85年前のモノクロ映画『女だけの都』が2020年に教えてくれること

 北村紗衣

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武蔵大学准教授であり、さまざまな芸術作品をフェミニスト批評という観点から読み解いた『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』の著者・北村紗衣さんに、1935年に公開されたフランス映画『女だけの都』を紹介いただきます。

作中で描かれる男女の関係性は、2020年時点の日本社会にも共通する点が多いのだそう。今を生きる私たちと85年前の作品との共通点や、そこから見えてくるものとは?

※ 編集部注:以下には、作品内容に触れる情報が含まれています

管理職に就く女性がまだまだ少ない日本の現状

女には何もできない、専門的な仕事や政治などは男のものだ、という考えは長きにわたり、男性のみならず女性を縛ってきた。現在の日本にもそうした風潮が強くあり、国会議員の女性比率は先進国で最低レベル*1、管理職に占める女性の割合もG7最下位*2だ。

これは日本の女性が努力していないとか、能力がないからそうなる、というわけではない。 政治家の性差別発言が後を絶たないことからも分かるように、社会システムが女性が議員になったり、管理職になったり、自由にやりたいことをすることに対して著しく消極的だからそうなる。

この記事では、そんな状況と、頭を使ってこれを切り抜ける女性たちを描いた映画『女だけの都』(La Kermesse héroïque)を紹介したい。1935年という昔に作られたフランスのモノクロ映画である。悲しいかな、日本に住む女性が置かれた状況は、この85年も前に作られた映画と比べられるところがたくさんある。

モノクロ映画の時代に描かれた「女性が働く」姿

女だけの都

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ジャック・フェデー監督の『女だけの都』は、1616年のフランドルを舞台にした歴史ものだ。舞台は現在のベルギーにあたる地域の町、ボームである。スペイン軍がやってくるという知らせを聞いたボームの男たちは怖じ気づき、町長が急死して服喪中だというウソをでっち上げて雲隠れするが、一方で町長夫人コルネリア(フランソワーズ・ロゼー)率いる女たちはスペイン軍を迎えて立派に外交業務を果たすという物語である。

本作は、基本的に歴史をネタにした諷刺コメディだ。作中にも若き画家ジャン・ブリューゲルが町長夫妻の娘シスカの恋人として登場するが、映画全体がブリューゲルなどのフランドル絵画を思わせる魅力的なビジュアルコンセプトにそって作られている。この映画で描かれているスペイン軍のボーム来訪は史実に基づいて描かれているわけではなく、むしろ翌年からナチスドイツがヨーロッパの各地で進駐を開始することを考えると、過去を振り返るよりは近未来に起こりそうなきな臭いことがらを予想するような作品であったと言える*3

この映画は、冒頭からボームの女たちが忙しく働くところを丁寧かつ生き生きと見せている。町長夫人をはじめとする女たちが家や店を切り盛りするため動き回る様子が、まるでブリューゲルの絵のように表現されている。一方、男たちは女たちに比べると動きが少なく、町のお偉方は集団肖像画を描いてもらうところだ。

記念の肖像画というのは権威を示し、虚栄心を満たすためのものであり、町の男たちは権力にこだわっていることが分かる。ここから読み取れるのは、どうやら男たちは自分の見栄のせいで気付いていないが、実際はボームの町は女たちの仕事のおかげで回っている、ということだ。男たちは女の力を認めておらず、町長は娘の結婚相手をどうするかについて町長夫人と言い合いになった時(町長はブリューゲルが気に入らず、助役を娘と結婚させたがっている)、女は口ばかり達者だとか、家に帰って大人しくしていろとか、バカにしたようなことばかり言っている。

しかしながら、女の力を軽く見ているボームの男たちは、実際はその働きなしにはやっていけないくらい、女たちに頼っているのである。女たちが働くのは当たり前だと思っているから、男たちは評価しないのだ。

「檻」に閉じ込められがちな現代社会を予期している?

これを見て「現代の日本と同じだ!」と思う方もいるだろう。日本の政府は女性活躍推進法*4などというものを出しているが、こんなものがなくても、日本の女性はすでに社会のいたるところで活躍している。子供を育て、家事をしながら外で働いたり、お店や農家などを切り盛りしているのだ。世間は無償かつ不可視化された女性の労働で回っているのに、男たちがそれに気付いていないだけだ。

映画は人の生活をのぞき見するようなメディアだと言われることもあり、ふつうなら見えなくなってしまっているような隠されたものを見せるのが得意だ。『女だけの都』は1935年の時点で、女の仕事がこなせて当然のものとして評価されなくなってしまうような状況を認識し、面白おかしく洒落た映像で描き出していた。ところがこの偉そうにしている男たちは、急場ではさっぱり頼りにならない。スペイン軍が町にやってくると聞いた時、町のリーダー格である男たちは町中で略奪や虐殺が行われ、女は全員強姦されるだろうと予想し、情景を思い浮かべて震え上がる。

この男たちがスペイン軍の乱暴狼藉を想像する場面はけっこう暴力的で生々しいタッチで描かれているのだが、男たちは女をこうした残虐な戦時性暴力から守るために立ち上がるどころか、町長が急死したという話をでっちあげて雲隠れすることにする。男は強くて女を守るものだというような建前は全部吹っ飛ぶ。町長夫人が忌々しげに言うように、「ひげもズボンも銃だって役に立ちゃしない!」のだ。

町長たちがニセの急死事件をでっちあげると決めたところから、女たちの逆襲が始まる。町長夫人は女にも政治をする力があると主張し、女たちの前で大演説をする。最初は不安になっていた女たちも町長夫人の演説に鼓舞され、スペイン軍との外交交渉に乗り出すことにする。ここで、何人かの女たちが最初、伝統的に男のものとされている仕事が自分たちにできるのだろうか……と心配そうな発言をする。

これは、あまり女性が進出していないような分野に興味を持った女性がよく陥る思考回路だ。女性がやりたいことをやろうとする時に邪魔になるのは外側からの抑圧だけではない。女性に限ったことではないが、人は社会の偏見や思い込みを吸い上げて育つので、知らず知らずのうちに見えない「檻」を自分で作って入り、自分の行動を制限してしまうことがある。

あんなことは女にはできないとみんな言っているから自分にもできないのじゃないか、こんなことをしたら世間から批判されるのじゃないか……というような不安がこういう「檻」を作る。この檻から出るのは一苦労だが、ボームの女たちにとっては町長夫人という人望あるリーダーの後押しや、他の女たちと協力してやるんだという絆の感覚が檻を破るきっかけになる。ひとりでは怖くてできないことも、志を同じくする者同士で集まって連帯してやれば楽しく実行できるかもしれないのだ。

『女だけの都』における恋愛の描き方

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町長夫人は見事な采配で人員を配置し、スペイン軍の歓待準備を整える。幸運なことに、やってきたスペイン軍は噂ほど残虐ではなく、魅力的で礼儀正しいオリバレス公が率いていた。感じのいい女たちによる丁寧な歓待にいたく喜んだスペイン軍は、暴力的なことは一切せずに町で休むことにする。オリバレス公はどうも頭が良くて成熟した女性が好みらしく、夫を亡くしたばかりで寂しいというふれこみの町長夫人が醸し出す色香に夢中になってしまう。町長夫人もまんざらでもなさそうな様子だが、一方で政略は忘れておらず、オリバレス公に頼んでその権限でさっさとシスカをブリューゲルと結婚させてしまう。

他の女たちも男たちの監視の目がないのをいいことに、色男の兵士たちと宴席で盛り上がる。1935年の映画なのでそこまで露骨ではないが、それでも相当に艶っぽい描写がたくさんある。このあたりで女にも性欲があり、いい男がいれば惹かれるということを非難なしに面白おかしく描いているのがこの映画の楽しいところだ。

もうひとつ面白いのは、女たちと遊ぶのにあまり興味がなく、宴会そっちのけでスペインの軍人と町の男が手芸について語り合って盛り上がる場面があることだ。明示されてはいないが、この2人はゲイなのではないかと思わせる描き方になっている。少々コミカルではあるが、他の登場人物に比べてバカバカしいとか、ネガティヴだとかいう表現にはなっておらず、たくさん人がいれば同性愛者や宴会嫌いがいても当然で、そういう中でいい出会いがいろいろありますね、というような雰囲気で場面が進む。この映画は、恋愛についてかなりおおらかな描き方を貫いている。

摩擦を回避しつつ要望も通す町長夫人の姿に重なるもの

最後、オリバレス公の軍は女たちとの別れを惜しみつつ、出発する。ボームの町は女たちの働きのおかげで1年間の税金免除特権を獲得するが、町長夫人はこの功績について、全く役に立たなかった夫に花を持たせ、町民たちの前で夫を褒める。この場面は一見、町長夫人が従順な妻に戻って終わったようにも見えるのだが、夫が調子にのる様子を見せる一方で、カメラは町長夫人の微笑みとも寂しさともつかぬ微妙な表情にフォーカスする。

この場面が示しているのは、町長夫人は娘の結婚や自分とオリバレス公の間に起こったことについて夫にああだこうだと言わせないため、わざと夫を持ち上げているのだな……ということだ。税金免除が町長夫人の功績であることはおそらく町の人々はうすうす感づいていると思われるし、誰が見ても町長夫人の方が一枚上手なのだが、ここで夫をおだててやれば自分の地位は今後も安泰だ、ということだ。

正面から抵抗するのではなく、策略を使って自分のやりたいことを通す町長夫人のやり方は、すごく不満なことがあるけれどもなかなか声をあげられない……ということも多いであろう日本の女性にとってはとても共感できる終わり方かもしれない。

※画像はイメージです

著者:北村紗衣

北村紗衣

1983年、北海道士別市生まれ。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。著書に『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち ―近世の観劇と読書―』。
Blog:Commentarius Saevus
Twitter:saebou (@Cristoforou) | Twitter

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編集/はてな編集部

女子マンガ研究家が選ぶ、心を動かす「育児・子育てを描いた作品」たち

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以前「りっすん」で隙間時間でも一気読みできるオススメ作品を紹介していただいた女子マンガ研究家・小田真琴さんに育児・子育てを描いた作品たちを紹介いただきました。

小田さんが子どもができたときに真っ先に手に取ったのは、育児・子育てについてのマンガ作品の数々。実体験を元にしたコミックエッセイ、現実ではちょっとあり得ない設定のものなど、一口に育児マンガといってもその描き方は無限にあります。

今回紹介いただいた作品は育児や子育てに対しての視野を広げる、あるいは取り巻く環境について考えるきっかけにもなるようなものばかり。作品を通して共感できる、考えさせられる、クスリと笑えて気分転換になる……など、さまざまなシチュエーション、立場を通して描かれた作品に触れ、新しい視点を取り入れ一息つくような、深呼吸の時間をつくってみてはいかがでしょうか?

