北海道函館市にある『たつみ食堂』さんは、2021年12月12日に連続無休営業10000日という大記録を達成しました。27年4ヶ月と書いた方が、そのすごさが伝わるかもしれません。

 

地元では函館三大食堂のひとつとして知られ、観光で訪れるお客さんも多い人気店。震災時やコロナ禍でも店を閉めず、83歳になった今でも厨房に立ち続ける店主・山田征勝さんに「働くこと、休むこと」について伺いました。

 

「人間、暇があったらダメなんだ。お金があってもなくても、暇があったら絶対ダメ。いろんなこと考えて、悪いことするから。暇があるとロクなことねえよ。時間に追われてるくらいがいいんだ」

 

労働環境の改善が進む日本社会のなかで、逆に毎日働き続けることの価値はなんなのか? ジモコロならではの取材の会話再現インタビューをお楽しみください。

「休まず安く」で店を続けるためのメディア戦略

「今日はよろしくお願いします! 僕はジモコロってメディアの編集長をやってる……」

「え、イモコロ?」

「ジモコロです!」

「何だって? コロコロ? シモコロ?」

「ジ・モ・コ・ロです! お父さん、絶対聞こえてるでしょ(笑)」

 

「ジモコロね、はいはい(笑)。ネットで何かやってんでしょ?」

「そうですね。全国各地を周りながら、地元で暮らしてる人たちのいろんな価値観に触れるような取材をして、記事を出してます」

「じゃあ、別に有名人とかの取材ではないんだ」

「そうですね。ローカルの面白い人たちの取材をしてます」

「うちは有名だけどね。外国からもお客さん来るんだから。ここで、もう51年もやってるわ。俺なんか、生まれてすぐやってんだよ」

「生まれてすぐなわけないでしょ! 実際有名だから、僕らも知って来たんですよ。今回は函館在住のライター・阿部さんと一緒に来ました」

 

「よろしくお願いします! 早速いただいてます。唐揚げ、うまっ!」

「阿部さんは、うちに来たことあるの?」

「はい、何度か食べに来てます。生姜焼き定食もミックスフライ定食も美味しかったです!」

「ちゃんとお金払った?」

「払いましたって(笑)!」

「やばいな……。今日の取材、ずっとこの調子かも……」

 

定食から丼物、カレーライスまで。充実したメニューが揃う、たつみ食堂

 

「お父さんは、函館が地元なんですか?」

「そうそう。函館・西部地区の生まれです」

「飲食店を始められたのは、どういう経緯だったのでしょうか?」

「高校は定時制に行ってて、そのあとで電気屋をやってたんだ。電気の仕事が好きでさ。でも、あまりに働きが悪いからってクビになったんだ。それは書かないでよ」

「それは本当なんですか……?」

「どうだかね(笑)」

「ずっと翻弄されてる(笑)。じゃあ、電気屋さんをやめてから、飲食店で修行をして独立されたんですか?」

「修行なんて、何もしてない。俺は頭がよかったからさ、いろいろ研究して、メニューから味付けから全部自分で作ったんだ。最初はね、この近所でラーメン屋をやってたのさ。だけど、今の物件が売りに出てたから買ったの。それからどんどんメニューを増やしていって、ずっとここで51年。まだ借金は返し終わってないけどね」

「もう何か嘘で、何が本当かわからない(笑)」

 

「たつみ食堂さんは、2021年12月12日に連続無休営業10000日という、とんでもない記録を達成されたじゃないですか」

「ちょっと意味がわからない記録ですよね」

「無休営業を始めたきっかけは、腰を痛めて入院したことがきっかけだったそうですね」

「そうそう、半年くらい入院してね。せっかく来てくれたお客さんに悪いなと思ったのさ。だから、しばらくは休まずやってみるかと思って」

「そのときから10000日連続営業を目指してたんですか?」

「いやいや、そんなのは全然。半年も休んでたら、お客さんが離れちゃってどうしようもないでしょ。だから、病院のベッドで毎日泣きながら、いろいろと考えてたのさ。聞いてんのかい、俺の話?」

「聞いてますよ(笑)。めちゃくちゃ真剣に聞いてます!」

 

