SNSなどで、幸せそうな人たちを見ると気分が落ち込む。同僚や友人の成功を聞いて、悔しい思いをする……。

そんな「嫉妬」の感情に苦しめられたことはありますか?

わたしは今まで自分には嫉妬というものが欠如していると思っていたのですが、先日「これか!」と合点がいく感情が湧き上がってくるのを感じ、その湧水のようなとめどなさに震えました。抑えても抑えても、嫉妬はどんどん溢れてくるのです。

そして、アンガーマネジメントの方法はたくさんあるのに、嫉妬マネジメントに関してはまったくと言っていいほど見かけないことにも震撼しました。世間のみんなは、この感情に一体どう折り合いをつけているんだ……? と。

そんななか、嫉妬を政治の視点から考える『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』(光文社新書刊。以下、『嫉妬論』)を知り、夢中で読み進めました。

今回は、『嫉妬論』の著者である山本圭さんに、嫉妬との向き合い方、対処の仕方について伺います。

山本圭(やまもと・けい)

1981年京都府生まれ。立命館大学法学部教授。名古屋大学大学院国際言語文化研究科単位取得退学、博士(学術)。岡山大学大学院教育学研究科専任講師などを経て現職。専攻は現代政治理論、民主主義論。著書に『アンタゴニズムス』(共和国)、『現代民主主義』(中公新書)、共編著に『現代民主主義理論ハンドブック』(ナカニシヤ出版)、『〈つながり〉の現代思想』(明石書店)、『政治において正しいとはどういうことか』(勁草書房)、訳書に『左派ポピュリズムのために』(シャンタル・ムフ著、明石書店、共訳)などがある。

 

嫉妬感情の芽生えは、自尊心の芽生え?

━━山本さん、今日はよろしくお願いします。

お願いします。

━━最初に自分の話で恐縮なんですが、わたしはこれまで嫉妬の感情を知らなかったんです。でも、近頃芽生えまして。その理由ですが、自分はもともと自己肯定感がかなり低かったのですが、この一年でだんだんと上がってきている感覚があって。それで、人と自分を比較するようになって、嫉妬を覚えてしまったんじゃないかと思っています。

いや、すごいおもしろいですね。自己肯定感が上がってきたことで、嫉妬の感情が生まれた。それまでは、どちらかというと低かったということなんですよね。

━━そうですね。全人類の中で自分が一番ダメだと思ってました。

それも結構すごいと思うんですけど。

━━今思えば、かなり極端だったなと思います。

嫉妬を感じるということが、なんらかの回復……と言っていいのかわからないけれど、変化の兆しになる。そんな風に捉えることもできるんだというのはすごい発見でした。いきなり結論めいた話になってしまいましたが。

 

嫉妬とはなに?「正真正銘の悪徳としての嫉妬」

━━山本さんの『嫉妬論』は、そもそも嫉妬とはなにか? を探る章からはじまりますね。

そうですね。一口に「嫉妬」と言ってもいろいろと種類があるので、この本で扱う嫉妬についての定義をはっきりとさせています。

━━『嫉妬論』のなかでは「ジェラシー」や「エンヴィー」、「シャーデンフロイデ」という言葉が出てきました。一般的に、嫉妬と聞いて思い浮かべるのって「ジェラシー」だと思うのですが、それぞれの言葉の違いについてお聞きしてもいいですか?

ジェラシーもエンヴィーも「嫉妬」「ねたみ」「羨望」などと日本語に訳されて、あまり区別なく使われることが多いんですが、それぞれ性質が違っています。

まず「ジェラシー」というのは、喪失(loss)に関わる感情です。たとえば、自分のパートナーや友人が他の人と仲良くしているのを見るとジェラシーを感じるのは、その人を「失う」かもしれないと思っているわけです。

━━自分の元からいなくならないでよ、という気持ち。

はい。他方で、僕がこの本で扱おうとしている「エンヴィー」は、欠如(lack)に関わる感情です。自分にないもの、あるいはひょっとしたら自分が得ていたかもしれないものを、身近な同僚や友人が手にしているのを、ほぞを噛んで見つめている。なんなら彼らの失墜を望んでしまうような、かなりドロドロした感情である「エンヴィー」をこの本では主題にしました。

