「能力不足」と悩まないで。仕事が終わらないのは個人だけの責任ではない

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「仕事が時間内に終わらない」などの理由で職場からの評価が低く、自身の「能力不足」に悩んだ経験はありませんか。

しかし、組織開発の専門家・勅使川原真衣(てしがわら・まい)さんは、能力とは個人に帰属するものではなく「環境や時代次第でいくらでも移ろうもの」と考えています。「仕事がうまくいかないときは、まず個人の能力を疑うよりも前に、業務や人員配置などの環境を調整することを考えた方が良い」と語る理由とは。

「能力」とは環境によって移ろいゆく幻のようなもの

勅使川原さんは行き過ぎた「能力主義」に疑問を抱き、大学院で教育社会学を研究されたそうですね。ご著書の『「能力」の生きづらさをほぐす』では、定義が曖昧な「能力」を求められ続けられてしまうことのいびつさを指摘されていました。

勅使川原真衣さん(以下、勅使川原) 私自身、「能力」の曖昧さには子どもの頃から苦しめられてきたんです。小学生時代、ある担任の先生からは「リーダーシップがある」と評価されていたのに、進級して別の先生が担任になった途端、「リーダーシップが強すぎて問題だ」と酷評されたのが忘れられなくて。会社員になってからも、ある企業ではじめは最低の能力評価をつけられていたにも関わらず、偉い人と仲良くなるにつれて評価が上がるという経験をしました。

なんなんだこれ、と疑問に思うあまり、一時は敵地視察をしようと意気込んで、人材の能力開発や評価を行う外資系のコンサルティングファームに勤務していたこともあります。「能力」への恨みが深いんです(笑)。

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勅使川原さんが経験されたのは、環境に応じて求められる「能力」が変わり、それによって自分の評価までコロコロ変わってしまう……ということでしょうか。

勅使川原 そうです、そうです。実際のところ、企業が新卒学生に求める能力も風見鶏のように時代によって変化しています。例えば、厚労省が定期的に発表していた「雇用管理調査」(2004年に廃止)を遡ってみると、学生を採用する際に重視する能力として、あるときは「創造性」が求められたかと思えば、あるときは「協調性」がいきなり求められたりもする。

また、直近では経団連から「大企業が大卒者に期待する資質・能力・知識」*1がランキング形式で発表されていますが、そこで求められる資質や能力は多岐にわたります。例えば、2022年に発表されたものでは、1位が「主体性」、2位が「協調性」。3位以降は「実行力」「学び続ける力」「柔軟性」……と続きます。

「主体性」の次が「協調性」……。どう捉えればいいのか悩みますね。

勅使川原 結論から言ってしまうと、これらは本来、組織の「機能」としては全て必要なんですよ。ただ、それを一人の個人が身に付けるべきものとして捉えると、おかしなことになってしまう。能力とは環境によって移ろいゆく幻のようなものです。例えば、ひとくちに「コミュニケーション力」と言っても、職場によって求められるコミュニケーション力の内容は違うでしょうし、その能力がうまく発揮されるかも、人間関係や制度などによって変わりますよね。

それなのに、能力を個人に帰属するものと捉えてしまうと、仕事ができないのは能力がないあなたのせいだ、と個人だけに責任を押し付けることになってしまいます

確かに。ただ仕事がうまくいかないと、自分の能力や資質の問題だと考えてしまいがちです。

勅使川原 そうなんですよね。そう考えてしまう背景の一つには、そもそも教育の目的に「人格の完成」*2と定められていることがあると思います。これは、自分に足りないものをインプットして「能力」を高め続けていけば、いつか人格が完成する、という非常に個人主義的な人間観なんです。しかも近年では、求められる能力が「人間力」とか「生きる力」とか、抽象度を増してさらに細分化されつつあるのできりがありません。

また、社会学的に『失敗の納得のしかた』を社会がうまく設定することは非常に重要で、社会の安定的な運営という観点からは、「自分は能力が足りないから、評価されなくても仕方ない」と思わせるようなロジックが重宝されてしまう部分もあります。よく成功した人が「自分には〇〇力があったから成功した」と、成功の理由を特定の能力に還元して公言することがありますが、それはこうしたロジックと表裏一体です。

でも実際のところ、成功したのは仕事との相性や周囲との関係、さらには運がよかったからというのもあるはずで、あくまで環境における結果ではないでしょうか。私が組織開発と自分の仕事を説明しているのも、人材開発のように個人に焦点を当てるのではなく、組織全体の環境の調整に目を向けたいと考えているからなんです。

無理のない範囲で「職業人格」を演じるのもひとつの手

勅使川原さんが組織開発の専門家としてお仕事をされてきた中でも、実際に、環境によってまったく能力の発揮され方が違うと感じた事例は多かったですか?

勅使川原 本当に多かったです。例えばある企業では、「新人の登竜門だから」という理由で、新入社員の多くは簡単な表計算やデータ上の間違いを見つける業務を任されるんですね。向き不向きがはっきりと分かれる仕事なんですが、その企業では、計算業務ができないとほかのクリエイティブ職やマーケティング職に就かせてもらえないルールになっていました。

つまり、表計算の誤りを見つける能力が、その会社の求めるベースの能力になっているということですね。

勅使川原 そうです。でも、そのタスクが苦手でも、ほかの業務でなら高いパフォーマンスを出せるタイプの人はいるんですよ。実際に、Oさんという社員はその職務との相性が非常に悪かったんです。悩んだ末に不調をきたして休職することになってしまったのですが、復帰するときにあるマネージャーが「Oさんは営業に向いているんじゃないか」と気づいた。それで営業チームに異動した結果、成果を出せるようになり、いまではかなり出世しています。

それから、ある企業で働いていた警備員の方は、前職では職場の人気者だったのに、転職した途端に同僚から冷遇されてしまったと聞いたこともあります。だから、仕事がうまくいかないときは、まず個人の能力を疑うよりも前に、業務や人員配置などの環境を調整することを考えた方が良いと考えているんです。

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個人に合わせて業務や環境を調整するという考えは、マネージャー層にこそ持っていてほしい発想ですね。

勅使川原 本当にそうです。そもそも組織開発なんてある程度大きい組織規模でしか成り立たないと思われる方もいるかもしれませんが、私のクライアントには地方のクリニックなど、少人数の組織も多いんです。むしろ、人数が限られている方が社会的手抜きが起きず、「集まった人たちで工夫しよう」という意識が働き、それぞれの特性が生きる印象があります。

業務や人間同士の組み合わせまで考えるとなると、どうしてもマネージャーの責任や負担が大きくなるので、うまくいかないときに個人に責任を限定した方が楽なのかなとは思うのですが……。異動や配置転換がもっとフレキシブルにできる環境をぜひ経営層やマネージャー層にはつくっていただきたいと思います。

一方で、いち社員として働く私たちが「能力」に必要以上に苦しめられないためには、どんな意識を持っていたらいいのでしょうか。

勅使川原 ここまでお話ししたとおり、「能力」って本当に曖昧な、蜃気楼のようなものだということを忘れないでいただきたいです。社会の求める能力はクルクルと変わるし、環境によって能力の発揮のされ方も違う。だから、必要以上に「もっと能力を高めなきゃ」とか「評価されないのは能力が足りない自分の責任だ」と思うことはやめてもらって大丈夫だと思います。まずはそこで、ちょっと肩の力を抜いていただきたいですね。

それからもうひとつ、よく現場で言うのですが、メンバーの能力について指摘してくる人って、別にあなたという人間全体を見ているわけではまったくないんですよ。だから、必要とされている機能であれば演じてみてもいいんじゃないですか、と。「なんかこの人『大胆なリーダーシップを見せてほしい』ってずっと言ってるな。まあ給料ももらってるし、1年くらいやってみるか」くらいの感覚でもいいと思うんです(笑)。

私は「職業人格」と呼んでいるんですが、見せかけでもいいから、職場で求められているものが提供できそうなら提供して差し上げる、という姿勢もときには持ってみてもいいのかなと思います。

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なるほど。最近では、仕事と自己実現を結びつけるあまり、仕事と自分自身の評価が直結しているような印象もあるのですが、むしろ積極的に切り離していくと。ただ、それでもそこで求められているものがどうしても演じきれないときには、どうするべきでしょうか。

勅使川原 昨今は1on1ミーティングの機会を設けている企業も多いので、そういったタイミングで「もしかしたらできているように見えてるかもしれませんが、実はしんどいんです」と上長にぜひ伝えてほしいです。「置かれた場所で咲きなさい」という罪深い言葉がありますが、そこで咲こうとする必要はまったくないですからね。異動を希望してみるなり、辞めることを決めるなり、ほかに咲ける場所をぜひ探してほしいと思います。

企業が見ているのは「能力」ではなく「相性」

能力を環境によって変化するものと捉えると、個人が転職活動などで新しい職場を探す際に見るべきポイントも、従来とは変わってきそうです。自分にマッチする環境を見つけるためには、どんなポイントに注目すればよいと思いますか。

勅使川原 職能が発揮されるのは環境との相性がいいときだけですから、関係性の基本になる場はなるべく見に行った方がいいと思います。

最近は面接がオンラインだけで完結することも少なくありませんが、実際に職場を見せてもらい、自分がどんな人と頻繁にやりとりをしながら、どんな言葉を使いながら仕事をすることになるのかの情報はできるだけ集めた方がいいですね。そういった情報を提供することは、お互いのミスマッチを防ぐためにも、企業にとっても必須になっていくんじゃないかと思います。

「りっすん」の読者には、ひとつの会社に長く勤めている方も少なくないと思います。長年勤めた会社からの転職を考えるとき、「自分はほかの場所で通用するんだろうか」と悩んでしまう人もいそうだなと思うのですが。

勅使川原 企業が見ているのは能力だと言われ続けているけれど、実際には相性です。「ここでだめだったらほかの会社でもだめかもしれない」と妄想してしまう気持ちは分かりますが、情報をできるだけ集め、相性を自分から見極めに行く、ということを淡々と続けていれば、活躍できる企業と巡り合う可能性は高いと思います。

最近はキャリアにも一貫性を求められたり、「本当の自分」の声に耳を傾けるべきだと言われたりしてすごく大変だと思いますが、実際には人の道のりって予期できないものですし、論理が一貫していないのなんて当たり前のことなんですよね。どこかで急にキャラ変したっていいし、必要なものを演じていたっていい、と思えると、すこし気持ちがほぐれるかもしれません

勅使川原さんはご著書の中でも、安易な「分かりやすさ」や「成功」に引きずられず、葛藤し続けることの意味について書かれていましたね。

勅使川原 企業も個人も、誰も今後の「正解」が分からない時代において、効率的に道を選んだり、ゴールをひとつに決めたりするなんて絶対にできないと思うんです。だから、コロコロと変化する「能力」に振り回されるのではなく、誰でも本来持っている「なんか変だな」という気持ちを無視せず、葛藤を続ける方が自然の姿じゃないかと。

私たちなんてみんな、ちっぽけだし超ダサいんですよ。周りを見渡すと人のいい面ばかりが見えるかもしれないけれど、みんな完璧じゃないんです。だからこそ私たちはお互いに機能を補い合って、協力しなきゃいけない。個人が「人格の完成」なんて目指してる場合じゃないんです。

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取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

私、仕事が“できない”のかな……?と悩んだら

自分の仕事ぶりを、自分で責めるな。私に必要だったのは「傷つけない」働き方
自分の仕事ぶりを、自分で責めない
絶好調の自分を基準にしない。放置しがちなメンタルをケアする方法とは?|臨床心理士・みたらし加奈
「絶好調の自分」を基準にしない
仕事にも自分にも“こだわり”は必要ない? 文化人類学者に聞く、日本とは対照的なタンザニア商人の「柔軟性」
仕事にも自分にも“こだわり”は必要ない?

お話を伺った方:勅使川原真衣(てしがわら・まい)さん

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1982年横浜生まれ。 慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。 BCG、ヘイ グループなど外資コンサルティングファーム勤務を経て独立。 2017年に組織開発を専門とする、おのみず株式会社を設立し、企業はもちろん、病院、学校などの組織開発を支援する。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。
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生方美久さんが助産師から脚本家に転身した理由。不安は消えないから、ほどよく目をそらす

脚本家・生方美久さん

脚本家・生方美久(うぶかたみく)さんに「キャリア」についてインタビューしました。

やりたいことはあっても、将来のことを考えると踏み出せなかったり。せっかく築いたキャリアを捨て、またイチからスタートすることに抵抗を感じたり。「今の仕事」と「やりたいこと」の間で揺れる人は多いのではないでしょうか。

2022年秋に放送され大きな話題を呼んだドラマ『silent』の脚本家・生方美久さんも、そんな悩みを抱いた経験がある一人です。

もともとは助産師として働いていたものの、「今の仕事に向いていない」という悩みから脚本を書き始めた生方さん。決断にとって大切なこと、そして不安との向き合い方を伺いました。

「好き」でも「選ばれた人しか入れない世界」だと思っていた

生方さんが最初にドラマや映画など映像の世界に興味を持ったのはいつですか。

生方美久さん(以下、生方) 映画に関しては高校生のときです。映画『リリイ・シュシュのすべて』を観て、岩井俊二さんの作品が好きになって、映画に興味を持ちはじめました。と言っても私の地元(群馬県)では映画館が少なくて。ローカルなレンタルビデオ店でDVDを借りるので精一杯。

大学生になってからは行動範囲が広がり、自然と映画館でいろんな映画を観るようになりました。社会人になると、週2〜3回は映画館に行ってましたね。

生方さんは大学で看護の勉強をし、大学2年生のときに助産師を目指しはじめたと聞いています。その頃は「脚本」を仕事にしたいという気持ちはなかったのでしょうか。

生方 脚本どころか、映像業界を目指そうとも思っていなかったですね。選ばれた人しか入れない世界だと最初から決めつけていたというか。あくまで憧れであって、仕事に結びつけようという発想自体がなかったです。

私、自己肯定感がすごく低くて、「これがしたい」「ああなりたい」みたいなものはあっても、自分には無理だから来世で頑張ろうと思うタイプなんです。映画やドラマも「好きだけど、見て楽しめれば十分」と考えていました。

脚本家・生方美久さん手元

安定した職を手放すのが怖くて設けた「準備期間」で脚本を書き始めた

助産師として働きはじめてから3年で一度病院の仕事を辞めたそうですが、「映画やドラマの世界はあくまで“憧れ”」という気持ちに変化が訪れたのは何がきっかけだったんでしょう?