「そのときに何をしたらいいのかを考えて、1番いいのは『休まないで安くやること』だと思ったのさ」

「休まないで安くやる! 究極の経営姿勢だけど、このご時世真似できることじゃないよなぁ」

「それで、まずは1ヶ月、休まねえでやってみるかと。それからだんだんと10000日までいったんだ。最初は1ヶ月も本当にやれるもんかなと思ってたよ」

 

「『休まず安く』の営業スタイルにした結果、お客さんは戻ってきたんですか?」

「徐々にな。だけど、やっぱり一番大きかったのはテレビとか新聞に出るようになったことだな。それでもってバーッと広がったんだわ。俺、いろんなことやったもの。詐欺以外は何でもやったな」

「(笑)。テレビや新聞で紹介されるようになったきっかけは何だったんですか?」

「うちを1番有名にしたのは、ジャンボカツ丼とジャンボラーメンってメニューをやったことだな」

「昭和のでか盛りメニュー商売だ」

「それを1時間以内に食べ切れればタダにして、年間の最速記録を出した人には賞金を渡したんだ。それが浸透していって、テレビとかが来るようになったのさ。そういうことでもやらないと、函館の端っこまでマスコミなんて来ねえって。駅からも繁華街からも離れてるんだから。知名度を上げるっていうのは、本当に大変だったよ」

「この場所でお店をやっていくためには、そういう戦略が必要だったんですね」

 

壁に貼られた有名人との写真や新聞記事。お店の歴史が詰まっている

 

「志村けんも来たし、GLAYのTERUも来たし、大泉洋なんて2回も来たよ。ここの場所で、ここだけの芸能人が来るっていったら相当なもんだべ」

「そうですよね。今では、デカ盛りで有名な『なかみち食堂』、『みなと食堂』と共に函館三大食堂のひとつとしても知られてますもんね」

「それもみんなテレビ局が言ったんだ。そういうの好きでしょ、テレビの人たちは」

「テレビの影響力が強い時代だったんですね。メディアパワー恐るべし」

 

休まず店を開け続けた、10000日のハードワーク

「10000日連続営業の間には、世の中的にも個人的にもいろんなことがあったと思うんですけど、『もう続けられないかも』というときもありましたか?」

「いつだってそう思ってましたよ。本当に。コロナも大変だし、東日本大震災もあったでしょ。あのときは、仕入れができなくてね。材料が何もないから、もう冷蔵庫にあるだけみんな出したわ。ブラックアウトで停電してたときだって、ロウソクをつけて営業したんだから」

「娘さんの結婚式の日も、お店は閉めなかったそうですね」

「閉めなかったですよ。うちは子どもが4人いて、みんな結婚式やったけども、店は全部開けてた」

「お子さんたちから、『今日くらい休んで』みたいなことは言われなかったんですか?」

「子どもたちは、いっつも休めって言ってたよ。『旅行に連れてけ』とかさ。でも、旅行に連れて行くにしたってお金がないから。とにかく安くってことでやってる店だったからね」

「そうやって家族行事の日にもお店を閉めなかったのは、やっぱりお客さんに喜んでもらうためだったんですか?」

「なんぼかでも蓄えるために頑張っただけさ。今も残金1000円しかねえわ。昨日、風呂さ行ったから、半分になって残り500円だな(笑)」

「ここにもギリギリおじさんが」

 

「函館駅前に大門横丁ってあるでしょ。前は、あそこでもラーメン屋をやってたんだよ。こっちの店もやりながら」

「2店舗やってたんですか?」

「いやいや、4店舗ぐらいやってたんだ。函館朝市でもやってたし、五稜郭でもやってた。大門横丁でやってた『ラーメンたつみ』は、16年も続けてたんだ。体壊して1年前にやめちゃったけど」

「ラーメンたつみ! 行ったことあります! 大門横丁の角のところですよね」

「そうだ。でも、ぜんぜん手が回らなくてやめたわ。なんも儲からねえし、借金ばかり増えるから」

 

「ラーメン屋さんもやってたときって、1日のスケジュールはどんな感じだったんですか?」

「こっちの店を朝から開けて、夜の8時までやってたでしょ。ラーメン屋は夕方6時からだから、先に従業員の人に店を開けてもらって、俺はこっちを閉めてから行ってた。そこから12時までラーメン作って、帰ったら夜中の1時だから、もう寝るだけだ。それで、次の日は朝から仕込みさ。だから、体壊したんだべね」

