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『母親になって後悔してる』翻訳の裏側。後悔してる=子どもを憎んでいる、ではない

『母親になって後悔してる』日本語版の翻訳を担当した鹿田昌美さん

泣き止まない我が子をあやしながら夫が言う「やっぱりママがいいんだよね」
親から何気なく投げかけられる「もうお母さんなんだから、しっかりしなさいよ」

周囲から悪気なく“お母さん”のレッテルを貼られることに気疲れし、「子どもはかわいいけれど、母であることがつらい」「自分は育児に向いていないのかもしれない」と感じながらも、誰にも言えずその思いを心のなかに閉じ込めている人は少なくないはず。

こうした母親たちの後悔と、社会が彼女たちに背負わせている重荷について書かれた『母親になって後悔してる』は、2017年にドイツで刊行されて以降世界中で翻訳出版され、各国で大きな議論を起こしてきました。

2022年春に出版された日本語版の翻訳を担当したのは、数々の訳書を手がけてきた鹿田昌美さん。翻訳を通じて「母親たちの後悔」と向き合った鹿田さんに、これまで語られてこなかった“母親”という役割のつらさについて聞きました。

* * *

『母親になって後悔してる』

母親になって後悔してる

著者はイスラエルの社会学者、オルナ・ドーナト。「今の知識をもって過去に戻れるとしたら、また母親になりたいか」という質問にノーと答えた23人の女性のインタビューから構成され、これまでタブー視されてきた「母の後悔」にフォーカスした本として、欧米を中心にSNSなどでも大きな論争を巻き起こした。日本語版も各界から注目され、多くの著名人によって書評が書かれるなど、話題を呼んでいる。

▶『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト/著 、鹿田昌美/訳) - 新潮社

「母親の役割を担うこと」のつらさはもっと語られるべき

『母親になって後悔してる』というタイトルは、とても衝撃的ですよね。この本の翻訳を打診されたときのことを教えてください。

鹿田昌美さん(以下、鹿田) 「母親」をテーマとした本なのに、担当が男性編集者さんだったのが意外でした。以前、インターネットの記事でこの本の原著が話題にのぼっていたことから、日本語版の刊行を検討し始めたそうです。

担当編集さん曰く、周囲にいる女性を見ても「結婚して子どもがいて、それだけでハッピー!」という人はあまりいない。またご本人も「結婚しろ」「妻と子どもがいて一人前」という男性だからこその圧力を感じる場面が多かったことから、「母親」や「子を持つこと」に目が向きはじめ、この本を日本でも読んでもらいたい、と私に翻訳の相談を持ちかけてくれました。

鹿田昌美さん

先に出版されていた国々では「“母親になって後悔している”とは何事か」という議論や、著者への強い批判も起きたそうですね。そうした本に関わることに、不安はありませんでしたか。

鹿田 私も最初はタイトルに驚きました。でも読み進めていくと、全編を通して「愛情と希望」にあふれた本だと感じたんです。子どもへの愛情にあふれているし、女性が自分自身の人生をしっかりと歩みたいという希望も感じられる。

著者のオルナ・ドーナトさんの誠実な目線と、誠実に言葉をつむぐ女性たち。タイトルだけで拒絶されてしまうのはもったいない、素晴らしい本であることを伝えられたらと思い、引き受けました

この本を日本で出版することに、どのような意味を感じていましたか。

鹿田 日本でこの本を出すこと自体に意義がありますし、それ以上に、本を手にした人が何かを感じ取ったり誰かと意見を述べ合ったり……。そんなふうに受け入れてもらいたいですね、と担当編集さんと話していました。

日本語版はレイアウトやデザインもすごく凝っていて、インタビュー部分は枠で囲み、フォントも変えているんです。担当編集さんが社内で「忙しくて本を読む時間がない育児中の人にも読んでもらうためにはどうしたらいいか」と意見を募ったところ、育児中の女性から「より共感しやすいインタビュー部分だけを拾い読みできるようにしては」という声があったそうです。

『母親になって後悔してる』電子版 日本語版はインタビューパートが一目でわかるよう枠で囲まれている(『母親になって後悔してる』電子版 )

翻訳にあたり、著者のオルナ・ドーナトさんから何か要望はありましたか。

鹿田 本でも再三触れられていることではあるのですが、「母親になったことに対する後悔」と「子どもを産んだことに対する後悔」を混同して訳さないでほしいと依頼がありました。

とてもセンシティブな内容なので、「誤解が生まれないように」にはかなり心を砕きましたね。例えばインタビューに答える「23人の女性」は、全員が仮名でおおよその年齢と子どもの数、子どもの年代しか情報がないんです。

そんななかで色をつけることなく、息遣いやリズムを誠実に訳しつつ、まるで本人がそう語っているかのように表現し、後悔を語る母親たちの声を日本語に置き換えていくにはどうすればいいのかを考えながら翻訳しました。

「後悔してる=子どもを憎んでいる」ではない

そうして刊行された日本語版も、これまで刊行されてきたその他の国と同様に、大きな話題を集めています。「母親になったことへの後悔」というテーマが、なぜこれほどまでに議論を呼ぶのだと思いますか。

鹿田 母親という存在はある種の「聖域」のように捉えられがちで、そこへ斬り込んだことが大きいのではないでしょうか。当事者である母親以外の人の感情も揺さぶるテーマだと思います。

自分の中の完璧な存在としての「母親」が脅かされる不安、を感じている人もいそうです。

鹿田 それもおおいにあると思います。でもこの本で「後悔」を告白をしている女性たちは、自分の子どもを憎んだり、暴力をふるったり、虐待をしている人ではない。むしろ、すごく子どもを愛していて、責任と愛情をもって育てている。ただ、母親になったことで担わねばならなくなった「母という役割」がつらいんです

鹿田昌美さん

子どもを愛しく思うのと同時に憎らしくも感じる「相反する感情を同時にもつこと」と、母になったことへの後悔は別のものであると、本の中でも明言されていますよね。しかし他者のこういった気持ちを理解したり、受け止めたりすることは非常に難しいことなのではとも感じます。

鹿田 そうですね。「母親になって後悔してる=ひどい母親に違いない」などと他者のことを決めつけるのは、その人の気持ちが理解できなくて戸惑う自分の心を守る手段としてとても楽ですから。特に今の時代は情報が多過ぎるので、SNSなどで流れてきた都合よく切り取られた情報だけを鵜呑みにしやすいですし。この本も「母親になって後悔してる」という言葉だけが切り取られがちです。

でも同時に、いまは「多様性を受け入れる」方向に少しずつ進んでいる世の中だとも感じています。「こういう人もいるんだ」「そういう価値観もあるんだ」と、その人を排除するのではなく、寄り添いながら共存する道がないかを模索できるといいのではないでしょうか。

確かに。5年前に発売された原書の反応と比較すると、日本では肯定的に受け入れられていることも多いように感じます。

『母親になって後悔してる』原書と日本語版 原書(左)と日本語版(右)


鹿田 この本の発売を告知をしたときには、「これはわが家の本棚には置けない」と言われるなど、タイトルへの反応が多かったんです。ですが、出版後には多くの方が書評を書いてくださり、そのどれもがあたたかい言葉にあふれていたのが印象的でした。

もちろん、タイトルだけで拒絶してしまう方もいると思いますが、読み進めてくれた方からは「共感しました」「感じていたことを言葉にしてもらえてよかった」といった好意的な感想がとても多いと感じています

「母親になって後悔してる」なんて、なかなか口にできない言葉ですよね。でも、こうした本が出たことで「それもありなんだ」「そう思ってもいいんだ」と、気持ちの居場所のようなものが一つ増えたというのも、この本の画期的なところだと思います。

「お母さん」ではない一人の人間として、主体的に生きるということ

鹿田さん自身もお子さんをもつ「母親」ですが、社会が母親に背負わせている重荷を感じたことはありますか。

鹿田 私は子どもが0歳のときから、保育園の助けを借りながら育児と翻訳を両立してきましたが、マイペースな性格だからか、母親としての重圧や社会からのプレッシャーを感じることは少なかったと思います。

ただ『母親になって後悔してる』に登場する女性や、いま多くの女性が感じている「生きづらさ」のようなものは少なからず理解できます。こういった感情は主体的に生きられていないと感じたときに生まれるように思うんです。

主体的に生きる、ですか。

鹿田 かつての女性は何かを「する側」である「主体」ではなく、「される側」の「客体」だった。例えば昔のハリウッド映画では女性が主人公のものは少なく、常に主人公の男性から「見られる」「求められる」「選ばれる」存在として描かれたものが多かったんです。しかし、時代の移り変わりとともに女性が主体的に活躍する作品も増えましたよね。

確かに、自分の足で力強く歩んでいる女性を描く物語も多いですね。

鹿田 そうなると今度は「もっと頑張らなきゃいけないの?」とプレッシャーを感じてしまうかもしれない。

女性に求められることって、年々増えているように感じませんか? 働く、結婚する、出産する。仕事をしながら家事や育児もこなして、服装やお化粧など見た目も気遣い、向上心があり自分磨きも怠らない……。どんどん項目が追加されていて、息苦しさを覚える女性が増えているのではと感じています。

さらにいえば、女性だけではなく男性も「出世しろ」「家庭を持て」といったプレッシャーをかけられ、そうではない人生を選び取りにくくなっている気がして。この本では「母親」に焦点が当てられていますが、「価値観の押しつけ」は誰しも経験したことがあるのではないでしょうか

映画の世界の女性のように、現実の社会でも「多様性」を認める動きが高まっています。誰もが「自分は自分らしく」と主体的に生きられる社会になればいいなと願っています。

鹿田昌美さん

「お母さん」という役割につらさを感じている人が、「私」という主体で生きていけるようになるといいですよね。私自身、大人になって母と対話するようになってから、「お母さんってこういう人だったんだ」と感じることが増えました。お母さんも一人の人間だったんだ、みたいな。

鹿田 子どもの立場からすると、「お母さんも人間だったんだ」ってすごい気づきなんですよね。それを、自分が母親になったときに娘や息子にも伝えていければいいのかなって。「母親」の神聖な部分を否定する必要はないと思うんです。ただ、そうでありながら、やっぱり「母親も人間である」ことも忘れずにいられたら、子どもも親も、もっと楽に生きられるのではないでしょうか。

取材・執筆:藤堂真衣
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:鹿田昌美さん

鹿田昌美

翻訳者・著者。国際基督教大学卒。小説、ビジネス書、絵本、子育て本など、70冊以上の翻訳を手掛ける。近年の担当書に『フランスの子どもは夜泣きをしない』(パメラ・ドラッカーマン著、集英社)、『世界を知る101の言葉』(Dr.マンディープ・ライ著、飛鳥新社)、『人生を変えるモーニングメソッド』(ハル・エルロッド著、大和書房)などがあるほか、著書に『「自宅だけ」でここまでできる!「子ども英語」超自習法』がある。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ。前職の経験は、転職先でも生きる

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

一つの会社である程度の経験を積むと、転職を視野に入れ始める人は少なくないと思いますが、まずは近隣の業界を検討するという方が多いでしょう。しかし、中には現在とは異なる仕事に就き、再スタートを図りたい方もいるのではないでしょうか。そのとき、「前職のスキルや経験が生かせるか」といった点に関心を持つ人は少なくありません。

静岡県沼津市の介護施設「すまいるほーむ」で介護職員として働く六車由実さんは、2008年まで民俗学の研究者として大学に勤務し、30代を迎えてから未経験で介護の世界に飛び込みました。

現在は、前職の研究手法を生かした「聞き書き」などを行いながら、仕事に取り組む六車さん。異業種転職の背景や介護の仕事の面白さ、異なる分野で前職の経験が生きた経験などについてお話を伺いました。

不安はあったが、全く新しい「介護」の世界にやりがいを感じた

六車さんはいま、介護職員としてデイサービス(日帰りの通所介護施設)で働いているとお聞きしています。まずは、現在のお仕事内容について教えていただけますか。

六車由実さん(以下、六車) 私が働いている「すまいるほーむ」は、地域密着型通所介護と呼ばれる定員10名の小規模のデイサービスです。利用者もスタッフも少人数なので、私が施設の管理者をしつつ生活相談員の仕事も兼ねています。利用者さんの送迎や食事・お風呂の介助から、ご家族やケアマネジャー等との連携までおこなう、いわばなんでも屋のような立ち位置ですね。

施設は、六車さんのご自宅の1階部分にあるそうですね。

六車 そうなんです。もともとは別の民家を利用していた施設なのですが、急逝した父の「せっかくなら我が家を地域の人たちに活用してほしい」という思いもあって、4年前に実家の1階を改装して「すまいるほーむ」にしたんですよ。自宅と仕事場が近過ぎることで落ち着かないときもあるのですが(笑)、毎日予想外のできごとが起きるのを間近で見られるのは、地域に根ざして働くことの醍醐味かなと思っています。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車さんは介護職員として働き始める2008年まで、民俗学の研究者として大学で教鞭をとられていたとお聞きしています。両者は一見まったく違うフィールドのように感じるのですが、どのような経緯で介護の現場に足を踏み入れたのでしょうか?

六車 最初から介護に興味があったわけではなくて、大学での仕事に限界を感じ、研究の道から一旦離れようと考えたのがひとつのきっかけです。いまの大学職員って授業や研究だけをしていればいいわけではなくて、雑務が本当に多いんですね。当時は山形の大学で教員をしていたのですが、忙しさのあまり、研究室で学生の相談に乗る時間が満足にとれないこともありましたし、フィールドワークなどで休みの日がまるまる潰れてしまったりもして。研究や教育にはやりがいを持っていたのですが、次第に心身ともに辛くなってしまいました。

加えて、私自身が研究者の過酷な競争社会についていけなかったというのもあります。論文の発表数や引用数、学会発表の回数などで評価が決まるシビアな世界なのですが、コツコツと研究はしていたものの、自分のペースと求められるペースがどんどんズレていってしまって……。結局、8年ほど勤めたあとで退職し、実家に戻ってきたんです。

そこで出会ったのが介護のお仕事だったのでしょうか。

六車 はい。最初のうちは研究者に戻ることも検討していたのですが、私はどうも性格的に、研究者の世界の競争や緊張感にはあまり合っていないなと感じまして。新しく何か仕事を始めないといけないな、と考えていたときに、高齢者と関わる仕事がいいかもしれないと思ったんです。

というのも、私がそれまでおこなってきた民俗学の研究では、調査の対象の多くが高齢者で、そこで得たものや学んだことがとても多いと感じていたんですね。何か高齢の方と関われる仕事はないだろうかと漠然と考えていた頃に、ハローワークでたまたま介護の仕事に関するチラシを見つけて。そこから介護士の資格を取得し、最初の職場である大型のデイサービスに勤務することになったんです。大学を辞めてから、だいたい半年後ぐらいでしょうか。

ただ、研究者の世界は競争が激しい分、一度その道を外れてしまうと復帰するのが難しいという面もありそうですよね。異業種への転職で、それまで積み上げてきたキャリアを手放してしまうことに関して不安を感じたりはしましたか?

