
戦後に始まったプラスチック革命

朝ドラだと戦後東京に出てきますが、残念。大阪府八尾市です
そして話はここから第二部。ようやく戦後、八尾編に移ります。荘介さんはそもそも八尾に家を買っていたようで、その近くに工場を移します。大阪にあった歯ブラシのメーカーたちも工場を戦争で焼かれて八尾に移動してきます。八尾には毛植えの職人や木ブラシ生産の下地があったからのようです。
「 荘介さんが1952年に八尾に移転したときは大きな会社(※エステーというんですがあの大企業とは別ものです)やって、1958年に水越いうところにさらに大きな工場を作ったんやけど、今度は業績がどんどん落ちていって、1973年に解散した上で親父(祖父・裕司/ひろし)が久保刷子(ブラシ)を設立したいうのがざっくりしたとこやね」
さて、いよいよ話はプラスチックに。全産業にプラスチックが導入されていく時代です。母の話に戻ってみましょう。

この辺りに工場があったんだと説明してくれてます
「工場の機械は自動的なものやったんかね?」
「どうやろうなあ、でも言うてたわ。ここの近所に今東光(『悪名』を書いた大正〜昭和期の作家。住職でもあった)が住んでたやろ。あの人がテレビで『久保さんとこの会社はオートメーションです!』言うててん。そしたら、小学校の子供らが見に来たわ。お母さん(祖母)が『みんなにみかん出してやって』って、子供らに気い使うて。アホやなあ(笑)」
「オートメーション見に来てみかん出てきたら台無しやわなあ」

母や叔父はまだ子どもの頃の話
「戦後、アメリカでナイロンやプラスチックが発明されて、ブラシの毛がナイロンに、ブラシの軸もプラスチックになった。みんなセルロイドで歯ブラシを作ってる時代に、おじいちゃんと親父は財産全部投げ売って(※前述の池から金塊事件)、アメリカからプラスチックを作るインジェクション、成形機という機械を購入してきたんやね。
200度以上で溶かした原料を金型に入れて、冷やしてあげれば、ブラシの形になって出てきます。その工法がインジェクション。ブラシに限らずプラスチック製品一般のものやね」
「商売として成功したんですかね?」
「大ヒットしたね。セルロイドをコツコツやのうて、プラスチックの金型でガシャンガシャン24時間稼働した。その頃は製品は作ってなくて、『仲間売り』いうんやけど、同業者に対して軸だけとかパッケージだけとか半製品を販売してた。それで栄えた」
やはりプラスチックにいち早く切り替えられた会社は商売に成功したようです。資本主義社会においてはリスクをとれる者が強いと聞きますけど、実際にそうなんですね~。

昭和26年に歯ブラシの柄をプラスチックに変えたのが苦労だったと語る祖父。『国際グラフ』1994年12月号から。左下の写真は2代目の小さくなった久保ブラシ時代
「ただ、自社で製品を開発してブランド作りをしなかったのは乗り遅れたことでもあったわな。我々はプラスチック技術がダントツに強かったから、歯ブラシ以外にも力を入れていったわけ。歯ブラシ屋さんというよりプラスチック屋さん。金型から作ってたし、24時間稼働ですごい規模やった」
「全国的にプラスチックに切り替わっていく時代ですよね。久保ブラシは中小にしては早い方にしても」
「一般的には早くて昭和20年代後半から昭和30年代前半にプラスチックに切り替わっていったんちゃうかな。でもプラスチック業で大きくなったけどだんだん不採算になって昭和48年にエステー化成(※同名大企業とは別、曾祖父の会社)は解散。皆さんに退職金を払って再就職まで面倒見た上で、機械が1台もない状態になった」
分業を利用したアウトソーシング時代へ
「その後は二代目の裕司さんによる会社、久保刷子(ブラシ)がスタートするわけですよね」
「歯ブラシ業っていうのは、軸作るのも毛を植えるのも細かく分かれてたから、今度はそれを利用するアウトソーシングの会社になった。全部外に出すことで、細々と復活した。
ピークの時は大きなプライベートブランドの歯ブラシも歯間ブラシもうちが生産していたりしてたね。固定費が低いから利益が生まれやすい体質だったわけ。1995年ぐらいまでかな」