※ 編集部注:以下には、作品内容に触れる情報が含まれています

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大切なことはたいていマンガから学んできた身としては、子どもができた時ももちろん真っ先に紐解いたのはマンガでした。

伊藤理佐先生の『おかあさんの扉』(オレンジページ)、東村アキコ先生の『ママはテンパリスト』(集英社)、『榎本俊二のカリスマ育児』(秋田書店)……などなど、とりあえず本棚にあった育児マンガを片っ端から読み返し、これでもう完璧だ! と、いざ実際の育児に臨んだものの、もちろんそんなことはあり得えません。しばらくは落ち着いて子どもを愛でる余裕もなく、恐怖と不安にばかり苛まれておりました。

なにしろこの小さな生きものは、私のちょっとしたミスで容易に死に得るのです。わが家の場合、妻が土日も働きに出ることが多く、かなり早い段階からワンオペ育児をしていたということもあり、その恐怖感は相当なものでした。痛感したのは「孤独」。育児とはこんなにも孤独なものなのかと、初めてその本質に触れた気がしました。

さすがにわが子も4歳ともなると、子どもなりに知恵もついてきて、意思疎通もできるようになり、見ていても乳幼児の頃のような過度の緊張感はありませんが、それでもやはり孤独感を覚えることはままあります。こんなにも大変な営みを、われわれ男は今まで女性に丸投げしてきたのです。「イクメン」とか言われて調子に乗っている場合ではありません。

男たちが育児しまくる理想郷『赤ちゃん本部長』

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竹内佐千子『赤ちゃん本部長』既刊2巻(講談社)

竹内佐千子先生の『赤ちゃん本部長』(講談社)は、そのタイトルのとおり、株式会社モアイに勤める武田本部長47歳が、ある日突然赤ちゃんになってしまうというお話です。知能は47歳のままとはいえ、なにぶんにも体が赤ちゃん。ろくに歩けませんし、すぐ眠くなるし、うんこも漏らします。優秀な部下たちの必死のサポート(=育児)によって、武田本部長は今日もなんとか働き続けるのでした。

このマンガの絶妙なところは、典型的なホモソーシャルの組織である日本の「会社」に、突然赤ちゃんが投げ込まれるという設定です。彼らは日ごろ培ったチームワークで、赤ちゃんの世話というタスクをこなしていきます。そう、この人たちはやろうと思えばやれるのですよね。これまでは単に育児が自分の仕事だと思っていなかっただけで。

その様子は微笑ましく、時に感動的です。そこにいるのは「イクメン」などではなく、ごくごく普通の男たち。誰も育児をすることに反発などせず、過剰な自己顕示もせず、当然やるべきこととしてこなして行きます。なんという理想郷でしょう。

本作は男尊女卑社会である現代日本への皮肉であると同時に、LGBTなどのマイノリティを登場させつつ、あるべき社会の理想像を描き出します。育児のみならずダイバーシティを学ぶ上でも、本作は豊かな読書体験となってくれることでしょう。赤ちゃんが生きやすい社会は、おそらく多くの人にとって生きやすい社会であるはずです。

子どもを育てることで大人も育つ『ひだまり保育園おとな組』

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坂井恵理『ひだまり保育園 おとな組』全3巻(双葉社)

逆に子育てを巡る現実をこれでもかとシビアに描くのが坂井恵理先生の『ひだまり保育園おとな組』(双葉社)。タイトルこそ「保育園」ですが、主役はそこに子どもを通わせる大人たちであります。

育児あるあるが満載の本作は冒頭からして強烈です。共働きの夫婦ならば、育児の負担は折半すべきところを、出産前から変わらぬペースで、あくまでも「手伝ってやっている」という当事者意識が希薄な夫に対する苛つきは、多くの母親たちに共感されることでしょう。私はこれを読んで大変に反省しました。母親たちには共感と解決策をもたらし、父親たちには反省を促す、親となった者たちが真っ先に読むべき育児マンガであります。

「母親になると母性だなんだって愛情だけのイキモノみたいに言われるけど 私たち 愛とかそんなふんわりしたものだけで育児してないよね」ーー坂井恵理『ひだまり保育園 おとな組』1巻 pp,24

子どもができたからと大人たちは自然と「親」になれるわけではありません。子どもを育てることで、大人たちもまた成長していきます。同性愛カップルの育児、高齢出産、夫の浮気、2人目の子作り、義理の両親との同居、児童ポルノ、保育士というお仕事……。育児に関するさまざまなテーマを扱いながら、本作が一貫して強く描くのは、女たちの連帯。言葉の調子は少々キツくても、温かなカタルシスもある、優しいマンガです。

夫婦円満も大事『モンプチ 嫁はフランス人』

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じゃんぽ〜る西『モンプチ 嫁はフランス人』既刊3巻(祥伝社)

自分が男であるせいか、男性作家が描いた育児マンガに強く惹かれます。中でも興味深かったのがじゃんぽ〜る西先生の『モンプチ 嫁はフランス人』(祥伝社)でした。

ワーキングホリデーを利用してパリに住んでいたことがある西先生は、後にフランス人女性・カレンさんと結婚し、現在では2児の父となりました。日本とフランス、2つの文化の狭間ですくすくと育つ子どもの様子が、とても楽しく描かれています。

実用書によくある「フランス人は〜しない」的な押しつけがましさはいっさいありません。お互いの文化を尊重しあうこのご夫婦ならではの柔軟な子育てが、見ていて心地よいのです。

そして本書には育児のみならず、夫婦円満の秘訣もよく描かれています。フランス流の愛情表現は、確かに日本人にはやや恥ずかしいものがありますが、それによって得られるものは決して少なくありません。ご参考までに、ぜひ。

子どもは社会で育てるもの『かぞくを編む』

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慎結『かぞくを編む』全3巻(講談社)

冒頭でも触れた私が感じた孤独感の原因の何割かは、おそらくは構造的な問題です。この社会は子どもとともに生きるための十分なサポート体制を用意できていません。つい先日も子どもを病院に連れて行くお金がなく、周囲に相談できる人もいなくて、アルバイトの女性が生後間もない赤ちゃんを死なせてしまったという痛ましい事件がありました。

こうした事件が起こる度に、マスメディアでは母親のことばかりが報じられがちです。しかし果たしてこれは彼女の責任でしょうか? そうは思いません。まずなによりも父親がいるはずですし、そして母親を孤独へと追いやってしまったこの社会の責任であるはずです。

慎結先生の『かぞくを編む』(講談社)は養子縁組のお話です。本作に際し、作者はTwitterでこのように宣言しました。「『かぞくを編む』を描こうと思ったのは、あまりにも子どもたちが軽んじられる社会だからです」*1「特別養子縁組というテーマが、子どもの福祉を、子どもは社会が育てるという当たり前のことを問い直すきっかけになれればと、僭越ながら胸に描いています」*2

家族の数だけさまざまな事情があります。養子縁組というとネガティブなイメージを抱く方も多いとは思いますが、それが誤りであることをぜひ知ってください。この作品は親たちに「あなたは1人ではない」と語りかけます。そこにあるのは子どもたちに幸せであってほしいという、大人たちの願いばかりなのです。

子どもを1人の人間として見ること『育児なし日記VS育児され日記』

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逢坂みえこ『育児なし日記vs育児され日記』既刊2巻(ベネッセコーポレーション)

……と、さまざまな育児マンガを読んできたわけですが、結局は千差万別、人それぞれ。唯一絶対の正解などというものはなく、それはもちろん乳幼児とはいえ個性があるわけですし、それは育てる側の親にしても同じことですから、必然的にそうなるわけです。自分で探り探りやっていくしかありません。

その点において東村アキコ先生は的確でした。大ヒット育児マンガ『ママはテンパリスト』で東村先生は、ネットで繰り広げられる育児論争に恐怖し、「育児に関するハウツー的な情報を一切描かない」と宣言します。結果的にはこれが功を奏し、『ママテン』は誰もが楽しめる育児マンガとなりました。

そんな東村先生も敬愛するマンガ家、逢坂みえこ先生の『育児なし日記VS育児され日記』(ベネッセコーポレーション)も大好きな育児マンガのひとつです。

本作で特徴的なのはその視点。時に赤ちゃんの側から自らと夫の様子を描くことで、逢坂先生は子どもの内面を想像しつつ、1人の主体性ある人間として理解しようと心がけているように感じます。

そしてなにしろ子どもがとても愛らしい。中でも印象的なエピソードが、1巻の69ページにあるりんごのお話。お散歩中に果物屋さんでりんごを1個だけ買って、2人で公園で食べたことを、逢坂先生のお子さんは何年も覚えていたと言います。「旅行に行ったことよりも 遊園地に行ったことよりも なつかしそうにうれしそうに話す」というネームに添えられた子どもの、りんごをかじる様子が泣きそうになるほどかわいくて、胸に迫るものがあります。

私にとっては平凡な1日も、子どもにとっては輝くばかりのスペシャルな時間なのだなあ、と改めて思い知らされました。自分の子どもはもちろんのこと、全ての子どもの幸せを守れるような社会であってほしいと、強く願うのです。


※記事中のお子さんの年齢などは、記事公開時点(2020年1月)のものです

著者:小田真琴

小田真琴女子マンガ研究家。1977年生まれ。「マツコの知らない世界」に出演するなど、テレビ、雑誌、ウェブなどで少女/女子マンガを紹介。自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている。
Blog:女子マンガの手帖

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*1:慎結先生のTwitterより引用。引用元ツイートはこちら(引用日:2020年1月20日)

*2:慎結先生のTwitterより引用。引用元ツイートはこちら(引用日:2020年1月20日)

育児に追われ、一度は自分の個性を見失ってしまった私。これからは「好きなことを仕事にする」と決めた

 ふるえるとり


Twitterの子育て漫画で人気を集めている、ふるえるとりさん。実は1人目の子供が生まれてしばらく、育児と家事に追われるあまり、心が空っぽになってしまった時期があったそう。そこから少しずつ本来の自分を取り戻し、新しいチャレンジを決意するまでの道のりについてつづっていただきました。

* * *

育児と家事に追われるうち、自分の「個性」を見失ってしまった

はじめまして、ふるえるとりと申します。現在、夫と3歳・0歳の姉妹との4人家族で、普段はイラストや漫画を描いて過ごしています。

私はもともと会社員としてデザインの仕事をしていたのですが、上の娘の育児休暇中に夫の転勤が決定し、引越しに伴って退職。専業主婦になりました。

子供が生まれる以前の私は、手芸やイラスト、デザイン、ゲームなど、たくさんの趣味に夢中になっていました。しかし仕事をやめて育児と家事に追われるうち、そういった好きなことからはどんどん離れてしまい、自分自身が無個性の「ただ育児と家事をする人」になったように感じる日々が続きました。