六車 その不安はもう、当然ありました。私は大学以外の職場での勤務経験がなかったので、そもそも大学以外で働けるのかということ自体未知でしたし、収入面が落ちることに対する懸念もありました。

でも、自分にとって介護の世界は何もかもが新しかったので、かえって面白かった。私はそれまで自分の家族の介護をした経験もなかったので、利用者さんの体に触れて介助をさせていただくこと自体がまったくの初めてだったんです。お風呂や排泄の介助などは特に、拒否感なくできるかどうか自分でも分からずちょっと不安だったのですが、やってみたら意外とすんなりできたし、利用者の方に「ありがとう」と感謝していただけるなかで、仕事に関する自信や生きがいみたいなものも徐々に感じられるようになっていきました

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

やりがいや面白さというのは、具体的にどのような点に感じたのでしょうか。

六車 介護って基本的には、ひとりの利用者さんに周りのスタッフたちがどう関わっていくかという共同作業だと思うんです。私がそれまでいた研究の世界では、どんなテーマを研究対象に選び、誰がいちばん最初に成果を上げるかを重視するあまり、ときに同僚との関係もライバル同士のようになってしまう部分もあったのですが、介護現場ではむしろ、みんなで協力し、それぞれが足りない部分を補い合うことが大切になってくる

もちろん介護現場にも人間関係の問題はありますし、どちらがいい・悪いというわけではなく単に合う・合わないの問題だと思うのですが、私の場合はそういう介護の世界の働き方自体がとても新鮮だったんです。大学にいたときよりも楽な気持ちでいられているのに気づいたこともあって、この仕事を続ける決心がついたのかな、といま振り返ると思います。

民俗学の実践を生かした介護現場での「聞き書き」

六車さんは介護現場で、施設の利用者さんを対象に「聞き書き」をされているんですよね。聞き書きは、語り手の話した言葉を書きとめることで民俗事象をとらえようとする民俗学の調査方法の一つだと思うのですが、具体的にはどんなことをされているか、すこしお聞かせいただけますか。

六車 もともとは最初に働いていたデイサービスで、利用者さんが聞かせてくださった昔のお話がとても面白く、思わずメモを取りながら聞き入ってしまったのが始まりです。それまでやっていた聞き書きは、研究なので当然ですがテーマありきなんですよね。私であれば、人身御供ひとみごくう(人間を神への生け贄とすること)であったり狩猟であったり、何かしらテーマを設けた上でムラに行き、お話を伺っていく。

でも、介護現場における聞き書きはもうすこし自然発生的というか、利用者さんと雑談をしている中で偶然出会った面白い言葉やエピソード、方言なんかにこちらが飛びついて、「よかったらもうすこし聞かせてくれませんか」と広がっていくんです。そこから、知らなかったその方の人生が見えてきたり、時代や地域が見えてきたり、こちらが想定もしていなかったことをたくさん聞くことができる

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

なるほど。テーマを設けていないからこそ、話題が想定外のところまで広がっていく面白さがあるんですね。介護現場で聞き書きをすることで、どのような変化を実感されていますか。

六車 民俗学の研究をしていたときもよく感じたのですが、テーマからすこしずれるような思い出話とか、まったく関係ない雑談のほうが面白いことって多々あるんです。それに論文や研究発表以外の場でまとめる機会が少ないのはもったいないな、とも薄々思っていたんですよね。

介護の現場では、利用者の方に伺った内容を「思い出の記」として冊子にまとめ、ご家族にお渡ししたり、最近ではかるたすごろくなどの形にも展開しています。今は聞き書きも私と利用者さんの1対1ではなくて、ほかの利用者さんも交えて行っているのですが、例えばかるたをつくるときはみんなで質問しながら話を聞き、その場で伺った内容を読み札にまとめていくんですね。

そうすると、かるたをつくる過程でお互いのことを知れますし、出来上がったかるたで遊ぶなかで、一人の利用者さんの記憶をみんなで受け止めたり、追体験したりすることにつながる。そういった試みを通じて、利用者さんとの関係がより深まったり変化していく面があると感じます。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

関係が深まったり変化したりするというのは、どのようなときに感じるのでしょうか。

六車 そもそも介護の現場では、スタッフが一人ひとりの利用者さんの個人史をほとんど知らないということも多い。それに、どうしてもケアをする・されるという関係が固定化されてしまって、利用者さんがスタッフに対し「申し訳ない」とか「迷惑をかけたくない」と感じるあまり、自分の思いを遠慮せずに伝えられなくなってしまいがちなんです。

でも、聞き書きをするときは変な遠慮や緊張をせずに活き活きと話してくださることが多いし、そのときは利用者さんの方が先生のような立場になるので関係性が逆転したり混ざり合ったりする。それによって、固定化されていた関係が徐々に柔軟になり、利用者さんにとってもスタッフにとっても心地よい場が生まれていくように思います。

正直、大学教員だった頃は、それほど聞き書きという方法に特別な関心を持っていたわけではないんですが、介護の現場に入ってから聞き書きの意外な効用というか、面白さを初めて発見したような気がしますね

さまざまなバックグラウンドの人が豊かな場をつくる

いまお伺いした聞き書きなどはまさに、研究というまったく異なる分野の視点が生きた取り組みであるように思います。異業種から介護の世界に入ってきた六車さんだからこそ、業界の課題や改善点が見える部分もあるのではないかと感じるのですが、いかがですか。

六車 研究職に就いていたからこそ、という具体的な例はないのですが、違う視点を持った人が集まっているということ自体はとても大切だと思います。

介護の現場って、もちろん介護の専門学校や大学を出た叩き上げのスタッフも多いのですが、転職組もわりと多い世界なんですよ。利用者さんにはいろいろな方がいて、それぞれの人生があるわけですから、関わる私たちもさまざまな人生経験を積んでいた方が、利用者さんとより深い関わりを持つことができるんじゃないかと思うんですよね。

なるほど。確かに前職がどんな分野であろうとも、そこで培ったスキルや経験が利用者の方との豊かな関係につながるというのはありそうです。

六車 だからこそ、それまでの人生経験や仕事の経験を十分に生かせる現場であるかどうかがすごく重要だと感じています。いままでの経験から新しいアイデアを発想したり、「これちょっと変えた方がいいんじゃないですか?」って気軽に口を出せるような環境であることが大切ですよね。

私も自分が「すまいるほーむ」の管理者という立場になってから、いろいろなバックグラウンドを持つスタッフたちの発想にとても助けられ、刺激も受けています。例えば、自分でデザイン事務所を開いていたスタッフがひとりいるのですが、施設の中でちょっとした工作や作品作りをするときに、彼の発想によって素晴らしいデザインのものができあがったりするんですよ。

もちろん安全面を考慮することは大切なのですが、施設のルールで利用者さんやスタッフを必要以上に縛ってしまうのではなく、新しいものや逸脱するものもよしとする柔軟性を持っていたいんです。そうしないと、介護現場ってそもそもすごく閉じられた世界なので、どこかで行き詰まってしまうと思うんですよね。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ
介護現場は「民俗学の宝庫」と語る六車さんの取り組みを綴った著書『驚きの介護民俗学』医学書院

介護現場がある種閉じられた世界であるというのは、確かにおっしゃる通りだと思います。健康な人や若い人にとっては、介護というものがどこか違う世界のできごとのように捉えられてしまったり、「老い」そのものに関心や実感の薄い人が多いな、と。

六車 そうですね。いま、「役に立つ」ことが非常に重視される社会になってきているのには大きな危機感を覚えています。介護の世界においても、介護予防や認知症予防、リハビリばかりに焦点が当てられ、そもそも「介護を必要としない」状態が一番いいとされてしまう。でも、老いは誰にでも平等にやってくるわけで、認知症になったり障害を持ったりするかどうかは、誰にも分からないわけです。それにもかかわらず、老いというものが日常からは切り離されてしまっていますよね。

介護を必要としないように、という考え方の根幹には、「人に迷惑をかけてはいけない」という日本特有の感覚があると思います。その感覚ってとても根深いと思いますし、私自身そう思ってしまうこともあるのですが、やっぱりそれは違うと言いたいんですよね。

歳をとっても、あるいは障害があっても生きてていいんだと思える社会にならないと希望がない。せめて自分たちの施設では、さまざまなつらいことがあっても「生きていてよかった」と思えるような場所をつくっていきたいと思いますし、そのためには多様な意見に開かれた場であることが重要だと考えています。

介護の仕事を通じて受容できるようになった「それぞれの人生」

今、お伺いしたことがお仕事を続ける上での大きなモチベーションになっている部分もありそうですね。他方で、体力的にハードなお仕事ではあると思うのですが、これまで介護の世界から離れたいと思ったことはありませんか?

六車 いままでも悩んだことはたくさんありますが、コロナ禍に入ってからは特に何度も「やめよう」と思いましたね……。これまでは、全国各地から見学や取材に来てくださる人が多かったこともあって、私にとっても利用者さんやスタッフにとっても、外部の方とお話しすることがいい刺激になっていたんです。それがコロナ禍に入って一気に減ったことで、ストレスはすごく増えました。

でも、施設の社長やスタッフたちにそのことを素直に話し、熱心に悩みを聞いてもらったことや、ときには仕事を代わってもらったこともあって、なんとか乗り切れてきたように思います。

悩みを共有できる同僚がいるかどうかは、本当に大切ですよね。

六車 やっぱりひとりで抱えず、周りに伝えることですよね。大学の教員時代は、なんでもひとりで乗り切ろうとしてしまいがちだったように思います。その結果、精神的にも肉体的にも追い詰められてしまったので、本当によくなかったなと……。

いまの職場は、迷惑をかけたり悩みを伝えたりすることに対して「お互いさまだよね」という感覚をみんなが持っているのがいいなと思うんです。大変なことももちろんありますが、お互いが協力し合える職場であることで、私にとってはすごく生きやすい場になっています。

六車由実さんに聞く、大学教員から介護職へのキャリアチェンジ

六車さんは著書『驚きの介護民俗学』の中で、35歳を過ぎた頃から、漠然と将来に対しての不安を感じていたと書かれていました。まさに同じような年齢で今後のキャリアや人生に対して不安を覚える人は多いように思うのですが、キャリアチェンジをしたことで、その「不安」や考え方に変化があったということでしょうか?

六車 私は独身で子どももいないので、当時は自分が人とは違う、逸脱した人生を歩んでしまっているんじゃないかという不安がすごく大きかったんですよね。

でも、介護の仕事を通じていろいろな利用者さんたちと関わる中で、まあこれもいいんじゃないかなと思えるようになってきた気がします。利用者さんやそのご家族とお話ししていると、本当にみんないろいろな人生を送ってきているということを実感するんですよね。

自分も自分の人生を歩んでいくしかないし、最後に自分を受け入れてもらえるような場所がありさえすればいいのかな、といまは思います。そのためにも、「すまいるほーむ」を守り続けることで、誰もが心地よく最期を迎えられるような場所を用意していたいなと考えています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

キャリアチェンジを考え始めたら

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お話を伺った方:六車由実(むぐるま・ゆみ)さん

六車由実さんのプロフィール写真

1970年静岡県生まれ。沼津市内のデイサービス「すまいるほーむ」の管理者・生活相談員。社会福祉士。介護福祉士。大阪大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。民俗学専攻。2009年より、静岡県東部地区の特別養護老人ホームに介護職員として勤務し、2012年10月から現職。「介護民俗学」を提唱。著書に『神、人を喰う』(新曜社・第25回サントリー学芸賞受賞)、『驚きの介護民俗学』(医学書院・第20回旅の文化奨励賞受賞、第2回日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)、『介護民俗学へようこそ!「すまいるほーむ」の物語』(新潮社)など。コロナ禍の介護現場をリアルに描いたカドブン連載「つながりとゆらぎの現場から―私たちはそれでも介護の仕事を続けていく」も注目される。

「ちゃんとしていない」自分を隠さずに生きていく。歌人・岡本真帆さんに聞く、苦手をシェアする働きかた

岡本さんイメージ画像

社会人経験が長くなってくると、会社において後輩や部下を指導・育成する機会も増えてきます。ときには、自分の苦手な分野について教えなければいけなかったり、自分自身も完璧にできていないことを注意するようなケースも出てきて、“ちゃんとして”いなければいけない自分の立場をプレッシャーに感じてしまうこともあるのではないでしょうか。

実際には、私たちはいくつもの人格を持ちながら生活していて、“ちゃんとしていない”人格もまた、自分を形作る上で無視できないものです。

「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」「無駄なことばかりしようよ自販機のボタンを全部同時押しとか」。そんな平易な言葉を用いた短歌で人気を集める歌人・岡本真帆さんは、“ちゃんとしていない”自分や、社会的には“無駄”とされがちなものを受け入れ、愛でるような歌を数多く詠んでいます。

現在も会社員として働きながら歌人としての活動を続けている岡本さんに、短歌が生まれる背景や、“会社員モード”と“歌人モード”の心のバランスについて、お話を伺いました。

* * *

歌集を開くささやかな時間が、忙しい日々の癒やしになった

「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」は、Twitterで多くの人にシェアされたことから話題を呼び、現在は岡本さんの代表歌にもなっている一首です。この歌が生まれた背景を、あらためて教えていただけますか。

岡本真帆さん(以下、岡本) 短歌の投稿サイトが「傘」というテーマで歌の募集をしていたときに、私も傘にまつわる歌を詠んでみようと考え始めたのがきっかけです。

短歌を詠むときはふだん、ブレインストーミングのようにひとつの単語から連想する情景や言葉をたくさん書き出していくようにしているんですが、自分自身のことを振り返ってみたときに、傘をかなり貯め込んじゃってるなとふと気づいて……。

傘、実際にそんなにたくさんあったんですか?

