こんにちは、ライターの冨田です。突然ですが、私、保育園に通いたいんです。
「え、突然どうしたの」
「ジモコロ編集長のだんごさん。子どもの頃って、もっと無邪気で自由だった気がしませんか。ああ、あの時代に戻りたい……」
「(何か辛いことでもあったのか?)そういえば最近、気になる保育園があるんだよね」
「なんですって」
「保育園留学って知ってます?」
「保育園の留学ですか」
「そうそう。都市部に住む家族が地方に2週間滞在して、その期間、子どもを地域の保育園に通わせることができるプログラムなんだって」
「そんなプログラム制度があるんですね、知りませんでした」
「で、島根県にある『大森さくら保育園』に、東京はもちろんスイスとか、海外からも子どもたちが集まってきているらしいんだよ」
「海外からもですか。つまり、それほど魅力的なところということ……?」
「なんでも、町全体で子どもたちを育てるという文化が根付いているそうなんだよね」
「だんごさん。ぜひ私も留学したいです」
「大人の冨田さんを受け入れてくれるかはわからないけど、とりあえず話を聞きに行ってみようか」
(撮影:6B 小野哲郎)
ということで、訪れたのは世界遺産・石見銀山のふもとにある、島根県大田市大森町。人口400人ほどの小さな町です。
かつては石見銀山のシルバーラッシュで栄えた大森町。豊かな自然の中に古民家や武家屋敷が建ち並び、昔の面影を残す美しい町並みは「重要伝統的建造物群保存地域」にも指定されています。
今でこそ子どもの集まる町となっている大森町ですが、かつては少子化が大きな課題に。一時は保育園の園児が2人にまで減り、存続の危機に陥ったそうです。しかし近年は子育て世代を中心に移住してくる方が増え、子どもたちの数が増加し続けているといいます。
その光景はNHKのドキュメンタリー番組でも取り上げられ、話題となりました。
子育て まち育て #石見銀山物語#Eテレ 5/29(日)後6:00ðº
世界遺産 #石見銀山 のふもとにある
人口約400人の小さな町⛰️
その魅力に惹きつけられた
若い世代が次々と移住しているð«
なぜ、こんなことが起きたのか…
地域で子どもを育て
まちを育てる”奇跡”の物語✨https://t.co/kES2bHYT0l— NHK Eテレ編集部 (@nhk_Etele) 2022年5月28日
島根県の深い山の中にある小さな町に、なぜ子どもたちが集まってくるのか? 大森さくら保育園を運営する、NPO法人石見銀山いくじの会の理事であり、ご自身も5人の子どもの母である松場奈緒子さんにお話を伺いました。
町と人を繋ぐのが、子どもたちの役割
NPO法人石見銀山いくじの会の理事・松場奈緒子さん
「ようこそ、大森町へ!こちらが私たちが運営している『大森さくら保育園』です。小学生をお預かりする放課後児童クラブ『おおもり児童クラブ渡辺家』も併設しています」
「今日はよろしくお願いします! なんとも歴史を感じられる素敵な建物ですね」
「ここは築200年の武家屋敷なんです。大森さくら保育園は、近くにある大森小学校の敷地内で運営していたのですが、今年4月にここに引っ越してきました」
「僕も小学校のときに放課後児童クラブに通っていましたが、プレハブの建物でした。全然違いますね」
「プレハブのような無機質な建物が、日本の多くの児童クラブのスタンダードですよね。そういう場所を新しく作ることも選択肢の一つにはありましたが、それは大森町らしくないと思ったんです」
「大森町らしくない、ですか」
「この大森町にはたくさんの歴史的建造物が残っています。新しいものを建てるのではなく、なるべく今あるものを活用したい、と考えたんですね」
「渡辺家は国の史跡で、観光資源として活用する案もあったそうです。でも、この町に住む子どもたちのために使わせてほしいと町の人たちみんなで要望書を提出し、貸してもらえることになりました」
「町の人たち皆さんが、子どもたちのために動いたんですね」
「そうなんです。ちなみにここは、大森幼稚園の初代園長・渡辺先生のお家だったんですよ」
「そうだったんですね!だから“渡辺家”という名前がついているんだ」
「その後、石見銀山が世界遺産になった頃には、料亭として使われていました。そのときの什器は今でも残っています。子どもたちが勉強したりご飯を食べたりする机は、一枚板のカウンターです」
「お!これも料亭の名残りですか!」
「かまどだ!」
「もう長らく使われていなかったのですが、消防署を呼んで火入れして、実際に使えるようにしたんです」
