誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ブロガーの月山ももさんに寄稿いただきました。
月山さんがやめたのは「無理してがんばる」こと。
仕事やプライベートで無理を重ね体調を崩したことで、当時の生活を振り返ることになった月山さん。そこから「10年後、20年後の自分につながる行動か」を考えるようになったそう。
改めてこれまでの生活で「無理をしている」ことに気付き、意識的に無理をしないことを考えるように。ただ意識をしても、どうしても「無理しそう」になる瞬間があることも。月山さんの率直な体験がつづられています。
あれはたしか、会社の研修で「ワークライフバランス」か何かをテーマに意見交換をしていたときのことでした。
「ももさんが、仕事やプライベートを送る上で1番大切にしていることってなんですか」
と尋ねられたのです。少し考えてこう答えました。
「楽に生きる、ということかなあ」
相手がわりと親しくしていた女性の後輩だったので、つい本音が出たのですが、言ってから「しまった」と思いました。ああ、いいかげんな先輩だと思われただろうなあ。他の人なら「毎日新しい気づきを得る!」とか言うところでしょうに、私「楽に生きたい」。あんまりじゃない?
「楽に生きる、というのはつまり『無理をしない』ということなんだけどね……」
慌てて補足すると、思ってもみなかった言葉が返ってきました。
「ももさんって登山が趣味ですよね? 楽に生きたいのに、無理したくないのに、どうして山に登るんですか? 登山って、けっこうきつい趣味ですよね」
なるほどそう捉えられるのね、と思い、説明しました。
登山は体力的にはきついかもしれないけれど、自分の体力と経験に見合った山を選んで、無理な山には挑まないようにしている。相手が山だから少し分かりにくいけど、テニスでもフットサルでも、自分と同レベルや少しだけうまい人と試合をすることは、たとえ勝てなくても楽しいし、無理してるとは思わないでしょう?
何に対しても、無理を押して挑み続けることはしないようにしていて。仕事でも、これは無理だ!と思ったら「評価が下がるかも」とか「迷惑をかけるかも」とかはいったん置いておいて、SOSを出したり、自分が楽になる方法を考えるようにしている、と結んだのですが……。
今、意識してそうしているということはつまり、無理を押して挑み続けた過去があったわけです。あるときから私は「無理してがんばる」ことを止めたのでした。
20代後半、無理めな相手との恋に疲れて体を壊した
20代半ば過ぎ、まだ山に登り始める前の私は、今思えばしんどい恋愛をしていました。
就職氷河期をくぐり抜けて小さな出版社に就職したものの、夢だった「本をつくる」部署には配属されず、Webコンテンツの制作部門で社会人生活をスタート。
「仕事に就けたことを喜ばなければ」と気持ちを切り替えたつもりでしたが、行き詰まることも多く、転職を繰り返すこと早3社目。今いる会社も不満だらけだけど、すぐに辞めては格好がつかないからとりあえず1年は耐えなくては……。
仕事にやり甲斐を見いだせず、生活に潤いが欲しくて習い事を始めたのですが、その教室の講師の先生と恋に落ちたのです。
とても人気のある先生で、正直に言うと、選ばれたことに有頂天になっていました。
今の自分からは想像もつきませんが、休日も仕事の時間帯も不規則な彼となるべく一緒にいられるよう、睡眠を削ってでも時間を捻出し「今日は来ないの?」と連絡がくればどんな状況であっても駆けつけました。芸術家らしいエキセントリックなところのある人で、気まぐれに投げつけられた言葉につらい気持ちになることも多かったのですが、付き合うのをやめたいなんてまったく思わなかったし、関係性を変えようとも思いませんでした。
彼が好きで、隣に居続けたかったし、何でもいうことを聞く都合のいい私だからこそ側に置いているんだろうと、なんとなく分かっていたのかもしれません。
しかし、そんな生活を続けていたら20代も後半に差しかかる頃、けっこう深刻な病気が見つかってしまったのです。
発覚したときは「ああ、ストレスが多いと人は本当に病気になるんだな」と何か納得もしたのですが、命の危険もある、治療で後遺症が残る可能性もあるといった現実が押し寄せてくるにつけ、さすがに「都合のいい恋人」を貫き通すことは難しくなりました。
「君は変わってしまった」と言って彼は去っていき、趣味の習い事も続けたいとは思えなくなりました。通院や入院手術のために頻繁に休みを取ったことで会社にも居づらくなり、また転職することになりました。
