現はしないだろうが、形を変え(ビル・ゲイツが提唱するような、ロボット税が導入され、それが所得の再分配に回される形など)実現することはありえるだろう。

▲目次に戻る

AIによるAIのための仕事『全脳エミュレーションの時代』

『全脳エミュレーションの時代』書影
『全脳エミュレーションの時代』(ロビン・ハンソン作/小坂恵理訳)NTT出版

最後に、経済学者・人工知能研究者が書いたノンフィクションであるロビン・ハンソン『全脳エミュレーションの時代』を取り上げよう。全脳エミュレーションとは、人間の脳をスキャンしてからその特徴をコピーし、コンピュータ・モデルとして再構築した存在のことを指しており、それが当たり前のものとなった社会で、社会に何が起こり得るのかを経済、労働、文化など多様な観点から考察していく。

普通、そんな状態になったら働かなくてよさそうなものである。何しろエムには身体がないから食べる必要もないし、住む場所も仮想世界上になるのだから。しかし、著者によればそうそう簡単な話ではないという。エムを運用するためのコンピュータ・ハードウェア、エネルギー、冷却装置、それらを置く不動産、通信回線といったサポートにかかる費用は払わなければならないのだから、その費用分は工面する必要がある。本書では、そうしたコストがいくらになりえるのか(例えば、エムの主観速度を上げるためにはニューロンの発火をより多く演算しなければいけないので維持コストも高くなる)、それを賄うためにどれだけの労働が必要とされるのかを細かく描写しているのである。

例えば、著者はエムたちの労働賃金はエムを動かすためのハードウェアの総費用の水準ぎりぎり、最低生活レベルに落ち着く可能性があると指摘する。通常、製品の需要が拡大すれば、業界で規模の経済が働き価格は低下する。ここで重要なのは、エムは手軽にコピーの作成が可能な点だ。そのため、少なくともふたりの競合するエムが存在すれば、競うように自分のコピーを作成することで賃金が低下する。現実の人間がもつ特殊なスキルの賃金プレミアムも消滅し、結局エムたちはみな最低生存費水準に近い賃金で生きていくことを強いられるのだという。

本書では、さらに短期的に仕事を行い、作業が終わると削除される「スパー」と呼ばれるエムのコピーも登場する。スパーを用いれば、無駄なハードウェアの費用を当てる必要もなく、効率化になるだろう──と本作ではほとんどSFと変わらない、エムが存在する社会への考察が繰り広げられている。正直、全脳エミュレーションの時代になってまで競争のことを考えたくないのでそんな未来は御免こうむるのだが、未来の可能性のひとつとしてはおもしろい。

▲目次に戻る

おわりに

現代日本で生き、日々労働をする身としては自分の周りの労働への価値観と状態が当たりまえで、そうそう変わらないもののように感じてしまうが(例えば、生きていくためには働かねばならないなど)、こうしたSFを読んでいると、労働についての価値観、考え方が大きく拡張されていくと同時に、はたしてこの先仕事をする必要がなくなったとしたら、どのように日々を過ごせばいいのだろうか、という問いかけも湧いてくる。

本を読んでゲームをしてだけ生きていければそれで幸せだ、と思う一方で、仕事もせずそれだけをして、長い人生に飽きずに耐えきれるだろうか、とも思う。本稿では紹介していないが、アーサー・C・クラーク『都市と星』など、長き生のはてに停滞に陥る人類を描き出す作品も数多い。結局、その時になってみないと分からないことばかりだが、SFを読みながらそうして未来の自分と仕事について思いを馳せるのも悪くない。

近年はSFだけでなく、AIに仕事が奪われた先の未来の社会設計・労働設計を考えるダニエル・サスキンド『WORLD WITHOUT WORK』、給料の多寡の決定要因について語ったジェイク・ローゼンフェルド『給料はあなたの価値なのか』など、ノンフィクションでも、未来の仕事の在り方について論じた本が数多く刊行されている。

「未来の仕事と、余暇の過ごし方」について考える時期がついにきているのだろう。SFは、そのための一助となってくれるはずだ。

編集:はてな編集部

新しい本・マンガをもっと読みたくなったら

谷澤茜さんおすすめの海外文学
今の時代に読みたい海外文学5冊
木村綾子さん
「人見知り」なあなたの視野を、一歩広げる作品たち
自分を変えるのではなく肯定してくれる読書のあり方
phaさんの「ゆっくり効く読書」のすすめ

著者:冬木糸一

冬木糸一

SFマガジンでSFの、家電批評でSFとノンフィクションについての連載をしています。 honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。

Twitter:@huyukiitoichi ブログ:基本読書

りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

「無理しない働き方」を選んだ自分への後ろめたさ、を受け入れられるまで

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

かつては「もっと働きたい」と思っていたはずなのに、“無理のない働き方”を続けている。私、このままでいいのかな……?

今回寄稿いただいたコルさんは、そんなモヤモヤを長年抱えてきたそうです。ステップアップのために選んだ転職先で、思いがけずマイペースに働ける環境を手に入れたことから「楽な働き方」に流されてしまった、と振り返るコルさん。

出産・育児や体調不良などで時短勤務を選んでからも、頑張り過ぎない働き方を選んだ自分への後ろめたさは消えず、むしろ「育児や体調を言い訳にしてしまっているのでは」とさらに自分を責めてしまったそう。

たくさん考えた末、40歳を過ぎた今では「それでも、私にはこの働き方があっているはず」と思えるようになったと語るコルさんに、自分の働き方を受け入れられるまでの経緯を振り返っていただきました。


40代、2人の未就学児がいるコルと申します。2度の転職を経て、現在は都内にある社員10人ほどの小さな会社でマイペースに“ひとり事務”をしています。

会社の所定労働時間は8時間ですが、育児や体調面から6時間の時短勤務を選択しています。今では(まだ少しモヤモヤを感じつつも)「自分には無理のない働き方があっている」と思えるようになった私ですが、ここに至るまで「頑張らなかった自分」に対して、たくさんの後ろめたさを感じてきました

§ § §

働き始めた20代の頃は「しっかりとやりがいのある仕事をこなしたい」「もっと働きたい」という気持ちを抱いていた私。

今の会社も“次へのステップアップのため”に転職したつもりが、気づけばもう10年以上在籍しています。

それまでは長時間労働が常態化していた会社で働いていたので、そんなに忙しくなく、働きやすく、給料も悪くない「楽な環境」に身を置いたことでいつの間にか向上心が小さくなり、そのうち育児や体調不良で思うように働けなくなり……。

そうして芽生えたのは「あのときもっと頑張っていれば」という、ステップアップの気持ちがしぼんでしまった過去の自分への後悔でした。

「もっと働きたい!」という気持ちから地元を離れ、首都圏で転職

私は大学を卒業後、地元大阪の証券会社に就職。職種は「営業」で、飛び込み営業から始めました。

当時から性格的には事務の方が向いてると思っていたのですが、「これから厳しい社会を乗り越えていかなくちゃいけないんだから」と、“あえて”の選択でした。仕事に対するやる気に満ちていて「向いてなさそうな営業も経験して根性をつけるべし!」と考えたのです。

数年後、業務内容が変わったことであまり仕事にやりがいを感じにくくなったこと、漠然と「もっと働きたい!」という気持ちを抱いていたことから、転職を考え始めます。

一度は東京で働いてみたかったこともあり、思い切って東京の銀行をターゲットに転職活動を開始。最終的には東京ではなかったものの首都圏内の銀行で法人渉外(営業)として採用が決まりました。


後に先輩から「最初は大阪弁丸出しでどうしようかと思った(笑)」と笑い話をされるほど職場にも言葉にも慣れ、やりがいをもって働いていたのですが、30歳を前にして「この仕事ってずっと続けられるんだろうか」と考えるようになりました

朝早くから夜遅くまでの勤務が常態化していましたし、「結婚や出産を経て働く女性」のロールモデルもいない。

ちょうどこの頃、当時付き合っていた人と結婚を考えており、いつかは子どもが欲しい、でも仕事は辞めずに続けたいと思っていたことから「このままここで働き続けるのは難しい」と判断し、再び転職活動をすることに。

2度めの転職は「ステップアップ」のつもりだったけど……

そうして、女性が結婚・出産しても長く続けられそうな印象があり、自分の性格的にも向いていると感じていた事務職を改めて目指そうと簿記の資格を取得しました。ただ、私が希望した経理職は未経験の求人が少なく、大手の企業ともなるとさらに難しい状況。

そんな中、当時ベンチャー企業としてグンと業績を伸ばしており、人手不足のため経験問わず採用を拡大していた現在の会社を見つけました。希望していた大手ではないですがとりあえずここで少し働いて、「経験者」としてもっと大きい会社にステップアップしよう、と考えたのです。

そうして働き出した現在の会社は、これまでのハードワークが嘘だったかのようにとても働きやすい環境でした。しかも業績が絶好調だったおかげで年齢や職種から考えると給料も良い。

時間に余裕ができたため、次へのステップアップに向け税理士試験の勉強を始めることもできる。やっぱり結婚はまだいいや! と思うほど、仕事へのやる気に満ちあふれていました(そして当時付き合っていた人とは結局別れることに)。

しかし、しばらくたった頃会社の事務スタッフが私ひとりになり、その頃から徐々に働くことへの意欲が変化していきました。

どの仕事も周囲を気にすることなくマイペースでこなせる“ひとり事務員”を続けるうち、若い頃から抱いてきた「もっと働きたい」という気持ちが少しずつ小さくなっていったのです。

やる気に満ちあふれていた頃に受けた税理士試験は、結局不合格のまま。転職するにしても前職のような多忙かつ常に勉強が必要な仕事はもうしんどい。

余裕のある環境に身を置いたことで何もかもをそのうち、そのうちと先延ばし。頭の中では「いつか本気出す!」と考えながら“気楽な働き方”を続けていました。

出産や体調不良を経て「自分の働き方」に焦燥感を感じるように

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

そのうち35歳で結婚し、37歳で第1子、40歳で第2子を出産しました。

第1子出産後に育休から復帰する際、私は「まだ子どもが小さいうちは」と当然のように時短勤務を選択。2人目も欲しかったので、第1子の時短が終了を迎える前に再び産休・育休に入り、第2子出産後も時短勤務で復職しました。

小さい子どもの世話には手が掛かるし、何より第2子出産後しばらくしてからめまいや頭痛、異常な疲労感など原因不明の体調不良に悩まされるようになったことで「働くことへの意欲」はますます小さくなっていました

どの医療機関にかかっても体調不良の原因は分からないまま少しずつ症状がやわらいでいき、次第に体調以外のことを考える余裕も出てきたとき、ようやく「働き方への焦燥感」を感じるようになったのです。

自分は当たり前のように「育児をするなら時短勤務」と考えていたけど、周囲は意外なほど多く「フルタイム」を選択していること。

転職当時にはグングン伸びていた会社は勢いを失い人も業績も業務量も激減し、若い頃はそこそこと思っていた給料も時短で大幅減。小規模な会社なので福利厚生も十分ではないこと。

それらに「あれ、私このままの働き方でいいんだっけ……?」とモヤモヤを感じても、20代の頃のように「じゃあ転職しよう!」とはいかない状況に、気楽な働き方を選んだ過去の自分を責めるようになりました。

