こんにちは、イラストレーター&編集をしているヤマグチナナコです。

唐突なんですが、私は落語と寄席に人生を救われています(話が長くなるので割愛しますが)。
20代中頃に出会ってから、多いときには週4で寄席に通っていたことも。最近は友人と落語研究部を発足し、寄席→居酒屋へ行く活動をしています。

そんな落語を通して、いつも気になっていたのが「寄席文字(よせもじ)」です。

寄席文字とは落語、講談、浪曲──日本の伝統話芸が披露される「寄席」の舞台。そこで使われている、独特な書体文字のこと

橘さつきさんが書いた寄席文字

また、落語を題材にした漫画も人気ですよね。アニメ・ドラマも話題になった『昭和落語心中』や、週刊少年ジャンプで連載中の『あかね噺』など。
それらが人気になるたびに、落語や寄席への関心も一緒に高まるのを感じます。

そんな落語の世界を彩る上で欠かせない「寄席文字」を、日々筆で描き続けるひとりの職人がいます。それが橘(たちばな)さつきさんです。全国でも片手ほどの人数しかいない女性の寄席文字職人でもあるさつきさんに、寄席文字のアレコレについて教えてもらいつつ、なぜ職人の道を選んだのかをお伺いしました。

 

橘さつきプロフィール

静岡県出身。実践女子大学美学美術史学科卒業後、印刷会社に就職。荒川区匠育成事業を通じて師匠である橘右橘氏に師事。修業期間を経て、平成29年「橘流寄席文字一門」として「橘さつき」、令和4年に勘亭流文字で「荒井三都季」の名を許される。

 

江戸時代を起源とし、「ゲン起担ぎの文字」として確立した書体

今日はよろしくお願いします。落語ファンとして、めちゃめちゃ楽しみにして来ました……! 早速なんですが、「寄席文字」ってどんな文字を指すのでしょうか?

落語や講談といった演芸の場の「寄席(※)」で使われている、デザイン的な文字のことを言います。橘流の家元・橘右近が戦後消えてしまった寄席文字以前のビラ字を復興し、今の形に確立させました

「寄席文字」は、歌舞伎で使われている文字「勘亭流」、相撲の「相撲字」、また千社札に見られるような「千社文字」とともに、「江戸文字」と総称される一つの書体です。

※寄席:落語や浪曲、講談や漫談などを上映する大衆演芸場。戦前は100軒以上の寄席が都内にあった中、現在毎月休むことなく開演している寄席は、都内の鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場でこれを合わせて「四大寄席」と呼んでいる

普段、寄席文字職人はどんな仕事を行っているんですか?

寄席の高座に置かれるめくり(出演者の名前を書いた紙)や、番組を表す看板などを手掛けています。文字を書くだけじゃなくて、寄席文字を使ってチラシやポスターの制作もしているんですよ。

寄席・落語周りの文字仕事を丸っと請け負う感じですね。今日、描いてるとこを見せてもらうことって……?

もちろんです。では寄席文字を習い始めてまず、練習する漢数字を書いてみましょうか。漢数字は横線や縦線、とめ、角の処理、はらい、など一文字ずつ重要な要素が増えていくので、基本的な筆法を学ぶのにちょうどいいんです。

ウワ〜〜! 寄席で見る文字だ! すご!

寄席文字って、筆圧を感じる太くて力強い線がすごく特徴的ですよね。字形に規則などはあるのでしょうか?

興行の場で使われる文字なので、文字は黒々と隙間を少なく、右肩上がりになるように書きます。これは「客席がお客様でいっぱいに埋まるように」というゲン担ぎの意味が込められているんです。それは勘亭流、相撲字にも同じことが言えますが、寄席は楽しい場なので、力強くもまろやかな線を意識して書いているのも特徴ですね。

たしかにそう言われてみると、右に少し上がっているし、間が詰まっていて、隙間も閉じられていますね。文字ごとで美しいだけじゃなく、まとまった形として見えることも重要なんですね。

そうなんです。枠いっぱいに書くっていうのもポイントで。さらに同じ調子で書くことで繋がりある文字同士がまとまった塊として表されて、どっしりした見え方になります。

へええ。習字のイメージだと一筆書きですが、たまに書き足していませんでした?