そのことをTwitterでつぶやいたら、大きな反響がありました


もちろん育児は楽しく、子どもはかわいい。子育てに追われる日々が嫌で仕方がない、というわけでは決してなかったのですが、かつての自分がどこかに行ってしまったような、心に大きな穴が開いたような寂しさを感じていました。

「毎日15分だけ」の習慣で、少しずつ好きなことを取り戻す

子供が育ち、生活にも慣れて余裕が出るようになったころ。「15分だけでも」と、子供のお昼寝の合間に趣味のお絵かきや刺しゅうをしてみました。

たった15分。しかし、イラストがいくつか描けました。小さな刺しゅうが刺せました。達成感は大きく、久々に「自分のための時間」を過ごせたことに心が躍りました。母親になったからといって「趣味も好きなことも諦めなくて良い」ということに気付けました。

時間は限られているし、家事・育児の疲れから、気力が湧かないこともあります。でも「好きなものを食べる」「好きな曲を聞く」「ハンドメイドをする」など、とにかくできる範囲で思いついたことをやってみるようにしました。たとえすぐ飽きてしまっても、次の“好きなこと”をどんどん探せばいい。「何かやった」というだけでも、少しずつ心の穴が埋まっていくような気がしました。

いろいろやってみた中で私が一番続けたいなと感じたのが、イラストを描くことでした。そう気付いて以来、習慣的にイラストを描き続けるようになりました。

好きなことを毎日少しずつ続けていたら、新しい仕事につながった

産後、気兼ねなく独り言をつぶやいたり、同じように育児に勤しむお母さんたちと交流したりするために、Twitterを始めました。イラストを描くようになって、せっかくなのでTwitterにもアップしてみたところ、思っていた以上に反応が返ってきました。

初めは自分の個人的な記録のための創作でしたが、見てくれた人たちから「分かる!」と共感のコメントをもらい、そのたびに育児での喜びや悩みは皆同じなのだと、うれしくなりました。他の人からの共感が、育児をする中でこんなにも励みになるのだと気付いたのです。

そこから、自分の思っていることをどんどん漫画にして投稿するようになりました。毎日続けているうちに見てくれる人の数が増え、やがて寄稿や連載、書籍化のお話をいただいたりして、少しずつ仕事にもつながっていきました。

そうしてイラストや漫画の仕事での収入が増え、とうとう夫の扶養を外れることに。今後はフリーランスのイラストレーターとして、イラストや漫画を自らの仕事にする道を選択しました。

もともと独り言をつぶやくための場所だったこともあり、夫には当初、Twitterにイラストや漫画をアップしていることは秘密にしていたのですが、ある漫画がバズったタイミングでカミングアウトしました。その時は「そうなんだ」とあまり驚きのない反応だったのですが、後になって「実は、教えてもらう前からTwitterのこと気付いていたんだよね……」と、夫から逆にカミングアウトされてびっくりしました。

それからは漫画描きとしての私の活動を喜んでくれているようで、制作の時間を確保できるように育児・家事を分担してくれたりと、全面的に協力してくれます。

フリーランスとして開業することを決めるにあたっては、正直「このままお仕事をいただける状況が続くのだろうか?」という不安もあり、悩みました。しかし背中を押してくれたのは「イラストや漫画を描いている今が楽しい」というシンプルな気持ちでした。それに、育児・家事に追われて一度は見失っていた「自分の個性」をこうして仕事としてフルに発揮できる状況になったのは“毎日の15分”を繰り返してきた自分の努力だということが、自信につながっていました。

母になっても好きなことを楽しんでいる私の姿を、娘にも見せてあげたいと思っています。娘が将来、私と同じように余裕をなくしてしまったとしても、好きなものを諦めてほしくないのです。

2人育児と好きな仕事を両立させるために、家族で話し合ったこと

2人目の子供が生まれた今、以前よりも育児の負担は大きくなりました。フリーランスとして働いていくことを決心したものの、子供が起きているうちは目一杯相手をしたいので、日中はほとんど作業ができません。上の娘が幼稚園に入園するまでは、子どもたちが寝静まった後に働くことになるでしょう。

これからどうやって自分の時間を作るか、何度も考えました。そしてまずは夫に「今まで通りでは仕事と育児の両立がとても難しい」ということを伝えました。そして相談した結果、私が家事や育児の中で「自分でしかできないと思い込んでいた」部分を、もっと周りに頼るようにしようと決めたのです。

私はもともと頼り下手な性格で、仕事で疲れている夫に何かお願いするたびに「なんだか申し訳ないな」「手抜きをしてダメな母親かな」と思ってばかりでした。しかし思い切って相談してみると、夫の方から提案をしてくれました。

例えば寝かしつけ。これまでは私がしなければと勝手に思っていましたが、夫は「夜は自分に娘たちを任せて」と言ってくれました。そして寝かしつけた後は、ベビーモニターで別の部屋から間接的に子供たちを見守ることに。こうして今では、寝かしつけ後の3時間ほどを作業時間に充てられるようになりました。

日中の家事の負担軽減については、乾燥機付き洗濯機や食洗機などの時短家電を導入しようと夫が提案してくれました。私自身は古いタイプの人間なので当初は導入に消極的だったのですが、これが予想以上に便利で、時間の余裕ができました。そして食事については、炊事がままならないなら冷凍食品やお惣菜に頼ればいいのです。

思えばこれまで、私が「自分でやらないと」と思い込む一方で、自分ばかりが育児や家事に追われている気持ちになり、休日家で休んでいる夫に対してついイライラしてしまうこともありました。

自分に余裕がなければ、子供たちにゆとりを持って接することもできないし、自分や家族のために働くこともできません。一人で抱え込まず頼れるものにどんどん頼り自分を大切にすることが、実は家族のためにつながるんだと、最近やっと考えられるようになりました。これからは肩の力を抜いて、自分を大切にしながら仕事と子育ての両立をしていこうと思います。

家族のためにも自分のためにも、絵を描き続ける

私は漫画を描くとき、自分の内面を客観視してまとめるということをよくしています。そうすることで、自分が何をどう悩んでいるのか、家族に対してどうあたりたいのか、少しですが以前よりは見つめ直すことができるようになりました。それに漫画を通じて、夫にも自分の気持ちが以前よりも伝わるようになった気がしています。

漫画を描き始めた当初は、自分の悩みや葛藤を描いていろんな人に共感してもらうことで「自分だけじゃなかったんだ」と安心することが目的だったように思います。しかし漫画を描いているうちに自分の考えが整理され、また「オチ」を考える中で自分がどうなりたいか、どうすべきかがはっきりと見えるようになりました。

例えば離乳食に悩んだ経験から「娘は少食・偏食だけど、それも個性。食べる時期になったら食べるようになるから、焦り過ぎず見守ろう」といった内容の漫画を描きました。実際は焦り過ぎず見守ることはなかなか難しいのですが、こんなふうに考えられたら素敵だな……という理想や目標を盛り込んでいます。有言実行できるように意識することで、家族との関わり方も前向きになっているように思います。

そして、子供たちの生活をよく観察し、絵日記として漫画に描くうち、なんでもない日々がもっと大切に思えるようになりました。

私が絵を描き続けることは、家族のためにも自分のためにもなると思っています。いつか子供たちが私の漫画を読む日がきたら、漫画を通して「あなたたちとの日々が喜びに満ちたものだった」ということを伝えたいです。

著者:ふるえるとり

ふるえるとり

秋田出身東京在住、3歳と0歳の姉妹の育児中。子どもたちの寝静まった隙にイラストや漫画を描いて暮らしています。育児ネタのほかにシュールなキャラクターなどのイラストを描いています。

サイト:ふるえるとりのふるえワークス | Twitter:@torikaworks

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編集/はてな編集部

「働く自信がない」私が会社員になって苦手意識を克服するまで

 千野

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留学先の大学を中退し、現在は会社員として働く千野さん。今の仕事に就くまでの間にアルバイトなどの経験もなく、身近な家族や親戚の中で「会社員」で働く方がいなかったため、自分が会社で働くイメージを持つことが難しかったとのこと。

ただ実際に会社員になってからは「自分はできない」と感じていたことが意外と性に合っていたり、徐々に克服できていったりしたそうです。「会社員として働くこと」に不安を覚えていた千野さんの体験談と合わせ、実際に働きはじめてどうだったのか、また、「働き始める前」と「後」で心境にどんな違いがあったのかを寄稿いただきました。

***

2018年の夏、「大学を辞めて働く」と決断しイギリスの美大を中退してから今に至るまで、本当にあっという間だった。ロンドンで借りていた、あと何年かは住むつもりでいた小さな部屋を引き払って、バタバタと帰国して……。当時は精神的な重圧が体調に大きく影響する中で、痛む頭を抱えながら、虚ろな目で何枚も履歴書を書いたのをぼんやりと思い出せる。

履歴書を触るのは初めてだったし、私は賃金の発生する労働というものを、23年(当時)の人生を通して全く経験してこなかった人間だった。大学を辞めなければ、その年数はもっと延びていただろう。

求職中はとにかく必死。すでに独り立ちして生計を立てている友人達の背中を見つめては、自分はアルバイトの経験すらないのが何となく後ろめたく情けない気持ちになった。皆と対等に並ぶにはきちんと働いてお金を稼がないと、という思いで一杯だった。劣等感に苛まれてつらかったし、未来への展望や希望も、当時は全く持てていない。それでもいくつか面接を受けた結果どうにか職を得ることができて、振り返るといつのまにか1年以上の時が経過していた。私は、今もそこで働いている。

雇ってくれたのは小さな会社。たまたま求人サイト(PhotoshopやIllustrator等のソフトが扱えることが条件)を見て応募し、運よく採用されたので勤務することに決めた。このときは、正直長く続くかどうかも分からなかった。

業務の内容については省略するが、主に電話をかけて取材し文章を書くのに加えて、画像や動画の編集と、一般的な事務作業などがある。仕事をしていく中で良いことも悪いことも、好きなことも嫌なことももちろんある。ただ自分が毎日、自然と職場へ足を運べている事実に驚きを隠せない。

なぜなら、私は「会社」と呼ばれる未知の場所に対して大きな不安と恐怖を抱いていたし、そこでの業務に自分は向いていない、何もできないと根拠なく感じていたからだ。今は一口に会社、と言ってもいろいろな種類がある上、一昔前に比べて、その雇用形態や勤務時間も驚くほど多様になっているにもかかわらず。

世界のどこかに「こんな私でも働ける会社がある」とは全く思えなかった。面接には受かったものの、すぐに失望されて、クビになるに違いない。あるいは、自分がつぶれてしまうのではないか。そう諦めていた。文字通りに、何も知らなかったから。

