こんにちは。ライターの冨田ユウリです。

私は今、とある先輩を訪ねて島根県・石見銀山に来ています。

 

旅を共にしているのはジモコロ編集長の友光だんご。

この旅は、だんごさんのちょっとした悩みがきっかけで始まりました。

 

〜旅が始まる前、とある昼下がり〜

「どうしたんですか、だんごさん。浮かない顔で外を見つめて」

「去年5月に初代編集長の柿次郎さんからHuuuu班のジモコロ編集長の座を継いだじゃない。あれから約8ヶ月。僕はちゃんと編集長になれているのかな……」

「そもそもジモコロ=柿次郎というイメージが強かったと思うんだ。柿次郎さんが立ち上げたメディアなわけだし」

「たしかに柿次郎さん、キャラクター濃いですしね。シンボリックな存在の先代から受け継ぐ二代目って、特に大変そう」

最近の柿次郎

「でもこれ、もしかしたらだんごさんに限った話じゃないかもしれませんよ。編集長や社長といった責任ある立場はもちろん、仕事のポジションやプロジェクト、世の中には『継ぐ』が溢れていますよね

「たしかに」

「どうやって継いでいけばいいか、悩んでいる人は他にもいるんじゃないかな」

「そういえば、群言堂って会社があるんだけど」

ライフスタイルブランド「石見銀山 群言堂」。創業地である島根県・石見銀山に根を張りながら、全国に約30店舗を展開。衣食住美を通じて「根のある暮らし」を提案している

「松場大吉さん・登美さんというご夫婦が島根県・石見銀山で創業したライフスタイルブランドなんだけど、最近代替わりしたらしいんだよね。あそこはどうやって受け継いだんだろう……」

「それですよ、だんごさん。『継ぐ』の先輩に、話を聞きに行きましょう。そうすれば継ぎ方のヒントがもらえるかもしれません!」

 

ということで、島根県の世界遺産・石見銀山を訪れた私たち。

旅を通して、継ぐことについて考えていきます。

 

 

 

創業期は「ふわっ」でいける。継ぐとき必要なのは、言語化。

群言堂を受け継いだ二代目の松場 忠さん(左)、峰山由紀子さん(右)

 

 

「はじめまして。私たちが群言堂の二代目です」

「今日はよろしくお願いします。すごく立派な茅葺き屋根ですね」

「ここは群言堂のブランドを展開している、石見銀山生活文化研究所です。私が代表取締役を務めています」

「山も川もすぐそばにあって、水田もある。大自然に囲まれていて、気持ちがいい!」

「世界遺産にも登録されている島根県大田市大森町は、豊かな自然と昔ながらの町並みが残っています。この地に根を下ろして、私たちはものづくりをしてきました」

「由紀子さんは創業者である大吉さん・登美さんの次女で、忠さんは三女の奈緒子さんの旦那さまなんですよね」

「はい。僕は結婚を機に大森町に移住し、石見銀山生活文化研究所に入社しました。その後、2023年に代替わりがあり、石見銀山群言堂グループの代表となったんです」

「まさにその『継ぐこと』について、今日はお話を伺いたいんです」

「……ということでして。シンボリックな創業者から受け継いだお二人に、お話を伺いたく参りました」

「さっそくですが、継ぐことについて、お二人が今悩んでいることはありますか?」

「うーん……たしかにこれまで色々あったんですけど、今は」

あまり悩んでいないかも。由紀子さん、悩んでる?」

「私も今は悩んでないかな……」

「な、悩んでいない……!」

「今悩んでいるのは、僕だけ……」

「いえいえ、これまで悩むことはたくさんありましたよ。初めて会社方針説明会を開いたとき、大勢の前で話さなきゃいけなくて本当は逃げたかった。私は人前に出るのが苦手なので」

「たしかに、やりたくないオーラが出ていたね」

「そうそう(笑)。でもあれで、言葉にすることの大切さを実感しました。創業期って、ふわっとしたままでも何とかやっていけるんですよね」

「ふわっと」

「感覚のままに。創業期を共にしてきたメンバーたちは感覚だけでも理解できるんです。でも、継いでいくとなると感覚だけでは共有できなくなってしまう。だから言葉にして伝えなきゃいけない

