
瀬戸内海に面した港町・尾道。小高い山の斜面には寺社や住宅が連なり、美しい尾道水道の景観と調和している。
対岸の島へフェリーで向かうと、堤防沿いに停車していた茶色のバンから、頭にチョコレートの模型を装着した個性的な出立ちの人物が降りてきた。
彼の名前はちょこれいじ。オリジナルの「チョコカー」で、全国のクラフトチョコレート店を巡りながら移動販売を行っている、ちょっと変わった生き方の実践者だ。
クラフトチョコレートとは大まかに言えば、職人が厳選したカカオ豆を使用し、少量生産される逸品を指す。希少性が高く、経済合理性と一線を画すクラフトチョコレート業界は近年、異業種からの参入が増えたことで独自の発展を見せていると彼は語る。
多様性という言葉が叫ばれて久しいが、チョコレートもまた多様化の一途を辿っている。こういったチョコレートの魅力を余すことなく「伝える」、それがれいじさんの活動だ。
話を聞けば、前職では大手食品メーカーの技術職として安定収入を得ていたという。なぜ彼は会社員生活を離れ、クラフトチョコレートの「伝道師」となる道を選んだのか。
挑戦の軌跡を探る中で見えてきたのは、クラフトチョコレートに自らの人生観を重ね合わせて成長を続ける、ちょこれいじという名の「自由を愛する旅人」の姿だった。
旅先で出会ったクラフトチョコな人々
今日はよろしくお願いします!それにしても尾道って最高ですね。商店街も活気があって、こんなに雰囲気がいい街だとは知りませんでした。
よろチョコお願いします!僕は全国をこの車で巡ってますけど、尾道は第二の故郷みたいな街なんです。実はここに拠点を構える「USHIO CHOCOLATL」っていうお店で、たまにアルバイチョコさせてもらっていて。
USHIO CHOCOLATL、聞いたことあります。有名ですよね。
USHIOさんはクラフトチョコレートがブームになる前から、農家と直接取引でカカオ豆を仕入れてチョコをつくってるメーカーさんです。どれもおいしいんですけど、特にカカオニブと砂糖だけでつくった「クラックヒップカカオ」はグッチョコですね。
カカオニブ? 初めて聞きました。
簡単に言うと、焙煎したカカオ豆の皮を剥いて砕いたものですね。USHIOさんではカカオニブでシロップを作っていて、その出涸らしを再利用したのがこの商品です。シロップが染み渡ったカカオは、食感がカリッとしていてめっちゃおいしくて……。
ちなみに『CRACK HIP』という名前はつくり手の中村真也さんが好きなHIPHOPから着想を得て、お尻がハジけるような刺激的な味と香りを表現したんだそうです。
USHIO CHOCOLATLが創業当初から製造している看板商品
急に饒舌に。れいじさんはこういった個性的なチョコレートをセレクトして全国各地で販売されてると伺いました。
2021年から始めて、3年チョコっとやってます。最近は異業種から参入するメーカーも増えて、それぞれの本業で培った技術をチョコづくりに取り入れてるのがまた面白くて。
例えばこれは岡山県矢掛町で石材店を営んでいるissaiさんの「石挽きチョコ」。彼らは石材加工の技術を活かして、チョコレート専用のオリジナル石臼を制作していまして。
ほう、石臼を。
通常チョコレートは、機械を使って練り上げるところ、彼らは昔ながらの石臼を使うことでまろやかな風味を引き出しているんです。石材のプロならではの発想は、さすガーナですね。
さっきから無理やりチョコっぽいこと言おうとしてません?
このチョコレートもすごいですよ。京都にあるYOSANO ROASTER KYOTOさんの「伊根満開」。酒粕を練り込んだフルーティで上品な味わいが特徴なんですが、実は圧力溶接技師のおっちゃんが作ってるんです。
圧力溶接技師!? 石材屋さんもそうでしたけど、ギャップがすごい。
この方は、溶接のコンテストで受賞されたり、自作自転車でトライアスロンに出場したりと、何事も極めないと気が済まない性格。
元々コーヒーへの探究心から自作した焙煎機をカカオ豆用に改造してチョコレート作りを始められたんです。それが今やアジアンパシフィックという世界的なコンテストで受賞されるほどの腕前に。
すごすぎる。それにしてもチョコってそんな簡単につくれるものなんですか?
