今回、「りっすん」に登場いただくのは、合同会社タバブックス代表の宮川真紀さん。「おもしろいことを、おもしろいままに本にして、きもちよくお届けする。」をモットーに、リトルマガジン『仕事文脈』をはじめ、『かなわない』(植本一子著)や『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(小川たまか著)など、話題の書籍を数多く手掛けています。
会社員、フリーランス、経営者と3つの異なる立場からキャリアを積み、2人のお子さんを持つシングルマザーでもある宮川さんならではの仕事観、そしてこれまでの決断について語っていただきました。
管理職を目指して会社に残るより、フリーランスとして編集を続ける
宮川真紀(以下:宮川) 私が就職した1985年は、ちょうど男女雇用機会均等法が制定された年。まだまだ女性は数年で仕事を辞め、専業主婦になるというのが主流の時代でした。ただ、私の両親はともに教師で、母親も定年まで普通に働いていた。だから、すぐに仕事を辞めるという発想がなくて、男女間の給与や待遇差の少ない外資系企業を選んだんです。まあ、2年ほどで転職してしまいましたが(笑)。
宮川 たまたま好きだったモータースポーツの雑誌を出している出版社が社員募集していたんです。当時は転職のハードルも低くて、自然な流れで応募したように思います。そこでは広告営業に配属になり、間近で編集の現場を見ているうちに、自分もやりたいなと思うようになって。2年ほどで転職し、株式会社パルコの『月刊アクロス』編集部に移りました。7年ほど在籍し、書籍編集部に異動。その部署には8年間いて、トータル45冊ほどの書籍を作りました。
宮川 いや、私はもともと理想とかを持っているようなタイプではないので(笑)。『月刊アクロス』では、自分で企画も原稿執筆もやらせていただけたので、すごく良い経験になりましたね。書籍に異動してからは、既に有名な人というより、自分でミニコミを出している方や小さなギャラリーで展示をやっているアーティストの方などと本を作っていました。当時、パルコはセゾングループの一つでしたから、美術や演劇など幅広い文化を推進した、いわゆるセゾン文化の名残りがあり、比較的自由に仕事をさせてもらっていました。
宮川 20年ほど社会人生活を送り、もう会社員としては十分に働いたという実感がありました。あと、書籍編集という仕事は、会社に所属しなくてもやっていける仕事だと思ったんです。当時40代前半で、このまま会社に残れば部署の異動もあり、管理職としての仕事を期待される。そう考えたときに、フリーランスとして編集者を続けていきたいと思い、早期退職の募集があったときにすぐに手を挙げました。
決断は自己完結! 迷っていても誰かに相談しない
宮川 いや、誰かがいるから同じように、とは思わなかったですね。単純に、私がフリーランスとして働いてみたいなと。当時は、夫も健在で正社員でしたから、自分一人で稼がないと食べていけないという切迫感がなかったのかもしれません。夫が亡くなってからは、子どもたち2人を養うために自分が稼ぎ頭になりましたが。
宮川 私もだんだん気付いたんですけど、子育ては終わりが見えるものですし、あくまで一時的なもの。それに、国の制度をフル活用すれば、案外なんとかなりますよ。一人親支援とかベビーシッター補助制度とか、使えるものは使っていいんですから。
宮川 フリーランス時代は、知り合いから編集を依頼されたり、自分で企画を持ち込んだりと、比較的順調ではありました。ただ、少しずつ出版不況と言われるようになり、企画が通りにくいなと感じるようになったんです。それと、同時期にひとり出版社というタイプの会社が出てきたのを見て、自分が出版元になって本を出すことができるのか、と思い挑戦してみることにしました。
宮川 売れないものはしょうがないですからね(笑)。そのことを不安に思うよりも、もう本を作り始めちゃっていたから、途中で止めるわけにはいかない、という方が近いかもしれない。
宮川 昔から、「迷ってるから誰かに相談しよう」みたいな習慣がないんですよね。進路、結婚、仕事、全てにおいて事後報告です。それが全て正解だったとは思っていないんですけど、失敗したらそのときに考えればいいかなと。もちろん、誰かがアドバイスをくだされば、参考にはしますけど、それが決断を揺るがすまでのことは、これまでないですね。
年齢は将来の可能性を閉ざす理由にはならない
宮川 不安というより、いつまでこの仕事をするのかな、とは思います(笑)。ただ、あまり表に出ていないので知られていませんが、いろいろな場所で60代や70代でも自分らしく働いている方がたくさんいる。メディアは、キラキラした若手のキャリアウーマンばかりを取り上げがちですが、脚光を浴びるばかりが仕事人ではないですよね。
宮川 最近話題にあがる仕事に、ライターさん自身にすごく影響力のある「読モライター」があります。もしかしたら、若いうちだけの仕事と見る向きもあるかもしれませんが、「何かを書く」という本質は外さずに、仕事の取り組み方や露出の方法を変えれば、この先も全然成立するんじゃないかと思うんですよね。例えば、高齢者向けの道を探ってみるとか。これから高齢者の数はどんどん増えますから、そういう人がいれば参考にしたい人も多いと思うんです。
宮川 選択肢が増えているのはいいことですよね。例えば、『仕事文脈』に書いてくださった方に「ノマドナース」と名乗って働いている女性がいました。彼女はフリーランスとして、キャンプや登山客に付き添う救護ナースをしているのですが、自身も登山が趣味で自由に動ける時間を確保したいと、病院に所属しない働き方を選んだそうです。主流の働き方ではないかもしれませんが、少なくとも人がやっているからと同調することなく、試行錯誤して自分らしくいられる仕事をしているな、と思います。
宮川 私の場合は定年もないので、働ける限りは働こうかなと思っています。ただ、今後はタバブックスを継承する、ということも考えていきたいなとは思っています。
よく先が分からないから不安だ、と言う人がいますけど、今の私たちが不便だと思っていることは、意外とそれに対応したサービスなり、プロダクトが生まれてくるんですよ。私自身が編集者として仕事をしていく中で、どんどん柔軟な働き方ができるようになった、という実感があるので。だから、未来に悲観ばかりするのではなくて、まずは今の仕事をしっかりやっていきたいなと思っています。
撮影/関口佳代
お話を伺った方:宮川真紀
東京生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。株式会社パルコにて雑誌編集(月刊アクロス)、書籍編集(PARCO出版)を行う。2006年よりフリーランスの編集者として独立し、書籍企画・編集・制作、執筆(神谷巻尾名義)などの活動ののち、2012年8月にタバブックス設立、2013年6月法人登記し合同会社タバブックスに。
HP:合同会社タバブックス/Twitter:@tababooks
お知らせ:共働きをテーマにしたイベント「りっすんお茶会」を開催します
「りっすん」では、2018年11月25日(日)にイベント「りっすんお茶会」を開催します(※11月15日申込締切)。詳細は下記のリンクをご参照ください。
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編集/はてな編集部