「絵を描くこと」が仕事になって、家族の時間を取り戻すことができた

 つかさちずる

出産するまでの流れ

こんにちは! 絵を描きながら旦那と娘と3人で暮らしている、アラサーのちずるです。

私は8年前まで会社員をしていましたが、産後、自分の描いた絵をTwitterに投稿したのをきっかけに、今の仕事を始めました。

今回は、私が妊娠・出産を経て絵の仕事をするようになるまでに悩んだこと、決断したことを振り返ってみます。

環境はブラックでも「好きな仕事」を続けるか迷った

8年前の私は、接客業で社員として働いていました。

業種も会社の雰囲気も好きだったのですが、働く環境は過酷でした。仕事はシフト制で、夜中に帰宅して数時間寝て早朝に出勤したり、休憩らしい休憩がないまま十数時間働いたりするのも普通。私の体力的には厳しかったです。

常に疲れていたので、休日は昼まで寝る生活。仕事のために休んでおくはずの休日に「何のために働いているんだろう」と疑問に思うこともありました。

職場から家までが近かったので、最初のうちはなんとか働けていましたが、徐々にストレスからか生理不順になったり中耳炎になったり胃腸炎になったりと、体はボロボロ……。

このまま長時間働き続けたら本当に体が壊れると思い、上司に短時間勤務にしてほしいと相談しました。

女性の多い会社だったので、すんなり話が進むと期待していたのですが、実際は「減給してその分勤務時間を減らすことを受け入れたら『倍の時間働くから給料を倍にしてほしい』という人も受け入れなくてはいけない」というようなことを言われました。

普段は優しい上司だったので、社員として頑張ってほしいという期待からの説得だったのかもしれません。でもボロボロの私には、ただただショックでした。

仕事そのものは好きだったのでどうするか迷いましたが、短時間勤務をあきらめて別の部署でパートをすることにしました。

パートになってすぐ妊娠。“いつまで働くか”選べなかった

しかしパートになってしばらくたった頃に妊娠が分かり、すぐにつわりの症状が現れました。

あるとき自宅で洗濯物を干していたら、突然フラっときて立てなくなり、吐き気やめまいで動けなくなりました。母に助けてもらって、そのまま実家で寝たきりの状態に。ひどいときには水分すら吐いて点滴をするほどで、仕事は辞めざるを得ませんでした

“いつまで働くか”選ぶこともできないままの退職。復帰の道は望めず、考える気力もなかったです。

産後は、完全に子育て中心の生活になりました。

産後うつを経て、久しぶりに「絵を描きたい」と思えた

産後、旦那は「何でもやるからね」と声をかけてくれ、家事も進んでやってくれました。

しかし当時の旦那は仕事がとても忙しく、前日まで出勤時間が分からなかったり、休日でもしょっちゅう会社から電話で呼び出されたりしていたので、なかなか頼れず。娘が夜泣きするときは、疲れた旦那を起こさないよう、私がすぐ対応できるように気をつけていました。

娘に対して「かわいい」「こわい!」「助けて」「寝顔がかわいい」と、乱気流のように変わる自分の感情。自分で自分に振り回されながら、ギリギリの綱をなんとか渡っているような状態でした。

そんな中、娘が何をしても泣き止まない嵐のような日がやってきて、私は紐がプツンと切れたように泣いてしまいました。「産後うつ」でした。

産後うつから回復して、絵を描きたいと思えるように

それからは、旦那と話したり読書したり、少しずつでもリラックスできることをして、自分の趣味を取り戻していきました。そうするうちに回復し、「久しぶりにペンタブで絵を描くぞ!」と思えるように。

好きだった「絵」が仕事になるまで

十代の頃から、デジタルで絵を描くのが好きでした。しかし娘が寝ているときにパソコンを使おうとすると、起動音で起こしてしまいます。そこでタブレットを使ってみたところ、思っていたよりスムーズに絵が描けました。

ちょうどこの頃、産後の孤独から、Twitterで他のママさんと交流していました。せっかくなので、ペンタブで描いた絵をフォロワーさんに見てもらおうと、Twitterに載せてみることに。

娘との出来事を最初は1枚の絵にしていましたが、1枚で説明できないときは4コマ漫画や数ページの漫画にも挑戦。気ままに続けていると、たくさんの方が見てくれるようになりました。

書きためた絵や漫画をまとめておく場所として、ブログもやり始めました。

ブログを続けていると「他のメディアで記事を書きませんか」とお誘いがくるようになったり、Twitterで仲良くなった作家さんの連載に挿絵を描かせてもらえるようになったりしました。そうしていつの間にか、絵を描くことが仕事になりました。

絵を描く仕事があったから、家族のために引っ越す決断ができた

私が絵を描く仕事で安定した収入を得られるようなって、生活の上でも大きく変化したことがあります。

旦那の転職のため、娘が1歳の頃に思い切って買った中古の一軒家から引っ越す決断をしたのです。

壁などを自分好みに改造した、お気に入りの家。辺りは自然豊かで、田んぼ道を走り回る娘の姿を見て、のびのび子育てできて良かったなぁと思っていました。少なくとも娘が中学生になるまでは住むつもりでしたが、このとき娘は5歳。後ろ髪をわしづかみにされる思いでしたが、旦那が前々から仕事について悩んでいるのを知っていたので「ああ、やっぱりなぁ」「思ったより早くこの時がきたか」と思いました。

引越しを決断

不思議なもので、引っ越しという選択肢ができると「そのまま住み続けたときの不安」が次々と出てきました。「家の近くに高校がないから、娘の高校進学に悩むかも……」とか「周囲のお店や施設がどんどん減っていく。田舎だから覚悟はしてたけど、こんなに早く過疎化が進むなんて……」など。

娘の今後を考えて、駅や教育機関から近く、旦那の転職するであろう地域からも車で通える距離で、アパートを探しました。

こんなふうに決断できたのは、私がネットさえつながっていれば場所を選ばずできる仕事をしていたのが大きいと思います。引っ越すときもアパートを選ぶときも、まず家族の生活を考えることができました。もし私も会社勤めをしていたら、引っ越しを渋っていたかもしれません。

人生、何が起こるか分からない!

体調不良と妊娠で好きな仕事を諦めるしかなく、産後は初めての子育てに戸惑うばかりでしたが、出産が思わぬきっかけを与えてくれました。

昔からずっと絵を描くことが好きだったけれど、まさか仕事につながるとは思わなかったです。インターネットで気軽に自分の絵を公開できる時代がありがたい。

引っ越しして旦那はしっかりと休日のある仕事に転職でき、おかげで以前よりも家族の時間が増えました。旦那の前職はゴールデンウィークや年末年始などが特に忙しかったので、連休のたびに「どうやって過ごそう……」と少し気が重かったのですが、今では連休があると「どこに行こう!」と相談できます。

手放した中古の家は今でも好きですが、家族の時間が多い今のアパート暮らしも気に入っています。






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著者:つかさちずるid:tukatukasa

著者イメージ

娘のことを4コマでメモしています
お絵かきと旅行と回転寿司が好きです

ブログ:むすメモ! Twitter:@chizuuu2

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迷いっぱなしな私の人生ではあるが、それでも前には進めている(と思う)|河相我聞(かあいがもん)さん
www.e-aidem.com


編集/はてな編集部