生方 助産師の仕事があまり向いていなくて。仕事がしんどくなればなるほど映画やドラマといった「好きなもの」に逃げるようになり「なんで私はこっちの世界を目指さなかったんだろう」という気持ちがどんどん強くなっていったんです

どういった点に「向いていない」と感じたのですか。

生方 やりたかった仕事ではあるけど、周りに迷惑をかけている罪悪感が強くて。こんな意識の低さで人の命を扱っていいのかといった自己嫌悪だったり、そんな自分が担当することに対する患者さんへの申し訳なさだったり……。そういうしんどさがありました。

「映像業界を目指そう」と決意が固まったのはいつですか?

生方 助産師として働きはじめて2年目のときです。決定打となったのはある俳優さんの言葉で、「一年後に仕事を辞めて本気で映画やドラマの仕事を目指そう」と決めました。それが誰でどんな言葉でどんな映像だったのかは秘密なんですけど(笑)

なぜ「一年後」だったんでしょう。

生方 安定した職を手放す怖さがあったので、ちゃんと準備をしたくて。映画の学校に通う学費を貯めようと貯金を始め、同時に独学で脚本の勉強も始めました。

といっても当時は映画監督志望で、「脚本家になりたい!」と強く思っていたわけではないんです。ただ、何から始めればいいのかわからない中で「脚本だったら独学でできるかも」と思いついたのが最初だったんです。

今考えると安易なんですけど……。教科としての「国語」が得意だったわけではないんですが、作文は昔から“書ける”方で、読書感想文が入賞した経験もあったので、文章を書くことには抵抗がなかったんです。スマホで脚本の書き方を検索して、そこから一人で書きはじめました。

しばらくは助産師の仕事をしながら脚本を書いていたということですよね。

生方 そうです。仕事の合間に脚本を書いて、初めて書き上げたものをコンクールに出しました。そうしたら一次審査を通過して。結局二次で落ちちゃったんですけど、一次を通ったということは、一応は脚本として成り立ってるってことなんだなと思い、そのまま書き続けました。

「いけるかもしれない」と自信がついた?

生方 自信というよりは「この方向性で続ければいいんだな」という感じでしょうか。前提として、私は自分に才能があるとは思ってなくて。最初にコンクールに出した作品も、今読み返すと全然おもしろくないですし(笑)。

当時も自分の書く脚本が「おもしろくない」ことは分かっていて、「おもしろいもの」になるよう勉強して書き続けるしかないんだ、と。

仕事を辞めることに罪悪感はあったけど、踏みとどまろうという選択肢が生まれなかったのも「脚本を書きたい」という意思がここで固まったからだと思います。

仕事をしながら脚本を書く生活を1年ほど続けたのち、病院を退職して、当時住んでいたアパートから実家に帰ったとのこと。アルバイトをしながら映画の学校に通って映画監督になるための勉強をする傍ら、脚本を書き続ける生活が始まったわけですが、しばらくはシナリオコンクールで一次選考にも通らない日々が続いたそうですね。心は折れませんでしたか。

生方 先ほども話したとおり、自分に才能がないことが分かっていたから挫折もなかったというか……。まったく自分に期待していないから、コンクールに通らなくても「こんなもんだよね」と結果を受け入れて、休まず遅めに走り続けているという感じでした。映画の学校の同期と自分の才能を比べて落ち込む、ということもなかったです。

生活や仕事が安定している周囲と自分を比べて不安になることもなく?

生方 いえ、不安はありました。安定した生活ではないかもしれないけど、その分好きなことをやっている幸せがあるはずだ、だから、焦ることも比べ合うこともない。そう考えることで精神的な余裕を保っていたように思います。

脚本家・生方美久さん

なかなか夢が叶わない中でよぎった「ちゃんと」働かなきゃという考え

「周りと比べて焦らない」というのは、新しい道を選ぶ際にとても大事な視点のように思えます。その後、少しずつ結果が出るようになってきて、同時に安心感や自信も少しずつ感じられるようになった?

生方 いえ、一次審査にすら通らなかった頃よりも、このときの方が精神的にはしんどくて。

どうしてですか。

生方 書き続けていると、コンクールで奨励賞や佳作などをいただけるようになり始めて、テレビ局などのプロデューサーさんから「一度会ってお話しませんか」と連絡をいただくようにもなりました。でも全然仕事につながらなくて。「こんなにも仕事にならないんだな」と本当に狭き門であることを改めて実感したんです。

2021年に上京して看護師に復帰されていますよね。ご自身のブログでは「ちゃんと働かなきゃ、叶うわけない夢を追い続けるなんてダメだよなと思った」といったことを書かれていますが、そろそろ脚本の道を諦めた方がいいのではと考えていたのでしょうか。

生方 まず、上京を決めたのは、プロデューサーからお声がかかったとき、フットワークが軽い方が重宝されると思ったからでした。

そうやって夢を実現するために行動する一方で、このままアルバイトをしながら夢を追い続けていいのだろうかという悩みもあって。東京で暮らすのはお金もかかるので、生活のためにもう一度看護師として働こうと決めました。あとはコロナ禍で医療従事者が不足していたので、せっかく資格を持っているんだし……という気持ちもありました。

ただ、正社員になるか、脚本を書く時間をもっと確保するために非常勤のパートで働くかはかなり悩みましたね。

それは、悩みますね……。

生方 なのである病院では正社員希望として面接を受けたんですけど、そのとき面接を担当した方から「せっかく助産師の資格を取ったのに、そんな叶わない夢のために辞めちゃったの?」というようなことを言われて。

あまりに悔しくて、逆に「絶対に脚本家になってやろう」と思いました(笑)。そのことも、最終的にパートを選んだ一因になっていると思います。

そこで諦めなかったことが、結果的に2021年の「フジテレビヤングシナリオ大賞(ヤンシナ)」の受賞、そして『silent』につながったんですね。今でこそ脚本家になるという夢が叶っていますが、もしあのとき受賞できなかったとしても、まだ脚本家の夢を追い続けていたと思いますか。

生方 続けていたと思います。あきらめる瞬間って、周りに何かを言われたからではなく、自分で無理だって気づいたときだと思うんです。自分で区切りをつけるしかない。

「◯◯歳までに結果が出なかったらあきらめよう」といった、自分の中で決めていたタイミングはあったのでしょうか。

生方 うーん……。もしヤンシナをとっていなくて、その先も大きな賞をとれなかったら、いつかはどこかで諦めてたんだろうなとは思うんですけど……。2021年のタイミングで受賞できなかったとしても、そのときにあきらめてはいなかったとは思います。

脚本家・生方美久さん

不安はなくならないから「ほどよく目をそらす」のが大事

『silent』では、主人公の紬(つむぎ)が一度は就職したもののうまくいかず、大好きな音楽に関わりたいという思いからCDショップでアルバイトとして働く様子が描かれていました。このストーリーには、ご自身の経験や仕事観が反映されているのでしょうか。

生方 はい。私の中には「自分を殺してまで仕事を大事にしなくてもいいんじゃないかな」という考えがあって、それは紬の設定に反映しました。

今の職場や仕事内容に納得がいってないとか、他にやりたいことがあるとか、辞める理由はあるのに先々が不安だから踏みとどまっているとか、そういう悩みっていっぱいあると思うんです。

でも、仕事って辞めても意外となんとかなるんじゃないかなというのが私の考えで。それは私自身がそうだったという経験もあるのですが。

実際に生方さんは2022年の8月にはパートも辞めて、脚本家として専業の道を選んでいますよね。まだ『silent』の放送前だったのに、なかなか勇気ある決断だなと。

生方 自分でもよく辞めたなあと思います。ただ私の場合、「看護師」が再就職しやすい職業なので、それが保険になった部分もあると思います。ありがたい反面、そこに甘えているな……とも思うのですが。

仕事を辞めたからといって、前職で培ったスキルや資格が無駄になるわけじゃないですもんね。生方さんはこれまで、仕事に関する大きな決断をしてきていますが、将来を左右しかねない決断にはやはり不安がつきまとうものだと思います。その不安とはどう向き合ってきたのでしょうか。

生方 私、不安って絶対なくならないと思うんですよ。たまに解決するけど、解決した途端に新しい不安が見えてくる。普段見えてないだけで、不安のストックがいっぱいあるんですよね、人生って。だから、不安からはほどよく目をそらすしかないのかなと。根本的に解決できる不安はないと割り切ってしまった方が楽な気がします。

今も「脚本の仕事をずっと続けていけるか」「十分な収入は得られるのか」といった不安はありますし、その不安はずっと続くと思っています。

人生にはいろんな転機が訪れますが、決断するときに大事なことってなんだと思いますか。

生方 「自分で決めること」でしょうか。私、何を決めるにしても人に相談しないんです。進路もそうだし、病院を辞めるときも親に一切相談しなかった。

他人に勧められたまま生きていると、何かあったときにその人のせいにしてしまう気がして。それが嫌で、「うまくいかなくても自分で決めたことはしようがない」と思える生き方をしようと決めたんです。

決めたことはやりきる、と。

生方 ただ、今は「脚本家を一生続けていくぞ」とも思っていなくて。脚本を書くのは好きですし書き続けたいとは思いますが、もしこの先、本気でミュージシャンになりたいと思うことがあったら、脚本をやめてミュージシャンを目指すかもしれない。「一生これをやる」と決め切らなくてもいいのではと考えています。

取材・文:横川良明
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

「好きなこと」と「今の仕事」との間で悩んだら

やりたいことへの道筋は柔軟でいい。カフェから寿司職人へと夢を切り替えた、週末北欧部のchikaさん
「本当にやりたいこと」を探すために寄り道してもいい
趣味と仕事は切り離さなくてもいい。「マンガ飯」を13年続けてこられた“ゆるくつなげる“生き方
「趣味」と「仕事」を切り離さない、という考え方
仕事も自分自身も「決めつけない」ことが、異業種へのキャリアチェンジのカギになる──書店員・粕川ゆきさん
仕事も自分自身も「決めつけない」

お話を伺った方:生方美久(うぶかた・みく)さん

生方美久さんのプロフィール写真

脚本家。2021年、「第33回フジテレビヤングシナリオ大賞」で大賞を受賞しデビュー。2022年秋にフジテレビで放映され話題を呼んだドラマ『silent』の脚本を担当した。
Twitter:@ubukata_16

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その仕事の行き詰まりは“記録不足”かもしれない。作家・倉下忠憲に聞く「仕事に活かせるノート術」

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職場での仕事に慣れてくると、次第に“習慣”で仕事をこなすことができるようになってくるもの。それは一見すると快適なようにも思えますが、うまくいかないこともそのままにしてしまったり、いざ新しい業務を任されたときに、仕事の仕方を変えられず、行き詰まりを覚えてしまったりすることにもつながりかねません。

作家の倉下忠憲さんは、絶えず自分の仕事のやり方や作業環境を見直しながら日々の業務に取り組んでいます。そこで重要なのがノートを取り続けること。著書の『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』でも、仕事に役立つさまざまなノート術を紹介されています。

働き始めた当初は仕事の振り返りとして日報を書いたり、ノートにメモをとったりしていても、徐々にそうした時間をとらなくなったという人は意外と多いはず。ただ、この記録を取り続けることは、仕事のやり方や習慣をアップデートしていくためにも有効なようです。

今回はそんな倉下さんに、そもそもノートをとることの効用や、仕事のやり方を見直すためのノートの使い方などを伺いました。

ノートをとることは、対象に「注意を向ける」こと

倉下さんは、習慣を変えていくためには、アナログ・デジタルを問わず積極的に「ノートをとる」ことを提案されています。そもそも、ノートをとることにはどのような効用があると考えているか、あらためて教えていただけますか。

倉下忠憲さん(以下、倉下) 英語の「note」には「記録をとる」だけでなく「注意する」という意味もありますが、まさにこの「注意する」がノートをとることの本質だと考えています。ノートをとろうと思ったら、雑多な情報の流れのなかで、自分が興味・関心を持っているものに注意を向けなくてはいけません。それによって、ふだんは無意識のレベルでできていることでも意識せざるをえなくなり、時間の使い方が主体的・自主的に変化していく。これが僕の思う、ノートをとることの意味です。

習慣とは何かと言えば、私たちが無意識にやっていることですよね。ただ、たとえば仕事のやり方にまつわるノートをとろうと思ったら、「自分はいまこういうふうに仕事をしている」とまず言語化し、意識する必要が出てきます。だから、ノートをとることには、習慣を変えるための土壌を整えるような役割があるのではないかと思います。

確かに、その捉え方には納得です。逆に言えば、ただ指示されたフォーマットで機械的に日報を書いたりするだけでは、効果が薄いとも言えるのでしょうか。

倉下 それこそ無意識で書いているような状態だと、仕事のやり方を改善する、という観点からは効果が薄いでしょうね。もちろん、それでも日報という形で「自分がやった作業の総数が残っている」こと自体にも、一定の意味はあると思いますよ。人間の記憶って曖昧で、自分が積み重ねてきた実績を軽んじやすい。だから、作業の総数を記録しておくだけでも、自分が進んできた道のりがどんなものだったかを客観的に確認できる、という効果は得られると思います。

ただ、日報と違ってノートは自分だけの情報環境という点が重要です。日報だと、社内のシステム上に記録することになるでしょうが、それでは転職したときに自分の記録が失われてしまう。一方で、自分のノートに記録を取り続けていけば、これまでの仕事のやり方がいつでも参照できるようになります。仕事のやり方を俯瞰し、業務を改善するスキルは、どんな職場でも生かせると思うので、できるなら日報とは別にノートを取るのがおすすめです。

仕事の進捗や変化が実感できないのは、記録が不足しているから

ノートは習慣を変える起点になると伺いましたが、実際に仕事のやり方を見直していきたいと思ったら、どのような記録法が効果的なのでしょうか?