「会社」という場所に対する不安感を持っていた私

入社時に使い始めた手帳

入社時に使い始めた手帳

そもそも私が抱えていた、会社という場所・組織に対する不安や、そこで働くことへの大きな苦手意識は、どのようにして形成されたのだろうか。

これは私自身が学生時代「会社で勤務する」のを全く想定していなかったことが原因の一つとしてあげられる。中学時代に進路を考え始めた際、好きだった絵の勉強に打ち込もうと思って、専門科目を重点的に学べる高校に進学した。それから紆余曲折あったが、結局卒業後に選んだのは、海外の美術大学へと続く道だった。

今まではそうやって、ただ興味のあることだけをひたすら追いかけてきたのが自分の人生。学校での勉強は楽しかったが、それが将来の仕事にどう結びつくのかの実感はなかった。特定の職業に就きたいと強く願ったことも、別にない。

卒業してからも、自分はなんとなくこの先も絵を描いて生きていくと疑わなかったし、どこかで働くにしても、いわゆる「一般の会社」ではないはずだと勝手に思っていた。そもそも、雇ってもらえないだろう。そこで役立てられそうな能力なんて、私にはないからだ。

この時私が考えていた一般の会社とは、従業員が毎日スーツを着て決まった時間に出勤し、パソコンが並んだ机の前で業務をこなし、ときどき電話をし、夜に帰宅するというステレオタイプなもの。そこで具体的に何をするのか、またどんな人間が居るのかを全く想像できず、自分にはあまり縁の無さそうな場所だといつも思っていた。そして、いろいろなことが怖くもあった。

会社のような組織に所属していれば、多かれ少なかれ、他の誰かと協力して何かをする機会がある。私はこれが苦手だった。他人と一緒に物事に取り組むにはコミュニケーションが欠かせない。しかし絵を描くという行為は一人で作品に向き合う時間が長い。学生時代から誰かと一緒に何かをするという経験が少なかった。学生時代はなあなあで済ませられたことも、仕事となるとそうはいかない。

ただでさえ知識も経験も無いのに、絶対に迷惑をかけることになると思った。そんなのは嫌だ。性格上、変に完璧主義な部分があったので、誰かの前で失敗をする未来を思い浮かべるだけでも本当に恐ろしい。そんなふうに、組織の中で動くことに苦手意識を感じていた。

それから、家族や親戚といった自分の周囲にはいわゆる会社員がほとんど居なかった。

働き方や業務内容について話を聞く機会がないので、小さい頃から目にしていた映画やドラマ、小説、漫画、そしてウェブなどから得られる情報だけが、私の中の「会社員像」を形作っていた。それらの中の彼らは、正直なところ楽しそうには見えなかったし、とても大変そうだなと感じていたのをぼんやりと憶えている。

忙しくて趣味に費やす時間がなかったり、自分に非が無くても叱責されることもあったり、頻繁に頭を下げなくてはならなかったり……。きっと、そこはつらくつまらない世界なのだろう、という勝手なイメージを昔から抱いていた。実際には、会社で好きな業務に携われている人も、良いことばかりではないけれどやりがいを感じている人も、たくさんいる。時代の流れで、働き方も大きく変化してきているのに。

そんな感じで、自分が当事者になるまでは全く想像できず、分からないことの方が多かった。

誰かと一緒に働く不安は、杞憂だった

しかし幸運にも採用され、勤務を始めてからは、これらの不安感は別のものに変わっていった。当初、会社は怖いところだし絶対自分に向いていない、という先入観が強かったので、働いてみると案外平気で拍子抜けしたことも少なくない。

例えば、他人に囲まれて仕事をすること。今までは一人で勉強しながら、黙々と作品を作っていたけれど、職場では違う。個人の勝手なペースでは物事を進められない。でもそれは、決して煩わしいばかりではなかった。入社以来、いろんなヘマをしてきたし、迷惑をかけて怒られたこともあったけれど、誰かと一緒に仕事をしていると、困ったときに相談できたり、助けてもらえたりする。チームで一つの物事に取り組んだり目標に向かって邁進したりする経験の少なかった私にとって新鮮な感覚だった。できないものは誰かに頼んでみるのも一つの選択肢だ。他の人たちが積み重ねてきた、幅広い前例を参考にできるのも会社などの組織で働く良さだと思う。

自分だけで抱え込まなくても、職場に行けば誰かが必ずそこにいてくれるのはありがたかったし、安心した。裏を返せば、失敗すると周りに迷惑をかけてしまう環境でもある。だから、常に職場全体の様子に気を配ることが大切だと感じる。

拭えない不安はまだある。でも、失敗を過剰に恐れなくてもいいんだと分かった。

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もう一つ、朝の決まった時間に会社に向かう日々は、意外と自分に合っていた。時間が決まっていないとつい生活が不規則になりがちで体調を崩してしまうこともあったが、生活リズムが整うと体調を崩しにくくなった。これは、実際に勤務してみなければ実感できなかったことだ(決まった時刻に出勤するのがつらい、という人ももちろんいると思う)。

それと出勤日がシフト制なのはありがたい。旅行が好きなので、休日が固定だとなかなか都合を合わせづらいのだ。会社で働く前に心配していた自分の時間が取れなくなってしまう状態にはなっていない。

これは職種や業界、運にも大きく左右される要素だと思う。たまたま初めての職場がそういう場所で良かった、とほっとしている。得意ではないことをする必要があったり、多少嫌なことがあったりしても、現在の仕事を続けていられるのは勤務形態や時間が望んでいる生活に合致しているだと思う。業務の内容が好きかどうか、向いているかより重要なことなのかもしれない、というのも働いてみて初めて感じたことだ。

新しい自分の発見と判断することの重要さを噛み締めて

仕事を選ぼうとする際、「やりがい」や「適性」ばかりを考えてしまいがちだったけれど、携わっている業務の全てが好きなことではなくても、充実した日々を送れている。まだ1年だけど、もう1年。最初は会社員なんて絶対にできないし、無理だと感じていたけれど。今の職場で働き始めてから、ほんの少しだけ自分に自信が持てた。

……とは言うものの、中には苦手な仕事もある。その筆頭が、知らない人に電話をかけて取材することだ。質問や応答の仕方、相槌の打ち方に正解などない上、自分が聞きたい話と相手が喋りたい内容に齟齬があった場合、何処かの部分でその溝を埋めないといけない。積極的に話したがらない人もいるし、場合によっては不快にさせてしまうこともあるので、とても難しい。それでも、入社当時に比べると随分慣れてきた。

また、さっきは職場に誰かが居ることの利点を挙げたが、毎日同じような顔ぶれの人間とずっと同じ空間にいる自分、というのに違和感を覚えることもある。何故だかはよく分からない。窮屈というか、監視されているような気がするからだろうか。昨日いた人間が今日も同じようにいて、いつもそこで何が起こっているのか、把握されているのがちょっと居心地悪いのだ。

それらを含めて、全てが自分に「向いている」とは正直思わない。でも、続けられている。どうやら「絶対に会社員はできない」わけではなかったらしい。あくまでも今のところは、だけれど。また年月がたてば、自分にとってベストな働き方は変わるかもしれない。

どんな状況で働いていれば幸せなのか、実際に働いてみないと全然分からない。

過去の自分や、最初の仕事選びで悩んでいる人に何か言えるとしたら、「職場によって人も常識も異なるから、とりあえずやってみて、続けられるものを見つけるのが良いのではないだろうか」くらいかなと思う。実際に取り組んでみるまでは、判断できることがあまりに少な過ぎるからだ。挑戦してみてから、やっぱり駄目だったと分かったら、離れたっていい。今は、そう思っている。

正直私もまだまだ未熟だし、誰かに助言できる立場にないのは承知の上。でも漠然とした不安を抱えている人々にこの文章が寄り添えたら……と願っている。

著者:千野

千野

お散歩や旅行、美術、本、そして紅茶を愛する人間。近代の洋館や産業遺産、ハイカラ・レトロな雰囲気に惹かれがちです。2018年にイギリスの美大を中退しました。普段は小さな会社で、文章執筆と事務をしながら孤独に修行に励んでいます。
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編集/はてな編集部

晩酌のお供に。大根を使った「つける、チンする、入れる」でできるおつまみレシピ

 河瀬璃菜

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仕事で帰ってきた心と身体を癒す手段として、晩酌を楽しむ人も多いのではないでしょうか。外でお酒を飲むよりも出費を抑えられるだけでなく、自分の好きなものを好きなだけ食べられるのもいいですよね。でも、いつも同じようなおつまみになってしまう……という人もいるのでは。

そこで、料理研究家の河瀬璃菜さんに、旬の大根を使ってできる晩酌のお供にもぴったりなレシピを教えてもらいました。

***

こんにちは。料理研究家の河瀬璃菜です。

12月も半ばを過ぎ、お仕事やイベントごとの準備にと、忙しい日々を過ごされている方も多いのではないでしょうか。

そんな忙しい毎日の息抜きの一つと言えば「晩酌」ですよね!

……まあまあ強引な感じになってしまいましたが、疲れて帰った日に飲むお酒って美味しいのはもちろん、心と身体をほぐしてくれるような気がするんです。

今回は、そんな晩酌のお供に食べたいおつまみレシピを紹介しようと思います。

メイン食材に選んだのは大根

冬の時期が旬の大根は夏の大根に比べてみずみずしく、甘みが強いのが特徴。そして何と言っても出費がかさむ年末年始のお財布にも優しい価格で買えてしまううれしい食材ですよね。

もちろんカット大根でも良いのですが、やはり丸ごと買った方が割安!

そんな大根を1本使い切れるだけでなく、下準備をしたあとは「漬けるだけ」「チンするだけ」「炊飯器に入れるだけ」で手軽にできる大満足なレシピを3つ紹介します。

【手間度★☆☆】病み付き!大根とさきイカの旨辛漬け

大根とさきイカの旨辛漬け。大根は千切りにしたら、塩もみし10分程度おき、水分をよく絞る。大根にキムチの素とさきいかをあえ、冷蔵庫で30分つけておく。冷蔵庫でつけたあと、千切りにした大葉、白いりごま、ごま油をまわしかければ完成

材料(作りやすい量)
  • 大根……1/3本
  • キムチの素……大さじ2
  • 塩……小さじ1/2
  • さきいか……20g
  • ごま油……適量
  • 大葉……3枚
  • 白いりごま……適量
作り方
  • 1. 大根は千切りにしたら、塩もみし10分程度おき、水分をよく絞る。
  • 2. (1)にキムチの素とさきいかをあえ、冷蔵庫で30分つけておく。
  • 3. (2)に千切りにした大葉、白いりごま、ごま油をまわしかける。

塩もみした大根をキムチの素、さきいかと一緒に「漬けるだけ」の簡単おつまみ! さきいかを一緒に入れることで、旨味がぐんと増して短時間で本格的な味わいに。大根を塩もみすることで、水分が抜け、短時間で味が入りやすくなりますよ。

大葉の爽やかな香りに、ごま油の香ばしさが後を引きます……これはお酒も欲しくなるけど、ご飯も欲しくなるやつ!

