セイバンのランドセル「天使のはね」を生んだ漁師の町へ|企業の民俗学

2019.04.04

セイバンのランドセル「天使のはね」を生んだ漁師の町へ|企業の民俗学

「天使のはね」でおなじみの「セイバン」。男の子にも女の子にも人気の大手ランドセルメーカーですが、そのルーツは西播磨と呼ばれる地域、兵庫県たつの市室津にありました。漁師が手がけるタバコ入れや向こう掛けなどの革細工と「ランセル(背嚢)」からランドセルが生まれるまでを民俗学者の畑中章宏さんが取材しました。

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    まもなく迎える入学シーズン、子どもたちが小学校に歩いていくのを見かけると、学校生活をなつかしく思い浮かべることもあるでしょう。

    そんな6年間の通学に欠かせないランドセルの最大手メーカーが、「天使のはね」で知られる「株式会社 セイバン」です。

     

    ランドセルの国内シェアの約30%を占めるこのセイバンは、兵庫県南西部で生まれ、現在も本社と工場を創業地の近くに構えています。

     

    「セイバン」の社名は、この地域を表わす西播磨(にしはりま)=西播(せいばん)と、製鞄(製・カバン)のふたつの意味を兼ねているとのこと。瀬戸内海に面した由緒ある港町にある工場を訪ね、セイバンはなぜここでランドセルを作り始めたのかを取材してきました。

     

    セイバンHPより

     

    革細工の古い歴史があった

    セイバンの室津工場は、兵庫県たつの市の播磨灘に面した港町、室津(むろつ)の高台にあります。室津は、奈良時代の僧・行基が整備した5つの港町(摂播五泊)のひとつで、1300年もの歴史がある古い集落です。

     

    現在はカキの養殖がさかんで、ひなびた漁村の雰囲気を求めて散策する人々も少なくありません。セイバン室津工場は1946年に設立、生産を開始しましたが、この地域には、古くから革細工の歴史がありました。

     

    江戸時代の室津は、西国の大名たちが参勤交代の際に、ここで船を下り陸路で江戸へ向かう交通の要衝でした。また朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節「朝鮮通信使」の船団が立ち寄るなど、室津は栄華を極めます。しかし明治以降になると海上交通路が衰え、漁業も衰えていきます。

     

    そんな大正時代の1919年、室津出身の泉亀吉が大阪で「泉亀吉商店」を創立します。亀吉は播磨産の皮革を材料に、室津の漁師らが作った財布やカバン、たばこ入れなどを販売したのです。

     

    播磨の皮革業の歴史は古く、平安時代末期の法令集『延喜式』でも確認できるほどです。武具材料としての需要の高まりから、戦国時代に発達。室津は姫路の白なめし革や革細工を全国に出荷する流通の要地であり、革細工は参勤交代の土産品として人気が高かったのです。

     

    江戸時代に建てられた海産物問屋の建物を活かした「たつの市立室津民俗館」には、室津の重要な産業だった革細工にかんする展示をみることができます。

     

    享保年間(1716~35)に世に出はじめたといわれる革製のたばこ入れは、男性庶民の唯一の装身具で、室津でもさかんにつくられました。

     

    ドイツ人の医師で日本に最新医学を伝えたシーボルトも、「室津の革細工は全国に知られ、革文庫(書籍などの手回り品を入れるための手箱)、たばこ入れをつくっていた」と記しています。

     

    明治になると、ここに「向こう掛け」が加わります。「向こう掛け」は下駄の爪先に掛けて雨水や泥はねを防ぐための覆いのことで、「向皮」や「爪皮」とも言います。

     

    漁師の出身で、1950年代からセイバンに勤めてきた田中宗一さんはこのように話します。

     

    「室津では冬のあいだ、漁師たちは向こう掛けなど革細工をつくっていました。竜野や姫路は皮なめしの伝統があり、牛皮が豊富だったからです。戦後、数年経ったころから、ランドセルも布製から革製に移行していきます。当時はすべて手作業で、裁断をはじめかなりの力仕事でしたから、やはり漁師にはうってつけだったのです」