倉下 人によるとは思うのですが、基本的には自分が担当している仕事の内容と作業手順を記録することが重要だと思います。これまでノートを取る習慣が全くなかったのであれば、最初はできるだけ細かく作業の内容や時間を記録することにより、どこでどれだけ時間を使っているのか、よく使用するツールは何なのかなど、自分の仕事のやり方の全体像が見えてきます。

僕自身は一日の仕事が全て終わってからまとめて書くのではなく、作業と記録を一つのパッケージとして考えています。具体的には、毎日仕事を始める際に、作業記録用のテキストファイルに「いまからこういう作業をする」と宣言を書き、作業しながら同時並行的に記録を追加していく。

そのときに、できれば作業中に感じた課題や気付きも同じテキストファイルに記録していき、余裕があれば次回以降の作業で意識したいポイントを書き残しておくんです。このやり方であれば書き忘れも減ると思いますし、記録することを念頭に置きながら作業することで課題などにも気付きやすくなると思います。

倉下忠憲さん作業記録事例
倉下さんが記録している作業記録の一例

なるほど。単に作業内容や作業した時間を記録するだけでなく、その時々に気付いたことも併記されるんですね。

倉下 そうです。もちろん、いきなりたくさんノートを取ろうとし過ぎると続かなくなってしまう恐れがあるので、まずは作業記録を優先でいいと思います。ただ、余裕があるときに記録を眺めて感じる疑問を文章の形にして残していけば、課題とその原因が明確になってくるはずです。

最初は、「ここが詰まってる」とか「時間がかかり過ぎ」とか、ごく簡単なことで構いません。その上で、自分なりに改善のための仮説を立てて、仕事のやり方を少しずつ変えていくんです。例えば、ある特定の作業に時間がかかり過ぎなのであれば、使用しているツールを変えてみて、前後でどれだけ時間が短縮されているのかを記録から比較してみたりとか。

あるいは、自分で課題の原因がハッキリしない場合には、記録したノートを同僚や先輩に見てもらうのもいいと思います。作業の記録があれば人に相談しやすいですし、そうすることによって自分では気付かない仕事の進め方の癖を知ることができます。

確かにそうですね。仕事をしていると、いまいち仕事の進捗が実感できず、モヤモヤすることも少なくないと思うのですが、ノートを取ることでそれも改善されそうです。

倉下 「進捗がいまいち分からない」というのは、たいてい記憶に頼って、記録が不足しているからです。作業記録をつけることで、プロジェクトごとの進み具合が明確になりますし、変化を楽しむこともできるようになると思います。

たとえば、僕は仕事を進める上で「フォントを変えてみた」というくらい微々たる変化であっても、それが意識的に変えたことであれば記録しておきます。そこには「変えたったぞ」みたいな軽いドヤ心もあって、モチベーションにもなります(笑)。もちろん、その時点ではフォントを変えたことがどういう価値を持つかは分かりませんが、継続的に記録することで徐々に結果が見えてきます。

そう言われてみると、逆にそもそも記録しないから気付かないだけで、日々の仕事の中で微調整していることってたくさんあるようにも思えてきました。

倉下 そうですよね。みなさん、仕事をはじめたばかりの頃といまとを比べたら、いまの方がはるかに精度の高い作業をされているはずですからね。でも、それを無意識にやっていると、成果がなかなか実感できずマンネリ感を覚えてしまうというのはあるのではないでしょうか。

走り書きのメモは生鮮食品のようなもの

先ほどは作業に関するノートのとり方について伺いましたが、必ずしもすぐに記録できる環境にないこともありますよね。例えば、外出中にふとアイディアが浮かんだり、誰かと話をしている中で、思いがけず仕事につながる発見をすることもあります。

倉下 そうですよね。僕自身は、作業記録はテキストファイル、作業とは別に何かアイディアを思いついたりしたときには、Scrapboxというツールにメモしています。当然、外出先などでiPhoneに思いついたことを走り書きするような場面もあるのですが、そのときはできるだけ一両日中にまとまった形に整理するようにしています。僕の中では、iPhoneに残すような短いメモっていわば生鮮食品なんですよ。早く処理しないとせっかくのメモがロストしてしまいます。

確かに、なんとなく残しはしたけれど、文脈がいまいち思い出せないメモってありますね……。

倉下 そうなんです。あと強いて言えば、急いでスマホにメモするようなときは、できるだけ文章の形にしておくことを意識しています。単語など断片的にしかメモしていないと思い出しづらいですが、一文程度でも文章にしておけば仮に何日かたってしまっても、読み返したときに思い出しやすいと思います。

ただ、同時に意識しているのは、それでも思い出せないものは、思い切ってロストしてしまってOKと割り切ることです。走り書き全てをきちんと整理した形にまとめようとすると義務感が芽生えて長続きしないので、このあたりの調整は必要になってくるかなと思います。

仰るように、きちんとノートを取ろうとし過ぎても長続きしませんよね。ノートを取り続ける上で、倉下さんが大切だと思う点はありますか。

倉下 一つは、やっぱりノートを不真面目に扱うことですよね。作業記録にしてもアイディアのメモにしても、何か一つのフォーマットに則って続けようとすると、それに当てはまらない項目が出てきたら嫌になってしまう。そうではなく、せっかく自分だけの情報環境なわけですから、記録のとり方自体もどんどん変わっていくことを許容することが大切だと思います。僕自身も、1年前と今とでは記録のとり方や内容が変わっていますし、疲れているときはすごく簡素なメモだけの日もあります。

それと、僕の場合は先ほどの作業記録がメモであり、毎日の仕事を始める上での起点でもあるんですよね。まず昨日の作業記録を読み返すところから仕事を始め、それによって昨日の自分の感覚や気付きを引き継ぎながら、その日も記録を取りながら仕事をすると。何をするにせよ、基本的にまず作業記録を読み返すところから始まるので、続くのかもしれません。

作業と記録が密接に絡み合っているからこそ、ノートを取ることが面倒にならずに続くということですね。

倉下 そうですね。僕の場合は、そもそも自分の仕事のやり方を完成形と捉えずに、実験の積み重ねのように考えているところがあるんです。だから、積極的に新しいツールが出れば試してみますし、それを記録することで変化を楽しむことができる。だから、仕事自体の捉え方を少し変えてみると、ノートも続くかもしれませんし、相乗効果で仕事の改善も進むのではないでしょうか。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:倉下忠憲(くらした・ただのり)さん

倉下忠憲さんのプロフィール写真

1980年、京都生まれ。ブログ「R‐style」「コンビニブログ」主宰。24時間仕事が動き続けているコンビニ業界で働きながら、マネジメントや効率よい仕事のやり方・時間管理・タスク管理についての研究を実地的に進める。現在はブログや有料メルマガを運営するフリーランスのライター兼コンビニアドバイザー。主な著書に『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』など。

Twitter:@rashita2

仕事を“休む”ことに不安を覚えたら。休職や離職を肯定する「キャリアブレイク」という考え方

キャリアブレイクを専門家・北野貴大さんが解説

キャリアブレイクという言葉を知っていますか? 育児や介護といった家庭の事情だけでなく、学び直しや自身の働き方を見直すための一時的な離職・休職を肯定的に捉える考え方とされています。

働いていると「一度仕事を休んでゆっくりしたい」と思うことがあるはず。でも、「次の仕事が決まっていないけど辞めるのはリスクだ」「空白期間(ブランク期間)があると転職活動で不利になりそう」という考えから、それを叶わない夢だと考えている人も多いのではないでしょうか。

また、予期せぬ出来事や家庭の事情により「一時的な離職や休職をせざるを得ない状況」は誰にも起こり得ますが、キャリアの中断への不安から、離職や休職そのものにネガティブなイメージを抱いている方もいるはず。

欧州では肯定的に捉える文化が根づいているキャリアブレイクを日本でも身近にするため、メディアでの発信やイベント、コミュニティづくり、企業との勉強会などを行う一般社団法人キャリアブレイク研究所の代表・北野貴大さん。今回はキャリアブレイクのメリットや実態、不安になりやすい期間中の過ごし方についてお話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

キャリアブレイクとは、離職や休職をポジティブにとらえること

「キャリアブレイク」は、日本ではまだあまりなじみのない言葉ですよね。どういったものなのか、あらためて教えていただけますか。

北野貴大さん(以下、北野) キャリアブレイクとは、一時的に離職・休職し、働くことから少し離れてみることを指します。ヨーロッパではすでに社会に根づいていて、数カ月から数年の休職後に同じポジションで会社に戻れる制度も一部企業で導入されています。

離職しているあいだキャリアが止まるというわけではなく、その期間にさまざまな経験をしたり自分のキャリアを考え直したりすることで、「無職というキャリアを歩んでいる」状態だと僕は捉えています。

キャリアの「ブランク(空白)」ではなく「ブレイク(休憩)」である、という点がポイントなんですね。海外では、ビジネス特化型SNS「LinkedIn」が2022年春に、プロフィールの職歴欄に「キャリアブレイク」を設定できる機能を追加したことで話題になっていましたが、日本に根付くのはまだこれから、という段階でしょうか。

北野 確かに「キャリアブレイク」という言葉を知らない方はまだまだ多いと思います。でも活動していると多くの方から反響をいただきますし、またさまざまな調査や数値を見ていると、これまで名前がついていなかっただけで、実態としてはすでにあったんだなと。それは僕も活動を通じて気づいたことです。

北野さんはそもそも、何をきっかけにキャリアブレイクという言葉を知って「キャリアブレイク研究所」の活動を始めたのでしょうか。

北野 僕のパートナーが数年前、次の仕事を決めずに離職したんです。当時の僕は「ブレイク」ではなく「ブランク」と捉えていたので、無職って収入がなくなって働かないことへの不安を感じそうですし、復職しにくそうだし大丈夫かな……と心配していて。

でも彼女は離職をネガティブには捉えておらず、「せっかくだから旅行をしたり、学校に通ったり、自分の選択肢を増やしてから社会に復帰しようと思う」と話していて、それはもうぜひ応援したいと思い、見守ることにしたんです。

たまたま同じ時期に、欧州では彼女のような離職の選択をキャリアブレイクと呼ぶらしいと知り、おもしろいなと思ってSNSなどで発信を始めたのが活動のきっかけです。

パートナーは、もともとキャリアブレイクという文化をご存じだったんですか?

北野 言葉そのものは知らなかったようですが、彼女はイギリスに住んでいた経験があって。イギリスには、高校卒業から大学入学までや、大学卒業後から就職までの期間を長く取り、旅行や留学、ボランティア活動など好きなことに自分の時間を使うことができる「ギャップ・イヤー」という文化があるんですね。パートナーは学生のときにギャップ・イヤーを検討していたらしく、「人生に小休止を取り入れること」に抵抗がなかったようでした。

結局彼女は1年半ほどのキャリアブレイクを経て、離職前とは異なる業界に転職したんですが、学校に通ったりいろいろな人に会ったりして、ああでもないこうでもないと自分のキャリアを立て直そうとしている楽しそうな姿に、僕も大きく影響を受けました。

「働かなくて大丈夫?」という周囲の心配は、本人の可能性を狭めてしまう

北野さんご夫婦のケースのように身近な人に応援してもらえるといいなと思う一方で、離職期間や休職期間が長くなってくると、家族や周囲の人から「働かなくて大丈夫なの?」と心配されるケースもありそうです。

北野 そうですね、パートナーも周りからいろいろ言われることはあったようです。僕も最初は心配したので気持ちは分かるのですが、そういった声かけって「やさしさ」から生まれたものであっても、受けとる側にしたら「自分の選択を疑われている」と感じてしまうと思うんです。

「自分のことを信じてもらえていない」と感じる環境では、人の可能性は狭まっていってしまう。仕事から離れることで他者との交流が減りやすいタイミングでもあるので、お互いを信じて応援しあえる人と出会える環境をまずつくることが必要なんです。

だからこそキャリアブレイク研究所では、「むしょく大学」というコミュニティを運営し、キャリアブレイク中の方が集い学び合える場を提供しています。

キャリアブレイクを専門家・北野貴大さんが解説

キャリアブレイク中またはキャリアブレイクに興味がある人が集い、共に活動できる授業やおしゃべりを通じた学びあいの場を提供する「むしょく大学

自分のことを信じてもらえていない環境では可能性が狭まっていってしまう、というのはおっしゃるとおりだと感じます。コミュニティに参加しているのはどういった方なのでしょうか。

北野 「心身の不調を回復したい」「今の会社をとりあえず離れたい」といった療養的な理由で会社を離れた方が中心ですね。その次に「自分に合った働き方を見つけたい」「自分を見つめ直す時間を持ちたい」といった理由でキャリアブレイクを選んだ方が多いです。会社員の方もいらっしゃいますよ。

まさに今キャリアブレイク中、という方だけではないんですね。

北野 はい。会社を辞める決心がなかなかつかない方や、生活がかかっているのでいますぐには仕事を辞められないけれど、キャリアブレイクの世界を覗いてみたいという方も参加しています。

キャリアブレイクの本質は、「本来の自分に戻る」こと

日本では休職や離職を「ブレイクではなくブランク」とネガティブに捉える考え方がまだまだ主流としてある中で、前向きに捉えている“先輩”とコミュニケーションが取れるのはとてもいいことだと感じます。「このままでいいんだろうか」と不安になることもあると思うのですが、みなさんどのようにキャリアブレイク期間を過ごすのでしょうか?

