仕事や将来へのなんとなく不安な感情を和らげる「最高の一日」を描く方法|古性のち

文と写真 古性のち

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忙しさに追われ毎日を過ごしていると、ふと「私はなんのために頑張っているんだろう?」と思ってしまうことがあります。「このままでいいのだろうか」という漠然とした焦りや不安は、多くの方に覚えがある感情なのではないでしょうか。

写真家・コラムニストの古性のちさんも、そんな苦しさを抱えてきたひとりです。幼い頃から集団生活になじめず、「組織に属さないで個として生きていく」を目指してさまざまな職を経験してきた古性さん。しかし、晴れて独立を果たしても言いようのない不安や焦りは消えず……。そんなときに出会ったあるワークショップが、働き方や生き方の道標になったといいます。

人生を見つめ直し、自分が何を欲しているのかに気付くきっかけとなった古性さんの体験を書いていただきました。

***

私は今、岡山の港町と東京の、それぞれの場所に拠点を構えながら生活している。
五感を思いきり開いて創作をしたくなったら海の側の岡山の家へ。
今はやりのものに触れたり、誰かと会いたくなったら東京へ。
滞在の割合基準は毎月なんとなく半分ずつを目安にしているけど、それも、自分の心が今どちらを心地良いと感じるかに合わせて変えている。

そんな私の生活を「なんだか漫画のようですね」と面白がってくれる人もいれば「それって将来家庭を持ちたくなったらどうするんですか?」と自分ごとのように心配そうにしてくれる人もいる。「今は良いけれど、老後のためにお金は貯めておいた方がいいですよ」と真剣にアドバイスをくださる方もいる。

私はそれらの言葉を真摯に受け止めつつも、心の真ん中とは違う場所にそっと置いておくようにしている。もちろんありがたいし、きっといつか、自然とぶつからなければいけなくなる問題もあるだろう。

でも今一番大事なのは、この瞬間「私が私の人生に納得感を持っていて、満足しているのか」なのだと思う。

今世は有限だ。私が私としてこの世界に存在できる時間は、自分が思っているよりもたぶんずっと短い。そう考えると、他人の物差しを自分の人生にあてがって、比べたり、悩んだりうらやましがっている暇は、正直ない。

「今の自分の働き方や人生に満足しているか」と聞かれたら、まだまだ控えめだけれど、YESと答えられると思う。

だけれどそんな私もほんの数年前まで、謎の焦りと、名前の付けられない不安の間で戦って、悩んで、揺らぎながら毎日を送っていた。

「何者かにならなければ、上手に呼吸できる日はこない」と思っていた幼少期

小さな頃から、それはそれは面倒くさい子どもだった、と思う。
私が私の親だったら、日々頭を抱えていただろう。

毎日過呼吸になるほど泣きわめきながら乗せられる幼稚園バスは、私にとって地獄行きの乗り物だった。到着してしまえば諦めがつくものの、みんなで歌を歌ったり折り紙を折ったりする時間は退屈で、何故こんな小さな所に閉じ込められ、自由に外にも行けず、決められた枠組みの中で過ごさなければいけないのかが分からなかった。

小学校に上がり、幼稚園時代から感じていた居心地の悪さはさらにエスカレートする。

理由がはっきりしない沢山のルールを押し付けられることが増え、なんのために覚えるのかも分からない授業にもひたすら気持ち悪さを感じて、「何でこれをやらなきゃいけないんですか?」と疑問を解決するべく先生に質問するたび、私に返ってくるのは欲しい答えではなく「困った問題児」や「先生に反抗ばかりする子」という名前のラベルばかりだった。

ひとつひとつ丁寧に理由を知り進んでいきたい私にとって、集団生活というシステムが根本的に肌に合わなかったのだと思う。学校が楽しい、と笑う友人たちはうらやましいほどにみんな眩しくて、いつもいつも泣きそうだった。

あの頃の記憶は、今も頭の隅っこの方で、ざらざらとした感触を残している。

早く大人になりたかった。

だけれど、年齢を重ねるにつれ理解したのは、結局大人になり多くの人が所属する「会社」という場所は学校生活の延長線上にある、ということ。この学校という場所は、他人と折り合いをつけながら一緒に生きていく、いわゆる社会性を身につける訓練をする場所だったことに気づいた時には絶望した。

ならば、そこからのはみ出し者はどうすれば良いのか。

単位ギリギリでなんとか卒業を迎えた高校生の私がたどり着いた答えは、「特別な何者かになって、会社ではなく個として生きていける力を持つこと」だった。

そこにしか自分の生きる道はないと思ったし、このシステムから外れることができれば、この気持ちの悪い生きづらさや不安からさよならできると思った。

そんな思いを持って私が卒業後に最初に選んだ職は美容師。「はさみ1本あれば世界中、好きなところで生きていけるに違いない」と思って選んだ職だ。

20代前半から中盤は、私はさらに「自分が心から好き、と感じる職で特別な何者かになれること」を求め転職を繰り返す。美容師から始まり、Webデザイナー・ライター・フォトグラファーと興味のありそうな職はがむしゃらに、片っぱしから試した。

その後、念願だった「組織に所属せず一人で生きていく状態」が叶ったのは20代半ば。「ライター兼デザイナー兼フォトグラファー」というまるでキメラのようになった肩書きで、フリーランスとして独立を果たした。

あの時の安堵感は忘れられない。幼少期から感じていた気持ち悪さとおさらばした後の自分の人生を考えると、興奮で眠れないほどだった。

ここまでくれば私は大丈夫。念願だった形で「何者か」になり、一番のネックだった組織からも開放され、もう何も怖くないと思った。

だからこそ、1年たっても言いようのない不安や焦りにいつも追いかけられていることを、初めは目をつぶって、見ないふりをしていた。

「何者かになる」という夢を叶えたのに、自分の人生に自信が持てない。 結婚をし子どもがいる同じ年の友人、ゆっくりと自分のキャリアを積み上げる人、新たな挑戦を胸に世界へ飛び出していく人、全ての他人が必要以上に眩しく見え、焦り、不安になる。うらやましくて、そわそわする。

もっとお金を稼がねば。もっと仕事をしなければ。良い恋愛をして、結婚しなければ。他人に素敵だと思われなければ。

じっとりした名前の付けられない感情は、ゆるやかに日々の私の精神を蝕んでいき、思い描いていた「何者かになった先の姿」とは程遠い精神状態で、だけれど涼しい顔を作りながら毎日暮らしていた。

自分の欲求を知るために「理想の一日」を書き出して気付いたこと

そんな日々を送りながら「まあでもみんな何かを抱えて、我慢しながら生きているんだから」と聞き分けの良い大人のふりをして生きていた頃、「朝起きてから夜寝るまでの理想の一日を考えてみよう」というワークショップと出会った。

内容は「ノートを開き、自分が思う理想の一日を朝から夜まで書いてみる」というとてもシンプルなもの。講師は心理学を専門に学んでいる女性で、「言葉にできない焦りや不安に、名前をつけるきっかけを作りましょう」と添えられていた募集文がその時の私の心にとても響いた。

対面式のワークショップで、当日集まったのは年齢も性別もバラバラの6人。
各々、黙々と自分の理想の一日を書き出していく。

形式はなんでも良かったので、パソコンを開き、物語調にカタカタと打ち込んでいく。自分はどんな朝を迎えたいのか、どんなふうに眠りたいのか。何をしている時が幸せなのか。「どんな状態が幸せだと感じるのか」を言語化する行為は、心がゆっくりと凪いでいくとても不思議な感覚だった。

静かになっていく心と一緒に、その時私の頭の中でコトンと、確かに何かの音がした気がした。

あの、じっとりした名前の付けられない感情は「自分の本当に欲している人生が分からないことへの不安や焦り」だったのだ。

頭の中で聴こえた音はたぶん、ずっと正体不明だった感情にやっと名前がついた音だった。

「何者か」になって組織から解放されることだけを目指し、そのあとはただ漠然と「幸せになりたい」と願いながら、先の見えない真っ暗な道を手探りで走っていたのだ。

どう考えたってそんなの、不安にしかならない。上手に走れないし、なんなら暗闇の中でぽっとたまたま現れた光に「これだ!」と思って無条件に飛びついてしまうかもしれない。

目指すものを見失わないために「最高の一日」を考える


家に帰り、ノートを開いて読み返しているうちに、もっと事細かに書いてみたら、具体的な理想の人生が見えてくるのでは、と思い立った。

そこで、この「理想の一日をノートに書く」に、自分ルールを加えてみることにした。

まずは、とにかく細部まで書くこと。

例えば「朝早く起きる」ではなく、どこで・どうやって・何時に起きるのか。家は海沿いなのか、山沿いなのか。はたまた持ち家なのか、賃貸なのか。隣にいるのは夫なのか、猫なのか、それとも一人なのか。それらを、頭をフル回転しながら書く。

書き終わったら、今度は現在の生活と理想の生活にそれぞれ分けて箇条書きにしていく。最後に、現在の生活を理想に近づけていくにはどうすれば良いかのアイディアを書き出していく。

机の上にはお気に入りの珈琲とお菓子と、耳にはお気に入りの音楽を引き連れて、疲れたら適度に休憩を挟みながら、黙々と書いていく。それらを書き終える頃には気づけば8時間以上経過していて、心も体も頭も、もうクタクタだった。

心の奥底から一生懸命絞り出した私の「理想の一日」は、笑ってしまうくらい現実とはかけ離れているのに、心はとても清々しかった。

初めて自分の「本当に欲しいもの」と向き合えたような気がした。

当時書いた私の「理想の一日」(状態も含む)の一部は以下。ここでは分かりやすく箇条書きにしているけれど、書き方は自分の肌に合うやり方を選んでもらえるとうれしい。ちなみに私は普段は「物語調」でまとめている。

・朝7時にお祈りの声と一緒に目を覚ます
・家はネパールの湖の側。1Kの賃貸に住んでいる
・窓際にはいつも切り花が飾ってある
・世界中で自由に写真を撮り、エッセイやコラムを書く仕事をしている
・自分のプロダクトを持っている。お茶や文房具に関するものだとなお良い
・一緒に五感を開いてくれるパートナーがいる
・自由な会社で、信頼できる仲間と働いている
・夜21時からは読書タイム。30分間はゆっくりと本を読む時間をとる
・23時にはふかふかの真っ白なベッドで眠る


このワークショップは、定期的に行う「最高の一日を考える」という個人ワークとして私の中の定番になった。今でも、半年に一度たっぷり一日休みを取り、ノートに書いたりやパソコンでカタカタと打ち込んだりしている。(以下の記事などでは、具体的な私の「最高の一日」の書き方と、現在の生活を理想に近づけていくにはどうすれば良いかのアイディアを書き出していくまでのやり方をまとめているので、気になる方はぜひ)



「特別な何者かになる」ではなく「自分の特別を知っている」ことの大切さ

理想の中には、既に叶っていることも、夢物語のように感じるほど遠くにあるものもある。初めてワークショップに参加した日からゆっくりと時間をかけて、生活の一部へと変わっていったものもある。

例えば毎日ふらりと何となく立ち寄るコンビニで、お菓子やら珈琲やらに使っていた500円を、部屋に飾る一輪の花に使うことを変えた。花が一輪あるだけで、部屋の中がぱっと明るくなる。毎日帰ってきた時に自然と目に入ると、心がふんわりと軽くなる。



何度「最高の一日を考える」を書いても登場する「朝早くに起きて本を読むこと」も少しずつだけれど、日常化している。慌ただしい毎日の中で、予定より30分だけ早く起きて、駅までの通り道にあるカフェでページをめくるようになった。本はいつも、毎日にちいさな発見をくれる。

今までは「何者かにならなければ」を原動力に、ただがむしゃらに仕事をしていた。だけれど最高の一日を考えるようになったことで、自然と「仕事」という言葉への価値や見え方が変わり、仕事で「自分がどんなことをしたいのか」が徐々に分かるようになってきた。細々とだけれど、苦手な部分は助けてもらいながら、自分のプロダクトも作り始めている。

結婚についても、「最高の一日」の中にパートナーの存在が出てくることはあったけれど、別に「絶対に結婚をしたい」というわけではないことに気付いた。それからは、周りの人をゆるやかに、心から祝福できるようになった気がする。

人生全体に、なんだかゆったりと余裕が生まれた。

もちろん焦りや不安がゼロになったわけではないけれど、私にとって、暗い道を照らしてくれたこのワークショップと出会えたことが人生の転機になった。

自分の理想的な状態、つまり自分の“特別”を知っている状態は、他人の人生を無駄にうらやんだり、選べずに迷い、疲弊してしまう時間から解放してくれる。同時に「このままで良いのか」と悩んで立ち止まってしまうことも、私は減った。

