今年の疲れは、今年のうちに――温泉オタクが伝える、心身を癒やす温泉の話|ながち

 ながち

浜屋旅館

日々の疲れ、あなたはどのように癒やしますか? リラックスする方法はいろいろとありますが、連続したお休みがとれたときは、「温泉」の旅へ出かけてみるのもいいかもしれません。温泉ソムリエ*1の資格を持ち、ブログやSNSなどで温泉の魅力をつづる温泉オタクOL、ながちさんに疲れている人に特におすすめしたい温泉の選び方と、スポットを紹介していただきました。
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2018年ももうすぐ終わり。1年を振り返れば、年を重ねるごとに「あっという間だったし、よく覚えてない」なんて思いがち。しかしまあ、ぱらぱらと予定表をめくり、ツイートを読み返すと、「ああしんどかったな」「この仕事つらかったな」と、ぞわぞわ蘇ってきます。きっと皆さん、今年もよく悩み、よく働きました。

こんなシーズンにぜひ推したいのが、「疲れがとれやすい」温泉へ行くこと。大人の事情で「体が軽くなる」「体力が回復する」「ストレス解消になる」などと言い切ることはできないのですが、疲れを癒やすちょっとしたコツであれば、ご紹介できるかなと思います。

本記事の筆者は、皆さんと同じように今年も悩み、働いた、温泉オタクOLのながちです。全国400超の温泉を訪れ、数年前まで旅行雑誌の編集者をしていました。ときどきこうやって記事を書いたりしています。

今回は、疲れた方におすすめしたい、温泉の楽しみ方&スポットを紹介したいと思います。

リラックス効果が見込める「ぬる湯」のすすめ

熱いお湯に浸かると「交感神経」が高まり興奮状態に、ぬるいお湯に浸かると「副交感神経」が優位になりリラックス状態に……というのは、みなさんも聞いたことがあるかもしれません。

私としては、お疲れの方にはぜひ、「ぬる湯の温泉」を目指してもらいたいなあと思います。

ほとんどの旅館・施設で温度調節が行われている中で、ぬるい源泉をそのまま湯船に流し込んでいるところは、とても貴重です。「ぬるくて入った気がしない」といった声もある中で、ぬる湯ファンの思いをくんでくれているのですから。

副交感神経を優位にするのは、37~39℃の「微温浴」ができる、体温よりちょっと高いぐらいがちょうどよいといわれています。暖かい季節であれば34~37℃の「不感温浴*2」もぜひ試してみてください。

ぬる湯は全国各地に湧いています。有名どころでいえば、大分・長湯温泉をはじめ、山梨・下部温泉、新潟・栃尾又温泉、徳島・祖谷温泉など。夏に訪れたら涼やかで永遠に浸かっていられるほど居心地がよく、冬に訪れたらだんだん体がぬくまる感覚がたまらない……といった、癖になる浴感*3がファンをとりこにしています。

約39℃の新鮮なぬる湯で心身をほぐす「川古温泉 浜屋旅館」

今回ピックアップしたいのは、群馬県にある川古温泉 浜屋旅館。みなかみにある一軒宿で、マジで文庫本を持ち込んだら3時間浸かりっぱなしでした。約39℃の源泉がかけ流されているので、冬でもぬる湯がじんわり楽しめます。

冬は雪見露天が楽しめるそう
冬は雪見露天が楽しめるそう

女湯の内湯。広々していてデザインもすてき
女湯の内湯。広々していてデザインもすてき

湯場は男女別の内湯、混浴の内湯、混浴露天、女性専用露天の5種類。混浴露天の解放感はすばらしく、バスタオル巻・入浴着でも入れます。新鮮な温泉よろしく、肌にはプチプチとアワがつきます。芒硝(ぼうしょう)のにおいも心地よく、まさに天国でした。

浜屋旅館の外観です
浜屋旅館の外観です

宿の周辺は手つかずの森林。車で行かないとなかなかたどり着きにくいところにあり、非日常感はかなり高いかなあと思います。旅行のお供にはぜひお気に入りの一冊を。

連泊湯治プランやお料理控えめプラン、ひとり旅専用プランもあり、宿泊プランのバリエーションが豊富なのも◎。日帰り入浴も受け付けています。草津も伊香保もいいけれど、いつもとちょっと違う群馬の名湯を味わってみてください。

■川古温泉 浜屋旅館
http://www.kawafuru.com/index.html

あつ湯とぬる湯を行き来する「なんちゃって温冷交互浴」

熱いのと冷たいのを交互に入浴することで、自律神経の調整力を高めるといわれる「温冷交互浴」。湯船と水風呂、またはサウナと水風呂の往復も、温冷交互浴のひとつです。最近では、サウナー(注:サウナを愛する人たち)の「体と心が『ととのう』」といった表現も耳にするようになりました。手軽にできますし、体がスッと軽くなる気がして、私も大好きです。

しかし「やってみたいけど、どうしても水風呂が苦手」と尻込みする人もいるでしょう。

で、推したいのが私が勝手に名付けた、温泉でできる「なんちゃって温冷交互浴」です。温冷交互浴の温度差を「サウナ(お湯)と水風呂」と極端にせず「あつ湯とぬる湯」ぐらいにしてもだいぶ気持ちいいのでは……というのが持論です。

例えば約35℃の源泉湯船と、約42℃の加温湯船を行き来するだけでもよいと思います。先述した「ぬる湯」がウリな温泉宿で体験できるかもしれません(ぬる湯湯船だけのところもあるのでご注意を)。源泉を2本持っていて、あつ・ぬるどちらも源泉かけ流しの極上パターンもあります。

私が訪れたところでいえば、大分・ラムネ温泉館、鹿児島・霧島湯之谷山荘、山梨・岩下温泉旅館、青森・谷地温泉……などが挙げられます。それぞれ温度も状態も異なりますが、「あつ・ぬる」を行き来できるのは同じです。

ただし温冷交互浴は、体に負担がかかるのも事実。動脈硬化症や心臓病の人は避けた方がいいと言われていますので、十分注意してください。

2つの湯口から源泉が注がれる 「旅館 深雪温泉」

ピックアップしたいのが、山梨県・石和温泉郷にある旅館 深雪温泉。約36℃の源泉と、約50℃の源泉がそれぞれ2つの湯口から注がれている、変わった湯船が推しポイントです。

対角線で「あつ・ぬる」が注がれています
対角線で「あつ・ぬる」が注がれています

ぬるい湯口に近づけばぬるく、熱い湯口に近づけば熱く。ひとつの湯船でそんな楽しみ方ができるのは、まさに「なんちゃって温冷交互浴」。ものすごく気持ちいいです。

こんな広い湯船も源泉かけ流し
こんな広い湯船も源泉かけ流し

そして深雪温泉の魅力は何といっても湯量です。貸切風呂(内湯&露天)、男女別大浴場の内湯、露天がありますが、どれも全て源泉かけ流し。どこもかしこも新鮮。

温泉は少しだけ茶色~緑色がついていて、茶色い湯の花がふわふわ舞っています。肌触りはつるつるきゅっきゅ。硫黄のにおいもして、ぬる湯の近くにいけばアワもついちゃう。

深雪温泉の外観です
深雪温泉の外観です

ひとり旅はもちろん、カップル・夫婦、ファミリー、グループ旅にもおすすめできる万能な旅館です。東京から電車でサラッと行けちゃう距離感なのもすばらしい。

■深雪温泉
http://www.kanjukunoyu.com/miyuki/index.html

つま先から頭のてっぺんまで疲れているなら、リトリートできる宿へ

「今年の疲れは、今年のうちに」なんてのん気なことを言っていられないくらい疲労が溜まっている方には、チェックインからチェックアウトまで全力で癒やしてくれる宿がよいかな、と思います。

キーワードは“リトリート”。「日常生活から離れ、自分を取り戻す」といった意味合いで使われ、新鮮な地産野菜を中心にした食事や森林浴、ヨガといった心身ともにリフレッシュできるプランを提供するリトリート宿が注目され始めています。

リトリート宿は検索すればいくつか出てくるので、ぜひ見比べてみてください。ファミリー、グループ旅というよりかは、ひとりでしっぽり行くのがよさそう。リトリートとうたっていなくても、新しめの湯治宿だと、菜食玄米な料理を出すところが多々あります。

アクセスもしやすくふらり旅にも◎ 「養生館はるのひかり」

私が先日訪れてめちゃくちゃ良かったリトリート宿は、神奈川・箱根にある養生館はるのひかり

外観から溢れ出る、リトリート感
外観から溢れ出る、リトリート感

その名の通り養生がコンセプトで、地産で100%無農薬の玄米や野菜を使った“養生食”が推しポイントです。夕食のカロリーは500kcal未満。噛めば噛むほど玄米は甘く、野菜はジューシー。自家製の果実酒も瑞々しく香り豊かで、どれもこれもごちそうでした。

こんなに玄米が“ごちそう”になるなんて
こんなに玄米が“ごちそう”になるなんて

温泉はといえば、つるつるの硫酸塩泉が源泉かけ流し。空気清浄機完備の客室には、だらだら文庫本を読みたくなるロッキングチェアも。食も湯も、大満足の滞在となりました。

湯場がとても美しい。清潔で静かな客室もすばらしかった湯場がとても美しい。清潔で静かな客室もすばらしかった
湯場がとても美しい。清潔で静かな客室もすばらしかった

箱根湯本駅から乗り合いバスで5分ほどで到着するアクセスの良さも◎。東京からふらっと行ける天国のような宿です。12歳未満のお子さまは宿泊できないので、ぜひ大人の自分をじっくり癒やすひとときにしてください。

■養生館はるのひかり
https://harunohikari.com/

おうちのお風呂じゃ味わえない、温泉ならではのこと

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そもそも温泉って、どうして疲れがとれたような気がするのでしょう。さまざまな作用があるとされていますが、最後にちょっとだけ補足させてください。

温泉の効果は、大きく分けて「薬理効果(作用)」と「転地効果(作用)」の2つがあると考えています。薬理効果とは、温泉成分を皮ふから吸収することで得られる効果で、泉質によって異なります。

脱衣所で見かける表示に注目

脱衣所によく掲示されている以下のような文字列は「一般的適応症」と呼ばれるもの。泉質問わず共通して効果が期待できるものとして環境省が定めています。極端に言えば、これらは「おうちのお風呂でも得やすい効果」と考えてよいのだそう。

筋肉若しくは関節の慢性的な痛み又はこわばり(関節リウマチ、変形性関節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫などの慢性期)、運動麻痺における筋肉のこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下(胃がもたれる、腸にガスがたまるなど)、軽症高血圧、耐糖能異常(糖尿病)、軽い高コレステロール血症、軽い喘息又は肺気腫、痔の痛み、自律神経不安定症、ストレスによる諸症状(睡眠障害、うつ状態など)、病後回復期、疲労回復、健康増進


そして泉質ごとの適応症は「泉質別適応症」と呼ばれます。例えば、「不眠症」「きりきず」「皮ふ乾燥症」などは、指定された泉質特有の効果が期待できるもの。一般的適応症と同じく、環境省が科学的見地に基づいて定めています。脱衣所の掲示物では“健康増進”の後ろに書かれていることが多いので、チェックしてみてください*4

温泉で過ごす体験自体が癒やしになる

転地効果は、「日常から離れて遠い場所に身を置くことで、心身が刺激されてリラックスできる」と言われているもの。

温泉に行ったときのことを、思い返してみてください。

家を空け、日常から離れ山奥や海辺の温泉地へ行き、鼻を硫黄や芒硝のにおいでくすぐられながら、夕方前にはチェックイン、地元の茶菓子で一息ついて、大きな湯船にざぶんと体をうずめ、肌をすべる温泉に包まれ、温泉成分で変色した床や湯船を眺め、たっぷり体を温めたら浴衣に着替え、温泉のにおいがうつった襟や衣紋を心地よく思いつつ、ふかふかお布団にダイブ……!

このスペースでの夕涼みも欠かせない
このスペースでの夕涼みも欠かせない

控えめに言って、最ッッ高じゃないですか。温泉は、湯に浸かる前の体験も、浴衣に着替えて客室に戻った後の体験も、全てが疲れを忘れさせてくれます。

薬理効果は温泉オタク的に見逃せないポイントではありますが、転地効果で"旅そのもの"を楽しんでもらえたら、それだけで十分では……と思うのです。

***

今年の疲れは、今年のうちに。今回紹介したポイントを参考に、温泉を選んでみてはいかがでしょうか。心地よい温泉旅行になりますように。

※記事内の情報は執筆時点(2018年12月)のものです

著者:ながちid:takachilog

ながちさん全国各地の温泉を取材した経験を持つ、IT企業の会社員。旅行情報誌「関東・東北じゃらん」の元編集。現在25歳、これまでに入った温泉は約400。好きな言葉は「足元湧出」。女性誌「GINZA」で温泉コラムを連載中。

Blog:いつか住みたい三軒茶屋
Twitter:@onsen_nagachi
Instagram:@onsen.ikitai

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次回の更新は、2018年12月26日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:温泉ソムリエ協会が運営する民間資格。温泉の知識や正しい入浴法を身に付けることができる

*2:熱くも冷たくも感じない温度で入浴すること

*3:温泉に浸かったときの肌触りなど

*4:病気の活動期(特に熱のあるとき)や身体の衰弱の著しい場合など、病気・病態によっては温泉浴を避けたほうが望ましいケースもあります。脱衣所等に掲示されている注意基準などを併せて見るようにしてください

「100点満点のコミュニケーション」を目指していた私へ

 生湯葉シホ

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フリーランスのライター・編集者として活動する生湯葉シホさんに、人が怖くてたまらなかった日々を経て「コミュニケーションは完璧でなくてもいい」と思えるようになるまでの試行錯誤について、寄稿いただきました。


子どもの頃から、人に見られることが苦手だった。いつからか、理由は分からないけれど、他人が自分をじっと見ている時は、心の中で「気持ち悪い」と馬鹿にされているものだと思い込んでいた。

特に、大勢の人から一度に注目を浴びるような機会は地獄だった。スピーチや学芸会のような大それたイベントは年に数回しか発生しないとしても、教室での朝礼で担任がとる出欠に「はい」と返事をする瞬間は毎日やってくる。

名前を呼ばれてそれに答える数秒のあいだ、クラスの生徒たちの意識が自分に向けられているというプレッシャーを感じると、足がガタガタ震えた。人前で「はい」を言わされるというだけの理由で、学校に行くのが心の底から憂鬱だった。

……と、ここまで書けばおおよそ分かっていただけたかと思うのだけど、私は人がたいへん怖い。

コミュニケーションが怖い自分を矯正しなければと思っていた

これは過去の話ではなくて、26歳のいい大人になったいまでも人が怖い。12歳の時に「はい」と言うのがプレッシャーだったのとまったく同じ理由で、居酒屋で注文したくても、店員に「すみません」と声をかけるまで3分くらいかかる。レジで人と目を合わせるのも怖いし、仕事で知らない会社に電話をかけるのも怖い。緊張せずに会話ができるのは家族かSiriくらいだ(Pepperは目が合うのでちょっと怖い)。

ただ、当時と変わったことがあるとしたら、いまは「人が怖い」ということを堂々と公言できるようになったことだ。

こう書いてしまうことに、特に羞恥心も後ろめたさも覚えない。20代の前半、つまりほんの最近までは、人とコミュニケーションをとるのが異様に怖い自分を矯正しなければいけないと思っていたから、これは大きな一歩だ。

この原稿の依頼をいただいて、テーマが「コミュニケーション」に決まった際に、今もなお人とまともにしゃべれない自分が他人さまに向けてえらそうに言えることなど何ひとつないと思った。

だからこの文章は、「誰とでも気持ちの良いコミュニケーションをとれるようにならなければいけない」という強迫観念に怯えていた20代前半の頃の私に、そしていま、もし同じ思いを抱いている人がいるのなら、その人に向けて書く。

あえて人と話しまくるバイトばかりしていた

前述したように、私は物心ついた頃から人の視線が大の苦手だった。ただ、どうしても「人の視線が怖い自分」をプライドの高い自分は認めることができず、10代半ばにもなると、それをどうにか克服しなければいけないと焦るようになった。

そこで、大学1年生のときに始めたのが塾講師のアルバイトだった。自分が特に苦手なのが年下の人とのコミュニケーションだという自覚があったので、あえていちばん苦手な、小さな子どもを相手にする仕事を選んだ。

よく「子どもは無垢だ」というけれど、子どもはその無垢さゆえに、「普通(=多数派)ではないもの」を見つけるとカジュアルにそれを指摘する悪魔的な部分がある。私はよく生徒に、「先生すぐ顔赤くなるよね、大丈夫? 病気?」と言われ、より一層顔を真っ赤にし、吐き気をこらえながら90分の授業をこなしていた。それでもバイト歴が2年を超えた頃には、以前よりも年下の他者への恐怖感が薄らいできていることに気づいて、満足感を覚えた。

それからは、新しいアルバイトを始めるときには、自分が思う「苦手なコミュニケーション」のメニューの中でも、常に「特に苦手」な分野ばかりを選ぶようになっていった。

例えば、気心の知れた友人とは途切れずに会話が続くけれど、知らない人と軽い立ち話をすることには強い苦手意識があったので、それを克服しようとテーマパークでのインフォメーションのアルバイトを1年ほど続けてみた。異性に対する苦手意識も同じくらい強かったから、ガールズバーで働いてみたり、出会い系カフェのサクラというわけの分からない仕事もしてみたりした。

人前に出て他者と視線を合わせると、途端に恐怖感に襲われ、顔が引きつり始める自分が許せなかった。テーマパークの入り口に立って笑顔を作っているときも、ガールズバーのカウンターを前にしてお客さんの話を聞いているときも、「場数さえ踏めば慣れる」という言葉を呪文のように頭のなかで繰り返しながら、不自然に震える指先をもう片方の手でぐっと押さえていた。

「あらかじめ会話の台本を作る」という迷走

このまま接客業を極めてみたいという気持ちも少しだけあったけれど、昔からいちばん好きなのは文章を書くことだったし、大学で専攻していた創作の授業の面白さに取り憑かれ、いつかは脚本や小説で食べていきたいという楽観的な夢を抱いていた私は、結局、そちらの道を選んだ。小説や脚本のコンクールがある時はまとまった休みをとれる環境で働きたいという希望もあったので、正社員としてではなく、アルバイトとしてITベンチャーでライターの仕事を始める。

そこで私のメインの業務となったのは、企業の担当者へのインタビューだった。会社の中に、ライターとしての先輩らしき先輩はいなかった。そうなると必然、インタビューに同行してくれる先輩は営業やディレクターになる。

先輩たちは皆、とても優秀な人だった。まるで社会経験のない私に対し、名刺の渡し方から電話のかけ方、商談でのアイスブレイクのはさみ方などを、ニコニコと根気強く教えてくれた。その様子を見ていると、企業に勤める社会人というのは皆こんなにも淀みなく、分かりやすくしゃべれるのかと感心すると同時に、どうして自分はそれができないのだろう、どうして誰としゃべるときでも緊張してしまうのだろうと劣等感がより刺激された。

ただ、なまじ接客業の経験があったものだから、「きちんとしゃべれるフリ」をするのは下手ではなかった。

最初に担当したインタビューは、取材相手がよく話してくれる人だったこともあり、幸か不幸か、記事にするのに余るくらいの話が聞けたことを覚えている。取材のあと、先輩が「完璧だったよ」と褒めてくれて、ホッとした一方、これを毎回続けなければいけないというプレッシャーものしかかった。

それから1年ほどの間、私は「完璧」な取材をしようと躍起になった。しかし、失敗しないインタビューを目指そうとすればするほど、それはどんどん型にはまった予定調和的なものになっていく。しだいに、「本日はよろしくお願いいたします/【※ここで先方のオフィスの雰囲気に触れる】……」から始まる紅白歌合戦の台本のようなきっちりしたインタビュー用台本を作り、それを見ながら取材に臨まないと、不安に駆られるようになった。

話の内容を楽しもうという発想を持ったことがなかった

ライターの仕事を始めて1年と少しが経ったとき、あるインタビューを担当する機会があった。ビジネス向け以外の記事も書いてみたいという思いで1社目の会社を辞め、新たに編集プロダクションで働き始めた直後のことだ。ベテランの編集者の先輩がその取材に同行してくれることになった。

インタビューの最中、取材相手が何度か怪訝な顔をしたり、「うーん……」と長い時間、考え込むような動作を見せたのが引っかかっていた。そのたびに、なにかまずいことを言っちゃったかな、と不安になった。

取材が終わってから、横で私のインタビューを見ていた先輩に怒られないかだけが気がかりだった。しかし、訪問先のオフィスを出た瞬間、先輩が最初に口に出した言葉は「いやー、めちゃめちゃ面白かったですね」。彼はそれきりなにも言わず、こちらも見ずに最寄り駅までの乗り換えをスマホで調べ始めた。

取材に対する苦言どころか、取材そのものに対してなにも言われなかったことに驚いて、「いまの取材の仕方で直した方がいいところってありますか」と自分で聞いてしまった。すると先輩は、「うーん、ちょっと相手に遠慮し過ぎてるところはあったかもしれませんね」とつぶやいたあと、「取材なんてものは絶対に相手の方が賢くて面白いって分かってるんだから、こっちはただ相手の話に興味を持って『どうして? 教えて!』って子どもみたいな姿勢でいりゃあいいんですよ」と笑った。

その夜、家でインタビューを録音した音源を聞きながら、確かに今日の話は面白かったな、と思った。私は恥ずかしいことに、仕事上の関係者や苦手意識の強い人と会話をしているとき、相手の話を面白いと思ったことが一度もなかった。会話を感じよく進めたい、相手を気まずい気分にさせたくないという気持ちばかりが先行して、話の内容そのものを楽しもうという発想を持ったことがなかったのだ。いくらなんでも自意識が過剰すぎる。陳腐な表現だけれど、目から鱗が落ちたような気持ちだった。

しゃべることに秀でていなくても魅力的な人たちとの出会い

その日から徐々に、私のなかで理想とする社会人像が変わっていった。周りを見ていたら、決して会話がうまいとは言えなくても、また会いたい、また仕事をしたいと思う人たちが確かにいることに気づいた。

例えば、同業者の女性の知人に、「明るい場所だと緊張してしまう」という理由で、食事の際にいつも妙に薄暗い店しか予約してくれない人がいる。彼女とは、食べているところを人に見られるのが怖い、という話で意気投合して仲良くなった。

彼女が人と話すところを見ていると、常に目は若干泳ぎ、言葉の末尾に向かうに連れて声が小さくなってしまうので、相手からよく「え?」と聞き返されている。正直に言ってまったくスムーズに会話ができる人ではないのだけれど、それでも、彼女と話しているとどこか心が温まるような感覚がある。彼女は以前、一度だけ伝えた私の誕生日を覚えてくれていて、当日に「目が合うと怖いので、またカウンターで横並びになって飲みましょう」というメールを送ってきてくれた。

また、職場のある男性の先輩は、電話の受け答えをするのが恐ろしく下手だった。社名を数回噛み、「あっ、申し訳ございません」を繰り返しながら受話器を置くと、決まって30秒ほどデスクに突っ伏してぶつぶつとなにかつぶやいている(一度、「もういや」と言っていたのが聞こえた)。しかし彼は、こと書く仕事をする段になると、素晴らしく面白い、示唆に富んだコラムを仕上げてきた。

彼らと関わって分かったのは、どうやら人は、100点満点のコミュニケーションがとれなくても魅力的でいられるらしい、ということだった。彼らと話す人たちは、おそらく皆最初はちょっと「大丈夫かな」と不安を覚えるのだけれど、何回かコミュニケーションを重ねるにつれ、それぞれの個性的な美点や仕事の仕方に惹かれていくようだった。

私はそれから少しずつ、感じのいい会話をすることよりも、相手の話に興味を持つことに意識を傾けるようにしていった。

……こう書くと笑ってしまうくらい当然のことだけれど、最初はそれが本当に難しかったのだ。自分と話をする人は、面接のように「○か×か」で判断しているものとばかり思っていた。けれど実際は、もっとグレーな感情で会話をしているようだった。つまり、話している自分が主体であって、相手の一挙一動に好きだの嫌いだのいちいち思っていないということが、少しずつ、本当に少しずつ分かってきた。

ニコニコと常に微笑みながら言葉を発することをやめると、話している相手の顔が時折こわばるようになった。はじめは、それが自分に対する拒絶のように思えて冷や汗をかいたけれど、よくよく考えればなんてことはなく、人は相手が笑っていたら笑うし、そうでなければ特に笑わないというだけの話だった。

話のなかで少しでも気になるポイントが出てきた時には「えっ、どうして?」という顔をすると、相手は多くの場合、喜んで身を乗り出してくれた。会話というのはこんなにも自然な気持ちのやりとりだったのかということに、私はいちいち気づき、いちいち感激した。

コミュニケーションは、たくさんある科目のなかのひとつにすぎない

全国の小中学校を訪れてコミュニケーション教育を実施してきた劇作家の平田オリザさんは、その著書やインタビューのなかで、頻繁に「コミュニケーションが苦手というのは『理科が苦手』『体育が苦手』とさして変わらない」と伝えている。つまり、コミュニケーションというのはどこでも求められる必須科目のように思えるけれど、実際はたくさんある科目のなかのひとつにすぎない、と。

もちろん、日常生活において、理科や体育に比べればコミュニケーションが求められる頻度は非常に高い。それでもオリザさんは、

ペラペラと喋れるようになる必要はない。きちんと自己紹介ができる。必要に応じて大きな声が出せる。(中略)「その程度のこと」でいいのだ。

『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)より

と言ってくれているから、元気が出る。

小さい頃から私は、バランスの良い人間になりたかった。オール5は無理でも、全ての科目がある程度秀でていて、レーダーチャートにしたら綺麗な円になるような大人に憧れていた。接客業のアルバイトのモチベーションになっていたのも、「どの世代のどんな相手とも、感じよくコミュニケーションがとれる自分でいたい」という強烈な自己実現欲求だったのだと思う。

けれどそんな人はごく稀にしかいないし、いたとしても、自分を含む多くの人が魅力的だと感じるのは、そのバランスがやや崩れている人の方だということが最近ようやく分かってきた。バランスが崩れている科目のひとつが「コミュニケーション」であったとしても、人間にはほかにも科目がたくさんあるのだから、さほど致命的なことではない。

こんなことに気づくまでに、10年以上もかかってしまった。

* * *

やはり私はいまでもコミュニケーションが苦手で、人と向き合うと顔が引きつる。もし許されるのなら取材だって、小さな部屋でカーテン越しに受けたい。

けれど少なくとも、「すみません、すごく緊張しているので手が震えているのですが」と恥ずかしがらずに言えるようになったことだけは、よく頑張ったねと自分を褒めたいと思っている。

著者:生湯葉シホid:namayubashiho

生湯葉シホさん趣味/仕事で文章を書いている20代。フリーランスのライター・編集者として、主にネットでしこしこと文章を書いたり削ったりしています。酒、亀、ポルノグラフィティ、現代文学・短歌などが好きです。

Twitter:@chiffon_06
ブログ:湯葉日記
note:生湯葉 シホ|note

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次回の更新は、2018年12月19日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

「つらい」けど原因がわからない。カウンセリングを受けたら何がつらいのかやっとわかった|カマンベール☆はる坊

マンガと文 カマンベール☆はる坊

こんにちは。会社員兼マンガを描いているカマンベール☆はる坊です。

私は今から4年ほど前に東京から地方へ転勤していた時期がありました。平日は地方で過ごしていましたが、当時の恋人(現在の夫)や友達が東京にいること、他にも家族が東京にいて単身赴任中の同僚が何人かいたので、みんなで週末は東京に帰る生活をしていました。

この地方転勤時代、つらいと感じることが多かったんです。

でも、当時は何が「つらい」のかが分かっていませんでした。今回は、そんな自分のつらさの原因に気付くきっかけとなった出来事について振り返ろうと思います。

「つらい」とは思っていたけど、原因が分からなかった




やっと「つらい」と思っていた原因に気付く







我慢はしない方がいい

***

今では仲良くなった先輩。実は東京に帰るとき先輩に「ずっと2人だけのチームだったからはる坊さんとは距離が近過ぎたり離れ過ぎたりしたかもしれない。うまいことやれなかった。申し訳ない」と言ってくれたんです。こういうことを言ってくれる、いい先輩だったからこそ、「つらい」と感じる原因だとは思わなかったのかもしれません。

ただ自分の心を客観的に見るのは難しい。だからこそ、つらいと感じたら抱え込まずに吐き出すのは大事。カウンセリングは自分でも意識していない「つらいこと」に気付かせてくれる可能性があると思います。

編集/はてな編集部

著者:カマンベール☆はる坊

はる坊普段は会社員をしている漫画家。お菓子、コスメ、珍スポなどの気になるもののレビュー漫画を描いたり 包み隠さない感じのコミックエッセイを描いたりします。「コミックDAYS」にて『わたし、いい人やめました』を連載中。
Twitter:@camembertharubo

女子マンガ研究家が選ぶ、一気読みもしやすい「5巻以内で完結するオススメ作品」

 小田真琴


仕事終わりのちょっとした息抜きの時間、休みの日、あなたはどのように過ごしますか? のんびり過ごすのも良いですが、さまざまな世界を知り、体感できる「マンガ」を読んでみるのはいかがでしょうか。女子マンガ研究家の小田真琴さんに、手に取りやすく一気読みもしやすい「5巻以内で完結するオススメの女子マンガ」を教えていただきました。
***

人生は一度きりですが、マンガを読むことで私たちはいくつもの人生を追体験することができます。そこには快楽があり、学びがあり、あるいは逃避があります。

私が少女マンガを読み始めたのは高校時代のことでした。クラス内に出回っていた『ガラスの仮面』の文庫版にハマって、セリフを丸暗記するほどに読み返したのがその原体験です。以来、新旧の作品を読み漁り、この歳に至るまで嗜み続けていますが、思えばそうすることで私は年齢も性別も超えて、無数の人生を生きてきたことでしょう。たとえ41歳のおっさんでも、10代少女の恋にドキドキすることもできる。それがマンガの力です。

そんな奇跡がほんの数百円で味わえるのですから、マンガというのはつくづく安い娯楽だと思うのですが、なにしろ毎月1,000点ほどの新刊が登場するこの世界、どれを読めばよいのか分からなくなるのも無理はありません。そこで今回はみなさんに読んでいただきたいマンガを、私なりの基準でセレクトいたしました。

息抜きや気分転換にちょうどよい5巻以内で完結するマンガをーーという編集部のオーダーに則りつつ、私なりに定めたテーマはマンガを通して「もうひとつの人生」が垣間見えるもの。

私が専門としているのは「女子マンガ」と呼ばれるジャンルです。少女マンガを卒業した20代~40代女性に向けて描かれたマンガ……と、とりあえずは定義してはいますが、大人の女性をエンパワメントするマンガならなんでもよいのではないかと思っています。これらの作品がどうかみなさんの力になれますように。

年齢を重ねることを力強く肯定する『その女、ジルバ』

有間しのぶ『その女、ジルバ』全5巻(小学館)

笛吹新、40歳、独身。かつては華やかなデパートで販売員として働いていましたが、今はスーパーの倉庫勤め。「何も持たないままとうとうこんな年齢に」とふと思い、電車で見かけた品の良い老婦人の姿に「あたしは老後ゆったり暮らせるのだろうか」と不安に苛まれます。そんなとき、街角で見かけたホステスの求人に、新は目を奪われました。「時給2000円 40歳以上」……40歳以上? それが新と高齢BAR「OLD JACK & ROSE」との出会いでした。新は副業としてこのお店の「最年少」ホステスとして働くようになります。

そもそもの動機は逃避であったかもしれませんが、新はそこでさまざまな人たちに出会い、さまざまな人生に触れます。バーの創設者であった今は亡きジルバママは日本人ブラジル移民。その存在を端緒として語られる移民社会の様子は壮絶です。

「勝ち組」をご存じでしょうか? いわゆる「人生の勝ち組」といった文脈で使われるものではなく、終戦後のブラジルの日本人移民の中に実在した、「実は日本は勝っていた」と信じる一団のことです。その存在を利用して金儲けをしようとする者まで現れ、さまざまな悲劇を呼びました。

アラフォーの逃避ものと思わせておいて、国境や時代をも越えて、読者をはるか遠くまで連れて行くものすごい作品です。女たちの波瀾万丈な人生を通じて、今を楽しむこと、今を肯定することの大切さを圧倒的な筆力で描き出すのは有間しのぶ先生。完結したばかりのこの作品は、著者の新たな代表作となることでしょう。出世作である独身アラサー女性3人を描いた群像劇『モンキー・パトロール』(祥伝社)も激しくオススメですので、機会があればぜひ。

女たちそれぞれの幸せの形を描く『愛すべき娘たち』

よしながふみ『愛すべき娘たち』全1巻(白泉社)

『大奥』(白泉社)や『きのう何食べた?』(講談社)が大ヒット中のよしながふみ先生の、15年ほど前の連作集です。長らくBLで「男」を描いてきたよしなが先生が、初めて真正面から「女」を描いたと当時は話題になったものでした。大好きな本で、事あるごとに方々でおすすめしています。

特に印象的なのが博愛主義者の莢子を描いた第3話。友人曰く「仕事もできて美人で性格がいい」莢子ですが、なぜか結婚できずにいました。そんな莢子がおばの勧めでお見合いをすることになり、4人の男性と出会うのですが、結局彼女は誰も選ぶことができません。その理由とは……。衝撃のラストはマンガ好きの語り草になるほど。

タイトルのとおり親子関係が1冊を通じてのテーマとなっています。「母というものは要するに一人の不完全な女の事なんだ」ーー描かれるのは自分自身もそうなっていたかもしれない、等身大の女性たちの人生。この本を読んだ後には、自分自身に対しても、親に対しても、少しだけ優しくなれるような気がします。

こんな人生たまにはいいかも!? 暴走するサービス精神『バレエ星』

谷ゆき子『バレエ星』全1巻(立東舎)

いかにもリアリティのある設定ばかりでなく、荒唐無稽な物語もまたマンガの醍醐味であります。こんな人生もたまにはいかが?

『バレエ星』は「超展開バレエマンガ」のキャッチに恥じぬエクストリームぶり。とにかく毎回「引き」がすごいんです。死体が動く、車にひかれる程度は序の口。ボートは転覆し、滝行をすれば岩が落ちてきて、しまいには洞穴に閉じ込められ、ダイナマイトで爆破されそうになります。ちなみにこれはバレエマンガです。

バレエマンガといえば山岸凉子『アラベスク』(白泉社)や有吉京子『SWAN』(平凡社)などは歴史的な大傑作として今なお読み継がれていますが、『バレエ星』は少女マンガ誌ではなく、小学館の学年誌に連載されていたものだったこともあり、長らくその存在を忘れられていました。それが京都国際マンガミュージアムの倉持佳代子氏や少女マンガラボラトリー「図書の家」の尽力によってこうして再び広く紹介されることとなり、ちょっとしたブームになっているのです。続編の『まりもの星』『さよなら星』(ともに立東舎)もぜひ。

稀有な第一次産業マンガ『美貌の果実』で描かれる、働くことの喜び

川原泉『美貌の果実』全1巻(白泉社文庫)

「仕事の息抜きに読むマンガを紹介してほしい」ということもあり、基本的にお仕事マンガははずしていたのですが、川原泉先生のこのシリーズだけは例外でしょう。園芸農家、酪農家、ワイナリーを舞台とした「第一次産業シリーズ」は、多種多様な仕事を仮想体験できる川原流の一風変わった「お仕事マンガ」であります。

川原作品の特徴といえば、まずなによりも丸みを帯びたシルエットの、健気で愛しいキャラクターたちです。『美貌の果実』の主人公・菜苗は、知る人ぞ知る秋月ワイナリーの長女。ところが突然の交通事故で大黒柱だった父と兄を失い、農園の運営は大ピンチ。ひとしきり悲しんで、悩んではみたものの、まあ何とかなるだろうと、母と2人でやれるだけやってみようと決意するのでした。

惜しみなく披露されるワインのうんちくに知的好奇心を満たされつつ、義理堅いキャラクターたちに心打たれ、作品全体に漂うどこか暢気な空気感に安らぐーーこれぞ川原作品の醍醐味であります。だからお仕事マンガとはいえ、息の詰まるようなことはなく、ただただ人の優しさを感じることができる性善説の物語が、ここにはあります。思えば私はいつも川原先生のマンガのように生きていたいと願っているような気がします。

同じ文庫本に収録された『架空の森』も大傑作です。とにかく1980年代後半に描かれた短編・中編は名作ぞろいで、そのほとんどは文庫化されていますから、未読の方にはぜひお読みいただきたいところ。本編はもちろん番外編も最高な『笑う大天使』、表題作が号泣必至の『中国の壺』、フィギュアスケートシーズンにぜひ読みたい『銀のロマンティック…わはは』を収録した『甲子園の空に笑え!』(全て白泉社文庫)あたりからどうぞ。

過去の自分にタイムスリップ! 中2気分を存分に味わえる『ラウンダバウト』

渡辺ペコ『ラウンダバウト』全3巻(集英社)

大人となった今となっては、1年はあっという間に過ぎ去っていきますが、そういえば子どもの頃は1年って長かったなと、ふと思い出すことがあります。永遠に続くものとさえ思えた回転木馬のような思春期の日々をユーモアたっぷりに描くのが『ラウンダバウト』です。作者は渡辺ペコ先生。公認不倫夫婦を描いた『1122』(講談社)が話題となっている、今をときめく人気作家さんです。およそ10年前、私はこの作品でペコ先生の大ファンになりました。

全3巻で描かれるのは、主人公・真の14歳の1年間。バカバカしくて、でも切実な中学2年生の日々を経て、ほんの少しだけ大人の階段を上った真の成長を垣間見ることができます。終盤、祖父の葬式のあと、祖父の思い出を語り合う真と姉。祖父が倒れる前の日にかかってきた電話に、母親から「電話に出てあげて」と言われたにもかかわらず、イライラしていてそれを無視してしまったことを後悔する姉に、真はこう言います。

「あのさ お姉ちゃんがたまに利己的なのも あたしがいつも意地汚いのも おじいちゃんのことも おじいちゃんを好きだったことも そういうの全部ちゃんと ずっとおぼえてようね」ーー渡辺ペコ『ラウンダバウト』3巻 pp,189

しかしその後の世界に生きる私たちは、その真の願いが叶わないことを知っています。「ずっと」も永遠もありはしない。だけどこうしてマンガを読めば、かつて自分の中にあった気持ちを、私たちはいつでも思い出すことだってできるのです。

***

マンガを読むことで、私たちはつかの間、「ここではないどこか」へ意識を飛ばし、少なからずなにかを感じ取ることでしょう。マンガによって私たちは過去にも未来にも、世界中のどこにだって行くことができます。それは無限の視座を獲得することにほかなりません。それがいったいなんの役に立つのか、まだ私にもわかりませんが、マンガを読むことも、日々を生きることも、年々楽しくなっていくなあと、確かに実感しております。マンガには感謝の気持ちしかありません。

著者:小田真琴

小田真琴女子マンガ研究家。1977年生まれ。「マツコの知らない世界」に出演するなど、テレビ、雑誌、ウェブなどで少女/女子マンガを紹介。自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている。
Blog:女子マンガの手帖

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次回の更新は、2018年11月30日(金)の予定です。

編集/はてな編集部

遅れて来た反抗期を終えて感じた「ほんとうの自立」

 太田明日香

編集者・ライターとして働く太田明日香さん。仕事を介して家族や故郷と関わることで「遅れて来た反抗期」が終わったようだと語る太田さんに、「嫌いだった」と語る地元や家族のこと、今思うことについて寄稿いただきました。

***

反抗期はいつですか?

反抗期というと小学校高学年から高校生くらいまでに来るというイメージがあるが、皆さんはどうだろうか。

わたしにはちゃんとした反抗期がなくて、その代わりに、いきなり30歳を過ぎた頃に反抗期がやって来た。

2018年1月に出した『愛と家事』という本の「遅れて来た反抗期」という文章でも詳しく書いたが、私は小学6年生のとき、入院したことがある。この時期反抗期の入り口にさしかかっていたのが、心配し、看病する親や家族の姿を見て、「こんなにしてもらってどうやって恩を返したらいいのか分からない」というような気持ちの方が先に立った。本当だったら思春期という自分を確立する時期に反抗できなかったせいか、わたしはいつまでも親の顔色を見て行動するくせが抜けなかった。

愛と家事

『愛と家事』は家族関係について書いたエッセイ集だ。主には母に対する気持ちと、若い頃にうまくいかなかった結婚について書いてある

その後、29歳のときに離婚したことがきっかけで、精神的に親離れしようとする「遅れて来た反抗期」が30歳を過ぎた頃いきなりやって来た。最近、その「遅れて来た反抗期」は終わった気がする。どうしてこんな気持ちになったのか、そのいきさつを書いてみたいと思う。

帰って来い! VS 帰りたくない!

わたしの故郷は淡路島で、地元の集落には家が6軒しかない。いわゆる限界集落というやつだ。今は3世帯しか住んでいなくてほとんど60歳以上の人ばかりだ。あと15年もてばいい方だろう。

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わたしは子どもの頃から自分の地元が嫌いでしょうがなかった。山と川と田んぼと畑しかない上、近所には友達も住んでいない。どこへ行くにも親の手を借りなくてはいけなくて、必然とテレビと読書が友達という感じになった。子どもの頃はテレビで見る世界にあこがれて、早く大人になって、都会に出たくてしょうがなかった。

島の中には大学がなかったから、高校を出て進学する場合はたいてい島を出ることになる。わたしもその例にもれず、島外の大学に進学して、一人暮らしを始めた。

家族の期待は、大学卒業後地元に戻って公務員や教員になってほしいということだった。わたしもそれを疑いもせず、ぼんやりとそうするものだと思っていた。

けど、大学に行って島では出会わないような仕事や生き方を知って、「自分は今までなんて狭い価値観の中で生きてきたんだろう」「もっと自分の可能性があるんじゃないか」と思い始めた。

母はわたしに「好きな事をしろ」と言うけど、電話をすれば「教員免許を取れ」とか「公務員試験を受けろ」とか「帰って来い」ばかりで、ほんとうは自分と同じように地元に帰って、家族の近くに住んでほしいんだろうなと感じさせるような発言が多かった。今思えば、母はわたしをいつまでも自分の一部みたいにとらえていたようなところがあって、「心配だから」と言いながら、必要以上にわたしに干渉してきたんだと思う。

わたしは母の意見を取り入れなければという気持ちと、でも自分の本当にしたいことをしたいという気持ちをうまく言葉にできなくて、母と話すといつもイライラした。

やりたい仕事は地元じゃできない!

結局、大学を出ても地元には帰らなかった。

わたしは大学生の頃からずっと出版業界にあこがれがあって、ライターや編集者をやるには都会じゃないとだめだと思っていた。堅い仕事でもないし、地元でできる仕事でもない。教員や公務員になってほしいという母の気持ちを裏切っているような気持ちはあったけど、やっぱり本心では家族とか故郷とか関係なしに、もっと好きなことだけして自由に生きたかった。結局わたしは、無理矢理自分の意思を押し通した。

表面上は親に反抗できているように見えるかもしれないが、うまくいかないと親のせいにするような甘えや依存心、精神的に弱いところが残っていた。

東京の大手の会社でばりばり正社員で働けるような気概も実力もなくて、どうにかアルバイトで京都の大学受験問題集を作る会社に入ることができた。

それからも、正社員になる機会や希望する媒体に関わるチャンスを求めて、非正規雇用で中小の出版社を転々とした。両親はいつまでも正社員にならないで転職を繰り返すわたしにだんだん失望しているようだった。

実家に帰れば「資格を取れ」とか「結婚しろ」とか、思いつきで見当違いのアドバイスばかりしてくる両親にはイライラが募った。どうせ何か相談しても「やめとき」と言われるに決まっている。それなら、事後報告で進めた方がいいと、だんだん何も言わないようになった。

3社目に勤めた会社を辞めたとき、このまま出版業界で正社員になることを目指して仕事を探し続けても同じことの繰り返しだと気付いて、フリーランスになった。わたしは29歳になっていた。

いつの間にやら地方移住ブームが

淡路島や地元の集落への目が変わったのはその頃だった。

2011年に原発事故が起こってから、地方移住する人が増えた。コミュニティデザインという言葉ができたり、地域おこし協力隊の制度が始まったりして、地方に注目が集まり始めていた。

いつのまにか、地方は遅れて寂れたイケてない場所ではなく、何か変わったことやおもしろいことがしたいという若者が集まるフロンティアになっていた。

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移住希望者向け空き家ツアーの様子

淡路島でもその動きは同様だった。たまに島へ帰ると、都会にはない暮らしを求めて淡路島にやって来た同世代に会うことが増えた。自分があれほど嫌っていたものに、そんなに魅力があるのかと、とても不思議だった。

そうやって移住者やUターンする同世代と接するうちに、わたしもだんだん淡路島の魅力を外から来た人の目で知るようになった。

この頃影響を受けたのが『フルサトをつくる』という本だ。

フルサトをつくる (ちくま文庫)


京大卒のニートで有名になったブロガー・作家のphaさんと『ナリワイをつくる』を書いた伊藤洋志さんが書いた本で、田舎と都会のいいところ取りをして、二拠点居住をしようという提案をしている。これを読んで目からうろこが落ちた。

今でこそ地方や多拠点を移動しながらライターや編集の仕事をする人は多い。けど、当時はまだノマドやリモートワークという言葉がはやり始めた頃で、いろんな場所を移動しながら仕事をするスタイルはあまり知られていなかった。

わたしも編集やライターは都会でするものというイメージにしばられて、好きな仕事をするために故郷を捨てるか、地元に帰って農業や家事を手伝うかみたいな二者択一でしかものを考えられなかった。

けど、この本を読んだおかげで、「編集やライターをするからといって、都会に住まなくてもいいんだ。都会と地方を行ったり来たりしながら、いろんな場所で編集とかライターの仕事をすればいいんだ!」と考えられるようになった。

自分の中にあった固定観念から解放されたのだ。

さらに、淡路島の地域おこしイベントや地元のアートイベントに行くうちに、広報物や報告書を作る際に編集者やライターという仕事が必要とされていることを知った。これまでそういった仕事は都会にしかないと思っていたけど、淡路島でも仕事があると知って、「そうだ、地元でこの力を生かそう!」と思った。そこから淡路島の仕事に関わるようになった。

それに、わたしはずっと都会のメディアが地方のことを取り上げて、地方がそれに後追いしていく風潮に違和感があった。どうせだったら、地元の出身者や住民の人たちの手でメディアを作った方がおもしろそうだ。せっかく淡路島に編集やライターの仕事があるのなら、わたしも携わってみたいと思った。

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いままで淡路島で関わったパンフレット類。これ以外にもイベント運営なども手伝った。左下のNPO淡路島アートセンターによる、食品ロスを減らすためのパンフレットが初めて携わったもの

距離やカベを作るための反抗期

地元の集落でも変化が起こっていた。

父や集落に残る若い世代(といっても60代)の人たちが、集落にあるあじさい園でイベントをやったり、地域おこし協力隊の人たちや市役所と連携して大学生の実習プログラムをしたり、集落を生かす道を探り始めていた。

だんだんと淡路島の仕事をするようになったことで、地域おこし協力隊の方や、他の淡路島の仕事で知り合った方が集落で何かするときに、わたしにも声をかけてくださるようになった。最初は参加者として軽く様子見するだけだったのが、だんだんイベントのチラシや冊子を作る手伝いにも加わるようになっていった。

そんなに地元の集落や家族と距離を取ろうとしていたのにどうして? と思った人もいるかもしれない。

わたしはずっと、出て行きたいという気持ちとは裏腹に、心のどこかで自分が故郷を捨てたような罪悪感を持っていた。

帰るたびに地元の集落が獣害や水害で荒れ、住民がだんだん年老いていくのを見るも心が痛んでいた。

人間とは都合のいいもので、引き止められたら重くて出て行きたくてたまらないのに、なくなるかもしれないと思うと、自分が根無し草になる不安でたまらなくなった。だから、自分の得意なことで地元に関われるなら少しでも役に立ちたいと思ったのだ。

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集落の人が集落に人を呼ぶために、自分のうちの田んぼを使って始めたあじさい園

そういうふうに仕事を介してみると、少し親との関係も変わってきた。

話し合いをしているときに、親の「あ、嫌だな〜」と思う面を間近に見ることがある。前は、自分にもそういう部分があるのが嫌で、親のことが恥ずかしくてしょうがなかった。

逆に、関わってくれる人たちが両親について褒めてくれることもある。前は、そういうときも照れてしまって身内をくさしていた。

でも、仕事として関わってみると、親という感じは少し小さくなって、「仕事相手として」見えてくる。時々変なことを言っても、全部真に受けないで適当に聞き流す。すると、親のことを少し困ったところもあるけどまあそこそこ愛嬌のあるおじさんとかおばさんくらいに思えなくもない。

反抗期というのは、それまで一体だった親との間に、反抗することで距離やカベを作ることで、違う意志を持った生き物だと知らしめるためにあるのだと思う。

わたしにとっては、「仕事として親と関わる」ことがいい感じに距離やカベを作れることに作用したんだと思う。それに気付いて、わたしの反抗期ももう終わりだなと思った。

ほんとうの自立

日本には「水入らず」とか「水臭い」なんて言葉がある。家族の間に遠慮がないこと、距離がないことが美徳だという風潮がある。

だから、生計は別でも家族というだけで、家族と自分が一体という感覚を持ちがちなような気がする。家族に対して育ててもらってありがたいという気持ちも、逆に何か根に持つ気持ちがあって許せないという気持ちをもつ人もいるだろう。なかなかそう簡単に割り切れるものではないが、それをいつまでも気にしていると、ずっと家族にとらわれ続けるのではないだろうか。

だから、無理矢理カベや距離を作って、親離れや子離れする選択があってもいいと思う。18歳くらいまで一緒にいて、たくさん影響を受けていたって、そのあとは別々の人生なのだ。親の代わりに生きることも、子どもの代わりに生きることもできない。

いいところも悪いところも飲み込んだ上で、家族と自分を切り離して、適度に付き合うことができるようになるといい。家族みんなが「家族のため」でも「家族の犠牲になった」でもなく、「自分の人生を生きている!」と心の底から思えることこそが、ほんとうの自立なのだと思う。

著者:太田明日香id:kokeshiwabuki

太田明日香編集、校正、執筆。著書に『愛と家事』(創元社)、『福祉施設発! こんなにかわいい雑貨本』(西日本出版社、伊藤幸子と共著)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」(タバブックス)。
Blog:夜学舎

お知らせ:共働きをテーマにしたイベント「りっすんお茶会」を開催します

「りっすん」では、2018年11月25日(日)にイベント「りっすんお茶会」を開催します(※11月15日(木)11:00申込締切)。詳細は下記のリンクをご参照ください。
www.e-aidem.com

次回の更新は、2018年11月21日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

会社員、主婦、そして今。私にとって「働く」ことは、合わない靴のまま歩くのに似ている

 窪橋

子育てをしながら働いている、はてなブロガーの窪橋さん。就職、転職、結婚、出産といったさまざまな転機を経ながら、自分に合った働き方を探してきたこれまでについて振り返っていただきました。

***

こんにちは。「はたらく女性」カテゴリの端っこで細々と働いている、窪橋と申します。今はこんなことに携わっています。

  • 在宅(業務請負、出来高制)
  • アルバイト(雑務、時給制)
  • 家庭内労働(夫との共同経営、たまに実家に外注)
  • 子育て(同上、やりがい搾……やりがい)

「在宅+バイト」という働き方が特徴的かなと思います。流れ流れてこんな就労形態になったのですが、どうしてこうなったのか、ちょっと振り返ってみたいと思います。思い出話にお付き合いください。

振りカエル(言いたかった)

振りカエル(言いたかった)

最初の会社で、細く長く働くつもりだった

大学を卒業後、就職氷河期の中で就活をしていた私は、やりたい仕事に就きたいなどという希望は持てず、ただ「働きやすい会社」に正社員で潜り込めたらいいな、と願っていました。

正社員になって、福利厚生に守られて、細く長くぬくぬくと、結婚後も産後も働いていきたい!

どこかで見た就職情報では「産後も働ける会社を探すなら、女性の割合を見るだけではダメだ」と言っていました。いわく、女性の年齢層が幅広いかどうか。女性の役職者がいるかどうか。そこまで見ておくべきだ、と。

幸運にも、私が入社できた会社は、それらのポイントを全て満たしていました。幸先がいいわーとホクホクしたものです。……最初の数カ月は。

実情は、産休を取得した女性が創業からン十年通して1人もいないという、いい意味でも悪い意味でも昭和の雰囲気を引きずった企業風土。新卒入社組は出産を機に辞めてしまうし、長く勤めているように見えた40代以上の女性たちは独身か中途入社組でした。出産で一度辞めた後、子供の保育園が決まってから再就職した人もいて、それは思いつかなかったわーと、頭を抱えることに。入ってみないと分からないものですね。

私が結婚したときの社の対応の端々から、同僚のうわさから、漏れ伝わってくる会社上層部のダイバーシティへの理解の低さ。ここで産休取得者第1号になるということはつまり、自分でイチから交渉したり調整したりする必要があるわけで、ボトムアップでいろいろ変えていくことになるわけで。……いやあ、無理。私には無理だあ。

さらに同じくらい思い知らされたのは、私にはフルタイム勤務が向いていないかも、ということでした。毎日同じ時刻に起きて体調を崩さず休まずお仕事に行くって大変。とても大変。私には無理だあ。すぐに熱が出るし。有給は消えるし。結局、妊娠だ何だの前に、体を壊してこの会社を辞めることになります。

自分の望む環境、自分に合う環境を見つける難しさは、この最初の就職で思い知らされたのでした。

五里霧中のイメージ写真ですが、そんなものに選ばれたペンギンは迷惑であろう

五里霧中のイメージ写真ですが、そんなものに選ばれたペンギンは迷惑であろう

モラトリアムと転職失敗

こうして退職、つまり主婦に転職したわけですが、家でのんびりしていたい反面、フルタイム勤務の頂点ともいえる主婦業が私に向いているわけがないという妙な確信があり、最初の会社を辞めてから間もなく、ゆるゆると転職活動を開始しました。前職のことがありますから、くれぐれも無理せず、体を大事に、で。

失業手当をもらいにハローワークに行き、職員の方に「働きたいんですけど働きたくないんですよ」的な愚痴とも相談ともつかない話をしたところ、紹介していただいたのが職業訓練です。そこに通っている間は求職活動をしているとみなされますが、履歴書を作成したり、面接を受けたりする必要はありません。失業手当も受け取れます。やったー! モラトリアムばんざい。

私が入校したのはある大学で行われている半年間のコースでした。学生気分で楽しく通いました。満喫した。週休2日で朝から晩まで、資格取得のための授業と演習を詰め込まれて、フルタイム勤務とほぼ変わらない状況だというのに、体調は上向きになっていきました。

この時期、妊活も同時に進めていました。このとき、すでに30代半ば。やっと体調も良くなったし、職か妊娠かどちらかがうまくいけばそっち優先で、というつもりでいました。この、どっちに転ぶか分からない状態というのは、見通しが立たず、どうも落ち着かないものです。これがあるから会社で守られていたかったんだよなあー。結局、職業訓練コース終了まで妊娠はできませんでした。そううまくはいきませんよね。

職業訓練は再就職支援が目的なので、終わったらすぐ、本格的に職探しをしなければなりません。私は内容が面白そうな仕事に絞って探し、やがてものすごく面白そうな仕事から色よいお返事を頂けました。これは本当にうれしかったなあ。

妊娠したのはちょうどそのときでした。なんというタイミング。もちろん新しいお仕事のお話は白紙になりました。そんなこともあるだろうと覚悟はしていたけれど、相手方にはまったく関係のない話です。電話口で平謝りをするしかありませんでした。

そして混沌がやって来た

そして混沌がやって来た

無数の選択肢と、ふわっふわの見通しの中で

翌年、無事に子供が産まれて子育て期間に突入してからも、何かしら仕事をしたいな、という気持ちはずっとありました。しかし、授乳で寝不足の頭で求人情報サイトを開いてみたものの、ちょっとこれは何をどう調べていいか分からないぞ、と悩むことになります。新卒の就活のときと違って、正社員だけでなくアルバイトも視野に入れて……となると、仕事の種類は無数に増えるのです。

そして自分はといえば、スキルやキャリアがあるわけでもないし、今後の見通しもまったく立ちません。子供がいる中でどれくらい働けるのか。保育園には入れるのか。夫は子育てと仕事に対してどのくらいの配分で動けるのか。ああ、このふわっふわの見通しの頼りなさよ。このときの気持ちを思い出すと、頭がぼんやりしてしまうなあ……。どれもこれもできる気がしなくて、ぼうぜんとしました。

とにかく外とのつながりを確保しておきたかったので、在宅勤務の仕事を探したところ、今のお仕事とご縁ができました。子供が1歳になる前だったと思います。今まで関わったことのない業種、まったく初めての職種だったので、教わりながらのスタートでした。

実家の両親に子供を見てもらいながら、手探りで少しずつ仕事を始めたら、これがもう楽しいのなんの。始める前は「試しにしばらく続けて、様子を見て転職も考えよう」と思っていましたが、このままこの仕事で腕を磨こうという気持ちになっていきました。

そんなとき、先方から社内アルバイトの打診があり、渡りに船とばかりに週数回のアルバイト勤務を決めて、今に至ります。

今はこんな感じです

今はこんな感じです

靴擦れには気を付けていきたい

これからも今の仕事を続けていきたいけれど、どうでしょうねえ。うわさの小1の壁はすぐそこだし、相変わらずすぐに体を壊すし、今はかなりの時間を家事に割いてくれている夫も仕事が忙しくなるかもしれないし、親もいつまで元気でいてくれるか分からないし、第2子を望む気持ちもあるし……。仕事や育児に慣れたくても、やっと慣れたー!と思う頃にはまた環境が変わってしまって、そのたびにアワアワと右往左往している気がします。

いくら履いてもなじまない靴で、先の見えない道を歩いているような気持ちです。

何しろ、自分の足の大きさがころころ変わってしまう。ちょっと無理をすれば靴擦れを起こして、歩けなくなってしまう。履き替えようにも、自分の足がどうなるか分からないから、次の靴が選べない。「これだ」と思った靴も、歩いてみたら合わないかもしれない。どんなに愛着があっても、私の足の形が急に変わって、履けなくなってしまうかもしれない。

それでも、そのうち良い靴に出会うかもしれないし、今の靴が足になじんでくれるかもしれないし、と期待して歩いているわけです。今の靴は、靴擦れしやすいけどお気に入りなので、できれば長く履いていたいんですけれど、どうかなあ。いけるかなあ。足の様子をためつすがめつ、やっていきたいと思います。靴擦れが、あんまりひどくならないように。

著者:窪橋id:kubohashi

著者イメージ

id:kubohashiの名前をはてなに登録してから約10年、インターネットで遊んでいる一般人。最近はブログ「まず米、そして野菜」に、子供と読んだ絵本のことを書いたりしています。

ブログ:まず米、そして野菜

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次回の更新は、2018年11月7日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

コスメは憂鬱な気分を吹き飛ばす「お気持ち蘇生薬」である 課金待ったなしのデパコス6選

 ぱぴこ
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お気に入りの品たち

都内某所でアラサー外資系激務OLとして働いているぱぴこです。

「お化粧とかめんどくさい……でもコスメでテンションを上げないと仕事で生き抜けない……」という、ズボラ精神と乙女心と働きマン魂がコングロマリッドになった結果「落とさなくてよいコスメ」という概念を練成し、ブログ記事にしたところ、多くの方に読んでいただきました。そんなきっかけで本稿を書いております。

コスメとは「お気持ち蘇生薬」である

「コスメは自分のカンフル剤」

あなたにとってのコスメとは? と聞かれたら、私はこう答えます。

仕事で疲れたとき、何か憂鬱で気分が上がらないとき、あと一歩がんばりたいとき。

そんなふうに「今の状況を変えたい」「気分を上げたい」と願うとき、私はコスメを、その中でもデパコスを購入します。

なぜ「デパコス」なのか。理由は大きく3つあります。

(1)百貨店・ハイブランドという「非日常」によって気持ちが高揚するため
(2)パッケージの美しさやかわいさなど「持っていること」自体でうれしくなるため
(3)時間・距離・金額など、入手のための前提条件の低さのため

美しいパッケージ、色や香り、何より使うことで自分を「きれい」にしてくれるコスメで、忙しく働く日常を忘れて気分転換ができる。さらに、「今日! 今! 気分を変えたい!!」と思い立ったとき、百貨店ならば予約もなにも必要ない。これは非常に大きな利点です。

ハワイでリゾート10日間、箱根の高級温泉ステイ、ラグジュアリーホテルのスパ……など、私が石油王ならば気分転換の方法は無限にありますが、激務OLはそんな時間がないから激務OLなのです。万年「ハワイ行きたい」「ぬこかわいい」とつぶやく疲れた私にとって、デパコスは「“ゆとり"を感じて、自分をいたわりたい」という願望を、手軽に叶えてくれる魔法の品

百貨店でブランドブースをのぞき、お目当ての品を見つけ、BAさんに丁寧に接してもらい、ショップ袋を提げて帰宅し、ドレッサーにアイテムを配置し、それらで自分を彩る。この全ての過程で楽しくなれる。ああ最高!

まさに「だめになりかけた物事を蘇生させるのに効果のある措置」である、カンフル剤そのものだと思うのです。

目標に向かってがつがつ仕事をすることは楽しいし、好きだからがんばります。しかし、多忙が続きトイレで効率的に寝る技術と、ロッカーの常備薬ばかりが充実していく中で、オフィスのトイレや帰宅時の電車の窓に映る自分を見ると、まるで「疲労」の2文字が歩いているようで、自分にショックを受けることは、ある。

仕事に追われて折れそうになったとき、可哀想な自分から脱して気分を上げたいときに、私は蘇生薬であるデパコスに課金します。20時ごろまでに百貨店に駆け込むことができれば、私を蘇らせてくれるコスメたちが迎えてくれる。ハワイに行けなくても、そのくらいの時間はねん出できる。

スキンケア商品でも、メイクアップ商品でも、香水でもなんでもいい。自分が「アガる」、つまり気持ちを蘇生できることこそが最重要!

課金を後悔させない至極の蘇生アイテム6選

そんな幾度となく忙しさの谷に沈んだ私が、預金通帳残高を生贄に召還してきたデパコス陣。私のライフを復活させてくれた製品の中でも「この課金、後悔させぬ」と自信を持ってオススメできるものを、心をこめて紹介します!

選ぶのが大変でしたが、数年使い込んだものから、最近のニューフェースまでを取りそろえております。

1. ジョルジオ アルマーニ ビューティ ルミナス シルク ファンデーション
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感動した。

まるで元からの肌が美しいかのように自然なのに、「手の込んだ」肌に仕上がるという魔法のような一品。

アルマーニコスメはファンデーションだけでも15アイテムあり(本記事の執筆時点)、気合の入りっぷりが伝わるというものですが、本品は「シルク」の名の通り「軽さとツヤ」で肌を滑らかに整えてくれます。間違いなく自分の肌極上の仕上がりにしてくれるのに、その仕上がりは卵の膜かのような薄さと軽さがあり「塗っている」感を抱きません。

もちろん手で塗っても美しく仕上がるのですが、ぜひブラシを使うことをおすすめしたい。リキッドファンデーションは、ブラシを利用することで薄付きでナチュラルな仕上がりになり、ツヤも出やすくなるため、ブラシを利用することで本品の素晴らしさでもある「軽さとツヤ」という特性を120%引き出すことができます。

ブラシで塗る……という一手間さえも愛しく感じる「お出かけ用」の肌を作ってくれる。時短で楽をしたい気持ちもあるけれど、同時に「手間をかけてきれいに」という欲求もある女心を素敵に満たしてくれる「いい女」感のあるコスメです。

■DATA
ジョルジオ アルマーニ ビューティ ルミナス シルク ファンデーション
7,000円(税別)
http://www.armanibeauty.jp/

2. ルナソル ラディアントスティック(ハイライト)
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激務アラサーOLの肌に足りないものってなぁに? それはね、潤いと透明感。

本製品はハイライターとして顔の高い部分(眉上・鼻筋・顎など)に入れることで立体感を出す役割を担っていますが、ただ「立体感を出す」という当然の仕事をするだけの製品ではありません。

世界一乾燥していると言われるアタカマ砂漠もびっくりするほど乾いている私の肌に、みずみずしい潤い感を与えてくれ、まるで元から「透明感、まとっています」という肌に仕上げてくれる点がすごい。

天然オイル成分が配合されており、テクスチャはびっくりするくらい「ぬめっ」としています。しかし、オイルのぬめっとしたテクスチャと、品のいいパールが絶妙に肌を美しく見せてくれるのです。

ルナソルといえば「浄化」というテーマのイメージが強いですが、まさに「浄化肌」を作ってくれるアイテムです。肌を月明かりで照らしたかのような、絶妙で繊細な光沢感を与えてくれる名品。パールとオイルが与えてくれるのはまるで水面の揺らめきのような、繊細な艶。

今すぐ光沢感、仕込もう。発光する女になれる機会なんてそうそうないよ!

■DATA
ルナソル ラディアントスティック
3,000円(税別)
https://www.kanebo-cosmetics.jp/lunasol/

3. ディオールスキン ルージュ ブラッシュ(チーク)
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(写真上から時計回りで)「999」「361 ローズベゼ」「601 ホログラム」

2018年に登場したディオールの新作チーク。

発売前から「これは…やばい……15色全部欲しい……」とは思っていたのですが、今手元に3個あります。「なんでこんなに?」と2秒悩んでみたのですが「かわいいから」というIQ3の答えしか浮かびませんでした。

ロジックを無視して突き進みたいのですが、理由を考えてみたところ「色」と「質感」が素晴らしいからと結論が出ました。

まずは色。「絶妙」という単語でしか表せない、ブラウン~ピンクまでのさまざまな色。頬にのせたときに内側からじゅわっ!と蒸気するような発色。そして質感。粉チークは「おてもやん」になる危険と隣り合わせですが、本品は粉にもかかわらず、テクスチャがやわらかく、滑らかな質感なので粉っぽさのない自然な仕上がりになります。

私が所持しているのは、レッドの光沢が美しい「999」、ローズピンクの「361 ローズベゼ」、色そのものよりも青ラメの質感で魅せる「601 ホログラム」の3色。青ラメを求めて3千里、というほど青ラメを愛している私としては「601 ホログラム」は非常にうれしい製品です。単体使いもできますが、他のチークに重ねて使うことも、ハイライターとして使うこともできる万能選手です。頬にすっとなぞると全体が華やぎ、明るくなります。血色を足すだけにとどまらず、華やかになった自分を愛でるという気分上げアイテムとして重宝しています。

15色*1の色味と質感の組み合わせで、絶対にあなたの「これ」が見つかるから見つけてほしい。チークはぱっと顔立ちを明るくしてくれるので、幸福度が高いコスメで大好きです。

■DATA
ディオールスキン ルージュ ブラッシュ
5,700円(税抜)
https://www.dior.com/ja_jp

4. YSL ルージュ ピュールクチュール ザ スリム
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2018年10月新発売のリップスティック。こちらも発売前からそのヴィジュアルに一目惚れし、「絶対に欲しい!」と思っていましたが、現品を見てまんまと買ってしまいました。通常色は16色展開、現在は限定1色を加えた17色展開となっています。

色や質感もすばらしいのですが、一目ぼれしてしまったこの見た目! いやーヴィジュアルだけで「欲しい」って思わせるのすごくないですか? スリムなスクエア型の容器、そして、これぞYSL!というゴールドとマットな黒な組合せ。コンセプトに「上質なレザーのようなマット感」を謳っているだけあり、パッケージのブラック部分はスムースなマット仕上げでレザーを思わせる手触りになっているあたりもニクイです。

リップは数あるアイテムの中でも「女度」が高いアイテムですが、本品は持っているだけで自分が「いい女」「強い女」になれる気がする、最高のお気持ち上げアイテムです。

私はレッド系の09「レッド エニグマ」を購入しました。深みがありながらも華やかな色味なので、秋が深まるこれからの季節につけるのが楽しみです。レッド系だけでも6色あるというラインナップの豊富さなので、少しハードルが高い印象のある赤リップでも「自分の赤」を見つけられるはず。

■DATA
YSL ルージュ ピュールクチュール ザ スリム
4,300円(税別)
https://www.yslb.jp/

5. ゲラン スーパーティップス ミッドナイトシークレット(美容液)
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現在は廃盤となった「ゲラン イシマミッドナイトシークレット」の事実上後継商品。2016年にスーパーディップスシリーズの一つ「ミッドナイト シークレット」として発売されました。

小学生の頃、テレビでタレントさんが「徹夜で飲んで遊ぶときはミッドナイトシークレットを仕込む」とおっしゃっているのを見て、幼心に大人になったら買おう! と心に誓ったわけですが、「遊ぶとき」ではなく「働くとき」の強い味方になってしまったのは悲しい事実です。が、威力は絶大です。

リニューアルのタイミングで容量が減り、お値段もお手ごろになりました。ブランド側が「睡眠不足や夜更かしなどでトラブルの気になる肌へ」とアナウンスする、超!スペシャルトリートメント美容液。睡眠不足のお疲れ度合いMAX状態の修復ができる、と宣言できるってすごいことだと思いませんか? その期待を裏切らないあたりが、さすがのゲランさまです。

「肌がヤバい時にはまずゲラン」と、ゲランのスキンケアには絶大な信頼を寄せていますが、その中でも肌が疲弊しきってしぼんでいるときや、長時間フライト、徹夜作業時など負荷がかかるときのお供にすれば、生き抜けるという起死回生の一品です。

つけたその瞬間から肌がふっくらするという即効性を感じ、「疲れ肌」の印象を払しょくしてくれます。最後の砦でもあり、逆にこれさえあれば徹夜も怖くない、という最強の剣。

■DATA
ゲラン スーパーティップス ミッドナイトシークレット
4,500円(税別)
https://www.guerlain.com/jp/ja

6. ディオール カプチュール トータル ドリームスキン アドバンスト(乳液)
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この製品を語らずして、私はコスメを語れない。

お値段は50mlで16,000円(税別)と預金残高にダイレクトアタックしてきますが、毎朝つけるたびに「うわっ…すごい……」と感動するので、値段を忘れてしまう。課金ループから抜け出せなくなります。

透明感、キメ、ハリ……という単語に飛びつくあなたにこれ一本。ディオールさま最高の基礎化粧品と私は信じている。「ドリームスキン」シリーズは複数商品を展開しておりどれも優秀ですが、1個選べと言われたら私は乳液を推します。

多忙でくすんだ肌にため息をついているときに、「ドリームスキン」という商品名につられ、わらにもすがる気持ちで購入したというエピソードが涙を誘いますが、激務に感謝したいほどの絶品。

基礎化粧品の枠を超え、色補正下地と言ってもいいほどに、肌の状態を整え、トーンアップしてくれます。塗ると顔がパっと明るくなり、キメも整ってふっくらするので、毛穴も目立たなくなる……という至れり尽くせりの恐ろしい子……。

■DATA
ディオール カプチュール トータル ドリームスキン アドバンスト
16,000円(税別)
https://www.dior.com/ja_jp

幸福度爆上げ効果を考えれば、デパコスは実質0円

化粧は古くから「魔よけ」や「変身」を表し、さまざまな儀式の一部として使われていたとされ、「特別なもの」「力を得るもの」として用いられた歴史があります。現代女子たちに日常で魔よけは必要ないはずですが、いつもと少し違う自分になる「プチ変身」は積極的に取り入れて損がない!

新しいアイテムをゲットして、それらを使って自分を彩った日は、昨日は憂鬱だった出社が少し楽しくなります。

「素敵なものを買った」
「肌の調子がいい気がする」
「今日の私はなんだかきれい」

勘違いでもなんでもいい。そんなふうに自分を「いいもの」だと思えること以上にハッピーなことはありません。やさぐれた気持ちに潤いを与え、自分を「いたわる」ことでのゆとりを感じさせてくれるコスメは、見て、使って、持って楽しい最高の相棒です。

今日も明日も仕事がある、いやなこともいっぱいある。やる気がなくてすっぴん出社する日もある。

でもごりっと課金したコスメで顔をつくって奮い立つ心がある。

「毎日きれいにしましょう」なんて意識が高いことは私はできません。

でも、「あと少しがんばりたい」「気分転換して進みたい」と思ったときの後押しにしてくれるコスメを愛してます。

少しの課金、大きな効果。

この表題を掲げながら今日も明日もがんばって生きましょう。ぱぴこでした。


著者:ぱぴこid:papapico

ぱぴこお気持ちが高まった時に更新されるブログ『エモの名は』を書いている外資系激務OL。オシャレとズボラの狭間に生息し、ストレスを課金で潰すことに余念がない。趣味はNetflix、映画、ワイン、豚を塩漬けにすること。目標はゆとりのある生活(物理)
Twitter:@inucococo
Blog:エモの名は。

※本記事内で記載されている価格は2018年10月時点のものになります

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次回の更新は、2018年10月31日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:執筆時点では限定色も追加販売され17色

共働き夫婦の私たちは、「温もりのある他人行儀」を大事にしていく

 トミヤマユキコ

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結婚願望のまったくなかったわたしが、ひょんなことからおかもっちゃん(夫)と結婚してもう5年になる。彼はバンドのドラマーで、わたしは任期付きの大学教員&ライター。まるで畑違いの2人が、共働き夫婦として生活している。

わたしたちは、職種も違うが、1日の過ごし方もまるで違う。夜更けすぎまで原稿を書いているわたしと、早朝から起き出して仕事に取りかかる彼。平日に大学の講義が集中するわたしと、週末にライブが集中する彼。ちなみに、お互いフリーランスだから、収入も多かったり少なかったり。安定的で穏やかな暮らしとはほど遠い。

ここまで読んで「大丈夫なのかこの夫婦は?」と思った人がいるかもしれない。皆さんの気持ちはよく分かる。というか、結婚するとき実際に言われたのだ。「バンドマンと結婚するなんて」とか「すれ違い生活だね」とか。

でも、いまのところ危険な兆候はなし。ケンカも年に1〜2回程度で、ほぼノンストレスと言っていい状態だ。どうしてそんなに平和なのか、その秘訣があったら教えてほしいと言われて、この原稿を書いている。いまから書くことは、あくまでわたしたちのやり方にすぎないが、誰かの参考になれば幸いだ。

「やったこと」を全力で自慢し、褒め合いの関係を築く

まず、わたしたち夫婦にとって、家事は義務ではない。早起きが得意なおかもっちゃんがゴミ捨てを、ほこりを気にしがちなわたしが床掃除を、ぐらいのゆるやかな役割分担はあるが、強制力はゼロ。

共働き夫婦の中には、役割分担をきっちり決めているひとたちもいると思う。しかし、わたしたちはそうしなかった。なぜって、分担を決めると、やるのが「当たり前」になるからだ。当たり前のことは、やっても褒められず、やらなかったら叱られる。「わたしはちゃんと義務を果たしているのに、あなたはぜんぜんやってないじゃない!」みたいなうっぷんもたまるだろう。夫婦関係において、こうした不満の種は、案外バカにできないものだ。積もり積もって、大変なことになりかねない。

そこでわたしたちは、どちらか気付いた方が家事をやることとし、やったら全力で自慢していいシステムを採用した。義務ではない作業を自ら進んでやっているので、どれだけ自慢してもよい。自慢してもらえると、やってもらったことに気付かず、お礼も言いそびれ、といったことにもならない。

自慢された方が大袈裟に喜び、褒めることも大切だ。

「ありがと〜!」「すごいね!」「天才では?」といった具合で、どんどん褒める。バカバカしいと思わず、全力でやるのがポイント。そうすると、自宅で一緒にいる時間のほとんどが褒め合いの時間になる。褒められると気分がいいから、作業のクオリティも上がっていく。その証拠に、かつてなんでもかんでも洗濯機にぶちこんでいたおかもっちゃんが、いまや、素材別に洗剤を使い分けるのはもちろん、何をネットに入れるべきかも完璧に把握している。全ては褒め合いのたまものだ。

ただ、これにはひとつだけ注意点がある。片方が家事をやりまくり、片方が褒めまくるだけだと、バランスが悪くなる。だから、「ラリーを続ける感覚」を持っておく必要があるのだ。あの人はいま食器を洗っているから、わたしは洗濯物を畳もうかな、でもいいし、昨日はあの人にやってもらったから、今日はわたしがやろうかな、でもいい。

とにかく、相手が何かをやってくれたら、自分もお返しに何かをやる。分担よりも順番。そんな意識で生活を回していくのである。と、偉そうに書いているが、最近はおかもっちゃんが朝から家事をやりまくっており、わたしは褒めることしかできてない……あの人の成長ぶりが恐ろしい。

金銭的差異を「家事労働」で埋め合わせはしない

役割分担システムを採用しなかったのには、わたしの生育環境も大きく影響している。わたしは、自営業の父と専業主婦の母に育てられた一人っ子だ。実家にいた頃は、父が働きに出て、母が家を守り、わたしは勉学に励む、という役割が、完璧なまでに出来上がっていた。

だが、大人になって一人暮らしをはじめると、家事がやたらとめんどくさく、時間も取られるものだということが発覚。分かっていたつもりだったが、想像以上の負担だった。自分一人分の家事でもこれだけめんどくさいのだから、3人家族だったらなおさらである。甘ったれの一人っ子だったわたしは「家事はお母さんの仕事でしょ」と思っていたし、やってもらうのが当たり前すぎて、感謝の念もいまひとつだった……お母さんごめんなさい! わたし、役割分担の闇をよく分かっていませんでした!

そんなわけで、おかもっちゃんとの生活には役割分担が存在しない。うまいこと分担を決めたつもりで、いつの間にか誰かの負担が多くなる、みたいな地獄は一切ナシだ。

同じ理由で、お金関係も割り勘を基本としている。夫の金銭的負担が大きい分、妻が家事労働で埋め合わせる、といったことは、我が家では起こりえない。家賃・光熱費はもちろん、外食したときのお会計も半分こ。ただし、臨時収入があったときなど、お金を多めに出したい気分のときは、そう申し出る。もちろんここでも、出してもらう方が大袈裟に喜ぶのである。

半分妖怪のわりには、うまくやってる

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なんか、こうして列挙してみると、わたしたちが夫婦なのか、単にルームシェアしている男女なのかが、分からなくなってくる(寝室も別だし)。「なんで結婚したんだ?」とか「なんのための夫婦なんだ?」と言われそう。が、冒頭でも書いたように、そもそもわたしには結婚願望がまったくなかったのである。そのため、世間がイメージしそうな「夫婦らしさ」を手に入れたいと思ったこともない。

女としての自己肯定感が恐ろしく低いから、恋人ができるだけでも奇跡に近く、結婚なんて一生できるはずがないと思って生きてきた。誰かの妻になるなんて、絶対無理。もしなれたとしても、妻らしいことはきっとできない。だいたい、朝起きられない、満員電車に乗ると具合が悪くなる、といった理由で企業への就職を諦めた女だ。企業に就職して、会社員として働いて……といった「普通の社会人」になれなかった。人間として、何かが足りないとも思った。半分妖怪みたいなものだ。妖怪のわりには、自分でどうにかお金を稼いで人間社会にがんばって馴染んでるじゃんとは思うものの、普通の人間がやっていることは自分にもできることだなんて、とてもじゃないけど思えない。

そんなわたしと結婚したいという奇特な人物が現れたので、言われるがまま結婚してみたが、いまでも「わたしのような半分妖怪がすいません」と思っているところがある。卑屈だ。でも、卑屈なところがぜんぜんなくて、「わたしこそおかもっちゃんの妻にふさわしい」と思える自分だったら、夫婦関係は早々に破綻していただろう。卑屈でよかった。

夫婦だからこそ温もりのある「他人行儀」を大事にしたい

結婚すると他人が夫婦になり、やがて家族になる、というコンセプトは、ある種の「罠」だ。夫婦であること、家族であることにあぐらをかいた途端、他人同士の気遣いがなくなってしまうから。そうなったら最後、何かをすること、してもらうことに、感動できなくなっていく。その先に待っているのは単調で無味乾燥な日常ではないのか。わたしはそこに抵抗したい。夫婦による結婚生活だという意識を捨てるぐらいの気持ちでいたい。

おかもっちゃんは他人だ。気が合うし、一緒に生活しているけど、他人だ。でも、そんな他人が自分を好きでいてくれる。半分妖怪なわたしを気に入るなんて、変なヤツだ。でも、とてもありがたい。この先もずっと敬意を持って相対したい。

気の合う他人との共同生活だと思えば、「夫/妻だからやってくれて当たり前」とは思えなくなる。そして、相手がやってくれることのひとつひとつを、ありがたいと思えるようになる。おかしな話だが、相手を他人だと思うことで、夫婦関係は逆説的にうまくいくのではないか。「夫婦と言っても所詮は他人」といった冷たい突き放しではなく、大好きな人だからこそ、温もりのある他人行儀が必要だと思うのだ。

著者:トミヤマユキコ

tomiyamayukikoライター/早稲田大学助教。書籍・マンガのレビューを中心としつつ、フードカルチャーやファッションなど、頼まれればなんでも書くライター。著書に『パンケーキ・ノート』(リトルモア)、『大学1年生の歩き方』(清田隆之との共著、左右社)、『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)などがある。大学では少女マンガ研究者としてサブカルチャー関連講義を担当。夫は「SCOOBIE DO」のドラマー、オカモト”MOBY”タクヤ。
Twitter:@tomicatomica

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次回の更新は、2018年10月24日(水)の予定です。

編集/はてな編集部