他人を自分の物差しで決めつけない。一穂ミチに聞く「答えを出さない」人間関係の築き方

一穂ミチさんアイキャッチ

友人や同僚の“らしくない”一面を見てしまい、ハッとしたことはありませんか。相手に対してよいイメージや悪いイメージをあらかじめ抱いていたときほど、「こんな面もあったのか」というギャップを強く感じるように思います。

しかし、他人の“自分には見えていない”面は、プライベートをあまり知らない人はもちろん、家族やパートナーのように、自分にとってごく身近な人にも多かれ少なかれあるものです。

会社員として働きながら作家活動を続ける一穂ミチさんは、人の“多面性”や“ブレ”を、作品の中で非常に繊細につづります。どんな人物を書くときにも必ず「ほころび」が一箇所は出てしまう──という一穂さんに、その創作論を起点に、“人をジャッジしない”まなざし方についてお話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

現実でもフィクションでも、人は「秘密」を抱えている

コマ

『スモールワールズ』(講談社)

夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。
▶一穂ミチ『スモールワールズ』特設サイト

一穂さんの小説『スモールワールズ』は、「歪な家族」をテーマにした連作短編を、という編集者からのリクエストを受けて書かれた作品だと伺っています。執筆の際は、どのようなところから一つひとつの作品のイメージを膨らませていったのでしょうか。

一穂ミチさん(以下、一穂) 「家族」というテーマは、実際にはそこまで強く意識しなかったんです。強いて言えば、連作短編という枠組みのなかで、それぞれの作品の構成が似過ぎないようにしようと考えたくらいでした。家族がいることで生まれる何かはもちろん、家族がいないこともお話になりうると思ったので、実質ノーテーマみたいな感じでしたね。

家族がいないこともお話になりうるというのは、親や子どもが直接的に登場する物語を書かなかったとしても、家族というテーマにつながりうる……ということでしょうか?

一穂 そうですね。家族がいる/いないということそれ自体が、なんらかの強烈な因果を生むことってあるよなと思ったんです。

最近「親ガチャ」や「毒親」という言葉もよく聞くようになりましたが、そういう言葉が表す感情がひとつの典型なのかなと思います。どんな親のもとに生まれるかで人生の最初のパラメータが決定してしまって、なかなかそれを埋めることができないと感じる若い人が増えている、ということなんじゃないかと。

私自身、毒親とは思わないまでも、親に対して抱いた「あれはないよな」という気持ちってけっこう覚えていますし。相手は忘れているだろうけど、こっちはずっと覚えてるだろうなと感じる言動ってありますよね。

確かに。大人になってもモヤモヤし続けてしまうこともありますね……。

一穂 ですよね。私の場合は歳を重ねたこともあって、「今の私くらいの年齢のときに親は小学生の私の面倒を見てたのか、えらいねえ……」みたいな気持ちにもなるんですけどね(笑)。どんな形にせよ、家族というものに対して好き嫌いでは割り切れない気持ちを抱いている人は多いんだろうなと感じます。

確かに、親は好きだけれど今でも許せないことはあるとか、嫌いだけれど感謝はしているとか、複雑な気持ちを抱いている人は多そうです。『スモールワールズ』には、家族や周囲に対しさまざまな「秘密」を抱えている人たちが多く登場しますよね。執筆の際は、各々の秘密や事情をあらかじめ細かく設定した上で書き進めていったのでしょうか?

一穂 どんな作品でもそうなのですが、最初のプロットの時点では、なんの秘密も事情もなくスルッとお話が終わってしまうこともあるんです。でも書き進めるうちに、私が想定していなかったような嘘をキャラクターがついていたり、隠しごとがあったりするのが見えてくるという感覚があって。そういうときは、「あれ、この人はこういうことするはずではなかったんだけどな」と思いつつ、まあいいかって感じで書いていくんですね。

一穂さんご自身も驚くような行動や言動を、キャラクターがとるケースがあるんですか?

一穂 そうなんですよ。感覚的には、現実の人物と出会って対話を重ねていくときとあまり変わらないというか……。もちろん、年齢や性別、属性といった大まかな設定は最初に決めるんですが、その人らしさみたいなものは、他の登場人物とのやりとりや日常生活の中での振る舞いを通じて徐々に知っていく感覚なんですね。だから登場人物の性格や印象に対してひとつの正解があるわけではなく、あくまで「私の中ではこの人ってこういう人だな」という感じでいつも書いているんです。

一穂さんは一般文芸のジャンルだけでなく、BL作品も多く手がけられていますよね。そういった書き方は、BLにおいても同じなのでしょうか?

一穂 BLのお約束である攻め・受けを最低限決めるというのと、挿絵を描かれるイラストレーターさんにビジュアル面のイメージは頼らせていただく、という点では違うのですが、それ以外はあんまり変わらないですね。

……身長がどのくらいとか、オフィシャルの情報が細ければ細かいほどBLの読者はうれしいというのはわかってはいるんですよ、自分もそうなので(笑)。でも私が書く場合は、読者の方のご想像にお任せしますという部分がどうしても多くなりますね。

一方で一穂さんの作品には、こんなところまで細かく書かれるんだ、と驚くようなディテールが見られることも多い印象です。例えば『砂嵐に星屑』(幻冬舎)には「目の中にほくろがある」キャラクターが登場しますが、言われてみると目の中にほくろがある方っているけれど、普段なかなか意識しないな、と感じます。

一穂 お話を作るときは、設定や展開を細かく決め過ぎない代わりに、そういったディテールから着想を膨らませることも多いですね。例えば目の中にほくろがある子を出そうと決めたら、その特徴を生かす方向に頭が働いていくというか。

ディテールに関しては、日頃からツヤツヤのどんぐりを拾うみたいな感覚で少しずつため込んでいるんです。一見値打ちがないように思えても、自分には奇麗に思えたり、何となく気になったりするものってあるじゃないですか。そういうものに日常生活で出会うたびに、「これツヤツヤだな、ためとくか」みたいな感じでとっておく。仮にそれを何にも使わなかったとしても、どんぐりがいっぱいあるとうれしいんですよね(笑)。

誰に対してもフラットな人って、実はあまりいない

今のお話をお聞きしていても感じたのですが、一穂さんの書かれるキャラクターには、性格がいい/悪いとひと言で言い切れなかったり、人によっていろいろな顔を使い分けたりする人物が多い印象です。キャラクターを書かれる際に、その人の「多面性」は意識されていますか?

一穂 ゲームのキャラクターのように、いつ話しかけても同じことを言う、という感じにはしないように心がけています。例えば私自身、AさんとBさんという二人の人物がいたら、そのどちらにも全く同じ態度で接するということは恐らくしないですし。そんなにメンタルが安定しているタイプでもないから、天気や体調によっても、考えること自体が大きく変わってくるんですよね。

それに、職場の上司や同僚、学校の先生、それこそ親に対しても「あれ、前と言ってること違うな」と感じることってあるじゃないですか。この人がする分にはOKなのに私はNGなのか、とモヤっとすることもありますし。常に同じように人に接することができるほどフラットな人って、実はあまりいないんじゃないかと思います。

なるほど、確かにそうですね。一穂さんは、お仕事などで人と接しているときに、相手の意外な面に驚かされることってありますか?

一穂 たくさんあります。一番感じるのは、会社の人の家庭での顔を見てしまったときかもしれないです。前に、会社の同僚とそのご家族と一緒に舞台を見に行ったことがあるんです。その方はけっこうはっきりした物言いをするタイプで、会社ではちょっと話しかけづらく感じていたんですが、お子さんと一緒にいるときは全く違って、すごくやさしくて。

終演後、CDを買うと出演者の方と写真が撮れるというイベントがあったんですが、「娘が写真撮りたいって言ってるから、俺ちょっと並んでくるわ」と率先してその列に並びに行ったんですよ。「マジで!?」と思って(笑)。全然そんなタイプに見えていなかったんです。でも、お子さんにとってはお父さんのそういう姿の方がナチュラルなんだろうなとも思って。

……例えば友人と食事したりしていても、相手が恋人からの電話に出るときって、なんとなく分かったりしませんか? 態度というか、空気が変わる感じがして。

分かります。実家からの電話になると、急に話しぶりや一人称が変わったりする人もいますし。

一穂 そういうとき、当人は全然気付いていなかったりしますよね。他人のそういう面って面白いなと感じますし、たぶん自分も同じなんだろうなと思いますね。人ってそういうものだろうと思っているから、そういう人たちを書くのかもしれないです。

ただ、作品として小説に落とし込むとなると、スタンスや芯がぶれない人の方が書きやすかったりはしないのでしょうか?

一穂 ぶれない人の方が読んでいて安心はしますよね。例えば、スカッと事件を解決してくれることが現れた瞬間から約束されている、一貫したスタンスの名探偵のようなキャラって私も格好いいなと思うんですよ。そういうキャラクターが出てくる作品ももちろん楽しく読むのですが、私の場合は、ブレブレの人の方が書きやすいかもしれない。

人の揺らぎみたいな部分を書くのが楽しいというか、どこか一箇所でもいいからその人のほころびが見たいと思ってしまうんですよね。……というより、意識せずとも、書いているうちにそういうほころびがどこかで勝手に出てきてしまう気がします。

好きと嫌いの間の「グレーの部分」が大切な気がする

今お聞きしたキャラクターの書き方もそうですが、一穂さんの小説は、物語の中で善悪をはっきりと決めつけたり、教訓のようなものを押しつけることをしないですよね。過去のインタビューでは、「作品の中で何かをジャッジしたり、“答え”を出さないようにしている」ともお話しされています。

一穂 何かを絶対的にいいと言う人も悪いと言う人も、どこか信用ならないという気持ちがあるのかもしれないです。さっきの同僚の話じゃないですけど、私の目から見た「いい人」が、他の人から見ていい人かどうかも分からないですし。それに、曖昧さが許されるのが創作のいいところだと私は思っているので。

ただ日常生活においては、自分の知っている相手の一面が、あたかもその人の全てであるかのように錯覚してしまうこともあるように思います。お話を伺っていると、一穂さんは「自分の見えている面がその人の全てではない」ということをとても自然に受け入れられているように感じます。

一穂 いや、そうは言いつつも、私も全然できてないですよ。人のきらびやかなインスタとか見たときに、「この人ま~たアフタヌーンティーしてるよ」とか思ってしまう(笑)。

……でもやっぱり、SNSやYouTubeのようなプラットフォームを使って誰しもが自分のことを発信する時代になっているからこそ、ときに「これは見せたい自分を見せているだけなんだよな」ということを忘れないようにしないと、と思うようになりました。

それと、昔は家族のことにしても「家のことはあまりよそで言うもんじゃない」という価値観を多くの人が持っていたと思うのですが、今はそれをごく当たり前に発信する人も増えましたよね。

確かに。それに関しては家族間のポジティブな話題だけでなく、トラブルや困りごとを発信することもあるように思います。

一穂 そう。人の発信を見ることによって「うちだけじゃないんだ」と安心できることもあれば、反対に「うらやましい」とか「おかしい」と感じてしまうこともあるから、いいことだけではないよなと思います。

「その人が見せたい部分だけを見せている」ということもある、という意識は最低限持っておかないと、不要な心配やストレスを感じてしまいそうですね。

一穂 「人に見せるための自分」をみんなが当たり前に持っている時代って、考えてみたらたぶん、今が初めてなんじゃないかと思います。私自身、自分のSNSに関しては情報をろ過した上で投稿している自覚がありますし、それは誰しも一緒だろうなと思いますね。

それに今って、誰かが炎上したり失言で注目されたりしたとき、これまでのその人の人生や人格までも否定するような勢いで叩かれることもありますよね。そういう過激さは少し怖いなと思ってしまいます。自分自身、迂闊な言動ひとつで叩かれる立場になる可能性もありますし、いつ自分にも火の粉が降りかかってくるか分からないことを考えると、人を一方的に断罪したり善悪を決めつけたりするのはやめておきたいなと思います。

いい意味でも悪い意味でも、ネットやSNSで注目された人に対しては、ニュースになった一面ばかりがクローズアップされてしまいがちですよね。

一穂 自分が好きだったその人のイメージが崩れて「裏切られた」とか「騙されていた」と感じてしまったり、今まで好きだったことすら全否定してしまう、というのはちょっと違うように思いますね。

普段の人間関係においても、つい自分の物差しで「◯◯さんはこうだよね」「あのご家庭は幸せそうなのに」とモヤモヤを抱くこともあると思うのですが、どんな人にも「他人からは見えない・分からない姿がある」と想像を膨らませておくことは大事なのかもしれません。

一穂 けれどその一方で、自分の価値観とはどうしても相容れないことを人が言ったときに、そのひと言や行動をきっかけに相手のことを嫌いになる、というのもありだと私は思うんです。誰しも、絶対に受け入れられないことや許せないことはありますから。

重要なのは、人を見るときに、相手によって自分の中の物差しの目盛りを粗くしないことじゃないかと思います。例えば1メートル尺ではなく、もっと細かく目盛りを刻むことで、初めて計れる部分があるんじゃないかなと。人に対する感情って、好きと嫌いの間のグレーの部分がすごく大事な気がします。

グレーの部分が大切であるという考え方は、とても一穂さんらしく感じます。けれど近年、人に対する印象もそうですが、作品に対してもはっきりと白黒をつけたがる人が増えたように感じます。小説を書かれている中で、社会のムードとご自身の作風にギャップを感じたりすることはありますか。

一穂 私はやっぱり、なかなか割り切れないものとか言葉にうまくできないものを、なんとか言葉に落とし込みたいと思って小説を書いているところがあります。小説というもの自体が今、ほかのメディアと比べて、非常にスローなメディアになっていると思うんです。例えば物語のあらすじを3行でまとめようとしても、いいところは伝わらないと思いますし。その点は、早く簡潔に結論だけをくれ、早くすっきりさせてくれ、という今の社会のムードとは真逆だと感じます。

でもそれが小説のいいところだと個人的には思いますし、たぶん、それがいいと思ってくださる方って減ることはあるにせよ、この世から消えることはないとも思うんです。だから、まあこれからもこの感じでやっていこうかな、と思いますね(笑)。

取材・執筆:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

職場や知人友人の人間関係に悩んだら

『流浪の月』凪良ゆうさん
『流浪の月』凪良ゆうさんに聞く、受け入れられない他人からの「善意」との向き合い方
深爪
人間関係は基本面倒。だからこそ「他人」ではなく「自分」軸で考える(深爪)
文学者・荒井裕樹さん
文学者・荒井裕樹さんと「言葉」から他人との向き合い方を考える

お話を伺った方:一穂ミチさん

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2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。『スモールワールズ』(講談社)が、第165回直木賞候補、第12回山田風太郎賞候補、2022年本屋大賞第3位に選ばれ注目を集める。同作で第43回吉川英治文学新人賞を受賞。同作収録の短編「ピクニック」は第74回日本推理作家協会賞短編部門候補となる。『イエスかノーか半分か』(新書館)、『パラソルでパラシュート』(講談社)、『砂嵐に星屑』(幻冬舎)など著作多数。
Twitter:@ichihomichi

テレワークの孤独感を解決するには? 産業医に聞く、仕事における「しんどい」気持ちとの向き合い方

井上智介さん記事トップ写真

この春から転職や異動を経験した方の中には、新たな環境で働くストレスを徐々に感じている人も少なくないのではないでしょうか。特にテレワーク中心の勤務形態の人は、慣れない環境で思うように上司や先輩とコミュニケーションがとれず、1人で不安を抱え込みがちです。

精神科医の井上智介さんは、毎月30社以上の企業を訪問する産業医としても活動されています。環境が変化するなか、仕事上で生まれるストレスや悩みにどのように向き合えばいいのでしょうか。

著書『1万人超を救ったメンタル産業医の職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』などを出版し、数多くの働く人の不安に向き合ってきた井上さんに、ストレスへの対処法やテレワーク下でのコミュニケーションのとり方まで、幅広く伺いました。

※取材はリモートで実施しました

テレワークによる不安や孤立感とどう向き合う?

