私にとって銭湯は、自分のための時間を作り心身を満たす場所(文・はせおやさい)

 はせおやさい

※本記事は2020年3月初旬に企画し、原稿は緊急事態宣言が発出される前に書かれた内容です。日々刻々と変わる状況ではありますが、この事態が終息した際、銭湯という場所を訪れていただきたいという思いから、本文については執筆時の内容をそのまま掲載しております(編集部)



銭湯にハマって10年以上になるというブロガーのはせおやさいさんに、銭湯の魅力を紹介いただきました。

「お風呂に入る」以外にもさまざまなよさがあるという銭湯での時間の過ごし方。毎日慌ただしく過ごす中で、ほっとひといきつける時間を持つことで、心穏やかに過ごすひとときにもなっているのだそう。

今回は、はせさんの銭湯への想いほか、銭湯初心者が押さえておくといい「銭湯を利用するときの手順」と、都内で利用しやすい銭湯を紹介いただいています。

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(はせ おやさいさんによる追記)新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、銭湯も公衆浴場という位置づけから休業要請の対象になっていないとはいえ、自主休業を行う場所も出ています。

銭湯とその文化に愛着を持つ身として非常に心苦しく、悩ましい状況ではありますが、この状況が終息を見せたとき、読んでくださった方が「そういえば……」と思い出し、生活の楽しみのひとつとして銭湯を選んでくれたら、と思います。

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大きなお風呂に入る、ただそれだけの魅力

銭湯に通い始めて10年が過ぎた。家にお風呂はあるけれど、それでも銭湯に通ってしまうのには、いくつかの理由がある。

まず広い湯船。熱いお湯でたっぷりと満たされた湯船へ贅沢に体をひたす瞬間は、何ものにも代えがたい気持ちの良さがある。

そして天井の高さ。湯船につかって顔を上げると、高い天井の先に、湯気抜きのための小さい窓が見える。見上げたときの開放感は、自宅のお風呂ではなかなか味わえないものだ。

さらに掃除不要の手軽さ。自宅でお風呂に入ろうとすると、掃除やメンテナンス、準備の時間が必要だ。特に冬場は寒い脱衣所や冷たい浴室の床に体を縮こまらせなければいけないが、銭湯にはそれがない。暖房が効いた脱衣所で服を脱いだら、何も考えずにそのままシャワーを浴びられる気楽さ。

独身時代は毎週日曜日の夜には銭湯、と決めていた。これといった予定がない日は昼からスポーツジムに通い、汗をかいたジャージのまま銭湯に向かってお風呂に入る。お湯でのんびり体をほぐしたあとは持ってきた新しい服に着替えて、夕方の風に当たりながら家まで帰る。なにげないルーチンではあるけれど、平日は仕事や他人に振り回されている自分が、自分のために時間を使い、好きなように過ごせるという意味でとても豊かな時間だった。体をメンテナンスできているという実感は、精神の安定にもつながっていたのではないだろうか、とも思う。

さて、思いつくまま書いてみただけでもこれだけの魅力がある銭湯だけれど、ただ「お風呂に入る」以外の良さもたくさんあるのをご存じだろうか。

自分の体や体調とじっくり向き合える時間

銭湯の魅力の一つは、さまざまな種類のお湯と、水風呂やジェットバスなどの設備だ。たっぷりの熱いお湯で体を温め、水風呂で体を引き締める「交互温浴」は、自律神経のバランスを整える効果が期待されている。水風呂が苦手な人はたっぷりのお湯につかるだけでも、しっかり体を温めることができるだろう。

さらに、そういった銭湯本来の効果以外にも魅力なのは「スマホが持ち込めない」という点ではないかと思う。

スマホを持っているとつい情報収集をしてしまったり、なんとなくSNSを眺めて精神がざわついたりしてしまう経験は誰にでもあるように思うのだけど、銭湯では強制的にそれができない。脱衣所では脱いだ服と一緒にスマホをロッカーへしまい、鍵をかけてしまう。体一つで浴室に入ると、そこはただ「体をリラックスさせる」ための場として機能してくるのだ。

個人的にはこれがとても大きな魅力の一つで、同時に最初は戸惑ったことの一つでもあった。お風呂に入ると、気持ちがいい! この気持をシェアしたい! という感情が湧いたりする。他にもぼーっとあれこれ考えていると、あれ? これって何だっけ? ググりたい! という衝動に気付いたり。手元にスマホがないと、自分が思っている以上にスマホに依存していたことに気付く。

それが全て悪いわけでもないけれど、疲れる原因にもなって体には良くなさそうだし、何か思いついたときすぐインターネットに接続するのではなく、じっと自分の中で思考を巡らせたりする時間もあったっていいじゃないか、と思う。

短くても20〜30分、デジタルから切り離され、ただ体を洗い、湯船につかるというアナログな作業をしていると、過剰に摂取していた情報から切り離されて、ただシンプルに自分の体や体調と向き合える気がしている。最近太ったな、とか、肩こりがなかなか治らないなといったような、小さい体のサインを見逃しにくくなるのだ。

「個」から「地域」への接続点

そんなふうに銭湯を楽しんでいたので、引っ越しのたびになじみの銭湯を作るようにしていた。もちろん「こんにちは」と自己紹介をして仲良くなるわけではないけれど、毎週毎週通っていると、お互いにおのずと「あれ、この人……」という感じになってくる。特に番台(受付)さんは気付いてくれるのが早い。

「今日は冷え込みますね」「外はずいぶん風が強いみたいで」など軽い雑談を交わして、ああこの人はこんな声をしてこんな話し方をするのだなあ、と思うだけでも「知らない人」から「知ってる人」へスタンスが変わる。脱衣所でもなんとなく声をかけたりかけられたりして、話の流れから近所のおすすめの内科を教えてもらったことがあり、引っ越してきたばかりだった自分にはとてもありがたかった。

とはいえ、子供が生まれてから銭湯通いがなかなかできなくなって寂しいなと思っていたところ、ひょんなことからご縁がつながり、現在、高円寺の『小杉湯』という銭湯で月に1回『パパママ銭湯』というイベントをやらせてもらっている。

これは月に1回、毎月第3日曜日の営業時間内にボランティアスタッフが脱衣所に待機し、子連れのパパママの入浴をサポートしますよ、という企画なのだけれど、ありがたいことに遠方から来てくださる参加者も少なくない。

最初はお母さんと一緒に入らないと嫌だと泣いていた子供が、最後は一人で浴室探検をして地域の人に声をかけられたりしているのを見ると、とても心が温まる。場所に緊張して泣く子供を抱きかかえたお母さんに、地域のマダムが「赤ちゃんは泣くのが仕事だから、気にしなくていいのよ」と声をかけてくださったり、「うちの子も20年前はこうだったのよ〜」とお話ししてくださったり、子供を持つ親としても泣ける場面が多い。人は風呂上がり、なんとなく他人にも優しくなれるのかもしれないなと思う

そういうふうに、「地域のつながり」への入り口としても機能していると思うと、銭湯にはさまざまな側面があり、非常に興味深いなと思う。

覚えておきたい、銭湯の入り方の流れ

さて、ここまでわたしが感じた銭湯の魅力を書き連ねてきたけれど、いざ銭湯へ、と思ったときに、覚えておくと良い「手順」のようなものがある。

難しくはないのだけれど、「お風呂をみんなでシェアする」という場所ならではの、お互いへの気遣いのようなものだ。銭湯によってはローカルルールもあって面食らうこともあるけれど、そこは鷹揚(おうよう)に構えて受け入れていけると良いと思う。

◯湯船に入る前には「かけ湯」をするか、体を洗おう
湯船はみんなで使うものだから、汚れを落とした状態で入りたい。また熱いお湯にいきなり入る前に体をお湯に慣らしておく意味でも、髪や体を先に洗うのをおすすめしたい。

また、浴室に入ったら桶と椅子を持って空いているカランを探して着席するが、用が済んだら桶と椅子を片付けておくのも、後から来る人への気遣いとして覚えておきたい。

◯長い髪の毛はお湯につからないよう、まとめて入ろう
これも前述の通り、みんなの湯船だから、気持ちよく使いたい。髪の毛が長い人はだらりと垂らしてしまわないよう、結んで入るのが良いと思う。洗ってあって清潔な髪の毛でも、湯船に誰かの髪の毛が浮いているのは気持ちがいいものではないから、一緒に使う相手への気遣いとして。銭湯によっては、番台でヘアゴムを借りられたり買えたりもする。フェイスタオルで髪の毛をまとめておくのも良いと思う。

◯脱衣所に上がる前には体を拭き、水気を切ろう
濡れたタオルでも、よく絞れば体を拭くことができる。一番手軽なのは手ぬぐいを持ち込んで、体を洗うのも髪をまとめるのも、最後に体の水気を拭くのも手ぬぐい1枚で済ませてしまうことだ。フェイスタオルでも十分だと思う。脱衣所に上がる前、足の裏までしっかり拭いて、床を濡らさないように気をつけたい。床が濡れていると転んだりして危ないので、特にしっかりと。

生活に「ちょっとしたお楽しみ」を

毎日は忙しい。

日々の仕事や雑事であっという間に時間が過ぎるし、睡眠時間を確保するなら、のんびりお風呂につかるよりシャワーで手軽に済ませた方が圧倒的に早いのも分かる。普段の生活ならそれで十分かもしれないけれど、ただ生きるためだけに生活をしているわけでもない

日々にちょっとしたお楽しみを見つけたり、工夫を楽しんだり。忙しい生活の中で、自分のためだけに時間を使うことがあってもいい。そういう時間を持てること、持とうとすることが、「時間を豊かに使う」ということなのかもしれない、と最近は思う。

そういう「毎日を楽しく生きるコツ」のようなものが、「あと少しだけ生き延びるため」の勇気をくれるのではないかと思うのだ。

はせさんがおすすめする都内の銭湯3つ

■小杉湯(高円寺)

昭和8年創業。清潔さと、豪華すぎるほど行き届いたアメニティーが魅力。特に女性は化粧水から乳液まで準備があり、メイク台まであるので気軽に行けるのではないだろうか。JR高円寺駅から徒歩5分。2020年の春には『小杉湯となり』という複合施設も隣接してオープンしたので、お風呂上がりに寄るのも楽しい。

▶ 小杉湯のサイト

■清水湯(南青山)

こんなところにあったんだ…と思わず言ってしまう、表参道駅からほど近くにある「清水湯」。高濃度炭酸泉やシルク風呂など、お肌に優しいとされるお湯があるのもうれしい。また売店が充実しており、洗顔料や化粧水のパウチが販売されているので、荷物少なく足を運べるのが良い。風呂上がりのビールも楽しめる。