基本的な製造自体は案外始めやすいんですよ。ただ、本当においしいチョコレートを作るには、多くの工程と細やかな技術が必要で、だからこそみなさん独自の工夫を重ねているんだと思います。
クラフトチョコレートと「人間らしさ」
トレードマークのチョコハットはどこでも欠かさない
こうやって丁寧に説明してもらえると俄然興味が湧いてきますね。でも同時に、「クラフトチョコレート」ってそもそも何なんだろう?という問いも浮かんできて。
実はクラフトチョコレートってまだ明確な定義がなくて、すごい難しいところなんです。よく「Bean to Bar(※)」と混同されるのですが、大手メーカーさんの中にも、自社農園でカカオ豆を栽培して一貫製造を行っているところもありますし、そう単純に分類できるものではなくて。
(※)Bean to Bar……カカオ豆から板チョコレートまでの全工程を自社で一貫生産・管理をすること。サンフランシスコのチョコレートメーカーから始まったムーブメントで、中間業者を挟まないことで取引価格を適正化し、産業全体の健全化を目指している。
れいじさんが活動をする上では、どういった定義で捉えているんですか?
ストーリーの深さですね。クラフトチョコレートには、職人たちの人生と技術が刻まれているんです。言い換えれば「人間らしさ」でもあるかもしれません。もちろん大手メーカーさんもさまざまな努力を重ねていて、その良さもあります。ただ世の中が大量生産品ばかりになってしまうのは悲しいじゃないですか。
そう考えるようになったきっかけはあるんですか?
自分がマイノリティ側の人間だからかもしれないですね。高校を辞めたこともあるし、会社にも結果的に馴染めなかったタイプで。幸い行動力があったから自分の道を見つけられましたけど、それがなかったらどこにも居場所がないまま、不満だけを抱えて生きていたような気がします。
独自性を貫くクラフトチョコレートに自分が重なったというか。
そうですね。だから苦労しながら頑張っているメーカーさんに出会うと、すごく共感してしまって。例えば健康に配慮したチョコレートでも、つくり手が自身の闘病経験から生まれたみたいな話を直接聞くとやっぱりガツンとくらってしまう。自分にできることがあれば力になりたいって思っちゃいますね。
葛藤の先に見つけた自分の道
そもそもれいじさんってどういった経緯でこの活動を始めたんですか?
元々は大学院でチョコレートとカカオの研究をしていました。結晶構造を顕微鏡で解析したり、その変化が口溶けに与える影響とかを勉強していて。その時にたまたまUSHIO CHOCOLATLさんが研究室に来られて、チョコを練り上げる工程を経験したんです。
チョコレートの作り方自体は知っていましたが、実際にやるとこんなに手が込んでいるんだと驚いて。ただその時はまだチョコレートを仕事にしようとまでは至らず、卒業後はインスタントラーメンで有名な一部上場の食品会社に就職しました。
ラーメンってまた、チョコレートとは随分かけ離れてる気もしますけど。
ラーメンもチョコレートと同じくらい好きで、いつか開発に携わりたいって思ってたんです。でも僕は食品のpHや水分量を測定する技術職でしたから、なかなかそれも難しくて。食品の安全性を守る仕事は大切だとわかりつつ、やりたいことができないもどかしさは募る一方で、自分は何のために生きてるんだろう、みたいなことを考えたりもしてましたね。
葛藤があったと。
このままじゃいけない、何か価値を感じられることをやりたいなと思って、大学院の知識を生かして「世界のチョコレート食べ比べイベント」をオンラインで企画しました。5種類くらいセレクトして、それぞれの特徴を実際に食べ比べながら伝えるっていう趣旨だったんですけど。
今の活動にかなり近いですね。
今考えると、あれが原点だったかもしれないですね。そのイベントに手応えを感じて、次は九州の「クラフトチョコレート食べ比べイベント」を企画しました。福岡を中心にお店を巡るうちに、もっとたくさんの職人さんの声を聞きたいと考えるようになったんです。
徐々に目覚めていったと。当時からクラフトチョコレート屋さんってたくさんあったんですか?
2021年頃で全国に150店舗くらいですね。その数だったら頑張れば全部回れそうじゃないですか。日本中のチョコレート職人に一人残らず会って、その魅力を伝える。それを仕事にしたい!とクラウドファンディングを立ち上げました。会社ですか?思いついてから1週間も経たずに辞めるって告げてましたね。
クラウドファンディングで資金を集めて制作したチョコカー。移動販売と生活ができるようにカスタムされている
そこからこのバン一つで車中泊をしながら、全国のクラフトチョコレート屋さんを訪ねて回り始めたと。
そうですね、残すところあと一県です。最初の頃はビターな車中泊も多かったんですけど、最近は各地に泊めてくれる知り合いもできたので随分楽になりました。
つまらない質問なんですけど、会社を辞めてちょこれいじとして活動することに対して、ご両親はどんな反応でした?