ちなみに、大根の千切りって面倒そうだな……という方は、スライサーを使えば簡単にできます。

スライサーを使っている様子

最近は100円均一などでも販売してるので、1つ持っておくと、みんな大好き人参しりしりが作れたり、きんぴらごぼうなんかも簡単に作れて便利ですよ。

【手間度★★☆】さっぱりコクうま!レンジで牡蠣のバタぽんみぞれ

レンジで牡蠣のバタぽんみぞれ

材料(2人分)
  • 大根おろし……1/3本分
  • 牡蠣(加熱用)……300g
  • ポン酢……大さじ3
  • バター……25g
  • 青ネギ……適量
作り方
  • 1. 牡蠣はふり洗い(※)する。
  • 2. 耐熱ボウルに牡蠣と大根おろし(汁ごと)を入れたら、ふんわりとラップをかけ、600wの電子レンジで7分加熱する。
    • (レンジの性能によって加熱時間にムラがあるので、調整をしてください)
  • 3. (2)にバターを溶かしたら、ポン酢をまわしかけ、青ネギをちらす。
(※)……塩水(水に対して塩は約3%)に入れ、手で優しく混ぜながら洗うこと

牡蠣の料理ってなんだか面倒そう……! という方にぴったりの1品。レンジでチンしてできる簡単おつまみです。

ポン酢と大根おろしのさっぱりとした味わいの中に、少しバターを入れることでコクと旨味を感じることができます。これは日本酒が合いそうなやつですね〜。

ちなみに、大根をおろすのが面倒という方は、フードプロセッサーやミキサーで攪拌しちゃえばOKです。大根おろしをたくさん作り過ぎてしまっときは、小分けにして冷凍しておくと便利!

レンジで牡蠣のバタぽんみぞれの調理過程。フードプロセッサーやミキサーで攪拌している様子

解凍は常温でOKです。これからの時期、鍋に入れてみぞれ鍋にしたり、煮物のみぞれ煮や、みぞれあんなんかにしてもいいですね。

【手間度★★★】炊飯器で簡単!ジューシー塩角煮

ジューシー塩角煮。炊飯器でできる

材料(作りやすい量)
  • 豚バラブロック肉……300g
  • 大根……1/3本
  • ゆで卵……2個
  • 七味唐辛子・・・適量
  • 白髪ねぎ・・・適量
  • (A)
    • 鶏ガラスープの素……大さじ1
    • 酒……50cc
    • みりん……100cc
    • 水……100cc
    • 塩……小さじ1
    • 生姜(すりおろし)……1かけ
    • にんにく(すりおろし)……1かけ
作り方
  • 1. 豚バラブロック肉は3cm角に切る。大根は2cm幅の半月切りにする。
  • 2. フライパンで(1)を焼き色がつくまで焼いたら、たっぷりのお湯で茹でこぼす(※)。
  • 3. 炊飯釜に(2)と大根、ゆで卵、(A)を入れ通常炊飯し、その後30分保温する。
  • 4. (3)に白髪ねぎを盛り、七味唐辛子をふる。
(※)……材料をゆで、ゆで汁を捨てること

長時間、コトコトと煮込むイメージがある角煮も炊飯器に入れるだけで柔らかジューシーな味わいに! 圧力鍋を使う必要もなく、スイッチを押したら、あとは自由です!火の面倒をみる手間がないのはうれしいですね。

ポイントとしては、面倒かもしれませんが工程2で茹でこぼすこと。

茹でこぼしさせている様子

脂がたっぷりの豚バラ肉はそのまま角煮にすると、どうしても少々しつこくなってしまいがち。さらに茹でこぼすことで、豚肉特有の臭みも感じづらくなりますよ。

塩角煮には、七味唐辛子や辛子をたっぷりつけて食べるのがオススメです。和山椒なんかもいいですね。ジューシーな豚の角煮はビールがぐびぐび進むこと間違いなし!

***

大根1本ってなかなか使いきれない!というイメージをお持ちの方も少なくはないと思いますが、この冬は思い切って丸ごと買って、晩酌のおつまみを作ってみてくださいね。

著者:河瀬璃菜/りな助(料理研究家・フードコーディネーター)

河瀬璃菜

1988年5月8日生まれ。福岡県出身。レシピ開発、商品開発、食の企画やコンサル、レシピ動画制作、企画執筆、編集、イベントメディア出演、料理教室など食に纏わる様々な活動をしている。SONY XperiaのCMやKIRIN本麒麟の広告への出演などその活動は多岐に渡る。近年では地方を元気にするための6次化商品の開発に力を入れている。著書「ジャーではじめるデトックスウォーター」「決定版節約冷凍レシピ」「発酵いらずのちぎりパン」 など。
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編集/はてな編集部

そこには見えざる人がいた。4つの映画作品を例に、女性クリエイターの活躍を読み解く

 CDB

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学生時代から映画鑑賞を始め、社会人になった現在でも年間で約100作品鑑賞しているブロガーのCDBさん。いろいろな職場で働く中で、CDBさんは「重要なポジションに就く、表立って評価されてもおかしくない人々がさまざまな事情によって影に隠れてしまう様子」を見てきたのだそう。その構図は、一般的な職場だけでなく、映画制作の中でもあるのでは……と語ります。

そこで今回は、映画作品に関わったクリエイターに注目し、CDBさん独自の目線でくわしく語っていただきました。

***

『Hidden Figures』という映画がある。日本では『ドリーム』という邦題で公開された、60年代のNASAをテーマにした黒人女性スタッフたちの物語だ。『Hidden Figures』(隠された人たち)という原題には、アメリカの威信をかけた有人宇宙飛行、マーキュリー計画に関わる重要な仕事をしながら歴史の表面に出ることがなかった彼女たちへの思いが込められている。

非正規雇用の派遣社員としていろいろな職場で働いていると、映画のようなことは現実でもしばしば目にする。「映画のようなこと」というのは華やかなロマンスや胸躍る冒険ではなく、隠された、見えざる人たちのことだ。事実上の管理職、あるいは正社員に準じる業務を担いながら、それぞれの抱える事情によってあるべき役職や雇用形態から外れている人たちを僕は何人も見た。とりわけ女性は、結婚や出産というファクター、あるいは社会的な構造によって能力や資格を持ちながら「Hidden Figure」の位置に置かれることが多いように感じる。それは時に映画でも現実でも、そして映画を作るスタッフの中にも存在する構造である。

僕が今から書くのは、有名作品のスタッフロールの中に隠れた、見えざる女性クリエイターたちのことだ。

※ 編集部注:以下には、作品内容に触れる情報が含まれています

世界的に有名なアニメーション映画に携わった人のこと

スタジオジブリのアニメ『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督の遺作としてよく知られている。公式サイト、DVDやポスターのどれを見ても目につくのは『原案/脚本/監督・高畑勲』の文字だ。だがDVDパッケージを裏返したり、公式サイトのクレジットを注意深く読めば、そこに小さな文字で書かれた名前を見つけることができる。

「脚本」あるいは「共同脚本」という肩書きで書かれた 坂口理子 という一人の女性脚本家の名、それがこの世界的に評価されるアニメーション作品のHidden Figureの名前である。

かぐや姫の物語

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『かぐや姫の物語』の制作がいかに難航したかという壮絶な伝説は、アニメ界、映画界に広く知られている。最晩年の高畑勲の映画に対する厳しさは、「完璧主義」「理想主義」などという綺麗事をはるかに超えていたとされる。ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』の中で、宮崎駿は『かぐや姫の物語』を制作中の高畑勲について「映画が出来ないように出来ないように動いている」と吐き捨てるようにつぶやき、プロデューサーの西村義明氏は「3年間、高畑勲の夢しか見ていない」「いつも高畑さんと話している、夢の中で」とうめく。

『かぐや姫の物語』のプロデューサーだった西村義明が制作の停滞にたまりかねて知人の脚本家に依頼して書き上げた脚本は、完成後に高畑勲の意向に合わないという理由であっさりと葬り去られた。二人目の脚本家として坂口理子が投入されたのはその数カ月後である。当時の経緯、高畑勲との初対面の様子は、西村義明氏のブログに今も残っている。

坂口理子という脚本家が『かぐや姫の物語』のストーリーにどう関わり何が変わったか、どこまでが高畑勲の作品でどこまでが坂口理子の書いた部分なのかという細密な検証は少ない。公式サイトやパンフレットにも彼女のコメントはなく、『かぐや姫の物語 ビジュアルガイド』などでの数少ないインタビューでも坂口理子は「その時読んでいた痴呆症の本をもとに、物語の重要な役割を担う『記憶』に関してのアイデアを出した」という逸話を部分的に語っているが、それ以上の多くを語っていない。

ほとんど誰も寄せ付けないほど孤高で峻厳(しゅんげん)になり、そもそも映画を作ること自体への懐疑すら口にした最晩年の高畑勲と若き女性脚本家が向き合い、何年も進まなかった脚本をたった三カ月で完成させたプロセスでどんな対話とコミュニケーションがあったのか。確かなことは、半年で9分しか書かないほど脚本を停滞させていた高畑勲が、初対面から三カ月で書き上げた坂口理子の脚本に対して、「こういう映画だったんですね」とつぶやき*1、彼女との共同脚本を土台にして『かぐや姫の物語』を作り上げ、完成の舞台挨拶にも坂口理子が並び立つほど最後まで信頼が揺るがなかったこと、そして高畑勲最後のアニメーションが深くフェミニズムの色を残す作品になったことである。

それは高畑勲という不世出の名監督の死の数年前に起きた最後の奇跡だったと思う。もし坂口理子の脚本が高畑勲を動かすことができなければ、『かぐや姫の物語』は未完のまま制作中断、あるいは高畑勲の死去と共に葬られた可能性が高い。

坂口理子はその後も多くの映画に関わる。ジブリを離れスタジオポノックを立ち上げた西村義明プロデューサーの『メアリと魔女の花』にも、坂口理子は「共同脚本」として名を連ね、映画は32億円*2のヒットとなった。百田尚樹原作小説の『フォルトゥナの瞳』の映画化でも彼女は脚本を担当し、有村架純演じるヒロインについての描写を、原作の抽象的女神のような存在から、能力を持つ必然性と心の陰影を持ったリアルな女性像へと描き直している。

メディアや評論家がスター脚本家として坂口理子の名を論じることは少ない。だが多くの名作をその技術で影のように支える、Hidden Figureの1人であると言えるのではないか。

2人の女性クリエイターがタッグを組んで見せた姿

坂口理子が脚本を担当した『フォルトゥナの瞳』でヒロインを演じた有村架純は繊細な女優で、脚本を信じられるか、演じる女性像に体重を預けられるかどうかで、演技の重心がまったく変わってしまうようなところがあると思う。『フォルトゥナの瞳』では坂口理子の脚本がそれを助けたのだが、映画『コーヒーが冷めないうちに』では、 塚原あゆ子 監督と 奥寺佐渡子 脚本という2人の女性クリエイターが彼女を支えている。