岡本 あんまり天気予報を見ないタイプで、家を出るときに晴れてたらその日はもうずっと晴れるものだと思って、傘持たないで出かけちゃうんですよ(笑)。それで雨が降るたびに出先でビニール傘を買って帰ってくるから、どんどん増えていく一方だったんですよね。楽天的というか、ちょっといい加減なのかもしれないです……。

この歌に限らず、岡本さんの短歌には「無駄なことばかりしようよ自販機のボタンを全部同時押しとか」のように、社会では評価されない無駄なこと、いい加減であることを否定せず、そういったものに接している時間を愛おしむような歌が多く見られますよね。

岡本 確かに、無駄なものや、“遊び”とされるものに惹かれやすいところはあるかもしれません。

大人になるにつれ「ちゃんとしている」ことを求められることは増えていくように思うのですが、そんな中で無駄であったりきっちりしていなかったりすることを短歌を通して前向きに捉えられる場がある、というのはすごく大切なように思います。

岡本 そうですね。でも、社会的には意味がないとされがちなことや、なんてことないと感じる体験こそ、実は誰にとっても心を動かす、大切なものなんじゃないかなと思うんです。

笹井宏之さんや木下龍也さんといった現代歌人の短歌に影響を受けて作歌活動を始めたそうですね。そういった歌人たちの歌にも、同じような魅力を感じたのでしょうか?

岡本 笹井宏之さんの『えーえんとくちから』という歌集が、確か一番はじめに本屋さんで手にとった歌集でした。当時は社会人2~3年目で、仕事に夢中になるあまり徹夜をしてしまうこともあって、かなり体力的にしんどかったんです。

そんなときに笹井さんの短歌を読んだのですが、とてもやさしい言葉で書かれているのに、たった1行でまったく別の世界に連れて行かれるような感覚がしたのを覚えています。

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

『えーえんとくちから』(PARCO出版)より

詩を読んだり書いたりすることと社会の中でお金を稼いで生きることの間には、すこしだけ距離があるように思うのですが、働くことに必死だった当時は、夜に歌集を開くささやかな時間が大きな癒やしになっていました。小説を読んだりするようなエネルギーがあまりないときでも、短歌であれば一瞬で31音の世界に没入できる。それがとても魅力的に感じました。

確かに、仕事から離れてまったく別の世界に没入できるような時間は、忙しいときほど大切ですよね。

岡本 私は映画や漫画も好きなのですが、そのふたつも生活インフラに比べてしまえば、当然ですが日常の中の優先順位としては低いものです。でも、ときどきそういうものに触れるからこそ心が充電されて、日常生活を頑張って乗り切ることができるのかなと思います。

いまでも、すごく疲れたときはお風呂で漫画を読み漁ったり、友達とボイスチャットで喋りながらオンラインゲームをしたりするんですが、そういうふうに現実からすこし離れて、コンテンツに没頭する時間は大切にしたいと思っています。

「好きなこと」と「得意なこと」のふたつのギアを切り替えながら仕事している

さきほど、詩を読んだり書いたりすることと社会の中で生きることの間にはすこしだけ距離がある、というお話がありましたが、岡本さんは現在も会社員を続けられていると伺っています。「歌人としてのモード」と「会社員としてのモード」が、ご自分の中で分かれているような感覚ってありますか?

岡本 個人的にはそこまではっきりと分かれていなくて、意外とベースは似ているのかもと感じています。というのも、私の短歌に関して「明るくいようという決意を感じる」という評を頂いたことがあるんですが、似た言葉を会社でもかけてもらったことがあって。人間なので、当然体調が悪い日や機嫌が悪い日もあるんですけど、人といるときはなるべく明るい自分でいられるよう意識するタイプなんです。

もちろん無理に取り繕うことはせず、できるだけ自然体でリラックスしているんですが、そういった姿勢をどちらの世界でも評価してもらえるのは、根底のモードが一緒だからなのかなと思います。

なるほど。「無駄なこと、いい加減なこと」を否定せず、それを言語表現に落とし込んでいく歌人と、「生産性や業務効率を上げること」を目指す会社員のとでは、考え方が大きく違いそうです。その切り替えに苦戦したりすることもあまりないですか?

岡本 仕事ばかりしているタイミングだと短歌が思い浮かびにくくなるというのは確かにあるかもしれないですね……。ただ、歌集を出したこともあって以前よりも短歌を詠む頻度が上がったので、いまはそのふたつの行き来が前よりもしやすくなっているのを感じます。

会社員としては、私はいま小説や漫画作品の PR業務に携わっているんです。会社では、自分自身も含めてチームメンバーがどうしたら気持ちよく働けるか意識してコミュニケーションをとっているので、自分ひとりの中で言語表現を極めていく短歌の作業と比べると、チームワークかそうでないかという違いはあります。

ただ、どちらにおいても自分を殺すようなことはせず、会社でも疑問に思うことがあったら積極的に周りに聞くようにしていますね。

兼業で働かれている方には、ふたつの仕事の間の距離感を大切にしている人が多いように感じます。まったく違ったジャンルの仕事の方が気分転換しやすいという方もいれば、近い仕事の方がいいという方もいると思うのですが、岡本さんの場合はいかがですか?

岡本 私の場合はとても幸運なんですが、好きなことと得意なことをそれぞれできているように感じています。PR の仕事って、すでに存在しているプロダクトやサービスのいいところを見つけて人に伝える仕事だと思うのですが、それが1を10にするようなイメージなら、歌人の仕事は0から1を作るイメージなのかなと。

私は比較的、1を10にするのが得意で、0から1を作るのが好きなことだと自覚しているので、そのふたつの間でギアを入れ替えて仕事ができているのは自分に合っているように思いますね。

短歌を思いつくのも、ちょうどそのギアを入れ替えているときが多い気がしています。例えば移動中とか、休憩中にコーヒーを淹れているときのように、目の前のことにあまり集中せず、ボーっとしているときにアイデアが浮かんでくることがよくあるんです。

自分の「苦手」を周囲に隠さず、周りを頼る

いまお聞きした“ギアの入れ替え”は、兼業している人に限らず悩みやすいポイントのように感じています。特に、会社の中で後輩や部下がすこしずつ増え始めてきたりすると、ふだん以上に「しっかり振る舞わなきゃ」というプレッシャーが出てきて、“ちゃんとしていない”自分との切り替えがストレスにつながることも多いのかなと。岡本さんは会社の中でも素に近い自分でいられているとのことでしたが、そういった環境や周囲との関係性を築くために意識したことはありますか?

岡本 自分の嫌いなことや苦手なことを必要以上に隠さない、というのは意識しているかもしれません。もちろん、自分を「仕事モード」に切り替えてしっかりと振る舞うことによって成果が出せるというタイプの方もいると思いますし、それもまったく悪くないと思うのですが、先輩だからといって見栄を張ったり苦手なことがないかのように振る舞ってしまうと、あとからどこかでつらくなるような気はしますね。

何もかも完璧に仕事をこなせている人なんていないと思うので、まずは自分の中で、自分自身の好きなこと・得意なことと、嫌いなこと・苦手なことを把握しておくのが大切なんじゃないかと思います。その上で、もし環境が許すのであれば、できるだけ自分の好きなこと・得意なことを周りから頼ってもらえるような働き方ができたらいいですよね。

岡本さんの場合、あまり好きでなかったり、苦手だと感じるのはどのような仕事ですか?

岡本 欠けているところを補充したり、日々の数字を追って分析するような仕事は、個人的にはあんまり得意じゃないし好きじゃないような気がしてますね……。私の場合は周りにそれを伝えて、そういう仕事はできるだけ他の人を頼ってもらうようにしています。
中には、自分はあまり好きではないけれど、周りからは得意だと思われて任されてしまう仕事もあるように思います。

岡本 確かにありますね、そのギャップもしんどいですよね……。私、社会人になりたての頃、Webのプロジェクトの制作進行を担当していたことがあるんです。プロジェクトが遅れないよう常に気を張っていなきゃいけない仕事だったのですが、自分よりもはるかに経験豊富な人たちに指示をすることが続いて、すごくストレスが溜まってしまって。

当時はそういう仕事をやりたくなくてできるだけ避けていたんですが、PRの仕事に移ったいま、自分が企画したプロジェクトを進めているときに、当時のスキルが活きていると感じることが出てきたんです。新卒の頃は制作進行という仕事そのものがとにかく苦手だと思っていたんですが、自分が好きな企画・PRという分野と組み合わさったときに、意外とストレスなくできるなと気づいて。

だから、苦手だと感じることも時を経たり環境が変わったりすると、意外にも自分にとっての「好き・得意」に近づくケースもあるんだなと思いました。

確かに、ひと言で「嫌いな仕事」と言っても、いろいろな理由がありますよね。

岡本 そうですね。「この仕事、なんか嫌だな」と感じたときに、「なんか嫌」をそのままにせず、その原因が作業自体にあるのか、それとも人間関係や周辺の業務にあるのか、分解して考えてみることが自分自身の理解にもつながるんじゃないかなと思います。そうすることで、どうしても自分がやりたくない仕事や、他の人を頼りたい仕事も見えてくると思いますし。

組織においては、“ちゃんとしていない”自分を自覚しつつも、後輩や部下の指導をしなくてはいけないケースもありますよね。短歌を詠むことでギアの切り替えができている岡本さんのように、“ちゃんとしていない”自分を肯定できる場が他にあれば、仕事における自分も認めやすいように思うのですが、そうでない場合、「どうして自分を棚に上げてこんな偉そうなこと言わなきゃいけないんだろう……」と悩んでしまうこともありそうです。

岡本 いや、わかります。自分、こんなこと言ってるけど何様なんだろう? って思うことありますよね……(笑)

後輩や部下の指導・育成においても、自分ひとりが全てを背負うのではなく、周りの人の手を借りたり弱みを見せたりしてもいい、ということを意識できるとすこし楽になれるかもしれないですね。私は後輩のミスを注意しなければいけないときがあると、「私も実はこういうミスしちゃったことあって……」と自分のできないことも合わせて伝えるケースが多いかもしれないです。

もちろん自分の苦手分野やちゃんとしていないところを人に開示するのって、それなりの苦しさや恥ずかしさのあることだと思いますし、職場で自分の全人格をさらけ出す必要もないとは思うのですが……。ただ私の場合は、苦手なことも周りにシェアすることで、かなり働きやすくなった実感はあります。

仕事中はつい気を張ってしまって、自分の苦手なことを周りに伝えられない人もいるのではないかと思います。岡本さんがそれを周囲に開示できるようになったのは、振り返るとどうしてだと思いますか?

岡本 コロナ禍になった2年前、勤務形態がフルリモートに切り替わったのですが、働き方がガラッと変わったストレスに仕事上のトラブルが重なって、1カ月ほど休職したことがあるんです。

そのとき、すごく当たり前ですが、無理をしたらこんなふうに体調を崩してしまうこともあるんだな、自分って全然完璧じゃないんだなと身に沁みて分かったんですよね。その経験が、自分の弱いところやだめなところを受け入れるひとつのきっかけになったような気がしています。

だから、仕事でつい頑張り過ぎてしまう人の気持ちもよく分かります。ただ、挫折したり体調を崩してしまった経験から自分にとってのちょうど良い働き方や休み方がわかり、弱さやだめなところを受け入れられるようになることもあると思うので、“完璧”を目指さず、すこしでも気を抜いて働けるようになればいいなと思います。

取材・執筆:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:岡本真帆さん

岡本真帆

歌人。1989年生まれ。高知県の四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。会社員として働くかたわら、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)を刊行。

■第一歌集収録歌より
平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ
もうきみに伝えることが残ってない いますぐここで虹を出したい
3、2、1、ぱちんで全部忘れるよって今のは説明だから泣くなよ
Twitter:@mhpokmt

他人を自分の物差しで決めつけない。一穂ミチに聞く「答えを出さない」人間関係の築き方

一穂ミチさんアイキャッチ

友人や同僚の“らしくない”一面を見てしまい、ハッとしたことはありませんか。相手に対してよいイメージや悪いイメージをあらかじめ抱いていたときほど、「こんな面もあったのか」というギャップを強く感じるように思います。

しかし、他人の“自分には見えていない”面は、プライベートをあまり知らない人はもちろん、家族やパートナーのように、自分にとってごく身近な人にも多かれ少なかれあるものです。

会社員として働きながら作家活動を続ける一穂ミチさんは、人の“多面性”や“ブレ”を、作品の中で非常に繊細につづります。どんな人物を書くときにも必ず「ほころび」が一箇所は出てしまう──という一穂さんに、その創作論を起点に、“人をジャッジしない”まなざし方についてお話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

現実でもフィクションでも、人は「秘密」を抱えている

コマ

『スモールワールズ』(講談社)

夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。
▶一穂ミチ『スモールワールズ』特設サイト

一穂さんの小説『スモールワールズ』は、「歪な家族」をテーマにした連作短編を、という編集者からのリクエストを受けて書かれた作品だと伺っています。執筆の際は、どのようなところから一つひとつの作品のイメージを膨らませていったのでしょうか。

一穂ミチさん(以下、一穂) 「家族」というテーマは、実際にはそこまで強く意識しなかったんです。強いて言えば、連作短編という枠組みのなかで、それぞれの作品の構成が似過ぎないようにしようと考えたくらいでした。家族がいることで生まれる何かはもちろん、家族がいないこともお話になりうると思ったので、実質ノーテーマみたいな感じでしたね。

家族がいないこともお話になりうるというのは、親や子どもが直接的に登場する物語を書かなかったとしても、家族というテーマにつながりうる……ということでしょうか?