▶ 清水湯のサイト

■蒲田温泉(蒲田)

昔ながらのレトロな建物が魅力で、天然温泉に入れる銭湯。黒褐色のお湯が特徴で、肌はツルツル、体はポカポカに。シャンプーなどのアメニティー販売だけでなくオリジナルグッズの販売もあるので要チェック。

▶ 蒲田温泉のサイト

※施設の営業状況については、各公式サイトよりご確認ください

著者:はせおやさい

はせおやさい

会社員兼ブロガー。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログに綴っています。

ブログ:インターネットの備忘録

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編集/はてな編集部

写真協力/小杉湯

ブランク約8年。専業主婦を経て再び外で働き始めた私が、不安を乗り越え手にしたもの

イラストと文 スミカ

スミカさんアイキャッチ用イラスト

さまざまな理由で、一度仕事を「辞める」選択をした人は少なくないはず。また働きたい、と思ったときブランクが長かったり、環境によっては「大丈夫だろうか」と迷いが生じたりすることも。

東海地方在住のブロガー・スミカさんも、多忙を極める日々で家庭との両立に悩み、一度会社を辞める決断をしました。それから約8年振りに、デザイナーとして現在の会社にパート勤務として復職したというスミカさん。時折在宅でできるイラストの依頼を個人で引き受けていたものの「ほぼ専業主婦だったから不安だった」のだそう。どのようにして復職を進めていったのか、実際に仕事を再開して感じたことなどをつづっていただいています。

***

働き続けることって、難しい

「人を動かす広告を作るぞ!」と大きな野望を胸に、新卒でグラフィックデザイナーとしてデザイン事務所に就職した私。

多くの人が「知ってる!」と答えるようなクライアントとの仕事や、自分が携わった制作物を日常生活で見かけたときの喜び、優しく楽しい同僚に囲まれた毎日は、忙しかったけれど充実していました。そして25歳のとき、同じ会社の別部署の人と結婚。

結婚生活がスタートしたものの、夫も同様に忙しかったため、徹夜・深夜帰宅・休日出勤が続きすれ違いの日々。そのため、共働きの基盤をまったく築けず、家事に関しては「気になる方がやる」という流れに。夫が家事に関してほぼ無頓着だったこともあり、お互い忙しいということは理解しつつも、私の負担が増えていく形となっていきました。

そんな家庭内の家事分担に悩み始めた頃、立て続けに同僚が退職し、引き継ぎやら何やらで忙しさが加速。うまくまわせない仕事、なくなる自信、家に帰っても負担ばかりで安らげない……。正直、とても疲れていました。

「子どものことを考えたいけれど、とてもそんな状況じゃない」というのが、結婚して1年たった当時の素直な心境です。悩んだ末、デザイン事務所を退職する選択をしました。

退職後は少しだけ別の仕事に就き、長男の妊娠をきっかけに専業主婦になりました。子どもが生まれたら「一緒に子育て」を望んでいた私に対し、夫は「大黒柱として仕事を頑張る」というスタンス。「また外で働きたい」という思いを持っていましたが、夫の仕事状況なども考えると、現実的にはなかなか難しかったです。彼が頑張れば頑張るほど、私の孤立育児が加速する……そんな不安を感じていました。

ただこの頃、かつての職場からイラストの依頼を不定期で請けられたのは本当にありがたかったです。自宅保育をしながら、たまにではありますが「外とのつながり」を持てたことで、なんとか気持ちを保っていました。

在宅ワークのために一時保育を利用。肩の荷がふっと下りた

長男が幼稚園に入園する頃、次男を妊娠。次男出産後は、個人向けにブログのデザインやイラスト制作を在宅でするようになりました。

きっかけは、妊娠期の体験をシェアするために始めたブログです。さまざまなブログを見ていたとき、偶然にも「ブログパーツのデザイン」を在宅ワークで行う人がいることを知り、私も仕事としてできるかも! と感じました。

しかしこのとき、デザイン事務所を退職し約6年。デザイナーとしての経験値やブランクのことを考えるとなかなか一歩を踏み出せない……。そんな思いをブログで書いたら、育児ブログつながりで仲良くなった方が仕事を依頼してくれたんです。

この依頼がきっかけとなり、別の知り合いや、それまでつながりのなかった方のイラスト依頼も増えていきました。

依頼が増え嬉しい一方で、まだ小さい次男を見ながらの在宅ワークは作業時間の確保が難しく、限界を感じはじめていました。そこで、日中の作業時間を確保するために、一時保育*1の利用を始めました。

作業時間を確保するために利用を開始したけど、「自分の時間を持てた」ことが、本当に心が軽くなる経験でした。ずっとほぼ一人で自宅保育をしていたため、家族じゃない誰かがこの子の行動や成長を見守ってくれている「育児の共有者」ができたというのがすごく心強く感じたんです。謎の孤独感に襲われていたけれど、肩の荷が下りたような感覚がありました。

手続きの大変さや、何より地域によっては予約自体が大変、ということはもちろんあると思います。でも、もし可能なら是非利用してみてほしいな、と感じます(特にさまざまな事情で家事育児を一手に担っている方!)。

そして、家では私にべったりで甘えたがりの次男が、預け先の保育園では小さい子のお世話をし、お友達とワーワー遊んでいるという家とは違う一面があることも知れました。1対1の育児では甘えん坊でわがままな印象が強かった子の違う面を知ることで、家でべったりのときも「今は甘えてる時間なんだな」と大らかに育児に向き合えるようになったような気がします。

理想の仕事を見つけ「外で働く」ことを決意

2019年、長男は小学生に進学し、次男は3歳に。ここで、次男の就園問題に直面します。長男が通った幼稚園は長期休暇中の保育体制がなかったため、在宅ワークを続けるにしても、長期休暇の度に手が止まるのは自分の現状からすると不安でした。今後外で働くにしても、保育園を目指したい。

変わらず激務の夫と、未就園児含む幼い子どもがいて、かつデザイン事務所を辞めてからのブランクがこのとき約8年。正直、いきなりフルタイムでの復帰は難しい。私は外で働く? 働ける? ……と、迷いっぱなしでした。

そんなある日、求人サイトを見ていたら、私の住む地域ではなかなか見かけないデザイナー職のパート求人を発見。とある店舗のオンラインスタッフの募集でした。

働くだけだったら選択肢はたくさんある。でも、できることなら自分の好きに根付いた仕事がしたい。なかなか先行きが見えなかった自分の人生に道が見えた気がして、その晩、すぐにエントリーシートを送りました。

同じ時期、かねてから予約していた、育児や介護で離職してしまった女性の再就職を後押しする就労相談員との面談を受けました(ハローワークや女性の就労を支援してくれるところで開催されていると思います。個人面談以外にイベント内でのプチ相談会などもあります)。

就労相談員さんと相談している様子

どんな仕事があるのか、どんな働き方があるのか、この精神状態(実はパニック障害回復期でもありました)で働くことができるのか……などの質問とともに履歴書と職務経歴書を持参したところ、的確に修正箇所のアドバイスをもらうことができました。

また、次男の妊娠中に乗り物に全く乗れなくなってしまったため、面接に向けて電車に乗る練習を何度もしました。無理だと思っていたものができるようになって少しずつ不安が和らいでいき、自信にもつながりました。

緊張して挑んだ面接は同世代と思える女性の社長が対応してくれました。これまでのこと、これからのこと、子どものことなど諸々話をしたら「女性はどうしてもライフステージで働き方が変わってしまうものよね」と言ってくださり、「保育園が決まるまでは一時保育の予約がとれた日だけの出勤」というわがままな条件の私を採用してくれました。

ここで印象的だったのが、「ブログも書かれていますし、SNSにも興味があっていいですね。なにより書類が読みやすかったです」という言葉。ブログを書き続けていたことが自分の身になっていた、この数年が無駄じゃなかったと救われました。好きでやっていたことだけど、それが何かにつながるんだ、と感動すら覚えました。

採用が決まったことで、翌年に控えていた次男の就園については、保育園を目指し申し込みをしました(無事入園も決まりました!)。

好きなことへの探求は楽しい。働きはじめてからのこと

外で働き始めてからの日々はかつての自分がやってきた経験が生かせたり、今まで興味はあったけど挑戦できていなかったことが経験できたりの連続でとても充実しています。個人として受けられる評価、自分の成果が出せるのもうれしかった。もっともっと知識をつけ、ものにしたい!という気持ちになっています。

とはいえ、デザイン事務所で働いていた頃からソフトも進化し過ぎていて、最初はなかなか慣れず、とにかく作業に時間がかかりました。学ぶべき課題は山積みです。

正直、今は会社にどれくらい貢献できているかは分かりません。ただ、いつかはこの作業は私に勝る人はいない! と言えるくらいのポジションにつきたい(という野望だけは持っています)。

家族とのひとこま

私が通勤を始めたことで夫目線でもオンオフがきっちり見えてきたのか、協力要請がしやすくなりました。これは我が家にとってかなりのイノベーション! 夫はほぼ休みなく仕事の毎日だけど、朝は少しだけ時間に余裕があるので、可能な時は子どもたちの準備などをお願いできるようになりました。

正直、私たちは今まで「できないことは押し付けあう」みたいな感じでなんとかやりこなしてきた夫婦。ここに来てやっと共通の課題である「育児」において互いに不足を補って協力し合うことができてきたかな……と思っています。生活基盤というレベルで言うとまだまだといった感じですが、やっと「家族」らしくなってきたな、と感じています。

先の見えない不安から卒業するために、決断する

2020年度からは次男が保育園の年少クラスに入り、今はパートと在宅業務(個人事業)を自分なりにバランスをとり、相互でいい仕事を与えながら取り組めているのかな、と思います。

私は長い年月を経て土壌を整え、再び外で働くことを選びました。職歴にブランクがある場合、いざ復帰しようと思っても、大丈夫かな……と不安になる方は少なくないと思います。私もそうでした。

でも、「この先どうしよう?」という状態をずっと繰り返すことへの不安があったんだと思います。そして私は不安耐性が限りなくゼロ。未来の自分の不安を取り除くためにも、このタイミングで「外で働こう!」と決断したことは間違っていなかったと思います。

ただ、まだまだどうにもこうにも負担が大きい。それまでも不定期に在宅での仕事をしていたものの、がっつりと毎日のスケジュールとして仕事がある生活は、子どもを持ってからは初めての経験です。お互いの状況をもっと夫婦でシェアし、さらに子どもたちとも協力してやっていけたらいいな、と思います。

