産後クライシスは一度じゃない。乗り越えた夫婦が気付いた「頼ること」と「共有」の大切さ

 鈴木妄想

鈴木家の様子

ライターとしても活動するブロガーの鈴木妄想さんは、2015年に第一子が誕生してから現在に至るまで、育児にまつわるさまざまなクライシス(危機)を夫婦で乗り越えていったのだそう。

幾度も訪れる危機を経て気付いたのは「夫婦だけでどうにかしようとしない」「共有の大切さ」と語る鈴木さん。具体的なエピソードを交えながら、ご夫婦がどのようにしてきたのかをつづっていただきました。

はじめに

待望の赤ちゃんが無事に生まれ、幸せに満ちた家族生活、というステレオタイプなイメージとは裏腹に、赤ちゃんを授かったばかりの家庭は、危機的な状況を迎えることが少なくありません。

「産後クライシス」という言葉をご存じでしょうか?子どもが産まれてから、急激に夫婦仲が悪くなったり、関係が冷え切ったりする現象を指し、2012年にNHKの番組が名付け*1、一般的に認知が広まった言葉のようです。ただ、夫婦間のクライシス(危機)は、出産直後だけではなく、想像以上に長期にわたって訪れるようにも思います。

我が家は、2020年4月現在で43歳の筆者と34歳の妻、そして4歳半の息子の3人家族です。これまでを振り返ると、我が家でもいくつかの危機を迎え、そしてどうにか乗り越えてきました。

今回は、現在までの様々なクライシス(危機)を振り返ってみます。我が家は、夫はフリーランスの兼業ライター、妻は在宅漫画アシスタントという共働き家庭。企業に属していないので、少し特殊な例かもしれませんし、決して理想的な方法ではないかもしれません。でも、少しでも皆さんそれぞれが直面するクライシスを戦うヒントになればと思っています。

【クライシス1】夫婦だけじゃ負けていた生後100日戦争

不育症を乗り越えて、待望の第一子!

我が家で初めての妊娠がわかったのは2011年5月。震災直後に一緒に住みはじめたドタバタ生活の中での出来事でした。予想していない妊娠だったので正直に言ってびっくりしましたが、授かった命にはうれしさも大きかったです。

ですが、10週で流産が分かります。特に妻の落胆ぶりは、本当に見ていてつらくなるほどでした。担当医の強い勧めによって検査をしたところ、妻の「抗リン脂質抗体症候群」が判明。これは、妊娠中に血栓ができやすく、流産しやすい体質である、ということです。いわゆる「不育症」の一つです。

不育症治療のために大学病院に通院、3年ほどの定期診察を受けた後、2回目の妊娠が判明します。妻の場合は、毎日2本の自分で自分のおなかに注射をする「自己注射」をすることになりました。血栓を防いで、おなかの赤ちゃんにしっかりと栄養を届けるためなんですが、これ、おなかが注射痕であざだらけになるんです。痛みに耐えながら、妻は毎日、自分のおなかに注射をしていました。頭が下がります。

2015年7月のよく晴れた日、第一子である息子が誕生。不育症治療を経ての出産、本当に、本当に待望でした。自分の両親にとっても、妻の両親にとっても初孫である彼は、全家族の愛を一心に受けていました。

息子の写真

甘過ぎる見通し、尋常じゃない睡眠不足

不育症治療中の頼もしい妻を見ていると、子どもが産まれたら、よいお母さんになるんだろうな、と考えていました。そして、私自身も少し年齢の離れた弟がいたり、学童などの子どもと関わるアルバイトの経験もあったので、子どもを世話することは得意だ、と自負していたこともあり、我々夫婦には、きっといい子育てができるはず! と信じていました。

ただ、そんな甘過ぎる見通しは脆くも崩れ去ります。息子がミルクが欲しくて泣くのは約3時間に一度、つまりは3時間以上連続して眠ることができない状態が続くと、かなりしんどいんです。特に産褥期(さんじょくき)*2で身体がガタガタの妻は、完全な寝不足状態でピリピリし通し。

そもそも、昔から「産後の肥立ち」という言葉があるように、出産直後は身体の大きな変化が起きると同時に、精神的な変化も大きな時期です。いわゆる「産後うつ」「マタニティーブルーズ」は、出産後に気持ちの落ち込みが激しくなり、イライラやマイナス思考が加速したりすると言われます。

そう、妻もその一人でした。新生児育児は、どうしてもうまくいかなかったり、思い通りにならなかったりする部分が多くあります。そういう時、妻自身を強く責めてしまったり、時には夫である私に悪態をつくこともしばしば。

そして、自分自身も、新生児育児の大変さに疲れ果ててしまいました。事前の予想に反してイライラすることばかりで、授乳とオムツ替え時間を記録するシートに、呪詛の言葉を書き連ねた日もありました。夫婦で激しく言い争いすることもしばしば。我が家は、典型的な産後クライシスでした。

救いになったのは、精神科とサポーターさんとベビーカー

抱っこ紐一つを選ぶにもギスギスし、口論するようになってしまった夫婦を救ってくれたのは、産後の家庭訪問をしてくれた保健師さんでした。産後うつの可能性が高いことを教えてくれ、評判の良い精神科を紹介してくれました。この主治医の方には夫婦ともに今でもお世話になっていて、行き詰まった時に具体的なアドバイスをもらったりしています。

夫婦二人だけで息子の世話をしていた部分にもメスを入れてくれ、公的な子育てサポーター制度を紹介してくれました。かなり格安で料理や洗濯などの家事を代行してくれ、さらには子育ての悩みも聞いてくれます。この方の存在にも、本当に助けられました。

さらに我が家の生活を変えたのは、リサイクルショップで購入したベビーカー。赤ちゃんを連れて歩いていると、周りの人に声をかけてもらったり、親切にしてもらったりすることも増えました。夫婦だけの密室育児から、徐々に解放されたように感じます。

振り返ってみると、「夫婦だけでどうにかしようとしない」ことに気づけたことが、何よりも我々夫婦の産後クライシスを救ってくれたように思います。サポートを家族や周囲の人に頼みづらい場合は、専門の方や公的サービスを利用することもいいと思うんです。「生後100日戦争」ともいわれる最初の数カ月を過ぎて、育児はずいぶんと楽になり、そして夫婦の間にも笑顔がまた増えていきました。

リサイクルショップで購入したベビーカー

【クライシス2】息子の行動が分からない。発達の不安

この行動は何なんだろう? 他の子と違わない?

生後半年ごろからしばらく、本当に赤ちゃんらしいかわいさを発揮する時期でした。一緒にお出かけする回数も増え、子育てしていて楽しい時期だったように感じます。なんとなく、子育てって、大変な時期と楽しい時期が交互に来るような気がしますね。

生後9カ月から、0歳児保育をしている保育園に運よく受け入れてもらうことができました。生後3カ月ごろまでは育児に大きな不安を抱えていた妻も、仕事を再開することができ、かなり自分に自信を持っていたように感じます。

そんな中で、息子について気になることが増えてきました。それは、保育園の同級生と比べて、発達が遅いこと。周りの子どもたちと比べると、歩きはじめるのも遅いし、言葉が出始めるのも遅い

保育園の親子が集まって遊んでも、同級生のグループから一人離れて、公園の周りにある柵をグルグルするばかり。そこに一人で付き添って歩くのは、なんとも寂しいものがありました。

夫婦の話し合いは行き詰まり……

もしかすると、何か問題がある? いや、しかし、これは息子の個性なのかも? 悶々と悩みました。目が合うことも少ないような気がします。親の言うことがよく分かっておらず、こちらが困るようなことばかりしてしまうことが多いようにも感じました。あまりにもイライラして「嫌がらせでやってんのか……」とぼやいてしまうこともしばしば。

なぜ他の子のようにできないんだろう? そんな時、夫婦の間では「○○した方がいいんじゃないか」「もっと○○しない方が良いんじゃないか」いろいろと考え、話し合いました。答えはなかなか見つからず、話し合いはどうしても険悪な雰囲気になってしまいます。これもまた、一つのクライシスでした。

今思い返すと、そんな夫婦の姿を見ていた時の息子は、驚いたような、悲しいような顔をしていた気がします。

“違う”理由が納得できれば、親も変わる。

夫婦でそんな不安を抱えていた時、助けになったのは、乳幼児健診の個別相談でした。妻が健診に連れて行った日、「気になるところがあるから、また定期的に話に来てみてって言われたよ」と連絡が来た時、驚きや不安よりも、安堵感の方が強かったように思います。

そこからは、比較的スピーディーに進行しました。担当の保健師さんと心理士さんが決まり、数カ月ごとに様子を見てくれ、不安や心配事の相談を受けてくれました。専門の医療機関も受診し、検査も受けて、正式な診断をもらうことができました。

担当してくれたベテラン心理士さんは、本当に分かりやすく、息子の様子について解説してくれました。話していて、何度も目から鱗が落ちるような感覚を覚えました。分からなかった行動も、その理由が分かれば、親も安心できるし納得できるんです。

2歳5カ月ごろから、徐々に言葉が出始めました。専門機関での療育(簡単に言えば、本人が苦手な部分をカバーしていけるような関わり)が始まると、息子はその時間を本当に楽しんでくれました。アドバイスのもと、関わり方のコツを少しずつ家でも取り入れていきました。

子育てを抱え込まず、はるか未来を考え過ぎず。

外出先でのパニックやトラブルも、少しずつ落ち着いていき、息子の大好きな電車や消防車などの乗り物を見に行ったり、飛行機などを使った旅行も楽しめるようになりました。子育てがつらかった時期がひと段落して、また子育てを楽しめる時期になりました。


息子の様子"息子の様子


心のよりどころにしている言葉があります。「子育てを家族だけでしようと思わなくっていいんです。私たちも含めて、みんなでしていけばいいんですよ」という一言です。自分たちだけで息子をどうにかして"普通の子"にしようとしていたら、それは息子にとってとてもつらい経験になってしまったと思います。専門家も含めて、いろいろな人の力を借りながら、みんなで支え合って、育てていけばいいんです。

もちろん、何も問題がないわけではありません。保育園でお遊戯や集団行動ができない時もあります。突然見せるこだわりに、手を焼くことも多くあります。そして、これから、どこまで彼が成長していくのか、将来どんな人生を歩むのか、それは、本当に未知数です。

ただ、ベテラン心理士さんは「遠い未来のことではなく、半年先のことを考えて、息子さんに関わっていきましょう」とも言ってくれました。誰だって、どんな人だって、遠い将来のことは分かりません。ただ、今自分たちができることとして、半年ほど先のことを見据えて行動していけば、それほど大きな間違いはしないだろう、我々夫婦もそう思っています。

【クライシス3】仕事と家事育児、どっちも大事でどっちも大変

夫の不定期連載媒体で、妻がまさかの連載開始!

