住宅ローン30年の契約書に判子を押した。

 

なぜか頭がボーッとして、銀行員が重要事項として説明する言葉があまり頭に入ってこなかった。気怠い感覚と突然の眠気。この判子を押してしまったら、二度と後戻りできないような底しれぬ不安に襲われていたのかもしれない。

 

合計金額は2,800万円。

 

毎月10万円近くを返済し続けても、完済し終えるのは30年後。私が69歳になる頃だ。30年後の世界がどうなっているのか。10年後の日本の姿さえ想像できないのに、近代社会が発明した金融システムのボーナスジャンプに飛びついてしまった。

 

ちなみに後悔はない。

 

ものぐさな性質かつ、お金を貯めることには無頓着。小さな会社を経営して5年になるが、いまだ投資のなんたるかもわかっていないし、宵越しの金はもたないスタイルで生きてきた。目下、脳内で議論しているのは自分が30年後も稼ぎ続けられるかどうか問題だ。便利なシステムは利用するに限る。依存して寄りかかってしまったら、自分の足腰で立って動き続けることができなくなってしまう。そう思い込んでいる。

 

だからこそ住宅ローン30年の烙印は、脳を麻痺させて「しょうがねえ」と思い込んで抱えていくしかない。晴れやかな気持ちは別段なく、何度も何度も、わからない書類をかき集めて、わからない項目の説明に対して「なるほどなるほど…」「どこか不明点はありますか?」「いえ、大丈夫です。たぶん…」と虚ろな表情で返事し、指先に渾身のパワーをいれて捺印し続ける作業から解放される。この一点だけが、私の肩の力をやわらげてくれる。

 

同時にどこか社会の一員として認められたような万能感を得た。ジモコロで取材をしてきた素晴らしい方々は、自らの事業を興すべく、莫大な借金を背負ってきている。その金額に比例して「やるしかねぇ…!」と我を追い込み、奮い立たせ、地道な努力の上にいまがある。そのいまをたまたま知って、現地を訪れて、本人の世界観に足を踏み入れて、言葉として切り取る。この連続がジモコロの糧といっても過言ではない。

 

スーツを着て、町を練り歩くお父さん。
居酒屋でご機嫌なお酒と食事を提供してくれる店主たち。
24時間煌々とした光を放つ町のインフラであるコンビニのオーナーたち。

 

暮らしていく上で不可欠な要素は、この世の誰かが金融システムを活用し、借金を背負いながら気張っているおかげではないだろうか。

 

借金の判子は、大人が通る人生2度目の成人式だ。

 

薄暗い森を駆け抜ける返済マラソンがいま始まった。

 

地方の銀行でお金を借りる儀式

10年近く前のこと。当時、上野で会社を経営していた先輩が話していた「会社はお金を借りて、しっかり返済すると信用が上がるんだよ」の言葉を思い出した。

 

そもそもお金を借りるためには社会的信用が担保となる。会社の経営状態を銀行側に開示し、決算書から貸せる金額の上限を見込んでもらう。銀行側はお金を貸して、町の経済に貢献してもらい、利息をぐるぐるとぶんまわしてこそ成り立つビジネスモデルだ。貸せるもんなら貸したいし、より高額を借りるためには目的に応じた金額を借りてコツコツと返済する必要がある。

 

最初は300万円。次は1,000万円。その次は事業に応じて5,000万円なのかもしれないし、2億円なのかもしれない。

 

一方、個人の場合でも所属する会社の信用が必要となってくる。まだまだ終身雇用の大企業万歳な信用システムは根強く残っていて、住宅ローン35年のカードを切るために、大企業の雇用契約を盾にする人も珍しくない。とりあえず審査が通ってしまえば、あとは独立しても問題ないのだろう。

 

過去、何度もネタにしているが、私自身と家族が抱える金銭面の課題は20代後半まで呪詛のようにこびりついていた。消費者金融、闇金といったキーワードが日常であり、23歳の頃にクレジットカードのキャッシングで50万を引き出し、一旦の平和的解決を望んで親父に差し出した体験も印象深い。そこで借りて返せなかった信用記録は数年残り続けて、改めてクレジットカードを作れたのは28歳くらいだった記憶がある。

 

ポストに突っ込まれた住民税の督促状をずっと無視してしまい、物言わぬ国からの強いメッセージと向き合えるような強さもなかったし、単純にお金がなかったのだろう。炭水化物のインスタント食品で腹を満たし、安居酒屋に駆け込んでいた。予算1,500円の飲み会で夢を語り、誰かの悪口で笑いあい、まだ見えぬ未来の希望を待ち望んでいたのかもしれない。どこにでもいる若いクズが20代の自分であり、金融機関から信用を得た上でのお金のやりとりなど夢のまた夢だった。

 

そんな環境から必死に誰かが放り投げるチャンスにしがみついた10年。ヘラヘラと笑いながら、ときには泣き出すような辛い場面を乗り越えて、あらゆるラッキーが重なって気づけば法人格の会社を立ち上げて5年の月日が流れた。

 

ある日、髪とヒゲが長くなった状態で、新橋の電通本社ロビーで前職の同僚と再会を果たしたときに「ゴリゴリのヒッピーやん」と言われたことがあった。自分だけじゃなく、両サイドに立ち尽くす社員ふたりとも同じ風貌だったのでぐうの音も出ない。髪を伸ばして、ヒゲを蓄えることが自由の象徴だなんて一度も思ったことはないが、誰にも指摘されず、周りにそんな人たちばかりだったので客観視することすらむずかしい。

 

中央集権の仕組みから一定の距離を置きながらも、全国を旅しながら信用を勝ち得る日々。見た目はむさ苦しくなっていたが、実は会社としての業績は有り体に言っていい感じだったのだ。オフィスも持たず、必要なのは人件費と経費だけ。会社自体が放浪していた影響もあったのだろう。しかし、たった5年の経営のなかで社会的信用はそれなりに担保されていた

 

長野の地方銀行を訪ねたときに「お金借りれますかね?」「徳谷さんだったら大丈夫ですね」とやりとりして気づけたのは大きな収穫だ。ああ、何もなかった自分もお金を借りれるんだなぁ…と。もはや住宅ローンそのものよりも、これまで遠回りしながら選んできた人生自体を肯定されたと錯覚したのだろう。一人前になったのかもしれない!

