お局感なく後輩と接するには? 道重さゆみが語る、チームでもソロでも活躍する秘訣

道重さゆみさん

年齢を重ねていき、徐々に職場での立ち位置が「プレイヤー」から「管理職」に変化していく人も少なくありません。ただ、「初めて部下ができたけど、注意の仕方に悩む」「できる後輩の姿を見ると焦ってしまう」ーーそんな職場の後輩との接し方に、迷ってしまうことはありませんか。

そこで今回お話を伺ったのはモーニング娘。OGの道重さゆみさん。モーニング娘。のメンバーとして13歳でデビュー後、8代目リーダーとしてグループを牽引。卒業後、約2年4カ月の芸能活動休業期間を経て、現在はソロアーティストとして活躍中です。リーダー就任期間中、同僚のメンバーは年下ばかりだった道重さん。そんな彼女にやわらかに後輩に接するコツについて聞きました。

また道重さんは「ソロになってからは、生活も心境も完全に変わりました」とも語ります。令和元年に30歳を迎えた道重さんに、年齢を重ねることについての正直な気持ちについても伺いました。

ソロになって自由にできるからこそ、迷いだらけにもなった

長年リーダーとして、「モーニング娘。のために」を最優先して動いていた道重さん。ソロで活動するようになって「管理職じゃなくなって自分の肩の力が抜けた」とか、変わったことはありますか?

道重さゆみ(以下:道重) 私、リーダーになったからプレイヤーじゃなくなったとか、ソロになったからプレイヤーに戻ったっていう感覚は、正直あんまりないんですよ。どの立場でも自分は自分として、道重さゆみというプレイヤーなんだっていう意識でやっています。でも、もし「リーダー=管理職」と例えるならば、ソロになってからは、道重さゆみの管理を自分自身がやっている状態ですね。

自分を律したり、作品のコンセプトを決めたり、モーニング娘。時代とは全然違う動き方が必要ですよね。

道重 やり方は全然違いますね。モーニング娘。時代は、つんくさんや会社の方が作品や演出を考えてくれることの方が多いので、私はそんなモーニング娘。を「どう伝えるか」を意識して活動していたんです。ソロになってからは、アルバムのタイトルとか、ライブのコンセプトやセットとか、衣装のイメージとか、そういうことを自分で考えるんですよ。

ソロになって自由になんでもできるようになったときに、迷わなかったですか? どうやって思考を整理していったんでしょうか。

道重 そりゃもう、迷いだらけでした! だから、普段の生活から変えましたね。街を歩いて見えること、全部参考にしようと意識したんです。「あの看板、なんでこの色なんだろう?」とか「私だったらこのフォントは使わないな」とか、今まで気にしていなかったことも注意して見るようになりましたし、考えながら歩くようになりました。

インタビューを受ける道重さゆみさん

衣装も、モーニング娘。のときはみんなおそろいの衣装だったりとか、メンバーカラーがあったりとかしましたけど、自分で決めるときに参考にしているものは。

道重 知識の土台もないと本当に分からないので、普段からファッション誌を眺めたり、今まではあまり見なかった海外のモード誌を買ったりしました。「世の中はこういう服があるんだな」っていうのを知識として持っておくと、いざ何かするときにアイデアが思いつきやすいので。それでも、やりたいことが分からなくなったときは、友達に聞くこともあります。「これ、どう思う?」って。

芸能界の先輩やスタッフさんじゃなくて、お友達に?

道重 はい。ずっと仲が良い同級生の子に聞いていますね。本当に気を使わずに、ダメならダメって言ってくれるので。自分ひとりで考えていると、考え過ぎて訳が分からなくなってくるんですよ。あとは、行き詰まったら一旦寝ちゃうこともあります。一瞬、現実から逃げるんです。

もちろん起きても何も変わっていないし、締め切りは守るタイプなので逃げたことはありません。結局ただの仮眠です(笑)。でも一旦寝ることにより、気持ちが整理されてやりたいことが見えてくる場合もあります。

今は「モーニング娘。」の看板がなくて、味方も必須だと思います。スタッフさんや、取引先の方とのコミュニケーションで心がけていることとかってありますか?

道重 基本的には「自分は人見知りじゃない」って思いこむようにしています。「人見知りなんです」って言われても相手は困っちゃうと思うし、そう言うと自分でも「私は人見知りだから仕方がない」と開き直ってしまいそうで。だから自分からは言わないようにしてるし、「私は人見知りじゃないのに、なんで縮こまってるんだ! ちゃんと言わなくちゃ」って考えるようにしています。

マインドの引き上げ方が上手なんですね。昔から毎日鏡の前でつぶやいているという「よし、今日もかわいいぞ!」もそうですし。

道重 そうですね。自分に自信がない日は特にそう言って思い込ませています。ただ、昔から正直に自分のことをかわいいと思ってるんですよ。本当に恥ずかしいんですけど(笑)。鏡見るのは、大好きです!

「私かわいい」キャラも、最初はキャラだと思っていなかったんです。たまたま先輩が「それ面白いよ」ってMCでネタにしてくれたことで、見つかったキャラクターですね。ありがたいです。

キュートな表情の道重さゆみさんかなしい表情の道重さゆみさん
うさちゃんピース5秒前の道重さゆみさんピースをする道重さゆみさん

後輩への注意。マイナスな気持ちを引きずらないようにさせる

アラサー世代になってくると、管理職に就く方が増えてきます。後輩とコミュニケーションをとる上で、「しっかり言わなきゃいけないけれど、お局扱いされたらどうしよう」という不安を抱える人もいますが、道重さんは後輩と接するときにどんなことを気をつけていましたか。

道重 私も加入当初はすごくよく怒られる新人だったんですけど、先輩から怒られるときに何が一番嫌かって、怒られた後がすごく嫌だったんですよ。

あぁ、その気持ち分かります。

道重 「まだ怒ってるかな……?」って気にしたりとか、「さっき怒られたばかりだから、気軽に話しかけたら反省してないみたいかな?」とか、ずっと様子を伺っちゃって。そういうことをすごく考えて、次の日の朝ですら「昨日怒られたから挨拶しづらいな……」って、ずっとドキドキしたままなんですよ。

後に引きずってしまう、と。

道重 勝手にこっちが気まずいと思っているだけなんですけど、それがすごく自分の中でつらかったんです。だから、私が後輩に注意した後は、基本的に「帰り際には絶対に私から声をかけて、笑顔でバイバイする」って、自分の中で決めていました。

もちろん怒ったこと、注意したこと、その事実(内容)はこれから反省してほしいけど、「怒られちゃったな」っていうマイナスな気持ちを引きずってしまうのは良くない。これだけは、常に意識していましたね。

「注意するときは、褒める言葉もかける」とかは?

道重 それは難しいですね。私の場合は直してほしいところがあるとき、できるだけその場ですぐ声をかけるようにしていたので、うまくセットにならないことが多くて。何に対してもモヤモヤを持ち越さないように「褒めるときは褒める」「注意するときは注意する」という感じです。後出しするとあの時から「ずっと怒ってたのかな?」って思われちゃうし。

道重さゆみさん

なるほど。加入当初の道重さんは、歌が苦手でしたが、自分が苦手意識があったものを指摘するときって、どうしていましたか?

道重 自分ができていないことは人に教えられないので、歌とかダンスのテクニックに関しては、私は後輩に注意したことが一回もないんです(笑)。むしろ私が(歌やダンスの)得意な後輩に聞いてました。

「ここの振付って、どうやったらうまくできるかなぁ?」とか。歌もダンスもトークも、得意な子と苦手な子がいる。それぞれ得意な子に聞いて、支えあえばいいのかなって。そういう、お互いの歩み寄りがあったからこそ、距離が縮まった部分が大きいですね。

すごいですね。優秀な年下からのアドバイス、素直に受け入れられない人も中にはいるじゃないですか。

道重 確かにその気持ちも、分かります。でもプライドなんて捨てて普通に聞いてましたね。後輩たちも普通に「こうやるんですよ!」と教えてくれて、一緒に練習していました。「リーダーだから」「先輩だから」って考えるより、グループ自体のレベルの底上げが大事だと思います。

職場のプロジェクトチームなどでも同様のことが言えそうですね。後輩との接し方でもう一つ質問させてください。道重さんは普段から、後輩メンバーとプライベートでも交流していましたが、誘い方のコツはありますか? 仕事は仕事、飲みに行きたくない派の人もいるので、難しいなと思うんですが。

道重 自分から声をかける場合、はじめは「今度行こうね!」みたいな感じでふわっと誘っています。リアクションが良ければ本格的にスケジュールを合わせていく、みたいな感じですね。

ちゃんと断りやすいように、余白を作るっていうことですね(笑)。

道重 そうですね(笑)。最初から強制的には言わないみたいな感じですね。本当に行きたければ、向こうからも「じゃあ◯日はどうですか?」と言ってきてくれますし。

最初から「この日とこの日とこの日空いてる!」って誘われると、逃げられない! ってプレッシャーになりますものね。素敵な気遣いです。

道重 私、正直後輩に恵まれてたんですよね。気は使ってくれるけど、いい意味で遠慮がない子たち。

でもリーダーになったばっかりの頃は、やっぱりすごく思い詰めてたんです。「リーダーなんだから頑張らなくちゃ」とか「今までの歴代のリーダーみたいに動かなくちゃ」と悩んでいたけど、中澤裕子さんが「今までのリーダーの真似はしなくていいよ、しげちゃんらしくね」って言ってくださって、すごく安心したことを覚えています。

道重さゆみさん道重さゆみさん

ツインテール、一生やります

道重さんは、モーニング娘。を卒業するときに「『よし! 私、今日もかわいいぞ!』がギャグ化する前に、リアルにかわいいうちに卒業したい」とお話されていました。MCで自虐もあったし、当時は年齢に対してプレッシャーがあったのかな? と思うんですが、今は歳を重ねることを楽しんでいるように見えますね。時代の流れで、考えが変わったのでしょうか。

道重 実はあんまり時代の流れに……とかいうのは意識してないんですよね。私は私。だから、ずっとピンクが好き。ただ昔は「かわいい」のピークは25歳なのかな? って思っていたので、そこのうちに卒業したいって思っていました。あと、20代になったあたりで「私、ツインテールやってて大丈夫かな?」って不安になる時期もあったんです。

でも、今となっては、30歳になったけど、全然やりたいんですよね(笑)。もうここまできたら「一生やり続けよっ」って感じです(笑)。でも、似合わなくなったらしたくなくなると思うので、いつまでもツインテールがしたいと思える自分でいたいなと思います。

その変化って、かなり大きいですよね。

道重 「結局、こんな私が好き」って気付くことができたのが大きいですね。自分で言うのは少し恥ずかしいですけど、2、3年前の自撮りを見返していても、「今日の方がかわいい!」って思うんですよ(笑)。

かわいいを毎日アップデートしている、と。

道重 応援してくれている人たちに対しても失礼じゃないですか。だんだん劣化していってるって自分自身が思ってるなんて、絶対によくないことだと思うので。今の道重さゆみを応援してくれている人たちに対して、一番かわいい私を見せたいっていう気持ちでやってます。

道重さゆみさん

取材・執筆/小沢あや(@hibicoto
撮影/曽我美芽(@mimeeeeeeee
編集/はてな編集部

お話を伺った方:道重さゆみ(みちしげ さゆみ)さん

道重さゆみさん

1989年生まれ。2003年1月、モーニング娘。に6期メンバーとして加入。2012年、8代目リーダーに就任。リーダー就任期間中にはオリコンシングルチャートで5作連続第1位の記録を達成する。2014年にモーニング娘。'14および ハロー!プロジェクトを卒業。モーニング娘。への在籍日数は4329日と歴代最長。約2年4カ月の芸能活動休業期間を経て、2017年春に芸能活動を正式再開。
Twitter:@tubuyakisayumin
Instagram:@sayumimichishige0713

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倉持由香の仕事術「登れる山がないなら、自分で新しく山を作るしかない」

倉持由香の仕事術「登れる山がないなら、自分で新しく山を作るしかない」

グラビアアイドルの倉持由香さんは、その戦略的な自己プロデュース術で“グラドル界”を駆け上がっていきました。アピールポイントである「自分の尻」を活かした写真をSNSに多数投稿する自らを「尻職人」と称しますが、その仕事ぶりはまさに職人。極貧時代を経て、「いつかグラビアで売れてタワーマンションに住む」という目標を実際に達成しています。そして、2019年7月からはもともと好きだったというeスポーツでチームのプロデューサーにも就任しました。

そこに至るまでの戦略は、働くすべての人々が真似したいエッセンスの宝庫。自分の強みの見つけ方やメンタルの保ち方、目標を達成するための考え方について語っていただきました。