著者:スミカ

スミカ

7歳と3歳の男児を週6.5日ワンオペ育児中。荒れた部屋と上手く回せぬ家事育児に翻弄されながら、在宅でイラストの仕事をしています。昨年末から小売店のEC部門でパートデザイナーとして働き出した新米ワーキングマザー

※お子さんの年齢などは、2020年3月時点のものです

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*1:一時預かりとも言われる。保育所等を利用していない家庭においても、保育所、幼稚園、認定こども園等で一時的に乳幼児を受け入れる事業のこと。条件や利用にあたっては各自治体で異なる

ハードル上げ過ぎてない? 気負わなくていい「自炊」の考え方

 山口祐加

ある日の山口さんの一汁一菜

こんにちは、山口祐加です。SNSで日々の自炊を記録した「#今日の一汁一菜」や、常備食材に旬の食材や定番食材を5つほど買い足して、週3日の自炊で使い切るレシピ「#週3レシピ」などの情報を発信したり、料理初心者に向けた自炊レッスンを開催したりしています。

私が料理を始めたのは7歳の頃。母に「ゆかちゃん、料理してみたら?」と言われたのがきっかけです。ごはんは作ることが楽しい上に、お腹も満たされる。食いしん坊の私はどんどん料理が好きになり、高校生になる頃には友人を招いてご飯を作る……なんてこともしていました。外食も大好きですが、家で作るごはんは、やっぱりホッとします。


さて、これからのシーズン新生活がスタートする方や、新年度から気持ちも新たにがんばろう! と意気込む方も多いと思います。ただ、この時期よく耳にするのが「自炊を始めたいけれど、一人分つくるのは面倒でコスパが悪い」「仕事が忙しく、帰って料理を作る気が起きない」といった声。

自分の好きなものを自分の好きな味付けで食べられる自炊は、本来楽しい時間であるはずなのに、がんばりすぎて逆に疲れてしまっている人は少なくないように感じています。

それって、すごくもったいないな、と私は思います。

そこで今回は、料理の経験が少なくても、時間がなかなかとれない人にもきっと実践できる「疲弊しない自炊の考え方」について、ご紹介します。

(1)自炊は一汁一菜でOK! いろいろなバリエーションがあってもいい

「一汁三菜」という言葉を聞いたことのある方は多いと思います。ご飯と汁物、さらにおかずを三品組み合わせた献立のことで、和食の基本と言われていますが、仕事から帰ってきてたくさんのおかずを用意するのは大変ですよね。

そこで私は、「一汁一菜」をオススメしています。ごはんを中心に汁物1品、おかず1品を組み合わせた食事スタイルのことを指しますが、料理研究家・土井善晴先生の著書『一汁一菜でいいという提案』(グラフィック社)では、味噌汁を具だくさんにすれば、それだけで十分におかずを兼ねる、という提案もされています。

私の場合も、「#今日の一汁一菜」というハッシュタグで自炊ごはんをほぼ毎日SNSに投稿しているのですが、その献立は必ずしもご飯と汁物とおかず1品という構成になっていないことが多いです。

例えばカレーにはご飯だけじゃなく、おかずとしての具も入っているし、ルウはスープと言えなくもない。それならもう、カレーは一品で一汁一菜と言えるんじゃないか、と思っています。

おでんを煮物と捉える人もいれば、“具だくさんスープ”と捉える人もいるんじゃないでしょうか。そうなると、煮物も一汁一菜と言えそうですよね。ちなみに、最近はトーストとコーヒーも一汁一菜でいいんじゃないかと思い始めました(笑)。そんな感じで、一汁一菜を自由に、広く捉えています。

バタートースト、いろいろ野菜とウインナーのスープ

そんなにテキトーな考え方でいいの? と思われるかもしれませんが、自炊って、それくらいおおらかに考えていいことなんです。「さあ、料理するぞ!」と毎回気合を入れていては、続けることはなかなか難しいのではないでしょうか。

一汁一菜の応用版:「時間差一汁一菜」

自炊がラクになる考え方として「時間差一汁一菜」ということも実践しています。私はおなかが空くと何も考えられなくなってモンスター化してしまうので、仕事が遅くまでかかってしまったときなどは、帰宅するまで空腹を我慢できないこともしばしば。そういうときはとりあえず帰宅前に何か軽く外で食べます。例えば回転寿司でお寿司を少しだけ食べて、帰宅してからサラダと味噌汁を食べる。これで、足せばちゃんと一汁一菜になっている……という考え方です。「全部を自宅で用意しなくてもいい」という考え方って、結構気持ちがラクになりませんか?

(2)「型」を決めることで自炊のハードルはぐっと下がる

仕事から疲れて帰ってくると、冷蔵庫の中を見ながら何をつくろうか考えること自体が面倒になってしまいがち、という人少なくないはずです。なぜそうなるのかというと、献立の候補が無数にあって迷うからだと思います。

そもそも、材料を買うところから選択肢は無数にあります。どの野菜を買えばいいのか、肉はどの部位を選べばいいのか……自炊に慣れていないと買い物の時点で疲れてしまいます。そこで提案したいのが、自分なりの「型」をつくること。

私の場合は一汁一菜ですが、そういう型を持っていると「決める大変さ」がグッと減るはずです。

例えば私の知人には母親と一緒に住んでいる人がいて、自宅に帰ると母が毎日何かしらのスープをつくってくれるそう。そのスープにご飯を入れて食べたり、キムチクッパにしてみたり、リゾットにしてみたりと、「スープをベースにアレンジする」ことが型になっているわけです。他にも「毎日、鍋を食べる」という友人もいます。「鍋」という型があれば、あとはそこに何を入れるのかを考えるだけでいいわけですからラクですよね。

「型」は何だっていいと思います。ご飯が好きな人は毎回丼にするとか、麺が好きなら毎回麺類にするとか、なんでも良いので一つ型を決めておくと良いですよ。もちろん、型は破ってもOK。あくまで自炊で疲弊しないための型なので、絶対に守らないといけないというものでもありません。

(3)食材は買い過ぎない。既製品に手を加えるでも◎

自炊は毎日やらないといけないわけではありません。私も外食が大好きだし、買ってきたものを食べることもあります。最初は無理をせず、週3日くらいを目安に自炊を始めてみるのがおすすめです。

そのときに大事なのは、材料を買い過ぎないことです。ほぼ同じ値段でも、量が少ない方を買うようにしたいところ。例えば卵なら10個パックじゃなくて6個パックを選びます。冷蔵庫の中で面倒を見なきゃいけない子を減らす、みたいなイメージです。

自炊を始めたときにやりがちなのが、「もしかしたら使うかも?」とたくさん材料を買い込んでしまって無駄になってしまうこと。さらに、買い過ぎた材料に献立が左右されてしまうので、その日に食べたいものが食べられなくなってテンションが下がることもあります。

納豆ごはん、かぶと油揚げのみそ汁

カット野菜を活用したり、忙しい週は豆腐やウインナー、納豆のように、調理なしで食べられるものを買ったりするのもオススメです。インスタントの味噌汁に七味を足したり、ごま油を足したりするなど、既製品にほんの少し手をかけるだけでも十分。これだって立派な自炊だと思います。

私は夏だったら、きゅうりに塩や味噌をつけてかじることもあります。切ったり焼いたり煮たりすることだけが料理ではありません。自分の食べたいものを好きな味付けで食べられるなら、それはもう料理なんだと思います。

あると便利な常備食材&押さえておきたい調味料

自炊するときに便利なのが、汎用性の高い食材。油揚げ、きのこ類、ベーコンはそれぞれ細かく切って冷凍しておくと、どんな汁物が来てもだいたい対応できます。味噌汁やスープを具だくさんにしたいなら、ぜひどれかはストックしておきたいところ。

常備野菜にするなら、やっぱりにんじん、じゃがいも、玉ねぎは季節問わず手に入りやすいのでオススメです。豚バラもいろいろな料理に使えるし、すぐ火が通るので調理しやすく万能な食材です。

調味料では、オリーブオイルはぜひ自分にとってお気に入りのものを見つけてほしい! と感じる調味料です。私の場合、オリーブオイルは生食用として使うものと、炒めものなどたっぷり使うものの2種類を用意しています。塩も、味わいが大きく変わるので、いろいろ試してもらいたいな、と思います。お気に入りのオリーブオイルと塩をカット野菜にかければ簡単にサラダになりますよ。

***


SNSに投稿されているきれいな料理の写真は、品数も多いし手間がかかっていて、見ていると「自分ももっとちゃんとしなきゃ!」と思ってしまいがち。

でも本来、自炊は自分のためにしていること。そこに「正解」や「正しいこと」はありません。作れただけで十分、おいしかったら「自分、天才!」くらいのテンションで自分を褒めましょう。いい意味で適当に、気負わず、ゆるく自炊を始めてみてくださいね。

画像提供/山口祐加

著書『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』発売中

書影

【自炊を続けることは、自分の身体と心を世話して、生きていく自信をちょっとずつ積み上げる営みです―― 】

ファッション雑誌の着回しコーデのように「旬の食材と定番食材を合わせて8種類ほどの材料を買い、週3日の自炊で使い切るためのレシピ」=週3レシピと題して、1年分の食材使い切りレシピをまとめた本著。

自炊のつまずきをまるっと解消する72のレシピが収録されています。

著者:山口祐加さん

山口祐加

自炊料理家、食のライター。共働きで多忙な母より「ゆかちゃんが夜ご飯作らないと、今晩のごはんないの。作れる?」と優しい脅しを受けて、7歳の頃から料理に親しむ。出版社、食のPR会社を経て2018年4月よりフリーランスに。日常の食を楽しく、心地よくするために普段は一汁一菜を作り、ハレの日は小さくて強い店を開拓する。料理初心者に向けた対面レッスン「自炊レッスン」や、セミナー、出張社食、執筆業、動画配信などを通し、自炊する人を増やすために幅広く活躍中。好物は味噌汁。
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編集/はてな編集部

自分の仕事ぶりを、自分で責めるな。私に必要だったのは「傷つけない」働き方

 スイ

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20代の頃は「とにかく圧倒的な結果を出さなければ」とがむしゃらに働き続けていたブロガーのスイさん。しかし、自分を追い詰めてしまったことで、限界になって辞めるという経験を重ねてきたそう。

そんなスイさんの「働き方」に影響を与えたのはパートナーの存在。「自分とは真逆」と語る彼女の働く姿を見て、自身の働き方を見つめ直すように。そして3回目の転職を経て、心地いいと思える会社に出会えたというスイさんに、これまでの経験を通じて感じたこと、これからのことを寄稿いただきました。