北野 僕が活動を通じて出会ってきた多くの方は、仕事を辞めるとまず、ずっと会いたかった友達に会ったり、行きたかったお店に行ってみたり、いつか見ようと思ってずっと溜めていたNetflixを見たりして、最初はとにかくうれしくて仕方なくなるんですよ。

でもその感覚は長く続かず、次第に「何やってるんだろう」とか「社会の役に立ってないな」とか、虚無の時期がきて、焦りを感じ始めます。僕が見てきた限りでは、半分くらいの方がここで復職しますね。「ちょっと休んでみて気持ちが晴れたな」と。

もちろん、リフレッシュしてまた働く意欲が湧くのはとてもいいことです。ただ、言い方は厳しいですが、そういった“焦り”の気持ちからキャリアブレイクを終えると、転職の際に評価されづらく、年収が下がったり、希望の職につけないケースも多いんです。

「とにかく仕事に就かなくては」という焦りだけで動いてしまうことがマイナスになる、ということでしょうか?

北野 そうですね。「虚無」とそれによる「焦り」を感じつつも、同じ境遇の人たちに出会い、励まし合ったり情報共有をしたりすることで、「“実は”家族の近くで仕事をしたかった」とか「“実は”IT関連の仕事をしてみたかった」といった、自分の中にある“実は”に気づけるようになるんです。すると今度は、その“実は”を叶えるためには何が必要かが見えてくる。

もちろん、思い描いた理想が実現できないケースはたくさんあります。特に異業種転職の場合はハードルも高いです。それでも、キャリアブレイクの期間中に自分の軸を見つけ、徐々に折り合いをつけながら社会に接続していく方はとても多いですね。

キャリアブレイクを経て同じ業界に復帰する方ももちろんいますが、自分のキャリアについて改めて考えてみる前と後では、働くモチベーションや楽しさが大きく違ってくると思います。

キャリアブレイクを専門家・北野貴大さんが解説

キャリアブレイク中の変化を表したグラフ。多くの人が、1.解放期、2.虚無期、3.“実は”期、4.現実期、5.接続期の5段階をたどるという。「“実は”期」で見えてきた自分の理想と折り合いをつけていく「現実期」を経て、改めて社会と接続していく。(C)一般社団法人キャリアブレイク研究所

北野さんは以前別のインタビューで、「キャリアブレイクの本質は自分に戻ること」とおっしゃっていました。「自分に戻る」というのは、どういう感覚のことを指しているんですか?

北野 これまで、キャリアブレイクを選んだいろいろな方を見てきましたが、まず会社の一員という状態から離れると、狭い世界の常識から脱出できはじめて広い社会が見えてくる。そうして「そういえばあれがやってみたかったな」と主体的な選択肢が生まれてくる人が多いと感じています。

新しい選択肢は、必ずしも選ばなくていいんです。たくさんの選択肢の中から、主体的になにかを選ぼうとしたということ自体が重要なのかなと。僕はそれが「自分に戻る」という状態じゃないかな、と思っています。

大事なのは「仕事を辞める可能性もある」という選択肢を持てること

お話を伺っていて、キャリアブレイクに興味が湧いてきました。この文化が日本で根付くには「一度働くことから離れると、その後のキャリアが築きにくい」というネガティブなイメージから、「離職や休職をきっかけに自身を見つめ直すことができる」という肯定的な捉え方に変化していく必要があると感じます。

北野 そうなんです。あれこれと思考するより、効率よく正しい答えを出すのが「優秀」だと判断する従来的な学校教育もそうですし、新卒一括採用のような社会制度の影響など、さまざまな要因が絡み合った結果、そういったネガティブな考え方につながっているのだと思います。

ただ「キャリアブレイクをマイナスに捉える風潮がある」というのは、“偏見”であるとも思っていて。確かに病気、育児、介護など「取らざるを得ない休み」で仕事を離れることにネガティブな感情を抱く方はいますし、長期の休職や離職はキャリアにとってマイナスになると考える傾向は、まだまだ社会の中に残っています。

一方で、活動を通じてさまざまな企業の人事担当者や経営者の方などとお話をしていると、キャリアブレイクをマイナスに捉えている人ばかりではないというのも感じるんです。僕も「離職は社会的にダメなこととされている」というある種の偏見を抱いていたことに気付かされました。

離職や休職を肯定的にとらえる風潮も少しずつ生まれている、ということでしょうか。

北野 そうですね。現状、社会の受け皿が足りていない側面もありますが、社内の休職制度を変えたいと考えている“企業の中の人”も出てきています。

いま産休や育休、介護休業を除く「休職制度」って、ほとんどの場合は療養制度とイコールで怪我や病気の診断書をもらってようやく使える制度になっているんですよね。そうではなく「社員の自己実現が会社にもインパクトを与える」と考え、療養制度ではない形の休職制度をつくりたいと相談してくださる経営者は増えてきています。「休みたくなったら、ちょっと仕事を休んで世界一周でもしてこられる環境の方がヘルシーだよね」というスタンスの方も増えています。

企業だけでなく地方自治体の担当者と情報を交換したり、いち制度として根付かせるために議員に向けて勉強会を開いたり……。こういった僕たちの活動で、キャリアブレイクがもっと身近になればいいなと思います。

一時的な離職や休職を必ずしもネガティブに捉える会社ばかりではないという視点を持っておけると、家庭の事情や自身の体調などによって働くことを休まざるを得ない場合も、不安をやわらげるきっかけになりそうですよね。では「キャリアブレイクを検討している当事者」にはどんなサポートが必要だと思いますか?

北野 まずはやっぱり「当事者で集まってコミュニケーションを取る機会や場所」が大事です。

先ほども言及した「虚無」期間は人との接点が減って視野が狭くなりがちですし、孤立もしやすい。そういったときって“あまりよくない”サービスやコミュニティとつながりやすくなってしまうんです。そういったところと接触しないためにも、気軽に現状を話し合える同じ境遇の人たちと、離職にまつわるお金の話や学びに関する情報を交換したり、悩みの相談に乗ってもらうことってとても大事なんです。

僕たちが運営している「むしょく大学」ではこの職業訓練校がよかった、という話なども毎回白熱していますよ。ここで出会ったことをきっかけに、転職先で仕事につながったという話も聞きます。

確かに、自分のキャリアの選択肢を広げる上で、さまざまな境遇や業界の人と出会って情報共有ができる場があると心強いです。

北野 キャリアブレイクの最大の魅力は、実際に仕事を辞めるかどうかではなく「辞める可能性もある」という選択肢を持てることだと僕は思うんです。

そもそも、キャリアブレイクは万人に推奨できるものではないんです。部署異動や転職、起業など、働く環境を変えるための方法はたくさんありますし、実際、僕自身もキャリアブレイクを経験しているわけではありません。

「環境を変える」という選択肢の中に、キャリアブレイクという形があってもいい、と。

北野 そうです、そうです。何がしたいか分からなくなって人生が苦しくなってしまったときに、手に取れる範囲にその選択肢があるだけでも見通しが変わってくると思うんです。必ずしも「自分の人生を大きく変えたい」「キャリアアップしたい」というポジティブな動機でなくても、なかなか転職する気分になれなかったり、とにかく現状から抜け出したいという人には、キャリアブレイクを視野に入れてもいいんじゃないかな、と思います。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

「仕事」や「働き方」に悩んでいる人へ

「向いてる仕事」が分からなくなったら、他者に委ねてみる。校正者・牟田都子さんの“仕事の出会い方”
「向いてる仕事」が分からなくなったら、他者に委ねてみる
「ここを辞めたら次はない」呪縛を解いたら、半端じゃなく気持ちが前向きになった
「ここを辞めたら次はない」という“呪い”を解く
「みんな頑張っているから休めない」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで"
「みんな頑張ってるから」ではなく、まずは「自分」と向き合う
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お話を伺った方:北野貴大さん(きたの・たかひろ)さん

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一般社団法人キャリアブレイク研究所、代表理事。一時的な離職休職を肯定的に捉える「キャリアブレイク」を文化に。キャリアブレイクの人が活動する「むしょく大学」や、キャリアブレイクの情報誌「月刊無職」を発刊。前職はJR西日本グループで「ルクア大阪」をはじめ商業施設の企画マーケティング業務に従事。

健康改善は“やる・やらない”の二択じゃなくていい。無理なく続けるための「アジャイル式」健康カイゼンとは?

アジャイル式健康カイゼンガイド。テレワークや在宅勤務で運動不足を感じており、健康のためによくないのではと思いつつもなかなか継続した行動ができていない人に向けた、継続に重きを置いた健康改善のための手法が紹介されている。

なんだか毎日、うっすら体調が悪いーー。ハードな仕事や不規則な生活、テレワークによる運動不足などから「体調が万全!」と感じることが減ったという人は少なくないのではないでしょうか。ただ、病院に行くほどつらいわけでもないし……と、そのまま日々を過ごしてしまったり、心身を整えるための行動を始めてみても継続しなかったり、なんてこともありそうです。

そこで注目したのが、書籍『「アジャイル式」健康カイゼンガイド』(翔泳社)で紹介されている「アジャイル式」健康カイゼンというプロセス。

ここで言う「アジャイル」とは、システムやソフトウェア開発における進め方のひとつである「アジャイルソフトウェア開発(以下、アジャイル)」に由来します。

著者の懸田剛さんは20年に渡りアジャイルを研究・実践・指導。現在はスポーツプログラマーの資格も取得し、自身で実践しながら他者への助言も行っています。共著者で保健師の資格を持つ福島梓さんも、過去エンジニアとしてアジャイルを実践・支援した経験を、働く人がいきいきと過ごすための支援に生かしています。

そんなおふたりが、健康に向き合うためのプロセスとアジャイルは共通していると考え、日々の生活で取り入れやすく継続しやすい健康改善方法として提唱したのが「アジャイル式」健康カイゼンです。健康のためにアジャイルがどのように役立ち、また継続につながるのか。おふたりに聞きました。

取材はリモートで実施しました

「うっすら体調が悪い」状態を見過ごさない

テレワークが浸透したことで運動不足になったり、忙しくてついつい食事をおろそかにしてしまったりと生活が乱れ、常に「うっすら体調が悪い」と感じている人が増えているように感じます。『「アジャイル式」健康カイゼンガイド』でも書かれていましたが、この「うっすら体調が悪い」とは、どのような状態なのでしょうか?

懸田剛さん(以下:懸田) 例えば、朝起きたときにスッキリ目覚められるときと、なんだかつらいなと感じるときがありますよね。その「なんだかつらいな」という違和感が何日も続いていて、でもそれに手を打てずに常態化しているのが「うっすら体調が悪い」という状態です。

福島梓さん(以下:福島) 朝スッキリ起きられなくて会社に行くのが毎日すごく億劫だとか、日常的に頭痛があるのが当たり前になっているとか、そういうちょっとした不調が常態化してしまうと、だんだん「調子がいい」状態を実感できなくなっていくんですよね。

懸田 ただ、うっすら体調が悪いからといって「健康じゃない=不健康」と言いたいわけではありません。健康・不健康をジャッジするための言葉ではなく、なんだかスッキリしないとか、集中しにくいとか、そういった小さな違和感を「うっすら体調が悪い」と表現しています。

心当たりがあります……。どうしても日々の忙しさにかまけて自分の「うっすら体調が悪い」に見ないふりをしてしまいがちなのですが、忙しい中でも始めやすいことはありますか?

懸田 まずは日々、自分の状況を把握(モニタリング)しておくことでしょうか。僕は朝起きたときの感覚に違いが出やすいので、睡眠記録アプリなども活用して睡眠時間や睡眠の質をモニタリングしています。

シャキっと起きられる日とそうでない日があって、後者が続いたら黄信号。自分の生活を見直し、可能ならば、仕事量やストレスをコントロールするようにしています。ランニングが趣味なので、調子が悪くなってきたら仕事を早めに切り上げて走りに行ったりもしていますよ。

福島 私も、モニタリングと振り返りが大事かなと思っています。ときには仕事などでどうしても無理をしなければならないときもありますよね。

日ごろからモニタリングと振り返りをしていると、“体調変化の兆し”みたいなものが、自分の場合はどこにどのようにアラートとして出てくるのかが分かってくると思います。

日々の状態を把握して振り返りの時間が取れていると、今は無理をしても大丈夫か、休養を優先した方が良いか、など頑張り方の調整がしやすくなります。私自身も、20代の頃に比べて無理をし過ぎて大きく体調を崩すことがなくなったと感じています。

いざ、健康状態を改善しようと思っても続かない……という経験がある人も多そうですが、その原因は何なのでしょうか。解決策はありますか?