「これでご飯を炊いているんですか!おいしそう!」
「そうです。子どもたちが火を吹いて」
「子どもたちが火を吹くんですね!」
「そうなんです。煙が上がるので目が痛くなることもありますが、みんな楽しそうに頑張って挑んでいますよ」
「私、かまどの扱い方がよくわからないし、できる気がしません……教えてほしい……」
「そうですよね。かまど自体、ほとんど見かけませんし、物として残っていても、使う技術を持つ人も今や少なくなりました。でも大森町では、かまどの使い方を使う技術を持つ人がそばにいて、教えてもらう環境があります」
「自然に囲まれた大森町の子どもたちは、季節の変化も身体で感じることができます。春には山で筍を掘ってきて、保育園のみんなで筍ごはんをつくりました。作ったとき、食べたときの手触りも香りも、春になるたびに子どもたちは思い出すんじゃないかな」
「小さい頃から、季節を身体で覚えていくんですね」
「それをまた、子どもたちがお家の人に伝えてくれたらいいなと思っていて。子育て世帯のうち半数がIターンの移住者で、町の文化や歴史を知らない方もたくさんいるので」
「そうか、今の親世代もかまどで育った人は少ないですもんね。ここで子どもたちが学んだことを、家に持ち帰って家族に伝えることができるのか。逆輸入だ」
「ですから地域の伝統や風習、文化を知る機会を大切にしています。そして子どもが、親に教えてあげる。コミュニティひとつでも、子どもたちはよく知っているんですよ。あそこのおばちゃんはどこそこの家の人だよ、とお父さんに教えてあげたり」
「移住者の人たちが町に関わっていくときにも、子どもたちが大きな役割を担っているんですね」
「そうなんです。あ、この写真をみてください」
「年に一回、もう30年以上は撮り続けている、町に住む人たちの集合写真です。私が小学校低学年くらいのときに始まったので、私が小学校のときの写真もあるし、妊娠してお腹が大きいときも、赤ちゃん抱っこしているとき、産んだ子どもが写っているのも……。町の歴史、自分たちの歩みがこうして残っているんです」
「すごい! 年賀状の家族写真みたいなものが町単位で」
「町の人たちと写真を見ながら『あの子もこんなに大きくなったんだね』とか、年月を分かち合える一つのツールになっていますね」
「この写真だと、私はここで3番目の子どもを抱っこしていて、あっちに写っているのは4番目の子でしょ、そっちに5番目。2番目はここで……。長男はお祭りで使う被り物の大蛇の中に入っていますね」
「家族みんなで固まって写ってないんですね。バラバラ(笑)」
「自分の子どもではない子を抱っこして写っている人もいますよ(笑)。誰の子どもかというより、町全体の子どもたちという感じですね。あ、せっかくなので園舎の外も案内させてください」
「ぜひお願いします!」
「だんごさん。私、本当にこの町に住みたくなってきました。ここでゆっくりと、町の人たちみんなに愛されながら時を過ごしたい……」
「(人生に疲れてるのか……?)」
閉園のピンチ。園児がたった二人に!
「園舎の裏には山があって、下には銀山川が流れています。このあたりは昔、銀の採掘で栄えていたので、銀山にゆかりのある名前もあちこちに残っているんです」
「わ〜、こんな大自然がすぐ側にあるのですね」
「川遊びも身近にできちゃいますね、最高だな」
「そうそう、夏はたくさん川で遊んで、魚を取ったりカニを取ったり、カエルと戯れたり」
「ああ、水が流れる音も気持ちいい……」
「お昼寝するときにも水の音や鳥の声がよく聞こえてきて、心地よいですよ」
「いいですねえ、保育園でお昼寝もしたい……」
「(また何か言ってる)」
「ただ、大森さくら保育園の子どもたちはけっこう忙しいんですよ」
「え、忙しい?」
「大森さくら保育園では『主体性』を大事にしているんです。やりたいことを実現するには何をしたらいいか、何が必要かを子どもたちが考えていく。与えられるんじゃなくて、自分の手で生み出せる力を持てるように育てています」
「主体性を育てる教育! たくましさが育まれそうですね」
「そうか、忙しいのか……。忙しいのはちょっと……」
「冨田さんのうわごとはさておき。この大森町は自然に囲まれて、子どもたちで溢れていて、本当に魅力的なところですね」
「そうですね。ただ、ずっと子どもたちで溢れ続いてきたわけじゃないんです。一時は園児の数が2人にまで減って、閉園の危機にまで陥りましたし」
「え、たったの2人ですか」
「そう。そのうちの一人は私の長男でした」