病気をしたことで期せずして全てがリセットされ「やっぱり、これまで無理し過ぎてたよな」という結論に至ったのです。
「好き」や「理想」は、ときに無茶を加速させることも
体を壊すまでの私は「自分はこうありたい」という高い理想に向かって努力を重ねることは、無条件で素晴らしいことだと思っていました。
理想や目標は、高ければ高いほど努力し甲斐があっていいと。だから、給料が安くても残業が多くて休みが取れなくても「自分が成長できる」と思えた職場を選んでいたし、恋愛でも「振り回されてもいい」と思えるぐらい好きな相手に思いが通じて、幸せだと思っていました。
しかし、その挙げ句に疲弊して、病気になってしまったのですから、これまでのやり方は間違いだったと認めるしかありません。私は、自分で思っていたほど「無理が利く」人間ではなかったのです。
そこで「成長」という幻想を捨て、転職先は仕事内容にこだわらずに休暇と給与が安定しているところを選びました。
転職して時間とお金に余裕が生まれたので、療養を兼ねるつもりで一人温泉旅をするようになり、それからしばらくして山に登り始め、一人登山にのめり込んでいったのです。
実を言うと当時、次はどこの山に登ろう? とわくわくして週末を待ちながらも、病気になる前のことを思い出して不安に襲われることがありました。
2時間程度で登れる初心者向けの山から始めて、楽に登れるようになったらだんだん歩く距離を伸ばしていき、半年後には初めての山小屋泊登山。次の年にはテント泊装備を揃え、夜行バスを駆使して全国の山に登りに行くようになりました。そして雪山装備を揃え始めたころ、「大丈夫か?」と、はたと思ったのです。
山の魅力に強く取りつかれ、天気が悪くなければ週末は山に登りたいからと、休日を全て空けて晴れを待つ日々。友人と会う頻度も激減し、登山にのめり込む少し前に始めた婚活も、土日にデートの予定を入れたくないので頓挫していました。でも「そんなことは些細なことだ」と言いきれるぐらい、登山は楽しかったのです。
だけどあのときも、大好きだったから無理してがんばってしまったんだ、と。
好きだからこそ、気づかないうちに無理をしてしまうことはあると思いました。
健康や仕事、人間関係など、大切なものを失ってから「やっぱりあのときは無理してたなあ」と思い知ることになるのは、二度とご免です。
では「無理をしない」ためにはどうしたら?
「無理してる」基準はいったい何なのでしょうか。
10年後、20年後の自分につながっているとイメージできるか
考えた末に出した結論は「10年後、20年後の自分につながっていると思えるか」なのではないか、ということでした。
彼と付き合っていたとき「今は幸せだけど、10年20年この生活を続けることはできないし、10年後に彼と一緒にいる未来も想像できない」と思っていたのです。
まったく同じことを続けていないにしても、10年後の自分と地続きであればいいのですが、どこかで道が途切れるイメージしかできないなら、それは「無理している」ということなのではないでしょうか。
それからは「今、ちょっと無理してるかも」と思ったときや、選択に迷ったとき「10年後、20年後はどうなってる? どうなっていたい?」と考えるようになりました。
そうすると自然と取捨選択ができるようになって、登山でも仕事でも「私はここまでだな」とか「これ以上は危ない!」というラインを、なんとなく引けるようになったのです。
それから「10年後も付き合いを続けていたい」と思う友人には、休日はやっぱり山に行くのですけど、機会を見つけて連絡するようにしたり。
逆に「『結婚』をすることは、10年後、20年後の私に絶対必要なのだろうか」と考えて、「そうでもないな」と思ったので婚活はやめました。
それでも、人をうらやんで無理をしそうになることはある
そうやって意識していても、無理してがんばってしまいそうになることはあるもので。
多くは、人と自分を比べてしまって「うらやましい」という気持ちが湧いたときでしょうか。
登山を始めてから3~4年の間は、自分のレベルでは難しい山やルートは除外していたものの、ややきつめの登山を毎週末のように計画していました。SNSなどにアップされている写真を見たり、登山記録を読んだりすると「私もここに行きたい!」という思いが湧き上がってきて、気がつくと自分もそこに行く計画を立てていたのです。
特に、登山歴が同じぐらいか、自分よりも短い人が難しい山を登っていたりすると「もうあの山を登っているのか、うらやましいな……」と思ってしまい「じゃあ私も行けるんじゃないか?」「行きたい!」と思うことが多かったです。