この春から、転職や異動などで新しい環境になった方も多いと思います。最近では、入社後すぐにテレワーク中心という人も少なくないと思いますが、井上さんは産業医として働くなかで、テレワークが増えたことによる精神面への影響を感じることはありますか?

井上智介さん(以下、井上) 正直に言えば、メリットを感じている人も多いのではないかと思います。これまで職場の上司や同僚との関係に悩んでいた人は特にですが、相手と物理的に離れられることをメリットだと感じる方もいるでしょうね。

その反面、いま言われたように、この春から新しい環境になった方や新入社員の方にとっては、必ずしもいいことばかりではないですね。オフィスに行く機会があまりないことで、業務上の連携のとりにくさを感じるという方もいますし、上司や先輩に相談・質問をするのにも気を使ってしまうという話もよくお聞きしますね。

それに、狭い家でひとりで仕事をするようになったことで、閉塞感や孤立感を覚える方もいらっしゃるようです。地方から都会に出てこられた方などは特に、近所に友達もまだ少なく、コロナの影響でなかなか実家に帰りづらい……という状況が重なって、精神的に苦しくなりやすいのではないかと思います。

井上智介さんインタビュー写真1

そういった閉塞感や孤立感を軽減させるためには、どんなことを意識すればよいのでしょうか?

井上 仕事の形態や会社のルールにもよりますが、もし家以外の場所でできる業務があるのであれば、カフェやコワーキングスペースなど、人が集まる場所を利用してみるというのもひとつです。

それから、意外と大事なのは環境音。環境音って、集中力を削ぐようなマイナスのイメージを持たれる方も多いと思いますが、外の音やオフィスの音が一切聞こえないと、それはそれで息苦しさを感じるものです。ですから、仕事の際はできるだけ部屋の窓を開けたりして外の音を取り入れ、気分が塞ぎがちにならないように工夫していただくといいですね。自分はひとりではなく、外とつながっているという感覚を忘れないでほしいですね。

確かに、ひとりきりでずっと仕事をしていると、外とつながっているという感覚が薄くなりがちです。あとオフィスにいるときと比べて、会社や組織に所属しているという感覚も得づらい気がするのですが。

井上 そうですね。所属感の減弱、と言ったりしますが、テレワークでは人や組織とのつながりを感じにくくなってしまいがちだと思います。本来は、所属感を補えるようなしくみを会社側が作ってくれるのが一番なのですが、自分の趣味などを手がかりにして、社外のコミュニティに所属してみるのもひとつの方法です。近所の友達に会ったり、オンライン上のコミュニティに所属してみる、というようなことですね。自分の好きなクリエイターのライブ配信や動画を見てみるのもいいかもしれません。

クリエイターの配信や動画の場合、友人・知人との会話とは違って、双方向のコミュニケーションはとりづらいですよね。それでも、所属感を高めることにつながるのでしょうか?

井上 直接的なやりとりはなくても、ファン同士のコミュニティを通じた横のつながりが生まれることもありますし、ライブ配信の場合はクリエイターからのリアクションも返ってくるので、双方向に近い感覚は得やすいのではないかと思います。仮にクリエイターやファンとのコミュニケーションがなくても、配信に集まる顔ぶれを見て「この人、この時間によく来てるな」と思うことで安心感が生まれることもありますから。いわゆる“推し”を作ることには、そういった効果もあります。

なるほど。そのほかにも、自分ひとりでストレスを溜め込まないようにするために、日頃から意識しておくといいことはありますか?

井上 1日の終わりに、5分でも10分でもいいので今日を振り返って、自分を褒めてみることを習慣にしてほしいです。最初は違和感を覚えるかもしれませんが、当たり前だと感じるようなことでもいちいち褒めてみてください。例えば時間通りに仕事を始められたとか、会議の予定をきちんと覚えていたとか、先方に断りの電話を入れた、というようなことでもいいです。偉いな、自分はよくやってるなと考えてみてください。

ネガティブなので自分を褒めるのが苦手だとおっしゃる方も多いのですが、そういう人は、ネガティブな気持ちを抱えやすいからこそ、その後どうやって気持ちを切り替えたかを評価してほしいです。例えば、嫌なことがあってイライラしたけれど、そのあとは気分よく仕事ができて偉かった……というように。イライラして周りに当たり散らす人なんてたくさんいますから、それを自分なりに解消できるのはすごいことなんですよ。ぜひ、そういったことを当たり前だと思わず、どんどん褒めてほしいですね。

テキストコミュニケーションは「即レスが基本」ではない

テレワークになったことで生まれがちな、業務上の悩みの解消法についてもお聞きしたいです。井上さんもさきほどおっしゃっていましたが、チャットやメールでのコミュニケーションが中心になったことで相談・質問が気軽にしづらくなり、自分の中だけでモヤモヤを抱えてしまう人も多いように思います。この「相談のしづらさ」はどのように解消すればいいのでしょうか?

井上 そもそも、頭に浮かんだ疑問や不安をすぐにはっきりと言語化できる人って少ないんじゃないかと思うんです。言語化のためにはある程度の練習が必要ですから、モヤモヤを感じたらまずは一旦、散漫なままでもいいので、自分の思っていることを紙に書き出した方がいいですね。

書き出してみることで、自分は何を不安に感じていて何を確かめたいのかがはっきりしますし、無数にあるように思えていた悩みが、意外と多くなかったことに気づいたりもできます。その上で、整理した内容をメールやチャットで同僚に送るのであれば、すこし相談へのハードルが下がるのではないでしょうか。

相談や質問をする際に、相手の顔が見えないと「いま忙しくないだろうか」「こんなことを聞いて怒られないだろうか」と悩んでしまって、なかなか行動に移せない人も多いように思うのですが……。

井上 そういう方は、「質問する時間」を自分で設定してしまうのがいいですね。例えば「水曜日の16時になったら必ず質問の送信ボタンを押す」というように、自分でタイミングを決めて、その日までに溜まった分の悩みや疑問を上司・先輩に送るようにする。「この時間になったら必ず聞く」とルール化してしまうことで、相談や質問に対するハードルも徐々に下がっていくと思います。

もちろん、緊急度の高い質問はその都度するべきですが、そうではない悩みや疑問って、いま言われたように「相手も忙しいかもしれないから今度にしよう」みたいなことを考えてしまって結局聞けないまま、不安だけが大きくなりがちです。

でも、チャットやメールに相手がいつ反応するかって、結局相手が決めることなんですよ。それは自分ではなく相手の問題だと考えればいいですし、これは自分宛てのメッセージに関しても同じですが、いつ返信するかは本人が選ぶことができる。本当に急ぎの用件であればいつまでに回答してほしい、など伝えるはずなので、相手に対しても自分に対しても、「即レスが基本」と捉える必要はないと思います。

「いつ反応するかは自分ではなく相手の問題」と考えること、確かにとても大事ですね。

井上 そうなんですよ。さっき「疑問や不安をまずは書き出してみる」という話をしましたが、いざ文章にしてみると、自分にはどうしようもない問題で悩んでいることに気づくケースもあります。例えば、「この手土産を持っていって先方は満足するだろうか……」みたいな悩みって結局相手の捉え方しだいなので、一度持っていくと決めたなら、もうそれ以上自分にできることはない。だから考える必要もないんです、本来。

確かに……。とはいえ、仮に持っていったときの相手の反応があまりよくなかったら、「選んだ自分のミスだ」と思ってしまいそうです。

井上 気持ちは分かるのですが、手土産のチョイスに関係なく、相手の機嫌が悪かっただけという可能性もありますからね。もし、明らかに選び方に失敗したと自分が思う理由があるのであれば、それは次に生かせばいいだけですし。「やらなきゃいけないことはやった」というところで、まずは納得してほしいですね。

ただ、とはいえやっぱり人間ですから、悩んでしまうことももちろんあるはずです。人間の心には自分を守るためにいろんな機能がついているんですが、「合理化」もそのひとつ。つまり極端な話、手土産を渡した相手の反応が悪かったら、「何か虫の居所が悪かったんだな」とか「相手のセンスがよくないんだな」と思ってしまうのもアリなんですよ(笑)。

相手のセンスの問題にしてしまってもいいんですね……(笑)。

井上 もちろん、あらゆるケースに対して自分には責任がないと思ってしまうのは違いますが、自責しがちな人は、自分の失敗を100%受け止めてダメージを受けるのではなく、それを軽減させる方法を選んでもいいんです。「あなたのせいだ」と人に言うのは当然よくないですが、頭の中で考えるのは自由ですからね。

「自分のために会社を休めた」ことは成功体験になる

出社して人と仕事をする機会が減ったことで、抱えているストレスや体調の悪さに自分で気づきにくくなってしまったという人も多いのではないかと思います。「仕事がしんどい」状態にあるとき、自分のことを俯瞰的に見るためにはどうすればいいのでしょうか。

井上 普段とどう違うかに目を向けることが、自分のストレスに気づくポイントです。例えば、必要な睡眠時間ひとつとっても人それぞれ違いますから、一概に「○時間しか眠れないのはよくない」とは言いづらい。ただ、普段はよく眠れているのに、明日の仕事のことが不安で寝つけないとか、何度も起きてしまうというのは要注意ですね。

食事に関しても同じです。ストレスを感じていると食べものがあまり喉を通らなくなる、という人ももちろんいますが、反対に過食になる人も意外と多いんですよ。普段は食べないようなものがやたら食べたくて仕方なくなる、というような変化を感じたら、すこし注意してほしいです。

ストレスのサインを感じたら、まずはどんなことをすればいいでしょう?

井上 「仲のいい友達が自分と同じような状況に立たされていたら、自分はなんて声をかけるだろう」と考えてみてほしいです。「もっと頑張りなよ」と言うことはないですよね。たぶん、「先輩に相談してみたら」とか「環境を変えてもいいんじゃない?」と言うと思うんですよ。他人であればそう言えるのに、自分に対しては「もっと頑張らないといけない」と感じてしまうのは、その人の「思考の癖」なのです。それを無理に直そうとしなくても、まずは「自分はこのように考えるんだ」と受け止めることが大切です。

『職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』表紙写真
働く上で直面するさまざまな不安への対処法を綴った井上さんの著書『職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』大和出版

テレワークだと、なおさら自分の思考の癖に気づく機会が少なくなりがちのように思いますが、自分を「友達」に見立ててみればいいんですね。

井上 それと、疲れを感じたらひとつやってみてほしいのは、月曜でも金曜でもいいので、有給を取って休みを3連休にすることです。とても単純に聞こえるかもしれませんが、「有給を取ってまで自分のために休む時間を作った」という実感は、大きな成功体験につながります

いまは定年退職の年齢も上がっていますし、人が人生の中で働く時間はどんどん延びています。そんな中、休まずにずっと働いていたら、いつか破綻して大きな問題が起こるはずです。それに比べたら、数日休んだり手を抜くなんて微々たることだと思ってほしいですね。がむしゃらに働くことよりも、自分のペースで働き続けること、低空飛行でも飛び続けることを意識した方がいいと思います。

私たちは「すでに」誰かに助けられて生きている

「低空飛行でも飛び続ける」というお話もありましたが、梅雨の時期は体調を崩しがちな人も増えると思います。そこで「周りは普段通り働いているのに自分は……」と、周囲と自分を焦ってしまうこともありそうです。

井上 まず前提として、自分のために自分でブレーキを踏むのはとても重要なことです。働いていると「限界を超えろ」みたいなことを言われることもあるかもしれませんが、限界って超えるためのハードルではなく、本当に超えちゃいけない一線なんですよ。

それでも周りに対してどこか気を使ってしまうという人は、かかりつけ医や産業医を頼るのもひとつの方法です。梅雨の時期などは特に、気圧による体調の変化を感じられる方も多いのですが、そういった症状は周りに理解されづらいこともあるので、医師の診断を受けたことを盾にして「休みます」と伝えるとすこし気楽かもしれませんし、自分を許す一つのきっかけにもなるのではないでしょうか。

井上さんは著書の中で「人生は60点で合格」という考え方を持つことが重要だとたびたび書かれています。完璧を目指そうと自分を追い込んでしまいがちな人が「60点で合格」と考えられるようになるためのヒントがもしあれば、最後にお聞きしたいです。

井上 自分は周りに生かされている、という視点を持つことが大切です。何に対しても「自分自身で切り拓いていく」という意識でいると、自分の努力に対して結果が100%跳ね返ってくるとつい思ってしまう。でも本当は、僕たちはたくさんの人のおかげで生かされているんですよね。周りへの感謝の気持ちを常に持てとは言いませんが、そもそも自分は完璧ではなく、周りの助けによって毎日の生活が成り立っている、と考えることが大切ですね。

なるほど……。物事の結果は自分の努力しだいで完全にコントロールできると思っているからこそ、「100点を目指す」という発想になってしまうということでしょうか?

