人はときどき、誰かの記憶の片隅に、自分の存在をそっと残しておきたいと思うことがある。目立ちたいわけじゃない。ただ、せっかく積み重ねてきた日々が、なにもなかったように消えてしまうのは少し寂しい。そんな思いから、“ちいさな痕跡”を残したいと願うのかもしれない。

「靴底のチューインガムでありたい」と、その人生観を独特の表現で語るのは、長崎県北部の山あいでお茶をつくる北村製茶の代表・北村誠さんだ。父親が戦後まもなく始めたこの農園を受け継ぎ、半世紀にわたって無農薬・有機栽培にこだわり続けてきた。

同園のお茶は、品評会での入賞や黄綬褒章など、数々の栄誉ある賞に輝いてきた。だがその道のりは決して平坦ではない。貧しさに耐えながら積み重ねてきた日々は、静かに土に染み込むような重みを持って、今の味わいを形作っている。

「失敗してきた時間がどれだけ長かったか」と語る北村さんの言葉からは、長年の苦労が垣間見えた。だが、何よりも印象的だったのは、彼がその苦労をポジティブに昇華し、他者への感謝と愛に生きていると感じられたことだ。

時折冗談を交えた軽妙な語りを聞き終えた頃には、胸の奥にじんわりとこびりつく「チューインガム」の正体に出会っていたような気がした。

 

“変わり者”が選んだ有機・無農薬栽培への道

━━ここに来るまでに鬱蒼とした山道を車で走ってきたんですが、一気に視界が開けて茶畑やツツジが見えたのは感動的でした。本当に美しい場所ですね。

そう言っていただけると嬉しいです。この景色をね、もっと色んな人に楽しんでもらいたくて、茶園というより、ちょっとした“みんなの里山”みたいな場所になればと思ってるんです。新茶の時期には地域の子どもたちに茶摘み体験をしてもらったり、農園の一角を山菜取りに開放したりもしていて。

━━元々は木と岩だらけの荒地で、そこを先代が開拓してお茶作りを始めたと聞きました。

農家の次男坊で家業を継げなかった親父にとって、お茶作りは自分の生業を作ることだったんです。ほとんど自給自足みたいな暮らしをしていたところに母が嫁ぎまして、しばらくして私と弟が生まれました。

━━誠さんはいつからお茶作りに関わっているんですか?

物心ついた頃からずっとですね。特に覚えているのは母との行商。佐世保や平戸の住宅街を、毎日往復16km、歩いてお茶を売り歩いていました。当時は小学生で、まだ体ができてなかったですから……。歩き過ぎで私、脱腸になったんですよ。

━━え。さらっと壮絶な話……。

普通の親だったらそこで「かわいそうに」って思うでしょ? でもうちの親は違った。今度は弟を使うんですよ。で、案の定、弟も脱腸になりましてね。今はこの二人で経営をしているんです。苦難を共に乗り越えてきた分、結束はかなり固いですよ。

━━農園では当時から有機・無農薬栽培をされていたんですか?

始めたのは昭和44年。ちょうど行商で食いつないでいた頃に、お客さんから「農薬を使わないお茶が飲みたい」と言われましてね。本来なら、まずは農園の一部から始めるのが普通でしょう。でもうちの親父の偏屈頑固もんが「俺は男だ! どうせやるなら全部だ!」って一気に舵を切りまして。

━━それは思い切った挑戦ですね。

人がやっていないことをやって、名を上げたいという気持ちもあったと思います。でも実際やってみたら、まぁ大変でした。最初の5年間は病気や虫の被害で収穫量が3分の1に。味も香りも落ちて、お茶は売れん。とうとう、毎日のごはんにも困るようになって。

━━どうやって生き抜いたんですか……?

お取引先の方やお客様が足りない給食費を出してくれたり、食事をさせてくれたり、色んなかたちで助けてくれましたよ。ただ、一部には無農薬なんて“変わり者”のやることだっていう、冷ややかな目もありましたね。スピリチュアルの類というか、そこまでしてやるものなのかっていう。

━━その逆風の中でもやめようとは思わなかったのがすごいです。

親父は「何度もこっそり農薬を撒こうと思った」と言ってました。でも、一度言い出したら引かないんですよ。最後はもう、意地だけだったと思います。

そんな我が家を助けてくれた地域の人たちやお客さんには、今でも感謝しかないですし、「お世話になった人たちを絶対に裏切るな」というのは父の遺言でしてね。その意志を愚直に引き継いできたから、今があると思っています。

 

50年かけて築いた“残留農薬ゼロ”

━━近年は有機・無農薬栽培にチャレンジする人も少なくありませんが、お話を聞く限り相当難しいことなんだろうなと。

やろうと思ってできないことではないんですが、なにせ時間がかかるので、それに耐える覚悟は必要だと思います。まず、土が完全に有機に切り替わるまでに大体3年から5年はかかります。化学肥料や農薬に頼らず、自然力だけで土を育てていく。そうしてようやく“土が応えてくれる”感覚が出てくるんです。

━━“土が応えてくれる”ようになると、どうなるんですか?