でかい歯ブラシと映る祖父というイメージがあります。おそらく八尾の歯ブラシ祭り
「でっかい歯ブラシ持ってる写真をよく見ましたが」
「お神輿な。お母ちゃんが小さい時、オープンカーに乗せてもうてパレードしてたと思うで。でっかい歯ブラシ持って。八尾の歯ブラシ祭りっちゅうのもあったよね、昔」
商売の厳しさはどこから生まれるのか
歯ブラシ産業の特徴である分業化を利用して、会社は小さいままアウトソーシングで歯ブラシ製造を利用する2代目の会社は軌道に乗りました。その後母が結婚し筆者たちが生まれ、初代の荘介さんは亡くなります。

歯ブラシクイーン(?)3名を取り囲んだ昭和ジェンダーバランスに震え上がる歯ブラシ祭りの構図。右端に荘介さん
「おじいさん(曽祖父)が厳しい人やったから、お父ちゃん(祖父)はしんどかったんやろね。私が結婚して、子どもが生まれて1年ほどして死んだんかな。
『わしが死んだら誰もこんなんしませんわ』言うて庭を毎日大事にしててな。庭に陶器の小さな家みたいなんがあってな。『わしが死んだらここへ帰ってくるからな』って言うてはったんやんか。そんでおばあちゃん(祖母)とその家捨てて(笑)」
「帰ってこられへん(笑)」
「まあ、楽しい人やった。怖い人でもあったけどな。ビジネス、商売の世界は『ただええ人ではあかん』て。裕司のおじいちゃん(祖父)にもずっと言われたわ。
『お前な、この仕事してて「ええ人」って言われたら、上に「どうでも」ってつくんやで』って。『どうでもええ人』やで。『ええ人』いうのはこの世界では褒め言葉やない。そうやって親子で引き継がれた言葉はようさんあるな」

2代目である裕司。おいしかったときは「ごちそうさん」が「ごちそうロク」になるなど絶えずくだらないことを言ってる人でした。養子だったそうです
この叔父の話を聞いて、やさしい祖父がごくごくたまに見せる厳しい表情を思い出しました。思ったよりもずっと冷徹な言葉じゃないですか?
それが商売の世界か~と思うものの(さすがに冷たくない?)とも。例えばゲーム理論の世界では「しっぺがえし戦略」というものがあって、基本的に相手を信じるけど裏切られたときは裏切り返すと戦略としてうまくいくよ、というもの。性善説もちゃんと強いようです。「ええ人でいるな」というのはこれよりずっと向こう側にあるラインじゃないですか。

でもその後、記事を書くために戦前の歯ブラシ産業を調べていると、その世界がいかに厳しいものだったかが描かれてるんです。
低賃金であることがそのまま商品の強さとなっていた問屋制手工業の時代、問屋はものすごく厳しい存在でした。「安価で粗悪」と言われていた日本製品の真犯人は悪質な輸出問屋であると『輸出ブラシ工業』では断定されています。
立場の弱い製造業者を競わせ、とんでもない低価格で作らせる。製造家たちは生き残るために原料をごまかしたり、そもそもちがう原料を使ったりして粗悪品を納める。問屋は「質が悪い」とけちをつけ値切り、借金を背負わせたりして奴隷の様に縛り付ける。
なかでも「サゲブリ」と呼ばれる悪質な手口が紹介されています。「『この値段でやる』とあそこは言ってるぞ」と競争させてどんどん安値にさせるもので、相見積もりをさらにウソで行うわけですね。真面目だった製造家も「どんどん心が荒み」、結果として日本製のブラシや製品全体が「粗悪品」として悪評を受けることになると。日本製ブラシの不評は「当然の事であった」と記されています。
……祖父の言葉は、この「心が荒み」という記述のことじゃないですか? もしかしたら、親から子へと受け継がれていく言葉というのは、こうした資本主義的な構造上のしわ寄せからくる不幸が伝わっているのではないでしょうか。
日本の製造業にデフレと中国の波

