過去の私が褒めてくれるなら、それでいい。「幸せ不感症」の私が気付いた幸せの感じ方

 むらたえりか
地元の仙台駅

地元の仙台駅


幸せそうな周囲の人たちを眺めながらも、昔からずっと「自分にとっての幸せ」が分からなかったという、むらたえりかさん。上京してライター・編集者として働くようになったいま、あらためて地元・宮城を訪れる中で、自分なりの「幸せの感じ方」に気付いたといいます。
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「幸せになる」って、どういうこと?

「幸せになりたい」

そう願ったときに思い浮かべる「幸せになった自分」とは、どんなものだろうか。

おいしいものを食べたとき。好きなアーティストのライブに行ったとき。喜びや充足感のようなものを覚える一瞬はある。それに、いまが不幸かというとそうは思わない。けれど、「幸せになったか」と聞かれると、うーん……と考え込んでしまう。

それらは幸せと言える気もするけれど、例えば「喜び」とか「楽しさ」とか、違う言葉に言い換えられるようにも思う。「幸せになる」という言葉にぴったりくる状態がどんなものなのかが、モヤモヤとしてよく見えない。

私はこどもの頃からずっと、幸せになった自分を想像することが苦手だ。

高校のベランダで、「幸せになりたい」と言った同級生の横顔を覚えている。彼女は普段よりも少しだけ張りのある声で、遠くに投げかけるようにその言葉を発した。口角の上がった彼女の頬を、彼女と同じ制服を着た私は不思議な気持ちで見つめていた。やや複雑な家庭環境で育った彼女の「幸せになりたい」に含まれる思いを、そのときの私はちゃんと汲(く)めていなかったと思う。彼女の幸せが「自分の家庭を持つこと」だと知ったのは、私と彼女がもっと大人になってからだ。

大人になり、彼女は優しくて気の合う、そして彼女を誠実に愛してくれる男性と結婚した。こどもを産み、家族をつくった。そんな彼女を見て、あの頃に望んでいた幸せのかたちを実現したのだと思った。えらい、すごい、生きるちからがある。

彼女の「幸せになった状態」は、自分の家族を持つことだった。一方、私は?

私の悩みは、あの頃からずっと変わらない。「幸せになった自分」がどんなものか、想像できないことだ。

幸せになった私は、どこにいるのだろう。

私を叱る2019年の私、私を褒める2011年の私

2019年、蒸し焼かれるような暑さが来る前に、東京から地元の宮城県に向かった。そのときは、大学のサークルの行事にOGとして参加するために。仙台駅に着くと、当然のように、宮城で暮らしていたときのことを思い出してしまう。

仙台駅の西口から10分弱歩いたところに、31階建てのビルがある。2011年の東日本大震災のとき、私はそのビルに入っていたコールセンターで電話営業の仕事をしていた。成績もそれなりに良く、クレーム対応も面白くて好きだった。この先もずっと、自分にできそうな仕事をしながら地元で暮らしていくのだろうと思っていた。

2019年の私は、東京でライターと書籍の編集者として働き、飯を食っている。書いた記事には自分の名前が載る。一生足を踏み入れることはないと思っていた出版社に、毎朝出社している。

学生の頃から、文章を書くことや本を扱う仕事に憧れてはいた。けれど、憧れは憧れ。「ライター」「編集者」という職種名すら、よく分かっていなかった。自分がそういった仕事をするなんて、妄想の中の話だった。東京のメディア業界や出版業界への入り方すら知らず、そこで働く人たちを「すごいなあ」とただ遠巻きに見つめていたあの頃。

2019年の私は、いまの自分について「背伸びして、身の丈に合っていない仕事をしている」と思うことがある。

社会に価値を生み出す仕事をしている同世代や、年下のライター、編集者たち。
講師として後進を育てている人。
クライアントの希望にぴったりのテキストを書ける人。
やると決めたことを、1年後には必ず実現する人。
やりたいことが明確で、日々着実に前進している人。
社交的で、周囲の変化やタイミングによく気がつく人。

そんな人たちが、大勢いる。

「私なんか、まだまだだめ」。東京に暮らす2019年の私は、冷めた目で毎晩私をそう叱る。

ところが宮城に帰ると、至るところで2011年以前の私に出会える。

働いていた31階建てのビル。
アルバイトをしていた仙台駅東口のロッテリア。
好きな男が女の子と手をつないでいるのを見かけた商店街。
踏ん張ってキツい坂を登っていく市営バス。
小学校のすぐ横にホテル街がある、変わった雰囲気の歓楽街。
つい急ぎ足になってしまうサッカースタジアムまでの歩道橋。
自転車をびゅんびゅん飛ばして学校にも恋人の家にも行った、まっすぐで街路樹の多い道路。
赤いレンガづくりの美しい学校。

