「見た目」を変えるための行動のおかげで、「私」を少しずつ肯定できてきた話

 ぐでぺん

ぐでぺんさんイメージ画像

子供の頃から自分に自信がなかった、というはてなブロガーのぐでぺんさんは、職場の先輩からのアドバイスをきっかけに外見を変えるための努力を重ねてきたのだそう。最初は「見た目を変えていく」ためのプロセスが、いつしか外見の変化だけに留まらない影響があったと言います。

これまで自分を慈しむ方法を知らなかったぐでぺんさんは、見た目を変えるための行動を積み重ねていくことで徐々に自分自身の内面の変化や、そこから“精神的な安定”をも手に入れていきます。“私の手で私を育てる”尊さに気づき、華やかな場も楽しめるようになった時、自分に愛着が湧いてきたそうです。理想の自分を掴み取るまでに、どんな心境の変化があったのでしょうか。

***

自分が嫌いで「私」を辞めたかった

子供の頃からいつも自分に自信がなかった。他人の目線が気になって仕方がなく、人の顔色をうかがっては陰口を言われるんじゃないかとビクビクしていた。

謙遜のつもりだったのかもしれないが、母親の口から出るのは自分を否定する言葉ばかり。誰かが私のことを褒めると「そんなことはなくて……器量もよくないし、くだらないことばかり覚えて、運動がからっきしダメでどうしようもないんです」と言う。運動が苦手な私に対し「運動ができないなら人一倍努力しろ」ともさんざん言ってきた。できていないのは自分だって分かっているし、そんな自分を責めることもあった。それを理解してもらえなかったのはしんどかった。

でも、それが母親の本心だと思っていたし、自分でも「私はダメな子なんだ」という気持ちが膨らんでいった。そんな日々が続くと、誰かからたまに優しい言葉をかけられても、「本当はそんなこと思ってないくせに」と感じてしまうし、「自分には価値がなくて存在しない方がいいんだ。家でも学校でも、皆そう思っている」と当時は本気で思っていた。

コンプレックスは運動だけでなく、外見や人間関係にまで広がっていった。あの子みたいに奇麗じゃないし、おしゃべりで周りを楽しませるわけでもない。どんどんネガティブになっていった。

年頃になって見た目に気を使おうとするも、これも親から「色気付いてる」と言われ、萎縮してしまった。結局、身なりや化粧もおろそかなまま。周りの子たちはファッションやメイクの練習を始めるなど、どんどん奇麗になっていった。それに比べて自分はどうだろう? 元々の外見も良いわけではない。自分のスタートラインは他の子たちよりも後ろにあるはず。なのに私はまだ、「身なりを整える」そのスタートラインにすら立てていない。そんな自分のことが嫌で嫌で仕方なくて、他人になりたい、もう私であることを辞めたいと思っていた。

自分を大切にするために。「見た目を変える」という決意

実家を出て働き始めても、ネガティブ思考は変わらなかった。見た目に対するコンプレックスも変わらず、自分に価値がない、楽しんじゃいけないとも思っていた。自分のために何かをしたこともなかったから、手元にあるお給料はどう使って良いのか分からなかった。そんなあるとき、職場の先輩のアドバイスを機に歯列矯正を始めた。自分で稼いだまとまったお金を、自分のために使ったのは初めてだった。

歯列矯正をしたらもっと顔立ち自体が変わると思っていた。けれど、歯列矯正が終わっても思ったほどの劇的な変化は得られず、鏡に映るのは現実に不満そうな自分だった。

同じ頃、人事異動で配属された部署で休みが取れない日々が続き体を壊してしまい、医者に運動を勧められスポーツジムのヨガのクラスにしぶしぶ通っていた(苦手意識はあったが)。

そこの先生がとても素敵だった。元々バレエも教えていて、姿勢が良くピシッとしているのに動きは優雅で、醸し出す雰囲気も柔らかい。

「あの先生のように素敵になりたい」

自分からは遠いところにいる人と思っていたけれど、何かがぷつんと弾けてしまった。心の中からどろりと熱いものが流れ出して、止められなかった。自分の理想を掴み取りたい思いが、私を猛烈に突き動かした。