成長を求め続けた結果、疲弊してしまった

「あなたは悩みたくて悩んでるように見えるし、自分できついほうを選んでる」と、ある友人に言われたことがある。20代も終わりの頃だ。その時私は俯瞰した意見やアドバイスを求めていたわけではなく共感してほしかっただけなので、大変に腹が立った。

しかし、今改めて振り返ってみると的を射ていると思う。20代のうちに、転職を2回し、3社で働いた。どの会社も最後は仕事のし過ぎで会社が嫌になったり、メンタル不調になりかけたりして辞めているからだ。

1社目の会社は長時間労働が蔓延するベンチャー企業で、終電まで働く日も多かった。いくら就職氷河期の再来といわれていた時期の就活だったからといって、なにも最初からそんなハードモードの会社を選ばなくてもよかった気もする。

2社目の会社には、「スキルアップしたい」という目的で入社したが、なかなかに過酷な環境の企業だった。「俺が成長させてやるよ。ここで3年頑張れたら一人前になれる」とその時の上司は私に言った。何度も繰り返されるその言葉は洗脳のようだった。必死に働いたが、それでもうまく成果が出ず、態度が悪いといって怒鳴られたり、細かく行動をチェックされたり、反省文を何度も書き直させられたこともあった。最終的に死にたくなってしまい、辞めることになった。そこで働いているとき、ずっと私は「成果を出せない自分」を責め続けていたし、辞めたあとも「上司に言われたように3年頑張れなかった。本当に私はぽんこつだ」という絶望を長いこと背負うことになった。

3社目の会社は、平凡な、いい会社だと思っていた。とても評価をしてもらった。給料も上がり、満足していた。順調なはずだったのに、会社のあり方への不満を抱いた時「誰よりも仕事ができなければ偉そうなことを言えない」と思い込んだ。そうしてどんどん自分から仕事を背追い込んだ。黙々と仕事をする私の姿もあってか、上司も他の人の炎上案件をどんどん私に回してくるようになった。最終的にキャパオーバーの仕事を抱え込むことになり、またしてもメンタル不調寸前まで追い込まれた。

根底にあったのは「成長への強迫観念」「自信のなさ」。どちらも、仕方のないことではあったと思う。

私は同性のパートナーと長いこと付き合っていて「結婚して子供を作って家族で助け合いながら幸せに暮らす」みたいなオプションが最初からなかったから、「自分で自分を食わせられるようにならなければならないと」という思いがとても強かった。

生来の、そして、おそらく家族との関係のなかで増幅された自己肯定感の低さや自信のなさは「とにかく目に見える形で成果を出す」ことでしか、埋められなかった。

仕方のないことではあったが、20代が終わる頃にはそんな生き方に少し疲れてしまっていた。

食卓で語り合う、お互いの「働き方」について

そんな自分で自分を追い詰めるような働き方をしてきた私と、10年以上交際を続けているパートナーは真逆の働き方をしている。

よく食卓で働き方や仕事の話をするのだが、私が「つらい」「死にたい」と言っていた時も彼女は親身になって支えてくれていた。会社やパワハラ上司のことは当時も悪く言っていたが、一方で、そんな会社でも私が頑張ろうとしていることを尊重してくれていたように思う。当時のことを思い出して、最近こんなことを言っていた。

「君は、いわゆる『やりがい搾取』する会社を選びがちだよね。正直、君がこれまで働いてた会社、私だったら全部3日で辞めている」と。

そういうことを、彼女は実際にやる。

つい先日、異業種・未経験職種への転職をしたばかりの彼女だが、入社した会社を実際にすぐ辞めた。そしてすぐ、同時期に内定を受けていたが辞退した会社に電話をかけ、再度内定をもらい、今度こそ楽しそうに働いている。

詳しく話を聞くと、入社して1日目から残業があり「1カ月後にはこの程度じゃ済まないよ、残業」と先輩から言われたそうだ。有給休暇も、ほぼ使えない環境らしい。さらに入社して間もないのに仕事に関すること以外で誰からも声をかけられず、10人以上に書類を配って回っても誰にも「ありがとう」を言われない職場だったのだそう。もともと残業の少なさを重視していたことと、ジョブチェンジをして1から仕事を覚えなければならないことに不安を覚えていた彼女は、「ここで働き続けたらメンタル不調になる」と感じ、即座に辞める選択をした。

彼女は「我慢はしない」し「自分に合わないことはしない」、「やったことに対して正当な対価を求める」と決めている。そのぶん、給料分はちゃんと仕事をしようとする。仕事は好きじゃないから究極的な効率化をするらしいけれど、やることはやる。加えて、将来的な仕事の選択肢の広がりができるよう「入った会社で身に付けられること」を考えて仕事選びをしている。

私だったら最初に「このままじゃダメかも」と思ったとしても、「もう少し我慢して頑張ったらなんとかなるかも」と結論を先延ばししたり、「すぐ辞めることへの罪悪感」が頭をよぎったりして、逃げ出すのを躊躇してしまう。でもそんなふうに働き続けていたら、結局、追い込まれてしまった。

働く上で重視していることや、考え方は人それぞれだ。だから、彼女の行動や思考が100%正しいということは決してないと思う。そんな彼女の姿勢を見ていて、「私は本当にこれでいいんだろうか」と考えさせられることも多い。

がむしゃらに働く瞬間があってもいい。けれど、傷つくな

仕事風景イメージ

彼女の働き方のスタンスを間近で見てきたことや、これまでの経験から「今度こそは間違えない」と決めて臨んだ3回目の転職。

入社できた会社は私がもともと入社したいと思っていた、社会的に意義のある事業を行っている会社だ。リモートワークが育児中などの事情がない社員も全員できるし、精神的に成熟した人の多い会社だ。マイノリティに対する理解も深いので、私は面接の時からカミングアウトをしていたし、普通にパートナーの話が会社でできる。

私はこの転職で、ようやく「自分には価値がなく、とにかく成長できる環境に行って、目に見える成果を出さないと駄目だ」という思い込みから少しだけ解き放たれた。少し前の私だったら、「あの憧れの会社に応募するのはまだ早い。もっともっとスキルアップしないと」と思っていただろう。でも、応募することができて、面接では等身大の自分を出せて、内定までもらえた。

この経験を通じて、私はただでさえ自分を追い詰めがちな性格で、真面目で、ちゃんと仕事をやらないと気が済まない。だったら、真摯に仕事をしていれば、自然とできることは積み重なっていくはず。それをきちんと見せていけばいいんだ、と腑に落ちた。

キャリアという言葉の由来は「轍(わだち)」(馬車の通った道に残る跡)というのをどこかで見たことがある。

つまり、自分が歩いていれば自然とその後ろに道はできていくということ。だから、もちろん目の前の仕事にしっかり取り組むことと、やれることを広げることは大事だけれど、「将来のために」と必死になって自分を傷つけてまで仕事をする必要はない。

舗装された道を元気よく歩く時もあれば、ジャングルをかき分けて道を作り、なんとか歩いてきた時もあるだろうし、砂漠で一滴の水もない中でヨロヨロしながら前に進んだ時もあっただろう。一緒に歩いてくれる人がいる時もあれば、そうでない時もあっただろう。

そうやって今まで歩いてきた道を時々振り返って、転職などの大きな節目には、人に「いいね」と思ってもらえるように整えてみせてあげればいい。そう思えるようになった。

自分にとって最適な、楽しくなる道のりを求めて

私の選んできた道は決して楽な道ではなかったように思う。ぜんぜんキラキラしていない。涙と鼻水をたらしながら這いずって、やっと少しのスキルと「どこでもやっていける」という自信が得られてきた。

しかし、全てが満足なわけではない。

今の会社は素晴らしく環境が良い一方で、これまでいた会社より給与水準が低く、退職金制度もない。

私はハロー! プロジェクトのアイドルちゃんたちを応援しているし、おいしいご飯が大好きだし、文房具や本も好きでいろいろ買い集めたいタイプなので、お給料が少ないことが生活の幸せ度の低下に直結するということに最近気づいた。

「節約頑張ってみて、お給料が上がるまで一時的に我慢」と思っていたけれど結構これがつらかったりする。

でも、会社自体も、業界としてもとても好きなので、できれば長くいたい。だから今は、副業でなんとか稼いでいけないかなと思っているし、投資信託や保険で少しでもお金を増やせるような工夫もはじめた。

この時代、選択肢は本当にたくさんある。その選択肢を、組み合わせることもできる。お金・やりがい・時間・人間関係などのさまざまな資源の、最適なバランスを、地道に、トライ・アンド・エラーで探していきたい。

働き方を考え直したくなったら

「みんな頑張っているから」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで
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好きなことを仕事にできなかったわたしが、 好きな人と働いて見つけた自分の「仕事」
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登山のおかげで「仕事で何かができる人」になれなくてもいいと思えるようになった
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編集/はてな編集部

著者:スイ

スイ

ブロガー。LGBTの「B」としての生活と、おたく活動と働き方の両立について文章を書く。エンタメ(ハロプロ、舞台、漫画、小説など)が好き。
Blog:七転び八起き

双子育児は大変さも、面白さも、感動も2倍。夫婦で「はたらく」ために決めたこと

絵と文 ウラク

ウラク一家

こんにちは、ウラクと申します。

2015年秋に双子のムスメ・ムスコを出産し、「過酷さにまぎれて育児中の記憶を忘れないようにしたい」という思いからInstagramに双子育児の日常を投稿するようになりました。2018年春には仕事に復帰し、現在働きながら育児に奮闘する日々を送っております。

今回、りっすんさんから「双子育児をする上での思い出や、現在の働き方についてぜひお聞きしたい」とご依頼をいただき、改めて双子を妊娠してから、現在のような生活になるまでのことを振り返ってみました。

想定外の双子妊娠! 怒涛の育児がスタート

妊娠が発覚した当時、私は多忙を極める(なんならほぼ深夜帰宅)夫との結婚を機に、新卒入社した会社を退職した頃でした。「子供はもう少し落ち着いてから……」と2人で考えていたこともあり、最初は戸惑いました。後にお腹の子が双子ということも判明。そこからは出産まで慌ただしい日々を過ごします。

なんせ赤子が2人いるわけです。

交互に泣く、寝る、授乳やおむつ替えをしないといけないので、気持ちも体も休まりません。特に夜中はほぼほぼ寝れず状態。「こんな時間に夫を起こすのは忍びない……寝かさないとこの人多分会社に行けないし……」と一人で対応しようとしたこともありましたが、片方が寝たと思ったらもう片方が起きるという無限ループなので、当然一人ではままなりません。

夜泣きのひどいときが一週間くらい続いたときは「もう俺は無理だ~〜~!」「私も無理かもしれない~〜~〜〜!」と夫婦で号泣しながら乗り越えていったのは、今ではいい思い出です。

双子育児はやっぱり面白い! Instagramの投稿をスタート

夜泣きも落ち着いてきた頃、隙間時間に双子の様子を絵日記にしてInstagramにアップするようになりました。

ある日の双子の様子

当時は私、夫、ムスメ、ムスコ、そして私の母の5人で暮らしていましたが、母もフルタイムで働いていたので、日中はほとんど私ひとりで育児をしていました。ひとりで育児をしていると、どうしても子供のことが一番になってしまっていて、私というものがどんどん削れていくような感覚がありました。何が好きだったのかも思い出せない。たまにちょっと外に出ても、何をしたいのかが分からなくなってしまうくらい、消耗してしまっていたんです。

でもInstagramへの投稿を通じて、「あぁ私、絵を描くことが好きだったな」と改めて好きなことを思い出せたし、ちょっと大変だと感じたできごともポジティブに変換できるようになり、かなり気持ちが救われました。

なにより双子育児をしていると、面白い瞬間がたくさんあります。まるで打ち合わせしたかのように同じ寝相になる姿や、片方が起きると、気をきかせて(?)もう片方を起こそうとすることもあったり。子供たちの小さな発見や、感じたことを忘れないために始めたものでしたが、想像以上に反響をいただき、日々のモチベーションにもなりました。

書影

投稿をもとに、一冊の本になった『ウラクさんちのふたごちゃん』(セブン&アイ出版)

思いがけない誘いと、復職に向けて家族とのすり合わせ

Instagramで日々の投稿を続ける傍ら、私は「働く」ことについても考えを巡らせていました。

双子育児は当然お金もかかります。「また働きたい、いや、働かなきゃ」という思いはあったものの、夫の仕事状況も考えると、以前のように正社員のフルタイム勤務は難しいだろうな……と、最初はパート勤務を視野に入れて仕事を探していました。

そんなある日、予想していなかった転機が訪れます。退職した会社の上司から「戻ってこない?」と声をかけていただいたのです。当時在籍していた部署とは異なる、新しい部署での誘いでした。

初めは、また正社員で会社に属すというのはすごく不安でした。ブランクもありつつ、全く違う仕事をまた始めるわけだから、気持ち的には、もう一度新入社員になるような感覚です。それでも一度辞めた人間に、こんなことを言ってもらえるなんて、きっとなかなかない。そう思い、復帰することを決めました。

しかし、1年目の保活は失敗。このタイミングで実家から引っ越し、母とは離れて暮らすことになります。母はいつも一緒にいたわけではなかったけれど、精神的に甘えられる面は大きかったので、悩んだ末の決断でした。そして2年目の保活、ようやく保育園が決まり(幸運にも2人同じ保育園に入れることに!)、まずは時短勤務で復職をすることとなります。この間、待ち続けてくれた現在の会社には、感謝しかありません。

内定通知がきてホッとしているウラクさん

夜泣きも落ち着いてきた頃からはほぼ家事育児を私が担う状態になっていたため、復職に向け、夫と認識のすり合わせをしていくことに。

そんなときの、とある会話が↓です。

ウラク「これからは、今までみたいに(私がほぼ家事育児をやること)はできないから、分担しなきゃね」

「そうなの? ○○ちゃん家は、お母さんが全部やってるみたいだよ」


……夫、悪気はないんです。でも、この意識の差には愕然としました。これは推測になりますが、夫の育った家庭は「お母さんが家のことを全てこなす」環境だったのだそう。そのため、意識的に「父親が積極的に家事育児をやる」ことをイメージしづらかったんじゃないかな、と思います。

それでも私は仕事しながら家事育児も全部…なんて無理!できない! 〇〇ちゃんどんなスーパーウーマンだよ。

ウラク「◯◯ちゃん家はできているかもしれない。でもできている人を例にしないで。私も仕事を頑張って家の収入を一緒に支えたい。その代わり、当然今まで同等の家事はこなせない。悪いけど私には無理なんです。だから、一緒に協力してやっていきたい。仕事・家事・育児をできるだけ50/50(フィフティ・フィフティ)で分担して頑張りたいんだけどどう?」

「……そうだよね、協力して頑張っていこう」


夫の仕事が激務ということは知っているので、完全に分担をするのは現実的には難しいです。それでも、復職前に「一緒にがんばろう」という意識をちゃんとすり合わせができたのは、良かったです。やっぱり言葉にして伝えないといけないな、と思いました。

いよいよ復帰! 最初は思い通りにできず悩んだことも

実際に復職して感じたことは、私にとって「外に出る時間」というのは必要だったんだな、ということです。元々Instagramに絵日記をアップし始めたのは、子供たちの成長を記録しておきたい、という思いもありましたが、「外とのつながり」を持ちたい、というのもありました。

家にいたときは、子供たちとずっと長く一緒にいることが、ちょっとつらいと感じることもありました。手をかけてあげられる環境ができているからこそ、「一秒だって目を離しちゃいけない」と追い詰めてしまっていたんだと思います。

もちろん人によっては「離れたくない!」という方もいると思います。ただ私の場合は、強制的に離れる時間ができたことで、自然と「一緒にいられるときは濃い時間を作ろう」と思えるようにもなりました。手をかけたくてもかけてあげられない状況ができたことが、私にはプラスに働いたように思います。

育児が仕事の進め方にプラスの方面に影響していると思うことも少なくありません。以前の私は「仕事が終わらなければ終わらないで、その分残業すればいいし」と、限られた時間の中で取り組む、ということが苦手だったように思います。

でも、復帰してからは「何時までにこれを終わらせよう」と自分で決めるようになり、時間の使い方がうまくなったように感じます。「1週間に1日、子供の都合で休まないといけないかもしれないと思うと、5日あるけど、4日で終わらせる計算で予定を立てよう」など、自分なりにバッファを持って仕事ができるようにもなりました。

ただ、復帰して1年くらいまでの間は、いわゆる保育園からの「呼び出し」で、思うように仕事のリズムがつかめないのがつらかったです。双子の片方が熱を出すときもあれば、両方体調を崩すこともあり、下手すると全く会社に行けない時期も。「せっかく声をかけてもらって仕事に復帰したのに、迷惑をかけてしまっている……」ともどかしい気持ちになりました。

しかし、子供たちも大きくなって、だいぶ呼び出しも減ってきました(今まさに「呼び出し」問題で悩んでいるお父さん・お母さん、もちろん子供によって差はありますがいつか落ち着きますよ……! 私の場合は1年くらいでした)。仕事のリズムもつかめてきて、勤務時間も少しずつ伸ばせています。

不安だった家事育児の分担も、朝は夫が子供たちを保育園に送る、お迎えは私が担当する、平日は炊事洗濯が私に偏るので休日は夫が協力するなど、うまく分散ができつつあります。最初はどうなるかと思っていましたが、夫には感謝しています(それでも、負担がきつくなってきたな、と感じることがあるので、ちゃんと言葉にして相談するようにしています)。

双子の成長に負けないように、夫婦も一緒に成長していこう

ドタバタなウラク家の様子

いつのまにか仕事に復帰してもう3年目になり、子供たちも秋には5歳になります。仕事と育児の両立は大変なものだとは聞いていましたが、想像以上。それでも想像していたよりも楽しくて、つらくて、それでもやっぱり幸せだと感じる瞬間がたくさんあります。

保育園に預けている間に私の知らない間に新しいことを覚えてきて、迎えに行くとそれを話してくれる。子供たちの成長にびっくりしますし、「私も子供たちに負けずに、がんばろう!」という原動力にもなります。不定期ではありますが、Instagramの絵日記更新もできる限り続けたいと思っています。

わが家の場合は育児の大変さも、感動もふたり分。一緒に産まれ、同じ時間を過ごすふたりですが、やっぱりそれぞれ違う面もあれば、呼応するような瞬間もあるのです。そんな双子育児でしか見られないような子どもたちの関わり合いをリアルタイムで見られるのは、なんとも言えないお得感があります(笑)。双子の成長に負けないように、私たち夫婦も成長しなきゃね!

著者:ウラク

ウラク

双子の姉弟、ムスメとムスコの育児記録をInstagramでつづっています。初の書籍『ウラクさんちのふたごちゃん』(セブン&アイ出版)電子版発売中。
InstagramBlog

※記事中のお子さんの年齢などは、記事公開時点(2020年3月)のものです

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編集/はてな編集部

観劇は、生きる力をくれる(文・横川良明)

 横川良明

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日常から抜け出して、別世界へ行きたい……。そう思ったことはありませんか? 慌ただしい日々を抜け出すような特別な体験は、疲れた心をふっと軽やかにしてくれるはず。

今回は、「観劇」に力をもらうというライターの横川良明さんに、自身の観劇への想い、観劇生活がもたらしてくれたことを寄稿いただきました。劇場へ向かうときの高揚感が伝わるような、観劇への愛があふれるコラムです。本文最後には、観劇初心者にもすすめたい作品を紹介いただいています。

※本記事は、2020年2月13日に執筆いただいたものになります

***

パソコン画面の右上に「18:40」と表示されている。

やばい。時間がない。僕は駆け足でメールを打ち、誤字脱字がないかだけチェックすると、えいやとなかばやけっぱちのような気持ちでエンターキーを叩いた。

本日の営業は終了です。口の中でそう唱え勢い良くノートパソコンの蓋を閉める。投げ込むようにしてカバンにパソコンを詰め込み、席を立つ。

今日の開演時刻は19時。劇場に駆け込み、受付を通り抜けると、ロビーはすでに大にぎわいだ。物販コーナーには列が並び、待ち合わせをしていたのだろうか、顔を合わせるなり若い女性同士が「久しぶりー!」と高い声をあげた。みんな、うっすらと頬が上気している。これから何かが始まる予感にワクワクしている。

僕はするりとロビーを突っ切って、客席へ移動する。今日の席は、J列の18番。舞台と至近距離とは言えないけれど、真ん中で舞台全体が見やすい良席だ。「すみません」と小さく頭を下げながら、座席前の狭い通路を横切る。席に着いてスマートフォンに目をやると、画面は「18:55」。