線の勢いは大切なので、基本的に一筆ですね。だけど、“はらい”部分のかすれを直したり、書いてみてバランスが悪かったところは筆を添えて調整してもよくて

二度書きはダメという書道からすると、いいんだ! という感じですが、何を大事にしているかの違いですね。実際には、「直すのも技術」と教わるくらい気を遣いますが

寄席文字の道具はシンプル。筆は寄席文字用で、穂先が少し短い

そうなんだ。ちなみに文字だけをみて、橘流のどの方が書いたかって分かるんですか?

大体分かりますね。寄席文字は基本的なルールに則って書いていますが、それでも個々のバランス感覚というのが現れてしまうもの。みんなが文字へのアプローチの仕方を同じように認識をしていることもあれば、実は違う解釈をしていることもあるんです。

ただ、たくさん見ていないとそこまでのことはわからないと思いますが、そこに触れ始めると、より寄席文字が面白くなっていきますよ!

 

20代後半で寄席文字の門を叩いた理由

もともと、さつきさんは落語がお好きだったのでしょうか?

学生の時から伝統芸能に興味は持っていたんですけど、落語は観に行く機会がないまま社会人になりまして。その頃、友人がSAKEROCK(※)のファンでよく誘ってもらって一緒にライブに行ったりしていたのですが、そんな流れでライブというかイベントだけと誘われて行った会がありまして。そこに春風亭昇太師匠(※)が出演されていて、私の初生落語体験になったんです。

※SAKEROCK:2000年に結成し、2015年に解散したインストバンド。メンバーは星野源(G)、田中馨(B)、伊藤大地(Dr)、浜野謙太(Tb)の4人

※春風亭昇太:落語家。2016年より『笑点』司会者に抜擢。新作落語の創作活動に加え、昇太独自の解釈で古典落語に取り組んでいる

そこで初めて落語を聴いたら、面白くて急に火がついちゃって。昇太師匠が所属している落語芸術協会のHPにたどり着き、メールマガジンに登録して。そうしたら、落語会のチケットの抽選プレゼントもされていたので、よく応募してました。結構当たってありがたかったです(笑)。

メルマガ……なんだか懐かしい響きだ。

それから「落語って面白いから、色んな噺家さんの色んな噺を聴いてみたいな〜」という気持ちになり、会社帰りにも間に合う会など探して行くようになりました。二つ目さん(※)の会などは、自分と同世代くらいの噺家さんという親しみやすさもあり、価格的にもありがたくよく行っていましたね。

※二つ目:東京の落語界には「真打ち」「二ツ目」「前座」「前座見習い」という階級がある

どんどん調べて、どんどん行くようになるのすごく分かります!

そのうち土曜は深夜寄席、日曜は早朝寄席へ行き、昼間も一日寄席で過ごすこともありました。

何より落語の中のおおらかな世界が魅力的で。どんどんハマっていくうち、当然ファン感謝祭的なイベントにも行くようになりました。そして、落語芸術協会が主催する寄席文字体験の教室があって、習い事で書道は馴染みがあったので、体験するならこれかなと。その時に初めて寄席文字というものに触れたんです。

わ〜!運命の出会いですね。

それから2年くらい経ったあと、朝のNHKニュースで荒川区の「匠育成事業」について報道していたんです。東京都荒川区って、職人さんが結構多い地域で。でも高齢化しているから、区として後継者を育てましょうという事業が立ち上がったんですよね。その中に、勘亭流・寄席文字・江戸文字職人も募集があったんです。

当時は就職3年目ぐらいだったんですけれども、なんとなく「何か面白いことやってみたい」と思っていて。落語は好きだし、筆を使って文字を書くのも多少馴染みあるし、そもそも通るかも分からないけど、気になるなら応募してみればいいかと。そうしたら、10名くらいの応募があったみたいで。

その中から、採用は一人?