仙台の街じゅうですれ違う2011年以前の私は、いまの私を見てこう言う。

「すごいねえ」
「えらいね、がんばったんだねえ」
「いいなあ。私も、その仕事がしたいな」

過去の私からの素直な羨望の声が聞こえた気がして、いまの私の目にギュッと涙が溜まる。

幸せの感じ方は、ふたつある

仕事をするときに欠かせないペンとノート

仕事をするときに欠かせないペンとノート、PC

自分に明確な「幸せ像」があるならば、きっと、それをかなえることで幸せを感じられる。「自分の家族をつくる」という幸せを手に入れた友だちは、その家族の中でいろいろな問題を抱えつつも、「でも、家族がいるから幸せ」という自分の軸・原点に立ち返ることができているようだ。

地元には、若くして結婚や出産を経験した同級生も多い。離婚や病気などの経験がある子もいるが、「こどもがいるから」「家族みんなが健康だから」「好きなことができているから」、だから「幸せだ」と笑う。彼・彼女らを見ると、その幸せの軸の置き方や潔さ、決断力のようなものを、とてもうらやましく思う。

これが私の幸せだ、と決めて舵を握り、そこに向かって進むちから。もしかしたら、幸せってこういうものだという慣例に従っているだけという場合もあるかもしれない。けれど、それだってある種の決断力や適応力だ。生きるちからの強さ。

私には、明確な幸せ像がない。恋人と過ごすことや家族を持つことそれ自体が「幸せ像」とは思うことができなかった。仕事の方はどうかというと、やってみたいことを夢想することはあったが、「自分とは違う世界のこと」という一歩引いた思いがあり「幸せ」とは結びついていなかった。

震災があって仕事がなくなり、それからは、そのときそのときでそばにいてくれた人の計らいやタイミングなどに乗って、思いもよらないところまで来てしまった気がする。灯台のない岬の沖で、「こっちだよ」と呼んでいるのかいないのか分からない声を頼りに泳ぎ続けているような。

でも、そうやって泳ぎ続ける私を、過去の私が「えらいね」とときどき褒めてくれる。その声が聞こえると、私は「えへへ」と得意な気分になる。パソコンの見過ぎでドライアイ気味なのにもかかわらず、熱い涙がこみ上げてくる。

最近、幸せの感じ方はふたつあるのかもしれないと思うようになった。

ひとつは、「これが私の幸せ」と心に決めて、その条件をクリアすると継続的に得られる幸せ。

もうひとつは、過去の自分がいまの自分を見て「良かったね」と安心しているのを感じる、自己肯定的な幸せ。

後者には、目的地がないからこそ、思いもよらない場所にたどり着けるラッキーさや面白さもある。いま自分にできることをたどっていくうち、いつのまにかここにいる。思いもよらないからこそ、昔の自分が驚いて、うらやましがって、そして「やるじゃん」と認めてくれるのかもしれないとも思う。

自分で自分の人生の舵をしっかりとつかんで、あるいはつかもうとして、目的地に向かっている人たちを見ると、やっぱりうらやましい。「ライターになる」「本を出す」「編集長になる」「有名になる」「憧れの芸能人にインタビューする」、そんな言葉が光の塊、生きるちからの塊みたいに見える。

でも、そうはなれないのが自分だった。「私なんか全然だめ」と思いながら、自分よりもずっと立派な人たちのちからを借りて、遠くに遠くに泳がせてもらってきた。地元に帰ると、「いっぱい泳いで、すごいじゃん」と、いつかの私の声が聞こえる。

「これが私の幸せ」と決められない私は、自虐的なふりをして、とても欲張りなだけなのかもしれない。自分には想像もできない幸せがあるんじゃないかと、期待し過ぎているだけなのかも。

決断力と勇気に乏しく、そして欲張り。そんな私は、灯台にたどり着く幸せではなく、過去の私が「えらいねえ」「良かったねえ」と思ってくれる幸せを目指し続けていくのだと思う。まだ、もうしばらくは。

著者:むらたえりか (id:ericca_u)

むらたえりか

宮城県出身。東京でWeb広告制作ディレクター・コピーライターとして働いたのち、フリーランスライター・書籍編集者になる。
ハロプロのライブ、手ごねパンづくり、フォークダンスのどれかが週末の楽しみ。
Blog:静かなお粥のほとりから

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編集/はてな編集部