初めて「会社」で働いてみたら、東京への漠然とした憧れをやめられた|豆塚エリ

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、エッセイストの豆塚エリさんに寄稿いただきました。

16歳のときにベランダから飛び降り、現在は車椅子に乗り生活を送る豆塚エリさん。地元・大分でフリーランスの文筆家として仕事をするなか、「何者かになるために東京に出たい」という気持ちを抱き続けていました。

しかし、今年から会社役員としてダブルワークを始め、初めて組織で働く経験をしたことにより、少しずつ他人との向き合い方が変化し、今いる場所を受け入れられるようになってきたといいます。

他人を競争相手として捉えていた豆塚さんが、どのように他人からの言葉を素直に受け取れるようになり、漠然とした東京への憧れに別れを告げたのか、執筆いただきました。

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何者かになれないなら生きている価値がない、と思っていた。

九州は大分県の片田舎で私は育った。最寄りの駅には一時間に一本列車が来ればいいくらいで、それもちょっと強い雨が降るだけで運休になるような小さな町だ。家の周りにお店らしいお店はなく、ひとつ山を越えないと買い物する場所もない。

地方都市とはいえ、生まれは愛媛県の県庁所在地で、小学校に上がるまで中心街に近いところに暮らしていた私にとって、田舎は閉鎖的で息が詰まった。

それは母も同じだったようで、私が3歳の時に再婚した義父と田舎に暮らし始めてから、両親の関係は悪化した。母は寝る時にしか家に帰って来なくなり、義父は私を無視した。家庭は私にとって居場所ではなかった。不満と苛つきをいつも抱えていた私は、学校でも人間関係がうまくいかず、どうにか大人たちの承認を得るために勉学に打ち込んだ。

ある日の夕方、学校から帰ってきて、ふとテレビから流れるニュースに目が止まった。当時は小泉政権時代。「聖域なき構造改革」を掲げた時の首相は、実力主義の時代、競争社会の到来を高らかに宣言した。その時、心が躍ったのを覚えている。男であろうが女であろうが、お金があろうがなかろうが、どこに生まれようが関係なく、挑戦する舞台に立たせてもらえる。こんな私でも、何者かになれるかもしれない。機能不全の家庭から抜け出して、”ここではない何処か”へと行けるかもしれない……。

それからは首相の掲げる自由と平等を信じ、中学卒業後は町から遠く離れた都会にある進学校へと進んだ。わざわざ町を出て目指すのなら一番がいい、半端じゃかっこ悪い、と母からよく言われていた。子供の私が"ここではない何処か"へと行くためには母の協力が必須で、そのためには立派な大義名分が必要だったし、そう聞かされ続けていたことで私自身も「東京へ行けば何者かになれるはず」と信じるようになり、東京の名のある大学を目指した。

なんでも努力すれば報われる。努力とは美徳であり、救いだ。何者かにならなければ生きている意味がない。私は努力することにすがった。

しかし、残念ながらそれほどの成果は得られなかった。私の高校進学と同時に離婚した母親は、飲食チェーン店でパートを掛け持ちして働き始め、ほとんど顔を合わせることもなかったし、経済環境はさらに落ち込んだ。

振り返ってみると、めいいっぱい努力をするには、生活を支えてくれる誰かが必要なのだ。ただ、当時の私は他の家庭を知らなかったため、成績が伸びないのは努力が足りないせいだと思い込んだ。友情・努力・勝利とは、典型的な少年漫画の三大要素だが、そういえば勝利に向かって邁進する主人公らの生活の部分が描かれることは少ない。ステージの舞台裏では、必ず生活を支えている誰かがいるはずなのに。

そうしているうち、成果を上げられない自分の甘さが許せず、他人に頼ることもできず、八方塞がりになった。その結果、「何者にもなれないのなら」と、高校2年生の冬、アパート3階のベランダから飛び降り自殺を図った。命をとりとめた代わりに、私は車いすに乗る障害者となった。

障害者になり、”どこにも行けない体”になった

障害者として生きる日々は、ままならなさの連続だ。努力をしても報われないことがある、あるいはそもそも努力をしたくてもできない状況があるのだと、障害者になり身をもって知った。私がこれまで信じ、胸を躍らせた自由と平等なんてまやかしだった。困難を努力で乗り越えるストーリーなんて限られた人にしか訪れない。

体力は、体感で言うと健常者の時に比べて半分以下になった気がする。ちょっとした無理でも体を壊してしまう。これでは頑張りようがない。何度か文字通り死にかけて、ようやく私は努力したくてもできない自分、他人の厚意に甘えて頼る自分を受け入れることができた。というか、受け入れないといつか死んでしまうのだと悟ったのだ。

けれども同時に、社会からの期待や要請というものの一切がなくなった、と言えばいいだろうか、障害を理由に就学も就職も叶わない現実がどっしりと横たわっていた。国から与えられる公的扶助はなくてはならないものである一方、「これをあげるからあなたは表舞台に出てこないでほしい」と言われている気がした。社会から、誰からも期待されないというのは楽ではあるが、苦しみでもあった。A面の世界からB面の世界へと、くるりと手のひら返しをされたような気分だった。

愛されたい、認められたい、求められたい気持ちは拭い難い。”何者”かになりたい。見えていたはずの”ここではない何処か”が一気に遠のくどころか、どこにも行けない体になってしまった

それでもこの地元で食べていくしかなく、これまでなんとかフリーランスとして糊口(ここう)を凌いできたが、漠然とした劣等感と東京への憧れは心の深くで燻り続けていた。

組織で働く一員としてダブルワークを開始

つい数カ月前から、知り合いからの誘いをきっかけに、フリーランスの文筆業とは別に、訪問介護事業の会社の役員として働くことになった。最近よく耳にするようになった、いわゆるダブルワークだ。

正直なところ、介護の世界に興味はなかった。ただ、元々収入が安定せず、コロナ禍によって仕事が激減したこともあり、収入源を複数確保することでリスクヘッジしたい、もしかしたら収入がいくらか増えることで、上京するための資金を得られるかもしれないと考えてやってみることにした。会社も障害への理解があり、そもそも女性が多い職場であることから、時短やダブルワーク、在宅ワークなど柔軟な働き方を認めてくれていた。

けれども、不安もあった。基本的に人付き合いが苦手で、長らく一人で仕事をしてきた私にとって、集団で何かをするということをうまくやれる気がしなかったのだ。仕事の悩みの多くは人間関係だと聞く。さらに自分は障害を抱えている。他人の足を引っ張りはしないか、迷惑になりはしないだろうか、それに耐えられるのだろうか、と。

しかし、組織の中で日々働くなか、今までとは違う新しい感覚を味わうこととなった。

過剰な努力は「他人への無関心」を生む

組織でする仕事のある意味で楽なところは、まず目標があり、目標達成の手段を考え、作業をこなす、という手順が明確にあり、そのために人が集まっていることだ。実際に働いてみると、そうした目標ありきで人と関係するのが実は向いているのかも、と思ったのだ。

今まで学校にいたときや、フリーランスとして仕事をしていたときには、他者を競争相手として見ることも多かった。学校では、表向きは「みんな仲良く」と教えられたが、実際のところは「受験戦争」と言われるように、数少ない椅子を取り合う戦いをさせられてきた。誰かと時間を共有することは時間の無駄だと思い込み、その間に誰かから出し抜かれてしまうのではないか、という不安に囚われていた。

他方で、組織で働き始めてみると、同じ1つの目標を達成するためには同僚を競争相手として見ていると効率が悪いことに気づく。目標に集中してとにかくやれることをこなしていく毎日の中で、いつの間にか同僚との間に仲間意識が芽生え、密度の濃い人間関係になっていく。加えて、障害者として長く生活してきたせいか、とりあえず目の前の人を信用して頼る、ということが思っていた以上にできた。苦手なことやミス、時間的制約をカバーし合い、何か目標を達成するたびに手を取り合って喜べた。

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また、フリーランスとして働くことと組織で働くことでは、こなせる仕事のスケール感と推進力が違う。納期までに職人のように黙々と仕事をこなすのは気楽ではあるが、やはり一人でできる仕事はやれることがそこまで大きくないし、ほとんど出来上がった企画の一部分を受動的に担うことが多い。一方で、各々の分野の専門家が集まった組織では、自分が全くの専門外のことでも企画の段階から携わることができ、物事の進み方も一人でやる時とは桁違いのスピード感だ。

こうした違いは、介護という業種の特性上、そもそも助け合うことを当たり前にできる人たちが集まりやすいのもあるのだろう。利用者さんの生活の質をあげるために、その人らしく生きることや人との関わり方について常に考えている人たちだ。すでにサラリーマンをリタイアして子育ても終えている男性職員が、子育て世代の女性職員たちのために夕ごはんを作って持って来てくれたり、子持ちの職員同士で先に仕事を終えた人が子供を学童へ迎えに行ったり、独身の職員が休憩室で子守りをしたり。

効率よくよりよい仕事をすることをベースに、できる人が生活の部分を補助する。ダブルワークをしている職員の場合には、もう片方の仕事も尊重されるし、時にはその仕事がきっかけで新たな利用者さんが増えることも。抜き差しならない関係ではなく、風通しの良い、心地よい乾きを感じられる人間関係と言えばいいだろうか。頼り頼られるという関係性が自然と構築されていった

一度ドロップアウトしたとき、努力できるという、ある種の「特権」を失ったと思っていた。ただ、組織で働くことをきっかけに、過剰な努力とは、ときに自己中心的で他人に対する無関心を生むのではないか、とさえ思うようになった。特権とは、「他者に無関心でいられること」だったのかもしれない。

私はそんな特権を失った一方で、自分の周囲の他者の存在に改めて気がつくことができた。他者に関心を持ち、互いに手を取り合い、時間を分かち合うことで、どうにもならないなりにどうにかなっていくことが分かるようになったとき、不安や苦しみは少しずつほどかれ、わたしのなかに他者への感謝の気持ちが湧いてくるようになったのだ

他人の言葉を受け取れるようになり、居場所ができた

それから、他者との関わりが変わっていった気がする。これまでは、文筆業をやっている私に対して「応援してるよ」と言ってくれる地元の人が現れても、東京に対する劣等感や満たされなさからか、「何も分かってないだろうにな」と他人の言葉を額面通りに受け取ることができなかった。

分かってほしいという自己愛が強いあまりに、私は”特別”で”本物”なのだと思いたかったのだろう。”何者”かになるために、「然るべき人」に評価され、賞賛され、自分の生に意味を与えてもらいたかった

しかし、自分自身が生きることに意味を与えない限り、人生に価値は生まれない。そして、自分自身が生きることに意味を与えるためには、私にとっては頼り頼られる関係を持つことが重要だったのだ

組織で他人を頼り、他人から頼られる関係を築け、自尊心や承認欲求がある程度満たされたことにより、地元の人たちの言葉をそのまま好意として受け取れるようになった。彼ら彼女らは、”私”だから応援してくれているのだ。何者かである私ではなく、今ここにいる、取るに足らないが、かけがえのない”私”の存在を認めてくれていた。たったそれだけのことに、私は長い間気がついていなかった。それに伴って、「完璧な自分」に対するこだわりも薄れ、現実の自分と向き合えるようになってきた。

東京への憧れが完全になくなったとは言えないかもしれない。もっと自分を試してみたい、という意欲や願望はある。けれども”ここではない何処か”を夢想することはなくなった。今ここが私の居場所なのだと思えるようになった。それは、周りにいる人たちが私をコミュニティの一員として認めてくれ、また私自身もその一員なのだと思えるようになったからだろう。

編集:はてな編集部

みんなの「やめたこと」は?

