「仕事はいつも全力で頑張りたい」
「仕事が楽しく、やりがいを感じている」
そう感じる人にとって、妊娠・出産や家庭の都合など、なんらかの事情でキャリアを中断せざるを得ないのはつらいものかもしれません。
現在家族と共にデンマークで暮らす文筆家の井上陽子さんは、かつて新聞記者として多忙な毎日を送っていました。妊娠を機に夫の故郷であるデンマークに移住し、新聞社を退職。それまでの忙しさとデンマークののんびりした生活のギャップがあまりにも大きく、それまでの自分の生き方が否定されたような感覚を抱いたといいます。
「前と同じように頑張れない」現実をどう受け入れ、どう向き合ってきたのか。その変遷を書いていただきました。
10年前には想像できなかった今の暮らし
いま私は、デンマークの首都コペンハーゲンの自宅から電車で30分ほどのところにあるホテルの部屋に、一人で缶詰になっている。はい、2歳と6歳の子供2人、夫のもとに置いてきました。
ある日、足の踏み場がない子供部屋のおもちゃを片付ける手をとめて「こんな細切れの時間じゃ仕事なんて何もできん!」と爆発した。頼まれた仕事、書きたい原稿、やった方がいいとわかっているのに着手できていない多くのことで頭がはちきれそうなのに、2人の育児に加えて「家族と過ごす時間は最優先」というデンマーク人夫の方針で過ごしていたら、まったく時間が足りないのだ。
夫によると、私がフラストレーションを募らせる場面は頻発していたらしい。そこで「クリスマスプレゼントに」と、子供なし”お仕事ステイ”をプレゼントしてくれたのである。なんといういい夫でしょう。いや、今回はそういう原稿ではない。
10年前は、自分がこんな悩みを抱える日が来るとは想像もつかなかった。いやむしろ、ひとり時間使い放題の仕事一辺倒な生活を送りながら、まったく逆方向の悩みを抱えていたのだ。
30代半ば、新聞記者だった私の詰めていた記者クラブには、昼夜問わず仕事する記者が仮眠に使うベッドがあった。圧倒的に男性記者が多かったが、汗臭い記者がもう何人も寝転んだであろうベッドで、私もよく休んでいた。締め切り時間から逆算して、原稿に着手する時間までの間、気絶するように眠る。アラームで深い眠りから起こされると、たいてい、いま自分がどこで何をしているのかわからなくなって、記者クラブの薄暗い天井をぼーっと見つめていた。
私の人生は仕事だけでいいのかな。やりたい仕事ってこういうことだったっけ。なんて考えるのも、たいていはそういう時だった。
あの頃は、家族の温もりに憧れつつも、夕食をコンビニに買いに行く時間すらままならない自分がどうやったら「誰かと出会う→おつきあいする→結婚する→妊娠・出産→子育て」なんていう気の遠い”偉業”を成し遂げられるのか、まるで見当がつかなかったのだ。
それから10年、私は家族を持つ夢を叶えて、めでたしめでたし……じゃないことはもうおわかりですよね。「私は何者でもなくなってしまった」という思いにかられて、胃が痛くなったりしているのだから、人生は一筋縄ではいかない。
甘くみていた人生の転換
私がデンマークに来たのは2015年夏。当時39歳、妊娠8ヶ月だった。新聞社の米国特派員として時差に振り回される生活を送りながら、流産といった事態にもならずに済んだことに心からほっとして、コペンハーゲンに降り立ったことをよく覚えている。
そこから、言葉もわからない国での出産、初めての子育てで目の回るような日々を過ごし、それが一段落すると今度は語学の勉強に打ち込む日々。語学試験に合格するのは、デンマークで安定した滞在資格を得るための条件の1つなのである。夜泣きで睡眠不足と闘いながら、40から新しい言語を学ぶのはしんどかったけど、余計なことを考えずに打ち込めたという意味では、助けられていたのだと思う。
自分がいかに大きな人生の転換を決断したのか、それを甘くみていたのかに気づいたのは、語学学校が終わり、冬を迎える間近のことだった。娘も順調に保育園に通い始めて、日中、何もやることがなくなってしまったのである。