よし今日も間に合った、とひと息ついて、スマホの電源をオフにする。ぶるっとバイブが一度震えて、画面がブラックアウトした。これが、僕にとって魔法の合図。煩雑な日常のあれやこれやも、これで完全にシャットダウンだ。

今から僕は別世界へトリップする。

飛行機の離陸を待つみたいに、背もたれに身を預ける。深く息を吸っていたら、すっと静かに音楽が鳴りはじめた。それに合わせるように周囲も途端に静かになる。客席の灯りがゆっくりと落ちていく。1メートル先さえ見えないぐらいあたりは真っ暗だ。引き換えに、音楽がはち切れそうなぐらい高まっていく。

この瞬間だ。僕は、人生でこの瞬間がいちばん気持ちいい。なんだか自分が生きているって感じがする。この高揚感を味わいたくて、毎日すり切れながら働いているとさえ思える。祈るように、きゅっと目を瞑る。今日は、どんな世界が見られるだろうか。

退屈と孤独なフリーランス生活を変えた、観劇生活

僕の趣味は、観劇だ。多いときは週5回。少なくとも週1〜2回のペースで劇場に通っている。この生活が始まったのは、28歳のとき。会社員を辞めて、フリーのライターになった僕は、突然ぽっかりと夜の予定が空いた。

会社員時代は特に理由がなくても同僚たちと遅くまで飲んでいたけれど、一緒に働く仲間がいなくなってからというもの、下手をすると1日誰とも喋らない日もある。飲み会の回数も減った。ぼんやりとテレビを観るぐらいしかやることがない。狭い1DKの部屋で、1秒でも多くカメラに抜いてもらおうと大げさにリアクションをとるタレントを白けた目で眺めていたら、なんだか自分まで面白みのない人間になってしまうような気がした。

リモコンでテレビを消して、ベッドになだれ込む。タレントたちの笑い声がまだうっすらと耳に残っている。それをかき消すようにして大きく伸びをする。退屈が、時間を腐らせる。社会人になるときにロフトで買った安物のランプシェードがかすかに揺れている。その小さな振り子みたいな往復を数えながら、ふっと思い立った。劇場に行こう、と。

理由は、あるようでない。もともと学生の頃に演劇をしていた僕は、観劇に行くこと自体なじみがあった。ただ、社会人になってからは終電近くまで仕事をしているのが常で、19時に劇場にいられる人種なんて空想上の生き物なんじゃないかとさえ思っていた。というか、仕事をこなすのに精一杯で、わざわざチケットをとってお芝居を観に行こうなんて発想すら湧いてこなかった。

でも、フリーになった今なら時間のコントロールは自分でできるし、何よりさして売れっ子でもない僕にはよそさまにお裾分けして差し上げたいぐらい時間があり余っている。僕はパソコンを起動して、昔よく通っていた劇団の名前を検索窓に打ち込んだ。演劇集団キャラメルボックスーーそれが、僕の観劇生活の始まりだった。

「劇場に通う」ことで慌ただしい毎日を乗り切れている

あれからもう8年以上の月日が流れた。歳月は、人を変える。暇を持て余してばかりの新人ライターだった僕も、それなりに慌ただしい暮らしを送れるようになった。たぶん、そこそこに忙しい。1日が終わる頃には、25mプールをクロールで3往復したぐらいに息が上がっている。

けれど、僕は劇場に通うことをやめない。むしろ観劇の予定がある日は、「なんとしてでも時間までに今日の仕事は終わらせてやる」と親の仇みたいに誓いを立てることで、毎日を乗り切れている気がする。

正直言ってチケット代は高い。時間だってそれなりにかかる。劇場を出て家に着く頃には23時を過ぎていることだって珍しくない。そうすると、あとはもう細々と片付けをすませたら寝るだけだ。プライベートが充実しているのかと言われると、答えに窮するところもある。

それでも、僕は劇場に通うことをやめられない。なんでこんなに演劇が好きなのか。通り一遍の答えは言える。あの作品に感動したとか。あの演出が忘れられないとか。あの台詞に逆境をはねのける勇気をもらったとか。そういう有り体のことは、いくらでも。

劇場は淋しさを忘れさせ、自分の存在を確認できる場所

もちろん、どれも嘘じゃないし真実なんだと思う。でもそれが最適解でもない気がする。きっと本当の理由は、もっと単純で、個人的で、俗っぽい。

僕は劇場に来ると、淋しさを忘れられるのだ。フリーになって9年。仕事も安定しているし、何があっても動じない程度には実力もついてきた。昔なら値札を見た瞬間に、そっと店をあとにした洋服も、まあいっかと買える程度には経済的な余裕もある。老後への不安は尽きないけれど、そんなことをあれこれ考えても仕方ないし、今というこの一点にだけフォーカスをすれば人生は存外に楽しくて、まあ、たぶん恵まれているんだと思う。

でもふっと誰ともつながっていないような気持ちになるときがある。キーボードを打つ手を止め、ブルーライトで疲れた目を指できゅっと揉んだとき。誰かと話がしたいけど誰に連絡をしていいのか分からず、そのままメッセンジャーアプリを閉じたとき。金曜日の繁華街、わいわいと騒ぎながら2軒目に向かう酔っ払ったサラリーマンたちとすれちがったとき。この世界で自分のことを見ている人なんてひとりもいないような、途方もない淋しさと虚しさでやるせなくなる。

そんなとき、劇場はいつも力強い。あたたかくて、にぎやかで、幸福な予感に包まれている。知り合いなんかひとりもいなくても、席に座れば、自分も何かに参加させてもらえているような感覚になる。それは、どこか存在を許してもらっているような感覚に近かった。

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みんなが同じものを観ている。その事実が、僕を救う

幕が上がれば、舞台の上で役者たちが話しはじめる。小気味の良い台詞の応酬に、客席から笑いが漏れる。すっと張りつめていた空気が、そこでかすかに緩む。すると、隙間から柔らかい風が吹き込んでくるように、劇場全体の雰囲気が温かくなって、あちらこちらで笑いが生まれはじめる。そして、あるタイミングで客席から一斉にどっと大きな笑いが起きる。

その瞬間、僕はここにいる全ての人たちと何かひとつのものを分かち合えたような気持ちになる。もっと言うと、客席全体を覆う感情の波を、劇場にいる全ての人たちで一緒につくっているような感覚になる。それが、この上なく心地いい。

終盤になると、役者の演技も一層熱を帯びてくる。衣擦れの音ひとつ立ててはならないような緊迫した空気が劇場を支配し、まるで全員が一緒になって息を止めているみたいだ。全身が強張り、血管が収縮する。

まったく例えがうまくなくて申し訳ないけれど、客席全体がコクピットで、そこにいる観客全員がパイロットとなり、劇場という名のロボットを操縦しているような錯覚に陥る。あの極度の一体感が、たまらない。

カーテンコールが終わって、客席の灯りがつくと、静かに席を立つ人もいれば、ひとりで鼻を啜る人もいる。連れ合い同士、「よかった〜」と今にも泣き出しそうな声をあげる人もいる。誰のことも僕は知らない。たぶん再び会うこともない。だけど、このとき、この場所で同じものを観て、それぞれ感じたことは違っても、確かに何かを受け取った。その事実が、僕を淋しさから救ってくれる。ひとりじゃないんだと思わせてくれる。

一瞬を全力で生きる彼らに会いたくて、僕は劇場に行く

36歳にもなると、仕事でミスすることも怒られることもほとんどなくなってきた。どんな原稿も書く前からなんとなく着地が見えていて、何か起きても事故らないテクニックも身に付けてきた。あんなに昔は緊張した取材も、今では開始直前まで雑談にふけるくらいの余裕はある。それはいいことなんだと思う。

でも、ときどき思うのだ、僕はこれから先、何かに全力になれることがあるのだろうかと。何かに夢中になれることはあるのだろうか、と。

だけど、劇場は違う。舞台の上に立っている人たちは、いつも全力だ。まるで自分の命を種火にして燃える炎みたいだ。身を削り、声を振り絞り、光を放つ。それは太陽を直視したみたいに鮮烈で、その眩しさが僕の心の中で淀んでいる不完全燃焼の何かを溶かしてくれるのだ。

僕はもうあんなふうに全力で生きることは、たぶんできない。だけど、彼らの全力を浴びることで、ちょっとだけ自分もその一員になれた気がする。物語の主人公になれたなんて口が裂けても言えないけれど、誇り高き村人Bぐらいにはなれた気がする。

劇場を出ると、いつも足取りが軽い。このまま走り出したら、どこまでだって行けそうだ。それはきっと舞台上にいる彼らがくれたエネルギーが、まだ体に残っているから。あの感覚をまた味わいたくて、一瞬一瞬を全力で生きる彼らにもう一度会いたくて、僕は劇場に行く、性懲りもなく。

生きていると感じさせてくれる場所がある人は、たぶん強い

別に演劇だけが特別だとは思わない。きっとみんなそれぞれ同じように大切なものがあるんだと思う。熱狂の日本武道館だったり、白熱の日産スタジアムだったり、至福の東京ビッグサイトだったり、一人ひとりに聖地がある。生きていると感じさせてくれる場所がある。そして、そういう場所を持っている人間は、たぶん強い。

だから僕は今日も劇場に行く。相変わらずチケット代はかさむ一方で、月々のクレジットカードの明細を見たら瞬時に百年の恋も醒めそうになるけれど、せめて自分の好きなものに好きなだけお金を使えるぐらいには稼いでやろうと息巻いて、真新しいWordの画面を立ち上げる。今日は19時から天王洲 銀河劇場。18時34分発のモノレールに乗れば間に合うだろう。それまでにこの原稿を仕上げてやるぞ。

……そう気合いを入れる僕は、もしかしたら舞台の上に立つ彼らと同じぐらい全力なのかもしれない。

横川良明さんがオススメしたい3作品

■ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“最強の挑戦者(チャレンジャー)
古舘春一/集英社・ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」製作委員

(C)古舘春一/集英社・ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」製作委員会

古舘春一原作の同名コミックの舞台版。高校バレーボールの世界で頂を目指す高校生たちの青春を描いた王道スポーツドラマです。見どころは、舞台の上でいかにバレーボールを表現するか。本物のバレーボールをそのままトレースすることはできません。だけど、まるでデジタルアートのような映像クリエイティブと、若い俳優たちが実際に体を動かし汗を流すことで表現される白熱の試合シーンは、本物の試合のようで、本物の試合とはまた違うエキサイティングな楽しさが。

原作の雰囲気を忠実に再現したキャラクタービジュアルや、大好きなあのシーンのあの台詞を生身の俳優が目の前で演じる興奮と感動は、原作ファンなら一度は味わっていただきたいもの。原作をご存じない方でも、きっと劇場に来ればあの青春の熱気を追体験できるはずです。 