登れる山がないなら、自分で作るしかない

倉持さんといえば、Twitterで「#グラドル自画撮り部」や「#尻職人」のハッシュタグをヒットさせて以降、ビジネス系のメディアにもよく出演されていますね。

倉持さん(以下、倉持) そうですね。今はありがたいことに、お仕事の割合としてもビジネス系の仕事が増えてきています。まさかビジネス本(星海社新書『グラビアアイドルの仕事論』)まで出させていただけるとは、正直、想定はしていなかったですね。

著書にもありましたが、食費すらままならず、わかめにポン酢をかけてしのいでいたんですよね。それが今やタワーマンションの住人に……。

倉持 貧乏時代に憧れていたタワーマンションに住みたい一心で、とにかく頑張ってきました。10代の頃に所属していた前の事務所では住み込みで働いていたんですが、表に出る仕事はほとんどなくて。お茶くみや事務所のホームページ制作、電話番などをして過ごす日々でした。しかも台所の床に寝袋を敷いて生活してたんですよ!(笑) それで2011年、20歳の時に今の事務所へ移籍しました。

倉持由香の仕事術「登れる山がないなら、自分で新しく山を作るしかない」

倉持 グラビアアイドルが多い事務所に所属したからこれで安泰だ、と思ったら全くそんなことはありませんでした。当時はAKB48さんをはじめとしたグループアイドルの全盛期。週プレ(週刊プレイボーイ)もヤンジャン(週刊ヤングジャンプ)も、先月のグラビアはAKB48の誰か、先週も今週も、そして次週はグループ全員集合、みたいなことが多くて(笑)。グラドルの出る隙なんて全然なかった。

あまりに仕事がないので、「Twitterのフォロワーを増やして知名度を上げよう」と考えました。メディアに出られないんだったら、これはもう自分でメディアを作るしかない、と思ったんです。

自分のTwitterをメディアにしていくんですね。

倉持 はい。自分のTwitterのアカウントを雑誌並みの影響力にしようと、あれこれ工夫を始めました。

当時は積極的にSNSを使う芸能人が少なかった気がします。

倉持 最初は、当時のマネージャーさんに「Twitterに写真を載せまくったら、写真集やDVDが売れなくなるだろ!」って止められました。自分の商品を切り売りするなんてもったいないという風潮だったんですよね。

でも、ただでさえグループアイドルが流行っていてグラドルの需要自体が少なくなっているのに、小さなファン層をグラドルの中だけで奪い合っても不毛なわけです。だったら、写真をたくさん投稿してグラドル界そのものを盛り上げた方がいいんじゃないでしょうか、とマネージャーさんの話は無視して続けました(笑)。その試行錯誤のうちのひとつが、「#グラドル自画撮り部」や「#尻職人」です。

そういえばグラドルとは遠い位置にいる私のTwitterにも、「#グラドル自画撮り部」のハッシュタグが流れてきていました。

倉持 ちょうど「#グラドル自画撮り部」を始める少し前に、「その大きな尻を活かした方がいいよ! 活かさなかったらただの無駄尻だよ!」と知り合いのカメラマンさんに言われたんですよ。自分ではヒップをコンプレックスだと感じていたんですが、その言葉をきっかけに「売りにしていくぞ!」と決めて、タイムラインを尻で埋め尽くしてやろうと5分に1回のペースで載せていきました。飯テロならぬ尻テロです(笑)。

尻テロ(笑)。

倉持 そのおかげで当時3,000人くらいだったフォロワーが、1カ月で1万人、1年で3万人にまで増えて。それが功を奏して、週プレで「尻職人」として撮り下ろしをしてもらえるなど、めちゃくちゃ手応えがありました。

そして、Twitterに自分の写真を載せてこんなにフォロワーが増えるなら、みんなでやればもっとグラドル業界が盛り上がるんじゃないかと考えて、「#グラドル自画撮り部」のハッシュタグが誕生します。参加してくれたグラドルは3日で100人以上! これがきっかけで、グラドルが写真をTwitterにバンバン載せるという文化ができました。

倉持由香の仕事術「登れる山がないなら、自分で新しく山を作るしかない」

やっていることは自撮りですが、つまりは「グラドルのニーズ自体を増やしてグラドルが活躍する市場を広げる」ということですよね。当時20歳そこそこにしてとんでもない商才ですね……。

倉持 ただ待っているだけでは仕事は来ないので、とにかく自分から尻の存在を広げていこう、と。私はグラドルとしては胸も小さい方ですし、既にあるグラドルの山に登ろうとしても、他のグラドルには勝てません。だったらもう、自分で山を作るしかない。王道のグラドルたちが登る富士山は諦めて、その近くに尻の山を作りました。小さい山でも頂上に立つことが大事なんですよね。

Twitterのフォロワーが増えたことで、AmazonのDVDランキングでも1位を獲得して、「ほら見たことか!」って感じでした(笑)。大人の世界では結果を出さないと否定されるけど、逆に言えば「結果さえ出せば、意見が通りやすいんだなあ」とこの時に学びましたね。

強みを見つけるには、自分が伸ばせそうな部分で「得意です」と言い張る

もともとはコンプレックスだったヒップを、チャームポイントとしてアピールしていくのは、心情としてはそんなに簡単なことではないと思うんです。

倉持 昔はヒップのサイズをマイナス2cmさばを読んでいたくらい、強調したくないと思ったものでした。でも、自分の思う通りにやっていて売れないのだから、他の人の意見を取り入れよう、と考えたんです。コンプレックスに思うというのは「人と比べてズレている」からそう感じるのですが、むしろ「人と違うという武器」なんですよね。

それは芸能の仕事じゃなくても、何にでもいえそうですね。

倉持 自分が良いと思うところと、人から見て良いと思うところって本当に全然違うので、自分本位にならないことが大事だと思っています。グラドルの例でいえば「コンプレックスだからその角度からは撮らないでください!」とかたくなに言っている方を見ることがあって。もしそれで売れていないのなら、そういったプライドは捨てた方がいいんじゃないかと感じるケースも多々あります。

倉持さんの場合は、知り合いのカメラマンさんからの言葉でご自身の強みに気づけましたが、そういう人が周囲にいない場合、どうやって自分の強みを見つけていけばいいと思いますか?

倉持 まずは自分と向き合うことですよね。これは私もよくやるんですが、ノートに「自分はどんな人間なのか」について、キーワードを書き出していくんです。どんな性格で、何が好きで、何が得意で、頭の良さはどれくらいで、見た目は何点くらいで……と自分のスペック表を作ってみる。それをレーダーチャートにして、キレイな六角形になるのか、あるいはいびつな部分があるのかを見てみます。グラフの形がいびつで、へこんでいたり尖っていたりする箇所があるなら、そこが強みに変わり得るかもしれません。

へこんでいる箇所は、自分が欠点だと感じている部分ですよね。

倉持 そうです。ドラゴンクエスト(ドラクエ)のようなRPGでたとえれば、自分は戦士タイプなのか魔法使いタイプなのか、書き出したステータス値で見えてくる。

あと、装備やスキルセットはどうなっているのかも確認しておきたいですね。例えばWordやExcel、Photoshopなどのソフトが使えるとしたら、それをスキル欄に書く。周りの友達や助けてくれる人が持っているスキルは何か、仲間にはどんなタイプがいるのかについても書いてみましょう。それでも仲間がいなさそうだなと思ったら、自分はドラクエ1の勇者*1なんだってことで(笑)。

倉持由香の仕事術「登れる山がないなら、自分で新しく山を作るしかない」

ノートに書き出してみた結果、「うわ、自分のグラフちっちゃい! スキル全然持ってない!」と逆にへこみそうになったら……?

倉持 上を見ていたらキリがありませんからね。「絵がうまいと言っても、もっとうまい人がいるし……」「文章好きと言っても、他にもうまい人はいっぱいいるし……」って思ってしまう。私のヒップだって、ブラジルに行けば、もっといい形のヒップの持ち主はいっぱいいると思いますし(笑)。

だから、少しでも伸ばせそうな部分があるなら、「これが得意です」とまず言い張りましょう。「好き」とか「得意」とか言うからには後追いで努力も必要ですが、そうやって追い込むことで、「言っちゃった! 言っちゃったからにはもっと知識つけなきゃ! 勉強しよう!」となるはずです。

言ったからには「全然ダメじゃん!」と言われないようにしないと。

倉持 上ばかり見て自信をなくして、RPGでいう最初の街の周りで弱い敵だけと戦っていても、何も進まないんですから! そういう意味でも、自分をRPGの主人公として俯瞰して見るのは効果的です。うまくできなくて傷ついたとしても、RPGの主人公がダメージ受けたな、と思えるので。私もへこんだ時はいつもRPGのキャラを操作している気分で、「おっ、倉持がちょっとダメージ受けてるな~。ちょっとホイミ*2やっとくか」って感じで考えています。

それは今すぐにでも使いたいテクニックですね。誰かに何か言われたり、ミスしたりしても、自分だけがダイレクトに引き受けなくて済むのは気が楽です。

倉持 そして、いきなり自分のステータス表を作ろうと思っても、何も出てこないケースもあるかもしれません。そういうときは、周りの友達に聞いてしまいましょう。恥ずかしいかもしれないけど、どうしよう、自分には何ができるんだろう、とずっとモヤモヤとループしているくらいだったら、聞いた方が早いです。

そうやって書き出していったら、あとは最終目標の姿を思い描いてから逆算していきます。最終的にそこに到達するために、「今年はこんな姿になろう」「今月はこうしよう」「今週はこういうふうに動こう」と、大目標、中目標、小目標を決める。

会社のプロジェクトを進める際によくある方法のひとつですね。なんだかお話を伺っていると、グラビアアイドルと話しているということをだんだん忘れそうになりますね……。

倉持 それで、目標を達成するために必要なスキルは何かを考えます。そのスキルとは、資格なのか、容姿を磨くことなのか、本を読むことなのか、など。どうしてもクリアできそうになかったら、ゲームの攻略本を読むかのごとく周りに相談したり、お手本となるプレイヤーの動画を見たりして解決していけばいいんです。

そういう地道な努力が続かずに辞めてしまう人も多いと思うのですが、倉持さんが諦めなかったその原動力は何だったのでしょう?

倉持 “見返してやるぞ精神”はかなりありましたね。対象は昔いじめてきたやつだったり、ひどい対応をしてきたプロデューサーだったり……。「いつか絶対にぎゃふんと言わせてやるリスト」はずっと作ってました(笑)。

また、それ以上に「私にはこれしかできない」というのも大きかったですね。今日は8時にここ、明日は16時にここ、と指示されるグラドルの仕事は昔からできていたのに、学校となるとなぜか通えなくて、小学校から高校までずっと引きこもりだったんです。

倉持由香の仕事術「登れる山がないなら、自分で新しく山を作るしかない」

倉持 何十万円も払った自動車学校もすぐ辞めちゃって、みんなが当然のように持っている自動車免許すら取れないダメ人間で、大学も一浪・一留・中退とダメ三冠。怠けてるわけでもなくて、行かなきゃいけないのは分かっているのに、どうしても毎日同じ時間に同じ場所へ行くことができない。だから、“毎日どこかに通う”ということがない仕事をするしかありませんでした。もっと器用で、人として“当たり前”とされていることがちゃんとできる人間だったら、会社員になっていたかもしれません。

「一軒家を建てる」という新たな目標へ

下積み時代からの憧れだったタワーマンションに住み、ひとまずの目標は達成されたと思います。今後の新たな野望はありますか?

倉持 次は一軒家ですかね……。

新たな目標もやっぱりまた“家”なんですね(笑)。

倉持 1~2年に1回くらいのペースで、自分の給料からするとちょっと背伸びしている家賃の家に引っ越して、当時のマネージャーさんからドン引きされてました(笑)。今は都内の仕事が多いのでまだ先の話にはなりますが、最終的には地元である千葉に戻りたいと考えていまして。先日結婚を発表した*3こともあり、子どもができたら庭付きのマイホームを、と思っています。

ライフスタイルの変化に合わせて、仕事の仕方は変えていくのでしょうか?