見た目を変えるためのさまざまな挑戦が、世界を広げた

ただ、はじめは何をしたら良いのか、何から手をつければよいのか分からなかった。

ゴールは絶世の美女になることではなかった。極端な例だが、一人の社会人女性として、一緒にいる人に恥をかかせないような、上品でキレイ目の雰囲気を目指した。お手本にしたのは、ある客室乗務員さんのブログ。顔立ちにかかわらず「雰囲気は訓練で身につけられる」とあり、とにかく書いてあったことをひたすら実践していくことに。「理想像に自分を寄せていく」をモットーに、姿勢、美容院、服装、お化粧、立居振舞いなど、多くの事をとにかく真似してみた。

髪の毛は色を少し明るくして、まとめ髪にするだけで印象が変わったし、リップもぱっと顔色を明るくしてくれた。毎日の小さな選択を今まで選んだことのないものに変えてみたことで、戸惑うこともたくさんあった。姿勢改善、口角を上げる、お化粧の仕方、服の選び方……。今では習慣になったものもあれば、やめてしまったものもある。けれど、新しいことに触れるのは刺激的で楽しかった。

今まで外見に気を使うことをしてこなかったから、「私が素敵だと思う人たちはこれだけのことをやっていたのか……」と尊敬の念を抱くほどにハードだった。ただ少しずつ、手をかけたぶん確かに見た目が変わっていった。

ぐでぺんさんが自分に向き合ったノート

自分に向き合ったノート。やることを明確にし、それをこなしていくのは面白かったです

変わっていく過程の中で、自分のできていないところ、至らないところを見るのはつらかった。見たくないところ、認めたくないところもあった。でも、変化が目に見えてくるのは楽しかったし手ごたえもあった。

新しいものに挑戦して、できることが増えるに従って自信がついていった。自分の嫌なところが変わっていったり、できることが増えたりするのが楽しかった。私には縁遠いと思っていたものを取り入れることで自分の幅が広がっていき、私の視野って狭かったんだなと痛感すると同時に、どんどん世界は広がっていった。

心身の健康こそ、自分を大切にする第一歩

視野が広がっていったことで、これまで目を背けていたものにも向き合えるようになった。

引越しを機に、たくさんある物の管理のしんどさを感じていたこともあり、思い切って断捨離をした。値段優先で買い物をしていた頃は、使っていて不満があっても「安かったから仕方がない」と思っていた。でも、その不満こそが日々少しずつ神経をすり減らしていく原因になっていたのだ。

値段は張っても、使い勝手も見た目も気に入って確実に使い続けられるものだけを手元に集めていくことに決めた。例えば仕事中に使うマグカップはウエッジウッド、ひざ掛けはカシウエア。マグカップは取手を持っても熱いところには触れず使いやすいし、ひざ掛けは暖かい上に静電気が起きにくい。静電気で痛い思いをしなくてよくなったのは使い始めて分かったうれしい誤算。小さいことだけれども確かにあるイライラで精神的に消耗していたけれど、それがなくなったことで更に精神的に余裕ができ、うれしいことに仕事中のミスが減っていった。そして自分の身の回りが整うにつれ、一日を良い気分で過ごせるようになっていった。

それと同時に、人間関係にも目を向けることに。一緒にいて嫌な気持ちになる人とは距離を置く決断をした。祖母と母親に「あなたの体調が悪いのは霊がついているから、お寺に通ってお祓いをしてもらえ」と言われたその日から会うのをやめ、電話番号も変えた。

嘘をついたり騙して仕事を押し付けようとする人とは、自分から距離をとるように。自分に自信のない頃は、押し付けられそうになっても、体が硬直してその場から逃れられなかった。どうしようどうしようと思っている間に流されてしまい、いつの間にか私がやることになっていた。自分に自信がついたことで、はじめは勇気が必要だったけれど「断る」ことができるようになっていった。

精神的な安定を得ることは、自分を大切にする第一歩なのだなと思った。それまで「自分を大切にする」という言葉の意味が分からなかったけれど、グッと生きていくのが楽になった。ようやくスタート地点に立てた気がした。

「楽しむ」ことにエネルギーを注ぐ

外見を変えるためにやってきた事たちがひと段落ついて、次に手をつけることがなくなっても、今まで動き続けてきたその勢いを止めたくないと思った。

外見に関わることに留まらず、知識やスキルも身に付けたい。

自分のためにいろいろなことをしてみたくなった。

運転免許を取るために自動車学校にも通った。美術館や展覧会にも行って、西洋絵画についての勉強もしてみた。自分で飛行機やホテルを手配して、海外旅行にも行ってみた。

勉強して体験するのは楽しかったし、全てが経験になっていった。いろいろなものや人に触れて、私の知らなかった文化があって、さまざまな価値観があったことを知った。ひとつ、またひとつと自分に許可を出し、できることが増えるにつれて自信につながっていった。