無理して「元気」になろうとするのをやめた|ねむみえり
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「休まない」をやめた|土門蘭
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無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
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著者:豆塚エリ

豆塚エリさんプロフィール写真

1993年、愛媛県生まれ。 16歳のとき、飛び降り自殺を図り頚椎を損傷、現在は車椅子で生活する。 大分県別府市で、こんぺき出版という出版社を営み、詩や短歌、短編小説など精力的に執筆活動を行なうほか、テレビ番組でコメンテーターを務めるなど、幅広く活動中。著書に『しにたい気持ちが消えるまで』。

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分担から「共有」へ。父として二度の育休を取得して感じた、夫婦が共に育児や家事を担うために必要なこと

育児の分担から「共有」へ

共働き世帯において、子どもが産まれると女性側が仕事を辞めたりセーブしたりして、育児や家事の負担を多く担っているケースは少なくないはず。その背景には、なかなか当事者意識を持てない男性がいる一方で、女性側がこういった状況を「仕方がない」と半ば諦めて受け入れている場合もあるのかもしれません。あるいは夫婦で話し合うこともなく、女性側が無意識のうちに自分が多く負担する選択をしている事情もあるのではないでしょうか。

ブロガーのパパ頭さんは、専業主婦の妻を持ち、第一子、第二子の誕生時に、いずれも育休を取得した経験があります。その背景には、共働きかどうかにかかわらず、夫婦が共に子育てに関わっていくことは当たり前であり、さらには「共に育てるからこそ得られるものがある」という強い思いがあったといいます。

今回はそんなパパ頭さんの経験から、夫婦が性別の壁を越えて共に育児・家事に取り組んでいくために大切な視点についてつづっていただきました。

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「パパ頭さんの奥さんって専業主婦ですよね、なんで育休取ったんですか?」

これは、長男と次男の誕生時にそれぞれ育休を取得した私が、ある日同僚から投げかけられた質問だ。私はこの何気ない質問の背景に、彼と自分との「育児に対する捉え方の違い」を見た。

昨今、男性の育児参加の必要性が叫ばれる一方(個人的には「育児参加」という言葉に対しても、もっといい表現があるのではないかと感じている)、未だそれが十分に進まない状況がある。子供の誕生に際し、働き方や生活に大きな変化を強いられるのは、まだまだ女性に偏る傾向が強い。

私の職場では、育休を取得する男性は少数派だ。おそらく世の中のさまざまな職場でも、こうした状況はまだまだ多いだろう。先のような質問を投げかけられるのも、仕方ないのかもしれない。

どうしたら、男性も女性も関係なく、育児に主体的に関わることがもっと自然なこととして受け入れてもらえるのだろうか。先述した捉え方の違いに着目しながら考えてみた。

専業主婦(夫)なら、育児の負担を一人で担える?

質問を通じて見つけた、同僚と私との育児に対する捉え方の違いを端的に表現するのであれば、前者は「分担」であり、後者は「共有」である。

同僚は、おそらく育児を一種の「負担」として捉えていたのではないだろうか。

負担に対して必要なのは「分担」だ。しかしパートナーが専業主婦(夫)であれば負担を一手に請け負うことができそうだから、働いている側が育休を取得して分担する必要性は薄い、と考えたようである。

ただこれは、妥当な考え方ではないと思う。仕事をしながらの育児は、もちろん大変だ。しかし、仕事をしておらず育児に専念できる環境だったとしても、家庭全体として生活が楽になることはないだろう。

仮に、専業主婦(夫)が育児を全て一人でやろうものならどうなるか。特に目が離せない乳児期などは、四六時中子供に付きっきりになる。極端な話、トイレに行く自由すらも失いかねない。育児以外の家事に手を回す余裕も相当削られてしまう。

共働きの家庭であれば、保育園を利用するなど、プロに頼る選択肢もあるだろう。これは実質的に、育児を外部のリソースと分担しているのである。

育児を担う人の不自由さを緩和するためには、誰に頼るかはケースによるとしても、やはり分担は欠かせない。そもそも育児は、一人でできるようには設計されていないのだ。

「働きながら」と「専業」それぞれの育児のイメージ

育児の「分担」のみを考えると、苦労の押し付け合いが生まれる


育児をする上で「分担」は必要不可欠だ。しかしあえて挑戦的な言い方をするならば、子供を持つ誰もが育児に取り組む社会にシフトしていくためには、分担だけでは不十分だと感じる。

分担ばかりを考えると、育児の「負担としての側面」ばかりが強調され、重たく苦しい印象が残りがちだ。そうすると、育児の本質を見落としてしまうように思う。

そこで、分担にのみ留まることなく、もう一歩踏み込んだ捉え方を示したい。それが「共有」である。

「分担」と「共有」は似ているようで逆の性質を含む。分担は孤立を深めがちだが、共有は連帯を深めやすい。分担の前提には負担がありネガティブな傾向があるが、共有の前提には喜びがありポジティブな傾向があるためである。

「分担」と「共有」の違い

捉え方の違いを示すために、まず「分担」のみで育児を行うとどうなるかを考えてみたい。

育児漫画を読んでいると、育児のつらさや苦しさが前面に表現されているものをしばしば見かける。作者にとって、パートナーの無理解や無配慮が育児・家事をつらく苦しいものにしてしまっているのだろうと推察する。

表現によって気持ちを整理したり発散したりすることは、とても大切だ。私自身、読者として漫画を読むことで、共感したり慰められたりすることは多い。

しかし、このロジックのみで話を進めてしまうと「私はこんなに苦労しているんだから、あなただってもっと苦労すべきだ!」という展開になりがちで、下手をすると相手に「苦労だったら自分だってしている!」と言わせる結果になってしまいかねない。

「分担」の捉え方は、ともすると苦労の押し付け合いになり、本質的な解決につながりづらいと思う。

そこで強調したいのが「共有」という捉え方である。

「共有」が家族の連帯を深め、選択肢を増やす

育児には、確かに大きな負担がある。しかし同時に、多くの「喜び」があるはずだ。

子供が見せてくれるふとした瞬間のあどけない笑顔や、少しずつながらも着実な成長、不安を感じたときにこちらに身を寄せる仕草など、挙げればきりがない。これまでの苦労も一瞬のうちに溶かしてしまうような喜びの瞬間が、確かにあると感じる。

育児の喜びを感じる瞬間

子供を持つ人が当たり前に育児に関わる社会を目指していく中で、私が伝えたいのはこの点である。

「家族サービスは大事だと思ってるんだけどさ」

育児参加に消極的なパートナーの方から、こんな言葉を聞いたことがある。この言葉から私は「育児や家事はサービス業」というニュアンスを感じた。「育児は大事だと思うけど、日中仕事をして、帰宅後もまた仕事をしないといけないのか」といった気持ちが吐露されているように思う。

こういった捉え方では、育児の必要性を理解していても、参加するのに腰が重くなってしまうのは無理もない。そうこうしているうちに、育児をメインで担っているパートナーにとっても、育児がつらく苦しいものになってしまいかねない。「分担」の捉え方でいくなら、「あなたももっと負担してほしい」「もう十分(仕事を)負担している」といった論調になってしまう。負担にフォーカスした捉え方は苦しい。

だからこそ「共有」へと捉え方を広げてみてほしいのだ。

共有するために、具体的に何をすればいいか。例えば、料理をしてみるのはどうだろう。仕事じゃないから自由にやっていいし、凝ったものでなくていい。

休日に、いっそ子供を巻き込んで一緒に作ってみるのもありだ。普段料理をしているパートナーの方は、チャレンジを見守りつつ、余裕があればアドバイスをすると、より充実した時間になるだろう。

子供たちはなかなかのグルメだったりするので、思うように食べてくれないかもしれない。うまくいかないこともあるだろうが、試行錯誤していれば、いずれはヒットが出るはずだ。そうすればあっという間に皿は空っぽ、また作ってくれと頼まれる。

子供たちは笑顔だ。でもその瞬間、一番笑顔になるのは誰だろう? きっとあなただ。

共有の捉え方は、育児のポジティブな側面を、関わるもの全てに与えてくれる。分担は負担を減らしてくれるが、共有は喜びを増やしてくれるのだ。

「分担」は負担を減らす。「共有」は喜びを増やす。

精神的な側面にピンと来ないならば、物理的な側面から、その利点を指摘することもできる。

「共有」の捉え方は家族という組織を強くする。分かりやすく言うと「家族としての選択肢を増やすこと」に貢献してくれるのだ。

例えば、夫婦のうち片方が育児に専念し、片方は仕事に専念しているような家庭の場合、育児者は全く休めない。自分の代わりに子供の弁当を作る人も、送り迎えをする人も、掃除洗濯をする人もいない状況では、例え風邪を引いたとしても休めないだろう。

パートナーは「たまのピンチヒッターくらいならできる!」と思うかもしれないが、日頃全く育児・家事に関わっていないとしたら、保育園の準備一つでさえ「何を入れたらいい? それどこにあるの?」となり、かえって相手の負担になってしまう可能性すらある。

片方が倒れただけでシステムダウンしてしまう状況は、仮にこれが企業であればかなり危ない。組織として弱いのは明白だ。しかし日頃から共有できていれば、片方が倒れても復旧がしやすい。

また、夫婦間で育児・家事の比重に偏りが生じていたとしても、共有というスタンスがあれば互いの状況を把握しやすく、負担の偏りにも自然と目がいきやすくなるだろう。

将来、夫婦のいずれかが「仕事を増やしたい」「働き方を変えたい」などと思ったときも、家庭の体制を見直しやすいのではないだろうか。わが家では妻が専業主婦、私が就業するという選択肢を取っているが、この先妻が「仕事に就きたい」と考えるようになっても、新しい家族の体制を柔軟に考えることができる。

「共有」というスタンスは結果として家族としての選択肢を増やし、心豊かな暮らしを支えてくれる。

共有の考え方は、婚姻関係を結ばないパートナー同士の家族にも、もちろん当てはまる。またシングルマザー・シングルファザーの家庭であっても、周囲の人たちにこの考え方があれば、皆で子供を育てていくことができるのではないだろうか。

育児の「喜び」は、共有しないともったいない

「共有」の捉え方が精神的な面と物理的な面の双方から利点があることを踏まえた上で、冒頭の同僚の質問に答えたい。

子供の誕生に際し、私はその体験を妻と「共有」したいと願った。そのためには何よりもまず、家族と一緒に過ごす時間が必要だったのだ。

妻には苦労をしてほしくないから、負担を「分担」するのは当然だと思った。しかし私にとってより重要だったのは、育児という体験を「共有」することであった。

私が育休を取得するにあたって「妻が仕事をしているかどうか」は、さして重要なことではなかった。

育休取得中の夜、子供が夜泣きする中でも、私はよく眠らせてもらっていた。私は頭痛持ちであり、睡眠不足は体調不良に直結しやすかったため、妻と相談の上、休ませてもらっていたのだ。

しかしどうにも息子の寝付きが悪い日には、私が夜間の寝かしつけをすることもあった。抱っこして歩いたり、歌ったり、飲み物を与えたり。しかしそれでも、寝ない日はある。

気が滅入りつつも手を尽くし、ようやく寝息をたて始めた息子を布団に寝かしつつふと横を見ると、妻が寝ている。普段は妻がこれをやり、私は寝かせてもらっているのだと思うと、胸に込み上げてくるものがあった。

それは感謝であり、敬意である。

子供が生まれてからというもの、妻に対する愛情は一段と深まったように思う。

「共有」してきたからこそ、思い出の中にいつも夫婦がいる。「分担」しているだけだったら、それぞれの思い出が別々にあっただけではないだろうか。

眠る妻を見守る

私たち夫婦がなぜ子供を望んだのか、あらためて考えてみる。

難しく答えることもできる。しかしあえてシンプルに言うならば、時につらいことがあったとしても、人生は決して悪くないものだと知っていたからだろう。愛する誰かとのつながりの中で、私たちはそれを見つけてきたのだ。

だからこそ前向きに答えたい。

育児には苦しみが絶えない。だから分担しないといけないのか?

いいや違う。

育児には喜びがあふれている。だから共有しないともったいないのだ、と。

編集:はてな編集部

夫婦の家事・育児への関わり方を考える

作家・柚木麻子さん
“家事や育児は“ささいなこと”なんかじゃない。作家・柚木麻子さんインタビュー
朱野帰子さん『対岸の家事』
みんな孤独だからこそ、私たちは手を取り合える。『対岸の家事』著者・朱野帰子さん
子供を抱っこする下村光輝さん
育児が自分ごと化できなかった私。3カ月の育休を「とるだけ育休」にしないため、夫婦で決めたこと
子供たちが遊ぶ様子
いつか来るかもしれない「仕事と育児の緊急事態」に、共働き夫婦が備えたいもの
川で遊ぶ鈴木さん親子
産後クライシスは一度じゃない。乗り越えた夫婦が気付いた「頼ること」と「共有」の大切さ

著者:パパ頭

パパ頭

妻子との生活の中で得た気づきを漫画にしています。大変なことも嬉しいことも、たくさんありすぎてあっという間に過ぎ去ってしまいかねない育児の日々を少しでも残しておきたい、そんな気持ちで描いています。

Twitter:@nonnyakonyako
ブログ:パパ頭の日々のつぶやき

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将来への不安、ライフステージの変化。映画ライターが選ぶ、悩み多き私たちに寄り添ってくれる映画

月永さんトップ画像

「このまま今の仕事を続けてもいいのだろうか?」
「ライフステージを順調に進んでいる友人を見ると焦る」
「子育てに追われて、パートナーとのコミュニケーションがうまくいかない」

大人になっても、仕事や恋愛、生活の悩みは尽きません。特に昇進や転職、結婚、出産など、周りや自身に大きな変化が起こりやすい30代前後は、「このままでいいのだろうか」という焦燥感にも似たモヤモヤを抱えがちな時期といえそうです。

そんなとき、映画や物語の中に共感を求める人もいるのではないでしょうか。今回は映画ライターの月永理絵さんに、大人が抱く悩みに寄り添ってくれる5作品を紹介いただきます。
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時々、自分の仕事への向き合い方を、ふりかえりたくなる。大学を卒業し、出版社で働き出したのが20代。30代を過ぎてから会社をやめ、流されるままに働くうち、気づけばフリーランスのライター/編集者としてどうにか暮らしていけるようになった。

今の仕事に不満はないけれど、本当にこのままでいいのか、何か変化を起こしてもいい頃じゃないか。もうすぐ40歳を迎える年になり、時おりそんなことを考えるようになった。

仕事にかぎらず、年齢を重ねるにつれ、自分の人生はこれでいいのかと、言いようのない焦燥感を抱きはじめる人は少なくないはず。今回は、そんな迷いを抱いたとき、少しだけ気持ちが前向きになったり、寄り添ってくれたりする(かもしれない)映画作品を紹介したい。


「今の仕事って本当にやりたいこと?」と悩んだら

韓国映画『チャンシルさんには福が多いね』は、まさに40代を迎えた女性が抱える、仕事に対する疑問や不安を扱った映画だ。主人公は、映画プロデューサーとして、これまで数々の映画を手がけてきた女性チャンシル。彼女の人生は、長年一緒に仕事をしてきた著名な映画監督が急死したのを機に一変する。それまで監督と一緒にしていた全ての仕事を失ってしまったのだ。自分は有能なプロデューサーだと認められていたはずなのに、と呆然とするチャンシルに、周囲は冷たく言い放つ。「あなたの居場所があると思う? 監督があってのあなただったのに」。

ショックを受けながらも彼女は自問する。確かに私は、監督がつくる映画を陰ながら支えるサポート役だった。監督がいなくなった今、自分には何ができるのだろう? そもそも自分が本当にやりたかったことは何なのか?

実はこの映画、1975年生まれの監督キム・チョヒの実体験をもとにつくられた(もちろん、監督の急逝、という大事件はあくまでフィクション)。彼女は、世界的に有名な映画監督ホン・サンス監督のもとで演出助手として働き、その後はプロデューサーとして彼を支えてきた。だが40歳を超えたある日、キム・チョヒは、本当にこのままでいいのかと立ち止まってしまったという。

そこでプロデューサー業をすっぱり辞めた彼女だが、いざ辞めてみると、貯金はなく、新しい仕事につく技術も資格もない。いったい自分に何ができるのかと途方にくれるうち、次第に自分が撮りたい映画の話、このチャンシルという女性をめぐる物語が生まれてきたという。

ずっと映画一筋だったチャンシルには、生活を支えてくれるパートナーもいなければ、十分な貯金もない。仕方なく、彼女は安い下宿に引っ越し、知り合いの若い女優のもとで家政婦の仕事につく。そうするうちに、映画監督を目指す魅力的な年下男性と出会い、久々の恋に浮かれ始める。と思ったら、すでに亡くなったはずの香港スターを名乗る謎の男が現れたりもする。個性的な周囲の人々に振り回されながら、彼女は徐々に自分の人生を振り返り、新たな道を見つけていく。

私がこの映画が好きなのは、どれだけ苦境に立たされても、チャンシル本人が「私は本当にだめな人間だ」なんて自分を卑下したりはしないところ。思うようにいかないことに落ち込みため息をつきながらも、彼女は「とにかく生きていかなきゃ」と胸を張り、前へ前へと進んでいく。そうして、ゆっくりと自分が本当にしたかったこと、望んでいたことを探し出す。

たとえ人よりスタートが遅くなろうと、自分がようやく見つけた本当の望みを大事にしよう。そんな彼女の飄々とした強さ、何かを信じるひたむきさが、この物語を明るく照らしてくれる。46歳で監督デビューをしたキム・チョヒ監督だからこそつくれた映画。今の仕事に、ふと迷いを感じてしまった人に、ぜひ見てほしい。


子育てをめぐり、パートナーとの関係に悩んだら

やるべきことが多過ぎて、やってもやっても終わらない。誰かに頼りたいのに、周囲の人には頼れない。仕事の場でも十分つらい状況なのに、それが家庭での日常だったらもっと絶望的だ。ジェイソン・ライトマンが監督した『タリーと私の秘密の時間』では、そんな家庭内での絶望を見事に描きだす。主人公は、二人の子を育てながら、三人目の子を妊娠中の女性マーロ。このマーロという女性が置かれた環境の過酷さがとにかくリアルだ。

頑張り屋のマーロは、三人目の子供が生まれたあとも、仕事に家事に育児にと全てをひとりでこなそうとし、徐々に追い詰められていく。見かねた兄からの助言に従い、ついに彼女はタリーという若い女性をベビーシッターとして雇うことに。不思議なことに、タリーは夜だけ限定だという。それでも、みんなが寝付いたあと、タリーが赤ん坊の面倒を見ながらたまっていた家事を片付けてくれるようになり、マーロは昔の元気な自分を取り戻していく。

さて、ここまで読んで不思議に思う人もいるかもしれない。マーロはシングルマザーなのだろうか? だからこれほどひとりで全てを抱え込んでいるのだろうか? 驚くことに、彼女には一緒に暮らす夫がいる。そして彼は決して悪い夫ではない。仕事をまじめにこなし、彼女に優しく接し、お願いすれば家事も手伝ってくれる。

でもいつも仕事で疲れている夫に、マーロは助けてほしいとは言い出せず、彼もまたそんな彼女の悩みに気づいてくれない。この夫は、元々完璧主義でパワフルな女性だった妻は、たとえ三人の子供を抱え働いていようと大丈夫なはずだと、呑気に思い込んでいるのだ。

映画の公開当時、妊娠で体型が大きく崩れた主婦役を、女優のシャーリーズ・セロンが臨場感たっぷりに演じたことでも話題となった。以前の自分と大きく変わってしまった自分を受け入れるのは確かにつらい。でも何より苦しいのは、自分の痛みを、身近な人たちが気づいてもくれないことだ。愛しているはずの夫は、なぜ助けてくれないのか。家族の無理解がマーロを追い詰め、だからこそタリーの出現が彼女を救うのだ。その関係が、やがて思いもかけない展開を迎えるとしても。

もうすぐ公開される『セイント・フランシス』(8月19日公開)という映画でも、『タリーと私の秘密の時間』と同じように、子育てに追い詰められる女性の姿がリアルに描かれる。主人公は、子供が産まれたばかりのレズビアンカップルの家でナニーとして働くことになるブリジット。彼女の目には、この家族は、裕福でみな仲がよく、何の問題もないように見える。

でも子供を産んだばかりのマヤは、何をしてもうまくいかず、産後うつを患ってしまう。パートナーとの間には愛情があり、支えてくれるナニーもいる。自分の子だってもちろんかわいい。それでもひとり追い詰められていくほどに、育児というのは過酷な仕事なのだ。育児経験のない私ですらそう思うのだから、子育て真っ最中の人から見れば、もっと切実だろう。

そんな人は、映画のなかで同じ悩みを抱える人々の姿を見ることで、家族との関係を見直すきっかけになるかもしれない。

傷つくのがこわくて、変化を起こすのに躊躇してしまったら

他人と一緒に生活をするのがこれほど大変なら、ひとりでいる方がずっと楽だとつい考えたくなる。でも本当に孤独で生きるのは難しい。恋愛にかぎらず、ときには誰かと話をし、楽しみを共有したくなる。ひとりでも十分幸せ。だけどもしその幸せをふたりで共有できたら、また別の未来が待っているかも。

綿矢りさ原作、大九明子監督の『私をくいとめて』は、そんな複雑な心情を抱えた31歳の女性みつ子の日常をたっぷりと見せてくれる。みつ子は、平日はそつなく仕事をこなし、休日になるとひとりで美味しいご飯を食べ歩いたり、日帰り旅行へ出かけたり、「おひとりさま」生活を満喫している。長らく恋人はいないが、会社には仲のいい先輩がいるし、自分だけのイマジナリーフレンドもいてまったく寂しさは感じない。でもそんな日々に、気になる人が現れた。取引先の営業マン、多田君。

彼のことは気になるのに、みつ子はなかなかこの恋に踏み込めない。実は彼女は、20代のあいだ、社会のなかでつらいできごとをたくさん体験してきた。映画のなかで紹介される、みつ子の過去のエピソードの数々は、女性ならきっと共感できるはず。ひとりでの生活が何より幸せだと言い聞かせているのは、そんなつらい経験を思い出さないためでもある。

もし多田君との恋が動き出したら、安定した日常が壊れ、また傷つくことが増えるかもしれない。そんな危険をおかしてまでこの恋を進めるべきなのか? みつ子は何度も悩みながら、それでも自分なりの一歩を踏み出していく。

『私をくいとめて』は、主人公の恋の成就までを描写しながら、同じくらいの熱量で、彼女が社会のなかで経験する女性ならではの悩みや苦しみも描いてくれる。だからこそ、みつ子の勇気ある前進を、誰もが自分のことのように受け止められるのだ。みつ子の勇気ある一歩は、社会のなかでは小さな一歩にすぎないかもしれない。だけど私たちの背中を確かに押してくれる。