━━他人の不幸を望んでしまうというのは、感情としてかなり歪んでいますよね。

嫉妬の話をしていると「嫉妬も、使いようによっては自分を駆り立てるエネルギーになる」という感じの結論になることがままあります。確かにジェラシーって場合によってはちょっと可愛くて、ユーモラスにすら感じられるところがある。でも、僕は正直、プラス要素のある嫉妬にはまるで興味が持てなくて

━━可愛げが“ない”ほうの嫉妬である「エンヴィー」に焦点をあてたということですね。

エンヴィーは「正真正銘の悪徳」とまで言われている感情です。やっぱり徹頭徹尾、自分を高めてくれるわけでもなく、醜くて恥ずかしくなっちゃうくらいの、しょーもない人間の性としての嫉妬。他人を蹴落として自分も一緒に落ちていくような、そういう破滅的な感情を扱いたかったわけです。

先ほどもうひとつ出てきた「シャーデンフロイデ」に関して言うと、これはエンヴィー(悪性嫉妬)と双子のようなところがあって、区別もできるのですが、基本的にはセットで考えています。ひと昔前のネットスラングで言うと「メシウマ」に相当すると思います。

━━メシウマは、「他人の不幸で今日も飯がうまい」の略ですね。これもすごい言葉ですが。

そうそう。自分が気に入らない相手が評判を落としているとか、炎上しているのを見てスカッとする。それが「シャーデンフロイデ」ですね。

━━山本さんは、そもそもなぜ嫉妬に興味を持ったんですか?

以前、ある同業者が懇親会で言った「どれだけ偉くなっても、嫉妬やルサンチマンは消えない」という言葉がどうにも印象に残っていて。周りを見渡してみても、たしかにそうだなと思ったんです。それ以降、嫉妬について何か書けないかな、と、この感情について考えることがライフワークになりました。それが、自分の専門分野である政治とも関係が深いとわかったのは、その後のことですね。

 

人を妬む心は、誰も共感してくれない孤独な感情

それで、荒田さんのなかに芽吹いた嫉妬というのは、どういう種類のものですか?

━━ああ、え〜っと……。嫉妬にもいろいろ種類があるんだなっていうのはだんだん分かってきていて。そうですね……悪性嫉妬もあると思います。

たとえば、これ、言うのすっごく嫌なのですが、自分がソファでだらけた状態でいながら、人に幸福にならないで欲しいな〜みたいな。めっちゃ悪性ですね、これは。

つまり自分では手を下さずに人の不幸が訪れることを願っていると。この研究をしているからかも知れないんですが、僕は人の嫉妬の話が好物で(笑)。さすがにここで具体的な内容を聞くのは控えておきますけど。

━━ぜんぜん、具体的に言える気もするんですが……。いや、やっぱり自分のなかの、なにか理性みたいなものがストップをかけてしまいますね。

いや、いい嫉妬ですねって感じですよ。

━━ありがとうございます(笑)。山本さんは、人の嫉妬の話を聞き取りすることもあるんですか?

ほとんどしていないですね。僕ら政治思想研究者は文献研究がメインで、聞き取りやインタビューをあまり扱わないということもあるのですが、聞いてもあんまり出てこないと思うんですよね。とあるトークイベントで、少人数だったので車座になって、来場者の方々に聞いてみたことがあったんですが、途端にみんな歯切れが悪くなるんです。さっき好物と言いましたけど、基本的には他人の嫉妬話なんて犬も食わないって感じですよね。嫉妬って、なぜかあんまり共感されないんですよ。

━━確かに、相手に共感されるイメージができないから話せないのかも知れないですね。怒りの感情と違って、嫉妬は自分を正当化することが難しいような気がします。

生々しすぎるし、共感されることもない。単に自分の恥部をさらすだけになる。

━━ちょっとこれは孤独な戦いになってきますね。

怒りであれば「それはおかしい! ひどい!」と共感することができるのですが、嫉妬は孤独なんです。

嫉妬は他人に共感されにくく、行き場のない感情をひとりで抱え込む時などは、言いようのない孤独を覚える……。いっぽうで、怒りは連帯を生みやすい

━━たしかに、怒りの感情は共感が得られる気がします。

怒りの場合、共感した人たちが「一緒に声を上げよう!」と連帯して社会変革に繋がることもありますよね。僕の研究分野でも、民主主義社会は不正義に対する人々の怒りにきちんと反応して、受け止めていかないといけないと議論されます。でも、人々の嫉妬を救わないといけないという話は一切ないですよね。聞いたことがない。

━━本当ですね。

ただし、だからといって、嫉妬が社会を動かしていないというわけではないと思います。

 

あなたの嫉妬が利用されている?

