ときに生きづらさの原因にもなる「自意識」とどう向き合うべきか。読み切り作品『普通の人でいいのに!』などで“自意識強め”の主人公を描くマンガ家・冬野梅子さんにインタビューしました。
恋愛、結婚、出産、キャリア形成などさまざまなトピックで、ついつい周囲の視線を気にしてしまいがちな30代。自意識を“こじらせて”しまい、周りの人を意識した言動を取ってしまう……そんな自意識過剰ぎみな自分が嫌になって……と負のループに陥ってしまっている方も少なくないのではないでしょうか。
そういった方々を中心に、性別を問わず“刺さる”と注目と共感を集めているのが冬野さんの作品。
配信サイトで過去最高PVを記録した『普通の人でいいのに!』や、単行本化も決まった最新作『まじめな会社員』などの執筆エピソードを交えつつ、冬野さんが「自意識をどう捉えているか」を伺います。
「いじけている人」に寄り添うようなマンガを描きたい
冬野梅子さん(以下、冬野) インターネットではみなさん、年齢を公開しているわけではないので実際のところは分かりませんが、30代以上の方は「昔の自分を見ているようだ」、20代や学生は「未来の自分を見るようだ」という、2つの「これは私だ」に分かれていた印象です。
『普通の人でいいのに!』の主人公は33歳の設定なので、リアルであれだけ“つらい人”はどうやらほとんどいないらしいという結論になりました(苦笑)。

(C)冬野梅子/講談社
【あらすじ】マッチングアプリでの経験を経て、「リアルな場所」で「普通に出会いたい」と考えていた主人公・田中未日子(33歳)。しかし、いざ「普通」の人との「普通」の出会いに遭遇すると、自身が身を置きたい世界、繋がりたいと思っている人とは違っていて……。常に「他者から見た自分」と「自分から見える他者」を分析してしまう主人公の姿が、多くの人に“刺さった”話題作。
冬野 そうです。マッチングアプリをやってみたものの「なんか……そんなに楽しくない」というのが正直な感想で。でも、せっかくだから「マッチングアプリを頑張ったけど、振り出しに戻って徒労で終わりました」という出来事をマンガにしたいなと思ったんです。

(C)冬野梅子/講談社
【あらすじ】冬野さん自身が「マッチングアプリ」を通じて出会った男性とのエピソードをベースに、男女の「出会い」に関する情報や冷静な考察・分析をマンガにまとめた斬新なエッセイコミック。「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞。
冬野 一般公開していない、自分用の日記ブログがあります。だいたい「昨日はこんな嫌なことがあった」というのを3,000字くらいで書いていて。マンガ内のエピソードは自分の記憶だけじゃなく、日記を読み返して言われた言葉を使ったりしています。
冬野 よく読んでいたのは少女マンガです。でも私にはキラキラした話は描けないので……。どちらかというと、映画に影響を受けているかもしれません。
特に好きなのが、スパイク・ジョーンズ監督の「アダプテーション」。一度映画が“当たった”脚本家が主人公なんですが、基本的に卑屈なんです。新作に困っていてセミナーに行くけど、アドバイスが全部気に入らなくて、やるなと言われたことを作中作で全部やったり(笑)。
「フィクションでは人が大きなトラブルを乗り越えて成長するのが王道だけど、現実では人は乗り越えないし成長しない」というふうに言い切る。でも映画自体はコメディで「大きなトラブルに巻き込まれて乗り越える」という話になっているんですよ。
冬野 はい、「大きなトラブルを乗り越えて成長する」という話だけにはしないようにしようと(笑)。主人公が地味な生活をしていて、脳内では卑屈な事ばかり言っているという話が好きなので、それを女性主人公で描いてみました。
冬野 自分ではそういうつもりはなくて。世の中のフィクションを見ていると「いい人しか出てこないな」とつらくなるんです。みんなこんなに心がきれいなんだと思うと、孤独感が深まっていく。
だから自分のマンガでは、素直で前向きないい人はあまり描かなくていいかなと。性格が悪いと言うか、いじけているような人を描いて、そういう人に寄り添いたいと思っています。
冬野 いじけている姿勢が一般的にいいか悪いかというと、本人のためにはきっとよくないんですよ。だから肯定はしない。いじけている人は今の自分に不服があるからそうなっているわけで「でも私たち幸せだよね」「あるがままで軽やかに生きていこう」と描かれたら腹が立つだけじゃないかなと思っています。
でもその人たちは世の中に存在しているし「別に幸せじゃないけど、それがなんだ?」ということを描きたいなと。そこが「突き放している」ように見える理由なのかもしれません。