そうです。書類と面談とごく簡単な実技で決まったのですが、応募書類に落語が好きだということを書いていたので、面談では落語の話も少ししたりして。師匠はその世界あっての文字だからということを大事にしていたので、落語に触れているかどうかというのは、重視しているポイントだったのかなと思います。

 

仕事後、師匠のところに通い筆を動かす日々

文字だけで食べていくのは厳しいってことは、師匠もちゃんと気にしてくださっていました。それで修業が始まっても、仕事は継続して退勤後に師匠のところへ行っていたんです。

お仕事は続けてたんですね。

はい。初めの1〜2年は師匠のすぐ側で書いて指導を受けたんですけど、だんだん行き詰まり状態になってしまい、師匠も「伝えることは伝えている。それができないのに近くでやっても仕方がない」となり、自宅で書いたものを後日、見ていただくという形になりました。

ちなみに、修業の最初から文字を書かせてもらえるんですか?

基本的な線や数字の練習をしたら、その後は漢字の練習ですかね。実際のお仕事では芸人さんの名前を書くことが多いので、文字を塊で捉えて書く練習とか。後、筆のサイズを変えての練習とか。チラシを作ることもあるので、文字のレイアウトについて学んだりもします。

修業は順調でしたか?

全然そんなことなくて(笑)。自分ではこれでどうかなと書いたつもりでも、師匠からは「できていない」と言われてしまって……。師匠もピリピリしちゃうし、私もどうしたらいいか分からず、さっきもお話したように3〜4年目にしてどんどんドツボにハマっていく感じが結構辛かったですね。

見習い1年生の頃のさつきさん

その時に「もう諦めよう」という気にはならなかった?

行きたくない日は本当にありましたけど、辞めるとか、通わないっていうことにはならなかったです。「今度こそやり切りたいなあ」と当時はすごく強く思っていたので。

「今度こそ」?

私は大学院まで中国美術史を学んでいたんですけど、漠然と研究に憧れを持ったまま何もできずにいて。それでも美術に近いところにいたいな、とミュージアムショップのグッズ制作に関わる印刷会社へ就職したんです。

大学を出てしばらく、結構落ち込んでいたこともあったのですが、そんな時に落語に出会って。どこか「やりきれなかった」という気持ちがあったので、寄席文字は絶対にやりきりたいなと。

なるほど。寄席文字と印刷、人に伝える媒体としてとても近い二つですね。

結果として繋がっている分野でしたね。初めから自分がやりたい仕事をピンポイントで狙うって、難しいじゃないですか。でも、自分の人生を少し引いた目で見ると、それでも間違いなく自分が心に留まった選択をしてきた先に今があって、そして今面白いところに来れているなと思っています。

修業時代に記憶に残ってることってありますか?

やっぱり実践って大事なんですよね。人に見られるものを書くっていうのは、上達のポイントなので。それで師匠が私の実践の機会として、ご依頼の方に許しをいただいてめくりを書かせてもらったり、チラシやポスターを書く機会を作ってくださったり、ずいぶん勉強させていただきました。師匠にも、そのような場として許してくださった皆さまにも感謝の思いです。

三遊亭好楽師匠の「池之端しのぶ亭」でめくりを書かせていただいたのが一番早い実践の場だったと思います。それから「神田連雀亭」のビラ。こちらは同時期に修業をしていた橘吉也さんと交互で担当させていただき、数も多く書かせてもらい、レイアウトを含めとても大きな学びの機会でした。

連雀亭会場内の木の札

 

受け継ぐのは、文字だけではない

何年ほどで、今の「橘さつき」の名前をもらえたんですか?

匠育成事業の助成が最大6年なんですが、まだまだ先が見えないし「やばい、もう少しで期限がきちゃうな」と思っていた2017年に「橘さつき」の名前をいただきました

育成事業を満了すれば皆伝、というわけではないんですね。

はい。寄席文字では、橘流寄席文字一門の他の師匠方からもお許しを貰わないと名前は許されません。当時月一回の寄席文字勉強会での課題評価であったり、年末の全教室共通の課題評価であったり、そういった場面でこの程度書けますよというアピールを重ねつつ徐々に認識してもらうという感じでしょうか。

私が匠育成事業が終わるタイミングで名前をいただけたのは、運が良かったと言えますし、師匠のおかげでもありますし、同時期にいらした吉也さんのおかげでもあるなと思っています。

冒頭で使っていた、橘流寄席文字の練習帳。表紙には橘一門の名前と紋

そこからすぐに寄席文字で仕事ができるようになったんですか?