井上 うん、そうです。実際には、100点のうちの40点分くらいは人や環境に助けられている部分だと思うんです。ですから、手を抜いたり甘えたりすることはよくないことだと思うのではなく、実はもうすでに自分は周りに頼っているし助けられている、と考えた方がいい。そう考えると、自分の力でどうにもできないことは周りに甘えようかな、と前よりも気楽に思えるようになるのではないでしょうか。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

仕事の「しんどい」気持ちを軽減させるためのヒント

「心理的安全性」のつくり方
チームの関係性を良くするには? チームワーク研究者に聞く、「心理的安全性」のつくり方
富永さん
社会学者・富永京子に聞く「わがまま入門」
笠井奈津子さん
"疲れている自分"に慣れていませんか? 『何もしない習慣』著者に聞く「正しい休み方」

お話を伺った方:井上智介(いのうえ・ともすけ)さん

井上智介さんのプロフィール写真

兵庫県出身。島根大学を卒業後、大阪を中心に精神科医・産業医として活動している。産業医としては毎月30社以上を訪問し、一般的な労働の安全衛生の指導に加えて、社内の人間関係のトラブルやハラスメントなどで苦しむ従業員にカウンセリング要素を取り入れた対話を重視した精神的なケアを行う。主な著書に、『1万人超を救ったメンタル産業医の 職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』『繊細な人の心が折れない働き方』『「あの人がいるだけで会社がしんどい……」がラクになる 職場のめんどくさい人から自分を守る心理学』など。

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柚木麻子さんに聞く「家事・育児」の大変さ。『ついでにジェントルメン』で“認識のズレ”を描く

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

「洗剤がなくなりそうだから買っておかないと」
「そろそろ冷蔵庫の食材を使い切らないと傷んじゃう」
「子どもの服が小さくなってきたから新しいのを用意しなきゃ」

こういった家事や育児のタスクは、一つひとつを見れば些事(さじ=ささいなこと)に見えるかもしれません。しかし当事者にとってはまったく些事ではなく、それが積み重なればなおさら。仕事と両立する場合は、さらに負担は重くなります。

子どもを育てながら執筆活動をする小説家の柚木麻子さんは、短編集『ついでにジェントルメン』(文藝春秋)の中で、当事者ではない人が悪気なく「家事・育児は日々の些事」と発言する描写によって「当事者」「当事者じゃない方」の認識の違いを描き出しました。

両者の認識の違いはどうすれば埋められるのか。また、負担の偏りをなくしていくために私たちには何ができるのか。『ついでにジェントルメン』に込められたメッセージと共に、柚木さんに伺いました。

***

家事・育児を「いいもの」として見せたくなかった

『ついでにジェントルメン』

ついでにジェントルメン

分かるし、刺さるし、救われる――自由になれる7つの物語。 編集者にダメ出しをされ続ける新人作家、女性専用車両に乗り込んでしまったびっくりするほど老けた四十五歳男性、男たちの意地悪にさらされないために美容整形をしようとする十九歳女性……などなど、なぜか微妙に社会と歯車の噛み合わない人々のもどかしさを、しなやかな筆致とユーモアで軽やかに飛び越えていく短編集。

▶『ついでにジェントルメン』(柚木 麻子) - 文藝春秋

柚木さんの小説は、ご自身の体験をきっかけに生まれることが多いとうかがっています。本作では、家事や育児にまつわる描写が多く登場した印象です。

柚木麻子さん(以下、柚木) この数年は家事や育児しかしていないから、ほかに書けることがなくなっちゃったのかもしれません。自分が知っている範囲のことしか書けないのに、取材をしたり、人に会って話をしたりすることが、コロナ禍で難しくなってしまって……。

ただ、私にとって家事・育児は、前向きな気持ちでやれるもの、ではないんです。特に家事は「とにかくやりたくない」(笑)。「日常の家事や育児は、丁寧に手をかけて見つめ直せば、ちょっとしたことでも輝き出すよ」みたいな書き方だけは絶対にしたくないと思いながら、この短編集を書きました。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

いいように見せてたまるか、という固い意志があったんですね。

柚木 そうです。だって、絶対にやりたくないことなんですから(笑)。外注するほどの余裕はないので、仕方なくこなしてはいるけれど……。できる限り避けたいと思っています。だから、洗濯物はたたまないでつるしっぱなしだし、掃除は週一回のフローリングワイパーをかけるだけ。最低限の家事の残りは、パートナーが担ってくれています。

子どもが偏食で白いごはんとコーンくらいしか食べないから、食事作りも頑張りませんね。でも、そのぶんお米にはこだわって、いいものを取り寄せているんです(笑)。原稿を間に合わせることと、子どもを元気でいさせることだけ大事にしていれば、あとはいいかなと思って……。

家事・育児って、きちんとやろうと思うとキリがないですもんね。

柚木 そうなんですよね。「作家が子育てしてるんだったら、何かしら考えを持っているだろう」「“あえて”の手抜きだろう」とかって思われがちなんですけど、本当に何にも考えていませんし(笑)。

本作の『渚ホテルで会いましょう』『エルゴと不倫鮨』では、“日々の家事・育児と向き合う当事者”じゃない方の人物が、家事・育児を「日々の些事」と表現していました。柚木さんも家事・育児を大きな負担に感じていらっしゃるなかで、「些事」という表現に至ったのはなぜなんでしょうか?

「あのねえ、いいかい? 離婚して愛人と一緒になったとして、いざ二人の生活が始まったら、どうなると思う? 彼女は人の妻だから、それをよく知っていたのさ。日々の些事の中で、消えていくだろう? 純粋な形の愛というものは……」
「日々の些事ですか……」

『ついでにジェントルメン(渚ホテルで会いましょう)』(文藝春秋)より

柚木 向き合うものが違うと、見える世界が変わるんだなと感じたことがきっかけです。新型コロナの流行前に、家族と鎌倉のホテルに行ったんですね。子どもに海を見せてあげたいけど、私、砂浜がすごく苦手で。かかとがガサガサだから、砂を踏むのが本当に苦痛なんです(笑)。

でも、鎌倉だったら高台からいい感じに海が見えるし、都心からも近い。そうしたら、似たようなことを考えているであろう子連れがいっぱいいて、ホテルの売店には虫取り網なんかも売られていたんです。

その様子は『渚ホテルで会いましょう』の描写にも生かされていましたね。

柚木 はい。すると、一緒に行った母が「ここは『失楽園』の舞台になったところで、映画にもこのホテルが出てくる」っていうんです。大人のお忍びカップルにとっては、都会の喧騒からほどよく離れた“いい逢瀬の場所”だったんでしょうね。

でも、子連れの私にとっては、サクッと海を見せてあげられるうえに家事からも解放される“楽できそうな場所”に見えた。同じホテルの話をしているはずなのに、見える世界がこんなに違うことってある? と驚いたんです。

変わるべきは、家事・育児に苦しむ当事者の“周りにいる”人たち

「当事者」と「当事者じゃない人」で、見える景色が違う。一番分かりやすい例は、夫婦間で女性の多くが家事・育児の“当事者”に、男性は“当事者じゃない人”になってしまうようなケースでしょうか。そして、当事者じゃない方は悪気なく「些事」などと言ってしまう……。これはすごくリアルな表現だし、現実でも根が深い問題ですね。

柚木 それどころか、誰かに家事・育児を丸投げしている人ほど、そこを背負っている人に対してうるさく評価してくることがあるんですよね。

例えば、仕事が忙しくて掃除や家族の食事づくりが適当になってしまう気持ちって、当事者同士なら分かりあえることが多い。でも当事者以外の人は「そんなのダメだよ」「もっときちんとやるべき」なんて、厳しい正論をぶつけてきがち。手を動かさない人が言うのはおかしいですよね。「傷ついたことがない人は他人を傷つけることにも鈍感」みたいな話と、通じるものがある気がします。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

こうした認識のズレは、どうすればなくなっていくと思いますか?

柚木 家事・育児に関して言えば、お互いに同等のスキルがあれば変わってくると思います。『エルゴと不倫鮨』では、子どもを抱っこ紐に入れたお母さんが高級鮨店にやってきて、店内にいたデート中の男性たち――特に不倫している妻子持ちの男性は、露骨に嫌な顔をしました。

私は、高級鮨店で若い子と恋愛することがいけないとは言っていないんです。ただ、子連れで鮨を食べにくるお母さんのことも、邪険にしないであげてほしい。あのお鮨屋さんに、ちゃんと家事・育児に取り組んできた男性がいたとしたら、きっとお母さんの気持ちが分かったんじゃないでしょうか。そうすれば、手を貸してあげるという選択肢もあったはずです。

巨大な乳児をエルゴ紐で胸元にくくりつけた、体格の良い中年女性が、甘ったるい乳の匂いを辺りに振りまきながら、ドアの前で仁王立ちしていた。灰色のスウェットのズボンと、所々に母乳らしきシミのあるヨレヨレのカットソーは、部屋着以下のいでたちだった。
その母親はのしのし、と音がしそうな足取りで、東條たちの席から近い、厨房を横から覗ける角席のスツールにどしんと腰を下ろし、重そうなマザーズバッグを床置きした。

『ついでにジェントルメン(エルゴと不倫鮨)』(文藝春秋)より

同等のスキルや経験を身に付けていたら、確かに分かりあえそうですね。それが難しくても、相手の事情を想像してみるだけでずいぶん違ってくる気がします。

柚木 『渚ホテルで会いましょう』では、主人公である初老の男性がワンオペで子育て中の男性をバーに誘い、子連れで現れたことに面食らっていました。そして、子どもにタブレットを見せている姿を苦々しく眺めている。

でもこちらから言わせれば、ワンオペで身近に頼れる人がいない状態だと、子どもも一緒じゃなきゃバーには行けないし、タブレットを見せなきゃ落ち着いて喋ることなんてできないじゃないですか。そりゃあ絵本を読んであげられればいいだろうけど……。家事・育児をしてこなかったその主人公は、そこまで想像力が及ばないんですよね。

私、今回の短編集を通して、育児中の人に伝えたいことって何もないんです。だって、当事者の方たちはもう充分に頑張っていると思うから。もしも可能なら、家事・育児に苦しむ人たちを取り巻く周りの方に、少しでも変わってもらえたらって感じています。

いままで当事者ではなかった方の人たちが、力を貸してくれたらいいですね。

柚木 今回の短編集に収録した『あしみじおじさん』でも紹介したんですが、世界名作劇場の『アルプスの少女ハイジ』や『小公女セーラ』って、弱い立場にいる主人公が強い人に助けてもらうお話なんです。主人公はありのままで自分を曲げず生きていくだけ。

けれど、権力側にいる人たちが変化し、援助の手を差し伸べた結果、主人公は幸せな生活を手にしていきます。アメコミでいえば、ヒーローとして弱い者のために闘う『アイアンマン』も『バットマン』も、表の世界では大富豪なんですよね。こういう“持つ者が持たざる者を支えていく仕組み”は、いまの世の中でも大切なんじゃないかなと感じています。

自分が誰かを踏みつけてきたと感じたら、反省をするいいチャンス

今作では、短編ごとにキャラクターや舞台は違うものの、共通して「思い込みや社会規範からの脱却」が描かれていると感じました。家事・育児についても「女性だけがやるべきタスクではない」という声が当事者から上がるようになり、その考えが少しずつ一般化してきていますね。

柚木 そうですね。ただ家事・育児以外にもジェンダーに関わる話が出ると「男だってつらいんだよ」「でも男は言えないから」とおっしゃる方がいるのですが……。声を上げる女性たちは“自身の権利”の話をしているだけで、今を生きる人間誰しもが持つつらさを否定しているわけではないです。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

確かにそうですよね。

柚木 そういうとき当事者じゃない方は「いまは話を聞くターンだ」ととらえて、当事者の話にいったん耳を傾けたらいいんじゃないかなと思います。

例えば私はスポーツに詳しくないので、テレビ中継で見る有名選手のプレイに文句をつけたり評論したりしないようにしているんですね。それと同じで、ようやく女性が声を上げはじめたのだから、とりあえず傾聴して一緒に考えてみたらいいんじゃないでしょうか。

ただ、反射的に「でも」と言いたくなる気持ちも分からなくはありません……。

柚木 いままで見えていなかった価値観を見せられると、怖くなっちゃいますよね。だけど、後ろ暗いところのない人なんていないし、声を上げる人も他者の人格を否定しているわけじゃありません。

私は、私も含めて誰もが、過去にも一度は誰かを踏みつけていると思うんです。自分が権力側にいることや誰かを踏みつけてきたことが見えてきたら、むしろいい機会だと感じます。男性が優位な社会構造は、きっと男性にとってもしんどいはず。男性自身もときには“主役”を降りてみるくらいの気持ちでいた方が、楽に生きられるんじゃないかなと思うんです。

“主役”を降りてみる、とは?

