そこには見えざる人がいた。4つの映画作品を例に、女性クリエイターの活躍を読み解く

 CDB

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学生時代から映画鑑賞を始め、社会人になった現在でも年間で約100作品鑑賞しているブロガーのCDBさん。いろいろな職場で働く中で、CDBさんは「重要なポジションに就く、表立って評価されてもおかしくない人々がさまざまな事情によって影に隠れてしまう様子」を見てきたのだそう。その構図は、一般的な職場だけでなく、映画制作の中でもあるのでは……と語ります。

そこで今回は、映画作品に関わったクリエイターに注目し、CDBさん独自の目線でくわしく語っていただきました。

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『Hidden Figures』という映画がある。日本では『ドリーム』という邦題で公開された、60年代のNASAをテーマにした黒人女性スタッフたちの物語だ。『Hidden Figures』(隠された人たち)という原題には、アメリカの威信をかけた有人宇宙飛行、マーキュリー計画に関わる重要な仕事をしながら歴史の表面に出ることがなかった彼女たちへの思いが込められている。

非正規雇用の派遣社員としていろいろな職場で働いていると、映画のようなことは現実でもしばしば目にする。「映画のようなこと」というのは華やかなロマンスや胸躍る冒険ではなく、隠された、見えざる人たちのことだ。事実上の管理職、あるいは正社員に準じる業務を担いながら、それぞれの抱える事情によってあるべき役職や雇用形態から外れている人たちを僕は何人も見た。とりわけ女性は、結婚や出産というファクター、あるいは社会的な構造によって能力や資格を持ちながら「Hidden Figure」の位置に置かれることが多いように感じる。それは時に映画でも現実でも、そして映画を作るスタッフの中にも存在する構造である。

僕が今から書くのは、有名作品のスタッフロールの中に隠れた、見えざる女性クリエイターたちのことだ。

※ 編集部注:以下には、作品内容に触れる情報が含まれています

世界的に有名なアニメーション映画に携わった人のこと

スタジオジブリのアニメ『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督の遺作としてよく知られている。公式サイト、DVDやポスターのどれを見ても目につくのは『原案/脚本/監督・高畑勲』の文字だ。だがDVDパッケージを裏返したり、公式サイトのクレジットを注意深く読めば、そこに小さな文字で書かれた名前を見つけることができる。

「脚本」あるいは「共同脚本」という肩書きで書かれた 坂口理子 という一人の女性脚本家の名、それがこの世界的に評価されるアニメーション作品のHidden Figureの名前である。

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『かぐや姫の物語』の制作がいかに難航したかという壮絶な伝説は、アニメ界、映画界に広く知られている。最晩年の高畑勲の映画に対する厳しさは、「完璧主義」「理想主義」などという綺麗事をはるかに超えていたとされる。ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』の中で、宮崎駿は『かぐや姫の物語』を制作中の高畑勲について「映画が出来ないように出来ないように動いている」と吐き捨てるようにつぶやき、プロデューサーの西村義明氏は「3年間、高畑勲の夢しか見ていない」「いつも高畑さんと話している、夢の中で」とうめく。

『かぐや姫の物語』のプロデューサーだった西村義明が制作の停滞にたまりかねて知人の脚本家に依頼して書き上げた脚本は、完成後に高畑勲の意向に合わないという理由であっさりと葬り去られた。二人目の脚本家として坂口理子が投入されたのはその数カ月後である。当時の経緯、高畑勲との初対面の様子は、西村義明氏のブログに今も残っている。

坂口理子という脚本家が『かぐや姫の物語』のストーリーにどう関わり何が変わったか、どこまでが高畑勲の作品でどこまでが坂口理子の書いた部分なのかという細密な検証は少ない。公式サイトやパンフレットにも彼女のコメントはなく、『かぐや姫の物語 ビジュアルガイド』などでの数少ないインタビューでも坂口理子は「その時読んでいた痴呆症の本をもとに、物語の重要な役割を担う『記憶』に関してのアイデアを出した」という逸話を部分的に語っているが、それ以上の多くを語っていない。

ほとんど誰も寄せ付けないほど孤高で峻厳(しゅんげん)になり、そもそも映画を作ること自体への懐疑すら口にした最晩年の高畑勲と若き女性脚本家が向き合い、何年も進まなかった脚本をたった三カ月で完成させたプロセスでどんな対話とコミュニケーションがあったのか。確かなことは、半年で9分しか書かないほど脚本を停滞させていた高畑勲が、初対面から三カ月で書き上げた坂口理子の脚本に対して、「こういう映画だったんですね」とつぶやき*1、彼女との共同脚本を土台にして『かぐや姫の物語』を作り上げ、完成の舞台挨拶にも坂口理子が並び立つほど最後まで信頼が揺るがなかったこと、そして高畑勲最後のアニメーションが深くフェミニズムの色を残す作品になったことである。