━━最近、『大奥』という漫画(※)を初めて読んだのですが、嫉妬が政治を大きく動かしている感じがしました。

※『大奥』:よしながふみ作の、男女逆転SF大河超大作。男女逆転というSF的な構造を使って、この世界のジェンダーギャップを浮き彫りにする、よしなが先生の手腕に震えました。めちゃくちゃおもしろいのでおすすめです(荒田)。

そう。嫉妬が、怒りにも増して社会を動かしている部分はあると思います。しかし、表面化しにくい側面はあるでしょうね。その分、物語に現れるのだと思います。

━━たしかに。嫉妬の感情はドラマを大きく動かす印象があります。

それと、これは怒りもそうなのですが、嫉妬は政治的に利用されるリスクがある感情だと思います。

━━政治的に利用される?

たとえば、政治家が選挙で当選するために「一部の人たちが優遇されている、美味い汁を吸っている」と扇動することがあります。すると嫉妬心、この場合は嫉妬と怒りがない混ぜになったルサンチマンと呼ぶのかも知れませんが、そういった怨嗟が雪だるま式に大きくなっていき、その感情を統括するリーダーとして、有権者の側もその政治家を支持することがあります。

━━とても恐ろしいけれど、身近な話題だと感じます。

嫉妬って、焚き付けられやすい感情なんですよね。大きな渦を巻き起こすいっぽうで、一人ひとりは孤立しているのも、権力にとっては都合がいいのかも知れません。それと、今話していて思ったのは、嫉妬というものは統治の手段としても使われているということです。

━━統治の手段ですか。

先ほどの『大奥』は江戸幕府の話だと思うんですが、将軍の下にもいろいろと役職があってランクが分かれているわけですよね。

━━そうですね。

同じランク同士で喧嘩させたり嫉妬させたりしていれば、一番上に立つ人間には刃が向きにくい。

━━なるほど。上に刃が向かないように嫉妬心を利用されている。

同じ立場の者同士で「あいつは成功してずるい」などと嫉妬心を燃やしていると、その上に立つ権力者に矛先が向きにくい。そういった性質から、嫉妬は統治に利用される

カーストや士農工商にもあるいは同じようなことが言えるかもしれません。同じランク内で嫉妬心を焚き付けておけば、彼らがいきなり連帯してこっちに刃向かってくることは考えにくい。これは、なにも歴史上の話ではなくて、企業の構造としてもあると思います。役職が細かくランク付けされていたり、あるいは社員と契約社員という違いがあると、なかなか連帯することができず、経営陣に異議申し立てすることが難しくなる。

━━『嫉妬論』に、嫉妬というのは「自分と同じか、同じだと思える者」に対して発生する感情と書かれていましたね。そのあたりも関係あるのかもなと思いました。自分とは全然立場の違うトップに刃向かうより、隣にいる、立場が同等の人間に嫉妬するほうが感情の発露として自然というか、楽ですよね。

そう。社会は平等であらねばならないはずなのに、なんで同じランクにいるお前と俺でこんなに待遇が違うんだっていうところがポイントなんです。怒りにつながれば、連帯してトップと交渉することができるかも知れないけど、嫉妬に行ってしまうともう思うつぼですよね。

━━わたしも、嫉妬の構造に飲み込まれてしまったことがあると思うな……。

誰にでも関係ある話なんですよ。だからやっぱり、嫉妬というのは、向き合い乗り越えないといけない感情なのだと思う。そういうことを『嫉妬論』を書いていて感じましたね。

 

わたしたちは嫉妬とどう向き合うか

━━そんな嫉妬と、わたしたちはどうやって向き合っていったらいいんでしょうか。

はい。これがなかなか難しいところなんですよね。

━━たとえば、『嫉妬論』のなかでは、「ものをつくることで嫉妬が和らぐ」という話が引用されていましたね。

三木清の話ですね。

嫉妬心をなくすために、自信を持てと言われる。だが自信はいかにして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。

(三木清『人生ノート 他二篇』より)

━━思い出したのは、わたしが通っていた高校です。芸術科しかない公立高校だったんですが、みんなそれぞれ好き勝手に創作活動をしていたこともあってか、あまり嫉妬が原因のトラブルがあったとは聞かなかったんです。ものづくりで嫉妬から解放されるみたいなことがあったのかな。

