「老後のこと」は考え過ぎてもしょうがない。60代の私が積み重ねてきた仕事と生活

『58歳から日々を大切に小さく暮らす』(すばる舎)

「◯年後、自分はどうなっているんだろう?」と考えたり、「今後のこと、どう考えてる?」という質問にうまく回答できなかったりと、将来に対して不安に感じる方はいるのではないでしょうか。世相の変化によって働き方が予期しない方向にいくこともある今、分かりやすいロールモデルがなくなり、キャリアプランはもちろん老後の生き方もイメージしづらくなりつつあります。

60代一人暮らし 大切にしたいこと」というブログを書くショコラさんは、42歳で一人暮らしを始め、現在はパート勤務。別居、離婚を経てパート勤務から契約社員、正社員、そして再度パート勤務という働き方をしたショコラさんは、女性が結婚して会社を辞める「寿退社」が当たり前だった時代から、その時々に応じて「仕事」を選んできています。

著書『58歳から日々を大切に小さく暮らす』(すばる舎)では、「起こるかどうかわからない将来のことを考えて心配するより、今ある毎日を積み重ねていくことが老後につながると思っています」と語るショコラさん。漠然と「将来のことが不安」だと感じる方々に向け、これまでの働き方の変化、そして将来をどう考えるかについて書いていただきました。


こんにちは。ショコラと申します。42歳の時に生まれて初めての一人暮らしを始めたことをきっかけに、パート、契約社員、正社員……とさまざまな働き方を体験。57歳の時に会社を辞め、現在はパート勤めをしながら、老後を見据えて家にあるものを整理したり、住みやすい部屋にするための工夫をしたり、楽しい時間の過ごし方を考えたりしています。

今回、りっすんさんから「これまでの働き方について振り返っていただけないか」とのご依頼をいただきました。私が普段心掛けている節約やシンプルな暮らし、“老前整理”などの生活についてはブログで発信してきましたが、自分の働き方についてじっくり考えたことはなかったかもしれません。あらためて、社会人になってから現在のパート勤めになるまでのあれこれを考えてみました。私の体験が皆さまの参考になれば幸いです。

高卒で就職し、寿退社……それでも「外で働きたい」と思った

私は高校を卒業してから就職しました。女性がキャリアを積んでいくことは少なく、結婚して会社を辞める、いわゆる「寿退社」が当たり前だった時代のことです。実家暮らしで、自分の稼ぎだけで生計を立てるなんて、全く考えたことがありませんでした。当時は一人暮らしをする女性自体が少なく、結婚するまで働いて、寿退社して、老後は年金暮らしで……と考える人が一般的。20年~30年後のことを視野に入れる人や「手に職を付ける」という人は、そこまで多くありませんでした。

6年間OLとして働き、結婚して会社を辞めました。その後すぐに男の子を2人産み、子育てをしながら、専業主婦として暮らす日々。外に出るのは子供2人を連れて実家に行く程度で、あとは自宅と近所の公園、スーパーをぐるぐる回る毎日でした。

そういう状況で「外で働きたい」という気持ちが芽生えました。

これも時代背景かと思いますが、当時は「フルタイムで働くお母さん」はもちろんのこと、「パートで働くお母さん」も少なかったのです。それでも外に出たい、働きたい、と思ったのは、家計を支えるためという理由ももちろんありますが、自分のために使えるお金も欲しいと考えていました。子供が小学校に上がったのを機に、子供が学校から帰ってくる頃には家にいられるようなパート勤務から始め、成長に合わせながらフルタイムに近い形で働きました。

42歳で生まれて初めての一人暮らし。目の前のことに向き合って不安が薄らいだ

42歳の時に、別居での一人暮らしをスタートさせました。

夫婦が離婚や別居をする場合、子供は母親と一緒に暮らすことが多いように思います。ただ、私の場合、住んでいた家が義家族の家だったので、私が家を出る形になり、子供たちが成人するまでは離婚しないでおくことにしました。その影響で子供たちの生活が変わることだけは避けたく、近所にアパートを借りました。元の家に通って、夕飯を作って一緒に食べたり、お弁当を作っておいたり……。その一方で、別居したことにより、「妻」「主婦」という役割から解放され自分らしさを取り戻した! という気持ちが強くありました。そして、誰にも頼らず、自分だけの力で生きていかなくちゃならないと覚悟をしていました。