お茶の木がね、強くなるんです。たとえば、窒素肥料をたくさん与えると一見よく育つように見えるんですが、ちょっと病気になるとポキッと折れる。でも、自然のままに栄養が少ない状態で育てると、木が自分で身を守ろうとする力をつけるから、病気にも害虫にも強くなる。人間も一緒ですよね。無理に守ってばかりだと、かえって弱くなっちゃいますから。

━━でも自然にまかせて、ほったらかしにしておけばいいという話でもなさそうですよね。

おっしゃる通りで、そんなに単純ではないんです。自然の力を最大限に生かすためには人の手も必要です。堆肥一つとっても、いつ・どんなのを・どのくらい与えるか、そういう細かい見極めが必要なんです。

━━農薬を使わないということは、害虫対策も必要になりそうですね。

うちでは希釈した酢をシュッシュと葉面に散布しています。ただ、それだけでは防ぎきれないので、手鏡を持って葉の裏についた卵を手作業で取り除いています。側から見ると不審者みたいで職質されそうなんですが、大事な仕事ですから今もスタッフが日々やっています。

━━今でこそネットで色々な情報が得られますが、当時は学びたくても情報を得るのが大変だったのではないかと想像します。

まわりで同じことをやっている人たちがいませんから、すべて手探りでしたね。そこで当時の私たちが何を参考にしたかというと、鎌倉時代のお坊さん・栄西です。彼が今から850年前にお茶を宗から持ち込んだと言われています。

化学肥料や農薬などない時代に、栄西はどうやってお茶を作っていたのか。何百年も前の人たちが育てたお茶の姿を想像しながら、自分たちなりに「自然と共にある茶作り」の原点を探していったんです。

━━過去の知恵に学びながら、自分たちで試行錯誤を重ねてこられたんですね。

無鉄砲な親父でしたが研究熱心ではありましたし、下手くそなりにやり続けてきたところは尊敬しています。以前ヨーロッパで土壌研究をされてる方から聞いたんですが、有機・無農薬栽培を10年20年続けていても、残留農薬って出るらしいんです。でもうちのを検査したら何も出なかった。さすがに50年以上やってきた成果でしょうね。といっても、私たちが特別なことをしてきたわけではなくて、ただただ地道にやってきただけなんです。

 

「自然の奇跡」は信じない

━━お話を聞いていて、どうしたらそこまで“続ける”ことができるんだろうという素朴な疑問を抱きました。貧困は根性だけで乗り越えられるものでもないと思うので。

続けるって、やっぱり面白いから続けるんですよね。苦しいことばかりであったら決して長くは続かない。うちはまぁとにかく貧乏でしたけど、それでもお茶作りを「面白いな」と思えたから、幸運にもやってこれたんでしょうね。

━━お茶作りの、どんなところにそんな面白さを感じてこられたんですか?

端的に言えば、探求のしがいがあるところですね。木がうまく育たない、病気になる、虫がわく。そういときって、必ず何かしらの原因があるんです。その理由を一つずつ見つけていくのが、私にとってはパズルを解くようですごく面白い。

よく「自然の奇跡」なんて言いますけど、私はあんまり信じていないんです。だって、奇跡を信じると、そこで考えるのをやめてしまうでしょう? でも、奇跡は起こらないと思えば、どんな小さな違和感にも理由を探したくなります。

━━奇跡は信じないって言い切る人、初めて出会いました。でも、ものづくりに対する誠実なあり方のようにも感じます

理由を明らかにするというのは、お客さんに信頼していただくためにも大切なことですよね。きちんと説明できることが、安心して飲んでいただくことにもつながると思いますので。

以前、「お茶の中に髪の毛が入っている」とクレームをいただいたことがありました。これはお茶の世界で俗に“山姥の毛”と呼ばれる、樹木にくっつく菌糸なんです。自然のものなので当然、体に害はないんですけど、気になって。この機会にと、顕微鏡で髪の毛と見比べたり、燃やして匂いの違いを嗅いでみたり、ちょっと理科の自由研究みたいなことをやったんですね。

