“昭和的な家庭モデル”が私たちの「働きづらさ」につながっている【はせおやさい×男女共同参画局 対談】


「仕事が忙しくて自分に使える時間が少ない」「頑張って働いているのになかなか収入が増えない」「子どもが生まれたら今までと同じようには働けないのかな」

働く上で、こういった悩みを抱えている方は少なくありません。誰もが不満や不安のない状態で働くには、まだまだ国や企業の制度が整っていなかったり、慣習や自分の思い込みが足かせになったりしています。

そこで今回は、会社員兼ブロガーのはせおやさいさんと一緒に「働く人が抱えている課題」について考える対談を実施。対談相手は内閣府男女共同参画局の方々です。男女共同参画局は毎年、ジェンダー・ギャップにまつわるさまざまなデータやエビデンスを調査し取りまとめた「男女共同参画白書」を発行しています。

私たちが「働きづらいな」と感じる背景にはなにがあるのか、なかなか見えづらいけれど「国」や「企業」は変わろうとしているのか、どうしたらみんなが「自分が納得する働き方」を選べるようになるのか――。いち会社員であるはせさんが日々感じている不満や課題を投げかけてみました。

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<<プロフィール>>

はせ おやさいさん

はせ おやさいさん
ブロガー。ITベンチャー企業にフルタイムでリモート勤務する40代。フリーランスで働く30代の夫とともに、4歳の子どもを育てている。

由井 啓太郎さん

由井 啓太郎さん
内閣府男女共同参画局総務課調査室課長補佐。令和4年版「男女共同参画白書」作成にかかわる進行管理・全体の取りまとめを担当。

丹下 留美子さん

丹下 留美子さん
内閣府男女共同参画局総務課男女共同参画分析官。令和4年版「男女共同参画白書」特集編(人生100年時代における結婚と家族~家族の姿の変化と課題にどう向き合うか~)の執筆を担当。自身も未就学児の子育て中。

※参加者のプロフィール、お子さんの年齢は、取材時点(2022年9月)のものです



そもそも「男女共同参画局」って何をしているの?

はせおやさい(以下、はせ) こんにちは! 今日はおふたりに、私が普段働く上で感じているさまざまな悩みをお話しできればと思うのですが……そもそも「男女共同参画局」ってどんな組織なんでしょう? 名前はニュースなどでよく見かけますよね。

由井啓太郎(以下、由井) 「男女共同参画局」はその名のとおり、男女共同参画を推進する部署です。内閣府に置かれていて、ジェンダー・ギャップを解消していくために5年ごとの基本計画を制定したり、政府内の会議を運営したりするのが主な業務です。そのなかに「男女共同参画白書」の作成や国会報告が含まれています。

左・内閣府男女共同参画局の由井啓太郎さん。右・同 丹下留美子さん
左・内閣府男女共同参画局の由井啓太郎さん。右・同 丹下留美子さん

はせ 「男女共同参画白書」は毎年ニュースやネットで話題になりますよね。今年は「20代男性の約4割がデート経験なし」「もはや昭和ではない」といったトピックに注目が集まっていました。

由井 「男女共同参画白書」には、社会の現状と対策をオールインワンで提示するという役割があります。盛り込まれているのは、大きく分けて「男女共同参画社会形成の状況」と「そのために政府が講じた政策」「これから講じようとする政策」の3つです。

また、価値観が多様化する社会の中で、国民の誰もが納得できる政策をつくっていくには、客観的なデータの裏付けが欠かせません。そのためにも、白書では印象や雰囲気ではなくエビデンスをもって「実態」を示すことを目的としています。

はせ 日ごろ「なんで分かってもらえないんだ!」とモヤモヤしていることが、実態やエビデンスに基づきデータで示されている、と。それは心強いです! ところで白書って毎年、個別のテーマが設けられているんですよね。どんなふうに決めているんですか?

丹下留美子(以下、丹下) その年の「ホットトピック」を取り上げるようにしています。例えば令和3年は、その前年から続くコロナ禍や生活の変化を踏まえ、「コロナ下で顕在化した男女共同参画の課題と未来」となりました。

そして、よくよく分析してみると、緊急事態宣言などによって生活や雇用が脅かされた方には女性が多く、男女共同参画が推進しきれていなかったことが分かりました。そこで令和4年はその背景を探るため、「人生100年時代における結婚と家族~家族の姿の変化と課題にどう向き合うか~」というテーマを設定したんです。

はせ 「白書」といわれると堅い印象を受けるのですが、どちらもすごく身近なテーマですね! ただ、社会で働く一会社員としては白書でまとめた内容がどうやって政策に反映されていくのかが気になります……。

由井 具体的な政策に落とし込んでいくのは、制度等を直接担う各省庁の役割ですが、私たちは白書の中で、さまざまな政策を検討する際の前提となるデータをまとめて示しているというわけですね。今日は白書をもとに、どんな政策が取られているかもお伝えできればと思います!

はせ なるほど! では早速、私が日ごろ働いて生活する上で感じている悩みごとについてお話しさせてください。

由井 リアルなお話、こちらもぜひお伺いしたいです!

キャリアが一時中断すると“元”に戻りづらい……

はせ 私は昨年、40代で転職活動をしたのですが、これがもうとても難しくて。未就学児を育てていることもあり、転職エージェントに相談するとまず「子どもがいるなら時短勤務ですね」と提案されるんです。

わが家は私の収入が家計の多くを占めているのですが、時短勤務になると収入が6~7割まで減ってしまいます。「子どもがいる既婚女性」という属性だけで、当たり前のように「時短」を提案されたことに不安を感じました

丹下 IT産業でも難しいのですね。IT産業はもっと柔軟に対応してもらえるものだと思っていました。

はせ IT産業は確かにかなり柔軟でフラットな企業もありますが、その手前で転職エージェントの固定観念に阻まれた感じもありましたね。私の場合は「40代子持ち女性の転職」の悩みでしたが、「30代フリーランス男性」である夫も、育児をきっかけにキャリアについて悩んだことがあって。

私は子どもが生後半年のときにフリーランスを辞めて会社勤めをはじめたんです。なので子どもが保育園に入れるまでは、フリーランスの夫が仕事をセーブして、専業主夫をしてくれていました。でも夫は、社会復帰のときに「以前と同じ仕事や収入で働けるのか?」と不安がっていたんですね。

私たちのように、今の日本の「育児や介護などでキャリアが一時停止すると、収入の水準や役割を戻しづらい」という状況に不安を感じている人は多いと思います。

はせおやさいさん

由井 出産や育児だけでなく、介護など家庭の事情で一度現場を離れても、同じ条件で戻れるといいですよね……。

はせ そうなんです! 

由井 日本ではまだまだ「稼ぎの主体は男性で、女性はそれを補助する」という昭和的な家族モデルが根底にあるため、「家庭の事情」が考慮されづらいと思います。

これらに紐付く問題は、「勤続年数」を賃金を定める際の考慮要素として重視する組織が多いことや、男女間の賃金格差もあります。同じ組織の中でも、正規・非正規や勤務時間といった雇用形態の違いによって、男女間で賃金格差があるケースは少なくありません。

はせ 私は「フルタイムから時短になって収入が減るかもしれない」という点に悩みましたが、そもそも非正規雇用しか選択肢がないという方も多いですよね。既婚で子どもがいる女性は特に……。

由井 そうなんです。社会全体で見てみても、女性が多いサービス業やエッセンシャルワーカーは、業務と賃金が見合っていないことがあります。こうした現象はいずれも、「女性の稼ぎは補助的である」という古い考え方に基づいているのでは? と推察しているところです。

はせ そういう構造的な格差って、どうすれば解消するんでしょうか。

由井 まずは民間企業に対して、男女間の賃金格差に関するデータを開示してもらうよう、仕組みをつくっています*1。それから、同一労働同一賃金を徹底するための政策も進めていて*2、さまざまな角度から格差を解消していきたいと考えています。

はせ ぜひ解消してほしい……! 社会全体に「働いている母親は時短勤務」「主たる稼ぎ主は男性」という決めつけが根強く残っていて、別の選択肢を検討しづらいと感じるので……。

由井 社会保障制度が昭和の「夫が外で働いて、専業主婦が家を守る」という前提をベースにつくられたままになっているのも大きいんですよね。そこで白書では、これまでの家族の姿はもうスタンダードではないことや多様な生き方についてとらえ、実態をレポートしています

グラフ「共働き世帯と専業主婦世帯の割合」平成初期に共働き世帯と専業主婦世帯の割合が逆転し、その差は開き続けている(令和4年版「男女共同参画白書」より)

丹下 実際に「社会保障は世帯単位ではなく個人単位にすべきではないか」といった議論も生まれています。ただ、省庁横断でまるごと変えていかなければいけない問題なので、なかなかスピードが出せずに歯がゆいのですが……関係者それぞれ、頑張っていきたい思いは確かです!

「1日8時間×週5勤務」がデフォルトなのは大変!

はせ 先ほどの時短勤務の話ともつながっているのですが、「働き方」についても考えたいなと思っていて。

会社員は「1日8時間×週5日」勤務がデフォルトのケースが多くて、それだけ働いていないと受けられない社会保障も少なくありません。でも、暮らしを営んで子どもや親の面倒を見ていると、フルタイム勤務は本当に時間が足りなくて!

家族と過ごす時間や睡眠時間など、何かを切り捨てないとやっていけないんです。「稼ぐ人」と「母」を両立しようと思うと、身も心も引き裂かれそうになることがあります……。

丹下 私も子育て中なので、お気持ちはよく分かります。ある程度柔軟に働けていたって、大変ですよね。

ワークシェアリング(労働者を増やすなどして、労働者同士で雇用を分け合い、社会全体の雇用者数を増加させること)はひとつの解決策ですが、どうしても収入が減ってしまうため、根本解決にはなりません。

キャリアを落とさず、かつ負担を減らして働き続けられるような方法だと……例えば海外では、女性の幹部職員と意欲の高い男性ミドル層にペアで働いてもらい、限られた時間で仕事をうまく回す取り組みがあると聞いています。そうした例を紹介しつつ、国内でも前例を積み重ねていきたいですね。

内閣府・男女共同参画局 丹下さん

はせ そのアイディアは面白いですね。もしくは、働き方自体がもっとフレキシブルになったらいいなと感じます。

私はフルリモート勤務ですが、それでもやっぱり体調不良や休園などで子どもが家にいたら仕事はできません。協力し合えるパートナーがいればまだしも、ワンオペやシングルの方は本当に大変だと思います……。

由井 今後のためにぜひ伺いたいのですが、はせさんは社会にどんな働き方を許容してほしいと思いますか?

はせ 時間単位で取れる休暇があったらいいなと思います。企業によってはすでに時間単位の有給休暇を導入しているところもありますが、子どもがいる・いないにかかわらず時間ごとに休暇が取れたら、どうしても仕事を抜けなければいけない時間帯だけ休めるのでありがたいですね。

それから私自身はフレックスタイム制で雇用されていて、月の総労働時間で勤怠管理されていることに、とても助けられています。子どもが体調を崩して3日間労働時間が短くなったとしても、そのあとの稼働時間を調整すれば、なんとかなったりする。

もちろんそういった働き方が難しい職種もあるでしょうから、いろんな方法で「働き方の裁量」を自由にしてもらえると、みんなが少し楽になるんじゃないかなと思います

丹下 そうした働き方の問題は、女性だけでなく、男性も含めて考えていきたいですね。時代の変化に伴って「仕事より家庭を大切にしたい」「育児にしっかり参加したい」という男性も増えてきているので。

そのためには、誰もが柔軟に働ける仕組みづくりが必要ですが……じつは、女性に比べるとまだ男性の分析は進んでいなくて。そこも今後の課題です。

はせ 性別や子どもがいる/いない、家庭の状況にかかわらず、みんなの働き方が柔軟になって、仕事に忙殺されず自分の時間も大切にできるようになるといいですよね。

働くことと結婚・出産はトレードオフなのか

はせ 最近、年下の女性から「結婚や出産をしたら、キャリアを維持するためにはいろんなことを犠牲にしないとダメでしょうか?」とよく聞かれるんです。若い世代にまで「働く」と「出産」はトレードオフになるという価値観が浸透していると感じるんですが、実際のところ、どうなんでしょうか?

由井 働いている女性の8割以上が、結婚しても就業を継続しています。なので、結婚はさほど大きなターニングポイントにはなっていません。が、第一子を出産したタイミングでは、約3割の女性が仕事を辞めてしまいます。第二子、第三子となると就業継続率は8〜9割をキープする*3ため、「第一子出産」と「働く」は、少なからずトレードオフになっている可能性があるといえるでしょう。

グラフ「子どもの出生年別にみた、出産前後の妻の就業変化」子どもの出生年別にみた、出産前後の妻の就業変化(「第16回出生動向基本調査 」より)

はせ 第一子が転機だったんですね! そして、ただ一口に「働く」といっても、「本人が納得する形で働けること」が大事なのかなと。

もちろんそれぞれの家庭の事情や方針によっては「時短や非正規雇用を希望する」こともあると思うのですが、「フルタイム」や「正社員」を希望しているのに、「時短」や「パート」になってしまう人もいて……。働き続けたい方が、働きたい方法で働き続けるには、どうすればいいのでしょうか。

由井 まずはやはり「働き続けたい方をサポートする仕組みづくり」が大事だと思いますし、私たちとしても今後いっそう大切にしていきたい部分です。支援が不十分なことで働き続けられなくなっている方は、一定数いらっしゃいますから。

ただ、とくに団塊ジュニア周辺の世代には「子どもが小さいうちは家で育てたい」という声も、案外少なくないようで……。

グラフ「女性が職業を持つことに対する意識の変化」
女性が職業を持つことに対する意識の変化(令和4年版「男女共同参画白書」より)

はせ 確かに……! 私の親は昭和10年代生まれで、まさに「3歳児神話(3歳までは母親が家で育てるべきという考え方)」の世代です。そんな母にしっかりと手をかけて育ててもらってきたぶん、私自身も幼い我が子を保育園に預けることに抵抗があって……。

こういう葛藤によって、自主的に仕事を離れてしまったり、雇用形態を変える方がいるのは想像できます。企業も変わろうとしているし、私たち自身の価値観も変わっていく途中なのかも。

丹下 社会の機運も高まっており、出産しても働き続けられる環境は、以前に比べてずいぶん整ってきていると感じます。

とはいえ、先ほどのお話のように「時短を余儀なくされる」といったケースもありますし、働きたくてもそれぞれが希望する方法で働けない方を阻害している要因が何なのかを引き続き探り、対策を講じていきたいです

多様化する人生。 性別・属性を問わずみんなが生きやすくなるには?