引っ越しでお金も使ったし、パートで生活していくのは身体的にも金銭的にも厳しく、たまたま新聞広告で見かけた化粧品メーカーの営業職の求人に応募し、契約社員として採用されました。

ぎりぎりのお給料で暮らしながら忙しく働く中で、それまであまり考えてこなかった「人生のこの先のこと」を考えるようになりました。普段は毎日の生活のことでせいいっぱい。貯蓄に関する知識にも疎く、お金の大切さを知っておくのは大事だと痛感しました。ふとアパートにいる時、「貯金もほんの少ししかない。この会社にいつまでいられるだろうか。そもそも契約社員で何の保証もない」といっぺんに不安が押し寄せてきました。その時に、こう思ったんです。

「何十年後に自分がどうしているか?と考えるから不安になる。どうしようもなくなったら、死んじゃえばいいんだ」

不思議なことに、そう思ったら不安な気持ちが薄らいでいきました。それまでの40年間、後悔することもあったけれど、自分の考えで行動して、やりたいこともやってきた。子供も育てて、友人にも恵まれて、いい思い出もいっぱいある。そんな人生を過ごしてこられたから、お金も住むところもなくなったら消えてしまえばいいって思ったんですね。

起こるかどうかわからない未来に対してくよくよ思い悩んだり心配したりするより、「いま目の前にあることをこつこつ頑張っていこう」と前向きになれたことを、よく覚えています。

ハードな営業職に飛び込んで

それまで経験のなかった営業職に就いたのは、とにかく自分で稼いで生活をしていくためでした。目標の数字がしっかりありますし、売上の数字が上がればお給料も上がり、働くのは楽しかったです。

年齢を考えるとこの先違う仕事が見つかるかどうかわかりません。どんなに無理難題なことを言われても引き受けよう、辞めるわけにはいかない、これしかないんだ、と考えていました。飛び込み営業や肌診断、サンプルの配布、商品の配列まで何でもやりました。パソコンは全然使えなかったのですが、PowerPointでの資料作成も勉強してこなしました。正社員への登用後、より忙しくなって、やらなければならないことが増えました。とにかく働いてお金を貯めようという気持ちが先に立っていました。

というのも、その頃にマンションを購入していたからです。貯金もなく日々の暮らしでせいいっぱいだった私は「家を買う」ということは考えてもみませんでした。最初に住んだ1Kのアパートからもう少し広い部屋に移りたくて、賃貸の物件を探していた頃に、「将来のことを考えた方がいい」と親身になってくれた友人がマンションのちらしを持ってきてくれたのです。

マンションの価格が底値の時期だったこともあり、一番安いシングル向けの部屋なら買えるかもしれないと考えて、無理のないようにローンを組みました。もしローンを払えなくなったら、人に貸すか、売却しようと考えていました。給料で返せるめどがついたタイミングでとにかく返済しまくって、返済が完了したのは56歳の時。おそらく終の棲家になるはずです。

ショコラさんの部屋

営業職の仕事のことを振り返ると、なぜかやりがいがあったことばかり思い出します。大変なこともつらいことも多かったはずですし、営業に行ってもけんもほろろな対応の店だってありました。それでも、売上が上がること、リピートで注文してもらえること、お店の売上に貢献できて喜ばれること、すべてが自分に自信が持てる要素になります。営業という仕事だったからこそのやりがいだったかもしれません。

自分で「これまでの働き方に納得」してからパート勤めへシフト

やりがいを感じながら働いていた仕事を辞めたのは、57歳の頃です。「あと3年続ければ」と言ってくれた人もいたのですが、体調不良やストレスなどさまざまなことが積み重なり、思い切って働き方を変えようと決意しました。

53歳のある日、朝目覚めた時に突然めまいがして、起き上がれなくなりました。それが1週間続いてやっと近所の病院へ行ったら、結果は更年期障害の症状。さらに子宮がんになりかけていたということも判明。当時は上司と部下との間に立つ役職、かつ自分自身の仕事も忙しい状況だったのに、さらに「営業所長」に任命され、断り切れず……。

