他人の自己責任を問わないことから。社会学者・富永京子に聞く「わがまま入門」

富永京子さん

日々、仕事や生活をしていると、不満や違和感をおぼえることは少なくないと思います。しかし、そこで実際に気持ちを言葉にするのは意外と難しいもの。「みんなは普通にやっているのに、自分だけ主張するのは『わがまま』ではないか」と、内なるストッパーが作動してしまう方も多いのではないでしょうか。

富永京子さんは、社会運動論を専門にする社会学者。著書の『みんなの「わがまま」入門』では、「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」を「わがまま」と定義し、わがままを言うことの大切さについて書かれています。

今回富永さんには、自分の気持ちを言葉にしづらい時代的な背景を起点に、実際に職場などの身近な場所で「わがまま」を言えるようになるための心構えや日々のトレーニング方法を伺いました。

私たちが「わがまま」を言えないのはなぜ?

自分のなかに不満や違和感が芽生えたときに、「自分だけ文句を言うようで申し訳ない」「周りの人に嫌われるのではないか」と、言葉にせずに自主規制してしまう人は多いのではないかと思います。どういった背景があると考えられますか?

富永京子さん(以下、富永) 一概には言えませんが、大きく二つの要因が絡み合っているように思います。一つは、1990年代以降に「個人化・流動化」が進んだことです。例えば、1970年代の女性を例に挙げると、そこでは「男性と同じ社会的地位が達成されていない」という共通の課題が見えやすく、誰か一人が声を挙げたときに「それな!」と反応してもらえるだろうことが想像できました。つまり、「属性」と「悩み」がある程度セットになっていたから連帯が生まれやすかったんですね。

しかし、今は人々の生き方が多様化したことで、同じ「女性」でも悩みが千差万別になった。だから、属性だけではつながることができず、それが不満を口にしづらい雰囲気をつくっている部分があると思います。

富永京子さん

確かに、他の人の抱えている不満や悩みが想像できないぶん、自分が意見を言おうと思ったときに「それは個人的なこと(=わがまま)じゃないか」と主張を却下されてしまう怖さがあります。

富永 もう一つは「ふつう幻想」です。これだけ個人化・流動化が進み、一人ひとりが違う価値観を持っているにもかかわらず、未だ多くの人が“一億総中流”の時代から脈々と受け継がれた「ふつう」に縛られている。例えば、大学生の就活を考えると分かりやすいのですが、人気の就職先は未だに昔ながらの大企業が多いですよね。それは、学生の基準が「大手企業で終身雇用」という親世代の「ふつう」になっているからだと思います。

ないはずの「ふつう」への幻想があることで、何か不満を口にしようとすると「私だけ抜け駆けして……」という感情につながっていくのではないでしょうか。

なるほど……。そうした大きな流れがあるなか、最近では身近な発信の場でもあるインターネットも窮屈になってしまっている印象です。

富永 そうですね。この間、学生さんに聞いて驚いたのは、Twitterで政治についてつぶやいたら、「そういうのは政治アカでやれよ」と言われてしまったということです。

え、どういうことなんでしょうか……。

富永 インターネット上では、過度に首尾一貫性みたいなものが求められているということだと思います。

共通の価値観がなくなり、個人化が進んでいくと、人は自分のなかに固有のストーリーを見つけ出そうとするものなんです。だから、「自己ブランディング」みたいなものは、ある種自然な流れでもあると思うのですが、過去の発言がアーカイブとして残っていけば残っていくほど、未来の自分の言動を縛ってしまう側面はあると思いますね。

他人の自己責任を問わず、社会のせいにする視点を持つ

そうした時代的な背景を踏まえ、一歩踏み出すにはどうしたらいいでしょうか。

富永 基本のスタンスとしては、他人の声を「傾聴」する姿勢を持つことだと思います。それは、他人の自己責任を問わないことにもつながってきます。

「自己責任だろ」といった物言いは至るところで見られますが、それをやめると。

富永 はい。自分も10代の頃は社会運動みたいなものに対して冷淡な人間で、それこそ自己責任論的な考え方を持っていたように思います。

しかし、それで一番縛られているのって実は自分だなと。他人に厳しくすると、回り回って自分にも厳しくなってしまうんです。だから最初の一歩としては、他人に自己責任を求めず、寛容な姿勢でいることを心がけるのが大切だと思います。

なるほど。著書のなかでは他者の「わがままの背景」を考えることが重要であるとも書かれていましたね。
富永京子さん著書『みんなの「わがまま」入門』(左右社)

富永 そうですね。例えば、忙しい職場で毎日17時きっかりに帰る人がいたとします。なんとなくお子さんのお迎えや、介護のデイサービスの都合なのかなと想像はつきますが、ハッキリと事情は分からないと。そういったときに憶測で「敵」「自分勝手なやつ」と思い込むのではなく、本人じゃなくても誰かに実際のところを聞いてみるとか。

他人の事情を聞き、その人に寛容になることは、自分の「わがまま」を許すことにもつながっていきますし、ゆくゆくは適切に社会のせいにする、という方向に向かっていくのではないでしょうか。

社会のせいにする、個人だけに責任を求めないためにも必要な視点ですよね。

富永 はい。以前、私の本を読んだドイツ在住の知り合いから「日本人は成功と失敗どちらも、自分のせいにしたがりますよね。たまたま運がよかった(から成功した)とか、環境が悪かった(から失敗した)とは、あまり考えないんですね」と言われたことがありました。これって、とても重要な指摘だなと。