柚木 例えば『ついでにジェントルメン』にも登場させた、文藝春秋社の創設者である菊池寛は、女性に活躍の場を用意しつつ、チャンスを与えたあとは必要以上に踏み込まなかったといわれています。

ヒーローとしてもっと出しゃばってもいいようなことをしていながら、みずから脇役のポジションへと降りていったんですね。俗っぽいことが好きで、けっこう適当な人だったようだから、とくにジェンダー意識が高かったわけではないと思いますが(笑)。

権力を自覚した人が積極的に“主役”を降りることが、楽に生きるカギになるかもしれない、と。男女で分断することなく、お互いに生きやすい方法を探していきたいです。

柚木 「誰かを踏みつけてきたな」と気づいたときこそ、自分をかえりみるチャンス。そんなふうにとらえて、自分も周りも生きやすい方法を模索していけばいいんじゃないでしょうか。

取材・執筆:菅原さくら
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

あなたの家事・育児の悩みが解決しますように

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お話を伺った方:柚木麻子さん

柚木麻子さん

1981年東京都生まれ。立教大学卒業後、2008年にオール讀物新人賞を受賞。10年に『終点のあの子』でデビュー。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞、2016年同作で高校生直木賞受賞。近著に『BUTTER』『さらさら流る』『マジカルグランマ』『らんたん』など。
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『流浪の月』凪良ゆうさんに聞く、受け入れられない「善意」との向き合い方

凪良さん『流浪の月』アイキャッチ画像

周囲の人からかけられた「やさしい言葉」に、自分でも意外なほどに傷ついてしまった経験はありませんか。社会や世間がよしとしている価値観が自分のそれとは大きく異なる場合、家族や友人、同僚のような近い存在の人たちほど、「心配してるんだよ」「あなたのためを思って言っているんだよ」という言葉つきで、自分の夢や考え方を否定してきがちです。

そんな「善意」の形をしたアドバイスは、悪意からくる陰口や文句とは違い、なかなか正面から拒否しづらいもの。

2020年に本屋大賞を受賞して話題となった小説『流浪の月』は、世間から「誘拐犯」とその「被害者」に仕立て上げられ、世間からステレオタイプな目で見られてしまう青年と少女の関係を描く物語です。『流浪の月』の主人公・更紗は、周囲が自分に向ける「かわいそうな被害者」という善意からの視線に、苦しみ続けます。

『流浪の月』の作者である凪良ゆうさんは、小説の中で、人と人との分かり合えなさや関係のままならなさについて、一貫して書き続けてきました。そんな凪良さんに、「善意」や「世間がよしとする価値観」との向き合い方について、お話をお聞きしました。

※取材はリモートで実施しました

「人と人とは分かり合えない」がベースにある

『流浪の月』あらすじ

凪良さん『流浪の月』アイキャッチ画像

主人公・家内更紗(かないさらさ)は9歳の時、誘拐事件の被害者となった。犯人として逮捕されたのは、19歳の青年・佐伯文(ふみ)。公園で文に声をかけられ、マンションで一緒に暮らしていた2人だが、約2ヶ月後、更紗は出先で保護された。そして、このときの様子が居合わせた人々によって撮影・拡散され、更紗と文の関係は事件の「被害者」と「誘拐犯」として世間に記憶されることとなる。それから15年、24歳となった更紗は、偶然文と再会する――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。

▶凪良ゆう『流浪の月』特設サイト

凪良さんの小説『流浪の月』には、社会や周囲の人々から「ふつう」「正しい」とする価値観を押しつけられ、それに苦しめられ続ける人たちが登場します。自分の気持ちと世間とのギャップに悩む登場人物はとてもリアルだなと感じたのですが、凪良さんご自身にもこれまで、社会的に「よい」「ふつう」とされる価値観と自分の気持ちとの間にギャップを感じたご経験があったりするのでしょうか?

凪良ゆうさん(以下、凪良) そうですね、私はあまりまっとうな生き方をしてきた自信がないので……(笑)。ギャップというよりも、世間が「よい」とする生き方や働き方に対してのコンプレックスみたいなものはある気がします。

例えば私は、会社勤めが全然続かなかったんです。人間関係にヘトヘトになって、すぐに辞めてしまって。

できることなら会社員をもうすこし続けたかった、と思われたりもしますか?

凪良 あっ、いえ、それはないですね。子どもの頃から周りに合わせるということが苦痛で、ずっとできなかったんです……。

もちろん、生活のために自分のやりたくない仕事でも歯を食いしばってこなしている方はたくさんいると思いますし、そうやって働いている方のことは心から尊敬しています。ただ、その世界になじめるように努力するというのは私の生き方ではないな、と感じたというか。

なるほど。会社員をされていたとき、いちばん苦痛に感じたのはどんなことだったんでしょう?

凪良 すごく小さなことで申し訳ないんですが、いただきもののお菓子を前にして、それをどう分けるともっとも公平か、というのを社員みんなで30分ぐらいかけて話し合ったことがあったんですよ。

本当に無駄な時間だったんですが、やっぱりそういう場に参加しないことも難しくて。そのときは、頼むから帰らせてほしい、とずっと思っていましたね。

30分……。確かにそれはちょっとつらいです。

凪良 それに私が働いていた当時は、なぜか若手の女性社員だけが全員分のお茶くみをするという決まりがあったんです。コーヒーメーカーもなかったので、ハンドドリップで淹れなきゃいけなくて。小さな会社だったんですが、社員全員分を手作業で淹れるって本当に大変なんですよね。

嫌々やっていたら、年配の男性社員に「そんな顔で淹れられたらおいしくない」と言われたこともあります。そのときは謝ったんですが、「人にお茶淹れてもらってる上に文句を言うってどういうこと?」と怒りが湧いてきて、本当に無理だと……それでもう、とにかく早く辞めたいと思うようになりましたね。

それは本当に理不尽ですね。

凪良 私が会社勤めをしていた頃からは20年近くたつので、そういった男女格差も多少は是正されてきていると思うんですが、まだまだ根強く残っている会社もあるでしょうね。

それに加えて、いま日本はいちど失敗してしまうとそこから這い上がるのがなかなか難しい国になってきているように思います。

確かに、失敗に関して不寛容な風潮は少なからずあるように感じます……。

凪良 そのため、夢があったとしても失敗を恐れて仕事を辞めるという選択肢をとりにくいこともあると思います。だからいま会社員をされている人たちは、私が若かった頃よりも数段しんどいだろうな、とは感じます。もちろん、同時に働き方も多様化してきているとは思うんですが。

そうですね。凪良さんご自身は、ふだん周りのお友達や知り合いの方と話していて、働き方や生き方に関する価値観の違いを感じることはありますか?

凪良 その人の置かれている環境や立場によって意見は変わると思うので、自分とは違うな、と思うことはよくありますよ。よく遊ぶ友達には独身で仕事をしている女性が多いんですが、中には結婚してお子さんがいる人ももちろんいますし。

……これは自分が小説で書き続けていることにも重なるんですが、「人と人は分かり合えない」というのが私の基本的な考え方なんです。分かり合えないからこそ、「分かる」と感じられる一瞬があったらもうそれで十分だなと。もちろん、人の話を聞くときは、なるべく相手の立場に立とうとは努力するんですけどね。どんな相手であっても、どこかで分からないところは絶対に出てくるだろうとは思っています。

「善意の形をしたアドバイス」とどう向き合う?

『流浪の月』には反対に、相手のことを「分かっている」という前提に立って、主人公の更紗をかわいそうな被害者と決めつけてアドバイスしてくる人たちが出てきますよね。更紗にとってはそのアドバイスは見当違いに感じられるし、「気遣い」の形をとっているからこそ真正面から否定もできず、ただ傷ついてしまうという……。

凪良 うん、そうですね。

凪良さんは、実際にそういった見当違いな「善意のアドバイス」を人からされたとき、どうすることが多いですか?

凪良 私自身は、「うんうん、そうだよね」ってそれを聞き入れた3秒後ぐらいに忘れるタイプです(笑)。3秒は言い過ぎかな。でも、家に帰る頃にはほとんど覚えていないかもしれないです。

中にはとても腹が立って、それをどうしても思い出してしまうってこともありますけど、そういうときは心の中で意識的に「忘れよう、忘れよう」と繰り返して、頭が切り替わってくれるのを待ちますね。

アドバイスをしてきた相手に悪意がなさそうな場合、完全に聞き流すのも申し訳ないな、と思ってしまいませんか……?

凪良 もちろん、何もかも聞き流して忘れようというわけではないんですが、「どう考えても、この意見はいまの自分にとって必要じゃないな」と感じることってあると思うんです。

例えば私が作家になりたくて小説を投稿していたとき、「なれるわけないでしょ」みたいな言葉をかけられることがときどきあって。そう言われても私はやってみる、と決めて投稿を続けた結果、なんとか無事に作家としてデビューすることができたんですが、その言葉で諦めていたら絶対に後悔していたと思います。

「やっても無理だよ」とか「無駄だよ」というアドバイスは基本的に聞かなくていいというのが自論なんですが、それもやっぱり自分で判断するべきことだと思うんです。ただ、まず自分の気持ちを分かっていないとその判断もできないと思うので、自分はいま何がしたくて何をしたくないのかというのは、常にある程度はっきりさせるようには意識しています。

それがはっきりしているからこそ、相手から何を言われても動じないということですね。では、自分の中にはない意見や予想外の考え方を提案されて、それがすごく心に響く、ということもあまりないですか?

凪良 あ、でもそれはありますよ。私はすごく人見知りで、知らない人と話す予定があるとその日までずっとソワソワしてしまうんですが、すこし前に知人から「でも、新しい話を聞けるのって楽しいよね」と言われたのが不思議とスッと腑に落ちて、「そうか、楽しめばいいのか」と思えたことがあったんです。

……だから、人にかけた言葉が相手に響くかどうかは、あくまでタイミングと関係性によるということに尽きるのかもしれないですね。アドバイスをするほうもされるほうも、内容以前に「人の言葉を本当に必要としているかどうか」を見極めるのが大事なんじゃないかと思います。

確かに。明らかにその人の中で方針が決まっていることに対して口を出すのは、余計なおせっかいにもなりそうですし。

凪良 そうですね。ときにはこの人と自分の関係であれば大丈夫かな、と思ってすこし踏み込んだことを言うケースもありますけど、それを「受け止めてもらおう」とか「どうにか分かってもらおう」とするのは違いますよね。

私は基本的にそういうときも、「私が言いたいことを言うね」と前置きした上で自分の言いたいことを伝えるだけにしています。

そのためにはやはりまず、「自分はこう思う」「自分はこれがしたい」ということに自覚的になる必要がありそうですね。中には、自分がどう思っているか、何をしたいかが分からず悩んでしまう人もいそうだな、と感じたのですが……。

凪良 本当に難しいですよね。『りっすん』の読者は20代から30代くらいの方が比較的多いとお聞きしたんですが、そのくらいの年代って社会人として迷いが多い時期だし、特に女性の場合は結婚や出産にまつわる選択も絡んでくるから、どれかひとつのことに絞って悩めないというのもすごくしんどいと思います。仕事のこともプライベートのことも同時に考えなくてはいけないという、息つく暇もない時期ですよね。

……でも、当時を振り返って思うのは、自分が本当に何をしたくて何をしたくないかというのは、たぶん、その歳じゃはっきりとは分からないです。常にそのことを考え続けて、失敗もたくさん繰り返さないと分からないことなんじゃないでしょうか。むしろ、そういうことをできないのが当たり前の年齢だと思うので、できないことに傷つかないのが大事なのかもしれないですね。みんなできてないはずだから。

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自分のことを信じていないと、小説は一行も書けない

お話をお聞きしていると、凪良さんは自分の考えや気持ちというものを一貫して大切にされてきた方なんだなと感じます。

凪良 もともと私は気が弱いし、小さなことで悩んでしまうほうなんです。だからこそ、人の考えによってあまり自分を変えられたくない、気持ちをできるだけぶらさずにいたい、というのは強く意識しているかもしれないですね。作家という職業柄、いろいろなものを受け入れ過ぎて自分がなくなってしまうと、ものを書くことができなくなってしまうので……。

以前、ほかの作家さんと話していたときに、「自分のことを信じていないと小説は一行も書けない」という話題で盛り上がったことがあって。自分のことを信じていたいからこそ、自分の中に取り入れるものと入れないものの取捨選択は、人よりも厳しくしているかもしれないです。

「自分のことを信じていないと小説が書けない」というのは、具体的にどういうことでしょうか……?

凪良 物語って、最初のページから最後のページまで背骨のようなものが1本すっと通っていないと、途中で折れてしまう気がするんです。その「背骨がしっかりしている」というのが、自分を信じていることにも繋がっていると思うんですよ。

私は小説を書く際、登場人物にできるだけなりきってその人の気持ちを書くタイプなのですが、そうはしつつも土台には必ず自分自身がいる。あんまりなんでも受け入れ過ぎると、その土台がグラグラしてしまうと感じるんです。

もちろん、いろいろなものを受け入れて、背骨のようなものをどんどん太くしていくタイプの作家さんもいらっしゃるとは思うんですが。

「登場人物になりきって書く」となると、登場人物の気持ちや行動を書く際、凪良さんご自身の心境や体験をそのまま反映させることもあるんでしょうか?

凪良 そのままストレートに出す、ということはしないですね。もちろん自分は日々のできごとに対していろいろなことを考えますが、それをそのまま出しても小説にはならないので、たとえ勢いに任せて書くことがあったとしても、見直す中でどんどん文章が手直しされていきます。だから、精査されて最後に残った文章が、自分が最初に考えていたこととはちょっと違っていることもありますし。

凪良さんが書こうとしていた気持ちとは違うことを、登場人物が結果的に語り出す場合もある……ということでしょうか?

凪良 というよりも、自分の内側にあるものが怒鳴り声であるとしたら、それが小説になるときはささやき声になっているとか、乱暴だった言葉が人に伝わりやすい言葉に変わっているとか、そういうことですかね。

誰しも、家族や友人と喋るときと赤の他人と喋るときでは言葉遣いが変わると思うんです。でも、言葉は違っても自分の言いたいことそのものは変わらないじゃないですか。だから、そのとき書いている物語の形にいちばん沿う文章を毎回選んでいる、というような感覚です。

なるほど、創作にまつわるお話もとても興味深かったです。5月13日からは、『流浪の月』の映画が公開されました。凪良さんが書かれた小説が映画として多くの方の目に触れることに関して、率直にいまどんなお気持ちでいますか?

