
こんにちは。編集者の藤本智士です。ジモコロではこれまで石垣島、宮古島と、僕が一人旅で訪れたおすすめスポットを「主観」で紹介してきました。
今回、行き先に選んだのは鹿児島県の離島「奄美大島」。
奄美大島を訪れるのは初めて。兵庫在住の僕にとって、伊丹空港から直行便があるのも決め手になりました。
定刻どおりに伊丹空港を出発し、なぜか奄美空港には15分も早く着陸。僕は空港に着くと、まずお土産屋さんに寄るようにしているのですが、いつもよりもじっくりと散策。
空港のお土産屋さんにある商品から、その土地の雰囲気がなんとなく見えてきます
特徴的だったのは、黒糖関連の商品が多いこと。黒糖焼酎や、黒糖で豆をコーティングしたお菓子と、とにかく黒糖だらけ。空港で黒糖の洗礼を浴びたところから、奄美大島での三泊四日の旅がスタートしました。
ということで、今回も僕の主観が詰まった旅の記録を紹介します。ぜひ参考にしてみてくださいね。
(しゃべった人:藤本智士/まとめた人:しんたく)
<目次>
⚫︎テトラポッドに見送られて、はじまる旅
⚫︎大きな力に翻弄され続けた奄美の歴史
⚫︎宣教師と立神様。奄美の信仰を辿る
⚫︎奄美最大の歓楽街・屋仁川通りでハシゴ酒
⚫︎郷土本を求めて本屋めぐり
⚫︎ヤコウガイに、ハブに、郷土料理、そして奄美を描き続けた孤高の天才
⚫︎ジェラートにドーナツとスイーツ日和
⚫︎最後の夜は再び屋仁川通りで
⚫︎旅の最後に出会ったのは、すっかり顔馴染みの“アイツ”☆記事に出てくるスポットは、最後にまとめてマップで紹介しています!
テトラポッドに見送られて、はじまる旅
今までの離島旅と違うのが、レンタカーを借りたこと。過去二回では「普通は歩かないよ(笑)」と地元の人に言われながらも、徒歩で回っていたんですよ。
ただ奄美大島の場合、中心街の名瀬(なぜ)という街までバスでも1時間ぐらいかかる距離らしくて。なので、今回は車移動を選びました。
空港から徒歩5分の「奄美レンタカー」は安いし近い
奄美空港は島の北東側にあり、宿をとっている名瀬の街までは車で小1時間ほど。まだまだ時間もあるので、まずは奄美大島の北側を海沿いに回ってみることにしました。
車で出発して、最初に出会ったのがこのテトラポッド。
左に写っている車との対比でわかってもらえると思うんですが、めちゃくちゃでかい。海の中にあるテトラポッドってこんなに大きいんだ!と謎の感動を覚えました。
さて、最初の目的地にしたのが「あやまる岬」。名前の可愛らしさに惹かれたのが理由の一つ。さらに「あやまる」という言葉が、謝れない大人たちにかき回されている今の世の中を風刺しているような気がしたんですね。
あやまる岬へ向かう途中にあった「土盛海岸」。やっぱり海が綺麗! この時期の奄美は曇りがちだそうですが、この日は快晴。ありがたい
あやまる岬の駐車場に着いたら、「みしょらんCAFE」というおしゃれなカフェがありました。
カフェ自体もすごくいい感じなんだけど、お土産も充実。空港でも見かけた黒糖のお菓子もたくさんあって、その中でも目に止まったのが、
「サタマメ」と、
「まめぼっくり」。
どっちも素材は黒糖とピーナッツなんだけど、作り方が違っていておもしろい。二つとも一人旅にバッチリなお試しサイズの小袋に入っているので、おあつらえ向きだなと思って買い物かごへ。
さらに、ハブの形をした革製のチャーム。蛇は嫌いだし、ハブなんて猛毒を持っているから余計に怖いなと思うんだけど、あまりにも可愛らしいのと、今年は巳年だから、旅のお守りにいいかもと購入。
あとは、こちらの手提げカバンも。茶色の部分はシャリンバイという木を使って泥染めしてて、青い部分は藍染め。奄美っぽいなとつい買っちゃいました。旅の初めにして、すでに爆買いしちゃったな。
さて、この「あやまる岬」は結構な観光公園になっていて、家族連れでもかなり楽しめる場所になっています。ハイシーズンは人がすごいんだろうけれども、訪れた1月末の時期は誰もいなくてラッキー。
駐車場の展望台みたいなとこから覗いたら、なにやら泳げそうな場所が。降りていったら、天然の海水のプール!