隣の芝生の青さに「四十にして惑いまくり」

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

今年5歳の長男

20代の頃は「もっと働きたい」と考えていたはずが、気づけばキャリアとは無縁の一介の事務員。

周りを見回すと、リアルにもネットにも「やりがいのある仕事に就いています!」「仕事も育児も頑張ってます!」と輝いて見える人たちの姿。

「四十にして惑わず」という孔子の言葉がありますが、私は「四十にして惑いまくり」でした。

40歳を過ぎると人生の後半が見えてくる。今のままだとこのまま何となく働いて一生を終えることになってしまうが、それでいいのだろうか


悩んだ私は、改めて「自分の働き方」と向き合い、自問自答してみることにしました。

【自問自答その1:今から働き方の方向転換ができるのか?】

思っているような仕事に就けるか以前に、以前と比べよくなったものの体調もまだ万全ではなく、残業もいとわず長時間働くスタイルは難しそう

忙しいときは夜中や早朝に仕事をすることもあるフルタイムの夫を見ていると、あの働き方は今の私にはできそうにないなと感じます。そもそももし夫婦ともそういった働き方になったとしたら生活を回していくのがかなり困難になってしまいます。

【自問自答その2:そもそもなぜ「もっと働いた方がいいのでは」と迷うのか】

根本的ではありますが「このままの働き方でいいのか」と焦る気持ちがどこからやってくるのかも考えてみました。

単純だけど意外と大きいのは「もっと働いたら、もっと給料がよくなる」から。

子どもが大きくなってきて、かけようと思えばいくらでもかけられる教育費の青天井さに「もう少しお金があればなあ……」と考えることが増えてきたのです。しかしこれはないものねだり。

内面的なことも掘り下げてみて浮かんだのは、

・若い頃目指していた働き方を実現できていないから
・自己研鑽を続けて努力している周囲の人がかっこよく見えるから

のふたつ。

改めて自分とちゃんと向き合ってみて、若い頃の気持ちにしがみついたり、努力して頑張っている人たちに憧れの気持ちを抱いたりするのは、「私もまだ何とかなるかも」と考えることで、“頑張らない働き方”を選んだ過去の自分から目を背けていたんだな、と気付きました。

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

今年2歳の長女

何度も何周も考えて「今の働き方」を受け入れられるようになった

何度も自問自答を繰り返しているうちに、体調面でも気持ちの面でも「今から働くスタイルを変えるのは、私にとっては難しい」という方向性が見えてきました。

「努力すべきタイミングでしなかった過去の自分」を責めたり、後ろめたさを感じたりするのはつらかった……ですが、悔いても時は戻りません。「あの時、“楽”に流されなければ……」と何度も思ううちに、そう思っても今更何も変えられないんだから仕方ないと感じるようになってきました。

結局のところ、私にとっては「バリバリ働くこと」より「無理なく働くこと」の方が性に合っていたのだと思います。

幸い夫を含め、私がこのような働き方を選んでいることを批判する人は周囲にはいません。

となると本当に自分自身の気持ち次第。やっぱり……と気持ちがぶり返すこともないわけではないですが、囚われそうになった時は「あれだけ考えたんだから」と執着心を手放すようにしています

「過去に執着しても仕方ない、過去は変えられない」なんて言葉は、人から言われてもすぐに納得できないと思います。「そんなことは分かってる!でも……!」と返したくなりますよね。

私が「無理のない働き方を選ぶ自分」に納得できるようになったのは、何度も悩んで、自問自答して、何周も考えてたどり着いたからこそだと思います。

自分と向き合うというのは時間がかかるし、しんどいものですが、だからこそ深刻な悩みほど焦らずじっくりと考えてみる方がいいのかもしれません。

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

迷ったらまた考えて、都度“納得”すればいい

もう仕事にやりがいを求めることはないのかと思うと老後のような気になることもあるのですが、そんなとき思い出すのが近所のおばあさんの存在です。

いつも話しかけてくれる同じマンションのおばあさんは、コーラスとピアノとヨガを習いつつ老人会の役員をして、隣駅まで往復徒歩で買い物へ行き、孫の世話までして……とめちゃくちゃ元気なんです!

彼女を見ていると「仕事をしていないからといって気持ちや体が老け込むわけではない」と励まされます。

今は働き方も多種多様だし、仕事以外で自己実現や自分の好きなことに注力する人もたくさんいます。

そこまで積極的にならずとも、例えば新緑や庭の花の美しさに心惹かれるような日々だっていいと思うのです。

そして、今は現状で納得していても、これからまた迷うことはたくさんでてくるでしょう。その時はまたその時。その都度考えて納得いく人生を送っていければなと思います。

編集:はてな編集部

関連記事:「このままの働き方でいいのかな」と悩んだら

現状維持って、充分すごくない? 30歳を過ぎて少しだけ手放せた「成長を続けなきゃ」の焦り
「成長を続けなきゃ」の焦りを手放す大事さ
「頑張れない私」を見限らない。デンマークで学んだ「キャリアの停滞感」との向き合い方
デンマークで学んだ「キャリアの停滞感」との向き合い方
「もっと働きたい」気持ちにどう向き合う? 『しあわせは食べて寝て待て』水凪トリさんに聞く「体」と「仕事」のバランス
「もっと働きたい」気持ちにどう向き合う?

著者:コル

コル

都内のWebコンテンツ運営会社に事務職として勤め、総務・経理などの事務全般を1人で担う。長男(5)、長女(2)を育てながら時短勤務中。

ブログ:大阪人の東京子育て

最新記事のお知らせやキャンペーン情報を配信中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

今日、何作ろう? と悩むあなたへ。今井真実さんの“普段の買い出し・夕食作り”が参考になりそう

ある日の献立

仕事や家事育児で毎日バタバタ……。そんなときに頭を悩ませる「毎日の献立」問題。お惣菜や外食、ミールキットなどを活用するのももちろん一つの解決方法ではありますが、「自炊」が今夜の選択肢になることも多いはず。

でも、忙しい中で献立を考え、食材を準備するのもなかなか大変なもの。そんなときには「これさえ買っておけば、どうにでもなる」ものを知っていると気持ちが楽になるかもしれません。

そこで今回は、シンプルな材料・調理工程かつおいしさもバッチリなレシピで話題を集める料理家・今井真実さんに日頃買い出しをするときに必ず購入する食材リスト、またそれらを活用したある日の献立を作り方と合わせて教えていただきました。今井さんが提案するレシピはフライパン一つであっという間に完成。アレンジも効きやすく、忙しくてもう脳が思考停止状態……というときでも、ひとまず手を動かしたら作れるはずです。


皆さん、こんにちは。料理家の今井真実と申します。

新年度が始まり約1ヶ月。新生活を迎えた方も、そろそろ慣れてきたという時期かもしれません。

我が家も下の子が小学校に入学して毎日の送迎から解放されましたが、まさかこんなにラクになるとは!

しかし、まだまだ習い事の送り迎え、自分の仕事など、相変わらずバタバタしています。

毎日夕方16時くらいになると、

「お風呂…」「ご飯…」「宿題…」「寝かしつけ…」

と近い未来にやらなくてはいけない事を考えて、疲れがどっと襲ってきます。

もう夜の献立なんて考えたくない!洗い物も極力少なく!

そう思う人も少なくないのではないでしょうか。

今回は、そんな疲れていて献立を考えるのも面倒! と感じた時に活躍する、私の夜ご飯の作り方をご紹介したいと思います。おかず2品と汁物が、15分で出来上がりますよ。


これは絶対買う! 今井家の買い物リスト&買い足し食材

献立を考える前に、そもそも買い出しで「悩む」ことはありませんか? まとめ買いする人もいればほぼ毎日買い物をする方など、買い方は人それぞれかと思いますが、疲れていると、何を「買う」かを考えることすら面倒に感じてしまうことも……。

そんなときは「これだけは買っておく」ものを決めてあるだけでも、かなり気持ちが楽になると思います。

私が食材を買うとき、必ず購入する食材はこちら。

必ずいつも買い物するもの(ないと困るもの)
  • 牛乳
  • お豆腐(絹、気分で木綿)★
  • アボカド
  • 納豆
  • 長ネギ ★
  • 青ネギ ★
  • 豚肉 切り落とし ★
  • 海藻(わかめ、もずくなど)★
  • 豆苗
  • キノコ類(えのきやしめじ、マッシュルーム、キクラゲなどその日の気分で)★
  • 季節のお買い得野菜
 ★マークがついている食材は、このあとの献立紹介で使う食材です!

何はなくとも必ず買うお肉は、豚肉の切り落とし、豚こま肉などです。

何が良いって、切る手間がありません。すぐにいろんな用途に使えます。フードプロセッサーにかければひき肉にもなります。余っても冷凍しておけばいつでも助かります。

そして、お野菜は火の通りやすいものや、皮むきの手間が少ないなど下処理が楽なものを選ぶようにしています。

おねぎ類は長ねぎ、青ねぎ2種類を必ず買います。お出汁にもなり、具材にもなり、少し入れるだけで風味もUPします。きのこ類も同じ理由で欠かさず購入しています。

もし冷蔵庫が空っぽの状態で買い出しをしたときに「何を買うか」すら考えるのも億劫! と感じたときは、まずはこれらの食材だけでもそろえるようにしてみるといいかもしれません。


次は、なくなったら買うようにしている食材たちです。上記よりは優先度が下がりますが、いずれも使い勝手がいいもののため、常備してあると安心な食材たちです。

なくなったら買うもの
  • きゃべつ
  • にんじん
  • たまねぎ
  • じゃがいも
  • レタス
  • ピザ用チーズ
  • キムチ
  • 塩鮭
  • しらす
  • ツナ、鯖水煮缶
  • トマト
  • おうどん、おそうめん、パスタなどの乾麺
  • トマトピューレ
  • 豆類(乾物)
  • ヨーグルト
  • ハーブ類 (その時による)
  • スパイス類(その時による)

キャベツ、レタスはちぎればすぐに使えるのでとても便利。一玉で買い、葉を剥がしながら使うと長持ちしますよ。

その場で買うか決めるもの
  • 旬の野菜
  • お刺身類
  • たらこか明太子
  • 特売のお肉

最初から「買う!」と決めるもの以外には、その場で買うか決める食材もあります。特にお刺身類などがお安くなっていたり、新鮮な旬の野菜が売っていたりしたら、手に取ることが多いです。

おかず2品と汁物を一気に作る! 今井家・ある日の献立


ここからは、わが家のある日の夕食を例に、食材をどう組み合わせて調理をしているのかを実際に紹介します。

この日の献立はこちら。

  • 茹で肉と野菜(メイン)
  • キクラゲのおひたし(副菜)
  • 豆腐とわかめの味噌汁(汁物)

豚こま肉と、お出汁にも具材にもなる長ねぎ、そして、火の通りやすいもやしが冷蔵庫にあったので、これらをメインの一皿にして、ご飯を作っていきます。

なんと、フライパン一つでメインだけでなく副菜、汁物も完成する献立です。

工程は

1. 野菜やきのこを茹でる
2. お肉を茹でる
3. 茹で汁でお味噌汁を作る


の順で作っていくだけ。茹で汁を活用していくことでメイン、副菜、汁物ができあがっていきます。

お味噌汁もお出汁を取らずに作ります。きのこやおネギ、お肉、ワカメを使うため、十分旨みがたっぷり! お鍋の後のお汁が美味しいのと同じです。


それでは、順に作っていきましょう。まずは 1. 野菜やきのこを茹でるところから。

副菜とメインを同時に調理開始

1. 野菜やきのこを茹でる
  └ 副菜とメインを一気に調理
2. お肉を茹でる
3. 茹で汁でお味噌汁を作る


まず、フライパンにお水を入れ沸かします。家族4人で800mlほど。ざっくりとしたお水の量で大丈夫です。

一番最初にきのこを茹でます。きのこでも何でも構いません。今の時期ならスナップエンドウやアスパラなど、季節のお野菜でも良いでしょう。芋類、灰汁の強いお野菜以外ならなんでも大丈夫です。

副菜を「ただ茹でた野菜やきのこ」にすることで、調理の手間がぐっと省けます。


調理工程

茹でて引き上げるタイミングはお好きな時で。

この日は副菜として、キクラゲのおひたしを作ります。私は柔らかいキクラゲが好きなので、最後までよく茹でておきます。えのきやしめじ、エリンギの場合はしんなりしたら、さっさと引き上げた方が美味しいでしょう。

キクラゲを茹でつつ、次にフライパンへ切った長ネギを入れます。

調理工程

そして、もやしも入れてしんなりしたら、さっと器に引き上げます。

調理工程

菜箸で水気を切りながらよそえばOK。同じように柔らかくなった長ねぎもよそいます。これでメインの一皿はほぼ完成。

調理工程

お肉を茹で、メインも副菜も完成!