「子どもを通わせるお母さんとして、園児二人はかなり寂しいですよね……」
「私が東京からこの町に帰ってきたのが2011年のことで、その頃は子供が減る一方。町も元気がなくなっているように感じました」
「今とは全然違ったんですね」
「このままじゃいけない、なんとかしなきゃという使命感から、町全体で取り組む子育てについて考えるようになったんです」
「どうしてそんな使命感が?」
「私自身、この町の人たちに育ててもらった思い出があるんです。母は当時にしては珍しいバリバリ働く女性経営者で、あまり家にはいなくて。近所の家でご飯を食べさせてもらったり、宿題をみてもらったりしてたんですね」
「松場さん自身、町の人に育ててもらった経験が」
「当時の思い出があるからこそ、私も恩返ししなきゃという使命感みたいなものがあったんだと思います。でも実際、人の子どもを預かるって想像以上に難しくて」
「責任重大ですよね。子育てのやり方も家ごとに違うし」
「自分の子どもの個性だって理解するのがやっとなのに、違う家庭で育つ子どもの個性に戸惑ってしまって。昔、私の面倒を見てくれてたおばちゃんたちってすごかったんだなと実感しました(笑)」
「自分の子どもじゃない分、より難しそうですよね。昔は当たり前にやってたかもしれないけど、今考えるとすごいのかも」
「幼稚園の先生たちがもっと手厚くみてくれたらいいのに、と家で少し不満をこぼしていたら、夫に『そしたら自分でやってみたら』と言われて。そうかと思ったんです」
「自分でやる、という手があった」
「それで保育士の資格を取ろう、と。第三子がお腹にいるときに勉強し始めて、2年後にやっと合格しました」
「すごい! 出産&育児と並行するのはとっても大変だったのでは?」
「そのころの記憶はあまりないんです。産後明けということもあったのか、必死すぎたのか、記憶が吹っ飛んでいて(笑)」
「そこから子育てサロンを立ち上げたり、保育園の運営にも携わったり。この町で子育てしやすい環境を整えていきました」
「地域で育てるって、それだけ聞くと『めっちゃいい!』となるけど、子どもを預かるのは責任があることだから簡単な話ではない。それぞれの頑張りに頼っていても限界があるから、仕組み自体をつくる必要があるんですね」
「本当にそうだと思います」
「それにしても、松場さんの行動力はすごいですよね」
「行動することで、私自身の成長も感じることができました。子育てって、子どもが育つだけじゃなくて、大人たちも育つんだって気がついたんです」
「町の子どもたちみんなを愛する、育てようとする気持ちが、町を愛する気持ちにも繋がる。この町の未来のためにも、町全体で子育てをする環境に変えていく必要があったんです」
「そうして実際に動いて、町が変わっていったんですね。園児がたった2人しかいなかったくらい子どもがいなかった町が、ここまで子どもたちに溢れた町になって」
「小さな町だから、というのが大きいかもしれません。自分の手で社会を変えられるだなんて、東京に住んでいたときには思いもしませんでした」
「町の規模が小さいからこそ、保育園と学童ができるだけで大きく変わりますよね」
「自分ができることをとにかくやり続けていたら、町もどんどん変わっていきました。ここで働く職員も、私がUターンしてきたときは2人だったのに、今では15人に。共感してくれる仲間が増えて、この地で暮らすことを選び子どもを育てる人が集まっていきましたね」
時代も世代も超える、大森町の「お互いさま」
「町に足りていないピースを埋めようと思ったとき、『埋めてください、足してください』だけじゃ難しい部分はあるんでしょうね。特に、ここは小さな町ですから、ピースがそもそも十分揃っていない。自分自身が埋められるパーツになるためにどうしたらいいかを考えて、成長していかなければならないのかな、と」
「自分自身がピースになっていかないと、足りないんですね」
「だから私も、一人で何役も担っていますね。親でもあり、経営者でもあり、保育士でもある。ただ、どれも暮らしの中の一部であって、地続きです」
「暮らしが中心にあって、生活をよくするためにどう動くかを考えていく」
「都会に住んでいると、暮らしの中でいろんな社会課題や不満を感じても、しんどさや無力感を感じるだけで、社会を変えようと動ける人は少ない気がします。社会を変えられるという実感がないから。でも、実際にこうやって一つの町が変わっていったというのは、希望ですよね」
(撮影:6B 小野哲郎)