幸いにして我が家は、夫の収入だけで家計をやりくりできている。思えば新卒で仕事を始めて以来、ずっと忙しく過ごしてきたのだから、昼間から好きな映画を見たり興味のあるイベントに行ったり、のんびり過ごせばいいじゃん、と最初は思った。でもまもなく、私はものすごく不機嫌になり始めた。一日のうち、まともに話す大人は夫だけ。帰宅した瞬間に、その日言いたかったことをぶちまける私に、夫は辟易している様子だった。そして、私が、日本や米国にいた時ほど幸せに見えない、と言った。
なぜそんな状況に陥ったのか。振り返ってみると、当時は、本を読んだり街を歩いたりしてはいたものの、日中の会話は自分の頭の中だけで、人間関係を広げたり家の外に居場所をつくったりする努力をしていなかった、というのがひとつ。そしてもう一つは、自分自身に対する評価の軸が学校や仕事での目に見える成果に極端に偏っているために、仕事をしていない自分、前進していない自分には価値がなくなったと感じたからだったように思う。
筆者。コペンハーゲンの街中で
かつての自分をデンマーク的価値観で測ってみると
ただ、この「前進していない」という焦りは、「成功」に対する直線的なイメージから来ているのかも、とある時ふと気がついた。
長く暮らしてきた日本はもとより、一時期を過ごした米国でも、学歴にしろ年収にしろ、いわゆる成功の基準が比較的はっきりした世界で育ってきた。一流と言われる大学に行き、知名度がある会社や組織で成果を上げながら肩書きの階段を登ったり、年収を上げるための転職を重ねる、といった具合に、わかりやすい指標と成功が結び付けられているところがあった。成功への道は細く険しいので、今の楽しみを犠牲にしてでも将来のために勉強しよう、当面の激務にも耐えよう、という考え方。
一方、そういう「野心」とか「我慢」という思考から縁遠いと感じるのが、デンマークの人たちである。ここでは、お金や地位が、日本やアメリカほどの意味を持っていないのだ。先生も上司もファーストネームで呼び、会社でも関係性がフラットなので、デンマーク人の部下を持つ日本人からは「言うことを聞いてくれない」と愚痴も耳にする。職業による所得格差が少なく、ある一定基準以上を稼いだら、それ以上は半分以上を税金で持っていかれる仕組みになっているので、働きすぎるのがバカバカしい。
でどうするかというと、夕方4時すぎには仕事を切り上げて、家族や親しい友人との時間を過ごすとか、趣味に打ち込むとか、家を快適にするために改修に力を入れるとか、仕事以外の時間を充実させ始めるのである。
そんなデンマーク人から見た”理想の暮らし”とはどんなものか。私からみると、それは「バランスのある生活を、余裕をもって送る」という感じ。男女とも仕事をするのが前提の社会なので、バランスというのは「仕事」と「友人・家族と過ごす時間」、そして「趣味や学びなど個人としての時間」という意味である。
友人に、大学教授をしている女性がいる。競争の激しい海外の学術誌にも論文を発表しなくてはいけないので、デンマーク流のワークライフバランスを保つのは難しそうなものだが、それでも平日は午後3時半には子供を迎えに行き、子供が寝るまでは宿題や習い事につきあう生活をしてきた。日中に間に合わなかった分の仕事は、子供が寝た後に家でこなす。仕事の成果はあまり語らないが、力を込めて話すのは、今は11歳と13歳になった子供たちとたっぷり時間を過ごしてきた、という自負。「これまで週末に仕事に手をつけたのは3回だけ」だそうだ。しっかり回数を数えているところに、週末は家族と過ごすという信念がにじんでいるなあ、と思う。
こういう世界観に浸かっていると、自然とそれまでの生き方を振り返ることになる。新聞記者時代の私の生活は、早朝から未明まで仕事に振り回される生活だったけど、それを説明するときの私は”忙しさ自慢”をしているところもあった。忙しい=必要とされている、仕事がどんどん回ってくる=それをこなせる私はできる人材、みたいな。