1. 野菜やきのこを茹でる
2. お肉を茹でる
  └ メインのお肉もできあがり
  └ (1)で茹でていたきのこも取り出して、副菜も完成!
3. 茹で汁でお味噌汁を作る

次は豚こまです。ここで火加減に一工夫。フライパンの火を止め、お肉を入れて広げます。

調理工程

再び火をつけ、色が変わったらすぐにお野菜の器に引き上げます。

調理工程

これで、しっとりとしたお肉に仕上がります。仕上げにごま油、全面にお塩をぱらぱらとかけて。お好みのタレ、ポン酢やお醤油で召し上がれ。

この日は私はトムヤムペーストで食べました。子供達は焼肉のタレです。なんでもお好きなように。


調理工程


お肉を茹でた後はフライパンのお湯を沸騰させ、アクをすくいます。

調理工程

アクを取り切ったら、キクラゲを器によそいます。よく茹でたから、柔らかくぷりぷり。

熱いうちに、黒酢、オイスターソースをかけ和えて、仕上げに青ネギのみじん切りをかけたら、キクラゲのおひたしの完成です。


調理工程


調理工程

出汁をとらずに、パッと汁物を作る

1. 野菜やきのこを茹でる
2. お肉を茹でる
3. 茹で汁でお味噌汁を作る
  └ (1)(2)の茹で汁を、そのまま味噌汁に活用!


最後はお味噌汁。刻んだワカメと、お豆腐をおたまですくいながらフライパンに入れます。お味噌を溶かして出来上がりです。

調理工程

お味噌汁のコツはすぐに火が通る具材を選ぶ事です。

いろんなエキスが溶け込んで、お出汁がなくてもとっても美味しいお汁になります。

とはいえ、旨みが足りない場合や不安な方は、顆粒だしの素、昆布、出汁パック、鰹粉などを使っても!

調理工程

もちろんお味噌汁でなくても醤油味のスープにしたり、バリエーションが効きます。


フライパン一つでできる献立に+して……

そしてこの日は更に!

買い出しに行った日なので、ブリのお刺身も加えました。

お刺身は家族全員の大好物。ちょっとあるだけで食卓が盛り上がるので、安くて美味しそうなのがあるとついつい買ってしまいます。わかめと、キクラゲのおひたしに使った青ネギのみじん切りの余り、冷蔵庫に入れていた玉ねぎの酢漬けもかけて、量も、栄養も嵩増しです。

そのまま食べてもOKですが、普段からお刺身には、アボカド、貝割れ大根、きゅうり揉み、サラダに使う葉野菜、トマト、などを合わせることが多いです。お刺身の量が少なめでもボリュームが出て、栄養もちょい足しできます。

お刺身+薬味を添えて

調理開始から完成まで、20分足らずで出来上がりました!

完成形


メインの茹で肉と野菜ですが、今日使った豚こま肉だけではなく、鶏もも肉の唐揚げ用などもおすすめです。もう切ってあるから急いでいる時には助かります。お魚や貝類などで作ってもおいしいですよ。

***

この日みたいなご飯の作り方だとただ順番に茹でていくだけなので、精神的負担も少ないです。

ポイントは、普段からお買い物の時に、火の通りが早そうなお野菜を買うこと。そうすれば忙しい時は野菜室から選んで茹でれば良いんです。

調理した後の洗い物も少ないですし、食材の応用も効くので覚えておくと頭や体が忙しい日に必ず役に立つ方法です。

味付けもシンプルなので、市販のお惣菜と組み合わせるにもぴったり。

この方法で1品1品お料理が出来上がっていくのを見るたびに安堵のような気持ちになります。

ご飯を食べ終わる頃には、きっと今日もよく頑張ったと自分を労りたくなります。


買い出しの少しの工夫や、目からうろこの調理法が、お料理の時もちょっと楽しい気持ちになりますよ。

おいしいご飯で、明日も良い日になりますように。あなたの毎日を応援しています。


仕事の合間・終わりのごはん作りはちゃちゃっとすませたい!

冷凍うどん
在宅ワーク時のお昼ごはんに悩んだら「冷凍うどん」がおすすめ。 レンジで完成・3つのレシピ
阪下千恵
平日の夕飯作りを楽に。働く人のためのライフスタイル別「ホットクック」活用レシピ3つ
梅津有希子
包丁&まな板いらずで完成……! 5分でできる「簡単丼」レシピ3つ

著者:今井真実さん

該当するalt設定

「これだけで、こんなに美味しい」という喜びを感じられ、作った人が楽しく嬉しくなる料理を提案。雑誌、web媒体、広告などでのレシピ作成。noteで発表したカルボナーラのレシピも大きな話題に。キャンプで燻製をしたり塊肉を焼くのが一番のストレス解消法。三度の飯より肉が好き。
Twitter:@imaimamigohan note:今井真実 /料理家

人を誘うのが苦手な私が勇気を出して「誘われ待ち」をやめてみたら。自分の殻を破って起きた変化

吉玉サキさんアイキャッチ画像

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、元山小屋スタッフのフリーライター、吉玉サキさんに寄稿いただきました。

人を誘うのが苦手で、人間関係は基本“受け身”という吉玉さん。しかしその姿勢で過ごす日々は、バイトや劇団などさまざまな場所に出入りしていた高校時代や、毎年新しい出会いがあった山小屋スタッフ時代と比べて圧倒的に人との出会いが少ないと気づき、危機感を覚えたといいます。

「自分から人を誘う」を目標に掲げ、どんな行動を起こしたのか。それによってどんな変化が生まれたのか。「誘われ待ち」をやめて起きたことを書いていただきました。

***

今年の目標は「自分から人を誘う」

人をお茶やごはんに誘うのが苦手だ。相手が気心知れた友人であっても、お誘いのLINEを送るときはやや緊張する。

ましてや仕事で知り合った人とかネットで知り合った人とか、「二人きりで会ったことのない相手」を誘うとなると尚更。誘うことの高い高いハードルを前に呆然と立ちすくんでしまう。勇気を出してお誘いのメールを書いたものの、どうしても送信できなくてそのまま削除……なんて経験もたくさんある(メールを書くだけで緊張して手のひらに汗をかく)。

どうしてこんなにも、人を誘うことに苦手意識があるのか。その理由はたぶん、自信のなさゆえに「私は友達になりたいと思っているけど、相手はそう思っていないかも……」と思うからだ。まだ友達と呼べるほどでもない微妙な距離感だけに、その距離をこちらから縮めてしまっていいものか悩む。

この気持ちは「断られるのが怖い」とは少し違う。そうではなくて、相手に「断りたいのに断れない」と思わせてしまうことが嫌だ。想像しただけで申し訳なくなってくる。

……とまぁ、そんなことを考えるから誘えないわけで、私は人間関係がすこぶる受け身だ。人と仲良くなるのは好きなのに、どうにも自分から距離を縮められない。相手から来てくれるのを待ってしまう。

このままでは人間関係がどんどん狭まっていくだろう。それはよくない気がして、今年の目標のひとつに「会ってみたい人に自分から声をかける」を掲げた。

さまざまなタイプの人と友達付き合いしたい理由

私はフリーランスのライターなのだが、数年前までは北アルプスの山小屋で働いていた。登山者を受け入れる宿泊施設だ。

山小屋の仕事はワンシーズンごとの契約で、何年も続けて来る人もいれば、一年で去っていく人もいる。毎年メンバーが入れ替わるので、何もしなくても毎年出会いがあり、続けるごとに知り合いが増えていく。

しかし山小屋スタッフからライターに転身し、出会いの総数が減った。もちろん編集者やカメラマンとは出会うのだが、毎日顔を合わせるわけではないので、「仕事の付き合いの人」の域を越えて仲良くなるのは難しい。また、もともと在宅で仕事をしている上に、コロナ禍以降は必要最低限しか人と会わなくなったので、気づけばどんどん人間関係が狭まっていた。そのことに危機感を覚える。

そもそも、なぜ人間関係が狭まることに危機感を覚えるのか。

「人間関係は狭くていい」と言う人もいるだろう。「友達が多くなくても、本当に親しい相手が数人いればそれでいい」とも聞く。私も、そのスタンスで満ち足りているならそれでいいと思う。

ただ、幼い頃から「我が強い」と言われてきた私は、さまざまな価値観に触れていないと自分の濃度が高くなり過ぎそうで怖いのだ。物事を一面からしか見られない、人の意見を聞き入れない頑なな人間になってしまいそう。たくさんの人と出会って、さまざまな言葉を浴びることで自分を薄めたい。

だから、若い頃から意識的にさまざまな人と付き合うようにしてきた。「食わず嫌い」ならぬ「付き合わず嫌い」をしないのがモットー。その甲斐あって、友達はそう多くないものの、友達のバリエーションは幅広い。

振り返れば、高校生のときからそうだ。通信制の高校だったため、昼はバイト、夜は劇団という生活をしていたのだが、行く先々でさまざまな人と出会った。劇団の40代フリーターの先輩とも、同じクラスの70代のおじいちゃんとも、バイト先のギャルとも友達になった。

その経験は思いがけず就活で生きた。就活がうまくいったのではなく、うまくいかなくてもさほど思いつめずに済んだのだ。周りの友人たちは「就活で躓いたら人生詰む」と思いつめていたが、私は就活以外のルートで就職した人や、就職しなくても幸せに暮らしている人が身近にいたので、レールから外れることへの恐怖心が少なかった。もちろん、思いつめるほど真剣に就活に取り組んでいる友人たちのことは尊敬しているが、あまりに思いつめていたら心配になる。やっぱり知っている人生のサンプルは多いに越したことがないかもな、と実感した。