私の「最高の一日」は、年齢を重ねるたび少しずつ変化をしている。
だけれどその中で絶対的に変わらないものもある。
そういうものを手放さず、きちんとどれだけ未来に連れてゆくことができるかで、人生の豊かさは変わるのだと思う。

今私は、過去一度手放してしまった「組織の中で働く」にもう一度向き合うフェーズにいる。自分の理想の一日を考えてみたときに「信頼できる仲間と働く」というのを求めていることに気付いたからだ。

所属している会社は、出勤時間も勤務地も決まっていない。私自身は個人の仕事も並行していたり、岡山と東京の2拠点生活をしていたりする状態だが、それでも「仲間」と「組織」で働く自分もいる。最高の一日を考えなければ、こうした決断もできなかったように思う。


「なんだか感じている不安」には、ちゃんと名前がある。
「なんだか感じている焦り」にも、ちゃんと解決方法がある。

「人生、流れに身を任せて」も悪くはないけれど。

薄暗い道で立ち止まっている人にこそ、「理想の一日」を考える方法を試してみてほしい。私がそうだったように、きっと小さな光の道標となって、人生を照らしてくれるはずだ。



著者:古性のち

古性のち

写真家・コラムニスト。岡山と東京の二拠点暮らし。SNSでは美しい日本語と写真を編んでいます。2020年からBRIGHTLOGG,INC取締役。共著に「Instagramあたらしい商品写真のレシピ」。三度の飯より猫が好き。

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編集/はてな編集部

「しっかりしている自分」にこだわるのをやめた|むらたえりか

 むらたえりか

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ブロガー・ライターのむらたえりかさんに寄稿いただきました。

むらたさんがやめたのは「『しっかりしている自分』であろうとする」こと。

幼い頃から「何でも自分ひとりでできる」人でありたいと思い、社会人になってからもその意識が大きかったというむらたさん。しかし、それ故に仕事を抱え込み過ぎたことで心身の不調をきたし、休職をすることとなります。

そんな休職期間中に気付いたことは「しっかりしている」状態の捉え方の曖昧さ。また、何でもひとりでできるようにすることが必ずしも「しっかりしている」=「責任感がある」ということではないこと、そして、ときには周囲に「頼る」ことの大切さでもありました。

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電車内やスーパーで大泣きしている幼い子を見かけると、ときどき「ああ、いいなあ」と呟きそうになる。30代半ばにもなって。何かを訴えて大声をあげるこどもに憧れる自分に、その度に驚く。

幼い頃のわたしは泣かないこどもだったらしい。ひとりで本を読んでいることが好きで、下の妹弟たちの面倒を見ることも嫌がらず、ずいぶんと扱いやすい子だったそうだ。わたし自身も大人たちに「いい子だね」「もうお姉さんだね」と言われることを望み、うれしく思っていたようなおぼろげな記憶がある。「ひとりで何でもできるように」と父に繰り返し教育され、そうありたいと思っていた。

けれど、そうやってずっと心の支柱となっていた「ひとりで何でもできるように」が崩れてしまった。それは、病院でうつ病・抑うつ状態と診断されたときだった。

「しっかりしているわたし」を手放せなかった

2020年のはじめにうつ病・抑うつ状態と診断され、その夏から休職をしている。会社のせいではない。「ひとりで何でもできるように」が行き過ぎた結果、自分で抱えきれる仕事量を大きく見誤り、また仕事についても私生活についても誰にも相談ができず、いよいよ限界を迎えてしまった。

思えば、地元の宮城県から東京に出てきたときから無理をしていたのかもしれない。知り合いも頼れるひとも少ない土地で、わたしの「ひとりで何でもできるように」の意識は次第に大きくなっていった。

そして、「できません」と言わずに仕事を引き受ける扱いやすいわたしを、過去に所属していた会社の上司たちもいくらか重宝してくれていたように思う。それがたとえ、家に持ち帰って朝の5時までかけてできた仕事でも、寝ていないとか朝までがんばったなどとは職場の誰にも言わなかった。仕事量に文句を言うこともなかったし、ありがたいとさえ思っていた。だから、これくらいは当たり前にできるひとなのだと思われていたのではないだろうか。

抱え込みがちな点を気にしてくれる上司や同僚もなかにはいたけれど、本人が平気そうにしていて仕事もあがってくるものだから、深くは踏み込んで来なかった。

以前勤めていた広告制作会社では、自分の仕事はもちろん、後輩の仕事のフォローや修正まで自分でしてしまっていた。転職して書籍の編集の仕事をするようになってからは、ライター職や校正職の経験から、自分で文章の修正や校正までおこなうようになっていた。他にも自分でも気づいていない部分で「自分でできることは自分でしてしまおう」と抱え込んでいたものがあったはずだ。

いまでは、そんな仕事の仕方は良くないと分かる。仕事はひとりでおこなうものではない。ひとを頼ったり相談したりした方が、周囲も安心するし、気にかけてももらえる。でも、渦中にいるときには気づけなかった。「ひとりで何でもできるように」と思い込んでいたし、そんなわたしを上司や親が「しっかりしている」と見てくれている評価を手放したくなかったからだ。

「いいなあ」と思ったあの涙を初めて流した日

病院で休職を勧められたときに感じたのは、安堵の気持ちとそれを上回る挫折感だった。「ひとりで何でもできるように」という支柱が崩れ、また「しっかりしている」という評価も諦めなければいけない。職場のひとたちにも親にもそんな自分を見せるのがつらくて恥ずかしくて堪らなかった。

ただ、尊敬している上司に病気の報告と休職の申し出をしたとき、そのひとの前でボロボロに泣いてしまい、何か憑き物が落ちたような感覚があったのを覚えている。

最初は涙を堪えていた。目が潤んできたのを感じて、でも大人だから、わたしはお姉ちゃんだから、それを溢してはいけないと思った。けれど、上司が「あなたはひとりでもできるひとだと思って何でも任せてしまっていた。もっと気にかけてあげれば良かった」と言ってくれたのを聞いたら、溜めていた涙があふれて止まらなくなった。出会って数年の上司には申し訳なかったけれど、その言葉はきっと、わたしが幼少期からずっとずっと大人に言ってもらいたかった言葉だったのだと思う。

さまざまな感情と記憶が立ちのぼり熱くなった頬に大粒の涙が絶え間なく落ち続けるのを感じながら、これがわたしがこどもの頃に流したかった、「いいなあ」と思っていたあの涙だと思った。

休職中に振り返った自分の働き方

わたしの職歴を振り返ると、フリーランスと会社員を行ったり来たりしている。絶対にフリーランスで成功したいとも、絶対に会社員でいなければいけないとも思ってはいなかった。とにかく忙しくて、どちらが自分に合っているのか、どちらが自分の生きたい道なのか、自分で判断する時間も経験も足りていなかったのだ。

フリーランスライターとしてお世話になっていた編集者の方は、ずっとフリーランスとして活動していくことを勧めてくださっていた。わたしの性質にも合っていそうだし、もっともっと書くべきひとだと言ってくださった。それをうれしく思いながらも、上司の前で大泣きするまで会社員でいようとしたのには理由がある。またしても、「しっかりしている」という評価を手放せなかったからだ。

フリーランスでいるときよりも会社員でいるときの方が、親は安心していた。転職して会社に勤めると報告すると、うれしそうなメッセージを返してくる親への配慮の思い。そして、「やっぱりお姉ちゃんはしっかりしているね」という言葉。それを思うと、フリーランスとして働いていく選択から距離を取りたくなってしまった。

また、東京でフリーランスとして活動していくにあたって「何者かにならなければいけない」というプレッシャーを感じてもいた。広告業界や出版業界で働いているなかで、大きな目標や高い志を持った同世代にたくさん出会ってきた。彼らにとって東京は夢を叶える場所、あるいはその礎になる場所である。本当は葛藤もあったのかもしれないが、わたしにはその明確さが眩しく感じられた。

彼らに影響を受けて、わたしも「こんな大きな仕事がしてみたい」とか「自分の本を出版したい」などと目標らしきものを掲げてみた時期もあった。大きな目標があるように見せれば「しっかりしている」ように見えるのでは、と感じていたのかもしれない。それが本当に心からやりたいことだったのか。そう自問することができたのは、休職期間に入ってからだった。

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「しっかりしている」の曖昧さに気づく

休職期間に入るとき、自分がうつ病・抑うつ状態であることや休職していることを、あまり隠さずにいようということだけ決めていた。上司の前でこどものように大泣きしたときの、あのさらけ出した感覚に何かがあると感じていたからだ。

しっかりしていないと思われることは、責任感がないとか頼りにならないと思われることに似ている気がして怖かった。それでも、自分の状態・状況を隠さずに伝えたことでわかったのは「しっかりしている」と「責任感」は違うということだった。

休職期間中、体調やメンタルが少し回復してきた頃に、知人の飲食店の手伝いをさせてもらえることになった。そこでは、わたしと同じようにメンタルの不調に悩むひとも働いていた。不調があるからといって、わたしはその子を「しっかりしていない」とは思わなかった。むしろ、仕事をキッチリとこなして柔軟な対応もでき、仕事のできる責任感のある素敵なひとだと思った。

また、休職期間中に出会ったひとのなかには、わたしが自分の悩みや状況を話すことで「実は自分にもこういう悩みがあって」と相談したり頼ったりしやすくなったと言ってくれるひともいた。以前からの知り合いで、わたしが休職したことによって離れていってしまったひともいる。けれど、わたしの状態を知った上で、それでもわたしを頼ってくれたり支え合おうとしてくれたりするひとが周囲にいる、いまの環境の方がずっと気持ちが楽だ。

「しっかりしていない」と「責任感がない」「頼りにならない」は、同じ括りだと思っていた。休職やうつ病というわたしにとっての挫折は、そうした烙印であるとも。

しかし実際は、休職やうつ病は自分の状況であり、性質とは違う。状況が変わって、自分の理想どおりにしっかりできなくなってしまったとしても、わたしのなかにある「ちゃんと仕事をしたい」とか「話を聞いて、サポートできることがあればしたい」という思いを見つけてくれるひとはいる。そして、そういう思いのことを、他者は「責任感がある」「頼りになる」と感じてくれるのかもしれない。

しっかりしていない「何者でもない自分」だから見えてくるもの

1年以上の休職を経た現在、ようやく自分のやりたいことや、向いている仕事について落ち着いて考えはじめられるようになった。まだはっきりと答えが出ているわけではないけれど、周囲に相談しながら、どんな形なら長く生き生きと働いていけそうかを模索しているところだ。

「しっかりしなきゃ」という幼少期からの思いは、もっと詳細に言葉にするならば「大人から見て『しっかりしている』ように見えなければいけない」というプレッシャーだったのだと、いまは思う。「しっかりしているね」と思われたい気持ちへの名残惜しさがないわけではないが、わたしはもう大人だ。誰かにこう思われたいという生き方から、自分はこう生きたいという主体的な感覚へのシフトにチャレンジしてみたい。

そのためには「何でも自分でできるように」というやり方ではうまくはいかないことも分かった。知人の飲食店の手伝いも、いまいただいている執筆の仕事も、その仕事とわたしの性質との接点を見出してくれた他者のおかげでできている。わたしに何か良いところがあると思ってくれた誰かを、わたし自身も信じ、頼りにして、それに報いたいという気持ちで向き合っていく。漠然とした誰かからの評価ではなく、仕事をする相手のためにと最小の関係を大切にしようとすると、おのずと意欲的に仕事ができるようになってきた。

「自分ひとりで」ではなく「頼る」のも一つの強さ

何でも自分でやろうとか、ひとりでもしっかりしなければいけないと思ってがんばっていた自分を否定はしたくない。それだけ気を張って生きていたのだ。でも、それはひとりで抱え込んで自分を守り、他者を信用しないことにつながってしまっていた。

いまは、意識的に知人、友人や編集者の方の意見を聞くようにしている。また、悩んでいることやどうしたらいいか迷っていることも、些細なことでもひとに聞いてみるように心がけている。そんなわたしをダメなひとだと言うひとはいまのところいない。逆に、もっと頼っていいんだよ、と快く言ってもらえるようになった。

最近でも、電車やスーパーで大泣きしているこどもを見かけると「ああ、いいなあ」と思うことはまだある。でも、そのあとに、上司の前で大泣きしたあの日の自分と、上司の言葉を思い出す。「しっかりしている自分」という支柱は折れてしまったかもしれないけれど、しっかりしていない自分でも「支えてあげたい」と思ってくれるひとがいる。自分でこだわっていた部分とはまったく違う、他の良いところを見出してくれるひともいる。失ってしまったからこそ、そうした他者のありがたみをより感じられるようになった。

失うこと、やめることで、新しく変わっていける。新たに得られたその考え方は、これからもわたしの背中を押し続けてくれると思う。


著者:むらたえりか (id:ericca_u)