倉持 少しずつ裏方寄りの仕事の分量を増やしていきたいと思っています。具体的には、夫がプロゲーマーということもあって、一緒にeスポーツチームを運営したり、メンバーを育てていったりして、eスポーツというジャンル自体を一過性のブームだけで終わらせないよう定着させたいというのが当面の目標です。

「#グラドル自画撮り部」でグラドル業界そのものを盛り上げたときと同じようにeスポーツのジャンルでも。

倉持 そうですね。今手掛けているeスポーツのチームは、ガチガチにうまい人が集まるチームというよりはタレント寄りのメンバーにしているので、バラエティー能力やゲームの面白さをPRできる表現力などを伸ばす、「ゲーマータレント養成所」のような役割を担えればと思っています。

私は仕事をすることそのものが好きなので、辞めるつもりはないのですが、やっぱりグラビアには年齢的なものもありますし、そもそも人妻のグラビアって、みんな見たいのかな?(笑) 需要があればいくらでも尻職人として活動するんですけど。

ファンの方々の反応を見て判断していくことになりそうですね。

倉持 「結婚したからグラビアもうやりません!」と宣言したくはないんですよ。グラビアの仕事はすごく好きですし、「グラビアは嫌々やっていて、結婚にかこつけてやめたのかな?」と思われてしまうのは嫌なので。読者アンケートなどで「どうしても人妻の尻を見たい!」とかがあったら、ここはやっぱり出していかないとって思います。

需要さえあれば一肌脱いでいく方向で。

倉持 そう、一尻。一尻脱いでいこうと思います(笑)

倉持由香の仕事術「登れる山がないなら、自分で新しく山を作るしかない」

取材・執筆/朝井麻由美
撮影/小高雅也
編集/はてな編集部

お話を伺った方:倉持由香(くらもち ゆか)さん

倉持由香

グラビアアイドル。特技は、絵を描くこと、足でゲームをすること(スーパーマリオ8面までクリア)。グラビア好きなグラビアアイドルがTwitterで行う部活動「#グラドル自画撮り部」の発起人・部長。写真集に『台湾驚異的美尻集』(ワニブックス)、『ふなばしり』(学研)など、著書に『グラビアアイドルの仕事論』(星海社新書)。
Twitter:@yukakuramoti

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*1:RPG「ドラゴンクエスト」シリーズ1作目では、ゲームの主人公は終始一人で行動する。

*2:ドラゴンクエストシリーズに登場する回復の呪文。

*3:2019年11月5日に、ブログとTwitterでプロゲーマー・ふ〜どさんとの結婚を発表。

桃山商事・清田隆之|「女性のことはわからない」からこそ、背景を想像して話を聞く

清田隆之さん

夫に愚痴を聞いてもらおうとしただけなのに、不要なアドバイスをされてしまう。恋人が男性同士の集団に入ると急に女性蔑視的になる──。男性のパートナーや友人、同僚に対し、そのような悩みや不満を持ったことのある女性は少なくないのではないでしょうか。

そんな女性から見た男性への疑問や不満を収集しまとめた本、『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』の著者である清田隆之さんは、恋バナ収集ユニット「桃山商事」の代表として、大学時代から1,200人以上の女性たちの悩み相談を聞いてきた経験の持ち主です。

女性と男性がすれ違いを起こしてしまう背景や男性が陥りがちなホモソーシャル問題、そしてパートナーや同僚など、身近な異性とコミュニケーションを取る上で清田さんが心がけていることなどについて伺いました。

男性が陥りがちな“失敗”に焦点を当てた理由

清田さんは、2001年から「桃山商事」として恋バナ収集の活動をされているんですよね。

清田隆之さん(以下、清田) もう20年近くになることに驚きますが……もともとは大学時代に始めたサークル活動のようなものでして、当時は身近な女子の恋バナを聞いて、恋愛に苦しんでいる人をひたすらもてなす、みたいなチャラチャラした感じだったんです。恋愛やジェンダーの問題を発信するというような意識はまったくなくて。

では、途中から活動の方向性が徐々に変わってきたんでしょうか?

清田 恋愛だけに向いていた関心が、徐々に他の分野にも広がっていったという感じが近いですね。社会人になっても桃山商事として恋バナ収集活動を続けていたんですが、いろんな女性の話を聞いてきたことを何かの形で発信できないかと思い、2011年からはポッドキャストを始めて。そのあたりから活動が「恋バナを聞く」と「聞いた恋バナを発信する」という2つの軸になっていき、だんだんと恋愛にまつわるコラムなどを書かせていただく機会も増えていって……という。

その中で、悩み相談にくる女性の話を聞いていると、それぞれ別々の男性についての悩みのはずなのになんだか既視感があるな、と思うことが多かったんです。本にも書きましたけど、例えば「男同士になるとキャラが変わる」「上下関係に従順過ぎる」という悩みとか。

必ずしも男性だけの問題ではないとは思いますが、確かに現状、そういった男性は少なくないように感じます。

清田 そうですね。主語が大きいと言われてしまうかもしれないですが、1,200人くらいの女性の話を聞いてきた中で、やっぱり実感としてそういう話がとても多かったんです。しかもそういうふるまいって自分も身に覚えがあるし、周りの男性にもそういう人は多いなと……。ということは、もしかして男性がそういった行動をとってしまいがちになる構造のようなものがあるんじゃないか、という問題意識が芽生えていって、それはつまりジェンダーという領域で研究されていることに非常にリンクするな、と。

そこからジェンダーへの意識と恋愛への関心が結びついていって、ここ5年くらいは男性性に関することを書く機会が増えました。そして、女性たちから聞いてきた「男性への疑問や不満」にまつわる800以上のエピソードを大きく20個の問題に分類し、当事者としての経験を踏まえながらその原因や背景を考察したのがこの本です。

『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』

本書では「人の話を聞かない男たち」「プライドに囚われる男たち」など、これまでの恋愛相談の中から共通する点を20の項目にし紹介している

個人的には、「お金の使い方が意味不明」とか「シングルタスクになりがち」など、これ、自分もやりがちだな……と反省する項目も多かったです。

清田 傾向としては、実は女性からそういった感想をいただくことがほとんどだったんですよ。もっと「こういう男ってたくさんいる、本当に腹立つ!」みたいな感想が多いかと思っていたんですけど、実際は自分の身を省みられる方が多くて。一方で男性は「身に覚えがある」という方もいましたし、「男をひとくくりにするな、自分は違う!」とめちゃめちゃ怒っている方もいて、感想が完全に二極化してますね。

共感とは、「相手のうしろに回って一緒に景色を見る」こと

これも「男をひとくくりにするな」と言われてしまうかもしれないのですが、男女間で起きがちなすれ違いの原因のひとつに、「男性が自分の話にアドバイスはくれるけれど、共感しようとしてくれない」問題がありますよね。清田さんも「人の話を聞かない男たち」という章で取りあげられていました。

清田 よく聞く話ですよね。男性上司に仕事の相談をしたら途中からなぜか説教されるはめになった、とか、夫に愚痴を話したいのに興味なさげに対応され、不要なアドバイスばかりされた……とか。

“人の話に共感する”ということをあまり重視していなかったり、苦手意識を持ったりしている男性はおそらく多いのかな、と思います。これまでたくさんの方の話を聞いてきた清田さんが思う、人の悩みや愚痴を聞くときのコツってありますか?

清田 基本的に「その人の悩みはその人にしかわからない」と思っているので、アドバイスとかはしないようにしています。することがあるとしたら、その人が今、何に悩んでいて、そのポイントがどこにあるかというのを整理した上で、「今あなたがいるのはこういう状況だから、差し当たって行動を起こせるとしたら、この部分をこうするしかなさそうですよね」と提示するくらいです。感覚としては……将棋棋士の加藤一二三さんっているじゃないですか。

ひふみんさんですね。

清田 ひふみんさんは対局しているときに対戦相手のうしろに回って、その人の目線から盤面を見るんだそうです。「ひふみんアイ」って言うんですけど、それに近いイメージではないかと勝手に考えています。今自分に話してくれている相手からは恋人や職場、世界がどう見えているんだろう? というのを、その人のうしろに回って一緒に見ている感じ。これがつまり“共感”ということだと考えているんです。海外の言葉で言うと、“エンパシー”というものになると思うんですけど。

清田隆之さん

共感と聞くと“シンパシー”を思い浮かべますが、それとはまた違う言葉なんですね。

清田 シンパシーはどちらかと言うと「同情」や「同意」を意味する言葉なんですが、エンパシーは、その人から世界がどう見えているかを想像したり理解しようとする能力のことなんだそうです。例えば、女性特有の生理や妊娠にまつわる悩みって、僕ら男性はどうしたって身体的には経験できないわけで、シンパシーを感じることは原理的に無理だと思うんです。

例えば「恋人のことが人間的に尊敬できないのだけれど、妊娠のリミットを考えるとその恋人となかなか別れられない。子どもができないことで、毎月毎月、卵子が自分から無駄に放出されている気持ちになる」という悩みを女性から聞いたことがあるんですが、僕が「その感覚がわかる!」とか言ったら、やっぱり嘘になると思うんです。

そうですね……。

清田 でも、その別れられなさの背景にある気持ちを理解することは、読解力と想像力を駆使しながら相手の話を丁寧に聞いていけば、できないことはないかもしれない。その人に見えているビジョンにできるだけ近い形で理解を試みようとする、というのがエンパシーだと思っていて、そういう話の聞き方を訓練してすこしずつ身に付けていくというのがコツかもしれないですね。

今「共感(エンパシー)には訓練が必要」というお話がありましたが、清田さんご自身は最初から人の話を聞くのが好きだったんですか?

清田 人とおしゃべりするのは好きだったんですが、昔は人の話を聞くことが全然できなかったですね……。桃山商事の活動でも、恋愛で落ち込んでいる人を盛り上げる、というのを目的にしていたので、面白いことを言って笑わせるのが自分たちの役目だと思ってたんです。だからベラベラ自分のことばっかり喋って……。そういうのも数十分なら楽しいかもしれないですけど、なんか、だんだん相手も自分も疲れてきちゃうんですよね。

ああ、すごく想像できます……!

清田 なんであんなに盛り上がったのに帰り道はこんな無言が続いているんだろう、っていう(笑)。そういう失敗を繰り返しながら、人とおしゃべりをしたり誰かにインタビューをしたりして、少しずつ話の聞き方が今の形になっていったというのが実際のところです。

清田隆之さん

集団になると茶化さずに話ができなくなる男性たち

書籍の中では「1対1では優しい恋人が、男友達がいる場だとなぜかオラつき始める」「職場の男性たちは集団だと女性軽視的な発言が増える。1人のときはいい人なのに」といった、いわゆるホモソーシャル(男同士の連携)に関連する項目が描かれているのも印象的でした。ただ実際は男性の中にもホモソーシャル的なコミュニケーションのとり方があまり好きじゃない、という方は少なくないように感じます。

清田 そうなんですよね。そういったことが嫌な人もたくさんいると思います。僕自身、飲み会などで風俗に行ったとか下ネタの話題とか、そういう話ばっかりだとしんどいなあと感じるようになりました。仲の良い男友達とかだったら話題を変えたり嫌みを言ったりできるんですけど、一方で彼らは男だけの中で好きでそういう話をしてる可能性もあるんだから、その価値観を自分が正さねばみたいな正義感を持つのは、それはそれでマッチョな思想なんじゃないかと葛藤したりもします。

ホモソーシャルについてのお話、おそらく男女を問わず悩まされている人も多いと思います。

清田 いわゆる女性蔑視的な価値観を持っている人の発言を黙認するのって、そういった考え方を自分が助長させてしまっているんじゃないかと罪悪感を覚える方もいると思うんですよね。それに関しては、あんまり自分を追い詰めていくとキリがなくなってしまうな……とも感じます。

自分ひとりだけでその環境をどうにかしなきゃ、とは思い悩まない方がよさそうですよね。

清田 現状難しいですよね。でも、「この話題、気持ち悪いな」とか「嫌だと思ったのになにも言えなかった」みたいな気持ちはひとつの経験として自分の中に積み上がっていくと思うので、そう感じることは決して無駄にはならないと思います。その経験のおかげで次からは違う態度がとれるかもしれないですし、「あの人もああいう話題は苦手そうだったな」みたいな相手を見つけて、集団の中の個人にアプローチしていくこともできるかもしれないし。

確かに、そうやってすこしずつ自分の味方を増やしていくことはできる気がします。

清田 もちろん本来はそういったふるまいをする側に(自覚しにくい)問題があるわけで、指摘する側がその場の空気を壊さないように気を配る必要なんてないんですけどね……。でも、技は技として身に付けておいて、自分がいる場ではできるだけそういう方法をとる、ということを個人的にはしています。アハハ、とか苦笑いしてやり過ごしちゃうこともときどきあるんですが、すこしずつ仲間を増やしていって変わっていけばいいかなって。

清田隆之さん

「恋人や家族は、自分とは違う価値観を持つ他人」と思うこと

さきほど「女性からは『本に書いてあることは私にも当てはまる』という感想が多かった」という話もされていましたが、女性側にも改めるべき点はあると個人的には感じます。自分自身、「なにも言わなくても察してほしい」みたいなコミュニケーションをとりがちなので。

清田 コミュニケーションの問題はもちろん男性に限った話ではないと思いますし、男女を問わずそういった方はいると思います。

一方でやはり、さきほど清田さんがおっしゃったような女性の妊娠・出産の問題や男性でいうホモソーシャルの問題は、なかなか男女間で理解し合うことが難しいとも思います。男性と女性がお互いにあと一歩ずつ理解を深めて関係をアップデートするためには今なにができるんだろう、というのを考えているんですが……。