医師や心理士といった専門家の方々による定期的なサポートや、療育への通所によって、息子の突飛に見えていた行動への親側の不安やパニックは、ずいぶんと軽減していきました。

それと並行して、夫婦ともに、仕事が忙しくなっていきました。そして意外な展開もありました。自分が不定期に連載をしているウェブ媒体で、夫婦コラボで子育てマンガについての記事を掲載することに。そこから始まって、妻が同じ媒体で連載を開始することになったんです。

結果的に、3年以上の期間連載は続き、しかもペースは基本的に週刊。初めての週刊連載には大きな戸惑いもあったようですが、着実に人気は上昇。パートナーとしては誇らしく、同じ媒体に寄稿するライターとしては多少のジェラシーも感じました(笑)。

ただ、週刊で漫画を連載するというのは、想像を絶するほど大変なものなのです。一週間のうちにテーマを決め、ネームを切って、担当編集者の直しが入り、ペン入れが終わったら、フルカラー原稿なので全コマ丁寧に色塗りをして……。

妻の作業時間は、夜に息子が寝静まってから明け方まで、という日も増えていきました。朝はなかなか起きられず、仕事に行く前の私が、朝食の用意や息子の身支度をする日もしばしば。さらに私が夕方に帰宅すると、原稿が終わらない妻に頼まれて、夕食を作る日も増えました。

こんな日が、たまに一日二日であれば、大きな問題ではないんです。ただ、自分自身の仕事が忙しい時期と、自分が家事育児を多く担当しなければならない日がかち合うと、どうしても夫婦の衝突は増えるんです。「なんでここまでやらなきゃいけない?」「分かったよ、やればいいんでしょ!」「そんな言い方しなくてもいいでしょ!」なんて言葉が飛び交います。ここでまた、クライシスが訪れました。

風景写真

大事なのは、ともかく話し、共有することだった

そんな中で、我々夫婦が少しでも状況を改善するためにしたことは、「ともかく話し、共有すること」です。目の前のパートナーが不服そうな顔をしていると、自分に何か不満があるの?と考えてしまうことも多いものです。そんな時でも、しっかり話してみると、実は仕事の問題で悩んでいたり、この先のスケジューリングで悩んでいるだけ、という場合もあります。

二人で、お互いの抱えている問題を共有することで、相手に対しての不満や怒りではなく、それぞれの抱える問題に協力して立ち向かえるようにもなれば、愚痴を聞いたり、一緒に解決策を考えたりすることもできます。

そしてもう一つ共有したのは、バイオリズム。妻は、生理前に簡単に怒りをあらわにしたり、突然ふさぎ込んだり、ということが増えました。いわゆるPMS(月経前症候群)・PMDD(月経前不快気分障害)です。PMS時期と仕事が佳境を迎えている時期が重なると、手負いの獣のような精神状態になってしまうんです。

そこで、とても単純な共有方法ですが、我が家のカレンダーには、PMS期間にマークをつけています。夫婦喧嘩になりそうな時や、口論がエスカレートしそうな時に「そういえば今、PMSだよね?」と気づけば、しばし休戦して距離をとる、ということができます。定期的な不仲に悩むカップルには、バイオリズムの共有は是非オススメしたいです。その裏に、PMS・PMDDが隠れている場合もありますから。

そしてまた、クライシス

2019年いっぱいで妻の週刊連載が終わり、時間的な余裕も出てきました。2020年4月から、息子はいよいよ保育園の年中さん。就学に向け、医師や療育機関との相談もしていかないと……と思っていた直後、我が家にまたクライシスが訪れました。

妻が息子を乗せた電動自転車を動かしている時に転倒。左足首を完全骨折してしまいました。骨折翌日に入院し、数日は実家に帰ったものの、妻の入院中はほとんど自分と息子の二人暮らし。もちろん家事は自分のワンオペ状態です。

母親のいない寂しさもあってか、わがままを言いがちな息子と、慣れない完全ワンオペ育児に忙殺される私が衝突することもしばしば。さらに、手術期間は妻のPMS期間とバッティング。手術前夜にはLINEで大衝突してしまいました。同時進行で、世界中に広がる新型コロナウイルス問題。我が家のクライシスに追い打ちをかけてきます……。

家族の写真

2週間弱の入院と自宅療養生活を経て、妻の足首の骨折はかなり回復してきています。リモートワークにも慣れていて、現状大きな混乱なく仕事を進められているようです。頼もしい限りです。

基本的に家にいる息子のためには、療育で楽しんでいる室内トランポリンを購入してみました。他にも、粘土やぬり絵を楽しんだり、洗濯もの干しのお手伝いをしたり、アパート裏の草に水をあげてみたり……。彼なりに少しずつ成長しています。

自分はと言えば、飛んでしまった案件があったり、取材に出ることができなかったりするなど、なかなか苦戦中でもありますが、こうして原稿を執筆したり、もちろん、中心になって家事を回したりしています。

クライシスは、来ないに越したことはありません。でも、自分たちを成長させるきっかけになることも確かです。こんなご時世なので、人を頼るのも難しいですが、それでも、孤立だけはしないようにしたいと思います。そして、家族で、いろいろなことを共有しながら、どうにか、どうにか、それぞれのクライシスを一歩ずつ乗り越えていければいいな、と考えています。
 

著者:鈴木妄想

鈴木妄想

1977年生まれ。埼玉県出身。ライター/ブロガー。2004年、はてなダイアリーにてブログ「鈴木妄想なんじゃもん」を開設(2018年に、はてなブログ「続・鈴木妄想なんじゃもん」に移行)。日本各地・アジア各国のアイドルシーンやサブカルチャー/ポップカルチャーについて独自の視点で語り続ける。現在はエンタメ領域のみならず、育児・子育てについても発信中。著作に「新大久保とK-POP」(2011年,マイコミ出版)。
Blog:続・鈴木妄想なんじゃもん
Twitter:鈴木妄想/suzukimousou (@suzukimousou) | Twitter

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編集/はてな編集部

*1:参照:https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/200/130947.html

*2:一般的に、分娩後、女性の体が妊娠前の状態に戻っていくための時期を指す

「老後のこと」は考え過ぎてもしょうがない。60代の私が積み重ねてきた仕事と生活

『58歳から日々を大切に小さく暮らす』(すばる舎)

「◯年後、自分はどうなっているんだろう?」と考えたり、「今後のこと、どう考えてる?」という質問にうまく回答できなかったりと、将来に対して不安に感じる方はいるのではないでしょうか。世相の変化によって働き方が予期しない方向にいくこともある今、分かりやすいロールモデルがなくなり、キャリアプランはもちろん老後の生き方もイメージしづらくなりつつあります。

60代一人暮らし 大切にしたいこと」というブログを書くショコラさんは、42歳で一人暮らしを始め、現在はパート勤務。別居、離婚を経てパート勤務から契約社員、正社員、そして再度パート勤務という働き方をしたショコラさんは、女性が結婚して会社を辞める「寿退社」が当たり前だった時代から、その時々に応じて「仕事」を選んできています。

著書『58歳から日々を大切に小さく暮らす』(すばる舎)では、「起こるかどうかわからない将来のことを考えて心配するより、今ある毎日を積み重ねていくことが老後につながると思っています」と語るショコラさん。漠然と「将来のことが不安」だと感じる方々に向け、これまでの働き方の変化、そして将来をどう考えるかについて書いていただきました。


こんにちは。ショコラと申します。42歳の時に生まれて初めての一人暮らしを始めたことをきっかけに、パート、契約社員、正社員……とさまざまな働き方を体験。57歳の時に会社を辞め、現在はパート勤めをしながら、老後を見据えて家にあるものを整理したり、住みやすい部屋にするための工夫をしたり、楽しい時間の過ごし方を考えたりしています。

今回、りっすんさんから「これまでの働き方について振り返っていただけないか」とのご依頼をいただきました。私が普段心掛けている節約やシンプルな暮らし、“老前整理”などの生活についてはブログで発信してきましたが、自分の働き方についてじっくり考えたことはなかったかもしれません。あらためて、社会人になってから現在のパート勤めになるまでのあれこれを考えてみました。私の体験が皆さまの参考になれば幸いです。

高卒で就職し、寿退社……それでも「外で働きたい」と思った

私は高校を卒業してから就職しました。女性がキャリアを積んでいくことは少なく、結婚して会社を辞める、いわゆる「寿退社」が当たり前だった時代のことです。実家暮らしで、自分の稼ぎだけで生計を立てるなんて、全く考えたことがありませんでした。当時は一人暮らしをする女性自体が少なく、結婚するまで働いて、寿退社して、老後は年金暮らしで……と考える人が一般的。20年~30年後のことを視野に入れる人や「手に職を付ける」という人は、そこまで多くありませんでした。

6年間OLとして働き、結婚して会社を辞めました。その後すぐに男の子を2人産み、子育てをしながら、専業主婦として暮らす日々。外に出るのは子供2人を連れて実家に行く程度で、あとは自宅と近所の公園、スーパーをぐるぐる回る毎日でした。

そういう状況で「外で働きたい」という気持ちが芽生えました。

これも時代背景かと思いますが、当時は「フルタイムで働くお母さん」はもちろんのこと、「パートで働くお母さん」も少なかったのです。それでも外に出たい、働きたい、と思ったのは、家計を支えるためという理由ももちろんありますが、自分のために使えるお金も欲しいと考えていました。子供が小学校に上がったのを機に、子供が学校から帰ってくる頃には家にいられるようなパート勤務から始め、成長に合わせながらフルタイムに近い形で働きました。

42歳で生まれて初めての一人暮らし。目の前のことに向き合って不安が薄らいだ

42歳の時に、別居での一人暮らしをスタートさせました。

夫婦が離婚や別居をする場合、子供は母親と一緒に暮らすことが多いように思います。ただ、私の場合、住んでいた家が義家族の家だったので、私が家を出る形になり、子供たちが成人するまでは離婚しないでおくことにしました。その影響で子供たちの生活が変わることだけは避けたく、近所にアパートを借りました。元の家に通って、夕飯を作って一緒に食べたり、お弁当を作っておいたり……。その一方で、別居したことにより、「妻」「主婦」という役割から解放され自分らしさを取り戻した! という気持ちが強くありました。そして、誰にも頼らず、自分だけの力で生きていかなくちゃならないと覚悟をしていました。

引っ越しでお金も使ったし、パートで生活していくのは身体的にも金銭的にも厳しく、たまたま新聞広告で見かけた化粧品メーカーの営業職の求人に応募し、契約社員として採用されました。

ぎりぎりのお給料で暮らしながら忙しく働く中で、それまであまり考えてこなかった「人生のこの先のこと」を考えるようになりました。普段は毎日の生活のことでせいいっぱい。貯蓄に関する知識にも疎く、お金の大切さを知っておくのは大事だと痛感しました。ふとアパートにいる時、「貯金もほんの少ししかない。この会社にいつまでいられるだろうか。そもそも契約社員で何の保証もない」といっぺんに不安が押し寄せてきました。その時に、こう思ったんです。

「何十年後に自分がどうしているか?と考えるから不安になる。どうしようもなくなったら、死んじゃえばいいんだ」

不思議なことに、そう思ったら不安な気持ちが薄らいでいきました。それまでの40年間、後悔することもあったけれど、自分の考えで行動して、やりたいこともやってきた。子供も育てて、友人にも恵まれて、いい思い出もいっぱいある。そんな人生を過ごしてこられたから、お金も住むところもなくなったら消えてしまえばいいって思ったんですね。

起こるかどうかわからない未来に対してくよくよ思い悩んだり心配したりするより、「いま目の前にあることをこつこつ頑張っていこう」と前向きになれたことを、よく覚えています。

ハードな営業職に飛び込んで

それまで経験のなかった営業職に就いたのは、とにかく自分で稼いで生活をしていくためでした。目標の数字がしっかりありますし、売上の数字が上がればお給料も上がり、働くのは楽しかったです。

年齢を考えるとこの先違う仕事が見つかるかどうかわかりません。どんなに無理難題なことを言われても引き受けよう、辞めるわけにはいかない、これしかないんだ、と考えていました。飛び込み営業や肌診断、サンプルの配布、商品の配列まで何でもやりました。パソコンは全然使えなかったのですが、PowerPointでの資料作成も勉強してこなしました。正社員への登用後、より忙しくなって、やらなければならないことが増えました。とにかく働いてお金を貯めようという気持ちが先に立っていました。