そうしたら最終的にそのお客さんも「すごいですね!」と喜んでくださって。対応を含めて信頼してもらえたのかなと思っています。

━━その探究心が結果としてお客様との信頼にもつながっているんですね。

でもまぁ、あんまり頭でっかちになりすぎてもよくないので、私は時々、思いつきでいろんなものを作るんです。例えばお茶を使った消臭サプリや日焼け止めローション、歯磨き粉とかね。

「北村はこんなふざけたものを作って馬鹿か?」って言われたこともありますけど、先ほども申し上げた通り、日本でのお茶の歴史ってまだたかだが850年なんです。だから、これからどんな広がり方をしても全然おかしくないと思っていて。

━━確かにないとは言い切れないですね。実際に海外ではティーコスメやティーサプリが人気だったりしますし。

昔はね、そういうのを色物扱いして嫌う人も多かったんですよ。でも、一つの観念に縛られていたら文化としては広がっていかないんじゃないかとも思っていて。

中国から伝わってきたお茶だって、日本に来てからは全然違うかたちで発展しましたよね。中国では団茶といって茶葉を固めて保存・輸送しやすくするのが一般的だったのに対して、日本では緑茶として茶葉をそのまま飲む文化が根づき、お点前のような独特の様式まで育まれて、まったく別の文化に昇華したわけです。

もしあのとき“お茶は団茶であるべきだ”なんていう固定観念に縛られていたら、日本のお茶文化はここまで広がっていなかったかもしれません。だからこれからのお茶だって、どんな方向に進んだっていいはずなんです。だってそのほうが楽しいし、夢があるでしょう?

 

私が「誰か」に残したいもの

━━歴史がありながら、新しいことにも挑戦していこうという気概にあふれていますね。未来に向けて開かれた茶園だと感じました。

いやぁ、そんなに立派なものではありませんよ。ただ、まだまだ知らないことも多いですし、色んなところに勉強にいきます。若い人たちとも積極的に交流して、自分の経験や知識が少しでもヒントになればと思ってます。

次の世代が、もっと自由に、もっと面白がってお茶に向き合ってくれるようなきっかけを作れたらいいですね。NHKの特集かなんかで「こちらが最後の有機・無農薬茶を作っている北村茶園です」なんて紹介されることになったら寂しすぎますから。

━━今、日本の一次産業は次世代への継承という点で大きなターニングポイントを迎えていると思うんです。北村さんご自身は、バトンをつなぐことについてどうお考えですか?

それで言うと私はもうすでに、弟の息子たちにお茶作りをまかせているんですよ。彼らは確かな実力がありますから、私がとやかく言うようなことは何もない。もう私は彼らの言うことに従うだけ。私は“代表取締役”という名の“取締られ役”です。

ただね、商品の飲み比べだけは絶対に私のところでやらせます。ありがたいことに、彼らも私の味覚を認めてくれていますし、頼ってくれてもいます。求めてもらえるうちはそれに応えていきたいなと。

北村製茶のスタッフたち

━━ここに来るまではもっと職人気質で「ワシが育てた」系かと思ってました。めちゃくちゃ柔軟ですね。

はは、よく言われます。でもね、自分では分かったつもりでいても、人の意見で「なるほど、そういう見方もあるか」と気付かされることって多いんですよ。それが理にかなっていれば、積み上げてきた考え方でも改めます。

人様の意見っていうのは、本当に宝ですからね。それがお客様であろうが、甥っ子であろうが、あらゆる人が私にとっての師なんですよ。そうやって自分の世界を広げて、学び続けることが大事ですね。親父もそうやってお茶作りに向き合ってきたと思いますから。

━━農園がなぜ半世紀以上に渡って続いてきたのか、今の言葉にすべてが詰まっているように感じました。

ありがとうございます。でもね、私ひとりでできたことなんて何ひとつないんですよ。本当に、人に頼って、人に助けられてきて、ここまで来ることができた。それを思えば、私は人が好きなんだと思います。だからこそ、誰かと一緒にいるってことに、ずっと意味を感じてきたんでしょうね。

これは座右の銘とまでは言わないけれど、私は皆さんの靴底にひっついたチューインガムでありたいんです。いずれこそげ落ちる存在ですけど、いつまでもどこかに“気配”が残っているような。そんな風にして、誰かの中に“私”が少しでも残ってくれたら、この人生をお茶と共に歩んだ甲斐があったというものですから。

撮影:大塚淑子