私がさまざまな人と出会いたい理由はもうひとつある。母だ。

彼女は交友関係が狭く、周りもみんな自分と似たタイプだ。そのせいか、昔は母の発言から無知ゆえの偏見を感じることがたびたびあり、「私はママみたいになりたくない。いろんな人と出会っていろんな価値観に触れよう」と思うようになった。そして実際、劇団や山小屋、夫と旅した国々でさまざまな人に出会ってきた。

しかし、私が出会った人たちの話をするうちに、母も変わってきた。言葉の端々に滲んでいた偏見が減り、他者に対しておおらかになったのだ。

「あなたのおかげで、世の中にはいろんな価値観があることを知ったわ。あなたは広い世界を見ているのね」

母から何度か言われた言葉だ。そう言われるとうれしいし、これからもさまざまな人と出会っていきたいと思う。

思い切って自分から誘ってみた結果は……

そんなわけで意識的にさまざまな人と友達付き合いをしてきた私だが、出会いがない状況では当然、友達付き合いもできない。

この先いつまでも「誘うのが苦手」と待ちの姿勢でいれば、ますます声がかからなくなるだろう。ここは壁を打ち破る必要がある。

私は、「Twitterでは何度もやり取りしているが実際に会ったことはない人たち」を誘うことを自分に課した。最終的にはいろいろな属性の人と出会いたいが、そのための一歩として、まずは近い世界の人に声をかけてみようではないか。

しかし、DM(ダイレクトメッセージ)を送るにしてもなんて書けばいいのだろう。

「前から会ってみたいと思っていました。こんなご時世ではありますが、よろしければお茶でもしませんか? なんならリモートごはんでもいいですし……」

そんなふうに書いたら、実際の気持ち以上に重く受け止められやしないか? もし相手が「えー、別に吉玉さんに会いたくないんだけどなぁ」と思った場合、断りづらいかも……? などと気を揉んでしまい、一向にDMを送れない。

そんなとき、チャンスが訪れた。誘ってみたいと思っていた中のひとりに、仕事関係の用事でDMを送る機会ができたのだ。用事があればメールも気負わず送れる。用件のついでにしれっとお茶に誘うことができた。するとあっさり「ぜひぜひ!」とのお返事。

あら、まぁ。

あんなにも人を誘うのが怖かったのに、やってみたら拍子抜けするくらい簡単だった。そういうことってあるよなぁ。

当日は、クラシックが流れる昔ながらの喫茶店でその人と待ち合わせた。会うまでは緊張したが、会ってしまえばそうでもない。同業ということで話題は尽きず、3時間くらい楽しくお喋りした。マスク越しに窺えたその表情から、きっと相手も楽しんでいたと思う。

その体験で調子づいた私は、他の会ってみたい方にも自分からDMを送った。すると、全員からこころよいお返事をいただけた。「社交辞令かも」と考えることもできるが、相手が言っていないことまで推測しはじめたらキリがない。本心なんて答え合わせのしようがないのだから、言葉は額面どおりに受け取っておこう。

人を誘うようにしてから、楽しい時間が増えた。初対面の方とジャニーズの話で盛り上がったり、ランチに誘ったら話の流れでショッピングに行くことになったり、面倒な作業を一緒におこなうことになったり。日程が合わなくて会えていない方もいるが、そういう方とも、誘う前より気軽にコミュニケーションが取れるようになった。

また、なぜか人から誘われる機会が増えた。Twitterで繋がっているけど話したことがない人たちから、立て続けに「Zoomでお話しませんか?」とお誘いいただいたのだ。こう書くと自分でもうさん臭いなぁと思うけれど、人を誘いはじめてからいいことが続く。

それは、誘うことへの苦手意識が払拭されて自信がつき、文章から滲む「私なんか」という卑屈さが消えたせいかもしれない。

一歩を踏み出した経験は自信になる

思えば、私が人を誘えなかったのは「誘わなかったから」じゃないだろうか。

「やろうとしたけど、どうしてもできなかった」のではなく、そこまで切実には「やろうとしなかった」のだ。自分から誘わなくてもなんとかなるから、その状態に甘えきっていたのだと思う。

確かに、社会人として最低限のコミュニケーションをしていれば、自分から人を誘わなくても困ることはない。しかし、「困らない」と「理想どおりになる」の差は大きい。私の理想は、さまざまな人たちと友達になることなのだから。以前の私は、その差を埋めるための行動をとっていなかった。

待っていても、会いたい人から声がかかるとは限らない。月並みな言葉だけれど、行動を起こさなければなにもはじまらないのだ。自分が望む状況を作り出すのは、自分自身の行動でしかない。

もしもあなたに「誘いたいけれどなかなか誘えずにいる相手」がいるのなら、この記事のブラウザを閉じた勢いでお誘いしてみてはどうだろう?

「絶対にうまくいくよ!」とは言えないけれど、少なくとも、勇気を出して自分から誘ってみたその経験はあなたの自信になると思う。

私のこの体験談が、殻を打ち破るきっかけとなりますように。


編集:はてな編集部

著者:吉玉サキ

吉玉サキ

ライター兼エッセイスト。北アルプスの山小屋で10年間働いたのち、2018年からライターに。著書に『山小屋ガールの癒されない日々』『方向音痴って、なおるんですか?』がある。東京郊外の団地でイラストレーターの夫と暮らす30代。犬を家族に迎えるのが夢。

Twitter:@saki_yoshidama

りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

会社がフルリモートになり、5年ぶりに時短からフルタイム勤務にできた話

アイキャッチ画像

コロナ禍をきっかけに急速に浸透したテレワーク(リモートワーク・在宅勤務)。これまでは一部の職種や事由がある人しか活用できなかった……という企業が、会社全体としてテレワークを推進したり、利用できる頻度が広がったりしたということも少なくないはずです。

2人のお子さんを育てながら働くブロガー・みるくさんは約5年前からリモートワークを活用中。しかし利用当初はできる業務が限られる、またリモートワークをする人が少数派であったことによる「申し訳なさ」を感じることもあったそうです。

しかし、会社全体がリモートワークを推奨するようになってからは、これまでネックだった働きづらさなどが解消されたとのこと。さらにフルリモートも可能になったことで長らく続けていた時短勤務を解除し、フルタイム勤務に戻せたと語ります。リモートワークは「少数」だった時期も経験したみるくさんが同僚の多くがリモートワークを活用するようになった現在までを通して感じたことを書いていただきました。

***

初めまして。共働きで7歳・2歳の姉妹を育てているブロガー・みるくと申します。

都内の会社でバックエンドエンジニアとして自社サイトの開発・運用をしていて、普段は保育園に通う次女の送迎をしながら自宅でリモートワークしています。

第一子の育休復職時はフルタイムで働いていましたが、郊外への引っ越しをきっかけに通勤時間が長くなり、保育園送迎などの兼ね合いから時短勤務を選択せざるを得ない形に。その後第二子の産休育休を経て、復帰後もしばらく時短勤務をしていましたが、コロナ禍で会社がリモートワーク主体となったことが追い風となり、長女の小学校就学とともにフルタイムに戻しました。現在はそれから約1年が経過しており、フルリモート生活にもだいぶなじんできています。

私のリモートワーク歴は約5年。会社全体がリモートを推進するようになったのはここ2年ほどですが、この5年で感じた変化について紹介しようと思います。

リモートワーク「少数派」だった時期に感じたこと

長女の育休復帰から1年余りが経った頃、開発部門の一部でリモートワーク導入トライアルが始まり、上司の勧めもあって参加しました。

しかし、このとき会社としてのメインはあくまで出社だったので、在宅で仕事をしていたのは週1程度だったと思います。週1でも静かな環境で落ち着いて仕事ができるのは個人的にリモートワークのよさだと感じましたが、当時はオフィス環境でないと入れないシステムもあり、在宅でできる業務が限定されていました。この頃私は複数プロジェクトを動かしていたり、プロジェクトの本番リリース作業がリモートではできなかったりすることもあり、いずれにせよリリースがある日は出社せざるを得ませんでした。

実はこのトライアルが始まる前からも、育児・介護事由で例外的に在宅勤務できる制度は存在していましたが、このケースではさらにできる業務が限られてしまう。そのため、やむを得ないときだけ利用していました*1

環境整備が進むも「申し訳なさ」を感じる

その後、開発部門だけでなく複数の部署でリモートワークが正式導入されていき、育児・介護事由でなくとも、希望者は最大週4日までリモートワークができるように(週1日は出社必須)。トライアル期で浮上した改善点を踏まえ、ほとんどのことは出社時と同等にできるようシステムが整備されていきました。

リモートワークはデメリットもあるものの、自分にとってはメリットがそれを上回ると感じていました。満員電車の苦痛から解放されますし、作業中不意に話しかけられて集中を乱されることもなく*2非常に快適です。

特に育児している人にとってはやはりリモートワークの恩恵は大きいのではないでしょうか。送迎負担が軽減したり、浮いた通勤時間分を家事に充てられたり、挙げればきりがありません。

しかし、当時は(一部部署を除き)週4でリモートしている人は少数で、ほとんどは週1~2か、全くしない人が多数。私も初めは遠慮して週1程度でした。

本当はもっとしたかったのですが、会議で自分のためだけにビデオ通話のセッティングをしてもらうなど、申し訳なさを感じる場面も多々あったのです。

私の場合はチームメンバーに週4リモートする方がいた影響もあって、次女を妊娠したあたりからは徐々に週4でリモートワークするようになっていきましたが、当時は事前申請制だったり、パソコンを前日に持ち帰る必要があったり、作業内容報告書の提出があったりと、「リモートワークをするため」の手続きが大変だったのも、なかなか浸透しない障壁になっていたように感じます。

職場でリモートワークが「当たり前」になって感じた変化

2020年2月、コロナ禍を機に全社員が原則リモートワークに切り替わり、「週1日出社」という縛りもなくなったことでフルリモートが可能に。すでにリモートワークを正式導入していたことが功を奏し、切り替え自体は特に大きな混乱はなかった*3ように思います。

私は同年夏に次女の育休から時短勤務で復帰。初日にパソコンを会社で受け取ってからは、ずっと家でのリモートワークが続きました。初対面のメンバーとはずっと画面越しでしか顔を合わせたことがありませんが、大きなトラブルもありませんでした。

リモートメインの人が少数派だった頃と違い、ほぼ全員がリモートになると色んなことが「リモート前提」で動きます。これはとても快適でした。例えば会議もそれぞれがWeb会議用のURLにアクセスすればすぐにできます。以前のようなテレビ会議ができる会議室を予約して機器をつないで……といった自分のためだけに発生する作業もなくなり、変な遠慮が不要になりました。

2022年現在は出社/リモートを自由に選択できますが、開発部門など自分の周囲は週5フルリモートが多数派になっています。

以前はリモートワークが少数派だったこと、できる業務が限定されることなどで周りに対する「申し訳なさ」を感じていました。しかし、リモート前提となった今では皆が同じ状況下にあるため、こういった心理的障壁はなくなりました。

また、私の場合はフルリモートが可能になったことでの変化もありました。

私の場合、家から保育園まで片道10分な一方で、会社から保育園までは片道1時間半ほどかかります。週4で在宅勤務をしていた頃、週1出社であれば、この日だけ勤務時間をずらしてフルタイムで……というのができないかとも思っていましたが、会社の規定でそれはできませんでした。また、1時間単位での時間休が取得できたものの、通院やお迎え・早退などでも時間休を活用していたため、出社時の勤務時間をずらすために使ってしまうと、あっという間に有給がなくなってしまいます。そのため、コロナ前は「週1出社する」というルールがネックとなり時短勤務せざるを得ませんでした。

しかし、「フルリモートになった今ならできるかも……!」と思いきってフルタイム勤務に戻しました。時短からフルタイムになったのは実に5年ぶりです。

アイキャッチ画像

5年ぶりに時短からフルタイムに戻してみて

フルタイムに戻すことに躊躇いが全くなかったわけではありません。生活時間が後ろにずれ込む、自分の体力がもたない……など様々な葛藤はありました。でも個人的には、フルタイムに戻せてよかったなと思っています。

かつては最大で90分の時短を取っていたため、思った以上に激減していた給料。それがフルタイムになったことで復活し、仕事のモチベーションが上がりました。「いつ保育園からお迎えコールが来るかわからない」という緊張感は相変わらずありますが、定時まで働けるようになったことで少しばかり気持ちのゆとりも持てました。

育休から復帰した仲間の中には、フルリモートが導入される前からフレックスで1時間早くずらして働く人や、リモートワークのパートナーと協力してフルタイムに戻した人もいます。私の場合は時間を早めて働くのが体力的に自信がなかったのと、夫の仕事の都合上、フルタイムに戻せるのは当分先のことだろうとなんとなく思っていました。

しかし長女の「小1の壁」対策についても考えなければ……と思った矢先、思いがけない会社のフルリモート化によって、小1の壁の解決だけでなく、フルタイム勤務に戻すことができました。

今の会社は子供が小学校に入学してからも一定の期間は時短勤務ができるなど、ありがたいことに育児をしながら働きやすい環境だと思います。ただ、いつかはフルタイムに戻したいとは思っていたものの、コロナ以前の状況であったならば、あくまでわが家の場合では、小学生と未就学児がいる中でフルタイムに戻す選択をとるのは難しく、下の子が就学するまでは時短を選択していたように思います。

働き方の選択肢がもっと広がるといい

もちろん職種によってリモートワークに向く・向かない/できる・できないがあると思いますが、昨今の情勢からリモートワークを導入したりフルリモートへ舵を切る会社も増えてきているはずです。

勤務形態や家庭事情などによらず、誰でも気兼ねなくリモートが選択できると働き方の選択肢はもっと広がるように思います。実際、リモートワークが限定的だった5年前に比べると、私の会社では特別な事情がなくてもリモートができるようになり、さらにフルリモート可にもなりました。

時短勤務をする理由は色々あると思いますが、もう少し働きたい、と思っている場合に柔軟な働き方が選択できる世の中になるといいなぁと思っています。

テレワークの困りごとはある?

テレワーク
テレワークの疲労をどうにかしたい。指圧師が教える手軽なストレッチ
紅茶
テレワークの息抜きに“紅茶”という選択を。プロが教える、簡単で美味しい紅茶のいれ方
リモート
在宅勤務、集中できない…という方へ。ベテランリモートワーカーに聞く「気分転換法」
編集:はてな編集部

著者:みるく

みるく

理系大学院修了後、ひょんなことからエンジニアの道へ。2児の母となり、頑張りすぎないをモットーに、夫と二人三脚で育児中。推し活歴は長く、さまざまな推しを愛でることが生きがい。
Blog:ゆるりとねっと。

りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

*1:どうしても休めないときは、病児保育シッターさんに保育を依頼して別室で仕事することもありました。シッターさんが確保できなかったときの稼働は散々でした…

*2:長女が小学校から帰ってくると危うくなりますが…

*3:あくまで利用者側の視点です。整備する側は色々大変だったと思います。

「仕事をなんでも引き受ける」のをやめた|栗本千尋

栗本さん

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、フリーライターの栗本千尋さんに寄稿いただきました。

駆け出しの頃は「仕事を断る」という選択肢がなく、「なんでもやります!」と興味のないジャンルの依頼も引き受けていた栗本さん。そんな中でも自分の強みを見つけたことで徐々に仕事が軌道に乗り、さらに出産という一大イベントを経て、「なんでも引き受ける」という姿勢を見つめ直したといいます。

「なんでも引き受ける」をやめたことで、どのような心境や環境の変化があったのでしょうか。これまでを振り返って書いていただきました。

***

フリーライターになって、丸11年たった。

雑誌やウェブで記事を書いたり、編集したりするのが主な仕事内容だ。今は、自分が好きなメディアや興味のある企画、共感できるテーマの仕事に囲まれ、とても恵まれた環境だと感じる。でも、駆け出しから数年間、どんな仕事でも引き受けていた時期があった。

なんの後ろ盾のないフリーランスにとって、仕事を断る行為には不安がつきまとうもの。「仕事をなんでも引き受ける」のをやめたことで、その後の仕事にどんな影響があったのか、振り返ってみたい。

「なんでもやります」と答えていた若手時代

「フリーライター」と検索すると、ライターになるためのノウハウがものすごい情報量でシェアされている。近年では「在宅でもできる」「副業しやすい」といった理由から、人気の職業になっているそうだ。クラウドソーシングサービスなどを利用すれば、初心者でも仕事を得ることができるらしい。

私が後先考えずに独立してフリーランスライターになったのは2011年だが、当時クラウドソーシングは発達しておらず、ライターになる方法も、仕事を得る方法も限られていた。

どうやって仕事を得ていたかというと、独立する前に所属していた編集プロダクション(=編プロ)や、別の出版社へ転職した元同僚から声をかけてもらって、なんとか食いつないでいた。当時は阿佐ヶ谷にある家賃57,000円のアパートに住んでいたけれど、家賃を払うのが厳しいくらい収入が不安定な時期があり、親にお金を借りてギャラが入ったら返し、また足りなくなったら親に借りて……を繰り返していた。

そんな経済状況なので、「仕事を断る」なんて選択肢は当然ないし、駆け出しの自分に依頼がくるのはありがたかったため、片っ端から仕事を引き受けた。スケジュールが合わないとか、どうしてもリソースがなくて迷惑をかけそうなとき以外は、断ったことがなかったと思う。

自分の実力以上のことを求められているであろう案件や、やったことのないジャンルの仕事でも、「やってみます」と答えた。今思えば、無責任に引き受けるのも迷惑になるんじゃ……という感じだが、私にもできると判断して依頼してくれているなら、きっとできるはず! とポジティブに考えた。もちろん、過去の誌面を調べまくったり、先輩ライターさんに質問したりしながら、なんとか食らいついている感じだったが。

もともとやりたかったジャンルは、温泉や街歩き、グルメなどを含む旅行系だったけれど、自分には無縁だと思っていたカルチャーやインテリアやアートに、料理やアウトドア、あまり興味のなかった健康系、ビジネス、はたまたゴシップっぽいものまで、いろんなジャンルの仕事をした。

ただ、それと同時に失っていくものもあった。幅広いジャンルの仕事を引き受けることで、「得意なこと」「やりたいこと」が自分でもよく分からなくなっていったのだ。

先輩ライターさんに連れられて編集部に挨拶まわりをすると、必ずと言っていいほど「なにが得意?」と聞かれるけれど、「これが得意」だとはっきり言う自信がなくて、とりあえず「なんでもやります!」と答えた。その頃は「若さゆえのフットワークの軽さ」くらいしかウリにできるものがなかったから。

どんなライターが重宝されているのか?

ライター全員が何かの専門家である必要はないけれど、読書家で本に詳しいとか、建築やデザインに精通しているとか、とにかくグルメはこの人に聞けとか、「なんでもできるけど得意ジャンルがある」ライターさんは重宝されている。

私自身の適性に気づかせてくれたのは、いろいろな編集部に紹介してくれた、先述の先輩ライターさんだ。編集さんたちと挨拶するとき、「栗本さんは細かい仕事でも正確にやってくれます」と紹介してくれた。そのときは「私に突出した能力がないから、こんなことを言わせてしまっているんだ……」と素直に喜べなかったけれど、実は「細かい仕事を正確にやる」ことにも需要があるんだと後から知った。

雑誌には、タレントさんのインタビューをするような華やかな企画もあれば、ショップリストのように細々とした情報が載っているページもある。ページ単価はだいたい同じで、地味な作業の多い仕事はベテランになるにつれてやらなくなる場合もあるため、若手の自分にも仕事がまわってくるようになった。

例えば、1ページに6つの店舗が掲載される企画を4ページ任されるとしたら、24店舗と連絡をとることになる。住所や電話番号、営業時間、定休日など、細かな店舗データが多くなるが、間違えた情報を掲載するわけにはいかない。店舗からの赤字は原稿のやりとりの度に再確認し、最後は実際に電話をかけて、電話番号が繋がるかどうか確認をする。

所属していた編プロで「情報は正確に」と鍛えられてきたので、このあたりは徹底してきた。別に「細かい仕事が好き」というわけではないけれど、与えられた仕事をまずは頑張った。

出産を機に仕事のやり方を見直して

第一子を妊娠したのは、ようやく仕事が軌道にのってきたタイミングだった。いずれ子を持ちたいとは考えていたものの、計画的な妊娠ではなかったので、「私のようなライターはいくらでも代わりがいるから、もう仕事はもらえないかも」と、覚悟した記憶がある。出張ができないし、終電まで編集部にいることもできない。「フットワークの軽さ」がない自分にはライターとしての価値がないと思っていた。

意外にも産後4カ月くらいで復帰することになるのだが、「細かい仕事ぶり」を見てくれていた編集さんが、「そろそろ仕事できる?」と声をかけてくれたのがきっかけだ。自宅にいながらもできる仕事を優先的に振ってもらえるようになる。

産前は「徹夜すればなんとかなるでしょ」と作業を後回しにしてしまうこともあったが、産後は稼働できる時間が限られるため、より集中して作業するようになった。余裕を持って進行しないと予定が狂う可能性があるので、自分の担当ページを早め早めに動かすように心がけるようにした。すると、編集さんに「もし手が空いていたら追加でこの企画もお願いしたい」と声をかけてもらうなど、徐々に大きな仕事も任されていった。

駆け出しの頃は200〜300字程度の文字量で簡潔にまとめるものが多かったけれど、1500〜2000字のインタビューなど、特集の巻頭企画で声をかけてもらえたときは跳び上がるほどうれしかった。これも、「細かい仕事」を「早めに進める」ことで得られたチャンスだったと思う。

できることを少しずつ増やしていくなかで、細かい仕事をずっと続けたいというよりは、大きなページを任せてもらったり、企画を考えたりというように、もっと川上から携われる仕事がしたいと考えるようになった。

すごくやりたいわけじゃない仕事を「ありがたいから」と引き受けていると、本当にやりたい仕事で声がかかったときに、スケジュールの都合で断らざるを得ないことが増えた。あまり興味がない/得意ではないジャンルだと余計に時間がとられてしまうので、思いきって「仕事をなんでも引き受ける」のをやめることにした。

もしかしたら仕事がなくなるのでは……という不安もあったが、それよりも、やりたい仕事をスケジュールの都合で泣く泣く断るストレスの方が大きかった。

とはいえ、特定のジャンルを受けないと決めたわけではなく、興味を持てるかどうかを重視している。子どもができてからは将来世代に何を残せるのかを考えるようになったし、「子育て」「地域」「SDGs」などのジャンルにも関心が出てきた。「真偽はあやしいけれどギャラがいい仕事」は断るようになり、「自分じゃなくてもよさそうな仕事」も、あまり引き受けなくなった。「好きなジャンルだからやりたい!」という自分自身の欲求に従うようにしている。