むらたえりか

ライター。ドラマ・映画レビュー、インタビュー記事、エッセイなどを執筆。中高生時代に出会ったハロプロ、タレント写真集、韓国映画などを愛好し続けている。宮城県出身、1年間の韓国在住経験あり。
Blog:静かなお粥のほとりから

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編集:はてな編集部

平日の夕飯作りを楽に。働く人のためのライフスタイル別「ホットクック」活用レシピ3つ|阪下千恵

 阪下千恵

ライフスタイル別のホットクック活用3レシピ

皆さんこんにちは。『毎日のホットクックレシピ』『忙しい人のホットクックレシピ』(日東書院本社)など、シャープの自動調理鍋「ホットクック」のレシピ本を書いている、料理研究家の阪下千恵です。

ホットクックといえば、材料を切って鍋に入れてスイッチを入れて待つだけでさまざまな料理ができる、忙しい人にぴったりな調理家電。しかしせっかく買ったものの「ほぼカレーマシーンになっている」とか、「買ったけど最近使ってないな……」とか、うまく活用できていない人もいるかもしれません

ホットクックはカレーやシチューなどはもちろんですが、普通の鍋で作るには手間のかかる煮込み料理からパパッとできるごはんもの、さらには炒めものや汁物まで、さまざまな料理に対応しています。

コロナ禍で家で過ごす時間が増え、さらに在宅ワークの普及もあり家でごはんを作る機会が増えた今こそ、働き方やライフスタイルに合わせてフル活用すれば、毎日の自炊をグッと楽に、さらにレパートリーも増やしてくれます。

今回は働く人のライフスタイルと調理の仕込みがしやすいタイミングに合わせて、「朝ごはんのついでに仕込む」「昼休み中に仕込む」「帰宅後にパパッと作る」という3つのパターンで、平日の夕飯に活用しやすいレシピを用意しました。さらには、もっとレシピのバリエーションを増やしていける「使いこなしのコツ」もあわせてご紹介します。

ホットクックは持っていないけど気になっている人、購入検討中の人も、ホットクックが家にあるとこんなふうに活用できるんだと、記事を読みながらぜひ想像してみてください!

朝ごはんのついでに下準備をすれば、帰宅後すぐできる「豚のレモンクリーム煮」

豚のレモンクリーム煮

まずは朝、朝食やお弁当を用意するついでに5分~10分ほどの時間があれば下準備ができる「豚のレモンクリーム煮」です。

忙しい朝に仕込むなら、こんなふうに切る材料が少ないメニューがぴったり。材料を切って、調味料を計量して冷蔵庫に入れておけば、帰宅後は全てをホットクックに入れてスイッチを押すだけで完成します。

簡単なのに、レモンのさわやかな酸味と生クリームのコクで、ちょっと特別感のある味わいです。

豚のレモンクリーム煮の材料(4人分)

  • 豚薄切り肉(又は生姜焼き用肉):400g
  • 玉ねぎ:1/2個
  • マッシュルーム:4~6個(1パック)※しめじやエリンギなどでもOK
  • レモンの薄切り:3~4枚(または市販のレモン汁:大さじ1~1・1/2)
  • 塩:小さじ1/3
  • こしょう:少々
  • 薄力粉:大さじ1・1/2
  • A
    • 生クリーム:150ml
    • 酒(あれば白ワイン):大さじ1
    • バター:10g
  • パセリみじん切り(あれば):適量

豚のレモンクリーム煮の材料

豚のレモンクリーム煮の作り方

  • 1.豚肉に塩、こしょう、薄力粉をまぶす。くっつかないよう、少しずらすようにして並べて食品用保存袋に入れるか、バットなどに並べてしっかりと密封する。(もしくは、豚肉はパックのまま保存しておき、作る直前に塩、こしょう、薄力粉をまぶしてもOK。薄力粉は直前に振った方が肉同士くっつきづらいというメリットがあるが、自分が楽な方でよい)
  • 2.玉ねぎは薄切りにする。マッシュルームは汚れをふいておく(変色を防ぐため、あとで加熱の直前に割く)。野菜類を保存袋に入れる。生のレモンを使う場合は、それも保存袋に入れる。
  • 3.Aは合わせて器に入れ、1、2と一緒に冷蔵庫に入れておく。保存方法は、バットにまとめて並べたり、保存容器に入れたりとお好みの方法で。

豚のレモンクリーム煮の材料をセットしたところ

  • 4.調理する直前に1と2を冷蔵庫から取り出し、ホットクックの内鍋に入れる。マッシュルームは軸から手で2等分に割いて入れる。加熱すると肉がくっつきやすいので、肉と肉の間に野菜とマッシュルームを挟むようにして交互に並べるとよい。上からレモン、Aを加える。

豚のレモンクリーム煮の材料を鍋に入れたところ

  • 5.ホットクックのふたの内側にまぜ技ユニットを付け、メニューから「自動調理→煮物→野菜→白菜のクリーム煮 約20分」を選択し、スタートボタンを押して加熱する。加熱後、肉の火の通りが弱いときは5~7分延長する。出来上がったら器に盛り付け、お好みで刻んだパセリをかける。

豚のレモンクリーム煮の加熱後

👉長時間の保温には適していないレシピなので、このように材料の下準備だけ先にして冷蔵庫に入れておき、食べるタイミングに合わせて調理を開始しましょう。

また、実はこのレシピは「朝時間がない」という方でも大丈夫! 休日や時間があるときに材料を切って、調味料と一緒に冷凍保存OKのチャック付き袋に入れて冷凍しておけば、自家製の「冷凍ミールキット」としても使えます。帰宅後、袋ごと流水で少し溶かしてほぐし、ホットクックに入れて、後は同じようにスイッチを押すだけ。冷凍されていた分、合計調理時間は少し長くなりますが、同じキー操作で時間はホットクックが自動で調節してくれるので安心です。

ホットクックが加熱している間は、余裕があればその間にもう一品サラダや副菜を作ったり、もしくはお風呂に入ったりと、ゆったりと時間を使えます。

在宅ワークの昼休み中からじっくり仕込む、味の染みた「おでん」

おでん

コロナ禍の影響もあり、在宅ワークがメインとなった方も多いですよね。自宅勤務なら、昼休みに仕込んでそのまま調理開始することも可能。せっかくなので、手間は少なく、長時間煮込むことでおいしくなる煮込み料理や、作ってしばらくおいた方が味が染みておいしい料理などにチャレンジしましょう。ホットクックは自動的に食材の火の通り具合を見て火加減を調節してくれるので、中まで味が染みたおいしい煮込み料理が作れます。

今回ご紹介するのは、秋冬にぴったりな「おでん」。市販の白だしを使えば手軽に作れて、下ゆで無しでも柔らかくて味が染みた大根や練り物のおいしさは格別です。夕飯にはもちろん、家飲みのお供にもぴったりです。

おでんの材料(4人分)

  • 大根:1/3~1/2本(約500g)
  • じゃがいも:2個
  • こんにゃく:小1枚
  • 焼きちくわ:2本
  • さつま揚げ:4枚
  • 結び早煮昆布:4~6個
  • ウィンナー:4個
  • 卵:4個
  • A
    • 白だし(10倍濃縮タイプ):70ml
    • 水:4カップ

おでんの材料

おでんの作り方

  • 1.大根は皮をむいて厚さ2㎝の輪切りにする。じゃがいもは皮をむき、水にさっとさらして水気を切る。ちくわは斜め半分に切る。こんにゃくは三角形になるよう4等分に切り、表面に浅く5mm幅間隔で格子状に切り込みを入れる。(またはおでん用のこんにゃく、玉こんにゃくでもOK)
  • 2.ホットクックでゆで卵を作る。卵と水1/2カップを内鍋に入れ、自動調理キーの「ゆで卵」で加熱する。約15分でスイッチが切れるので、冷水に取り、殻をむく。

ゆで卵

  • 3.ホットクックの内鍋に1の大根、こんにゃく、結び昆布、練り物、じゃがいも、ゆで卵の順に入れて、Aを注ぐ。水位線の下になるよう水分量は調節する。(ウィンナーは味が抜けてしまうので、できれば後で加える)ゆで卵もあまり固くしたくない場合はここで入れず、一旦冷蔵庫に入れておく。

おでんの材料を鍋に入れたところ

  • 4.「自動調理メニュー→煮物→おでん」で加熱する。約1時間5分でスイッチが切れる。ウィンナーは、残り時間10~5分前になったら一時停止して加えるか、もしくはスイッチが切れた後に加えて5分延長する。(ゆで卵を冷蔵庫に入れていた場合も、このタイミングで加える)
  • 5.食べるタイミングで器に盛り、お好みで練りがらしを添える。

おでんの加熱後

👉じゃがいもやウィンナーは、お子さんのいるご家庭にもおすすめの具材。煮崩れを防ぐためにはメークインなどを使うか、もしくは大きめのものを丸ごと加えるといいでしょう。加熱後に、半分に割って取り分けます。

具材は材料に挙げたもの以外でもお好みでOKですが、鍋の容量を超えないようにし、膨らみやすい練り物の入れ過ぎにはご注意を。特にはんぺんなどはだしを吸うと膨らんでふきこぼれの原因となるので、ホットクックで作る場合は入れないようにしてください。

昼休み中に仕込んでおくレシピとしては、おでんのほかに煮豚、ビーフシチュー、ブイヤベースなどのメニューも、ホットクックでの加熱時間は長いものの鍋に入れるまでの準備は簡単なのでおすすめです。

帰宅後すぐできる「トマトリゾット」は、ごはんを炊いていないときにも!

トマトリゾット

最後は、朝や昼間に仕込む時間がなく、帰宅後に短時間で完成させたい人におすすめの「トマトリゾット」です。

リゾット、パスタなどのメニューは、短時間でできる上に「主食がない!」という時に大助かりのメニュー。特にリゾットは、フライパンなどで生の米から作るのはハードルが高いのですが、ホットクックなら失敗なしで20分前後で完成します。

トマトリゾットの材料(2~3人分の作りやすい分量)

  • 米:1合
  • ベーコン:3枚
  • ブロッコリー:6房
  • A
    • トマト水煮缶(カットタイプ):200g
    • 水:2カップ
    • コンソメ(顆粒):小さじ3
    • にんにくすりおろし(又はみじん切り):小さじ1
    • オリーブ油:大さじ1
  • 塩、ブラックペッパー、粉チーズ:各適量

トマトリゾットの材料

トマトリゾットの作り方

  • 1.米は洗ってざるに上げて水けを切り、内鍋に入れる。
  • 2.ベーコンは2cm幅に切り、ブロッコリーは小房に分け、1に加える。さらにAも加える。

トマトリゾットの材料を鍋に入れたところ

  • 3.「自動調理メニュー→煮物→米→トマトリゾット(約20分)」で加熱する。
  • 4.スイッチが切れたら塩で味を調え、器に盛り、粉チーズとブラックペッパーをかける。

シーフードトマトリゾットの加熱後

👉ベーコンの代わりにハムやウィンナーでも、ブロッコリーの代わりに冷凍ミックスベジタブル、アスパラ、いんげんなどでもOK。

スピード仕上げのためには、切る手間が少ない食材やカット野菜などを活用するのもおすすめです。

ホットクックで作れるレパートリーを増やす、使いこなしのコツ

ホットクックを活用するには、とにかく最初に「調理機能別に、一度はいくつかの料理をレシピを見ながら作ってみる」のがおすすめです。最初に使わないまま時間がたってしまった機能は何となく分からないまま、その先も使わずに終わってしまう、というのは、調理家電ではよくありますよね。

ホットクックは「普通の鍋に比べて水分量が少なくて済む」という特徴があるため、レシピ通りではなく自分なりのアレンジを加えて使いこなそうとすると、加減がなかなか分からないものです。なので、何度か公式レシピやレシピ本の料理を作ってみて、加熱時間や機能の特徴をつかんでみてください。

例えば、一度は作ってほしいものは、以下のラインアップです。

  • 野菜の水分のみで長時間煮込んで作る無水カレー
  • 野菜スープ、ポタージュなどのスープ類
  • 肉じゃが、筑前煮などの煮物系
  • 煮豚など、長時間煮込む料理
  • ホイコーローなどの炒め物
  • パスタ
  • リゾット
  • (余裕があれば)ケーキ、蒸しパン類
  • そのほか、予約調理メニュー(公式レシピからお好みのものを)

いろいろな機能を使っているうちに、ホットクックの特徴や、材料、調味料、水分、使う自動調理キーと加熱時間の特徴がだいぶ理解できるはずです。

特に、意外と使えるので活用してほしいのが「炒める」機能と「蒸す」機能です。

炒める機能は煮物や煮込みなどのキーで調理するときよりも、高温でしっかり混ぜてくれるのが特徴です。あまり水分を出さずに調理したい炒め物などに使えます。

蒸す機能はホットクックの内鍋に水を入れ、上に付属の蒸しトレイを乗せて蒸し器やせいろのように使います。野菜、肉、魚、なんでも蒸して下ごしらえしておくと、サラダ、和え物、スープの具などにアレンジしやすいおかずの素ができます。蒸すことで、おいしさもアップしますよ!