「とんでもないハードワーク……」

「80代でその働き方してたの鉄人すぎる」

「俺は酒もタバコもやらねえし、遊びにも出歩かなかったから。それでもまぁ、余裕はなかったな」

「全部やってる大人として恥ずかしくなってきました」

 

お店を支えるベテラン従業員の存在

店内にはお客さんが作ってくれたフライヤーやポップも数多く飾られている

 

「そういうハードな日々を積み重ねた上で迎えた連続営業10000日目って、どんな気持ちでした?」

「10000日目は、すごく盛り上がりましたよ。全国各地からお客さんが来てくれたし、テレビの取材もあったから忙しかったね。お祝いもたくさんもらったわ。まだ受け付けてるよ」

「ジモコロでもお祝い出したい」

「8000日くらいから体の調子も悪かったから、最後は大変だったね。でも、今厨房にいるベテラン従業員の人が、最後の追い込みで頑張ってくれたのさ。あの人は、もう20年以上一緒にやってるから。大門のラーメン屋のときも頑張ってくれたしね」

 

「そうだったんですね。お姉さんは、どんな気持ちで10000日目を迎えたんですか?」

「あの人は、ちょうど休みだったね」

「えぇー! それはさすがに嘘ですよね?」

「私が休んでたら、営業できなかったと思いますよ!(笑)」

「そうですよね。だんだんお父さんの嘘がわかるようになってきた」

「あの日は、かなりお客さんが入ってもらいましたね。マスターの娘さんたちも手伝いに来てくれて。もう忙しくて、何がなんだかわからないうちに1日が過ぎてました」

 

「20年以上も一緒に仕事をされているとのことでしたが、もともとはどういうきっかけで働くことになったんですか?」

「いきなり来たんだよ。涙流しながら、『仕事させてください!』って」

「嘘ですよー!」

「(笑)。いつもこんな調子なんですか、おふたりは?」

「そうですね。だから、気が抜けないんです」

「この人は仕事しながらも、ちゃんと俺が言ってること聞いてるからね。だから、あんまり大きい声で変なこと言えねえんだ。下手すれば、スリッパで頭をぶん殴られるから」

 

「もともとは私の友達がここで働いてて、人が足りないっていうから来たんですよ。そのまま辞めるきっかけを掴めなかっただけですね(笑)。続けてこられたのは、お客さんとの会話かな。いろんなお客さんが来ますけど、 気さくな人ばっかりなんですよ」

「今は俺よりも人気あるんだ、この人のほうが」

「違う違う。マスターは、お客さんとも、こんな調子ですから」

「そんなことねえって。俺は内気だから、あんまり人と喋れねえもの」

「面白いなぁ。おふたりの話が聞きたくて通ってくるお客さんもいそうですね。聞いてるだけで元気が出るもん」

「食堂っていうか、『踊る! たつみ御殿!』って感じですね(笑)」

 

「だけど、20年っていえば長いよな。すごいよ。この人が一生懸命やってくれたから、今でも店をやれてんだ。本当に。もう自分の店だと思ってやってくれてるから」

「いや、それはないです!」

「俺が店に立てるのは、もう時間の問題だからな。だから、この人に店やんねえかって聞くんだけど、やんねえって言うのさ」

「無理です。このお店の看板は重すぎます」

「お店を誰か継がせることも考えてるんですか?」

「考えてるけど、誰もいないもの。あんた継ぐか?」

「いやいやいや、そんな軽いノリでは継げませんよ!」

「ノウハウは全部教えてやる。その代わり、お金はかかるで。それで一生食えるもの」

「51年で積み重ねてきた一生食っていけるノウハウとお店の看板……。重たいけど、なくしてしまうのは惜しすぎますね。ここがなくなったら、函館の文化的損失になる」

 

お店が大変でも、メニューはもう減らさない

「今は毎週水曜日がお休みなんですよね。連続営業10000日を達成したら、定休日を作ろうと思ってたんですか?」

「思ってた、思ってた。10000日よ。27年4ヶ月も毎日やってたんだから」

27年4ヶ月休みなし……。改めて聞くと凄まじすぎる」

「定休日を設けてから、最初の休みの日って何をしてました?」

「何してたかな。温泉行ったりなんかすれば、1日なんてすぐ終わっちゃうでしょ。次の日の仕込みもあるからさ。そんな感じだったんでないかな」

「そっか。お店が休みでも、次の日の仕込みはあるんですもんね」

 