塚原あゆ子監督はテレビドラマの演出として実績を築き、『コーヒーが冷めないうちに』で初めて劇場映画監督デビューとなった。近年強く記憶されるのはTBS連続ドラマ『アンナチュラル』での演出で、女性を中心にした物語とスピード感のある演出で2018年の東京ドラマアウォードなどの賞を受けている。

『コーヒーが冷めないうちに』の原作では「家族回帰、母性、献身」というテーマが鮮明に打ち出されている。女性法医解剖医を主人公に、科学と論理で社会的テーマに切り込む『アンナチュラル』での野木亜紀子の脚本とはある意味で対極の世界観だと言ってもいい。しかし推測だが、おそらくそれが塚原あゆ子監督が、日本ではまだまだ少ない女性監督として企画側から起用された理由ではなかったかと思う。

社会の中で働く女性が初めて重要なポストを任される時、それが自分の感性や、フェミニズムと理想的に一致する仕事ではないこともありうる。男性上司から「これは女性ならではの感性でやってくれ」と投げられた企画を飲み込むところからキャリアがスタートする、ある世代まではそういう経験を持つ女性も多かったのではないかと思う。

映画『コーヒーが冷めないうちに』の場合がそうであったかは分からない。ただ、塚原あゆ子監督は、『アンナチュラル』に比較してやや家族回帰的で精神主義的な色彩の濃いこの原作の映画化を、数少ない日本の女性映画監督、その劇場映画初監督作として引き受けた。原作ファンの期待を裏切ることなく、同時に映画監督としての自分の意志と手腕も見せなくてはならない、その彼女の片腕となったのは、脚本家の奥寺佐渡子氏であった。

コーヒーが冷めないうちに 通常版 [DVD]

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細田守監督のアニメ映画の脚本として物語を支えて彼を押し上げてきた奥寺佐渡子脚本と、塚原あゆ子監督は鮮やかな連携を見せる。「コーヒーを飲むとタイムスリップするがそれには様々な制約がある」という非現実的で入り組んだ設定を映画の観客に導入部で納得させるためのスピーディーでビジュアルな演出、タイムスリップを視覚的に見せるための巨大なプールを使った映像効果。そして「記憶を失う配偶者を愛する高齢の夫婦」という設定は、原作とは男女を逆に再設定されている*3。映画の観客に不満があろうはずがない。そこに描かれている夫婦の愛に変わりはないのだから。「夫の介護は妻の役割であって、夫が妻の面倒を見るような設定変更があってはならない」と考える観客以外には。

たぶん社会の中で働き、クライアントとの関係の中で仕事をする女性たちにとっては、映画パンフレットでコメントする「女性だけでなく、男性にも楽しめて共感できるように、夫が妻を介護する設定に変えた(大意)」という塚原監督や、「タイムスリップするのが全員女性より、男性もいる方がいいと思った」と語る奥寺氏のレトリックの真意がよく分かるのではないかと思う。原作における男女の関係性を入れ替え大胆にアレンジした意図を説明する時、批判や攻撃性を感じさせずに原作のファンに納得して楽しんでもらうために、どのような言い回しでそれをオブラートにくるむか。回避できる摩擦は回避することが、決定的な部分で譲歩しないためにどう重要か。それは現時点で企業で働く女性が身につける職業戦略にたぶんとても似ているのではないかと思う。

映画『コーヒーが冷めないうちに』は最終的に興行収入15億円のヒット*4を記録した。それは塚原あゆ子監督と奥寺佐渡子脚本による鮮やかな連携であり、同時にある種のトリックプレーでもあった。多くの映画の観客たちはどのカードが原作とすり替えられ、どのカードが加わったのか意識しないまま映画に心地よく揺られる。介護の男女が逆になったことも、いくつかの設定が原作から変更され、塚原監督と奥寺脚本のオリジナル設定に変更されたことも、売り上げ数十万部におよぶ原作のファンを怒らせることはなかったのではないか。そして有村架純演じる「数」という主人公には、原作にない新谷というボーイフレンドの設定が加わり、心を閉ざした少女が家から一歩踏み出す物語が静かに書き加えられている。まるで主演女優、有村架純に対する、2人の女性クリエイターからの贈り物のように。

この映画の成功によって、女性監督と女性脚本家の映画がヒットしたという商業的実績が、後進の女性作家たちに残された。塚原あゆ子と奥寺佐渡子という2人のクリエイターは、その真意と作家性を表現の奥に隠し、あえてHidden Figuresとなることで、このプロジェクトを成し遂げ、ギャンブルに勝ったのである。

「20世紀の女の子」と「21世紀の女の子」

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2018年の年末には、新進気鋭の女性映画監督、山戸結希のプロデュースのもとに、新世代の女性監督13人が短編映画を競作した『21世紀の女の子』が公開され、ヒットを記録した。劇場挨拶では主演女優たちと若き女性監督がフラットな立場で舞台に立ち、映画論を交わした。その中の一編、橋本愛を主演にした『愛はどこにも消えない』の松本花奈監督は、女優の松岡茉優が「子役のころから一緒に仕事をさせて頂いている同世代の監督」と語る女優出身の映画監督である。彼女たちの世代の中で、監督と役者、見るものと見られるものの垣根はどんどん消えて行く。

2018年に公開された白石和彌監督の映画『止められるか、俺たちを』は、伝説的映画監督、若松孝二を描いたと公式には銘打たれているが、映画を見ると分かるとおり、映画の内容は実際には1969年に若松プロに入社して助監督となり、1972年に急死した 吉積めぐみ を主人公に描かれた、1人の女性クリエイターへの追憶の映画だ。革命運動とポルノ映画、という、60年代末のカリスマ的男性映画人たちの熱病のような情熱の中で、女性監督見習いとして紛れ込んだ門脇麦演じる吉積めぐみは自分の居場所を探すようにさまよう。

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そこに描かれるのは男性社会の中に最初の1人として存在した「20世紀の女の子」の苦悩と挫折、そして謎の死であり、この映画は早過ぎた女性映画監督であった彼女に対する男性映画人たちによる贖罪と内省、彼女への問いかけの映画になっている。試作品のような短いポルノ映画を一作だけ残して死んだ吉積めぐみもまた、時代に翻弄されたHidden Figureの1人だったのだ。

自ら「21世紀の女の子」という名を冠し、女性監督のみで編成したオムニバスで市場に興業を成立させる若き 山戸結希監督 たちは、70年代に死んだ吉積めぐみの孤独と苦悩から遠く離れた、独立国家を立ち上げるような希望に溢れている。

彼女たちはもうHidden Figuresではなく、どこにも隠れてはいない。でもたぶん、21世紀の女の子たちがそうして表舞台で光を浴び、隠れずにすむ下地を作ったのは、坂口理子や塚原あゆ子や奥寺佐渡子という上の世代の女性クリエイター、20世紀の女の子たちが土地を開拓し、荒れた地面を踏み固めてきた結果なのだと思う。

それはたぶん映画の中や、映画業界の中でだけ起きることではなく、現実の社会の中でも起きていることだ。僕は映画の中でそうしたクリエイターたちの隠れた仕事を見る時、いろいろな職場の中で出会った見えざるスタッフたちのこと、彼女たちが人知れず作り、今も作っているだろう管理されたリストや調整されたスケジュールという見えない仕事のことを思い出す。映画であれ企業の中であれ、それらはどこかよく似た形の仕事であり、彼女たちの作品なのだと思う。それらの作品たちは僕らの社会に静かに流通し、川の水が岩の形を変えるように、今日も少しずつ社会の形を変えていくだろう。

著者:CDB

CDB

ツイッターやブログで好きな映画や本を紹介しています。
Twitter:@C4Dbeginner
Blog:CDBのまんがdeシネマ日記
note:CDBの七紙草子

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編集/はてな編集部

 

「みんな頑張っているから仕事を休めない」と無理をしていた私が、自分を大事にできるようになるまで

 ねます

異動先の職場で忙しい日々が続き、自分の限界を超えてしまったというねますさん。でも、最初の頃は「みんな頑張っている」という言葉の呪縛から「自分よりもっとつらい人はいる」と自分が限界を迎えているにもかかわらず無理を重ねてしまっていたのだそう。涙が止まらない日々を何とかするために訪れた病院での診断をきっかけに「頑張る」という言葉に対する向き合い方が変化していったと言います。自分のペースをつかめるようになった今、改めて大切だと感じることについて寄稿いただきました。

***

今から数年前、雪が降り積もった朝。

3月も残り数日、今年度がもう終わるというその日、目が覚めてからとにかく涙が止まらなくて仕事に行ける状態ではなくなってしまった。しかし、行かなくてはならない。職場に電話をしたら、親しい先輩が車で迎えに来てくれた。

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職場に向かう車の中、「みんなつらいけど、頑張っているんだよ」と先輩に言われたことが、今でも忘れられない。

頑張って頑張って、それでもたりないと言われたあの日

当時の職場は、数十人の職員に対して事務職員が私一人、という環境だった。

就職してから2つ目の職場。はじめの職場は事務職員が複数いる環境で、私もそれなりに仕事をこなしてきたつもりだ。異動で一人配置だと聞いた時は不安もあったが、やっていけるという自信の方が大きかった。

規模は小さくなったものの、のんびりした環境から、がつがつ仕事をするベテラン揃いの職場になった。笑い声もあるけれど、難しい問題が次々に飛び込んでくる。○○○に異動になりました!と送別会で言った時に、訳知り顔でニヤニヤしていた同僚の顔を思い出す。こういうことか。

異動して1年目の4月。とにかく忙しかった。書類を提出、提出、そして提出。連休前に設定された締め切りの数に圧倒されながら、でもここを乗り切れば少し落ち着くはず、そう思って次々に降ってくる仕事を片付けた。5月、6月、7月。いくら仕事をこなしても「一段落ついた」と思える瞬間はやってこない。締め切りに追いかけられる日々だった。

帰宅時間もだんだん遅くなっていく。21時、22時あるいはそれ以降、残っているのが当たり前になったが、私より遅くまで仕事を続ける同僚がいた。早い時間に帰っていても、自宅で仕事をしている人もいる。私はまだ若手だし、ひとり暮らしで融通がきく、もっと頑張らないと。そう思っていた。

24時間のうち、仕事に取り組む時間ばかりが増えていく。

少し涼しくなり始めた秋頃だったか。職場ではへらへらしているくせに、家に帰って、あるいは帰宅途中で、涙がぼろぼろこぼれるようになった。何が、ということではなく、漠然と、全てが不安だった。私の能力では不十分なのではないか。仕事の進め方を相談したり、自分なりに効率的な仕事術を取り入れたりもしてみた。それでも仕事が追い付かなくて、もうどうしたらいいのか分からないのに明日も仕事がある。焦りばかりが大きくなっていく。