でも、当時の生活をデンマークの知り合いに話したら、まあ、「気の毒」「かわいそうに」という反応ですよね。体を壊さなかったのは単なるラッキー、という話。午後5時には職場を出る人がほとんどなので、私生活がないほど仕事をしたり、出産前と同じペースで仕事をこなすために、保育園に子供を遅くまで預けたり、というのも考えづらい。デンマークの保育園・幼稚園は、だいたい午後3時半がお迎えのピークで、5時きっかりに職員が施設の鍵をがちゃんと閉めて終了。ほぼみんな共働きでこれである。
私としては、それまでの自分の生き方を否定されたような気がして、反発したり落ち込んだりしたのだが、そうはいっても私なりに幸せに生きていく方策を考えるほかない。その頃、オンライン雑誌「クーリエ・ジャポン」で書いたのが、この連載。「幸せの国・デンマーク」にいながら、どうも幸せじゃないという皮肉な状態に陥った私が、デンマークの人々の知恵を借りながら、もう少し幸せになってみよう、と自分を実験台にして臨んだ記録である。(noteでも公開中)
連載を始めちゃったというプレッシャーに力を借りて、多くの人と会ってつながりを広げつつ、新しいことにもトライしたりと、自分の世界を少しずつ広げた経験はとてもいい自信になった。北欧に来てからの”人生第二章”も6年を過ぎ、デンマーク的価値観がなじんできたところもある。仕事は人生の大事な要素だという思いは、今も変わらないけれど、仕事は人生の一部でしかない、というのもまた事実。この6年は、キャリアとしては停滞期かもしれないが、「幸せな家族の基盤を作る」という意味では、とても生産的な時間を過ごしたと捉え直すこともできるのだ。
理想を描ければそれで終わりーなら苦労しない
さてそんなことを言っておきながら、キャリアの停滞が全く気にならないほど、突き抜けた境地に至っているわけではもちろんない。「クーリエ・ジャポン」の連載後は子供が2人になって自由な時間がますます減り、「やりたいことが全然進まない」というフラストレーションを抱えることもしばしば。イライラが爆発して、ホテルに缶詰になっていることからもわかりますよね。
ただ、焦りがあるというのは、諦めたくない目標があるのだということでもある。そういうマイナス感情をなくそうとやっきになるよりは、うまくおつきあいする方が、結局はうまくいく……というか、今はそれしか選択肢がない。
かつてはそうじゃなかった。自分の時間とエネルギーが使い放題だった時は、目標に向かって一直線に、全力で頑張ることで、焦りの原因をねじ伏せていった。でも、仕事オンリーじゃない世界で生きることを望んだのは、ほかでもない自分自身。やり方も変えなくてはいけない。
なかなかうまくできないものの、大事なことは、自分に優しくあることだと私は思っている。”理想の自分”があまりに遠く、日々の歩みが遅いときには、短気を起こして一切見限ってしまいたくなるけど、一歩でも進めばよしとする、不完全さや曖昧さを許容する。それが結局は遠くまで行くためのコツだと、私は自分に言い聞かせている。
ところで、冒頭に書いた「私は何者でもなくなってしまった」ということだけれど、最近、あるデンマーク人に同じことをつぶやいたら、真顔で正面から凝視され、「Who said that?(誰がそう言ったの?)」と問い詰められた。「いや、誰っていうか……」と答えに窮していたら、さらに2回、強い口調で畳み掛けられた。その時点で泣きそうだったが、「2人の子供たちにとって、あなたは世界のすべてでしょ」と言われて、ついに涙腺が崩壊した。
そう、何者でもないとかって、勝手に自分で思ってるだけなんですよね。誰からもそんなこと言われたことないぞ、よく考えたら。自分に優しくしましょう。そして、ゆっくりと望む道を進んでください。
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著者:井上陽子
編集:はてな編集部