凪良 媒体が変わると表現方法も大きく異なるはずなので、同じ『流浪の月』と言っても、映画はあくまで監督してくださった李相日さんのものだと思っているんです。だからもう、原作者という立場からは離れて、いまは一視聴者として純粋に楽しみにしています。

試写を見させていただいたんですが、俳優さんたちから音楽、撮影に到るまで、とにかく素晴らしいのひと言でした。映画にするのにこれ以上の『流浪の月』はないだろうと思うので、これからご覧になる方には自信を持っておすすめしたいですね。

取材・執筆:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:凪良ゆうさん

凪良さんイメージ画像©山口宏之

京都市在住。2007年に白泉社よりデビュー。各社でボーイズラブ作品を精力的に刊行し、一般文芸における初単行本『流浪の月』で2020年本屋大賞を受賞。『滅びの前のシャングリラ』が2年連続本屋大賞ノミネート、「キノベス!2021」1位を受賞。その他の著書に〈美しい彼〉シリーズ、『神さまのビオトープ』『わたしの美しい庭』などがある。
Twitter:@nagira_yuu

みんな孤独だからこそ、私たちは手を取り合える。『対岸の家事』著者・朱野帰子さん

朱野さんトップ

自分の意思で専業主婦(主夫)を選び、家族間で納得している。それなのに周囲から「働かないの?」と言われ、モヤモヤしてしまう。子どもを保育園に預けて仕事に復帰したら「子どもがかわいそう」と言われる。それぞれが納得して選んだ道であるにもかかわらず、生き方の違う者同士では、どうしても対立が生まれがちです。

テレビドラマ化もされた『わたし、定時で帰ります。』では“残業しない”主人公を描き、「労働」と「社会」の問題を映し話題を集めた、小説家の朱野帰子さん。そんな朱野さんが著書『対岸の家事』で描いたのは、“家事”という労働のこと。作中では家事育児を起点とした専業主婦やワーキングマザー、育休中の男性をはじめとした、さまざまな立場での葛藤、そして互いに手を取り合う過程が描かれています。

生き方が多様化し“正解”が分からない今、性別や年齢、立場に振り回されることなく「それぞれの生活」を尊重し、時には手を取り合うためにはどうすればいいのでしょうか。『対岸の家事』の作品背景とともに、朱野さんに伺いました。

***

誰もが「自分の人生は間違ってない」と思いたい

『対岸の家事』あらすじ

対岸の家事

家族のために「家事をすること」を仕事に選んだ、専業主婦の詩穂。娘とたった二人だけの、途方もなく繰り返される毎日。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷う彼女のまわりには、性別や立場が違っても、同じく現実に苦しむ人たちがいた。二児を抱え、自分に熱があっても休めない多忙なワーキングマザーの礼子。医者の夫との間に子どもができず、姑や患者にプレッシャーをかけられる主婦・晶子。外資系企業で働く妻の代わりに、二年間の育休をとり、1歳の娘を育てるエリート公務員・中谷。誰にも頼れず、いつしか限界を迎える彼らに、詩穂は優しく寄り添い、自分にできることを考え始める――。

▶『対岸の家事』(朱野 帰子) - 講談社文庫

「対岸の家事」は、自分の意思で専業主婦になることを選んだ27歳の詩穂を主人公とした物語です。家事・育児の中で感じる孤独感の描写には、共感の声も多かったのではないでしょうか。

しょせん、主婦の話だ。たかが、家事の話だ。
地味で、盛り上がりに欠ける。会社で働いている人たちには退屈だろう。
途中で遮られ、溜め息をつかれて、甘いと言われて、目を瞑られて、終わりだ。
みんな詩穂のことを吞気だと言う。主婦の話題になると、時流がどうだとか時代の趨勢がどうだとか言う。でも違う。そんな壮大な話をしたいわけではないのだ。
ぽっかりと空いた穴と、その穴をあきらめずに埋めていく日々の話をしたいのだ。
どんな時代でも、誰かがやらなければならない家事という仕事の話がしたいのだ。

『対岸の家事』(講談社)より

朱野帰子さん(以下、朱野) ありがたいことに、好意的に受け止めてくださる人が多かったです。専業主婦の方からは「自分の気持ちが言語化されていた」「読んで泣いてしまった」などの感想をいただきました。私は専業主婦の当事者ではないから、勝手に想像で内面を書いていいのかな? と迷いもあったんですが、「孤独な気持ちを書いてもらえた」と褒めていただけたのはうれしかったです。

専業主婦(主夫)の方のつらさはなかなか大っぴらに言いづらく、また理解されにくいものなのかなと感じます。

朱野 表では「私は家事と育児しかしてないから、働いている人に比べたら全然大変じゃないですよ」って言う方も少なくないですよね。でも、つらさを打ち明けても笑われたり叩かれたり無視されたりするだけだから、言ってないだけっていう人もいると思います。

小説の序盤でも、ワーキングマザーの礼子が「家事なんて仕事の片手間にできる」と陰口を言うシーンがありますね。 それぞれ自分の持ち場で働いているはずなのに、今の時代「家事労働」にコミットするのは特別な事情があったり、経済的に余裕があったりする人くらい……と捉える人は少なからずいるように感じます。

「イマドキ、専業主婦になんかなってどうするんだろう」
取りに戻って引き戸を少し開けると、礼子の声が聞こえて、詩穂は立ち止まった。
「絶滅危惧種だよね、このあたりでは。地方にはまだたくさんいるかもしれないけど」
「家事なんて、いい家電があれば仕事の片手間にできるし、専業でいる意味あるのかな」
「旦那がお金持ちなのかな。でも、そうは見えなかったよね」
「まだ二十五歳だって。情報弱者っていうか、時流に乗り遅れちゃったんだろうね」
最後に言ったのは礼子だった。

『対岸の家事』(講談社)より

朱野 「外で働いてGDPに貢献することこそが仕事である」というのは、実は私自身内面化していた考え方でした。私はずっと自分のことを“レジスタンス側”だと思っていたんです。専業主婦が圧倒的多数だった時代を知っているので、少数派のカウンターとして「働きながらでも子育てはできるじゃん」「離婚したらどうするの?」という反発心を持って頑張っていたつもりでした。

事実、「小さい子がいるのに働くなんてかわいそう」「保育園に子育てを丸投げしてる」など、ワーママ(ワーキングマザー)が集中砲火を浴びた時代もあったと思うんですよね。

「子どもがかわいそう」という言葉への罪悪感は、今もそうですが、かつてはより強いものだったのかなと思います。

朱野 でも共働き世帯と専業主婦世帯の数は、実は1990年代に逆転している。「女は家庭に入れ」という価値観を押し付けられている側だと思っていたのに、気づけば自分が「専業主婦なんて」と価値観を押し付ける側になっていたと気づいたときはすごくショックでした。

何かそれに気づいたきっかけがあったのでしょうか。

朱野 礼子が陰口を言うシーンは、結婚して専業主婦になった学生時代の後輩から聞いた話が元になっています。彼女は自分の意思で専業主婦になることを選び、子育ても楽しんでるんですが、子どもを連れて児童支援センターに行くと周りは何らかの仕事をしている人ばかり。

「仕事は何をしてるの?」という質問に「家事と育児」と言うと、「まあ、今はそうだよね。育休中だよね」みたいにスルーされてしまうと。その話を聞いて初めて、現代の専業主婦が置かれたアウェイな状況を知ったんです。

礼子がのちに自身の発言を詫びるシーンで、「自分の選んだ人生は間違ってなかったと思いたかった」と話しますよね。自分と違う生き方を否定したくなる心理の源流はそこなのでしょうか。

「ずっと謝ろうと思ってた。怖かったんだと思う。……うちの母も主婦だったから、違う道を歩むのが怖かった。ワーキングマザーなんて私に本当にできるのかなって。だからイマドキ専業主婦なんてって言って、自分の選んだ人生は間違ってなかったんだって思いたかった」

『対岸の家事』(講談社)より

朱野 かつては「新卒で企業に就職して定年まで勤め上げる」「専業主婦になって家庭を支える」という、ある種“主流の生き方”みたいなものがあったと思うんです。「こうしていれば絶対に責められることはない」というような。それが就職氷河期を迎え、“主流”から外れざるを得ない若者が増えた。

女性の社会進出も働きたいと思う人が働けるようになった、という側面もありますが、生活のために「共働きでないとやっていけない」というのも変化の背景としてあるように感じます。

朱野 今の若い世代では、転職は珍しいものではなくなったし、「結婚はしてもしなくてもいい」「男らしさ/女らしさにとらわれなくていい」などもあり、生き方が多様化しています。『対岸の家事』の登場人物たちはまさに過渡期というか、その間にいる人々。何を選べば正解なのか分からないからこそ孤独で不安で、「自分は間違っていない」と思いたいのかなと思います。

“つらさ合戦”から抜け出すためにできること

『対岸の家事』では、詩穂と礼子、それから育休中の公務員である中谷、立場の違うそれぞれが最初は対立しながらも徐々に弱みをさらけ出し手を取り合っていく様子が描かれています。でも現実では、「私が一番つらい」「いや、私の方が」と“つらさ合戦”で溝が深まることも多いように思います。それを避けるために、どんなことを心がけると良いと思いますか?

朱野 小説を読んでほしいなあと思います。できれば、自分と全然違う立場の人が登場するものを。自分と似た立場の人が出てくる物語を読んで「一人じゃないんだな」と感じることも大事なんですけど、違う国籍の人、違う業界で働く人、違う世代の人の話を読むと、「それぞれに事情があってみんな孤独なんだな」と分かるようになる気がするんです。

朱野さんも、ご自身とはまったく違う属性の人が登場する小説を読みますか?

朱野 「絶対分かりたくない!」と思う人のエッセイや小説、けっこう頑張って読んでますよ。SNSでは喧嘩しちゃうような相手でも、小説になると手を繋ぎたくなるような思いが生まれたりするんじゃないかなと感じていて。

なので、『対岸の家事』にはいいことばかり書かないようにしました。礼子も、キラキラした素晴らしいワーママとしては描かない。主婦を見下したり「暇だよね」と思っているところもあります。私も礼子や中谷は、SNSで見たら腹が立つと思います。

ただ、小説の中だと彼・彼女たちの生い立ちや生活を見れるので、捉え方は変わるかもしれない。SNSでは見えない生活や、“みんな違ってみんないい”ではない、リアルな多様性を描けるのが小説なので。さまざまな小説を読んで自分を混沌とさせる。白黒分けずにその混沌とした状態をキープしておくのは、私自身も心がけていることです。

相手を知ることで、敵対心や嫌悪感がより強まることはないのでしょうか。

朱野 私はSNSで考え方が合わない人もフォローしていて、自分と価値観が同じ人と正反対の人と、両方タイムラインで見るようにしています。「それは違う」と思うこともありますし、意見が正反対の人同士が罵り合うのを見るのはしんどいです。でも、この意見は合わないけどこっちの意見は合うって思えたり、私にはない考え方に出会えたりもします。

自分と違う価値観やライフスタイルを知ったからと言って、自分の価値観が大きく変わることはないと思います。ただ、相手のことをたくさん知った上で「じゃあ私はどうするのか?」を考えるのが大事なのかなと思っています。

同じ属性の中に閉じこまらないように心がける、ということですね。

朱野 似た物同士で集っていると、人はどんどん孤独になる気がするんです。自分たちの結束を強めるために敵を作るじゃないですか。そうすると、“敵”の属性の人とは関われなくなる。それを繰り返しているうちに、どんどん敵が増えて孤独が深まっていくんじゃないかと怖いんです。

朱野さん画像

たとえ相手を好きでなくても、支え合うことはできる

“つらさ合戦”をやめられたとしても、礼子や中谷のように他人に弱みを見せられない、つらいのに人に頼ることができないという人は多そうです。

朱野 『対岸の家事』の登場人物はみんな極限状態なんですよね。でも、本当に大変なときって、人は異なる立場を飛び越えて手を結ぶことができると思っているんです。実は私自身が過去に一度、専業主婦家庭のご家族に助けられたことがあって。

そのお話、ぜひ教えていただきたいです。

朱野 産後うつのような状態になってしまったとき、仕事関係の知人に「本当に(メンタルが)危ないときがあったんですよね」と冗談っぽく話したら、「うちに来なさい」と言われたんです。いやいや、そんなに親しい間柄じゃないし奥さんのことも知らないし……と躊躇したんですけど、本当はそのときもかなりつらかった。「今この人に頼れなかったら一生誰にも頼れない」「ここで弱みを見せることこそ強さなのだ」と覚悟を決め、お家に伺いました。

声をかける側も朱野さんも、どちらにとっても勇気のいることだったと思います。実際行ってみてどうでしたか?

朱野 ごはんを作ってもらって、子どもはその家のお兄ちゃんと遊んでもらって、私は一日話を聞いてもらって、ゆっくりと過ごすことができました。専業主婦の奥さんから「私もずっと孤独な子育てでつらかった」という話を聞いたことで自分のつらさも自覚できて、「精神的にけっこう危ない状態なんだな」と気づき、カウンセリングも受けるようになりました。

極限状態だったからこそ人に頼ることができたんですね。その前段階でできることがもしあるとすれば、どんなことだと思いますか?

