本屋さんは本を買うところ。お花屋さんはお花を買うところ。

では、映画館はなにをするところ?

 

……もちろん、映画を観るところですよね。

でも、近年はNetflixやHuluをはじめとした動画配信サービスが隆盛を極める時代。時間や場所を選ばす気軽に映画を楽しめるようになった一方で、「映画館に行く機会」は年々減っているようにも感じます。

 

特に2020年はコロナウィルスの影響もあり、映画館の興行収入が過去最低を記録。とりわけ「ミニシアター」と呼ばれる小規模映画館は、存続の危機に直面しているところも少なくないと聞きます。

業界全体に暗雲が立ち込める中、この先映画館はどうなってしまうのでしょうか。

 

そんな疑問を携えて訪れたのは、札幌市で唯一残るミニシアター「シアターキノ」。

 

『シアターキノ』が創業したのは1992年。客席数が29席しかない「日本一小さな映画館」としてスタートし、1998年には現在の場所でリニューアルオープンを果たしました。

 

この映画館の大きな特徴は、市民出資によって生まれた映画館ということ。
1992年の創業時にも、1998年の移転時にも、札幌市民を中心とした人々から多くのお金が集まったと言います。もちろん、この時代に「クラウドファンディング」なんて言葉は知られていません。

 

二度の出資を経て、札幌で映画文化を発信し続けるシアターキノのオーナー中島さんに、設立の経緯やミニシアターの懐事情についてお聞きました。

 

左が中島洋さん、右はパートナーの中島ひろみさん

※この取材は2020年10月に行われました

シネコンはコンビニで、ミニシアターは街の個人商店

劇場に併設した喫茶店『KINO CAFE』にて

「シアターキノは札幌唯一の『ミニシアター』とのことですが、そもそも『ミニシアター』って普通の映画館と何が違うんですか?」

「普通の映画館っていうのは、いわゆる『シネコン(シネマコンプレックス)』のことですね。映画館にもいろいろなスタイルがあるので明確に定義することは難しいのですが、簡単に例えるなら、シネコンがコンビニだとしたら、ミニシアターは街の個人商店のようなものなんです

「シネコンがコンビニで、ミニシアターが個人商店……?」

「シネコンの運営元は、多くがTOHOやイオンのような全国に劇場を持ついわゆる大企業。それに対してミニシアターは、それぞれが独立した小さな組織で運営していることが多いです。両者はそもそもの規模感が違うので、『上映する作品の選び方』も変わってきます

「どう変わるのでしょうか?」

「シネコンの場合、それぞれの映画館に支配人はいますが、上映作品は本社の担当部署で決められてることがほとんど。だからこそコンビニと同じように、全国どこに行っても同じ作品を観ることができるんです」

「なるほど」

「一方ミニシアターの場合は、各映画館の運営者たちが独自で作品を選んで、ひとつずつ上映作品を決めています。いわば『自分で仕入れて、自分で売る』という感覚。だからシネコンに比べれば全然合理的ではありません」

 

シアターキノで上映されている作品の数々

「そう聞くと、たしかに街の個人商店と通ずるものがありますね。シアターキノではどういう意図で作品を選んでるんですか?」

「キノの場合、上映作品に私たちの色が出すぎないように意識はしています

「え! 自分の好きな映画を上映できるのが、ミニシアター経営の醍醐味じゃないんですか?」

「もちろん好きな映画を流すこともあります。でも僕らは『世界中の多様な作品を、札幌の方にお見せしたい』という気持ちで日々経営してますから、『自分が見て面白い』という理由で選んでる作品は全体の半分程度だと思います」

「札幌の方たちにどんな作品を届けられるかが大事だと」

「と言っても、全てが希望通りに上映できるわけでもありません。配給会社やシネコンとの力関係もありますし、経営的な観点からお客さんの入りそうな映画を選ぶことも、もちろんあります」

「商売としてやっている以上、それも大事なことですよね」

「それこそ経営を成り立たせるだけで言えば、もっとやり方もあります。でも、僕らはお金を稼ぐためだけにミニシアターをやってるわけではありません。文化にとっていちばん大切なのは多様性。例えお客さんが入りづらそうな作品だとしても、他作品とバランスを取りながらなるべく上映しようと努めています」

 