めっちゃ心配してましたね。でも半分は諦めてたんじゃないかな。幼稚園の頃から強制的にお昼寝させられるのが嫌いで、親に頼んで退園したくらいだし。「またれいじが言い出した」みたいな感じだったと思います。
でもクラファンが成功したり、こうやってメディアに出させてもらう中で、ちゃんと活動していることは伝わったんじゃないかなぁ。母は「もっとちゃんと稼がな」って思ってるかもしれないですけど。
生まれ持ってのカウンター精神。実際、どうやって生計を立ててるんですか?
収益的にはチョコレートの販売業がメインですね。あとは「チョコレートコンシェルジュ」という肩書で、相手に合わせたチョコレートのレコメンドをしたりとか。それに加えて、チョコレートの知識を活かした製品開発のコンサルも、件数は多くありませんが請け負ってます。
チョコレートコンシェルジュとして活動している様子(本人提供)
会社員時代に比べて収入はどうですか?
ぶっちゃけると半分とか、そういうレベルじゃないです。今もまあギリギリですけど、最初こそ貯金を切り崩して何とか食い繋いでました。
でも会社を辞めるとき、両親には「僕はお金がなくても好きなことをやっている方が幸せだ」って伝えたんです。心配かけたと思うけど、僕の気持ちを尊重して応援してくれたことには感謝しかないですね。
ビターな経験を乗り越えて、伝え続ける
「チョコカー」の内部。天井にはぎっしりと支援者の名前が
すごいですよね。人生を一つのことに捧げるって誰にでもできることじゃないから。どうやったられいじさんのように「自分の人生のテーマ」って見つけられるんでしょうか。
うーん……。僕も偉そうなことを言える身分ではまったくないんですけど、色んなことに触れて体験してたら、いつかビビッと来るんじゃないですかね。その瞬間が来たら失敗を恐れずに行動するだけだと思います。
実はこの活動を始めたばかりのとき、あるチョコレート屋さんから「あなたにはうちの商品を扱って欲しくない」と言われてしまったことがあって。
え。どういうことですか?
僕が良かれと思って発信したことが、その方にとっては配慮に欠ける表現だったんです。この経験を通して、これからはもっと人のことも、チョコレートのことも、良く知った上で伝えないといけないなって、すごく反省しました。そういうビターな経験があったからこそ、ここまで頑張れたのかもしれません。自分を成長させてくれたそのチョコレート屋さんには感謝しかないです。
そういった経験を乗り越えて、なおチョコレートと向き合い続けているのは素敵だなと思います。
ありがチョコございます。でも「ちょこれいじ」は今の自分にとって大切なアイデンティティなんですけど、これだけが自分のあり方だとは思ってなくて。
と言いますと?
農業に課題を見出したら「カカオれいじ」になるかもしれないし、ラーメンへの興味が復活したら「ラーメンれいじ」になるかもしれない。クラフトチョコレートのつくり手が多様なバックグラウンドを持っているように、好きなものって一つじゃなくてもよくない? って。単純に縛られるのが苦手な性格なだけかもしれないけど(笑)
れいじさんは通念に対して「本当にそれだけしかないのか?」と問いを投げているように思いました。あらゆる可能性に心を開いているのは、その中から「選べること」を大切にされてるからなのではないかと。
ああ、たしかに。選択肢がたくさんあることが自由なのだとしたら、僕の根っこにはそれを求める気持ちがずっとあります。クラフトチョコレートに惹かれたのも、きっとそこなんです。一つの材料から無限の可能性が引き出せる。その自由さに自分のあり方と重なる部分を感じるのかもしれません。
構成:根岸達朗 写真:本永創太
れいじさんが考案したチョコ語。その他にも「やっタンザニア」「おやすミルクチョコ」「ごめんなさ板チョコ」などがあるそうです。
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この記事を書いたライター
1992年生まれ、Huuuu inc.所属。 山とメシと風呂が好き。風呂なし物件に2年間住んだ経験あり。現在は妻と二人で日々、快適な暮らしを探索中。