大きな迷いの前に立ちすくんでしまったら

最後に紹介したい映画は『息の跡』。この映画は、岩手県陸前高田市でたね屋を営む佐藤さんの姿を、小森はるか監督がカメラを手に追ったドキュメンタリー。津波で自宅兼店舗を流された佐藤さんは、その跡地に自力でプレハブ小屋を建て、たね屋の営業を再開したすごい人だ。さらに、震災での体験を独学で勉強した英語や中国語、スペイン語で本に書き、自費出版したという。

とにかく佐藤さんのパワフルさに圧倒される映画なのだが、私がこの映画を見るたびに感動するのは、彼の滑らかな手の動きだ。プレハブ小屋を掃除し、土をいじり、苗に水をやり、手作りの小屋を整備する。その合間に原稿を書いたり、お客さんの相手もする。どれも、佐藤さんの体に長年のあいだに染み付いた動作なのだろう。

しかもこの人は、店舗をはじめ、なんでも自分でつくってしまう。食べていたチョコレートの箱すら、あっという間にハサミで切り刻み、これも商品に利用するんだと当然のように語る。

何かに迷ったとき、私はこの佐藤さんの淡々とした、でもとても滑らかな手つきを思い出す。そうして、まずは手を動かしてみようと考える。掃除をするのでもいいし、皿を洗うのでもいい。日常のなかで繰り返された動作に身をまかせるうち、自然と心も前に進めるかもしれない。この映画を見るたび、私はいつもそう感じる。

今の自分を映す鏡として

個人的には、ふだん自分の悩みを投影して映画を選ぶことはそう多くない。でも、映画のなかに自分とよく似た思いを抱える人を発見し、思わず「わかるわかる」とうなずくことはたしかにある。

特に最近は、ここで紹介したような、女性にとって身近な問題や、何気ない日常のなかにある悩みを扱った映画が増えてきたように思う。それは、女性の作り手の数が増えてきたこととも無縁ではないだろう。

必ずしも悩みが解決されるわけではないにしても、今の自分を映す鏡として、映画が何かの手立てになってくれればうれしい。

編集:はてな編集部

気分を転換させるエンタメ作品をもっと知りたくなったら

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著者:月永理絵

月永理絵

ライター、編集者。『メトロポリターナ』『朝日新聞』『週刊文春』等、新聞・雑誌・WEB媒体で映画評やコラム、取材記事を執筆。映画と酒の小雑誌『映画横丁』の編集人をつとめ、〈映画酒場編集室〉名義で書籍、映画パンフレットの編集を手がける。

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「嫉妬」を嫌うのをやめてみた|中前結花

中前結花さん

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、エッセイストの中前結花さんに寄稿いただきました。

かつての同級生が自分と同じ「書く仕事」で躍進し、瞬く間に注目を集めるのを目の当たりにしたとき、心に芽生えたのは「嫉妬」だったといいます。そんな自分をみっともないと感じ、嫉妬心をひた隠しにしてきた中前さんですが、ある日その気持ちを打ち明けたことで「嫉妬」への違う向き合い方を知ることになります。

嫉妬心を前向きに受け入れられるようになるまでの心の変化を書いていただきました。

***

彼女に「嫉妬をしている」と気づいたのは、つい半年ほど前のことだった。
それは、ただ「いいなあ」というのとも、「わたしが取って代わりたいわ!」だなんて攻撃的な感じとも、ちょっと違う。

もう少し個人的で恥ずかしくて、そのくせにチリッと熱っぽいような気持ちだ。どうしても他のことばで置き換えるのなら、「ちぇ、すごいなあ」みたいなことかもしれない。この「ちぇ」を認めるのに、ずいぶんずいぶん時間がかかってしまった。

中学、高校、大学を共にしてきた同級生が、瞬く間に「書いたもの」で賞賛され、SNSではいつも名前が溢れるほど人気者になってしまったのだ。わたしは来る日も来る日も書く仕事をしてきた。けれど、彼女ほど大勢の人の目に触れ、褒められたことは一度もない。

最初は素直に「すごいなあ」という想いでいたと思う。
けれど、日々の中でなにかうまくいかないことがある度に、ふうっとその存在が思い出されるようになった。

そして思うのだ。「ちぇ、彼女はすごいなあ」。

突然、「嫉妬」にこんにちは。

思えばわたしは、小さい頃からずいぶん便利な性分をしていた。自分の持っているもの、作ったもの、もらったもの……身の回りのどんなものもすぐに気に入ることができたのだ。

わたしの持っているポシェットが最高にかわいいし、わたしが工作の授業で作った貯金箱はとてもとてもイカしていると思った。海底に沈んだ宝箱をモチーフにした貯金箱なんて最高じゃないか。「これでいい」「これがいい」といつも満足ができる。誰に教えられたわけでもないけれど、「足るを知る」の精神にも近かったかもしれない。他と比べて落ち込むようなことは、それまでほとんど無かったのである。

それが、30歳を超えたここ数年のことだ。

「これでいいのかしら?」と不安になることが多くなった。おそらく、この歳になれば、おおよその未来図や、「自分はたどり着きたい場所にたどり着くことができるか」が漠然とでも見えてくるはずだと期待していたせいもあったと思う。

けれど、いざなってみれば現実は違った。相変わらず先のことはよく分からなくて、「いつまでもピンクのポシェットなんて持っていていいのだろうか」だなんて余計な考え事まで増えてしまう。自分は今、どんな道のどの辺に立っているのか。相応しい態度がよくわからなくなってきてしまったのだ。

「30代になってしまえば楽よ」と言ったのは誰だったっけ。

振り返れば、どんなときもわたしは自分の周りのものを「これ」と愛して来れたのに。前を向けば自分がどんなところを歩いているのかがよく分からなくて、人の目や他の人がどこへ向かって歩いているのか、ということばかりが気になってしょうがない。大人になってはじめて知った、不安。揺らぎだった。

そして、そんな心の隙間にひゅーっと入ってきたのが、先の「同級生の活躍」だ。彼女の書くものは多くの人の心を掴んだ。それを「すごいなあ」とぼんやり遠くから見つめていたはずなのに、気づけば名前を聞くとドキリとしてしまう。「彼女はどこを歩いているのだろうか」ということが、気になりはじめてしまう。

違う道でキラキラと輝いているのか、あるいは同じ道でわたしよりも大きく進んでいるのか……そんなことを考えはじめると、途端に自分の中にもくもくと薄暗い気持ちが立ち込めてきた。

まさかまさか、と自分で自分を疑う。けれど間違いないのである。よーくよーく煙の中を覗くようにして目を凝らしてみれば、その正体は「ちぇ」という、どうにもみっともないものだったのだ。

そう、「嫉妬なんて、みっともない ——」。それがわたしの考えだった。そんな気持ちをひた隠しにしながら、「自分」というものに集中しようと必死になるわたしがいた。

みんな、誰かがうらやましい?

そうして、そんな気持ちを「これでもか」と持て余すようになった頃のことだった。少し歳上のお姉さんたちと4人で中部地方の山あいの方へと出張に出かけたのだ。

夕食は、薄暗い中に光るオレンジのランプがやさしいお店で取ることになり、わたしはすっかりワインで上機嫌だった。そしてそこでなら打ち明けられる気がして、ひっそりと抱えている想いを話してみることにした。大きな山々に囲まれたその土地だから、そうっと話せばどこにも漏れまい。なんだかそんな安心感があったのかもしれない。

「わたし、今きっと嫉妬しているんです。それが恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないんですよ。人に対して、“ちぇ”なんて思ってしまうんです」

大告白のようなつもりでいたけれど、人生の先輩たちのリアクションは、とても意外なものだった。

「するする。30代前半なんて、特に人と比べまくって、すごい落ち込んだり、嫉妬したりしましたよ」
「わたしもあるかも」
それはそれは、えらくあっけらかんとそんなふうに話してくれたのだ。
「嫉妬って、なんだか、みっともないと思ってしまって」
そう呟くと、
「きっと多かれ少なかれみんなしてると思いますよ」
「少なくとも“うらやましいなあ”というのは誰にでもあるんじゃないかな」
「言わないだけで、その延長で『ちぇ』と思ったり」
「中前さんが嫉妬している人も、きっと誰かのことをうらやましいと思ってて、それはもしかすると中前さんかもしれない」

わたしのことが? そんなことは、まるで考えたこともなかったから、宇宙でグルンっとでんぐり返しをする話を聴くような調子で「そんなことが起きるものなんですか」とよくわからない返事をしてしまう。けれど、“みんな、誰かのことがうらやましいのだ”という言葉は、わたしをとてもとても楽にしてくれた。
そして、もうひとつ。

「だけど、見方を変える工夫もできると思います」

と話は続く。その女性が言うには、こうだ。「うらやましいなあ」「妬いちゃうなあ」という気持ちがもくもくと立ち込めるとき、その誰かのそれまでの過程に目を向けてみるといいんじゃないか。そこにいる経緯も全部含めて本当にうらやましいか。自分も同じものが欲しいか。それについてよくよく考えてみるといいのではないか、とのことだった。

これが、わたしにとっては、とてもありがたい教えだったのだ。

言われてみれば、わたしは彼女の今の活躍を「点」で見てあれこれと思っていたけれど、これまでの「線」についてはよく知らない。大学を卒業したところで、わたしの知っている彼女の「線」はぷつりと途切れている。けれど、彼女には彼女の約10年があったはずで、ポツポツと点が重なった今をわたしは遠巻きに見ているだけにすぎない。

わたしは彼女について、何も知らない——。

そう思ったとき、なんだかとても解放された心地になった。そして、そうだ。「よく知らない」から「ちぇ」なんて言葉が出てくるのだ。そんなことにもようやく気づく。つまり、省略せずに言えば、「ちぇ、よく知らないけれど、すごいなあ」だったのだ。

わたしにも、つないできた自分だけの「線」がある

その人の影の苦労や努力、災難なんかを目の当たりにしていれば、「すごいなあ」で済むところを、よく知らないからちょっとおもしろくなく思ってしまう。

けれど、これは何も彼女に限った話ではない。多くの「線」はそう容易く知れるものではないからだ。

事実、同様にわたしにも細くとも弛まずつないできた10年ちょっとの「線」があった。「ここだ」と思った会社に入り、好きな仕事をし、またたくさん失敗もした。自分なりの選択を繰り返して、たくさんの愛おしい人とも出会い、充分過ぎるほど支えられてきて、それを気に入らずして何を気に入るのか。

そして、この「線」も全てを知るのは、またわたしだけなのだ。わたしが気に入らずして、誰が気に入るのか。これを投げ打ってまで欲しいものなど、どこにもないことにも気づく。

その人には、その人の「線」。「ちぇ」が始まったなら、誰かを「点」で見ている証拠で、そんなときはまた振り返って自分の「線」をたっぷり愛でればいい。すると「これでいいのかしら?」だなんて悩む仕事や洋服を選ぶことは、少なくなってくるだろう。せっかくここまで歩いてきた自分だ。「これがいい」に囲まれていたい。そんな考えにようやくたどり着いた。

嫉妬も、悪いことばかりではないのだ。無闇に嫌う必要はないのかもしれない。

その「いいなあ」はぐるぐる廻(めぐ)る

「というわけで、なんだか“嫉妬”みたいな気持ちがあったんだけど、どんな経緯でその人がそこに居るんだろうって考えてみると、よく知らなかったの。同じ学校、同じ歳。それだけ。他はなにも知らないから『ちぇ』なんて思ってたんだね」

天井の高い、風がよく吹き抜ける店で、友人にそう話した。ここは、深い山が覆い隠してくれるような場所じゃないけど、特にもう不安になることはなかった。

「へえ、なるほどなあ。じゃあ、もっと知ってみてもいいのかもね。連絡だってできないわけじゃないんでしょ?」

確かにそうかもしれない。数年前に1度「会おうよ」「会おう会おう」とメッセージで会話をしたきりになっていたけれど、彼女の「線」をちょっとたぐってみることもまた、できないわけじゃあないのだ。わたしは、そうしてみたいと思った。

そしてその友人はこんなことも言ってくれた。

「わたしは中前さんのこれまでを少しは知ってるから『ちぇ』とは思わないけど、でも、これまでも含めて『うらやましいなあ』『いいなあ』と思うときはいっぱいあるよ」
「わたしのこと?」

どうやらそんなものらしいのだ。

線の先が見えなくて不安になる。誰だって大人になるのは初めてのことだからだ。そんなとき、ちょっと自分と違う輝きを持った人に「うらやましいなあ」「いいなあ」と眼差しを向けるのは自然なことだ。みんな誰かの点がうらやましくって、それは「ちぇ」という気持ちも多分に含みながら、きっとぐるぐると廻っている。

誰もが誰かをうらやましい。そんな想いを眼差しを抱えながら、みんな自分の線を懸命にひた向きにつなげているのだ。

編集:はてな編集部

みんなの「やめたこと」は?