はせ 少しずつ変わってきてはいるものの、これまでのお話にもあった通り、男は外で稼いで女が家の中のことをやるという意識は、若い世代にも根強く残っているのかなと感じています。

30代の夫は現代的な男性なんですが、駆け出しのフリーランスをしていたとき、周りの人に「奥さんが会社員だから大丈夫でしょ」と言われて、すごく悔しかったそうなんです。そのとき、自分のなかに「男が稼いで食わせたい」という価値観が残っていることに気づいてびっくりしたと。

丹下 まさにアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)ですよね。実際「男性は稼がなければいけない」という男性の考え方は、調査結果にも表れています。

また、コロナ下で男性の仕事時間は減り、その分、育児時間が増えたのですが、家事参画の時間はほとんど増えていません。育児をしても、家事をする男性は少ないんです。そうした価値観は、世代間で継承されている部分も大きいんですよね……。

グラフ「性別による無意識の思い込み」
令和3年度「性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査研究」より

由井 ただ、変化の芽は見えてきていて、やはりコロナ下で働き方が変わったことは大きく影響しています。

まず一部の業種・職種に限定した話ではありますが、働く場所と住む場所が一致したことで余剰時間が生まれました。働きながら家事育児をしたいと考える男性も、若い世代には増えている。これからの調査でその実態を把握していけば、男性の家事育児参画を促す制度の誕生にもつながっていくはずです。

もちろん、男性の人生も多様化しているいま、結婚や出産が前提ではありません。結婚や家事育児をしたい男性をフォローしながら、そうではない人生を歩む男性も支援することが必要です。

例えば、女性に比べると数が少ない男性の地域における相談窓口の整備拡充などは、今後大切な施策のひとつだと考えています。

はせ 男性と女性の生きやすさは両輪だから、併せて変わっていかないといけませんよね。

由井 おっしゃるとおりです。国民の意識と制度は、補強し合って最適化していくもの。今は時代に合っていないと思われがちな社会保障制度も、少し前の時代には最適でしたし、ひとつの均衡を達成していました。

いまは、そのバランスが少し崩れている過渡期。次の均衡を目指して、制度と意識の両面にアプローチをしていきたいと思います。

はせおやさいさんと、男女共同参画局のお二人

取材・執筆:菅原さくら
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

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*1:2022年7月8日、女性活躍推進法に基づく省令改正により、常時雇用する労働者が301人以上の事業主に男女間の賃金差の開示が義務付けられた。

*2:同一企業・団体における正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者)と非正規雇用労働者(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)との間の待遇差の解消を目指し、パートタイム・有期雇用労働法、労働者派遣法の改訂が行われた。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000144972.html

*3:第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)より

「頼ること」をためらわない。発達障害・知的障害児を育てる吉田可奈さんに聞く、仕事と療育の両立


吉田可奈さんは、フリーライターとして働きながら、健常児の長女・みいちゃんと発達障害・知的障害をもつ長男・ぽんちゃんを育ててきたシングルマザー。2020年には親子3人での日々をつづった著書『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』(以下、『うちの子、へん?』)を出版されています。

吉田さんの著書タイトルにもなっている「うちの子、へん?」というキーワードに、ドキッとする方も少なくないのではないでしょうか。子どもが成長していくにつれ、もし何らかの障害が分かったとき、子どもとどう向き合っていくか。それに伴うライフスタイルの変化、今の仕事を同じように続けられるのかなど、不安は尽きないはずです。

そこで今回は、子どものケアと仕事をどのように両立してきたのか、長男・ぽんちゃんが3歳から小学校に入学するまで通っていた「療育」のことなど、当事者である吉田さんに聞きました。

※取材はリモートで実施しました

まだ社会の理解が浅かった「発達障害」を当事者目線で発信

『うちの子、へん?』では、発達障害・知的障害をもつぽんちゃん、お姉ちゃんのみいちゃんと過ごす日常が描かれています。この本はどのような経緯で作られたのでしょうか。

吉田可奈さん(以下、吉田) あるwebメディアのコラム連載で、息子・ぽんちゃんの障害が判明したときのことを書いたときに、当時の担当編集の方から「発達障害や知的障害児の育児について連載してみないか」と打診があったのがきっかけです。

それから「障害児の子育て」をテーマにした連載をスタートし、一冊の本にまとまったのがこの『うちの子、へん?』になります。

『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』より

『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』より

ぽんちゃんの障害が分かったときの「自分のせいかも」という後悔や戸惑いもストレートに書かれていますが、何よりも「不安や葛藤もあるけれど前向きに生きていこう」という吉田さんのポジティブさを感じます。

吉田 ぽんちゃんが生まれた2010年ごろはまだ、「発達障害」という言葉を聞いたことはあるけれどもよく知らないという人が大半だったように思います。

また、我が子に障害があることを知らされた親に対するフォローも少なかったんですよね。今でも議論されていることではありますが、発達障害や知的障害は「治る」といわれていたり、障害児向けの専門教材がいくつも出回っていたり。私もぽんちゃんの障害が分かったときに同じ境遇のママさんから「息子さん、発語がないの? 〇〇先生のところに行けばよくなるよ」なんて言われたことがありました。

でも、障害は100人いれば100通り。Aさんには合う方法だけど、Bさんには合わないなんて当たり前にあることで、万人に効果のある「治療法」なんてないと思っていて。そういった誤解や偏見、そして障害児を育てることへの不安が、私が体験談を語ることで少しずつでもやわらいでいけばいいなと思い、連載をしていました

保育園で指摘された「発育の遅れ」から、発達の遅延が判明

ぽんちゃんの障害が分かったときのことや、どのように行動していったのかを教えてください。

吉田 ぽんちゃんの場合は、1歳の頃に保育園の先生から「小さいね」と言われたのが最初のきっかけでした。二人目の子だったこともあってあまり体重や健康面について細かく気にかけることがなくなっていたんです。

『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』より

『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』より

でも「小さい」と言われたことがすごく気になって、その日のうちにかかりつけの小児科へ足を運びました。それから1年ほど、食事に栄養剤のようなものをプラスして様子を見ることになりましたが特に改善が見られず、発語もなかったため、2歳のときに大きい病院へ行って検査を受けました。

関係のありそうな検査は全て受けましたが、結果は「異常なし」。でも、健常児なら長女と同じように育っているはず……。モヤモヤした気持ちはありましたが、このときに「ぽんちゃんには障害があるかもしれない」と腹をくくったような気がします。

そこからどのようなアクションを?

吉田 その後の3歳児検診で他の子との違いをはっきり認識しました。検診時に、保健師さんに専門的な教育支援などが受けられる療育センターへ通うのを勧められたので、検診後すぐに問い合わせて予約をとりました。予約は半年待ちでした。

半年待ち……。すごく長い期間ですね。

吉田 この半年の間に、自分に何かできることはないか? と市役所の方に尋ねましたが、特にないという回答でした。ただ、療育センターの方から「保育園に通っているのはすごくいいこと」と言っていただけて。発語がないこと以外は健常児と変わらず、よく笑う元気な子。保育園で集団生活に参加していることもプラスになるし、お姉ちゃんがいることもいい刺激になっている。他の子と同じように生活をさせることが一番だと言われたので、私は変わらず仕事をしながら保育園に通わせていました。

3歳の時点で健常児との発達の違いが顕著になっていたこともあって本格的に療育を受けることになり、週に2回、午前中の時間を療育にあてることになりました

仕事の量はキープしながら、週に2回の療育に通う日々

そもそも「療育」とはどういったものなのでしょうか。

吉田 明確な定義はないようですが、障害のある子どもやその可能性のある子どもがそれぞれの発達や特性に応じて受ける専門的な支援を指すのが一般的なようです。療育が受けられる機関としては、医療機関や児童発達支援センターがあり、そういった場所が「療育センター」と呼ばれることもあります。

具体的にはどのようなことを?

吉田 子どもによってかなり異なるので、ぽんちゃんの場合についてお話ししますね。ぽんちゃんは3~5歳まで週2回、6歳では月に2回、療育に通っていました。内容は、発達検査の結果や先生との問診で決まっていきます。

ぽんちゃんは週に1回ずつ、「言語聴覚療法」「作業療法」と呼ばれる療育を受けていました。ひらがなの読み書きを練習している子もいるようでしたが、ぽんちゃんの場合は発語がないので読み書きの訓練などはなく、積み木を重ねたり、紐にボタンを通したりといった内容が多かったように思います。

ほかにはトランポリンや、ペットボトルを使ったボウリングのように手足や体全体を使ったり体幹を鍛えたりする活動が取り入れられていました。いずれも「遊び」の延長なので、本人は楽しんで取り組んでいたと思います。

我が子が障害の診断を受けたとき、療育と仕事を両立できるのか不安を感じる人も多いと思いますが、吉田さんは何か仕事の仕方を変えたところはありましたか?

吉田 あらかじめ、療育に行く時間帯には予定を入れないようにしておきました。療育は8時半からで、医師の診察があるときもだいたい11時くらいには保育園に預けて、午後から仕事。ぽんちゃんが小学校に上がるまでこのスケジュールでした。

療育との両立にあたり、仕事をセーブせざるをえないと感じた場面はありませんでしたか?

吉田 離婚していたこともあって「とにかく稼がなきゃ!」という気持ちの方が強かったので、両親と保育園のサポートを受けながら、仕事量を減らさずに働き続けることを優先して考えました。ただ私の場合、フリーランスということもあり、調整はしやすい環境だったと思います。

勤務時間が決まっている会社員だと、両立が大変なケースもありそうですね……!

吉田 会社員の方や実家が遠い方は「それは難しい」と感じるかもしれませんが、今、リモートワークやフレックス勤務が推奨されるようにもなっていますよね。これって、子どものケアにもすごくつなげやすいんじゃないかなって。

通勤に費やす時間が減った分、通院がしやすくなったり、パパが療育に付き添うこともできたり。親二人で分担できると、負担も減らせるのではないかという希望もあります。

働き方をある程度調整できる環境であれば、保育園も利用しながら療育と仕事を両立できそうですね。ただ物理的には可能でも、「仕事より子どものケアを優先すべきなんじゃないか」「仕事をやめてずっと一緒にいてあげた方がいいのかも」と悩んでしまう人もいそうです。吉田さんはそういった葛藤はありましたか?

吉田 療育は関係なく、私も「子どもを保育園に預ける」という選択をしたときから罪悪感をすごく感じていました。私の母は昔気質で「こんなに小さいうちから預けるなんてかわいそう」と言うタイプでしたし。しかも離婚もしていて、それは私が決めたことで……と、がんじがらめになってしまって。

でも、その悩みを保育園の先生に打ち明けたら「私たちは保育のプロなんだから、子どもたちのことを一番に考えていますよ。プロに任せて、しっかり仕事してきなさい!」って。その言葉のおかげで、働き続けることへの後ろめたさは薄れていった気がします。

『うちの子、へん?』のコラムでは、最相葉月さんの「障害のある子どもを育てることと、女性の夢がバーター取引であってはいけない」という言葉も紹介されていましたね。

吉田 ぽんちゃんは就学後は支援学校に入り、療育は卒業して放課後等デイサービスを利用しています。そうなると一日の流れは小学校と学童保育を利用している子と同じで、親も健常児の親とほぼ同じように時間を使えるようになります。障害の程度にもよりますが、送迎や長時間の付き添いが必要なのは保育園や幼稚園の間だけでした。だからこそ、自分のやりたいことや仕事は手放さずに最初の数年をしのげれば……と、実体験を経て感じています

<放課後等デイサービス>
主に6歳~18歳の障害を持つ就学児童が対象。授業の終了後又は休校日に児童発達支援センターなどの施設で利用できる福祉サービス。

「言葉にする」「発信する」ことで、我が子の障害を受け入れていけた

療育と仕事を両立する忙しい毎日の中で自分の気持ちを整理していくのは、大変さもあったのではないかと思います。ご自身がいっぱいいっぱいにならないように、何か心がけてきたことはありますか。

吉田 ぽんちゃんのことを隠さず、周りになんでも話すようにしました。離婚のときもそうでしたが、自分の近況をついあれこれ話してしまうんですよね(笑)。

例えばどんなふうに話していたのでしょうか。

吉田 6歳を目前に、ぽんちゃんに「表出性言語障害」の診断が下りて、のちに発達遅滞とともに知的障害もあると判明しました。その日は、長くお付き合いしている女性シンガーソングライターの方の取材があって……。顔を合わせたとたんにこらえきれず「ねぇ、聞いてもらってもいい?」って、取材に入る前にぽんちゃんの話をして、それで緊張の糸が切れてわんわん泣いてしまって……(笑)。

でもそうやっていろいろな人に話しながら自分の気持ちを言葉にしたり、感情を出したりすることで、どんどん「当たり前のこと」になっていったというか、怖くも恥ずかしくもないと思えるようになっていったように感じます。

他人に話すと同時に、自分の気持ちも整理されていったというか。

吉田 思えばそれが、私がぽんちゃんの障害を受け入れていく“障害受容”のプロセスだったかもしれません。取引先の出版社の方などにもぽんちゃんのことをよく話していたので、事情を分かってくださる方も多くて、仕事との両立の面でも助けられました。

仕事相手に家庭の悩みを話すのは勇気がいりますが、吉田さんの場合、正直に話すことが働きやすさにもつながったんですね。

吉田 あとは、長女とよく遊んでいる友達に自閉症の子がいて、その子のママにぽんちゃんのことを相談したのも大きなステップでした。著書にも書きましたが、ひとしきり今抱えている不安を話したらその人が「よし、逆手にとろうか」って(笑)。すぐに市役所で療育手帳を取得しよう、行政のサービスで使えるものはどんどん使おう、と、ポジティブな言葉をたくさんかけてくれて。

同じ境遇で、同じ経験をしてきた人だからこその言葉には確かに励まされそうです。

吉田 サークルのようなものもあるし、身近に同じ境遇の人がいない人は参加してみるのもよいかもしれません。ただ、中には価値観の合わない方もいるので、SNSでもリアルでも、合わない人とは上手に距離をとる必要もあると感じます。同じ目線や温度感でいられるママ友がいたことは、私が恵まれていた点かもしれません。

苦しいとき、誰かに頼ることをためらわないでほしい

『うちの子、へん?』を読んでいると、吉田さんのポジティブな考え方・生き方に勇気づけられる一方で、「でも私はこんなに前向きになれない……」と自分と比べてしまう人もいるのかなと思って。

吉田 私も、もちろん不安になることはあります。同じ境遇のママ友と話していても、みんな将来への不安を感じていますし、「自分がいなくなったら、この子は……」というのは共通の悩みです。思い詰めてうつになってしまったり、「いっそ、この子と一緒に……」なんて、最悪の想像をしてしまったりする人もいます。

でも、先のことって考えれば考えただけ不安なんですよね。健常者であるみいちゃんも、私自身も、明日は何があるか分からない。そう考えたら「今日を楽しく生きたい」って。すごくバカみたいかもしれないけど、今日を楽しめて、明日も楽しく生きよう! って一日を終えられたら、それを積み重ねていけたら。そう思うようになってからは、私も娘も、息子もポジティブに過ごせるようになりました。

『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』より

『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』より

当たり前ですが、いろんな葛藤、悩みを乗り越えての今なんですよね。

吉田 ぽんちゃんに障害があると分かってからは、私自身すごく強くなった気がします。ベビーカーを押していると通りすがりの人から「邪魔なんだよ」と言われたりすることもあったので、金髪にしたりゴツいアクセサリーをつけたりして、周囲を威嚇していました(笑)。心ない人に攻撃されれば「何がダメなんですか?」と反撃することもありました。

シングルマザーとして生きていくと決めたときに「この子たちは私が絶対に守るぞ」と思ったのが、攻撃的な形をとって表れていたのかもしれません。

確かに、見た目を変えたら攻撃されなくなったというのはよく聞きます。でも、本当は頑張って強くならなくても生きていける世界がいいですよね。

吉田 みんながみんな強くならなくていいと思うんですよ。弱くても、誰かに助けてもらうことが一番大事だと思います。例えば療育センターや病院、役所、友人、SNS……。「私はすごく困っている、助けてほしい」と、SOSを出すことをためらわないでほしい。

私もそうなのですが、ほとんどの人は誰かに頼られると「何とかしてあげたい」「助けたい」って思うんですよね。信頼できる人に助けを求めることが、今苦しい人にとってはとても大切なことなんじゃないかなって。助けてもらったら、次は自分が助けよう……。そういう気持ちで、一人ひとりが大切な人を大切にしていけるようになればいいなと思います。

取材・執筆:藤堂真衣
編集:はてな編集部

子どもとの向き合い方に悩んだら

仕事が忙しいとき、つい子どもを怒ってしまい後悔。イライラして余裕がないときの「子どもとの向き合い方」
イライラして余裕がないときの「子どもとの向き合い方」
『母親になって後悔してる』翻訳の裏側。後悔してる=子どもを憎んでいる、ではない
母親のつらさはもっと語られるべき。でも、後悔してる=子どもを憎んでいる、ではない
「良いお母さん」になろうとするのをやめて、私のままで「親」をやる
「良いお母さん」になろうとするのをやめて、私のままで「親」をやる

お話を伺った方:吉田可奈さん

吉田可奈

エンタメ系フリーライター。作詞家。シングルマザー。14歳、12歳(知的障がい)の子育て中。著者本「うちの子、へん?」 「シングルマザー、家を買う」発売中。
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仕事が忙しいとき、つい子どもを怒ってしまい後悔。イライラして余裕がないときの「子どもとの向き合い方」

イライラして余裕がないときの「子どもとの向き合い方」

「また今日も子どもを怒ってしまった……」

仕事をしながら子育てしていると、子どもを叱る必要がある場面で、つい余裕がなくなって怒ってしまうことがあります。その度に落ち込んだりモヤモヤしたり……そういった経験がある方は、少なくないでしょう。

そんな親の気持ちに寄り添った子育て論を発信しているのが、書籍『怒りたくて怒ってるわけちゃうのになぁ 子どもも大人もしんどくない子育て』(KADOKAWA)の著者、きしもとたかひろさんです。

きしもとさんは学童保育に約10年間勤務した経験をもとに、子どもも大人も笑顔で過ごせる時間を増やすにはどうすればいいのかを模索し、SNSやブログなどを通じて発信し続けています。

仕事や家事で余裕がない中、どんなふうに子どもと向き合えばいいのか? 怒ってしまったらどうすればいいのか? きしもとさんにお話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

子育ては方法論通りにいかないもの。だからこそ「軸」を大切に

きしもとさんは以前から「子どもを怒る」ことのあり方について、インターネットや書籍で発信され続けていますね。こうした活動のきっかけは何だったのでしょうか?

きしもとたかひろさん(以下、きしもと) 僕は学童保育で働く以前、保育士になって保育園で働くつもりで、養成学校に通っていました。だけど保育業界のことを知るうちにその厳しさを知ってしまって。

保育士の方たちは「子どもが子どもらしくのびのびと育つように」という理想を掲げているのですが、実際は忙しくて余裕がなく、なかなかそうはできない。もちろんいろんな保育士さんがいると思いますが、当時僕が見た中では、子どもに怒ったり、大人の言うことを聞かせたりする場面が多々ありました。

僕は、子どもにそんなふうに接したくなかった。そんな中で、もっと余裕を持って子どもと接することができそうだなと思ったのが、小学校の学童保育でした。創意工夫しながら、理想の保育ができるかもしれない。そう思って、学童の支援員として働き始めました。

しかし僕はそこでも「怒らない」ということができなかった。余裕があるはずの場所なのに、なぜできないんだろう。どうしたら、より良い保育ができるんだろう。その葛藤の中で考えたことをいろんな方に共有したいと思って、今の執筆活動を始めました。

きしもとたかひろさん
きしもとたかひろさん

きしもとさんの文章には、「これが正解」ということが書かれていないですよね。答えではなく思考のプロセスが書かれているので、どんなふうに子育てをしていけばいいのか、自分も一緒に考えさせられます。

きしもと そう言っていただけるとうれしいですね。「これが正解」と思うと、できない自分を責めてしまうでしょう。もしくは「できないのはこの子が悪いからで、仕方ない」と思ってしまう。

僕はそのどちらも嫌だし、そもそも「望ましいやり方を頭では分かっていたとしても、簡単にはできない」という前提でいます。そんな自分が、どうやったらより良い形で子どもと向き合えるだろうと、ずっと考え続けているんです。

その際に意識しているのが、子育てにおける「方法」ではなく「軸」を大事にすることなんですね。

子育てにおける「軸」?

きしもと はい。子育てにおける正しい「方法」について書かれた本や記事などは多くあって、それで助かる人がいる一方、逆にうまくできずに追い詰められる人もいます。その方法だけ見ていると、「軸」を見失ってしまう。だから僕はまず軸を考えて、そこに至るまでの過程を作りたいと思っているんです。

「その子がしんどくないかどうか」をいちばん重視する

子育ての「軸」とは、どういうものでしょうか?

きしもと 前提として、日本の保育は「子どもの権利条約」をベースにしています。これは、子どもの基本的人権を保障するために1989年の国連総会で採択された、世界的な条約です。

「子どもの権利条約」4つの原則
  • 生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)
    • すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。
  • 子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)
    • 子どもに関することが決められ、行われる時は、「その子どもにとって最もよいことは何か」を第一に考えます。
  • 子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)
    • 子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。
  • 差別の禁止(差別のないこと)
    • すべての子どもは、子ども自身や親の人種や国籍、性、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。
ユニセフ公式サイトより引用)

原則の一つに「子どもの最善の利益」を守ることがあります。つまり「その子にとって何が一番良いことなのか」を考えよう、ということ。僕はこれを子育ての「軸」にしています。

子どもは本来「自分に関わることは自分で意思表明できる権利」を持っています。だから、例えば大人が「ご飯を食べなさい」と言っても、「嫌だ」と断る権利がある。それを無視して無理に口に入れるのは、「子どもの権利条約」を考えると良くないことなんです。

だけど、ご飯を食べなかったらその子にとっての「最善の利益」である「健康」が損なわれるかもしれません。それでいいのか、悪いのか? ここで矛盾と葛藤が生まれます。でも子育てにおいて、それは当たり前。葛藤は絶対にあるものなんです。

ここで肝になるのは、「子どもが主体」だということですね。とはいえ、本人はまだ幼いから見通しが甘いことがある。だから大人も口を出したくなる。両方の視点が交錯して葛藤が生まれるわけですね。

きしもと その通りです。子どもの食べたくない意志は尊重した方がいいけれど、まったく食べないのは問題だから、「少しは食べて」と大人の意志も伝えた方がいい。つまり、その子を「育てる」というよりも、その子が生きる上で大事にすべきことを、その子の思いを受け止めつつ一緒に考え続けることなんですよね。

となると、方法は一つじゃなくなります。「とりあえず遊び食べから始めようか」とか「野菜は残してもいいかな」とか。これが「無理にでも食べさせないといけない」という方法論になってしまうと、お互いがつらくなります。

「子どもの最善の利益を守る」という軸さえ守れたら、方法は柔軟に変えてもいい……そう考えるとかなり楽になりますね。

きしもと そうですよね。ただ「子どもの最善の利益」って結構抽象的なので、僕はそれを分かりやすくして、「子どもがしんどくないかどうか」で見ています。

どれだけ充実していたり成長していたりしてプラスに見えたとしても、しんどい状態であるならその子の最善の利益は損なわれているんじゃないだろうか、と見てみる。「しんどくないかどうか」を基準にするんです。

そのしんどさを減らすためには、まず、大人が子どもを凹ませないことです。虐待や体罰などで、子どもをマイナスの状態にしないこと。もう一つは、しんどい思いをすることがあっても、それを楽しいことで誤魔化すのではなく、しんどさを癒したり埋めてあげたりすることが大事だと思っています。

また、大人はしつけなどのために冷静に叱っているつもりでも、受け取る子どもには恐怖を感じさせてしまうことがあります。「『叱る』ためには恐怖を感じさせたりつらい思いをさせるのは仕方ない」とは考えたくないので、その意味でも、子どもがしんどくないかどうかは気を付けて見るようにしています。

子どものしんどさに気付くことができると、「叱らないといけない」と思っていたことでも「別に叱らなくていいのかもしれない」と思えるようになります。根本にある「子どもの最善の利益」に立ち戻ることができれば、いつでも自分の行動を考え直せて、柔軟に対応できる。そうすると、子どもも大人も、もっと楽になれると思うんですよね。

必要なのは「おいしいラーメンを作る」ための対話

夫婦で子育てをしている場合、それぞれの子育ての価値観が合わない場合もあるように思います。そういうときはどうしたらいいでしょうか?

きしもと お互いに合わせようとするよりも、やはり「軸」を元に考え続けることが大切だと思います。分かりやすく例えると、「おいしいラーメンを作る」ことを目標にするのか、「おいしいラーメンを決める」ことを目標にするのか、ということです。

「おいしいラーメンを決める」議論になると、「塩ラーメンが一番だ」とか「いや、豚骨が一番うまい」とか、意見がぶつかって勝ち負けになるじゃないですか。でも「おいしいラーメンを作る」ことについてみんなで考えれば、「みそを入れるとおいしいよ」とか「かつおだしも良くない?」とか、お互いを否定せずに柔軟に意見を取り入れられる。自由度が高くなるんです。

確かに。例えば「子どもに習い事を続けさせるか?」という議論になったとき、「おいしいラーメンを作る」気持ちで議論すると、「続ける」「続けない」のどちらが正しいかではなく、その子にとって良いあり方を模索することができますね。

きしもと 続けるか続けないかはそこまで問題じゃなくて、最終的に子どもが幸せになればそれでいいんです。そう考えると、子育ての幅が広がるような気がしませんか?

となると、やはり「子どもの最前の利益」が何なのかは、大人だけじゃなく子ども自身とも話さないといけないですね。

きしもと 間違いなくそうだと思います。子どもとの対話が大切。これがまた難しいんですけどね。

だけど、「進むだけが対話じゃない」「言葉を交わすことだけが対話じゃない」と思うんですよ。子どもは語彙がなかったり、感情を整理できなかったりすることもあるので、うまく答えられないこともあります。

でも、子どもの思いをもし引き出せなくても、その子が何をどう感じているのか、そもそも話したいのかどうかをしっかり見るだけでもいいと思います。

例えば「学校に行きたくない」という子がいても、明確な理由はなかったりするんですよね。うまく言語化できないってこと、大人でもあるじゃないですか。そういうときは、背景にいろいろあるんだろうなって想像しながら向き合うしかないんです。

きしもとさんの本に、ピーマンを食べられない子のエピソードが載っていましたよね。そこに「子どもの舌は苦味を感じやすいっていうからなぁ」と想像しているシーンが描かれていました。そんなふうに、共感はできずとも理解しようとすることはできそうですよね。

ピーマンを食べられない子のエピソード

きしもと 僕は、それこそが知識の使い方だと思っています。子育ての知識や情報は、◯×を付けたり自分を縛ったりするためではなく、子どもをより理解するためにある。そうすることで怒らなくて済むことが増えて、よりお互いに楽になっていくと思うんですよね。

怒ってしまったとき、褒めるときに気を付けていること

とはいえ、どんなに意識していても、つい子どもを怒ってしまって落ち込む、ということがあると思います。そんなときはどう振り返るといいでしょうか?

きしもと 僕は、「落ち込んだり自己嫌悪に陥ったりしているのはいい状態だ」と思うようにしています。自己嫌悪になるのは、ちゃんと自分の子育てを振り返っているからです。逆に「うまく子育てできているな」と感じるときには、「何かを見落としているかも」と思うようにしています。

だから「今日も怒ってしまったな」と思うときは、「そう思えていてえらいぞ」とまずは立て直す。大切なのは、そのあとどうするかです。「次からはこうしよう」といい気付きを得られたのであればそれでいい、と思うようにしています。

これは、子どもに対しても同じです。保育には「ストレングス視点」という、悪いところに焦点を当てて足りていないと思うのではなく、良いところに焦点を当ててそのままの状態を生かすという見方があります。たとえ失敗しても、そこで気付けたから次の予防ができるんだ、と良い方を見るんですね。


ストレングス視点

そう考えた上で、自分の行動が良くなかったと思ったら、子どもにちゃんと謝ります。自己満足かもしれないけれど、「今後もあなたに話を聞いてほしいから謝りたいのだ」という気持ちを伝えます。

親も失敗していいし、謝っていいんですね。なんだか気持ちが楽になってきました。逆に、子どもを褒めるときに意識していることはありますか?

きしもと それは、コントロールしようとしないことですね。「もっとその行動をして、いい子に育ってほしい」と思うと、「褒める」ではなく「おだてる」になってしまうので……。じゃあどう褒めればいいのかと考えて、今のところ「常に褒める」「褒めるときは、ただ事実を言語化する」という結論に至りました。

例えば子どもが掃除をしてくれたら「きれいにしてくれてうれしい」と言うし、宿題をしていたら「やらないといけないことをちゃんとやってるんだね」と言います。それは客観的な事実と僕の気持ちを口にしているだけなんだけど、言葉にしないと子どもには伝わりません。

サッカーでも「ナイスパス!」って言わないと、それがナイスパスなんだって蹴った方には分からないじゃないですか。言われてやっと自覚できる。そこから自信が生まれるんです。だから、子どもを観察することがとても大切。その上で、気付いたことをただ言うようにしていると、自然と褒めることができるようになると思います。

「しなくていいこと」を増やして、余裕を「作る」

仕事が忙しいタイミングや、家庭の都合から一人で子どもを見なければならないときなどは特に、叱るつもりがつい怒ってしまう場面も増えるように思います。そんなときなるべく心に余裕を持つためには、どうしたらいいのでしょうか?

きしもと 余裕って、「できる」ものじゃなくて「作る」ものだと思うようにしています。イライラしてしまうのを自分の忍耐力のせいにしないで、余裕を絶対に必要なものとして、何かを削ってでも前もって作ってほしいですね。例えば「残業した日の晩ご飯は出前を取る」とか、「金曜は宿題しなくていい」とか、いつも決めているルールを常に守ろうとせずに「しなくていいこと」のルールも作っていく。

そんなふうに、自分の中に「しなくてはいけないこと」より「しなくていいこと」を増やしていくのがいいと思います。子育ての知識や情報は、そのために使ってほしい。子どものことを知ったり、子育ての視点を変えれば、怒らなくてもいいこと・やらなくていいことが増えていく。そうすれば自然と楽になっていくのではないかと思っています。

また、子どもに自分の状況を素直に伝えるのもありだと思います。「今日は仕事が忙しくてイライラしていてあんまりお話できないと思うから、このアニメを見ていてね」とか。イライラしている自分を責めないで、相手に言葉で伝えることも大事だと思います。

大人の自分が甘えたらダメだと思ってしまうかもしれないけど、親も子どももたまたま一緒にいるだけなんだから、「自分がどうありたいか」を優先するのも大切だと思いますね。

なるほど! 一方で今のお話を聞いて、「自分がどうありたいかを優先する」こと自体に罪悪感を持つ方もいらっしゃるかもしれない、と思いました。例えば「仕事をバリバリやりたい」と思いつつも「もっと子どもに時間をかけた方がいいのではないか」と悩んだり。そういった方へのアドバイスはありますか?

きしもと さっきも話した通り、子育ての期間って、自分の人生と子どもの人生がたまたま一緒にあるだけなんです。私は私で大事なものがあり、子どもは子どもで大事なものがある。子どもが育つ上で必要な手助けをしていくことが「子育て」ですが、自分の人生全てを子どもに捧げるわけではない、という意識は大切にしてほしいです。それは決して冷たいのではなく、その子を一人の主体として見ているということです。

それに子どものサポートをするのは親だけではありません。保育園や学童も、その子のサポートをするのが仕事。だから、どんどん頼れるようになればいいなと思っています。

子どもの権利を守りながら、親御さん自身も一人の人間として、自分らしく生きてほしい。そんなふうに僕は思っています。

取材・執筆:土門蘭
イラスト:きしもとたかひろ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:きしもとたかひろさん

きしもとたかひろ

学童保育所で約10年にわたって子どもたちと過ごしてきた経験を通じ、正解のない子どもへの関わり方について考えたことを、SNSやブログで発信している。著書に『怒りたくて怒ってるわけちゃうのになぁ 子どもも大人もしんどくない子育て』(KADOKAWA)。

2022年9月15日には、Webメディア「grape」での連載をまとめた新刊『大人になってもできないことだらけです』(KADOKAWA)を刊行。

Twitter:@1kani1dai
note:きしもとたかひろ - note

共働きの家事育児をめぐるモヤモヤは、討論ではなく“対話”で解決する。パートナーシップの専門家に聞く「すごい対話術」


「共働きだけど、家事育児の負担が自分に偏っていて、両立がしんどい」
「とはいえ、相手の方が稼いでるし仕方ないか……」

共働き世帯において、家事や育児をパートナーと協力し合うことは大切。しかし、家庭内の負担に不満をいだきながらも、言葉にせず飲み込んで“なかったこと”にしてしまうことも少なくないのではないでしょうか。

パートナーシップにまつわる事業を展開する、株式会社すきだよ代表のあつたゆかさんが上梓した『仕事も家庭もうまくいく!共働きのすごい対話術』は、そんな共働き夫婦の悩みに寄り添う対話のノウハウが満載の一冊です。

社会の中で培ってきた固定観念に縛られず、自分たちらしいパートナーシップを築いていくためには、どんな「対話」が必要なのか。共働き夫婦がチームとして家庭を健全に“共同経営”していくための“スキル”を提唱しているあつたさんに、仕事と育児の両立、パートナーとの関係性の壁を乗り越える「対話」のスキルを教わりました。

※取材はリモートで実施しました

対話で、夫婦間の「価値観の違い」を乗り越える

2018年に投稿したツイートが、パートナーシップを支援する事業の展開に結びついたとのことですが、どんな背景があったのでしょう?

あつたゆかさん(以下、あつた) のろけのような感覚でつぶやいたんですが、12万件を超える「いいね」があって。「目から鱗、そう考えればいいのか」など“有益だった”というコメントをたくさんいただきました。

パートナーとの関係性に悩んでいる人が多いんだなと思うと同時に、うまくいっている人たちのノウハウはブラックボックスなんだな、と。夫婦間の不満や愚痴のエピソードはあふれているけど、お互いの違いを受け入れ、分かり合えない中でどう向き合っていくかを学ぶ機会は少ない。私自身の経験だけじゃなく、さまざまな人たちの事例、学術的な知見も含めて発信したいと、アプリ開発やコミュニティ運営など、パートナーシップの課題を解決する事業を始めました。

家庭内のパートナーシップの課題解決に取り組むことは、DVや虐待、少子化やジェンダーギャップなど、あらゆる社会問題の解決にもつながると思っています。

株式会社すきだよ 公式サイト
あつたさんが経営する株式会社すきだよでは、対話をベースとしたパートナーシップのあり方を支援するためのアプリ開発やコミュニティ運営を行なっている

ツイート以前から、もともとパートナーシップに興味関心があったのですか?

あつた 大学で異文化コミュニケーションの研究をしていて、事業もその延長線上にあるんです。夫婦のパートナーシップも、価値観や文化が異なるふたりが一緒にいるためのコミュニケーションが鍵になります。

「価値観が同じ」だと思って付き合い始めても、結婚生活では、引っ越し、家事育児、転職や独立など、さまざまな共同プロジェクトや変化があり、「価値観の違い」を目の当たりにすることがありますよね。

価値観のズレや困難に直面したときに、ともに乗り越えて、家族としていいチームになれるかどうかは「対話」にかかっている。愛情よりも、対話のスキルがあるかどうかで、夫婦の未来は変わってくる、と考えています。

価値観は違って当たり前。現状と理想のすり合わせが対話の出発点

具体的に、子どもがいる共働き夫婦において、どちらかが「自分にばかり家事育児の負担が偏っている」と感じている場合、対話においてどんな解決策が考えられますか?

あつた よくあるのは、お互いが怒りに近い感情をぶつけて、対立してしまうパターンですよね。妻が「なんで私ばっかり家事育児をやっているの? 私も働いているのよ、もっとやってよ!」と責め、夫が「オレの方が稼いでるし、残業して疲れてるんだ」と返し、現状は変わらないまま平行線に。

仕事と育児の両立にくじけそうでモヤモヤ……。『仕事も家庭もうまくいく! 共働きのすごい対話術』より
育児の分担をめぐって対立してしまうのは、共働き家庭でよくあるケース。(『仕事も家庭もうまくいく! 共働きのすごい対話術』より)

「普通は◯◯するのが当たり前でしょ?」「もっとやってよ!」などの言い合いは、対話ではありません。対話をしているようで、自分の要望を押し付ける「命令」になってしまっていたり、お互いの正しさをぶつけ合う「討論」になってしまっているケースがあります。夫婦といえど「価値観が違う他者である」という前提に立って、どうしてそう思ったのか、どういう背景があるのかをお互いにすり合わせていくことが「対話」なんですね

討論と対話の違い(『仕事も家庭もうまくいく! 共働きのすごい対話術』より)
『仕事も家庭もうまくいく! 共働きのすごい対話術』より

うわあ、命令も討論もやりがちです……。対話は、どう進めていったらいいんでしょう?

あつた 子どもがいる共働き夫婦で「自分にばかり家事育児の負担が偏っている」と感じている場合、話し合う内容は3つあると思っていて。一つ目は、そもそもどんな親でありたいか、どんな夫婦でありたいか、共通のゴールのすり合わせです。話し合いの先にどんな未来があるのか、共通認識がないと、何のためにやるのか分からなくなってしまいますよね。

例えば「先週子どもの前で、家事分担で揉めて大声を出しちゃったよね。家事を誰がやるかで喧嘩をしている姿より、協力し合っている姿を子どもに見せたいし、そういう親でありたいと思うんだけど、あなたはどう思う?」と伝えてみるのはどうでしょう。

一方的に押し付けないで、まずは自分たちがどうありたいか、目線をすり合わせていく。

あつた 次のフェーズが、それぞれがどうしたいか、お互いが大事にしたいことを共有すること。例えば「仕事と家庭のバランスはどれくらいが理想だと思う?」という問いを投げてみる。その中で、「昇進試験を控えている今は仕事を頑張りたいけど、落ち着いたらもっと家事ができる」とか、「今は子育てがメインだけど、いずれは資格の勉強をしてキャリアアップしたい」とか、お互いの現状と理想を確かめていけるはずです。

個人としてどういう状況にあって、この先どうありたいか、お互いへの理解を深める。

あつた 多くの人が「家事分担をもっとこうするべきだ」という話から始めてしまうのですが、家事は暮らしの手段でしかないですよね。家事分担を物理的にどう運用するかは「葉っぱ」の部分で、その前に「どんな夫婦・家庭でありたいか」「人生で何を大切にしたいか」というもっと根本的な「木の幹」から話し合ってみてほしいんです

<POINT>「家事・育児の分担」について話し合うためのステップ
①自分たちがどうありたいか、共通のゴールを確認する
②お互いが大事にしたいことを伝え合う
③上記を達成するための具体的な家事分担を話し合う

パートナーと建設的な対話をするために、自分を満たし、自分を知る

とはいえ慌ただしい日常生活の中で、「木の幹」であるお互いの価値観からじっくり話し合うのはハードルが高いと感じます。話し合う環境や時間はどうやって確保していけばいいんでしょう?

あつた やっちゃいけないのは、相手に話し合いを強制すること。疲れていたり心身に余裕がないときに、無理に対話をしても建設的な方向には進みません。「いつなら大丈夫そう?」と、仕事が落ち着くタイミングやホルモンバランスの周期など、まずはお互いのコンデションを確かめる。その上で自分たちに合うシチュエーションを探ってみてください。

話しやすい環境は本当に人それぞれで、子どもが眠った夜にソファに並んでとか、お酒を飲みながらとか。その場で向き合って話さなくても、GoogleスプレッドシートやLINE、Slackなどオンラインツールを活用してもいいと思います。

それで言うと、我が家はドライブに出かけたときが一番話しやすい気がします。

あつた いいですね! であれば、日常生活の中で無理に話し合いをしようとせず、ドライブに行ったときに持ち越してもいいと思います。何が何でも話し合いで解決しようと思わなくてもいいし、話し始めた途中で険悪になってきたら、一旦やめてもいい。アイスを食べて気分転換をしてから再開するとか。怒りの感情をぶつけてしまうときは、相手と向き合うときではなく、自分をケアするときなのかもしれません。

『仕事も家庭もうまくいく! 共働きのすごい対話術』

『仕事も家庭もうまくいく! 共働きのすごい対話術』

ともに働き、家庭を営む時代。 パートナーと協力し合い、最高のチームになるためのカギとなる「対話のしかた」を、複数の事例を交えて紹介した1冊。

ご著書の中で、「戦略的ご自愛」や「自分との対話」に触れられているのも印象的でした。

あつた つい相手に当たっちゃうのは、がんばり過ぎていて、余裕がないからなんですよね。家族のためにも、疲れているときはしっかり休んで、戦略的にご自愛する。忙しいときや生理前など、ストレスを感じやすいときは、「今日はやさしくできないかも」と相手に事前申告しておくのもおすすめです。

相手に気持ちを伝えるには、自分の気持ちを知ることが大前提。相手と対話をする前に、自分との対話が必要なんですね。モヤモヤを言語化するには、ひとりで内省して紙に書き出したり、友だちに話してみたり、場合によってはカウンセラーなど利害関係のない第三者に頼るのもいいと思います。

<POINT>話し合う環境を作るために
・コンディションが悪いときに無理に話し合おうとしない
・自分たちが話しやすい環境、ツールを見極める
・「戦略的ご自愛」で自分の気持ちに余裕を持たせる
・パートナーと対話をする前に、第三者に話してみるのも◎

ふたりの良好な関係性と自分の幸せのために「対話」を重ねていく

ビジネスの相手であれば冷静かつ論理的な対話ができても、長く一緒にいるパートナーに対しては、つい感情的に責めてしまったり、逆に言いたいことを言えなかったりするんですよね……。

あつた パートナー間で不満があるとき、「夫VS妻」の対立構造になってしまいがちなんですが、どちらに責任があるかを追求せず、「あなたも私も、誰も悪くない」という無責の考え方で、「夫婦VS問題」と捉えてほしいんです。例えばパートナーが本来担当すべき家事をやっていなかったとして、でもそれは体調が悪いのかもしれないし、仕事が繁忙期なのかもしれないし、事情は聞いてみないと分かりません。人ではなく、家庭内の仕組みを改善して、課題を解決していくこともできるはずです。

言いたいことが言えないときは、過去にトラウマがあるとか、嫌われるのが怖いとか、自分との対話で理由を探りつつ、無理に言う必要はないと思います。相手を傷つけないために、あるいは自分を守るために言わないことも選択のひとつ。

家事育児の負担を相手に伝えられない理由として、「自分の方が業務(仕事)時間/収入が少ないから」という声も多いように感じます。

あつた 仕事量や収入に差があることは、家庭内の家事育児の負担を押し付けていい理由にはならないので、不満があるなら、我慢せず対話で解決する方法を探ってみた方がいいんじゃないかなと思います。共働きで必ずしも家事育児の分担が5:5になることがベストではなくて、7:3でも感謝の言葉があればいいとか、お互いが納得するそれぞれのベターがあるはずなので。

半々にするのが正解ではなく、お互いにとって納得のいく形を探っていくと。

あつた 負担の差の話でいうと、例えば我が家は私の方が課題と改善策の提案をする機会が多いけど、ふたりの良好な関係性をもって自分が幸せであるために必要なことだと思っているので、不平等だとは感じていないんです。

でも、それはあくまでも私の場合。もし「家事分担について改善策や話し合いの場を提案するのが自分ばかり」と不満や負担を感じているようであれば、自分はどうしたいのか、相手はそれについてどう感じているのか、話し合った方が良いと思います。

対話を重ねて、必ずしも一つの答えを導き出す必要はなくって。答えは一つじゃなく、相手と自分の異なる意見を共存させてどっちも選ぶことができるかもしれないし、「一旦保留」という選択肢もあります

対話はあくまで手段であって、目的ではないですもんね。

あつた そうですそうです。目的は、良好なパートナーシップを築いて、お互いに幸せになること。とはいえ、対話が活きるのは、お互いが対等な関係にある場合です。抑圧的な関係性や、どちらかが我慢したり、関係性の構築を諦めたりしている場合、対話は有効ではありません。専門機関に相談したり、離婚や別居など離れる選択肢も視野に入れてみることが大切です。

「夫婦仲を修復すべき」にこだわらなくてもいいんですね。

あつた 社会の中で思い込まされてきた「こうすべき」にとらわれてしまうケースもよくあるけれど、社会の常識や誰かと比較するんじゃなくて、大事なのは自分たちがどうしたいか。自分も相手も、状況や気持ちは常に変わっていきます。対話を通じて、変わることを許容しながら、共有し続けていく必要があるんですね。

対話は地道で、一朝一夕にはできません。自分たちらしいパートナーシップ、お互いが望むライフとキャリアを実現するために、長い目で自分と、パートナーとの「対話」のトライアンドエラーを繰り返すことが大切なんじゃないかなと思います。

<POINT>良好な関係性&自分の幸せのために心がけたいこと
・「私/あなたが悪い」ではなく「どちらも悪くない」と考える
・「一つの答えを導き出すこと」がゴールではない
・「パートナーシップを解消する」も選択肢のひとつ

取材・執筆:徳瑠里香
編集:はてな編集部
写真提供:あつたゆか

家事育児の負担や不満を抱いたら

https://www.e-aidem.com/ch/listen/entry/2021/07/28/103000
夫婦での在宅ワーク、家事育児のストレスや不満をためないコツは?
分担から「共有」へ。父として二度の育休を取得して感じた、夫婦が共に育児や家事を担うために必要なこと
夫婦が共に育児や家事を担うために必要なこと

お話を伺った方:あつたゆかさん

あつたゆか

株式会社すきだよ代表取締役。「誰もが大切な人とずっと幸せでいられる社会をつくる」をビジョンに、家族・パートナーシップに関する社会課題を解決し、ふたりらしい生き方を支援する。8万人以上の夫婦・カップルが利用する対話ツール「ふたり会議」や、パートナーシップを学ぶコミュニティ型スクール「ふたりの教室」を運営するなどの活動を行なっている。企業や自治体向けに、共働きでのキャリア形成・夫婦間のコミュニケーション講座・ライフプラン研修も提供している。TBS・フジテレビ・ABEMAほか、日経ウーマン・日経新聞など多数のメディアで紹介され注目されている。
https://sukidayo.co.jp/
Twitter:@yuka_atsuta

「しんどい現実」と無理に向き合わなくてもいい。オカヤイヅミさんに聞く、日常の過ごし方

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仕事のプレッシャーや職場や家族の人間関係など、日々過ごす中で「しんどい」と感じることはありませんか。そうした「しんどさ」は、将来への漠然とした不安につながることも。特に、一人ではどうにも解決できない問題に直面する中で、無力感や閉塞感を抱く人も多いでしょう。

今回お話を伺ったのは、2021年にデビュー10周年記念作『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』を発表した漫画家・イラストレーターのオカヤイヅミさん。両作に共通するのは、登場人物のおかれた生活がリアルで、離婚交渉や、老人ホームに入居している親との関係、家庭への不満、親の老いとの向き合い方など、それぞれに問題を内包していること。まるで隣人の生活を覗き見しているような描写は、ファンタジーとは違う形で、そっと読者に寄り添います。

こうした物語を描くオカヤさん自身は、ままならない現代社会をどのように捉え、日々を生き抜いているのでしょうか。作品の描写を紐解きながら、私たちが抱く「しんどさ」との向き合い方のヒントを探ります。

※取材はリモートで実施しました

日々の“しんどさ”は、一旦「体調のせい」と思ってみる

『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』は登場人物がおかれた状況や言動の一つひとつがとてもリアルで、実際の生活者に寄り添うような物語だと感じています。改めて、それぞれの作品で伝えたかったことを伺えますか。

オカヤイヅミさん(以下、オカヤ) 「作品で言いたいことは何ですか」ってよく聞かれるんですけど、実はそんなにないというか(笑)。めくるめく架空のドラマや大きな主義主張よりも、「実際のところどうなんだろう?」みたいなことの方に興味があるんです。人の心の動きや、普段の生活の中で起きるできごとの方が、自分は面白いと感じる。それを描いているイメージです。

いいとしを

『いいとしを』(C)オカヤイヅミ(KADOKAWA)

【いいとしを:あらすじ】一人暮しを満喫していたバツイチ、42歳の灰田俊夫は、母の他界を機に東京都下に住む父と同居することに。久しぶりに帰った実家で母の遺した500万円を見つけ、何に使うか頭を悩ませながら、父(72歳)と子(42歳)の二人暮らしは続いていく。2度目の東京オリンピックにコロナ禍と、揺れ動く日々の中で、俊夫はこれまで知ることのなかった父親のことを知っていったり、自分の人生についても見つめ直していく。
▶いいとしを

もともと、実在する人々の心の動きや生活模様に対する興味関心が高かったのでしょうか?

オカヤ そうだと思います。完全に他人の目線になったことがないから、比べてどうかは分かりませんが……道を歩いている人を見て「あの人が持ってるあれ、何だろう?」みたいなことを言っては、友達に「なんでそんなとこ見てるの」って言われたりしています。

ご自身がインプットする際も、リアルな作品が多いんでしょうか。

オカヤ そうですね。いわゆる純文学や現代小説、あとは映画にしても「何も起こらない物語が好きなんだね」と言われることはあります。

もちろんそうでないもの、剣と魔法のファンタジーや、ホラー、犯罪小説なんかも好きではあるんです。でも、そういうエンタメ作品を見るときも、実在感みたいなものは大事ですね。物語全体の流れよりは、作品の中で流れている一つひとつの時間とか、そこにいる人の動きとか、そういうものの方に意識が向きます。

『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』でも、実際の生活者が直面する閉塞感や、どうにもならなさを丁寧に描き出されています。オカヤさん自身は、日々の生活の中で何かしんどいことが起こったとき、どのように気持ちの折り合いをつけているのでしょうか。

白木蓮はきれいに散らない

『白木蓮はきれいに散らない』(C)オカヤイヅミ(小学館)

【白木蓮はきれいに散らない:あらすじ】マリ、サヨ、サトエの3人は高校時代の友達。家事負担の偏り、離婚、親の介護、仕事に邁進する娘を揶揄する母親との関係など、3人それぞれが「しんどい現実」の中で日々を過ごしていた。ある日、同じクラスだったヒロミが、自らが所有する「白蓮荘」の部屋で孤独死したのをきっかけに久々に集まる。ヒロミが残した遺書にはなぜか、それほど親しくもなかった3人の名前が記されていて、アパートと謎の店子のその後についてのお願いが記されていた。変わらない関係、変わりゆく状況の中で、それぞれ人生を見つめていく先に待ち受けているものは。
▶白木蓮はきれいに散らない

オカヤ 今年の2~3月ぐらいに、夜眠れなくなっちゃった時期があるんですよ。コロナは落ち着きそうだったのにまた流行するし、戦争も起こるし……それで、医者にかかったら楽になりまして。眠れるって本当に大事なことなんだなと実感しました。寝るだけで心身が楽になるし、体に起因する部分って結構大きいんだなと思ったんですね。

それ以来何かがあって気持ちが落ちたとき、気持ちそのものをどうこうするのではなく、いったん体調のせいかもしれないと考えてみるようになりました。「寝てないからかな」とか「食べてないからかな」とか。意外と、それが実際の理由であることも多いですしね。

「気圧のせい」とか、最近よく聞きますね。

オカヤ そうそう、あの「気圧のせい」は、みんなでそう言い合うことによって楽になっているんだと思います。みんなも体調悪いんだ、自分だけじゃないんだって。

余裕がないときに、無理に「余裕を持とう」とは思わない

『白木蓮はきれいに散らない』では、登場人物たちが家に帰るとそれぞれにしんどい現実が待っているなかで、ささやかな楽しみを見出すようなシーンもありました。オカヤさんは、毎日の生活の中で「ささやかな楽しみ」をお持ちでしょうか。

白木蓮はきれいに散らない

スーパー銭湯で気分転換をする3人。お互いの日々の生活の「しんどさ」を伝えることはしない
『白木蓮はきれいに散らない』(C)オカヤイヅミ(小学館)

オカヤ 最近は「ささやかな楽しみを見つけよう」って言われすぎなんじゃないかと思っています。「おうち時間を楽しもう!」とか……そうせざるを得ないのは分かるんです、つらくなっちゃうから。

でも、「そんなに楽しまなきゃダメかなあ」って。実際今ここにつらさがあるのに、「各自で工夫して楽しんでください」みたいに言われると、それ自体がプレッシャーにもなるんじゃないかなって。

たしかに。自覚的な「ささやかな楽しみ」って、自然な楽しみと言えるのか? とも思いますし……。

オカヤ 楽しみがない生活を続けるのも、それはそれでありなんじゃない? って思うんです。例えば今仕事で忙しいなら、仕事以外何もしなくたっていいじゃん。無理しておいしいご飯を手づくりしなくても、コンビニでおいしいものいっぱい売ってるし。

私は好きで料理をしていますが、それが「ささやかな楽しみ」というよりは、本当に趣味なんですよね。「好きな料理をわざわざつくる」という行為は、最低限の暮らしには必要ないことだという意識もあります。

なるほど。「何か楽しみを見出さねば」となりがちですけど、楽しみが自然と生まれるまで待つのも、一つの手かもしれないですね。

オカヤ そうですね。楽しむって、結局のところ余裕がないと難しいと思うんです。その余裕がない人に余裕をつくれ、と言っているようなものなんじゃないかな。それは、ちょっとしんどいことではないだろうか、とも思います。

『白木蓮〜』では、登場人物がそれぞれの生活をしながらも、3人だけの交流を通し「居場所」のようなものを見出しているように感じました。最近はコロナ禍によるコミュニケーションの断絶もあって、居場所づくりについて悩んでいる人も多いと思いますが、オカヤさんにとって「ここが自分の居場所」と思えるのはどんな場所、あるいは時間ですか?

オカヤ 「1人でいる時間」でしょうか。私、人と会うのは全く嫌いじゃないんですけど、社交は週に3日あると多いかな、とも思ってしまって。居場所となると、完全に1人になって気を抜ける時間が確保できる場所かな。つまり自宅ですね。

私は一人暮らしをしているんですが、自分が快適だと思う空間をつくっていけるのはいいなと感じています。「快・不快」を拾いやすいというか。

実家にいたときや、一人暮らしを始めたばかりの頃は、ものすごく部屋が汚かったんです。全然片づけられなくて。でも一人で生活を回していく中で、「あ、片付けた方が気持ちがいいな」みたいなことに、10年ぐらいかかって気付いて。

あとは「どうせダサイ家だしな」みたいに思っていたのが、「好きなインテリアとか買っていいんだ」「すごくカッコいい空間にしちゃってもいいんだ」とも思えるようになって。もちろん、お金が許す範囲でですけどね。そうやって自分の心地よさに気付いていく感じでしょうか。

先の見えない”しんどさ”から、よそ見してもいい

私たちが日常の「しんどさ」を感じる理由としては、その状況を「乗り越えなければ」という、ある種成長や解決を求められがちなことも起因しているのではないかなとも感じます。そんな中、過去のインタビューで、オカヤさんは「成長譚を描きたいわけではない」と仰っていたのが印象的でした。

オカヤ 今はそこまで「成長譚は描きたくない」とは思っていませんが、もともと自分の考えとして、「人間はそうそう成長しない」というものがあります。

「何かにならなきゃ」ってゴールを設定して邁進したり、それで結果的に偉くなっていったりしなくても別にいい。出世街道を歩まなくてもいい。何かに打ち勝たなくてもいい。1位じゃなかった人にも、ドラマはあるだろうと思うんです。

たしかに今の社会だと、「女性もライフステージの変化に関わらずキャリアアップできます」のようなメッセージを耳にすることも少なくないように感じます。でも、そもそも、女性が皆一様にキャリアアップしたいと思っているわけではない。男性でも、心地よいステージがもっと手前にある人もいるかもしれないですよね。

オカヤ あと仕事の面において、自己実現したい人だけではないんだろうなとも思います。多分成長を実感した人からすると、成長することってすごく気持ちいいことだと思うんですよね。だから「成長しようよ」って言うんだと思うんですけど。でも別に成長が気持ちよくない人もいる

それと、私は何かを表現することを仕事にしていて、表現しないとつらいんですけど、「何も表現したくない人だっているよな」と最近考えていて。違う所にいる人に対して「こっちは楽しいよ」みたいなことを、わざわざ言わなくてもいいんじゃないかなって。

伺っていて思ったんですが、例えばオカヤさんが先ほどおっしゃったように、一人暮らしの生活の中でだんだん自分の心地よいものを見つけていくようなことも、ひとつの成長なのかもしれないですね。

オカヤ そうですね。「何かを成し遂げた」「私は何も成し遂げられなかった」みたいなことを言う人は結構多いですが、「成し遂げなきゃダメかなあ」とは思いますね。

ただ仕事の場や、それ以外の場においても、30代になったらこうするべき、40代になったらこうあるべき、というふうに年齢を基準にするような考え方が、まだまだ世の中にはあると感じています。オカヤさんは、そういうことを意識させられることはありますか?

オカヤ 私は多分すごく鈍い方で、そういう圧があることに気付いてこなかったんだと思います。高校生の頃、同級生でもう将来のことを考えている子がいて。大学生になったらこういう服を着て、何歳ぐらいに結婚して子どもを産んで……と人生プランを考えていて、「そんなことまで考えてるんだ」って衝撃を受けたのを覚えています。

これも学生時代の話ですが、大人になったらお化粧しなくちゃいけないんだっていうことも、インターネットを見て知ったんです。それであるとき化粧してアルバイトに行ったら「今日はお化粧してるんだね、やっと気づいたね」みたいなこと言われて、「え、そんなこと期待されていたんだ」とびっくりしちゃいました。

この歳になってから、「まわりからのそういう期待は別に気にしなくてもいいんだ」と思うようになりました。でもフリーランスで働いている人間がフランクな格好をしていると、軽く見られる場面もあるんですよね。「若く見えるね」が褒め言葉じゃなくなっていて、「フラフラヘラヘラしてるんだろうな」というニュアンスを感じることがある。それは仕事をする上で嫌だなと思ったりもしています。

ここまで伺ってきたようなオカヤさんの考え方・価値観って、昔からずっと変わらず持っていたんでしょうか?それとも、それが形づくられるターニングポイントのような機会があったのでしょうか。

オカヤ ターニングポイントと言えるようなものはないですね。これまでの経験が少しずつ重なった結果と、歳をとったということだと思います。「完全に自意識が抜けたな」と思うのは30代半ばくらいのころでしたけど、別にそのタイミングで何があったというわけでもないんです。

結婚しなきゃとか、子ども産まなきゃみたいなことも特段思わず、かといってはねのけてきたという感じでもない。ぼーっとすり抜けてきて、たまたまここまできちゃったような感じです。なんか、すみません(笑)。

いえいえ(笑)。未来に思いをはせて、先の見えなさに不安を抱くこともないですか?

オカヤ それはあります。私、先のことを見通すのがすごく苦手なんですよ。インボイス制度が導入されたらどうしたらいいんだろう、老後は暮らしていけるのかな、なんてことを日々考えては、「面倒くさいから考えたくない」って思ってます。私は逃避癖があるので、よそ見しちゃいますね。もちろん現実は否応なくやってくるんですけど、その時はその時です。

でも大人になって思うのは、サボっても別に誰も怒らないんですよね、もちろん怖いですけど。意外と大丈夫。やりたくないことをやらなくても、天罰は当たったりしない。お天道様が見ているんだとしても、お天道様は日陰に入れば見えませんから、くらいに思っているとちょうどいいんじゃないでしょうか。

取材・執筆:ヒガキユウカ
編集:はてな編集部

日々の生活に「しんどさ」を感じたら

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お話を伺った方:オカヤイヅミさん

オカヤイヅミ

1978年東京都生まれ。漫画家、イラストレーター。『いろちがい』で2011年デビュー。著書に、『すきまめし』『続・すきまめし』『いのまま』『ものするひと』『みつば通り商店街にて』『おあとがよろしいようで』、加藤千恵との共著『ごはんの時間割』などがある。デビュー10周年記念作『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』が、第26回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。
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『母親になって後悔してる』翻訳の裏側。後悔してる=子どもを憎んでいる、ではない

『母親になって後悔してる』日本語版の翻訳を担当した鹿田昌美さん

泣き止まない我が子をあやしながら夫が言う「やっぱりママがいいんだよね」
親から何気なく投げかけられる「もうお母さんなんだから、しっかりしなさいよ」

周囲から悪気なく“お母さん”のレッテルを貼られることに気疲れし、「子どもはかわいいけれど、母であることがつらい」「自分は育児に向いていないのかもしれない」と感じながらも、誰にも言えずその思いを心のなかに閉じ込めている人は少なくないはず。

こうした母親たちの後悔と、社会が彼女たちに背負わせている重荷について書かれた『母親になって後悔してる』は、2017年にドイツで刊行されて以降世界中で翻訳出版され、各国で大きな議論を起こしてきました。

2022年春に出版された日本語版の翻訳を担当したのは、数々の訳書を手がけてきた鹿田昌美さん。翻訳を通じて「母親たちの後悔」と向き合った鹿田さんに、これまで語られてこなかった“母親”という役割のつらさについて聞きました。

* * *

『母親になって後悔してる』

母親になって後悔してる

著者はイスラエルの社会学者、オルナ・ドーナト。「今の知識をもって過去に戻れるとしたら、また母親になりたいか」という質問にノーと答えた23人の女性のインタビューから構成され、これまでタブー視されてきた「母の後悔」にフォーカスした本として、欧米を中心にSNSなどでも大きな論争を巻き起こした。日本語版も各界から注目され、多くの著名人によって書評が書かれるなど、話題を呼んでいる。

▶『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト/著 、鹿田昌美/訳) - 新潮社

「母親の役割を担うこと」のつらさはもっと語られるべき

『母親になって後悔してる』というタイトルは、とても衝撃的ですよね。この本の翻訳を打診されたときのことを教えてください。

鹿田昌美さん(以下、鹿田) 「母親」をテーマとした本なのに、担当が男性編集者さんだったのが意外でした。以前、インターネットの記事でこの本の原著が話題にのぼっていたことから、日本語版の刊行を検討し始めたそうです。

担当編集さん曰く、周囲にいる女性を見ても「結婚して子どもがいて、それだけでハッピー!」という人はあまりいない。またご本人も「結婚しろ」「妻と子どもがいて一人前」という男性だからこその圧力を感じる場面が多かったことから、「母親」や「子を持つこと」に目が向きはじめ、この本を日本でも読んでもらいたい、と私に翻訳の相談を持ちかけてくれました。

鹿田昌美さん

先に出版されていた国々では「“母親になって後悔している”とは何事か」という議論や、著者への強い批判も起きたそうですね。そうした本に関わることに、不安はありませんでしたか。

鹿田 私も最初はタイトルに驚きました。でも読み進めていくと、全編を通して「愛情と希望」にあふれた本だと感じたんです。子どもへの愛情にあふれているし、女性が自分自身の人生をしっかりと歩みたいという希望も感じられる。

著者のオルナ・ドーナトさんの誠実な目線と、誠実に言葉をつむぐ女性たち。タイトルだけで拒絶されてしまうのはもったいない、素晴らしい本であることを伝えられたらと思い、引き受けました

この本を日本で出版することに、どのような意味を感じていましたか。

鹿田 日本でこの本を出すこと自体に意義がありますし、それ以上に、本を手にした人が何かを感じ取ったり誰かと意見を述べ合ったり……。そんなふうに受け入れてもらいたいですね、と担当編集さんと話していました。

日本語版はレイアウトやデザインもすごく凝っていて、インタビュー部分は枠で囲み、フォントも変えているんです。担当編集さんが社内で「忙しくて本を読む時間がない育児中の人にも読んでもらうためにはどうしたらいいか」と意見を募ったところ、育児中の女性から「より共感しやすいインタビュー部分だけを拾い読みできるようにしては」という声があったそうです。

『母親になって後悔してる』電子版 日本語版はインタビューパートが一目でわかるよう枠で囲まれている(『母親になって後悔してる』電子版 )

翻訳にあたり、著者のオルナ・ドーナトさんから何か要望はありましたか。

鹿田 本でも再三触れられていることではあるのですが、「母親になったことに対する後悔」と「子どもを産んだことに対する後悔」を混同して訳さないでほしいと依頼がありました。

とてもセンシティブな内容なので、「誤解が生まれないように」にはかなり心を砕きましたね。例えばインタビューに答える「23人の女性」は、全員が仮名でおおよその年齢と子どもの数、子どもの年代しか情報がないんです。

そんななかで色をつけることなく、息遣いやリズムを誠実に訳しつつ、まるで本人がそう語っているかのように表現し、後悔を語る母親たちの声を日本語に置き換えていくにはどうすればいいのかを考えながら翻訳しました。

「後悔してる=子どもを憎んでいる」ではない

そうして刊行された日本語版も、これまで刊行されてきたその他の国と同様に、大きな話題を集めています。「母親になったことへの後悔」というテーマが、なぜこれほどまでに議論を呼ぶのだと思いますか。

鹿田 母親という存在はある種の「聖域」のように捉えられがちで、そこへ斬り込んだことが大きいのではないでしょうか。当事者である母親以外の人の感情も揺さぶるテーマだと思います。

自分の中の完璧な存在としての「母親」が脅かされる不安、を感じている人もいそうです。

鹿田 それもおおいにあると思います。でもこの本で「後悔」を告白をしている女性たちは、自分の子どもを憎んだり、暴力をふるったり、虐待をしている人ではない。むしろ、すごく子どもを愛していて、責任と愛情をもって育てている。ただ、母親になったことで担わねばならなくなった「母という役割」がつらいんです

鹿田昌美さん

子どもを愛しく思うのと同時に憎らしくも感じる「相反する感情を同時にもつこと」と、母になったことへの後悔は別のものであると、本の中でも明言されていますよね。しかし他者のこういった気持ちを理解したり、受け止めたりすることは非常に難しいことなのではとも感じます。

鹿田 そうですね。「母親になって後悔してる=ひどい母親に違いない」などと他者のことを決めつけるのは、その人の気持ちが理解できなくて戸惑う自分の心を守る手段としてとても楽ですから。特に今の時代は情報が多過ぎるので、SNSなどで流れてきた都合よく切り取られた情報だけを鵜呑みにしやすいですし。この本も「母親になって後悔してる」という言葉だけが切り取られがちです。

でも同時に、いまは「多様性を受け入れる」方向に少しずつ進んでいる世の中だとも感じています。「こういう人もいるんだ」「そういう価値観もあるんだ」と、その人を排除するのではなく、寄り添いながら共存する道がないかを模索できるといいのではないでしょうか。

確かに。5年前に発売された原書の反応と比較すると、日本では肯定的に受け入れられていることも多いように感じます。

『母親になって後悔してる』原書と日本語版 原書(左)と日本語版(右)


鹿田 この本の発売を告知をしたときには、「これはわが家の本棚には置けない」と言われるなど、タイトルへの反応が多かったんです。ですが、出版後には多くの方が書評を書いてくださり、そのどれもがあたたかい言葉にあふれていたのが印象的でした。

もちろん、タイトルだけで拒絶してしまう方もいると思いますが、読み進めてくれた方からは「共感しました」「感じていたことを言葉にしてもらえてよかった」といった好意的な感想がとても多いと感じています

「母親になって後悔してる」なんて、なかなか口にできない言葉ですよね。でも、こうした本が出たことで「それもありなんだ」「そう思ってもいいんだ」と、気持ちの居場所のようなものが一つ増えたというのも、この本の画期的なところだと思います。

「お母さん」ではない一人の人間として、主体的に生きるということ

鹿田さん自身もお子さんをもつ「母親」ですが、社会が母親に背負わせている重荷を感じたことはありますか。

鹿田 私は子どもが0歳のときから、保育園の助けを借りながら育児と翻訳を両立してきましたが、マイペースな性格だからか、母親としての重圧や社会からのプレッシャーを感じることは少なかったと思います。

ただ『母親になって後悔してる』に登場する女性や、いま多くの女性が感じている「生きづらさ」のようなものは少なからず理解できます。こういった感情は主体的に生きられていないと感じたときに生まれるように思うんです。

主体的に生きる、ですか。

鹿田 かつての女性は何かを「する側」である「主体」ではなく、「される側」の「客体」だった。例えば昔のハリウッド映画では女性が主人公のものは少なく、常に主人公の男性から「見られる」「求められる」「選ばれる」存在として描かれたものが多かったんです。しかし、時代の移り変わりとともに女性が主体的に活躍する作品も増えましたよね。

確かに、自分の足で力強く歩んでいる女性を描く物語も多いですね。

鹿田 そうなると今度は「もっと頑張らなきゃいけないの?」とプレッシャーを感じてしまうかもしれない。

女性に求められることって、年々増えているように感じませんか? 働く、結婚する、出産する。仕事をしながら家事や育児もこなして、服装やお化粧など見た目も気遣い、向上心があり自分磨きも怠らない……。どんどん項目が追加されていて、息苦しさを覚える女性が増えているのではと感じています。

さらにいえば、女性だけではなく男性も「出世しろ」「家庭を持て」といったプレッシャーをかけられ、そうではない人生を選び取りにくくなっている気がして。この本では「母親」に焦点が当てられていますが、「価値観の押しつけ」は誰しも経験したことがあるのではないでしょうか

映画の世界の女性のように、現実の社会でも「多様性」を認める動きが高まっています。誰もが「自分は自分らしく」と主体的に生きられる社会になればいいなと願っています。

鹿田昌美さん

「お母さん」という役割につらさを感じている人が、「私」という主体で生きていけるようになるといいですよね。私自身、大人になって母と対話するようになってから、「お母さんってこういう人だったんだ」と感じることが増えました。お母さんも一人の人間だったんだ、みたいな。

鹿田 子どもの立場からすると、「お母さんも人間だったんだ」ってすごい気づきなんですよね。それを、自分が母親になったときに娘や息子にも伝えていければいいのかなって。「母親」の神聖な部分を否定する必要はないと思うんです。ただ、そうでありながら、やっぱり「母親も人間である」ことも忘れずにいられたら、子どもも親も、もっと楽に生きられるのではないでしょうか。

取材・執筆:藤堂真衣
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

「母親」でいることがつらくなったら

記憶にある「良いお母さん」になろうとするのをやめて、私のままで「親」をやる
「何でも完璧にやる」=「良いお母さん」像を手放す
子どもを保育園に預けて働くことは、かわいそうなんかじゃない
仕事をしている私の人生に、子どもがやってきたのだ
家事や育児は“ささいなこと”なんかじゃない。作家・柚木麻子さんインタビュー
家事や育児は“ささいなこと”ではない。
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お話を伺った方:鹿田昌美さん

鹿田昌美

翻訳者・著者。国際基督教大学卒。小説、ビジネス書、絵本、子育て本など、70冊以上の翻訳を手掛ける。近年の担当書に『フランスの子どもは夜泣きをしない』(パメラ・ドラッカーマン著、集英社)、『世界を知る101の言葉』(Dr.マンディープ・ライ著、飛鳥新社)、『人生を変えるモーニングメソッド』(ハル・エルロッド著、大和書房)などがあるほか、著書に『「自宅だけ」でここまでできる!「子ども英語」超自習法』がある。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ。前職の経験は、転職先でも生きる

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

一つの会社である程度の経験を積むと、転職を視野に入れ始める人は少なくないと思いますが、まずは近隣の業界を検討するという方が多いでしょう。しかし、中には現在とは異なる仕事に就き、再スタートを図りたい方もいるのではないでしょうか。そのとき、「前職のスキルや経験が生かせるか」といった点に関心を持つ人は少なくありません。

静岡県沼津市の介護施設「すまいるほーむ」で介護職員として働く六車由実さんは、2008年まで民俗学の研究者として大学に勤務し、30代を迎えてから未経験で介護の世界に飛び込みました。

現在は、前職の研究手法を生かした「聞き書き」などを行いながら、仕事に取り組む六車さん。異業種転職の背景や介護の仕事の面白さ、異なる分野で前職の経験が生きた経験などについてお話を伺いました。

不安はあったが、全く新しい「介護」の世界にやりがいを感じた

六車さんはいま、介護職員としてデイサービス(日帰りの通所介護施設)で働いているとお聞きしています。まずは、現在のお仕事内容について教えていただけますか。

六車由実さん(以下、六車) 私が働いている「すまいるほーむ」は、地域密着型通所介護と呼ばれる定員10名の小規模のデイサービスです。利用者もスタッフも少人数なので、私が施設の管理者をしつつ生活相談員の仕事も兼ねています。利用者さんの送迎や食事・お風呂の介助から、ご家族やケアマネジャー等との連携までおこなう、いわばなんでも屋のような立ち位置ですね。

施設は、六車さんのご自宅の1階部分にあるそうですね。

六車 そうなんです。もともとは別の民家を利用していた施設なのですが、急逝した父の「せっかくなら我が家を地域の人たちに活用してほしい」という思いもあって、4年前に実家の1階を改装して「すまいるほーむ」にしたんですよ。自宅と仕事場が近過ぎることで落ち着かないときもあるのですが(笑)、毎日予想外のできごとが起きるのを間近で見られるのは、地域に根ざして働くことの醍醐味かなと思っています。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車さんは介護職員として働き始める2008年まで、民俗学の研究者として大学で教鞭をとられていたとお聞きしています。両者は一見まったく違うフィールドのように感じるのですが、どのような経緯で介護の現場に足を踏み入れたのでしょうか?

六車 最初から介護に興味があったわけではなくて、大学での仕事に限界を感じ、研究の道から一旦離れようと考えたのがひとつのきっかけです。いまの大学職員って授業や研究だけをしていればいいわけではなくて、雑務が本当に多いんですね。当時は山形の大学で教員をしていたのですが、忙しさのあまり、研究室で学生の相談に乗る時間が満足にとれないこともありましたし、フィールドワークなどで休みの日がまるまる潰れてしまったりもして。研究や教育にはやりがいを持っていたのですが、次第に心身ともに辛くなってしまいました。

加えて、私自身が研究者の過酷な競争社会についていけなかったというのもあります。論文の発表数や引用数、学会発表の回数などで評価が決まるシビアな世界なのですが、コツコツと研究はしていたものの、自分のペースと求められるペースがどんどんズレていってしまって……。結局、8年ほど勤めたあとで退職し、実家に戻ってきたんです。

そこで出会ったのが介護のお仕事だったのでしょうか。

六車 はい。最初のうちは研究者に戻ることも検討していたのですが、私はどうも性格的に、研究者の世界の競争や緊張感にはあまり合っていないなと感じまして。新しく何か仕事を始めないといけないな、と考えていたときに、高齢者と関わる仕事がいいかもしれないと思ったんです。

というのも、私がそれまでおこなってきた民俗学の研究では、調査の対象の多くが高齢者で、そこで得たものや学んだことがとても多いと感じていたんですね。何か高齢の方と関われる仕事はないだろうかと漠然と考えていた頃に、ハローワークでたまたま介護の仕事に関するチラシを見つけて。そこから介護士の資格を取得し、最初の職場である大型のデイサービスに勤務することになったんです。大学を辞めてから、だいたい半年後ぐらいでしょうか。

ただ、研究者の世界は競争が激しい分、一度その道を外れてしまうと復帰するのが難しいという面もありそうですよね。異業種への転職で、それまで積み上げてきたキャリアを手放してしまうことに関して不安を感じたりはしましたか?

六車 その不安はもう、当然ありました。私は大学以外の職場での勤務経験がなかったので、そもそも大学以外で働けるのかということ自体未知でしたし、収入面が落ちることに対する懸念もありました。

でも、自分にとって介護の世界は何もかもが新しかったので、かえって面白かった。私はそれまで自分の家族の介護をした経験もなかったので、利用者さんの体に触れて介助をさせていただくこと自体がまったくの初めてだったんです。お風呂や排泄の介助などは特に、拒否感なくできるかどうか自分でも分からずちょっと不安だったのですが、やってみたら意外とすんなりできたし、利用者の方に「ありがとう」と感謝していただけるなかで、仕事に関する自信や生きがいみたいなものも徐々に感じられるようになっていきました

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

やりがいや面白さというのは、具体的にどのような点に感じたのでしょうか。

六車 介護って基本的には、ひとりの利用者さんに周りのスタッフたちがどう関わっていくかという共同作業だと思うんです。私がそれまでいた研究の世界では、どんなテーマを研究対象に選び、誰がいちばん最初に成果を上げるかを重視するあまり、ときに同僚との関係もライバル同士のようになってしまう部分もあったのですが、介護現場ではむしろ、みんなで協力し、それぞれが足りない部分を補い合うことが大切になってくる

もちろん介護現場にも人間関係の問題はありますし、どちらがいい・悪いというわけではなく単に合う・合わないの問題だと思うのですが、私の場合はそういう介護の世界の働き方自体がとても新鮮だったんです。大学にいたときよりも楽な気持ちでいられているのに気づいたこともあって、この仕事を続ける決心がついたのかな、といま振り返ると思います。

民俗学の実践を生かした介護現場での「聞き書き」

六車さんは介護現場で、施設の利用者さんを対象に「聞き書き」をされているんですよね。聞き書きは、語り手の話した言葉を書きとめることで民俗事象をとらえようとする民俗学の調査方法の一つだと思うのですが、具体的にはどんなことをされているか、すこしお聞かせいただけますか。

六車 もともとは最初に働いていたデイサービスで、利用者さんが聞かせてくださった昔のお話がとても面白く、思わずメモを取りながら聞き入ってしまったのが始まりです。それまでやっていた聞き書きは、研究なので当然ですがテーマありきなんですよね。私であれば、人身御供ひとみごくう(人間を神への生け贄とすること)であったり狩猟であったり、何かしらテーマを設けた上でムラに行き、お話を伺っていく。

でも、介護現場における聞き書きはもうすこし自然発生的というか、利用者さんと雑談をしている中で偶然出会った面白い言葉やエピソード、方言なんかにこちらが飛びついて、「よかったらもうすこし聞かせてくれませんか」と広がっていくんです。そこから、知らなかったその方の人生が見えてきたり、時代や地域が見えてきたり、こちらが想定もしていなかったことをたくさん聞くことができる

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

なるほど。テーマを設けていないからこそ、話題が想定外のところまで広がっていく面白さがあるんですね。介護現場で聞き書きをすることで、どのような変化を実感されていますか。

六車 民俗学の研究をしていたときもよく感じたのですが、テーマからすこしずれるような思い出話とか、まったく関係ない雑談のほうが面白いことって多々あるんです。それに論文や研究発表以外の場でまとめる機会が少ないのはもったいないな、とも薄々思っていたんですよね。

介護の現場では、利用者の方に伺った内容を「思い出の記」として冊子にまとめ、ご家族にお渡ししたり、最近ではかるたすごろくなどの形にも展開しています。今は聞き書きも私と利用者さんの1対1ではなくて、ほかの利用者さんも交えて行っているのですが、例えばかるたをつくるときはみんなで質問しながら話を聞き、その場で伺った内容を読み札にまとめていくんですね。

そうすると、かるたをつくる過程でお互いのことを知れますし、出来上がったかるたで遊ぶなかで、一人の利用者さんの記憶をみんなで受け止めたり、追体験したりすることにつながる。そういった試みを通じて、利用者さんとの関係がより深まったり変化していく面があると感じます。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

関係が深まったり変化したりするというのは、どのようなときに感じるのでしょうか。

六車 そもそも介護の現場では、スタッフが一人ひとりの利用者さんの個人史をほとんど知らないということも多い。それに、どうしてもケアをする・されるという関係が固定化されてしまって、利用者さんがスタッフに対し「申し訳ない」とか「迷惑をかけたくない」と感じるあまり、自分の思いを遠慮せずに伝えられなくなってしまいがちなんです。

でも、聞き書きをするときは変な遠慮や緊張をせずに活き活きと話してくださることが多いし、そのときは利用者さんの方が先生のような立場になるので関係性が逆転したり混ざり合ったりする。それによって、固定化されていた関係が徐々に柔軟になり、利用者さんにとってもスタッフにとっても心地よい場が生まれていくように思います。

正直、大学教員だった頃は、それほど聞き書きという方法に特別な関心を持っていたわけではないんですが、介護の現場に入ってから聞き書きの意外な効用というか、面白さを初めて発見したような気がしますね

さまざまなバックグラウンドの人が豊かな場をつくる

いまお伺いした聞き書きなどはまさに、研究というまったく異なる分野の視点が生きた取り組みであるように思います。異業種から介護の世界に入ってきた六車さんだからこそ、業界の課題や改善点が見える部分もあるのではないかと感じるのですが、いかがですか。

六車 研究職に就いていたからこそ、という具体的な例はないのですが、違う視点を持った人が集まっているということ自体はとても大切だと思います。

介護の現場って、もちろん介護の専門学校や大学を出た叩き上げのスタッフも多いのですが、転職組もわりと多い世界なんですよ。利用者さんにはいろいろな方がいて、それぞれの人生があるわけですから、関わる私たちもさまざまな人生経験を積んでいた方が、利用者さんとより深い関わりを持つことができるんじゃないかと思うんですよね。

なるほど。確かに前職がどんな分野であろうとも、そこで培ったスキルや経験が利用者の方との豊かな関係につながるというのはありそうです。

六車 だからこそ、それまでの人生経験や仕事の経験を十分に生かせる現場であるかどうかがすごく重要だと感じています。いままでの経験から新しいアイデアを発想したり、「これちょっと変えた方がいいんじゃないですか?」って気軽に口を出せるような環境であることが大切ですよね。

私も自分が「すまいるほーむ」の管理者という立場になってから、いろいろなバックグラウンドを持つスタッフたちの発想にとても助けられ、刺激も受けています。例えば、自分でデザイン事務所を開いていたスタッフがひとりいるのですが、施設の中でちょっとした工作や作品作りをするときに、彼の発想によって素晴らしいデザインのものができあがったりするんですよ。

もちろん安全面を考慮することは大切なのですが、施設のルールで利用者さんやスタッフを必要以上に縛ってしまうのではなく、新しいものや逸脱するものもよしとする柔軟性を持っていたいんです。そうしないと、介護現場ってそもそもすごく閉じられた世界なので、どこかで行き詰まってしまうと思うんですよね。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ
介護現場は「民俗学の宝庫」と語る六車さんの取り組みを綴った著書『驚きの介護民俗学』医学書院

介護現場がある種閉じられた世界であるというのは、確かにおっしゃる通りだと思います。健康な人や若い人にとっては、介護というものがどこか違う世界のできごとのように捉えられてしまったり、「老い」そのものに関心や実感の薄い人が多いな、と。

六車 そうですね。いま、「役に立つ」ことが非常に重視される社会になってきているのには大きな危機感を覚えています。介護の世界においても、介護予防や認知症予防、リハビリばかりに焦点が当てられ、そもそも「介護を必要としない」状態が一番いいとされてしまう。でも、老いは誰にでも平等にやってくるわけで、認知症になったり障害を持ったりするかどうかは、誰にも分からないわけです。それにもかかわらず、老いというものが日常からは切り離されてしまっていますよね。

介護を必要としないように、という考え方の根幹には、「人に迷惑をかけてはいけない」という日本特有の感覚があると思います。その感覚ってとても根深いと思いますし、私自身そう思ってしまうこともあるのですが、やっぱりそれは違うと言いたいんですよね。

歳をとっても、あるいは障害があっても生きてていいんだと思える社会にならないと希望がない。せめて自分たちの施設では、さまざまなつらいことがあっても「生きていてよかった」と思えるような場所をつくっていきたいと思いますし、そのためには多様な意見に開かれた場であることが重要だと考えています。

介護の仕事を通じて受容できるようになった「それぞれの人生」

今、お伺いしたことがお仕事を続ける上での大きなモチベーションになっている部分もありそうですね。他方で、体力的にハードなお仕事ではあると思うのですが、これまで介護の世界から離れたいと思ったことはありませんか?

六車 いままでも悩んだことはたくさんありますが、コロナ禍に入ってからは特に何度も「やめよう」と思いましたね……。これまでは、全国各地から見学や取材に来てくださる人が多かったこともあって、私にとっても利用者さんやスタッフにとっても、外部の方とお話しすることがいい刺激になっていたんです。それがコロナ禍に入って一気に減ったことで、ストレスはすごく増えました。

でも、施設の社長やスタッフたちにそのことを素直に話し、熱心に悩みを聞いてもらったことや、ときには仕事を代わってもらったこともあって、なんとか乗り切れてきたように思います。

悩みを共有できる同僚がいるかどうかは、本当に大切ですよね。

六車 やっぱりひとりで抱えず、周りに伝えることですよね。大学の教員時代は、なんでもひとりで乗り切ろうとしてしまいがちだったように思います。その結果、精神的にも肉体的にも追い詰められてしまったので、本当によくなかったなと……。

いまの職場は、迷惑をかけたり悩みを伝えたりすることに対して「お互いさまだよね」という感覚をみんなが持っているのがいいなと思うんです。大変なことももちろんありますが、お互いが協力し合える職場であることで、私にとってはすごく生きやすい場になっています。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車さんは著書『驚きの介護民俗学』の中で、35歳を過ぎた頃から、漠然と将来に対しての不安を感じていたと書かれていました。まさに同じような年齢で今後のキャリアや人生に対して不安を覚える人は多いように思うのですが、キャリアチェンジをしたことで、その「不安」や考え方に変化があったということでしょうか?