福島 一番の原因は「やる・やらない」のゼロイチ思考になってしまっていることだと思います。例えば「ストレッチを毎日10種類やる」と決めても、疲れているから「できない」と考えてしまい、続けるのがつらくなってしまいがちですが、「5種類やる」「1種類だけやる」というようなゼロとイチの間の選択肢も実はあるんですよね。

それに、人はどうしてもできなかったことの原因を自分の内面に求めてしまいがちです。基本的帰属錯誤という心理バイアスなのですが、「自分がダメな人間だからできない」と考えてしまうんです。でも本当にそうでしょうか。もしかしたら外部の環境に影響されていることもあるかもしれませんし、自分に合わないやり方だったのかもしれません。

できないことを自分のせいにし過ぎず、どんなことならできそうかを考えてみるのも継続のカギだと思いますよ。

懸田 本にもいくつか書いていますが、僕も挫折経験がたくさんあります(笑)。ジムに通っていたけど、コツコツ筋トレするのが合わなくて挫折したり、自転車通勤をしていたけど、引越しで職場が遠くなって挫折したり。

ただ、一貫してこだわってきたのは、自分が楽しんで取り組めること。どんなことなら楽しめるか、続けられるかを考えていろいろ試してきました。登山にもいろいろなルートがあるように、目標へ向かう道もたくさんあるんです。一つダメでも、他の道があるはず。そう考えていろいろ試してみるのもいいと思いますよ。

自分で選び、小さなステップを積み重ねていくから「無理なく」続けられる

『「アジャイル式」健康カイゼンガイド』で取り上げられている「アジャイル」について教えてください。

「アジャイル式」健康カイゼンガイド

『「アジャイル式」健康カイゼンガイド』(翔泳社)

「アジャイル実践家&スポーツプログラマ」「元SEでスクラムマスターをしていた保健師」という著者陣が、 ITエンジニアをはじめとするデスクワーカーに向けて、アジャイルに基づいてポジティブな気持ちで健康カイゼンを行うための知識(食・運動・休息)やテクニック(カイゼンパターン)を網羅的に解説した一冊。▶「アジャイル式」健康カイゼンガイド

懸田 ここで言う「アジャイル」とは「アジャイルソフトウェア開発」のことで、顧客に価値あるプロダクトを提供することを目的に、少しずつ作り、フィードバックを受けなから顧客や市場の環境に合わせて柔軟に改修・改善していくソフトウェア開発プロセスのことです。

アジャイルソフトウェア開発の模式図
ソフトウェアを一連の流れで開発・構築されてきた従来の模式図(上)と、
アジャイルソフトウェア開発の模式図(下)
『「アジャイル式」健康カイゼンガイド』第4章より

これが、健康改善にも生かせる考え方だと思っていて。「これをやるだけでやせる」「これをやるだけで筋力がつく」といったようなやり方は、合う人にはそれでよいのですが、取り組む中で継続するのが難しく感じたり、自身の生活にフィットしないと感じるようになることもあると思います。

そこで健康改善における「継続」に重きを置き、目標の捉え方や取り組み方を柔軟に調整していくのが「アジャイル式」健康カイゼンです。

「カイゼン」とカタカナ表記にしているのには意味があります。元々は自動車メーカーのトヨタさんの業務改善において改善ではなくカイゼンとカタカナで呼ぶ文化があり、そこには「継続的な改善(英語だとContinuous Improvement)」という意味が込められています。

そもそもアジャイルは、トヨタさんの生産方式や仕事の進め方に大きな影響を受けています。その流れで、本書での「カイゼン」というカタカナ表記にも、あるやり方を一度やって満足するのでなく、「常に現状の変化に応じて、あるいは、現状でよりよいやり方に改善し続けていく」という意味を込めています。

「アジャイル式」健康カイゼンが「続けやすい」とされる理由を教えてください。

懸田 健康改善に向けた行動を継続するために必要なポイントとして、「自己効力感」「自律的動機づけ」「フィット感の調整」の3つを挙げています。

アジャイル式では、どの健康カイゼン行動=カイゼンパターンも小さくスタートするもので、一足飛びに負荷の高い行動はとりません。

小さく始めて「うまくいった」「次はこうしよう」と成功体験を積むことを重視しているので、「できなかった」という挫折感よりも「できた」「これもできそう」と自己効力感を高めることができます。

自律的動機づけは、自分自身が選んで決めるということです。お医者さんに「健康のために食事に気をつけるように」と言われて取り組むのと、自分が数ある方法の中から「食事管理ならできそうだ」という方法を選ぶのとでは、その後のモチベーションが大きく変わります。

「アジャイル式」では数々のカイゼンパターンから自分で選んで取り組むので、自然と自律的動機づけができるんです。

3つめのフィット感の調整は、まさにアジャイル式の基本的な構造です。体の変化というフィードバックを受けてPDCAを回し、よりよい状態を作っていくことができます。「アジャイル式」ではこの3つの継続ポイントを押さえているので、無理なく続けやすいといえるでしょう。

福島 フィードバックのサイクルを回していくことで、目標が変わっていくこともあると思います。例えば「何キロやせたい」という目標を立てていたけれど、自分が心身ともに健康でいられるベスト体重は? という視点から考えると「やせる」ではなく「キープ」や「体重を増やす」という方向に変わっていくケースも考えられます。

なるほど……! 具体的に、「アジャイル式」にはどんな方法があるのでしょうか。

懸田 本の中では、運動や食事、休養などの基礎知識とともに、健康カイゼン行動=カイゼンパターンを紹介しています。

例えば位置情報ゲームアプリで楽しみながら歩く習慣をつける、食べ過ぎ防止のために小さめの食器を使う……など、手軽さや目的に応じて様々なパターンがあります。これらの中から好きなものを選んで試し、自分に合うかどうか、継続が負担にならないかどうかを含めてモニタリングしながら、自分にフィットする健康習慣をつくりあげていきます。

中には合わない方法もあると思います。でもそれは失敗ではなく、合わない方法がわかったということ。自分に合う方法を見つけるためのプロセスだと考えましょう。

自分に合った方法を見つけるコツはありますか。

懸田 自分の今の生活のなかで、取り入れやすそうなものからチャレンジしてみるのが基本ですが、それを知るためにもまずは現状を知ることからですね。睡眠アプリなどもそうですが、運動や食事のログをとれるアプリなどはたくさんあります。

歩数や消費カロリー、摂取カロリーなどもアプリでチェックできるので、現時点で自分がどのくらい運動できているか、食事のバランスはどうかなどを把握するのが第一歩です。

歩数が少ない、食事バランスが偏っている、などの課題を見つけたら、それに対応したカイゼンパターンに取り組んでいきます。1週間ほど続けてみて、負担になっていないかをチェック。成果が出ているかは短期間で分かりにくいこともあるので、2週間から1カ月単位でチェックしてみるのがおすすめです。

「アジャイル式」健康カイゼンにおけるプロセスの全体像を示した図
『「アジャイル式」健康カイゼンガイド』第7章より

福島さんが言っていたように、「やる・やらない」のゼロイチ思考をやめて、疲れているときでもできる行動パターンにアレンジしておくのも大切です。

これを「度合い思考」といいますが、「元気なとき・普通のとき・疲れているとき」などの状態別に取り組みの強度を変えておけば「今日もできなかった……」という落ち込みをなくせます

それと、「自分にしっくりくる」というフィーリングを大事にしてほしいです。人はそれぞれ好みや大切にすることが違いますので、自分に向いていることを行うのが一番です。正解を一発で見つけようとするのでなく、実験しながら「しっくりくるやり方」を見つけていくプロセス自体も楽しんでほしいですね。

脱・挫折。成果が出ないときは行動を見直す・専門家を頼ってみる

ちなみに、成果が出なくて挫折しそうになってしまったときには、どうすればいいのでしょうか。

懸田 あまり結果をあせらないことは大前提ですが、成果が出なくてモヤモヤしている場合は行動指標を見てみるのがおすすめです。

今取り組んでいるカイゼンパターンをきちんと遂行できているかをチェックし直し、できているなら「もう少し様子を見てみよう」と思えるかもしれないし、「負荷を上げようかな?」「他の方法も試してみようかな?」と検討することもできます。

同じような取り組みをしている仲間をSNSなどで見つけて、情報交換をしてみるのもおすすめです。知らなかったことや違う視点からの情報が解決のヒントになることもあります。

福島 加えて、専門家を頼るというのも手段のひとつです。例えば、効果が出るまでに想定よりも時間がかかるケースもあります。自分は「1カ月で効果を出したい」と思っていても、専門家から見ると「3カ月はかかりますよ」というカイゼンパターンだったりすることもあります。そうした時間的な目安を知るのに専門家の知識が役立ちます。

また、正しい方法で行えているかどうかも重要なポイントですね。スクワットをしているのに成果が出ないという人は、姿勢など身体の使い方が正しくないことが多いのだそうです。他にも、歩き方や走り方など、人によってクセがあったり、関節などを痛めやすいフォームだったりすることがあるため、運動を新たに始めようとしている方や思うように成果が出ない方は専門家に相談してみるのがおすすめです。

専門家……。今まで健康に無頓着だったので、なかなかハードルが高いです。

福島 運動についてなら、パーソナルトレーナーを探してみるのもいいですよ。短期の結果重視のところよりも自分に合ったやり方を提案してくれて、長く続けられるところが健康改善という点ではマッチすると思います。

健康全般について相談したいなら私のようなフリーの保健師を探してみたり、地域の保健センターや暮らしの保健室*1などで行われている健康相談やイベントに足を運んでみるのもいいと思います。会社員の方なら、社内に相談できる医師や保健師がいることもあります。

懸田 運動のきっかけを作りたいならば、行政や地域の総合型地域スポーツクラブが主催するスポーツイベントなどに参加するのもいいですね。

PDCAを回し、無理なく続けられるカイゼンパターンに出合う

『「アジャイル式」健康カイゼンガイド』では、いろいろなカイゼンパターンとともに、ゼロイチ思考から抜け出す「度合い思考」や、普段の生活で負荷をかける「ニート*2を増やす」という考え方が面白く、また無理なく取り組めるポイントでもあるように感じました。

懸田 この本では、「水泳」や「ジム通い」といった一般的な健康改善方法は記載していません。それができる人は、きっとこの本がなくても自分で取り組めるはずですから(笑)。どちらかといえば、本当にゼロの状態からスタートして、金銭的・時間的・精神的に負担にならないレベルでできるというところを意識していますね。

それが「やる・やらない」の間をとって「これだけできればOKにする」という選択を行う「度合い思考」であったり、日々の何気ない動作に負荷をかけたりスキマ時間を活用して体を動かしたりする「ニートを増やす」などの形をとって表れています。

「頑張ろう」という気持ちはとても大切ですが、それが無理につながってしまうと継続できません。無理に頑張らなくても自然に生活のなかに組み込めて、続けられるのが理想的なカイゼンだと思います。

無理に頑張らなくてもいいんだ、と思えるだけでも気持ちがかなり楽になりそうです。

懸田 人間の体調や環境には波があります。どうしてもできないときは負荷を下げてもいいし、繁忙期で時間がとれない・疲れてつらいときは思い切って休んでもいいんですよ。休むことも含め、状況に合わせて取り組むカイゼンパターンも見直しながら、自分のリズムを作っていければバッチリではないでしょうか。

福島 無理なく、という点では「ゆとり」も大切にしてほしいですね。忙しいけど、なんとかしなきゃ!と無理に始めてしまうのは挫折につながりかねないので、「今、改善に取り組めるゆとりはあるのか」を忘れずにチェックしてほしいです。

それから、やる気が出る要素を見つけるのも無理なく続けられる秘けつだと思います。自分がどんなことでモチベーションを高められるのかを知っておけば、取り組みの合間に楽しみを用意しておくこともできますよね。「ごほうび」というとらえ方もあります。

また、取り組みそのものに楽しい要素を組み込む、という考え方もあると思います。例えば、達成度合いを可視化することで喜びを感じるなら、達成できた項目を記録するチェックリストを用意するとか。競い合うのが好きなら、一緒に競い合えるライバルを見つける、などです。

私はパーソナルトレーニングに通っていますが、お話していて楽しいと思うトレーナーさんと厳しく指導してくれるトレーナーさんを日によって使い分けているんです(笑)。トレーニングの合間の会話を楽しみに通っている感じです。

最後に、仕事や家事育児など、忙しい日々の中で健康改善に取り組みたいと思っている人に向けて励ましのメッセージをお願いします。

福島 「思うようにできない自分」を許してあげましょう。どうしても無意識に「自分がダメだから続かないんだ」と思ってしまいがちなのですが、自分に合ったやり方や環境に出合えていないだけかもしれません。アジャイル式によってPDCAを回し、自分にフィットしたカイゼンパターンを見つける手がかりにしてほしいです。

そしてなにより、私は健康は目的ではなく、皆さんが自分らしくハッピーに生きるための手段のひとつだと思っています。皆さんが自分らしくハッピーな日々を送れるための手がかりとなれたらうれしいです。

懸田 優先順位はまず「自分」です。仕事の都合や周囲の人のことを考えるとどうしても自分のことは後回しになってしまうものですが、身体は自分自身に「調子が悪いよ!」とどんどん訴えかけてきます。それに気づけるのは自分だけ。だからこそ、定期的に体からのフィードバックを受け取って、「アジャイル式」で改善サイクルを回していただけたらと思います。

取材・文:藤堂真衣
編集:はてな編集部

「『アジャイル式』健康カイゼン」イベント情報

「アジャイル式」健康カイゼンに興味があるけれど、本を読んだだけではなかなか思うようにできない、本が読みきれないという方向けに、参加型ワークショップ「『アジャイル式』健康カイゼンに取り組んでみよう」が2023年1月から全3回にわたってオンラインで開催されます。

イベントでは、本書で扱っているワークを参加者皆で行い、振り返りと軌道修正をしていきます。健康カイゼンを考え・アクションプランを考えるきっかけとして、ぜひ参加ください。詳細は下記のイベント告知ページからどうぞ。

「アジャイル式」健康カイゼンに取り組んでみよう(全3回):第1回健康カイゼン導入編 - connpass

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お話を伺った方:懸田 剛さん、福島 梓さん

懸田剛さん

懸田 剛(かけだ・たけし)
日本にアジャイルが紹介された2000年からアジャイル開発の研究・実践を始め、現場への導入支援を行うようになる。40歳から始めたランニングをきっかけに身体へ目を向け、心身の統合・ウェルビーイングを探求しはじめる。いきいきとした個人、組織、環境づくりに携わる。認定スクラムマスター、日本スポーツ協会公認スポーツプログラマー。

福島梓さん

福島 梓(ふくしま・あずさ)
保健師、看護師、産業カウンセラー。 臨床心理学を学んだ後、SEとして働き始める。アジャイル開発やUXデザインの実践・支援に携わる中で、働く人の健康について問題意識を強くし、2014年千葉大学看護学部に入学。 卒後、産業保健師として組織・個人の健康支援、組織開発支援に従事。 現在は個人の健康相談や企業の組織開発や新価値創造支援に携わりながら「皆が自分らしくイキイキと働き続けられる社会」の実現に向け、日々模索している。

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*1:健康など暮らしの中でのさまざまな困りごとについて、看護師などの医療専門職に誰でも無料で相談できる施設

*2:ニート…Non-Exercise-Activity Thermogenesis。非運動性熱産生ともいう。

仕事も自分自身も「決めつけない」ことが、異業種へのキャリアチェンジのカギになる──書店員・粕川ゆきさん

"書店員・粕川ゆきさん"

ずっとやってみたかった仕事や新しくチャレンジしてみたい仕事があっても、未経験の業種に飛び込むことには、不安を感じる人がほとんどではないでしょうか。特に、現在の収入がある程度安定していたり、転職に際して雇用形態が変わるといった懸念点があると、「いまのままの方が安泰なのでは」とキャリアチェンジを断念する方も多いのではないかと思います。

現在、書店員として都内の大型書店に勤務しながら、個人として本の紹介やフェアなどを主に行う「いか文庫」としての活動もされている粕川ゆきさんは、そんな異業種へのキャリアチェンジの経験者です。

スポーツ用品メーカーでの勤務を経て29歳でアルバイトとして未経験の書店の仕事を始め、少しずつ書店員としてのスキルと経験を積み上げていった粕川さんに、キャリアの選び方についてお話を伺いました。

スポーツ用品メーカーの正社員から、経験ゼロで書店員へ

粕川さんは現在、書店員として大型書店に勤務されているとお聞きしています。普段はどんなお仕事を担当されているのでしょうか?