***

シャープの公式サイトでも新しいレシピが随時更新されているので、お好みのレシピを検索してみるのも良いですし、困ったら私の著書も参考にしてくださいね。

忙しい日々の夕飯作りを楽にしてくれるのはもちろん、献立のバリエーションも豊かなホットクック。ぜひ、おうちごはんを充実させて、毎日を乗り切るパワーにつなげてみてください。

編集/はてな編集部

テレワーク中の食事、できるだけ手間をかけないために

著者:阪下千恵

阪下千恵

「家事の効率化と家族間シェア」をテーマに活動する料理研究家・栄養士で2児の母。ホットクック、ヘルシオなどの調理家電、片付け、弁当、子供クッキング、糖質オフレシピなど、著書多数。2021年12月には、新刊『ホットクックで作るときめきアジアごはん』(日東書院本社 )も発売。

Twitter:@chie_sakashita Instagram:@chiesakashita YouTube:料理研究家 阪下千恵のMIKATA KITCHEN

時間を有効に使うには? 会社員と作家業を両立する三宅香帆さんのタスク管理術

 三宅 香帆

三宅香帆さん記事トップ写真

予定していたタスクが終わらなかった……。一日を振り返るとき、そのように感じて気分が落ち込む人は少なくないのではないでしょうか。

副業や趣味を含む課外活動を行うことも珍しくなくなってきた昨今。どのように日々のスケジュールを管理し、マルチタスクをこなしていくかは重要性を増しているように思います。

学生時代から文筆家・書評家として活動している三宅香帆さんは、社会人3年目となる現在も、著書の出版や雑誌・Webメディアへの寄稿を多数行うなど、精力的に活動されています。

どのように日々のスケジュール・タスク管理を行っているのか。三宅さんに執筆いただきました。

***

会社員兼作家業。二足の草鞋を履いてもう三年目になる。

本を読んだり書いたりするのが好きで、大学院生のときに一冊目の本を出版した。就活では副業可能な会社を探し、新卒でいまの会社に就職した。今年は六冊目の本が出るし、連載は毎月5本以上ある。「会社と執筆、どっちが本業なんだか分からない」と周囲に笑われながら、毎日働いている。

私自身、日々、時間の使い方やタスク管理について悩むことは多い。本業・副業ともに仕事をする時間はもちろん大切だけど、趣味に使う時間や人と過ごす時間も、同じくらい大切だ。やりたいこと、やるべきことは日々増える。でも、できるだけ楽しく明るく働きたい。

今回は、自分なりに気をつけている、タスクやスケジュールの管理方法について書いてみたい。もしかしたらこの記事を読んでいる人のなかに、私と同じように「本業とは別に副業をしている人」「趣味に使う時間も重視したい人」や、特に兼業はしてないけど「最近、だらだら仕事をしてしまっているな」という人もいるかもしれない。参考になったらとてもうれしい。

先に言っておくと、私が会社員と副業を両立する上で、一番気をつけているのは、自分にとってストレスのない方法を見つけることだ。

私の場合、社会人一年目の頃に(まだコロナのコの字もなかった頃だ)人生で一番ストレスフルな日々を送っていた。「せっかく就職で東京に来たし、誘われた飲み会はとりあえず行った方がいいかな」「原稿ができてないのに、趣味の本や漫画を読むなんてダメかな」などと思い込み、自分の好きなものを遠ざけ、とにかく「原稿」「会社」「人とのごはん」を優先した。結果、ぶっ倒れた。

そして悟った。「私は趣味より仕事を優先するなんて無理だ」と。

その後、「できるだけ好きなものに触れる時間は削らない」ことをモットーに、自分にとってとにかくストレスを溜めないスケジュール管理法を試行錯誤している。

ストレスはよくない。他人に合う方法と、自分に合う方法は違う。あくまで自分にとって、できるだけストレスのない方法を探すことが大切だと思う。なので、この記事で紹介しているものも「三宅にとってはこういうやり方がストレスがないんだな……」と思うくらいに留めてみてほしい。

方法1:月単位と週単位で手帳を使い分けたら作業効率が上がった

まず前提として、私は会社の予定は全て、会社で指定されたOutlookで管理している。多少の変動はあるにせよ、会社の勤務時間はある程度決まっているため、それ以外の空いた時間でいかにやりくりするかを考えた。

そこで私がたどり着いたのは、「スケジュール管理」のためのマンスリー手帳アプリと、「タスク管理」のための紙のウィークリー手帳を使い分ける方法だ。「スケジュール」と「タスク」はちょっと違う。前者は主に予定やタスクのダブルブッキングを避けるため……つまり月単位の稼働量を把握して、キャパオーバーにならないように予定の調整をする目的で使っている。一方、後者はやるべきタスクを処理していくために、週単位の動き方を決めるためにある。

スケジュールは、副業の締め切りもプライベートの予定も全て手帳アプリ「Life bear」に記入している。予定は、副業の原稿〆切はえんじ色、病院やお店の予約は赤色、友達との遊びの予定などはオレンジなどと、スケジュールの内容によって色を変える。

このアプリのいいところは、マンスリーの予定が見やすいところ。連載などは基本的に月単位で〆切があるので、私は月ごとの稼働量をすぐに確認できるようにしたいのだ。いろんなカレンダーアプリを試してみたが、月単位で予定を確認・編集できて、カテゴリごとに色を変えられるものが一番便利だなあと感じた。

一カ月ごとの予定を表示させることで、副業の執筆の締め切りなどが重なっている日が見やすくなる。あんまり重なっていて「これは間に合わないかも、やばいなあ」と思うときは、できるだけ各媒体の編集者さんに「この締め切りって、ずらしてもらえますか……」と事前に相談するようにしている(それでも間に合わない時も多々ありますが、ごめんなさい)。

また、できるだけ重い原稿の締め切りの前日あたりは予定を入れないようにするなど、余裕を持ったスケジュールになるように心がけている。

三宅香帆さんの手帳アプリの様子
この月は26日の締め切りが、本の原稿の締め切りでかなり重かったので、それをできるだけ締め切りのない1、2週目にやっておこう……そのあたりにはごはんの予定を入れないようにしよう……などの調整を自分で考えたりしていた

ちなみに、多くの人が使っているであろうGoogleカレンダーアプリもインストールしたことがあるのだが……Googleカレンダーは週単位で使うことを前提としているように思える(私が確認した環境では)。

例えば、「Life bear」では、7月の予定を見ているとき、画面に表示されてしまう8月や9月の日付はマス目自体の色を変えてくれている。しかし、Googleカレンダーの場合はわずかに日付の数字だけがグレーになっているだけ。あるいはGoogleカレンダーでマンスリーページから日付をタップして予定を編集しようとすると、一回デイリーのページに飛ぶのも地味にいらっとする。それゆえ、私にとってはLife bearの方が圧倒的に使いやすい。Life bear推しである。

一方で、タスク管理に使っているのは紙の手帳。私は、まず月曜日にアプリで今後のスケジュールを把握し、締め切りごとにタスクに落とすようにしている。例えば、「本の書評の締め切り」が新たにスケジュールにあったら、「本を読む」「何を書くか決める」「実際に書く」などのタスクに落とす。そして、そのタスクをそれぞれウィークリーの手帳に書き、いつやるかを決める。タスクに落とし込むときは、できるだけ細かいタスクに落とし込むのが大切だなあ、とよく思う。

昔はこの「ウィークリー手帳にタスクを落とす」行為を省いて、Life bearのスケジュールしか見てなかった。しかし、実際にタスクに落とし込んでみないと、それがどれくらい重い締め切りなのか、自分でもよく分からないのだ

例えば、スケジュール帳で見れば同じ「書評の締め切り」であっても、「今まで読んだことのある本の書評(1200字)」なのか、「よんだことのない本一冊の書評(3000字)」なのか、「その作家に対する論考(8000字)」なのかにより、かかる労力は全く違う。私の場合、ウィークリーの手帳にタスクを落とすときに、「ぎゃっ、この本読むのに時間がかかりそうだから、二日とっとかなきゃだめだぞ」とはじめて気づいたりする

忙しくなると、ついスケジュールに予定を入れるだけになってしまいがちの人もいるかもしれないが、スケジュールとタスクの管理を別々にするようになってから私は効率が一気に上がったので、この方法を続けている。

方法2:リマインダーとメモでタスクに取り掛かる負荷が軽くなった

しかし、性格の問題だと思うのだが、手帳にタスクを記入しても、私は「タスクにとりかかるまで」が異常に遅い。

タスクの処理は、始めるときが一番つらい。取り掛かるまでとにかく時間がかかる。……基本的に怠け者なのである。

なので、とにかく自分に「まずはこれに取り掛かろう」と思わせる工夫をする必要がある

そこで、自分があんまりやる気のないときは、スマホに入っているリマインダー機能にタスクを入れるようにしている

リマインダー機能は、消すまで永遠にスマホの通知欄に存在する。するとスマホを見るたび「ああ、通知消したい……」と思うので、リマインダーを消すためにそのタスクにとりかかることができる。さすがにまだ取り掛かってないのに通知を消すのは罪悪感があるので、「まずは取り掛かる」という最初の一歩を踏み出すことができるのだ。

このとき、先ほどよりもさらに小さいタスクとしてメモすることを心掛けている。例えば「●●の原稿を書く」よりは、「●●の原稿の字数を確認」の方がいい。自分にとってできるだけ楽にできるタスクから始めることで、一番気が重い、最初の一歩をなんとか自分に始めさせるようにしている。

ちなみに私は買い物や録画、Twitterでの告知など、仕事には関係ないタスクも同じようにリマインダーに記入するようにしている。リマインダーにメモする癖を日頃から忘れないため、という理由もあるが、単純に忘れっぽいからメモしておきたい性分なのだ……。

ただ、ここまでやっても、大変な原稿に取り掛かるのはしんどい。

そこで、「次回の連載で書きたいこと」や「次の原稿の書き出し」、「修正したい点」など、実際に原稿に書く前に、日頃の生活のなかでぼやっと考えていることをスマホにとりあえずメモしておくようにしている。スマホだと、あとで検索できるので便利だし、何よりタスクに取り掛かるときの取っ掛かりになってくれるのだ。

SNSの更新なんかも、基本的に下書きでメモしておいて、時間のあるときにちゃんと書いて公開したりしている。例えば、私はTwitterで読んだ本や漫画の感想を書くことが多いのだが、とりあえず読んだ本だけ下書きに書いておいて、後でちゃんと感想を書くようにすることも多い。「これあとで書こう~」と気軽に下書きにほいほい入れるようにしているのだ(まあ、下書きに入れる間もなく、その場で書いて更新することも多々あるけれど!)。

方法3:「意識的」に落ち込むことをやめたら無駄がなくなった

最後に、実は私がいちばん心がけているのは、できるだけ落ち込まないことだ。

基本的に、仕事は最初に立てていたスケジュール通りにならない。でも予定通りできなかったとき、落ち込み過ぎたり焦ったりして、自己嫌悪している時間がいちばんもったいない。スケジュール通りにできないことも、いつかはできるようになるでしょう、どうにかなるでしょう、と私は「意識」して楽観的に受け止めるように心がけている

昔は「なんでできないんだろ!?」とよく自問自答していたのだが……とくに答えはでなかった。今はもう、その時間が無駄だなあと感じるようになったので、スケジュール通りできないことを受け入れることも必要だと私は思う。というか過度に落ち込むときは、そもそも寝てなかったり水を飲んでなかったり、体が疲れていることが多い。落ち込む前に体を休めた方がはやいことに私は気づいた。落ち込むときは寝よう。それが無理なら好きなものに触れよう。

自分に甘いっちゃ甘いのだが、まあ、落ち込んでても何も変えられないし。普通の人間が楽しく兼業仕事を続けていくためには、時にサボることも必要だと思う。ただでさえ、兼業はスケジュールが逼迫しやすい。でも、休まないのはよくない。サボって休息を作ることも、ある意味、働き続ける上で大切なポイントではないだろうか……!

適度にサボって、こまめにストレス解消をして、できるだけ楽しく兼業生活を続けたい。というわけでスケジュール通りにいかなくても、私は落ち込まないようにしている。

***

仕事はいつだってそこにある。それらとどう向き合い、有効に時間を使うかは、自分の心持ちや工夫次第で変わってくるものだと私は思う。

私も試行錯誤している途中なので、明日にはやり方も変わっているかもしれない。たぶん大切なのは、冒頭にも書いたけれど、今の自分の性格や環境に合った方法を見つけることだ。

副業や趣味の活動などをしているみなさん、健康に気をつけて、自分を追い込み過ぎず、ストレスなく働けるように頑張りましょう。私も頑張ります!