土日も仕事にあてて、それでやっと間に合う状態だった。

しかし、休みの日に職場に来ているのは私だけではなかったし、私より大変な事情を抱えている人は、同じ職場にいくらでもいた。自分が大きな病気をしているとか、家族の介護があるとか、子どもがまだ小さいとか。そういった事情の調整を取りながら、私より責任のある仕事を粛々と進めている姿を見ると、しんどいなんて言えなかった。みんなに比べたら、私なんて。

ここで弱音を吐いたら甘えだ、そう思って我慢した。

そして我慢しきれなくなって年度末、冒頭に戻る。

「みんな頑張っているんだよ」の言葉には、「だからあなたも頑張って」と続くのだろうか。私自身、この言葉で自分を追い詰めて、もう無理だというところまできた。しかし、まだ頑張らなければならないらしい。

泣いている場合じゃないということも、もちろん分かるのだけれども。

その日は出社して、その後どう過ごしたのかは覚えていない。無事に、とは言えないが、どうにか年度末は乗り切った。

受診して、やっと立ち止まることができた

異動して2年目となる4月。空気はあたたかくなり、明るい季節がやってきた。

着任したばかりの一年前に比べれば、だいぶ楽に仕事を進められるようになっていた。私が年度末にボロボロだったことを知っている同僚からは、よかったね、と声を掛けてもらうこともあった。

しかし、家に帰ってからぐずぐずしてしまうのは、いつまでたっても治らない。泣く、という行為は結構疲れるし、時間も消費してしまう。いい加減どうにかしなくてはと思い、職場の相談制度を利用することにした。ただこれは指定の病院で医師に話を聞いてもらうだけで、治療行為ではない。

「大変な人はねえ、何を食べても味がしなかったり、夜も全く眠れないんですよ」、はあそうですか。「そこまでではないんですよね、緊急性もないですし様子を見ましょう。つらい状態が続くようなら改めて受診してください」。民間のカウンセリングも受けてみた。「あなたの状態なら自分で解決できそうですね。こちら、認知行動療法のテキストですので、参考にどうぞ」、はあどうも。

話を聞いてもらうだけではあったので当然かもしれないが、なんだか「大丈夫だよね」と言われているようだった。

他の人はどうなんだろう、とインターネットで『仕事 つらい』と検索すれば、誰かのつぶやきが画面に表示されていく。

『頭痛い おなか痛い 朝から吐いた』
『眠れない ご飯が食べられない』
『暴言吐かれた 無茶振りされた』
『終電に間に合わない 睡眠時間3時間』

みんな大変なんだなあ。私なんて泣いているだけだし、まだ大丈夫、元気だよね。働くって、そういうものなのかな。そんなふうに感じていた。

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それでもやっぱり泣くのは治まらない。

とにかく情緒が安定するように漢方薬でも処方してもらえればいい、そう思って、心療内科に行くことにした。

問診票を書いて、簡単な聞き取りをされて、待つ。結構、人いるんだな。すみません、元気なのに。もっと大変な人なんていくらでいるのに、私なんかが来ちゃって。

名前が呼ばれる。医師とやり取りをしながら、漢方薬もらえるかな、様子見で終わりかなと考えていたら、抗うつ薬を処方されることになった。

え、まじですか。

自分がそういう状態、薬が必要な状態であることには驚いたし、ショックだった。だった、けれども。同時に、本当にほんとうにほっとしたのを覚えている。

すぐに、は無理だったけれど、周りの協力を得ながら少しずつ仕事量を減らすことができた。無理やり走り続けることをやめて、休んだり歩いたり、また走ったり、今は自分のペースを維持できている。

「頑張った」かどうかを、他人任せにしない

自分の健康を犠牲にしてまで仕事を優先していた、この時期の出来事を思い出すたび、ただただ、社会人として未熟だったことを痛感する。もう無理だと一人で抱え込まず、できないならできないと相談することが、仕事に対する誠実さだったのではないか、と今になって思う。

そうやって反省する一方で、しかし、どうすればよかっただろうと考えてしまう。私が何とかすべきだったこと、私ではどうしようもできなかったこと、いろいろな要因が絡まったこの経験を、正直なところ私はまだ完全に消化できていない。

あの頃の私に言いたいことはたくさんある。ただ、せめて健やかな生活を送れるよう忠告するならば、「みんな頑張っている」という言葉、その考え方には気をつけろ、ということである。

私は受験も就職もなんとなくうまくいって、それなりに努力すれば結果を出せるような、そこそこ真面目なタイプ。何度もリーダーを任せられたりして、周囲からの信頼も厚い。自分で言うのもなんだけど、私はそんな人間だ。そして、少しばかり他人を気にする(こんなこと言って、変なやつ、できないやつ、と思われないかな)。

「みんな頑張っている」という言葉は、私には相性が良過ぎた。いい子でいたい、優秀でありたい。ちゃんと分かっていますよ、とでも言いたげに、私はこの言葉を原動力にがむしゃらに働いた。

それは呪いのようでもあり、「だから休むな、もっと頑張れ」と私を追い込んだ。

頑張る、という言葉には終わりがない。さらによい結果を出そう、そう考えるのはいいけれど、上ばかり見ていた私はつまずいて転んでしまった。転んでケガをしたのだろうか、もう立ちたくない、というところまでボロボロになった。

周りを見渡せば、私より大変な人、忙しくてつらくて苦しい人はたくさんいる。そうやって、それぞれ必死にもがいている。「みんな頑張っている」から私も頑張るというのであれば、私は世界で一番頑張っている人にならなければならない。でも、そんなの無理だ。

だって、どうやって一番頑張っていることを証明できるというのか。

頑張るという行為は、その人の内面の問題だ。○○○ができたから頑張った、ということではないし、もちろん、数値化して測れるものでもない。本人にしか分かり得ないのだ。私は、「みんな」というあいまいな存在に頼ることなく、自分自身でよくやったと認めるべきだった。

「みんな頑張っているから、私も頑張る」という価値観は、時として必要かもしれない。しかし、いつでも、いつまでもこの価値観に頼っていると、困ることになるんじゃないだろうか。私みたいに。

もう、「頑張(る)」がゲシュタルト崩壊しそう。

何が苦しくてつらいのか、それは「みんな」違う

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あれから数年。私は再び異動したけれど、通院は今も続いている。

大変だったんだよ、という話を友人とすると、うんうん分かる、私もねー……と返ってくることが多い。あなたもいろいろあったんだね、山あり谷あり、平坦な道ばかりじゃないよね。それこそ、インターネットには、みんなの人生談がごろごろ転がっている。大変な状況で踏ん張っている人もいるし、ちょっとお休みします、という人もいる。  

『その程度で休むの?』

弱っているときに、インターネットなんて見るものではない。検索して表示されたこんな言葉が、ズシリと心に突き刺さる。その程度で、病院に通っているの?

確かに、その程度、なのかもしれない。ちょっと仕事量が多い、それがなんだというのだ。しかし、私たちは一人ひとり、耐えられるつらさや苦しさが違う。そう考えることにした。あなたにとっては平気でも私にはそうでないことがあるし、その逆も、また然り。

食べ物の好き嫌い、と言ったら乱暴過ぎるだろうか。好き(得意)だとかそうじゃないとか、その組み合わせはみんな違うけれども、押し付けあうものではない。食べてみて、やっぱり無理! なら残してもいいんじゃないかな、今は無理やり食べさせる時代でもないし。

そうやって一呼吸おいて、でもやっぱり食べなきゃいけないと思うのなら、工夫したり、相談したりして克服していけばいい。そう考えては、だめだろうか。


そういえば、忙しかった当時の職場で上司に言われたことがある。

「自分を大事にできない人は、周りの人も大事にできないんだよ」

私が自分を追い詰めるタイプだと、見抜かれていたのだろうか。

自分を大事にできない人は、他人にも同じように自身を大事にしないことを求めてくる。私はこれだけボロボロになったのよ、だからあなたも同じくらい働きなさい! なんて。そうやって誰かから呪いを受け、また誰かに呪いをかけてしまうのだ。

自分を大事にできる人とは、その言葉に負けない人ではないだろうか。そうやって、呪いが広まるのを、止めることができる人。

ならば私は、自分自身のつらさも苦しみも、まっすぐに受け入れられる人間でありたい。まずは、誰でもない「私」と向き合うことから始めていく。


編集/はてな編集部
イラスト/caco

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著者:ねます

昭和生まれ平成育ち地方在住OL、それ以上でもそれ以下でもありません。好物は塩パン。
Blog:明日に備えてもう寝ます

本記事は2019年5月〜6月にかけて実施した「りっすんブログコンテスト2019」に応募いただいたねますさんによる寄稿記事です。ねますさんのブログコンテスト応募記事はこちらから。※応募記事はねますさんのブログへ遷移します

「見た目」を変えるための行動のおかげで、「私」を少しずつ肯定できてきた話

 ぐでぺん

ぐでぺんさんイメージ画像

子供の頃から自分に自信がなかった、というはてなブロガーのぐでぺんさんは、職場の先輩からのアドバイスをきっかけに外見を変えるための努力を重ねてきたのだそう。最初は「見た目を変えていく」ためのプロセスが、いつしか外見の変化だけに留まらない影響があったと言います。

これまで自分を慈しむ方法を知らなかったぐでぺんさんは、見た目を変えるための行動を積み重ねていくことで徐々に自分自身の内面の変化や、そこから“精神的な安定”をも手に入れていきます。“私の手で私を育てる”尊さに気づき、華やかな場も楽しめるようになった時、自分に愛着が湧いてきたそうです。理想の自分を掴み取るまでに、どんな心境の変化があったのでしょうか。

***

自分が嫌いで「私」を辞めたかった

子供の頃からいつも自分に自信がなかった。他人の目線が気になって仕方がなく、人の顔色をうかがっては陰口を言われるんじゃないかとビクビクしていた。

謙遜のつもりだったのかもしれないが、母親の口から出るのは自分を否定する言葉ばかり。誰かが私のことを褒めると「そんなことはなくて……器量もよくないし、くだらないことばかり覚えて、運動がからっきしダメでどうしようもないんです」と言う。運動が苦手な私に対し「運動ができないなら人一倍努力しろ」ともさんざん言ってきた。できていないのは自分だって分かっているし、そんな自分を責めることもあった。それを理解してもらえなかったのはしんどかった。

でも、それが母親の本心だと思っていたし、自分でも「私はダメな子なんだ」という気持ちが膨らんでいった。そんな日々が続くと、誰かからたまに優しい言葉をかけられても、「本当はそんなこと思ってないくせに」と感じてしまうし、「自分には価値がなくて存在しない方がいいんだ。家でも学校でも、皆そう思っている」と当時は本気で思っていた。