特に、今の若い世代は社会に広がる自己責任論の洗礼を受けてきた人が少なくなく、何かと「自分のせい」にしがちな傾向にあるように思います。もっと社会や環境のせいにする視点は必要だと思いますね。

サイダーが飲みたい、出社時間を変えたい……職場でのわがまま

ここまで、自分の不満や違和感を言葉にするための基本的なスタンスを伺いました。そのうえで、ここからは実際に職場でのシチュエーションを例に、どのように実際のところ「わがまま」を伝えていくことができるか、ご意見をお伺いできればと思います。
(例題1)オフィスに常備されている炭酸飲料を「コーラ」から「サイダー」に変えたい。でも、コーラ好きな人もいるかもしれないし、言い出しづらいな……。

富永 まずは、ニーズをマッピングすることが大切だと思います。例えば、発展途上国への支援をおこなうNGOの方にお話を伺うと、学校をつくるのか、井戸を掘るのか、鶏を放すのか、まずは調査をおこなうことから始めるとおっしゃるのですが、それと同じですね。

ただ、ここで気を付けなければいけないのは、単純な多数決にしないこと。仮にコーラ派が0であればなくしてしまっていいと思いますが、一人でもコーラ希望者がいる場合にはディスカッションが必要になります。レッドブルとかだとありそうですが、「俺はコーラを飲まないと全く仕事が進まないんだ!」という人がいるかもしれないので。

富永京子さん

思わず多数決で決めてしまいそうです。

富永 切実な内容を伴った1もありますから、議論は必要になってくると思います。その話し合いのなかで、例えば「そもそも冷蔵庫自体を買い換える」といった新たな視点のアイディアが出てくるかもしれませんしね。

(例題2)同僚との仕事量に差があって、自分の業務量が多い。でも、限界だと言い出したら、他のメンバーや会社に負担をかけるかな……。

富永 先ほどの話にもつながりますが、まさに他メンバーの背景を考えてみたり、聞いてみたりする必要がある事例だと思います。

もしかしたら他のメンバーは顔に出さないだけで、実は結構な業務量をこなしているかもしれませんよ? 逆にいつも遅くまで残っているけど、よくよくディスプレイ見たら「ソリティアかよ!」みたいなこともあるでしょうし(笑)。いずれにせよ頭のなかで物語を組み立てる前に、まずは実態を知るところから始める必要があると思います。

(例題3)一律で定められている出社時間は8時半。でも朝はパフォーマンスが上がらないから、10時ごろの出社にしたい。でも、みんなは8時半に来ているし、自分だけ特別対応をお願いするのはどうなんだろう……。

富永 出社時間を遅らせたい人は、本当に一人だけなのでしょうか。まずニーズを探るのは同じですが、このケースの場合は、社則などの変更手続きが必要になってくると思いますので、まずは周囲で話しやすかったり問題意識を共有できそうだったりする同僚や先輩たちと、小さな集団を形成するのが一つの手だと思います。

社会運動論だと、アフィニティグループと言ったりもするのですが、小さくても集団で意見をまとめることで声をあげやすくなるし、組織として対応してくれる可能性が高まると思います。

いわゆる「根回し」と呼ばれる行為と近いのでしょうか?

富永 そうなんですよ。もしかしたら、路上でデモをやっている人たちは勢いでやっているように見えるかもしれませんが、実は事前に警察に相談したり、弁護士にどこまでやって大丈夫かを確認したり、意外としっかり準備しています。「根回し」の持つネガティブな印象に引っ張られてしまうともったいないと思います。

背後にいる10人も救われる可能性

お話をお伺いして、言葉にする前に自己完結してしまっているところがあるなと気付きました。

富永 今は自分の主張をのびのびとおこなえる場が少なくなっているので、無理もないことだと思います。かつては学生の自治も盛んで、会社に入ってからは労働組合がありと、「わがまま」を聞いてもらう場がある程度設定されていて、そういったところでトレーニングできていたんですけどね。

今、日々のトレーニングをおこなうとしたら、どういった場が考えられますか?

富永 若い方にはあまりなじみがないかもしれませんが、いわゆるコミュニティ・ユニオンのようなところに相談するのは一つの手ですよね。もしくは「好きなもの」でつながっているグループなどがあれば、最初はそこで井戸端会議のような形で愚痴を言うのでも良いと思います。

愚痴と聞くと「ガス抜きでしょ」と見る向きもありますが、一方で愚痴を具体的なアクションを起こす前の種の一つと捉えることもできるわけですからね。

富永京子さん

なるほど。身近な自分の発言の捉え方を変えてみるというのは、良いトレーニングの一つになりそうです。

富永 それでも、具体的にアクションを起こす際に「自分だけ……」と呪いのように頭をもたげることはあると思います。そんなときは背後にいる10人や100人が救われる可能性を考えてみてほしいですね。

#MeToo運動にしても、最初は一人の女優、一人のジャーナリストが声を上げてつながっていった結果、世界中に広がっていったわけですよね。彼女たちが個人的な傷を語ってくれたことで、多くの人が報われた。ですから、たとえそれが個人的な「わがまま」に思えたとしても、ひっこめる必要は全くないということは覚えておいてほしいと思います。

文:榎並紀行(やじろべえ)
撮影:小野奈那子
取材・編集:はてな編集部

お話を伺った方:富永京子さん

富永京子さん

1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論・国際社会学。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)『みんなの「わがまま」入門』(左右社)がある。

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