家事・育児・仕事をそれぞれ一生懸命取り組むために決めた「引っ越し」という選択

 tsugo-tsugo


パートナーと2人の子どもを育てながら、フルタイムの会社員として働くブロガーのtsugo-tsugoさん。会社員として働き始めた約10年前から現在までの「働き方」について寄稿いただきました。

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こんにちは、tsugo-tsugoです。フルタイムの共働き家庭で、2人の子どもを育てています。仕事は製造業で、最近は製品の先行開発をメインにしています。

先行開発というのは、市場に今出ている製品よりも少し先の製品の行く末を想像して、プロトタイプや、コンセプトを提案することなどを指します。

「先行開発」には、(いまのところ、私が他も知る限りでは)決まった成功までに至るストーリー、うまくいくルーチンはあまり確立されていません。撒くときはいい種かよい種かよく分からず、出てからも土壌はどうなんだ、水は足りてるのか、光はどうなのか、と悩む類のもので、ゴールまでは一本道ではない、ゴールがこれ、というのが明確に最初から提示されていません。よく言えば期待されている、悪く言えば社内の評論家のような人たちからアレコレ言われながら、数千の他社特許をかき分けて、試験と計算を積み上げて、製品の将来を提案する仕事です。

一方会社を出れば、保育園へ直行して子ども2人をお迎え、夕ご飯の用意をし、お風呂に入れ、下の子の服を着せ、寝かしつけをする……そんな日々をひたすら反復する生活を送っています。

今回は、りっすんさんへの寄稿の機会をいただき、そういう泥臭い仕事と、家のことをどのようなバランスで行っているか、何を重視しているか……などを振り返ってみました。

軸は仕事と家のことを両方がんばってみる

自分は「仕事」と「家のこと」、どちらかに偏るのではなく両方できる範囲でがんばるようにしています。

自分には離婚経験のある近親者がいますが、彼女は離婚前も後もフルタイムで働き続け、定年退職後きちんと年金をもらっていました。そのような姿を幼少期から現在にわたって見てきたこともあり、実際に結婚するはるか前から、配偶者の稼ぎには頼らず、手に職をもって働き続けよう、と思っていました。身もふたもない言い方をすれば、どんなに人を見る目を養っても想定外の出来事というのは起こりうるもので、離婚や、配偶者がもし病気で倒れたら……など、あまり平坦とも限らないなと、思っています。

仕事も仕事で、思い通りにはいかないものです。仕事というものは、自分の力が助けになることはあったとしても、自分だけの力だけでは成果や成功が決まることはほとんどないな、と思います。

この仕事に就いてからの約10年を振り返ってみても、上層部の都合である日突然プロジェクトのメンバーが異動したり、人が突然辞めちゃったり、そうしてしぼんだプロジェクトはいくつもありました。逆に、あまり自分は努力しなくても、メンバーがよかったとか、思いがけず目標設定に対して無理がないストーリーを組めて、すんなり目標までたどり着いたこともありました。

また、自分から常に提案していければよいですが、そうではなく、上から一方的に仕事を割り当てられることもあり、こういうときは仕事を選ぶ権限がない(特に会社員の場合は致し方ない面もあるように思います)。

どの仕事もやったなりに成長か成果は残るものですが、自分の力ではどうしようもできない側面も多い。

ただ、仕事も家庭も、コントロールできないときはできないけれど、両方やっていれば、仕事がだめなとき家庭で救われたり、そのまた逆のこともあることが分かりました。

息子さん

息子と遊んでいるときの様子

先ほども書いたように、自分の仕事は目標に至るまでの筋道があまり確立されていないものです。新しく書いたプログラムがうまくいかなかったとか、バグがとれずどうしても解けないとか、仮定した条件での実験に失敗してやりなおし、締め切りも迫っている、というぐにゃぐにゃした気分のまま帰路につく日は、けっこう、あります。

一方で、仕事とはまったく別の、鮮やかなスピードで、ある日突然子どもの語彙が増えたり、野菜を完食したり、オムツがとれたり、おねしょが無くなる日が来ます。そういう、子どもの成長に、自分が励まされることは何度もありました。

それで、どちらかに比重を置くのではなく、「ひとまず両方がんばってみる」が自分にとってはちょうどよいと感じています。

仕事と家庭のことを両方がんばる、はやっぱり大変だった

ただ、過去をさかのぼってても、仕事は(今も)たぶん好きな方で、仕事をばりばりばりばり際限なくやるのが幸せだった時期もあります。それもあり、結婚後、長男が生まれる前から、家事は可能な限りアウトソースをしてきました。例えば週1の家事代行やルンバ、食洗器、全自動洗濯乾燥機、食料品配達などです。

長男が生まれてからも、ありがたいことに当時住んでいたマンションは実家が通える範囲の距離にあったので、実家の力も借りながら育児をしました。子どもが一人だった当時はワンオペ気味でしたが、子どもが体調をくずしたときなどは、配偶者・自分・実母で休みをローテーションしていました。この頃は海外出張もしたし、体力の限界までばりばり働き、上に書いたアウトソーシング等でやりくりしていました。

ただ、この頃住んでいた地域は特に保育園に入りづらい地域で、長男を0歳児枠の無認可保育園に入れた後も、待機児童がまったく減らない地域でした。そして、ようやく入れた保育園も自宅から遠い。公園も、小児科もとても混んでいる。受診までに2時間待ち、3時間待ちはざらでした。そういうひとつひとつが重なり、だんだん憔悴していったことを覚えています。

