六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ。前職の経験は、転職先でも生きる

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

一つの会社である程度の経験を積むと、転職を視野に入れ始める人は少なくないと思いますが、まずは近隣の業界を検討するという方が多いでしょう。しかし、中には現在とは異なる仕事に就き、再スタートを図りたい方もいるのではないでしょうか。そのとき、「前職のスキルや経験が生かせるか」といった点に関心を持つ人は少なくありません。

静岡県沼津市の介護施設「すまいるほーむ」で介護職員として働く六車由実さんは、2008年まで民俗学の研究者として大学に勤務し、30代を迎えてから未経験で介護の世界に飛び込みました。

現在は、前職の研究手法を生かした「聞き書き」などを行いながら、仕事に取り組む六車さん。異業種転職の背景や介護の仕事の面白さ、異なる分野で前職の経験が生きた経験などについてお話を伺いました。

不安はあったが、全く新しい「介護」の世界にやりがいを感じた

六車さんはいま、介護職員としてデイサービス(日帰りの通所介護施設)で働いているとお聞きしています。まずは、現在のお仕事内容について教えていただけますか。

六車由実さん(以下、六車) 私が働いている「すまいるほーむ」は、地域密着型通所介護と呼ばれる定員10名の小規模のデイサービスです。利用者もスタッフも少人数なので、私が施設の管理者をしつつ生活相談員の仕事も兼ねています。利用者さんの送迎や食事・お風呂の介助から、ご家族やケアマネジャー等との連携までおこなう、いわばなんでも屋のような立ち位置ですね。

施設は、六車さんのご自宅の1階部分にあるそうですね。

六車 そうなんです。もともとは別の民家を利用していた施設なのですが、急逝した父の「せっかくなら我が家を地域の人たちに活用してほしい」という思いもあって、4年前に実家の1階を改装して「すまいるほーむ」にしたんですよ。自宅と仕事場が近過ぎることで落ち着かないときもあるのですが(笑)、毎日予想外のできごとが起きるのを間近で見られるのは、地域に根ざして働くことの醍醐味かなと思っています。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車さんは介護職員として働き始める2008年まで、民俗学の研究者として大学で教鞭をとられていたとお聞きしています。両者は一見まったく違うフィールドのように感じるのですが、どのような経緯で介護の現場に足を踏み入れたのでしょうか?

六車 最初から介護に興味があったわけではなくて、大学での仕事に限界を感じ、研究の道から一旦離れようと考えたのがひとつのきっかけです。いまの大学職員って授業や研究だけをしていればいいわけではなくて、雑務が本当に多いんですね。当時は山形の大学で教員をしていたのですが、忙しさのあまり、研究室で学生の相談に乗る時間が満足にとれないこともありましたし、フィールドワークなどで休みの日がまるまる潰れてしまったりもして。研究や教育にはやりがいを持っていたのですが、次第に心身ともに辛くなってしまいました。

加えて、私自身が研究者の過酷な競争社会についていけなかったというのもあります。論文の発表数や引用数、学会発表の回数などで評価が決まるシビアな世界なのですが、コツコツと研究はしていたものの、自分のペースと求められるペースがどんどんズレていってしまって……。結局、8年ほど勤めたあとで退職し、実家に戻ってきたんです。

そこで出会ったのが介護のお仕事だったのでしょうか。

六車 はい。最初のうちは研究者に戻ることも検討していたのですが、私はどうも性格的に、研究者の世界の競争や緊張感にはあまり合っていないなと感じまして。新しく何か仕事を始めないといけないな、と考えていたときに、高齢者と関わる仕事がいいかもしれないと思ったんです。

というのも、私がそれまでおこなってきた民俗学の研究では、調査の対象の多くが高齢者で、そこで得たものや学んだことがとても多いと感じていたんですね。何か高齢の方と関われる仕事はないだろうかと漠然と考えていた頃に、ハローワークでたまたま介護の仕事に関するチラシを見つけて。そこから介護士の資格を取得し、最初の職場である大型のデイサービスに勤務することになったんです。大学を辞めてから、だいたい半年後ぐらいでしょうか。

ただ、研究者の世界は競争が激しい分、一度その道を外れてしまうと復帰するのが難しいという面もありそうですよね。異業種への転職で、それまで積み上げてきたキャリアを手放してしまうことに関して不安を感じたりはしましたか?

六車 その不安はもう、当然ありました。私は大学以外の職場での勤務経験がなかったので、そもそも大学以外で働けるのかということ自体未知でしたし、収入面が落ちることに対する懸念もありました。

でも、自分にとって介護の世界は何もかもが新しかったので、かえって面白かった。私はそれまで自分の家族の介護をした経験もなかったので、利用者さんの体に触れて介助をさせていただくこと自体がまったくの初めてだったんです。お風呂や排泄の介助などは特に、拒否感なくできるかどうか自分でも分からずちょっと不安だったのですが、やってみたら意外とすんなりできたし、利用者の方に「ありがとう」と感謝していただけるなかで、仕事に関する自信や生きがいみたいなものも徐々に感じられるようになっていきました

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

やりがいや面白さというのは、具体的にどのような点に感じたのでしょうか。

六車 介護って基本的には、ひとりの利用者さんに周りのスタッフたちがどう関わっていくかという共同作業だと思うんです。私がそれまでいた研究の世界では、どんなテーマを研究対象に選び、誰がいちばん最初に成果を上げるかを重視するあまり、ときに同僚との関係もライバル同士のようになってしまう部分もあったのですが、介護現場ではむしろ、みんなで協力し、それぞれが足りない部分を補い合うことが大切になってくる

もちろん介護現場にも人間関係の問題はありますし、どちらがいい・悪いというわけではなく単に合う・合わないの問題だと思うのですが、私の場合はそういう介護の世界の働き方自体がとても新鮮だったんです。大学にいたときよりも楽な気持ちでいられているのに気づいたこともあって、この仕事を続ける決心がついたのかな、といま振り返ると思います。

民俗学の実践を生かした介護現場での「聞き書き」

六車さんは介護現場で、施設の利用者さんを対象に「聞き書き」をされているんですよね。聞き書きは、語り手の話した言葉を書きとめることで民俗事象をとらえようとする民俗学の調査方法の一つだと思うのですが、具体的にはどんなことをされているか、すこしお聞かせいただけますか。

六車 もともとは最初に働いていたデイサービスで、利用者さんが聞かせてくださった昔のお話がとても面白く、思わずメモを取りながら聞き入ってしまったのが始まりです。それまでやっていた聞き書きは、研究なので当然ですがテーマありきなんですよね。私であれば、人身御供ひとみごくう(人間を神への生け贄とすること)であったり狩猟であったり、何かしらテーマを設けた上でムラに行き、お話を伺っていく。

でも、介護現場における聞き書きはもうすこし自然発生的というか、利用者さんと雑談をしている中で偶然出会った面白い言葉やエピソード、方言なんかにこちらが飛びついて、「よかったらもうすこし聞かせてくれませんか」と広がっていくんです。そこから、知らなかったその方の人生が見えてきたり、時代や地域が見えてきたり、こちらが想定もしていなかったことをたくさん聞くことができる

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

なるほど。テーマを設けていないからこそ、話題が想定外のところまで広がっていく面白さがあるんですね。介護現場で聞き書きをすることで、どのような変化を実感されていますか。

六車 民俗学の研究をしていたときもよく感じたのですが、テーマからすこしずれるような思い出話とか、まったく関係ない雑談のほうが面白いことって多々あるんです。それに論文や研究発表以外の場でまとめる機会が少ないのはもったいないな、とも薄々思っていたんですよね。

介護の現場では、利用者の方に伺った内容を「思い出の記」として冊子にまとめ、ご家族にお渡ししたり、最近ではかるたすごろくなどの形にも展開しています。今は聞き書きも私と利用者さんの1対1ではなくて、ほかの利用者さんも交えて行っているのですが、例えばかるたをつくるときはみんなで質問しながら話を聞き、その場で伺った内容を読み札にまとめていくんですね。

そうすると、かるたをつくる過程でお互いのことを知れますし、出来上がったかるたで遊ぶなかで、一人の利用者さんの記憶をみんなで受け止めたり、追体験したりすることにつながる。そういった試みを通じて、利用者さんとの関係がより深まったり変化していく面があると感じます。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

関係が深まったり変化したりするというのは、どのようなときに感じるのでしょうか。

六車 そもそも介護の現場では、スタッフが一人ひとりの利用者さんの個人史をほとんど知らないということも多い。それに、どうしてもケアをする・されるという関係が固定化されてしまって、利用者さんがスタッフに対し「申し訳ない」とか「迷惑をかけたくない」と感じるあまり、自分の思いを遠慮せずに伝えられなくなってしまいがちなんです。

でも、聞き書きをするときは変な遠慮や緊張をせずに活き活きと話してくださることが多いし、そのときは利用者さんの方が先生のような立場になるので関係性が逆転したり混ざり合ったりする。それによって、固定化されていた関係が徐々に柔軟になり、利用者さんにとってもスタッフにとっても心地よい場が生まれていくように思います。

正直、大学教員だった頃は、それほど聞き書きという方法に特別な関心を持っていたわけではないんですが、介護の現場に入ってから聞き書きの意外な効用というか、面白さを初めて発見したような気がしますね

さまざまなバックグラウンドの人が豊かな場をつくる

いまお伺いした聞き書きなどはまさに、研究というまったく異なる分野の視点が生きた取り組みであるように思います。異業種から介護の世界に入ってきた六車さんだからこそ、業界の課題や改善点が見える部分もあるのではないかと感じるのですが、いかがですか。

六車 研究職に就いていたからこそ、という具体的な例はないのですが、違う視点を持った人が集まっているということ自体はとても大切だと思います。

介護の現場って、もちろん介護の専門学校や大学を出た叩き上げのスタッフも多いのですが、転職組もわりと多い世界なんですよ。利用者さんにはいろいろな方がいて、それぞれの人生があるわけですから、関わる私たちもさまざまな人生経験を積んでいた方が、利用者さんとより深い関わりを持つことができるんじゃないかと思うんですよね。

なるほど。確かに前職がどんな分野であろうとも、そこで培ったスキルや経験が利用者の方との豊かな関係につながるというのはありそうです。

六車 だからこそ、それまでの人生経験や仕事の経験を十分に生かせる現場であるかどうかがすごく重要だと感じています。いままでの経験から新しいアイデアを発想したり、「これちょっと変えた方がいいんじゃないですか?」って気軽に口を出せるような環境であることが大切ですよね。

私も自分が「すまいるほーむ」の管理者という立場になってから、いろいろなバックグラウンドを持つスタッフたちの発想にとても助けられ、刺激も受けています。例えば、自分でデザイン事務所を開いていたスタッフがひとりいるのですが、施設の中でちょっとした工作や作品作りをするときに、彼の発想によって素晴らしいデザインのものができあがったりするんですよ。

もちろん安全面を考慮することは大切なのですが、施設のルールで利用者さんやスタッフを必要以上に縛ってしまうのではなく、新しいものや逸脱するものもよしとする柔軟性を持っていたいんです。そうしないと、介護現場ってそもそもすごく閉じられた世界なので、どこかで行き詰まってしまうと思うんですよね。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ
介護現場は「民俗学の宝庫」と語る六車さんの取り組みを綴った著書『驚きの介護民俗学』医学書院

介護現場がある種閉じられた世界であるというのは、確かにおっしゃる通りだと思います。健康な人や若い人にとっては、介護というものがどこか違う世界のできごとのように捉えられてしまったり、「老い」そのものに関心や実感の薄い人が多いな、と。

六車 そうですね。いま、「役に立つ」ことが非常に重視される社会になってきているのには大きな危機感を覚えています。介護の世界においても、介護予防や認知症予防、リハビリばかりに焦点が当てられ、そもそも「介護を必要としない」状態が一番いいとされてしまう。でも、老いは誰にでも平等にやってくるわけで、認知症になったり障害を持ったりするかどうかは、誰にも分からないわけです。それにもかかわらず、老いというものが日常からは切り離されてしまっていますよね。

