インドの国技でもあるカバディは、紀元前の時代の武器を持たずに獣を捉える技術が元になったと言われるコンタクトスポーツ。「鬼ごっことレスリング、それにドッヂボールが混ざったような競技」と形容されることもあります。競技中に「カバディ、カバディ」と言い続けるという独特なルールをご存じの方もいるかもしれません。
今回は、カバディ日本代表として活躍する傍ら、幼い頃からの夢だった保育士としても働く緑川千春さんにインタビュー。高校3年生のときにカバディを始め、一気に才能を開花させた緑川さんは、18歳のときに最年少で日本代表強化指定選手に選ばれました。カバディとの出会いから、「好きだから続けられる」という保育士とカバディの両立について伺いました。
誘われて始めたカバディ、そして誰もいなくなった
緑川千春(以下:緑川) 高校1年生のときの担任の先生が、強豪として知られている大正大学のカバディ部出身だったんです。あるとき「先生は大学でカバディをやっていたんだ」と話をされて、最初は正直「何それ?」と馬鹿にするような気持ちもありながら聞いていました(笑)。
転機は高3のとき。その先生のつながりで学校の体育館をカバディ日本代表の練習場として提供することになったんです。当時、私はバドミントン部に所属していたので隣で練習していたんですけど、想像していたよりも全然激しいスポーツで、面白そうだなと。
緑川 同級生の何人かがカバディに興味を持ったみたいで、高3の夏にサークルを立ち上げたんです。でも6人しか集まらず、試合に出るには7人必要なので「緑川を誘おう」と。私は体力測定で学年上位を取っていたので、カバディもイケるのではと思ったみたいです。
それでバドミントン部を引退したあと、ルールも何も分からない状態のまま、とりあえずサークルに参加してみることにしました。
緑川 すぐにハマりましたね。カバディはレイド(攻め)とアンティ(守り)を交互に行うスポーツで、攻めのときはレイダーと呼ばれる攻撃役の一人が、相手の陣地で敵の身体に触れて、そのまま自陣に戻れば得点になるんですが、実はこの切り返しの動きがバドミントンとかなり似ている。だから、始めてすぐに「この競技めっちゃ楽しい、私向いてるかも」と思いました(笑)。
緑川 そうなんです。でも私が夢中になる一方、他の子たちは初めて出場した秋の大会に出たあと「カバディはもういい」と(笑)。誘われて入ったはずなのに、急に一人ぼっちになりました。担任の先生に相談したところ、年上の人たち中心の学外のチームを紹介してもらえることに。そこで試合に出ているうちに、日本代表強化指定選手に選ばれたという感じです。
「好き」を続けられる職場はどこだ
緑川 幼い頃から大好きな幼稚園の先生がいて、その先生みたいになりたいとずっと思っていました。あと年の離れた弟のお世話をするのが好きだったというのもあり、自然と保育が学べる学校に行くということは考えていました。でも思いがけず進学直前にカバディにのめり込むようになり、結果的にスポーツと保育の両方を学べる専門学校を選びましたね。
緑川 全く考えませんでした。むしろ、就活のときにはカバディ一本でいこうと考えた時期もあったぐらいです。でもカバディで収入を得ることは難しいですし、何かしら生活費を稼ぐための仕事が必要になる。けっきょく小さい頃からの夢である保育士と両立できる道を模索して、今に至っています。
緑川 正直、難しさはありました。就職説明会のときに、「カバディの試合や遠征があるときは、長期でお休みをいただく可能性があります」と伝えると、それだけで厳しいと言われてしまうこともありました。
ただ自分を曲げたくはなかったので、スタンスは崩さないで仕事を探していたところ、今の保育園を紹介していただいたんです。面接では、「今はカバディ最優先でやっていきたい」と気持ちを包み隠さずお伝えして、最終的に現在の週5日・8時間勤務が可能な正社員に近いパートという形で、契約していただきました。
緑川 それはなかったです。実家に住まわせてもらっているからこそかもしれませんが、親にも2022年のアジア競技大会までは正社員にならないと伝えていますし、親も「保育士の資格を取っておけば、いつでも戻れるから、今は協力するよ」と応援してくれています。
日本代表の重圧にカバディから逃げ出したことも
緑川 うーん、どちらも自分が「好き」でやっていることなので、そこまで大変さは感じなかったかもしれません。ただ練習があり残業ができないので、最初は周りのみんなに負担をかけてしまうのではないか、と申し訳なさはありました。あとシンプルに体力的にしんどいなあ、と感じることはありますよ。保育士さんの仕事ってスポーツ並みの肉体労働なので、練習に行くときは既にヘトヘトだったり(笑)。
緑川 基本的に平日は朝8時から17時まで保育園で働いて、18時から21時までは体育館でみっちり練習。それから帰宅してご飯を食べて、お風呂に入って寝ます。
緑川 一度だけあります。2018年のアジア競技大会が終わり、尊敬している先輩方がドッと引退されたときに、自分たちだけでやっていく自信がなくなってしまったんです。そのときは、ほとんど練習に行かず、保育士の仕事だけを黙々とやっていました。
緑川 同じチームの先輩に相談したときに、「今カバディを辞めたら絶対に代表には戻ってこれない。せっかく続けてきたんだから、もうちょっと考えてみたら」と言われたんです。
それで、カバディを通して出会ったさまざまな人を思い出したんです。同じチームの選手はもちろん、スポンサー企業の社長さんや他の競技のスポーツ選手など、私がカバディをしていたからこそ広がった世界がある。保育士として仕事をしていても、カバディ選手だから興味を持ってもらえることもあります。カバディを辞めたら、そんな機会もなくなってしまうんだなぁと。だからもう少しだけ頑張ってみようと戻ることにしました。
二つあるからこそ、新鮮に取り組める
緑川 カバディと保育士、どちらもあるからこそ、私はやっていけてるんだと強く思いました。私の場合、どちらか一つだけだとうまくバランスが取れないんですよ。
保育士で嫌なことがあったら、カバディで身体を動かして発散できますし、カバディの調子が悪いときは、保育士としてかわいい子どもたちに接していると心が安らぎます。全く違う領域を行き来しているからこそ、目の前のことに新鮮に取り組めるし、精神的に健康に働けているという気がします。だから、好きなことをわがままに二つ選んでよかったなと。
緑川 日曜日は練習がないので、保育園の同僚やチームの仲間とご飯を食べに行ったり、遊びに行ったりしています。どちらも周りの人とすごく仲が良いので、両立が苦じゃないのはあると思います。
緑川 実は2022年のアジア競技大会を最後に、すっぱり引退することを決めているんです。残りの時間が決まっているからこそ、カバディにも保育士にも全力で取り組めているところはあるかもしれません。
なので、そこで良い結果を残すことが最大の目標です。そのためには個人が強くならないと戦っていけないと思うので、今は自分のスキルを上げることに必死。どちらかというと褒められて伸びるタイプなので、監督やコーチに自らがんがんアピールして自信につなげています(笑)。
緑川 カバディと保育士に全てを捧げていると思われがちですけど、しっかり考えてますよ! 少し先の話になりますが、結婚は20代後半でしたいですし、ゆくゆくは子どももほしいです。チームや園の先輩にも相談しながら、そのあたりもしっかり考えていきたいですね。
撮影/関口佳代
編集/はてな編集部
お話を伺った方:緑川千春(みどりかわ ちはる)さん