一穂 そうですね。家族がいる/いないということそれ自体が、なんらかの強烈な因果を生むことってあるよなと思ったんです。

最近「親ガチャ」や「毒親」という言葉もよく聞くようになりましたが、そういう言葉が表す感情がひとつの典型なのかなと思います。どんな親のもとに生まれるかで人生の最初のパラメータが決定してしまって、なかなかそれを埋めることができないと感じる若い人が増えている、ということなんじゃないかと。

私自身、毒親とは思わないまでも、親に対して抱いた「あれはないよな」という気持ちってけっこう覚えていますし。相手は忘れているだろうけど、こっちはずっと覚えてるだろうなと感じる言動ってありますよね。

確かに。大人になってもモヤモヤし続けてしまうこともありますね……。

一穂 ですよね。私の場合は歳を重ねたこともあって、「今の私くらいの年齢のときに親は小学生の私の面倒を見てたのか、えらいねえ……」みたいな気持ちにもなるんですけどね(笑)。どんな形にせよ、家族というものに対して好き嫌いでは割り切れない気持ちを抱いている人は多いんだろうなと感じます。

確かに、親は好きだけれど今でも許せないことはあるとか、嫌いだけれど感謝はしているとか、複雑な気持ちを抱いている人は多そうです。『スモールワールズ』には、家族や周囲に対しさまざまな「秘密」を抱えている人たちが多く登場しますよね。執筆の際は、各々の秘密や事情をあらかじめ細かく設定した上で書き進めていったのでしょうか?

一穂 どんな作品でもそうなのですが、最初のプロットの時点では、なんの秘密も事情もなくスルッとお話が終わってしまうこともあるんです。でも書き進めるうちに、私が想定していなかったような嘘をキャラクターがついていたり、隠しごとがあったりするのが見えてくるという感覚があって。そういうときは、「あれ、この人はこういうことするはずではなかったんだけどな」と思いつつ、まあいいかって感じで書いていくんですね。

一穂さんご自身も驚くような行動や言動を、キャラクターがとるケースがあるんですか?

一穂 そうなんですよ。感覚的には、現実の人物と出会って対話を重ねていくときとあまり変わらないというか……。もちろん、年齢や性別、属性といった大まかな設定は最初に決めるんですが、その人らしさみたいなものは、他の登場人物とのやりとりや日常生活の中での振る舞いを通じて徐々に知っていく感覚なんですね。だから登場人物の性格や印象に対してひとつの正解があるわけではなく、あくまで「私の中ではこの人ってこういう人だな」という感じでいつも書いているんです。

一穂さんは一般文芸のジャンルだけでなく、BL作品も多く手がけられていますよね。そういった書き方は、BLにおいても同じなのでしょうか?

一穂 BLのお約束である攻め・受けを最低限決めるというのと、挿絵を描かれるイラストレーターさんにビジュアル面のイメージは頼らせていただく、という点では違うのですが、それ以外はあんまり変わらないですね。

……身長がどのくらいとか、オフィシャルの情報が細ければ細かいほどBLの読者はうれしいというのはわかってはいるんですよ、自分もそうなので(笑)。でも私が書く場合は、読者の方のご想像にお任せしますという部分がどうしても多くなりますね。

一方で一穂さんの作品には、こんなところまで細かく書かれるんだ、と驚くようなディテールが見られることも多い印象です。例えば『砂嵐に星屑』(幻冬舎)には「目の中にほくろがある」キャラクターが登場しますが、言われてみると目の中にほくろがある方っているけれど、普段なかなか意識しないな、と感じます。

一穂 お話を作るときは、設定や展開を細かく決め過ぎない代わりに、そういったディテールから着想を膨らませることも多いですね。例えば目の中にほくろがある子を出そうと決めたら、その特徴を生かす方向に頭が働いていくというか。

ディテールに関しては、日頃からツヤツヤのどんぐりを拾うみたいな感覚で少しずつため込んでいるんです。一見値打ちがないように思えても、自分には奇麗に思えたり、何となく気になったりするものってあるじゃないですか。そういうものに日常生活で出会うたびに、「これツヤツヤだな、ためとくか」みたいな感じでとっておく。仮にそれを何にも使わなかったとしても、どんぐりがいっぱいあるとうれしいんですよね(笑)。

誰に対してもフラットな人って、実はあまりいない

今のお話をお聞きしていても感じたのですが、一穂さんの書かれるキャラクターには、性格がいい/悪いとひと言で言い切れなかったり、人によっていろいろな顔を使い分けたりする人物が多い印象です。キャラクターを書かれる際に、その人の「多面性」は意識されていますか?

一穂 ゲームのキャラクターのように、いつ話しかけても同じことを言う、という感じにはしないように心がけています。例えば私自身、AさんとBさんという二人の人物がいたら、そのどちらにも全く同じ態度で接するということは恐らくしないですし。そんなにメンタルが安定しているタイプでもないから、天気や体調によっても、考えること自体が大きく変わってくるんですよね。

それに、職場の上司や同僚、学校の先生、それこそ親に対しても「あれ、前と言ってること違うな」と感じることってあるじゃないですか。この人がする分にはOKなのに私はNGなのか、とモヤっとすることもありますし。常に同じように人に接することができるほどフラットな人って、実はあまりいないんじゃないかと思います。

なるほど、確かにそうですね。一穂さんは、お仕事などで人と接しているときに、相手の意外な面に驚かされることってありますか?

一穂 たくさんあります。一番感じるのは、会社の人の家庭での顔を見てしまったときかもしれないです。前に、会社の同僚とそのご家族と一緒に舞台を見に行ったことがあるんです。その方はけっこうはっきりした物言いをするタイプで、会社ではちょっと話しかけづらく感じていたんですが、お子さんと一緒にいるときは全く違って、すごくやさしくて。

終演後、CDを買うと出演者の方と写真が撮れるというイベントがあったんですが、「娘が写真撮りたいって言ってるから、俺ちょっと並んでくるわ」と率先してその列に並びに行ったんですよ。「マジで!?」と思って(笑)。全然そんなタイプに見えていなかったんです。でも、お子さんにとってはお父さんのそういう姿の方がナチュラルなんだろうなとも思って。

……例えば友人と食事したりしていても、相手が恋人からの電話に出るときって、なんとなく分かったりしませんか? 態度というか、空気が変わる感じがして。

分かります。実家からの電話になると、急に話しぶりや一人称が変わったりする人もいますし。

一穂 そういうとき、当人は全然気付いていなかったりしますよね。他人のそういう面って面白いなと感じますし、たぶん自分も同じなんだろうなと思いますね。人ってそういうものだろうと思っているから、そういう人たちを書くのかもしれないです。

ただ、作品として小説に落とし込むとなると、スタンスや芯がぶれない人の方が書きやすかったりはしないのでしょうか?

一穂 ぶれない人の方が読んでいて安心はしますよね。例えば、スカッと事件を解決してくれることが現れた瞬間から約束されている、一貫したスタンスの名探偵のようなキャラって私も格好いいなと思うんですよ。そういうキャラクターが出てくる作品ももちろん楽しく読むのですが、私の場合は、ブレブレの人の方が書きやすいかもしれない。

人の揺らぎみたいな部分を書くのが楽しいというか、どこか一箇所でもいいからその人のほころびが見たいと思ってしまうんですよね。……というより、意識せずとも、書いているうちにそういうほころびがどこかで勝手に出てきてしまう気がします。

好きと嫌いの間の「グレーの部分」が大切な気がする

今お聞きしたキャラクターの書き方もそうですが、一穂さんの小説は、物語の中で善悪をはっきりと決めつけたり、教訓のようなものを押しつけることをしないですよね。過去のインタビューでは、「作品の中で何かをジャッジしたり、“答え”を出さないようにしている」ともお話しされています。

一穂 何かを絶対的にいいと言う人も悪いと言う人も、どこか信用ならないという気持ちがあるのかもしれないです。さっきの同僚の話じゃないですけど、私の目から見た「いい人」が、他の人から見ていい人かどうかも分からないですし。それに、曖昧さが許されるのが創作のいいところだと私は思っているので。

ただ日常生活においては、自分の知っている相手の一面が、あたかもその人の全てであるかのように錯覚してしまうこともあるように思います。お話を伺っていると、一穂さんは「自分の見えている面がその人の全てではない」ということをとても自然に受け入れられているように感じます。

一穂 いや、そうは言いつつも、私も全然できてないですよ。人のきらびやかなインスタとか見たときに、「この人ま~たアフタヌーンティーしてるよ」とか思ってしまう(笑)。

……でもやっぱり、SNSやYouTubeのようなプラットフォームを使って誰しもが自分のことを発信する時代になっているからこそ、ときに「これは見せたい自分を見せているだけなんだよな」ということを忘れないようにしないと、と思うようになりました。

それと、昔は家族のことにしても「家のことはあまりよそで言うもんじゃない」という価値観を多くの人が持っていたと思うのですが、今はそれをごく当たり前に発信する人も増えましたよね。

確かに。それに関しては家族間のポジティブな話題だけでなく、トラブルや困りごとを発信することもあるように思います。

一穂 そう。人の発信を見ることによって「うちだけじゃないんだ」と安心できることもあれば、反対に「うらやましい」とか「おかしい」と感じてしまうこともあるから、いいことだけではないよなと思います。

「その人が見せたい部分だけを見せている」ということもある、という意識は最低限持っておかないと、不要な心配やストレスを感じてしまいそうですね。

一穂 「人に見せるための自分」をみんなが当たり前に持っている時代って、考えてみたらたぶん、今が初めてなんじゃないかと思います。私自身、自分のSNSに関しては情報をろ過した上で投稿している自覚がありますし、それは誰しも一緒だろうなと思いますね。

それに今って、誰かが炎上したり失言で注目されたりしたとき、これまでのその人の人生や人格までも否定するような勢いで叩かれることもありますよね。そういう過激さは少し怖いなと思ってしまいます。自分自身、迂闊な言動ひとつで叩かれる立場になる可能性もありますし、いつ自分にも火の粉が降りかかってくるか分からないことを考えると、人を一方的に断罪したり善悪を決めつけたりするのはやめておきたいなと思います。

いい意味でも悪い意味でも、ネットやSNSで注目された人に対しては、ニュースになった一面ばかりがクローズアップされてしまいがちですよね。

一穂 自分が好きだったその人のイメージが崩れて「裏切られた」とか「騙されていた」と感じてしまったり、今まで好きだったことすら全否定してしまう、というのはちょっと違うように思いますね。

普段の人間関係においても、つい自分の物差しで「◯◯さんはこうだよね」「あのご家庭は幸せそうなのに」とモヤモヤを抱くこともあると思うのですが、どんな人にも「他人からは見えない・分からない姿がある」と想像を膨らませておくことは大事なのかもしれません。

一穂 けれどその一方で、自分の価値観とはどうしても相容れないことを人が言ったときに、そのひと言や行動をきっかけに相手のことを嫌いになる、というのもありだと私は思うんです。誰しも、絶対に受け入れられないことや許せないことはありますから。

重要なのは、人を見るときに、相手によって自分の中の物差しの目盛りを粗くしないことじゃないかと思います。例えば1メートル尺ではなく、もっと細かく目盛りを刻むことで、初めて計れる部分があるんじゃないかなと。人に対する感情って、好きと嫌いの間のグレーの部分がすごく大事な気がします。

グレーの部分が大切であるという考え方は、とても一穂さんらしく感じます。けれど近年、人に対する印象もそうですが、作品に対してもはっきりと白黒をつけたがる人が増えたように感じます。小説を書かれている中で、社会のムードとご自身の作風にギャップを感じたりすることはありますか。

一穂 私はやっぱり、なかなか割り切れないものとか言葉にうまくできないものを、なんとか言葉に落とし込みたいと思って小説を書いているところがあります。小説というもの自体が今、ほかのメディアと比べて、非常にスローなメディアになっていると思うんです。例えば物語のあらすじを3行でまとめようとしても、いいところは伝わらないと思いますし。その点は、早く簡潔に結論だけをくれ、早くすっきりさせてくれ、という今の社会のムードとは真逆だと感じます。

でもそれが小説のいいところだと個人的には思いますし、たぶん、それがいいと思ってくださる方って減ることはあるにせよ、この世から消えることはないとも思うんです。だから、まあこれからもこの感じでやっていこうかな、と思いますね(笑)。

取材・執筆:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

職場や知人友人の人間関係に悩んだら

『流浪の月』凪良ゆうさん
『流浪の月』凪良ゆうさんに聞く、受け入れられない他人からの「善意」との向き合い方
深爪
人間関係は基本面倒。だからこそ「他人」ではなく「自分」軸で考える(深爪)
文学者・荒井裕樹さん
文学者・荒井裕樹さんと「言葉」から他人との向き合い方を考える

お話を伺った方:一穂ミチさん

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2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。『スモールワールズ』(講談社)が、第165回直木賞候補、第12回山田風太郎賞候補、2022年本屋大賞第3位に選ばれ注目を集める。同作で第43回吉川英治文学新人賞を受賞。同作収録の短編「ピクニック」は第74回日本推理作家協会賞短編部門候補となる。『イエスかノーか半分か』(新書館)、『パラソルでパラシュート』(講談社)、『砂嵐に星屑』(幻冬舎)など著作多数。
Twitter:@ichihomichi

テレワークの孤独感を解決するには? 産業医に聞く、仕事における「しんどい」気持ちとの向き合い方

井上智介さん記事トップ写真

この春から転職や異動を経験した方の中には、新たな環境で働くストレスを徐々に感じている人も少なくないのではないでしょうか。特にテレワーク中心の勤務形態の人は、慣れない環境で思うように上司や先輩とコミュニケーションがとれず、1人で不安を抱え込みがちです。

精神科医の井上智介さんは、毎月30社以上の企業を訪問する産業医としても活動されています。環境が変化するなか、仕事上で生まれるストレスや悩みにどのように向き合えばいいのでしょうか。

著書『1万人超を救ったメンタル産業医の職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』などを出版し、数多くの働く人の不安に向き合ってきた井上さんに、ストレスへの対処法やテレワーク下でのコミュニケーションのとり方まで、幅広く伺いました。

※取材はリモートで実施しました

テレワークによる不安や孤立感とどう向き合う?

この春から、転職や異動などで新しい環境になった方も多いと思います。最近では、入社後すぐにテレワーク中心という人も少なくないと思いますが、井上さんは産業医として働くなかで、テレワークが増えたことによる精神面への影響を感じることはありますか?

井上智介さん(以下、井上) 正直に言えば、メリットを感じている人も多いのではないかと思います。これまで職場の上司や同僚との関係に悩んでいた人は特にですが、相手と物理的に離れられることをメリットだと感じる方もいるでしょうね。

その反面、いま言われたように、この春から新しい環境になった方や新入社員の方にとっては、必ずしもいいことばかりではないですね。オフィスに行く機会があまりないことで、業務上の連携のとりにくさを感じるという方もいますし、上司や先輩に相談・質問をするのにも気を使ってしまうという話もよくお聞きしますね。

それに、狭い家でひとりで仕事をするようになったことで、閉塞感や孤立感を覚える方もいらっしゃるようです。地方から都会に出てこられた方などは特に、近所に友達もまだ少なく、コロナの影響でなかなか実家に帰りづらい……という状況が重なって、精神的に苦しくなりやすいのではないかと思います。

井上智介さんインタビュー写真1

そういった閉塞感や孤立感を軽減させるためには、どんなことを意識すればよいのでしょうか?

井上 仕事の形態や会社のルールにもよりますが、もし家以外の場所でできる業務があるのであれば、カフェやコワーキングスペースなど、人が集まる場所を利用してみるというのもひとつです。

それから、意外と大事なのは環境音。環境音って、集中力を削ぐようなマイナスのイメージを持たれる方も多いと思いますが、外の音やオフィスの音が一切聞こえないと、それはそれで息苦しさを感じるものです。ですから、仕事の際はできるだけ部屋の窓を開けたりして外の音を取り入れ、気分が塞ぎがちにならないように工夫していただくといいですね。自分はひとりではなく、外とつながっているという感覚を忘れないでほしいですね。

確かに、ひとりきりでずっと仕事をしていると、外とつながっているという感覚が薄くなりがちです。あとオフィスにいるときと比べて、会社や組織に所属しているという感覚も得づらい気がするのですが。

井上 そうですね。所属感の減弱、と言ったりしますが、テレワークでは人や組織とのつながりを感じにくくなってしまいがちだと思います。本来は、所属感を補えるようなしくみを会社側が作ってくれるのが一番なのですが、自分の趣味などを手がかりにして、社外のコミュニティに所属してみるのもひとつの方法です。近所の友達に会ったり、オンライン上のコミュニティに所属してみる、というようなことですね。自分の好きなクリエイターのライブ配信や動画を見てみるのもいいかもしれません。

クリエイターの配信や動画の場合、友人・知人との会話とは違って、双方向のコミュニケーションはとりづらいですよね。それでも、所属感を高めることにつながるのでしょうか?

井上 直接的なやりとりはなくても、ファン同士のコミュニティを通じた横のつながりが生まれることもありますし、ライブ配信の場合はクリエイターからのリアクションも返ってくるので、双方向に近い感覚は得やすいのではないかと思います。仮にクリエイターやファンとのコミュニケーションがなくても、配信に集まる顔ぶれを見て「この人、この時間によく来てるな」と思うことで安心感が生まれることもありますから。いわゆる“推し”を作ることには、そういった効果もあります。

なるほど。そのほかにも、自分ひとりでストレスを溜め込まないようにするために、日頃から意識しておくといいことはありますか?

井上 1日の終わりに、5分でも10分でもいいので今日を振り返って、自分を褒めてみることを習慣にしてほしいです。最初は違和感を覚えるかもしれませんが、当たり前だと感じるようなことでもいちいち褒めてみてください。例えば時間通りに仕事を始められたとか、会議の予定をきちんと覚えていたとか、先方に断りの電話を入れた、というようなことでもいいです。偉いな、自分はよくやってるなと考えてみてください。

ネガティブなので自分を褒めるのが苦手だとおっしゃる方も多いのですが、そういう人は、ネガティブな気持ちを抱えやすいからこそ、その後どうやって気持ちを切り替えたかを評価してほしいです。例えば、嫌なことがあってイライラしたけれど、そのあとは気分よく仕事ができて偉かった……というように。イライラして周りに当たり散らす人なんてたくさんいますから、それを自分なりに解消できるのはすごいことなんですよ。ぜひ、そういったことを当たり前だと思わず、どんどん褒めてほしいですね。

テキストコミュニケーションは「即レスが基本」ではない

テレワークになったことで生まれがちな、業務上の悩みの解消法についてもお聞きしたいです。井上さんもさきほどおっしゃっていましたが、チャットやメールでのコミュニケーションが中心になったことで相談・質問が気軽にしづらくなり、自分の中だけでモヤモヤを抱えてしまう人も多いように思います。この「相談のしづらさ」はどのように解消すればいいのでしょうか?

井上 そもそも、頭に浮かんだ疑問や不安をすぐにはっきりと言語化できる人って少ないんじゃないかと思うんです。言語化のためにはある程度の練習が必要ですから、モヤモヤを感じたらまずは一旦、散漫なままでもいいので、自分の思っていることを紙に書き出した方がいいですね。

書き出してみることで、自分は何を不安に感じていて何を確かめたいのかがはっきりしますし、無数にあるように思えていた悩みが、意外と多くなかったことに気づいたりもできます。その上で、整理した内容をメールやチャットで同僚に送るのであれば、すこし相談へのハードルが下がるのではないでしょうか。

相談や質問をする際に、相手の顔が見えないと「いま忙しくないだろうか」「こんなことを聞いて怒られないだろうか」と悩んでしまって、なかなか行動に移せない人も多いように思うのですが……。

井上 そういう方は、「質問する時間」を自分で設定してしまうのがいいですね。例えば「水曜日の16時になったら必ず質問の送信ボタンを押す」というように、自分でタイミングを決めて、その日までに溜まった分の悩みや疑問を上司・先輩に送るようにする。「この時間になったら必ず聞く」とルール化してしまうことで、相談や質問に対するハードルも徐々に下がっていくと思います。

もちろん、緊急度の高い質問はその都度するべきですが、そうではない悩みや疑問って、いま言われたように「相手も忙しいかもしれないから今度にしよう」みたいなことを考えてしまって結局聞けないまま、不安だけが大きくなりがちです。

でも、チャットやメールに相手がいつ反応するかって、結局相手が決めることなんですよ。それは自分ではなく相手の問題だと考えればいいですし、これは自分宛てのメッセージに関しても同じですが、いつ返信するかは本人が選ぶことができる。本当に急ぎの用件であればいつまでに回答してほしい、など伝えるはずなので、相手に対しても自分に対しても、「即レスが基本」と捉える必要はないと思います。

「いつ反応するかは自分ではなく相手の問題」と考えること、確かにとても大事ですね。

井上 そうなんですよ。さっき「疑問や不安をまずは書き出してみる」という話をしましたが、いざ文章にしてみると、自分にはどうしようもない問題で悩んでいることに気づくケースもあります。例えば、「この手土産を持っていって先方は満足するだろうか……」みたいな悩みって結局相手の捉え方しだいなので、一度持っていくと決めたなら、もうそれ以上自分にできることはない。だから考える必要もないんです、本来。

確かに……。とはいえ、仮に持っていったときの相手の反応があまりよくなかったら、「選んだ自分のミスだ」と思ってしまいそうです。

井上 気持ちは分かるのですが、手土産のチョイスに関係なく、相手の機嫌が悪かっただけという可能性もありますからね。もし、明らかに選び方に失敗したと自分が思う理由があるのであれば、それは次に生かせばいいだけですし。「やらなきゃいけないことはやった」というところで、まずは納得してほしいですね。

ただ、とはいえやっぱり人間ですから、悩んでしまうことももちろんあるはずです。人間の心には自分を守るためにいろんな機能がついているんですが、「合理化」もそのひとつ。つまり極端な話、手土産を渡した相手の反応が悪かったら、「何か虫の居所が悪かったんだな」とか「相手のセンスがよくないんだな」と思ってしまうのもアリなんですよ(笑)。

相手のセンスの問題にしてしまってもいいんですね……(笑)。

井上 もちろん、あらゆるケースに対して自分には責任がないと思ってしまうのは違いますが、自責しがちな人は、自分の失敗を100%受け止めてダメージを受けるのではなく、それを軽減させる方法を選んでもいいんです。「あなたのせいだ」と人に言うのは当然よくないですが、頭の中で考えるのは自由ですからね。

「自分のために会社を休めた」ことは成功体験になる

出社して人と仕事をする機会が減ったことで、抱えているストレスや体調の悪さに自分で気づきにくくなってしまったという人も多いのではないかと思います。「仕事がしんどい」状態にあるとき、自分のことを俯瞰的に見るためにはどうすればいいのでしょうか。

井上 普段とどう違うかに目を向けることが、自分のストレスに気づくポイントです。例えば、必要な睡眠時間ひとつとっても人それぞれ違いますから、一概に「○時間しか眠れないのはよくない」とは言いづらい。ただ、普段はよく眠れているのに、明日の仕事のことが不安で寝つけないとか、何度も起きてしまうというのは要注意ですね。

食事に関しても同じです。ストレスを感じていると食べものがあまり喉を通らなくなる、という人ももちろんいますが、反対に過食になる人も意外と多いんですよ。普段は食べないようなものがやたら食べたくて仕方なくなる、というような変化を感じたら、すこし注意してほしいです。

ストレスのサインを感じたら、まずはどんなことをすればいいでしょう?

井上 「仲のいい友達が自分と同じような状況に立たされていたら、自分はなんて声をかけるだろう」と考えてみてほしいです。「もっと頑張りなよ」と言うことはないですよね。たぶん、「先輩に相談してみたら」とか「環境を変えてもいいんじゃない?」と言うと思うんですよ。他人であればそう言えるのに、自分に対しては「もっと頑張らないといけない」と感じてしまうのは、その人の「思考の癖」なのです。それを無理に直そうとしなくても、まずは「自分はこのように考えるんだ」と受け止めることが大切です。

『職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』表紙写真
働く上で直面するさまざまな不安への対処法を綴った井上さんの著書『職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』大和出版

テレワークだと、なおさら自分の思考の癖に気づく機会が少なくなりがちのように思いますが、自分を「友達」に見立ててみればいいんですね。

井上 それと、疲れを感じたらひとつやってみてほしいのは、月曜でも金曜でもいいので、有給を取って休みを3連休にすることです。とても単純に聞こえるかもしれませんが、「有給を取ってまで自分のために休む時間を作った」という実感は、大きな成功体験につながります

いまは定年退職の年齢も上がっていますし、人が人生の中で働く時間はどんどん延びています。そんな中、休まずにずっと働いていたら、いつか破綻して大きな問題が起こるはずです。それに比べたら、数日休んだり手を抜くなんて微々たることだと思ってほしいですね。がむしゃらに働くことよりも、自分のペースで働き続けること、低空飛行でも飛び続けることを意識した方がいいと思います。

私たちは「すでに」誰かに助けられて生きている

「低空飛行でも飛び続ける」というお話もありましたが、梅雨の時期は体調を崩しがちな人も増えると思います。そこで「周りは普段通り働いているのに自分は……」と、周囲と自分を焦ってしまうこともありそうです。

井上 まず前提として、自分のために自分でブレーキを踏むのはとても重要なことです。働いていると「限界を超えろ」みたいなことを言われることもあるかもしれませんが、限界って超えるためのハードルではなく、本当に超えちゃいけない一線なんですよ。

それでも周りに対してどこか気を使ってしまうという人は、かかりつけ医や産業医を頼るのもひとつの方法です。梅雨の時期などは特に、気圧による体調の変化を感じられる方も多いのですが、そういった症状は周りに理解されづらいこともあるので、医師の診断を受けたことを盾にして「休みます」と伝えるとすこし気楽かもしれませんし、自分を許す一つのきっかけにもなるのではないでしょうか。

井上さんは著書の中で「人生は60点で合格」という考え方を持つことが重要だとたびたび書かれています。完璧を目指そうと自分を追い込んでしまいがちな人が「60点で合格」と考えられるようになるためのヒントがもしあれば、最後にお聞きしたいです。

井上 自分は周りに生かされている、という視点を持つことが大切です。何に対しても「自分自身で切り拓いていく」という意識でいると、自分の努力に対して結果が100%跳ね返ってくるとつい思ってしまう。でも本当は、僕たちはたくさんの人のおかげで生かされているんですよね。周りへの感謝の気持ちを常に持てとは言いませんが、そもそも自分は完璧ではなく、周りの助けによって毎日の生活が成り立っている、と考えることが大切ですね。

なるほど……。物事の結果は自分の努力しだいで完全にコントロールできると思っているからこそ、「100点を目指す」という発想になってしまうということでしょうか?

井上 うん、そうです。実際には、100点のうちの40点分くらいは人や環境に助けられている部分だと思うんです。ですから、手を抜いたり甘えたりすることはよくないことだと思うのではなく、実はもうすでに自分は周りに頼っているし助けられている、と考えた方がいい。そう考えると、自分の力でどうにもできないことは周りに甘えようかな、と前よりも気楽に思えるようになるのではないでしょうか。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

仕事の「しんどい」気持ちを軽減させるためのヒント

「心理的安全性」のつくり方
チームの関係性を良くするには? チームワーク研究者に聞く、「心理的安全性」のつくり方
富永さん
社会学者・富永京子に聞く「わがまま入門」
笠井奈津子さん
"疲れている自分"に慣れていませんか? 『何もしない習慣』著者に聞く「正しい休み方」

お話を伺った方:井上智介(いのうえ・ともすけ)さん

井上智介さんのプロフィール写真

兵庫県出身。島根大学を卒業後、大阪を中心に精神科医・産業医として活動している。産業医としては毎月30社以上を訪問し、一般的な労働の安全衛生の指導に加えて、社内の人間関係のトラブルやハラスメントなどで苦しむ従業員にカウンセリング要素を取り入れた対話を重視した精神的なケアを行う。主な著書に、『1万人超を救ったメンタル産業医の 職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』『繊細な人の心が折れない働き方』『「あの人がいるだけで会社がしんどい……」がラクになる 職場のめんどくさい人から自分を守る心理学』など。

Twitter:@tatakau_sangyoi



柚木麻子さんに聞く「家事・育児」の大変さ。『ついでにジェントルメン』で“認識のズレ”を描く

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

「洗剤がなくなりそうだから買っておかないと」
「そろそろ冷蔵庫の食材を使い切らないと傷んじゃう」
「子どもの服が小さくなってきたから新しいのを用意しなきゃ」

こういった家事や育児のタスクは、一つひとつを見れば些事(さじ=ささいなこと)に見えるかもしれません。しかし当事者にとってはまったく些事ではなく、それが積み重なればなおさら。仕事と両立する場合は、さらに負担は重くなります。

子どもを育てながら執筆活動をする小説家の柚木麻子さんは、短編集『ついでにジェントルメン』(文藝春秋)の中で、当事者ではない人が悪気なく「家事・育児は日々の些事」と発言する描写によって「当事者」「当事者じゃない方」の認識の違いを描き出しました。

両者の認識の違いはどうすれば埋められるのか。また、負担の偏りをなくしていくために私たちには何ができるのか。『ついでにジェントルメン』に込められたメッセージと共に、柚木さんに伺いました。

***

家事・育児を「いいもの」として見せたくなかった

『ついでにジェントルメン』

ついでにジェントルメン

分かるし、刺さるし、救われる――自由になれる7つの物語。 編集者にダメ出しをされ続ける新人作家、女性専用車両に乗り込んでしまったびっくりするほど老けた四十五歳男性、男たちの意地悪にさらされないために美容整形をしようとする十九歳女性……などなど、なぜか微妙に社会と歯車の噛み合わない人々のもどかしさを、しなやかな筆致とユーモアで軽やかに飛び越えていく短編集。

▶『ついでにジェントルメン』(柚木 麻子) - 文藝春秋

柚木さんの小説は、ご自身の体験をきっかけに生まれることが多いとうかがっています。本作では、家事や育児にまつわる描写が多く登場した印象です。

柚木麻子さん(以下、柚木) この数年は家事や育児しかしていないから、ほかに書けることがなくなっちゃったのかもしれません。自分が知っている範囲のことしか書けないのに、取材をしたり、人に会って話をしたりすることが、コロナ禍で難しくなってしまって……。

ただ、私にとって家事・育児は、前向きな気持ちでやれるもの、ではないんです。特に家事は「とにかくやりたくない」(笑)。「日常の家事や育児は、丁寧に手をかけて見つめ直せば、ちょっとしたことでも輝き出すよ」みたいな書き方だけは絶対にしたくないと思いながら、この短編集を書きました。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

いいように見せてたまるか、という固い意志があったんですね。

柚木 そうです。だって、絶対にやりたくないことなんですから(笑)。外注するほどの余裕はないので、仕方なくこなしてはいるけれど……。できる限り避けたいと思っています。だから、洗濯物はたたまないでつるしっぱなしだし、掃除は週一回のフローリングワイパーをかけるだけ。最低限の家事の残りは、パートナーが担ってくれています。

子どもが偏食で白いごはんとコーンくらいしか食べないから、食事作りも頑張りませんね。でも、そのぶんお米にはこだわって、いいものを取り寄せているんです(笑)。原稿を間に合わせることと、子どもを元気でいさせることだけ大事にしていれば、あとはいいかなと思って……。

家事・育児って、きちんとやろうと思うとキリがないですもんね。

柚木 そうなんですよね。「作家が子育てしてるんだったら、何かしら考えを持っているだろう」「“あえて”の手抜きだろう」とかって思われがちなんですけど、本当に何にも考えていませんし(笑)。

本作の『渚ホテルで会いましょう』『エルゴと不倫鮨』では、“日々の家事・育児と向き合う当事者”じゃない方の人物が、家事・育児を「日々の些事」と表現していました。柚木さんも家事・育児を大きな負担に感じていらっしゃるなかで、「些事」という表現に至ったのはなぜなんでしょうか?

「あのねえ、いいかい? 離婚して愛人と一緒になったとして、いざ二人の生活が始まったら、どうなると思う? 彼女は人の妻だから、それをよく知っていたのさ。日々の些事の中で、消えていくだろう? 純粋な形の愛というものは……」
「日々の些事ですか……」

『ついでにジェントルメン(渚ホテルで会いましょう)』(文藝春秋)より

柚木 向き合うものが違うと、見える世界が変わるんだなと感じたことがきっかけです。新型コロナの流行前に、家族と鎌倉のホテルに行ったんですね。子どもに海を見せてあげたいけど、私、砂浜がすごく苦手で。かかとがガサガサだから、砂を踏むのが本当に苦痛なんです(笑)。

でも、鎌倉だったら高台からいい感じに海が見えるし、都心からも近い。そうしたら、似たようなことを考えているであろう子連れがいっぱいいて、ホテルの売店には虫取り網なんかも売られていたんです。

その様子は『渚ホテルで会いましょう』の描写にも生かされていましたね。

柚木 はい。すると、一緒に行った母が「ここは『失楽園』の舞台になったところで、映画にもこのホテルが出てくる」っていうんです。大人のお忍びカップルにとっては、都会の喧騒からほどよく離れた“いい逢瀬の場所”だったんでしょうね。

でも、子連れの私にとっては、サクッと海を見せてあげられるうえに家事からも解放される“楽できそうな場所”に見えた。同じホテルの話をしているはずなのに、見える世界がこんなに違うことってある? と驚いたんです。

変わるべきは、家事・育児に苦しむ当事者の“周りにいる”人たち

「当事者」と「当事者じゃない人」で、見える景色が違う。一番分かりやすい例は、夫婦間で女性の多くが家事・育児の“当事者”に、男性は“当事者じゃない人”になってしまうようなケースでしょうか。そして、当事者じゃない方は悪気なく「些事」などと言ってしまう……。これはすごくリアルな表現だし、現実でも根が深い問題ですね。

柚木 それどころか、誰かに家事・育児を丸投げしている人ほど、そこを背負っている人に対してうるさく評価してくることがあるんですよね。

例えば、仕事が忙しくて掃除や家族の食事づくりが適当になってしまう気持ちって、当事者同士なら分かりあえることが多い。でも当事者以外の人は「そんなのダメだよ」「もっときちんとやるべき」なんて、厳しい正論をぶつけてきがち。手を動かさない人が言うのはおかしいですよね。「傷ついたことがない人は他人を傷つけることにも鈍感」みたいな話と、通じるものがある気がします。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

こうした認識のズレは、どうすればなくなっていくと思いますか?

柚木 家事・育児に関して言えば、お互いに同等のスキルがあれば変わってくると思います。『エルゴと不倫鮨』では、子どもを抱っこ紐に入れたお母さんが高級鮨店にやってきて、店内にいたデート中の男性たち――特に不倫している妻子持ちの男性は、露骨に嫌な顔をしました。

私は、高級鮨店で若い子と恋愛することがいけないとは言っていないんです。ただ、子連れで鮨を食べにくるお母さんのことも、邪険にしないであげてほしい。あのお鮨屋さんに、ちゃんと家事・育児に取り組んできた男性がいたとしたら、きっとお母さんの気持ちが分かったんじゃないでしょうか。そうすれば、手を貸してあげるという選択肢もあったはずです。

巨大な乳児をエルゴ紐で胸元にくくりつけた、体格の良い中年女性が、甘ったるい乳の匂いを辺りに振りまきながら、ドアの前で仁王立ちしていた。灰色のスウェットのズボンと、所々に母乳らしきシミのあるヨレヨレのカットソーは、部屋着以下のいでたちだった。
その母親はのしのし、と音がしそうな足取りで、東條たちの席から近い、厨房を横から覗ける角席のスツールにどしんと腰を下ろし、重そうなマザーズバッグを床置きした。

『ついでにジェントルメン(エルゴと不倫鮨)』(文藝春秋)より

同等のスキルや経験を身に付けていたら、確かに分かりあえそうですね。それが難しくても、相手の事情を想像してみるだけでずいぶん違ってくる気がします。

柚木 『渚ホテルで会いましょう』では、主人公である初老の男性がワンオペで子育て中の男性をバーに誘い、子連れで現れたことに面食らっていました。そして、子どもにタブレットを見せている姿を苦々しく眺めている。

でもこちらから言わせれば、ワンオペで身近に頼れる人がいない状態だと、子どもも一緒じゃなきゃバーには行けないし、タブレットを見せなきゃ落ち着いて喋ることなんてできないじゃないですか。そりゃあ絵本を読んであげられればいいだろうけど……。家事・育児をしてこなかったその主人公は、そこまで想像力が及ばないんですよね。

私、今回の短編集を通して、育児中の人に伝えたいことって何もないんです。だって、当事者の方たちはもう充分に頑張っていると思うから。もしも可能なら、家事・育児に苦しむ人たちを取り巻く周りの方に、少しでも変わってもらえたらって感じています。

いままで当事者ではなかった方の人たちが、力を貸してくれたらいいですね。

柚木 今回の短編集に収録した『あしみじおじさん』でも紹介したんですが、世界名作劇場の『アルプスの少女ハイジ』や『小公女セーラ』って、弱い立場にいる主人公が強い人に助けてもらうお話なんです。主人公はありのままで自分を曲げず生きていくだけ。

けれど、権力側にいる人たちが変化し、援助の手を差し伸べた結果、主人公は幸せな生活を手にしていきます。アメコミでいえば、ヒーローとして弱い者のために闘う『アイアンマン』も『バットマン』も、表の世界では大富豪なんですよね。こういう“持つ者が持たざる者を支えていく仕組み”は、いまの世の中でも大切なんじゃないかなと感じています。

自分が誰かを踏みつけてきたと感じたら、反省をするいいチャンス

今作では、短編ごとにキャラクターや舞台は違うものの、共通して「思い込みや社会規範からの脱却」が描かれていると感じました。家事・育児についても「女性だけがやるべきタスクではない」という声が当事者から上がるようになり、その考えが少しずつ一般化してきていますね。

柚木 そうですね。ただ家事・育児以外にもジェンダーに関わる話が出ると「男だってつらいんだよ」「でも男は言えないから」とおっしゃる方がいるのですが……。声を上げる女性たちは“自身の権利”の話をしているだけで、今を生きる人間誰しもが持つつらさを否定しているわけではないです。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

確かにそうですよね。

柚木 そういうとき当事者じゃない方は「いまは話を聞くターンだ」ととらえて、当事者の話にいったん耳を傾けたらいいんじゃないかなと思います。

例えば私はスポーツに詳しくないので、テレビ中継で見る有名選手のプレイに文句をつけたり評論したりしないようにしているんですね。それと同じで、ようやく女性が声を上げはじめたのだから、とりあえず傾聴して一緒に考えてみたらいいんじゃないでしょうか。

ただ、反射的に「でも」と言いたくなる気持ちも分からなくはありません……。

柚木 いままで見えていなかった価値観を見せられると、怖くなっちゃいますよね。だけど、後ろ暗いところのない人なんていないし、声を上げる人も他者の人格を否定しているわけじゃありません。

私は、私も含めて誰もが、過去にも一度は誰かを踏みつけていると思うんです。自分が権力側にいることや誰かを踏みつけてきたことが見えてきたら、むしろいい機会だと感じます。男性が優位な社会構造は、きっと男性にとってもしんどいはず。男性自身もときには“主役”を降りてみるくらいの気持ちでいた方が、楽に生きられるんじゃないかなと思うんです。

“主役”を降りてみる、とは?

柚木 例えば『ついでにジェントルメン』にも登場させた、文藝春秋社の創設者である菊池寛は、女性に活躍の場を用意しつつ、チャンスを与えたあとは必要以上に踏み込まなかったといわれています。

ヒーローとしてもっと出しゃばってもいいようなことをしていながら、みずから脇役のポジションへと降りていったんですね。俗っぽいことが好きで、けっこう適当な人だったようだから、とくにジェンダー意識が高かったわけではないと思いますが(笑)。

権力を自覚した人が積極的に“主役”を降りることが、楽に生きるカギになるかもしれない、と。男女で分断することなく、お互いに生きやすい方法を探していきたいです。

柚木 「誰かを踏みつけてきたな」と気づいたときこそ、自分をかえりみるチャンス。そんなふうにとらえて、自分も周りも生きやすい方法を模索していけばいいんじゃないでしょうか。

取材・執筆:菅原さくら
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

あなたの家事・育児の悩みが解決しますように

みんな孤独だからこそ、私たちは手を取り合える。『対岸の家事』著者・朱野帰子さん
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お話を伺った方:柚木麻子さん

柚木麻子さん

1981年東京都生まれ。立教大学卒業後、2008年にオール讀物新人賞を受賞。10年に『終点のあの子』でデビュー。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞、2016年同作で高校生直木賞受賞。近著に『BUTTER』『さらさら流る』『マジカルグランマ』『らんたん』など。
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『流浪の月』凪良ゆうさんに聞く、受け入れられない「善意」との向き合い方

凪良さん『流浪の月』アイキャッチ画像

周囲の人からかけられた「やさしい言葉」に、自分でも意外なほどに傷ついてしまった経験はありませんか。社会や世間がよしとしている価値観が自分のそれとは大きく異なる場合、家族や友人、同僚のような近い存在の人たちほど、「心配してるんだよ」「あなたのためを思って言っているんだよ」という言葉つきで、自分の夢や考え方を否定してきがちです。

そんな「善意」の形をしたアドバイスは、悪意からくる陰口や文句とは違い、なかなか正面から拒否しづらいもの。

2020年に本屋大賞を受賞して話題となった小説『流浪の月』は、世間から「誘拐犯」とその「被害者」に仕立て上げられ、世間からステレオタイプな目で見られてしまう青年と少女の関係を描く物語です。『流浪の月』の主人公・更紗は、周囲が自分に向ける「かわいそうな被害者」という善意からの視線に、苦しみ続けます。

『流浪の月』の作者である凪良ゆうさんは、小説の中で、人と人との分かり合えなさや関係のままならなさについて、一貫して書き続けてきました。そんな凪良さんに、「善意」や「世間がよしとする価値観」との向き合い方について、お話をお聞きしました。

※取材はリモートで実施しました

「人と人とは分かり合えない」がベースにある

『流浪の月』あらすじ

凪良さん『流浪の月』アイキャッチ画像

主人公・家内更紗(かないさらさ)は9歳の時、誘拐事件の被害者となった。犯人として逮捕されたのは、19歳の青年・佐伯文(ふみ)。公園で文に声をかけられ、マンションで一緒に暮らしていた2人だが、約2ヶ月後、更紗は出先で保護された。そして、このときの様子が居合わせた人々によって撮影・拡散され、更紗と文の関係は事件の「被害者」と「誘拐犯」として世間に記憶されることとなる。それから15年、24歳となった更紗は、偶然文と再会する――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。

▶凪良ゆう『流浪の月』特設サイト

凪良さんの小説『流浪の月』には、社会や周囲の人々から「ふつう」「正しい」とする価値観を押しつけられ、それに苦しめられ続ける人たちが登場します。自分の気持ちと世間とのギャップに悩む登場人物はとてもリアルだなと感じたのですが、凪良さんご自身にもこれまで、社会的に「よい」「ふつう」とされる価値観と自分の気持ちとの間にギャップを感じたご経験があったりするのでしょうか?

凪良ゆうさん(以下、凪良) そうですね、私はあまりまっとうな生き方をしてきた自信がないので……(笑)。ギャップというよりも、世間が「よい」とする生き方や働き方に対してのコンプレックスみたいなものはある気がします。

例えば私は、会社勤めが全然続かなかったんです。人間関係にヘトヘトになって、すぐに辞めてしまって。

できることなら会社員をもうすこし続けたかった、と思われたりもしますか?

凪良 あっ、いえ、それはないですね。子どもの頃から周りに合わせるということが苦痛で、ずっとできなかったんです……。

もちろん、生活のために自分のやりたくない仕事でも歯を食いしばってこなしている方はたくさんいると思いますし、そうやって働いている方のことは心から尊敬しています。ただ、その世界になじめるように努力するというのは私の生き方ではないな、と感じたというか。

なるほど。会社員をされていたとき、いちばん苦痛に感じたのはどんなことだったんでしょう?

凪良 すごく小さなことで申し訳ないんですが、いただきもののお菓子を前にして、それをどう分けるともっとも公平か、というのを社員みんなで30分ぐらいかけて話し合ったことがあったんですよ。

本当に無駄な時間だったんですが、やっぱりそういう場に参加しないことも難しくて。そのときは、頼むから帰らせてほしい、とずっと思っていましたね。

30分……。確かにそれはちょっとつらいです。

凪良 それに私が働いていた当時は、なぜか若手の女性社員だけが全員分のお茶くみをするという決まりがあったんです。コーヒーメーカーもなかったので、ハンドドリップで淹れなきゃいけなくて。小さな会社だったんですが、社員全員分を手作業で淹れるって本当に大変なんですよね。

嫌々やっていたら、年配の男性社員に「そんな顔で淹れられたらおいしくない」と言われたこともあります。そのときは謝ったんですが、「人にお茶淹れてもらってる上に文句を言うってどういうこと?」と怒りが湧いてきて、本当に無理だと……それでもう、とにかく早く辞めたいと思うようになりましたね。

それは本当に理不尽ですね。

凪良 私が会社勤めをしていた頃からは20年近くたつので、そういった男女格差も多少は是正されてきていると思うんですが、まだまだ根強く残っている会社もあるでしょうね。

それに加えて、いま日本はいちど失敗してしまうとそこから這い上がるのがなかなか難しい国になってきているように思います。

確かに、失敗に関して不寛容な風潮は少なからずあるように感じます……。

凪良 そのため、夢があったとしても失敗を恐れて仕事を辞めるという選択肢をとりにくいこともあると思います。だからいま会社員をされている人たちは、私が若かった頃よりも数段しんどいだろうな、とは感じます。もちろん、同時に働き方も多様化してきているとは思うんですが。

そうですね。凪良さんご自身は、ふだん周りのお友達や知り合いの方と話していて、働き方や生き方に関する価値観の違いを感じることはありますか?

凪良 その人の置かれている環境や立場によって意見は変わると思うので、自分とは違うな、と思うことはよくありますよ。よく遊ぶ友達には独身で仕事をしている女性が多いんですが、中には結婚してお子さんがいる人ももちろんいますし。

……これは自分が小説で書き続けていることにも重なるんですが、「人と人は分かり合えない」というのが私の基本的な考え方なんです。分かり合えないからこそ、「分かる」と感じられる一瞬があったらもうそれで十分だなと。もちろん、人の話を聞くときは、なるべく相手の立場に立とうとは努力するんですけどね。どんな相手であっても、どこかで分からないところは絶対に出てくるだろうとは思っています。

「善意の形をしたアドバイス」とどう向き合う?

『流浪の月』には反対に、相手のことを「分かっている」という前提に立って、主人公の更紗をかわいそうな被害者と決めつけてアドバイスしてくる人たちが出てきますよね。更紗にとってはそのアドバイスは見当違いに感じられるし、「気遣い」の形をとっているからこそ真正面から否定もできず、ただ傷ついてしまうという……。

凪良 うん、そうですね。

凪良さんは、実際にそういった見当違いな「善意のアドバイス」を人からされたとき、どうすることが多いですか?

凪良 私自身は、「うんうん、そうだよね」ってそれを聞き入れた3秒後ぐらいに忘れるタイプです(笑)。3秒は言い過ぎかな。でも、家に帰る頃にはほとんど覚えていないかもしれないです。

中にはとても腹が立って、それをどうしても思い出してしまうってこともありますけど、そういうときは心の中で意識的に「忘れよう、忘れよう」と繰り返して、頭が切り替わってくれるのを待ちますね。

アドバイスをしてきた相手に悪意がなさそうな場合、完全に聞き流すのも申し訳ないな、と思ってしまいませんか……?

凪良 もちろん、何もかも聞き流して忘れようというわけではないんですが、「どう考えても、この意見はいまの自分にとって必要じゃないな」と感じることってあると思うんです。

例えば私が作家になりたくて小説を投稿していたとき、「なれるわけないでしょ」みたいな言葉をかけられることがときどきあって。そう言われても私はやってみる、と決めて投稿を続けた結果、なんとか無事に作家としてデビューすることができたんですが、その言葉で諦めていたら絶対に後悔していたと思います。

「やっても無理だよ」とか「無駄だよ」というアドバイスは基本的に聞かなくていいというのが自論なんですが、それもやっぱり自分で判断するべきことだと思うんです。ただ、まず自分の気持ちを分かっていないとその判断もできないと思うので、自分はいま何がしたくて何をしたくないのかというのは、常にある程度はっきりさせるようには意識しています。

それがはっきりしているからこそ、相手から何を言われても動じないということですね。では、自分の中にはない意見や予想外の考え方を提案されて、それがすごく心に響く、ということもあまりないですか?

凪良 あ、でもそれはありますよ。私はすごく人見知りで、知らない人と話す予定があるとその日までずっとソワソワしてしまうんですが、すこし前に知人から「でも、新しい話を聞けるのって楽しいよね」と言われたのが不思議とスッと腑に落ちて、「そうか、楽しめばいいのか」と思えたことがあったんです。

……だから、人にかけた言葉が相手に響くかどうかは、あくまでタイミングと関係性によるということに尽きるのかもしれないですね。アドバイスをするほうもされるほうも、内容以前に「人の言葉を本当に必要としているかどうか」を見極めるのが大事なんじゃないかと思います。

確かに。明らかにその人の中で方針が決まっていることに対して口を出すのは、余計なおせっかいにもなりそうですし。

凪良 そうですね。ときにはこの人と自分の関係であれば大丈夫かな、と思ってすこし踏み込んだことを言うケースもありますけど、それを「受け止めてもらおう」とか「どうにか分かってもらおう」とするのは違いますよね。

私は基本的にそういうときも、「私が言いたいことを言うね」と前置きした上で自分の言いたいことを伝えるだけにしています。

そのためにはやはりまず、「自分はこう思う」「自分はこれがしたい」ということに自覚的になる必要がありそうですね。中には、自分がどう思っているか、何をしたいかが分からず悩んでしまう人もいそうだな、と感じたのですが……。

凪良 本当に難しいですよね。『りっすん』の読者は20代から30代くらいの方が比較的多いとお聞きしたんですが、そのくらいの年代って社会人として迷いが多い時期だし、特に女性の場合は結婚や出産にまつわる選択も絡んでくるから、どれかひとつのことに絞って悩めないというのもすごくしんどいと思います。仕事のこともプライベートのことも同時に考えなくてはいけないという、息つく暇もない時期ですよね。

……でも、当時を振り返って思うのは、自分が本当に何をしたくて何をしたくないかというのは、たぶん、その歳じゃはっきりとは分からないです。常にそのことを考え続けて、失敗もたくさん繰り返さないと分からないことなんじゃないでしょうか。むしろ、そういうことをできないのが当たり前の年齢だと思うので、できないことに傷つかないのが大事なのかもしれないですね。みんなできてないはずだから。

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自分のことを信じていないと、小説は一行も書けない

お話をお聞きしていると、凪良さんは自分の考えや気持ちというものを一貫して大切にされてきた方なんだなと感じます。

凪良 もともと私は気が弱いし、小さなことで悩んでしまうほうなんです。だからこそ、人の考えによってあまり自分を変えられたくない、気持ちをできるだけぶらさずにいたい、というのは強く意識しているかもしれないですね。作家という職業柄、いろいろなものを受け入れ過ぎて自分がなくなってしまうと、ものを書くことができなくなってしまうので……。

以前、ほかの作家さんと話していたときに、「自分のことを信じていないと小説は一行も書けない」という話題で盛り上がったことがあって。自分のことを信じていたいからこそ、自分の中に取り入れるものと入れないものの取捨選択は、人よりも厳しくしているかもしれないです。

「自分のことを信じていないと小説が書けない」というのは、具体的にどういうことでしょうか……?

凪良 物語って、最初のページから最後のページまで背骨のようなものが1本すっと通っていないと、途中で折れてしまう気がするんです。その「背骨がしっかりしている」というのが、自分を信じていることにも繋がっていると思うんですよ。

私は小説を書く際、登場人物にできるだけなりきってその人の気持ちを書くタイプなのですが、そうはしつつも土台には必ず自分自身がいる。あんまりなんでも受け入れ過ぎると、その土台がグラグラしてしまうと感じるんです。

もちろん、いろいろなものを受け入れて、背骨のようなものをどんどん太くしていくタイプの作家さんもいらっしゃるとは思うんですが。

「登場人物になりきって書く」となると、登場人物の気持ちや行動を書く際、凪良さんご自身の心境や体験をそのまま反映させることもあるんでしょうか?

凪良 そのままストレートに出す、ということはしないですね。もちろん自分は日々のできごとに対していろいろなことを考えますが、それをそのまま出しても小説にはならないので、たとえ勢いに任せて書くことがあったとしても、見直す中でどんどん文章が手直しされていきます。だから、精査されて最後に残った文章が、自分が最初に考えていたこととはちょっと違っていることもありますし。

凪良さんが書こうとしていた気持ちとは違うことを、登場人物が結果的に語り出す場合もある……ということでしょうか?

凪良 というよりも、自分の内側にあるものが怒鳴り声であるとしたら、それが小説になるときはささやき声になっているとか、乱暴だった言葉が人に伝わりやすい言葉に変わっているとか、そういうことですかね。

誰しも、家族や友人と喋るときと赤の他人と喋るときでは言葉遣いが変わると思うんです。でも、言葉は違っても自分の言いたいことそのものは変わらないじゃないですか。だから、そのとき書いている物語の形にいちばん沿う文章を毎回選んでいる、というような感覚です。

なるほど、創作にまつわるお話もとても興味深かったです。5月13日からは、『流浪の月』の映画が公開されました。凪良さんが書かれた小説が映画として多くの方の目に触れることに関して、率直にいまどんなお気持ちでいますか?

凪良 媒体が変わると表現方法も大きく異なるはずなので、同じ『流浪の月』と言っても、映画はあくまで監督してくださった李相日さんのものだと思っているんです。だからもう、原作者という立場からは離れて、いまは一視聴者として純粋に楽しみにしています。

試写を見させていただいたんですが、俳優さんたちから音楽、撮影に到るまで、とにかく素晴らしいのひと言でした。映画にするのにこれ以上の『流浪の月』はないだろうと思うので、これからご覧になる方には自信を持っておすすめしたいですね。

取材・執筆:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:凪良ゆうさん

凪良さんイメージ画像©山口宏之

京都市在住。2007年に白泉社よりデビュー。各社でボーイズラブ作品を精力的に刊行し、一般文芸における初単行本『流浪の月』で2020年本屋大賞を受賞。『滅びの前のシャングリラ』が2年連続本屋大賞ノミネート、「キノベス!2021」1位を受賞。その他の著書に〈美しい彼〉シリーズ、『神さまのビオトープ』『わたしの美しい庭』などがある。
Twitter:@nagira_yuu

みんな孤独だからこそ、私たちは手を取り合える。『対岸の家事』著者・朱野帰子さん

朱野さんトップ

自分の意思で専業主婦(主夫)を選び、家族間で納得している。それなのに周囲から「働かないの?」と言われ、モヤモヤしてしまう。子どもを保育園に預けて仕事に復帰したら「子どもがかわいそう」と言われる。それぞれが納得して選んだ道であるにもかかわらず、生き方の違う者同士では、どうしても対立が生まれがちです。

テレビドラマ化もされた『わたし、定時で帰ります。』では“残業しない”主人公を描き、「労働」と「社会」の問題を映し話題を集めた、小説家の朱野帰子さん。そんな朱野さんが著書『対岸の家事』で描いたのは、“家事”という労働のこと。作中では家事育児を起点とした専業主婦やワーキングマザー、育休中の男性をはじめとした、さまざまな立場での葛藤、そして互いに手を取り合う過程が描かれています。

生き方が多様化し“正解”が分からない今、性別や年齢、立場に振り回されることなく「それぞれの生活」を尊重し、時には手を取り合うためにはどうすればいいのでしょうか。『対岸の家事』の作品背景とともに、朱野さんに伺いました。