「創業者の感覚を言語化することで、受け継いでいけると」

「由紀子さんは松場家の次女として育ってきたわけですよね。幼い頃から継ぐことを意識していたんですか?」

「三姉妹なので誰かが継ぐだろうとは思っていましたが、自分が継ぐとは思っていませんでした」

「忠さんは三女の奈緒子さんとご結婚されたときから、会社を継ぐ予定だったんですか?」

「会社を継げとは言われませんでした。思えば、今まで一度も言われていませんね。気づけばこういうことに」

「忠さんはこの場所で生まれ育ったわけでも家業でもなくて、どのように会社や土地を自分ごとにしていったのでしょう」

「それこそ創業メンバーが共有する『ふわっ』とした感覚を理解するのも難しそう」

最初に距離があったからこそ、よかったと思うんですよね。僕が入社したときは周りはみんな創業時から会社を支えてきた人たちばかりで、阿吽の呼吸があったんです。言葉にしなくても理解し合える、会社の空気感があった。僕はそれがよくわからないわけですよ」

「ある意味、よそものだったから」

わからない分、群言堂をよく観察し、解釈していく過程で、会社のことも町のことも深く理解することができた。その結果、創業者の感覚を、自分の言葉で説明できるようになっていきましたね」

私たちの場合、継ぐ者が一人じゃなかった、というのもよかったんだと思います。幸いにも群言堂グループには、受け継いだ二代目が三人いて」

「忠さんと由紀子さんの他に、もう一人いらっしゃる」

「そうなんです。群言堂グループには『他郷阿部家』という宿がありまして」

暮らす宿「他郷阿部家」。1789年に建てられた武家屋敷を、松場登美さんが10年以上の歳月をかけて暮らしながら繕い、蘇らせた

「他郷阿部家の立ち上げから携わり、受け継いだのが峰山博気。私の夫でもあります。役割は違うけど同じ立場の人に相談できるから、何か困ってもすぐに答えが見つかります」

「二代目みんなで力を合わせているんですね」

同じ二代目ではありますが、タイプは三者三様。お互い支え合っていますよ。たとえば私は数字が苦手だけど、忠さんは得意、とかね」

「もしよろしければ、他郷阿部家の博気さんにも話を聞いてみてください。また違った視点が手に入るかもしれません」

「だんごさん、早速お話を伺いに行きましょう!」

 

三人目の継ぐ先輩を求めて、他郷阿部家へ

「さてさて、他郷阿部家の博気さんはどこに……。あれ、なんかマイナスイオンを感じる」

「私、おとぎの世界に紛れ込んだのかな。妖精が見えます」

「僕も見えてるから大丈夫だよ。すみません、私たちジモコロというウェブメディアの者でして」

「はじめまして。私は他郷阿部家で働いています、社員の山碕千浩です」

「山碕さんは、いつもこちらでお掃除を?」

「いえ、神出鬼没ですね。阿部家にお越しいただいたお客様への、おもてなし全般を担っています」

「山碕さんが感じる、阿部家の魅力はどういうところにありますか?」

「一番は、空間のすごさですね。他郷阿部家は、創業者の松場登美が築230年を超える古民家を再生して作りました。『暮らす宿』がコンセプトで、たとえ一泊でも暮らすように滞在していただいています。これだけ歴史が積み重ねられた空間で暮らせることって、なかなかないと思います」

ミツバチも思わず羽を休めてしまう、山碕さんのふんわり落ち着いた雰囲気

「天井に張り巡らされた梁や、かまどのある台所。日々過ごしていると私にとっては日常になってくるのですが、お客様の反応で、改めてそのすごさに気づかされます」

「登美さんは今でも阿部家には出入りされているんですか?」

「登美さんは今も阿部家でおもてなしをしています。お客様と夕食をご一緒していろんなお話しをして、登美さん目当てで来られるお客様もたくさんいらっしゃいます。でも、私は登美さんがいなくても満足していただけるような、おもてなしを心がけているんです。いつまでも登美さんがいてくださるわけではありませんから