岩場に囲まれ、波も穏やかな海水プール
こんなの、子どもとか楽しくて最高だと思うな。
ちなみにこの「あやまる岬」、てっきり「謝る」という意味だと思っていたのだけど、全然そうではなくて。この岬一帯の水平線のなだらかな地形みたいなのが「アヤ(綾)に織られた手毬」に似ているところから、「あやまる」って呼ばれるようになったみたいです。雅な名前。
大きな力に翻弄され続けた奄美の歴史
あやまる岬に向かう途中に見かけて気になっていたのが、この「奄美市立歴史民族資料館」。僕は奄美の知識がほぼゼロだったので、勉強しようと立ち寄ったところ、ここでめちゃくちゃ学びがあったんです。
奄美大島には複雑な歴史があります。15世紀ごろに琉球王国になった後、1609年に島津藩の統治下に、さらに明治維新以降は廃藩置県で鹿児島県になったわけです。
ここまでは知っている人も多いと思うんですが、実は第二次世界大戦後の8年間、アメリカの統治下にあったんですね。日本に復帰したのは1953年の12月25日。
だから、奄美大島は琉球から島津・薩摩の統治下に移り、その後、戦争が起こってアメリカになり、今度は日本に……という翻弄され続けた歴史があるんですよね。
僕もアメリカ統治下の歴史は知らなくて、あまりの不勉強さに「もう一回あやまる岬に行って、謝ります」くらいの気持ちになりました。
そして、もう一つ衝撃だったのが「黒糖地獄」。
奄美大島では、薩摩藩による支配がめちゃくちゃ厳しい時代があったそうです。
薩摩の統治下では、ある時期から年貢を砂糖(黒糖)で納めるようになったそう。収穫した砂糖をすべて納めないといけない「惣買入制」は農民を苦しめる悪政と言われたんですが、特に酷かったのが1830年のこと。
隠れて売れば死罪。サトウキビの切り株が高いと厳罰。砂糖なめただけでも鞭打ち。割り当てられた量を納められず、債務奴隷みたいになっていく人たちもたくさん出ていて、これを「黒糖地獄」と呼んだそうなんです。
奄美に来てから、黒糖のお菓子ばかりだなと思っていたんだけど、心から「ごめんなさい」という気持ちになりました。同時に、旅の初日で先人たちの苦労を知ることができて本当によかったです。
島の歴史を学んだ後は、お昼ご飯に。奄美大島には「鶏飯」という郷土料理があるんですが、その元祖と言われる「みなとや」へ向かいました。
鶏飯の原型は昔からあって、元々は薩摩藩の役人をもてなすために作られていた、鶏の炊き込みご飯のようなものだったそうです。
それを昭和20年に「みなとや」が旅館として開業するタイミングで、初代館主の岩城キネさんが、ふるさと料理を復活しようとアレンジ。鶏のスープをかける今の鶏飯のスタイルを築き上げたそう。そのメニューが人気となって今に至り、元祖が「みなとや」と言われるように。
実際の鶏飯はこんな感じ。具材のお皿には、鶏肉、錦糸卵、ネギ、しいたけ、のり、真ん中には大根の漬物らしきもの。奄美大島の他の鶏飯の店では、大根ではなくパパイヤの漬物になってることが多いみたいです。
具材を盛って、熱々の鶏スープをかけて食べるわけなんですが、もう最高。大好きだなと思いました。みなとやさんはめっちゃおすすめ! たぶんハイシーズンは人でいっぱいだと思うから、余裕をもって行きましょう。
次に向かったのが「蒲生崎観光公園」。よく「360度の絶景」って言うけど、たいてい180度、せいぜい220度ぐらいじゃないですか。
でも、ここは本当に360度フルの絶景! 奄美という土地の自然をダイナミックに感じるには、めちゃくちゃいいスポットでした。
宣教師と立神様。奄美の信仰を辿る
次の目的地への道すがら、ブイジュ司祭という人の墓地の案内板を発見。普段なら見過ごしてしまいそうなものだけど、道中でカトリックの墓地を何ヶ所か見つけたのと、奄美の過酷な歴史を知った後だからか、妙に気になってしまって。
このブイジュ司祭はフランス人宣教師として24歳の時に長崎に派遣され、その後、奄美に来て布教活動をしていたそう。集落の人とすごく親しく付き合っていて、この地域の精神や文化に大きく貢献したらしいんです。
実際にブイジュ司祭のお墓を見てみると、日本風なお墓の中に、このカトリックのお墓。一つだけ独特な棺桶みたいな形をしたお墓なんだけど、妙に馴染んでいる。この様子から、本当に集落の人と仲が良かったことが伝わって、すごく晴れ晴れするような気持ちになりました。
さて、行き当たりばったりに進んでいるように見えますが、一応向かっている先がありました。それは「安木屋場立神(あんきゃばたちがみ)」という、神様を祀る場所。
「立神(たちがみ)」と呼ばれる神様が、奄美には数多く存在します。奄美の人たちは近海に浮かぶ岩のような島を立神様と呼んで、大切に信仰しているそう。
今回、僕が訪れた「安木屋場立神」は唯一、そうした島に直接触れることができるみたいなので、向かってみることにしたのです。
この防波堤をずっと歩いて、立神様の方に向かっていきます。
実際に触れてみると、それだけでお参りをしたような感覚がありました。僕は巨石とか巨樹が大好きだから、実際に触れられるのもいいよなあ。
その後、いよいよ名瀬に向かう途中で、地元の商店へ。
色々物色してたんですが、奄美といえば、やっぱり「ミキ」。
ミキが何かというと、米とサツマイモとお砂糖で作っている発酵ドリンク。味わいは甘酒みたいな感じでとても美味しいんです。
沖縄にも売っているんですが、奄美では何種類もミキが売っていました。ひとまずこの店にある3種類を全て買っておいて、あとで飲み比べしてみます。さて、いよいよ名瀬の町へ!
