20代で抱いた人生の不安は、40代から怖くなくなった|『あした死ぬには、』作者・雁須磨子

『あした死ぬには、』第1巻

太田出版のWeb漫画サイト「Ohta Web Comic」で連載され、2019年6月に待望の第1巻が出版された『あした死ぬには、』(太田出版)が、40代女性を中心にじわじわと話題になっています。

映画宣伝会社に勤め、ハードワークをこなす42才独身の主人公、本奈多子(ほんな・さわこ)に訪れた突然の変調。病気や更年期障害、お金の不安や体力の衰え。20代、30代を必死に駆け抜けてきた多子、そして同世代の友人、知人たちは変わりゆく自分自身をどう受け入れ、生きていくのか……。そんな「40代の壁」をリアルに描き出す本作の作者・雁須磨子(かり・すまこ)さんに、40代女性の働き方や、ご自身の考え方についてお話を伺いました。

20代の頃に想像した「人生で怖いこと」は、40代になったら怖くなくなった

あした死ぬには、』の主人公・多子は、忙しい中で自身の身体や内面の変調について葛藤しています。主人公の不調も、主人公の友人で高校時代の同級生・小宮塔子(こみや・とうこ)が約20年ぶりの社会復帰に戸惑う姿も、両方「あるある」とうなずいてしまいます。

雁須磨子(以下:雁) ありがとうございます。漫画では、ストーリーも登場人物も、基本的に自分から遠く離れた距離には置かないようにしています。自分が想像できない物事は描けないんです。会社でバリバリ働く主人公の多子と、早くに結婚して既に子育てが一段落した塔子という、対照的な環境にいる二人も、どこか自分と似ているからこそ気が合っているのかもしれません。

登場人物のモデルとなった方はいらっしゃいますか?

 特定の人ではなく、取材した内容と自分が想像することを組み合わせて人物像を作っています。キャラクター設定を考えるのは非常に楽しいですね。もし私が専業主婦で、今から働きに出るとしたら、どんなことを思うのだろうって。

40代女性にとってはどちらのキャラクターも共感できると感じます。この作品を描こうと思ったきっかけを教えてください。

 私は非常に怖がりなんです。20代の頃から、割と先のこと……具体的には病気や老後のことばかり考えていたんですよ。とにかく、年を取って「死」に向かっていくことが不安で仕方なかった。先日、30代前半の頃の担当編集さんにお会いした際に、当時の私はいつも「『死ぬまでにお金がいくらかかるか』に関する漫画を描きたい」って言っていたと聞きました。

でも実際に40代に突入してみたら、当時「怖い」と考えていたことが、それほど怖くなくなっていることに気づきました。そこで気持ちが少し楽になった。20代~30代の女性が不安に思うであろうことに対し、「少し安心できるようになった状況を描けたらいいな」と考えたのが、『あした死ぬには、』が生まれたきっかけです。

もちろん、40代になって、自分でも全く予想していなかった部分でしんどさを感じることもあります。その部分も含めて40代女性の心情を描いていきたいと考えました。

漫画の中の40代女性たちが語る細々したエピソード、例えば「忙しいのに貯蓄金額が増えず、死ぬのも生きるのも怖い」「自分の年齢は“おばさん”だと分かっていたはずなのに、いざ本当に呼ばれたら傷ついてしまった」など、とてもリアルに感じます。登場人物の心情はどのように描いているのでしょう?



『あした死ぬには、』第1巻 第3話 84ページより
(C)雁須磨子/太田出版(以下同)


 割と思い付きですね。友達と会って話して、その時に思い付いて、担当の方とも話し合って、パッと描いていく。例えば1話目で、主人公の多子が、夜に突然心臓がドキドキして脈が速くなり「このまま私は死んでしまうんだ……」と恐怖におののくシーン。あれは自分の身に本当に起こったことなんです。


『あした死ぬには、』第1巻 第1話 24ページ『あした死ぬには、』第1巻 第1話 25ページ
『あした死ぬには、』第1巻 第1話 24、25ページより

20代、30代で感じる不安と、40代で感じる不安とは性質が変わってきますよね。

 その時に「あ、私はいつ死んでもおかしくない」と、「死」をとても身近に感じたんですね。20代は病気と老後のことばかり考えていたと言いましたが、「死」のイメージは「あの角を曲がったらきっとトラックにはねられて死ぬんだ」という妄想のようなもので、現実離れしていました。40代で意識するようになった「死」はもっとリアルだった。そんな私自身の体験や心情をそのまま作品に使っています。

20代の頃は未来への選択肢が多くありますしね。また、自分の生き方の中で選択肢を1つ選ぶと、それ以外の可能性が全部なくなってしまうように感じるかもしれません。

 若い人には「リア充への道」「一人で突き進む道」……その他にもいろいろ選べる、そして捨てられる。選択肢があり過ぎて、選んではみたものの「自分にとって何が本当の正解なのか分からない」という悩みも生まれます。また、選択肢がいっぱいあるからこそ、別の選択肢を捨てるつらさはあると思います。

何かを選択する必要がある場面で悩んだことはありますか?

 自分の場合、積極的に何かを選ぶことはしていませんでした。意識的に何かを選び取ったり、目の前の選択肢から何かを外したりしたことは、あまりないんです。自然に、赴くままに行こうっていう感じで……。

そして、選んだり選べなくなったりしているうちに年月がたち、「あっ、自分の手元にはこれが残ったんだ」と気づいて(笑)。残されたものが少なくなり、選ばざるを得ない状況になっていくんです。とはいえ、その選択肢は自分と相性が良いから残ったわけなので、全く悪いことではなく、悲観することでもないのですが。

人生の選択肢が減ることで気持ちが落ち着くこともある

20代~30代と今の40代で、大きく変わったことがあれば教えてください。

 30代の頃に、漫画を描くのを辞めてもっと一般的な職に就こうかと考えたこともあります。けれど、そんなタイミングで親が事故に遭ったりしてバタバタしているうちに、その考えもいつの間にか消えていって、自分の手元に残ったのが「漫画を描くこと」だけになった。そのためか、この頃は苦痛を感じることが少なくなりました。

それは他の選択肢が減った結果でしょうか?

 体力が衰えていくという要因も大きいですね。無理がきかなくなって、かつてできていたことができなくなる。そうなると、自分がやることを絞っていかざるを得なくなってくるんです。

私はかつて、断ることが非常に苦手でした。20代~30代の頃は体力があるから、いただいたお仕事を全部受けてしまって、後で何日も徹夜が続くことになって大変なことに……という状況ばかりでした。

20代~30代では、ある程度のことは無理をすればできてしまうと考えてしまいますね。

 30代までは疲れていても無理をして突っ走れちゃったり、徹夜もできちゃったりするんです。物理的な理由がないと仕事を休めませんでしたね。

その頃は、誰にも有無を言わせず休める方法がなくて、先ほど言った「突然トラックが……」のような、自分以外の要因で事故に遭うことを願うこともありました。「事故で漫画を描く腕だけが動かなくなって、後遺症は残らない。そんな絶妙なけがの具合で動けない状態がしばらく続いて、みんながあきらめた頃に完治して、復帰できたらいいな」って。

会社にお勤めの方なら、「深夜に、誰もけがすることなく、会社と書類とパソコンだけが燃えてしまえばいいな」……というような都合の良い妄想をしてしまいそうです。

 本当にそういう感じですね。

どのようにして断る力を身に付けたのですか?

 今では、体が勝手にシャットダウンしてしまいます。40代になったら体力が落ちて、仕事を全部受けるという無茶ができなくなりました。そういう状態になってようやく「できないことをできないと言えるようになった」んです。断る力を身に付けることができてからは、精神的には非常にラクになれました。

誰かに相談したりはしなかったのでしょうか。

 ある日、自分の働き方について考えて、「私のような苦行は誰もやってない」と気が付いたんです。それで、同業者はどんな働き方をしているんだろうと思って、いろいろ見回してみたのですが、残念なことにロールモデルがいませんでした。

会社に勤めている方であれば、スマートな有給休暇の取り方、角の立たない仕事の断り方などを、同僚や先輩の立ち居振る舞いを見ながら学べる場合もありますよね。けれど、私はずっと一人でやってきたから、すぐには分からないんです。



『あした死ぬには、』第1巻 第3話 94ページより


そういった場面で、どう対処することが多いですか? まさに同じ状況にあった登場人物の塔子は、20年以上会っていない主人公の多子に手紙を書くという選択をしました。

 私は、近い友人へ即座に連絡しています。外付けハードディスクぐらいの速さで(笑)。

そんなに速く!? 手紙以上のスピードですね。

 「早く共有しないと!」「自分とハードディスクを同期しないと!」という勢いで連絡します。そういう時はまず、解決方法を求める前に、自分の状態の報告から始めます。「今、自分はモヤモヤしていてよいのか?」という根本から。よく相談する友人にはたいてい「どっちでもいいんじゃない」と言われますが。でも、そういう即レスを含め、他の方からのアドバイスは大事に聞いています。

「生き方のシフトダウン」がうまくできるように伝えていきたい

多子の同僚は個性的なキャラクターばかりですが、特に後輩で根回しの上手な三月(みつき)はいいですね。先輩の多子の言動を上手にコントロールしています。多子も、かつては三月のような元気な20代だったのかな、と思います。

 そして、多子は20代の働き方のまま40代に突入し、自分自身にくじかれていく……。その部分を丁寧に描きたいなと思っています。ずっと同じ働き方を続けていくことは難しい、でもつらくなった時期でも状況に応じて自分がラクになる働き方は必ずあるということを伝えたいです。

働き方を変える必要性について、30代の早いうちに気づいてゆるやかに変化できている人もいれば、主人公の多子のようにうすうす気づいていながら、ギリギリまで変えられずにいて、ある日ポキっと折れてしまう人もいますね。



『あした死ぬには、』第1巻 第4話 105ページより


 計画的にシフトする人も多いですよね。主人公はちょっと頑張り過ぎちゃっていて、この間まで頑張れていたのに、ある日突然頑張れなくなってしまい、そんな自分が情けなくて余計落ち込んでしまう……。

そして、ふと周囲を見回してみると、他の人は自分なりの働き方を徐々に考えていたことにようやく気づくわけですね。

 そういう状況を想像すると、自分だったら本気で泣いちゃうと思います……。でも、そこで思い切り泣いて吹っ切っておかないと、後々まで引きずっちゃいますしね。

結婚や出産など人生が変わる大きなイベントを体験したり、大きなアクシデントが若いうちに起きたりすると、頑張り過ぎちゃう人でも「変える必要がある」ことに気づけるんですよ。

でも、割と健康な体で、仕事にやりがいがあって、毎日が楽しくって、特にライフスタイルを変えるような出来事もなくて……という状態が40代まで続いてしまうと、自身の不調に気づくことができない。だからいきなりのシフトダウンができなくて、突然「大変なことが起きた」状態になってしまいますよね。

20代や30代の人から見ると、多子のような働き方はどう感じられるのでしょう。

 20代~30代の人たちと話していると、人生に対する考え方が40代とは全然違うと感じることがあります。彼女たちは自分たちより上の世代のしんどさを、SNSやWebなどを通じて見てしまっているんですね。「このような働き方を続けるとあのような困難に突き当たる」という事例がたくさんある状況下で、実際に体験しないうちから危機感を持っていると思います。

確かに目にする情報が多過ぎて、当の40代が体験する以上に大変だと思われているかもしれません。

 それでも、「ラクになることも多いんですよ」と言いたいです。

自分たちの頃の20代~30代はSNSが今ほど普及していなくて、手探り状態で自分の人生を歩いてきた。だから、「40代になった時の自分」として思い描く像がぼんやりとしていたんですよね。

今の20代~30代の方々は、ある程度シミュレーションする材料があって、どんな人生になるか大方の予測が立っている。とても堅実な方法ですが、それはそれで結構しんどいんじゃないかなと思います。「一回失敗してしまったら人生終わり」と思ってしまっている方も多いかもしれない。「実はそんなことでもないんだよ」ということを伝えていきたいですね。

これから漫画の登場人物たちが何に悩み、どう解決していくのか、展開が楽しみです。

 これからも多子・塔子の2人の歩みに寄り添っていければいいなと思っています。『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)というバラエティー番組がありますよね。あの番組に「しくじった人」として出演する「講師」の方たちの中には、しくじってもやり直せると言ってくれる方もいます。『あした死ぬには、』の読者の方にも、20代、30代、40代の皆さんにも、「何度でも人生やり直せる」と思ってもらえるといいなと思います。

取材・文/浦島茂世
編集/はてな編集部

お話を伺った方:雁 須磨子(かり すまこ)さん

雁須磨子さん

福岡県出身。1994年に『SWAYIN' IN THE AIR』(「蘭丸」/太田出版)にてデビュー。BLから青年誌、女性誌まで幅広く活躍。2006年に『ファミリーレストラン』(太田出版)が映像化。『幾百星霜』(太田出版)、『どいつもこいつも』(白泉社)、『つなぐと星座になるように』『感覚・ソーダファウンテン』(講談社)、『胸にとげさすことばかり』(大洋図書)など、著書多数。最新作に『うそつきあくま』(祥伝社)。

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