俳句との出会いを通じて、「感情」にばかり向き合い続けるのをやめた|杉田ぱん
俳句との出会いを通じて「感情」にばかり向き合い続けるのをやめた|杉田ぱん
「誘われ待ち」をやめてみた|吉玉サキ
「誘われ待ち」をやめてみた|吉玉サキ
人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短

著者:中前結花

中前結花

エッセイスト・ライター。兵庫県生まれ。『ほぼ日刊イトイ新聞』『TBSラジオ』ほか多数の媒体でJ-POPやお笑いなどのエンタメや、日々のできごとついて執筆。趣味は本を買うことと、映画館や劇場に出かけること。

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俳句との出会いを通じて、「感情」にばかり向き合い続けるのをやめた|杉田ぱん

杉田ぱんさん記事トップ写真

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ゆにここカルチャースクールを運営する杉田ぱんさんに寄稿いただきました。

小さい頃からインターネットの世界に親しみ、世界を広げてきたという杉田さん。しかし、最近では感情的な言葉が飛び交うSNS上の言論空間に疲弊。そんなとき、SNSと対照的な言葉の扱い方が求められる俳句と出会い、精神的にも変化が訪れたといいます。

俳句との出会いが、SNSに疲れていた杉田さんにどのような変化をもたらしたのか。執筆いただきました。

***

インターネットで知った「人間の多様さ」

私が家と学校、文房具と本が売っている大型書店、フードコートが大きいスーパーにしか行けなかった中学生のとき、個人ホームページがはやっていた。私が見ていたサイトのリンク集にはだいたい〈REAL〉というページがあり、「明日は六限まである、最悪だ」とか「いま塾から帰った」とか、ひとりのユーザーが短いテキストを呟くページがあった。

同級生のページも見ていたが、もっともよく閲覧していたのは当時興味のあったロリータファッションを着ている人たちの個人サイトだった。家の近所では、ロリータを着ている人を一度も見かけたことがなかったけど、どうやら実際に着ている人はいるらしい。そのことをインターネットで確かめるたび、うれしかった。

高校生になると、その場所はTwitterへと変わっていった。それぞれ一人の閉じた世界でつぶやく〈REAL〉とは違い、Twitterでは一つのタイムラインに複数のユーザーの140字以内のテキストが流れていく。

当時は、独り言のように見えて、やんわり誰かを想定したつぶやきも多かった。おすすめの本や最近観た映画の感想などは、なんとなく友人を意識してのものだったし、お昼にインドカレーを食べた友人の写真がアップされれば、@をつけないで「私はカツカレー」と写真を投稿して、やんわりコミュニケーションを取ることもできた。私はこの独特のコミュニケーションが結構好きだった。もともとお菓子の裏に記載された成分表を全部読んでしまうような、文字を読むのが好きな人間だったこともあり、私はTwitterへ夢中になっていった。

最初は、友人のほかに好きな本屋とか小説家、服屋さんなどをフォローしていたのだが、徐々に社会問題に対しての考えや目指していきたい社会のスタンスが似ているフェミニストやクィアといった人たちとも交流することができた。それまでそういう人たちが集う読書会やデモ、勉強会などへたどり着くための情報はなかなか見かけなかったので、これはとても有益だった。

そのとき、私は洋服の勉強や仕事をしていて、フェミニズムやクィアスタディーズに興味があっても本以外で学べる機会はとても少ない環境にいた。だから大学でやっている市民向けのフェミニズム/クィア理論講座の情報がTwitterで流れてきたとき、「こんな世界が広がっていたのか」としばらく感動したのを覚えている。そこで得た知識や出会えた人たちは、私の人生にとてもよい影響を与えてくれた。

もちろん、人間は多様だからそんなに仲良くならなかった人たちもたくさんいた。社会問題に対してのスタンスが同じでも、それで仲良くなれるかというとあんまり関係なさそうだ、と早々に気がつくことができたのもよかった。インターネットは私にたくさんの人間がいる、ということを教えてくれる存在だった。

感情的な言葉ばかり反響するSNSの世界

しかし、私がここで書きたいのは、インターネットやTwitterで得た良いことだけではない。私は、Twitterに夢中になったおかげで、Twitterで広まりやすい言葉遣いやトピックの存在に勘づき始めた

その一つに、感情を過剰に表現する言葉遣いがある。例えば、最後に「泣いた」とか「ものすごく腹が立った」と、強い感情で締めくくるツイートにはキレがある。Twitterという言語空間は、強い感情ほどよく響き、反響を繰り返し、生き残る。だから、自然と私たちユーザーも激情的になりやすく、疲弊する。

ミヒャエル・エンデの『鏡のなかの鏡―迷宮』(岩波書店)にこんな言葉がある。

ずっと昔、軽率にもはりあげてしまった叫び声のようなものの、残響だ。こんなふうにして自分の過去と出くわすと、ひどい苦痛をおぼえる。おまけに、あのとき口からもれた言葉がそのうち形と中身をうしなって、どんな言葉か見分けがつかなくなってしまっているのだから、なおさらだ。(ミヒャエル・エンデ『鏡のなかの鏡―迷宮』岩波書店, 2001年, pp.2)

私も同じだった。いつしか過去の自分が書いた、もしくは誰かの書いた強い感情的な言葉に出くわすとちゃんと体力を消耗するようになった。常に自分や誰かの感情と向き合い続けることは、心を消耗させる。

もちろん、そうした強い感情で綴られた言葉の中には、現状の社会で尊厳を奪われ、それに対する怒りを綴ったものもあるだろう。このことについて、もう少し丁寧な話をしたい。

マイノリティと呼ばれる人々は、社会の規範から外れた経験をする。例えば、私は恋愛に興味のない人間だが、「何か過去に嫌なことがあったんですか」と理由を問われることがある。どうしてあなたは、そうなのですか、と。正直、そんなの私にはよく分からない。ただ、そうなだけだ。

時々そのような質問を受けるぐらいだったら、私は「へえ、よく分かんない質問してくるな」ぐらいで済むのだが、社会制度から自分のような人間が想定されていない事実を知るときに、けっこう弱る。婚姻制度を使った方が世の中お得にできているんだなとか、家族に頼ることが前提の仕組み中で、病気などのトラブルのときどうなるんだろうとか。私以外にも、社会の規範から外れてしまう人たち(この人たちにもさまざまなグラデーションがあって違う経験をしている)は、それぞれ不安に思ったり、実際に困ったりしているはずだ。

そういう人たちが、制度を変えるために強い感情と共に何か訴えることもあるだろう。なぜなら、そうしなければマイノリティの意見は聞いてもらうことが難しいからだ。

だから、私もそうした言葉をつぶやいたことが何度かあるが、「ここまでしないと聞いてくれない場所なのか」と落胆した。制度の不均等について、「不均等なので改善しましょう」の一言で済まないのは、それだけで人を絶望させる。

こうして常に自分や誰かの感情と向き合い続けることに疲弊していた。友人に俳句を勧められたのはそんな時だった。

自分の内面ではなく、景色に目を向けさせる俳句の世界

 
「俳句に興味ありませんか?」と尋ねられて、頭の中に最初に浮かんだのは「老後の趣味みたいなやつ……?」という、偏見まるだしのそれだった。しばらく俳句のあれこれを教わりながら、私が俳句に決定的に興味を抱いたのは、「客観写生」という考えを聞いたときだった。

高浜虚子は、『俳句への道』(岩波書店)で客観写生についてこう述べている。

客観写生という事は花なり鳥なりを向うに置いてそれを写し取る事である。自分の心とはあまり関係がないのであって、その花の咲いている時のもようとか形とか色とか、そういうものから来るところのものを捉えてそれを諷う事である。だから殆ど心には関係がなく、花や鳥を向うに置いてそれを写し取るというだけの事である。(高浜虚子『俳句への道』岩波書店, 2014年, pp.20)

 
俳句は、詩だ。

私は、それまで詩というものは、もっと抒情的な文芸なのだと思って生きていた。確かに抒情的な詩もこの世には多く存在する。だけど、そうでないものもどうやら存在するらしいのだ。人間の強い感情だけが響くタイムラインに疲れていた私は、心に関係がないことに光を見出した。さっそく歳時記を購入し、句を作り、句会に参加するようになった。

句会とは、自分の作った俳句を無記名で投稿し、それを評し合う会のことを指す。私の参加していた句会では、先に述べたような客観写生を句に反映させたものが多く、注目を集める傾向にあった。私の見てきたTwitterとは全く正反対の傾向だった

ここで私の好きな俳句を紹介したい。

水筒の暗き麦茶を流しけり(小野あらた『毫』ふらんす堂, pp.25)

たべ飽きてとんとん歩く鴉の子(高野素十『素十の一句』ふらんす堂, pp.83)

「水筒の麦茶、そういえば『暗い』わ……」とか、「鴉って確かに『とんとん』歩くね……」とか、身に覚えのある景色が頭の中に鮮明に受信される。たった一七音の文字で夏の台所の「もわん」とした湿度とか匂いなんかを連れてくる。それ以上の意味はなく、ただそれだけなのである。

俳句にもいろいろあるので、客観写生の他にも流派はあるのだが、ここでは詳しく述べない。ともかく俳句における、客観写生のなかでは、世界を観察し、描写することが求められる。そこでは、私の感情は問われない

言葉や物語の世界において人間の存在は常に大きい。そんな世界で、木や果物、野菜や天気にスポットライトを当てる。世界は人間だけで構成されていない、そんな当たり前のことを思い出すことに惹かれるように、私は俳句に魅了されていった。

私たちの言葉が言語空間をつくっていく

Twitterと俳句では、良いとされる言葉が違う。この異なる環境を行き来することで、考えることや行動が変化していくことに気づいた。

何かをするたびに、思ったり、感じることは、いいとか悪いとかでなく、あることだ。しかし、それを過剰表現することを求める空間では、その部分が発達しやすい。環境が人を乗っ取ることはいくらでもある。