それは高畑勲という不世出の名監督の死の数年前に起きた最後の奇跡だったと思う。もし坂口理子の脚本が高畑勲を動かすことができなければ、『かぐや姫の物語』は未完のまま制作中断、あるいは高畑勲の死去と共に葬られた可能性が高い。

坂口理子はその後も多くの映画に関わる。ジブリを離れスタジオポノックを立ち上げた西村義明プロデューサーの『メアリと魔女の花』にも、坂口理子は「共同脚本」として名を連ね、映画は32億円*2のヒットとなった。百田尚樹原作小説の『フォルトゥナの瞳』の映画化でも彼女は脚本を担当し、有村架純演じるヒロインについての描写を、原作の抽象的女神のような存在から、能力を持つ必然性と心の陰影を持ったリアルな女性像へと描き直している。

メディアや評論家がスター脚本家として坂口理子の名を論じることは少ない。だが多くの名作をその技術で影のように支える、Hidden Figureの1人であると言えるのではないか。

2人の女性クリエイターがタッグを組んで見せた姿

坂口理子が脚本を担当した『フォルトゥナの瞳』でヒロインを演じた有村架純は繊細な女優で、脚本を信じられるか、演じる女性像に体重を預けられるかどうかで、演技の重心がまったく変わってしまうようなところがあると思う。『フォルトゥナの瞳』では坂口理子の脚本がそれを助けたのだが、映画『コーヒーが冷めないうちに』では、 塚原あゆ子 監督と 奥寺佐渡子 脚本という2人の女性クリエイターが彼女を支えている。

塚原あゆ子監督はテレビドラマの演出として実績を築き、『コーヒーが冷めないうちに』で初めて劇場映画監督デビューとなった。近年強く記憶されるのはTBS連続ドラマ『アンナチュラル』での演出で、女性を中心にした物語とスピード感のある演出で2018年の東京ドラマアウォードなどの賞を受けている。

『コーヒーが冷めないうちに』の原作では「家族回帰、母性、献身」というテーマが鮮明に打ち出されている。女性法医解剖医を主人公に、科学と論理で社会的テーマに切り込む『アンナチュラル』での野木亜紀子の脚本とはある意味で対極の世界観だと言ってもいい。しかし推測だが、おそらくそれが塚原あゆ子監督が、日本ではまだまだ少ない女性監督として企画側から起用された理由ではなかったかと思う。

社会の中で働く女性が初めて重要なポストを任される時、それが自分の感性や、フェミニズムと理想的に一致する仕事ではないこともありうる。男性上司から「これは女性ならではの感性でやってくれ」と投げられた企画を飲み込むところからキャリアがスタートする、ある世代まではそういう経験を持つ女性も多かったのではないかと思う。

映画『コーヒーが冷めないうちに』の場合がそうであったかは分からない。ただ、塚原あゆ子監督は、『アンナチュラル』に比較してやや家族回帰的で精神主義的な色彩の濃いこの原作の映画化を、数少ない日本の女性映画監督、その劇場映画初監督作として引き受けた。原作ファンの期待を裏切ることなく、同時に映画監督としての自分の意志と手腕も見せなくてはならない、その彼女の片腕となったのは、脚本家の奥寺佐渡子氏であった。

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細田守監督のアニメ映画の脚本として物語を支えて彼を押し上げてきた奥寺佐渡子脚本と、塚原あゆ子監督は鮮やかな連携を見せる。「コーヒーを飲むとタイムスリップするがそれには様々な制約がある」という非現実的で入り組んだ設定を映画の観客に導入部で納得させるためのスピーディーでビジュアルな演出、タイムスリップを視覚的に見せるための巨大なプールを使った映像効果。そして「記憶を失う配偶者を愛する高齢の夫婦」という設定は、原作とは男女を逆に再設定されている*3。映画の観客に不満があろうはずがない。そこに描かれている夫婦の愛に変わりはないのだから。「夫の介護は妻の役割であって、夫が妻の面倒を見るような設定変更があってはならない」と考える観客以外には。

たぶん社会の中で働き、クライアントとの関係の中で仕事をする女性たちにとっては、映画パンフレットでコメントする「女性だけでなく、男性にも楽しめて共感できるように、夫が妻を介護する設定に変えた(大意)」という塚原監督や、「タイムスリップするのが全員女性より、男性もいる方がいいと思った」と語る奥寺氏のレトリックの真意がよく分かるのではないかと思う。原作における男女の関係性を入れ替え大胆にアレンジした意図を説明する時、批判や攻撃性を感じさせずに原作のファンに納得して楽しんでもらうために、どのような言い回しでそれをオブラートにくるむか。回避できる摩擦は回避することが、決定的な部分で譲歩しないためにどう重要か。それは現時点で企業で働く女性が身につける職業戦略にたぶんとても似ているのではないかと思う。