朱野 私のように人に弱みを見せたり頼ったりするのが苦手な人は、まずは顔見知り程度の人から話しかける訓練をしてみるといいと思います。たとえば幼稚園や保育園の親同士だけど話したことはない、という人に挨拶をするとか、ちょっとしたことから。慣れてきたら天気の話につなげたりして、少しずつ話す訓練をしてみる。

仕事モードではない会話の練習をする、と。

朱野 ビジネスパーソン脳で生きていると、地域社会で知らない人と話すことってすごく難しいんです。だから、子どもと公園に行って他の親子に会ったら「この人はどういう人なんだろう?」と相手を探りながら一緒に砂場で遊んでみるとか、そういう訓練はやっておいた方がいいのかなと思っています。

専業主婦の方たちは、ストリートで出会う知らない人たちとコミュニケーションをとりながらネットワークを築いてずっとやってきたんですよね。楽しくて近所の人やママ友と一緒にいるというよりも、それも仕事の一つで、生きるためのスキルとして。

『対岸の家事』にも「主婦の仕事は味方を増やしておくこと」という言葉が出てきますよね。

朱野 さらっと書いたけれどすごく難しいですよね。地域社会ってきれいごとじゃないんです。いろんな人がいて、全く価値観が違う人とも付き合っていかなきゃいけない。嫌だからフォローを外すわけにもいかない。「ほんわかした世界」ではない。

そうして主婦の方が積み上げたネットワークで得た地域情報や、知見に助けられることも少なくないように思います。

朱野 地域の相談窓口とか張り紙でしか得られない情報を知っていることも多いですよね。地域社会の情報ってネットに出ないものが多いじゃないですか。地元の小学校の情報を持っていたり、学校のプリントで「持ってきてください」と言われた、どんぐりが落ちている場所だとかを知っていたり。主婦の人たちの持っている情報に、外で働いている人は助けられることも多い。

「専業主婦(夫)か会社などで働く人か」に限らず、属性が違ったとしても、相手に敬意を持ちながらお互いに歩み寄れるといいですよね。

朱野 でも、無理に相手を好きになる必要もないんです。お互い嫌いでも、理解し合えなくても生きるために支え合えばいい。相手を尊重しつつ一緒にいるだけでいい。育児だけでなく、介護などでもそうだと思いますが。

詩穂、礼子、中谷のように普段は交わることのない人たちが手を取り合うことは、現実世界でも起こりうる。「意外とそんなこともあるよ」っていう面白さみたいなのを、私は小説を通して描きたかったのかもしれません。



取材・執筆:鼈宮谷千尋

一人ひとり違う「働き方」を尊重するには

ブランク8年から再び働くようになるまで
専業主婦を経て再び外で働き始めた私が、不安を乗り越え手にしたもの
世間では(多分)珍しい生活に奮闘
「妻が単身赴任するってどうなの?」世間では(多分)珍しい生活に奮闘し感じたこと
「私だって働きたかったのに」と夫を責めず、笑ってキャリアを譲るには
「私だって働きたかったのに」と夫を責めず、笑ってキャリアを譲るには

お話を伺った方:朱野帰子さん

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1979年東京都生まれ。2009年、『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。2015年、『海に降る』がWOWOWでドラマ化される。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』は働き方改革が叫ばれる時代を象徴する作品として注目を集める。その後刊行した続篇『わたし、定時で帰ります。ハイパー』(文庫版は『わたし、定時で帰ります。2 打倒!パワハラ企業編』に改題)と併せてTBSでドラマ化されたことでも話題に。『わたし、定時で帰ります。―ライジング―』はシリーズ第三弾となる。他の著書に『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』『対岸の家事』『くらやみガールズトーク』などがある。
Twitter:朱野帰子 (@kaerukoakeno)

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異動後に仕事ができないと感じたら。変化に対応する「アンラーニング」のすすめ

松尾睦さんインタビュー記事トップ写真

仕事に慣れてくると、次第に自分なりの仕事の「型」ができてくるものです。それは、日々の仕事を効率化させるのに不可欠な一方で、異動や転職などで環境が変わってからも既存のやり方にこだわり続けていると、仕事のパフォーマンスを大きく下げてしまう可能性も。

近年、社会状況が目まぐるしく変化するなか、注目を集めているのが「アンラーニング」です。アンラーニングとは、既存の知識やスキルをあえて手放し、新しいスタイルを取り入れること。これまでの仕事のやり方に手詰まり感を覚えている人にとって、この考え方はヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

そこで今回は、経験学習やチーム学習に詳しい北海道大学大学院教授の松尾睦さんに、アンラーニングの基本的な考え方から、実際にアンラーニングを実施するためにはどうすればいいのか、話を伺いました。

うまくいかないのは「成功の罠」にハマっているから?

松尾先生は著書『仕事のアンラーニング』のなかで、「身につけた自分の型を問い直し、ほぐして、組み替える」ことの必要性を指摘されていました。そもそもアンラーニングとは、どのような概念なのでしょうか?

松尾睦さん(以下、松尾) 簡単に言えば、古くなった知識やスキルを意図的に捨てつつ、新しい知識・スキルを取り込むことが「アンラーニング」と言えます。つまり、有効性が低下したノウハウを使用停止にして、より有効なノウハウに入れ替える「アップデート型の学習」です。もともと組織レベルの研究から生まれた概念なのですが、近年は個人レベルでも注目されるようになってきました。

例えば、かつては活躍していたけれど、いまは鳴かず飛ばずの「昔のヒーロー」と呼ばれる営業マンの話を聞いたことがあります。彼は東京で素晴らしい業績をあげ、鳴り物入りで札幌にやってきたにもかかわらず、思ったような成果が上がらなかった。周囲の人たちに理由を聞いてみると、東京と札幌ではマーケットも顧客のタイプも違うはずなのに、自分が成功したときのやりかたにこだわってしまって、東京と同じ売り方をしようとしていたからだと。このことを「成功の罠」や「有能さの罠」と呼んだりしますが、成長を続けるためには、アンラーニングすること、つまり学びほぐしが必要なんです。

近年、特に注目を集めるようになってきたのは、どうしてなんでしょうか?

松尾 コロナ禍を経て、環境が大きく変化したことがやっぱりひとつの理由ですよね。いま、日本人がこれまで得意としていたフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションが通用しなくなってしまって、これまでのスキルや働き方が問われている。個人レベルでもアンラーニングをしていかないと、パフォーマンスが保てない時代になってきたということなのだと思います。

松尾睦さんインタビュー写真1

これまでとは違った環境に適応していくために、新しい知識やスキルをインプットすることの重要さはイメージしやすいのですが、いったん既存のノウハウを捨てることも同じように重要なんでしょうか?

松尾 「捨てる」という言葉がやや誤解を生むかもしれないのですが、大切なのは「枠組みやスタイルを組み替える」ことです。自分にとって基盤になっている考え方ってありますよね。例えば「仕事とはこういうものだ」とか、「対人関係はこうあるべきだ」とか。その枠組みを一切変えずに新たなスキルやメソッドを持ってきて使おうとしても、大きく変化した環境においては、対応できないことが多い。だから、新しい知識や情報を溜め込むだけではなく、自分の枠組み自体を問い直し、ときには組み替えることが必要になってくるんです。

異動や転職での挫折がアンラーニングのチャンス

では実際にアンラーニングを実行するためには、どうすればいいのでしょうか?

松尾 アンラーニングには、「内省」「批判的内省」の2つが重要だと言われています。「内省」は、普段の仕事の仕方を振り返ることであるのに対し、「批判的内省」はそれよりも一段階深い内省です。具体的には、日頃当たり前だと自分が捉えている価値観やスタイルが本当に正しいかどうか、疑問を持つことが「批判的内省」に当たります。

例えば、「人は叱らないと育たない」と思っていた人が、褒めた方が伸びる人もいると部下に指摘されたことをきっかけに、自分の指導の仕方について深く内省した、というエピソードがあります。その結果、その人は自分自身が親から叱られて育ったけれど、子どもの頃はそれが苦痛だった、ということを思い出したらしいんです。それを踏まえ、指導スタイルそのものを全て変えるとはいかずとも「3割は褒める」ことを意識したら、相手も成長し、自分自身も気持ちよくコミュニケーションがとれるようになったそうです。

そんなふうに、自分にとってショッキングな出来事や壁にぶつかったことをきっかけに、自分のなかで内省がぐっと深まるタイミングというのがときどきあるんですよね。いつもは閉じている心の蓋がパカッと開いて、自分でも意識していなかったような価値観や前提が見える瞬間。それこそが批判的内省です。

ただ、その蓋は普段から内省ぐせをつけて、「自分の仕事のスタイルや考え方って本当にこれでいいんだろうか?」と考えていないとなかなか開かないので、日常的に行う内省と、批判的内省の二段階で考えることが大切だと思います。

逆に言えば、異動や転職などで環境が変化し、自分のやりかたに課題を感じたり躓いたりしたときこそ、アンラーニングのためのチャンスと捉えていいのでしょうか?

松尾 おっしゃるとおり、部署を異動したり昇進したりして仕事がうまくいかない状況はアンラーニングのチャンスです。「いままでのやりかたがここでは通用しないな、なんでだろう?」という壁にぶつかったときに、いちど自分の基本的な価値観や仕事の進め方を疑う習慣をつけると、アンラーニングしやすくなります。

それから、失敗と同じくらい成功もチャンスです。「成功しているときほど、その理由やもっと成功するやりかたを考えろ」というのは本田宗一郎やドラッカーがよく指摘していることですが、成功の表面的な部分だけにとらわれてしまうと、最初にお話ししたような「成功の罠」に陥ってしまう。そうならないためには、成功の奥にある核となる理由や原理を教訓として得るべきなんです。

ただ、内省と一言で言っても、どのように振り返りを行えばいいのか悩む人も多そうです。内省するときのポイントはあるのでしょうか。

松尾 私の研究で、「業績志向」と「学習志向」という仕事に対する2つの向き合い方にタイプを分け、アンラーニングに与える影響を調査したのですが、分析の結果、学習志向がアンラーニングに効果的であることが分かったんです。業績志向は、「他者から承認されたり、高い評判を得ること」を重視するタイプ。学習志向は、「自分の能力を高め、学ぶこと」を重視するタイプです。

このことから、内省するときには「自分を成長させる」ことに着目することが有効だと言えます。つまり、失敗あるいは成功したときに、他人の目を気にするのではなく「自分は仕事人・人間として成長するためには何を変えればいいのだろうか」と考えるクセをつけると、アンラーニングにつながりやすいのではないかと思います。

松尾睦さんインタビュー写真2

なるほど。人からの評判を目標にするのではなく、自己成長に着目することが重要だと。

松尾 それと、すこし難しいことではありますが、「今の仕事のやり方は状況や時代、相手が変わっても通用するだろうか?」と立ち止まって考えてみるのも大事なのだと思います。それにより、自分が大事にしている価値観は維持しつつ、方法を変えてみることにつながります。

例えば、お客さんを接待する「御用聞き型営業」を得意としていた営業マンがそうした売り方を止めて、相手企業の問題を解決する「提案型営業」に変えることで業績を上げたそうです。どちらも「顧客志向」という価値観は同じだけれど、その方法をアンラーニングしたことで成果が上がったわけです。つまり、「顧客志向」は捨てる必要はないのですが、顧客を満足させるアプローチを試行錯誤して変えると、アンラーニングがしやすくなるんです。

日常業務のなかに少しずつ実験的時間を設ける

お話をお聞きしていると、アンラーニングのためには内省を習慣化することがとても大切なのだと感じます。「内省ぐせ」をつけるためには、日常的にどのようなことができるでしょうか。

松尾 内省を習慣化するためには、毎日、あるいは毎週決まった曜日に振り返るクセをつけるのがひとつの方法だと思います。私は毎朝、起きてすぐに前日のことを5分くらい振り返るようにしていて、10年くらいそれを続けています。

私の場合、振り返った内容を文書化すると面倒になって続かないと分かっているので、頭で考えるだけにしていますが、なかには通勤電車にメモ帳を持っていって、自分の学習目標や得た教訓をチェックリストにしておき、それの達成・応用ができるたびにチェックをするという人もいました。内省のやりかたや頻度は人によって向き不向きがあるので、気軽に習慣化しやすい方法をいろいろ試してみるといいと思います。

忙しくなると振り返りがおろそかになってしまうこともあると思うのですが、決まった時間にやることが大切なんですね。

松尾 あとは、「ロールモデルを見つける」のもいいですね。ロールモデルがいれば、常にその人をモノサシにして比べることで、自分の考え方や仕事の仕方をチェックすることにつながります。

身近な先輩や上司がロールモデルになればとてもよいですが、周囲にそのような人がいない場合は、歴史上の人物や有名人がロールモデルになることもあるんじゃないかと思います。例えば、あるマネージャーの方は「山本五十六が自分のロールモデルだ」と言っていましたし、本や映画を通してロールモデルに出会うこともありそうです。

ロールモデルになりうる人は、必ずしも身近な人だけではないということですね。ただ、実際にアンラーニングを進め、新しいスタイルを試していく段階で、気付けば元のスタイルに戻っていたということもありそうですよね。

松尾 そうですね。それを防ぐためには、アンラーニングをする上でのパートナーを見つけたり、チームを組んだりするというのが有効だと思います。

例えば、同僚や気の置けない友人などにあらかじめ「ちょっとこれを変えようと思っているから」と伝えて、定期的に面談の機会を設けるとか。あるいは、違うテーマでお互いにアンラーニングのサポートをし合う、というのもいいかもしれないですね。アンラーニングのコミュニティを作って、定期的に進捗や困っていることを相談し合う場にする。そういったやりかたならオンラインミーティングでもできるので、コロナでリモートワークが増えた方も実践できるのではないかと思います。

なるほど。お話を聞いていて思ったのですが、アンラーニングをし、新しいスタイルを実践していると、どうしても途中で一時的に壁にぶつかり、仕事のパフォーマンスが落ちてしまうこともあるのではないでしょうか。そういった失敗や挫折は、多少我慢しながらも続けるべきですか?