というのも、その頃にマンションを購入していたからです。貯金もなく日々の暮らしでせいいっぱいだった私は「家を買う」ということは考えてもみませんでした。最初に住んだ1Kのアパートからもう少し広い部屋に移りたくて、賃貸の物件を探していた頃に、「将来のことを考えた方がいい」と親身になってくれた友人がマンションのちらしを持ってきてくれたのです。

マンションの価格が底値の時期だったこともあり、一番安いシングル向けの部屋なら買えるかもしれないと考えて、無理のないようにローンを組みました。もしローンを払えなくなったら、人に貸すか、売却しようと考えていました。給料で返せるめどがついたタイミングでとにかく返済しまくって、返済が完了したのは56歳の時。おそらく終の棲家になるはずです。

ショコラさんの部屋

営業職の仕事のことを振り返ると、なぜかやりがいがあったことばかり思い出します。大変なこともつらいことも多かったはずですし、営業に行ってもけんもほろろな対応の店だってありました。それでも、売上が上がること、リピートで注文してもらえること、お店の売上に貢献できて喜ばれること、すべてが自分に自信が持てる要素になります。営業という仕事だったからこそのやりがいだったかもしれません。

自分で「これまでの働き方に納得」してからパート勤めへシフト

やりがいを感じながら働いていた仕事を辞めたのは、57歳の頃です。「あと3年続ければ」と言ってくれた人もいたのですが、体調不良やストレスなどさまざまなことが積み重なり、思い切って働き方を変えようと決意しました。

53歳のある日、朝目覚めた時に突然めまいがして、起き上がれなくなりました。それが1週間続いてやっと近所の病院へ行ったら、結果は更年期障害の症状。さらに子宮がんになりかけていたということも判明。当時は上司と部下との間に立つ役職、かつ自分自身の仕事も忙しい状況だったのに、さらに「営業所長」に任命され、断り切れず……。

当然ですが、営業所長という立場では営業所全体としての目標を持つことになります。ずっと現場仕事だった私にとっては、自分の力量以上のものを求められているような気がして、とてもつらかった。情けないことですが、会社に申し出て営業所長からは下ろしてもらい、ヒラの営業に戻りました。その後は仕事をしながら新人教育などをしていたのですが、会社の方針が変わったことなども併せてストレスが続いたせいか、56歳の時に帯状発疹にかかってしまいました。

このまま仕事を続けていたら、もっと大きな病気になるかもしれない。そして、働けなくなってしまったらどうなるんだろう……。自分の働き方を不安に思い始めてから、気持ちがついていかなくなってしまいました。思い切ってセミリタイアしてパートで働けば、働く時間が決まっていて大きなプレッシャーはないだろうと、自分で納得した上で化粧品メーカーを退職しました。

それから、ハローワークで探したパートの仕事に就きました。覚悟はしていたつもりだったのですが、ボーナスはもちろんなく、年収が3分の1くらいになってしまって、半年ほどの間は率直に言って、「辞めなければよかった」なんて考えていました。「辞めよう」と考えて納得して決めたことなのに、忘れてしまうんですよね。

後悔の気持ちを抱える中で、たまたま新聞に載っていた書籍の広告から、禅の言葉(禅語)の一つである「大地黄金」というフレーズを知りました。「大地黄金」は「自分が置かれている場所で、せいいっぱい尽くしなさい」という意味の言葉だそうです。これがとても励みになり、私の気持ちを変えてくれました。会社の中で私が担うのはほんの一部分ですが、それを一生懸命やろうと捉えられるようになりました。いまでは、納得するプロセスを経たからこそ、自分で働き方を決められるようになったのだと思っています。

高校時代のアルバイトを含め、仕事運には恵まれていました。それぞれの仕事でその都度、自分自身が「働くこと」を通じて成長してきたように感じます。どの仕事も良いことばかりではなかったはずなのに、いま思い返して浮かんでくるのは、楽しかったことが多いのです。特に、化粧品メーカーの営業職というハードな仕事が、いまの「なんでも前向きに考える」私を作り上げてくれたのだなと感じます。

将来のことを考えるよりも、いまのことを積み重ねよう

60代のいまはパート勤めをしながら節約したり、住まいを整える工夫をしたりして、楽しく暮らすことができています。しかし、70代、80代をどうしたいかについては、特に考えていません。体力は落ちるし、そもそも生きているかどうかもわかりませんね。現実的な課題としては、どのように歳を取るとしても、金銭面のやりくりは大事。もし一人で暮らすのが困難になったら、住んでいる部屋を売り、老後のための貯蓄を使うことも考えています。

いまの30代~40代の方は今後のことについて、「もう年金などはもらえないかも」など考えがちなのではないかと思います。そういう時は、「将来のことを考え過ぎてもしょうがないから、いまできることを一生懸命考える」と捉えてみるのはいかがでしょうか。起こるかどうかわからないことばかり考えると、とてもつらくなります。将来のことは想像することしかできません。

自分自身のこれまでを振り返ってみると、私は、生きていく上で、経済的にも精神的にも「自立すること」がとても大事だと感じました。経済的にいきなりすぐ自立といわれても、難しい環境にいる方もいらっしゃるかもしれません。そして、人間は一人で生きてはいけないのももちろんわかっています。

その上で、自分は一人でも生きていけるという自立した気持ちを持ちながら生きていくことが、自分の存在を自分で認めることにつながると考えています。自分が安心できる環境ができれば、周りの人のことも認めることができる。そうして、平凡ではあっても「存在する価値」を認められるようになると、「今日の暮らし」を積み重ねていく気持ちになれるのではないか、と思います。

将来への不安がふと頭をよぎったら

20代で抱いた人生の不安は、40代から怖くなくなった
20代で抱いた人生の不安は、40代から怖くなくなった

私たちにとって仕事は「思い出づくり」のようなもの──阿佐ヶ谷姉妹の仕事観
私たちにとって仕事は「思い出づくり」のようなもの──阿佐ヶ谷姉妹の仕事観
「向いてる仕事」が分からなくなったら、「信頼している人」に見つけてもらうのもいい
「向いてる仕事」が分からなくなったら、「信頼している人」に見つけてもらうのもいい

編集/はてな編集部

著者:ショコラ

ショコラ

2016年、60歳のときに始めたブログ「60代一人暮らし 大切にしたいこと」をスタート。「老前整理」として始めた物の整理を、逐一ブログで報告。等身大の目線からつづる暮らしに共感が集まり、シニアブロガーとしては異例の月間60万PV。

子供が高校生だった42歳のとき別居、5年後に離婚。パート主婦から一転、バリバリの営業ウーマンとして自活してきた。57歳で退職、現在はパート勤務。30代後半の2人の息子とは、今も頻繁に交流。ネットやムックでも取材を受け、『ひとり暮らしの時間とお金の使い方』(主婦の友社)に著者として参加。

ブログ:60代一人暮らし 大切にしたいこと

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のんびり働きたい。仕事を頑張りたくない私がひとつだけ意識していること

 チェコ好き

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自分はのんびり働きたいタイプだというチェコ好きさん。しかしフルパワーで仕事に打ち込む周囲の人たちを見ると、ふと「自分の頑張り方」に疑問を持つ瞬間があるそうです。

周りを気にせず、自分のペースで頑張ることは難しいのでしょうか? 1冊の本と、以前旅したシチリア島でのある出会いを振り返りながらつづっていただきました。


新型コロナウイルスの影響で在宅勤務が基本になったのをいいことに、ここ最近、ほぼ毎日30分〜1時間程度の昼寝をしている。決して睡眠不足というわけではなく、夜もきっちり8時間くらい寝ているのに、である。

「シエスタだわよ!」とでもいえば格好はつくのかもしれないが、うっかり3時間くらい昼寝をしてしまい夕方に目覚めた日には、自分はとてつもなく怠惰な人間なのではないかと地の底まで落ち込んでしまう(が、翌日にはケロリと忘れてまたすやすや昼寝をしている)。

一方、私の周りには「実は裏で影武者みたいなのを5人くらい雇っているのでは?」と思うほど忙しく見える人が少なくない。企業の第一線でバリバリと活躍している人、本業とともに副業でもがっつり成果を出している人、誘いが多く飲み会にライブにキャンプにとアクティブに動き回っている人(この時期はZoom飲み会)、仕事と同時に子育てにも忙しく、最新の家電やガジェットや家事サービスを使いこなしつつ両立している人。

彼らの様子を見ていると、スペイン人でもないのに呑気にシエスタを取っているのは、世界で私だけなのではないかという気になってくる。実際は五十歩百歩で、みんな見えないところでちょっとずつ手を抜いているのだというわずかな希望を捨てずにこの文章を書いているが、それにしても私は、毎日のんびり過ごしすぎなのではないか

真面目な話、フルパワーで頑張るタイプの人たちは、そのこと自体に罪はないとはいえ、心や体の都合でゆっくり療養したい人や、さまざまな事情で少しセーブしながら働きたい人に、プレッシャーを与えてしまうことがある(私はただ怠惰なだけだからいいけど)。反対に、のんびり働いている人や昨今の「働き過ぎは良くない」という風潮は、仕事が「趣味」と思うくらい大好きで、本当は早朝から深夜までもっともっと働きたいと思っている人に、これもまたプレッシャーを与えてしまっていることがあるらしいと聞く。

そういう意味では、誰もが「自分の”頑張り方”はこれでいいのか?」と首を傾げており、心のどこかでプレッシャーや焦燥感を抱えている……のかもしれない。

早くても、遅くても、フルパワーでも、のんびりでもいい。それぞれがそれぞれにプレッシャーを与えず、みんなが自分のペースで頑張れる社会を実現するのは、難しいのだろうか。

シチリア島で出会った女性と、その赤ちゃんのこと

赤ちゃんの手

話は変わって、数年前、イタリアのシチリア島を旅行していた時のことだ。大通りに面した店で買ったほかほかの揚げパンを、店外に設置されたテーブルの近くでむしゃむしゃと食べていた。すると、赤ちゃんを抱えたふくよかな女性が近づいてきて、「シニョーラ、シニョーラ」と呼びかけながら、私の目の前に右手を差し出すのである。

「シニョーラ、私とこのスイートなベイビーに、どうかお恵みを!」

イタリア語なので正確には何を言っているのか分からなかったが、女性は、物乞いだった。私の腕や顔をべたべたと触りながら早口で何かを捲し立てたり、右手をさかんに差し出して「お金ちょーだい」の仕草をしたり、スイートなベイビーにわざとらしく私の前でちゅっちゅっと口づけをしたりする。

お腹に2人目の子供がいるらしく、丸々としたお腹を指差しては、「あ〜もうすぐ2人目が生まれるのに! お金がない、お金がない」とアピールするのも忘れない。海外で物乞いにお金をせがまれるのは初めてではなかったけれど、腕や顔を触られるという接触系の物乞いは初めてだったので、私は最初、けっこうビビっていた。

ただ、女性に申し訳なさそうな雰囲気がまったくなく、また女性の抱えている赤ちゃんが、おむつのCMに出てきてもおかしくないくらいかわいくて、天使のように終始ニコニコしていたせいだろうか。不思議と、悲壮感はなかった。ビビりながらも強メンタルでその場にとどまり揚げパンを食べ続ける私以外にも、女性は、通りかかるたくさんの通行人に無差別に声をかける。みんな無視するのかと思っていたが、観察していると、意外にもたくさんの人が、女性にジャラジャラと小銭をあげていた。

結局、天使のような赤ちゃんに「お金ちょーだい」と右手を差し出されたのに根負けして、私は彼らに2ユーロを渡した。すると、感謝されるどころか「これだけ? もっとちょーだい」と(イタリア語で、たぶん)不満気に言われ、さらにスイートな赤ちゃんにも心なしか口をとがらせたような表情をされた。