六車 私は独身で子どももいないので、当時は自分が人とは違う、逸脱した人生を歩んでしまっているんじゃないかという不安がすごく大きかったんですよね。

でも、介護の仕事を通じていろいろな利用者さんたちと関わる中で、まあこれもいいんじゃないかなと思えるようになってきた気がします。利用者さんやそのご家族とお話ししていると、本当にみんないろいろな人生を送ってきているということを実感するんですよね。

自分も自分の人生を歩んでいくしかないし、最後に自分を受け入れてもらえるような場所がありさえすればいいのかな、といまは思います。そのためにも、「すまいるほーむ」を守り続けることで、誰もが心地よく最期を迎えられるような場所を用意していたいなと考えています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

キャリアチェンジを考え始めたら

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お話を伺った方:六車由実(むぐるま・ゆみ)さん

六車由実さんのプロフィール写真

1970年静岡県生まれ。沼津市内のデイサービス「すまいるほーむ」の管理者・生活相談員。社会福祉士。介護福祉士。大阪大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。民俗学専攻。2009年より、静岡県東部地区の特別養護老人ホームに介護職員として勤務し、2012年10月から現職。「介護民俗学」を提唱。著書に『神、人を喰う』(新曜社・第25回サントリー学芸賞受賞)、『驚きの介護民俗学』(医学書院・第20回旅の文化奨励賞受賞、第2回日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)、『介護民俗学へようこそ!「すまいるほーむ」の物語』(新潮社)など。コロナ禍の介護現場をリアルに描いたカドブン連載「つながりとゆらぎの現場から―私たちはそれでも介護の仕事を続けていく」も注目される。

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「ちゃんとしていない」自分を隠さずに生きていく。歌人・岡本真帆さんに聞く、苦手をシェアする働きかた

岡本さんイメージ画像

社会人経験が長くなってくると、会社において後輩や部下を指導・育成する機会も増えてきます。ときには、自分の苦手な分野について教えなければいけなかったり、自分自身も完璧にできていないことを注意するようなケースも出てきて、“ちゃんとして”いなければいけない自分の立場をプレッシャーに感じてしまうこともあるのではないでしょうか。

実際には、私たちはいくつもの人格を持ちながら生活していて、“ちゃんとしていない”人格もまた、自分を形作る上で無視できないものです。

「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」「無駄なことばかりしようよ自販機のボタンを全部同時押しとか」。そんな平易な言葉を用いた短歌で人気を集める歌人・岡本真帆さんは、“ちゃんとしていない”自分や、社会的には“無駄”とされがちなものを受け入れ、愛でるような歌を数多く詠んでいます。

現在も会社員として働きながら歌人としての活動を続けている岡本さんに、短歌が生まれる背景や、“会社員モード”と“歌人モード”の心のバランスについて、お話を伺いました。

* * *

歌集を開くささやかな時間が、忙しい日々の癒やしになった

「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」は、Twitterで多くの人にシェアされたことから話題を呼び、現在は岡本さんの代表歌にもなっている一首です。この歌が生まれた背景を、あらためて教えていただけますか。

岡本真帆さん(以下、岡本) 短歌の投稿サイトが「傘」というテーマで歌の募集をしていたときに、私も傘にまつわる歌を詠んでみようと考え始めたのがきっかけです。

短歌を詠むときはふだん、ブレインストーミングのようにひとつの単語から連想する情景や言葉をたくさん書き出していくようにしているんですが、自分自身のことを振り返ってみたときに、傘をかなり貯め込んじゃってるなとふと気づいて……。

傘、実際にそんなにたくさんあったんですか?

岡本 あんまり天気予報を見ないタイプで、家を出るときに晴れてたらその日はもうずっと晴れるものだと思って、傘持たないで出かけちゃうんですよ(笑)。それで雨が降るたびに出先でビニール傘を買って帰ってくるから、どんどん増えていく一方だったんですよね。楽天的というか、ちょっといい加減なのかもしれないです……。

この歌に限らず、岡本さんの短歌には「無駄なことばかりしようよ自販機のボタンを全部同時押しとか」のように、社会では評価されない無駄なこと、いい加減であることを否定せず、そういったものに接している時間を愛おしむような歌が多く見られますよね。

岡本 確かに、無駄なものや、“遊び”とされるものに惹かれやすいところはあるかもしれません。

大人になるにつれ「ちゃんとしている」ことを求められることは増えていくように思うのですが、そんな中で無駄であったりきっちりしていなかったりすることを短歌を通して前向きに捉えられる場がある、というのはすごく大切なように思います。

岡本 そうですね。でも、社会的には意味がないとされがちなことや、なんてことないと感じる体験こそ、実は誰にとっても心を動かす、大切なものなんじゃないかなと思うんです。

笹井宏之さんや木下龍也さんといった現代歌人の短歌に影響を受けて作歌活動を始めたそうですね。そういった歌人たちの歌にも、同じような魅力を感じたのでしょうか?

岡本 笹井宏之さんの『えーえんとくちから』という歌集が、確か一番はじめに本屋さんで手にとった歌集でした。当時は社会人2~3年目で、仕事に夢中になるあまり徹夜をしてしまうこともあって、かなり体力的にしんどかったんです。

そんなときに笹井さんの短歌を読んだのですが、とてもやさしい言葉で書かれているのに、たった1行でまったく別の世界に連れて行かれるような感覚がしたのを覚えています。

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

『えーえんとくちから』(PARCO出版)より

詩を読んだり書いたりすることと社会の中でお金を稼いで生きることの間には、すこしだけ距離があるように思うのですが、働くことに必死だった当時は、夜に歌集を開くささやかな時間が大きな癒やしになっていました。小説を読んだりするようなエネルギーがあまりないときでも、短歌であれば一瞬で31音の世界に没入できる。それがとても魅力的に感じました。

確かに、仕事から離れてまったく別の世界に没入できるような時間は、忙しいときほど大切ですよね。

岡本 私は映画や漫画も好きなのですが、そのふたつも生活インフラに比べてしまえば、当然ですが日常の中の優先順位としては低いものです。でも、ときどきそういうものに触れるからこそ心が充電されて、日常生活を頑張って乗り切ることができるのかなと思います。

いまでも、すごく疲れたときはお風呂で漫画を読み漁ったり、友達とボイスチャットで喋りながらオンラインゲームをしたりするんですが、そういうふうに現実からすこし離れて、コンテンツに没頭する時間は大切にしたいと思っています。

「好きなこと」と「得意なこと」のふたつのギアを切り替えながら仕事している

さきほど、詩を読んだり書いたりすることと社会の中で生きることの間にはすこしだけ距離がある、というお話がありましたが、岡本さんは現在も会社員を続けられていると伺っています。「歌人としてのモード」と「会社員としてのモード」が、ご自分の中で分かれているような感覚ってありますか?

岡本 個人的にはそこまではっきりと分かれていなくて、意外とベースは似ているのかもと感じています。というのも、私の短歌に関して「明るくいようという決意を感じる」という評を頂いたことがあるんですが、似た言葉を会社でもかけてもらったことがあって。人間なので、当然体調が悪い日や機嫌が悪い日もあるんですけど、人といるときはなるべく明るい自分でいられるよう意識するタイプなんです。

もちろん無理に取り繕うことはせず、できるだけ自然体でリラックスしているんですが、そういった姿勢をどちらの世界でも評価してもらえるのは、根底のモードが一緒だからなのかなと思います。

なるほど。「無駄なこと、いい加減なこと」を否定せず、それを言語表現に落とし込んでいく歌人と、「生産性や業務効率を上げること」を目指す会社員のとでは、考え方が大きく違いそうです。その切り替えに苦戦したりすることもあまりないですか?

岡本 仕事ばかりしているタイミングだと短歌が思い浮かびにくくなるというのは確かにあるかもしれないですね……。ただ、歌集を出したこともあって以前よりも短歌を詠む頻度が上がったので、いまはそのふたつの行き来が前よりもしやすくなっているのを感じます。

会社員としては、私はいま小説や漫画作品の PR業務に携わっているんです。会社では、自分自身も含めてチームメンバーがどうしたら気持ちよく働けるか意識してコミュニケーションをとっているので、自分ひとりの中で言語表現を極めていく短歌の作業と比べると、チームワークかそうでないかという違いはあります。

ただ、どちらにおいても自分を殺すようなことはせず、会社でも疑問に思うことがあったら積極的に周りに聞くようにしていますね。

兼業で働かれている方には、ふたつの仕事の間の距離感を大切にしている人が多いように感じます。まったく違ったジャンルの仕事の方が気分転換しやすいという方もいれば、近い仕事の方がいいという方もいると思うのですが、岡本さんの場合はいかがですか?

岡本 私の場合はとても幸運なんですが、好きなことと得意なことをそれぞれできているように感じています。PR の仕事って、すでに存在しているプロダクトやサービスのいいところを見つけて人に伝える仕事だと思うのですが、それが1を10にするようなイメージなら、歌人の仕事は0から1を作るイメージなのかなと。

私は比較的、1を10にするのが得意で、0から1を作るのが好きなことだと自覚しているので、そのふたつの間でギアを入れ替えて仕事ができているのは自分に合っているように思いますね。

短歌を思いつくのも、ちょうどそのギアを入れ替えているときが多い気がしています。例えば移動中とか、休憩中にコーヒーを淹れているときのように、目の前のことにあまり集中せず、ボーっとしているときにアイデアが浮かんでくることがよくあるんです。

自分の「苦手」を周囲に隠さず、周りを頼る

いまお聞きした“ギアの入れ替え”は、兼業している人に限らず悩みやすいポイントのように感じています。特に、会社の中で後輩や部下がすこしずつ増え始めてきたりすると、ふだん以上に「しっかり振る舞わなきゃ」というプレッシャーが出てきて、“ちゃんとしていない”自分との切り替えがストレスにつながることも多いのかなと。岡本さんは会社の中でも素に近い自分でいられているとのことでしたが、そういった環境や周囲との関係性を築くために意識したことはありますか?

岡本 自分の嫌いなことや苦手なことを必要以上に隠さない、というのは意識しているかもしれません。もちろん、自分を「仕事モード」に切り替えてしっかりと振る舞うことによって成果が出せるというタイプの方もいると思いますし、それもまったく悪くないと思うのですが、先輩だからといって見栄を張ったり苦手なことがないかのように振る舞ってしまうと、あとからどこかでつらくなるような気はしますね。

何もかも完璧に仕事をこなせている人なんていないと思うので、まずは自分の中で、自分自身の好きなこと・得意なことと、嫌いなこと・苦手なことを把握しておくのが大切なんじゃないかと思います。その上で、もし環境が許すのであれば、できるだけ自分の好きなこと・得意なことを周りから頼ってもらえるような働き方ができたらいいですよね。

岡本さんの場合、あまり好きでなかったり、苦手だと感じるのはどのような仕事ですか?

岡本 欠けているところを補充したり、日々の数字を追って分析するような仕事は、個人的にはあんまり得意じゃないし好きじゃないような気がしてますね……。私の場合は周りにそれを伝えて、そういう仕事はできるだけ他の人を頼ってもらうようにしています。
中には、自分はあまり好きではないけれど、周りからは得意だと思われて任されてしまう仕事もあるように思います。

岡本 確かにありますね、そのギャップもしんどいですよね……。私、社会人になりたての頃、Webのプロジェクトの制作進行を担当していたことがあるんです。プロジェクトが遅れないよう常に気を張っていなきゃいけない仕事だったのですが、自分よりもはるかに経験豊富な人たちに指示をすることが続いて、すごくストレスが溜まってしまって。

当時はそういう仕事をやりたくなくてできるだけ避けていたんですが、PRの仕事に移ったいま、自分が企画したプロジェクトを進めているときに、当時のスキルが活きていると感じることが出てきたんです。新卒の頃は制作進行という仕事そのものがとにかく苦手だと思っていたんですが、自分が好きな企画・PRという分野と組み合わさったときに、意外とストレスなくできるなと気づいて。

だから、苦手だと感じることも時を経たり環境が変わったりすると、意外にも自分にとっての「好き・得意」に近づくケースもあるんだなと思いました。

確かに、ひと言で「嫌いな仕事」と言っても、いろいろな理由がありますよね。

岡本 そうですね。「この仕事、なんか嫌だな」と感じたときに、「なんか嫌」をそのままにせず、その原因が作業自体にあるのか、それとも人間関係や周辺の業務にあるのか、分解して考えてみることが自分自身の理解にもつながるんじゃないかなと思います。そうすることで、どうしても自分がやりたくない仕事や、他の人を頼りたい仕事も見えてくると思いますし。

組織においては、“ちゃんとしていない”自分を自覚しつつも、後輩や部下の指導をしなくてはいけないケースもありますよね。短歌を詠むことでギアの切り替えができている岡本さんのように、“ちゃんとしていない”自分を肯定できる場が他にあれば、仕事における自分も認めやすいように思うのですが、そうでない場合、「どうして自分を棚に上げてこんな偉そうなこと言わなきゃいけないんだろう……」と悩んでしまうこともありそうです。

岡本 いや、わかります。自分、こんなこと言ってるけど何様なんだろう? って思うことありますよね……(笑)

後輩や部下の指導・育成においても、自分ひとりが全てを背負うのではなく、周りの人の手を借りたり弱みを見せたりしてもいい、ということを意識できるとすこし楽になれるかもしれないですね。私は後輩のミスを注意しなければいけないときがあると、「私も実はこういうミスしちゃったことあって……」と自分のできないことも合わせて伝えるケースが多いかもしれないです。

もちろん自分の苦手分野やちゃんとしていないところを人に開示するのって、それなりの苦しさや恥ずかしさのあることだと思いますし、職場で自分の全人格をさらけ出す必要もないとは思うのですが……。ただ私の場合は、苦手なことも周りにシェアすることで、かなり働きやすくなった実感はあります。

仕事中はつい気を張ってしまって、自分の苦手なことを周りに伝えられない人もいるのではないかと思います。岡本さんがそれを周囲に開示できるようになったのは、振り返るとどうしてだと思いますか?

岡本 コロナ禍になった2年前、勤務形態がフルリモートに切り替わったのですが、働き方がガラッと変わったストレスに仕事上のトラブルが重なって、1カ月ほど休職したことがあるんです。

そのとき、すごく当たり前ですが、無理をしたらこんなふうに体調を崩してしまうこともあるんだな、自分って全然完璧じゃないんだなと身に沁みて分かったんですよね。その経験が、自分の弱いところやだめなところを受け入れるひとつのきっかけになったような気がしています。

だから、仕事でつい頑張り過ぎてしまう人の気持ちもよく分かります。ただ、挫折したり体調を崩してしまった経験から自分にとってのちょうど良い働き方や休み方がわかり、弱さやだめなところを受け入れられるようになることもあると思うので、“完璧”を目指さず、すこしでも気を抜いて働けるようになればいいなと思います。

取材・執筆:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:岡本真帆さん

岡本真帆

歌人。1989年生まれ。高知県の四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。会社員として働くかたわら、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)を刊行。

■第一歌集収録歌より
平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ
もうきみに伝えることが残ってない いますぐここで虹を出したい
3、2、1、ぱちんで全部忘れるよって今のは説明だから泣くなよ
Twitter:@mhpokmt