「仕事をなんでも引き受ける」のをやめてから

欲求に素直になってからは、より自分の好きなジャンルの仕事が舞い込んでくるようになった。以前は、「なんでも引き受けて無難にこなす」という意味で、ちょうどいいライターとしてアサインされることが多かったけれど、最近は「ぜひ栗本さんに」という依頼が増えてきた。

SNSで仕事の告知をしはじめたのも大きな要素だ。「こんな仕事をした」という実績を見てから依頼をいただけるのでミスマッチも起きにくく、ワクワクする案件が多い。やりたかった仕事を泣く泣く諦めることも少なくなり、好きな仕事に囲まれている感じ。

意外だったのは、仕事を選んでからの方が、ギャラの単価が上がったことだ。単純に、仕事の要領がよくなったのもあるが、ちょっとだけ自惚れると、「この記事ならこの人に」という優先度が上がったのかなと思う。それに、経験を積んだことで、これまで任されなかった領域の仕事を任されることも増えた。

せっかくの依頼を断るのは今でもちょっと心苦しいけれど、そのときは極力、他のライターさんを紹介するようにしている。フリーランスは学歴や職歴ではなく、「どんな仕事をしてきたか」を見られるが、「あの人の紹介なら」というのは大きな担保になる。私自身も、先輩ライターさんの紹介があったから続けてこられたので、次は、若手のライターさんにチャンスが巡ってくれればいい。

「仕事をなんでも引き受ける」のをやめたことで、仕事環境に恵まれていると実感しているけれど、「仕事をなんでも引き受けていた」時期も、私には必要だったと考えている。なんでもやってみることで自分ができる範囲を広げられたし、やりたいこともより明確になった。もしも最初から仕事を選んでいたら、ライターとしての寿命は長くなかったかもしれない。

「なんでも引き受けていた」あの頃が、今の礎になっている。

編集:はてな編集部

「わたしがやめたこと」バックナンバー

能町みね子
料理をやめてみた|能町みね子
ねむみえり
無理して「元気」になろうとするのをやめた|ねむみえり
あさのますみ
本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ

著者:栗本千尋

栗本千尋

1986年生まれ。青森県八戸市出身、在住のフリーライター/エディター。3人姉弟の真ん中、2児の母。 執筆媒体はFRaU、BRUTUS、Hanako、コロカル、Gyoppy! etc...。八戸中心商店街の情報発信サイト『はちまち』編集長

Twitter:@ChihiroKurimoto

りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

保育園に預けたくないと悩んでいるあなたへ。大事なのは「今」ではなく「少し先の未来」を考えること

 田中伶

トップ画像

保育園に子どもを預けて仕事に復帰したものの、子どもと過ごす時間を犠牲にしたように感じ、「仕事をやめた方がいいのでは」と悩んでしまう。そんな葛藤を抱えている人は意外と多いのかもしれません。

3年前、生まれてすぐの子どもを保育園に預けると決めたときの葛藤を書いた田中伶さんのブログは、同じ気持ちを抱える多くの人にシェアされました。ウェブマガジン「HowtoTaiwan」の編集長を務め、台湾に関わる書籍や企画に携わる田中さんは、仕事に大きなやりがいを感じる一方で、「保育園に預ける選択は正しいのか」という罪悪感からなかなか抜け出せなかったと語ります。

時がたち、今はかつての選択をどのように捉えているのか。「預けるか、預けないか」という目の前の選択ではなく、長い目で子どもの人生を考えるようになったという心の変化を書いていただきました。

***


今年も一斉に咲いた桜並木を見て、胸の奥が少しだけ疼いた。

手をつなぎ楽しそうに歩く親子を見ながら思い出すのは、今から数年前に経験した、生後4カ月になったばかりのわが子の保育園への入園だ。まだ寝返りもままならないふにゃふにゃとした息子の入園が決まり「よっしゃ! 保活を勝ち抜いた!」とガッツポーズをしたのもつかの間、いざ預けるとなったら寂しくて寂しくてたまらない。

この世に産み落とされてたった4カ月のかわいいわが子が、一日のほとんどの時間を家族ではない誰かと過ごすなんて。一方のわたしはパソコンを開いてカタカタと仕事。えっ、仕事って、子供よりも大事なことなんでしたっけ……?

かつての悩みを書いたnoteは、息子が間もなく5歳を迎える今でも感想コメントが寄せられている。小さなわが子を保育園に預ける寂しさと、それでも働かないわけにはいかない現実の葛藤。子供に対して申し訳ないと罪悪感を抱くこともあったけれど、それはある一つの考え方によって、次第にポジティブに昇華されていった。どうか今年も、不安に押しつぶされそうになっている誰かに届いてほしい。

保育園受かった! けど、どうしよう?

「どうしよう?」なんて言ってみたけれど、頼れる親族が近くに住んでいないことに加えて、育休制度のない自営業のパートナーと私は、ともに働かなければ収入がない。保育園なりベビーシッターなり、託児サービスなしの子育ては考えられなかった。

だけどいざ保育園に入ることが決まったら、それまで妊娠期間も含めて一心同体だったわが子を見知らぬ環境に託すなんて、という不安に襲われた。仕事が大好きだったし、産休を取っていた妊娠後期は「早く復帰したい!」なんて気持ちもあったのに、いざ赤ちゃんの顔を目にしたら。毎日目まぐるしく成長する子供のそばにいたら。自分のためか子供のためか、とにかく「わが子のそばにいてあげたい」というピュアな気持ちがむくむくと芽生えたのだった。

保育園に入るまであと2週間、あと5日、あと1日……。

心の中でカウントダウンをしながら、昼下がりに赤ちゃんを抱っこしたままソファでうたた寝するのもあと何回……と切ない気持ちになった。

まだまだ小さな子供を保育園に通わせること。芽生えたばかりの温かい母性にピシっとフタをして、すました顔でパソコンを開くということ。私の仕事には子供と一緒に時間を過ごすこと以上の価値があるのか? これが本当に私の欲しかった人生なんだろうか? とモヤモヤは絶えなかった。どれだけ悩んだとしても、預けないという選択肢はないのだけれど……。

私が働かなくても平気なぐらいの収入があればいいのに、とパートナーを責めたこともある。問題はそこじゃない。出産しても仕事を続けるという意思決定をしたのは自分だ。そんなことはもちろん分かっていたけれど、どうにか何かのせいにしたかった。

情緒不安定な自分との戦い

いまでも鮮明に覚えている記憶。それは保育園の「慣らし保育*1」の期間のこと。

初めて保育園に預けた日、わざわざ出社するのもなあと思い、保育園の近くのカフェで仕事をしてみた。するとそこで、子供が自分のお母さんと仲睦まじく過ごしているのが目に入る。その子は自分の息子よりもずっと大きい子で、幸せそうな親子の姿に思わず目頭が熱くなる。まだ授乳中の胸が張って痛い。おもわずトイレの個室に駆け込み、空いたペットボトルに搾乳をした。本当なら子供が飲んでくれるはずの母乳をトイレに流しながら、自分は一体なにをしているんだろう? と涙が止まらなくなった。

久しぶりに訪れた一人の自由時間を謳歌することもなく、お迎えの時間よりも少し早く子供を迎えに行った。子供は案外ケロッとしている、というか何が起きているかあまり分かっていない様子だった。

それでも、幼いわが子が保育園で過ごしているのに自分が優雅にランチをするなんて考えられず、昼食も食べられなかった。子供が保育園で頑張っている時間は一秒たりとも無駄にしてはいけないような、そんな気持ちがあったんだと思う。

保育園で過ごす、小さなわが子の毎日の発見

慣らし保育は、子供だけでなく親にとっても ”子供と離れる” という新しい環境に慣れるために必要な時間だった。多くの先輩パパママたちが「子供も親もそのうち慣れるよ」と話すように、私が ”見知らぬ環境” と呼んだ保育園はいつしか子供が笑顔で待っているほっと安心する場所になり、私が ”家族以外の誰か” と呼んだ保育士さんたちは、息子の熱が下がったことをまるで家族のように喜んでくれる頼もしい子育てチームになったのだ。

田舎から上京して経験したことのない子育てに奮闘している核家族の私とパートナーにとっては、自分たちの子供を一緒に見てくれる仲間が同じ街にいるということが心からの安心感につながった。ベビーベッドにぶつけてできた息子の小さなタンコブを、自分やパートナーと同じように心配してくれる人はこれまで誰もいなかったのだ。

そして毎日保育園の連絡帳にぎっしりと書かれているさまざまなできごと。

年上のお姉さんに髪の毛を撫でられたこと、いつものお散歩コースにおきにいりの犬がいること、お友達と目を合わせて初めて笑いあったこと、節分の豆まきで目を丸くしていたこと。生後4カ月、ただゴロンと寝ているだけの息子の毎日は目まぐるしい。

夕方には、私やパートナーがドタバタと仕事を終わらせてお迎えに行く。そこから子供と過ごす時間は本当にかけがえのないもので、さっきまで対応していた仕事のトラブルのこともすっかり忘れ、子供と思いきり遊び、笑い、眠った。一緒に過ごす時間が貴重だからこそ、私の心にも余裕があったのだと思う。

子供と一緒に過ごすか、保育園に預けるか。

そんな単純な二択を迫られているように感じていたけれど、子供と一緒に過ごすことで得られる幸せが、保育園に預けることで全て奪われるわけではないのだ。子供が体調を崩せば保育園を休んで一日中そばにいることも(しょっちゅう!)あるし、仕事に余裕があるときには「今日は一日遊んじゃおっか」と思い切って平日に遊びに行くこともある。

それは保育園に預ける前には想像していなかったことだった。いつからか私は、子供を保育園に預けている間にランチをするのも平気になった。

向き合うべき悩みは、保育園に預ける or 預けない じゃない!