「そうですね。この町に住む子どもたちも、自分たちが重要なピースであり、何かを変える力があると感じることができているんじゃないかな。私の長男が3歳くらいのとき、幼稚園の帰りに町のおばちゃんたちが軒先に花を生けているのを見かけたことがあったんです。そしたら長男が『手伝いたい』って言い出して」
「素敵な気持ちですね」
「でも、私は帰ってからご飯の準備をしたりお風呂の用意をしたり、やらなきゃいけないことがたくさんあるから早く帰りたかったんです(笑)。早く帰ろうと説得していたら、息子が『いやだ。僕だって人の役に立ちたいんだ』って言って」
「誰かの役に立ちたいという思いが芽生えていた」
「そう。まだこんなに小さいのに、社会に自分から働きかけて、主役であろうとしているように感じて。何かご褒美がほしいとか褒められたいとか、そういう気持ちじゃなくて、『人の役に立つ』いう欲求があることに驚かされました」
「見返りを求める行動じゃないですもんね。大人だといろんな欲がくっつくことがあるけど、人の役に立ちたい気持ちオンリー」
「そう、オンリー。長男はおばちゃんたちがこの町のために働いているということを理解していたんですよね。そして、自分も役に立ちたいと願った。人間って誰しも役に立ちたいというストレートな思いを持っているんだけど、社会的要因で縮こまっていくのかもしれません」
「東京に住んでいると、街中で子どもを見かけても、なかなか交流しづらいですね。不審者だと思われる可能性もあるし……」
「親は安全を優先したいから、知らない人に挨拶しなくていいよとか、そう教える気持ちもわかります。ただ、子どもに関わる人間が、教育者や保育者だけに限定されるのはもったいないと思うんです」
「限られた大人としか関わりがなければ、その子のコミュニティは狭まってしまってしまいますよね。家族や先生以外の、いわゆるナナメの存在の人が、その子の視野を広げていく。大森町にはナナメの関係がたくさんあって、それがこの町の最大の魅力だと思います」
「大人も子どもたちから頼られて、役に立つ実感を得られますよね。エネルギーをもらえているかも。子どもが増えると町が元気になるって、きっとそういうことな気がします」
「そうですね。孤独じゃなくなりますから。私、東京で子育てしていたときは孤独な気持ちが強かったんです」
「関わりのある、ナナメの存在が少なかったから?」
「そう。今ここにはナナメの存在がたくさんあって、『お互いさま』で生きている。振り返ってみると、東京での子育てではナナメの関係を私自身作ることができなくて、孤独だったのかもしれませんね。あの、何か助けてもらったお返しに、贈り物をすることってありますよね」
「お酒とか、お茶菓子とか」
「大森町だと違っていて、時代を超えて助け合いが繋がることがあるんです。私自身、子どもの頃によくお世話してくれていたおばちゃんのお孫さんの面倒を、今は私が見ていて」
「昔もらったお互いさまのお返しを、今している」
「そう。コミュニティが生き続ける限り、お互いさまは巡り続けるんです。時代や世代を超えて、残っていく気持ちがあるから」
「町を残すことで受け継がれていくんですね」
「受け継ぐだけじゃなくて、時代に合わせて新しい文化も取り入れています。児童クラブ渡辺家では、入退室をQRコードのようなICTを活用して管理しています」
「古いものにこだわりすぎるわけではなく、新しいものも取り入れていく」
「歴史に重きを置きすぎると、今の暮らしを生きづらくなってしまいますからね」
「あくまで中心にあるのは、今の暮らし」
「だから暮らしの変化を楽しめるのも、この町の魅力です。子どもたちが育っていって、どんな町に変わっていくか。これからも見守っていきたいと思います」
おわりに
大森町の人たちは子どもたちとすれ違うとき、名前を呼んで声をかけます。運動会や発表会に自分の子どもが出ていなくても、駆けつける人は多いのだそうです。元気いっぱいな子どもたちを見て、嬉しそうにしている町の人たちの姿は印象的でした。
無邪気に自由に生きたいと保育園への入園を希望していた私ですが、大森町の大人たちは、子どもたちと一緒にのびのびと日々を送っていました。何歳になっても、子どもと同じように純粋な心で生きていけるということにも、今回の取材で気づかされました。
大森町に根付いている、町全体で子どもを見守る文化。私は年齢の制限があるため園児として大森町を訪れるわけにはいきませんが、ナナメの存在として、子どもたちが、町がどう変わっていくのか。見守っていきたいと思います。
撮影:エドゥカーレ