清田 確かに相互理解が大事だと思う一方、個人的には女性に対して「男を理解してくれ」とか「ここを変えてほしい」とかは正直言いづらいなと思っていまして……。というのも、自分は男性なので、例えば「男同士の集団の嫌なところ」とかだったら実感としてわかるので、いくらでも自分自身の身に置き換えて批判もできるんですけど、女性の言動に疑問があったとしても、それは一体なぜなのかと想像することしかできない。

自分としては、女の人にとやかく言う前に、男は自分自身のことをもっと知って、いろんな部分を言語化していくべきだろうと考えています。

それは女性側も同じかもしれないですね。男性特有の悩みを聞いても、想像して「そういうこともあるのかもしれないな」としか思えないですし。

清田 現実的には、パートナーや同僚、友人とのあいだになんらかの問題や悩みが生じたときって、男も女も一旦関係なく「その問題をできる限りお互いの合意点に近づけるために今できることはなんだろう?」という想像力を持つことが大切になってきますよね。そのためには、異性に限らず「他人のことはわからない」という前提に立ってコミュニケーションをとる必要があると思うんですよ。

これは劇作家の平田オリザさんが言われていることなんですが、どれだけ親しくて自分に近しい相手に対しても“他人”という認識を持たないと、コミュニケーションは成り立たないっていう。その上でどうするといいのか、を考えることが大事だと思います。例えば家族だから同じ価値観を持っているだろう、という前提でコミュニケーションをとると、どこかですれ違いが生じたときに「なんでわかってくれないの」という気持ちになってしまう。

家族を“他人”と思うのってなかなか難しいようにも感じるのですが、そう思うことが相手に対して想像力を持てるようになるための第一歩かもしれないですね。

清田 本当に、家族や恋人のことを「この人は自分とまったく違う価値観の持ち主なんだ」と思うのってすごく難しいと思います。親しい人に対して自分とは決定的に相容れない部分を見つけてしまったときってすごく寂しくなったりショックを受けたりはすると思うんですけど、それを乗り越えていく、というのがコミュニケーションを一歩前に進めるためのポイントなのかもしれないですね。

清田隆之さん

取材・執筆:生湯葉シホ
撮影:小高雅也
編集:はてな編集部

お話を伺った方:清田隆之さん

清田隆之

1980年、東京都生まれ。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『生き抜くための恋愛相談』『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(ともにイースト・プレス)、単著に『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(晶文社)。
Twitter:@momoyama_radio

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編集/はてな編集部

つくりおき食堂まりえ「忙しくて自炊ができなくても、食べてさえいればそれでOK」

若菜まりえさん

忙しく働いている人や子どもがいてまとまった料理の時間がとれない人に向けて、スキマ時間に作れる時短料理のレシピを紹介している人気ブログ「つくりおき食堂」。ブログのレシピは書籍化もされ、Twitterアカウントのフォロワーも31万人を超えるなど、ワーキングマザーを中心に圧倒的な支持を集め続けています。

「つくりおき食堂」運営者で時短料理研究家の若菜まりえさんは、ご自身もワーキングマザーとして忙しい毎日を送っている経験から料理ブログを開設したのだそう。そんな若菜さんに、ブログ開設のきっかけになったできごとや、読者から寄せられた反響、「食べること・料理をすること」への思いについてお話を伺いました。

料理好きになったフランス留学の経験

若菜さんは昔からずっと料理がお好きだったんですか?

若菜まりえさん(以下、まりえ) 自分で本格的に料理をするようになったのは大学時代です。ひとり暮らしを始めて、母親に教えてもらったレシピを参考に自炊をするようになって。当時はパソコンも普及していないしクックパッドなどもなかった時代なので母が書いてくれたノートを見ながら作っていたんですが、大学を卒業する頃にはひと通りの料理ができるようになっていました。

すごい! ひとり暮らしできちんと自炊するのって、意外と大変ですよね。

まりえ でも、本気で料理が好きになったのは大学卒業後かもしれません。大学を出た直後、フランスに1年間留学するチャンスがあったんです。ホームステイ先には私以外に中国とチェコの留学生がいたんですけど、そこではホストのフランス人の方と留学生が毎日交代で料理を作るルールだったんですよ。

フランスの田舎ってだいたいの食材が日本より安いんですよ。ベーコンやパテなどのお肉の加工品やチーズなどの乳製品、新鮮な野菜や果物、季節のおいしい食材がスーパーに安く並んでいて。自分が料理当番のときにはよくベーコンとトマトと玉ねぎで煮込み料理を作ったりしていました。ホストはフランス人の方だったのでフランスの家庭料理を作ってくれましたし、中国とチェコの留学生も自分の国の料理を作ってくれたりして……。

素敵ですね……! 毎日の食事が楽しみになりそうです。

まりえ そうなんです、そのときの食事がすごく楽しくて。フランスでの経験が、料理好きになった決定的なできごとだったと思います。

若菜まりえさん

産休育休を経て実感した、キャリアアップの難しさ

その後、就職されて、ご結婚・出産もされていますよね。仕事が忙しくなったり家族が増えたりすると、ひとり暮らしだったときと比べて料理にかけられる時間やスタンスも変わるんじゃないかな、と思うのですが。

まりえ やっぱり子どもが産まれてからは大きく変わりましたね。夫とふたりだった頃は、じっくりと何時間も煮込んでできる料理や自家製ベーコンなどもよく作っていたんですが、いまは子どもが台所に入ってきたら危ないので長時間かかる料理はしなくなりました。基本的には子どもが食べやすい食感のもの、喜んで食べてくれるものを作ります。

「つくりおき食堂」もまさに、働くお母さんや忙しい人に向けたレシピというコンセプトですよね。ブログを開設されたのは2016年ですが、なにかきっかけがあったんですか?

まりえ 当時、育休を終えた友達が「まりえちゃんって料理得意だったよね。これから職場復帰して忙しくなると思うから、なにか簡単にできる料理のレシピを教えてくれない?」ってメールをくれたんです。それで自分で考えた時短料理のレシピを友達に教えたんですけど、そのときはすでにオリジナルのレシピをメモしたノートが何冊もあったので、これをいろんな人に発信できたら役に立つかもしれない……と思って。

それから、同じ時期に私も出産を経て職場復帰をしていたので、その経験も大きかったですね。

つくりおき食堂

若菜さんが運営する『つくりおき食堂』。「調理時間の目安」などからレシピも検索できる

というと?

まりえ 出産前はフルタイムで働いていたこともあり手取りが結構あったんですけど、産休・育休後に時短勤務をするようになったら手取りが激減してしまって。正直ショックでしたね。かといって子どももまだ小さいから、フルタイムで働くという選択肢は選べませんでした。

そうですよね。産休後、育休後のキャリアアップのしづらさで悩まれている方、周りにも本当にたくさんいます。

まりえ 私もその中のひとりだったと思います。仕事は常に頑張っていたんですけど、妊娠期間に入ってくるとどうしても体調を崩しやすくなるのでお休みをいただくことも増え、成績が伸び悩むようになってしまって。産休後も時短勤務だから出産前のようにバリバリは働けないし、じゃあどうしよう……と考えたときに、起業という選択肢が頭をよぎったんです。

でも私が他の仕事を始めるとして、いまからなにができるだろう? そうだ、これまで蓄えてきた料理の情報を発信することならできる! と思って。

忙しい人たちにレシピを発信したいという思いと起業したい気持ちが、料理ブログを始めることで一気に解決できるなと。

まりえ はい、料理の情報発信を始めることで全てのベクトルが一致すると感じました。「時間がないけど料理がしたい」「忙しいけど家族に料理を食べてもらいたい」という方に時短料理のレシピを発信し、気楽に調理してもらいたい、と。自分と同じで忙しいけれど、例えば晩ごはんにおかずを2品出すとしたら「1品くらいはなにか手作りをしたい」と思っている方のニーズに応えたいと思い、忙しい人に向けたつくりおきというコンセプトでブログを開設しました。今の仕事を続けながら、ブログを通じて料理の活動をしたいと考えたんです。

ひとつのレシピで全ての人のニーズは満たせない

つくりおき食堂のレシピ、私もよく参考にしているのですが、「なんとかスパイスパウダーなどは使わない」「子どもがおもちゃやテレビに夢中になっているわずかな時間に簡単にできる料理」といったルールが設けられているのがすごく親切だなと思うんです。なんとかスパイスパウダーとかって、買っても絶対余らせてしまうので(笑)。

まりえ 私ももともとインターネットでよくレシピを検索していたんですけど、作りたいなと思ったレシピの中に「トマトピューレ大さじ2」とかあるともう、別の料理にしようって思っちゃうんですよね。いまでこそ料理研究家なのでだいたいの調味料や食材はそろえているのですが、一般的な家庭の冷蔵庫にトマトピューレはなかなか常備されていないじゃないですか(笑)。

しかも大さじ2!

まりえ 絶対余って腐らせちゃいますよね……。だから私の場合は、ブログに載せるレシピの食材は「なるべくどこでも買えるもの」で、「使いやすい分量」にするようにしています。トマト缶などを使うことがあれば量は1缶まるまるかちょうど半分になるように……といった感じで。

本当にありがたいなといつも思います。

まりえ あと、Twitterでブログのレシピを発信すると、「めんつゆがない場合はどうすればいいですか?」「焼肉のタレがなくても作れますか?」という質問をたくさんいただくので、最近はレシピの最後に「おきかえ可能リスト」をつけてこの食材でもOKです、というのが分かるようにしています。自分もそうですけど、家にない食材が多過ぎるともう作らなくていいや、ってなってしまうと思うので。

若菜まりえさん

徹底して読者目線なんですね。コメントは主にTwitterで寄せられるかと思うのですが、読者からの反響でレシピを改良したり、次に作る料理の方向性を変えたりすることもあるんですか?

まりえ レンジだけでできるおかずが想像以上に人気だったので、レンジ調理のレシピは読者の方が増えてくるにつれて多くなってきたな、と思います。それから、個人的には1品の中に何種類かの食材を入れるのも好きなんですけど、読者の方からの反響が大きいのは野菜1種類だけとか肉1種類だけで作れるおかずなので、そういったレシピも増やすようにしましたね。

「鶏もも肉の塩レモンだれ」のレシピも、鶏もも肉とレモン汁やコンソメだけでできるのにすごくおいしい、とバズりましたよね。

まりえ そうですね……! Twitterで話題になったのが去年(2018年)の2月だったんですが、あのレシピをきっかけに一気にフォロワーさんが数万人にまで増えました。

やるからには突き詰めたい

若菜まりさんの書籍。忙しい人専用つくりおき食堂の超簡単レシピ

書籍発売は、ブログ開設当初からの目標だったそう。いずれも簡単にできるレシピを多数収録

ブログの読者の方から寄せられた印象的なコメントなどってありますか?

まりえ いちばん感動したのは、お体が不自由な方から「つくりおき食堂を見てレンジだけでできる料理を作って、家族に食べさせてあげることができた。それがすごくうれしかった」という趣旨のコメントをいただいたことがありまして、スマホで感想を読んだときに道端で泣きました。私のしたことでこんなにも喜んでくださる方がいるんだ、と思って。

それは確かに泣いてしまいますね……。

まりえ それからつい最近も、小学生の子が夏休みの自由研究で私の料理を作って、その工程や感想を手書きのノートにまとめてくれているのを見たんですが、すっごくうれしかったですね。まだ料理をするような年齢じゃない子が料理にチャレンジしてくれて、しかも自由研究に選んでくれたという。感動して、それもボロボロ泣きました(笑)。もちろんそういったことじゃなくても、こんなに簡単にできたのにおいしかったです! というコメントをいただくと励みになります。

ブログを続けられているモチベーションって、やっぱりいちばんは読者の方からの反響ですか?

まりえ そうですね。それも大きいですし、さっきの起業の話もですけど、なにかをやるなら突き詰めたいという気持ちが強くあります。

確かにとてもアクティブな方だなとは感じます。今後、ブログを通じて叶えたい理想や、世の中に発信していきたいことなどってありますか?

まりえ やはり、忙しい人やお料理を始めたばかりの方にも作れる簡単・時短料理を発信していきたいという気持ちは一貫しています。今後はYouTubeでもレシピを紹介していけたらと思っているので、忙しくても10分でできる晩ご飯の献立を中心に料理動画をこの秋から発信しています。

2019年9月末にスタートしたYoutubeチャンネル|つくりおき食堂まりえの『らくしぴ』

どんなものであれ、食べてさえいれば大丈夫

いま、自分自身や家族のためにできたら自炊がしたいけれど、働きながら料理をする余裕がなくて悩んでいたり、逆に料理をすることがプレッシャーになってしまっていたり、という方は少なくないと思います。そういった方に若菜さんからのメッセージがあったらお聞きしたいのですが……。

まりえ 私もお惣菜を買いますよ。作り置きおかずがなくなり、作り足しする気力が出ないときは、罪悪感なくスーパーのお惣菜です。

そう言っていただくとホッとします。自炊を100%し続けるのは難しいですよね。

まりえ そう思います。よくないのは「食事の機会を持たないこと」と「食事に過度なストレスを抱えてしまうこと」だと思います。著名な料理研究家、鈴木登紀子先生も“食べることは生きること ”と仰っています。食べることを大切にしてもらえたらうれしいです。

忙しくて食事を抜いてしまう、お惣菜とレトルト中心の食生活に罪悪感を持ち過剰なストレスを抱えてしまうことがよくないと思っています。

時々、「毎日忙し過ぎて、子どものごはんがレトルト・惣菜・パンのローテーションになってしまっている。これでいいのだろうか」という方を見かけることがあります。そういう方に対して「私のレシピなら簡単に作れますよ」とは言わないです。負担になってしまうだけですので。「食事の機会を持ってるならOK!」って思います。

ひとり暮らしで忙しく働いている方に関しても同じですよね。

まりえ そうですね! 忙しすぎてゼリー飲料を吸うだけで食事を済ます、みたいな生活がずっと続くと心身ともに壊しがちになってしまうと思いますので、お惣菜やサラダをプラスするとか……。そういうふうにして、食べることを大切にしてくれさえすれば大丈夫ですよ、と私は思います。

若菜まりえさん

取材・執筆/生湯葉シホ
撮影/小野奈那子

お話を伺った方:若菜まりえ さん

若菜まりえさん

まとまった時間がとれない忙しい人でも続けやすいように、スキマ時間にパっと作れてサっと味が決まる時短おかずを紹介するサイト「つくりおき食堂」を運営中。主な著書に『忙しい人専用 「つくりおき食堂」の超簡単レシピ』『忙しい人専用 「つくりおき食堂」の即完成レシピ』(扶桑社)。Twitter、Youtubeも更新中。
Web:つくりおき食堂
Twitter:@mariegohan
Youtube:つくりおき食堂まりえの『らくしぴ』Marie's Luck Recipes

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編集/はてな編集部

カバディと保育士、二つを行き来する緑川千春さんの「好き」との向き合い方

緑川千春さん

インドの国技でもあるカバディは、紀元前の時代の武器を持たずに獣を捉える技術が元になったと言われるコンタクトスポーツ。「鬼ごっことレスリング、それにドッヂボールが混ざったような競技」と形容されることもあります。競技中に「カバディ、カバディ」と言い続けるという独特なルールをご存じの方もいるかもしれません。

今回は、カバディ日本代表として活躍する傍ら、幼い頃からの夢だった保育士としても働く緑川千春さんにインタビュー。高校3年生のときにカバディを始め、一気に才能を開花させた緑川さんは、18歳のときに最年少で日本代表強化指定選手に選ばれました。カバディとの出会いから、「好きだから続けられる」という保育士とカバディの両立について伺いました。

誘われて始めたカバディ、そして誰もいなくなった

最近は、少年マンガ『灼熱カバディ』も人気ですが、まだまだカバディはなじみの薄いスポーツという印象です。そもそも緑川さんが、カバディの存在を知ったのは何がきっかけでしたか?

緑川千春(以下:緑川) 高校1年生のときの担任の先生が、強豪として知られている大正大学のカバディ部出身だったんです。あるとき「先生は大学でカバディをやっていたんだ」と話をされて、最初は正直「何それ?」と馬鹿にするような気持ちもありながら聞いていました(笑)。

転機は高3のとき。その先生のつながりで学校の体育館をカバディ日本代表の練習場として提供することになったんです。当時、私はバドミントン部に所属していたので隣で練習していたんですけど、想像していたよりも全然激しいスポーツで、面白そうだなと。

緑川千春さん

そこで初めて生のカバディを目にしたんですね。ご自身がプレーするようになったのは、どういう経緯だったんですか?

緑川 同級生の何人かがカバディに興味を持ったみたいで、高3の夏にサークルを立ち上げたんです。でも6人しか集まらず、試合に出るには7人必要なので「緑川を誘おう」と。私は体力測定で学年上位を取っていたので、カバディもイケるのではと思ったみたいです。

それでバドミントン部を引退したあと、ルールも何も分からない状態のまま、とりあえずサークルに参加してみることにしました。

実際にプレーしてみて、どうでしたか?

緑川 すぐにハマりましたね。カバディはレイド(攻め)とアンティ(守り)を交互に行うスポーツで、攻めのときはレイダーと呼ばれる攻撃役の一人が、相手の陣地で敵の身体に触れて、そのまま自陣に戻れば得点になるんですが、実はこの切り返しの動きがバドミントンとかなり似ている。だから、始めてすぐに「この競技めっちゃ楽しい、私向いてるかも」と思いました(笑)。

言われてみれば、かなり俊敏性が求められるスポーツですよね。

緑川 そうなんです。でも私が夢中になる一方、他の子たちは初めて出場した秋の大会に出たあと「カバディはもういい」と(笑)。誘われて入ったはずなのに、急に一人ぼっちになりました。担任の先生に相談したところ、年上の人たち中心の学外のチームを紹介してもらえることに。そこで試合に出ているうちに、日本代表強化指定選手に選ばれたという感じです。

「好き」を続けられる職場はどこだ

高校卒業後は、保育の専門学校に進まれたそうですが、進路はどのように選択されましたか?

緑川 幼い頃から大好きな幼稚園の先生がいて、その先生みたいになりたいとずっと思っていました。あと年の離れた弟のお世話をするのが好きだったというのもあり、自然と保育が学べる学校に行くということは考えていました。でも思いがけず進学直前にカバディにのめり込むようになり、結果的にスポーツと保育の両方を学べる専門学校を選びましたね。

カバディを辞め、保育士一本に絞るということは考えなかったのですか?

緑川 全く考えませんでした。むしろ、就活のときにはカバディ一本でいこうと考えた時期もあったぐらいです。でもカバディで収入を得ることは難しいですし、何かしら生活費を稼ぐための仕事が必要になる。けっきょく小さい頃からの夢である保育士と両立できる道を模索して、今に至っています。

緑川千春さん

ただ、両立を受け入れてくれる職場は、なかなか見つからなそうな気も。

緑川 正直、難しさはありました。就職説明会のときに、「カバディの試合や遠征があるときは、長期でお休みをいただく可能性があります」と伝えると、それだけで厳しいと言われてしまうこともありました。

ただ自分を曲げたくはなかったので、スタンスは崩さないで仕事を探していたところ、今の保育園を紹介していただいたんです。面接では、「今はカバディ最優先でやっていきたい」と気持ちを包み隠さずお伝えして、最終的に現在の週5日・8時間勤務が可能な正社員に近いパートという形で、契約していただきました。

長期的なキャリアを考えると、新卒時の就職でパートタイムを選ぶことに不安はありませんでしたか?

緑川 それはなかったです。実家に住まわせてもらっているからこそかもしれませんが、親にも2022年のアジア競技大会までは正社員にならないと伝えていますし、親も「保育士の資格を取っておけば、いつでも戻れるから、今は協力するよ」と応援してくれています。

日本代表の重圧にカバディから逃げ出したことも

両立に大変さはありましたか?

緑川 うーん、どちらも自分が「好き」でやっていることなので、そこまで大変さは感じなかったかもしれません。ただ練習があり残業ができないので、最初は周りのみんなに負担をかけてしまうのではないか、と申し訳なさはありました。あとシンプルに体力的にしんどいなあ、と感じることはありますよ。保育士さんの仕事ってスポーツ並みの肉体労働なので、練習に行くときは既にヘトヘトだったり(笑)。

緑川千春さん

週5日・8時間の勤務をこなし、その上でカバディの練習もするというのはかなりハードだと思いますが、毎日の生活スケジュールを教えていただけますか。

緑川 基本的に平日は朝8時から17時まで保育園で働いて、18時から21時までは体育館でみっちり練習。それから帰宅してご飯を食べて、お風呂に入って寝ます。

やっぱりハードですね……。カバディを辞めようと思ったことは一度もないですか?

緑川 一度だけあります。2018年のアジア競技大会が終わり、尊敬している先輩方がドッと引退されたときに、自分たちだけでやっていく自信がなくなってしまったんです。そのときは、ほとんど練習に行かず、保育士の仕事だけを黙々とやっていました。

緑川千春さん

それは、どのように乗り越えられたのですか?

緑川 同じチームの先輩に相談したときに、「今カバディを辞めたら絶対に代表には戻ってこれない。せっかく続けてきたんだから、もうちょっと考えてみたら」と言われたんです。

それで、カバディを通して出会ったさまざまな人を思い出したんです。同じチームの選手はもちろん、スポンサー企業の社長さんや他の競技のスポーツ選手など、私がカバディをしていたからこそ広がった世界がある。保育士として仕事をしていても、カバディ選手だから興味を持ってもらえることもあります。カバディを辞めたら、そんな機会もなくなってしまうんだなぁと。だからもう少しだけ頑張ってみようと戻ることにしました。

二つあるからこそ、新鮮に取り組める

練習に復帰してから、何か心境に変化はありましたか?

緑川 カバディと保育士、どちらもあるからこそ、私はやっていけてるんだと強く思いました。私の場合、どちらか一つだけだとうまくバランスが取れないんですよ。

保育士で嫌なことがあったら、カバディで身体を動かして発散できますし、カバディの調子が悪いときは、保育士としてかわいい子どもたちに接していると心が安らぎます。全く違う領域を行き来しているからこそ、目の前のことに新鮮に取り組めるし、精神的に健康に働けているという気がします。だから、好きなことをわがままに二つ選んでよかったなと。

すごくお忙しいと思いますが、プライベートの時間は取れていますか?

緑川 日曜日は練習がないので、保育園の同僚やチームの仲間とご飯を食べに行ったり、遊びに行ったりしています。どちらも周りの人とすごく仲が良いので、両立が苦じゃないのはあると思います。

現在は、カバディ優先の生活を送られていると思いますが、実現させたい目標はありますか?

緑川 実は2022年のアジア競技大会を最後に、すっぱり引退することを決めているんです。残りの時間が決まっているからこそ、カバディにも保育士にも全力で取り組めているところはあるかもしれません。

なので、そこで良い結果を残すことが最大の目標です。そのためには個人が強くならないと戦っていけないと思うので、今は自分のスキルを上げることに必死。どちらかというと褒められて伸びるタイプなので、監督やコーチに自らがんがんアピールして自信につなげています(笑)。

緑川千春さん

ちなみに今後のライフプランのようなものは考えていますか?

緑川 カバディと保育士に全てを捧げていると思われがちですけど、しっかり考えてますよ! 少し先の話になりますが、結婚は20代後半でしたいですし、ゆくゆくは子どももほしいです。チームや園の先輩にも相談しながら、そのあたりもしっかり考えていきたいですね。

取材・文/末吉陽子(やじろべえ)
撮影/関口佳代
編集/はてな編集部

お話を伺った方:緑川千春(みどりかわ ちはる)さん

緑川千春さん

1997年生まれ。埼玉県出身。中高はバドミントン部に所属し、高校3年生のときにカバディを始める。2015年、最年少の18歳で日本代表強化指定選手に選ばれ、2017年から日本代表として国際大会に参加。2018年より、にじいろ保育園王子のパートタイム職員として勤務。

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諦めも肝心ーー先輩ママ3人が語る「子どものイヤイヤ期、こうして乗り越えました」

集合写真


1歳半から3歳ごろの子どもに多くやってくるとされる第一次反抗期、通称「イヤイヤ期」。毎日ことあるごとに「イヤ!」と突っぱね、怒る、泣くの繰り返し……。子どもの自我が確立される大事な時期ではありますが、自分の意志を通そうとだだをこねる子どもにどう接するべきか、試行錯誤は絶えないものです。

そこで、今回は働きながら子どもの「イヤイヤ期」を経験した3人の方による座談会を実施。どのような苦労があり、どのように乗り越えたのか、それぞれの経験や当時の思いを語っていただきました。

***

<<参加者プロフィール>>

のり子さん

のり子さん:36歳。お子さんは8歳(男の子)。エンターテインメント企業の企画職。1歳半から2歳にかけてイヤイヤ期を経験。

ネジ子さん

ネジ子さん:37歳。お子さんは7歳(女の子)と1歳(男の子)。金融機関に勤務。上のお子さんが1歳半から2歳にかけてイヤイヤ期が激しかった。
りっすんへの寄稿:子どもを保育園に預けて働くことは、かわいそうなんかじゃない

かたつむりさん

かたつむりさん:37歳。お子さんは9歳(男の子)。IT系企業のサービス企画。イヤイヤ期があった時期は少し遅く、2歳から3歳にかけて。

子どもの自我の目覚め。コミュニケーションがうまく取れない

イヤイヤ期の存在は、いつ頃知りましたか?