粕川ゆきさん(以下、粕川):主にデザインとアートの分野の書籍を仕入れたり、ブックフェアやイベントの企画・運営をしています。あとはアルバイトさんたちのまとめ役として、コミックや絵本などのジャンルを担当している方にアドバイスや指示をすることもあります。

キャリアをさかのぼると、粕川さんはもともとはスポーツ用品メーカーにお勤めだったそうですね。

粕川:そうなんです。20年ほど前になりますが、新卒で入社したのはスポーツ用品メーカーでした。当時は営業統括という、社内外のさまざまな人たちと関わる部署にいました。

新商品が出るタイミングで行う展示会の運営をしたり、営業さんのための発注システムを作ったり得意先にパソコンの技術を教えにいったりと、次から次へと新しいスキルが入ってくるのがすごく刺激的で。始めはそんなに長くいるつもりじゃなかったのですが、結局、丸7年勤務しました。

いまされている書店員とは、まったく違うジャンルのお仕事ですよね。いつか本屋さんで働きたいという気持ちは、当時からあったのでしょうか?

粕川:スポーツ用品メーカーでの仕事もすごく楽しかったんです。でも、30歳を目前にしたときに、ふと「自分が本当に好きなものってなんだろう?」とあらためて考え直したんですよね。そうしたら、本や音楽が子どもの頃から大好きだったなと思って。

それに当時、会社の先輩に誘われて、東京スカパラダイスオーケストラのライブにたまたま行ったこともひとつの転機でした。ライブがとても楽しくて、そこから何度も足を運ぶようになったら、音楽やカルチャーが好きな友達がどんどん増えていったんです。

その人たちと遊ぶたびに新しいものに触れられるのがうれしくて、カルチャーに関わる仕事がしてみたいなと漠然と思うようになりました。特に、学生時代から通っていた書籍と雑貨の複合店が好きだったのを思い出し、一度でいいからそこで働いてみたいと思ったんです。

では、それがきっかけになってメーカーを退職されたんですか?

粕川:はい。結局29歳になるタイミングで思い切って会社を辞め、憧れていた書籍と雑貨の複合店に応募し、アルバイトとして入社しました。

最初はフルタイムではなかったこともあって、他にもいろいろなバイトをかけ持ちしていたのでとにかく大変だったのですが、入ってみたらやっぱり楽しくて仕方なかったです。

入社から数年で書籍の担当になり、好きな作家さんのPOP(店頭に置く宣伝物)をつくったり本棚の並びを考えたりするようになったのですが、自分が推していた本が売れるのを目にしたら、いままでに感じたことのない仕事の喜びを味わってしまって。結局アルバイトとして5年間働き続けてしまいました。

粕川さんの場合は、新卒でいちど正社員を経験されていますよね。そこから異業種に転職し、アルバイト勤務を何年も続けるとなると、これまでの給与や待遇面と比べてしまう場面もあったのではないかと想像するのですが……。

粕川:正直、メーカーで正社員として働いていたときは、福利厚生や給与面が恵まれていたことをあまり意識していなくて……無知だったと思うのですが、辞めてから「しまった」と思いましたね(笑)。

当時は待遇よりも、とにかく自分のやりたいことをやりたいという気持ちが強かったんだろうなと思います。お店で働いていたのは自分よりも若い人たちばかりだったのですが、その子たちと漫画をおすすめし合ったりするのが本当に楽しくて、仕事も生活も充実している感覚がありました。

選択に後悔はしていないのですが、当時は本当に貧乏な生活をしていたので、同じように正社員からアルバイトになる道を考えている方がいるとしたら、ある程度貯金をしてから会社を辞めるなど、準備をしておいた方が安心かなと思います

ひとつの仕事の経験とその付加価値は、きちんと次の仕事につながっていく

「未経験の仕事をアルバイトから」となると、その後のキャリアに不安を抱える方もいらっしゃると思いますが、粕川さんは2012年には都内の独立系書店に、2020年からは現在のお店にと、同業での転職を2度経験されています。2012年の転職は、どういったきっかけだったのでしょうか?

粕川:それまで働いていた書籍と雑貨の複合店の閉店が決まり、別の店舗に異動になったのですが、そこで雑貨担当を任され、本の仕事ができなくなってしまったんです。最初のお店での経験があって本を売ることの虜(とりこ)になっていたので、やっぱり書籍に関わる仕事がしたいな……と。たまたま採用情報を見つけて応募した独立書店の店長が、これまでのキャリアを面白がってくれたこともあり、週1回のインターンから始めてそのお店に入りました。

それから、同時期に「いか文庫」という個人での活動も始めたんです。

「いか文庫」は粕川さんが現在も続けられている活動ですが、実店舗や在庫を持たない「エア本屋」と名乗られていますよね。

粕川:当時よく通っていたブックカフェが近所にあったのですが、そこの店主さんや他のお客さんたちから「自分で本屋さんはやらないの?」と聞かれることが多くて。

私はまったくそんな気はなかったのですが、おもしろいから屋号だけ考えてみようかとか、フリーペーパーを作ろうかなんてやっていたら、あれよあれよという間にいろんな方が声をかけてくださるようになって、グッズをつくったり、書店の一角でフェアを開催させてもらえたりするようになりました。

いか文庫の活動

グッズを作ったり本をテーマにイベントをしたりと、ユニークで幅広い「いか文庫」の活動

いまは私を中心に5人で活動をしていて、不定期で本にまつわる記事を書いたり、コミュニティラジオに出演したり、テレビ番組でおすすめの漫画を紹介したりしているんですが、いまとなっては自分のライフワークというか、人格のようになっていますね。

独立系書店には8年間勤めて最後は店長もしていたんですが、少しだけ自分の仕事に行き詰まりを感じてしまって……。2020年にいまのお店に移った際には、社員さんのひとりが「いか文庫」のファンでいてくださって、いか文庫の活動もやめずにぜひ続けていてほしい、と言ってくれたのが転職の大きな決め手になりました。

本業に加えて個人でも本にまつわる活動をしていたことが、次の仕事への足がかりになったんですね。お話をお聞きしていると、粕川さんは周囲の人たちの言葉やアイデアをきっかけに進む道を決められていることが多いのかなと感じます。

粕川:そうですね。いか文庫の成り立ちからもわかるように、人から「あなたにはこういうことができるよね」と言ってもらうことで初めてそれを自覚し、チャレンジしてみるというケースが多いです。人からきっかけをもらうことで「自分にはこういうこともできるのかも」と言語化し、それを少しずつ積み上げて自信とスキルにしてきたような気がしますね。

自己肯定感は低いけれど、「自分はこういう人間だ」と決めつけていない分、言ってもらえたことを素直に飲み込めるのかもしれません

逆に、周りの人の意見を取り入れることで、自分自身の仕事選びの軸がぶれてしまったり、スキルがしっかり積み上がらなかったり……というデメリットはありませんか?

粕川:業種や勤務形態にかかわらず、それまでの仕事を通じて身に付けたスキルは毎回生かせているんじゃないかと思います。最初の転職の際には社会人経験や人をまとめる力が生きましたし、次の転職ではPOPを書く技術が生きましたし、いまのお店の方には「いか文庫」の活動や前職での経験を評価してもらえましたし……。

毎回、まったく違う新しい環境を選んではきたのですが、ひとつの仕事の経験とその付加価値みたいなものは、きちんと次の仕事につながっているという意識がありますね

「この仕事はこういうもの」と決めつけずにやってみる

やりたいことがあってキャリアチェンジを検討していても、未経験の業種に飛び込むことに不安を感じたり、現在の収入が安定しているといった理由から、「いまのままのほうが安泰なのでは」と断念する人は多いように思います。異業種や経験の少ない業界への転職を考えている方に、粕川さんからアドバイスがあればぜひお聞きしたいです。

粕川:私は気づいたら40歳を越えていたので、仮にいまからそういった冒険的なキャリアチェンジができるかと聞かれたら、体力的に少し厳しいかもと答えるかもしれません。でも、やりたいことにチャレンジしてみるのは正解でも、間違いでもないはずです。

私個人としては、30代のアルバイト時代がいままでの人生で一番楽しかったんです。アルバイトを含むキャリアの中で「私、何やってるんだろう……」と思ったこともありましたし、周囲から、私の働き方に対して否定的な言葉をかけられることもあったのですが、それでも私はいい経験をしてきたな、と感じています。

体力・金銭的には厳しいときもありましたが、本の仕事だけでなくコンビニ勤務や日雇いのバイトなどいろんな仕事をやってみたことで、世の中にはこんなに多様な仕事があるんだと知れたのは大切な経験でした。

体力やお金に対する許容度や考え方は人それぞれだと思いますが、「やってみたい!」と思う気持ちで飛び込んでみたら、新しい世界が見えてきそうですね。

粕川:最近は20代でもすごく堅実な方が多いので、「粕川さん、私もう25ですよ」とか言われることもありますが、「悪いけど、30代がいちばん楽しいから!」っていつも返してます(笑)。

それまでの仕事の経験も生かせますし、20、30代であれば体力もまだあると思うし、仮に正社員としての勤務経験があるなら少しだけお金にも余裕のある時期かもしれない。なので、チャレンジしてみてもいいんじゃない? って思います。

1社に長く勤めたりひとつの業種での経験が長くなったりしてくると、「自分の居場所はここにしかないのかも」と感じてしまう人は多そうですが、粕川さんはとても軽やかに新しい仕事を選ばれていますよね。

粕川:そうですね。私の場合はわりと、新しい環境に飛び込んでみたときに、そこならではのおもしろさを発見していくタイプというのもあるかもしれないです。

いま勤務している大型書店と前職の独立系書店では、同じ書店でも本の売り方はまったく違います。私は現時点ではそれをとても刺激的に感じているのですが、抱いていたイメージと違ったり、もっと他のビジネスがしたいという思いから辞めていく方もいらっしゃいます。

確かに、好きなことを仕事にするとなるとなおさら、「思っていたのと違う」と感じてしまうこともありそうです。粕川さんは、ご自分に合った環境を選ぶのがとても上手な印象があるのですが、それを見極めるコツって何かありますか?

粕川:ちょっとずるいんですが、「私のこと好きでしょ」と感じている場所や人のところにしかアクセスしない、というのはあるかもしれません(笑)。自分のスキルや姿勢を認めてくれている人、関心を持ってくれている人に寄り添って居場所を選んでいるので、マイナスのギャップを感じることが少ないのかもしれないですね。

もちろん、自分に合わないと感じたら次のキャリアを選択することも大切だと思うのですが、まずは「この仕事はこういうもの」と決めつけずにやってみるのもいいんじゃないかな、と思います。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:粕川ゆき(かすかわ・ゆき)さん

粕川ゆきさんのプロフィール写真

1978年山形県生まれ。大学卒業後スポーツメーカー勤務を経て、学生時代から通っていた書籍と雑貨の複合店に転職。その後、自ら立ち上げた、お店も商品もないエア本屋「いか文庫」の活動も行いながら、都内独立系書店の店長となり、2020年4月から二子玉川 蔦屋家電にBOOK担当として在籍中。

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最近、他人との間に“壁”を感じるあなたへ。社会学者に聞く「コスパを意識しない人間関係」のあり方

石田光規さん記事トップ写真

リモートワーク・テレワークの導入や飲み会文化の変化などにより、最近は同じ会社で働く同僚とも、特別な機会がない限り交流の機会は少なくなりがちです。このことは、無理な人間関係の解消にもつながり、これまで歓迎すべき事柄として語られることも多かったように思います。

他方で、こうした人間関係の変化に対し、「さみしさ」や「孤立感」を覚える人も少なくないはずです。また、転職や部署異動などで新たな人間関係が生まれる場面において、以前のように他人と「信頼関係」が築けず、モヤモヤした思いを抱えている人も多いのではないでしょうか。

社会学者の石田光規さんは、個人の選択が尊重される現代社会は一見「自由」で生きやすそうに思えるけれど、孤立や人間関係の格差を招いてしまう側面も持ち合わせている、と語ります。

人と顔を合わせる機会が少なくなった今、私たちが再び人間関係を築いていくためにはどのような姿勢が求められるのか、お話を伺いました。

他人と「信頼関係」が築きにくくなった理由

石田先生はご著書などで、「個の尊重」や「多様性」という言葉が注目を集める現代社会では、人間関係が不安定化すると指摘されています。改めて、この「不安定化」の状況と、その背景をご説明いただけますか。

石田光規さん(以下、石田) もともと日本は「ムラ社会」と呼ばれるように、さまざまな集団を中心に社会の仕組みがつくられていました。古くは地域、その後は家庭や企業など、生活の維持のためにはそうした集団のルールに従う必要があったわけです。

しかし、1990年代ごろから日本でも「個人化」が進みます。高度経済成長を経て、物質的に豊かになったことに加えて、「個性」や「多様性」を尊重すべきといった個人主義的な価値観が徐々に浸透してきたからです。それにより、人々はこれまでのように集団に縛られず、ある意味で「自由」にライフスタイルを選択できるようになりました。