「上映作品のラインナップにそんな陰ながらの努力があったなんて……。ちなみに映画館を運営するにあたって、月どれくらいのお金が必要なんでしょうか?」

「劇場の規模によって全然違いますが、僕たちの場合だと、家賃や人件費、水道光熱費、上映費用諸々含めると月400万くらいはかかってますね」

「月400万! 仮に一人のお客さんが映画を見るとして、映画館にはどれくらいのお金が入るんですかね?」

「これも作品によって違います。大手の作品になると、60%が配給会社で40%が劇場としている場合が多いです。色々なパターンがあるので一概には言えないんですが」

「というと、1,800円のチケットが一枚売れても、収益は1,000円にも満たないわけか……! 予想はしてましたけど、なかなか世知辛い数字ですね」

「配給会社が作品を仕入れるのにも費用がかかってますからね。でもそのおかげで僕らも映画を上映できてるわけですから、一緒に共存する方法を考えるのが重要だと思います」

だれかがやってくれればやらなかった。シアターキノが生まれた理由

「そもそもこのシアターキノはどういった経緯で誕生したのでしょうか?」

「シアターキノ自体は1992年にここから少し離れたビルで創業し、98年にこの場所に移転してきました。でも、そもそもの始まりを遡ると、映画館じゃなくて『イメージガレリオ』という映像ギャラリーをやっていたんですよ」

「映像ギャラリー?」

「いわゆるビデオアートとか、かなりマニアックな作家主義作品とか……要するに映画館ではなかなか扱いづらいような作品を上映してたんです」

「おもしろそうだけど、お客さんはかなり限定されそうな……」

「もちろんお金にはならなかったですね。でも僕自身、完全に儲からないっていうのは分かっていました。だから同じビルのひとつ上でエルフィンランドという居酒屋を経営して、売り上げを埋めてたんです」

 

創業当時のエルフィンランド。この後、イメージガレリオと同じビルに移転する(笠 康三郎さまご提供)

「最近はブックカフェとかも増えましたけど、当時はなかなか珍しいように感じます。そこからなぜ今のようなミニシアターにシフトしたのでしょうか?」

「転機が訪れたのは、イメージガレリオのオープンから5年経った1991年ですね。当時札幌には2つほどミニシアターがありましたが、それらが相次いで閉業されることになったんです

「やはり当時からミニシアターもなかなか集客には苦労していたと」

「そうですね。そのニュースを知って、このままだと札幌でミニシアター的な映画作品を観れなくなってしまうという危機感が生まれました。そこで思い切って、自分でミニシアターをつくることにしたんです

 

「中島さんは元々映画館のオーナーになりたいという夢があったのでしょうか?」

いや、全くですね。もし誰かが変らず札幌でミニシアターを続けていたら、映画館はやっていなかったと思います。ガレリオとエルフィンランドで、自分は十分満足してましたから」

「え!そうなんですか?」

「映画はもちろん好きですよ。でも『映画館を作る』ことを人生の目的として掲げてきたような人じゃないんです。誰もやってくれなかったから、やるしかなかった

「使命感のようなものなんでしょうか?」

「うーん……。札幌に住むと決めたから、この街を面白いものにしたい。その一心だけですね。それまでも街に足りないものをつくることが自分の役割だと思って、いろんなことをやってきたんです」

市民出資で生まれた映画館

出資者の名前が刻まれているプレート

「とはいっても、映画館をつくるにはやっぱりお金がかかりますよね」

「そうですね。当時はNPO(非営利団体)もなかったし、クラウドファンディングなんて発想もない時代です。銀行に融資をお願いしても相手にすらされなかった。だから『株式会社をつくるから、10万円で株を買ってください』っていう集め方をしたんです。

「どれくらいの方に出資してもらったんですか?」

「最終的には103名の方に出資してもらって、私たち夫婦の貯金と合わせて合計1,380万円集まりました」

「1,380万円も!? よくそんな金額が集まりましたね」

「やっぱりエルフィンランドの存在が大きかったと思います。当時から『食と文化の場をつくる』という構想があったので、食と映画文化それぞれに関心を持つ人たちが株主になってくれました」

 