保育園に預けるべきかどうかで悩んでいたときに、ある言葉に出合った。さまざまな悩みや意見が集まるサイトで、確かこんなような内容が書かれていた。

” 母親が子供と一緒にいて幸せな時間はお金では買えないけれど、子供が希望する将来の道をお金で諦めなくてはならないこともある。子供が20歳30歳60歳になった時に、どちらを幸せに思ってくれるか? ”

その言葉は預ける理由を正当化していると言われればそれまでだけれど、私はこの意見に妙に納得したし、当時とても背中を押された。いま自分が向き合っているのは、保育園に預けるか否かという選択ではなく、今目の前にいるわが子にどういう人生を歩んでほしいかを考えるということなんだと思ったから。

そんなふうに思考を転換すると、それまで悩みに埋もれていた未来へのポジティブな野望が疼いた。

私は働く自分の背中を子供に見せたいし、家にいる自分と別の顔を持つことで「お母さんってカッコイイ」と何歳になっても思われたい。経済的に余裕を持つことで子供の世界を広げられるかもしれないし、もちろんお金だけじゃない、私が働くことで得られる体験や学びがダイレクトに子育てに生きることだってあるかもしれないと。

少し先の未来を考えることで、家族として進むべき方向が見えた。モヤモヤをぶつけていたパートナーともしっかり話し合い、保育園に預けるという選択について、子供にも胸を張って説明できると思えた。

いま思えば、私が平日の昼間に見かけて「いいなあ」とうらやましく感じた親子は、本当は毎日保育園に通っていてたまたまその日がお休みだっただけなのかもしれない。貴重な時間をめいっぱい楽しんでいただけなのかもしれない。

家族のことはその家族にしか分からないし、正解もない。周りを見て一喜一憂する必要なんてないのだ。そのことに気づくまで、少しだけ時間がかかった。

あれから4年がたちましたよっと

そんなことに悩んでいた日々から、気づけば4年という月日がたっていた(!)。寝返りもままならなかった息子は4歳になり、仲良しのお友達と早く遊びたいと夢中で保育園に駆けていく。私は2歳になったばかりの娘を抱っこして、慌ててその背中を追いかける。12月生まれの娘は、兄の入園よりもさらに早い生後3カ月の春、保育園に入ることになった。

二人目の子供に関してはあっさりと……と言いたいところだが、やっぱり葛藤はあった。だからどんなに沢山子育てを経験したとしても、この悩みは避けられないものなんだと思う。だけど、0歳3カ月の娘を連れて保育園の面談に行ったとき、「こんなに小さい子は5年ぶり!」とうれしそうに集まる保育士さんたちの姿を見て、兄のときと同じように安堵した。

保育士さんだけでなく、お兄さんお姉さん、同じ学年のお友達からも「かわいいかわいい」とたっぷり愛情を受けている早生まれの娘は、ややお姫様体質に育っているが、周りから大切にされていると感じる瞬間が生まれたときからずうっと続いているなんて、どれほど尊いことだろう。

一方の私は、子供たちが保育園に行っている間にせっせと頑張った仕事のご縁がつながり、この4年間で3冊の書籍の制作に関わることになった。コツコツと続けてきた仕事が実を結んだり、子供を持ったからこそ叶えられた実績もたくさんあった。

自分が子供と一緒に楽しむ ”子連れ台湾旅行” に関する書籍を出版して、4年前に泣いていたカフェのある書店でトークショーをしているなんて! あの頃は想像もしてなかったよ……。 書店で「ママが作ってた本、あったよ!」と報告してくれる子供たちはつくづく眩しい。

今の私は、自分の仕事の成果や積み上げたキャリアを「家族(子供たち)のおかげ」と胸を張って言える。保育園のお迎えに行ったときに「ごめんね」という気持ちではなく、「今日も頑張ってくれてありがとね〜〜!」と清々しい気持ちで子供たちを抱きしめるのだ。

自分が働く背中を子供たちに見せたいなんて思っていたけれど、たくましく保育園に向かう子供たちの背中に、親の方が毎日励まされる。子供たちを見てくれる保育士さんや保育園という存在もまた自分のキャリアを支えてくれるチームの一員であるということも日々痛感している。

昨日は野菜の収穫、今日はボディペイント、明日は餅つき……!?
相変わらず、子供たちの保育園での毎日は目まぐるしい。

大切なことを忘れないために

私自身は保育園に早くから預けて復帰することを選んだけれど、もちろんそれだけが正解だとはまったく思わない。会社の育休をしっかり有効活用して子育てに励む友人もいるし、パートナーの転勤が重なって仕事を辞め、家庭に専念することを決めた仕事友達もいる。誰もがそれぞれの環境で、家族として考えられるベストな選択をしているわけで、それを周りの人たちが自分の価値観であれこれ意見するのはあまりに勝手なことだ。

人生は選択の連続だけれど、わが子にどういう人生を歩んでほしいのかと真剣に悩んで出した結論はどれも正解なのだ。

「仕事の価値は?」「子供と過ごすことの価値は?」と言われれば、きっと全てに価値があり、それを測ることなんてできない。ただ忘れてはいけないのは、子供たちの人生はいまこの瞬間だけではなく、これからもずうっと続いていくということ。

子供が ”自分は大切にされている” と無意識の中で感じられること、家族が笑顔であること、そして10年後、20年後の子供たちに「お母さんの子で良かった」と感じてもらえれば、それ以上の幸せはないのだ。

編集:はてな編集部

子供を持つと、生活はどう変わる?

保育園時代と何が変わる? 先輩3人が語る“小一の壁”の実態と乗り越え方
保育園時代と何が変わる? 先輩3人が語る“小一の壁”の実態と乗り越え方
新型コロナで「子供との過ごし方」に悩んだ私たち夫婦が、自粛生活中に見直したこと
新型コロナで「子供との過ごし方」に悩んだ夫婦が、自粛生活中に見直したこと
保育園送迎、雨の日やイヤイヤ期でもスムーズにするコツ
保育園送迎、雨の日やイヤイヤ期でもスムーズにするコツ

著者:田中伶

田中伶

今よりもっと台湾が好きになるメディア「HowtoTaiwan」編集長。台湾&ITまわりのPR/ライター/企画/編集。著書『FAMILY TAIWAN TRIP #子連れ台湾』、制作・執筆『妄想Trip! #おうち台湾』他。台湾と大同電鍋とNetflixが好き。息子4歳&娘2歳
Twiter:@reitanaka_119

りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

*1:子供が保育園など新しい環境に少しずつ慣れるように、初日は2時間、二日目は3時間、と一週間〜一カ月ほどかけて徐々に預ける時間を長くしていく期間のこと

こわがり屋の絵本編集者が、産後うつの末にようやく見つけた“不安と上手につきあう方法”


仕事上だけでなく、生活しているとさまざまな場面で「不安」を感じることはありませんか? 不安がちであるがゆえについ過剰な心配をしてしまったり、なかなか一歩が踏み出せなかったり……。そんなとき、つい不安がちな気質を「克服」しないと……と考える人もいるかもしれません。

「だるまさん」シリーズなどの編集を手がけ、現在はフリーランスで絵本の編集者として働く沖本敦子さんも、生粋の「こわがり」。産後は、不安がちな性格が要因の一つとなり産後うつも経験されたそうです。

長く不安に悩まされるうちに、「創造性」がうまく発揮されていないと精神的な健やかさが保てないと気がついた沖本さん。生きていく上で、「不安」と「創造性」どちらもが自分にとって必要なもの、自分の味方になりうるものだということに気付きます。

そうして「不安」と「創造性」をチームメイトのように捉えフリーランスになった沖本さんは、自身の経験を生かし「不安」をテーマにした絵本の編集を担当することとなります。今回、自身にとっての「不安」との向き合い方について、寄稿いただきました。

***

15年間勤めた出版社を辞め、フリーの子どもの本の編集者になって2年半が経つ。会社という客船から降り、気心知れた同僚たちとも離れ、見るからに心細いゴムボート的な何かにのり、大海にひとり漕ぎ出す……。

生粋のおびえ系であるわたしが、大それた決断をしたものだと思う。しかし、40代の入り口で、フリーランスという働き方に舵を切ってみて、今のところ、わたしは非常に幸せでいる。そこに至るまでの、わたしと不安の物語を、今日は少しだけ書いてみようと思います。

いきなり登場する不安

「……でも、それさ、需要なくない? 唐突にそんな自分語りされてもって、思われちゃうかもよ」

こんな具合に、不安はわたしの生活に日常的に出現する。わたしの不安は、極度の心配性で、何か新しいことをするときは、浮かない顔で毎回律儀に現れる。今もわたしの肩にちょこんとのり、心配そうにモニターを覗きこむ。

「まあね。でもさ、最近は価値ある情報を提供することにみんなが夢中になりすぎだし、いびつで無価値なものが、すました顔で堂々と存在することで、何かのバランスが取れるかもしれないよ。役に立つことを言える人、全然役に立たないことを言い続ける人、両方いなきゃ世も末だよ」。そう言うと、不安は小刻みに頷いて、少しだけ微笑む。

不安とわたしは、こんな風に頻繁に雑談する。

わたしの不安は、考え方がやや極端で、登場過多ではあるものの、案外もっともなことを言うし、心配性なだけあって物事を深く考えているので、尊重して耳を傾け、対話ができると、結果的に良きものをもたらしてくれるのだ。

とはいえ、わたしと不安の関係が昔からこんな風に良好だったわけではない。正直、不安には、ずいぶん振り回されてきた。精神的にタフな人と臆病な自分をくらべ、長年ため息をついてきた。

しかし、不安にとことん付き合ううちに、不安はわたしの人生を、より魅力的な方向へ導こうと不器用に手を引く、憎めない存在だということがわかってきた。ちなみに現実世界でも、スマートで合理的な人よりも、不器用で効率の悪い、ちょっと変わった人に、断然わたしは惹かれてしまう。

産後うつを通じて、不安がわたしに伝えてきたこと

子供と一緒に過ごす様子

不安とわたしが、最も敵対したのは産後うつ時代だ。当時のわたしは、不安を嫌悪し、恐れていたので、大変に苦しんだ。でもまあ、この時期があるから、我々の今がある。産後うつは、想像を絶するほど苦しいものだったが、我々にとっては記念碑的な出来事となった。産後うつの詳細については、ここでは書かない。誠実に書こうと思うと、字数が足りない。

でも、これだけは書いておこう。当時、産後うつのわたしを極限まで苦しめた最大の不安と恐怖は、「今のわたしの存在が、子どもに悪影響を与えたらどうしよう。将来、取り返しがつかないことになるかもしれない」というものだった。

光のかたまりのような、無垢な子どもの隣で心を病み、十分な愛情が注げない。そのことが、あまりにつらく恐ろしく、肥大化した罪悪感が、回復に向かおうとする僅かな気力を、根こそぎ奪っていく。ネット上には、愛情の欠如が、子どもに与える恐ろしい影響を記した情報が無限にあり、虫の息の母親を、容赦なく追いつめる。

さらに、わたしには、夫や家族サポートも十分にあった。なので、そもそもわたしという人間が、母親に不適格なのではないか、間違った人間が子どもを産んだのではないかという、今思うと不可解なほどネガティブな自分の声にも、容赦無く攻撃された。これは、産後うつになったお母さんが、多かれ少なかれ経験する苦しさではないかと思う。

「でもさ」

専門家でもないわたしが、適当なことを言うべきではないかもしれない。けれどもわたしは、小声で言う。未来につながる朝が怖くて、夜明け前にがたがたと震えていた、かつてのわたしのようなお母さんに向けて。「子どもはきっと大丈夫。あとさ、わたしたちも大丈夫。一人でそう思えなかったら、まずわたしたちが、今から一緒にそう思い合うことにしない?」

うつは、自分で自分を責め苛(さいな)む不思議な病気だ。将来は、現在の先に永遠に存在し続けるのだから、未来に怯えていると、あの奇妙な自責の森から抜け出せない。

子どもには、自分自身で伸び、生きようとする力が、想像以上に備わっている。取り返しがつかないことが起きたとしても、そこから大切なものを取り返していく強靭さが、人間には宿っているのだ。無理矢理にでもそう信じることで、気持ちの消耗を防ぎ、呼吸を整える。そのうちに、少しずつ思考が戻り、森を抜けだす小道が、目の前に現れる。

この時期、不安が大暴れしながらわたしに伝えようとしてきたのは、「子どもは子ども。わたしはわたし。自分の不安を解消するために、子どもの失敗や困難といった成長の機会を、あらかじめ奪ってはいけない」ということだと思う。人間に備わる力を信じ、困った時はフォローしあう。でも、心配のあまり、他人の人生のハンドルを奪い、勝手に運転してはだめ。