そして、ある大雪が降ったあとの日。溶けかけた雪があちこちで凍った道を、こんな道じゃ車も自転車も無理だわなと、とぼとぼ遠い保育園まで歩いて行ったとき、「どうして今日は車じゃないの!?」と長男に怒られたのです。訳も分からないものがもういろいろ積み重なってきて、仕事をばりばりしながら子どもを育てていくのは自分には無理ゲーだな、と思いはじめました。

第二子妊娠中に起きた転機

そんななか、まさか、と思っていた2人目を妊娠し、ああもうだめだ、ここで子どもを2人育てられる自信がない、とぷつりとなにかの糸が切れてしまいました。とはいえ、フルタイムの仕事を手放すわけにはいかないし、目の前には子どももいる、お腹の赤ちゃんだって産まれてくる。

どれも手放さないようにするにはどうすればいいのか、を考えているうちに、自分がかつて育った地域のことを思い出しました。そこは、何十年以上も前から保育園があって、保育士さんがいて、働く女性がいました。自分はそのとき保育園児で、母がまさしくフルタイムの働く女性でした。

……いっそそこに引っ越せばいいんじゃなかろうか。

ただ上の子の0歳児枠をつかむ保活を一度経験した後だったので、引っ越しかつ2人分の保活をもう一回やるのがとてつもなく大変だと分かっていました。

が、やるしかない。まずはネットのクチコミ、自治体のホームページの情報、弟の高校時代のPTAの父兄つながり、実母の旧友にも協力してもらって、ありとあらゆる情報を集めました。

さらに、今現在も引っ越すに値する地域なんだろうかと(ほぼ30年ぶりに)実際に歩いたり、保育園の説明会に参加したり、各保育園の所在地と配偶者と自分の勤務地、実家をマッピングしたGoogleマップを見ながら配偶者、実母といろいろ相談をしました。最終的に、配偶者と親の理解もあり、わが家は私が生まれ育った保育園があった地域に引っ越すことを決めました。

引っ越してみて

自分がかつて保育園に育てられた地域にまた戻ってきて、各段に子育てと仕事の両立がしやすくなったと思います。引越し先は働きながら育児をしている家庭が多いこともあり、近所にはたくさんの保育園があり、保育園児もたくさんいる。土地柄もあってか子どもの粗相にもやさしい。また、以前よりも実家が近くなったため、いざというとき相談する際の心理的負担が減ったように思います。

ただ、覚悟していたとはいえ、引っ越し前に築いたママ友との人間関係が疎遠になってしまったのは……正直寂しくないと言ったらうそです。長男の0才から4才までの間、子どもの成長のフェーズにあわせて、都度、そのときの共通点や同じ悩みを共有でき、一緒に「育てた」人間関係は貴重なものでした。いまはまだ、新たな土地でそういった濃密なママ友との関係がそれほど築けておらず、あの頃のママ友会などは、なかなか得難いものだったと思います。

また、以前よりも勤務先まで距離のある地域に引っ越したため、通勤時間がだいぶ伸びてしまいました。道路をはじめとして、インフラはあちこちぼろいですし、オシャレなお店も少ないです。

それでも、「このままでは両立なんてできない」と思っていた場所から離れるという決断をしたことで、精神的にかなり楽に育児ができるようになりました。幸いにも自宅近くの無認可保育園に入ることもでき、実家の助けや配偶者の協力もあり、第二子のときは産後4カ月で復職をしました(第一子のときは1年ほど)。この頃、配偶者の働き方にも変化があり、以前よりも帰宅時間が早くなり家事育児を分担しやすくなったのも、大きかったように思います。

結局のところ

世の中、働き方に関する考えは人それぞれです。ただ、家事育児はやれることがたくさんある。アウトソース、時短テクを駆使してもゼロにはならないけれど、自分の負荷を下げるためにできることは全てやった方がよいと思います。ここで唐突に、私の会社の大先輩の言葉を借りるなら、家事はやり損だからです。

やり方は人によって違いますが、私の場合は引っ越しをすることが、気持ちを楽にしながらも仕事と家庭のこと、両方がんばるための手段だったように思います。もちろん、周囲の協力があったからこそ実践できている面もあり、そこに関してはありがたいの言葉に尽きます。

自分はおそらくバリキャリというほど立派なものではなく、ただ単に、仕事を一生懸命やることがやめられない、往生際が悪い、あきらめが悪いだけだと思います。

ただ仕事と家事育児の両立がしやすい地へ引っ越しをしたのは、フルタイムで働いて家事育児もやっていくときに直面する課題の難易度を著しく下げたと思います。

フルタイムで働くことと、家事育児を両方やるという自分の生き方……つまり「軸」は変える必要はなく、目の前に出てくる細かい問題は、難易度を下げたり、達成するためのクリア条件を変えればよい。成功や目標は人によって違うし、明確な正解があるわけでもないからこそ、むしろ、自分はこうしたいです、と提案、主張してもいいと思います。

これは、自分が携わっている仕事に似ています。会社での成功や目標達成は、自分1人ではコントロールしきれない要因で決まるものだと思いますが、最終的には自分が納得するかどうか、自分オリジナルの評価軸で「成功した」と腹落ちしていれば、それでいいんじゃないかなと考えています。家庭や育児も同じで、自分の腹落ちがあれば、ああすればよかった、こうすればよかった、みたいに後悔はないものです。そういう納得をし、すっきりした達観に至るまで、あらゆる手段を講じて、仕事も、家庭のこともいろいろ試行錯誤するといいんじゃないかな、と思います。

著者:tsugo-tsugo

著者イメージ

メーカー勤務、(物理で殴る)開発がお仕事。ものづくりは楽しい。未就学児二児の母になってしまった。

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次回の更新は、2019年3月6日(水)の予定です。

編集/はてな編集部