編集/はてな編集部

著者:三宅香帆(みやけ・かほ)

三宅香帆さんプロフィール画像

1994(平成6)年生まれ。会社員の傍ら、文筆家・書評家として活動中。著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)などがある。

Twitter:@m3_myk

りっすん by イーアイデム 公式Twitterも更新中!
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誕生日にこだわることをやめた|大木亜希子

 大木 亜希子

大木亜希子さん記事トップ写真

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ライターの大木亜希子さんに寄稿いただきました。

大木さんがやめたのは「誕生日にこだわること」

もともと「誕生日は誰かに祝ってもらえなければ価値がない」とさえ思っていたという大木さん。しかし、ふとしたことから今年は母親と過ごすことを思いつき、実行したところ気持ちが楽になったといいます。

呪縛から逃れるきっかけになった大木さんの誕生日体験について、つづっていただきました。

***

少し前までの私は、誕生日に誰かにお祝いしてもらえなければ、自分には価値がないと思っていた。

自分一人では泊まれないような高級ホテルで過ごしたり、高級レストランでバースデープレート片手に祝ってもらったり。それこそが「理想の誕生日である」と思い込んでいた。そして、みんなが憧れるような異性に盛大にお祝いしてもらうことで、自分はこんなにもすごい人に祝ってもらえる人間なのである、という勲章が欲しかったのだ。

しかし、ひょんなことから今年の誕生日を母親と過ごすことになり、考え方が変化した。誕生日に誰と一緒にいるかは、自分の価値を測る指標ではないと気付いたのだ。

「理想の誕生日」を追い求めた日々

20代前半の頃、私は周囲の仲間たちが幸福そうな誕生日をSNSにアップしているのを目撃するたび、嫉妬にかられ気が狂いそうになった。素敵な彼と一緒にいることを、なんだか“匂わせて”いるように思えてしまうからだ。

同時に、いつか私の前にも素敵な人が現れて、自然な成り行きで「理想の誕生日」が過ごせると信じて疑わなかった。

ところが、20代半ばを過ぎた頃からだろうか。「私の誕生日を満足に祝ってくれる異性が現れない」という驚愕の事実に、薄々気付き始めた。

そんなはずは、ない。私だっていつか華やかな誕生日を迎えられる日がきっとくる。そのためには今、異性からモテる努力をしなければ。いつからか追い詰められ、鬼の形相で躍起になった。

そして、ある年の誕生日、私は祝ってもらうためだけに彼氏を作った。いま冷静に考えれば、相手に対して無礼千万である。しかし、当時の私は真剣だった。

その「誕生日彼氏」は、悪い人ではなかったが、彼が私へのプレゼントに用意してくれたのは、デパ地下で売られる茄子の惣菜だった。夕食の席で「一緒にこれを食べよう」と言われた瞬間、あまりにも理想とかけ離れた現実に、くらりと眩暈がした。別に惣菜が悪いわけではない。

しかし、成人した男女が誕生日を過ごす空間で、何も茄子を囲んで食べなくても良いではないか。ましてや、女性にネックレスや指輪のひとつでも買えない経済状況の男性ではなかった。とはいえ、どうしたって私の方が絶対的に悪い。自分の理想を乱暴に相手に押し付けてしまっていたのだから。

私は貼り付けたような笑みで「美味しい、美味しい」と念仏を唱えながら惣菜を食べた。心は虚無のまま。ほどなくして、当然のように「誕生日彼氏」とは疎遠になり、再び私は独りになった。

30代を目前に控えても、誕生日に対する恐怖心は消えなかった。依然として、自分を満足に祝ってくれる異性を探し続ける日々。時には、スノッブな食事に連れて行ってくれる男性もいたが、楽しい会話が続かない。

今思えば、「私を満足させてほしい」という傲慢さに満ち溢れ、偽りの自分を演じていたのだから、ある意味では当然だろう。相手のことを何も考えることができていなかったのだ。

誕生日は「母に感謝する」一日に

ところが、こうした葛藤と戦っていくうちに、私はほとほと疲れるようになった。人として成長したわけではない。単純に年齡を重ねたことで体力が衰え、自らの強烈なエゴに耐え切れない身体になっていたのだ。

これを機に、ようやく煩悩を鎮められそうな気がする。もう、誕生日という日に執着することはやめたい。ひいては「他人に幸せにしてもらいたい」という、激しく惨めで他者に依存した感情とおさらばしたい。

そこで私は「今度の誕生日は独りきりで過ごそう」と思い立つ。

強迫観念が薄れた今だからこそ1人で誕生日を過ごし、自分の心の内側と向き合ってみたい。なんだかそう考えると不思議と気持ちが前向きになって、次の誕生日を迎えるのが楽しみになった。

ただ、現実は不思議な方向に転がった。

今年も例年通り、誕生日の時期が迫ってきた。32歳、いよいよ独りで過ごす誕生日を決行するのだ。そう考えるとわずかに興奮し、鼻息が荒くなる。

ところが、誕生日の1週間前の夜の出来事であった。いつも通り、就寝するため布団に潜ると、不思議な出来事が起こった。ふと「誕生日は産んだ人に感謝する日でもある」と、誰かから耳打ちされた気がしたのである。

まるで、何かの天啓みたいだった。隅々まで部屋中を見渡すが、何も変化は見られない。気のせいだと思い込み、さっさと横になる。

しかし、「誕生日は産んだ人に感謝する日でもある」という先ほどの言葉が脳裏にこびりついて離れない。

幾度となく寝返りを打ってみるが、私はとうとう起き上がった。そして冷静に考えた。確かに、両親がいなければ私という人間は存在しない。それは事実である。

とくに我が家は父が早くに他界し、母は女手一つで私たち4人娘を育ててくれた。精神的にも経済的にも相当つらかったことは容易に想像できるし、苦労をかけた母を心底労いたい気持ちもある。

一方で、そんな崇高な考えは偽善にも思えた。自分のことさえ満足に愛せない人間が、親に感謝するなど綺麗事甚だしいのではないか。

あらゆる思考が逡巡するが、最終的に「母が生きている間、あとどれくらいの親孝行ができるだろうか」という思いにかられる。私の母はいつも年齢を聞くと「永遠の48歳」と自称するため、私は彼女の本当の歳を知らない。しかし、おそらく60歳は越えている。できる時に親孝行をしておかなければ、後悔する気がする。

そこで、いよいよ私は重い腰を上げることにした。

今度の誕生日は、母に感謝する日にしようと決めたのである。

これまでになく気持ちが軽かった誕生日の朝

2021年8月18日。32歳の誕生日当日の朝。起床後すぐ、「よし、今日くらい自分磨きに散財してみるか」と思い立つ。

母と待ち合わせをする前に、私は駆け込みでひとり美容院に行くことにした。今日だけは男性ウケを狙うのではなく、自分のために綺麗になりたいと思ったからである。真新しいワンピースに袖を通し、初めて行く美容院でカットとカラー、それにトリートメントをお願いする。

担当してくれた美容師さんにそれとなく「私、今日が誕生日なんですよね」と告げると、彼は「イイっすね。じゃあ、今日は誕生日デートかぁ。夜まで髪が崩れないようにヘアスプレー多めにかけておきますね」と言ってくれた。

違う、そうじゃない。これから会う相手は恋人ではなく、母だ。説明しようと思ったが諦め、私は愛想笑いをした。

その後、帝国ホテルまで向かった。今回は、1人約9千円するランチバイキングに行くと事前に母と決めていたのである。本来、私にとっては誰かに祝ってもらうはずの日なのに、何が哀しくて高額な自腹を切るのか。ふと、そんなケチくさい考えも脳裏をよぎる。

しかし、今の私には、この行動が何かとてつもなく意味のあることに思えた。ホテルに向かう途中、今までの誕生日のなかで最も気持ちが軽いことに気づく。心は静寂に包まれていた。

ホテル正面に向かうと、入ってすぐのベンチに母は小さく座っていた。

声をかける直前、彼女の佇まいを盗み見る。昔に比べ、随分とその背中は小さくなっていた。それでもイッセイ・ミヤケの赤いワンピースがよく似合い、赤い口紅も華やかに映えている。我が母ながら美しい人だな、と思った。

「ママ、お待たせ」

声をかけると、母はすぐ立ち上がって私に腕を絡ませてくる。

「今日はありがとう! いっぱい食べられるように朝食は抜いてきました!」

ニコニコと宣言してくるその顔が、まるで少女のようだった。

「理想の誕生日」を過ごしていた母親の告白

我々は本館17階の「ブッフェレストラン インペリアルバイキング サール」に向かう。会場の中央のテーブルには、ローストビーフや果物、彩り豊かな野菜が並べられていた。

窓際のテーブルに通されて座ると、さっそく食事のオーダー方法に関する説明を受ける。コロナ対策のため1テーブルにつき1台のタブレットが置かれており、そこから注文する仕組みになっていた。当初は不慣れなオーダー方法に困惑したが、次第にタブレットの扱いにも慣れ、我々は食べたい物を好きなだけガシガシと注文するようになった。

サーモン、エビ、焼き立てのパン、エスカルゴのオーブン焼きにローストビーフ、そして名物のカレー。何を食べても、卒倒するほどうまい。そこからは一流の接客を味わう暇もなく、無言で胃袋に食べ物を詰めまくった。

6割ほど腹が満ちたタイミングで、ようやく私の方から口を開く。

「あ〜あ。一度で良いから、このホテルに泊まってみたい人生だったな。素敵な彼氏と」

半ばジョークのつもりだった。すると母は、口元のフォークの動きをわずかに止める。

「そうね。ウフフ」

その声にわずかに含みがあると気づき、私は冗談で言葉を返す。

「ちょっと今の含みは何? まさかママは、このホテルに泊まったことがあるの?」

彼女の顔に、わずかに“女”を感じとった。

「どうでしょう?」
「え〜。良いなぁ。パパと泊まったの?」
「もう忘れちゃった。これ以上は言わないでおく」

まさかの、“相手が父ではない説”が浮上する。どういうことなのか。私は急いで問い詰めた。

「一緒に泊まった相手はパパじゃないって言うの? じゃあ、相手は誰?」

すると、彼女はとうとうフォークを手元に置き語り始めた。

「結婚前に一度だけ、このホテルの部屋に入ったことがあるの。でも、泊まってない。もう何十年も前の、若い頃の話よ。確か私の誕生日だった」
「そんな話、これまで聞いたことない」

母は口元を拭うと、伏し目がちに言った。

「相手は経営者の男性だった。それまでにも何度かデートしたことがあって」

そこから簡単に当時の状況を教えてくれた。

その男性は、何歳も年上の優しい人だったそうだ。ある時、母が音楽会にひとりで行った際、偶然にも隣の席に座ったことで知り合った人物らしい。その後、向こうからアプローチを受け、押し切られる形で交際直前まで関係が進んだそうだ。

「良いなぁ。その人と付き合って、結婚すれば良かったじゃん。そうしたら玉の輿だったわけでしょ」
「でも、その人と一緒になる道を選んでいたら、かわいい四人の娘たちも生まれてこなかったわけだし」

母は無邪気に笑う。私は内心、胸がバクバクしていた。この話を聞いたからには、核心をつかなければならない。ゴクリと唾を飲み込む。

「…それで、その人とは、『そういう関係』になったの?」

すると母は、大きく目を見開いた。まさか娘から直球な質問を受けるとは思わなかったのだろう。彼女は、ひとつ咳ばらいをすると真剣な表情をしながら言った。

「何もなかったのよ。その人とは」
「……え?」

まさかの返答であった。

「ちょっと、ここまで焦らしておいてその答えはないよ。嘘つかないで!」

猛烈にクレームを入れる。しかし、彼女は動じなかった。

「嘘ついたって仕方ないじゃない」
「でも、部屋まで入ったんでしょ? 素敵な人だったんでしょ? なんで何もなかったの?」
「素敵な人だったし、食事やシャンパン、花やアクセサリーも用意してくれてうれしかった」

まさに私が求めていた「理想の誕生日」そのものである。

「超いいじゃん! 私も人生でそんな人が現れてほしかったよ」

思わず本音をぶつける。しかし、母は首を横に振った。

「私も、最初は少し舞い上がった。でも……」
「でも?」
「私はその彼に見合った自分でいたくて……。いつも無理して背伸びしたり、良い子ぶったりしていたことに気づいてしまって」
「少しくらい背伸びしたって、いいじゃん。私も男の人に好かれたくてブリッ子することあるよ」