のり子さん(敬称略、以下同) 私は、子どもが1歳くらいの頃に、育児に関するまとめブログで知りました。子どもの年代ごとに「こんなことが起こる」という体験談が載っていて、その記事の1つにイヤイヤ期のことが書かれていたんです。

ネジ子 具体的にいつかははっきり覚えていないのですが、おそらくブログの記事やTwitterなどを通して、出産前からイヤイヤ期の存在については知っていました。

かたつむり 私は、ママ友から聞いていました。うちの子は9月生まれなのですが、同じ保育園に4月生まれの子のママがいて、お子さんが先にイヤイヤ期に入ったということで、生の声を聞く機会に恵まれていたんです。そのため、どんなことが起きるのか、事前知識は割とありましたね。

心構えはあったかと思いますが、実際にお子さんがイヤイヤ期に突入した時にはどう思われましたか?

ネジ子 思ったより手強かったですね。調べてみた“イヤイヤ期の対応メソッド”によると、「ご飯食べよう」と言っても、絶対に「イヤ」って返されるから、逆に「ご飯食べないよね」と声を掛けると、「イヤ=食べる」になるので、食べさせることができる……というテクニックが有効だと紹介されていたんです。

なるほど!

ネジ子 子どもが「イヤ」という時になって試してみたんですが、うちの子は意志が強過ぎたのか、逆のことを言ってもあまり意味がなかったです。むやみに「イヤ」と反抗しているわけではないんだなと分かりました。

かたつむり コミュニケーションの取り方や気の配り方も、イヤイヤ期の前と最中とでは全然違いますよね。生まれてからイヤイヤ期に入るまでは、とにかく動き回るから危ないところに行かせない、というのが第一の優先事項でした。でも、イヤイヤ期になると、本人が自分の意志でやろうとすることを、どうコントロールするかを考えないといけない。どのように対処すればいいか困っていました。

ネジ子 分かります。子どもがやろうとすることに親が介入すると、すごく怒りますよね。自我が出てきて「こっちに行きたかったのに!」「これが欲しい! ウワァーーー!」と伝わらない言葉で主張されて、体力もついてくるので、一筋縄ではいかなかったです。

子どもの「イヤ!」でタイムスケジュールが変わってしまう

働きながらイヤイヤ期を迎えるとなると、より一層大変な気が……。

のり子 まさに私は、育児休業を1年半取得した後、職場復帰してすぐに子どもがイヤイヤ期に突入しました。保育園へ送っていくところから「行きたくない」となって、復帰直後から大変でしたね。歩き始めたかと思うと、その都度座り込んでしまうんです。何でもいいから「あそこに何かあるよ!」なんて路上に気を引けるものがないかと探しながら、前に前に歩けるように誘導していました。それでも、保育園までの徒歩15分の道のりに、30分はかかっていました。

image

ネジ子 それは大変でしたね……。うちの場合、育休は1年弱取得して、保育園の入園から1カ月で職場復帰しました。ちょうど子どもが1歳くらいのタイミングだったので、最初のうちはおとなしかったのですが、徐々にイヤイヤ期へとスライドしていきました。

ネジ子さんの場合、お子さんの「イヤ」はどんなふうだったのでしょう?

ネジ子 例えば、保育園に連れていく際に自転車に乗りたがらなかったり、マンションの階段を降りる際に自分の足で歩きたがるようになったりと、一つの行動に時間が掛かることが増えました。

そんな時、どう対応されたのでしょうか。

ネジ子 ちょっとでも本人の意志を妨げる行動をすると泣きわめいてしまうので、保育園に行く際はとにかく早起きして時間を作って、早く家を出るようにしました。自転車に乗らない場合は朝ごはんの時に「イヤ」と言っていたはずのパンを食べさせて気をそらして(笑)。何とか仕事に遅れないようにしていました。

かたつむり 私は子どもが6カ月の時に保育園に預けて職場復帰したので、イヤイヤ期を迎えるまでは割と落ち着いていました。ただ、イヤイヤ期に入ってからはネジ子さんと同じく、子どもの「イヤ」によってタイムスケジュールが狂うこともしばしば。そもそも子どもに拒絶された場合にどう対処すればいいのか、その都度悩んでいました

親の方が、「もうイヤだ~」「泣きたい~」ってなりそうですね……。

のり子 そういうことはよくありました。仕事が詰まっていると残業したくてもできなくて、やむなく家に仕事を持ち帰ることがあったんですが、家では子どもが「イヤ!」の連発。精神的に参りました。

うぅ……。聞いているだけでつらそうです。

かたつむり うちの子どもは、普段の生活ではそこまでイヤイヤはなかったのですが、スーパーに連れて行った時は大変でした。「このお菓子が欲しい」と思ったら譲らず、「買えないよ」と言うとイヤイヤがMAXに。いつも戦いでしたね。

のり子 分かります。私の場合は、子どもが欲しがったものを買うふりだけ見せて、買わずに済ませるという戦法に挑戦しました。子どもは一応買ったと思って満足しますし、家に帰る頃には欲しがったことを忘れていますから。

かたつむり 確かに、子どもはお菓子やおもちゃに執着があるわけではなくて、「今自分が希望していることを親が叶えてくれるかどうか」なんですよね。私は途中でやっと、子どもの要求にいくら応えても、きりがないことに気がつきました。

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かたつむり ただ、子どもの執着を甘く見ない方が良いと思った経験もあります。一度、おもちゃ屋さんで子どもが「欲しい」と主張したおもちゃを買わずに抱き上げてお店を出たことがあるのですが、手を離した瞬間に、子どもが走ってお店に戻ったんです。道路に飛び出す可能性もあったのでヒヤッとしました。その時は、もうちょっと上手なやり方があったかな……と反省しました。

のり子 おもちゃ屋さんやおもちゃコーナーは子どもにとって“魔の場所”ですよね。絶対にそこを離れないし、欲しいものを握ったまま離さないし。300円くらいのものならまだしも、1万円クラスの高級玩具を抱きかかえてこられても、無理なものは無理ですからね(笑)。

イヤイヤ期を乗り切るには「諦めも肝心」

イヤイヤを無視するのも、主張を押さえつけるのも違う気がしますし、どう折り合いをつけるかは難しいですよね。皆さんが工夫されたポイントがあれば教えてください。

のり子 厄介なのは、イヤイヤ期の最中は食べることすら“イヤ”になってしまうことです。1回2回なら「かわいい」で済みますが、毎食「ご飯イヤ、野菜イヤ」ばかりで、甘いフルーツしか食べたがらないので、これはまずいなと。なので、私は「お母さんもイヤだ~! うえ~ん」って嘘泣きしていました(笑)。

お子さんが「イヤ!」と言っている動画を見て「これだけならかわいいんですが……」と振り返るのり子さん

のり子 食事などの健康に関わることについては、何とか工夫しないといけないと思っていましたが、それ以外はもう子どもの意のままでいいかなという諦めもありました。例えば、気に入らない服は着てくれなかったのですが、明らかに上下の色の組み合わせがおかしくなっていたり、お気に入りの服しか着なかったりしても、「もう服さえ着ていてくれればいいや」と考えて、何も言わないようにしました。

かたつむり 諦めも肝心ですよね。よっぽど危ない目に遭わなければいいのかなと。ちなみに私の場合は、あらかじめ譲れないルールを何か1つだけ設けて、それを破るのはNG、と決めていました。お菓子のルールを作るとしたら「1日に何個までなら食べていい」というような感じです。そこだけはイヤイヤされても譲らないようにしていましたね。

ネジ子 私はどちらかというと、できるだけ「地雷を踏まない」ように気をつけていましたね。当時は子どもが保育園までの送り迎えの際にいろいろなルートを歩きたいらしく、普段のルートを通ろうとすると怒るので、「どこを通っても目的地に着ければいい」くらいに構えていました

とはいえ、自分自身の気持ちをおおらかな状態にキープし続けるのは、大変ですよね。

かたつむり そうですね、余裕がないと難しいです。自分に余裕がないと子どもの主張を尊重できなくなってしまうのも難しいところで……。朝に保育園へ行くのがイヤだと言われても、親にも仕事がありますし。うちは夫婦ともに環境が同等だったのですが、一人でイライラすることが多くなって、夫に「テンパり過ぎだよ」とたしなめられました。

夫婦で条件が一緒だとしても、そう言われて腹を立てたりしませんでしたか?

かたつむり 同じことをやっているのに、私だけキリキリしていたのかもしれません。夫とは同志のような関係なので、助言をもらって「なるほど」と思っていました。

ネジ子 私は出勤時刻に間に合わなさそうな時は、もう遅刻でいいやって開き直っていました。「最悪クビになってもいいかな……」くらいの心境でした。

のり子 分かります! 食事もどうにもならなくなって「ピザの出前でいいや!」なんて。近くに親戚がいなかったので、シッターさんに来てもらったこともあります。でも、手抜きができない性格の方も当然いらっしゃいますよね。

確かに、「全部きちんとしないといけない」と考えてしまうからこそ、自分自身を追い詰めてしまう方もいそうですね。

のり子 その気持ち、理解できます。実は私、育休中に「ちゃんとしよう」と思い、出汁をきちんと取って離乳食を作るなどいろいろ工夫していたんです。でも、復職してからはとてもじゃないけどそこまでできなくなって。ある日、息子に手を掛けたものを食べさせて、自分がカップ麺を食べている時に、「あ、もういいや。止めよう」と吹っ切れました。「いくら今丁寧に食事を作っても、いずれこの子は絶対カップ麺を食べるようになるんだろうな」と思って。何が吹っ切れるきっかけになるかは人それぞれだと思いますが……。

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ネジ子 私も“丁寧な生活”に憧れて、育休中は紙おむつではなく布おむつを使ったり、おやつのためのたまごボーロを片栗粉と卵から自分で作ったり、ル・クルーゼのお鍋でお粥を炊いたり……。それはそれで自分は好きだし楽しかったのですが、そもそも子どもが全然食べなくて、結局は思った通りにはいかないなと悟りました。

かたつむり 私は、最初は掃除に気を遣っていました。危ないものがあるといけないと思ってとにかく部屋の中をピカピカにしていたんですが、手が回らなくなって、止めました。

イヤイヤ期は永遠には続かない。だから力を抜いて向き合ってほしい

では、イヤイヤ期が終わったタイミングは、いつ頃でしたか?

のり子 私は記憶がないんですよね。2歳半くらいの頃でしょうか。気がついたら意思疎通ができるようになったというか。子どもが「あれしたい、こうしたい」と具体的なプラスの言葉をしゃべれるようになったので、イヤイヤ期が終わったのかなと。他の方の体験談を聞くと、本当に個体差が激しいなと思います。

ネジ子 うちの子は2歳半くらいです。のり子さんと同じく、要求についてはっきりした言葉で表現できるようになって、平和が訪れました(笑)。意志の強さなどは変わらないですが、何を主張しているのかをくみ取りやすくなりましたね。それから大変な思いをすることが減ってきました。

かたつむり 私も同じですね。何がダメで、どこまで妥協できるのか、伝わるようになりました。コミュニケーションが取りやすくなったタイミングで、イヤイヤ期を脱したなと感じました。

イヤイヤ期は永遠に続くわけではないので、何とかその期間だけ上手に感情コントロールできるようになるといいですよね。そのためのアドバイスをいただけますか?