シアターキノには劇場の他にカフェとワインバーが併設している

「飲み屋を経営していたこともプラスに働いたんですね」

「そうですね。だから最初に出資してくれた人たちのほとんどは、みんな顔がわかる人たち、要するに札幌の友達なんです。株式会社にしたのはそういう背景もありまして」

「といいますと?」

「個人で友達に借金しちゃうと、もし失敗したとしても『ごめんなさい』って言えば済んじゃうじゃないですか」

「(そうなのかな)」

「それじゃあ覚悟が足りないってことで、後戻りもできないようにと株式会社にしたんです。まあ、株式会社は倒産すればいいんだって後で分かったけど(笑)」

 

「さらっとすごいこと言う。でも、友人から1,000万円以上の大金を集めたのは、中島さんの人徳があってこそなせる業ですね」

「とはいえ、3年目までは赤字が続いていたんですよ。でもその後運良くミニシアターブームが訪れたおかげで来場者数も少しづつ増え、1998年により客席を増やすためにこのビルへ移転することを決めました。そのタイミングで全国に出資のお願いをしたら、一回目を大きく上回る5,600万という金額が集まったんです」

ご、5,600万円……!? これまたすごい金額ですが、やはり札幌の友人たちからの支援が多かったのでしょうか?」

「いやそれが、移転の時に出資してくれた方々の名前が載った名簿を見ても、『あ、この人だ』ってわかるのはせいぜい3分の1程度なんです」

「友達以外の人たちも出資してくれたってことですか?」

「そうですね。おそらく移転前のシアターキノに来てくれたお客さんたちが、『ここを大きくするためであれば出資しよう』と考えてくれんだと思います」

 

支援者には著名人の名前もズラリと並ぶ

「少しづつキノを支援する輪が広がっていったと。でも……1998年といえば、バブル崩壊直後ですよね。札幌、というか日本全体が不景気な年だったのではないでしょうか?」

「日本史に残る大不況でしたね。いわばどん底時代。このビルにシアターキノが移転した年には、都市銀行の一角を占めていた北海道拓殖銀行が倒産するほどでした

「なぜそんなに大変な時に5,000万を超える大金が集まったんでしょう?」

 

 

「……それは、いまだに謎なんですよね」

「え!」

「……って言っちゃうとまずいけど、でも正直に申し上げると、僕らもはっきりとした理由はわからないんです」

「でも、おいそれとは集まらない金額ですよね」

「これはあくまでも私個人の憶測なんですが、もしかしたら北海道の道民性は関係しているのかなと思います。仲間意識が強くて、新しいことを生むことができる土壌。これは北海道が持ってるポテンシャルなんです

「開拓者精神が脈々と受け継がれてきている……みたいなことでしょうか?」

「そんなかっこいいものかどうかは分かりませんけどね(笑)。だから、クラウドファンディング的な取り組みは意外と成立しやすいんですよ。例えば、北海道のプロサッカークラブ『北海道コンサドーレ札幌』は出資している地元企業・団体が多いことで有名です」

「へー、知らなかった」

「それから航空会社の『AIR DO』。あれも実は民間企業から始まってます。北海道で養鶏所を営んでいたオヤジが、航空運賃の高さを何とかするために、地元のベンチャー企業を集めて設立したんですよ」

「航空会社を養鶏所のオヤジが……!?」

「北海道にそういった土壌があったからこそ、『大変な時だけど、札幌の文化を後世に残したい』と思った人たちが力を貸してくれたんだと思います。手前味噌ですけどね」

映画館は『居場所』だった。中島洋が場をつくる理由

中島さんは今でも自主映画の制作を行っている

「中島さんが映画に興味を持たれたのは、いつごろだったんですか?」

「たまたま僕のおばさんが松竹の映画館に勤めていたんです。遊びに行くと招待券をくれたりしてね。それで、高校3年生のころから映画館に通うようになりました。当時は今と違って娯楽が映画くらいしかない時代でしたから、どこにでもいるごく普通の映画好きの一人だったと思います」

「そんな『ごく普通の映画好きの一人』から、のちに映像ギャラリーや映画館をつくるまで映画にのめりこむわけですが、なにかきっかけはあったのでしょうか?」

「高校を卒業し、大学に入ってすぐに父親がガンで死んだんです。奨学金も打ち切りになり、仕送りも0。アルバイトをしないと食っていけない。そんな極貧状態で心が荒んでときに自分を救ってくれたのが、映画なんです

 