私は、「自分や誰かの『感情』にばかり向き合い続けるのをやめた」。しかし、ここで述べたいのは、単に個人の選択の話ではない。感情的になることを強いる社会や、そういった強い感情のみを響かせる空間へときに疑問の目を向けることこそが非常に重要ということだ。

インターネットは人間の作り上げた空間だ。その空間が、人間の抱える問題を映し出すのは、当然のことなのかもしれない。

私は最初に述べたとおり、高校生のときにTwitterを始めた。そこには、無数の人間たちの考えや生活や学びへのアクセス、もしくはどうでもいいことが広がっていて、その多様さや果てしなさに出会った。それらは変化を続け、形を変える。足りないものを見出し、もっと充実させることも、ぼろぼろにすることも、できるのかもしれない。
 
現実の世界は、もっと果てしなく広い。人間以外のものが無数に運動を続けている。突然の豪雨や、スイカについた傷を眺めながら、どんな言葉を発したり、どんなものに力を与えるのか、もう少し居心地の良い場所であるためにできることはあるだろうかと、SNSと俳句の世界を行ったり来たりしながら、考えたり、考えなかったりしている。

編集:はてな編集部

「わたしがやめたこと」バックナンバー

人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた
人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
「自分を大きく見せる」のをやめる
「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
コンプレックスは無理に隠さない。だから、過度な「写真の加工」をやめた
コンプレックスは無理に隠さない。だから、過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美

著者:杉田ぱん

杉田ぱんプロフィール写真

1994年6月生まれ。株式会社Unicoco代表取締役。学びから周縁化されやすい人たちが学びに近づけることを目指す場所として「ゆにここカルチャースクール」を運営。「恋の歌だけじゃない短歌教室」「心を殺さないための批評講座」など、さまざまな講座を開講している。

ゆにここカルチャースクールHP:Unicoco Twitter:@p___sp

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「なんとなく」の買い物を(できるだけ)やめた|山越栞

山越さんトップ画像

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、フリーライターの山越栞さんに寄稿いただきました。

メイクやファッションで気分転換をするのが好きで、息抜きのためについ新しい服やコスメを買いがちだったという山越さん。しかし20代後半に差し掛かり「自分は何を大切に生きていきたいのか?」を考えたとき、それまでの買い物の仕方に小さな違和感を抱くようになります。

30代に突入した今、ものを選ぶ基準はどのように変わったのか。その移り変わりを書いていただきました。

***

何かと理由をつけてお洒落にお金を使っていた頃

昔から、「頑張っている女の子」を歌った曲が好きだった。

失恋したり仕事でミスをしたり、かわいくない自分に落ち込んでも、ちゃんと最後には前を向く女の子たち。

そんな歌の中では、自分で自分を励ますために、メイクやファッションで気分転換をする様子が描かれる。

だからなのかな、私には、些細な壁にぶつかったとき、思いつきでお金を使って元気になろうとする節があった。

「仕事が捗らないから、息抜きにイヤリング買っちゃおうかな」
「今度の打ち合わせ、お洒落な人ばかりで気が引けそうだから新しい服で気合い入れよう」
「モヤモヤした気分を変えたいから新作のリップをチェックしてこよう」

でも考えてみると、ついお金を使ってしまうのは、何も落ち気味な時だけではない。

「今日はいいことがあったから記念にイヤリング買っちゃおうかな」
「来週は久々のデートだから新しい服で気合い入れよう」
「季節も変わったことだし、新作のリップをチェックしてこよう」

……こういう場合だって全然ある。

つまり、何かと理由をつけて、お洒落することにお金を使うのが好きなのだ。

ZOZOTOWNなんて、大学生の頃からかれこれ10年くらい毎日見ている。アクセサリーも服もコスメもたくさん持っているのに、それでもやっぱり新しいものが欲しくなってしまう。

モノ選びに抱いた小さな違和感

しかし20代後半になると、そんな自分のもの選びに小さな違和感を抱くようになってきた。

ノリで手に入れたものたちは、そのときの私をハッピーにしてくれはする。だけど熱が冷めてしまうと、「結局一回しか使わなかったな」とか「お出かけ着のつもりで買ったけど部屋着にしよう」なんて事態になることも多々あった。

「それはどうしてなんだろう」と、自分のことを客観視できるようになったのが、20代後半だったんだと思う。

例えばファッションだったら「こういう服を着たい」までは明確にイメージできていた。でも私の場合「こういう服」は安い値段じゃ手に入らないことが多かったりする。だから、それをお手頃かつ安っぽく見えないアイテムで実現する方法を探すのだ。服選びに限ったことではなく、インテリアでもコスメでも同じだった。

本当は心から欲しいものがあるのに、「買いたい」という欲を満たすために、本当に欲しいものを手頃なものにすり替えて「まあいいか」に着地している。だからすぐに熱が冷めてしまうのかもしれない。

つまり、私の買い物の仕方には「妥協」があるんじゃないかと思うようになった。

私の幸せとは「納得」できていること

そんなふうに感じはじめた当時の私は、「これから何をいちばん大事にして生きていくのか」を考えている最中でもあった。

思い悩むほどではなかったけれど、あるときふと腑に落ちた答えは「自分基準の幸せを持っていること」というシンプルなもの。

生まれてきたからには、人は本能的に自らの幸せを求めていく。ならば、私はごく自然なその習性を、もうちょっと真剣に考えて生きていきたい。

じゃあ、私の思う「幸せ」ってなんだろう。

今の私がしっくりきている幸せの定義は、その時々の自分に「納得」できていることだ。

いついかなるときもごきげんオーラに包まれて、柔らかで優しくいるなんてできない。日々暮らしていれば、予測できない苦労や逆境に遭遇することもある。

だけど、「嬉しい、楽しい」とは言えない状況でも、「納得」という価値観なら、自分の心がけ次第で叶うような気がするのだ。

だから私は「納得できるかどうか」を基準に、ものも選びたいと思うようになった。

もの選びにおける私なりの「納得」は、何度手に取っても「やっぱり好きだな」「必要だな」「買ってよかったな」と思えること。「妥協」ではなくきちんと考えた上で、私の暮らしに仲間入りしてもらったものたちであると思えること。

だから「もうちょっと安かったら絶対に買うんだけどな」と思っているものを、これまでのように手頃なもので代用しようとするのをやめた。

「これを身に着けている自分が好き」と思わせてくれるものは

そうしてZOZOTOWNのお気に入りリストの下の方にずっとある「もっと安かったら即決で買うアイテム」と向き合ってみるようになったのは、やっと、30歳になった去年からなのでした。

例えば、カジュアルなスウェット。

今までは、「首周りがちょっと詰まり過ぎていてしっくりこないな」と思えば、「まあいいや」となんの躊躇(ちゅうちょ)もなくハサミでカットできてしまうようなものがそばにあった。でも、雑誌に定番の名品として載っているような2万円前後のスウェットにもチェックはしてあるのだ。

これこれ。「妥協」ってつまりこういうことなんです。

本当は名品に袖を通して暮らしたい私のことを、「自分基準の幸せ」が定義できていない20代までの私はちゃんと認めてあげられなかった。妥協して箪笥の肥やしになってしまったものたちの金額を合わせれば、2万円なんてすぐなのに。

そんなこんなで昨冬に初めて買ったループウィラーのスウェットは、国内の吊り編み機で丁寧につくられていてとっても温かい。カジュアルなスウェットなのに、上品さがあって、着ている自分がしゃんとする。

思い切って選んだ大事なものは、立ち居振る舞いまで変えてくれることを知った。

ループウィラーのスウェット

ループウィラーのスウェット

妥協ではなく、納得できるストーリーを見出して選んだものたちは、センスある友達と飲みに行く日や、好きな場所に出かける日、大事なミーティングでクライアントに提案したいことがある日、「初めまして」の機会など、「ここぞ!」というときに決まって手が伸びる。

それらは多少背伸びして買ったとしても、「これを身に着けている自分が好き」と思わせてくれるお守りになった。

だから私はなんとなく買うのを(できるだけ)やめた

30代になってからは、トレンドよりも自分軸のある人が素敵だと思うようになってきた。

自分にとって心地よいもの、似合うもの、そうじゃないものをきちんと把握できているからこそ、自分を生かすことができる。「スタイルを持つ」ってそういうことなんだと思う。

これは見た目に限ったことではなく、仕事でも同じだ。

「自分はそこに納得感を持っているか」「本当にいいなと思うものは?」「なりたい姿は?」

これは最近の私が何か買うときに大真面目に考えていることなんだけれど、こうやって文字にしてみると、そのまんま仕事での価値観と一致しているから面白い。

身に纏うもの、日々使うもの、それらの扱い方が、その人の生き方につながっていく。

そんなことを言った格好いい大人がいた気がする。というか、たくさんの格好いい大人がそんなふうな言葉を残しているんだろうな。

何かを選ぶことは、どういう自分でいたいかを選ぶことと同じなのだ。

だけど、これまで私が私を奮い立たせるために(時にはごきげんを増幅させるために)衝動買いしてきた過去にも、後悔はない。だって、その経験を経てこその今だもの。

それに、落ち込んだ自分を励ますために、メイクやファッションにお金を使うのは悪いことじゃない。

大事なのは、後になってもそのときの選択に「やっぱりいいじゃん」と、しっくりきていること。

今だってZOZOTOWNのタイムセールは欠かさずチェックしている私だけど、「それを買った先の自分に納得できるか」を考えていけば、もっとハッピーでイケてる大人になれると思うのだ。


編集:はてな編集部

「わたしがやめたこと」バックナンバー

「誘われ待ち」をやめてみた
「誘われ待ち」をやめてみた|吉玉サキ
「仕事をなんでも引き受ける」のをやめた
「仕事をなんでも引き受ける」のをやめた|栗本千尋
記憶にある「良いお母さん」になろうとするのをやめる
記憶にある「良いお母さん」になろうとするのをやめる|イシゲスズコ

著者:山越栞

山越栞

編集者・ライター。小冊子の編集長やwebマガジンのライティング、ライター講座の講師、地域活動の広報PR担当など、言葉と編集で伝えていくことを軸に、フリーランスで活動中。茶道のお稽古に通うために地元の栃木県と東京を行き来するソフトな二拠点生活をしつつ、下町の一軒家で暮らしている。

Twitter:@shioriyamakoshi

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仕事の意味を問い直す。冬木糸一さんが選ぶ、これからの仕事を考えるためのSF

冬木糸一さん記事トップ写真

ここ数年、コロナ禍により社会や仕事のあり方は大きく変化してきました。在宅勤務やリモートワークなどの勤務形態の変化はもちろん、アフターコロナを見越した転職や働き方の転換なども活発に行われています。そんな中、これからの仕事のあり方がどのように変化していくのか、関心を持っている人も少なくないのではないでしょうか。

そこで今回は、書評家の冬木糸一さんに、これからの仕事のあり方を捉え直すためのSF作品を4冊ご紹介いただきました。SFの世界では、人間が従来のように働かなくてもよくなった世界がこれまで多数描かれてきました。家にいる時間が長くなるなか、じっくり「本」を読む機会が増えた方もいると思いますが、SFを通して未来の仕事に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
***

コロナ禍に突入し、はや3年。多くの企業でリモートワークがはじまったほか、生産年齢人口の減少など多くの社会的要因も加わって、週休3日制の導入など日本社会の働き方にも変化が起こってきた。AIの発展著しい昨今、タスクの多くが人間以外のものに置き換わっていくことを考えれば、こうした変化は今後より大きくなっていくだろう。