(C)冬野梅子/講談社
冬野 『マッチングアプリ―』はコミックエッセイなので自分の経験を描いていますが、『普通の人でいいのに!』と今連載している『まじめな会社員』はフィクションなので「いまの自分は選ばない選択肢」を主人公に選ばせています。
きっと乗り越えられるであろうことを「こんなの乗り越えられない」としたり、まわりを鵜呑みにして深みに落ちたりと、あえてつらくなる道に行かせているところもあります。
でも、例えば『普通の人でいいのに!』のラストは、自分としてはバッドエンドだとは思っていないんです。どちらかというと物語としては王道じゃないかなと。
冬野 さっき挙げた「アダプテーション」以外にも、ノア・バームバック監督の「フランシス・ハ」や、倉橋由美子さんの小説など「なんとも言えない終わり」を描いている作品が好きなんです。頑張ったことや望んだことは報われなくて、ある意味徒労に終わるけれど……というのも、「乗り越えて成長する」と同じくらい王道なのかもと思っています。
「自意識」は苦しくてしんどい。でも、私は自意識過剰な人が好き
冬野 私はいわゆる「自意識過剰な人」が好きなんです。でも自意識が強いと本人は苦しくて生きづらいだろうから「自意識そのもの」には愛憎入り混じる気持ちを抱いています。
冬野 いまって「何も気にしない」ことが「いいこと」とされていて、逆にいろいろなことを気にする人は「過剰」と言われがちだと思うんです。
私自身、人から「気にし過ぎだよ」と言われることがあります。でもそういうことを言う人って「私の意識は適正値・平常値である」という前提なんですよね。そう言い切れるのはすごいな、生きやすいだろうなと思います。
冬野 「気にしない人」と「気にしている人」なら、私は後者との方がしゃべっていて楽しいんです。
でも自意識は面白さでもあり、自分を苦しめるものでもあって。人生でいろいろなことがうまくいかないとか、自分が思うように生きられないとか、自意識がなければもっと自由に生きられるのにという面も確かにあるので、自意識に対する距離感は難しいなと思います。

他者を気にし過ぎる主人公の「脳内裁判」
(C)冬野梅子/講談社
冬野 心の声の多さは、読者のみなさんに指摘されて初めて気づいたんです。自分ではそこが特徴だと思ったことはなかったので、意外で……。てっきり、みんなこれくらい心の声が聞こえているものだろうと……。
冬野 大学生くらいまでは「気にし過ぎ」と言われると「みんな気にしてないんだ、気にし過ぎちゃいけないんだ」と自分を責めていました。気にしちゃう、自分を責める、気にしないようにしなきゃ、でも気にしちゃう……のループでしたね。
社会人になっても上司から同じように言われたことがあったんですが、ふと「でもこの上司としゃべっててもあんまり面白くないしな……」と気づいたときから、何も思わなくなりました。
むしろ余裕が出てきたというか、ははー、あなたは自分のことをとても平均的でまともな人間であって、対して私は逸脱して気にし過ぎであるとおっしゃっているんですね……という、反抗心的な気持ちが芽生えてきたり。
冬野 だんだん「バッサリと人を切る人の方が気にしなさ過ぎ」と言われる世の中になってきているような気もするので、「気にする人」にとっては心強い流れになってきているなと感じています!
冬野 私の自意識自体はたぶん、10代から何も変わっていないんです。自分だけ中学生から変わってない感覚があるので、周りのみんなは大人になっているな、優しくて懐が深くてつらいな……と思うこともあります。
ただ、変われてはいないけれど、一方で付き合い方や回避策はうまくなってきているかなと。「今ちょっと普通より考え過ぎているな」「たぶん、これ周りは気にしてないパターンだな」と、落とし穴をよけていく方法が経験を積む中で分かってきました。
初投稿作の入賞で「まだマンガを描いてもいい」と思えた
冬野 もともと小学生のころから「マンガ家になりたいな」と思っていて、趣味で絵を描いたり、学生時代は美術部に入ったりもしていました。
ただ上京後は創作からは離れてしまい、金融関係など絵とは全然関係ない仕事に就いていました。そんな中、7年くらい前にふとしたきっかけで大学時代の友だちと再びよく会うようになり、小規模なグループ展をやってみることになったんです。私はイラストと文章だったり、絵本だったりを展示しました。それが学園祭みたいで楽しくて、何回か開催していました。
冬野 私の中で「絵本は優しい話やちょっといい話を描かなきゃいけない」という気持ちがあり、もう少し毒のある内容が描きたくなってきたんです。だったら一人で勝手にマンガを描こう、誰も困らないしと思って。それが2015年くらいだったかな。
冬野 もともとInstagramに投稿されているエッセイ系のマンガをよく読んでいたんですが、あれも結構「いい話」が多いんですよ。
『マッチングアプリ―』を描こうと思ったとき、この作品をInstagramに投稿してもあまり読まれないだろう、でも清野とおるさんの名前を冠したこの賞であれば“みんなでシェアハピ”な内容じゃなくても門前払いされないんじゃないかなと思って投稿しました。もともと清野さんのマンガもとても好きでしたし。