「第二の登美さんのような存在が必要なんでしょうか?」

「いえ。第二の登美さんはいないですし、今後も現れないと思います。一人の登美さんのような存在を求めるのではなく、複数人で補っていくのがいいんじゃないかな。いろんなスタッフが集まって、登美さんに匹敵するオーラやエネルギーを作り出していきたいです」

「人から人へではなく、人から会社に受け継ぐというのはそういうことなのかもしれないですね」

「そういえば、今日はどうしてこちらに……?」

「そうでした! 他郷阿部家の代表・峰山博気さんに会わせてください!」

 

悩みの根源は、創業者の圧倒的なカリスマ性

「はじめまして。他郷阿部家、代表の峰山博気です」

「よろしくお願いします。博気さんが群言堂に関わることになったのも、忠さんのようにご結婚がきっかけですか?」

「いえ、私は結婚する前から群言堂で働いていました。もともとアパレル関係の仕事に就きたくて、大学卒業後に入社。入社当時、将来は自分のお店を持ちたいと思っていたんです」

「いつか独立しようと思っていたんですね」

「入社して5〜6年目のとき、登美さんから他郷阿部家の立ち上げに携わらないかと声をかけてもらえて。創業期にしか経験できないノウハウがあると思い、一緒にやることにしました」

「結局、独立しなかったのはどうしてですか?」

「登美さんのすぐそばで、経営者の大変さを目の当たりにしたからですね。それに、阿部家を通じて群言堂の価値を改めて実感したんです。全国からいろんな人が泊まりに来て話をしていると、この場所にこの会社があること自体が恵まれていると感じて。自分で独立して経験できることと、この会社でできることを天秤にかけた結果、独立したい気持ちが小さくなっていきました

「経営者の大変さを目の当たりにしていたのに、阿部家を継いでと言われたときはどういう気持ちでしたか?」

ついに来たか、という感じでしたね。阿部家を立ち上げたときには結婚して家族になっていましたし、忠さんはグループの代表、由紀子さんは研究所の代表、ということは阿部家は俺か、と。正直、もう少し待ってほしいなという気持ちはありました。登美さんの苦労を見ていた分、自分はまだまだ経験不足だと感じていたので」

「それでも継いだのは、どうしてですか」

他郷阿部家を立ち上げる苦労を共にし、自分が悩んでいた時期も全部知っている登美さんが『お願いしたい』と言ってくれた。その期待にシンプルに応えなければいけないと思いました。腹を括りましたよ」

「僕がジモコロ編集長をやってくれと言われたときと、似た心境だ……」

「阿部家の登美さん。ジモコロの柿次郎さん。どちらもシンボリック的な存在で、二代目の博気さん、だんごさんは創業期をずっと共にしてきた。似ていますね」

「創業者って圧倒的なカリスマ性がある人がほとんどだと思うんです。支える役割が得意な人間は、そのカリスマ性を目指していくのは難しい。だから継ぐとなると悩みますよね」

「そうです! そうなんです!」

「(おお、共感がすごい)」

「そうなると個で勝負するんじゃなくて、組織力でカバーするイメージを持つといいと思います。面白い人材を掛け合わせて、チームとしての独自性を高めていきたいですね」

「先ほどお会いした、社員の山碕さんも仰っていました。『いろんなスタッフが集まって、登美さんに匹敵するオーラやエネルギーを作り出していきたい』って」

「阿部家だけじゃなくて群言堂全体に同じことが言えるんじゃないでしょうか。大吉さん、登美さんが去ったところをカバーするのは組織だと思いますよ」

 