それはなによりです。でも、三木の言うものづくりがどのくらいの没頭度なのかはわからないですが、集中することで嫉妬心がなくなるのであれば、研究者の世界にも嫉妬はないはず。でも、実際には普通にあるわけで。芸術家にだって嫉妬はあるでしょう。どの世界も嫉妬だらけなのを見ると、三木の解決策は万全ではないのかなと。

━━嫉妬が少なかったのは、高校の芸術科で、大学よりは専門性が薄かったからかもなと思いました。大学では細かく専攻が分かれるじゃないですか。たとえば、美術科のなかでも、日本画科、油画科など。うちの高校ではそういった細かい区分けがなかったので、それぞれが違う方向を向いていられたのかも知れないですね。同じクラス内でも多様な価値観があったというか。

なるほど。『嫉妬論』にも書いたのですが、やはり価値観や評価軸を単一にしない、複雑にするということが、嫉妬と付き合う手がかりになってくるのかも知れないですね。

━━「ものをつくる」の言葉が意味するのは、他人には理解されないけど自分にとっては価値のあるものを黙々とつくるということなんですかね。それだったら、たしかに嫉妬から解放されそうです。

ただ、多くの人にとって、他人に評価されないっておもしろくないはずなんですよ。もちろんそれが幸せな人もいるけどね。

━━浮世離れするってことですもんね。今って、SNSやメッセージアプリで、いつでも、どこにいても人と繋がれるので、浮世離れするのは相当難しい時代だなと感じていて。

そう思います。SNSから離れてみるなど、個人でできる嫉妬の対策はあると思います。ただ、僕は、いくら個人が心がけても、社会全体が多様な価値観を受け入れなければしんどいままだろうと考えています。

もうひとつ、『嫉妬論』に書いた嫉妬との向き合い方を紹介しますね。それが「どうしても他人と比較してしまうなら、逆に、徹底的に比較してみたらどうか」というものなんですけど。

━━どういう感じで比較するんですか?

ある部分だけ比較するんじゃなくて、もっと多面的に比較してみてはどうだろうかということです。そうすると、相手の思いもよらない一面が見える。優れた隣人が、実は完璧じゃないとわかることもあるでしょうし、好感を持てる部分も出てくるかも知れない。それまではある部分に特化した半端な比較だったのを、もっと真剣にやるということです。

━━すごい。できれば有効だと思いますが、妬ましい人物ととことん向き合うってことですよね。痛みを伴う苦しい作業になりそう……。

そうなんですよね。だからこの解決策はあまり評判がよくなくて(笑)。僕は言い出しっぺなので、わりに実践してますけどね。

 

私たちは嫉妬が好きで、手放せないんじゃないか

━━さっき、SNSの話が出ましたが、今を生きる人たちにとって一番身近にある嫉妬のきっかけはSNSだと思います。『嫉妬論』にも、「休暇嫉妬」(※)という言葉が出てきました。

(※)「休暇嫉妬」:休日に日頃の疲れで布団から起き上がれない時、友人や知人がSNSで充実した投稿をしていると抱く、劣等感やイライラのこと。

SNSと嫉妬は切っても切れない関係だと思いますね。SNSが過剰になりすぎたためか、今ではInstagramのいいねの数が非表示になったり、Xのいいね欄が非公開になったりしています。利用者の精神状態に悪影響を及ぼさないためにも、SNSの仕組みが感情を煽りすぎないように、少しだけですが、変化してきているように感じます。

━━ただ、まだまだ嫉妬心を煽るような仕組みではあるなと思います。

SNSが嫉妬心を掻き乱さないようにする工夫は、もう少しできるような気がしますよね。でも、そうなった時に果たして「おもしろい」かどうかというと、あんまりおもしろくないと思うんですよ。リポストやいいねの数、フォロワー数が見えなくなったら、嫉妬心が緩和されるかも知れないけど、みんなあんなに熱心にやらなくなるんじゃないか。つまり、つまらなくなるのでは、と。台湾のオードリー・タンさんなんかが提唱する、もっと民主主義社会に健全なSNSアルゴリズムの提唱は、学術的には興味深いんですが、あまり人びとに訴求力を持たないのではとも思います。

━━なるほど。

『嫉妬論』では言及できなかったのですが、僕が常々感じているのは「僕たちは嫉妬心を手放せないんじゃないか」っていうこと。もちろんすごく苦しいんだけど、同時にけっこう「楽しんでいる」というか中毒になっている人もいるんじゃないかな。嫉妬に対して。