松尾 部下を育てるのが上手なマネージャーは、「全体の業績に影響しないちょっとした仕事」で部下にいろいろな実験をさせる傾向があります。それと同じで、大切なのは、自分の仕事時間のなかで1割でもいいから実験的な時間を設けてみることです。

最初から10割を変えようと思ったら本当に大変ですし、失敗したときのリカバリーもききにくいので、「ちょっとこれは変えてみよう」という実験をリカバリーがきく範囲の業務でまずはやってみるのがいいと思います。違うな、とすぐに思ったらやめればいいし、いろいろ試してみるなかで自分にフィットするものが見つかったら、すこしずつそのウエイトを上げていけばいい。さきほどお話しした「3割は褒める」スタイルに指導方法を変えた人のように、全てのやりかたを変えなくても、フレームの一部を組み替えるという意識が大切なのだと思います。そのうち「アンラーニングぐせ」がついて、徐々に大きなアンラーニングができるようになるかもしれません。

先日お話しした看護マネージャーの方は、アンラーニングをした自分の新しいスタイルが職場できちんと機能しはじめるまでに、3カ月はかかったと言っていました。その間は、定着するまで我慢したそうです。何をアンラーニングするかによって時間は変わるでしょうが、まずは気軽な気持ちで、自分にフィットしそうなやりかたを見つけ、チャレンジしてみてほしいと思います。



取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

最近仕事がうまくいかない、と悩んだら

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お話を伺った方:松尾睦(まつお・まこと)さん

松尾睦さんのプロフィール写真

北海道大学大学院経済学研究院教授。1988年小樽商科大学商学部卒業。1992年北海道大学大学院文学研究科(行動科学専攻)修士課程修了。1999年東京工業大学大学院社会理工学研究科(人間行動システム専攻)博士課程修了。博士(学術)。2004年英国Lancaster大学からPh.D.(Management Learning)を取得。塩野義製薬、東急総合研究所、岡山商科大学商学部助教授、小樽商科大学大学院商学研究科教授、神戸大学大学院経営学研究科教授などを経て、2013年より現職。主な著書に、『経験学習入門』『仕事のアンラーニング』など。

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すぐには役に立たない本が、だめな自分を肯定してくれた。phaさんの「ゆっくり効く読書」のすすめ

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社会人として働くなか、悩みを解消する糸口を探したり、スキルアップを目指したりするためにハウツー本やビジネス書、自己啓発書などを手に取る方は少なくないのではないでしょうか。ただ、それらは自分が変化していくための指針を与えてくれることもありますが、常にそこでなされる提案を受け入れようとがんばると、ときに疲れてしまうことも。

読書家として知られるブロガーのphaさんは、読書を「すぐに効く読書」と「ゆっくり効く読書」の2種類に分類してるのだそう。前者が読者に行動を訴えかけることによって悩みや課題を解消しようとするのに対し、後者は現状を肯定し、読者の人生にじわじわと影響を与えるといいます。

ゆっくり効く読書により、人生の土台を形作ってきたというphaさん。自分を変えるのではなく肯定してくれる読書のあり方について伺いました。

「読書」が社会でうまくいかない自分を守ってくれた

phaさんは著書『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のなかで、読書を「すぐに効く読書」と「ゆっくり効く読書」の2種類に分類されています。その上で「ゆっくり効く読書」を勧められていますが、これはどうしてでしょう?

phaさん(以下、pha) その分類は編集者からの提案を受けて考えたものなんですが、僕自身ずっと、すぐには効かない、なかなか役に立たない本ばっかり読んできたという自覚があるんです。読み手にすぐ行動や変化を促すようなビジネス書や実用書が「すぐに効く」ものだとしたら、自分がおもしろいと感じる本は、作家のエッセイやノンフィクション、学術書などすぐに何かが劇的に変わるわけではないけど、思考の枠組み自体が変わってしまうようなもの。振り返ってみると、そうした「ゆっくり」効く本が自分の人生や生き方の土台になっているなと思って本を書きました。

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読者の習慣を変えることを勧めたり、ビジネスの場における即効性の高い方法論を教えてくれたりするのがphaさんのおっしゃる「すぐに効く読書」だと思うのですが、phaさんはこれまでに、そういったビジネス書や実用書を手に取られたこともありますか?

pha 例えば「ドラムがもっと上手になりたい」と思ってドラムの本を読むみたいなことはしますけど、普段はあんまり実用書って読まないですね。そういう本って、「これになりたい」という目標がはっきり決まっていて、それに向かってがんばろうという気持ちのときに手に取るものだと思うんですけど、がんばろうという気持ち自体が薄いからかもしれない。僕は自分が何になりたいか、何をしたいかというのもよく分かっていないときが多いので、何の役に立つかは分からないけど、なんとなく興味がある本ばかりを自ずと手に取ってきたのかもしれないですね。

phaさんは過去に会社員として働かれていたご経験もありますよね。当時は周囲とのコミュニケーションや働き方について悩んだこともあるのではないかと思いますが、その頃もあまり実用書は手に取らなかったんでしょうか?

pha 読んだかもしれないけど、まったく覚えてないんですよね……。覚えていないってことは、なんかよく分かんないな、自分が求めてるのはちょっと違うんだよなって感じたんだろうと思います。例えばコミュニケーション術についての本だったら、「こういうふうにすればコミュニケーションがうまくいきますよ」「こうすれば会社でうまくいきますよ」という情報は書いてあるけれど、僕はそもそもコミュニケーションがうまくなりたいんじゃないかもしれないとか、会社でうまくいってどうするんだろう、みたいなことを考えてしまう方なので。

目の前の問題への対処法よりも、自分が感じているモヤモヤの根本的な原因や仕組みが気になるということでしょうか。

pha うん、どちらかと言えばそういうタイプなんだと思います。「そもそもこれ、別にやらなくていいんじゃないか?」ってことばっかり普段から考えているので。

すぐに何かの役に立つ読書って、社会にあらかじめ存在している「こういうふうになった方がいい」という枠に、自分を合わせていくための読書だと思うんです。でも僕はどちらかと言うと、自分を何かに合わせて変えていくみたいなことをあんまりやりたくなくて、いまの自分のままでできることをやりたいって思っちゃうんですよ。

だから、自分には変でうまく社会にはまらない部分もあるけれど、そのままでもいいんだ、と思わせてくれる本をおもしろいと感じて読んできた気がします。人間にはいろんなタイプがいて、絶対的に正しいものなんてないということを実感させてくれる本や、世間の常識を相対化してくれる本がそれにあたるのかなと。そういう「ゆっくり効く」本が、ずっと自分自身を守ってくれているという実感があります。

枡野浩一、西村賢太、橋本治――phaさんのゆっくり効いた本

phaさんは著書の中で、中島らもの『頭の中がカユいんだ』を「自分のだめな部分を肯定してくれる本」として挙げられていましたよね。これまで読まれてきた中でほかにも、自分のだめな部分を肯定したり、自分が感じている生きづらさを軽減させたりしてくれた本があれば、教えてください。

pha 歌人の枡野浩一さんの『愛のことはもう仕方ない』という本は、読むと自分のダメさを肯定できるような気分になれる本で、好きでした。内容としては離婚して息子にずっと会えないとか、芸人をやってみたけれどうまくいかなかったとか、枡野さんが過去をひたすら正直に振り返っているだけなんですけど。

僕も、考えても仕方がないことでいつまでもくよくよしてしまうことってあるし、人間ってそんなもんだよなと思わせてくれるというか……ほかの人に同じことを言ったら「もっと前向きに行こうぜ」とか言われてしまいそうなんだけど、そう言われても簡単に前を向けないことってあるじゃないですか。そういうときに枡野さんの本を読むと、仕方ないよなあと思えてちょっと楽になれるんです。

『愛のことはもう仕方ない』、本当にずっと後ろ向きだけれど、不思議と元気になれる本ですよね。

pha 世界でいちばんくよくよしてるんじゃないか、と思うくらいくよくよしてますよね(笑)。ほかにも、同じく歌人の穂村弘さんのエッセイや、小谷野敦さんの私小説も、同じように人間のだめさや社会へのなじめなさを肯定してくれる感じがして好きです。

あとは、僕が持っているだめさとはまたちょっと違う感じがするんですが、西村賢太さんの私小説や日記も好きでよく読んでいました。西村さんの日記には酒を飲みまくって不健康なものばかり食べて、という獣の生態のような生活がそのまま書かれているんですが、最近亡くなってしまってとてもショックでした。ダメ人間のひとつのロールモデルだったというか……令和にはもう、あんな人は出てこないだろうなとさみしくなります。

それらの「ゆっくり効く」本は、折に触れて読み返したりもするのでしょうか? 例えば、「この悩みやモヤモヤを感じているときは、必ずこの1冊を読み返す」などあれば教えて下さい。

pha 僕はわりと、1冊を何度も読み返すよりも新しい本をどんどん掘っていくのが好きな方なんですよね。ただ、橋本治さんの『青空人生相談所』という人生相談の本は昔からすごく好きで、いまもときどき読み返します。ちょっとした言葉遣いを手がかりに、相談者が気づかないことまで暴き出すようなすごい人生相談なんですよ。

phaさんインタビュー写真2

特に印象に残っているのが、「何をするにも時間がかかる」という悩みに対する回答です。「私は主婦なのですが、掃除や洗濯など、何をするにしても時間がかかってしまいます。どうすればよいでしょう」という質問に対して、橋本さんは「なぜ『どうしてでしょう』ではなく『どうすればよいでしょう』と聞くんですか」と返すんです。

えっ。一見すごく小さな違いに思えますが……。

pha 橋本さんいわく、「どうしてでしょう」という質問には、理由を解明して自分でなんとか解決しようという気がある。けれど、「どうすればよいでしょう」というのは、みんながどうにかした方がいいと言うからなんとなく解決したいような素振りを見せているけど、本当はどうでもいいと思っているのが透けて見える、と(笑)。

そのふたつっておっしゃるとおり本当にちょっとした言葉の違いなんですが、そこに気づいて切り込む解像度の高さがすごいなと思って。橋本さんの悩みへのそういうアプローチのしかたは、自分自身の悩みを考えるときにも役に立っているのを感じます。

なるほど。悩みそのものへの答えをダイレクトに教えてくれるというより、悩みをどう分解すればいいかのヒントを与えてくれる、ということですよね。

pha そうですね。「何をするにも時間がかかる」というのは僕自身の切実な悩みではないのだけれど、橋本さんの回答を読んでいると、自分の悩みも同じように高い解像度で眺められる気がしてくるんです。そういうところがすごく勉強になりますね。

本は悩みの輪郭をクリアにしてくれる

本を読みたいという気持ちが強い人でも、仕事で忙しい日が続いたり体力がなかったりすると、活字を追うのが億劫になってしまうこともあるように思います。phaさんは、きょうは本を読みたくない、と感じるときってありますか?

pha ありますね。僕はちょっとご飯を食べに出かけるときも本を持っていくし、旅行も本を読むためにしているようなところがあるので、基本的にはいつも何か読んでいたいタイプなんですが……それでも、疲れて何も読みたくないし、読んでもおもしろいと感じないときはたまにあります。

そういうときは無理に本を手に取らず、ほかのことをする方ですか?

pha そうですね。あ、でも活字の本を読む気がしないときも、漫画はわりと読み返したりしてるかもしれないな。活字の本に関しては、いろいろ新しいものを読んでいきたい気持ちがあるのであんまり同じものは読み返さないんですが、漫画を読むのはそれと比べると、もっと軽い気持ちでできる娯楽というか。自分の感情を安定させるためみたいなところもあるので、お菓子を食べるような感じで同じ作品を「おもしろいなあ」と思いながら読んでますね

確かに、活字の本は読めないけれど漫画なら読める日ってありますよね。

pha ありますよね。最近は『らーめん再遊記』が好きでよく読み返してるんです。中年のラーメン職人が若い人には負けないぞと思いつつラーメンを作ったりフラフラしたりする話なんですけど、キャラもいいしラーメンのうんちくもおもしろいし、漫画としての安心感があって。40代とか50代の人がこれからどう生きていくか、というのを描いているので、自分にも身に沁みるところがあってついつい何度も読んじゃいます。

お話をお聞きしていると、phaさんは小説からエッセイ、ノンフィクション、漫画まで、さまざまなジャンルの本を読まれている印象です。気になる人も多いかと思うのですが、普段はどのように新しい本と出会われているんでしょうか?

pha 人が紹介しているのを見たり聞いたりして、おもしろそうだと感じた本を買うことが多いです。たくさん本を読んでいて、この人のおすすめなら信頼できるという人や、自分と趣味や価値観が合う人が薦めている本だと、まず間違いないだろうなと。やっぱり本を探す上では、信頼できる人をまず見つけて、その人のおすすめを読んでいくという方法がいちばん早いと思うので。

ただ、あまり周りに参考になる人がいないという場合は、まず読んでみたいジャンルの初心者向けブックガイドやアンソロジー本を探してみたり、本屋さんや電子書籍上で、いろんな本の「はじめに」の部分をちょっと読んでみて、ぐっとくるものを探すのがいいんじゃないかと思います。多くの著者は、その本を通していちばん言いたいことを序文に書いてくれているので、そこを読んで合わない本は、別に無理して読まなくてもいいと思いますし。

確かにそうですよね。先ほど橋本治さんの話も出ましたけど、ご自身の悩みを起点に本を探すことはありますか? 「今はこんなことに悩んでるから、こんな本が読みたい」というふうに。

pha うーん、どちらかと言えば、悩みを解決したいというよりも、むしろ本を読んでいくうちに共感できるものが見つかって、「私の悩みはこれだったんだ」って気づくことの方が多い気がしますね。本って、自分の悩みをクリアにしてくれるツールとしての側面も持っていると思うので。

解決にばかり目がいきがちですけど、言われてみると読書を通じて悩みの輪郭がクリアになることって確かにありますね。

pha そうなんですよ。解決自体はしないかもしれないけれど、なんとなくはっきりしてくる。

でも、僕は正直に言えば、本に「ゆっくり効く」ことさえ求めなくてもいいんじゃないか、と思っているふしもあります。本を読んで何かを得たりその知識を日常生活に役立てるというのはもちろんいいことだと思うんですが、本を読むその時間自体が楽しければそれでいいというか。なんとなくおもしろいとかだめさに共感できるとか、強く気持ちが揺さぶられるというだけで十分、本を気軽に読む理由にはなるんじゃないかな、と思いますね。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:phaさん

phaさんのプロフィール写真

1978年大阪府生まれ。京都大学総合人間学部を卒業後、大学職員に。数年後に退職してからは「ニート」を自称。2008年にギークハウスプロジェクトを開始後、定職に就かずシェアハウスで長年暮らす。2019年にシェアハウスを出て、1人暮らしに。現在は文筆業が収入源。著書に『持たない幸福論』『がんばらない練習』(共に幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 ーーダメな人間でも、生き延びるための「本の効用」ベスト30』(ダイヤモンド社)などがある。

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『凪のお暇』がうつす「家族」と「コミュニティ」。私たちがもっと“生きやすく”なるには?