しかし「なんだよ、せっかくあげたのに」という気持ちはなぜだか湧いてこず、「勘弁してよ」とジェスチャーで伝えたあと、私はなんだかちょっと笑ってしまった

物乞いに対する「うしろめたさ」の正体

なぜこんな話を挟んだのかというと、松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)に、少し似たエピソードが登場するからである。松村さんは、エチオピアで長くフィールドワークを続けた経験を持つ文化人類学者だ。

エチオピアを訪れた日本人は、まず物乞いの多さに戸惑うという。道で足を止めると、赤ちゃんを抱えた女性や、手足に障害のある男性が近付いてくることがある。しかし、日本人は物乞いにお金を渡すことに慣れていない。「みんなに与えることはできないから」「気の毒だが、与えることは彼らのためにならないから」といって、結局は彼らを無視してしまう。

物乞いにお金を渡すことについて、松村さんはちょっとした「うしろめたさ」を感じられるかどうかが、わりと大切なのではないかと言っている。松村さんいわく、物乞いにお金を渡すのは善行などではなく、不当に生じた格差を、わずかながら埋めているにすぎない。そこで生じている感情は「うしろめたさ」だと。彼らにお金を渡すことを善行と考えることは、逆に、彼らをおとしめる。最初はお金を渡すのに慣れず代わりにガムを配っていた松村さんも、エチオピアでの生活が長くなるにつれ、徐々に現地の人と同じように、ポケットにある小銭を渡すようになっていったという。

旅先の海外で物乞いにお金を渡すことの是非は、今回は考えない。ただ私はこのエチオピアの話を読んで、赤ちゃんを抱えた女性に2ユーロを渡したのにあまり感謝されなかったこと、またそのときに自分がちょっと笑ってしまったことを、少し肯定的に捉えられるようになった

私と女性と赤ちゃんは、それぞれが対等な存在だったのだ。まあ、だからといって顔をべたべた触るのは、ちょっとやめてほしかったけど。

どれくらい仕事を頑張るかは、あまり気にしなくていいのかも

話が逸れてしまった。もう一度、「自分のペースで頑張る」ということについて、考えてみる。

私がシチリアで物乞いの女性に会ったり、『うしろめたさの人類学』を読んだりして思ったのは、どれだけたくさん働くか、どれだけたくさん組織に貢献するか、どれだけ頑張るかは、やっぱりあまり気にしなくてもいいのかもしれないということだ。

仕事にどれだけ力や時間を注げるかは、個人の体力や境遇によって、どうしても限界がある。そして、その個人の体力や境遇は、必ずしも本人が望んだものとは限らない。

一方で私は今、自ら望んで非正規社員として会社勤めをしつつ、文筆業もやっている。自由になる時間は、おそらく正社員で働いていたり育児をしていたりする同世代よりも、多いと思う。だけど、自由な時間を読書や昼寝に費やしているからといって、私よりたくさん仕事をしている人、私よりたくさん努力している人に対して、うしろめたさを感じたくない。それよりも、シチリアで会った物乞いの女性や彼女が抱っこしていた赤ちゃんの方にこそ、うしろめたさを感じていたいのだ。

どこかの誰かは私のことを「そんなに低い意識でキャリアプランもロクに練らずにのんびりとしていたら、これからの時代は生きていけないぞ!」と思うかもしれないけれど、よりたくさん頑張る人の努力が報われてほしいと思う一方で、あんまり頑張らなくてもとりあえず死にはしない社会を実現した方が、どう考えたって健全だと思う。

のんびり働く私が意識している、たった一つのこと

さざなみ

さて、そんな感じでほぼ毎日昼寝をしつつのんびりと働いている私だが、自分の中で意識していることがたった一つだけある。

『うしろめたさの人類学』の著者である松村さんは、大学教員として教壇に立つ仕事を、対価を得るための「労働」だとは、なるべく考えないようにしているという。もちろん、働いてお金を得なければ暮らしは成り立たないし、活動を継続できない。お金はとても大切なものだ。一方で、教壇に立って学生たちに語りかける言葉を、相手を満足させるためだけの「商品」にはしたくないという。

どう受け取ってもらえるか分からない、何につながるか未定のまま。そういう、「贈り物」として渡したい。松村さんは、本の中でそう語る。

あまり大それたことは言えないけれど、私も実は、自分の仕事に対して似たような意識を持っている。非正規の社員として関わっている仕事も、そして文筆業の方も、相手を満足させるための「商品」としてだけではなく、できればたくさん、「贈り物」の部分を残しておきたい。

相手がどう受けとるか分からないし、何に使うか分からない。もちろん、私の仕事における影響力なんて、大きな海に小石を一つぽちゃんと落とす程度のものにすぎない。ただそれでも、その波紋の広がり方を、最後までしっかりと見届けたいとは思っているのだ。

これは、自分の仕事を好きになるとか、使命感を持って働くとか、そういうこととはちょっと違う。仕事が好きで楽しいならばそれに越したことはないけれど、私はやっぱり、「めんどくさい」「働きたくない」と感じる仕事でも、その小さな波紋の広がり方に本人がちょっとでも興味を持てるならば、働く理由がお金以外に一つでもあるならば、それはとても価値のある仕事だと思うのだ。

まあ、というか、世の中の仕事はだいたいめんどくさい。私も、できることなら30分〜1時間といわず、毎日3時間くらい昼寝したい。沼にはまるのが分かっているので手を出してないけれど、本当は3日間くらいずっとどうぶつの森だけをやっていたい。

周囲の人の働き方のペースや価値観が自分とは異なっていたとき、焦燥感に駆られることがある。その感覚を、完全になくすことはおそらく難しいだろう。その焦燥感のようなものは、一定程度は「あって然るもの」として、自分の心にモヤモヤと暗い気持ちが生まれてきても、おいしいものを食べたりそれこそ昼寝をしたりして、紛らわしてしまえばいいと思う。

ただ、暗い気持ちが一定程度を超えてしまったとき、思い直したいのは次のことだ。

自分が海に落とす小石は、いったいどのような波紋を描いているのだろう。

どれだけフルパワーでまい進するかではなく、またどれだけワークとライフのバランスを調整しながら働くかでもなく、波紋の広がり方に、わずかでも興味を持ち続けること。私が、シチリアで出会った物乞いの女性と、その赤ちゃんとつながり続けるには、こちらの方が有効なのではないかという気がしている。

もし意識できるならば、家で過ごす時間が長い今、それぞれの胸の内で「私は社会に対してどんな贈り物をしているのだろう?」と考えてみても、きっとバチは当たらないと思う。

私はこれからものんびりと、社会に贈り物を届け続けることにする。

「がんばる」ことに違和感を抱いたら

「みんな頑張っているから」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで
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仕事や人間関係で“無理をしない”ためには、「10年後の自分」を想像する
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私の窮地を救ってくれた「頑張らないを頑張る」という考え方
私の窮地を救ってくれた「頑張らないを頑張る」という考え方

著者:チェコ好き

チェコ好き

旅と文学について書くコラムニスト・ブロガー。1987年生まれ、神奈川県出身。HNは大学院時代にチェコのシュルレアリスム映画を研究していたことから。文筆業を行いつつ、都内のIT企業に勤務もする。

ブログ:チェコ好きの日記 Twitter:@aniram_czech

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編集/はてな編集部

私にとって銭湯は、自分のための時間を作り心身を満たす場所(文・はせおやさい)

 はせおやさい

※本記事は2020年3月初旬に企画し、原稿は緊急事態宣言が発出される前に書かれた内容です。日々刻々と変わる状況ではありますが、この事態が終息した際、銭湯という場所を訪れていただきたいという思いから、本文については執筆時の内容をそのまま掲載しております(編集部)



銭湯にハマって10年以上になるというブロガーのはせおやさいさんに、銭湯の魅力を紹介いただきました。

「お風呂に入る」以外にもさまざまなよさがあるという銭湯での時間の過ごし方。毎日慌ただしく過ごす中で、ほっとひといきつける時間を持つことで、心穏やかに過ごすひとときにもなっているのだそう。

今回は、はせさんの銭湯への想いほか、銭湯初心者が押さえておくといい「銭湯を利用するときの手順」と、都内で利用しやすい銭湯を紹介いただいています。

***

(はせ おやさいさんによる追記)新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、銭湯も公衆浴場という位置づけから休業要請の対象になっていないとはいえ、自主休業を行う場所も出ています。

銭湯とその文化に愛着を持つ身として非常に心苦しく、悩ましい状況ではありますが、この状況が終息を見せたとき、読んでくださった方が「そういえば……」と思い出し、生活の楽しみのひとつとして銭湯を選んでくれたら、と思います。

***

大きなお風呂に入る、ただそれだけの魅力

銭湯に通い始めて10年が過ぎた。家にお風呂はあるけれど、それでも銭湯に通ってしまうのには、いくつかの理由がある。

まず広い湯船。熱いお湯でたっぷりと満たされた湯船へ贅沢に体をひたす瞬間は、何ものにも代えがたい気持ちの良さがある。

そして天井の高さ。湯船につかって顔を上げると、高い天井の先に、湯気抜きのための小さい窓が見える。見上げたときの開放感は、自宅のお風呂ではなかなか味わえないものだ。

さらに掃除不要の手軽さ。自宅でお風呂に入ろうとすると、掃除やメンテナンス、準備の時間が必要だ。特に冬場は寒い脱衣所や冷たい浴室の床に体を縮こまらせなければいけないが、銭湯にはそれがない。暖房が効いた脱衣所で服を脱いだら、何も考えずにそのままシャワーを浴びられる気楽さ。

独身時代は毎週日曜日の夜には銭湯、と決めていた。これといった予定がない日は昼からスポーツジムに通い、汗をかいたジャージのまま銭湯に向かってお風呂に入る。お湯でのんびり体をほぐしたあとは持ってきた新しい服に着替えて、夕方の風に当たりながら家まで帰る。なにげないルーチンではあるけれど、平日は仕事や他人に振り回されている自分が、自分のために時間を使い、好きなように過ごせるという意味でとても豊かな時間だった。体をメンテナンスできているという実感は、精神の安定にもつながっていたのではないだろうか、とも思う。

さて、思いつくまま書いてみただけでもこれだけの魅力がある銭湯だけれど、ただ「お風呂に入る」以外の良さもたくさんあるのをご存じだろうか。

自分の体や体調とじっくり向き合える時間

銭湯の魅力の一つは、さまざまな種類のお湯と、水風呂やジェットバスなどの設備だ。たっぷりの熱いお湯で体を温め、水風呂で体を引き締める「交互温浴」は、自律神経のバランスを整える効果が期待されている。水風呂が苦手な人はたっぷりのお湯につかるだけでも、しっかり体を温めることができるだろう。

さらに、そういった銭湯本来の効果以外にも魅力なのは「スマホが持ち込めない」という点ではないかと思う。

スマホを持っているとつい情報収集をしてしまったり、なんとなくSNSを眺めて精神がざわついたりしてしまう経験は誰にでもあるように思うのだけど、銭湯では強制的にそれができない。脱衣所では脱いだ服と一緒にスマホをロッカーへしまい、鍵をかけてしまう。体一つで浴室に入ると、そこはただ「体をリラックスさせる」ための場として機能してくるのだ。

個人的にはこれがとても大きな魅力の一つで、同時に最初は戸惑ったことの一つでもあった。お風呂に入ると、気持ちがいい! この気持をシェアしたい! という感情が湧いたりする。他にもぼーっとあれこれ考えていると、あれ? これって何だっけ? ググりたい! という衝動に気付いたり。手元にスマホがないと、自分が思っている以上にスマホに依存していたことに気付く。