(C)冬野梅子/講談社
冬野 そうですね、「最終選考に残りました」というメールが来た時はすごくうれしかったです!
当時の私はマンガについて「趣味で楽しくやっていこう」と「賞に積極的に出してチャレンジしていこう」の2つの方向を考えていたんです。なので入賞は「まだチャレンジしてもいい、まだマンガを描いてもいい」と猶予期間をもらえたような気持ちになりました。
冬野 『マッチングアプリ―』をきっかけに現在の担当さんがついて「フィクションも描いてみましょう」とアドバイスを受けたんです。
でも私は「プロの世界でマンガを描く」ための知識がぜんぜんなくて……。担当さんにネームを送って見てもらう仕組みすら知らなかったんです。そもそも『マッチングアプリ―』の頃はネーム自体、描いていなかったので……。「マンガ家はこうやってマンガを作るんだ」という驚きの連続でした。
そうやって担当さんについてもらったはいいものの……ネームを送ってはボツになるうち、3カ月ほどまったくネームが送れなくなってしまって。
ネームが思いつかない上に「出さなくて怒っているかな」「見切りをつけられたらどうしよう」という不安がふくらんできて。でもそういうときも、描くしかないんですよ。そこで「エッセイマンガを描いていなくて、賞も取っていない自分」から見たら、今の苦しみは全然苦しくない――と思うようにしたんです。
冬野 「ネームが描けない」という悩みは超いいことなんですよ。なんというか、“作家”として苦悩しているわけですよね。
私、こういう悩みが欲しかったはずじゃん! と自分で自分を盛り上げて「何かやりたいことがあるけど、何をやったらいいか分からなくて、グループ展もやっていなくて、マンガも描かずに今日を迎えた自分」を描いてみよう! と思い生まれたのが『普通の人でいいのに!』だったんです。
他者からの「よかったね」「かわいそう」が介在しない作品にできたら
冬野 ありがたいことに『普通の人でいいのに』が、コミックDAYSの中で歴代トップのPVを記録したそう(※掲載当時)で、担当さんから「地続きの世界観で連載にしませんか」と話をもらったのが執筆のきっかけでした。
最初は描きたい内容に悩んでいましたが、連載の検討タイミングの頃に実社会では新型コロナウイルスの感染者増加と、その状況下での生活が始まって、描きたい人間関係ができていきました。

【あらすじ】菊池あみ子、30歳。契約社員。彼氏は5年いない。いろんな生き方が提示される時代とはいえ、結婚せずにいる自分へ向けられる世間の厳しい目を、勝手に意識せずにはいられない。それでもコツコツと自分なりに築いてきた人間関係が、コロナで急に失われたら……!?
冬野 コロナ禍での恋愛を描きたいというよりは、いまの人間関係を描くにあたって、コロナ禍で環境ががらっと変わったことを入れざるをえなくなったという感じです。
今後は恋愛に限らず、環境や生活の変化によって、人間関係が変わって自分の気持ちも変わっていく話になる予定です。単行本も12月と1月に2カ月連続で刊行されます。1巻収録の6話では恥ずかしさに向き合いながら作詞もしました……!
冬野 現実の世界をちゃんと自分で生きていけることがゴールになるような、他人からの「よかったね」「かわいそうだよ」も全然介在しないところにたどり着けるのが、登場人物にとってのいい終わり方だと思っていて。『まじめな会社員』も、そういう方向に向かっていけたらいいと今は考えています。
編集:はてな編集部
『まじめな会社員』 著:冬野梅子
講談社刊
「令和の生き地獄コメディ」としてコミックDAYSで好評連載中。単行本1巻は12月8日(水)、2巻は2022年1月12日(水)と2カ月連続で発売。
▶ まじめな会社員 - 冬野梅子 / 第1話 | コミックDAYS
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お話を伺った方:冬野梅子