今回は、そうした未来に起こり得る仕事の変化を、SF(サイエンス・フィクション。科学的空想が投入されたジャンルのこと)作品を通して考えてみたい。SFの世界では、人間の事実上の不死が実現した世界も、ロボット/AIが発展して人間が仕事をせずによくなった世界も、一種のマインドアップロードが実現した世界も描かれてきた。今回は新作から古いものまで、4作品(一部ノンフィクション作品を含む)を紹介しよう。

《仕事》なき世界で仕事の意味をあらためて問う『タイタン』

『タイタン』書影
『タイタン』(野崎まど)講談社

最初に紹介したいのは、超高性能AIである《タイタン》によってほぼ全ての仕事が代替されてしまった世界で、あらためて仕事の意味を問い直す、まさに今回のテーマのために書かれたような長篇、野崎まど『タイタン』だ。

舞台は2205年。社会は《タイタン》と呼ばれる統合処理AIが管理している。彼らが、掃除も、建築も、輸送も、全てを効率的に行うので、「人が働かない方が食べていける」社会が実現している。かつて仕事であったものは今ではもはやする必要がないので「趣味」として行われ、芸術や創作も自己満足の世界だ。

だが、そんなある日、発達心理の論文を発表している趣味的な研究者の内匠成果(ないしょう・せいか)のもとに絶滅しかかっているはずの「仕事」の依頼が舞い込むことになる。実は《タイタン》は一般的な意味での人工知能ではなく、人間の脳を模して巨大化させ、その中を通る電気信号の速度を加速させたロボットと生物の中間の構造を持った存在なのだ。それ故、タイタンは人間的な性質を持っており、世界に12基あるタイタンのひとつのパフォーマンスが低下、人間でいうところの「うつ病」状態に陥ったのではないかという。内匠成果への依頼は、タイタンへの「カウンセリング」だったのだ。

人類の《仕事》を肩代わりした超高性能AIは、何らかの理由で病んだことは間違いないが、それはなぜなのか? タイタンは本来、人間的な人格を有していないが、それを擬似的に再現するシステムによって内匠は対話を開始する。例えば、仕事とは結局のところ何なのか。生きることは仕事なのか。芸術は仕事なのか。その成果が他人に影響しない作業は仕事といえるのか。

こうした数々の仕事についての問いかけを重ねていくうちに、人間とタイタンだけに適用される《仕事》の定義へ至り、それがそのまま、タイタンが仕事の最中に病んでしまった原因へと鮮やかに直結していく。人間にとって仕事とは何なのか。本作が出す答えは、仕事がなくなった世界においても変わることがないものだ。

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不死が実現した世界での幸せとは?『マジック・キングダムで落ちぶれて』

『マジック・キングダムで落ちぶれて』書影
『マジック・キングダムで落ちぶれて』(コリィ・ドクトロウ作/川副智子訳)早川書房

続けて紹介したいのは、2005年に日本で刊行された(原書:2003年)コリイ・ドクトロウ『マジック・キングダムで落ちぶれて』だ。物語の舞台は、人類が不老不死を達成し、技術の発展によって誰も働かずとも生活ができるようになった未来。

この世界での不老不死の実現方法は、定期的に自分の記憶・意識のバックアップをとり、本体が亡くなったとき(あるいは若返りたい時)に新しい身体を培養して移し替える方式。語り手であるジュールズは一世紀以上生きている。

無限のエネルギー源である〈フリーエネルギー〉を獲得した人類は、金を稼ぐ必要も仕事をする必要もない。そのため、彼は交響曲を3曲完成させ、数本の博士論文を書くなどして過ごしてきたが、あるとき幼少から憧れていたディズニー・ワールドへの永住を実行に移す。不老不死が実現した社会だが、ほとんどの物語がこのディズニー・ワールドを舞台に進行するのが本作の特徴的な点だ。

この世界では、貨幣をもちいるかわりに、人々は〈ウッフィー〉と呼ばれる他者の評価によって変動する仮想通貨によって値踏みされる。評判=自分の価値なので、みな自分の評価を高めるために、人のためになることをする。ディズニー・ワールドの一部の運営権なども〈ウッフィー〉で譲渡されるようになっているため、ジュールズは運営を続けるためにも〈ウッフィー〉の獲得に奔走する。〈ウッフィー〉欲しさに、組織の機密情報をウェブ上にアップロードしようとする、現代でいうところのバカッター案件のような事例がすでに描かれているのもおもしろいポイントだ。

物語は最終的に、アトラクションの一つであるホーンテッド・マンションの運営権をめぐり、〈ウッフィー〉の奪い合いともいえる醜い暗殺事件に発展していくが、その過程で、無限の時間があるとき、人は何をして過ごすべきなのかという問いも放たれていく。ジュールズやその恋人はディズニーワールドの運営を続けることに満足そうだが、友人の中には、終わりなき生に飽き、自分自身で最後の日を決める、と覚悟を決めた人物もいる。人生には無限に生きてまでやるべきことなどあるのだろうか。ディズニーで暮らし続ければ、それでハッピーか。

本書を読めば、そうした数々の疑問について考えずにはいられない。現在は残念ながら絶版になっているが、図書館などには蔵書されていることも多いため、是非探してみてほしい。

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労働ロボットを共有するようになった世界『創られた心 AIロボットSF傑作選』

『創られた心 AIロボットSF傑作選』書影
『創られた心 AIロボットSF傑作選』(ジョナサン・ストラーン編/佐田千織ほか訳)東京創元社

次に紹介したいのは、近刊であるジョナサン・ストラーン編『創られた心 AIロボットSF傑作選』だ。AI・ロボットをテーマとしたSFの傑作アンソロジーであり、当然ながらその中には未来の労働を描いた短篇も存在する。例えば、スザンヌ・パーマーによる「赤字の明暗法」はそんな一篇だ。

この世界では、労働のほとんどは完全に自動化されている。では、人はどのように日々の糧を得ているのか? といえば、必要最低限の分はベーシック・インカムによって賄われている。では、それ以上の生活がしたかったら? といえば、産業用のロボットの株主になることによって、その配当が分け与えられることになっている。

一般的にはそうした労働ロボットは複数人で共同所有し、コスト(リスク)と利益を分配するのだが、主人公のスチュワートの場合は、そうした理屈を分かっていない両親がオンボロロボットを購入し、二十歳の誕生日に彼にプレゼントしてくれる。ロボットは日がたつにつれて生産効率が落ち、今のままでは元の費用を回収することさえ困難だ。そのため彼はたった一人のオーナーとして自分の手でロボットの修理を試み、その過程で、みなが下にみて対等に付き合うことがないロボットとの交友を深めていくことになる。

この世界ではベーシック・インカムで最低限の生活が保証されているとはいえ、金持ちはこの仕組みと旧来通りの資産運用で儲けるので、結局のところ階層は固定されたままだ。スチュワートは美術館で働きたくとも、今ではその全てがロボットガイドに取って代わられているため仕事に就くことができないなど、現代の社会ですでに起こっているともいえる描写も物語の中に詰め込まれている。

将来的に労働ロボットの共同所有はそのままの形では実現はしないだろうが、形を変え(ビル・ゲイツが提唱するような、ロボット税が導入され、それが所得の再分配に回される形など)実現することはありえるだろう。

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AIによるAIのための仕事『全脳エミュレーションの時代』

『全脳エミュレーションの時代』書影
『全脳エミュレーションの時代』(ロビン・ハンソン作/小坂恵理訳)NTT出版

最後に、経済学者・人工知能研究者が書いたノンフィクションであるロビン・ハンソン『全脳エミュレーションの時代』を取り上げよう。全脳エミュレーションとは、人間の脳をスキャンしてからその特徴をコピーし、コンピュータ・モデルとして再構築した存在のことを指しており、それが当たり前のものとなった社会で、社会に何が起こり得るのかを経済、労働、文化など多様な観点から考察していく。

普通、そんな状態になったら働かなくてよさそうなものである。何しろエムには身体がないから食べる必要もないし、住む場所も仮想世界上になるのだから。しかし、著者によればそうそう簡単な話ではないという。エムを運用するためのコンピュータ・ハードウェア、エネルギー、冷却装置、それらを置く不動産、通信回線といったサポートにかかる費用は払わなければならないのだから、その費用分は工面する必要がある。本書では、そうしたコストがいくらになりえるのか(例えば、エムの主観速度を上げるためにはニューロンの発火をより多く演算しなければいけないので維持コストも高くなる)、それを賄うためにどれだけの労働が必要とされるのかを細かく描写しているのである。

例えば、著者はエムたちの労働賃金はエムを動かすためのハードウェアの総費用の水準ぎりぎり、最低生活レベルに落ち着く可能性があると指摘する。通常、製品の需要が拡大すれば、業界で規模の経済が働き価格は低下する。ここで重要なのは、エムは手軽にコピーの作成が可能な点だ。そのため、少なくともふたりの競合するエムが存在すれば、競うように自分のコピーを作成することで賃金が低下する。現実の人間がもつ特殊なスキルの賃金プレミアムも消滅し、結局エムたちはみな最低生存費水準に近い賃金で生きていくことを強いられるのだという。

本書では、さらに短期的に仕事を行い、作業が終わると削除される「スパー」と呼ばれるエムのコピーも登場する。スパーを用いれば、無駄なハードウェアの費用を当てる必要もなく、効率化になるだろう──と本作ではほとんどSFと変わらない、エムが存在する社会への考察が繰り広げられている。正直、全脳エミュレーションの時代になってまで競争のことを考えたくないのでそんな未来は御免こうむるのだが、未来の可能性のひとつとしてはおもしろい。

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おわりに

現代日本で生き、日々労働をする身としては自分の周りの労働への価値観と状態が当たりまえで、そうそう変わらないもののように感じてしまうが(例えば、生きていくためには働かねばならないなど)、こうしたSFを読んでいると、労働についての価値観、考え方が大きく拡張されていくと同時に、はたしてこの先仕事をする必要がなくなったとしたら、どのように日々を過ごせばいいのだろうか、という問いかけも湧いてくる。

本を読んでゲームをしてだけ生きていければそれで幸せだ、と思う一方で、仕事もせずそれだけをして、長い人生に飽きずに耐えきれるだろうか、とも思う。本稿では紹介していないが、アーサー・C・クラーク『都市と星』など、長き生のはてに停滞に陥る人類を描き出す作品も数多い。結局、その時になってみないと分からないことばかりだが、SFを読みながらそうして未来の自分と仕事について思いを馳せるのも悪くない。

近年はSFだけでなく、AIに仕事が奪われた先の未来の社会設計・労働設計を考えるダニエル・サスキンド『WORLD WITHOUT WORK』、給料の多寡の決定要因について語ったジェイク・ローゼンフェルド『給料はあなたの価値なのか』など、ノンフィクションでも、未来の仕事の在り方について論じた本が数多く刊行されている。

「未来の仕事と、余暇の過ごし方」について考える時期がついにきているのだろう。SFは、そのための一助となってくれるはずだ。

編集:はてな編集部

新しい本・マンガをもっと読みたくなったら

谷澤茜さんおすすめの海外文学
今の時代に読みたい海外文学5冊
木村綾子さん
「人見知り」なあなたの視野を、一歩広げる作品たち
自分を変えるのではなく肯定してくれる読書のあり方
phaさんの「ゆっくり効く読書」のすすめ

著者:冬木糸一

冬木糸一

SFマガジンでSFの、家電批評でSFとノンフィクションについての連載をしています。 honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。

Twitter:@huyukiitoichi ブログ:基本読書

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「無理しない働き方」を選んだ自分への後ろめたさ、を受け入れられるまで

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

かつては「もっと働きたい」と思っていたはずなのに、“無理のない働き方”を続けている。私、このままでいいのかな……?