それが全て悪いわけでもないけれど、疲れる原因にもなって体には良くなさそうだし、何か思いついたときすぐインターネットに接続するのではなく、じっと自分の中で思考を巡らせたりする時間もあったっていいじゃないか、と思う。

短くても20〜30分、デジタルから切り離され、ただ体を洗い、湯船につかるというアナログな作業をしていると、過剰に摂取していた情報から切り離されて、ただシンプルに自分の体や体調と向き合える気がしている。最近太ったな、とか、肩こりがなかなか治らないなといったような、小さい体のサインを見逃しにくくなるのだ。

「個」から「地域」への接続点

そんなふうに銭湯を楽しんでいたので、引っ越しのたびになじみの銭湯を作るようにしていた。もちろん「こんにちは」と自己紹介をして仲良くなるわけではないけれど、毎週毎週通っていると、お互いにおのずと「あれ、この人……」という感じになってくる。特に番台(受付)さんは気付いてくれるのが早い。

「今日は冷え込みますね」「外はずいぶん風が強いみたいで」など軽い雑談を交わして、ああこの人はこんな声をしてこんな話し方をするのだなあ、と思うだけでも「知らない人」から「知ってる人」へスタンスが変わる。脱衣所でもなんとなく声をかけたりかけられたりして、話の流れから近所のおすすめの内科を教えてもらったことがあり、引っ越してきたばかりだった自分にはとてもありがたかった。

とはいえ、子供が生まれてから銭湯通いがなかなかできなくなって寂しいなと思っていたところ、ひょんなことからご縁がつながり、現在、高円寺の『小杉湯』という銭湯で月に1回『パパママ銭湯』というイベントをやらせてもらっている。

これは月に1回、毎月第3日曜日の営業時間内にボランティアスタッフが脱衣所に待機し、子連れのパパママの入浴をサポートしますよ、という企画なのだけれど、ありがたいことに遠方から来てくださる参加者も少なくない。

最初はお母さんと一緒に入らないと嫌だと泣いていた子供が、最後は一人で浴室探検をして地域の人に声をかけられたりしているのを見ると、とても心が温まる。場所に緊張して泣く子供を抱きかかえたお母さんに、地域のマダムが「赤ちゃんは泣くのが仕事だから、気にしなくていいのよ」と声をかけてくださったり、「うちの子も20年前はこうだったのよ〜」とお話ししてくださったり、子供を持つ親としても泣ける場面が多い。人は風呂上がり、なんとなく他人にも優しくなれるのかもしれないなと思う

そういうふうに、「地域のつながり」への入り口としても機能していると思うと、銭湯にはさまざまな側面があり、非常に興味深いなと思う。

覚えておきたい、銭湯の入り方の流れ

さて、ここまでわたしが感じた銭湯の魅力を書き連ねてきたけれど、いざ銭湯へ、と思ったときに、覚えておくと良い「手順」のようなものがある。

難しくはないのだけれど、「お風呂をみんなでシェアする」という場所ならではの、お互いへの気遣いのようなものだ。銭湯によってはローカルルールもあって面食らうこともあるけれど、そこは鷹揚(おうよう)に構えて受け入れていけると良いと思う。

◯湯船に入る前には「かけ湯」をするか、体を洗おう
湯船はみんなで使うものだから、汚れを落とした状態で入りたい。また熱いお湯にいきなり入る前に体をお湯に慣らしておく意味でも、髪や体を先に洗うのをおすすめしたい。

また、浴室に入ったら桶と椅子を持って空いているカランを探して着席するが、用が済んだら桶と椅子を片付けておくのも、後から来る人への気遣いとして覚えておきたい。

◯長い髪の毛はお湯につからないよう、まとめて入ろう
これも前述の通り、みんなの湯船だから、気持ちよく使いたい。髪の毛が長い人はだらりと垂らしてしまわないよう、結んで入るのが良いと思う。洗ってあって清潔な髪の毛でも、湯船に誰かの髪の毛が浮いているのは気持ちがいいものではないから、一緒に使う相手への気遣いとして。銭湯によっては、番台でヘアゴムを借りられたり買えたりもする。フェイスタオルで髪の毛をまとめておくのも良いと思う。

◯脱衣所に上がる前には体を拭き、水気を切ろう
濡れたタオルでも、よく絞れば体を拭くことができる。一番手軽なのは手ぬぐいを持ち込んで、体を洗うのも髪をまとめるのも、最後に体の水気を拭くのも手ぬぐい1枚で済ませてしまうことだ。フェイスタオルでも十分だと思う。脱衣所に上がる前、足の裏までしっかり拭いて、床を濡らさないように気をつけたい。床が濡れていると転んだりして危ないので、特にしっかりと。

生活に「ちょっとしたお楽しみ」を

毎日は忙しい。

日々の仕事や雑事であっという間に時間が過ぎるし、睡眠時間を確保するなら、のんびりお風呂につかるよりシャワーで手軽に済ませた方が圧倒的に早いのも分かる。普段の生活ならそれで十分かもしれないけれど、ただ生きるためだけに生活をしているわけでもない

日々にちょっとしたお楽しみを見つけたり、工夫を楽しんだり。忙しい生活の中で、自分のためだけに時間を使うことがあってもいい。そういう時間を持てること、持とうとすることが、「時間を豊かに使う」ということなのかもしれない、と最近は思う。

そういう「毎日を楽しく生きるコツ」のようなものが、「あと少しだけ生き延びるため」の勇気をくれるのではないかと思うのだ。

はせさんがおすすめする都内の銭湯3つ

■小杉湯(高円寺)

昭和8年創業。清潔さと、豪華すぎるほど行き届いたアメニティーが魅力。特に女性は化粧水から乳液まで準備があり、メイク台まであるので気軽に行けるのではないだろうか。JR高円寺駅から徒歩5分。2020年の春には『小杉湯となり』という複合施設も隣接してオープンしたので、お風呂上がりに寄るのも楽しい。

▶ 小杉湯のサイト

■清水湯(南青山)

こんなところにあったんだ…と思わず言ってしまう、表参道駅からほど近くにある「清水湯」。高濃度炭酸泉やシルク風呂など、お肌に優しいとされるお湯があるのもうれしい。また売店が充実しており、洗顔料や化粧水のパウチが販売されているので、荷物少なく足を運べるのが良い。風呂上がりのビールも楽しめる。

▶ 清水湯のサイト

■蒲田温泉(蒲田)

昔ながらのレトロな建物が魅力で、天然温泉に入れる銭湯。黒褐色のお湯が特徴で、肌はツルツル、体はポカポカに。シャンプーなどのアメニティー販売だけでなくオリジナルグッズの販売もあるので要チェック。

▶ 蒲田温泉のサイト

※施設の営業状況については、各公式サイトよりご確認ください

著者:はせおやさい

はせおやさい

会社員兼ブロガー。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログに綴っています。

ブログ:インターネットの備忘録

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編集/はてな編集部

写真協力/小杉湯

ブランク約8年。専業主婦を経て再び外で働き始めた私が、不安を乗り越え手にしたもの

イラストと文 スミカ

スミカさんアイキャッチ用イラスト

さまざまな理由で、一度仕事を「辞める」選択をした人は少なくないはず。また働きたい、と思ったときブランクが長かったり、環境によっては「大丈夫だろうか」と迷いが生じたりすることも。

東海地方在住のブロガー・スミカさんも、多忙を極める日々で家庭との両立に悩み、一度会社を辞める決断をしました。それから約8年振りに、デザイナーとして現在の会社にパート勤務として復職したというスミカさん。時折在宅でできるイラストの依頼を個人で引き受けていたものの「ほぼ専業主婦だったから不安だった」のだそう。どのようにして復職を進めていったのか、実際に仕事を再開して感じたことなどをつづっていただいています。

***

働き続けることって、難しい

「人を動かす広告を作るぞ!」と大きな野望を胸に、新卒でグラフィックデザイナーとしてデザイン事務所に就職した私。

多くの人が「知ってる!」と答えるようなクライアントとの仕事や、自分が携わった制作物を日常生活で見かけたときの喜び、優しく楽しい同僚に囲まれた毎日は、忙しかったけれど充実していました。そして25歳のとき、同じ会社の別部署の人と結婚。

結婚生活がスタートしたものの、夫も同様に忙しかったため、徹夜・深夜帰宅・休日出勤が続きすれ違いの日々。そのため、共働きの基盤をまったく築けず、家事に関しては「気になる方がやる」という流れに。夫が家事に関してほぼ無頓着だったこともあり、お互い忙しいということは理解しつつも、私の負担が増えていく形となっていきました。

そんな家庭内の家事分担に悩み始めた頃、立て続けに同僚が退職し、引き継ぎやら何やらで忙しさが加速。うまくまわせない仕事、なくなる自信、家に帰っても負担ばかりで安らげない……。正直、とても疲れていました。

「子どものことを考えたいけれど、とてもそんな状況じゃない」というのが、結婚して1年たった当時の素直な心境です。悩んだ末、デザイン事務所を退職する選択をしました。

退職後は少しだけ別の仕事に就き、長男の妊娠をきっかけに専業主婦になりました。子どもが生まれたら「一緒に子育て」を望んでいた私に対し、夫は「大黒柱として仕事を頑張る」というスタンス。「また外で働きたい」という思いを持っていましたが、夫の仕事状況なども考えると、現実的にはなかなか難しかったです。彼が頑張れば頑張るほど、私の孤立育児が加速する……そんな不安を感じていました。

ただこの頃、かつての職場からイラストの依頼を不定期で請けられたのは本当にありがたかったです。自宅保育をしながら、たまにではありますが「外とのつながり」を持てたことで、なんとか気持ちを保っていました。

在宅ワークのために一時保育を利用。肩の荷がふっと下りた

長男が幼稚園に入園する頃、次男を妊娠。次男出産後は、個人向けにブログのデザインやイラスト制作を在宅でするようになりました。

きっかけは、妊娠期の体験をシェアするために始めたブログです。さまざまなブログを見ていたとき、偶然にも「ブログパーツのデザイン」を在宅ワークで行う人がいることを知り、私も仕事としてできるかも! と感じました。

しかしこのとき、デザイン事務所を退職し約6年。デザイナーとしての経験値やブランクのことを考えるとなかなか一歩を踏み出せない……。そんな思いをブログで書いたら、育児ブログつながりで仲良くなった方が仕事を依頼してくれたんです。

この依頼がきっかけとなり、別の知り合いや、それまでつながりのなかった方のイラスト依頼も増えていきました。

依頼が増え嬉しい一方で、まだ小さい次男を見ながらの在宅ワークは作業時間の確保が難しく、限界を感じはじめていました。そこで、日中の作業時間を確保するために、一時保育*1の利用を始めました。

作業時間を確保するために利用を開始したけど、「自分の時間を持てた」ことが、本当に心が軽くなる経験でした。ずっとほぼ一人で自宅保育をしていたため、家族じゃない誰かがこの子の行動や成長を見守ってくれている「育児の共有者」ができたというのがすごく心強く感じたんです。謎の孤独感に襲われていたけれど、肩の荷が下りたような感覚がありました。

手続きの大変さや、何より地域によっては予約自体が大変、ということはもちろんあると思います。でも、もし可能なら是非利用してみてほしいな、と感じます(特にさまざまな事情で家事育児を一手に担っている方!)。