 

一度お金を借りると感覚が麻痺する

住宅ローンの大金が銀行に振り込まれて3ヶ月が経つ。そもそもこの記事は、銀行でお金を借りるためのプロセスをアーカイブしようと思っていたのだが、見事にすべて忘れてしまった。

 

何度も何度も銀行に通って、必要書類を揃える日々。銀行担当者から懇切丁寧に説明を受けても「あーはいはい…なるほど…(わからん!)」と受け答えを繰り返し、指の付け根が痛くなるほど何度も何度も名前と住所を書いた気がする。消費者金融のキャッシングはあんなにも簡単だったのに、ここの手間の差に金融システムの落とし穴があるのかも…。

 

アナログの手続きは負担とともに、自分自身の存在価値と否が応でも向き合わせる効果があるのではないだろうか。名前を書く。肩書きを書く。収入を書く。30年後を想定した返済ローンのシミュレーションを繰り返す。未来の柿次郎に対して「お前、本当に稼げんのか?」を何度も何度も問いかけた結果、パッカーンと開き直って「なんとかなるっしょ」の脳みそに仕上がってしまうのだ。そうやって感覚が麻痺する。膨大な手続きの前で思考停止した結果、記憶がごそっと奪われるのも住宅ローンの効能なのかもしれない。

 

ちなみに振り込まれた大金は、銀行口座にそのまま放置が原則となっている。現状、土地や建物の支払いを終えて、来年春までに完成するであろうリノベーション費用を小分けに振り込んでいる状態だ。

 

銀行口座の数字がただただ移行し、多くの人が労力を費やして経済がまわる。気づけば家が完成する流れのなかに身を任せてみて改めて思ったのが“お金は信用の前借りであり、ツールに過ぎない”ということ。一度全額を引き出して、現金を前に両手ピース写真でも撮れば心持ちが変わったのかもしれないが、いつもと変わらぬ日常に時間を削り取られて、頑張って稼ぎ続けるしかない前提は揺るがない。

 

もう一線を超えてしまったのだろう。

 

借りたお金の責任は、ナックルのポットクリン夜露死苦な何かのように、肩に憑いてまわる

 

一気に感覚が麻痺したので、あと3,000万円くらい借りても同じだと思い始めている。

 

そして今回初めて知ったことがある。住宅ローンに対する保険の契約を奨められて、内容を確認したら「三大疾病のがんになったら全額保証」なる内容だった。要は大病を患ったら生死に関わらず、返済金額がチャラになるらしい。これぞ、保険オブ保険。決して安い金額ではないが、そんなことを言われたら契約するよね。よくできてる。

 

死んでしまったあとの現世で何が起ころうが、正直あまり関心はないものの、金融システムのボーナスジャンプに飛びついた代償としての保険加入義務はあるのかもしれないな、とこちらも気持ちよく判を押した。

 

ジモコロの価値観に触れ続けてきたから今がある

よくある議論だが、理想の暮らしが現実的に捉えられたときに持ち家か賃貸を選べばいいのだと思う。たまたま私は自然豊かな環境下で、農業もしてみたいし、古民家リノベやってみたいし、いい物件に巡り会えたからチャレンジしただけ。土地によってはオーナーシップを持った方が、あとあと面倒くさくないという現実も取材を通して触れているのも大きいだろう。

 

まだ実際に住み始めてないのでなんともいえないが、人類史の歴史で土地という概念を生み出し、不動産で経済コントロールを繰り返してきた人間の欲望の一端に触れることもできた。

 

「ここからここまでがおれの土地だ!」

 

あの印鑑を押し切った瞬間から、自分の意思で基本自由に使える土地がある。焚き火をしたって文句を言われないし(日中の風向きと火の始末は気をつけて!)、家の前でいきなりテントを張ってキャンプをしても問題ない。生ゴミを外に捨てれば自然のコンポストにもなるし、牧場物語みたいに好きな野菜を育てて、獣に食われたって全部自分の責任だ。これらはすべて笑い飯の名言「ええ土〜〜〜!」あってこそ。

 

アスファルトだけの土地に価値を感じない身体になってしまっているため、あえて持ち家派として自分の土を得ることこそが今回の目的だったのかもしれない。土はいいぞ、土は。なんたって災害が起きてトイレのインフラが死んでしまっても、庭でうんこおしっこをして埋めればいいんだから。そのために土壌環境を整えて、ちゃんと肥料になるようなエコシステムにできればなおおもしろい。

 

この境地に辿り着いたのは、全国でお世話になったジモコロの取材対象者の価値観に触れ続けたからだろう。借金に大きな抵抗があった私自身を成長させてくれたのもジモコロといえるし、土大好きおじさんになったのもジモコロのおかげだ。だからこそ住宅ローンは人生二度目の成人式だったと、この場所に文章を残したいと思った。

 

いつか同じような気持ちの変化で、銀行にお金を借りて自然のなかで暮らしたい人が現れたら、土のついた野菜を持って「ようこそ、こちらの世界へ。お酒飲んでくかい?」と満面の笑みで迎え入れたいと思う。

 

 

OGPイラスト:matsuda natsuru