はい。とはいえ、寄席文字だけで食べられる状況ではないですし、今も印刷会社に勤めながら寄席文字の仕事をお受けしてます。ただ、少しずつ色々なお仕事をいただく中であらゆる管理面で迷うことが多くなってきまして。管理とバランスは今の自分にとって大きな課題ですね。

名前があるから安泰、というわけではないんですね。

はっきり言って、寄席文字だけでやっていくのは無理ですから。私自身も今後どうなるのか、年数が経ってもなんとも言えません。色々な課題に直面しますし。

例えば、どんなことに不安を感じるのでしょうか?

文字だけを書いていれば仕事になるわけでもないんです。世の中の宣伝媒体としても色々な形がありますし、それに対する表現の仕方も選択肢もたくさんあるわけで。うまく言えませんが、時代のスタンダードが変わる中で「寄席文字が書けるだけ」では活かせないと言いますか……

ふむふむ。

こちらは当たり前に寄席文字って良いなぁと感じているんですけれども、これからその魅力をどう伝えていくのかを考えますね。今の自分では圧倒的に力不足の現在地だよという不安。でもまずは、自分の足元をしっかりさせなければお話になりませんが。

一方で、教室やイベント等で初めて寄席文字に触れる方と出会うことも多く、そんな皆さんの驚きや感心の様子に、今できることもあるよなとも。この魅力的な文字の世界をまず「知ってもらう」こと、それはやっぱり大事な活動なんだと再確認してます。

さつきさんはこれから寄席文字職人として、目標にしていることはありますか?

文字書きとしては、寄席文字以外も自在に書きこなしたいって思いがあります。というのも、私の師匠は冒頭にお話しした「勘亭流」や「千社文字」も書いているので。私も弟子ですからやりたいなと。

たしかに色んな文字が書けるようになると、表現の幅も広がりそうですね。

「文字の背景には、それぞれの文化や世界観がある。それを理解した上で文字を書け」と師匠から何度も言われてきましたから。せっかく色々な文字が学べる環境にいますから、これからは江戸文字全体の魅力も伝えていくために、違う世界にも飛び込んでいきたいですね。

さつきさんの挑戦する姿勢が、これからの橘流の未来に大きく関わっていきそうですね。応援しています!

 

まとめ

いつも寄席の前を通るたび、じっと見ていた番組の看板。大好きな落語家さんの名前が、堂々とした文字で掲げられているのを見ると、なぜだか観客ながら誇らしくなっていました。

そんな世界へ飛び込み、もがきながらも筆を動かし続けている橘さつきさん。彼女の話から一文字ずつに込められた時間を知り、その看板がさらにカッコよく見えるようになりました。筆で書かれた文字一つひとつに、寄席と芸人への期待と敬意、そして職人の矜持が込められているのだと気づかされます。

墨のにおいのように、粋で背筋がシャンと伸びるような寄席文字の世界。これからは、さらにじっと寄席の前に出された看板やチラシを凝視しながら、その文字一つ一つの工夫にまで、目を凝らしてみたいです。

☆寄席文字に興味がある方は、橘さつきさんの教室に足を運んでみるのもおすすめです!

【教室のご案内】
「寄席文字」朝日カルチャーセンター新宿/第3火曜 15:30〜17:30

「寄席文字を楽しむ」よみうりカルチャー恵比寿/第2火曜 15:30〜17:00

「寄席文字を楽しむ」よみうりカルチャー川口/第2土曜 10:30〜12:00※10月期より予定

「寄席文字を楽しむ」よみうりカルチャー大森/第2火曜 19:00〜20:30※10月期より予定

寄席文字体験/Otonami

撮影:飯本貴子
編集:吉野舞