叔父の会社UFCサプライ。関空の近くなので同じ大阪でも河内から和泉へ。違う国です。※今回慣れない写真加工ソフトのせいで全部フィルム調で古そうに見えてしまってます。すみません
「そして、今度は洋介おじさん(叔父)がまた別の会社として独立。八尾から出ることに」
「業績もよかったけど、メーカーである限り自社製品を作らへんと生き残っていけないと思ってね。でも八尾市内ではいい場所がなかった。それでこの泉州という土地がいいんじゃないかと。繊維の町やねん。昔は女性の働き手が集団就職なんかでどっと来てて、働き者が多いんですよ。
『八尾市は日本の歯ブラシの生産の80%』って昭和30年代の小学校の副読本には書いてあったよ。でも大手さんの工場は奈良県や高槻市、あちこちに行ってしまったね」
今は機械化も進み、分業もそれほど意味がなくなったのか、八尾市の歯ブラシ産業は工場が分散していきます。それでも2020年代の数字では国内シェアで4割は保っているそう。ところでブラシまつりは歯ブラシ感謝祭となり、場所も大阪市の神社で供養祭のような儀式が行われる形になっているようです。

ブラシ組合の100年記念冊子ではブラシ感謝祭を東京で行いたいという全八尾市民の野望みたいなことが語られている
──今は自社製品を作る会社なんですね。
「そう、プライベートブランドやOEMは多いけど下請けはやらずに。同業者のブランドの小売もやってないね」
「初代はプラスチック、二代目はアウトソーシングで三代目は自社製品で躍進ということに。時代的な変化はどんなことがあったんですかね?」
「大手さんの隙間で生きとったんやけども、バブルが崩壊して低価格時代に入ってね。デフレになった。今ここまでのレベルになれたのは、低価格商品を自分で作ったり海外から仕入れて、かなりシェアを取ったんですよ」
「へえ~、デフレで躍進。あの状況で」

「店頭で78円、68円とかで歯ブラシを売られても利益を上げられるような体質を当時作ったんです。みんな中国で作ってもらってたんやけど、それもどんどん値上がりするから。オートメーションできる日本製の設備を見つけてね。『無謀や』言われたけど、かなりの投資をして四国の工場に入れた。それで割と成功しましたね。そこからまた相場が落ちて、状況は変わっていくけどね」
「かつての職人たちの世界は、今はボタン押したらポンとできるような時代ですか?」
「イメージではそうやけど、技術的には難しいね。歯間ブラシにしても、ステンレスのワイヤーを2つ折りにして、その中に毛を挟んでねじってカットして……と繊細な工程がある。カメラの自動検査もあるけど、人間の目視検査も必要やしね」

ブラシ組合の100年記念冊子の座談会に登場する叔父
「口に入れるものですしね。小さめの会社、工場というのは減ってるんですかね」
「元々は分業化が進んだ業界やってんけど、倒産したりその前に廃業するところも多いね。今はもうほぼ下請けさんがいないんで、自分とこで機械を置いて全部作る。その間にも、中国を中心として東南アジアら海外から非常に安い商品が入ってきて、しわ寄せされたいう時代もあった」
「90年代は日本の製造業が中国に移っていきますよね」
「向こうで工場を作るとこもかなりあったし、製造委託して仕入れることも多かった。今でも『なんでこんな安く作れんのかな……?』と首かしげるぐらい中国の商品は安い。こっちはプロやから原価で大体わかるやんか。かといって品質も良くなってるしなあ。低価格商品に関してはちょっと太刀打ちできへんね」
「向こうの所得が上がったとしても、まだまだ安いんですね」
「もう今となったら、工場も日本に戻られへんよな。職人も減って作られへんくなってきてるから」