そして、家では私にべったりで甘えたがりの次男が、預け先の保育園では小さい子のお世話をし、お友達とワーワー遊んでいるという家とは違う一面があることも知れました。1対1の育児では甘えん坊でわがままな印象が強かった子の違う面を知ることで、家でべったりのときも「今は甘えてる時間なんだな」と大らかに育児に向き合えるようになったような気がします。

理想の仕事を見つけ「外で働く」ことを決意

2019年、長男は小学生に進学し、次男は3歳に。ここで、次男の就園問題に直面します。長男が通った幼稚園は長期休暇中の保育体制がなかったため、在宅ワークを続けるにしても、長期休暇の度に手が止まるのは自分の現状からすると不安でした。今後外で働くにしても、保育園を目指したい。

変わらず激務の夫と、未就園児含む幼い子どもがいて、かつデザイン事務所を辞めてからのブランクがこのとき約8年。正直、いきなりフルタイムでの復帰は難しい。私は外で働く? 働ける? ……と、迷いっぱなしでした。

そんなある日、求人サイトを見ていたら、私の住む地域ではなかなか見かけないデザイナー職のパート求人を発見。とある店舗のオンラインスタッフの募集でした。

働くだけだったら選択肢はたくさんある。でも、できることなら自分の好きに根付いた仕事がしたい。なかなか先行きが見えなかった自分の人生に道が見えた気がして、その晩、すぐにエントリーシートを送りました。

同じ時期、かねてから予約していた、育児や介護で離職してしまった女性の再就職を後押しする就労相談員との面談を受けました(ハローワークや女性の就労を支援してくれるところで開催されていると思います。個人面談以外にイベント内でのプチ相談会などもあります)。

就労相談員さんと相談している様子

どんな仕事があるのか、どんな働き方があるのか、この精神状態(実はパニック障害回復期でもありました)で働くことができるのか……などの質問とともに履歴書と職務経歴書を持参したところ、的確に修正箇所のアドバイスをもらうことができました。

また、次男の妊娠中に乗り物に全く乗れなくなってしまったため、面接に向けて電車に乗る練習を何度もしました。無理だと思っていたものができるようになって少しずつ不安が和らいでいき、自信にもつながりました。

緊張して挑んだ面接は同世代と思える女性の社長が対応してくれました。これまでのこと、これからのこと、子どものことなど諸々話をしたら「女性はどうしてもライフステージで働き方が変わってしまうものよね」と言ってくださり、「保育園が決まるまでは一時保育の予約がとれた日だけの出勤」というわがままな条件の私を採用してくれました。

ここで印象的だったのが、「ブログも書かれていますし、SNSにも興味があっていいですね。なにより書類が読みやすかったです」という言葉。ブログを書き続けていたことが自分の身になっていた、この数年が無駄じゃなかったと救われました。好きでやっていたことだけど、それが何かにつながるんだ、と感動すら覚えました。

採用が決まったことで、翌年に控えていた次男の就園については、保育園を目指し申し込みをしました(無事入園も決まりました!)。

好きなことへの探求は楽しい。働きはじめてからのこと

外で働き始めてからの日々はかつての自分がやってきた経験が生かせたり、今まで興味はあったけど挑戦できていなかったことが経験できたりの連続でとても充実しています。個人として受けられる評価、自分の成果が出せるのもうれしかった。もっともっと知識をつけ、ものにしたい!という気持ちになっています。

とはいえ、デザイン事務所で働いていた頃からソフトも進化し過ぎていて、最初はなかなか慣れず、とにかく作業に時間がかかりました。学ぶべき課題は山積みです。

正直、今は会社にどれくらい貢献できているかは分かりません。ただ、いつかはこの作業は私に勝る人はいない! と言えるくらいのポジションにつきたい(という野望だけは持っています)。

家族とのひとこま

私が通勤を始めたことで夫目線でもオンオフがきっちり見えてきたのか、協力要請がしやすくなりました。これは我が家にとってかなりのイノベーション! 夫はほぼ休みなく仕事の毎日だけど、朝は少しだけ時間に余裕があるので、可能な時は子どもたちの準備などをお願いできるようになりました。

正直、私たちは今まで「できないことは押し付けあう」みたいな感じでなんとかやりこなしてきた夫婦。ここに来てやっと共通の課題である「育児」において互いに不足を補って協力し合うことができてきたかな……と思っています。生活基盤というレベルで言うとまだまだといった感じですが、やっと「家族」らしくなってきたな、と感じています。

先の見えない不安から卒業するために、決断する

2020年度からは次男が保育園の年少クラスに入り、今はパートと在宅業務(個人事業)を自分なりにバランスをとり、相互でいい仕事を与えながら取り組めているのかな、と思います。

私は長い年月を経て土壌を整え、再び外で働くことを選びました。職歴にブランクがある場合、いざ復帰しようと思っても、大丈夫かな……と不安になる方は少なくないと思います。私もそうでした。

でも、「この先どうしよう?」という状態をずっと繰り返すことへの不安があったんだと思います。そして私は不安耐性が限りなくゼロ。未来の自分の不安を取り除くためにも、このタイミングで「外で働こう!」と決断したことは間違っていなかったと思います。

ただ、まだまだどうにもこうにも負担が大きい。それまでも不定期に在宅での仕事をしていたものの、がっつりと毎日のスケジュールとして仕事がある生活は、子どもを持ってからは初めての経験です。お互いの状況をもっと夫婦でシェアし、さらに子どもたちとも協力してやっていけたらいいな、と思います。

著者:スミカ

スミカ

7歳と3歳の男児を週6.5日ワンオペ育児中。荒れた部屋と上手く回せぬ家事育児に翻弄されながら、在宅でイラストの仕事をしています。昨年末から小売店のEC部門でパートデザイナーとして働き出した新米ワーキングマザー

※お子さんの年齢などは、2020年3月時点のものです

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*1:一時預かりとも言われる。保育所等を利用していない家庭においても、保育所、幼稚園、認定こども園等で一時的に乳幼児を受け入れる事業のこと。条件や利用にあたっては各自治体で異なる

ハードル上げ過ぎてない? 気負わなくていい「自炊」の考え方

 山口祐加

ある日の山口さんの一汁一菜

こんにちは、山口祐加です。SNSで日々の自炊を記録した「#今日の一汁一菜」や、常備食材に旬の食材や定番食材を5つほど買い足して、週3日の自炊で使い切るレシピ「#週3レシピ」などの情報を発信したり、料理初心者に向けた自炊レッスンを開催したりしています。

私が料理を始めたのは7歳の頃。母に「ゆかちゃん、料理してみたら?」と言われたのがきっかけです。ごはんは作ることが楽しい上に、お腹も満たされる。食いしん坊の私はどんどん料理が好きになり、高校生になる頃には友人を招いてご飯を作る……なんてこともしていました。外食も大好きですが、家で作るごはんは、やっぱりホッとします。


さて、これからのシーズン新生活がスタートする方や、新年度から気持ちも新たにがんばろう! と意気込む方も多いと思います。ただ、この時期よく耳にするのが「自炊を始めたいけれど、一人分つくるのは面倒でコスパが悪い」「仕事が忙しく、帰って料理を作る気が起きない」といった声。

自分の好きなものを自分の好きな味付けで食べられる自炊は、本来楽しい時間であるはずなのに、がんばりすぎて逆に疲れてしまっている人は少なくないように感じています。

それって、すごくもったいないな、と私は思います。

そこで今回は、料理の経験が少なくても、時間がなかなかとれない人にもきっと実践できる「疲弊しない自炊の考え方」について、ご紹介します。

(1)自炊は一汁一菜でOK! いろいろなバリエーションがあってもいい

「一汁三菜」という言葉を聞いたことのある方は多いと思います。ご飯と汁物、さらにおかずを三品組み合わせた献立のことで、和食の基本と言われていますが、仕事から帰ってきてたくさんのおかずを用意するのは大変ですよね。

そこで私は、「一汁一菜」をオススメしています。ごはんを中心に汁物1品、おかず1品を組み合わせた食事スタイルのことを指しますが、料理研究家・土井善晴先生の著書『一汁一菜でいいという提案』(グラフィック社)では、味噌汁を具だくさんにすれば、それだけで十分におかずを兼ねる、という提案もされています。

私の場合も、「#今日の一汁一菜」というハッシュタグで自炊ごはんをほぼ毎日SNSに投稿しているのですが、その献立は必ずしもご飯と汁物とおかず1品という構成になっていないことが多いです。

例えばカレーにはご飯だけじゃなく、おかずとしての具も入っているし、ルウはスープと言えなくもない。それならもう、カレーは一品で一汁一菜と言えるんじゃないか、と思っています。

おでんを煮物と捉える人もいれば、“具だくさんスープ”と捉える人もいるんじゃないでしょうか。そうなると、煮物も一汁一菜と言えそうですよね。ちなみに、最近はトーストとコーヒーも一汁一菜でいいんじゃないかと思い始めました(笑)。そんな感じで、一汁一菜を自由に、広く捉えています。

バタートースト、いろいろ野菜とウインナーのスープ

そんなにテキトーな考え方でいいの? と思われるかもしれませんが、自炊って、それくらいおおらかに考えていいことなんです。「さあ、料理するぞ!」と毎回気合を入れていては、続けることはなかなか難しいのではないでしょうか。

一汁一菜の応用版:「時間差一汁一菜」

自炊がラクになる考え方として「時間差一汁一菜」ということも実践しています。私はおなかが空くと何も考えられなくなってモンスター化してしまうので、仕事が遅くまでかかってしまったときなどは、帰宅するまで空腹を我慢できないこともしばしば。そういうときはとりあえず帰宅前に何か軽く外で食べます。例えば回転寿司でお寿司を少しだけ食べて、帰宅してからサラダと味噌汁を食べる。これで、足せばちゃんと一汁一菜になっている……という考え方です。「全部を自宅で用意しなくてもいい」という考え方って、結構気持ちがラクになりませんか?

(2)「型」を決めることで自炊のハードルはぐっと下がる

仕事から疲れて帰ってくると、冷蔵庫の中を見ながら何をつくろうか考えること自体が面倒になってしまいがち、という人少なくないはずです。なぜそうなるのかというと、献立の候補が無数にあって迷うからだと思います。

そもそも、材料を買うところから選択肢は無数にあります。どの野菜を買えばいいのか、肉はどの部位を選べばいいのか……自炊に慣れていないと買い物の時点で疲れてしまいます。そこで提案したいのが、自分なりの「型」をつくること。

私の場合は一汁一菜ですが、そういう型を持っていると「決める大変さ」がグッと減るはずです。

例えば私の知人には母親と一緒に住んでいる人がいて、自宅に帰ると母が毎日何かしらのスープをつくってくれるそう。そのスープにご飯を入れて食べたり、キムチクッパにしてみたり、リゾットにしてみたりと、「スープをベースにアレンジする」ことが型になっているわけです。他にも「毎日、鍋を食べる」という友人もいます。「鍋」という型があれば、あとはそこに何を入れるのかを考えるだけでいいわけですからラクですよね。

「型」は何だっていいと思います。ご飯が好きな人は毎回丼にするとか、麺が好きなら毎回麺類にするとか、なんでも良いので一つ型を決めておくと良いですよ。もちろん、型は破ってもOK。あくまで自炊で疲弊しないための型なので、絶対に守らないといけないというものでもありません。

(3)食材は買い過ぎない。既製品に手を加えるでも◎

自炊は毎日やらないといけないわけではありません。私も外食が大好きだし、買ってきたものを食べることもあります。最初は無理をせず、週3日くらいを目安に自炊を始めてみるのがおすすめです。

そのときに大事なのは、材料を買い過ぎないことです。ほぼ同じ値段でも、量が少ない方を買うようにしたいところ。例えば卵なら10個パックじゃなくて6個パックを選びます。冷蔵庫の中で面倒を見なきゃいけない子を減らす、みたいなイメージです。