かたつむり 私はイヤイヤ期の真っ最中、「他の子はおとなしいのにうちの子はなぜ……」と比べてしまうこともありました。でも、子どもによっても、フェーズによっても、大変さはそれぞれ違うと思います。イヤイヤ期が終わっても、いわゆる“小1の壁”もありますし、さらに先には思春期も控えています。いずれにしても、いつか大変だった思い出は薄れていくので、あまり悩んだり追い詰められたりせずに、ゆるっと気楽に構えてもらえたらなって。「正解の基準」は存在しないので。

のり子 かたつむりさんのおっしゃる通り、イヤイヤ期は文字通り期間があって、実質半年くらいなんですよね。イヤイヤ期の最中は、時がたつのがとても長く感じていました。でも、終わることは分かっているので、「子育ての中では半年なんて一瞬だ!」くらいに気を取り直して、力を抜いて乗り切ってもらえるといいのかなと思います。

ネジ子 イヤイヤ期の攻略方法はなかったなー、というのが私の実感です。だからこそ、全ての人に「イヤイヤ期の子どもはこういうものなんですよ」と思ってほしい。こうしたらうまくいくというような絶対のセオリーみたいなものはないんじゃないかと。電車の中で小さい子が泣き叫んで大変……という話をよく見聞きしますけど、その時期の子どもはそういう生き物なんだって、見守る気持ちを持ってもらえたらと思っています。

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※座談会参加者のプロフィールは、取材時点(2019年8月)のものです

取材・文/末吉陽子(やじろべえ)
編集:はてな編集部

趣味=将来の保険? 劇団雌猫に「推し事」も「仕事」も楽しむ秘訣を聞いてきた

劇団雌猫のかんさんユッケさん

好きなものがあるから仕事もがんばれる。そんな「趣味」を糧に日々仕事に勤しむ方も少なくないように思います。

仕事と趣味、どっちも頑張る女性たちのリアルな声を収録した『本業はオタクです。-シュミも楽しむあの人の仕事術-』(中央公論新社)の著者・同人サークル「劇団雌猫」の4人(もぐもぐ、ひらりさ、かん、ユッケ)も、仕事をしながら各々の趣味やサークル活動を全力で楽しんでいます。

今回は、劇団雌猫メンバーのかんさん、ユッケさんに、多岐にわたる活動を続ける「劇団雌猫」のこと、仕事と趣味の両方を充実させるためのメソッド、また、「趣味を持つこと」そのものについてのお考えなどを伺いました。

話題になった同人誌『悪友』は完全にノリから生まれた

4人組オタク女子グループとして、書籍出版や連載を行っている劇団雌猫。趣味もお仕事もバラバラなみなさんですが、結成のきっかけは何だったんでしょうか?

ユッケ 出会ったのも人によってバラバラなんですよ。かんと私は、一番最後に会ったよね。4人そろって最初に会ったのは、確か神保町のクラフトビアマーケットだった。

かん 懐かしい~! めっちゃ覚えてる!

ユッケ 2014年くらいだよね。その頃から「推し事*1」が変わった雌猫メンバーもいて……。私も当時は2.5次元ミュージカルのファンだったんですが、今はジャニーズ事務所の「美 少年」というグループを推しています!

かん 私はK-POPと宝塚が推しジャンルで、最近は2015年に韓国でデビューした男性グループの「SEVENTEEN」のために渡韓*2することもあります。基本的に劇団雌猫メンバーは各々好きなものについて、好きなように語っていますね(笑)。

ユッケ そうそう。LINEしたり、飲みに行ったりしたときは、大体、順番に好きなことをばーってひたすら喋っている(笑)。そもそも「劇団雌猫」って、最初はただのグループLINEの名前だったんですよ。みんなでミュージカル『テニスの王子様』のライブを見に行ったときに劇中に登場する跡部様(跡部景吾)が観客に「雌猫共」と煽る姿が素敵過ぎて、「私たちも跡部様みたいになりたい!」と盛り上がり、勢いでグループLINEの名前を「劇団雌猫」にしました(笑)。

かん そのときは今みたいな活動をするとは全然思ってなくて、いわゆる「いつメン」みたいな感じでしたね。

劇団雌猫は、さまざまなジャンルに愛情とお金を注ぐ女性たちの消費活動をつづった同人誌『悪友 vol.1』(2016年12月頒布)がきっかけで、一気に話題になりましたよね。

ユッケ 『悪友』を作ったのは、完全にノリでした。そのときちょうど転職をしたメンバーがいて、年収や待遇の話をしていたら「ぶっちゃけ、みんな貯金ある?」という話題になって。みんなで貯金額を暴露していったんですけど、当時私とかんは貯金が全然なくて(笑)。

かん 謙遜じゃなく、本当に「ゼロ円」だった(笑)。貯金の話をしているときに、「こういう貯金の話って、ゲス過ぎて対面では友達に聞けないよね」「じゃあ匿名で、オタクにお金について寄稿してもらったら面白いんじゃない?」という話になって、『悪友 vol.1』を作ることになりました。

ユッケ それを、予想以上にたくさんの方が手に取ってくださったんです。そこから書籍化やWebメディアへの執筆、イベント登壇などいろいろなご依頼をいただくようになって。

『悪友 vol.1』を元に書籍化された『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話』(小学館)

毎週の「LINE定例会」で進捗を共有

活動が多岐になった今、案件をスムーズに進めるために何かしていることはありますか? 例えば、作業ごとに細かく役割分担しているとか。

かん うーん、私たち、きっちりした役割分担はしてないんですよね……。「この案件はこの人がメインで動かす」という振り分けはしているんですけど。

ユッケ ただ、連絡はまめに取り合っています。基本、LINEグループでの雑談はずっとしていて、仕事でスマホを見られないときは、100件くらい通知が溜まっていたりして……。

かん 女子高生みたいにずっと喋っているよね。そのやりとりの中から、書籍や企画のネタが生まれることもあります。そのほかにも、何かアイデアが必要な案件があればガッとブレストすることもあるし……。あと、毎週決まった時間にLINEで定例会をしてますね。

対面で話し合うのではなくて?

ユッケ はい、定例会もLINEでやっています。話し合いたいことは増えたんですが、やっぱり普段は各々仕事をしていて頻繁に集まるのは難しいので。みんなでグループLINEに集まって、進捗を報告したり、話し合いをしたり……。

かん でも結構ゆるいんです(笑)。「今日は疲れてるから無理」という日はやらないときもあります。例えばコミケ後とかね(笑)。

ユッケ その定例会で「今、本業が忙しくてヤバい!」みたいな相談もするようにしています。だから最悪進捗が遅れても、手が空いている人が「じゃあ私が代わりにこれやっておくね」みたいなこともよくあります。

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ビジネスコミュニケーションの基本とも言われる報告・連絡・相談をしっかりされているんですね。かなりお忙しいかと思うのですが、劇団雌猫の活動は「仕事」という感覚ではないのでしょうか。

かん 仕事の定義って人それぞれだと思うんですけど、私は「仕事=事業として規模の拡大を目指していくもの」だと思っています。でも劇団雌猫の活動に関しては、規模を拡大しなきゃとは思ってないし、拡大するための活動もしていない。だから仕事か、と聞かれるとちょっと違うかもしれません。もちろん、お金をいただいて何かをすることもあるので、そこの責任は全うするようにはしていますが。

ユッケ 私も、私たちの趣味の範囲で、時間や労力はかかるけれど楽しくできるご依頼だけを受けているので、「仕事をやっている」という感覚はないですね。あくまでも「活動」?

かん 「推し事」で活動を欠席するのも、事前連絡があればOKですし(笑)。

ユッケ 今年の3月に劇団雌猫が登壇したイベントも、私は推し事で欠席しました……「美 少年」のコンサートの千秋楽と被ってしまって……。チケットも当たっていてどうしても行きたかったので、LINEで「ごめんなさい」って謝って。

かん いつ自分が同じ立場になるか分からないので、みんな快く送り出します(笑)。

推し事とも両立できるのは素晴らしい!「楽しく活動できる」ということが大事なんですね。

かん 4人の中で誰か一人でも嫌なことはやらないでおこう、という空気はありますね。

ユッケ 誰かが熱烈にやりたい案件があった時に、他のメンバーに熱くプレゼンすることはありますが、逆にみんながイマイチ乗り気にならないな、と思っていることを、我慢してまでやろうとはならないです。「じゃあ、やめやめ」って。

4人それぞれ、得意分野を生かす

みなさん劇団雌猫の活動に加えて、本業のお仕事もされていますよね。忙しいなか、何か働き方について気を付けていることはありますか?

かん 私、「土日には働かない」ってマイルールがあります! 本業、劇団雌猫の活動問わず、土日には仕事を入れない。イベントなどは仕方ないこともありますが、基本的に土日の昼間は休みます。

オンとオフを切り替えるのは大事ですよね。

かん もともと切り替えるのが下手なんですよ。ずっと仕事してしまうので、「ずっと仕事できない仕組み」を作ることで解決してます。ユッケさんはどう?

ユッケ 劇団雌猫結成時は会社員だったんですが、独立してフリーランスになったので、働き方は変わりましたね。会社員時代は長時間労働で、昼前に出社して深夜1時2時まで働くことも多かったけど、今は自分でスケジュールを立てられるようになりました。それはいいことかなと。

フリーランスになったことで、何かデメリットもありましたか?

ユッケ 仕事量は会社員時代の8割くらいになりました。当然その分収入も減ったんですが、人間関係のストレスもなくなったので……まぁいいかなと思っています(笑)。勤めていたときは、日中に劇団雌猫関連のメールやLINEをチェックする時間もなかったんですよ。でも今はそういうこともなく、ずいぶんラクになりましたね。

劇団雌猫さん

本業と劇団雌猫の活動、どちらもしやすくなったんですね。本業と副業、本業と趣味……など、両立のコツを模索している方は多いと思います。

かん 両立というか、本業でやっていることが劇団雌猫の活動に生きることはめっちゃあるんですよ! ユッケさんは本業で紙媒体の出版に関わったことがあったから、書籍化のときはすごく頼りになりました。校正記号を駆使したゲラチェック、めっちゃかっこよかった!

ユッケ ありがとう(笑)。かんは交渉が得意だよね。私は厳しい条件を出されても「まぁ頑張ればいいか」とそのまま受けちゃうタイプなんですが、劇団雌猫の活動では、かんがちゃんと交渉してくれる。

かん 本業で発注側に立つことが多いから、相手がその条件を出した思惑を見透かしてる(笑)。

各々培った得意分野が生きているんですね。

かん 私が「うわ、これ苦手だな~」って思うことは、他の3人のうちの誰かが得意なんですよ。ひらりささんは個人でイベント登壇する機会が多かったから、司会がうまくて助かってるし……。

ユッケ もぐもぐさんは、「劇団雌猫」思念の中枢!って感じ(笑)。我々がなんとなく感じていることの言語化が得意というか。

かん そうやってそれぞれ得意なところを生かしています。

ユッケ 本業で「やれるのは当たり前」だと思っていたスキルが、他の人からすると「すごい」と言ってもらえることだったんだ、という発見もあるよね。

かん 劇団雌猫の活動を通して多少なりとも友人の仕事っぷりが垣間見えるというのも個人的にはいい経験だよな〜と思います。

趣味を作ることは、将来へのリスクヘッジにもなる?

本業はオタクです。書影

今回出版された『本業はオタクです』は、「仕事も趣味も楽しむ」というスタンスの一冊ですよね。同じようにアクティブに趣味を楽しむために働く人がいる一方で、「趣味がない」ことにコンプレックスを持っている人もいると思うんです。そういう人について、率直にどう思いますか?

ユッケ うーん……。働く目的が必ずしも趣味でなくてもいいと思うんですよね。私は趣味のために働いているけど、「キャリアを積み上げたい」でも「貯金したい」でもいい。それでも毎日、ルーティンをこなしているだけに感じてモヤモヤするっていう人は……YouTuberになればいいんじゃないかな。

!?

かん え、それは動画を配信するってこと?

ユッケ うん。私、最近OLさんのルーティン動画にハマってるんですよ。平日夜19時に帰ってきて、自炊をして、お風呂溜めて、お風呂に入って、スキンケアして寝る……っていう、日常を紹介する動画がたくさん投稿されているんです。

たしかに「モーニングルーティン」や「ナイトルーティン」など、たくさんのルーティン動画がアップされていますよね。「GRWM(Get Ready With Me)」といったお出かけ前の準備動画などもじわじわ注目されているように思います。

ユッケ その「ルーティン」を毎日やれるのって、個人的には本当にすごいことだと思うんですよ! 当たり前にやっている人からしたら「普通じゃん」と思うかもしれないんですけど、普通じゃないです。私にはできないですし。

かん たしかに。

誰でもできるルーティンだと思っていることが、本当はすごく特別なことかもしれないっていうことですね。かんさんはいかがですか?

かん うーん……。私は、無理矢理にでも、仕事以外の楽しみを見つけた方がいいんじゃないかな? と思うんです。

ユッケ どうして?

かん これからは100歳まで生きるのが当たり前になるって、よく聞くじゃないですか。例えば60歳で定年を迎えたとしてもあと半分近く人生が残ってるって考えたら、好きなものが何もないとめっちゃ苦しいと思うんですよね……。

ユッケ 定年後、ロスみたいになる人もいるっていうよね。

かん そうならないためにも、早い段階で「自分から趣味にハマりにいく」のも、長い目で見たときに後々のモチベーションにつながると思うんですよね。生きるのに必要なお金を貯めるだけじゃなくて、生きがいにもなるような趣味のストックも貯めておくといいんじゃないかな。

なるほど、保険的な意味もあるんですね。

かん そうそう。老後のためだけじゃなくて、今に対するリスクヘッジでもありますけどね。例えば韓流の推しが熱愛発覚したときも、宝塚にも同時にハマっておけば、ショックを受け過ぎない(笑)。

ユッケ 確かに、逃避先がたくさんあるのはいいよね(笑)。

その逃避先にする趣味は、どんなものでもいいですしね。例えばガジェットだったり、旅行だったり……。それって、具体的にどうやって見つけるのがいいんでしょうか?

ユッケ なんだろう……。難しいよね。

かん 「衣食住」に関することは、日常で選択の機会があるはずなんですよ。だからその3つのうち、どれかを趣味にしてみるのがいいんじゃないかな?

ユッケ その中だと、食が一番手軽かな。

かん 他の二つに比べてお金をかけず楽しむ選択もしやすいし、料理なら人にふるまえるしね。そうか~、だから、定年後、急に蕎麦を打ち始めたりする人の話とかを聞くのかも。

かもしれません(笑)。「趣味は長生きの保険」、心にとめておきたい言葉ですね。

劇団雌猫さん

***

著書『本業はオタクです。-シュミも楽しむあの人の仕事術-』発売中

書影

「いつもオタク現場にいるあの人、一体なんの仕事をしているんだろう?」

仕事と趣味、どちらも充実させているリアル女子のおしごと事情をインタビューで紹介してきたWeb連載「オタ女子おしごと百科」が書籍化。『浪費図鑑』でおなじみの劇団雌猫が、日々趣味と仕事の両方にいそしむオタク女子たちにインタビューし「仕事とオタ活の両立」の工夫や、知られざる「オタ活に向いた仕事」も徹底取材しています。

さらに、本書ならではのオリジナル要素として、悪友たちが実践している働き方のアンケート調査結果や、悩める悪友のためのキャリアコンサルタント・西尾理子先生のお話も収録。仕事とシュミ、どっちも頑張る女子のための、新しい働き方指南本です。

お話を伺った方:劇団雌猫

むらたえりか

平成元年生まれのオタク女4人組からなるサークル。インターネットで知り合い意気投合した4人が、インターネットでは語られない「周りのあの子」への純粋な興味から、2016年冬に同人誌『悪友』シリーズを作り始める。トークイベントなども開催し、趣味と仕事に精を出す「浪費女子」たちから支持を得ている。
Twitter:劇団雌猫@本業はオタクです。 (@aku__you) | Twitter

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構成/芦屋こみね
撮影/関口佳代
編集/はてな編集部

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*1:好きなもののために行う活動全般のことを指す。ただし、明確な定義はなく、人によって使い方のニュアンスが異なることも

*2:韓国に行くこと

一頭の犬が入院体験を変える──ファシリティドッグ・ハンドラー 森田優子さん

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

日本初の「ファシリティドッグ・ハンドラー」として、神奈川県立こども医療センターに勤務する森田優子さん。欧米では数も多く、広く知られた職業になりつつあるそうですが、ここ日本ではまだ従事者の数は森田さんを含め3人のみ(2019年8月現在)。

主な仕事は、「ファシリティドッグ」と呼ばれる専門的なトレーニングを積んだ犬たちをコントロールし、患者さんの医療行為を円滑に進めること。月に数回訪問するセラピードッグと異なり、ファシリティドッグは病院などの医療施設に常勤し、患者さんと継続的に交流します。病気でストレスを抱える人たちに癒やしを提供し、治療へ前向きに取り組む手助けをする存在として、重要な役割を担っているのです。

もともと小児科の看護師として働いていた森田さんは、このような「前例のない仕事」にいかにチャレンジしたのでしょうか。現在に至るまでの歩みを伺いました。

アニーと一緒に子どもたちの治療に寄り添う

ファシリティドッグ・ハンドラーという職業は、日本ではまだなじみの薄い職業のように思います。まずは、森田さんのお仕事の内容について教えていただけますか。

森田優子さん(以下、森田) ファシリティドッグのアニーと一緒に、患者さんの治療のお手伝いをすることが基本的な仕事です。今はこども医療センターに勤務しているので、病棟に入院している子どもたちのベッドを回ったり、採血や点滴を怖がってしまう子どもに寄り添って応援したり、手術室の前までついていったり……といったことがメインですね。毎日10名くらいの患者さんと接していると思います。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

この日も患者さんを回ってきたという森田さんとアニー

ハンドラーの仕事にはファシリティドッグの管理も含まれるので、プライベートでもアニーと一緒に住んで、ブラッシングやシャンプー、散歩など日常的なお世話もしています。

普通の犬だと採血や点滴を怖がってしまいそうなイメージがありますが、やはりファシリティドッグはそういった場面でも動じないのでしょうか?

森田 そうですね。もともと落ち着いた性格の優しい犬が選ばれるというのもありますが、ファシリティドッグになる子は子犬の頃から病院に慣れる練習を重ねて育ってきているので、病院の環境を怖がったり急に機嫌が悪くなったりといったことはまったくないです。

ただ、やはり長い時間働くことはアニーにとっても負担になってしまうので、病棟を回るのは1日に3時間くらいまでにしています。

アニーちゃん、さっきから森田さんの膝の上でウトウトしていますが、本当におとなしいですね……!

森田 今は仕事中だからすごく静かですけど、まだ3歳のゴールデンレトリバーなので、散歩中に友達と会うと走り回ってはしゃいだりもするんですよ。オンとオフをきちんと切り替えられる子なので、ありがたいなと思います。

ファシリティドッグ・アニー

こう見えて実は結構やんちゃだという

恩師からの誘いをきっかけに前例のない仕事へ

森田さんは、幼い頃から動物が大好きだったとお聞きしています。最初のキャリアには看護師を選ばれていますが、動物関係のお仕事に就くというのは考えなかったのでしょうか?

森田 動物園の飼育係や獣医になりたいと考えたこともありました。ただ、結局最初のキャリアに看護師を選んだのは、自分でもどうしてなのかよく分からなくて……。もちろん選択肢の一つとしてはあったと思うんですが、気が付いたら看護学校に入って看護師を目指していた、というのが正直なところです。

森田優子さん

現在のファシリティドッグ・ハンドラーには、小児科の看護師として勤務を始めて5年目にオファーがあったと聞きました。改めて経緯を伺えますか?

森田 私が所属しているNPO法人「シャイン・オン・キッズ」は、難病や重病の子どもたちを支援するために、前身となる団体が2006年に発足されました。その後、2008年ごろに子どもたちへの支援の一環としてファシリティドッグの導入を検討し、専門家のもとへ相談に行ったそうなんですが、それがたまたま私の看護学校時代の先生だったんです。

それで「小児科の勤務経験がある看護師の中にハンドラーになれそうな人はいませんか」と話があったときに、私の卒論が「アニマルセラピー」についてだったことを先生が覚えてくれていたようで、推薦してくださったという形です。

そのお話を最初に聞いたとき、率直にどう思われましたか?

森田 楽しそうだなあって思いました。看護師という仕事ももちろん好きだったのですが、普通の看護師の領域ではできないことを何かやってみたいという気持ちは常にありましたし、動物に関われる仕事というのもやっぱりうれしくて。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

お互いを信頼し合っている様子が伝わってくる

とはいえ、ファシリティドッグ・ハンドラーは当時日本に一人もいない状況だったんですよね。未知の仕事へのキャリアチェンジというのは冒険のようにも思えるのですが、迷いはなかったですか?

森田 うーん……実はあんまりなかったんですよね(笑)。ハンドラーとしての最初の勤務地は静岡のこども病院だったのですが、アプローチは違えど、子どもの患者さんと接する仕事という点で本質的には同じだなと思ったので、ステップアップというふうに自分では捉えていて。

とてもポジティブですね……! 最初のパートナーはアニーではなく、同じくゴールデンレトリバーのベイリーだったとお聞きしています。

森田 そうです。日本にはハンドラーになるための専門施設がないので、ハワイの施設で犬の日常的な世話の仕方やコマンド(犬への指示)の出し方などを学び、病院での実地研修を経て、現地のトレーナーからベイリーを紹介されました。

小さい頃から常に小動物は家にいたのですが、実は犬を飼うのはベイリーが初めてだったんですよ。でも、幸いのほほんとした性格が合ったのか、最初からお互いすんなりと一緒にいられました。ベイリーは2018年にファシリティドッグを引退して、仕事上のパートナーはアニーに変わったのですが、今も家では2頭と一緒に暮らしています。

ベイリー自身が証明してくれたファシリティドッグの力

ハンドラーというお仕事への転身に対して、森田さんご自身には大きな迷いはなかったと伺いました。ただ、当時未知の領域だったファシリティドッグの導入には、周囲からの反対の声もゼロではなかったのではと想像するのですが……。

森田 最初の病院で導入前に幹部会議があり、その中ではやはり「患者が感染症になったらどうする?」など不安視する声も上がったとは聞いています。ただ、感染症はキチンとした手順を踏むことでリスクは払拭できますし、「駄目だったら駄目で、その都度対策を考えよう」と当時の麻酔科医長も言ってくださったようで、それが後押しになったのかなと思いますね。

森田優子さん

森田さんご自身も、ファシリティドッグ導入のために病院側を説得されたりしたんでしょうか。

森田 もちろん他の先生方や看護師さんたちと一緒にフロントに立ってお話はしたのですが、説得みたいなことはあんまり積極的にしていないかもしれません。

というのも導入が本決まりになる前、お試し期間として1週間ほどベイリーと病棟内を回る機会があったのですが、その短い期間のうちに、ずっと起き上がれずに寝たきりだった患者さんが、「ベイリーが見たい」と起き上がれるようになったことがあって。

短期間でそんなことが……!

森田 実際に導入されてからも、採血のたびにパニックになっていた子どもが、ベイリーが横にいることで泣かずに採血を受けるようになったり、手術を怖がっていた子どもが「ベイリーがついていたら大丈夫」と言ってくれるようになったり、本当にさまざまな変化があったんです。

ファシリティドッグ・アニー

そのうち、他の病棟の子どもや親御さんたちから「どうしてこっちの病棟には来てくれないんですか」と言っていただけるようにもなり、次第に入れる病棟の数が増えていきました。だから私が説得したわけではなくて、ベイリー自身の力と患者さんたちの声のおかげで、自然と広まったというのが正しいと思います。

子どもたちにとっての「病院」のイメージを変えられる仕事

お話を伺っていると、森田さんがファシリティドッグ・ハンドラーというお仕事を誇りに思われているのが伝わってきます。これまでを振り返ってみて、ハンドラーになって良かったと強く感じるのはどういったときですか?

森田 やっぱり、患者さんたちから「ベイリー、アニーがいたから頑張れたよ」と言葉をかけてもらえるときです。中には「アニーに会いたいからまた入院したい」なんて言う子までいたりして、それって普通はありえないことじゃないですか?

入院したい子どもなんて本当はいないはずなのに、病院にアニーやベイリーがいることでそう思ってもらえる。子どもたちにとっての「病院」という場所のイメージを変えられるって、すごい仕事だなと思います。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

看護師とファシリティドッグ・ハンドラーという二つの立場を経て、今後についての展望などはありますか?

森田 ベイリーやアニーと病棟を回っていると、患者さんやご家族の本音に触れることが少なくないんです。例えば、「本当は治療のこの部分が不安」「もう少し主治医の言葉が聞きたい」など、ファシリティドッグを介すことで、直接言いづらいことも言葉にしてくれる。実際に、ハンドラーの私にいただいた悩みがきっかけでカンファレンスが開かれたこともありました。

だから、そういった声をすくいとり、先生や看護師へと橋渡ししていくこともハンドラーとしてより意識的に行えたらと思っています。

森田さんのように「前例のない仕事」にチャレンジしたくても、キャリアチェンジにちゅうちょしてしまっている方は多いと思います。最後に、そういった方に対して森田さん流のメッセージがあったらお聞きしたいです。

森田 私はハンドラーになって、最初は日本に具体的な仕事の相談をできる相手は一人もいませんでした。だから、「この治療のときはその場にいた方がいい」とか、逆に「手術室の中までは入らない方がいい」とか、本当に手探りの日々だったなと思います。でも、そうやって試行錯誤していくうちに、少しずつ味方が増えて、今ではみんながベイリーやアニーのことを仕事仲間として歓迎してくれています。

だから私は自分の信じられる道が見つかったなら、とりあえずやってみてもいいんじゃないかなと。前例がないことは、やってみないことには何も分かりませんし、その先で真摯に仕事と向き合っていれば、きっと助けてくれる人が出てくると思います。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー
取材・文/生湯葉シホ
撮影/小野奈那子
編集/はてな編集部

お話を伺った方:森田優子

森田優子さん

静岡県函南町生まれ。静岡県立大学看護学部看護学科卒業。小児科の看護師として国立成育医療研究センター勤務を経て、2009年に認定特定非営利活動法人シャイン・オン・キッズに就職。2010年より静岡県立こども病院で、日本初のファシリティドッグ・ハンドラーとして活動開始。2012年より神奈川県立こども医療センターで活動中。
Web:NPO法人シャイン・オン・キッズ

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