近代化が進んだ結果、「個」が尊重されるようになったわけですね。

石田 そうです。旧来的なしがらみから解放され、個人の意志が尊重される、ある程度「自由」な社会になったのは間違いありません。

ただ、個人の選択が尊重される社会では、人間関係すらも個人の選択に委ねられる部分が大きくなります。それは、かつては半ば強制的に組み込まれていた人間関係から退くことができるようになった反面、積極的に人間関係の維持を行わなければ自分が切り捨てられてしまうかもしれないという不安にもつながります。

大学のゼミ生に話を聞くと、本当は相手に意見したいと思うことがあっても、関係が壊れるのが怖くて口出ししない、という学生はとても多いです。「相手に文句を言わない」「人を批判しない」という傾向は若い方だけでなく、だんだん上の世代にも浸透してきている感覚がありますね。

石田光規さんインタビュー写真1

以前と比べて自由に人間関係を選べるようになった結果、相手に「選んでもらう」ために慎重にコミュニケーションする必要が出てきたということですか。

石田 はい。これには「個人を尊重する」という考え方が日本にとってはある意味で輸入品であることも関係していると思います。

ヨーロッパの国々のように、市民が政府や権力者と戦うことで主体的に個人を尊重する社会を作っていった国々とは異なり、日本はもともと集団的な価値観の強い社会を築いてきました。それが戦後、西洋の影響を受け、「どうやらもっと個人を尊重しなきゃいけないようだ」という感覚のもと、個人の尊重という概念を取り入れていったわけです。その結果、取り入れ方が若干いびつになってしまった。

本来であれば、個人を尊重するというのは、AさんとBさんがいたら双方が自分の意見を口にし、それぞれの意見を戦わせることでよりよい社会を作っていこうという考え方だと思うんです。けれど日本では、違った意見を持つ人がいるのであればそれを“尊重”し、必要以上に相手に立ち入らないことが良しとされる部分があります

確かに異なる意見を持つ人同士が議論する機会はあまり多くありませんよね。しかも、最近ではSNSなどで頻繁に炎上を目にするので、なおさら「下手ことは言えない」という態度を取る人が増えているように思います。

石田 そこで重宝されるのが「人それぞれ」という言葉です。たとえ相手と異なる意見を持っていたとしても、「人それぞれだからね」と口にすれば対立のリスクを回避しながら、その場をやり過ごすことができる。とても便利な言葉ですよね。

ただ、この言葉を発することは、それ以上踏み込んだ議論やコミュニケーションを止めてしまうことでもあるので、他人に立ち入ることが難しくなります。そうなると、孤独感や他人と信頼関係を築く難しさにもつながっていくわけです。

「ひとりでいい」と思っていても、さみしさを抱えることはある

先ほど「人間関係も個人の選択に委ねられるようになってきた」というお話がありましたが、そうなると、「人から選ばれやすい人」と「そうでない人」という格差も生まれてしまいそうですね。

石田 おっしゃる通りです。これが例えば所得の格差であれば、累進課税のようなしくみを設けることで不平等さをある程度解消することができます。人間関係の場合はそれができませんから、いちど格差が生まれると、なかなか修正の利きようのない構造になってしまうんです。

難しいのが、人間関係がうまくいっている人ほど、つながりの少ない人に対して「それは人とコミュニケーションをとる努力をしていないからだ」と厳しい目を向けがちなんですよね。つながる機会はたくさんあり、自分で「選択」できるのだからその努力をしないのが悪い、という“努力幻想”に基づいた自己責任論にすぐに回収されてしまう。

けれど、それは裏を返せば、今は人間関係に困っていない人も、そうした努力をやめた途端に関係から滑り落ちてしまうリスクを持っているということでもあります。

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なるほど……。ただ、そうした関係性に四苦八苦するぐらいなら、つながり自体が煩わしいといった人もいるかと思います。少し前には「友達なんていらない」といった言葉を耳にする機会も多かったのですが、こうした意見については、どのように思いますか。

石田 極端な話、行政や住宅企業が「ひとりで生活したい人はどうぞ自由に暮らしてください、その代わり孤独死を防ぐため、部屋に設置したセンサーに1日1回は触れて生きていることを報告してください」という選択肢を用意するという手もありますよね。大学生に尋ねても、それでいいんじゃないですかと言う人は一定数います。

ただ一方で、そういう人でもさみしさを抱えることはあるということを忘れてはいけないと思います。人間関係で気を使うのが煩わしいから友達なんていらない、という人でも、時間がたつとひとりがさみしいと感じ、結局また人間関係の中に入っていこうとするケースはよくあります。友達やパートナーはいらない、センサーで連絡する生活でもいい、と言っていた人が、その後一生つながりがいらないと思い続けられるかというと、多くの場合そんなことはない。

確かに、「ずっとひとりでいい」という選択をとり続けることのできる人はかなり限られてきそうです。自分自身を振り返っても、しばらくひとりで生活していると「誰かといたい」と思う気が……。

石田 人には一般的に、決定したことに対して「でもやっぱりこっちの方がいいかも」という揺らぎの感覚があるものなんですよね。それをないものとしてしまうと、「あなたがいちど選んだのだから、自分の選択には責任を持ってください」ということになってしまう。だから、仮に一時は「友達なんていらない」と思ったとしても、ずっとその意志を貫けるわけではなく、変化していく部分も大いにあるということは、本人も社会も念頭に置かなければいけないと思います。

コスパを意識せず、「その場にいてみる」ことが関係を育む

近年では、「相手に立ち入らない」傾向が強まっていることに加え、コロナ禍でリモートワークなどの自由な働き方が増えてきたこともあり、職場の人と信頼関係を築くのが難しくなってきているのを感じます。とりわけ転職や部署異動など、新たな出会いが生じる場面でどのように人間関係を築いていけばいいのか、悩んでいる人は多いのではないでしょうか。

石田 そうですよね。従来であれば、あまり親しくない人でも職場で一緒にいるうちになんとなく距離が縮まり、しだいに仲良くなって食事に行く、というような流れもありましたが、コロナ禍は決定的にそれを難しくしてしまいました。

人を食事に誘うこと自体を非常識と捉える人もいますから、そのリスクを回避するために近い関係の人だけに声をかけていくと、なかなか人間関係が広がらない。しかも、オンラインのコミュニケーションの浸透により、みんなが一斉に「対面で会うほどの価値があるかどうか」を選別するようになってきましたから、関係を深めるのが本当に難しい。

もちろんオンラインにもさまざまなメリットはありますが、新たな関係を築いていく上では、ある程度顔を合わせて同じ空間にいるということは重要だと私自身は思っています。身体を一緒に共有することで相手がどういう人なのかが徐々に見えてくるという側面はありますから、そういった機会を完全になくしてしまうのはあまりよくないんじゃないかと思いますね。

オンラインのコミュニケーションが中心で、あまり対面で顔を合わせたことがない人だと、ちょっと雑談をしたりお茶に誘ったりするのも失礼かなと悩みがちです。そういった人と新たに関係を築いていくためには、どのような姿勢でいればよいのでしょうか。

石田 自分から人を誘って何かをするって、意外と大変なことですよね。そうではなく、会うきっかけになるようなしくみが、社会や組織の側にある程度保障されているのが望ましいんですが。

……そういう意味では、いまはコロナの時勢柄なかなか難しいですが、職場単位の定期的な懇親会というのは意外と重要だったのかもしれないと思うんです。人間関係への意識や感度が高まり、個人的に相手を誘うということもしづらくなってきているけれど、職場単位の懇親会では「半年に一度なので、できるだけ皆さん参加してくださいね」というお膳立てがされている。

それをきっかけに親しい人ができたり、周囲の人たちの距離感が分かったりすることもあるので、そういうものがときどきはあった方が、関係が移行していく可能性はあるのかもしれないですよね。

会社単位の懇親会、苦手な人も多いと思うのですが、人を誘うというある種リスクにもなることを「会社のせい」にできるのは、メリットだったかもしれないですね……。

石田 そうなんですよね(笑)。それに、「自分から人を誘うのは苦手だけれど、懇親会があるなら出ようかな」というタイプの人もいると思うんですよ。

インタビュー写真2

社会や組織がある程度そういったしくみを作ってくれるのが望ましい、というのはおっしゃる通りだと感じます。個人がアプローチできることとしては、どんなことがあるでしょうか?

石田 心構えとしては、なるべくコスパを意識せずにひとまずその場にいてみる、足を運んでみるということが大事じゃないかなと思います。いま、コスパのよさで体験の価値を測る人が増え、不安定なものや不確実なものに対する社会の耐性が下がっていると思うのですが、何がコストで何がパフォーマンスかというのは、実は短期的な視点ではなかなか見えてこないものなんですよね。

そのときにはコストだと思っていたものが、10年後に振り返ってみると自分にとって必要な経験だったなんていうのは人生では本当によくあることなので、即効性のあるものでなければ切り捨てるという考え方は、中長期的に考えればすごくもったいないかもしれない、という視点を持つのが大切だと思います。

確かに、これまでは「気が乗らなかったけれど、参加してみたら意外と楽しかった」という機会がときどきあったのを思い出しました。

石田 人の意外な面や考え方を発見する機会って、案外目的から外れたところにこそあったりするんですよね。結果がある程度予測されている場所にしか行かなくなってしまうと、予測された結果しか得られなくなってしまう。

とはいえ、関係が築けるのは確かにいいことなのですが、あまり無理をし過ぎないのも大事かなと個人的には思います。人と関係を築かなくてはいけないと意識しすぎると、それが義務になってかえってつらくなることもあると思うので、結果的に関係が確立できればラッキー、くらいの心持ちでいた方がいいかもしれませんね。とりあえずその場にいてみる、ということがまずは大事なのではないかと思います。

「友達」ではなく、「知り合い」と捉えてみる

新しい人間関係はもちろん、たとえ古くからの関係であっても「人を頼る」こと自体に強い苦手意識を感じている人も多いように思います。職場や友人関係などで、周囲の人々にある程度気軽に頼みごとやお願いなどをできるようになるためには、どんな心構えでいればいいんでしょうか。

石田 人に対する期待値みたいなものを、もうすこし下げてみることが大事なんじゃないかと思うんです。例えば「ちょっと頼らせてほしい」と声をあげたとして、それを相手に拒否されたらショックを受けてしまうかもしれないけれど、それならそれで別の人に聞いてみるか、くらいの構えでいた方が気楽だと思います。特定の人ばかりを絶対視し過ぎてしまうと、相手に対する期待が上がる分、余計に頼りづらくなってしまうんじゃないでしょうか。

なるほど……。言われてみると、「この人なら応えてくれるはず」と自分のほうが身構えてしまって、声をかけづらくなることってありますね。

石田 ですから、私は「友達」という言葉を使わないんです。誰に対しても「知り合い」って言うようにしているんですね。言い方は難しいのですが、友達という言葉を使うと「友達らしく振る舞わなきゃ」というプレッシャーを感じてしまうので、全員知り合いとして捉えておく。

いまって、ちょっと困ったときに頼れる人というだけで、ものすごく仲のいい相手を思い浮かべる人が多いのかなと思うんです。かつての婚姻関係のような盤石なつながりが揺らいできている現代では、強いつながりを友情に求めがちになる。

でも本来は、「会社ですごく仲の良かった人が転職して疎遠になってしまった」とか、「昔はしょっちゅう泊まりに行った友達だけど、最近は会ってない」なんていうのはごく自然なことなんですよ。そうやって人間関係は移動していくものですから、その中で強くなるときもあれば弱くなるときもある、と捉えていた方が気楽じゃないかなと思います。

だから、ある関係を「なんでも言い合える関係」にしていこうと躍起になるよりも、そこにこだわらずにやっていく方がいいのかもしれないですね。

ではむしろ、頼る相手は誰でもよくて、軽い気持ちで周囲の人にコミュニケーションをとってみる癖をつけよう、と考えた方がいいのでしょうか?