自炊を始めたときにやりがちなのが、「もしかしたら使うかも?」とたくさん材料を買い込んでしまって無駄になってしまうこと。さらに、買い過ぎた材料に献立が左右されてしまうので、その日に食べたいものが食べられなくなってテンションが下がることもあります。

納豆ごはん、かぶと油揚げのみそ汁

カット野菜を活用したり、忙しい週は豆腐やウインナー、納豆のように、調理なしで食べられるものを買ったりするのもオススメです。インスタントの味噌汁に七味を足したり、ごま油を足したりするなど、既製品にほんの少し手をかけるだけでも十分。これだって立派な自炊だと思います。

私は夏だったら、きゅうりに塩や味噌をつけてかじることもあります。切ったり焼いたり煮たりすることだけが料理ではありません。自分の食べたいものを好きな味付けで食べられるなら、それはもう料理なんだと思います。

あると便利な常備食材&押さえておきたい調味料

自炊するときに便利なのが、汎用性の高い食材。油揚げ、きのこ類、ベーコンはそれぞれ細かく切って冷凍しておくと、どんな汁物が来てもだいたい対応できます。味噌汁やスープを具だくさんにしたいなら、ぜひどれかはストックしておきたいところ。

常備野菜にするなら、やっぱりにんじん、じゃがいも、玉ねぎは季節問わず手に入りやすいのでオススメです。豚バラもいろいろな料理に使えるし、すぐ火が通るので調理しやすく万能な食材です。

調味料では、オリーブオイルはぜひ自分にとってお気に入りのものを見つけてほしい! と感じる調味料です。私の場合、オリーブオイルは生食用として使うものと、炒めものなどたっぷり使うものの2種類を用意しています。塩も、味わいが大きく変わるので、いろいろ試してもらいたいな、と思います。お気に入りのオリーブオイルと塩をカット野菜にかければ簡単にサラダになりますよ。

***


SNSに投稿されているきれいな料理の写真は、品数も多いし手間がかかっていて、見ていると「自分ももっとちゃんとしなきゃ!」と思ってしまいがち。

でも本来、自炊は自分のためにしていること。そこに「正解」や「正しいこと」はありません。作れただけで十分、おいしかったら「自分、天才!」くらいのテンションで自分を褒めましょう。いい意味で適当に、気負わず、ゆるく自炊を始めてみてくださいね。

画像提供/山口祐加

著書『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』発売中

書影

【自炊を続けることは、自分の身体と心を世話して、生きていく自信をちょっとずつ積み上げる営みです―― 】

ファッション雑誌の着回しコーデのように「旬の食材と定番食材を合わせて8種類ほどの材料を買い、週3日の自炊で使い切るためのレシピ」=週3レシピと題して、1年分の食材使い切りレシピをまとめた本著。

自炊のつまずきをまるっと解消する72のレシピが収録されています。

著者:山口祐加さん

山口祐加

自炊料理家、食のライター。共働きで多忙な母より「ゆかちゃんが夜ご飯作らないと、今晩のごはんないの。作れる?」と優しい脅しを受けて、7歳の頃から料理に親しむ。出版社、食のPR会社を経て2018年4月よりフリーランスに。日常の食を楽しく、心地よくするために普段は一汁一菜を作り、ハレの日は小さくて強い店を開拓する。料理初心者に向けた対面レッスン「自炊レッスン」や、セミナー、出張社食、執筆業、動画配信などを通し、自炊する人を増やすために幅広く活躍中。好物は味噌汁。
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編集/はてな編集部

自分の仕事ぶりを、自分で責めるな。私に必要だったのは「傷つけない」働き方

 スイ

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20代の頃は「とにかく圧倒的な結果を出さなければ」とがむしゃらに働き続けていたブロガーのスイさん。しかし、自分を追い詰めてしまったことで、限界になって辞めるという経験を重ねてきたそう。

そんなスイさんの「働き方」に影響を与えたのはパートナーの存在。「自分とは真逆」と語る彼女の働く姿を見て、自身の働き方を見つめ直すように。そして3回目の転職を経て、心地いいと思える会社に出会えたというスイさんに、これまでの経験を通じて感じたこと、これからのことを寄稿いただきました。

成長を求め続けた結果、疲弊してしまった

「あなたは悩みたくて悩んでるように見えるし、自分できついほうを選んでる」と、ある友人に言われたことがある。20代も終わりの頃だ。その時私は俯瞰した意見やアドバイスを求めていたわけではなく共感してほしかっただけなので、大変に腹が立った。

しかし、今改めて振り返ってみると的を射ていると思う。20代のうちに、転職を2回し、3社で働いた。どの会社も最後は仕事のし過ぎで会社が嫌になったり、メンタル不調になりかけたりして辞めているからだ。

1社目の会社は長時間労働が蔓延するベンチャー企業で、終電まで働く日も多かった。いくら就職氷河期の再来といわれていた時期の就活だったからといって、なにも最初からそんなハードモードの会社を選ばなくてもよかった気もする。

2社目の会社には、「スキルアップしたい」という目的で入社したが、なかなかに過酷な環境の企業だった。「俺が成長させてやるよ。ここで3年頑張れたら一人前になれる」とその時の上司は私に言った。何度も繰り返されるその言葉は洗脳のようだった。必死に働いたが、それでもうまく成果が出ず、態度が悪いといって怒鳴られたり、細かく行動をチェックされたり、反省文を何度も書き直させられたこともあった。最終的に死にたくなってしまい、辞めることになった。そこで働いているとき、ずっと私は「成果を出せない自分」を責め続けていたし、辞めたあとも「上司に言われたように3年頑張れなかった。本当に私はぽんこつだ」という絶望を長いこと背負うことになった。

3社目の会社は、平凡な、いい会社だと思っていた。とても評価をしてもらった。給料も上がり、満足していた。順調なはずだったのに、会社のあり方への不満を抱いた時「誰よりも仕事ができなければ偉そうなことを言えない」と思い込んだ。そうしてどんどん自分から仕事を背追い込んだ。黙々と仕事をする私の姿もあってか、上司も他の人の炎上案件をどんどん私に回してくるようになった。最終的にキャパオーバーの仕事を抱え込むことになり、またしてもメンタル不調寸前まで追い込まれた。

根底にあったのは「成長への強迫観念」「自信のなさ」。どちらも、仕方のないことではあったと思う。

私は同性のパートナーと長いこと付き合っていて「結婚して子供を作って家族で助け合いながら幸せに暮らす」みたいなオプションが最初からなかったから、「自分で自分を食わせられるようにならなければならないと」という思いがとても強かった。

生来の、そして、おそらく家族との関係のなかで増幅された自己肯定感の低さや自信のなさは「とにかく目に見える形で成果を出す」ことでしか、埋められなかった。

仕方のないことではあったが、20代が終わる頃にはそんな生き方に少し疲れてしまっていた。

食卓で語り合う、お互いの「働き方」について

そんな自分で自分を追い詰めるような働き方をしてきた私と、10年以上交際を続けているパートナーは真逆の働き方をしている。

よく食卓で働き方や仕事の話をするのだが、私が「つらい」「死にたい」と言っていた時も彼女は親身になって支えてくれていた。会社やパワハラ上司のことは当時も悪く言っていたが、一方で、そんな会社でも私が頑張ろうとしていることを尊重してくれていたように思う。当時のことを思い出して、最近こんなことを言っていた。

「君は、いわゆる『やりがい搾取』する会社を選びがちだよね。正直、君がこれまで働いてた会社、私だったら全部3日で辞めている」と。

そういうことを、彼女は実際にやる。

つい先日、異業種・未経験職種への転職をしたばかりの彼女だが、入社した会社を実際にすぐ辞めた。そしてすぐ、同時期に内定を受けていたが辞退した会社に電話をかけ、再度内定をもらい、今度こそ楽しそうに働いている。

詳しく話を聞くと、入社して1日目から残業があり「1カ月後にはこの程度じゃ済まないよ、残業」と先輩から言われたそうだ。有給休暇も、ほぼ使えない環境らしい。さらに入社して間もないのに仕事に関すること以外で誰からも声をかけられず、10人以上に書類を配って回っても誰にも「ありがとう」を言われない職場だったのだそう。もともと残業の少なさを重視していたことと、ジョブチェンジをして1から仕事を覚えなければならないことに不安を覚えていた彼女は、「ここで働き続けたらメンタル不調になる」と感じ、即座に辞める選択をした。

彼女は「我慢はしない」し「自分に合わないことはしない」、「やったことに対して正当な対価を求める」と決めている。そのぶん、給料分はちゃんと仕事をしようとする。仕事は好きじゃないから究極的な効率化をするらしいけれど、やることはやる。加えて、将来的な仕事の選択肢の広がりができるよう「入った会社で身に付けられること」を考えて仕事選びをしている。

私だったら最初に「このままじゃダメかも」と思ったとしても、「もう少し我慢して頑張ったらなんとかなるかも」と結論を先延ばししたり、「すぐ辞めることへの罪悪感」が頭をよぎったりして、逃げ出すのを躊躇してしまう。でもそんなふうに働き続けていたら、結局、追い込まれてしまった。

働く上で重視していることや、考え方は人それぞれだ。だから、彼女の行動や思考が100%正しいということは決してないと思う。そんな彼女の姿勢を見ていて、「私は本当にこれでいいんだろうか」と考えさせられることも多い。

がむしゃらに働く瞬間があってもいい。けれど、傷つくな

仕事風景イメージ

彼女の働き方のスタンスを間近で見てきたことや、これまでの経験から「今度こそは間違えない」と決めて臨んだ3回目の転職。

入社できた会社は私がもともと入社したいと思っていた、社会的に意義のある事業を行っている会社だ。リモートワークが育児中などの事情がない社員も全員できるし、精神的に成熟した人の多い会社だ。マイノリティに対する理解も深いので、私は面接の時からカミングアウトをしていたし、普通にパートナーの話が会社でできる。

私はこの転職で、ようやく「自分には価値がなく、とにかく成長できる環境に行って、目に見える成果を出さないと駄目だ」という思い込みから少しだけ解き放たれた。少し前の私だったら、「あの憧れの会社に応募するのはまだ早い。もっともっとスキルアップしないと」と思っていただろう。でも、応募することができて、面接では等身大の自分を出せて、内定までもらえた。

この経験を通じて、私はただでさえ自分を追い詰めがちな性格で、真面目で、ちゃんと仕事をやらないと気が済まない。だったら、真摯に仕事をしていれば、自然とできることは積み重なっていくはず。それをきちんと見せていけばいいんだ、と腑に落ちた。

キャリアという言葉の由来は「轍(わだち)」(馬車の通った道に残る跡)というのをどこかで見たことがある。

つまり、自分が歩いていれば自然とその後ろに道はできていくということ。だから、もちろん目の前の仕事にしっかり取り組むことと、やれることを広げることは大事だけれど、「将来のために」と必死になって自分を傷つけてまで仕事をする必要はない。

舗装された道を元気よく歩く時もあれば、ジャングルをかき分けて道を作り、なんとか歩いてきた時もあるだろうし、砂漠で一滴の水もない中でヨロヨロしながら前に進んだ時もあっただろう。一緒に歩いてくれる人がいる時もあれば、そうでない時もあっただろう。

そうやって今まで歩いてきた道を時々振り返って、転職などの大きな節目には、人に「いいね」と思ってもらえるように整えてみせてあげればいい。そう思えるようになった。

自分にとって最適な、楽しくなる道のりを求めて

私の選んできた道は決して楽な道ではなかったように思う。ぜんぜんキラキラしていない。涙と鼻水をたらしながら這いずって、やっと少しのスキルと「どこでもやっていける」という自信が得られてきた。