私は語気を強めて反論する。しかし、母はこれを否定し、潔く言い切った。

「華やかな経験も沢山させてもらったし、刺激的だった。だけど、彼の隣にいるべきなのは私じゃないって分かった。私ね、その時、欲しい物は自分で買わなきゃ意味がないし、彼の社会的な立場に憧れていたんだなと思って自分を恥じたの」

数十年前の母の姿が、今の自分に重なる。母が若かりし頃も、私と同じような“呪縛”があったのだろうか。

しかし相手の男性は、どのような気持ちだったのか。 ある意味、不憫である。

「でもね、お別れしてからも年賀状のやり取りは続いたよ。時々、我が家に葡萄が送られてくるでしょう?」
「あぁ。あの、『葡萄の人』!?」

近頃はめっきり減ったが、葡萄の季節になると、我が家に立派な葡萄が送られてくることが時々あった。あの、葡萄の送り主がその人物だったのか。

「もう何年か前に、その方は亡くなったそうよ。私も新聞で知ったんだけど」
「新聞に出るような人だったんだね」

その後、母は父と出会って結婚したという。

我が家の父は、私が十五歳の時に病で亡くなった。母は働きながら四姉妹を育ててくれたが、その道は茨の道であったことは想像に容易い。しかし、我が家の経済状況がいかに厳しい時でも、母は笑顔を絶やさずに育ててくれた。

ここで、ひとつの疑問がよぎる。

「もしも、パパを選ばないで『葡萄の人』を選んでいたら、人生変わっていたなって後悔することはある?」

私は、つい母の本心を聞きたくて愚問を聞いてしまった。しかし、母は即答する。

「後悔したことは一度もない」

誕生日に執着することをやめた

しばらく食事を楽しんだ後、私たちは食後のコーヒーを飲んでいた。母は、過去の恋愛について私に話したことを少し気恥ずかしく感じているようだった。

「さっきの話、忘れてね。もう大昔のことだから」
「なんかママの話を聞いて、今も昔も『女の子の呪い』は変わらないなって思った」

その時、ふと気づいた。

そもそも私が「誕生日を素敵な異性と過ごし、祝福されないといけない」と思っていたのは、「他者からの見られ方」を気にしていたからである。一緒にいる”誰か”によって自分の価値を証明しようとしていたのだ。あの頃の母と同じように。

しかし、実際には虚栄心にまみれた醜い心は私を苦しめるだけで、大事なことを日々見失っていた。忘れていたのは、他者に自分の価値を託すのではなく、自分の力で「自分が自分らしく輝くことを諦めてはいけない」という当たり前の事実だった。

これまでの怨念がスーッと成仏していくことを感じる。もう誕生日の呪縛に縛られることはやめよう。自分の機嫌は自分で取る。他人に依存しない。それが当然なのだ。心からそう思った。

「誕生日は産んでくれた人に感謝する日でもある」。

あの夜の、不思議なひらめきは何だったのか。もしかしたら天国にいる父から、私へのギフトだったのかもしれない。

わたしがやめたこと」バックナンバー

  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ
  • 「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
  • 「大人にこだわる」のをやめてみた|ひらりさ
  • 「お世話になっております」をやめてみた|しまだあや
  • 「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花
  • 「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお
  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
  • 本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ
  • 他人と比較することをやめる|あたそ
  • 料理をやめてみた|能町みね子
  • 無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
  • 過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美
  • 「すてきな食卓」をやめた|瀧波ユカリ
  • 「休まない」をやめた|土門蘭
  • 何かを頑張るために「コーヒーを飲む」のを(ほぼ)やめた|近藤佑子
  • 著者:大木亜希子(おおき・あきこ)

    大木亜希子さんプロフィール画像

    作家・女優。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で女優デビュー。2010年、秋元康氏プロデュースSDN48のメンバーとして活動開始。その後、会社員に転身しライター業を開始。2015年、「しらべぇ」に入社。2018年、フリーライターとして独立。現在は作家・ライターとして活動中。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)。原作の執筆を担当した漫画『詰んドル!~人生に詰んだ元アイドルの事情~』がコミックシーモアで好評連載中。

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    編集/はてな編集部

    在宅ワーク時のお昼ごはんに悩んだら「冷凍うどん」がおすすめ。 レンジだけで簡単にできる3つのレシピ

     梅津有希子

    冷凍うどんレシピ

    ライターの梅津有希子です。日頃から、包丁やまな板などを極力使わず、短時間で作れる手軽な料理について研究・発信しています。

    在宅ワークの普及で、お昼ごはんを家で食べるようになった人も多いのではないでしょうか。テイクアウトやお惣菜なども便利ですが、毎日買ってくるのはお金もかかるしなかなか難しいですよね。

    わたしはもともと自宅が仕事場のフリーランスなのですが、このコロナ禍で打ち合わせや取材もオンラインが格段に増えたこともあり、お昼ごはんも自炊が増えました。仕事の合間に食べるお昼ごはんは、パパッと済ませたいもの。洗い物もなるべく最小限にしたいし、何なら鍋やフライパンすら使いたくありませんよね。

    そんな面倒くさがりのわたしが重宝しているのが「冷凍うどん」。電子レンジでチンすれば調理できる、ありがたい存在です。スーパーの冷凍コーナーで、安いお店なら5個入り200円〜300円前後で買えるので、冷凍庫にストックしている人もいるのではないでしょうか?

    一方で「冷凍うどんって便利だけど、いつも同じ食べ方になってしまう……」と感じている人も少なくないはず。でも実は、和風も洋風も何でもいけるので、バリエーションが出しやすい存在なんです!

    そこで今回は、鍋を使わず電子レンジだけで作れる冷凍うどんのおすすめレシピをご紹介します。定番の組み合わせに一工夫加えたうどんや、レンチンだけで作れる、おつゆでいただく温かいうどんなど、3つのレシピを用意しました。

    (※電子レンジは全て600wで調理しています)

    約5分で完成「しらすとネギのわさびバター醤油うどん」

    しらすとネギのわさびバター醤油うどん

    釜玉うどんのような調味料と食材を和えるだけのうどんレシピは、洗い物が最小限になる点でも作りやすく、人気がありますよね。そんな中でも少しアレンジを加えたこちらのレシピ。みんな大好きバター醤油にわさびを忍ばせて、ちょい辛に仕上げます。チンして混ぜるだけなので、約5分で完成しますよ!

    材料

    • 冷凍うどん 1玉
    • しらす 大さじ3
    • 小ネギ(小口切り) 適量
    • ごま 適量
    • 刻み海苔 適量
    • バター 10g
    • わさび 適量
    • 醤油 小さじ1

    作り方

    • 1.冷凍うどんをパッケージの表示通りに電子レンジで解凍する
    • 2.うどんにバターとわさび、醤油をからめ、しらすとねぎをあえる。ごまをふり、刻み海苔をのせて出来上がり
    👉しらす以外に、ひき肉や納豆、ちくわ、えびなど、何を入れてもおいしく作れるので、お好みの具で作ってみてくださいね。ネギは冷凍の刻みネギをストックしておくと、切る手間も省けて、好きな時に欲しい量だけ使えるのでおすすめです。

    カット済み食材で手軽に「きのことベーコンのチーズクリームうどん」

    きのことベーコンのチーズクリームうどん

    牛乳とクリームシチューのルウで作る、カルボナーラのような洋風うどん。とろけるチーズを加えれば、さらにこっくり濃厚に。

    材料

    • 冷凍うどん 1玉
    • 厚切りベーコン(カット済みのものを使用) 80g
    • きのこ(カット済みのものを使用) 50g
    • 牛乳 150ml
    • 市販のクリームシチュー用ルウ(顆粒タイプ) 大さじ2
    • とろけるチーズ 1枚
    • 粗挽き黒こしょう お好みで

    作り方

    • 1.冷凍うどんをパッケージの表示通りに電子レンジで解凍する
    • 2.耐熱容器に牛乳、きのこ(今回はしめじとエリンギを使用)、ベーコンを入れ、電子レンジで約4分加熱する
    • 3.2にシチューのルウを入れ、よく混ぜて溶かす
    • 4.うどんを3ととろけるチーズであえ、粗挽き黒こしょうをふって出来上がり
    👉顆粒タイプのルウは、今回のような1人分のうどんやクリーム煮、ミルクスープなどにもちょこっと使える上に、すぐ溶けるのでとても便利です。きのこは、今回はしめじとエリンギを使いましたが、しいたけやえのき、マッシュルームなど何でもOK。複数のきのこをミックスすると、歯ごたえやうまみもアップするのでおすすめです。

    つゆもレンチンでOK「豚バラと白菜の生姜うどん」

    豚バラと白菜の生姜うどん

    豚のうまみが溶け込んだつゆでくったりと煮込まれた白菜を生姜と一緒に食べると、あっという間に体もポカポカに。寒くなるこれからの季節にぴったりです。

    材料

    • 冷凍うどん 1玉
    • しゃぶしゃぶ用豚バラ肉 120g
    • 白菜(緑の部分) 3〜4枚
    • 生姜(すりおろし) 適量
    • めんつゆ(3倍濃縮) 100ml
    • 水 300ml

    作り方

    • 1.冷凍うどんをパッケージの表示通りに電子レンジで解凍する
    • 2.耐熱容器にめんつゆ、水、白菜を入れ、電子レンジで約5分加熱する
    • 3.豚バラ肉を加え、さらに1分加熱する
    • 4.丼にうどんを入れて3をかけ、すりおろし生姜をのせて出来上がり
    👉めんつゆを活用すれば、あったかいつゆでいただくうどんが電子レンジ調理で完成します。すりおろし生姜は、チューブでもOK。生姜の代わりに柚子胡椒をのせると、ピリッとさわやかな味わいに。

    便利食材を活用して、おうちごはんをもっとラクに!

    長引く自粛生活でおうちごはんが増えたこともあり、わが家では、少しでもラクできる食材を積極的に使うようになりました。最後に、冷凍うどんのアレンジだけでなくいろんなレシピに活用できる便利食材をご紹介します。

    まずは、あらかじめカットされている野菜や肉。今回の「きのことベーコンのチーズクリームうどん」のしめじやベーコンも、カット済みのものを使いました。他にも鶏もも肉は、この数年一口大に切ってある唐揚げ用しか買っていません。チキンソテーもカレーも鍋も、全部これです。

    ストックしておくと何かと使えるのが、冷凍のひき肉。パラパラとほぐれて好きな量だけ使えますし、火もすぐに通ります。野菜たっぷりのみそ汁にひき肉を加えれば、食べ応えもアップ。豆腐と煮込んだり、スクランブルエッグに加えたり、応用自在。スーパーにお肉を買いに行かなくても、冷凍庫にひき肉が入っていれば安心です。

    調味料は、砂糖、塩、酢、醤油、みそといういわゆる基本調味料の「さしすせそ」を常備していますが、他にあるのはみりん、こしょう、ごま油くらい。自炊を始めたばかりの頃は、よく分からないままナンプラーや、XO醬や豆板醤などの“醬(ジャン)系”調味料を買ったりしていましたが、結局使い切れずに気がつけば3年たち、賞味期限が切れてしまうことがほとんどでした。このようなことを繰り返し、現在は基本調味料に落ち着いた感じです。

    おすすめの調味料の組み合わせは、ごま油と塩。何か一品足りないなと思ったら、ごま油と塩であえれば、何でもおいしくなるなあと思います。ささみとアボカドや、ホタテのお刺身、ゆでたキャベツにオクラなどなど。冷奴にごま油をかけて塩を振り、ちぎった海苔をのせるのもいいですね。サラダもごま油と塩であえるだけで十分満足なので、すっかりドレッシングを買わなくなりました。あっという間に1瓶使い切ってしまうので、5本常備しています(多過ぎ!)。

    ▼△▼


    長引くおうち時間の中、お昼ごはんを用意するのが面倒に感じたり、飽きてしまったりすることも多いですよね。そんなとき、安くて簡単、メニューのマンネリ化も解消できる冷凍うどんは、強い味方になってくれるはず。今回ご紹介したレシピも、在宅中のお昼ごはんにぜひ取り入れてみてくださいね。


    編集/はてな編集部

    在宅ワーク中や仕事終わり、ひと息つきたくなったら

    著者:梅津有希子

    梅津有希子

    編集者・ライター、だし愛好家。書籍『終電ごはん』(幻冬舎)では、「仕事で疲れて帰ってきても、これなら作れる」という「10分で作れて、洗い物少なめ」の1皿完結簡単レシピを、『世界一簡単なだし生活。』(祥伝社黄金文庫)では、「だしむすび」「あごだし湯豆腐」「だし巻き卵風フレンチトースト」など、旨味たっぷりの簡単だしレシピを紹介する。