▶ オフィシャルサイト

■改竄・熱海殺人事件

1970年代から1980年代にかけて日本の演劇シーンに一大旋風を巻き起こした革命児・つかこうへい。その代表作が『熱海殺人事件』です。熱海で起きた瑣末な殺人事件を起点に巻き起こる人間ドラマは喝采を浴び、演劇界の芥川賞とも呼ばれる岸田國士戯曲賞を受賞しました。2020年3月より上演される『熱海殺人事件ザ・ロンゲストスプリング』、『熱海殺人事件モンテカルロ・イリュージョン』は、つか自らが手がけた派生作品のひとつ。それぞれ本家の『熱海殺人事件』をベースにしつつ、まったく違う設定と展開が用意されています。

つからしい膨大な台詞量と、役者の唾が舞い飛ぶ熱量と迫力。そして複雑で哀切な人間の業。決して古びないという意味では、もはやつかこうへいも古典の領域。まず入門編として演劇らしい作品を体験したい方にはオススメしたい1本です。

▶ オフィシャルサイト

■舞台『タンブリング』2020
タンブリング  

2010年4月よりTBS系で放送されたドラマ『タンブリング』。リアルタイムでご覧になっていた方も多いのではないでしょうか。男子高生が新体操に挑むというキャッチーなストーリーが10代を中心に共感と憧れを集め、ドラマ終了後も5度に渡って舞台化されました。

そんな人気作品が10周年のメモリアルイヤーに復活! 感動のスポーツドラマを繰り広げます。見どころは、何と言っても若い俳優がスタントなしで挑戦する本格アクロバットの数々。男子ならではのダイナミックな迫力は、生の舞台にぴったり。ひとつ技が決まるたびに、心の中で大歓声が湧き起こるはず。

さらにそこに、男子高生らしい友情と青春の物語が絡まれば、涙腺決壊は間違いなし。甲子園や箱根駅伝を観戦しているとつい泣いてしまうという方が本作を観れば、きっとその頬に爽やかな涙が伝うことでしょう。

▶ オフィシャルサイト

※記事内で紹介されている作品情報は記事公開日時点(2020年2月28日)のものです

著者:横川良明

横川さん

1983年生まれ。大阪府出身。テレビドラマから映画、演劇までエンタメに関するインタビュー、コラムを幅広く手がける。男性俳優インタビュー集『役者たちの現在地』が発売中。
Twitter:@fudge_2002

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編集:はてな編集部

「誰よりも低く名刺を渡すマシーン」を作って社会人としてレベルアップしたい|藤原麻里菜

 藤原麻里菜

藤原麻里菜

こんにちは、無駄なものを作っている藤原麻里菜です。

みなさん、名刺交換していますか?

働いているとなかなか避けて通れない名刺交換。私はふんわり社会人になってしまったので、名刺交換のマナーをGoogle先生に聞くところから始まりました。

どうやら名刺交換は「相手より若干低く差し出す」ということがポイントになるそうです*1。なるほど。私は人に敬意を払ってなさそうな顔をしているのでせめて名刺くらいは誰よりも低く差し出して、「ちゃんとしてますよ感」を出したい。そう思いました。

それからというもの、私は常に人より名刺を低く渡すことを念頭に置いて生きているのですが、たまに、私と同じタイプの人間に出くわすことがあります。

私が相手より低く名刺を出すと、相手はそれより低い位置に持ってくる。そして、私もそれより低い位置に持って行く。相手はそれより……。無限に続いて、最終的には地面にめり込んでしまうのではないかというほどまで低くなってきます。


エンカウント中の様子

頭の中で、ポケモンバトルの音楽が鳴ってしまいます。

人に敬意を払うために心がけているマナーなのに、同じように考えている人とエンカウントするとバトルが始まっちゃうなんて……。


もう私は、「名刺を低く差し出すバトル」に疲れました。もっと楽に名刺交換をしたい。いや、普通の位置で名刺を出しなよ。そう思う方も多いかもしれませんが、一度低く出した名刺。死ぬまで貫き通したいという謎の男気もあります。

そこで、私の持つ技術を使って「誰よりも低く名刺を差し出せるマシーン」を作ろうと考えたのです。

「誰よりも低く名刺を差し出せるマシーン」を作る

設計図

設計図を描きましょう。そう、体の一番低い場所である靴から名刺を発射することでこの問題を解決しようとしているのです。……しかし、私はもう一つのマナーに気づきました。

それは、「手を添えて差し出す」というものです。

相手より低く差し出すより優先度の高いマナーのはずです。名刺を発射するのは、完全にこのマナーに違反した行為であり、最悪の場合、社会から追放されるでしょう。

設計図

ということで、こういったマシーンを考えました。手のマネキンを使って足下から相手に渡すというマシーンです。これなら、すべてのマナーを守った上、ストレスフリーで名刺を相手に差し出すことができるはずです。


金具をつける様子

早速作っていきましょう。

まずは、角材にL字型の金具をいい感じに付けていきます。角材も白壁バックにこうやって持つとタピオカみたいに見えますねー。見えますよねー。

手

そして、先ほどの金具に、手のマネキンをいい感じにつけました。

このマネキンはネイルの練習用のもので、インターネット通販で買うことができます。見つけたときは、ネット通販にはこの世のすべてがあるなあと思いました。

サーボモータをつける様子

次に、サーボモーターに角材を固定していきます。

サーボモーターというのは、ミニ四駆などに使われているモーターと違って、角度を調整することができるのです。

制御

このサーボモーターをMESHというデバイスにつなげてアプリ上で制御していきます。

MESHはSONYから発売されているIoTデバイスです。専用のアプリとBluetoothでつなげることで、複雑な電子工作や専門知識が必要なIoTデバイスの制作がとても簡単になるすげえやつなのです。

デバイスアプリ

これがアプリの画面。スマートフォンのマイクから音を拾うとモーターが動く仕組みを作りました。

ちょっと分かりづらいかもしれませんが、とにかく名刺交換するときにスマートフォンに向かって何か音を鳴らすことで、マシーンが作動するというわけです。

「そもそも、名刺交換中にスマホをいじっていいのか」というご意見に関しては、一度スルーさせていただきます。

 

「誰よりも低く名刺を差し出せるマシーン」完成

完成

完成しました。

ご覧ください。これが、「誰よりも低く名刺を差し出せるマシーン」です。

マシーンの様子

この指の間に名刺を差し込み、スマートフォンで操作することで、誰よりも低く名刺を差し出すことができるのです。

マシーンと藤原さん


実際に装着するとこんな感じになります。

自分で作っておきながら、ちょっと訳が分からない見た目になってしまいました。動かすためにはコンセントが必要なので、会社訪問や懇親会などでは必ずコンセントの有無と位置を事前に尋ねなくてはなりません。便利なものの代償ということです。
 

誰よりも低く名刺を差し出してみよう

テストする藤原さん

それでは、実際に使ってみたいと思います。目がバキバキにキマっておりますが、自分が作った発明品を初めて動かすときはみんなこうなるものです。

スマートフォンのマイクを叩いて音を伝えると……。


テストイメージ


ちゃんと両手で名刺を持ちながら差し出すことができました。

すごく便利じゃん。こんなに便利なものある?

私は、去年、取っ手が取れるフライパンを買って「すげえ便利だ」と感じたのですが、それを超えるほどの便利さを感じちゃいました。

テストの様子

せっかく作ったから横からも見てほしい。

テストの様子

こんなに素早く


テストの様子

動いて


テストの様子

誰よりも低い位置で名刺を渡せちゃうなんて……。


マシーンと藤原さん

めっちゃ便利じゃないですか? 私のこの熱意に誰もついていけてないんじゃないかなと薄々感じてはいますが、とりあえず嘘でも便利だねと言ってくれたらうれしいです。

名刺交換をしてみよう

名刺交換の場

ということで、新しい仕事の打ち合わせに、とある会社にお邪魔しました。名刺交換のチャンスです。

相手が名刺を差し出してきたところで、

名刺交換の様子

私はスマホを操作して、

名刺交換の様子

マシーンを動かします。

マシーンの様子

「手を添えて差し出す」「相手より低くする」という2つのマナーを守ったこのマシーン。果たして、受け取ってもらえるのでしょうか。


「さあ、あなたはどうする……」と、神のような気持ちになりながら打ち合わせ相手を見守ります。

image

「あ、頂戴いたします……」


何かを察してくれて、名刺を受け取ってくれました。

体を全く動かさずにマナーを守れる。そんな、ストレスフリーに名刺交換ができるマシーンを作ってしまいました。よし、汐留あたりで露店開いて売ろう!

受け取る様子

ひざまずかせてしまった


そして、社会人の優しさも身にしみました。

おわりに

藤原さん

これで、社会でのストレスを解決することができました。うれしいです。よかったね。
名刺交換の相手をひざまずかせるのはマナー違反ではないか、という意見もあるとは思いますが、「うるせえ!」という言葉を返させていただきます。

ちなみに、卓上に置いても使えるということも発見したので、極力体を動かしたくない社会人のみなさん、いかがでしょうか。

著者:藤原麻里菜

藤原麻里菜

頭の中に浮かんだ不必要なものを何とか作り上げる「無駄づくり」を主な活動とし、YouTubeを中心にコンテンツを広げている。2016年、Google社主催の「YouTube NextUp」に入賞。2018年、「無用發明展- 無中生有的沒有用部屋in台北」を開催。総務省異能vation採択。でも、ガールズバーの面接に行ったら「帰れ」と言われたことがある。
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編集/はてな編集部

*1:実際には交換相手との関係や、どちらが先に名刺を差し出したかなど、常に低くすることが正解とは限らないようです

子供が保育園から小学校に上がり、母親の働き方、家族の役割はどう変わった? わが家の11年を振り返る

 shokola

初めましてこんにちは、shokolaと申します。現在夫と3人の子供と暮らす、お母さん歴11年のデザイナ(とエンジニアの中間)です。

将来親になることを考えている方や、現在小さいお子さんを抱えている親御さんにとって、子育てしながら働くことに関する情報が少なく具体的なイメージができないというのは、不安なものだと思います。

そこで今回は、わが家において子供が保育園から小学校に進む中で、私の働き方や家族の関わり方がどんなふうに変化していったのか、私の1日のタイムスケジュールの変遷をもとにお話したいと思います(主に長女の年齢によって変わっていきます)。