石田 そう思いますね。軽い気持ちで人を頼ったり意見を言ったりした結果、疎遠になってしまうこともあるかもしれないけれど、逆にそのことがきっかけで仲が深まることもある。

これは「友達なんていらない、誰との仲も深めなくていい」ということではないんですよね。特定の人間関係に対する重みを取り、とりあえず同じ場にいてみたり、とりあえず頼ってみたりすることが、結果的にさまざまな他者に対する回路を開くことにつながっているんじゃないかと私自身は考えています。

インタビュー写真3

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

他人との向き合い方に悩んだら

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お話を伺った方:石田光規(いしだ・みつのり)さん

石田光規さんのプロフィール写真

1973年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。主な著書に『孤立の社会学――無縁社会の処方箋』(勁草書房, 2011年)、『つながりづくりの隘路――地域社会は再生するのか』(勁草書房, 2015年)、『郊外社会の分断と再編――つくられたまち・多摩ニュータウンのその後』(編著, 晃洋書房, 2018年)、『「人それぞれ」がさみしい ――「やさしく・冷たい」人間関係を考える』(筑摩書房, 2022年)、『「友だち」から自由になる』(光文社, 2022年)など。

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吉田恵里香(脚本家)インタビュー 「意見が違う相手」はまず受け入れ、折衷案を探す

無理のない範囲で、対話を諦めない。脚本家・吉田恵里香さんに聞く、「自分と異なる考え方」を持つ相手への接し方

さまざまな考え方の、さまざまな立場の人が集まって働く会社という場。ふとした瞬間に、同僚や上司とのズレを感じたり、考え方の違いにモヤモヤしたり。会社だけでなく、家族や友人という身近な存在に対しても感じたことがあるかもしれません。その場ではやり過ごしても、なんとなくモヤモヤしたものを引きずってしまう……なんてことも。

ドラマ『恋せぬふたり』『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい(チェリまほ)』などの脚本を手掛けた吉田恵里香さんは、意見が違う相手に対して「まずは受け入れて、折衷案を探していく」というスタンスで接するそう。作品づくりにもそうした姿勢が表れているように思います。

自分とは異なる考えや立場を否定せず、コミュニケーションを取っていくあり方について、お話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

いろんな人がいることを作品では書きたい

吉田さんが脚本を手がけた『恋せぬふたり』では、それまでの恋愛ドラマでは描かれてこなかったアロマンティック・アセクシュアル*1の方々を主人公に執筆されていました。考証の方と丁寧に議論しながらキャラクターを固めていったとも聞きましたが、どのように脚本づくりを進めていったのでしょうか。

―――恋愛しないと幸せじゃないの? 人を好きになったことが無い、なぜキスをするのか分からない、恋愛もセックスも分からずとまどってきた女性に訪れた、恋愛もセックスもしたくない男性との出会い。 恋人でも…夫婦でも…家族でもない? アロマンティック・アセクシュアルの2人が始めた同居生活は、両親、上司、元カレ、ご近所さんたちに波紋を広げていく…。

恋せぬふたりより

吉田恵里香さん(以下、吉田) もともとアロマンティック・アセクシュアル(アロマアセク)の主人公が登場するということは決まっていたので、脚本を書くことになったとき、「嘘がないように」ということは大事にしました。

アロマンティック・アセクシュアルの中にもいろんな方がいるだろうから、当事者の方に、「自分とはまた違う部分もあるけど、こういう人も確かにいるよね」と感じてもらえるリアリティラインを実現させたいと思い、監修の方とかなり丁寧にやり取りしましたね。

特に、主人公である兒玉咲子(岸井ゆきの)のキャラクターのバランスは考えました。彼女は、明るくて空気が読めないところがあるのですが、その特徴が「アロマンティック・アセクシュアルと直接結びつくものではない」ということが、どうしたら伝わるかといった話し合いもかなりしました。

吉田恵里香さん

吉田恵里香さん

もう一人の主人公、咲子が同居することになる高橋羽(高橋一生)という役に対してはいかがでしょうか。

吉田 高橋は、人と物理的に接触することへの嫌悪があるキャラクターなんですけど、それを描くことで、「アロマンティック・アセクシュアルの方=潔癖症である」と見えてしまうのは違うと思って。

そこで監督や監修の方と話し合って、座る位置など、絶妙な距離感で彼が接触に嫌悪があるということを表現することになりました。セリフで説明し過ぎたり、あまりにもはっきり描くと、一括りにされてしまう恐れがあると思ったからです。

けれど、実際に接触が苦手というアロマンティック・アセクシュアルの方もいるので、監修の方とやり取りを重ね、ベストな道を選べたら、と思いながら書きました。

『恋せぬふたり』小説版

『恋せぬふたり』小説版。こちらも吉田さんによる完全書き下ろし (C)NHK出版

『恋せぬふたり』には、主人公の2人以外にもさまざまなキャラクターが登場します。恋愛に興味がない主人公たちと、「恋愛するのが当たり前」という考えを持つキャラクター(咲子の同僚であるカズくんや、咲子の家族)との衝突や、そこから互いに歩み寄ろうと努力する様子も描かれていました。こうした周囲のキャラクターとのシーンについて、どんな描写をしようと心がけていましたか。

吉田 まずは、アロマンティック・アセクシュアルのふたりを中心に描くので、恋愛をしたりセックスをしたりする選択も悪いことであるように見えてしまわないようにしたいと思いました。また、ふたりを取り囲む登場人物たちは、ただ知らないから理解がまだ及んでいないだけということを描きたかったので、徐々に知ることで成長していく役として作っていきました。

それと、咲子の親友が、シスヘテロ*2ではないということを描いたり、この作品の中には、いろんな人がいるということは書きたいなと思いました。

実際の私たちの社会でも、例えば、いつも行っているパン屋さんやマンションのお隣さんがシスヘテロとは限らない。当たり前のことなんですけど、シスヘテロと勝手に想定して接しているかもしれない、ということを描けたらいいなと。アロマアセクの方が集まる交流会のシーンで、アロマンティック・アセクシュアルのいろんな人が登場することで、まだ身近に感じていない人にも、知ってもらえるようにということは気を付けました。

放送後にさまざまな意見が見られたと思います。それについては、どのように受け止めましたか?

吉田 執筆時の私のベストを尽くしたとは思っています。ですが執筆時から100点満点はとれない作品とは分かっていて。むしろ、もう少し考える必要があるねってことが分かったり、そこから話が膨らんでいけばいいなと思っていました。

こちらの意図したこととは違う受け取り方をする方の意見を見ることで、納得するところもありました。普段はエゴサーチをやっているとつらくなるから見ないようにしているんですけど、今回はNHKの掲示板の意見なども読んで、更に勉強させてもらった感じでした。

自分自身も考えやスタンスは常に変わる

ドラマ版『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい(チェリまほ)』は、誰の存在もどんな考え方も否定しない"優しい世界"と表現されることが多かったと思います。さきほども、少しお聞きしましたが、その根底には吉田さんの考えや価値観も反映されているのでしょうか。

童貞のまま30歳を迎えた安達清(赤楚衛二)は、“触れた人の心が読める魔法”を手に入れる。そんな無駄な力を持て余していたが、社内随一のイケメンで営業部エースの同期・黒沢優一(町田啓太)の心を読むと、自分への恋心が聞こえてきてしまう。思いも寄らない好意に安達は困惑する。

ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』

吉田 当時は、極力、誰も傷つかない、優しい世界を目指しました。ただ、それは私が「こうしたい」と相談したことを、原作の豊田悠先生がOKしてくださったのが一番大きいです。

今は、ドラマの黒沢優一(主人公・安達清に思いを寄せるキャラクター)は、ちょっと優等生になり過ぎたかもと思うことはあります。もちろん、優等生だからこそ抱えている苦悩もありますが、原作の黒沢はもっと自分の欲望に素直で。ドラマ版ではその要素が少なくなってしまったので、「優等生しか優しい世界に住んではいけないのか?」という視線を持たれた方もいたのかもしれません。

でも今の私は、優等生だけでなく、かっこ悪いところやダメなところがある人にも「優しい世界」が訪れるといいなと考えが変わってきたかもしれないです。

そこは、『恋せぬふたり』の方に生かされている感じがしますね。

吉田 『恋せぬふたり』の登場人物に関しては、主人公の咲子にしても高橋にしても、ちゃんとダメなところのある人にしようと思いました。

咲子は距離感が掴めないところがあったり、「自分が平気なら他人も平気」と思っているところがあったりします。

高橋は、人の欠点を見過ごせない感じがあるというところを意識して書きました。今は、以前書いていた「優しい世界」から、更にどのように派生した世界が描けるかなってことを考えています。

物語でどんなことを描くべきか、日々変化しているのは感じますね。それは「見ている」側の理解も変わってきていることもあるように思います。吉田さんは以前、「息苦しさや生きにくさを感じている誰かに寄り添える作品」を描くようにしていると言われていましたが、それは変わらない部分でしょうか。

吉田 根本的にそこは昔も今も変わってないです。今の作品って、気づくとマジョリティ側の人しか出てこないことってありますよね。

外国から来日した人もたくさん住んでいるのに日本人しか出ていなかったり、障がいを持った人が出ていなかったり。気を抜くと、「恋愛を知ってハッピーになった女性のドラマ」ばかりになってしまうと思うんですね。

ドラマを作る人たちはマジョリティの人が多いし、「マジョリティ以外の人はいない」と思いこんでいることが関係しているのかもしれません。私は「マジョリティばかりが出ているもの」“ではない”ものを作りたいと言い続けていきたいと思っています。

自分がやってみたいと思っていたことがテーマになった依頼を初めて受けたのは『恋せぬふたり』でしたが、それまでも依頼された作品の中に、例えば「1つのセクシュアリティだけを描かない」とか、「テンプレートな女性像を描かない」とか、自分の考えていることを取り入れてきました。

そう考えるようになった経緯やきっかけはあるのでしょうか。

吉田 以前は、「“多様な生き方があると認識できない人”には(作品が)届かないでいいや」と思っているところもあったのですが、今現在の私は、むしろ届きにくい人にこそ届かないと、世の中の認識は変わらないんじゃないかと思っています。

広く届くためには、間口の広さをもっと考えた方がいいのかなって思うこともあります。「この言葉だと強く感じるから避けたいと思う人もいるかな?」とか「この段階ではもっとキャッチーな表現にした方がいいかな?」とか、Twitterなどでの表現も含めて、言葉選びにはすごく悩みますね。

多くの人に届けるためにはどうすればいいんだろうというのも考えてしまいます。例えば、SNSでもフォロワーさんが増えた方が作品も届きやすいし、仕事を頼んでくれる人も増えるけれど、同時にSNSで自由にいることは難しいとも思うんです。

自分の名前で興味を持って見てもらえるような脚本家になりたいという気持ちを持ちながらも、「透明でいたい」とか「声が大きくなり過ぎないでいたい」という思いも少し出てきてしまっていて。

不特定多数の人がいるSNSだと、昨今は特に対話する以前のところで止まってしまうこともありますしね。受け取り方、解釈の仕方の違うたくさんの人がいる中で、素朴な感想なども含めて自由に発言する難しさを感じます。

吉田 元来は「『マッドマックス』が好き!」とかそういうこともTwitterに書いていたんですが、いろんなことを考えると告知しかできなくなってしまっていたんです。

でも、最近、作家の桜庭一樹さんと『すばる』という文芸誌の「変化する価値観と物語の強度」という連載企画で対談をさせてもらったんですけど、桜庭さんはTwitterでどんどん発言されているんですよね。それを見て、私も責任を持って発言していかないといけないなと思いました。

コミュニケーションでは、相手によって伝え方を変える

今のお話はSNS上でのコミュニケーションの難しさだと思うんですけど、例えば、社会人として、組織との関わりの中で働いていたり、普段の生活の中で、すぐには分かり合えない人と出会ってしまったときの接し方ってどうすればいいと思われますか?

吉田 私の場合は人によって違ってきますね。自分より偉い、権力を持っている人が差別的なことを言ったら、遠慮せずに「それは差別です」と指摘します。もし冗談を交えて何か言って来たら「面白くないからやめた方がいいと思いますよ」と言うと思います。

目上の方から、無意識の上で差別的な発言を含んだメールが届いて、それに対して時間をかけて返信を考えているときに「こんなことに時間を使いたくない!」と思う気持ちもあるんですよ。でも人と関わることをやめたらそこで終わりかなと。無理しない範囲で対話していきたいと思っています。

自分より立場が下だったり、単に知らなくて差別的なことを言ってしまった人であれば、「それで傷つく人はいるんだよ」と伝える感じになるかもしれません。

というのも、私自身がキャリアを積んで、もはや「若手」ではなくなっている面もあって。自分より立場が下の人に、率直に思ったことを言うと、怖いと思う人もいると思うんですね。

自分としては、「まだまだ新米」という気持ちがあるんですけど、30歳を過ぎたあたりからは、何か年下の人に指摘をすると「すみません」と恐縮されるようになってしまって。年齢を重ねること、キャリアを積むことで、受け取られ方が違うと感じているので、自ずとコミュニケーションや伝え方も考えてしまいます。

特に、今のようなリモート環境下だと「さっきは言い過ぎてごめんね」とフォローしにくいですよね。わざわざLINEした方がいいかな? とか悩む場面もありますが、私だったら言われたいと思うので、自分も連絡するようにしています。

差別のように絶対に許されない話ではないところでの、相互に違った価値観や違った意見が出たときには、どう向き合っていったらいいと思われますか?

吉田 距離感が近くない人であれば、この人はこういう意見の持ち主なんだなと受け入れて、その上でお互いの折衷案を探そうよと提案すると思います

身近な人や家族のように、距離が近い人であれば、私の場合、夫にはけっこう率直に言ってしまいますね。

でも、全ての人に対して言えるのは、一個一個、扉を開いていくことかなと思います。それと同時に、20代くらいまでは、人に好かれたいと思っていたけど、今はそれがそこまで強くなくなったことで、楽になった部分もあります。

そういうコミュニケーションの中で、思ったことをすぐに口にできない人もいると思います。家に帰って、「なぜあそこでちゃんと自分の思ったことを言えなかったんだろう」って思ったり。

吉田 私も瞬発力がない方だと思いますが、職業的には、その時に傷ついたことや言えなかったことを、別の場所で生かすようにしていたりしています。

それに、瞬発的に何かを言い返すことができる人がいたとして、それが必ずしも正しいということでもないと思うので。

そのときに、未完成の言葉で言い返すことができても、それが何か瞬発的なだけのものであれば、自分も相手も傷つくだけかもしれないし。そのときのことを後でかみ砕いて、次に生かしたり、また同じことに出くわしたときに言う、ということでもいいんじゃないかと思います。

取材・文:西森路代 はてな編集部
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:吉田恵里香さん

吉田恵里香さん

脚本家。1987年生まれ。 2022年、テレビドラマ『恋せぬふたり』(NHK)で第40回向田邦子賞を受賞。 代表作に映画『ヒロイン失格』、『ホリック xxxHOLiC』、ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』、『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』、『君の花になる』などがある。小説『脳漿炸裂ガール』シリーズは累計発行部数75万部を突破するなど、映画、テレビドラマ、アニメ、舞台、小説等、ジャンルを問わず多岐にわたる執筆活動を展開している。好きな食べ物はウニと万能ねぎ。
Twitter:吉田恵里香
Instagram:吉田恵里香
公式:吉田恵里香

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*1:「アロマンティックとは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。アセクシュアルとは、性的指向の一つで他者に性的に惹かれないこと。どちらの面でも他者に惹かれない人を、アロマンティック・アセクシュアルと呼ぶ。」NHK『恋せぬふたり』( https://www.nhk.jp/p/ts/VWNP71QQPV/)より

*2:シスジェンダーとヘテロセクシュアルをあわせた言葉。シスジェンダーは性自認と生まれた時に割り当てられた性別が一致している人、ヘテロセクシュアルは異性愛者で、性的指向が異性に向いている人。