海外旅行の際には、ちょっと奮発していいホテルに泊まった。元宮殿を改装したそのホテルはとても豪華できらびやかだけどシックで、眩しく、せっかくだからと最終日の夜、サロンを訪れた。

ホテルの入り口からちらりと見えたその空間は、シャンデリアが輝きピアノの生演奏が流れる、選ばれし者しか入れない雰囲気を醸し出していた。

私が入っても大丈夫なんだろうか……と思いながら足を踏み入れると、フロアスタッフさんは優しく接してくれた。周りから聞こえる楽しげなバースデーソング、それに合わせたピアノの演奏、お祝いの拍手。思っていた以上に優しい空間だった。ドリンクをお願いして、素敵な空間をひたすらに堪能した。

ホテルのサロン

選ばれし者しか入れないと思っていた、華やかで上品なサロン

昔の私なら、こんなにキラキラした華やかな場所は私には不似合いと思い込んで居心地が悪く感じていただろう。逃げ出したくなっていただろう。でも今の私は違う。この華やかで上品な空間を自信を持って堂々と楽しめている。

日本に帰ってきてからは、もっと堂々と過ごせるようになっていた。キラキラした場所が自分を受け入れてはくれないと思わなくなっていた。シャンデリアの輝く美術館も、デパートのコスメフロアも、ずっと気後れして入れなかったスターバックスも。素敵なもの、好きなもの、良いもの、私が心地よいと感じるものを以前よりもずっと愛せるようになっていた。

こうして自分で自分を好きになっていく

外見も内面も、私を育てるのはきっと私自身。

今思い返すと、自分を否定されながら生きるのはつらかった。否定される原因は自分にある、そんな自分が嫌いと思いながら生きていた頃はとてもつらかった。そしてそのつらさがこの先もずっと続くのかと思うと気が遠くなった。このままで良いのか自問自答した末、「変わる」ための行動を移した選択は、私の人生を変えた。

自分に無いものを取り入れていったことで、新しい物事に対する抵抗感が薄れていった。
必要だと思うことを自分で調べて考えて行動する力がついた。
行きたいと思った場所に行けるようになっていた。
できるようになりたいと思った事に挑戦できるようになっていた。
できるようになれなくても、次への挑戦の糧になっていった。

マイナスから自分の力でスタートラインに立てたこと、自分の力で積み上げ掴み取ったことが自信になった。きっと何もしないままだったら、「手に入るもの」であることすら気づけなかった。

今の私は、私が育てた私。
自分でこうありたいと思った自分。

今でも失敗して凹んだり、悩んだりすることはまだまだあるけれど、それでも私を辞めたい、自分が嫌いだとはもう思わなくなっていた。私が認めてほしかったのは、他の誰でもない自分自身だったんだ。少なくとも今の自分には愛着があって、結構に好きなのだ。

***

実は今回の寄稿の依頼が届いたとき、受けるかどうか悩みに悩んだ。

私でいいの? 私にできるの?

それと同時に、声をかけていただいてうれしい、やってみたいという思いが強かった。以前の私だったら、できるわけないと断っていた。絶対に断っていた。

でも今の私は違う。

りっすん編集部さんのお力添えもあり、無事に書き終え掲載していただいている。あの時、やってみたい自分の気持ちに従ってよかった。自信がないからと断らなくてよかった。
 
こうして今日も少しずつ、私は自分を好きになっていく。

著者:ぐでぺん

ぐでぺん

趣味は頭の中にあるものを具現化すること。ブログ、自己手配で海外旅行などいろいろなことに挑戦中。
Blog:ぐでぺんLIFE
Twitter:@gudepen22360679

本記事は2019年5月〜6月にかけて実施した「りっすんブログコンテスト2019」に応募いただいたぐでぺんさんによる寄稿記事です。ぐでぺんさんのブログコンテスト応募記事はこちらから。※応募記事はぐでぺんさんのブログへ遷移します

編集/はてな編集部

最新記事のお知らせやキャンペーン情報を配信中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten