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共働き夫婦の私たちは、「温もりのある他人行儀」を大事にしていく

 トミヤマユキコ

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結婚願望のまったくなかったわたしが、ひょんなことからおかもっちゃん(夫)と結婚してもう5年になる。彼はバンドのドラマーで、わたしは任期付きの大学教員&ライター。まるで畑違いの2人が、共働き夫婦として生活している。

わたしたちは、職種も違うが、1日の過ごし方もまるで違う。夜更けすぎまで原稿を書いているわたしと、早朝から起き出して仕事に取りかかる彼。平日に大学の講義が集中するわたしと、週末にライブが集中する彼。ちなみに、お互いフリーランスだから、収入も多かったり少なかったり。安定的で穏やかな暮らしとはほど遠い。

ここまで読んで「大丈夫なのかこの夫婦は?」と思った人がいるかもしれない。皆さんの気持ちはよく分かる。というか、結婚するとき実際に言われたのだ。「バンドマンと結婚するなんて」とか「すれ違い生活だね」とか。

でも、いまのところ危険な兆候はなし。ケンカも年に1〜2回程度で、ほぼノンストレスと言っていい状態だ。どうしてそんなに平和なのか、その秘訣があったら教えてほしいと言われて、この原稿を書いている。いまから書くことは、あくまでわたしたちのやり方にすぎないが、誰かの参考になれば幸いだ。

「やったこと」を全力で自慢し、褒め合いの関係を築く

まず、わたしたち夫婦にとって、家事は義務ではない。早起きが得意なおかもっちゃんがゴミ捨てを、ほこりを気にしがちなわたしが床掃除を、ぐらいのゆるやかな役割分担はあるが、強制力はゼロ。

共働き夫婦の中には、役割分担をきっちり決めているひとたちもいると思う。しかし、わたしたちはそうしなかった。なぜって、分担を決めると、やるのが「当たり前」になるからだ。当たり前のことは、やっても褒められず、やらなかったら叱られる。「わたしはちゃんと義務を果たしているのに、あなたはぜんぜんやってないじゃない!」みたいなうっぷんもたまるだろう。夫婦関係において、こうした不満の種は、案外バカにできないものだ。積もり積もって、大変なことになりかねない。

そこでわたしたちは、どちらか気付いた方が家事をやることとし、やったら全力で自慢していいシステムを採用した。義務ではない作業を自ら進んでやっているので、どれだけ自慢してもよい。自慢してもらえると、やってもらったことに気付かず、お礼も言いそびれ、といったことにもならない。

自慢された方が大袈裟に喜び、褒めることも大切だ。

「ありがと〜!」「すごいね!」「天才では?」といった具合で、どんどん褒める。バカバカしいと思わず、全力でやるのがポイント。そうすると、自宅で一緒にいる時間のほとんどが褒め合いの時間になる。褒められると気分がいいから、作業のクオリティも上がっていく。その証拠に、かつてなんでもかんでも洗濯機にぶちこんでいたおかもっちゃんが、いまや、素材別に洗剤を使い分けるのはもちろん、何をネットに入れるべきかも完璧に把握している。全ては褒め合いのたまものだ。

ただ、これにはひとつだけ注意点がある。片方が家事をやりまくり、片方が褒めまくるだけだと、バランスが悪くなる。だから、「ラリーを続ける感覚」を持っておく必要があるのだ。あの人はいま食器を洗っているから、わたしは洗濯物を畳もうかな、でもいいし、昨日はあの人にやってもらったから、今日はわたしがやろうかな、でもいい。

とにかく、相手が何かをやってくれたら、自分もお返しに何かをやる。分担よりも順番。そんな意識で生活を回していくのである。と、偉そうに書いているが、最近はおかもっちゃんが朝から家事をやりまくっており、わたしは褒めることしかできてない……あの人の成長ぶりが恐ろしい。

金銭的差異を「家事労働」で埋め合わせはしない

役割分担システムを採用しなかったのには、わたしの生育環境も大きく影響している。わたしは、自営業の父と専業主婦の母に育てられた一人っ子だ。実家にいた頃は、父が働きに出て、母が家を守り、わたしは勉学に励む、という役割が、完璧なまでに出来上がっていた。

だが、大人になって一人暮らしをはじめると、家事がやたらとめんどくさく、時間も取られるものだということが発覚。分かっていたつもりだったが、想像以上の負担だった。自分一人分の家事でもこれだけめんどくさいのだから、3人家族だったらなおさらである。甘ったれの一人っ子だったわたしは「家事はお母さんの仕事でしょ」と思っていたし、やってもらうのが当たり前すぎて、感謝の念もいまひとつだった……お母さんごめんなさい! わたし、役割分担の闇をよく分かっていませんでした!

そんなわけで、おかもっちゃんとの生活には役割分担が存在しない。うまいこと分担を決めたつもりで、いつの間にか誰かの負担が多くなる、みたいな地獄は一切ナシだ。

同じ理由で、お金関係も割り勘を基本としている。夫の金銭的負担が大きい分、妻が家事労働で埋め合わせる、といったことは、我が家では起こりえない。家賃・光熱費はもちろん、外食したときのお会計も半分こ。ただし、臨時収入があったときなど、お金を多めに出したい気分のときは、そう申し出る。もちろんここでも、出してもらう方が大袈裟に喜ぶのである。

半分妖怪のわりには、うまくやってる

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なんか、こうして列挙してみると、わたしたちが夫婦なのか、単にルームシェアしている男女なのかが、分からなくなってくる(寝室も別だし)。「なんで結婚したんだ?」とか「なんのための夫婦なんだ?」と言われそう。が、冒頭でも書いたように、そもそもわたしには結婚願望がまったくなかったのである。そのため、世間がイメージしそうな「夫婦らしさ」を手に入れたいと思ったこともない。

女としての自己肯定感が恐ろしく低いから、恋人ができるだけでも奇跡に近く、結婚なんて一生できるはずがないと思って生きてきた。誰かの妻になるなんて、絶対無理。もしなれたとしても、妻らしいことはきっとできない。だいたい、朝起きられない、満員電車に乗ると具合が悪くなる、といった理由で企業への就職を諦めた女だ。企業に就職して、会社員として働いて……といった「普通の社会人」になれなかった。人間として、何かが足りないとも思った。半分妖怪みたいなものだ。妖怪のわりには、自分でどうにかお金を稼いで人間社会にがんばって馴染んでるじゃんとは思うものの、普通の人間がやっていることは自分にもできることだなんて、とてもじゃないけど思えない。

そんなわたしと結婚したいという奇特な人物が現れたので、言われるがまま結婚してみたが、いまでも「わたしのような半分妖怪がすいません」と思っているところがある。卑屈だ。でも、卑屈なところがぜんぜんなくて、「わたしこそおかもっちゃんの妻にふさわしい」と思える自分だったら、夫婦関係は早々に破綻していただろう。卑屈でよかった。

夫婦だからこそ温もりのある「他人行儀」を大事にしたい

結婚すると他人が夫婦になり、やがて家族になる、というコンセプトは、ある種の「罠」だ。夫婦であること、家族であることにあぐらをかいた途端、他人同士の気遣いがなくなってしまうから。そうなったら最後、何かをすること、してもらうことに、感動できなくなっていく。その先に待っているのは単調で無味乾燥な日常ではないのか。わたしはそこに抵抗したい。夫婦による結婚生活だという意識を捨てるぐらいの気持ちでいたい。

おかもっちゃんは他人だ。気が合うし、一緒に生活しているけど、他人だ。でも、そんな他人が自分を好きでいてくれる。半分妖怪なわたしを気に入るなんて、変なヤツだ。でも、とてもありがたい。この先もずっと敬意を持って相対したい。

気の合う他人との共同生活だと思えば、「夫/妻だからやってくれて当たり前」とは思えなくなる。そして、相手がやってくれることのひとつひとつを、ありがたいと思えるようになる。おかしな話だが、相手を他人だと思うことで、夫婦関係は逆説的にうまくいくのではないか。「夫婦と言っても所詮は他人」といった冷たい突き放しではなく、大好きな人だからこそ、温もりのある他人行儀が必要だと思うのだ。

著者:トミヤマユキコ

tomiyamayukikoライター/早稲田大学助教。書籍・マンガのレビューを中心としつつ、フードカルチャーやファッションなど、頼まれればなんでも書くライター。著書に『パンケーキ・ノート』(リトルモア)、『大学1年生の歩き方』(清田隆之との共著、左右社)、『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)などがある。大学では少女マンガ研究者としてサブカルチャー関連講義を担当。夫は「SCOOBIE DO」のドラマー、オカモト”MOBY”タクヤ。
Twitter:@tomicatomica

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次回の更新は、2018年10月24日(水)の予定です。

編集/はてな編集部