映画『コーヒーが冷めないうちに』は最終的に興行収入15億円のヒット*4を記録した。それは塚原あゆ子監督と奥寺佐渡子脚本による鮮やかな連携であり、同時にある種のトリックプレーでもあった。多くの映画の観客たちはどのカードが原作とすり替えられ、どのカードが加わったのか意識しないまま映画に心地よく揺られる。介護の男女が逆になったことも、いくつかの設定が原作から変更され、塚原監督と奥寺脚本のオリジナル設定に変更されたことも、売り上げ数十万部におよぶ原作のファンを怒らせることはなかったのではないか。そして有村架純演じる「数」という主人公には、原作にない新谷というボーイフレンドの設定が加わり、心を閉ざした少女が家から一歩踏み出す物語が静かに書き加えられている。まるで主演女優、有村架純に対する、2人の女性クリエイターからの贈り物のように。

この映画の成功によって、女性監督と女性脚本家の映画がヒットしたという商業的実績が、後進の女性作家たちに残された。塚原あゆ子と奥寺佐渡子という2人のクリエイターは、その真意と作家性を表現の奥に隠し、あえてHidden Figuresとなることで、このプロジェクトを成し遂げ、ギャンブルに勝ったのである。

「20世紀の女の子」と「21世紀の女の子」

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2018年の年末には、新進気鋭の女性映画監督、山戸結希のプロデュースのもとに、新世代の女性監督13人が短編映画を競作した『21世紀の女の子』が公開され、ヒットを記録した。劇場挨拶では主演女優たちと若き女性監督がフラットな立場で舞台に立ち、映画論を交わした。その中の一編、橋本愛を主演にした『愛はどこにも消えない』の松本花奈監督は、女優の松岡茉優が「子役のころから一緒に仕事をさせて頂いている同世代の監督」と語る女優出身の映画監督である。彼女たちの世代の中で、監督と役者、見るものと見られるものの垣根はどんどん消えて行く。

2018年に公開された白石和彌監督の映画『止められるか、俺たちを』は、伝説的映画監督、若松孝二を描いたと公式には銘打たれているが、映画を見ると分かるとおり、映画の内容は実際には1969年に若松プロに入社して助監督となり、1972年に急死した 吉積めぐみ を主人公に描かれた、1人の女性クリエイターへの追憶の映画だ。革命運動とポルノ映画、という、60年代末のカリスマ的男性映画人たちの熱病のような情熱の中で、女性監督見習いとして紛れ込んだ門脇麦演じる吉積めぐみは自分の居場所を探すようにさまよう。

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そこに描かれるのは男性社会の中に最初の1人として存在した「20世紀の女の子」の苦悩と挫折、そして謎の死であり、この映画は早過ぎた女性映画監督であった彼女に対する男性映画人たちによる贖罪と内省、彼女への問いかけの映画になっている。試作品のような短いポルノ映画を一作だけ残して死んだ吉積めぐみもまた、時代に翻弄されたHidden Figureの1人だったのだ。

自ら「21世紀の女の子」という名を冠し、女性監督のみで編成したオムニバスで市場に興業を成立させる若き 山戸結希監督 たちは、70年代に死んだ吉積めぐみの孤独と苦悩から遠く離れた、独立国家を立ち上げるような希望に溢れている。

彼女たちはもうHidden Figuresではなく、どこにも隠れてはいない。でもたぶん、21世紀の女の子たちがそうして表舞台で光を浴び、隠れずにすむ下地を作ったのは、坂口理子や塚原あゆ子や奥寺佐渡子という上の世代の女性クリエイター、20世紀の女の子たちが土地を開拓し、荒れた地面を踏み固めてきた結果なのだと思う。

それはたぶん映画の中や、映画業界の中でだけ起きることではなく、現実の社会の中でも起きていることだ。僕は映画の中でそうしたクリエイターたちの隠れた仕事を見る時、いろいろな職場の中で出会った見えざるスタッフたちのこと、彼女たちが人知れず作り、今も作っているだろう管理されたリストや調整されたスケジュールという見えない仕事のことを思い出す。映画であれ企業の中であれ、それらはどこかよく似た形の仕事であり、彼女たちの作品なのだと思う。それらの作品たちは僕らの社会に静かに流通し、川の水が岩の形を変えるように、今日も少しずつ社会の形を変えていくだろう。

著者:CDB

CDB

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Blog:CDBのまんがdeシネマ日記
note:CDBの七紙草子

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編集/はてな編集部