あくまで一個人の例ですが、働くお母さんとして11年をどう過ごしてきたかを紹介するので、お役に立てればうれしいです。

1.子供3人を保育園に通わせながら、夫婦間の分担を試行錯誤

私はこれまでに2回転職をし、現在3社目の会社で働いています(雇用契約はいずれも正社員)。3人の子供を出産したのは、1社目に勤めていた頃。まずはその当時、3人の子供を保育園に預けながら働いていた時のタイムスケジュールです。

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長い通勤時間と家事の負担が課題に

グラフにある通り、当時課題だったのがまず通勤時間。会社から遠い戸建てに住んでいたため、子供が生まれてからの通勤時間は、保育園の送迎込みで片道2時間、往復4時間。幸い、会社は柔軟に対応してくれたので相談して5時間の時短勤務にしてもらいましたが、それでもギリギリの生活で、帰りの電車に乗っている間が貴重な睡眠時間でした。

家事の中では洗濯の負担が特に大きかったです。保育園に通うと、毎日の着替えにタオル、週末はシーツ、夏は水着も加わり、大量の洗濯物が発生します。しかし大変な一方、3人が通っていた保育園は早朝・延長保育に対応しており、年末年始以外は台風の日も雪の日も常にやっていて、十分にサポートを受けることもできました(先生ありがとう……どうか待遇が良くなりますように!)。

夫の役割をあえて固定しないことでうまくいった

この頃は基本的に、子供に役割分担はありません。彼・彼女らの生きている姿や手触りが勝手に親の癒しになる、という時期です。まだまだ手が掛かる年齢の子供たち3人と共に、時間の余裕がない中で働くにあたっては、夫婦間の役割分担が重要でした。

そして相談を重ねた結果、最終的にわが家では「夫の日々の役割は基本決めない」という形になりました。

最初の方はお風呂掃除や皿洗いなどの家事を夫に頼んでいたのですが、仕事が忙しくて滞ることがあったり、私が望む方法やタイミングでやってもらえないと予定が狂ったりするので、スッパリやめることに。育児に関しても「りっすん」の下記の記事にもありますが、「子どもたちが一緒にいる時間の長い母親にばかり懐いてしまう」ことがうちの場合は強く起こり、思うような分担ができませんでした。

www.e-aidem.com

そこで夫は、その時々で足りていないイレギュラーなことを担当してくれるようになりました。具体的には、出産の際に半育休*1を取得したり、便利な家電を導入したり、私のスキルが上がるようにサポートしたり(私は睡眠前の1時間ほどを確保し、スキルアップのためのプログラミング学習に充てていました)と、生活の底上げをしてくれました。

結果的に夫婦で一緒に同じことをやるより視点が高くなり、楽になりました。あくまでわが家の場合ですが、こういう分担もあると思います。

2.長女の小学校入学と「小1の壁」を見越した転職

長女が小学生になったタイミングで、子供にも私にも大きな変化がありました。

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「小1の壁」を見越して転職&ジョブチェンジ

グラフから「通勤」の項目がなくなっています。「小1の壁」という言葉をイメージで必要以上に怖がった私は、通勤時間がどうしてもネックに思えたこともあり、長女の小学校入学を機にリモートワーク可の会社に転職し、エンジニアへのジョブチェンジをしました。(さらにはその後、デザイン方面を担当するように)

今と違って、以前は「未経験からエンジニアを目指すお母さん」を全然見かけませんでした。私が転職について考えていたときも、未経験でしかも時短希望だなんて苦笑いされそうで、周囲には言えなかったです。なので、当時はほとんどなかった「時短・リモートワーク可」のエンジニア求人を見つけた瞬間、うれしくてすぐに申し込んだのを覚えています。転職後は、少し余裕が出てきたタイミングで勤務時間を6時間に延ばしました。

登園の負担が軽減&子供の成長を感じる

子供に関しては、まず長女の登園という負担がなくなりました(まだ下の2人は保育園ですが、1人減っただけでずいぶん楽になりました)。昔から「一人で行かないで。離れないで」と言い続けていた長女だったので、自分一人で学校へ行くなんてできるだろうか……と最初は心配しましたが、3日もたてば普通に登校していました。

一方で帰りは、下の子たちの保育園と長女の学童の2拠点にお迎えに行かなくてはならず、時間がかかりました。しかし、長女はしばらくすると一人で早めに帰って、多少の留守番もできるようになりました。

保育園のイメージでいると心配になりますが、子供は親の想像を超えて一気に成長するものです。本当に1年生の夏休みまでに、見違えるようにしっかりしていきました。役割の図にあるように、簡単なお手伝いも頼めるようになりました。

小学校ならではの大変さと、学童について知っておきたいこと

基本的には楽になった一方で、小学校生活ならではの大変さもあります。例えば参観日や説明会などのイベントがたいてい平日の日中にあることや、学級閉鎖や自然災害のとき。インフルエンザなどで学級閉鎖になると外出も自粛を推奨されるので、子供は終日家にいることになります。台風や積雪などのときは、安全のため学校側が登校時間を遅らせることも。保育園時代に比べ、家で子供を見る時間をどう確保するかが課題でした。

また保育園に通っていた子を小学校入学のタイミングで学童保育に通わせる際に、多くの場合「入学式よりも先に学童での生活がスタートする」というのは盲点でした。保育園は3月までなので、春休みの途中である4月1日から学童に通い、小学校入学はそれよりも後。この点は、幼稚園育ちの自分にとっては知らないことでした。

ちなみに、学童に通うようになって保育園との違いを感じたのはこんな点です(私の地域の場合)。

  • 延長保育対応時間は、通っていた保育園より1時間短く19時まで
  • 洗濯物の持ち帰りはなく、持ち物も減る
  • 小学校のクラスが学級閉鎖になると学童も行けない
  • おやつはあるが、給食がない
  • お迎えに行かないと先生との接触がほぼなくなる

夏休みの間は終日学童に預けていましたが、給食がないので、毎日のお弁当作りが負担です。地域のお弁当宅配サービスを利用する手もありますが、うちの子はあまり口に合わないようだったので、作ることにしました。

また、普段学童に行っていると「学童以外の子と遊べない、誘われない」と言うので、学童を休む固定の曜日を作ったりもしました。

3.長女が中・高学年に。学童をやめ、過ごし方に変化が

長女が中・高学年になった頃には、子供たちが自分でできることもだいぶ増えました。逆に大変になったのは、成長とともにご飯や洗濯物の量が増えて、家事に時間がかかるようになったこと。勉強や宿題を見る時間も増えました。

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そして大きな変化として、長女が学童をやめ、家で過ごす時間が増えたということがあります。

家での時間をどう過ごすか

長女が4年生の時「学童に同じ学年の子がほとんどいなくなってしまってつまらない」と言うので、通うのをやめました。私の地域の学童保育では、高学年になるにつれ児童の人数が減っていきます。学年が上がるほど習い事が忙しくなったり、低学年の入所が優先されたりするためです。

やめた初日は「今日も明日も放課後の予定が全くない」という状況に戸惑っていた長女。思えば物心ついた頃から朝早くに登園、帰ったらご飯にお風呂と慌ただしい毎日を過ごしていたので、9歳になってやっと家でゴロゴロすることを覚えたようです。

学童をやめた子供たちの過ごし方というと、よくある例としては、週に2、3日ほど部活や習い事、塾に通い、残りは友達と遊ぶなり、家で過ごしたりが多いようです。しかし、どうしても困るのは夏休みなどの長期休み。通常ピアノや水泳は1日2時間ほどで終わってしまうため、習い事などを休みの間だけ増やしたりする子もいます。

長女はどうしているかというと、もともと大好きだった本をひたすら読むようになりました。長期休みになったらどう過ごしてもらおうと心配していましたが、心ゆくまで読書三昧しています。ちなみに学童の頃はお弁当作りが大変でしたが、家でのランチはスープや丼など簡単なもので済ませられるようになり、幾分楽になりました。

また、この頃から家族の土日の過ごし方が変わりました。

今考えると、幼児期は公園や有料の遊び場といった「楽しませてくれるところ」に行くという受け身な遊び方でしたが、大きくなると身近な場所で自発的に遊びや楽しみを見つけられるので、遠くへの外出が減りました。家の周りでスケボーに乗ったり、家の中ではドンジャラをしたり、工作をしたり。お母さんへの依存が減り、お父さんの出番が圧倒的に増えました。

おかげで私は家事をする余裕が増えて、疲れたら子供に「少し寝かせて」とお願いして昼寝もしています。自分以外の大人に頼るのではなく、子供に許可を取って自分の時間をもらう。そんなことができるようになりました。

時代とともに、働き方の選択肢が増えた

私の仕事面では、この頃デザイナとして現在の会社に転職しました。転職活動中は、求人媒体で「リモートワーク可」の条件で検索すると以前よりヒット件数が増え、世の中の働き方改革への意識の高まり、選択の自由度が上がったことを実感できました。

日々に余裕ができたこともあり、この転職を機に7時間勤務に延ばしました。少しずつ少しずつ、出産前の働き方に戻していっています。

最後に

図で振り返ると、子供の年齢とともに任せられる役割が増えて、家族の過ごし方が変わってきたことが自分でも分かります。また社会も徐々に子育てや女性のキャリア問題に関して「母親の愚痴」という認識から「社会の問題」だと捉えてくれるように変わってきた気がします。

家族や周囲の人たち、社会の変化のおかげで、11年かけて少しずつ少しずつ、「自分」のための時間が戻ってきた。今はそんな実感があります。

地域の事情や利用できる施設、勤務先の事情などの違いは当然あるかと思いますが、この記事が誰かの参考になればうれしいです。

育児と仕事のバランスを取りたい時に

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家事・育児・仕事をそれぞれ一生懸命取り組むために決めた「引っ越し」という選択
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「絵を描くこと」が仕事になって、家族の時間を取り戻すことができた
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著者:shokola

shokola

エンジニアライクなデザイナ。
現在はクラウド電子カルテの開発に従事しています。
記事に出てくる読み聞かせ、長女の本好きに関してはまた長い話になるので、noteを見てください。
長女は本を読みすぎて日本語がおかしい|shokola|note

ブログ:いきあたりばったり Twitter:@shokolateday

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※記事中のお子さんの年齢などは、記事公開時点(2020年2月)のものです

編集/はてな編集部

*1:従業員が育児休業中、1カ月に「勤務日数10日以内」もしくは「就業時間80時間以内」で就業することの通称。2014年に育児休業給付金制度が改正され、育児休業中に就業する場合、上記の範囲内であれば、給与も育児休業給付金も受け取れるようになった。