天職だと思っていた仕事に翳り

産後うつから回復してからは、穏やかな日々が続いた。凪いだ心で子どもと夫と笑い合う日々は幸せだった。頭がまるで働かず、たった数行のメールを何時間かけても書けなかった、産後うつの時のあの恐ろしい焦燥感と絶望はどこにもなかった。仕事仲間も、以前と変わらぬ自然な態度とあたたかい笑顔で、わたしを受け入れてくれた。「ああ、よかった」。わたしは心底安堵して、なんてことのない日常の美しさを愛で、日いちにちと変化する子どもの成長を慈しんだ。

けれども、数年前から、不安がたびたびわたしに寄りかかってくるようになった。産後うつの時のような強烈な存在感ではないが、いつもなんとなくそこにいる。「なに?」と聞いても、不安は浮かない顔をするばかり。むーむむ、と思いながらも、わたしはお弁当をつくり、地下鉄に揺られ、会社に行って仕事をし、保育園に子どもを迎えに行き、食事をしてお風呂に入れ、絵本を読んで寝かしつけた。

わたしは、子どもの本の編集者という自分の仕事が好きだ。自分の持ち場で作品に関わり、愛情を注いだ本はひたすらに愛おしい。手がけた本を書店で見ると、その輝きに惚れ惚れする。こんなに楽しいことをしてお給料をもらえるなんて最高。30代半ばまでは、そんな風に思っていた。

しかし、34歳で流産を、35歳で出産を、その後、産後うつという過酷な経験をし、わたしは変化したのだと思う。楽しいだけでは、嫌になった。もがいて掴んだ、おぼろげな自分の考えを、著者の土俵である創作物に重ねようとすることも、我ながら無礼で浅ましく、そんな自分を疎ましく感じるようになった。

要は、当時のわたしは、回復を経て、成長した自分の思考や創造性を、もてあましていたのだろう。お皿のない場所に、いきなり自分の創造性を盛りつけては、困惑される。そんな具合だったのかもしれない。仕事では、求められていない動きばかりした。自分の創造性が乗りすぎた企画は落とされ、戸惑うわたしが次に出すのは、さらに己の創造性が色濃く出た企画で、それはもちろん、会社が望んでいるものではないのだった。

初期の作品を、試行錯誤しながら一緒に作ってきた作家さん達は、年月と共に表現に磨きをかけ、進化していく。その創造性は、美しく逞しく成長し、眩しいほどだ。その成長を誇らしく思う一方で、わたし自身の創造性は、迷走して場ちがいな場所に顔を出しては、眉をひそめられている。わたしは、自分だけが成長できないまま、かつて賑わっていた場所にぽつんと佇み、取り残されていくような寂しさを感じていた。

次第に、天職だと思っていたわたしの仕事に、いやな翳(かげ)りが差すようになった。機嫌よくそよいでいた心が萎び、愚痴が増え、自分のことが嫌いになった。うつはすっかり治り、体力も戻っていたので、当時は代替行為みたいなものをよくやった。子どもと絵を描き、工作をし、料理にも凝った。美容院を変え、ネイルサロンに足を踏み入れ、今まで着なかったタイプの服を買った。どれも、楽しかったけど、楽しくなかった。特に子どもに関わることは、自分のくすぶる創造性を、子どもの舞台で身勝手に消化しているような、後味の悪さが残った。

夜の日比谷公園で嗚咽して気づいたこと

そしてついに、感情が暴発した。帰宅途中に寄った夜中の日比谷公園で、わたしは泣いた。嗚咽とともに、内からの言葉が、か細く漏れる。

「……かわいそうだよ。わたしの創造性がかわいそう。どこに行っても、気のいいわたしの創造性が、場違いで、疎まれているように感じてさ。いつもおずおずと遠慮させられて。そんなの、断然かわいそうじゃん」

改めて目をやると、わたしの創造性は不憫なほどやせ細り、おどおどと怯えていた。

「あんた……こんな姿になって。窮屈な思いをさせてごめんよ」

この子が萎縮せず、のびのび過ごせる場所が必要だ。会社を辞め、新しい場所で、自分の力と責任で仕事をしよう、それがいいとわたしは思った。その瞬間、涙はぐんと勢いを増し、つめたく湿った夜中のベンチで、40オーバーの中年女は声をあげて泣いた。それは、蔑ろにされていたわたしの創造性が、「やっと気づいてくれた」と安堵して流す涙。苦しい涙ではない、あたたかいよい涙だった。

この時期不安が、じっとりと居座りつづけ、わたしに伝えようとしたことは、自分自身の創造性を疎み、押し殺して働き続けることの危険性だった。生きていく上で、不安と創造性は、わたしにとって大切な両輪なのだと、この夜改めて理解した。

こうしてわたしは、2019年の秋に会社を辞め、フリーランスとしてスタートを切った。創業メンバーは、不安と創造性、それからわたし。この3人となら、きっとうまくやれる。そして実際、新たな挑戦に怯えつつ、3人でこわがりながら挑んでいく変化の日々は、最高なのだった。

自由になった創造性が、気ままにそよぎ、くるくるとアイデアを出す。危なっかしい部分を不安がホールドし、計画が進行する。不安と創造性の両輪がうまく回りだすと、わたし本来の持ち味である楽観性と不謹慎さが戻ってきて、「失敗しても大丈夫。とりあえずやってみてさ、怒られたら全力で謝ろう」と、次第に肩の力が抜け、深く呼吸ができるようになった。

こわがり作家と編集者で、キャリアを生かした絵本づくり

そんなある日、絵本作家の新井洋行さんが、絵本のラフを見せてくれた。『かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった』というその本のテーマは「不安」。読んですぐ「この本の編集者は、わたしだと思います。絶対担当させて下さい」と、前のめりにお願いした。

新井さんは新井さんで、長年独自の工夫を重ね、自らの不安や恐怖との付き合い方を模索しつづけてきた人だ。我々は、お互いの不安の歴史を熱く語り合った。カフェを出た後も別れがたく、真夏の炎天下の道を、本郷から神保町まで、不安トークをしながら歩き続けた。新井さんは、わたしの熱量に若干引いていたかもしれない。でも、心が動いた企画に出会った時の編集者なんて、多かれ少なかれ、こんなものだとわたしは思う。

精神科医・森野先生の言葉に出会う

『かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった』は、強力な仲間を得て、快調に進んでいった。子どものメンタルヘルスの絵本なので、精神科医の森野百合子先生にもチームに入っていただいた。

そして、森野先生と話す中で、心の底から納得する言葉にわたしは出会う。それは、精神治療のひとつの定義で、「その人が持って生まれた能力が、100%発揮できているのが、精神的に健康な状態である」というもの。

わたしが持って生まれた能力。それは「不安を抱き、こわがる力」と「それを慰め、元気づけるための創造性」のふたつだ。両者の相関関係は面白く、不安がなければ創造性は発揮されないし、創造性が消えると、不安が暴走し、わたしの心は均衡を失う。要は、不安と創造性が交互に顔を出し、ちょこまか動き回る今のわたしの状態こそが、100%精神的に充足して、健やかであるということなのだ。つまり、不安を追放しちゃったら、わたしの心は幸福ではないのだ。

かつて、自分の臆病さを恥じ、不安克服本を読み漁った時期がある。根が素直なわたしは、書かれたことを真に受けて、あさっての方向に努力を重ねた。ちなみに、どのメソッドも見事に効果ゼロだった。神様は、さぞかし気を揉んだことだろう。「ちがうちがう。お前が行くのはそっちじゃない。せっかく授けたものを、なぜ捨てようとするんだ……」と。

おびただしいトライ&エラーののちに、ようやく体ごと理解した「不安こそが、わたしに与えられた天賦の才能」という考え方。これ以降、不安はわたしの中にはっきりと居場所を確保し、その部屋で堂々とくつろげるようになった。

不安と対等につきあうための基礎訓練

調子にのってぺらぺらと、わたしと不安の物語を語りすぎた。我ながらおなかいっぱいだ。最後に、不安と良好な関係を築くわたしなりの心得を綴り、いい加減終わりにしよう。
 
わたしの不安は、個性的で魅力的な分、対等に付き合うためには、こちらもそれなりにトレーニングする必要がある。これは不安に限らず、人と萎縮せずに向き合い、対等な関係を結ぶためにも有効な、日々の基礎訓練だと思う。

毎晩きちんと眠ること。部屋をきれいに保つこと。食事をとること。ちょっとした運動を、細く長くつづけること。他者と適度に交わること。情報は、時に意識して遮断すること。ネットの細切れな情報ではなく、本からまとまった知識を吸収すること。緑に触れること。心がはずむ、面白いものや、美しいものに触れること。新しい風を入れ続けること。そして、これが難しくはあるのだが、できる限り、人に対するナイスさを失わないこと。ナイスなわたしでいる限り、不安も創造性も、わたしのそばにいてくれる。

当然全て完璧にはできない。でも、不安との関係が乱れてきた時には、このどれかをやるといい。コンディションが乱れると、せっかく不安が雑談しにやってきても「消えろ。お前なんか大嫌いだ!」等暴言を吐いてしまい、傷ついて巨大化した不安に報復される。その迫力に、創造性は怯えて姿を消す。この悪循環はもったいない。だって、我々3人チームで進む先には、信じられないほど素晴らしい景色が待っているかもしれないのだ。

あのふたりが、愛想を尽かしてわたしの元を去ってしまったら、その喪失感は絶対に埋められない。彼らのいない空疎な日々など、わたしは到底耐えることができないだろう。不安と創造性と共に、わいわいがちゃがちゃやりながら、不器用に紡ぐ日々を、今のわたしは、心の底から愛しているのだ。


著者提供画像



仕事のこと、子供のこと……何かと不安がちなあなたへ

産後クライシスは一度じゃない。乗り越えた夫婦が気付いた「頼ること」と「共有」の大切さ
産後クライシスは一度じゃない。乗り越えた夫婦が気付いた「頼ること」と「共有」の大切さ言
「最高の一日」を描いたら、仕事や将来の“なんとなく不安”から抜け出せた
「最高の一日」を描いたら、仕事や将来の“なんとなく不安”から抜け出せた
絶好調の自分を基準にしない。放置しがちなメンタルをケアする方法
絶好調の自分を基準にしない。放置しがちなメンタルをケアする方法

著者:沖本敦子

該当するalt設定

1978年生まれ。子どもの本の編集者。ブロンズ新社勤務を経てフリー編集者となる。 編集を手がけた絵本に「だるまさん」シリーズ(かがくいひろし)、ヨシタケシンスケの発想えほんシリーズ、『たまごのはなし』(しおたにまみこ 以上全てブロンズ新社)、『かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む1 不安・こわい気持ち』(作/新井洋行 森野百合子監修 パイインターナショナル)他多数。麦田あつこの名前で文章の仕事も手がける。作品に『ねむねむこうさぎ』、『こうさぎぽーん』(絵/森山標子 ブロンズ新社)、『どんな おべんとう?』(絵/いわきあやこ 小学館)他。日本大学芸術学部非常勤講師。9歳男児と夫の3人暮らし。
連載:ひとりがわそろこ絵本相談室
Twitter:@AtsukoOkimoto