     

    こうした材料、技術、人材がそろった環境が、室津にランドセル製造を根づかせたのでした。

     

    「ランセル」から「ランドセル」へ

    そもそもランドセルが誕生した背景は、どのようなものだったのでしょう。まず江戸時代末期の日本に、西洋式の軍隊制度が導入されたとき、オランダ語で「ランセル」と呼ばれていた布製の「背嚢(はいのう)」が同時に輸入され使われるようになります。

     

    近代に入ると、皇族・華族の子弟が入学することで知られる学習院が、1877年の開校から7年後、馬車や車、人力車での通学を禁止します。そして、布製の軍用の「背のう」に学用品をつめて徒歩で通学させることになりました。

     

    1887年、当時皇太子だった嘉仁親王(のちの大正天皇)が学習院初等科に入学したことを祝い、当時の内閣総理大臣・伊藤博文が、皮革製の箱型のランドセルを特注し、献上します。これが現在のランドセルの原型となり、一般的なランドセルは現在でも、「学習院型ランドセル」と呼ばれています。

     

    子どものからだへの負担が少なく、両手を自由に使えるランドセルは、1950年代後半から都市部を中心に普及し、やがて地方にも波及していきました。

     

    素材は天然皮革だけではなく、人工皮革も用いられるようになり、色や大きさなども流行や時代に合わせて変化してきました。また、より背負いやすく、より安全に使えるような工夫もほどこされていったのです。

     

    「天使のはね」開発秘話

    終戦の翌年に設立された室津工場では、ランドセル・学生鞄・旅行鞄などを製造するようになります。なかでもランドセルは、ベビーブームで生まれた子どもたちが小学校に就学した高度経済成長期に、セイバンの主要商品になりました。

     

    ランドセルの製造に機械を使用しなかった時代から製造部門の第一線で活躍する橋本雅敏さん(技術スペシャリスト)は2000年頃、当時の専務からこんな商品開発の課題を出されます。

     

    重心を上げれば、ランドセルは軽く感じられるようになるのではないか。そのためには、肩ベルトを立たせてみたらどうだろう」

     

    橋本さんたちは樹脂の厚みや長さ、固さを変えながら、3年ものあいだ試作を重ねた結果、「天使のはね」が完成し、2003年に販売を開始します。

     

    「背負っている荷物の重心が下がっていると重く感じますが、重心を上げれば軽く感じます。『天使のはね』は、ランドセルの重心を上げることに着目した機能なのです」と、橋本さんは語ります。

     

    「天使のはね」の正体は、白い羽のかたちをした樹脂素材で、両肩のベルトの付け根に内蔵されています。この機能によって、ランドセルの重心を上げ、からだにフィットさせることで重さが分散し、軽く背負うことができるのです。しかも、からだへの負担を減らし、姿勢を正しく保つこともできます。

     

    近年は、背あてのクッションでランドセルを垂直にキープすることにより、 軽く感じられるポジションで背負える「せみね」、 ひねりを自在に調節でき、肩・胸・わき腹にさらにフィットする「ひねピタ」なども開発しています。

     

    こうした細かな技術や品質を維持するため、セイバンのランドセルはすべて、日本の工場で作られています。人工皮革は、湿度や温度によって微妙に伸び方が変わるので、その変化に応じて、生地の裁断、縫製、ステッチ、仕上げをほどこす必要があります。それには、国内工場で働く職人の手仕事が欠かせないのです。

     

    地の利、人の利に恵まれた西播磨から、今日も続々と子ども想いのランドセルが作り出されていくのでした。

     

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    イラスト=てぶくろ星人(Twitter

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    この記事を書いた人

    畑中章宏
    畑中章宏

    小さな神様や妖怪、盆踊りやどんど焼、AIや心霊写真、バッハやホッピーに心を騒がせる民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』『天災と日本人』『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか』『「日本残酷物語」を読む』『蚕』ほか多数。最新刊は『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)

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