派手なことを成し遂げなくてもいい

「忠さん、由紀子さん、ただいま戻りました……って、あれ」

「栗がある」

「皮ごと食べられますからね、よろしければ召し上がってください」

差し入れをしてくださった、創業者・松場登美さんと愛犬の福ちゃん

「登美さん! ありがとうございます、いただきます!」

「大吉さんと登美さんは今、群言堂ではどういう立場なんですか?」

「登美さんには『相談役』という肩書きがついていて、何かあったら相談してねと言われています。大吉さんには最近、お会いしていないですね。でもなんだか忙しそうなんですよ。個人的に、町のために色々働いているみたいで」

「代表は退いても、それぞれ忙しくされているんですね」

「そうですね。私たちも楽しそうな姿を見ることができて嬉しく思います」

「だんごさん。継ぐ悩みは解消されましたか?」

「みなさんしっかりと受け継がれているなと。自分も頑張らなきゃと改めて気合いが入りました」

「でもね、そんなに力まなくていいと思うんですよ」

「この間、『私は八代目です』という方とお話しする機会があったんです。その方は『自分は創業者の思いを伝える役割の人間なんです』って仰っていて。思いを伝えていくことこそ大事なんだと」

「創業者の思いを受け継ぎ、次の後継者へと繋いでいく」

「そう。八代目の代になっても、ホームページで語られているのは『初代のこと』であり『創業時の思い』なんですよね。思いのバトンをそのまま渡すことに価値がある。なのに初代と二代目の間は最初の受け継ぎということもあって、お互い力が入りがちな気がします

「完全にそうですね。僕自身、ジモコロ編集長として何か派手なことを成し遂げなければいけないように思ってしまっていたかも」

「実際、私もそういう気持ちがあったけど、八代目の人の話を聞いて少し気が楽になりました。まずは大事な『核』の部分を受け継いでいければいいんだって」

「次へと受け継いでいくべき、大事な『核』とはどういうことだと思いますか?」

「そうですよね、そこは難しい。でも、結局美しいものは残っていくんじゃないかな

「美しいから捨てたくない、という判断をすれば自然と残りますよね。美しいだけじゃなくて、楽しいとかそういうポジティブな感情。受け継いだ者だけじゃなくて、それを守りたいと強く思う社員や、お客さんがいれば、核として残っていくんだと思います」

「会社が受け継がれていくことも、そうですよね。美しい会社は残っていく。個人で終わらせず、残していきたい何かがあるから会社にするわけですから」

「ジモコロも魅力あるメディアだから、続いていってほしいと僕自身が願っているんです。だから次の世代へと受け継いでいきたい。僕が受け継ぐことは、柿次郎さんじゃない人でもやれることを証明することでもある気がします」

「あと、ときには流されて生きるのもいいと思いますよ。僕は継ぐ覚悟を持って移住してきたわけではなくて、流れ着いた先がここだった。一つ一つの決断を重たく捉えすぎなくていいと思うんです。縁を感じたり、自分が楽しいと感じたりするほうへと流されてみてください」

「ということで、だんごさん。今日のこの取材もご縁だと思うので『ジモコロ・石見銀山編集室』を作るのはどうでしょう。私、室長やりますよ」

「それは冨田さんが単にここに住みたいだけでは」

「いや……ちょうどいいスペースがあるので、実現できるかもしれません」

「ほら! もしかしましょうよ!」

「もしかしてしまうかもしれない……。ときに流されながら、ジモコロ関係者みんなで楽しく継いでいこうと思います!」

 

おわりに

さて、だんごさん。今回の旅はいかがでしたか?

 

「学びばかりの取材でした。ふわっとした感覚を言語化すること。カリスマを個ではなく、チームで継ぐこと。核を大事にすること。そして継ぐことに重みを感じすぎず、軽やかに流されていくこと。もっと縁や自分の面白いという感覚を信じていけば、自然と新しいジモコロになっていくのかもしれません!」

 

継ぐことへの理解が深まった我々ですが、だんごさんの二代目の日々はまだ始まったばかりです。また悩んでしまうこともあるかもしれません。

でも大丈夫。そのときはまた「継ぐ先輩」を訪ねる新しい旅へと出かけましょう。

 

ということで次回もお楽しみに!

撮影:エドゥカーレ