コンプレックスは運動だけでなく、外見や人間関係にまで広がっていった。あの子みたいに奇麗じゃないし、おしゃべりで周りを楽しませるわけでもない。どんどんネガティブになっていった。

年頃になって見た目に気を使おうとするも、これも親から「色気付いてる」と言われ、萎縮してしまった。結局、身なりや化粧もおろそかなまま。周りの子たちはファッションやメイクの練習を始めるなど、どんどん奇麗になっていった。それに比べて自分はどうだろう? 元々の外見も良いわけではない。自分のスタートラインは他の子たちよりも後ろにあるはず。なのに私はまだ、「身なりを整える」そのスタートラインにすら立てていない。そんな自分のことが嫌で嫌で仕方なくて、他人になりたい、もう私であることを辞めたいと思っていた。

自分を大切にするために。「見た目を変える」という決意

実家を出て働き始めても、ネガティブ思考は変わらなかった。見た目に対するコンプレックスも変わらず、自分に価値がない、楽しんじゃいけないとも思っていた。自分のために何かをしたこともなかったから、手元にあるお給料はどう使って良いのか分からなかった。そんなあるとき、職場の先輩のアドバイスを機に歯列矯正を始めた。自分で稼いだまとまったお金を、自分のために使ったのは初めてだった。

歯列矯正をしたらもっと顔立ち自体が変わると思っていた。けれど、歯列矯正が終わっても思ったほどの劇的な変化は得られず、鏡に映るのは現実に不満そうな自分だった。

同じ頃、人事異動で配属された部署で休みが取れない日々が続き体を壊してしまい、医者に運動を勧められスポーツジムのヨガのクラスにしぶしぶ通っていた(苦手意識はあったが)。

そこの先生がとても素敵だった。元々バレエも教えていて、姿勢が良くピシッとしているのに動きは優雅で、醸し出す雰囲気も柔らかい。

「あの先生のように素敵になりたい」

自分からは遠いところにいる人と思っていたけれど、何かがぷつんと弾けてしまった。心の中からどろりと熱いものが流れ出して、止められなかった。自分の理想を掴み取りたい思いが、私を猛烈に突き動かした。

見た目を変えるためのさまざまな挑戦が、世界を広げた

ただ、はじめは何をしたら良いのか、何から手をつければよいのか分からなかった。

ゴールは絶世の美女になることではなかった。極端な例だが、一人の社会人女性として、一緒にいる人に恥をかかせないような、上品でキレイ目の雰囲気を目指した。お手本にしたのは、ある客室乗務員さんのブログ。顔立ちにかかわらず「雰囲気は訓練で身につけられる」とあり、とにかく書いてあったことをひたすら実践していくことに。「理想像に自分を寄せていく」をモットーに、姿勢、美容院、服装、お化粧、立居振舞いなど、多くの事をとにかく真似してみた。

髪の毛は色を少し明るくして、まとめ髪にするだけで印象が変わったし、リップもぱっと顔色を明るくしてくれた。毎日の小さな選択を今まで選んだことのないものに変えてみたことで、戸惑うこともたくさんあった。姿勢改善、口角を上げる、お化粧の仕方、服の選び方……。今では習慣になったものもあれば、やめてしまったものもある。けれど、新しいことに触れるのは刺激的で楽しかった。

今まで外見に気を使うことをしてこなかったから、「私が素敵だと思う人たちはこれだけのことをやっていたのか……」と尊敬の念を抱くほどにハードだった。ただ少しずつ、手をかけたぶん確かに見た目が変わっていった。

ぐでぺんさんが自分に向き合ったノート

自分に向き合ったノート。やることを明確にし、それをこなしていくのは面白かったです

変わっていく過程の中で、自分のできていないところ、至らないところを見るのはつらかった。見たくないところ、認めたくないところもあった。でも、変化が目に見えてくるのは楽しかったし手ごたえもあった。

新しいものに挑戦して、できることが増えるに従って自信がついていった。自分の嫌なところが変わっていったり、できることが増えたりするのが楽しかった。私には縁遠いと思っていたものを取り入れることで自分の幅が広がっていき、私の視野って狭かったんだなと痛感すると同時に、どんどん世界は広がっていった。

心身の健康こそ、自分を大切にする第一歩

視野が広がっていったことで、これまで目を背けていたものにも向き合えるようになった。

引越しを機に、たくさんある物の管理のしんどさを感じていたこともあり、思い切って断捨離をした。値段優先で買い物をしていた頃は、使っていて不満があっても「安かったから仕方がない」と思っていた。でも、その不満こそが日々少しずつ神経をすり減らしていく原因になっていたのだ。

値段は張っても、使い勝手も見た目も気に入って確実に使い続けられるものだけを手元に集めていくことに決めた。例えば仕事中に使うマグカップはウエッジウッド、ひざ掛けはカシウエア。マグカップは取手を持っても熱いところには触れず使いやすいし、ひざ掛けは暖かい上に静電気が起きにくい。静電気で痛い思いをしなくてよくなったのは使い始めて分かったうれしい誤算。小さいことだけれども確かにあるイライラで精神的に消耗していたけれど、それがなくなったことで更に精神的に余裕ができ、うれしいことに仕事中のミスが減っていった。そして自分の身の回りが整うにつれ、一日を良い気分で過ごせるようになっていった。

それと同時に、人間関係にも目を向けることに。一緒にいて嫌な気持ちになる人とは距離を置く決断をした。祖母と母親に「あなたの体調が悪いのは霊がついているから、お寺に通ってお祓いをしてもらえ」と言われたその日から会うのをやめ、電話番号も変えた。

嘘をついたり騙して仕事を押し付けようとする人とは、自分から距離をとるように。自分に自信のない頃は、押し付けられそうになっても、体が硬直してその場から逃れられなかった。どうしようどうしようと思っている間に流されてしまい、いつの間にか私がやることになっていた。自分に自信がついたことで、はじめは勇気が必要だったけれど「断る」ことができるようになっていった。

精神的な安定を得ることは、自分を大切にする第一歩なのだなと思った。それまで「自分を大切にする」という言葉の意味が分からなかったけれど、グッと生きていくのが楽になった。ようやくスタート地点に立てた気がした。

「楽しむ」ことにエネルギーを注ぐ

外見を変えるためにやってきた事たちがひと段落ついて、次に手をつけることがなくなっても、今まで動き続けてきたその勢いを止めたくないと思った。

外見に関わることに留まらず、知識やスキルも身に付けたい。

自分のためにいろいろなことをしてみたくなった。

運転免許を取るために自動車学校にも通った。美術館や展覧会にも行って、西洋絵画についての勉強もしてみた。自分で飛行機やホテルを手配して、海外旅行にも行ってみた。

勉強して体験するのは楽しかったし、全てが経験になっていった。いろいろなものや人に触れて、私の知らなかった文化があって、さまざまな価値観があったことを知った。ひとつ、またひとつと自分に許可を出し、できることが増えるにつれて自信につながっていった。

海外旅行の際には、ちょっと奮発していいホテルに泊まった。元宮殿を改装したそのホテルはとても豪華できらびやかだけどシックで、眩しく、せっかくだからと最終日の夜、サロンを訪れた。

ホテルの入り口からちらりと見えたその空間は、シャンデリアが輝きピアノの生演奏が流れる、選ばれし者しか入れない雰囲気を醸し出していた。

私が入っても大丈夫なんだろうか……と思いながら足を踏み入れると、フロアスタッフさんは優しく接してくれた。周りから聞こえる楽しげなバースデーソング、それに合わせたピアノの演奏、お祝いの拍手。思っていた以上に優しい空間だった。ドリンクをお願いして、素敵な空間をひたすらに堪能した。

ホテルのサロン

選ばれし者しか入れないと思っていた、華やかで上品なサロン

昔の私なら、こんなにキラキラした華やかな場所は私には不似合いと思い込んで居心地が悪く感じていただろう。逃げ出したくなっていただろう。でも今の私は違う。この華やかで上品な空間を自信を持って堂々と楽しめている。

日本に帰ってきてからは、もっと堂々と過ごせるようになっていた。キラキラした場所が自分を受け入れてはくれないと思わなくなっていた。シャンデリアの輝く美術館も、デパートのコスメフロアも、ずっと気後れして入れなかったスターバックスも。素敵なもの、好きなもの、良いもの、私が心地よいと感じるものを以前よりもずっと愛せるようになっていた。

こうして自分で自分を好きになっていく

外見も内面も、私を育てるのはきっと私自身。

今思い返すと、自分を否定されながら生きるのはつらかった。否定される原因は自分にある、そんな自分が嫌いと思いながら生きていた頃はとてもつらかった。そしてそのつらさがこの先もずっと続くのかと思うと気が遠くなった。このままで良いのか自問自答した末、「変わる」ための行動を移した選択は、私の人生を変えた。

自分に無いものを取り入れていったことで、新しい物事に対する抵抗感が薄れていった。
必要だと思うことを自分で調べて考えて行動する力がついた。
行きたいと思った場所に行けるようになっていた。
できるようになりたいと思った事に挑戦できるようになっていた。
できるようになれなくても、次への挑戦の糧になっていった。

マイナスから自分の力でスタートラインに立てたこと、自分の力で積み上げ掴み取ったことが自信になった。きっと何もしないままだったら、「手に入るもの」であることすら気づけなかった。

今の私は、私が育てた私。
自分でこうありたいと思った自分。

今でも失敗して凹んだり、悩んだりすることはまだまだあるけれど、それでも私を辞めたい、自分が嫌いだとはもう思わなくなっていた。私が認めてほしかったのは、他の誰でもない自分自身だったんだ。少なくとも今の自分には愛着があって、結構に好きなのだ。

***

実は今回の寄稿の依頼が届いたとき、受けるかどうか悩みに悩んだ。

私でいいの? 私にできるの?

それと同時に、声をかけていただいてうれしい、やってみたいという思いが強かった。以前の私だったら、できるわけないと断っていた。絶対に断っていた。

でも今の私は違う。

りっすん編集部さんのお力添えもあり、無事に書き終え掲載していただいている。あの時、やってみたい自分の気持ちに従ってよかった。自信がないからと断らなくてよかった。
 
こうして今日も少しずつ、私は自分を好きになっていく。

著者:ぐでぺん

ぐでぺん

趣味は頭の中にあるものを具現化すること。ブログ、自己手配で海外旅行などいろいろなことに挑戦中。
Blog:ぐでぺんLIFE
Twitter:@gudepen22360679

本記事は2019年5月〜6月にかけて実施した「りっすんブログコンテスト2019」に応募いただいたぐでぺんさんによる寄稿記事です。ぐでぺんさんのブログコンテスト応募記事はこちらから。※応募記事はぐでぺんさんのブログへ遷移します

編集/はてな編集部

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