奄美最大の歓楽街・屋仁川通りでハシゴ酒
そんなこんなで、夕方に名瀬のホテルに到着。
奄美大島で一番の繁華街は「屋仁川通り」というんですが、ここは飲食店がとにかく密集しているので、この周辺に宿をとって、夜に繰り出すにはおすすめ。
一人でも入りやすそうなのと、「燻りもの」という言葉に惹かれて選んだのが、「和知(わち)」というお店です。
お通しが、つみれ汁ともずくで、最初から心を奪われました。ポテサラも燻製された「燻りもの」!
棚にずらりと焼酎が並んでるんだけれども、奄美はやっぱり黒糖焼酎が美味しい。もともと僕も「れんと」はよく飲んでいたんだけど、お店の人がおすすめする「里の曙」や人気の「じょうご」などを飲み進めるうち、黒糖焼酎にすっかりハマってしまいました。
そして、ここで黒糖焼酎に関してわかったことが。
奄美大島はアメリカだった時期がありますよね。その後、日本に復帰した時に日本政府が奄美の自立復興を促すために、黒糖と米麹で作るお酒の許可を特別に出したんです。だから黒糖焼酎というのは、この奄美群島でしか作れないお酒だそう。
※編集部註……現在、黒糖焼酎は奄美諸島(奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島)のみでしか生産が許されていない
そんなことを知ったものだから、余計に黒糖焼酎を飲まねば、という気持ちになっていたんですが、ふと去年の宮古島と石垣島でナチュラルワインのお店に行ったことを思い出して。店員さんへこの辺りにあるか聞いてみたら、「ありますよ」との返事!
そこで紹介されたのが、「漁師が作るイタリアン ナチュールスタイルソノダ」。2軒目は迷わずこの店へ。
お通しで出てきた長ネギのスープが、もう超絶品。見た目もめっちゃ美しいし、これ間違いないじゃん、みたいな感じで本当に美味しくて。
あとは、このレバーパテ。バニラの香りがして、本当にスイーツみたい。こんなパテ食べたことない。
他にもいろんな美味しい料理をいただいたんですが、メニューを見ていると「ナリピザ」という見慣れない言葉を発見。
ナリというのはソテツの実のことで、奄美大島にはナリを使った「ナリガイ」という伝統食があるそう。この「ナリピザ」は、外来種によって被害を受けているソテツや、奄美の食文化を復活させる支援のために開発されたものらしいんです。
めちゃくちゃ食べたかったんだけど、流石に二軒目でお腹も一杯。また改めて来ることを約束してお店を出ました。
その後、ホテルに戻ってから、先ほど買ったミキたちを飲み比べてみることに。
右の「東米蔵商店のみき」は一番甘くて、左のペットボトルに入った島とうふ屋のミキが一番酸味が強い。真ん中の「花田のミキ」は、ちょうどその真ん中くらいのバランスで、一番好みの味でした。
それが、現時点での僕の感想でした。みなさん、この感想をよく覚えておいてくださいね。
地元の書店に、ハブ屋に、絶品の郷土料理。奄美の旅はまだまだ続く
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この記事を書いたライター
有限会社りす代表。1974年生まれ。兵庫県在住。編集者。雑誌『Re:S』、フリーマガジン『のんびり』編集長を経て、WEBマガジン『なんも大学』でようやくネットメディア編集長デビュー。けどネットリテラシーなさすぎて、新人の顔でジモコロ潜入中。