八尾には毎年歯ブラシを供養してきた歴史がある。祖父も登壇した
「円安になると日本に工場が帰ってくるんじゃないかという期待が巷ではあるみたいですが、実際は難しそうですね。それにしても現代は難しそうですね」
「今は人手不足で大量生産もしにくい。今後は付加価値を保ちながらやっていかなあかんやろな。たとえば今は味のついたお子さん用糸ようじを作ったり」
「え~!? おもしろいものが。味ってどんなものですか?」
「イチゴ、オレンジとか6種類あって。今年新しくコーラとかジュースの味が4種類。味にこだわって作ってて、ばらつきが出ないようにロットごとにテイスティングしたりしてる。今はAmazonとか楽天でも買えるよ。我々が直接売らなくても、問屋さんが出店したりするパターンもあるから」
「うわ~、子ども用の歯科用品にも味のこだわりってあるんですね。おもしろ~」
現在のブラシ産業は高付加価値へ。ナフサ不足の現状も聞いた
さて、現在のブラシ産業ってどんなものなんでしょうか。調べてみました。

なんとインバウンドで伸びたそう! 歯ブラシと歯磨きの輸出2022 大阪税関HPより
税関の統計によると輸出額は2011年の7億円から増え続けていて、2020年あたりからドン、ドン、と増加。2021年は過去最高の前年比7%増の47億円。9割以上がアジア向けで、本数でいうと中国が84.5%、韓国が4.5%だそうです。
中国から歯ブラシを輸入してるものだと思っていたら、輸出もめっちゃしてたんですね。これは日本製の高付加価値商品がインバウンド観光客に人気を博したことに端を発すると分析されています。
ちなみに2021年は5年前ですから、財務省の貿易統計でも歯ブラシの輸出の数字をいくつか見てみました。ここ数年はドーンと円安。売上金額はそこまで変わってないようですが、売上本数は減っている。円安ならもっと売れていいはずですが、勢いは弱まってきているといったところでしょうか。

財務省貿易統計の1990,2000,10,18~25を視覚化したもの。前述の大阪税関の2011~21を重ねてある。以降、円安が進み、本数は少し減る
「ところで今年のナフサ不足と言われてるのって実際どんな感じなんですか?」
「やっぱり原料が4月1日から一気にものすごい上がったよ。もう一つ困ったのは、今まで注文してた分は注文できるけど、それ以上のものは受け付けてくれへん。毎月買ってた10トンは入るけど、プラス1トンは入ってこない。でも塗料やシンナーに比べたら、全くなくなったということはないんでね」
「ふむ~、原料を増やせないと仕事も増やせないですね」
「値上げもここからさらに進むのかどうかわからへんし。ものすごい原料の上がり幅なんで、今、取引先に対して価格転嫁の交渉を営業が一生懸命やってるね」
「ナフサってプラスチックだけではないですよね」
「プラスチックもそう、ナイロンもナフサ由来やし、印刷もパッケージも。もう全てが上がってるよ。あと、紙関係も上がってきてるし。最終的にはある程度上がってくのは避けられへんやろな。そういう意味では今は非常に分岐点になっていくやろうね」
「あらゆる産業でそうですよね。いや~、難しい。細い綱を渡っていく世界ですね。いつの時代もそれぞれに厳しいものがあるんだな、と今日よくわかりました」

取材協力:株式会社 UFCサプライ https://www.ufcgroup.jp/
荘介、裕司、洋介、とこんなに家の話をしてもいいのかというほどに母の家の話でした。でもこうやって見ていくと、日本の製造業が見えてきませんか?
低賃金が強みだった時代。その中でも職人たちが知恵で工場を凌駕したりもしました。しかし結果的に前近代的な構造になり、上下関係が強化されて低賃金化が進む。戦争でガラガラポン。プラスチックの革命。アウトソーシングの時代、デフレ、中国の波、高付加価値、大手の集約化。見えましたね。日本の産業史が。
そうです、私が今やってることとは「私は一体何を読まされたのか」と思わせないことです。勉強になったし、おもしろかったでしょう。結局自分の家の話が一番おもしろいんですから。さあ、あなたも今ならまだ間に合います。親戚が集まってくるお盆までに、家のことを調べましょう。
(了)
編集:友光だんご

















