当然ですが、営業所長という立場では営業所全体としての目標を持つことになります。ずっと現場仕事だった私にとっては、自分の力量以上のものを求められているような気がして、とてもつらかった。情けないことですが、会社に申し出て営業所長からは下ろしてもらい、ヒラの営業に戻りました。その後は仕事をしながら新人教育などをしていたのですが、会社の方針が変わったことなども併せてストレスが続いたせいか、56歳の時に帯状発疹にかかってしまいました。

このまま仕事を続けていたら、もっと大きな病気になるかもしれない。そして、働けなくなってしまったらどうなるんだろう……。自分の働き方を不安に思い始めてから、気持ちがついていかなくなってしまいました。思い切ってセミリタイアしてパートで働けば、働く時間が決まっていて大きなプレッシャーはないだろうと、自分で納得した上で化粧品メーカーを退職しました。

それから、ハローワークで探したパートの仕事に就きました。覚悟はしていたつもりだったのですが、ボーナスはもちろんなく、年収が3分の1くらいになってしまって、半年ほどの間は率直に言って、「辞めなければよかった」なんて考えていました。「辞めよう」と考えて納得して決めたことなのに、忘れてしまうんですよね。

後悔の気持ちを抱える中で、たまたま新聞に載っていた書籍の広告から、禅の言葉(禅語)の一つである「大地黄金」というフレーズを知りました。「大地黄金」は「自分が置かれている場所で、せいいっぱい尽くしなさい」という意味の言葉だそうです。これがとても励みになり、私の気持ちを変えてくれました。会社の中で私が担うのはほんの一部分ですが、それを一生懸命やろうと捉えられるようになりました。いまでは、納得するプロセスを経たからこそ、自分で働き方を決められるようになったのだと思っています。

高校時代のアルバイトを含め、仕事運には恵まれていました。それぞれの仕事でその都度、自分自身が「働くこと」を通じて成長してきたように感じます。どの仕事も良いことばかりではなかったはずなのに、いま思い返して浮かんでくるのは、楽しかったことが多いのです。特に、化粧品メーカーの営業職というハードな仕事が、いまの「なんでも前向きに考える」私を作り上げてくれたのだなと感じます。

将来のことを考えるよりも、いまのことを積み重ねよう

60代のいまはパート勤めをしながら節約したり、住まいを整える工夫をしたりして、楽しく暮らすことができています。しかし、70代、80代をどうしたいかについては、特に考えていません。体力は落ちるし、そもそも生きているかどうかもわかりませんね。現実的な課題としては、どのように歳を取るとしても、金銭面のやりくりは大事。もし一人で暮らすのが困難になったら、住んでいる部屋を売り、老後のための貯蓄を使うことも考えています。

いまの30代~40代の方は今後のことについて、「もう年金などはもらえないかも」など考えがちなのではないかと思います。そういう時は、「将来のことを考え過ぎてもしょうがないから、いまできることを一生懸命考える」と捉えてみるのはいかがでしょうか。起こるかどうかわからないことばかり考えると、とてもつらくなります。将来のことは想像することしかできません。

自分自身のこれまでを振り返ってみると、私は、生きていく上で、経済的にも精神的にも「自立すること」がとても大事だと感じました。経済的にいきなりすぐ自立といわれても、難しい環境にいる方もいらっしゃるかもしれません。そして、人間は一人で生きてはいけないのももちろんわかっています。

その上で、自分は一人でも生きていけるという自立した気持ちを持ちながら生きていくことが、自分の存在を自分で認めることにつながると考えています。自分が安心できる環境ができれば、周りの人のことも認めることができる。そうして、平凡ではあっても「存在する価値」を認められるようになると、「今日の暮らし」を積み重ねていく気持ちになれるのではないか、と思います。

著者:ショコラ

ショコラ

2016年、60歳のときに始めたブログ「60代一人暮らし 大切にしたいこと」をスタート。「老前整理」として始めた物の整理を、逐一ブログで報告。等身大の目線からつづる暮らしに共感が集まり、シニアブロガーとしては異例の月間60万PV。

子供が高校生だった42歳のとき別居、5年後に離婚。パート主婦から一転、バリバリの営業ウーマンとして自活してきた。57歳で退職、現在はパート勤務。30代後半の2人の息子とは、今も頻繁に交流。ネットやムックでも取材を受け、『ひとり暮らしの時間とお金の使い方』(主婦の友社)に著者として参加。

ブログ:60代一人暮らし 大切にしたいこと

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編集/はてな編集部