「10000日を達成した後の目標って何かありますか?」

「なんもないね。なんもない。目標っていうか、楽しみもねえんだ。でも、死ぬまで店は続けるよ」

「父さんにとって、仕事ってどういうものなんですか?」

「仕事してれば1番いいんじゃない? 人間、暇があったらダメなんだ。お金があってもなくても、暇があったら絶対ダメ。いろんなこと考えて、悪いことするから。暇があるとロクなことねえよ。時間に追われてるくらいがいいんだ。それだけは肝に銘じてる」

「時間に追われてるくらいがいい。そういう気持ちで、51年間も走り続けてきたんですね」

 

「家でテレビ見てたって、いろいろと考えるでしょ。もっと店をこうしたほうがいいなとか、こんなメニューも出したいとか。人がもっといればさ、まだまだやりたいことはあるのよ。前は従業員が、もう2人いたのさ。だけど、1人は亡くなって、もう1人は歩けなくなったから、今は2人でやってる。だから、やりたいことはあっても手が回らないのさ」

「今は食材もエネルギーも値上がりしてるじゃないですか。そういうなかで、定食屋さんをやるってすごい大変だと思うんです。これだけメニューがあると、使う食材も多くなるから。たつみ食堂さんでは、メニューを減らすことを考えたりはしないんですか?」

「それはない。増やしても減らさない。本当はもっと増やしたいんだよ。ここでラーメンもやりたいのさ」

「前は、ここでもラーメンを出してたんですよ。だから、昔よく食べてた人から『ラーメンやめたの?』って聞かれることもあって。また出せたらいいですねー」

 

「ちなみにお店の一番人気メニューは何なんですか?」

「生姜焼きもよく出るし、ジャンボ鶏も最高だ。だけど、1番はやっぱり唐揚げだな。冷凍でなく、生の道産鶏を使ってるから美味いんだわ。日本一のグランプリもとったからな!」

「えー、そうなんですか! すごい!」

「嘘ですよー!」

「完全に騙された(笑)。この2人がいないと成立しないお店ですね、ここは」

「担当が完全にボケとツッコミだもんな(笑)」

 

「でも、うちの唐揚げが美味しいのは本当です。他にはない味だから、クセになるんですよ」

「さっきいただきましたけど、本当に美味しかった。大ぶりで、プリプリで、甘みのある味付けですよね」

「あれもただの砂糖の甘みでないからね。独特で、美味いんだよ」

「もう全部いただきましょう! 生姜焼きもジャンボ鶏も。あと、瓶ビールもください! いいですか?」

「いいよ、いいよ。暇だから、売り上げに貢献してもらわないと(笑)。せっかく函館まで来たんだから、食べていきなさい」

 

「最後に聞きたいんですけど、お父さんはここで商売をしながら、ずっと街のことを見てきたわけじゃないですか。函館のことは好きですか?」

「函館はいいね、やっぱり」

「どういうところがいいなと思いますか?」

「どういうところがいいって、やっぱり生まれてずっと函館だからさ。もう80年も住んでたら、どこにも行きたいって思わないっしょ」

「うおー、究極のジモコロだ」

 

取材を終えて

パワフルに仕事を続けてきた山田さんのお話を伺って、業種は違えど街にかっこいい先輩がいることは幸せだなと感じました。27年4ヶ月も休みなく働き続けるなんてとても真似できませんが、自分で考え、仕事を作り、実直に続けていく姿勢には少しでも近づけたらなと思います。

 

先行きが見えにくく景気も不安定な時代だけど、生き残るための努力を惜しまず、地元・函館で自分の暮らしを作っていこう。そんな気持ちにさせられる取材でした。

 

ジューシーで優しい甘さの唐揚げ、ビリッとするくらい辛さが効いた生姜焼き、パリパリの皮と中まで味がしみたお肉が絶妙なジャンボ鶏など、たつみ食堂さんには本当に美味しくてボリュームたっぷりなメニューが揃っています。函館にお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみてください!お父さんとお姉さんの話も最高ですよ!

 

 

撮影:原田啓介(TwitterInstagram