    公式サイト:http://umetsuyukiko.com/ Twitter:@y_umetsu Instagram:@y_umetsu

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    保育園送迎、雨の日やイヤイヤ期でもスムーズにするコツは? 4人の子供を持つ夫婦が工夫してきたこと

     ベリー

    登園の様子

    4人の子供を育てるフルタイムワーキングマザーのベリーです。子供たちは、上から中1、小4、保育園児2人(2021年10月現在)。実家が遠いこともあり、4人の子供たちはどの子も0歳児クラスから保育園に預け、保育園の先生方に助けていただきながら子育てしています。

    上の子2人はすでに卒園しましたが、4人とも同じ保育園にお世話になっています。地下鉄で一駅離れたところにあるのですが、園の方針や園長先生をはじめとする先生方など全てが大好きで、送迎の負荷を何とも思わないくらい、良い園に巡り合えたと思っています。

    一方で、保育園の送迎といえば、仕事の行き帰りのただでさえ慌ただしい中、当日の天気や子供たちの機嫌などによって、スムーズにいかないことも多々あるものです。

    わが家では現在、主に夫が朝の送りと夕方の迎えを毎日担当しています。登園方法は基本的に自転車。前座席に2歳の次女、後部座席に4歳の次男を乗せて走ります。雨の日は、公共交通機関(バス)で登園します。夫に送迎を任せる分、私は家事などの違った面で家族をサポートしています。

    4人の子供を保育園に通わせてきた中で、送迎の分担、やり方などは、その時々の状況に応じて少しずつ変化してきました。そこで今回は、送迎をスムーズにするために日頃どんな工夫をしているのか、わが家の例をご紹介します。

    INDEX

    スムーズに送迎するために、事前にできること

    送迎を少しでもスムーズに進めるため、特に子供が小さければ小さいほど、前日と当日の段取りは欠かせません。当日の子供の体調や機嫌ひとつで吹っ飛ぶことも多々ありますが、毎日めげずに準備しています。

    荷物の準備は前日のうちに

    当日の送迎を夫がしてくれている分、前日の荷物の準備は私がしています。当日の朝は慌ただしいので、すでに実践している方も多いかもしれませんが、まずは前日のうちに可能な限り翌日の準備をしておくのがポイントです。

    保育園はクラス(年次)によって持ち物が異なります。お手拭きタオルや食事用エプロン、着替え、保育園の引き出しにストックするための服など、それぞれの持ち物を子供別のリュックにセットします。

    お手拭きタオルと食事用エプロンは、保育園へ持参する枚数×2セットを使い回しています。帰宅したら、まず洗濯機にその日使ったものをポンと入れて、翌日持っていく用として前の晩に洗濯してピンチハンガーに干してあるものを外し、畳んでそのままリュックへポン。2組をぐるぐる回して「迷わない」仕組みにしています(この2組とは別途、ストックは引き出しに入れてあります)。

    保育園への持ち物

    当日朝は、子供の対応と連絡ノートの記入を分担

    当日の朝に、保育園へ持参するノートと体調管理表を記入しています。保育園へ特に伝えておきたいことがある日は私が記入しますが(月に1~2度くらい)、そうでない日がほとんどなので、基本的に夫が毎朝記入しています。

    以前は主に私が記入していましたが、末っ子の2歳次女が「おきがえは、おかあさん!」「てをあらうのも、おかあさん!!」と朝のお世話で私を指名することが多いので(涙)、いつの間にか夫がノートを書いてくれるようになりました。

    こんな時どうしてる? シチュエーション別、送迎をスムーズにするコツ

    雨の日や、子供がぐずりやすいイヤイヤ期など、普段よりもさらに保育園送迎のハードルが高まる場面があります。そんなとき、わが家では少しでもスムーズに対応できるよう、こんな工夫をしてきました。

    雨の前日は早めに寝かせる&子供に楽しく声掛けを

    前の晩、夫が必ず天気予報をチェックしています。翌日に雨が降る可能性が高いと分かったら、前日に可能な限り子供たちを早めに寝かせます。雨の日は公共バスで登園するので、いつもより早く家を出たいためです(と言っても、早く寝かせられない日もかなり多いですが……)。

    当日、子供たちにはお気に入りの傘を持たせます。2歳次女が自分で傘を差したがり仇(あだ)になるときもありますが、まずは何はともあれ、第一関門は「玄関を出る」こと。そのために、子供たちの外に出るモチベーションを上げるようにしています。

    平日朝の雨の日のバスは、通勤客も含めて多くの人で混み合います。バスに乗っている時間は15分くらいですが、小さな子供連れにとってはかなり気力も体力も使うものです。「さすが〇〇組のお兄さん、いい子にできるね!」など声掛けして、少しでも大人しくしていられる時間を長くします。

    そして最寄りのバス停に着いたら着いたで、保育園までの道のりがあります。なので道中は「今日は〇〇先生いるかなー」「お友達の〇〇ちゃんと遊べるかなー」など子供に声を掛け、励ましながら、安全に気を付けての登園です。

    帰りにも雨が降っている場合は、自分で傘を差したい2歳児、水たまりに豪快に入りたい4歳児と、帰るのに普段の倍の時間がかかるのもしょっちゅうです。少しでも早く家に着けるように、「帰ったら、おやつを食べながら〇〇を見ようか!」と、おやつや子供たちが楽しみにしているアニメなどで気を引きます……。また、雨で濡れて風邪を引かないよう、夫が一足先に家に着いている上の子たちに「お風呂沸かしておいて!」と連絡し、家に着いたらすぐお風呂に入れるように段取りしています。

    イヤイヤ期の子供には「気分の切り替え」を

    「イヤイヤ期」と呼ばれる2〜3歳ごろは、自分の意の通りにならないと泣いたりぐずったり怒ったり……。準備にも送り迎えにも何かと時間がかかります。

    この時期は、とにかく気分を切り替えられるものを用意します。「おかあさんがいい」「おとうさんがいい」と気分次第で朝の身支度をしてくれる人を指名することもあるので、夫でだめなら私、私でだめなら上の子たち、と対応する家族を替えてお世話しています。

    玄関で大泣きして動かない日もあります。そんなときは登園途中で食べ切れるよう、小さなお菓子を食べさせることもありました。こんなワガママを聞いていると子供にとってよくないのでは……!? という考えが頭をよぎることがあります。けれど不思議と、イヤイヤ「期」と名前が付いているだけあって、いつの間にか「あれ? 最近そういえばあまり泣いていないな」と突然気が付く日が。その日になるまで、ひたすらやり過ごしています。

    登園前の玄関

    予定変更にも役立つ、事前のカレンダー共有

    実はわが家ではこの12年間、幸運にも夫婦間の「急な予定変更」はほとんどありませんでした。ただ、日頃から夫と私それぞれの仕事の予定は事前に相手に伝え、カレンダーで共有するようにし、何かあったときのために備えています。

    朝夕とも夫が送迎してくれている今は、夫が仕事で送迎できないことが分かっている日は、「この日はお迎えお願い」と早めに知らせてくれます。もし当日にどうしても! というときがあれば、分かった時点で昼過ぎにはLINEなどで連絡してくれるので、私が終業数時間前からその日の仕事の予定を立て直し、定時に仕事を上がって保育園に迎えに行きます。

    私と夫の体調不良については、多くの場合、前日には「明日は行けなさそうだ……」と分かるので、前日のうちに調整し、朝起きてからしなくてはならないことを少しでも減らせるように準備を済ませます。あとは、上の子たちにも「協力お願い!」と声を掛け、助けてもらって乗り切っています。

    なかなか帰りたがらないときは、子供の気持ちにも寄り添って柔軟に

    頑張って仕事を段取りし、いざ保育園に迎えに行ったら……「もっと遊びたかったのに!」と保育園を出たがらないことがありますね。そんなときには、せっかくがんばって間に合うよう迎えに来たのに! と思いながらも、子供の「まだ帰りたくない」の気持ちにほんのちょっぴり寄り添っています。

    夫の場合は、「いつもと違う道から帰ろうか!」「東京タワーがよく見える橋を通って帰ろうか!」など声掛けして、子供が自転車に乗る気を後押ししているようです。私の場合は、小さなお菓子。「あの信号を上手に渡ったら一緒にこのラムネを食べようね」など、ポイントごとにお菓子を一緒に食べて帰ります。

    送迎をスムーズにする小さなヒント

    他にも、送迎の前日や当日、また普段から意識しておける、ちょっとした工夫があります。

    朝ごはんは簡単にする

    送迎当日の朝は、子供の用意だけではなく、自分の身支度もあります。出勤までに自分も朝食を食べなくてはなりません(私の場合はキッチンで立ってスキマ時間に食べています)。出発前には子供たちの検温もあります。

    そんな中、朝ごはんはとにかく簡単に準備できるものにしています。基本は「何か1品と牛乳」。パンと牛乳、肉まんと牛乳、シリアルと牛乳、焼き芋と牛乳、というような感じです。

    肉まんと牛乳の朝ごはん

    寝かしつけを少しでもラクにする、絵本読み聞かせアプリ

    わが家の場合、朝に子供がぐずるのは、寝不足の時が多いです。かと言って、4人の子育てをしながら常に早寝させるのは難しい。うちの下の子たちは、私が寝室に入らないと寝ないという事情もあります……。

    寝かしつけしようと思うと数十分、長い時には1時間以上はかかるので、第二子の長女が生まれて早々に、わが家では寝かしつけを諦めました。子供を寝かしつけてから家事や自分のことをしようと思うと、早く寝てよ〜とかなりイライラしてしまうし、自分が寝落ちしてしまうと「寝ちゃった……やることが終わっていない……」と朝から罪悪感いっぱいになってしまうのが嫌だったのです。

    「子供は早く寝かせるべき」そんな声が周りから聞こえてきそうですが、「何時までに寝かさなくちゃ」と思うと焦るし、子供が寝なければ怒りさえ感じてしまう。これはよくないと思い、寝かしつけではなく一緒に寝落ちすることにしたのです。

    そこで役立ったのが、「Audible(オーディブル)」(Amazonが提供する、プロのナレーターによる朗読アプリ)の絵本でした。夜に家事などを済ませた後、私が寝る前の歯磨きをしている間に、寝室を暗くして聞かせたい絵本をセット。私が寝室に入るまでの間、5分から10分程度の短いお話が100個入っている中から子供たちに1〜2つ聞かせています。そうしておくと、うとうとして寝入りが早いというわけです。これはとてもいい買い物だったと思っています。

    保育園からの手紙は定位置を決め、夫婦で共有する

    保育園からのお知らせは、紙のプリントで配られる場合も多いです。コロナ禍で保育園の行事は減っているものの、小さなイベント時などにはいつもと違う準備物が必要な時もあり、それらはプリントに書かれているので、チェックが欠かせません。

    なので、夫婦がお互い手が空いたタイミングでお知らせをすぐ確認できるよう、プリントはリビングの定位置に。分かりやすい場所に置いておくと、お互いプリントを探さず済んでストレスがありません。

    リビングのプリント置き場

    その時の家族にとっての「最適」を考えて分担する

    私たち夫婦は、家事も育児も、家族全体の「最適」を考え、それぞれの「得意」を生かして分担することを心がけています。そして、その時々で家族にとっての最適は変わります。わが家の場合、保育園の送迎については次のような感じで分担してきました。

    • 1.第一子、長男の送迎
      • 朝の送りを夫が、夕方の迎えを時短勤務の私が担当していました。第二子の長女を妊娠後は、つわりの症状が厳しかった私に代わり、夫が朝晩と迎えに行ってくれるようになりました
    • 2.第二子、長女が生まれてから。長男&長女の送迎
      • この頃も朝は夫、夕方は時短勤務の私が分担。長女が少し大きくなって私がフルタイムに戻ってからは、夫がまた朝夕とも担当してくれました
    • 3.第三子、次男が生まれてから。長女&次男の送迎
      • 次男は、長男が保育園を卒業した後に生まれました。この時期も私が時短勤務の間は朝夕で分担。長女が年長の時に私が次女を妊娠してつわりが再開したので、夫が朝夕の送迎を担当してくれました
    • 4.第四子、次女が生まれてから。次男&次女の送迎
      • 私の育休期間は私が夕方の迎えを担当。職場復帰後は現在まで、朝夕とも夫が毎日送迎してくれています

    夫が保育園の送迎をしてくれる分、私は、朝みんなを送り出した後は簡単な家事、仕事が終わって帰ってきたら夕飯作りに集中します。

    夕飯を作っている間、仕事と送迎で疲れた夫にはしばし休憩してもらい、夕飯作りに目途がついたらキッチンで小さく「今日もお疲れ様!」の乾杯。そんなふうに、相手が何かをしてくれている代わりに自分ができることをするよう、夫婦で心がけながら毎日を過ごしています。