***

誰もが「自分の人生は間違ってない」と思いたい

『対岸の家事』あらすじ

対岸の家事

家族のために「家事をすること」を仕事に選んだ、専業主婦の詩穂。娘とたった二人だけの、途方もなく繰り返される毎日。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷う彼女のまわりには、性別や立場が違っても、同じく現実に苦しむ人たちがいた。二児を抱え、自分に熱があっても休めない多忙なワーキングマザーの礼子。医者の夫との間に子どもができず、姑や患者にプレッシャーをかけられる主婦・晶子。外資系企業で働く妻の代わりに、二年間の育休をとり、1歳の娘を育てるエリート公務員・中谷。誰にも頼れず、いつしか限界を迎える彼らに、詩穂は優しく寄り添い、自分にできることを考え始める――。

▶『対岸の家事』(朱野 帰子) - 講談社文庫

「対岸の家事」は、自分の意思で専業主婦になることを選んだ27歳の詩穂を主人公とした物語です。家事・育児の中で感じる孤独感の描写には、共感の声も多かったのではないでしょうか。

しょせん、主婦の話だ。たかが、家事の話だ。
地味で、盛り上がりに欠ける。会社で働いている人たちには退屈だろう。
途中で遮られ、溜め息をつかれて、甘いと言われて、目を瞑られて、終わりだ。
みんな詩穂のことを吞気だと言う。主婦の話題になると、時流がどうだとか時代の趨勢がどうだとか言う。でも違う。そんな壮大な話をしたいわけではないのだ。
ぽっかりと空いた穴と、その穴をあきらめずに埋めていく日々の話をしたいのだ。
どんな時代でも、誰かがやらなければならない家事という仕事の話がしたいのだ。

『対岸の家事』(講談社)より

朱野帰子さん(以下、朱野) ありがたいことに、好意的に受け止めてくださる人が多かったです。専業主婦の方からは「自分の気持ちが言語化されていた」「読んで泣いてしまった」などの感想をいただきました。私は専業主婦の当事者ではないから、勝手に想像で内面を書いていいのかな? と迷いもあったんですが、「孤独な気持ちを書いてもらえた」と褒めていただけたのはうれしかったです。

専業主婦(主夫)の方のつらさはなかなか大っぴらに言いづらく、また理解されにくいものなのかなと感じます。

朱野 表では「私は家事と育児しかしてないから、働いている人に比べたら全然大変じゃないですよ」って言う方も少なくないですよね。でも、つらさを打ち明けても笑われたり叩かれたり無視されたりするだけだから、言ってないだけっていう人もいると思います。

小説の序盤でも、ワーキングマザーの礼子が「家事なんて仕事の片手間にできる」と陰口を言うシーンがありますね。 それぞれ自分の持ち場で働いているはずなのに、今の時代「家事労働」にコミットするのは特別な事情があったり、経済的に余裕があったりする人くらい……と捉える人は少なからずいるように感じます。

「イマドキ、専業主婦になんかなってどうするんだろう」
取りに戻って引き戸を少し開けると、礼子の声が聞こえて、詩穂は立ち止まった。
「絶滅危惧種だよね、このあたりでは。地方にはまだたくさんいるかもしれないけど」
「家事なんて、いい家電があれば仕事の片手間にできるし、専業でいる意味あるのかな」
「旦那がお金持ちなのかな。でも、そうは見えなかったよね」
「まだ二十五歳だって。情報弱者っていうか、時流に乗り遅れちゃったんだろうね」
最後に言ったのは礼子だった。

『対岸の家事』(講談社)より

朱野 「外で働いてGDPに貢献することこそが仕事である」というのは、実は私自身内面化していた考え方でした。私はずっと自分のことを“レジスタンス側”だと思っていたんです。専業主婦が圧倒的多数だった時代を知っているので、少数派のカウンターとして「働きながらでも子育てはできるじゃん」「離婚したらどうするの?」という反発心を持って頑張っていたつもりでした。

事実、「小さい子がいるのに働くなんてかわいそう」「保育園に子育てを丸投げしてる」など、ワーママ(ワーキングマザー)が集中砲火を浴びた時代もあったと思うんですよね。

「子どもがかわいそう」という言葉への罪悪感は、今もそうですが、かつてはより強いものだったのかなと思います。

朱野 でも共働き世帯と専業主婦世帯の数は、実は1990年代に逆転している。「女は家庭に入れ」という価値観を押し付けられている側だと思っていたのに、気づけば自分が「専業主婦なんて」と価値観を押し付ける側になっていたと気づいたときはすごくショックでした。

何かそれに気づいたきっかけがあったのでしょうか。

朱野 礼子が陰口を言うシーンは、結婚して専業主婦になった学生時代の後輩から聞いた話が元になっています。彼女は自分の意思で専業主婦になることを選び、子育ても楽しんでるんですが、子どもを連れて児童支援センターに行くと周りは何らかの仕事をしている人ばかり。

「仕事は何をしてるの?」という質問に「家事と育児」と言うと、「まあ、今はそうだよね。育休中だよね」みたいにスルーされてしまうと。その話を聞いて初めて、現代の専業主婦が置かれたアウェイな状況を知ったんです。

礼子がのちに自身の発言を詫びるシーンで、「自分の選んだ人生は間違ってなかったと思いたかった」と話しますよね。自分と違う生き方を否定したくなる心理の源流はそこなのでしょうか。

「ずっと謝ろうと思ってた。怖かったんだと思う。……うちの母も主婦だったから、違う道を歩むのが怖かった。ワーキングマザーなんて私に本当にできるのかなって。だからイマドキ専業主婦なんてって言って、自分の選んだ人生は間違ってなかったんだって思いたかった」

『対岸の家事』(講談社)より

朱野 かつては「新卒で企業に就職して定年まで勤め上げる」「専業主婦になって家庭を支える」という、ある種“主流の生き方”みたいなものがあったと思うんです。「こうしていれば絶対に責められることはない」というような。それが就職氷河期を迎え、“主流”から外れざるを得ない若者が増えた。

女性の社会進出も働きたいと思う人が働けるようになった、という側面もありますが、生活のために「共働きでないとやっていけない」というのも変化の背景としてあるように感じます。

朱野 今の若い世代では、転職は珍しいものではなくなったし、「結婚はしてもしなくてもいい」「男らしさ/女らしさにとらわれなくていい」などもあり、生き方が多様化しています。『対岸の家事』の登場人物たちはまさに過渡期というか、その間にいる人々。何を選べば正解なのか分からないからこそ孤独で不安で、「自分は間違っていない」と思いたいのかなと思います。

“つらさ合戦”から抜け出すためにできること

『対岸の家事』では、詩穂と礼子、それから育休中の公務員である中谷、立場の違うそれぞれが最初は対立しながらも徐々に弱みをさらけ出し手を取り合っていく様子が描かれています。でも現実では、「私が一番つらい」「いや、私の方が」と“つらさ合戦”で溝が深まることも多いように思います。それを避けるために、どんなことを心がけると良いと思いますか?

朱野 小説を読んでほしいなあと思います。できれば、自分と全然違う立場の人が登場するものを。自分と似た立場の人が出てくる物語を読んで「一人じゃないんだな」と感じることも大事なんですけど、違う国籍の人、違う業界で働く人、違う世代の人の話を読むと、「それぞれに事情があってみんな孤独なんだな」と分かるようになる気がするんです。

朱野さんも、ご自身とはまったく違う属性の人が登場する小説を読みますか?

朱野 「絶対分かりたくない!」と思う人のエッセイや小説、けっこう頑張って読んでますよ。SNSでは喧嘩しちゃうような相手でも、小説になると手を繋ぎたくなるような思いが生まれたりするんじゃないかなと感じていて。

なので、『対岸の家事』にはいいことばかり書かないようにしました。礼子も、キラキラした素晴らしいワーママとしては描かない。主婦を見下したり「暇だよね」と思っているところもあります。私も礼子や中谷は、SNSで見たら腹が立つと思います。

ただ、小説の中だと彼・彼女たちの生い立ちや生活を見れるので、捉え方は変わるかもしれない。SNSでは見えない生活や、“みんな違ってみんないい”ではない、リアルな多様性を描けるのが小説なので。さまざまな小説を読んで自分を混沌とさせる。白黒分けずにその混沌とした状態をキープしておくのは、私自身も心がけていることです。

相手を知ることで、敵対心や嫌悪感がより強まることはないのでしょうか。

朱野 私はSNSで考え方が合わない人もフォローしていて、自分と価値観が同じ人と正反対の人と、両方タイムラインで見るようにしています。「それは違う」と思うこともありますし、意見が正反対の人同士が罵り合うのを見るのはしんどいです。でも、この意見は合わないけどこっちの意見は合うって思えたり、私にはない考え方に出会えたりもします。

自分と違う価値観やライフスタイルを知ったからと言って、自分の価値観が大きく変わることはないと思います。ただ、相手のことをたくさん知った上で「じゃあ私はどうするのか?」を考えるのが大事なのかなと思っています。

同じ属性の中に閉じこまらないように心がける、ということですね。

朱野 似た物同士で集っていると、人はどんどん孤独になる気がするんです。自分たちの結束を強めるために敵を作るじゃないですか。そうすると、“敵”の属性の人とは関われなくなる。それを繰り返しているうちに、どんどん敵が増えて孤独が深まっていくんじゃないかと怖いんです。

朱野さん画像

たとえ相手を好きでなくても、支え合うことはできる

“つらさ合戦”をやめられたとしても、礼子や中谷のように他人に弱みを見せられない、つらいのに人に頼ることができないという人は多そうです。

朱野 『対岸の家事』の登場人物はみんな極限状態なんですよね。でも、本当に大変なときって、人は異なる立場を飛び越えて手を結ぶことができると思っているんです。実は私自身が過去に一度、専業主婦家庭のご家族に助けられたことがあって。

そのお話、ぜひ教えていただきたいです。

朱野 産後うつのような状態になってしまったとき、仕事関係の知人に「本当に(メンタルが)危ないときがあったんですよね」と冗談っぽく話したら、「うちに来なさい」と言われたんです。いやいや、そんなに親しい間柄じゃないし奥さんのことも知らないし……と躊躇したんですけど、本当はそのときもかなりつらかった。「今この人に頼れなかったら一生誰にも頼れない」「ここで弱みを見せることこそ強さなのだ」と覚悟を決め、お家に伺いました。

声をかける側も朱野さんも、どちらにとっても勇気のいることだったと思います。実際行ってみてどうでしたか?

朱野 ごはんを作ってもらって、子どもはその家のお兄ちゃんと遊んでもらって、私は一日話を聞いてもらって、ゆっくりと過ごすことができました。専業主婦の奥さんから「私もずっと孤独な子育てでつらかった」という話を聞いたことで自分のつらさも自覚できて、「精神的にけっこう危ない状態なんだな」と気づき、カウンセリングも受けるようになりました。

極限状態だったからこそ人に頼ることができたんですね。その前段階でできることがもしあるとすれば、どんなことだと思いますか?

朱野 私のように人に弱みを見せたり頼ったりするのが苦手な人は、まずは顔見知り程度の人から話しかける訓練をしてみるといいと思います。たとえば幼稚園や保育園の親同士だけど話したことはない、という人に挨拶をするとか、ちょっとしたことから。慣れてきたら天気の話につなげたりして、少しずつ話す訓練をしてみる。

仕事モードではない会話の練習をする、と。

朱野 ビジネスパーソン脳で生きていると、地域社会で知らない人と話すことってすごく難しいんです。だから、子どもと公園に行って他の親子に会ったら「この人はどういう人なんだろう?」と相手を探りながら一緒に砂場で遊んでみるとか、そういう訓練はやっておいた方がいいのかなと思っています。

専業主婦の方たちは、ストリートで出会う知らない人たちとコミュニケーションをとりながらネットワークを築いてずっとやってきたんですよね。楽しくて近所の人やママ友と一緒にいるというよりも、それも仕事の一つで、生きるためのスキルとして。

『対岸の家事』にも「主婦の仕事は味方を増やしておくこと」という言葉が出てきますよね。

朱野 さらっと書いたけれどすごく難しいですよね。地域社会ってきれいごとじゃないんです。いろんな人がいて、全く価値観が違う人とも付き合っていかなきゃいけない。嫌だからフォローを外すわけにもいかない。「ほんわかした世界」ではない。

そうして主婦の方が積み上げたネットワークで得た地域情報や、知見に助けられることも少なくないように思います。

朱野 地域の相談窓口とか張り紙でしか得られない情報を知っていることも多いですよね。地域社会の情報ってネットに出ないものが多いじゃないですか。地元の小学校の情報を持っていたり、学校のプリントで「持ってきてください」と言われた、どんぐりが落ちている場所だとかを知っていたり。主婦の人たちの持っている情報に、外で働いている人は助けられることも多い。

「専業主婦(夫)か会社などで働く人か」に限らず、属性が違ったとしても、相手に敬意を持ちながらお互いに歩み寄れるといいですよね。

朱野 でも、無理に相手を好きになる必要もないんです。お互い嫌いでも、理解し合えなくても生きるために支え合えばいい。相手を尊重しつつ一緒にいるだけでいい。育児だけでなく、介護などでもそうだと思いますが。

詩穂、礼子、中谷のように普段は交わることのない人たちが手を取り合うことは、現実世界でも起こりうる。「意外とそんなこともあるよ」っていう面白さみたいなのを、私は小説を通して描きたかったのかもしれません。



取材・執筆:鼈宮谷千尋

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お話を伺った方:朱野帰子さん

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1979年東京都生まれ。2009年、『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。2015年、『海に降る』がWOWOWでドラマ化される。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』は働き方改革が叫ばれる時代を象徴する作品として注目を集める。その後刊行した続篇『わたし、定時で帰ります。ハイパー』(文庫版は『わたし、定時で帰ります。2 打倒!パワハラ企業編』に改題)と併せてTBSでドラマ化されたことでも話題に。『わたし、定時で帰ります。―ライジング―』はシリーズ第三弾となる。他の著書に『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』『対岸の家事』『くらやみガールズトーク』などがある。
Twitter:朱野帰子 (@kaerukoakeno)