振り返ってみると「ちょっと無理してたかな」とも思うのですが、幸い「一人」だったことがブレーキとなり、悪天候や体調などに不安要素があるときは「誰にも頼れないのに何かあったら大変だ」と考えて、すぐに計画を中止するようにしていました。誰かと一緒なら「ちょっとだるいからって現地まで来たのに登らないのは申し訳ない」と思ってしまいますが、一人なので「今日はもう、温泉入って帰ろう」とすぐに割り切ることができたのです。
そして、その頃集中して、全身筋肉痛になるのも厭わず登り続けた経験は、今につながっていると感じています。
2011年の4月に登山を始めたので、今年の4月で10年がたちました。
10年たっても変わらず山が大好きだし、これからも登っていくでしょう。登山を続けたことで得たものは数知れないけれど「大切な何か」を失うようなことはありませんでした。
2020年にはブログ書籍化のお声がけをいただき「本をつくる」という夢を著者として叶えることができたのも、登山を続けてきたからこそだと思っています。
とりあえず、この10年間は無理を押してがんばり過ぎることなく、なんとかやってこれたなあと、少しホッとしているところです。
10年後、20年後も私らしく旅が続けられるように
一人温泉旅から一人登山をはじめ、しばらくの間は温泉旅館に泊まる余裕もないほど山にのめり込みましたが、やっぱり温泉も大好きなので、徐々にバランスよく、両方を楽しめるようになりました。
テントを担いでの登山はもちろん楽しいけれど、温泉宿でひたすらだらだらすることもあるし、「山に登った後に温泉宿に泊まる」という、いいとこ取りの旅を楽しむ機会も増えました。10年後、20年後、さらにその先のことを考えると、きつい登山よりは「温泉中心山行」が多くなっていくのかなあと考えたりもします。
旅の行き先についてはSNSやブログを参考にすることも多いのですが、私は車の運転ができないので、車で登山や旅を楽しんでいる方の投稿を見ると「ものすごくうらやましいな」と思ってしまいます。公共交通機関利用では行きにくい場所もたくさんあるし、いくつもの温泉を効率よく回るような旅は難しいですから、そう思うことは止められません。
実は、登山をするようになってからは特に「今からでも免許を取るべきか?」と、何度となく検討もしました。
ですが、これから免許を取って猛練習したところで、10年後、20年後の自分が知らない土地を運転して旅をしているイメージが持てなかったのです。
比べると、公共交通機関を駆使した旅の計画を立てるのは苦ではないし、長い距離を歩くのにも慣れています。電車やバスが来るまで長時間待つこともあるけれど、そんなときに蕎麦屋なんかで一杯飲んだりするのが、旅の醍醐味のひとつなんだよなと考えたりもして。
そういった旅の楽しさをブログなどで発信していくことで、地方の鉄道・バス・タクシーの利用促進に少しでもつながればいいなと、今はそんなふうに思っています。免許を取って運転をがんばるよりもそっちの方が、10年後、20年後の自分に、まっすぐつながっているような気がするので。
そして10年後も20年後も「駅から徒歩45分? それぐらいなら大丈夫。歩けます」と言える私でいられるように、これからも歩き続けていきたいです。
心乱されたり停滞したりしても、流れに逆らわずにいきたい
私の実家は禅宗の寺院なのですが、「行雲流水」という禅の言葉を近年、折に触れて思い出すようになりました。「空をゆく雲や川を流れる水のように、自然のなりゆきに任せる」という意味の言葉ですが、私自身も雲や水の流れのように、状況に応じて変化することを恐れずにいたいのです。
今は穏やかな気持ちで山と温泉を楽しんでいますが、もしかしたらこの先、登山に出会ったときのように強烈に何かに惹きつけられて「やっぱりどうしても必要だわ!」と一念発起して教習所に通い、運転し始めるかもしれないし、「籍を同じくして何十年先も一緒にいたい」と思う出会いがあれば結婚するかもしれません。
無茶苦茶面倒そうだし疲れそうですけど、我を忘れるほど強く何かを好きになることは、大きな喜びでもあります。そういう出会いがもしあれば、大切にしたいし、予期していなかった出会いがこの先あるかもと思うと少し楽しみな気持ちにもなります。
うまくいくことばかりではないでしょうし、停滞することもきっとあるでしょう。
川の水は濁ることもあるし、雲は雨を降らせたり雷を落とすこともあります。だけどそれこそが「生きている」証なんだと思うから、そのときどきで形を変えながら、流れに逆らわずいきたいのです。
「わたしがやめたこと」バックナンバー
著者:月山もも (id:happydust)
編集/はてな編集部