介護を必要としないように、という考え方の根幹には、「人に迷惑をかけてはいけない」という日本特有の感覚があると思います。その感覚ってとても根深いと思いますし、私自身そう思ってしまうこともあるのですが、やっぱりそれは違うと言いたいんですよね。

歳をとっても、あるいは障害があっても生きてていいんだと思える社会にならないと希望がない。せめて自分たちの施設では、さまざまなつらいことがあっても「生きていてよかった」と思えるような場所をつくっていきたいと思いますし、そのためには多様な意見に開かれた場であることが重要だと考えています。

介護の仕事を通じて受容できるようになった「それぞれの人生」

今、お伺いしたことがお仕事を続ける上での大きなモチベーションになっている部分もありそうですね。他方で、体力的にハードなお仕事ではあると思うのですが、これまで介護の世界から離れたいと思ったことはありませんか?

六車 いままでも悩んだことはたくさんありますが、コロナ禍に入ってからは特に何度も「やめよう」と思いましたね……。これまでは、全国各地から見学や取材に来てくださる人が多かったこともあって、私にとっても利用者さんやスタッフにとっても、外部の方とお話しすることがいい刺激になっていたんです。それがコロナ禍に入って一気に減ったことで、ストレスはすごく増えました。

でも、施設の社長やスタッフたちにそのことを素直に話し、熱心に悩みを聞いてもらったことや、ときには仕事を代わってもらったこともあって、なんとか乗り切れてきたように思います。

悩みを共有できる同僚がいるかどうかは、本当に大切ですよね。

六車 やっぱりひとりで抱えず、周りに伝えることですよね。大学の教員時代は、なんでもひとりで乗り切ろうとしてしまいがちだったように思います。その結果、精神的にも肉体的にも追い詰められてしまったので、本当によくなかったなと……。

いまの職場は、迷惑をかけたり悩みを伝えたりすることに対して「お互いさまだよね」という感覚をみんなが持っているのがいいなと思うんです。大変なことももちろんありますが、お互いが協力し合える職場であることで、私にとってはすごく生きやすい場になっています。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車さんは著書『驚きの介護民俗学』の中で、35歳を過ぎた頃から、漠然と将来に対しての不安を感じていたと書かれていました。まさに同じような年齢で今後のキャリアや人生に対して不安を覚える人は多いように思うのですが、キャリアチェンジをしたことで、その「不安」や考え方に変化があったということでしょうか?

六車 私は独身で子どももいないので、当時は自分が人とは違う、逸脱した人生を歩んでしまっているんじゃないかという不安がすごく大きかったんですよね。

でも、介護の仕事を通じていろいろな利用者さんたちと関わる中で、まあこれもいいんじゃないかなと思えるようになってきた気がします。利用者さんやそのご家族とお話ししていると、本当にみんないろいろな人生を送ってきているということを実感するんですよね。

自分も自分の人生を歩んでいくしかないし、最後に自分を受け入れてもらえるような場所がありさえすればいいのかな、といまは思います。そのためにも、「すまいるほーむ」を守り続けることで、誰もが心地よく最期を迎えられるような場所を用意していたいなと考えています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:六車由実(むぐるま・ゆみ)さん

六車由実さんのプロフィール写真

1970年静岡県生まれ。沼津市内のデイサービス「すまいるほーむ」の管理者・生活相談員。社会福祉士。介護福祉士。大阪大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。民俗学専攻。2009年より、静岡県東部地区の特別養護老人ホームに介護職員として勤務し、2012年10月から現職。「介護民俗学」を提唱。著書に『神、人を喰う』(新曜社・第25回サントリー学芸賞受賞)、『驚きの介護民俗学』(医学書院・第20回旅の文化奨励賞受賞、第2回日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)、『介護民俗学へようこそ!「すまいるほーむ」の物語』(新潮社)など。コロナ禍の介護現場をリアルに描いたカドブン連載「つながりとゆらぎの現場から―私たちはそれでも介護の仕事を続けていく」も注目される。

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