コナリさん

2019年にはテレビドラマ化もされた大人気コミック、『凪のお暇』。職場や家庭、恋人との関係においても「空気」を読みすぎてしまう癖のある主人公・大島凪が、退職をきっかけに自由な時間(=お暇)を持ったことで、周囲の人々と関係しながらすこしずつ変化していく物語です。

『凪のお暇』では7巻以降、東京から一時的に地元の北海道に帰ることになった凪の生活が描かれます。地元での人間関係や親子関係をめぐるエピソードはどれも、「家族」や「コミュニティ」の生々しい姿をリアルに映しています。

家族や職場、ご近所さんといったさまざまなコミュニティとの距離感に悩んだ経験のある人は、きっと多いのではないでしょうか。今回は『凪のお暇』の作者・コナリミサトさんに、作品のお話を通じて、いまよりも生きやすくなるための「家族」や「コミュニティ」との付き合い方のヒントについてお聞きしました。

凪がこれからどうなっていくのかは、まだ私にもわからないんです

実家のある北海道に一時帰省した凪
(C)コナリミサト(秋田書店)

【凪のお暇 これまでのあらすじ】場の空気を読みすぎて、他人に合わせて無理した結果、職場で過呼吸になり倒れてしまった大島凪、28歳。会社を辞め、家財を処分し都心から郊外へ転居、全ての人間関係を断ち切った凪は、ゼロから新しい生活を始めることに。引越し先やハローワーク、アルバイト先での新たな人間関係に積極的に関わるようになり、すこしずつ空気を読み過ぎてしまう今までの自分からの変化が見られます。

一方、凪の母・夕に対しては相変わらず空気を読み本音を吐き出せず「今まで母が望む通りやってきました」と語る凪でしたが、夕が北海道から東京に来たタイミングで実家に連れ戻されないために実施した元恋人の慎二との偽デートのやりとりを機に、本音を打ち明けることができるように。ここからすこしずつ関係が変わっていくのかも、と思った矢先、夕の怪我をきっかけに実家に一時帰省することになってしまい……。▶コナリミサト「凪のお暇」特設サイト

『凪のお暇』、毎回楽しみに拝読しています。コミックスの7巻からは、主人公・大島凪が母・夕の怪我のサポートのために地元の北海道に帰り、そこで家族や地元の同級生、ご近所さんといった身近なコミュニティとの関わり方に悩む様子が描かれていますよね。この北海道でのエピソードは、執筆当初から考えられていたんでしょうか?

コナリミサトさん(以下、コナリ) いえ、最初は全然決めてなかったですね。正直、最近は私が動かしているというよりもキャラクターたちが勝手に動いていっているような感覚が強くて……。ただ、凪が自分の問題に向き合うためには物語上、もう地元に触れずにはいられないな、とはうっすら考えていた記憶があります。

描きながら徐々に話が膨らんでいったんですね。7巻以降では、凪以外の登場人物たちのバックボーンもすこしずつ見え始めて、どのキャラクターも幸せになってほしいと祈るような気持ちで読んでいます。

コナリ 私もいま、思った以上にキャラクターたちに愛着が湧いていて、全員幸せになってほしいと願いながら描いています。上辺だけじゃなく、本当にこの人たちが幸せになるにはどうしたらいいんだろうと考えたときに、やっぱりそれぞれの家族のことも掘っていく必要があるよなと思ったんです。

このキャラクターはどうしてこういう人になったんだろう、というのを考えているうちに、たとえば凪の元恋人・慎二は子ども時代、日曜の夕方に放映されるような家族団らんのアニメをお兄ちゃんと一緒に見たりしていたんだろうなというエピソードを思いついたり。

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慎二の実家時代の回想シーン
(C)コナリミサト(秋田書店)


これまでの私の作品は長くても3巻程度だったので、ある程度ふんわりとした骨組みで進めていっても、全員不幸にはならないところにお話を落ち着かせることができたんです。でも『凪~』はこれからどうなっていくのかが、本当にまだ私にもわからないんですよ(笑)。

じゃあ、凪が東京に戻るのか、あるいは違った選択をするのかというのも……。

コナリ 私が教えてほしいくらいです……! でもどんな選択をするにしても、登場人物たちも私も、なんとか納得できる形でまとめたいとは思っています。

関係を“散らす”ほうがいい──「コミュニティ」との付き合い方

作中で印象的なのが、コミュニティの閉鎖的なあり方に悩まされる登場人物たちの姿です。凪の地元では、誰もが顔見知りだからこそ一度できた関係性が崩せなかったり、自分の行動を逐一言いふらされるのではないかという怖さに怯えたりといった描写はどれもとても生々しいですが……コナリさんは、どういったところからエピソードの着想を得ているんでしょうか?

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(C)コナリミサト(秋田書店)

コナリ エグいですよね(笑)。凪が生まれた場所はいわゆる田舎なのかなと思うのですが、田舎の関係が全部エグい、というわけではないですし、「田舎」だからじゃなく「地元」だからああなのかな、と。もちろん、地元のコミュニティが好きだったり、心地よかったりする人もいるかと思います。

「生まれ育った場所」だからということでしょうか?

コナリ そうですね、子どもの頃から生きてきた場所だから感じてしまうことも多いんじゃないかなと思います。北海道のエピソードはどれも凪や夕の視点から見たお話なので、なおさらしんどく思えてしまうのかもしれない。

私自身が地元に対してずっと感じていたことを増長させて描いている部分もあるんですが、地方出身の友人にいろいろ話を聞いたりもしていると、やっぱり生まれ育った場所のコミュニティに対してはいろいろ思うところがあるみたいで……。

作中でも描かれていましたが、地元に残っている人と地元を出た人との間で対立構造が生まれてしまうこともありますよね。その選択に優劣はないのに、お互いがお互いのことをどこか下に見てしまうという。

コナリ それは本当によくありますよね。当然ですが、『凪~』の地元の人も全員邪悪なわけじゃなく、中にはすごくいい人だっているんです。だから、これからはもうすこしそこを補完して描いていかないと、と思っています。私は自分の親戚がわりと北海道に固まっているんですが、なんでこんなにめちゃくちゃ善人なの!? みたいな人もいるんですよ。そういういいところも描いていきたいとは思っていますね。

北海道編には、凪の同級生でパン屋を営んでいるフセというキャラクターが出てきますよね。地元というコミュニティには所属しつつも、ときどき離れた駅で移動販売を行い売上を伸ばすなど、地元に軸足は置きつつ、そこから足を外に伸ばす手段を持っているキャラクターのように感じました。

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小学校時代の同級生・フセは実家のパン屋を継いでいる。凪とフセは当時「遠足の班決めで余る」2人だった
(C)コナリミサト(秋田書店)

コナリ そうですね。私自身も、依存先を複数持つというのは大事にしています。どこか一箇所にべったりと居着くのではなく、ポンポンポン、と軽く遊びに行けるコミュニティをたくさんつくったほうが、自分は生きやすいタイプだなと思うので。

ご自分でそう気づかれたのって、どうしてだったんですか?

コナリ たとえばひとりの人とずっと一緒にいると、たとえその人がすごく好きな人であっても、だんだんと嫌なところが見えてきてしまうことってありませんか? その嫌だな、という感覚が、ほかの人とも話しているとすこし分散する気がするんです。

たとえば、Aちゃんという友達ひとりとずっと一緒にいると、Aちゃんの嫌なところが見えてきてしまったり、反対に自分の嫌なところもAちゃんに見せてしまいがちになってしまう。でも、そういうときにBちゃんというほかの友達とも交流を持てると、「Aちゃんの嫌いだと思ったところ、そんなに気にならないかも」と思えたりしますよね。そういうふうに、散らしていくのがいいのかなと思います。

たしかに拠りどころがひとつだと、想定外のことが起きたときに、必要以上に相手を嫌いになってしまいがちな気がします。

コナリ 自分の中で勝手に、相手のことをどんどん強大な敵に変えていってしまうんですよね……。

凪が地元から離れている間に、母親の夕のことを「仮想敵」として一方的に大きな存在にしてしまっていたのも、夕との関係がもともと依存的だったことに関係しているのかな、と感じました。

コナリ そうですね。そして、ひとつに集中しすぎないほうがいい、というのは関係性に限らないと感じています。本でも漫画でもなんでもいいので、依存できる場所はいくつか持っていたほうがいいと思います。

たしかに、凪と夕、夕と凪の祖母(夕の母)のお互いを縛るような関係は、「家族」というコミュニティに閉じてしまったゆえのしんどさもあったのかもしれませんね……。

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夕は凪と同様「お暇」をいただき、家族と地元から一度「離れる」ことに
(C)コナリミサト(秋田書店)

当人が納得している「家族」のあり方に周りは口をはさまない

『凪のお暇』の9巻からは、慎二と会社の後輩・円の関係の変化にもスポットが当てられていきます。円は「理想の家庭」像を持っているものの、慎二のイメージとはズレがあってすれ違ってしまう。

コナリ あのふたり、全然話せてないんですよね。『凪~』の登場人物たちってみんな人となかなか話し合わないんですが、慎二は特にそうで。思ってることをもっと言っちゃえればいいんですけどね。

慎二と交際中の円。彼女は自分の両親のように出世の鬼(妻)と家庭の仏(夫)のような家族に憧れている
(C)コナリミサト(秋田書店)

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実家の家族関係が良好でなかったことから「日曜の夕方アニメ」に登場するような家族に憧れを持つ慎二
(C)コナリミサト(秋田書店)


慎二はこれまでに、空気を読んで自分の意見を言わないことで場が丸く収まった、という経験をしすぎているんでしょうか。

コナリ それもあると思いますし、あと、自分の感じていることが、別に言うには値しないことだと思っているのかもしれないですね。

これから夫婦や家族になりたいと思っている人たちの「理想の家族」像にズレがある場合、そのズレをどう解消していけばいいとコナリさんは思いますか。

コナリ なぜそういう家庭を作りたいかをとにかく話し合って、それぞれが許せる範囲の妥協をする、ということに尽きるんじゃないかと思います。ここまでだったら折れられる、というすり合わせをするしかないですよね。

コナリさんが個人的に、ご自分にとって「理想」と感じる家族のあり方って、どのような形ですか?

コナリ 私は、それでうまく回るなら、家族の中で個人がそれぞれ得意なことをやりさえすればいいと思っています。

たとえば、健康で自分が働けるうちは自分がバリバリと働けばいいのかなとも思いますし、いつか自分が働けなくなるタイミングがきたら、そのときは臨機応変に役割を分担できるといいのかなと。「あのとき助けてもらったから」とか「あのとき支えてもらったから」と、思いやりで回る家族が作れたら理想ではありますよね。

作中で、凪のお隣さん・みすずが「家族ってちょっと部活に似てるなって思う」という台詞を言うシーンがありましたよね。それぞれのコミュニティによって、関係性も歴史もしきたりも違うと。その理想像は、家庭によってさまざまですよね。

コナリ そうですね。家族って本当に、その家によって秩序もあり方も、目指しているところもバラバラだと思うので。

最近は、人のうちのことにガタガタ言わない、というのが大事だなとよく思います。共働き家庭も増えてきていますが、その家族がきちんと話し合えて納得しているんだったら、たとえば女性だけがバリバリ働いている家であろうと、『サザエさん』のような専業主婦の人がいる家であろうと、当人が苦しそうにしているんじゃないのだったら、憶測で周りが口をはさまない。それがいわゆる多様性なのではないだろうかと。

「家族」を巡る価値観は、年々多様化していっているように感じます。『凪のお暇』は2016年から続く長期連載ですが、コナリさんのなかで、作品を描きながら自分の価値観や考え方が変化してきたのを感じたりすることもありますか?

コナリ やっぱり、連載当初からは考え方もどんどん変わってきていると思いますね。前はこうやって考えてたけど、こうじゃない? と思ったり。

……私、シラフだとなかなか自分の作品を恥ずかしくて読み返せないんですが、お酒で酔っぱらうとようやく通しで読み返せるんです(笑)。そういうときに、過去の台詞や展開にツッコミを入れたりはしていますね。

たとえばお話の序盤のほうで、凪が同僚に「お姫様かよ」と言われるシーンがあるんですが、あとからお酒を飲みながら読み返したときに「お姫様みたいな人がいても別によくない?」と思って。仮にお姫様みたいな人がいたとして、その人を大切にしたいと思っている人がいて、ふたりの関係がそれで成り立っているんだったらよくない? と思えたんです。そこから円のようなキャラクターが生まれたりして。

円、お酒の力で生まれたキャラクターだったんですね……!

コナリ もちろんネームはシラフで描くんですけどね。酔っ払って自分の作品を読み返していると、それを描いたときの生々しい感覚が忘れられて、ほかの人の作品のように読めるんですよ。だから酔うと初めて、「なかなかおもしろいじゃないか! 誰が描いたんだろう、この漫画!」って思えます(笑)。


【INFORMATION】『凪のお暇』1〜9巻 発売中

『凪のお暇』書影

秋田書店刊

いつも場の空気を読むのに必死で、「わかるー」が口癖の大島凪28歳。 ある日、こっそり付き合っていた職場の同僚・慎二の一言がきっかけでついに過呼吸をおこして倒れてしまい……?

空気読みすぎるの、もうやめたい。人生リセットコメディ『凪のお暇』は、月刊エレガンスイブ(秋田書店)で好評連載中。

▶コナリミサト「凪のお暇」特設サイト

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お話を伺った方:コナリミサトさん

コナリミサト

漫画家。2004年デビュー。『凪のお暇』(秋田書店)、『黄昏てマイルーム』(KADOKAWA)、『燃えよあぐり』(小学館)連載中。2019年に『凪のお暇』、2021年に『珈琲いかがでしょう』『ひとりで飲めるもん!』がドラマ化したことでも話題に。

Twitter:@konarikinoko

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編集:はてな編集部