今回寄稿いただいたコルさんは、そんなモヤモヤを長年抱えてきたそうです。ステップアップのために選んだ転職先で、思いがけずマイペースに働ける環境を手に入れたことから「楽な働き方」に流されてしまった、と振り返るコルさん。

出産・育児や体調不良などで時短勤務を選んでからも、頑張り過ぎない働き方を選んだ自分への後ろめたさは消えず、むしろ「育児や体調を言い訳にしてしまっているのでは」とさらに自分を責めてしまったそう。

たくさん考えた末、40歳を過ぎた今では「それでも、私にはこの働き方があっているはず」と思えるようになったと語るコルさんに、自分の働き方を受け入れられるまでの経緯を振り返っていただきました。


40代、2人の未就学児がいるコルと申します。2度の転職を経て、現在は都内にある社員10人ほどの小さな会社でマイペースに“ひとり事務”をしています。

会社の所定労働時間は8時間ですが、育児や体調面から6時間の時短勤務を選択しています。今では(まだ少しモヤモヤを感じつつも)「自分には無理のない働き方があっている」と思えるようになった私ですが、ここに至るまで「頑張らなかった自分」に対して、たくさんの後ろめたさを感じてきました

§ § §

働き始めた20代の頃は「しっかりとやりがいのある仕事をこなしたい」「もっと働きたい」という気持ちを抱いていた私。

今の会社も“次へのステップアップのため”に転職したつもりが、気づけばもう10年以上在籍しています。

それまでは長時間労働が常態化していた会社で働いていたので、そんなに忙しくなく、働きやすく、給料も悪くない「楽な環境」に身を置いたことでいつの間にか向上心が小さくなり、そのうち育児や体調不良で思うように働けなくなり……。

そうして芽生えたのは「あのときもっと頑張っていれば」という、ステップアップの気持ちがしぼんでしまった過去の自分への後悔でした。

「もっと働きたい!」という気持ちから地元を離れ、首都圏で転職

私は大学を卒業後、地元大阪の証券会社に就職。職種は「営業」で、飛び込み営業から始めました。

当時から性格的には事務の方が向いてると思っていたのですが、「これから厳しい社会を乗り越えていかなくちゃいけないんだから」と、“あえて”の選択でした。仕事に対するやる気に満ちていて「向いてなさそうな営業も経験して根性をつけるべし!」と考えたのです。

数年後、業務内容が変わったことであまり仕事にやりがいを感じにくくなったこと、漠然と「もっと働きたい!」という気持ちを抱いていたことから、転職を考え始めます。

一度は東京で働いてみたかったこともあり、思い切って東京の銀行をターゲットに転職活動を開始。最終的には東京ではなかったものの首都圏内の銀行で法人渉外(営業)として採用が決まりました。


後に先輩から「最初は大阪弁丸出しでどうしようかと思った(笑)」と笑い話をされるほど職場にも言葉にも慣れ、やりがいをもって働いていたのですが、30歳を前にして「この仕事ってずっと続けられるんだろうか」と考えるようになりました

朝早くから夜遅くまでの勤務が常態化していましたし、「結婚や出産を経て働く女性」のロールモデルもいない。

ちょうどこの頃、当時付き合っていた人と結婚を考えており、いつかは子どもが欲しい、でも仕事は辞めずに続けたいと思っていたことから「このままここで働き続けるのは難しい」と判断し、再び転職活動をすることに。

2度めの転職は「ステップアップ」のつもりだったけど……

そうして、女性が結婚・出産しても長く続けられそうな印象があり、自分の性格的にも向いていると感じていた事務職を改めて目指そうと簿記の資格を取得しました。ただ、私が希望した経理職は未経験の求人が少なく、大手の企業ともなるとさらに難しい状況。

そんな中、当時ベンチャー企業としてグンと業績を伸ばしており、人手不足のため経験問わず採用を拡大していた現在の会社を見つけました。希望していた大手ではないですがとりあえずここで少し働いて、「経験者」としてもっと大きい会社にステップアップしよう、と考えたのです。

そうして働き出した現在の会社は、これまでのハードワークが嘘だったかのようにとても働きやすい環境でした。しかも業績が絶好調だったおかげで年齢や職種から考えると給料も良い。

時間に余裕ができたため、次へのステップアップに向け税理士試験の勉強を始めることもできる。やっぱり結婚はまだいいや! と思うほど、仕事へのやる気に満ちあふれていました(そして当時付き合っていた人とは結局別れることに)。

しかし、しばらくたった頃会社の事務スタッフが私ひとりになり、その頃から徐々に働くことへの意欲が変化していきました。

どの仕事も周囲を気にすることなくマイペースでこなせる“ひとり事務員”を続けるうち、若い頃から抱いてきた「もっと働きたい」という気持ちが少しずつ小さくなっていったのです。

やる気に満ちあふれていた頃に受けた税理士試験は、結局不合格のまま。転職するにしても前職のような多忙かつ常に勉強が必要な仕事はもうしんどい。

余裕のある環境に身を置いたことで何もかもをそのうち、そのうちと先延ばし。頭の中では「いつか本気出す!」と考えながら“気楽な働き方”を続けていました。

出産や体調不良を経て「自分の働き方」に焦燥感を感じるように

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

そのうち35歳で結婚し、37歳で第1子、40歳で第2子を出産しました。

第1子出産後に育休から復帰する際、私は「まだ子どもが小さいうちは」と当然のように時短勤務を選択。2人目も欲しかったので、第1子の時短が終了を迎える前に再び産休・育休に入り、第2子出産後も時短勤務で復職しました。

小さい子どもの世話には手が掛かるし、何より第2子出産後しばらくしてからめまいや頭痛、異常な疲労感など原因不明の体調不良に悩まされるようになったことで「働くことへの意欲」はますます小さくなっていました

どの医療機関にかかっても体調不良の原因は分からないまま少しずつ症状がやわらいでいき、次第に体調以外のことを考える余裕も出てきたとき、ようやく「働き方への焦燥感」を感じるようになったのです。

自分は当たり前のように「育児をするなら時短勤務」と考えていたけど、周囲は意外なほど多く「フルタイム」を選択していること。

転職当時にはグングン伸びていた会社は勢いを失い人も業績も業務量も激減し、若い頃はそこそこと思っていた給料も時短で大幅減。小規模な会社なので福利厚生も十分ではないこと。

それらに「あれ、私このままの働き方でいいんだっけ……?」とモヤモヤを感じても、20代の頃のように「じゃあ転職しよう!」とはいかない状況に、気楽な働き方を選んだ過去の自分を責めるようになりました。

隣の芝生の青さに「四十にして惑いまくり」

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

今年5歳の長男

20代の頃は「もっと働きたい」と考えていたはずが、気づけばキャリアとは無縁の一介の事務員。

周りを見回すと、リアルにもネットにも「やりがいのある仕事に就いています!」「仕事も育児も頑張ってます!」と輝いて見える人たちの姿。

「四十にして惑わず」という孔子の言葉がありますが、私は「四十にして惑いまくり」でした。

40歳を過ぎると人生の後半が見えてくる。今のままだとこのまま何となく働いて一生を終えることになってしまうが、それでいいのだろうか


悩んだ私は、改めて「自分の働き方」と向き合い、自問自答してみることにしました。

【自問自答その1:今から働き方の方向転換ができるのか?】

思っているような仕事に就けるか以前に、以前と比べよくなったものの体調もまだ万全ではなく、残業もいとわず長時間働くスタイルは難しそう

忙しいときは夜中や早朝に仕事をすることもあるフルタイムの夫を見ていると、あの働き方は今の私にはできそうにないなと感じます。そもそももし夫婦ともそういった働き方になったとしたら生活を回していくのがかなり困難になってしまいます。

【自問自答その2:そもそもなぜ「もっと働いた方がいいのでは」と迷うのか】

根本的ではありますが「このままの働き方でいいのか」と焦る気持ちがどこからやってくるのかも考えてみました。

単純だけど意外と大きいのは「もっと働いたら、もっと給料がよくなる」から。

子どもが大きくなってきて、かけようと思えばいくらでもかけられる教育費の青天井さに「もう少しお金があればなあ……」と考えることが増えてきたのです。しかしこれはないものねだり。

内面的なことも掘り下げてみて浮かんだのは、

・若い頃目指していた働き方を実現できていないから
・自己研鑽を続けて努力している周囲の人がかっこよく見えるから

のふたつ。

改めて自分とちゃんと向き合ってみて、若い頃の気持ちにしがみついたり、努力して頑張っている人たちに憧れの気持ちを抱いたりするのは、「私もまだ何とかなるかも」と考えることで、“頑張らない働き方”を選んだ過去の自分から目を背けていたんだな、と気付きました。

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

今年2歳の長女

何度も何周も考えて「今の働き方」を受け入れられるようになった

何度も自問自答を繰り返しているうちに、体調面でも気持ちの面でも「今から働くスタイルを変えるのは、私にとっては難しい」という方向性が見えてきました。

「努力すべきタイミングでしなかった過去の自分」を責めたり、後ろめたさを感じたりするのはつらかった……ですが、悔いても時は戻りません。「あの時、“楽”に流されなければ……」と何度も思ううちに、そう思っても今更何も変えられないんだから仕方ないと感じるようになってきました。

結局のところ、私にとっては「バリバリ働くこと」より「無理なく働くこと」の方が性に合っていたのだと思います。

幸い夫を含め、私がこのような働き方を選んでいることを批判する人は周囲にはいません。

となると本当に自分自身の気持ち次第。やっぱり……と気持ちがぶり返すこともないわけではないですが、囚われそうになった時は「あれだけ考えたんだから」と執着心を手放すようにしています

「過去に執着しても仕方ない、過去は変えられない」なんて言葉は、人から言われてもすぐに納得できないと思います。「そんなことは分かってる!でも……!」と返したくなりますよね。

私が「無理のない働き方を選ぶ自分」に納得できるようになったのは、何度も悩んで、自問自答して、何周も考えてたどり着いたからこそだと思います。

自分と向き合うというのは時間がかかるし、しんどいものですが、だからこそ深刻な悩みほど焦らずじっくりと考えてみる方がいいのかもしれません。

もっと働きたいという執着心を捨て、無理のない働き方を選ぶ自分に”納得”できるまで

迷ったらまた考えて、都度“納得”すればいい

もう仕事にやりがいを求めることはないのかと思うと老後のような気になることもあるのですが、そんなとき思い出すのが近所のおばあさんの存在です。

いつも話しかけてくれる同じマンションのおばあさんは、コーラスとピアノとヨガを習いつつ老人会の役員をして、隣駅まで往復徒歩で買い物へ行き、孫の世話までして……とめちゃくちゃ元気なんです!

彼女を見ていると「仕事をしていないからといって気持ちや体が老け込むわけではない」と励まされます。

今は働き方も多種多様だし、仕事以外で自己実現や自分の好きなことに注力する人もたくさんいます。

そこまで積極的にならずとも、例えば新緑や庭の花の美しさに心惹かれるような日々だっていいと思うのです。

そして、今は現状で納得していても、これからまた迷うことはたくさんでてくるでしょう。その時はまたその時。その都度考えて納得いく人生を送っていければなと思います。

編集:はてな編集部

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「もっと働きたい」気持ちにどう向き合う?

著者:コル

コル

都内のWebコンテンツ運営会社に事務職として勤め、総務・経理などの事務全般を1人で担う。長男(5)、長女(2)を育てながら時短勤務中。

ブログ:大阪人の東京子育て

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