━━『嫉妬論』でも、「嫉妬心が完全に社会から、あるいは私たちから消え去ることはないだろう」と書かれてましたよね。

世の中の嫉妬心を扱う本は、きっとほとんどが自己啓発系なのかなと思います。嫉妬をどうやって止めるか、あるいはどうやって自分の成長に繋げるかが話題になっている。『嫉妬論』ではけっきょく、人や社会が嫉妬を手放す方法は導き出せなかったし、それがゴールではないと思ったんですよね。やっぱり、骨の髄まで苦しめられても、僕たちは嫉妬がけっこう好きなんだと思います。

 

幸せってなんだろう?

━━今日はいろいろとお話いただきありがとうございました。わたしが嫉妬と向き合いたいと思ったのは、つきつめると「幸せに暮らしたいから」なのではないかなと思っていて。嫉妬とは少し離れるんですが、山本さんが考える「幸せ」についても伺っていいですか?

最近、東浩紀さんの『平和と愚かさ』(ゲンロン)を読んでいるんですが、すごくいい本で。東さんの平和論なのですが、平和というのは、「ひとが政治について考えなくてもいい状態」なのではないかと書かれていて。

たとえば、ひとは小説を読んだり、音楽を聴いたり、スポーツチームを応援したりする。平和時には、かりにそこで選ばれた作家やミュージシャンやチームが敵対する国家に所属していたとしても、その選択がただちに政治的な意見表明にはつながらない。同じことが私的な人間関係についても言える。平和時には、恋愛や結婚の相手を選ぶにあたって、相手が所属する国や民族との政治的な関係は障害にならない。少なくとも、それを障害にしてはならないという合意が広がっている。ぼくは、そのような政治的な思考停止の領域についての合意の広がりこそが、ある社会が平和と呼ばれるべきか否かを判断する上で重要な指標になるべきだと考える。

『平和と愚かさ』(東浩紀 著/ゲンロン)より

逆に言えば、戦争というのは常に政治について考えている状態ということになります。

僕は政治学者なので、本当にたくさんの人に「どうやったら若者が政治に関心を持ってくれるでしょうか」と質問されてきました。けれど、今の若者は、好むと好まざるとにかかわらず、日常的に政治的なものに強制的に触れ続けています。SNSを開けばセンセーショナルな政治の情報を目の当たりにして、そのたびに感情を動かされることになる。

もちろん、いろいろ考えないといけないことはあります。でも、常に膨大な情報を浴び続け、学び、考え続けることを要求されるこの時代においては「なにかを考えなくて済む状態」もまたひとつの幸福なのかなとも思います。なにも考えずに、スマホも閉じて、ベッドでただただボーッとすることが許されるのが、なにより幸せなことなのかも知れません。

 

おわりに

嫉妬は苦しい。でも、わたしたちは嫉妬が好きで手放せないのではないか。

そんな結論となった今回のインタビュー。

ですが、山本さんのお話を聞いて、得体の知れないお化けだと思っていたものの正体が風にたなびくビニール袋だとわかったくらいには、嫉妬が怖くなくなった気がします。

 

とは言え、取材中にも出てきた通り、嫉妬というものは「醜くて恥ずかしくなっちゃうくらいの、しょーもない人間の性」。あまり嫉妬と仲良くなりすぎてしまわないよう自分に釘を指すため、山本さんの本のなかで引用されていた、スロヴェニアの嫉妬にまつわるこわい物語を紹介して終わりたいと思います。

農夫は善良な魔女からこう言われる。「なんでも望みを叶えてやろう。でも言っておくが、お前の隣人には同じことを二倍叶えてやるぞ」。農夫は一瞬考えてから、悪賢そうな微笑を浮かべ、魔女に言う。「おれの眼をひとつ取ってくれ」。

(『ラカンはこう読め!』スラヴォイ・ジイジェク 著、鈴木晶 訳。山本圭『アンタゴニズムス』(共和国)第三章「嫉妬・正義・民主主義」の中で引用)

 


嫉妬についてもっと考えたい方は、ぜひ、山本さんの『嫉妬論』を読んでみてください。自分の嫉妬心が客観視でき、上手な距離の取り方がわかるかも知れません。

『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』

山本圭 著 光文社新書

https://books.kobunsha.com/book/b10125445.html