    ***

    以上、子供が4人いるわが家の保育園の送迎状況をお伝えしてきました。

    家族の構成、子供の年齢や性格などは家庭の数だけ異なりますが、どの家庭であっても毎日ギリギリのタイムスケジュールの中、子供の体調や機嫌を見ながら精一杯対応している毎日だと思います。わが家の12年間の取り組みや、その中で生まれてきた工夫が、小さなヒントになればうれしいです。

    著者:ベリー

    ベリー

    子供4人、フルタイム共働き、都内の60平米賃貸マンション暮らし。家事やごはん作りをラクにしたい。青天井の教育費をかけ過ぎないよう、塾なし家庭学習7年目です。著書に『子供4人共働き・賃貸60㎡で シンプル丁寧に暮らす』(すばる舎)。

    ブログ:ベリーの暮らし Twitter:@berry_kurashi Instagram:@berry.kurashi

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    編集/はてな編集部

    お酒に頼るのはもうやめた。息切れせず働き続けるために必要だった“平熱”の日常

    宮崎智之さん記事トップ写真

    日々の生活や仕事を継続するなかで、ときにお酒を飲んだり、友人とパーッと遊んだり、外部の刺激を取り入れることは重要です。しかし、それらに過度に頼り過ぎてしまえば、知らず知らずのうちに心身に不調をきたすことも考えられます。

    フリーライターの宮崎智之さんは、数年前まで事あるごとにアルコールに頼り、不安を打ち消すようにテンション高く仕事に取り組んできたといいます。ただ、そんな生活を続けるうち、いつしか身体はボロボロに。以来、断酒を始め、息切れしない「平熱」の働き方を模索するようになったそうです。

    今回は、作家・吉田健一の言葉をヒントに、断酒してからの5年間を振り返っていただきながら、息切れしないための働き方について執筆いただきました。

    破綻を迎えたアルコールに頼った生活

    息切れせずに働くのは難しい。特に根が真面目な人は、息切れするまで働かなければ、働いた気がしないのではないか。少なくとも僕はそうだった。

    現在のように世の中が不安定だとなおさら、「一生懸命働いて他人と差をつけなければ」「休日も勉強をしてスキルアップを」と焦る気持ちを抱く人が周囲にも増えているように思う。だんだんと無理がたたって、最後は疲れ切ってしまいそうである。

    ちょっと変な言い方になるが、ハードワークをしなくてもハードな仕事はできる。熱狂しなくても、「平熱」のまま創造的な仕事はできると、僕はこれまでの経験から思うようになった。

    僕は離婚を経験し、30代前半でアルコール依存症となり、二度の急性膵炎で入院した。今は5年4か月、断酒を続けている。

    振り返れば、新卒の会社を1年で辞め、夢だったメディア企業に転職して23歳で記者職についた。いずれはフリーランスの物書きになるという目標を持っていた。小さな会社だったけど硬派な編集方針のもと基本を叩き込まれ、追われるように20代を駆け抜けた。仕事は充実していた。しかし、全国区の雑誌や新聞に書くような物書きになって、自分の本を出版しながら暮らしていくという夢が諦めきれず、6年間勤めて転職した。

    転職先である編集プロダクションの仕事も同じく充実していた。ただ、転職する少し前のあたりから、すでにお酒の飲み方は常軌を逸するようになった。勤務中に酒に手を出してしまう頻度も増えてきた。31歳のときにはフリーランスになり、傍から見れば順調なように思えるかもしれないが、その間もお酒の量はどんどん増えていった。

    なぜ、当時の僕はそこまでお酒を欲していたのだろうか

    それは、不安だったからだと思う。いくら働いても働いた気がしない。もっとたくさん働き、もっとたくさん勉強している人はたくさんいる。自分のような凡人が、この程度しか努力しないで大丈夫なのだろうか。成長できない自分に焦燥感を覚えていた。

    そんなとき、お酒を飲むと不安が忘れられた。気持ちが大きくなり、全能感に包まれた。

    だから、その後も酒量は増え続け、次第にお酒を飲みながら原稿を書くようになった。お酒を飲んでいるといい原稿が書ける気がした。だいたいは酔いが覚めたら読み直して修正することになるのだが、とにもかくにもお酒を飲めばテンションが上がり、原稿は進んだ。仕事が終わったら酒をさらに飲んで、気絶するように眠った。枕元にあるお酒を一気飲みして、少し眠ってからシャワーで臭いを誤魔化し、取材に向かったこともある。

    そしてあるとき、明確な破綻が訪れた。二度目の急性膵炎で入院した際に、「今後一切、お酒を飲まないでください」と宣告されたのだ。長く生きたければ、そうしなければいけない。離婚もして、心も身体もぼろぼろだった。そのとき、まだ34歳になったばかりだった。

    平熱のまま生きるという挑戦

    今思えば、「物書きは酒を飲んでなんぼ」という価値観が無意識にしみついていたようにも思う。確かに、そういう「熱狂型」の作家の人生から、たくさんの名作が生まれたのも事実である。しかし、僕にはそれを徹底することができなかった。徹底するには、心も身体も弱過ぎたのだ。

    僕は働き方を変更しなければいけない必要性に迫られた。もしくは、物書きという仕事を辞めるかのどちらかだった。僕は前者を選んだ。

    最初は、素面のまま面白い原稿が書けるのか不安だった。しかし、お酒を飲んでいたときに、「やめたら◯◯できなくなる」(例えば「やめたら華のない人生になってしまう」)と考えたことのほとんどは、思い込みにすぎなかった。ただかつてあったお酒のない人生に戻るだけだ。

    お酒は、適度に嗜むことができれば「人間関係が円滑になる」などのメリットもあるので、その存在自体は悪ではない。僕に手に負える相手ではなかっただけである。一度目の急性膵炎で入院した後、「節酒」に挑戦したが、見事にリバウンドしてしまった。僕には、お酒をコントロールすることができない。しかし、正直、お酒にまったく未練がないかと言ったら嘘になろう。もう一度、あの全能感を味わいたい。フレンドリーになって、もっとたくさんの人と話したい。

    でも、僕にはもう駄目なのである。再びお酒に手を出したら、元の酒飲みの生活に戻るに決まっている。そんな僕がお酒に再び手が出そうになったとき、寸前に止めてくれるのは「弱さ」である。どんなに節酒をしようとしてもコントロールできない。僕にはもう駄目なのだという「諦め」、「弱さ」を認める勇気、そういったものが、僕のストッパーになっている。

    お酒をやめてから、少しずつ世の中の見え方が変わってきた。より詳細に見えるようになったと言った方がいいだろうか。考えてみればお酒を飲んでいるときは生活をしていなかった。少なくとも生活に向き合っていなかった。酔いに身を任せることで、自分の弱さを認めていなかった。

    しかし、素面のまま、平熱のままで過ごしてみると、さまざまなものが目に入るようになってくる。文筆家の吉田健一は、「食べものの話、又」という随筆の中で、「何を食べても同じ味がする人間は、その人間の仕事に掛けても信用出来ない」*1と記している。「少なくとも、その人間がものを食べている時は頭が遊んでいることになり、そういうものが自分の仕事のことになると急に注意深くなるというのは、ありそうなことではあっても、俄かに信じ難い」*2とも。

    これは本当にその通りだ。ほとんどの仕事は、生活に関わるなにかしらを提供している。生活をしていなければ、仕事ができないのは当たり前ではないか。日々の生活の中にも、じっと目を凝らせば未知のもの、不思議な現象がたくさんある。もちろん、生活は楽しいことばかりではない。試練も度々訪れる。しかし、それに向き合って生きていくこと自体が生活である。

    そもそも人間は生活するために仕事をしているのだ。その生活が疎かになっていれば、いい原稿が書けるはずがない。試練や葛藤を乗り越えながら、または寄り添いながら生きていくこと。その態度こそが大切なのに、僕は階段の初めの一段で躓き、ずっと足踏みしていたのである。

    まずは目の前にあるものをじっと見つめる。じっと見つめ続けて、小さな変化を感じとる。熱狂せず「平熱型」で生きることは退屈な行為でもなんでもない。むしろ挑戦的な生き方である。コロナ禍の今は、そうした「平熱」の息切れしない働き方に切り替えるチャンスでもある。

    その証拠となるかわからないが、僕は昨年12月から、晶文社スクラップブックというサイトで「モヤモヤの日々」というコラム連載をしている。なんと平日毎日、17時公開だ。毎日ネタを探さなければいけない上に、書かなければいけない。毎日午前にその日の原稿を書いている。

    コロナ禍で外出自粛をしているなか、ネタを探すのが難しいのではないかと思いきやそうでもない。じっくり生活に腰を据えてみると、いろいろなモヤモヤの種が次から次へと現れる。あと、この手の連載は「熱狂型」では続かない。熱狂するような刺激的なネタが毎日あるはずはないからだ。もしある人がいるのだとすればうらやましい限りだが、体を壊さず頑張ってほしい。

    僕はそうでないので、周囲にあるものに執着する。外出自粛が続いたことにより気付くこともある。例えば、道端に咲く草花を綺麗だと思うようなった人は多いのではないか。実際に花の名前を画像で検索できるアプリがはやっているそうだ。コロナ禍になってから、草木が芽吹く日本の5月の美しさにあらためて気づいた。そんなことでも、コラムのネタになるのだ。

    刺激的なことがなくても、日常生活に目を凝らせばクリエイティブの原資をたくさん見つけられると思っている。そもそも自分の親のことだって、大して知りはしないのだ。僕はその原資を、まだ3分の1も使いこなすことができていないような気がしている。

    息切れしないために自らの欲望と向き合う

    リモートワークが浸透し、一度起こった「オフィス離れ」は仮に新型コロナウイルスの感染拡大がおさまった後も、必ず出社や現場への移動が必要な仕事以外は、不可避に進むものと思われる。そんな状況では、各々が自らのモチベーションとうまく付き合い、意識的に生活と仕事(在宅ワーク)のバランスを整えることが、息切れせずに働き続けるために大切になる。

    職場に行かなくなれば、対面での会議や朝礼などの集会、歓送迎会などが激減するだろう。そうなると、モチベーションの維持の仕方に変化が生じてくる。今までの企業はスタッフを一か所(職場)に集めて密をつくり、目標や課題を共有することで、社内の士気を保っていた部分がある。そこでは、情報だけではなく、熱が共有されていた。よくも悪くもそうした熱を共有することで一体感やモチベーションを高めることができた。

    しかし、在宅勤務の流れが進めばそうはいかなくなる。当然、企業側は対策を迫られるが、スタッフ側も各々が各々でモチベーションを保たなければいけない時代になるのではないかと、僕は予想している。

    ここで前述した吉田健一の文章を再び引用したい。「わが人生処方」という随筆のなかで吉田は、「どうも人間が生きて行く上では、各種の肉体的な欲望が強いことが大切だという気がしてならない。食う為に仕事をすると言うが、実際に食いたくて仕事をするのと、ただ食う為と思っているだけでは随分話が違う*3と記述している。

    つまりこういうことだ。人間は「食うため」に働くというが、「食うため」とはどういうことなのか。月給をもらうことなのか。原稿料をもらうことなのか。そうではなく、吉田は「どこそこの生牡蠣を五人前食ってやろうと思って仕事をしている」*4と言い切っている。

    確かに「食う」とは抽象的なものではない。人間の具体的な欲望だ。「食う」というからには、なにかを「食う」のである。その「なにか」をまったく想像もせず「食うため」に働いているのだとしたら、それほど滑稽なことはない。吉田は「つまり、魂を失わずに生きて行く為に、肉体的な楽しみに執着することが必要なのであり、人間が出世するのは珍しいことではないのだから、そうなると益々食欲その他を旺盛にして、魂を繋ぎ留めて置くことが大切になる」*5と続けている。

    吉田健一がふたつの「食べもの」のたとえで伝えたかったのは、抽象的、観念的な思考や生き方に陥り過ぎることの危険性であろう。先行きが見えない今だからこそ、目の前にすでにあるものをもう一度じっくり見つめ、点検し、そこから想像力を膨らませていくことが大切になる。

    階段の初めの一段で躓き、足踏みしていないか。きちんと欲望を具体的なイメージで描けているか。そうした基本的なことを確認しながら前に進むのが、僕の思う息切れしない「平熱」の働き方だ。


    編集/はてな編集部

    ゆるやかに働くためのヒント

    著者:宮崎智之

    宮崎智之

    1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。Webメディア「晶文社スクラップブック」で平日、毎日17時公開の夕刊コラム「モヤモヤの日々」を連載中。犬が大好き。

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    *1:吉田健一『新編 酒に呑まれた頭』筑摩書房, 1995年, p178

    *2:吉田健一『新編 酒に呑まれた頭』筑摩書房, 1995年, p178

    *3:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p18

    *4:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p18

    *5:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p20