「なんだか良くわからないけれど、自分とフィットする感じがあったんですよね。当時、何の拠り所もなかった私にとって、映画館は唯一の『居場所』でした。それでバイトをしては映画を見るの繰り返しで、結局大学を一回留年しちゃうんですけどね」

「大学には通ってなかったんですか?」

「アルバイトと映画を見るのに必死で、学校に行く暇がなかったんです(笑)。でも、満を持して大学2年目で映画研究サークルに入ったら、そこの環境がすごくよかった」

「といいますと?」

「そのサークルはただ映画を観るだけじゃなくて、撮ることもしていました。そこで映画をつくることの魅力に気づいたんです。それで、その映研も映画館に続く自分の「居場所」になっていきました。ここが僕の原点だと思います

 

「そこからは、大学には行くんだけど授業には出ず、映研の部室に入り浸ってましたね。時々東京に出た先輩を頼ってピンク映画の撮影を手伝ったり、自分たちで立ち上げたフリースペースを運営したり……。そうこうしているうちに『エルフィンランド』をはじめて、今に至るって感じですね」

「映画館という『居場所』に救われた体験が巡り巡って、シアターキノに繋がっていったと」

「そうですね。場があるからこそ人が集まるし、人が集まるからこそ文化が生まれる。そういう有機的な『場』の重要性に気づくことができたのは、映画館があったからだったと思います。ここもそんな場所になれたら嬉しいですね」

『人に助けられている』っていいものですよ

「昨年はコロナで大変な時期もあったかと思うのですが、実際どれくらいの影響があったのでしょうか?」

「2020年の5月から6月にかけて40日間くらいは休館しました。それはもう、全国的に仕方ないことだからね」

「なるほど……」

「でも、深田晃司監督と濱口竜介監督がミニシアター・エイドという支援プロジェクトを立ち上げて、全国に発信してくれた。あれは素晴らしかったですね。金銭面でも助けられましたが、それ以上に精神面での大きな支えになりました」

「あのプロジェクトは、最終的に3万人を超える支援がありましたよね」

「その結果を知らされたときには思わず涙が出ましたね。ミニシアターを想ってくれる方が全国に3万人もいた。それだけで、ミニシアターに関わる人々はすごい元気になったと思います」

「最後に、中島さんと同じように、これから場所をつくろうとしている人たちに向けて、何か伝えたいことはありますか?」

「そんなのを僕が言うのは、おこがましいですよ(笑)……でも、あえて言うとしたら、人には遠慮なく助けてもらった方がいいと思います。一人で、わがままに、自分勝手に『やりたいことをやる』っていうのは、僕は難しいと思う」

 

「僕はずっと周りの人に助けられてここまでやってきました。『人に助けられている』っていいものですよ。そういう実感を持っている方が頑張れることもあります。やりたいことがあるのであれば、周りに助けを求めてでもやったほうがいい」

「場を持つ上で、どんな形であれ人を巻き込んでいくのは大事なことですね」

「全くその通りです。それこそ、最初は自分と周りの仲間だけが楽しい状態でも構わない。僕みたいな年寄りでも興味があればそこに行きますから。……と言うと偉そうに聞こえますけど、まぁ爺の小言だと思っていただければ幸いです(笑)」

取材を終えて

1992年のシアターキノ創業からおよそ四半世紀。

札幌市民の希望をのせて産声を上げた小さな映画館は、その後根強いファンに支えられながら、多様な映画作品を今に至るまで上映してきました。

 

デジタル技術が目まぐるしく発展し、映画館に限らずさまざまなものが街から姿を消す一方で、リアルな場でしか得ることのできないものはたしかに存在します。

電車を乗り継ぎ、チケットを買い、やっとの思いで鑑賞する一作の映画の価値は、いくら動画配信サービスが盛んになったとしても、永遠に色褪せることはありません。

 

いまだ強烈な逆風が吹き荒れる映画業界において、映画館の存在意義を問う場面はますます増えていくようにも思います。そして、それについての明確な答えはないのかもしれません。

 

しかし、市民の手によってつくられ、今もなお大勢の人々に支えられるシアターキノは、きっとこれからも誰かにとっての大切な『居場所』としてあり続けるでしょう。

 

写真:小林直博
構成:渡辺優太

 

☆この記事はエリア特集「北海道大探索」の記事です。