しかし、全てが満足なわけではない。

今の会社は素晴らしく環境が良い一方で、これまでいた会社より給与水準が低く、退職金制度もない。

私はハロー! プロジェクトのアイドルちゃんたちを応援しているし、おいしいご飯が大好きだし、文房具や本も好きでいろいろ買い集めたいタイプなので、お給料が少ないことが生活の幸せ度の低下に直結するということに最近気づいた。

「節約頑張ってみて、お給料が上がるまで一時的に我慢」と思っていたけれど結構これがつらかったりする。

でも、会社自体も、業界としてもとても好きなので、できれば長くいたい。だから今は、副業でなんとか稼いでいけないかなと思っているし、投資信託や保険で少しでもお金を増やせるような工夫もはじめた。

この時代、選択肢は本当にたくさんある。その選択肢を、組み合わせることもできる。お金・やりがい・時間・人間関係などのさまざまな資源の、最適なバランスを、地道に、トライ・アンド・エラーで探していきたい。

働き方を考え直したくなったら

「みんな頑張っているから」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで
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好きなことを仕事にできなかったわたしが、 好きな人と働いて見つけた自分の「仕事」
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登山のおかげで「仕事で何かができる人」になれなくてもいいと思えるようになった
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編集/はてな編集部

著者:スイ

スイ

ブロガー。LGBTの「B」としての生活と、おたく活動と働き方の両立について文章を書く。エンタメ(ハロプロ、舞台、漫画、小説など)が好き。
Blog:七転び八起き

双子育児は大変さも、面白さも、感動も2倍。夫婦で「はたらく」ために決めたこと

絵と文 ウラク

ウラク一家

こんにちは、ウラクと申します。

2015年秋に双子のムスメ・ムスコを出産し、「過酷さにまぎれて育児中の記憶を忘れないようにしたい」という思いからInstagramに双子育児の日常を投稿するようになりました。2018年春には仕事に復帰し、現在働きながら育児に奮闘する日々を送っております。

今回、りっすんさんから「双子育児をする上での思い出や、現在の働き方についてぜひお聞きしたい」とご依頼をいただき、改めて双子を妊娠してから、現在のような生活になるまでのことを振り返ってみました。

想定外の双子妊娠! 怒涛の育児がスタート

妊娠が発覚した当時、私は多忙を極める(なんならほぼ深夜帰宅)夫との結婚を機に、新卒入社した会社を退職した頃でした。「子供はもう少し落ち着いてから……」と2人で考えていたこともあり、最初は戸惑いました。後にお腹の子が双子ということも判明。そこからは出産まで慌ただしい日々を過ごします。

なんせ赤子が2人いるわけです。

交互に泣く、寝る、授乳やおむつ替えをしないといけないので、気持ちも体も休まりません。特に夜中はほぼほぼ寝れず状態。「こんな時間に夫を起こすのは忍びない……寝かさないとこの人多分会社に行けないし……」と一人で対応しようとしたこともありましたが、片方が寝たと思ったらもう片方が起きるという無限ループなので、当然一人ではままなりません。

夜泣きのひどいときが一週間くらい続いたときは「もう俺は無理だ~〜~!」「私も無理かもしれない~〜~〜〜!」と夫婦で号泣しながら乗り越えていったのは、今ではいい思い出です。

双子育児はやっぱり面白い! Instagramの投稿をスタート

夜泣きも落ち着いてきた頃、隙間時間に双子の様子を絵日記にしてInstagramにアップするようになりました。

ある日の双子の様子

当時は私、夫、ムスメ、ムスコ、そして私の母の5人で暮らしていましたが、母もフルタイムで働いていたので、日中はほとんど私ひとりで育児をしていました。ひとりで育児をしていると、どうしても子供のことが一番になってしまっていて、私というものがどんどん削れていくような感覚がありました。何が好きだったのかも思い出せない。たまにちょっと外に出ても、何をしたいのかが分からなくなってしまうくらい、消耗してしまっていたんです。

でもInstagramへの投稿を通じて、「あぁ私、絵を描くことが好きだったな」と改めて好きなことを思い出せたし、ちょっと大変だと感じたできごともポジティブに変換できるようになり、かなり気持ちが救われました。

なにより双子育児をしていると、面白い瞬間がたくさんあります。まるで打ち合わせしたかのように同じ寝相になる姿や、片方が起きると、気をきかせて(?)もう片方を起こそうとすることもあったり。子供たちの小さな発見や、感じたことを忘れないために始めたものでしたが、想像以上に反響をいただき、日々のモチベーションにもなりました。

書影

投稿をもとに、一冊の本になった『ウラクさんちのふたごちゃん』(セブン&アイ出版)

思いがけない誘いと、復職に向けて家族とのすり合わせ

Instagramで日々の投稿を続ける傍ら、私は「働く」ことについても考えを巡らせていました。

双子育児は当然お金もかかります。「また働きたい、いや、働かなきゃ」という思いはあったものの、夫の仕事状況も考えると、以前のように正社員のフルタイム勤務は難しいだろうな……と、最初はパート勤務を視野に入れて仕事を探していました。

そんなある日、予想していなかった転機が訪れます。退職した会社の上司から「戻ってこない?」と声をかけていただいたのです。当時在籍していた部署とは異なる、新しい部署での誘いでした。

初めは、また正社員で会社に属すというのはすごく不安でした。ブランクもありつつ、全く違う仕事をまた始めるわけだから、気持ち的には、もう一度新入社員になるような感覚です。それでも一度辞めた人間に、こんなことを言ってもらえるなんて、きっとなかなかない。そう思い、復帰することを決めました。

しかし、1年目の保活は失敗。このタイミングで実家から引っ越し、母とは離れて暮らすことになります。母はいつも一緒にいたわけではなかったけれど、精神的に甘えられる面は大きかったので、悩んだ末の決断でした。そして2年目の保活、ようやく保育園が決まり(幸運にも2人同じ保育園に入れることに!)、まずは時短勤務で復職をすることとなります。この間、待ち続けてくれた現在の会社には、感謝しかありません。

内定通知がきてホッとしているウラクさん

夜泣きも落ち着いてきた頃からはほぼ家事育児を私が担う状態になっていたため、復職に向け、夫と認識のすり合わせをしていくことに。

そんなときの、とある会話が↓です。

ウラク「これからは、今までみたいに(私がほぼ家事育児をやること)はできないから、分担しなきゃね」

「そうなの? ○○ちゃん家は、お母さんが全部やってるみたいだよ」


……夫、悪気はないんです。でも、この意識の差には愕然としました。これは推測になりますが、夫の育った家庭は「お母さんが家のことを全てこなす」環境だったのだそう。そのため、意識的に「父親が積極的に家事育児をやる」ことをイメージしづらかったんじゃないかな、と思います。

それでも私は仕事しながら家事育児も全部…なんて無理!できない! 〇〇ちゃんどんなスーパーウーマンだよ。

ウラク「◯◯ちゃん家はできているかもしれない。でもできている人を例にしないで。私も仕事を頑張って家の収入を一緒に支えたい。その代わり、当然今まで同等の家事はこなせない。悪いけど私には無理なんです。だから、一緒に協力してやっていきたい。仕事・家事・育児をできるだけ50/50(フィフティ・フィフティ)で分担して頑張りたいんだけどどう?」

「……そうだよね、協力して頑張っていこう」


夫の仕事が激務ということは知っているので、完全に分担をするのは現実的には難しいです。それでも、復職前に「一緒にがんばろう」という意識をちゃんとすり合わせができたのは、良かったです。やっぱり言葉にして伝えないといけないな、と思いました。

いよいよ復帰! 最初は思い通りにできず悩んだことも

実際に復職して感じたことは、私にとって「外に出る時間」というのは必要だったんだな、ということです。元々Instagramに絵日記をアップし始めたのは、子供たちの成長を記録しておきたい、という思いもありましたが、「外とのつながり」を持ちたい、というのもありました。

家にいたときは、子供たちとずっと長く一緒にいることが、ちょっとつらいと感じることもありました。手をかけてあげられる環境ができているからこそ、「一秒だって目を離しちゃいけない」と追い詰めてしまっていたんだと思います。

もちろん人によっては「離れたくない!」という方もいると思います。ただ私の場合は、強制的に離れる時間ができたことで、自然と「一緒にいられるときは濃い時間を作ろう」と思えるようにもなりました。手をかけたくてもかけてあげられない状況ができたことが、私にはプラスに働いたように思います。

育児が仕事の進め方にプラスの方面に影響していると思うことも少なくありません。以前の私は「仕事が終わらなければ終わらないで、その分残業すればいいし」と、限られた時間の中で取り組む、ということが苦手だったように思います。

でも、復帰してからは「何時までにこれを終わらせよう」と自分で決めるようになり、時間の使い方がうまくなったように感じます。「1週間に1日、子供の都合で休まないといけないかもしれないと思うと、5日あるけど、4日で終わらせる計算で予定を立てよう」など、自分なりにバッファを持って仕事ができるようにもなりました。

ただ、復帰して1年くらいまでの間は、いわゆる保育園からの「呼び出し」で、思うように仕事のリズムがつかめないのがつらかったです。双子の片方が熱を出すときもあれば、両方体調を崩すこともあり、下手すると全く会社に行けない時期も。「せっかく声をかけてもらって仕事に復帰したのに、迷惑をかけてしまっている……」ともどかしい気持ちになりました。

しかし、子供たちも大きくなって、だいぶ呼び出しも減ってきました(今まさに「呼び出し」問題で悩んでいるお父さん・お母さん、もちろん子供によって差はありますがいつか落ち着きますよ……! 私の場合は1年くらいでした)。仕事のリズムもつかめてきて、勤務時間も少しずつ伸ばせています。

不安だった家事育児の分担も、朝は夫が子供たちを保育園に送る、お迎えは私が担当する、平日は炊事洗濯が私に偏るので休日は夫が協力するなど、うまく分散ができつつあります。最初はどうなるかと思っていましたが、夫には感謝しています(それでも、負担がきつくなってきたな、と感じることがあるので、ちゃんと言葉にして相談するようにしています)。

双子の成長に負けないように、夫婦も一緒に成長していこう

ドタバタなウラク家の様子

いつのまにか仕事に復帰してもう3年目になり、子供たちも秋には5歳になります。仕事と育児の両立は大変なものだとは聞いていましたが、想像以上。それでも想像していたよりも楽しくて、つらくて、それでもやっぱり幸せだと感じる瞬間がたくさんあります。

保育園に預けている間に私の知らない間に新しいことを覚えてきて、迎えに行くとそれを話してくれる。子供たちの成長にびっくりしますし、「私も子供たちに負けずに、がんばろう!」という原動力にもなります。不定期ではありますが、Instagramの絵日記更新もできる限り続けたいと思っています。

わが家の場合は育児の大変さも、感動もふたり分。一緒に産まれ、同じ時間を過ごすふたりですが、やっぱりそれぞれ違う面もあれば、呼応するような瞬間もあるのです。そんな双子育児でしか見られないような子どもたちの関わり合いをリアルタイムで見られるのは、なんとも言えないお得感があります(笑)。双子の成長に負けないように、私たち夫婦も成長しなきゃね!

著者:ウラク

ウラク

双子の姉弟、ムスメとムスコの育児記録をInstagramでつづっています。初の書籍『ウラクさんちのふたごちゃん』(セブン&アイ出版)電子版発売中。
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※記事中のお子さんの年齢などは、記事公開時点(2020年3月)のものです

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編集/はてな編集部